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はい、始まりました。ポッドキャスト吉野映画坂場第16回ですね。
今日はですね、この間見てきた映画「ラーヤと龍の王国」の話をしたいと思うんですけど、
見に行った映画館が、ちょうどこの前オープンした大阪の心斎橋のパルコの12階にあるイオンシネマ「シアタス心斎橋」ですね。
あそこに見に行ったんですよ。で、オープン日だったんですね。
シアタス心斎橋の感想もちょっと話ししながら、龍の王国の話に入っていくって感じでいけたらなと思ってます。
はい、えっとまずシアタス心斎橋なんですけど、結論から言うとちょっと今のところあんまり良い印象がなくって、
映画館自体のスペックを言うと、全7スクリーンの382席かな。
で、全体的にもともとあった建物の中に作ってるから、箱としては大きくないんですよね。
正直座席数が少ない印象で、全体的にラグジュアリーな感じの内装であるとか、映画館の入り口もそんな感じにしてあるんですけど、
足を伸ばせるコンフォートシートとか、リクライニングで角度調整できるシートとか、
あともう9席しかない、音響とかもいいグランシアタっていうところが、シアタがあるんですけど、
ちょっとね、初日が全然お客さんいなくて、僕がユノコク見た回も貸切だったんですよね。
ちょっとまず、映画館オープンの日にお客さん全然いないようなやり方っていうのがちょっと多なのっていうのがあって、
コロナ禍の状況もあったりして、サイレントスタートみたいな感じにしたかったのかもしれないんですけど、
工業じゃないですか、エンターテインメントじゃないですか、映画って。
いくらなんでもね、スタートダッシュというか華やかな感じを見せる気がないっていうのは、
ちょっとあまりに印象としては良くなかったんですよね。
もちろん、混み合ってない静かな映画館で映画見たいみたいな気持ちもあるんですけど、
それって基本的に映画館っていうものがある程度混み合ってること前提で、逆に空いてるのがいいみたいなのがあると思うんですけど、
そもそもガラガラっていうのはあんまり楽しくないんですよね、純粋に。
賑やかさが必要というか、全体的にラグニシャリな感じを目指したことで、
箱ももちろん席数も小さいし、ちょっといたけたかな感じを受けてしまったんですよね。
もっと大衆娯楽である方がいいと思うんですよね、映画って。
一部のちょっと余裕のある人が楽しむ高級な娯楽みたいな感じになると、すごい違和感があって、
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いまいちグランシアターとかも9席しかないって言っても、
たまにあるその貸切シアター、プライベート貸切シアターみたいなとこあると思うんですけど、
これは普通に上映中の映画が流してるんで、通常の工業なんですよね。
プライベートシアターで見るんだったら、自分たちが見たい作品、身内だけで集って見るよみたいな、
基本的にはパルブリックな場じゃないですか、シアターって。
どっちつかずなんですよね。
超映像とか鑑賞環境にこだわるタイプの人がターゲットなのかなっていう風に見たら、
にしてはちょっとあまりにラグジュアリーな感じを目指しすぎて、オタク感がないんですよね。
オープンタイミングの上映作品も、ちょっとあまりゴリゴリの映画ファンに詰めかけさせるみたいな作品チョイスがいまいちできてなくて、
一番の対策はラエとリュウの王国なんですけど、
あとがね、
ある人質、聖カマネの398日、劇場版ポケットモンスターここ、
新解釈三国志、イルミナティ、世界を操る闇の秘密結社、
グレイテストショーマン、スタンドバイミー、ドラえもん2、
滝沢歌舞伎ゼロ、2020ザムービー、
ワハロー66、ボヘミアンラプソディー、
産め返る三代手乗る永遠の歌声、
えっとね、ちょっとあまりにマイナー思考によってる感じが、
というかちょっと目玉がないですよね。
ワハロー66もなんでいきなり来てるのかわかんないし、
ボヘミアンラプソディーとか好きな人は好きだけど、
だったらそのちゃんとボヘミアンラプソディーをやるっていうのを盛り上げて欲しいなんというか、
大衆向けというにはあまりに賢まってこじんまりとした感じだし、
こだわってるというにはなんかオタクにも寄り添ってないしでね、
すごい手段バダ印象なんですよね。
あとその感染対策ですべての席にパーティションがついてるんですけど、
座ってみるとね、結構圧迫感感じるんですよね。
視界にも入ってきますしね、前の席のパーティションが。
こうなるとね、割と意識に入っちゃうし、
隣の人は気にならないかもしれないですけど、
パーティションで隣の人と挟まれてたらね。
ただもう単純に壁として気になっちゃうみたいなのがあって、
あとまあ例えばシアターが空いてる時に入ったら、
パーティションがなかったら空間が広がる感じがあるけど、
せっかくお客さんいないのにパーティションあるから全然広く感じないみたいなのがあってね、
なんかイマイチおいしくないんですよね、全体的に。
売店とかもね、スターウォーズのレコードかな、あれは。
置いてたりとか、エヴァンゲリオンのグッズ置いてったりとか、
まあガンダムのグッズ置いてたりとかね、
あの分かるんですよ、ちょっと映画ファン向けの物品置きましたっていう感じは分かるんですけど、
ただね、その今やってない映画のグッズを借りてもってやると思うんですよね。
結局ファングッズって呼ばれるような物って、どこで買うかみたいな文脈が大事だと思うんですよね。
単にその物自体が欲しかったら、量販店で買ったらいいわけじゃないですか。
そっちの方が品揃いし安いし。
わざわざ映画館で買うってことは、
今やってる映画をその見た感動の流れでそのグッズを買うであるとか、
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そういう文脈みたいなのがいるわけですよ。
意味もなくエヴァのグッズ置いてたりとか、
映画ファン、映画オタクの人たちの大雑把なペルソナを設定して、
そういう人たちってこういうグッズ買いますよねっていうのを、
今やってる映画と関係ない文脈で置いてもそれ買わないでしょ。
なんかね、甘いというか、分かんないですね。
日本シネマの系列なんだから対策映画やると思うんですけど、
対策映画やるには箱が小さいから賑やかさも出せないし、
ちょっとコンパクトな箱で少しマイナーシコを目指すにしても、
マイナーシコを目指すんだったら、
もう今はやっぱりキャラが出ないと難しいと思うんですよね。
例えば塚口さんさん劇場であるとか、
シネマアート震災橋であるとか、
作品選び以上のキャラクターを持っている映画館ってあると思うんですよね。
あと純粋に本当に小規模のマイナーな映画を上映する、
シネリーブル梅田とか、テアトル梅田とかね、
そういうちゃんとね、もともと映画館としての味付けがしっかりしていないと、
どこ見てるか分かんないなと思ったんですよね。
シアター震災橋は。
誰のところにも刺さってないんじゃないかなっていう。
ちょっとね、頑張ってほしいなって思いました、本当に。
せっかくね、映画館、世の中から減ってきている中で、
ちょっと癖のある映画館として新しく出てきているんでね、
ただね、その癖がね、
癖のある人の心に刺さるような癖じゃないんですよね。
誰の心にも刺さらない感じの癖がついてて、
ちょっとそれどうかなって僕は今のところ思ってます。
でもパルコの中にいるって感じだからなぁ。
イオンチネマだからそんなに支配人とかが癖出せないかもしれないし。
ちょっとね、気がかりですね。
まあいいや、シアター震災橋の話としては以上ですね。
で、ライアと竜の王国の話ですね。
で、その前に同時上映のあの頃をもう一度。
えっと、字幕版見たんで、アスアギンっていう、
私たちをもう一度ですね、
アスアギンっていう現代だったんですけど、
これ結構よくて、
割とありがちな話ではあったんですけどね。
老夫婦がちょっともう若い頃の元気みたいな、
亡くなってしまって、
奥さんが旦那さんをダンスに誘う。
若い頃はダンスしながらデートしてたみたいな二人だったんですけど、
それをダンスに誘っても乗ってこないと。
で、もうちょっと気持ちがもう枯れちゃってる状態の旦那さんに対して、
ちょっと奥さんもがっかりしてる状態なんですけど、
そこで魔法の雨が降ってきて若返るんですよね。
若返るとおじいさんはダンスが再び踊れるようになって、
そこで奥さんと再び若い頃のようにダンスを踊るんですけど、
そこで雨が上がっちゃうから、
置いた後の自分たちに戻っちゃうみたいなのが、
その後の展開になって、
一度若返ることで、
今置いてる状態で自分をもう一度見つめ直すみたいな、
よくあるタイプの話なんですけど、
とにかくダンスシーンが軽やかで気持ちよかったっていうのと、
えっとですね、
そのラストですよね、
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僕はいいなと思ったのが、
雨が上がって、
おばあさんは別に置いてる今の自分、
そして自分たちのこと、
そんなに悪いものだとは思ってないんですけど、
おじいさんは若い方がいい、若い方がいいって、
その魔法の雨が止んでいってしまうのを追いかけていくんですよね。
おばあさんをほったらかしにして。
で、そこでおばあさんはほったらかしにされたことに対して、
がっかりしてしまうんですけど、
もう雨は海の向こうに雲が行ってしまって、
雨の力で迎えられることができない状態になってしまうんですけど、
そこでおじいさんは今の自分がどういう愚かな考えだったかっていうのを、
おばあさんががっかりしている姿を見て思い直すんですけど、
ここで自分たちだけの話で終わってないんですよね。
雨が上がった街の方向を見ると、
もともと街にいた人々、
若者同士のカップルだとか、老夫婦の人たちもいたりして、
それを見て僕は思ったのが、
ちょっとこの価値観は僕が将来的に身につけていきたいなと思っているものなんですけど、
老いを恐れる必要はないと。
もうすでに自分たちがこれから行く老いという時間を過ごしてくれている先輩方がいるから、
その人たちがもうこれから行く道を歩いていってくれているから、
恐れる必要はないと。
それと同時に自分たちがもう通り過ぎてしまった若い頃っていうのも、
名残惜しむ必要はないと。
自分たちがもう通り過ぎた道をかつて自分が歩いたのと同じように、
若い時間を歩いてきてくれている若者がいるから、
名残惜しむ必要はないと。
誰かが仮に若さであるとか老いっていうものを生きてくれているみたいな感じで、
なんかそういうふうに思えたらいいなって思ってるんですよね。
それをおじいさんは単におばあさんのがっかりしている姿を見たからだけじゃなくて、
その町の人々、老若男女、
自分たちより若い人であるとか、
自分と同じような老人姿を見て元気を取り戻すんですよね。
それがいいなと思って、
自分がもう得られない人生も誰かが代わりに生きてくれているから、
悲しむ必要なんてないんだというか、
恐れる必要なんてないんだというか、
がっかりする必要はないんだというか、
そういうふうに思えたらなと思ってるんですけど、
ちょっとその価値観に割とフィットするラストだったかなと思って、
一瞬なんですけどね、その町の人々を見るカットって。
あれがあることで、
単におばあさんを見て、
罪悪感でちゃんとしようってなったから、
おばあさんに優しくするみたいな話じゃなくて、
自分じゃない誰かが元気で生きているから、
自分は自分として自分の人生を元気に生きるみたいなのを思うようにした、
みたいな感じの話として僕は捉えて、
そこがいいなと思ったんですよ。
あとこのアスアゲインの良いところは、
この夫婦が夫が白人で妻が黒人なんですよ。
ちょっとさっき旦那さんと奥さんって言い方入れちゃいましたね。
ちょっとやっぱりね、
慣例的に使ってる言葉って口滑らかに動いちゃうから言っちゃうんですけど、
できればね、夫と妻って言った方にしていきたいんですよね、
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自分の口癖としても。
ちょっと今回今から直します。
夫が白人で妻が黒人なんですよね。
やっぱりディズニーのアニメって、
これまで見た中では基本的に人種って揃ってたと思うんですよ、夫婦って。
僕は見た範囲でですよ。
もし他にあったら申し訳ないんですけど。
当然、白人は白人の夫婦、黒人は黒人の夫婦っていう、
人種同士で固まったものとして関係が繋がれていくっていうものが、
これまでの歴史の中で当然そうだよねっていうことで、
アニメーションも当然そういうふうに作られてきてたと思うんですけど、
意識的にそうじゃないふうにしていこうってやったのか、
それともそうじゃないのが今のスタンダードだよねっていう意味合いでやっているのかはわかんないですし、
両方の意味合いかもしれないんですけど、
しれっと出てくるんですよね。
白人と黒人の夫婦っていうのは。
なんかこの、今までやってましたけどみたいな感じでしれっとやってくる感じ。
その自然さがいいなと思って、
あまりこれ見よがしではないと。
そこがいいなと。
こういうふうに描かれるとすごく気持ちいいというか、
それを見た人、特にお子さんとかが、
それをそういうものとしてキャッチしてくれる。
で、次の世代にそういうものっていうものを、
そういうものとしてそのまま受け継いでいくみたいな感じになったらいいなと思うんですよ。
ただもしかしたら、まだ見た多くの人が、
あ、黒人と白人の夫婦を描いて、
ちょっとメッセージを持たせてるんだなっていうふうに捉えてしまう段階かなと思うんですよね、現状だと。
自然にやろうとはしてるんですけどね。
僕もそういうふうにはそのメッセージだなっていうふうに見たので、
まだまだってことですよね。
それがメッセージでなくなったら本当なんですよ、きっと。
だからまだメッセージの段階では不十分なんですけど、
だからといってメッセージはやらなくていいわけではないと思うので、
メッセージではないふうにメッセージを入れていくみたいな、
あの自然さがすごい良かったですね。
はい。で、本編。
ライト竜の克服ですけど、
うん、あの、めっちゃ良かったですね。
うん。
まず、世界設定ですよね。
東南アジア風ファンタジーですね。
あの、ディズニー最近、ヨーロッパ圏の文化とか、
歴史に根差した物語っていうのから、
ちょっとそのアジアであるとか、
別の地域に舞台のモチーフを振ってきてますよね。
モアナとかそうです。
あれも完全にそのポリネシアって言ったらいいのかな、あの地域って。
寒太平洋の地域の人々をモチーフにしたものでしたし、
リメンバーミー、あれはまあピクサーか。
あれはそのメキシコでしたもんね。
で、ベイマックスは日本がモチーフだったしで、
もともとムーランとかあれは中国だから、
中国とかアジアとかを扱ってましたけど、
より違うところに行くというか、
これまでは比較的マイナーな題材だったものに
踏み込んでいこうとしてるっていう感じって言ったりですかね。
で、そのモチーフが東南アジアなわけなんですけど、
この世界設計がね、本当に素晴らしいんですよね。
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もともとその竜と人間が共存してて、
一つだった世界が魔物みたいなのが現れて、
それから世界を守るために、
竜は自分を封印して魔物たちも抑え込んでるけれども、
残された竜の力を人間同士が奪い合ってしまって、
人間の国は一つだったものが5つに分かれてしまうという、
モチーフとしてすごい神話的で分かりやすいですし、
このね、それぞれのね、分かれた国がすごいいいんですよね。
ファンタジーとしてね、本当にワクワクして見れる。
で、単純にその東南アジア風ファンタジーだけじゃなくって、
ひとひねり入れてくるんですよね。
例えばアルマジロみたいな、主人公ラーヤの相棒のトゥクトゥク、
まぁ乗り物、トゥクトゥクですね。
が、アルマジロなのかな、あれは。アルマジロ。
背中にアルマジロのような甲羅を持ってる生き物。
で、こいつが丸まって回転するんですけど、
これをバイクみたいにしてラーヤが乗るんですよね。
どうやったら乗れるのかってよくわからないんですけど、
なんかバイクみたいに乗れちゃうんですよね。
で、人間の国が5つに分かれた後、
さらに魔物を抑えていた龍の石っていうものが、
それぞれの国がその龍の力を求めることで砕けてしまって、
魔物が復活すると。
で、世界はだんだん魔物に飲み込まれていくんですけど、
ここでディストピアものになるんですよね。
ディストピアというかね、ポストアポカリプスか。
だんだん滅んでいく世界の話になるんですよ。
で、主人公が一人で乗り物に乗って、
荒廃とした世界を進んでいくんですけど、
これ何かって言ったらマッドマックスですよね。
もうマッドマックスやってるんですよ。
東南アジア風に。
これがね、めちゃめちゃ良くって、
雰囲気いいなぁと思いながら見てましたね。
あと、ラーヤが持ってる武器、剣。
波打った刃の剣なんですけど、
これがね、ジャバラ風に…
口で説明するのはどうしたらいいのかな。
ジャバラ風に分かれてて、
中がワイヤーで繋がってて伸びるんですよ。
これ、昔のロボットアニメでガリアンっていうので、
そういう剣があったんですけど、
通称ガリアンソードって呼ばれてるもんですね。
これがね、めっちゃかっこいい。
めっちゃかっこいいな、これが。
あ、ガリアンソードだってなって、
めっちゃ良いんですよね。
しかもこのガリアンソードをね、
ゼルダの伝説のフックショットみたいに
突き刺して移動に使ったりするんですよ。
結構色々遊んでるんですよね。
で、またその砕けた竜の石の欠片を集めていくんですけど、
ダンジョンみたいなところに取りに行ったりするところもね、
結構ゼルダの伝説感というか、
インニー・ジョーンズ風であり、
雰囲気としてはファンタジーが入ってるから、
あの、ゼルダの伝説みたいな雰囲気になってたりとかね。
結構ね、ファンタジー世界の作り方が美味しいんですよ。
めっちゃ良い。
で、アクションシーンもすごい力入ってて、
主人公のラーヤと敵国、
いくつかその国がある中で、
直接ラーヤの国が守っていた竜の石を奪い取ろうとした国があって、
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そこの姫がそのラーヤの仇役なんですね。
それがナマーリかなっていうキャラクターなんですけど、
このキャラとのね、格闘アクションの素晴らしいこと、素晴らしいこと。
漢風というよりは、東南アジアだから、
シラットかな、シラットっていう方がいいと思うんですけど、
このアクションが本当に良くて、本当にキレがある動き。
あとね、その体つきのCGの表現も、
いつものディズニーよりちょっとリアルより立ったりするのかな。
筋肉のつき方とかがね、めっちゃいいんですよね。
ラーヤとナマーリの、特に肩の筋肉ですね。
アスリートの女性の肩の筋肉のつき方の表現がすごい上手いんですよね。
やっぱそこにね、強さを感じるというか、
さらに映像表現が人から向けたというか、
もう逆にすごいと思わないぐらいの域まで来てるなってちょっと思います。
ディズニーの3Dアニメーションの表現は。
なんかね、もうそういう世界の実写撮ってるんだよね、みたいなぐらいの作り込みなんですよね。
すごいと思う必要がないぐらいすごいんですよ。
あ、おお、なんかすげえ、こここうやってるんだとかっていうのを思う余地がないというか、
こうやって作ってるみたいな遊びがないんですよね。
カッチカチに作り込んでるから、もうそういうものとしてこっちに押し寄せてくるんですよ、映像が。
特に今回ディズニーは水の表現はずっとずっと成長し続けてますけど、
今回は特にね、東南アジアで水が豊富な世界を舞台にしている話で、
で、リュウというものがその水を司っている存在なので、
単に舞台というよりもテーマ的な中心になってるんですよね、水が。
だからちょっと単に水のきらめきというより、少しファンタジーな光り輝いたりであるとか、
その水が宙に浮いたりであるとか、意味を持った水の使い方をされているのが、
やっぱりもう一個水の表現も一歩進んだ感じがあるというか、もう到達しきって言うかなというか、
これ以上何か起きてももうわかんないですね、もうここまで来たら。
すごすぎて。すごすぎてすごいと思えないし、
ここから先もうすごくなって、すごくなったってことがわかんないって感じ。
本当にだからそういう世界を見てるって思うんですよね、アニメーションじゃなくて。
そういう世界があるなって思えるぐらい。
作られたもんじゃないんじゃないかなって思うぐらいに映像としてはすごいんですよね。
で、ちょっと今更ながら映画のところの解説を読んでおきましょうか。
解説。
リュウの王国を舞台に少女の戦いと成長を描くディズニーの長編アニメーション。
聖なるリュウたちに守られた王国、人々が平和に暮らすその王国を邪悪な悪魔が襲った。
リュウたちは自らを犠牲に王国を守ったが、残された人々は信じる心を失っていった。
500年の時が経ち、王国を再び魔物が襲う。
聖なるリュウの力が宿るというリュウの石の守護者一族の娘ラハヤは、
王国に平和を取り戻すため姿を消した最後のリュウの力を蘇らせる旅に出る。
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監督はアカデミー長編アニメーション賞を受賞したディズニーアニメベイマックスのドンホールと実写映画ブラインドスポッティングのカルロス・ロペス・エストラーダ。
2021年3月5日から劇場公開と同時にディズニープラスでも配信。
劇場では短編あの頃を思う人が同時上映されると。
まあ概要、さっきも僕が言ってた感じの内容なんですけど、話ですね、話がまあちょっと偶和として非常に悲惨的でよくできてたかなっていうのが、
リュウの力を人々が奪い合って国が分かれたっていうのは、これは不信感であるとか、まあ分断でいいんですかね。
互いが互いに信用していないことで生まれた断絶が世界全体を悪い方に導いていると。
で、ここでまあその悪魔っていう存在が出てきてるんですけど、たまにフィクションで描かれる対立している人々も共通の敵が現れれば断絶することができるみたいなモチーフ。
例えばウォッチメンですね。ヒーロー映画の元原作はビジュアルノベルのウォッチメンなんかにもフィーチャーされている考え方なんですけど、そうはならないんですよね、このラーヤとリュウの王国の中では。
結局何か世界を滅ぼすような大問題が起こったとしても、人々は世界が滅びるより自分たちのコミュニティを守ることを優先して、むしろ奪い合うようになるっていうことが描かれてるんですよ。
結構これっていろんなものに重ねれるかなと思うんですよね。例えば気候変動であるとか原子力であるとか、このままみんなでこれやってても緩やかに滅んでいくだけだよねって、みんなうすうす分かってるけど、
規制のおででみんなで協力してそれを防ぐ方向にやりましょうねってならないんですよね。みんなうすうす減っていく残されたわずかな資源を自分の方にかき集めようとするんですよ。
で、このラーヤのお父さんが分断した5つの王国をもう一度一つにまとめようとする平和主義な人として描かれてるんですけど、お父さんがラーヤに意思を継ぐにあたって言うセリフに、お前たちにこんな世界を残したくないっていう風な言い方だったかと思うんですけど、
これって割と今世の中のみんながちょっと思っていることかなって思うんですよね。気候変動のこともそうだし、原子力の問題どうしていくかとか、資源の問題とか少子高齢化とか経済どうなるのとかって問題がいっぱいあるわけですよね。
これはもう本当にいろんなことをふんわりと目をつぶって、自分たちのコミュニティに可能な限り資源を集めて、自分たちだけは守ろうとしているっていうののいろんな人の思惑がぶつかり合っているのが今の世の中だと思うんですけど、そういうのに対して、まあ現実そうなんですけど、ちょっと頑張んないですかって言おうとしているのがこの映画かなと思うんですよね。
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結局その分断が生まれて悪魔が現れた。ここの順番もどっちが先かっていうのはいまいちわかんないんですよね。この作品の冒頭でその悪魔が現れる経緯みたいな、もともと龍と人間は共和して暮らしていて、そこに悪魔が現れて悪魔を止めるために龍が自分を犠牲にしたら残された人間たちは互いの不信感から分断したっていう風になっているんですけど、
ただ話の流れの中でその悪魔の根源は互いを疑う心だみたいな発展感になるので、どっちが先っていうのはあんまなさそうなんですよね。ただ悪魔はすべての人にとって共通の問題、共通の危機、共通の破滅であると同時に、すべての人が内側に持っている猜疑心であるとか疑念であるとか恐怖ですね。互いに対する。でもあるんですよ。
だから内面的なものでありつつ外部のものでもあるんですよね。あいつらは。そこで残された最後の龍、最後に龍の兄弟たちから魔力を龍の石として残されて、その龍の石の力を使って悪魔を封じ込めた最後の龍がシスっていう龍なんですけど、なんで彼女、おそらく女性なんで彼女って言いますね。彼女がなんで最後に兄弟たちから魔力を託されたのかっていうので、
みんなを信じてたからだって言うんですよね。実際シスは本編中でずっとずっと他人のことを信じてるんですよ。結構それのせいで大変なことになったりするんですけど、ラーヤはもともと自分の国でその龍の石を守ってたところに、さっき言った他の国の姫であるナマーリから騙されて龍の石の場所を教えてしまって、
そこから国同士の龍の石の奪いになって、石が砕けて、完全に世界が終わっていくっていう話になっていくので、ラーヤは基本的に人を信用しない人間というより、人を信じたことで傷ついたことがあるから疑うようにしなければならないというふうに自分に言い聞かせてる人間なんですよね、ラーヤは。それに対してシスは徹底的に他人のことを信じると。
ちょっとその理想主義というか、もうちょっと逆にダメだろうっていうくらい危なっかしいぐらいに人を信じる人間として描かれると。
で、結局的に最終的に思いっきりのネタバレになりますけど、人を疑ってた、他者を疑ってたラーヤが人を信じる、自分を後回しにすることで龍の石は力を取り戻して、その悪魔はボーンってやっちゃえるという話になるんですよね。
で、ここの展開はいわゆるイヤボーン。気持ちが入ったらもう一発で敵やっつけられちゃうぐらいご都合主義の展開ではありますが、そこはもう偶話なので、これでいいのだろうなというふうには思います。
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みんながお互いにお互いを疑ってたから世界は滅びっていうきっかけだけど、みんなが死んじゃえたから世界は守られました、ちゃんちゃんでいいのかなと思います、この話は。
で、互いを疑うこと、互いを恐れることの描き方、結構戦術にやろうとしている映画で、この映画、仇役があんまり悪じゃないんですよね。
龍の石が砕ける原因となったナマーリが次の女王となる国は、その5つの国の中でも特に強い軍事力を、強い力、強い組織力を持っている国らしいんですね。
ただ、実際の内情はかなり苦しいと。
その中で、自分たちの国だけでも守らないとなった時に、その龍の石の力を追い求めるんですね。
そこでナマーリにラーヤを騙させて、その龍の石を奪おうとするんですけど、この国の名前を入れといたほうが話しやすいな。
ファングっていう国、5つの国はそれぞれ獣の体の一部の名前がついてるんですね。
ラーヤの国、もともと龍の石を守っていた国がハート。
ここ英語なのかってちょっと思ったりはしましたけどね。
もうちょっとその東南アジア風の語感に近い言葉でも良かったんじゃないかなとは思ったんですけど。
もともと龍の王国、クマンドラと呼ばれる大きい国があって、それが五つに分かれてしまったと。
で、龍の石を守っていたのがラーヤの生まれた国ハート。
で、砂漠の国テイル。
貿易都市タロン。
カギ爪ですね。
で、背骨のスパイン、雪山です。
で、人工の運河のファングと。
で、ここが敵役。
積極的にラーヤが集めている龍の石の欠片を奪おうとする国なんですけど、
ファングの女王ビラーナはあくまで自分たちの国を守るためにその力が必要であるというスタンス。
だから悪いことをしようとしているというよりは、しょうがないこと。
これは限られた資源を奪い合う生存競争だから、それを勝つしかないというふうに考えている人として描かれているんですよね。
それはどの国も一緒なんですよ。
これは生存競争であると。
これを自分たちの石を奪って、自分たちの国の安全を確保しなければならないというふうにみんなが思っているって感じなんですよね。
そこで限られた資源を奪い合うことで、結果的に全体としては悪い方に働いていると。
でもそこで、じゃあ協力しましょうとはならないと。
悪い方向に進むんだったら、じゃあ相手から奪って自分たちをより安全にしようというふうに動くと。
非常によくできた偶和だと思うんですよね。
実際みんなそう思って動いているからだと思うんですけど。
で、まぁちょっとそこで複雑な面。
あくまで自分たちの、自分の国を守りたいために石を奪ったのだとファングも。
それはやっぱりラーヤも一緒なんですよね。
あくまでラーヤの冒険の当初の目的は、悪魔に襲われて石になってしまったお父さんを助けたいからなんですよね。
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みんな基本的には利己、自分一人という意味ではなくて、
自分が所属している国、コミュニティ、社会だけ守りたいって思ってるんですよ。
ただそこでラーヤはシスウと冒険することで、
本当にどうしようもないお人よしのシスウの人を信じる心に触れることで、
もともと自分の国から龍の石を奪おうとして、破滅の原因となったナマーリを許すんですよね。
これが全ての解決の鍵になっていくと。
またナマーリの描き方がいいんですよ。
石の欠片を集めているラーヤを追いかけるんですよね、本当に容赦なく。
ただ自分たちの国に帰るときに、かつて悪魔を封印するために石になってしまった龍の石像がいっぱい残された草原みたいなところがあるんですけど、
そこを通るときにナマーリは祈るんですよね。
ここでナマーリはドライな現実主義者というよりは、根っこに理想主義を持っている人間なんだなっていうのがちょっと匂わされると。
思い返すと、もともとナマーリとラーヤが仲良くなった。
この後ナマーリは仲良くなったふりをして、龍の石の場所を探り出すんですけど、
その手前にもっと2人が仲良くなったきっかけは、2人とも龍のファンというか、龍の信奉者なんですよね。
言語ではドラゴンナードみたいなことを言ってましたよね。
龍オタクなのか?みたいな感じでしたけど。
ちょっとその推しですね。龍推しです。
龍推しの同等なんです、この2人は。推しが一緒なんですよ、この2人はね。
で、そこでナマーリは本当は理想主義をうちに抱えているものを抑え込んでいる人間なんだなっていうのがなんとなくわかると。
で、後々ラーヤがピンチになる中で、シスウがラーヤを助けるんですね、ナマーリの攻撃から。
そこでシスウを見て、生きている龍を見て、ナマーリは感動で打ちひしがれるんですよね。
龍がいてくれたと。
このシーン、この映画の博美だなと思って、生きるために自分は精神を落ちたものにしたと思っている人間に、まだ道があるっていうのが教えられるみたいな。
道が示されるみたいな救いがあるシーンだなと思って。
この映画においてナマーリが一番内面を大切に描かれているキャラなんですよね。
ラーヤもある程度わかりやすい内面の動きをしてるんですよね。
信じてたものが裏切られて、そこから父親だけ助けたいと思って行動してたら、シスウの行動に感化されて、人を信じるようになって世界を救うと。
ラーヤの心も展開をするんですけど、割とシンプルな動きなんです。
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ナマーリは二律背反みたいなものを含みつつ、結構複雑な内面を描かれるキャラクターで、本作で一番魅力的なキャラクターだったと思います。
ビジュアルもめちゃめちゃかっこいいんですよね。
この髪型なんて言ったらいいのかな。片方をかり上げてて、髪はその反対側に流してる髪型なんて言ったらいいのかな。めちゃめちゃかっこいいんですよね。
あとね、ラーヤとナマーリはね、これはユリですよね。ユリ映画ですよ。ラーヤとリュウノココ。
いい感じです。僕が好きな感じのバランスです、このユリは。
可憐じゃない方がいいんですよね。もうバッチバチの火花飛び散ってる感じの方がユリとして僕好きなんですよ。
一般的なユリとちょっと違う見方かもしれないですけど、いいです。
ユリ視点でも是非楽しんでいただきたい映画ですね。
ちょっとね、完璧な映画とは言い難いのかなっていう風には思ってる部分もあって、結構キャラクター色々出てくるんですよ。
リュウノ石の欠片を集めていく中で、最後がナマーリの国のファングに行くんですけど、それまでにテイル、タロン、スパインっていう3つの国を回って石を集めていって、それぞれの国で仲間が増えていくんですよね。
ただね、ちょっと仲間の量多すぎたかなと思って、一つの国に一組の仲間が増えるっていう分かりやすさはあるんですよね、その冒険者として。
ただね、最終的な人数が多すぎて、一人一人の掘り下げももうちょっとできたんじゃないかっていうのもあるし、
描き込み不足というか、もうちょっと見てたかったかなっていう風には見えたんですよ。
これはね、100分くらいの映画なんで、短いんですよね。108分か。短いんですよ。
2時間半くらいだったら描けたかもしれないんですけどね、どうしてもね、ある程度省略された流れでキャラクターが描かれちゃうので、もったいないなと思って。
本当にね、魅力的なキャラいっぱいいるんですよね。
個々のキャラクターみたいなのは、見た目とか言動のキャラクター性みたいなところに寄っちゃってて、
結局みんなあれなんですよね、家族が悪魔に異心にされたからそれを助けたいっていうところに気持ちは一直線に向かっちゃうので、
人数いる割に対応性がないんですよね、そこの物語の描き方としては。
すげーもったいないなと思って。
これがね、例えばテレビシリーズとかでめっちゃ描かれるとかだったら、各キャラクターにもガッツリ愛着持てるだろうし、
最終的なね、みんなが人を信じることで悪魔をやっつけることができるっていうところに至るのもすごい感動したと思うんですけどね。
様子が多い割には一本道なので、少し退屈?退屈というよりはもったいないって気持ちは覚えたりはしました。
もっと絞れたんじゃないかなっていうキャラクターの数をね。
それぞれの国、ハート、テイル、タロン、スパイン、ファング、自然豊かな国、砂漠、水上都市、雪山、人工の河川の土地っていうので、
土地自体がすごく多様で魅力的なので、いちいちそこで仲間一組ずつ増やすってしなくてもよかったんじゃないかなと思って。
もともとね、そのラーヤと乗り物のトゥクトゥクとそのライバルのナマーリとその母のビラーナで割と人間関係完結してるんですよね。
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ちょっとそっから先はノイズに見えちゃいそうな部分もあるかなっていう。
トイストーリーとかだとね、まだちょっと違うんですよね。
トイストーリーはおもちゃの話だから、その賑やかであること自体が目的だったりするんで、なんかあんまりそういうの多くても気にならないんですけど。
ちょっとね、悪くはないんだけどな。
神話でもあるので、神話だからその行った先でこういう人がいてこういうエピソードがありましたみたいなのもね、おかしくはないんですよ。
おかしくないというか、非常に神話的な言い方ではあるんですけど。
もっと見たかったな、本当にキャラクターみんないいんでね、もう少しボリューム欲しかったかなって感じは受けました。
全体的にね、本当に良くて、とにかく世界設計が素晴らしいですね。
ずっと見てたくなる、豊かさのある世界だったかなと思います。
話もね、ちょっと現代の世界の問題に対する偶意みたいなのも含んでて、すごくバランスのとれた映画だったかなと思いました。
本当に割と素直にお勧めできる映画って感じですね。
そんな感じですね。
はい、以上です。
えーと、お知らせになります。
これまでも何度かやらせていただいてた、大阪の南森町にある日替わり店長が企画バーを1日だけ入って開くっていうカフェバー。
週間曲がりにて、映画の話したすぎれば3月号を開催します。
日にちが3月27日土曜日の19時から23時。
私は週間曲がりで検索していただければ、Googleの地図とかでたどり着けるかと思います。
テーマが映画の冬を明ける春到来の映画トーク三昧ということで、
緊急事態宣言も明けて映画を見やすくなった環境の中で、季節の冬と映画の冬が明けたかな、気持ちで映画トークを楽しめる場にできたらなと思ってます。
緊急事態宣言終わったものの、感染状況はまだ収まったわけではないので、しっかりと感染対策をしてお迎えさせていただきますので、よろしければお越しいただけたら嬉しいです。
はい、以上、映画ポッドキャスト吉野映画酒場第16回ラーヤと竜の王国と、しあたつ震災橋のちょっと空口の感想をお話しさせていただきました。
次何かなぁ、次何かなぁ、次見る映画、おそらく次ガールズ&パンザー最終章第3話見るかと思うんですね。
これはね、ちょっと僕いろいろ縁のあるアニメシリーズで、映画ポッドキャストとか映画バー活動とは別に、映画上映会の主催とかをやってるんですよ。
ちょっと最近できてないんですけど、地元の淡路島、淡路島出身で、地元の淡路島にあるモトリオンっていう半休館状態の映画館で、映画上映会を企画してたんです。
そこでガールズ&パンザーの劇場版を上映した時に、淡路島の外からもすごいたくさんの人が来てもらって、それから何度もガールズ&パンザーの映画を上映してはご愛顧いただいてたりはしてて、
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すごい縁のあるというか、単にコンテンツというよりは割とそれ以上の思い入れを持って接している作品なんですよね、ガールズ&パンザーって僕が撮って。
もしかしたらそのあたりのガールズ&パンザーを上映した経緯とか流れとか思い入れみたいな部分の話をするかもですね、その最終章第3話の感想に合わせて。
わかんないです。もし気持ちが乗ればお話しさせていただくかもしれないです。
はい、以上です。それではまたお会いしましょう。さよなら。