1. 映画の話したすぎるラジオ
  2. 旧第15回「シン・エヴァンゲリ..
2021-03-10 48:49

旧第15回「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ネタバレトーク~少年よ神話になるな~

しゃべり終わって思い返してみると、「少年よ神話になるな」って話だったような気がしました。

うつろな記憶で好き勝手しゃべってるので聴取ご注意です。

00:11
はい、始まりました。ポッドキャスト吉井の映画酒場第15回ですね。
はい、今回はですね、エヴァンゲリオン新劇場版シリーズの完結編。
シン・エヴァンゲリオン劇場版の話をしたいと思います。
何を言ってるんだ?
エヴァンゲリオン新劇場版の完結編。シン・エヴァンゲリオン劇場版。
何を言ってるんだ、これは。
ほんとね、タイトルの付け加減、シャラ臭いですよね。本当にもう。
はい、で、一応私、新世紀エヴァンゲリオンテレビシリーズが小学校6年生の時に始まったんですよ。
ただ、その時はそこまで話題にならないというか、ごく一部のアンテナが高いというか、
波長が合うみたいなクラスメイトはめっちゃ盛り上がってて、
僕の友達で盛り上がってたやつは、その夕方のテレビでベッドシーンが流れたみたいな、そこで盛り上がってたんですけど、
ちょっとその時はそこまで話題になってなかったんですけど、
しばらくして中学校2年くらいの時に深夜で再放送されたんですよ。
で、周囲の奴らはそこで大爆発して、本当にね、僕の周りでエヴァブームが到来したんですよね。
ただ、僕はそこまでエヴァ見てないというか、割とその前半見て、
そいつらが深夜でハマった後、メンタルビデオでVHS借りてきて見るっていうのを一緒に見てたのが、
なんか割とすぐ飽きちゃって寝ちゃうみたいなのを何度か繰り返して、
結局そこまで見進めたことはなかったって感じだったんですよね。
で、その後、僕がちゃんとエヴァの映像作品を見たのって、新劇場版のシリーズが始まってからで、
しかも、ジョー、エヴァンケリオン新劇場版ジョーは、その時ね、
震災橋、大阪のシネマート震災橋でやってたんですよね、その時って。
まだこの新劇場版のシリーズが泥箱になるってわかる前だから、
シネマート震災橋でやってたんですよ。
今ね、もう東方でしかやんないですけどね。
本当にちっちゃい箱でやってて、もう溢れ返ってて、思いついていったら入れなかったのを覚えてますね。
2007年ぐらいだったと思うんですけど。
で、その後、映画館ではジョー見れなくって、
その後、新劇場版ハを映画館で見たっていうのが、
おそらくエヴァの映像作品をちゃんと見た初めて。
それまではテレビシリーズの話をつまみ食いしてたぐらいだったんですよ。
03:02
で、その間もずっとオタクカルチャーの中でずっとエヴァの話はされてて、
小耳には挟んでたって感じ。
で、どういったものかっていう感じは掴んでたって感じですかね。
で、ハを見て、
で、なんかふわっとそのままエヴァは見ていってて、
Qを2012年に見て、
で、ちゃんとテレビシリーズを通して見たのが、
2019年かな?
多分2019年ですね。
だから本当に最近なんですよ、エヴァをちゃんと見たのって。
で、世代的にはもうドンピシャなわけですよ。
12歳の時にテレビシリーズの初放映だったんで、
タイミング的にはもうバッチリだったんですけど、
リアルタイムでは触れなかったわけですよね。
で、すっかり大人になってから、
もう30、半ばのタイミングでテレビシリーズを初めてちゃんと通してみて、
その後は旧劇場版を見たって感じですね。
だから一応全部見てるけど、
知識としてもふわっとしてるって感じ。
で、ちゃんと語れって言われたら、
全然間違ってることいっぱい言っちゃう感じだし、
何より思春期にエヴァに魂をえぐられるみたいなことを経験していない立場なんですよ。
世代的にはね、そうなっててもおかしくなかったんですけど、
魂にはエヴァが刺さってない人間なので、
ちょっとそこの距離感で話すことになると思いますし、
おそらく記憶違いとか勘違いとか解釈違いとか、
単純な設定との相互みたいなことをおそらく言うんじゃないかなと思いますが、
怒らないでください。
エヴァの話するの間違ってたらね、
前ちょっとTENETの時もビビりながら話してましたけどね、
エヴァの方が怖いですからね。
はい、じゃあいつも通りEGA.comの解説を読ませていただきます。
庵野秀明監督による大ヒットアニメ
エヴァンゲリオン新劇場版シリーズの完結編
1995年から96年に放送されて
社会現象を巻き起こしたテレビアニメ
新世紀エヴァンゲリオンを再構築し、
4部作で新たな物語を描く
エヴァンゲリオン新劇場版シリーズ
2007年に公開された第一作
エヴァンゲリオン新劇場版上
2009年の第二作エヴァンゲリオン新劇場版派
2012年の第三作
エヴァンゲリオン新劇場版Qに続く本作は
庵野秀明監督の下
これまでのシリーズに深く携わってきた
鶴巻和也、中山翔一、前田雅博
かな?ごめんなさい。ちょっと読み間違ってるかも。
が監督を担当し、新たな結末が描かれるテーマソングは
これまでの新劇場版シリーズも担当した
豊田光が引き続き手がけたタイトルロゴには
新エヴァンゲリオン劇場版の最後に
楽譜で同じところを繰り返す際に使用される
反復リピート記号が付くと。
はい、えーっと
155分、長いですよね。長かったですね、本当に。
06:00
で、まああの、総合的に言うとね
めっちゃ良かったですね、本当に。めっちゃ良かったですよ。
良かった、良かったっていうのは
本当にその、エヴァっていう話に対して
で、エヴァっていうそのコンテンツ
現実に存在しているエヴァンゲリオンっていう
コンテンツに対する落とし前もつけつつ
エヴァンゲリオンって作品が大人になったねっていう
ちょっと一末の寂しさもありつつっていう感じで
僕は見てましたね、はい。
うーん、どっから話そうかな。
まずね、たぶんQの話をすべきなんですよね。
で、ちょっと僕が見た限りで
このエヴァンゲリオン新劇場版シリーズが
どういう変遷をしていったかみたいな
本当に試験でしかないものをちょっとしゃべるんですけど
上の時にテレビシリーズのエヴァが
まあその後半で哲学的というよりは
内政的な方向に行ってしまったことに対する
カウンターというよりも反省なんだろうな
まあ本当にやり直しですね。
としてエンタメに振り切ったエヴァンゲリオンを
もっかえるというものとして
上が作られたっていう風に僕は見てました。
で、実際上は本当にエンタメ中のエンタメですね。
そのエヴァンゲリオンがもともと
テレビシリーズがもともと持ってた
集団作戦ドラマかつ怪獣ドラマ
としての面白さを煮詰めに煮詰めたのが
エヴァンゲリオン進撃場バッジョという風な感じ。
で、歯がエヴァのテレビシリーズで
中盤でだんだんそのエンタメというよりは
ちょっとその主人公のシンニクに
背負わされていく重いものの扱いの再解釈
再構築みたいなものが歯でされたのかな
っていう風に僕は見てたんですね。
で、実際そのテレビシリーズでは
本当にもう最後の最後までずっと
そのシンジ君はその背負わされたものに
ずっと絡み取られ続けるわけですよね。
で、もう本当に活躍しなくなるというか
ずっとなんか膝抱えて座ってるみたいなのが
続いたりしていくわけなんですけど
それに対する反撃をすると。
で、テレビシリーズでシンジ君の心が
折れていくようなエピソードを
シンジ君が立ち向かうように変えていく
ちょっとそのツイストを加えたのが
歯っていう認識で
Qですよ。Qが
これは本当にどう捉えていいか
僕も分かんなかったし
あんまり映画の話としても
そこまで好きじゃなかったんで
たぶん1回か2回しか見てないんですよね。
だから話もちょっとフワッとしか覚えてないです。
うろ覚えです。
で、その歯でシンジ君が
現実に立ち向かったことが
悪い方に働きましたって。
で、それをみんなで責めるっていうのが
Qだったっていう風に僕は見てたんですよね。
ちゃんと見れてないかもしれないですが。
でね、ほんと嫌でしたよ。
歯でね、頑張ってあやなめ助けるって言ったら
Qになったら全部お前のせいだみたいに
みんなが言うっていう。
いや、そりゃ嫌でしたよ。あれは。
09:01
でね、なんかその
ブンダーの人たち。
ブンダーでよかったっけ。
ブンダーはあれか。戦艦か。
ブンダーは戦艦。
彼らの組織なんだっけ。
ビレ?
ちょっと調べよう。
公式サイト来てるんですけどね。
この映画のキービジュアルが
さらば全てのエヴァンゲリオンって
キャッチコピー入ってますよね。
完璧っすよね。
やりきってるもんな、それ。
よくやったよ。
ただまぁね、その
やった。ほんとにやりきったし
落とし前は全部ついたけど
なんかね、その
小手先というか
手のひらの上で操られた感じも
ちょっと受けて
そこはね、なんかね、あの
寂しさもあるんですよ。
なんて言ったらいいのかな。
血へどを吐きながら
エヴァを終わらせて欲しかったって
思いがちょっとあって
なんかこんな
しなやかに上手な終わらせ方
されるとなんか
寂しいなって思っちゃってね。
エヴァって血みどろの話じゃないですか。
もうね、大役
ぐちゃぐちゃの話ですよ。
エヴァンゲリオンも大役出まくるし
使徒も大役出まくるし
血みどろの話じゃないですか、エヴァって。
なんかその感じが欲しかったなと思って。
まぁいっぱい大役出れますけどね、今回も
シン・エヴァンゲリオンも。
あれ、なんか
公式サイト来たけど
全然設定が見つけられない。
キャラクター設定とかの
説明のページがないな。
こんなものなの。
意図的にやってんのかな、これ。
やってそうだな。
エヴァだから説明する必要ないよねって
やってそうだな。
ビレで良かったっけ。
あ、うん。
ビレだよ。
ビレ、ビレ。
ドイツ語で石。
あ、そうか。
まぁ英語の
ウィルの綴りだもんな。
ドイツ語の石。
で、まぁ
ブンダーは
ドイツ語で奇跡かな。
まぁまぁ
まぁそれっぽいね。
いかにもエヴァっぽい感じの名前ですね。
本当に。
まぁ、えっとまぁ
要はあの
ビレの人たちが
まぁ
シンジ君に
ガシガシ
いろいろ押し付けてくるわけですよ。
責任を。
お前の
世界がこうなったのは
お前のせいだって。
それ言う?
ってね。
結局その
立ち向かっても
もっかいヘシオリに来るんじゃないの?
みたいな
のが
きつかった
っていうのはありましたよね。
で、
新劇場版シリーズって
その
エヴァを
エンタメ的にやり直す
みたいなことを言って
まぁその
ジョーは
エンタメ的な
やり直しをしてて
ハウで
その
テレビシリーズでやった
インナーな方向
ネガティブな方向に
行くのを
アウターな
方向
ポジティブな方向
アグレッシブな方向に
まぁあの
語り直す
みたいなことを
やってたのが
全部恨める
っていう
なんか
じわじわと落ちていった
テレビシリーズより
ある意味
もっときつくね
みたいなことを
Qでやられたわけですよね。
もうみんな
あのー
みんなにいじめられて
味方してくれるの
で、川浦くん死んじゃって
もう
これまでと
同じぐらい落ちて終わる
っていうのがQ
だったという風に
記憶してます
そうじゃなかったかも
しれないです
で、正直
まぁそれぐらいにしか
僕はQは
とられなかったんですよね
まぁラストね
なんか
例の
綾波レイの
本人じゃないやつ
綾波自体クローンだから
ジョー派で
えっと
シンジくんたちと
一緒に過ごしてた
綾波じゃない
綾波タイプの
クローンと
12:00
四季並
アスカと
シンジくんが
その
真っ赤になった
世界を歩いていく
みたいな
ちょっと希望がある
絵ではありましたけど
旧劇場版がね
なんかアスカとシンジくん
二人でもう
海辺でなんか
ポツンとして
終わりみたいなのに
比べたらまだ
立って歩いてる分
ポジティブには見える
終わり方でしたけど
まぁあの
背負わされてるものは
大して変わんなかった
かなと思って
しんどかったわけですよ
しんどかったし
どう
どうするの
この後っていう
何も
終わんないよね
っていうのが
まぁあったわけですよね
シン・エヴァンゲリオン
をやったって
終わるの
って思ってたわけですよ
これがね
終わったわけですよ
とんでもないやる技を
いっぱい駆使して
いつにもまして
詳しくない人間
ほったらかしの
強引な
本当に
もう腕力に次ぐ腕力
みたいな展開が
繰り返されて
シン・エヴァンゲリオンは
もう
エヴァンゲリオンっていう
全ての問題を
完結させるわけなんですよね
これが
これが強烈でした
本当に
まず前半なんですけど
サードインパクト
みたいなことが
起こされて
世界は滅びかけてる
みたいな感じ
かな
世界は滅びかけてる
っていうことで
いいのかなあれは
もうね
よくわかんないんですよ
エヴァの設定って
調べたらわかるのかもしれないけど
設定
見たいわけじゃないんでね
話を見たいので
エヴァの設定
あんまり調べたいと
思わないんですよね
まあなんか
世界は赤い部分と
赤くない部分に
分かれてると
赤くない部分に
人間が住んでるわけですよ
そこにポージとかが
ちょっと
結婚して
子供もいたりするわけですよ
ここ
この時点でね
もうちょっと丸くなってる感が
あるわけ
ですけど
ここでね
その
普通に赤ん坊が出てくるんですよ
ここはね
ちょっとその
感慨深いというか
エヴァンゲリオンって
ずっとね
親から子供に対する
嫌悪とか
子供から親に対する
嫌悪とか
子供から大人に対する
嫌悪とか
逆に
大人から子供に対する
不信感
みたいなもの
とか
男の子から
女性
同年代の女の子であるとか
大人の女性に対する
恐怖
みたいなものを
ずっと描いてきてて
本当にもう
他者嫌悪の塊
みたいな話
だったわけですよ
ずっとずっと
それを
素直に
赤ん坊いいよねする
っていう前半
ここが
まずね
あの
超アクロバットというか
強引というか
あの
めっちゃ尖ってて
もう子供なんか嫌いだ
っていうやつが
子供見て
かわいいとか
言ってたら
そういう
かわいいとか
言ってたら
そうかもしんないけど
そうかもしんないけど
なんか
悪くなったな
お前みたいなの
正直ありますよね
ただ
まぁ
いいんすよ
それで
一つの答え
なわけですよね
結局その
頭の中で
こねくり回した
他者嫌悪とか
というより
子供
生まれたら
変わるっていう
一つの結論
みたいな
なんか
千と千尋の神隠しの
顔なしが
お前はなんか
働いたら
考えねえって
ゼニーワンに言われて
ゼニーワンのところで
働くみたいなことですよ
子供生まれたら
15:00
子供育ってるしかないから
健全になるよね
みたいな
またね
子供が
子供
いかにも
赤ん坊らしく
描かれるので
なんかね
嫌悪感がないというか
ずっとその
エヴァンゲリオンの中で
描かれる
子供って
モチーフって
グロテスクなもの
だったわけですよ
まずその
エヴァンゲリオンの中に
乗るパイロット
チルドレン
チルドレンですからね
呼ばれ方が
パイロットの子供が
アンビリカルケーブルって
まあその
へそのケーブルで
繋がれた
チルドレンと
エヴァンゲリオンは
繋がるわけですよ
だからずっと
親と子供の
母親と子供の
話をしてて
それが
血みどろなわけですよね
本当に
歯茎とかね
筋肉とか
むき出しの存在だし
エヴァンゲリオンって
まあその
死とはもう
血みどろぐちゃぐちゃになるしで
生子に対する
考え方が
ずっとあった話だったのに
赤ん坊がいいよねって
急に言うわけですよ
大丈夫かっていうその
丸くなりすぎだろみたいな
その赤ん坊が出てきたら
その話は丸く収まるが
それでいいのか
とか思いつつ
いいよねって
まあなるわけですよ
エヴァンゲリオンが
そこに辿り着いた
っていうことに対する
考えがあるわけですよね
その後ね
すげえいいなと思ったのが
農業をやってる
おばさんが出てくるわけですよ
エヴァって出てきても
30代40代ぐらいの
女の人までぐらいしか
出てこないわけですよね
あれか
リツックさんの母親とかも
もうちょっと言ってたかもしれないけど
まあ漫画のキャラなんで
若作りなわけですよ
美人なわけですよ
けど
ちゃんと年を取った
おばさんが出てくると
これは結構
大きいことかなと思って
結局その
エヴァの話の中で
描かれてきた
女の人に対する嫌悪とかって
結局性的対象だから
その性的欲求が
満たされないから
怖いっていう
感情があるわけですよね
基本的に
エヴァに出てくる女の人って
みんなエロい格好してるわけですよ
体の形にピッタリ合う
スーツを着てたりとか
ミサさんとか
なんか知らないけど
14歳の男子
誘惑してくるし
リツックさんも
不倫みたいな感じなわけ
不倫というか
あんな感じなわけですよ
基本的に
全体的に
女性全員から
セックスの匂いがする話なわけですよ
それが
性的な満たされなさとか
肉に対する嫌悪感みたいな
金岡監督
肉食えないもんね
なんか
肉に対する嫌悪感みたいなのが
ある話
ところに
おばさんが出てくると
普通に
シワがいっぱい入ってたり
体型も
ちょっと丸くなってたりとか
いわゆる
美人って呼ばれるような
タイプではない
女の人が出てくるっていう
結構
画家的なことかなっていう
モブじゃないですからね
名前は
出てこないですけど
ちゃんと
綾波のクローンと
やり取りをして
綾波のクローンの
人格形成に寄与する役として
出てくると
これもね
まだやってるのが農業なわけですよね
綾波が農業に触れて
ここに目覚めるってね
ここの農業扱いも
ちょっとね
あまりに
18:00
典型的ではないかなと
思うわけですけど
綾波が
心を持たない綾波が
赤ん坊と農業に触れて
命の大切さを知るって
農業と赤ん坊って
もうその
あれが教科書に書いてあったのか
って感じですよね
命の学び方って
教科書に書いてあったのかって
第一章赤ん坊
第二章農業みたいな感じで
ただね
その辺りがね
素直なんですよ
こねくり回してない
本当に
素直
普通にやったらいいでしょ
っていうことをやってる
ここが
エヴァンゲリオンって
作品の成長であると同時に
喪失でもあるなと思うんですよ
普通にこうやったら
そうなるよねみたいな
この記号をここに配置しといたら
それっぽくなるみたいなことを
こねくり回さずに
やってるっていうのは
すんなり飲み込めると同時に
寂しく回るっていう風に
思いながら見てましたね
そこは
良かったですよ
そう
なんか褒めてないように
聞こえるかもしれないけど
褒めてますし
良かったですよね
めちゃめちゃ感動してたんですよ
なんかエヴァがちゃんと
赤ん坊と触れ合ってるとか
そのおばさんと触れ合ってるとかね
なんかすごい良かったんですよ
でも
ここね
綾波のクローンが
その黒のプラグスーツを着て
もうピッチピチなわけですよ
本当に
ボディコンなわけですよね
あの格好
モンテージなわけですよ
あの格好
そこに
その農作業の長靴とか
手袋とか
農業用の帽子ですね
農作業帽って言ったらいいのかな
をかぶったりして
あのシュールさ
すごい
笑っちゃうんですけど
エヴァンゲリオンっていう作品の
世界観が
地に根差したものに
だんだん近づいていくっていうことを
絵で表したものとしては
非常に良かったなと思うんですよ
綾波が完全に
農作業用の服装をするのは
やっぱそれは違うわけですよ
それはもうなんかあれですよね
ワークマンとエヴァンゲリオンが
コラボしてる時だけ
綾波が着るやつですよ
ビジュアル的には
そうじゃなくって
ちゃんとその体にピッチピチの
性的な印象
女性っていうものに対する
性的な印象を持たせる
もう体の体型にぴったり合ったスーツの上から
農作業の装備を身に付けた状態っていうものが
エヴァンゲリオンっていうものが
現実に近づいていくっていうものを
表している状態だと
僕は思ったんですよね
そこがすげえいいなって思ったんですよ
良くないですか
エヴァンゲリオンが
ずっと変なところで
フワフワしたエヴァンゲリオンが
地に足を付けていく過程
地に足に付けた状態を
表すものとして
完璧だなと思うんですよ
僕あれ
綾波がプラグスーツの上から
長靴と手袋と農業棒を
もう身に付けている状態
これぞエヴァンゲリオンが終わっていく
仮想空想物語
女子のエヴァンゲリオンが
現実と折り合いを付けていく
過程ですよね
まさにこれが
って思ったんですよね
すごいいい絵でしたよ
で、まあ
で、まあ
人間が住める範囲に
トウジがいたりとか
鈴原が
鈴原でよかったっけ
えっ
鈴原
あんまりキャラクターの名前って
21:01
覚えないんですよね
違うよ
鈴原トウジだよ
違うじゃん
鈴原トウジだから
あれ、もう一人なんだっけ
もうね、メガネとしか覚えてないんで
あいだけんすけ
けんすけ
あいだけんすけだよ
あいだけんすけね
あのーが
いい感じの人格者になってると
軍事オタクだったやつがね
で、アスカの面倒を見てる
で、ここで
しきなみの裸に
動揺しないんですよね
けんすけが
で、ここでちょっとその
セックスを経た男女の匂いが
するわけですよ
ここで
アスカとけんすけの間に
だから
しんじくんが
意識がない間に
アスカが大人になってるというか
折り合いをつけてる
14歳の頃の思いに
折り合いをつけてる感じがすると
っていうのが
ここでね、無理やり
エヴァから巣立たされる
気配がプンプンしてくるわけですよね
あ、なんか
無理やり
布団から叩き出されるなっていう
予感がこの辺りにするんですよね
で、その後
結局しんじくんは
目の前で
かおるくんが爆死したりとかの
トラウマとか
そもそも
世界中から攻められたりとかの
トラウマで
相変わらず膝抱えてるわけですよ
で、ここの展開は
やっぱフラストレーション
フラストレーションなんですけど
ある意味
待ってましたエヴァンゲリオン
って感じのシーンでもあるわけですよね
ここで大事だなと思ったのが
いっつもエヴァって
しんじくんが
そういう
いじけてる状態の時に
やるかやらないか
自分で決めなさいよって言いつつ
やるしかない選択肢だけを
押し付けられてる状態が
ずっと続くのがエヴァじゃないですか
それが
けんすきが
しんじくんが
ただの待つんですね
自分で決めなさいとも
別に言わないんですよ
自分で決めなさいって言って
公発的に言うのは
言ってる本人が
私に都合のいい選択肢を選びなさい
って押し付けてるわけじゃないですか
そうじゃないですよね
ひたすら待つと
何も言わずに
ここがね
良かったんですよね
ようやくしんじくんが
自分で
落ち込むだけ落ち込んで
自分で立ち直る
正確には
あやなみに
あやなみのクローンと交流して
あやなみのクローンに好きって言われて
立ち直るんですけど
いきなり
膝抱えてるしんじくんが
世界の危機だやるぜってなるのは
おかしいなと思うんですけど
落ち込むだけ落ち込んで
落ち込み飽きるわけですよね
落ち込んでたら腹が減るってことで
ようやく気づくわけですよ
今までのしんじくんって
ずっと落ち込んでたのに
あんまりお腹すかないのかなとか
ちょっと思いながら見てたとこ
あったんですけど
ようやく
生命の危機レベルの空腹感を感じて
レーションを食べて
自分は落ち込んでても
物を食べて生きるしかないんだ
みたいなのに気づくと
それと
そのあやなみクローンと交流して
人から好きって言われるから
生きようってなる
これはねかなり納得度の高い
宅地直りだなと思ったんですよね
その後
しんじくんは働くんですよね
もうねこの辺り
24:00
精神的にダウナーな状態になった人間には
精神的にひねくれた人間を治すもの
3つ
赤ん坊
自然
農業ですね
赤ん坊
農作物
労働
結構ね
抹茶の価値観ですよねここ
抹茶というか
働きは分かるんだよ
社会に出れば分かるんだよ
この辺りは
かなり乱暴っちゃ乱暴だなと思うんですよ
ずっとエヴァは
そういうものは
鵜呑みにしない話だったと思うんですよ
親からやれって言われても
やらない話だったと思うんですよね
エヴァって
大人から言われても
お前が選べって言ってるけど
実はもうやれって言ってるのと
道義のことを親が押し続けても
やらないみたいなことをやるのが
エヴァだったと思うんですけど
そこで
働けば健康的になれる
みたいなことをやってる
いやなんかね
ここその
エヴァっぽくなさみたいな部分
やれば
気持ち前向きになるよみたいな
ちょっと乱暴な結論も
シンジ君が落ち込むだけ落ち込んで
落ち込み飽きた状態で
立ちを直ってるからこそ
なんか飲み込めると思うんですよね
あれは
そうじゃなくて
他人からケツ叩かれて
俺はやるぜってなった状態で
ポジティブになったら
それは別の何かを
インストールされただけの
マシンじゃんってなるんですよ
結局何か
精神的な艱苦さを打たれただけで
結局シンジ君の
自己は相変わらずないよねってなる
そうなりそうなところを
ちゃんとシンジ君が落ち込んで落ち込んで
落ち込み飽きたから
生きてみようってなるっていう
のを経てるからこそ
なんか飲み込めるなって思ったんですよ
なんかそこの流れはね
すごい良かったなと思って
いやその流れじゃないと
無理だったかなって思ったんですよね
ブンダーに帰るわけですねシンジ君は
俺はやるぜってなって
でここでね
俺は戦いに行くというより
父親と話しに行くみたいな
方向性の決意なのもいいなと思って
結局
世界同好はもう
しょうがないというか
かなり早い段階で
シンジ君の中では
もう戦いというか
親父との対話みたいなところに
気持ちはいってるというか
それが必要ってことをなんとなく
理解してるみたいな感じには見えたんですね
でこの
シン・エヴァンゲリオンが
いろいろその今までのエヴァに対する
その集大成というか
落とし前みたいなことをやっていくわけですけど
その中の非常に大きい一つが
ゲンドウの一人称で
自分語りさせるってとこなんですよ
でまあ
テレビシリーズのアニメとか
旧劇場版とか新劇場版ぐらいしか見てなくって
例えばそのスピンオフのゲームであるとか
漫画版もそこまで追ってなかったし
もしかしたらそっちでもあったと思う
かもしれないんですけど
ゲンドウが自分の弱さみたいなものを
自己言及することって
あんまりなかったと思うんですけど
そのシンジとの対話の中で
自分の弱さを言及していくわけですよね
でそれはもうシンジ君がずっとずっと
無理やりやらされてたことだったわけですけど
それを息子に促されてやるわけですよね
ここはねやっぱりね
成長だなと思うんですよ
誰の成長だろう
27:00
シンジ君?ゲンドウ?それとも監督?
よくわかんないけど誰かが成長して
ゲンドウは自分語りを始めるわけですよね
結局俺が弱いから
妻のユイともっかい出会いたいから
人類保管計画に乗っかったっていうことを
言うわけですよね
このあたりの悪びれなさというか
まあねその
エゴのために世界を巻き込むやつですからね
ここのあたりもね
めっちゃ面白くて
ゲンドウがまあなんかよくわかんない
存在になってるわけですよ
神に等しいみたいなことを言ってて
正直もう理屈はよくわかんないから
それっぽさでしかないんですけど
脳みそ吹き飛ばされても脳みそすくって
もう一回入れたからOKみたいな感じになってるんですけどね
そこであのただ息子が来たらビビるんですよ
だからあの
世界をどうこうできるようになっても
息子だけにはビビるみたいな
このあたりもね生々しいというか
そういうものかなってちょっと思ったりとかはして
でまあその
親子喧嘩が始まるわけなんですけど
で13号機か
9でなんかやりもったりいろいろやってた
13号機と
初号機シンジ君がブンダーから
ブンダーから取り出したってことでいいんだよなあれは
初号機で親子喧嘩をするわけなんですけど
なんかよくわかんない
マイナス空間みたいなところで
戦ってたのが
それぞれの記憶の中で戦うみたいなことで
そのかつていた場所
ミサトさんの部屋とか
学校とかまあいろんなところで
エヴァンゲリオン同士が戦うわけなんですけど
まあこのあたりのね
シュールなエヴァも本当にねやりたかっただけだろう
みたいな感じはあるんですけど
良かった良いですよ
単なるアクション自体は
正直情と覇でやりきってたので
あとはもう変なことやるしか
残ってないわけなんですよねアクション的には
変なこと何やるかっていうと
まあそれはシュールなことですよ
日常的なところにエヴァがいて
それで戦っていると
しかもね撮ってるのがね要はセットなんですよ
スタジオセットなんだから
特撮番組を撮ってる感じなんですよね
ウルトラマンとか
空想空間で
初号機と13号機が戦うとき
一番初めは
東京市みたいなところで戦うんですけど
ビルとかが置いてあるだけなんですよ
だからその
ジオラマというか特撮の
セットですよねそこで戦ってて
でもう画面の端まで行っちゃうと
スタジオの壁とかが見えちゃうと
セットの部分からはみ出して
もうスタジオの壁とかが
見えて普通にもう舞台裏が
見えちゃうみたいな感じ
ここでまたエヴァがずっとテレビシリーズの
後半とか旧劇場版とかでやってた
現実に
出ちゃうみたいなあくまで私たちは虚構
ですよねっていうのに言及しちゃう感じ
を生えている
ここもそのセルパロディというか
本当に引用ですねこれは
セルパロディというよりは引用
だからテレビシリーズと旧劇場版で
やったことをもっかえることでそれを
終わらせにかかるっていう意味でやっている
と思うんですけどしかもその
特撮だから庵野総監督が
好きなウルトラマンですよ
ウルトラマンのみたいな感じで戦っている
わけですよねそこで戦ってて
戦う前にねその
シンジ君が寄ってくる時にね
30:00
俺は神になったとか言ってたのに
エディフィールド出ちゃうわけですよその前に
人類補完計画は
人の間の境目をなくすみたいなことを
言ってたのに言っててそれに
乗っかった自分が半分神みたいになってる
とか言ってたのにシンジ君が来たら
エディフィールド出ちゃうわけですよだから
息子声ってなってるのが
出ちゃって俺出ちゃったみたいになってるのが
やばい
あれは本当にやばい面白すぎる
結局まああれはね
よくある話だと思うんですよなんか悟った
感じになっているやつが
実はもうなんかゴリゴリに
字が出てってるみたいなこれ
なんか全然何も気にしないよしねえか
だぜとか言ってるやつがもうバキバキの
字が字意識過剰みたいなのって
よくある話じゃないですかまあ僕含めてね
それはそれの究極形ですよ
もう世界に等しい神に等しい
俺はって言ったら
息子声っていうのが出ちゃうっていうね
これはねもう情けないこと
情けないことしかもその後
息子との喧嘩の中で自分語り
始めて俺は
他人が怖かったけど
その妻のユイだけは
俺と打ち解けられてて幸せだったけど
妻がいなくなっちゃったから
もう一回ATから世界巻き込むぜ
っていうことを
俺が弱いから世界を巻き込むってことを
言うんですよね
だからそれを言ったら
エヴァンゲリオンっていう
世界の大前提みたいな
ものが一気に崩れ
落ちていくというか
カッコつけてたものが全部
軽薄になるわけですよ
そこの手品の種は
バレちゃっていた
わけではあるんですけどね
結局個人的なエゴで
世界を巻き込んでる話っていうことは言ってたけど
ゲンドウが
俺が弱いからこれをやってるっていうことを
特撮のセット
みたいなものの中で
親子喧嘩としてやってるっていう
状態?その親子喧嘩
特撮のセットの中で
あくまで物語として
これをやってますよっていうことを
しながら自分語りをして
俺が弱いからこんなことやってます
っていうのは全部嘘ですよ
っていうことをあそこでやっていくわけですよね
それを同時にやるから
全部を同時にやるから
一気にガラガラガラって崩れていく
わけなんですよ
エヴァンゲリオン全部嘘でした
嘘でしたじゃないですよね
全てはどこかにそういう世界があったわけじゃなくて
誰かの中にあった
物語師でしかないよっていうのを
絵的にやっていくんですよ
最も濃厚な物語が
ゲンドウなんですよね
エヴァにハマってエヴァに魂を
吸い取られた人間っていうのは
ゲンドウなわけですよきっと
おそらくそのゲンドウっていうのは
エヴァンゲリオンをはじめフィクションに
魂を縛られてしまった
フィクションと世界を
イコールにしてしまった人間の
魔法を解く
っていうことをやってるのが
多分あのシーンなのかなって思ったりは
しました
たぶんこれはマリーだっけ
マリーだよねあの眼鏡の女の子
マリー?マキナミ?マリー?
33:00
ってよかったっけ本当にね
名前覚えられないんですよね
特に眼鏡のキャラはね眼鏡ってだけ
覚えてたらいいから名前覚えないんですよ
最後の最後のネタブレですけど
マリーとシンジ君がくっつくわけですね
くっつくっていうのも
シンジ君が親父と
話しして
親父の呪いを解いて
これまでのすべてのエヴァンゲリオンの呪いを
解いていくわけですよねカオル君であるとか
アスカであるとか
エヴァンゲリオンのテレビシリーズ
新世紀エヴァンゲリオンであるとか
あと綾波ですね
一番初めのシンジ君と
触れ合った綾波であるとか
キャラクターですね
ちょっととっちらかった言い方しちゃった
カオル君とかメインの
綾波であるとかアスカであるとか
あるいはテレビシリーズの
新世紀エヴァンゲリオンであるとか
新世紀エヴァンゲリオンの
旧劇場版であるとか
っていうものにかかってた呪いを解いていくんですよね
シンジ君が
全部の呪いが解けたら
現実しか残ってないわけですよ
現実しか残ってないから
実写パートになって
シンジ君は大人になってると
シンジ君は声替わりしてるんですよね
あの声が神木君なのかな
神木君が声優やってるっぽくて
多分あれが神木君なんですけど
龍之介君ですよ
やってて
尾形さんがやってたもともとのシンジ君では
もうないと
物語から出してしまった状態
で、その隣にいるのは
レイでもアスカでもないマリなんですよね
だからこれは
エヴァンゲリオンのこれまでのシリーズが
ずっとずっと持ってた
レイとアスカっていう2人の同世代の女の子の間で
引きずられる
シンジ君の魂っていうものも
振り切った状態
シンエヴァンゲリオンの話の中で
アスカとシンジ君が
互いにかつて好きだったと
お互いに言い合う
っていうことをやるわけですね
これは今までのエヴァから
考えたら
非常に考えにくいというか
めちゃめちゃ大人な結論
ですよね旧劇場版でさえ
結局アスカと最後までいたわけだから
かつて好きだった相手
と添い遂げるわけではない
っていうのはめちゃめちゃ
ドライで大人な結論ですよね
それをやってるわけですよ
マリーは結局
旧じゃない
シンエヴァまでで
シンジ君と名前も知らない状態
シンジ君マリーの名前知らなかった
よく考えたらそうなんですよね
マリーってずっと物語の外側に
いるんですよね
戦闘の担当として
アクション的な
表舞台にはいるんですけど
物語の個室の部分にはずっと絡まないというか
なんか外側から
俯瞰して分かってるふりするキャラクター
なんですよねずっとマリーって
それがようやく
シンジ君と開講すると
だからシンジ君からしたらほぼ
初対面ですよねだから
ジョンの時に
空から落ちてきたぐらいしか
36:00
ほぼ面識ないのかな
この辺りの記憶曖昧です
これまでずっと付き合いのあった
相手好きだった相手
これは新劇場版の中での
マスカとかレイもそうですし
もっと言うならテレビシリーズの
新世紀エヴァンゲリオンであるとか
旧劇場版っていうことも同時に指すと思うんですけど
かつて好きだったものと
添い遂げるわけではないということを
言ってるわけですよね
言うよねって思いますよね
最後マリーと
物語の世界から脱したシンジ君が
もうその
尾形さん
尾形ユミさんだっけの声ではなくなった
シンジ君とマリーが添い遂げて
現実に出ていく
現実に出ていく系のエンディングって
フィクションでもよくあると思いますけど
それをやるわけですよね
結構な暴力的な展開だとは思うんですよ
あれだけ
シンジ君の相手として
レイとアスカっていうキャラクターが
ずっとずっと25年
96年からだから
25年か25年ですね
人気キャラクター
シンジ君のペアとして存在してたキャラクターが
別の居場所を見つけて
アスカはケンスケっていう
相方を見つけてレイは
多分カオル君ってことかな
別にカオル君が相手じゃなくても
なんか赤ん坊抱えてたりしてたから
自分で何か
別の何かを見つけてるわけですよね
アスカもレイも
でシンジ君は最後に
マリーが隣にいるっていう
めちゃめちゃ大人な結論ですよ
今までのエヴァンギリオン考えてたら
ずっとねウジウジウジウジ
アスカとレイに執着する話だったわけじゃないですか
エヴァンギリオンは
それを振り切っちゃうっていう
なんか最後の方でシンジ君が初号機の中で
母親と会ってそこで納得して
レイの執着とかも
振り切っちゃって
アスカにはねかつて好きだったって言って
相手からもかつて好きだった
って言われて
でも今は違うよねっていうのを納得した上で
次に進んじゃうっていう大人
今までのエヴァンギリオンが
そんなこと言うって感じですよね
っていう感じの結論を
結論を出していくっていう
本当にやってることは
今までのエヴァンギリオンでやってた
呪縛みたいなものを
解きほぐして解きほぐしてっていうのを
ずっとずっとやっていくんですよね
それは25年経った
作品だからこそ
見てる側が大人になってるから
なんか受け入れられちゃう
これを25年前
23年くらい前か
急激序盤の頃だと
それくらいにやってたら本当に大暴動が起きてても
悲しくないと思うんですけど
でも25年経ってるからこそやれると
と同時に25年間
この世界に
エヴァっていう呪いを
残してしまったからこそ
やれるわけですよね
エヴァを終わらせないといけないと
ちゃんと終わるわけですよ
アスカもレイもシンジ君も
いい感じのお相手見つけて大人になりました
チャンチャンですよ
当時の中学生が見たら大変なことになりますよ
この結論を
やれるわけですよね
39:00
もっと言うなら新激浄版が
特に滞りもせずに
もともと3部作だったっけ
4部作予定だったっけ
ちょっと覚えてないですけど
もともとの構想がすんなり続いて
シュッと割ってたとしても
この終わり方はできなかったと思うんですよね
25年経ってるからこそ
新激浄版で言うと
2007年からだから
それでも10年以上経ってますよね
10年以上経ってるからこそ
特性のさせ方を
できたっていう感じですよねきっと
良かったですよ本当に
エヴァが終わっていく
エヴァっていうものがだんだん崩れ落ちていくみたいな
言葉をみんなが見てたんですけど
ですけど同時に
その辺りが上手すぎるからこそ
寂しくもあるんですよね
カオル君であるとかアスカであるとか
みんなの過去が
解きほぐされていくわけなんですけど
みんなが納得いくように
生きるにしても死ににしても
みんなが納得するように
いろんな物語が完結していくんですよね
そこはねやっぱりね
上手すぎるというかサービス精神なんですよ
やっぱりその25年付き合ってた
キャラクターに対する
不幸になってほしくないから
生きるにしても死ぬにしても
納得と一緒に終わってほしいっていうので
キャラクター全員にもそうだし
それを見てきた観客側にも
すごいサービス精神旺盛なんですけど
やっぱ旧激浄版とかで
テレビCMとか見てると
サービス精神旺盛の物語じゃなかったよね
っていうのはあるんですよね
もっとちょっと突き放す感じというか
があったのがやっぱ
古い方だったんで
サービス精神はやっぱり大人になったんだな
って思うところですよ
それがまあ
監督なのかどうか分かんないですよ
スタッフ全般が
ちょっと丸くなったっていうのもあるかもしれないですし
ヴァンゲリオンって作品が
全て庵野監督の物語によるもの
っていう言い方もちょっと乱暴かなっていう気もするので
まあただやっぱり
みんな大人になったんだろうなって気がするんですよ
ただその大人になり方はやっぱりね
小手先の上手さも同時なわけですよね
全員が不幸にならない
終わりしたら気持ちいいよねっていう感じの
終わり方でもあるので
そこの上手さは寂しくもあるという感じ
ではあったなと思って
特にね旧激浄版とか
本当にみんな死ねーみたいな話なわけですよ
もうねみんな死んで
全員液体になっちゃえみたいな
世界滅んじゃえみたいな
アニメーションってフィクションに対する
当てつけみたいな話でもあったんでね
急になんか実写入ってきて
全部嘘です全部その
全部絵ですみたいなことを自分で言うっていうね
それはその
当てつけなわけですよ
でもその乱暴さだからこそ
あった魅力はやっぱあるなと思って
なんかその
サービスでやられるとちょっとね
食べたい料理出されるとちょっと
困ったなみたいな
相当わがまなこと言ってますけどね
何が言いたいかというと
大人にならなければエヴァは終わらなかった
作り手も観客も大人にならなければエヴァは終わらなかったっていうのは
それはちょっと
少し寂しさもあるのかなと思って
42:00
新規の物語のまま
乱暴な物語のまま
エヴァンゲリオンは終わってもよかったんじゃないかなっていう
それがまあ旧激浄版なのかもしれないですけどね
それを作り直したら
やっぱりその中学生にとっての
エンディングと
30歳以下の大人にとっての
エンディングっていうのはやっぱり
違うものにはなってしまうわけですよね
だからやっぱり旧エヴァと新エヴァは
違うものですよそこはきっと
なんかね作品としてのなんかよくわかんないカロリー
やっぱ旧激浄版とかの方があるな
って気はするんですよね
新エヴァンゲリオンもなんかわざとか知んないけど
チープにしてる感じ
人体の3Dのところとかね
なんか妙に安っぽい
モデリングになって
とかね物理演算も安っぽかったりとかね
新エヴァとやってるのかなとかっていうのは
わかんないですけどちょっと物足りなさを感じるとか
ただ変なだけに見えるんですよね
その表現が安っぽいと
旧激浄版とかは手書きでやってたりするから
なんかねほんとに
恐ろしいものを見てるなっていう感じがするんですよ
ねその
人類保管計画のところとかもね
なんかその怨念を込めきってないところが
その新エヴァンゲリオンが
大人になったところであり
何かを無くしたところでもあるかなっていうのは
ちょっと思ったりはしました
その否定したいつもりは全然ないです
ここまで乱暴な
手法を取ったからこそ
終わらせられたとも思うので
って感じですかね
めっちゃ良かったですし
僕自身が
エヴァンゲリオンのリアルタイムで
直撃している立場ではない
っていうのもあってほんとに
直撃してる人の話を直接聞いてみたいな
って気持ちがあります
そこにその人が何を感じたか
こそが新エヴァンゲリオンの
本当の価値だなって思うんですよ
25年間この呪いに付き合った
立場の人が何を感じたかってことが
たぶん新エヴァンゲリオンの
究極の最大の達成だなと思うので
ちょっと僕はね
後からついてきた立場なので
そういう人の話聞いていきたいなって気持ちはありますね
あとなんか言っておきたいことあるかな
うん結構喋ったけど
僕が勝手に納得している
勝手に解釈しているエヴァ像を
割と喋ってたので
ほんと間違ってたらすいませんだし
傲慢にねじ曲げているエヴァ像が
あったかもしれなくって
語りとしては
ちょっと物資付けというか
あまり良くなかったかもしれないですね
でもまあ僕にとってのエヴァって
そんな感じだったというか
作品そのものより周辺情報でエヴァに触れてた
時間の方が僕長かった
立場なんですよね
人が語っているエヴァとか
どこかで話しているエヴァの
情報を横から見てた
立場なので
作品そのものより周辺情報の
集合体としての意味合いの方が
僕にとってのエヴァって大きいんですよ
それがどういう解決したかというのが
ちょっと距離を置いてみれちゃうところが
あってしまうかなというのは思いますね
それはそれでなのかな
そんな感じに思いました
ちょっと話し取れますけど
日本のサブカルチャーにおける
父親と息子の対決って
基本的にあれですよね
45:00
いわゆる父殺しというか
基本ディスコミュニケーションに対する
その対話みたいな感じの
多いですよね
例えばバキとユージロウとかもそうですし
山岡志郎と貝原ゆざんとかもそうですし
日本のカルチャーを代表する
父息子の対決
なんだっけ
それがエヴァだよ
シンジ君とゲンドウですよね
ディスコミュニケーションという意味では
究極中の究極ですよね
小石ん坊もバキも
結局その父親と息子の
対話というものを一つの
決着みたいなとこに持っていったわけですけど
エヴァもそこに行ったなという
父殺しというか基本的に対話するしかないのかな
という気はしますね
ちゃんと物語を合わせるには
父殺しやったって自分が次の
傲慢な父になるだけですからね
結局父殺しは
過不調性の倫理の中に
入っちゃうだけだから
対応しかないんだろうなって気はしますね
この世界の問題は
全て父と息子の
ディスコミュニケーションに原因があると
いうのがエヴァンギリオンです
でもそういう話として
描かれてますからね
そういうことなんでしょうきっと対応しましょう
日本のサブカルチャーを代表する
父息子で
あんまり対応してなかったのって
巨人の星ぐらいしか思いつかないなって
巨人の星もあれと対応してるかな
でもね
僕ちょっと巨人の星好きだから
話すと言っちゃうんですけど
星一徹は本当に対応のしようのない人間なんで
ヒューマーのない面に全く
関心を寄せない人間でしたからね
勝手に感動して勝手に泣いてるみたいな
終わりです
喋り始める前は
結構どれくらい喋れるかなって
思ってたんですけど
喋りだしたら割とペラペラ喋っちゃいましたね
割とやっぱエヴァに関しては
いろいろ思うところがあったかもしれないです
ではお知らせです
これまでも開催してた
大阪の南森町にある
日替店長が
カフェバーを開くっていう
カフェバー
週間曲がりで映画の話ししたすぎるバーを
3月もやらせていただきます
日付がですね
3月の27日
オープンが19時で
23時クローズ予定となってます
テーマとしては
映画の冬を明ける春到来の映画東部山前
っていうテーマをつけてて
大阪に出されてた
緊急事態宣言も明けて
ちょっとようやく映画見やすい環境になってきたのかな
っていうのがあるので
ちょっとこのタイミングで
映画の話できたらなと思ってます
ちょっと感染状況とかもそまったわけじゃないので
しっかり感染対策やりながら
お迎えさせていただきますので
よかったら来てください
ちょっと今本当に話題作というか
花束みたいな恋をしたとか
新版エヴァンゲリオンとか
語りがいのある作品があるので
来ていただけたらガッツリ話できるかなと
逆に私ちょっと今
新作映画が花束みたいなと
新エヴァぐらいしか見れてないので
ちょっとその2つにカロリーが
ガッツリ来たいかなって気持ちがありますね
48:01
他に店長やる人たちは
もっと幅広くは
お話できると思うので
何が視界映画の話したいなって方
いらっしゃったらもしよかったら
この日来ていただけたら嬉しいです
はいそんな感じですね
ではよしの映画酒場第15回
新エヴァンゲリオンの話
ちょっとまあ半括が
ペラペラ喋って申し訳なかったですけど
終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
48:49

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