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  2. 第189回(2)『ルート29』あるい..
2024-11-20 55:16

第189回(2)『ルート29』あるいは”こちらあみ子 フォリ・ア・ドゥ”

『ルート29』の話をしました。

最近公開されたとある話題作になぞらえながら、森井勇佑監督の過去作「こちらあみ子」とのテーマや表現の比較について話しています。

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00:00
今日のテーマトークは、ルート29です。はい、では、バリオンさん、解説お願いできますか。
はい、映画ドットコムから解説読ませていただきます。長編デビュー作、こちらあみ子で第27回
震度オカネット賞金賞を受賞するなど、高く評価された森裕介監督が、綾瀬遥香を主演に向かえ、
詩人、中尾太一の詩集、ルート29 開放にインスピレーションを受けた独創的なストーリーで取り上げたロードムービー。
他人と必要以上のコミュニケーションを取ることができない孤独な女性、のり子は、鳥取の街で清掃員として働いている。
ある日、彼女は、仕事で訪れた病院の入院患者、李恵子から娘の春を連れてきてほしいと頼まれ、何かに突き動かされるように姫路へと向かう。
やがて見つけた春は風変わりな女の子で、初対面ののり子にトンボというあだ名を付ける。
のり子と春は、姫路と鳥取を結ぶ国道29号線を進む中で、様々な人たちと出会いながら、互いの絆を深め、空っぽだったのり子の心は喜びや悲しみの感情で満たされていく。
こちらは美子で主演を務め、鮮烈な印象を残した大沢かなが春を演じた。
はい。
はい、ではここから内容に触れる話を入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では沢井の感想、マリオンさんいかがでした?
はい、そうですね、こちら美子の時はもう超パーソナルな理由で嫌いと言い切りましたけれども、ルート29はめちゃくちゃ良かったです。
うんうん。
こちら美子でも今作のようにファンタジーックな要素が突然フッと入ってくるみたいなことがあったと思うんですけど、それがもうほぼ全部それみたいな感じの映画だったなって思ってて、
そのファンタジックな感じがこちら美子という題材の中で僕はすごいノイズというかすごいイラッともしたみたいなことがあったんですけど、
ただ今作のテーマというか、テーマが何かっていうと結構フワッとしているとは思うんですけども、生と死の境界がすごくあやふやになったような感覚に包まれる映画というか、
そういったものをあのファンタジックな、で、突拍子もないぐらいちょっと笑いちゃうような展開だったりとか、
突然マジで何かこれ現実なんだっていう感じのシーンが入ってきたりとかするその何かこう、何というか不思議な感覚みたいなのがすごく僕は何か面白いなって思いましたし、
何か見てる時よりも見終わった後に何かいろいろ考え込んでしまうみたいな映画で、僕はすごく良かったなって思いました、はい。
はい、大井さんいかがでしょうか。
僕もまあだいぶこちらアミコとはこうニュアンスが変わった作品なのかなと思いつつも、何ていうかな、もう幻想的な神隠しの話だなって僕はちょっと思って見てたんですけど、
何かそれこそそのまあさっき真莉愛さんも言ってたね、生と死の境界も曖昧だし、そもそも現実と幻想の境目みたいなのもすごくこう、どこまでがそうでっていうのは分かりづらいところもあったりまして、
03:11
何かそこはすごいこう、神隠しの話を春がしてるのを聞いてるみたいな感じでもあるのかなとかって思ったりもして、
それを何か本当映像的にああいうふうに表現できるんだっていうのはすごい見てて面白いなと思いました。
あと何か結構キーワードになるなと思ったのが、こちらアミコってアミコの成長の出来なさみたいなところがすごく象徴的に描かれていて、それを外部から見るからこそすごく残酷に見えていた作品かなというふうに思うんですけど、
何か本作はそれをより広げたというか、大人だってそもそも大人になりきれてるのかって分かんなくないっていうような視点で、それを全世界まで拡張させた感じがするんですよね。
何かそこはすごい、こちらアミコである種孤独だったアミコっていうところの次として、いやいやそのアミコ性ってみんなが何か震えたものってあったわけだから、
それってそういうことなんじゃないのって言ってきてるみたいな気も自分はして、何かそこもすごいこの作品の中でのテーマ性としてあっているなと思ったし、
そこで綾瀬遥というキャスティングはすごい、なるほどって感じが僕はしました。
僕はですね、今から僕は言うことに妥当性がどこまであるかよく分かんないんですけど、めちゃくちゃ嫌いなんですよ。
めちゃくちゃ嫌いで。
こちらアミコの時にあった、何か嫌な部分が全面的に染め上げられてる作品っていう感じがあって、
何かその、こちらアミコ僕めちゃくちゃ好きだし傑作だと思ってるんですけど、あの中にちょっとあった飲み込めない部分がバッて広がった感じなんですよね。
単純に面白く感じなかったっていうのもあったんですよ。もう全然面白くないわと思いながら見てたのもあったんですけど、
なんかあのファンタジーを語るために、なんか社会に馴染めない人とか子供とか老人とか、
なんか自分たちじゃないものにファンタジーの世界とつながるための材料を求めていくのなんかずるくないかと見てて思って、
なんでその自分じゃないもの、普通じゃないものにファンタジーを預けていくのさって思ったんですよ。
いやなんか、普通の人にはトトロ見えないと思ってるんですかねって。
で、あなたたちは社会に馴染めてないけどトトロが見えますよねって、なんかその断絶やだなと思って。
そのファンタジーが見える人とファンタジーが見えない人を断絶させてることがすごい嫌だなと思ったんです僕は。
06:06
僕が言ってることが妥当性があるか正直わかってないです今。ただ僕にはそう見えてむっちゃ嫌だったんです本当に。
ちょっとなんか話す中でいろいろ手探りで見つけさせてください。
ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。じゃあマリオさん1つ目お願いします。
はい、光幸太郎さんからです。
ルート29を取り上げると聞き、いてもたってもいられずメールいたしました。
久しぶりに映画館へ行きましたが、映像に浸り続ける2時間でまさに映画を堪能する作品であったと思います。
コントロールされ尽くした画面の中で、素朴な雰囲気をまとった演者やロケーションが存在しているという両極端な要素が
根前一体となった不思議な映像に見惚れるばかりでした。
物語はこちらアミコに対する優しい回答というか、アミコラストでの大丈夫の掛け合いを深掘りするようなものであったかと。
いつでもどこからでも人は繋がることができる。大それた言葉や社会的な関係ではなく、物を渡す、一声かけるだけでもいい。
そんな優しい気着を迎えてくれたことを素直に喜べる作品でした。
明確なモチーフ使いによるとてもわかりやすい作品というのも良かったです。
店長メンバーの皆さんのご感想、特に怒っているというヤノビツさんの感想を聞くのが楽しみです。
ありがとうございます。
なぜ僕が怒ってるっていうのをご存知かっていうと、一瞬だけXにポストあげたんですよね。
そうなんですか。
これ残しておかない方がいいやと思って。
それを小太郎さんは見てたと。
ご覧になられてたみたいで。
まずコントロールされ尽くした画面っていうのはかなり印象的だったと思うんですよね。
左右対称の画面であるとか、
マイコから撮って横一文字に壁と地面が分かれるような絵とか、
人間は等間隔に並ぶであるとか、かなり画面構成は意図的になされてましたね。
こちらあみ子の時こんなコントロールフリークみたいな作りしてましたっけってちょっと思ったんですけど、こんなんでしたっけ?
あんまりこちらあみ子の時はそんなにはしてなかったと思います。
だから本当にこちらあみ子でやっぱりすごい印象的なファンタジックなシーンといえば、
海の上にモーツァルトとか死んだ異人たちがプカプカ言ってこっちおいでみたいな言ってくるみたいなシーン。
そのものズバリみたいなシーンもルート20期ありましたけど、
そういったのが結構もうあれってもう完全に作為的に置くしかないじゃないですか、やっぱり。
めちゃくちゃ計算して置くしかないから、今回そういうのはやっぱりすごく多い。
09:01
だから本当それを全面に出した映画だなっていうふうにはすごい思いました。
ちょっとウェスワンダーソンとは少し流派は違う気はするけど、
でも画面のコントロール具合は似てるぐらいあるなと思ったりとかして、
だからより箱庭感は強くなる感じはありましたよね。
結構この徹底したデザインされた画面作りとテーマどこまで合ってるのかなっていうのは、
ちょっと迷わしいとこかなって気がせんでもないというか。
デザインされた画面になればなるほど、そこにあるのって作家個人になっていくっていう感覚があるんですよ。
ある程度その無作為みたいなのを、だからその画面内の個々人が別個で動いてるって感じを残した方が、
作中の個人っていうものを描けるんじゃないかなっていう感覚が僕はあるんですよね。
あんまりそのデザインを徹底しすぎると、人々を描けなくなっちゃうんじゃないかなみたいな感覚は僕はあって、
それって突き詰めると他者が描けなくなっていくんじゃないかなって気がするんですよ。
描きたいのは作家の世界観であって、人々じゃないっていう風に僕は見えちゃうんですよね。
だから作為的に均等に並んでるとかっていうのとか、
あと僕すごいそれを感じたのが、病院で初めに掃除の人たちが入って通っていく時に、
結構ボヤンって立ってる人たちがいっぱい並んでるシーンあるじゃないですか。
あれがすごく作為的にランダムにいろんな方向を向くように配置されてたなって思って、
僕見てパフォーマンスアートみたいだなって思ったんですよ、あそこ。
ランダムに並んでてランダムな方向を向いてるけど、全体として一つの調和を成してるような並びっていうことが、
あそこで精神的な病気を持ってる人たちに対してその全体でデザインする行為を当てはめてることが、
なんか嫌だったんですよね、あそこ。
なるほどなるほど。
それは全部そうで、子供の使い方とかも、なんか子供が子供らしく、最終的に画面全体として子供たちが動いているって絵を作るようにデザインされてるとか、
デザインされてるっていうことがもうすでに子供的じゃないなって思ったし、
だからそこにその個々人の意思みたいなのを見出しにくくなっちゃうんですよね、僕はどうしても。
12:02
なんかそれを感じたんですよ。
なんかある意味極端なのかもしれないですよね。
アミコの時はすごいある意味本当に突き放したような方を選んでるけど、
僕はその突き放してこれありのままでしょって描いてることにめちゃくちゃイラっとしてたんですけど、ふざけんなよって思ったわけですよね。
なるほどね、なるほどね。
僕はそこが、いやそんなありのまま描けば何でもいいって思ってるわけじゃねえんだぞっていう感じ。
そこにやっぱりもうイライラポイントだったし、よく考えたら。
でやっぱり今回の山口さんの作為的であることに対するそのなんか、なんていうんでしょうね、その怒りというか部分っていうのはなんか、
ある意味本当に極端、ある意味今回極端だと思うんですよね、そういう作り込み方という意味では。
なのでなんかその極端にどっちか振っちゃうことによってなんかもう結構好き嫌いパックリ別れるみたいなところはあるのかもしれないですよね。
なんか監督が確かこちらアミコの方のインタビューで結構アミコ側にすごく感情移入しながら作品を作ろうとしてたってお話があったんですけど、
ただ途中でやっぱもう主演の大沢かなさんの圧倒的な存在感がすごすぎて、むしろ彼女に自由にさせた方がアミコになるっていうのでそっちの方に切り替えていったってお話があったと思うんですけど、
多分監督本人はよりやっぱ今回みたいにルート29的なそのうちにこう内静的になっていく話の方は取りたい人なんじゃないかなって気が今回見ててして、
っていうのも今回の主演の春を演じた大沢かなさんめちゃくちゃ魅力的でしたけど、やっぱりアミコの時の爆発力はなかったなって気がしちゃったんですよね。
なんかやっぱり成長されて大人になっていらっしゃるなっていうのがすごい感じたところで、だからこそ春が発する言葉っていうのはアミコの時に発された言葉ほど強さはないというか、
セリフ感はより増してるなって感じは確かにあって。
そのギャップはあると思います。やっぱこっちのアミコはこう掴んだ絵の具をざっと投げつけたような感じで成立してるって感覚あったけど、今回かなり緻密に絵を描いてるから、
そこに対するなんかこう作家の自我を描こうとしているように見えるっていうことに対するなんか苦手意識みたいなのが僕はあったかなと思うんですけど、
でもそのマリオンさんがこっちのアミコ苦手だったこととは結構背中合わせだなって気もして。
そうですね、たぶん本当に背中合わせだと思います。
結局どっちにしろ作為的にせよ、作為にやってるようにせよ、いずれにせよそこに何らかの作為があることが浮き彫りになって、なんかそれがすごい嫌みたいなのはなんかあるんだろうなって気がしましたね。
そうですね、いやでも本当今回ルート29見て、本当になんで僕アミコ嫌いだったのかってなんかより分かったような気もしたから、
15:05
やっぱこちらのアミコやっぱ映画としてはすごいけど、僕は好きじゃないなって覚えましたもん本当に。
ある種本当になんか姉妹作でもあり本当にちょっと真逆なところ、互換し合ってもいるしすごく反発してもいるしみたいな2作なのかなって感じがすごいしますよね。
こちらアミコ2というか、こちらアミコフォリアドゥですよね。
もう何回我々はジョーカーとジョーカーフォリアドゥのことをいじるのかっていうか。
確かにおっしゃってることは分かる気がしますね、それ。
実際話の中身を2人が感動し合って1つのところに向かっていくわけだから。
確かに確かに。
フォリアドゥですよ。
これフォリアドゥだったのか?
なるほどな。
実際その光小太郎さんもこちらアミコに対する優しい回答っていう風におっしゃられているんですけど、
お二人はこちらアミコに対して本作がどう見えるかみたいなのってあります?
僕もちょっと冒頭でもさらっと言ったんですけど、
こちらアミコにあったその難しさって、
アミコ自身の成長の出来なさみたいなところ。
変われなさみたいなところだと思うんですよね。
それに対する本作の光小太郎さんがおっしゃっていることと同じか分からないですけど、
アンサーとしてはその成長出来なさは大人になっても抱えている人がいるというか、
なんかその部分なのかなって気がして。
キャスティングライアンス遥がすごくしっくりくるなって僕は思っている理由としては、
どうしても彼女って歳をとっているはずなんだけど、
全然あるタイミングから変わらなくなったなって僕はしているんですよ。
まだ少女性を残しているというか、
それってまさにこちらアミコのアミコじゃないかと思ったんですよね。
だからこそあそこのにフォリアドするというか、
共鳴する関係性としてのキャスティングとしてめちゃくちゃいいなって思ったんですよ。
本作って例えばその遥が演じるノリコのお姉さんの話とかも出てきたりとか、
あるいは甲羅健吾演じる元サラリーマンというかお父さんが出てきたりとかするんですけど、
彼らも大人として社会の中で振る舞おうとしているんだけど、
ふとすると足元がぐらつくというか、
あれ大人として振る舞っているはずなのに、
どこ立っているんだっけみたいな感じになっちゃう人たちとして描かれていくじゃないですか。
それってある意味1作目のこちらアミコで描いたアミコ性みたいなものというか、
成長できない部分、
自分の中の割り切ったつもりになっているんだけど、
ふと見てみると全然割り切れていない部分というか、
18:00
そういうところに気づいた人たちの話なんだろうなっていうのを見ながら思っていて。
その部分はすごいこちらアミコに対して、
大人にならなきゃっていう話に対して、
いや大人にならなくてもいいんじゃないのってアンサーを送っているようには僕は見えました。
なるほど。
明確に僕アンサーとかは思ってないんですけど、
やっぱりでもアミコは本当に1人だ。
1人のアミコという視点でしか語られない、すごく残酷寂しい話だったので、
そういう意味ですごくやっぱり今度は周辺の人間もみんな同じように、
ある種何かかけていたりとかっていう部分をやっぱり描いている。
それこそ大江さんが言ったように、みんなそれぞれが持っているアミコっぽさみたいなところをやっぱり描けているから、
やっぱりそこが好きなのかなというか、
もう本当アミコという視点だけで語りきってしまうみたいなのは、
僕本当に逃げやがってと思っちゃったので、
それだったら僕やっぱシステムクラッシャーの方が好きなのってそういうところだと思うんですよね。
彼女の問題、主人公の彼女の問題もめちゃくちゃ描くし、
それを取り巻く大人たちとか社会の問題というか問題とかのままならなさもちゃんと描いてるみたいなところがあって、
初めてこれを整理すると僕は思ったのでやっぱり、
そういったものにすごくルート29という作品に近づいたかなというか、
森監督らしさも残しつつというか、
というところはやっぱすごくアンサー的というか、
ちょっとフォローを入れるような感じというのはすごくありましたかね。
なんか本当に、登場人物というか主人公が一人から二人になったというだけでもすごく安心できるみたいなところはすごくありましたね。
とはいえ一方でなんですけど、
こちらのアミコ公開してしばらく経ってから、
確かノートかな?で、果たしてこれでわかったと言っていいのかっていう問題って結構あったと思うんですよ。
ありましたありました。
それって割と本作を語る上で、その視点、その批評的な視点って結構大事なんじゃないかなって気もしていて、
まさに大人だってアミコ性を持っているじゃんっていうところは、
実際そういう状態もあるし、そこに共感する気持ちみたいなものもわかるんだけど、
そこに全て回収していいのかっていう問題はある気がしていて、
理解したってどこまで言っていいのかっていうところだと思うんですけど、
結局なんかそれってまさにさっきジョーカーのフォリアドの話になりましたけど、
アミコにフォリアドした人たちっていうのが多分一定数いて、
でもそのフォリアドって本当にアミコのことをまさにアーサーじゃなくてジョーカーを見てたように、
アミコのそこだけを見てフォリアドしてんじゃないのっていう、
自分の生きづらさを勝手にそこに当てはめて、幻想としてそのキャラクターを見ていったんじゃないのかっていうのも、
ちょっと恒例見てて感じて、
だからここにあまりにも共鳴しすぎること自体はちょっと危険なのかなって思ったりもしました。
なんかそれあれですね、性欲の会の時とかもそんな感じしましたよね。
はいはいはい、そうそうそうそう。
これで自分もマイノリティ的な部分あるよねみたいな、思っていいんでしたっけみたいな、
21:04
っていうのとかにはすごくやっぱり通じますよね。
そうですね、こちらアミコのノートは僕もすごい印象に残ってて、
こちらアミコ自体はああすることでしか描けないものは描けてたと思うんですけど、
やっぱりそれで抜け落ちてるものというか、作品自体が抜け落ちてるんじゃなくって、
その作品を受け取った観客側から何かが抜け落ちちゃうものがあるんですよね。
作品に不足があるとかじゃなくって、
やっぱそれはそれを埋めるのが批評だなって思って、
あれはすごい価値を感じたんですね。
僕はあんまりその感覚を持たずにこちらアミコのことは見終えてたんで、
そうですね、あれは。
あと今お二人の話と光甲太さんのお便りも合わせて思ったんですけど、
結構本作ってこちらアミコのいろんな人の威風が散りばめられてるなっていう感覚だったんですけど、
わかりやすいところで言うと、
お姉さんはアミコと何とかもうちょっと長続きできた義理のお母さんみたいな感じやなって思って見てたのと、
あとのりこですよね。
のりこ自体がこちらアミコの後、
何とかギリギリで社会にすり合わせられたアミコの将来像みたいな感じ。
で、子供のはるの方がこちらアミコの子供時代の精神性を残したまま少し大きくなったアミコが、
なんか野に生きているみたいな感じ。
で、その二つのアミコの威風が出会って互いに埋め合うみたいな感じはあったのかなって話しててちょっと思いましたね。
なんか全然続編って言ってるわけじゃない。
続編っぽく見えちゃうっていうか、
なんか感じるものがありますよね。
どうしても。
はい、じゃあ次のお便りいきましょうか。
じゃあ大石さんお願いします。
はい、のらさんからいただきました。
ルート29見てきました。大変な傑作だと思いました。
本作は死者と生者の間を旅する映画だと思います。
そして最後、巨大な魚を見たことで旅の体験や記憶を春とトンボが共有するという結末なのだと思いました。
皆さんの感想を聞けるのを楽しみにしております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
結構本作どういうリアリティの話なのかなっていうのは、
初めちょっとつかめなかったんですけど、
だんだんフルスロットルで悲願の話やなってなるんですよね。
そうですね。
鳥取という名のあの世ですからね、あれ。
24:01
鳥取はあの世だったのか、みたいな。
まだ僕は初めのうちリアルな話なんかなって思ってたんですよ。
ちょっと編集のテンポとかが独特やなとは思うぐらいだったんですけど、
やっぱちょっとリアリティがぶっちぎったなって思うのは山ん中の食堂のシーンだと思うんですけど。
何なんだ、ここは何だ、デビット・リンチの映画の世界かみたいな。
じゃないですけど、みたいな感じでしたよ、急に。
うわっ、みたいな。どうした?みたいな感じでしたね。
真っ赤なご婦人が現れて、ずっとゴールデン・ドリバーの息の音が聞こえるっていう。
ずっとね、犬は外にやってくださいって言ってもガン無視するおばさんですもんね、あの人。
なかなか謎の精神力持ってますよね。
今、デビット・リンチって言われてむちゃくちゃしっくりきました。
デビット・リンチほぼ見てないけど、多分デビット・リンチってこんな感じやろっていう、なんとなくのイメージで言ってしまいましたけど。
なんか僕はあの人のこと後で振り返ってみて、脱衣場だったんじゃねえかなって思ってますからね。
山津の川の前にいろんなものを取ってくる、いるじゃないですか。
それだったんじゃねえかな、それで車取ってたんじゃねえかなって思ってますからね。
あそこは確かに山津の川の渡芝のとこですよね。
いきなりあのようになりますもんね、あそこで。
その後完全に死んでるじいさん出てきますからね。
とんでもない場面でしたよね。事故、怖っていうか、要するにちゃんと怖いというか、バイオレンスだなっていうか。
特にやっぱりこんなファンタジックなのに意外とリアルだなって、リアリスティックだなっていうか。
だいたい警察が出てくるとリアリスティックになるっていうか。
姫路で泊まってた、カプセルホテルみたいなところで泊まってたら警察を押し込んで来てみたいなところとか。
なんの気持ちで出てきますけど、あのファンタジックな世界で警察はちゃんと機能しているんだみたいなというか。
最後とかも警察が言って、私ですって言って逮捕されていったりするのとか。
そこだけリアルなのかよみたいな、ちょっとツッコミ入りたくなるような、あのバランスがいいなというか。
よく考えたらこれ、クライムムービー的でもあるのかっていうか、誘拐した話だもんなみたいな、そういうのがいいなと思いますよね。
最後の警察に捕まるシーンも妙にリアリズムあるというか。
刺激しないようになんか丁寧な段階を踏んで取り囲んでいくから、なんか急にリアリズム出してくるやんと思って。
たぶん人はああやって自主的に来た時って、ああやって逮捕されてくるんだろうなって思いましたもんね。
だから現世に戻してくれるのは警察ってことですよね。
そうですね。リアリティの象徴なんですね、警察が。
27:02
山の食堂のところから一気にエンジンかかってファンタジーに行っちゃうんですけど、
僕この話全体のリアリティラインが自動車、もっと言うなら絵本のリアリティだなと思って。
1ページ目はまだリアルなんですよ。
掃除してたら子供連れてきてって言われて、2ページ目から山小屋のシーンになって、あの人が出てくるわけですよ。
だからこうページめくったことで非日常に入ったなっていう感じが出るような作品だなと思って。
なんか出会う人もね、絵本っぽいなと思ったんですよね。
でもなんかわかりますね。
世を捨てたもっとサラリーマンとか、謎のおじいちゃんとか、
これは絵本だったら容易く飲み込めるやつだぞって思いながら見てたんですよね。
実際その途中で対峙していく人たちって、主人公2人に対して何らかの意味を持った人たちなわけじゃないですか。
主人公2人にとってあの甲羅堅子の世を捨てたサラリーマンは、自分で社会からはみ出した人っていう何らかの思想を持ってたりとか。
でも別に、主人公2人はそういう明確な思想性みたいなのがあってそうなってるわけじゃないみたいな対比になってたりとか。
あとおじいちゃんは対比なのかよくわかんないですけど、完全にあっち側の人ですよねおじいちゃんは。
そこまでは至ってない2人と、完全にあっち側のおじいちゃんっていう対比になってたりとか。
あるいはお姉さんっていう実際に過去と対峙することになるみたいなのがあったりとか。
そういうところの展開が1ページ1ページに対して、主人公たちにとって意味のある人と出会うっていう展開が、絵本っぽいなっていう感覚を僕はすごく強く覚えたんですよね。
なんかそれすごいわかります。大人のためのと言うほど多分大人のためになっていない童話感というか。
でもそうですね、だから見ていくうちにこっちがだんだん子供の頃に本読んでた感覚のチャンネルを切り替えなきゃいけなくなっていくというか。
切り替えていく感覚がちょっとあったかなと思って見ている。
それはちょっとありましたね。これめっちゃリアルな話とかではないわ、これっていうのを。
だんだん慣れていくものなのかな。でもそのスイッチ入るの結構急でもあるから、この映画なんか。
そうですね。絵本だったら実際にどこかこの世界に行きましたみたいな明確な展開があるんですけど、本作においてはルート29に入ることがあっち側に行くことなんで。
30:03
そうなんでしょうけどね。ある意味ちょっと日常とシームレスにそこに移っちゃう感じもあるから、普通に車に乗ってたらそこに行っちゃうわけですし。
そこが独特で面白いっていうか、そういう変なこともあるし恐れずにやれちゃうみたいなところの強さっていうのはやっぱありますよね、やっぱりそこ。
本当変な映画としての力みたいなのはすごい本作はありますね。絶対一般を受けはしない気はするけど、一般を受けするとかしないとかなんだって感じはしますが、
間違いなく変だって言っていい映画というか、変もやってますっていう映画というか。
そうですよね。
ただ多分それが山口さんがおっしゃる断絶感に繋がっていっちゃうかなっていうのはそう思うんですけど。
そうなんですよ。絵本は始めから一旦絵本としては読んでるから、始めからスイッチって切り替わってるんですよね。
でも本作って一応実写映画で、実写映画っていうことは現実で起こったことを映してるもののつもりで一応見始めるわけですよね。
例えばアニメだったら現実で起きたことじゃないなっていうスイッチ入った状態で見始めるわけですよ。
僕は実写映画見るときは絶対に一応これは現実にあったことを撮ったんだなってつもりで見始めるんですよね。
そっから先にどの角度にスイッチを入れるかっていうのを段階を経てやっていくんですけど、
なんかそんなに僕が得意なスイッチの切り替わり方は本作はしなかったんですよね。
現実のまま嘘つき出したぞこいつみたいな感じになって。
やっぱそこは僕不誠実に感じましたね。
それを物語るのが、のりことはるっていう社会からはみ出してる人たちとか、
おじいちゃんとか自ら社会から逸脱したサラリーマンとか、
よくわかんない怪しいピアノに文句つけてくる隣人とか、
そもそもあんまり現実の社会にいなさそうというか、
社会にこの言い方あんま使いたくないんですけど、
社会に適合できてない人たちをファンタジーの出しにしてることが僕すごい嫌だったんですよね、本当に。
前なんかで話したときに、
自分たちじゃないものにトトロが見えるってことを預けんなよと思って。
自分がトトロ見えると思っていきなよってちょっと思うんで。
それに誰かの何か枠を借りるのは不健全だなと思って。
それを社会に適合できない人たちはトトロ見えるよねって、
33:01
ファンタジーの世界に見えるよねってやってんの、
なんか失礼じゃないですかねって思っちゃったんですよね、それは。
なるほどな。
お前がミレトトロと思って。
この光が妥当なのか本当に僕よくわかんないです。
だって語り方変わったら僕全然にそれって共有できちゃうわけだから、
結局スイッチの問題なのかもしれないです。
僕がうまく本作の語り方によって、
悲願に連れて行ってもらえなかっただけかもしれないです、それは。
やっぱりあの食堂のシーンあたりでうまくあっち側に行けたら、
飲み込めてた可能性は全然あると思うんですよね。
多分それは僕、コチラニコが頭の前提にあったからかもしれないですね。
やっぱりコチラニコのカメラってこの世にありますからね、ずっと。
そう、この世からアミコを見てるから、
なんか独特の緊張感があって、
最後にだけアミコが悲願を見るっていうのがコチラニコじゃないですか。
なんか全編悲願だから、なんかあんま緊張感も感じないし、
もう何が起きてもいいんだったらどうでもいいのとほぼイコールになっちゃうぐらいの感覚もあって。
だからちょっと見てたらさっき紙隠しって言いましたけど、
やっぱ千と千尋の紙隠しのリアリティラインだなとかって思って見ておいて。
そうですよね、千と千尋ぐらいですよね。
あのぐらいを実写でやろうとしてるんだなって途中でわかったんで、
なんかそのラインで見れたのは割と良かったんですけど、
ただ時々やっぱり急に現実がふと帰ってくるあたり。
例えばニュース映像とかで行方不明になってるとかっていう現実が
突然パッて流れたりとか。
あるいは、あれは現実なのかちょっとあやふやですけど、
鳥取の街中で事故、子供が事故に遭ってるシーンとか。
なんか突然、あれっていう感じの断層みたいなものが
映画の中に突然現れる瞬間があって。
そこは僕は結構不一致感というか、
モヤっと感もありつつスリリングな感じはちょっと知ったりしながら見てましたね。
そうですね。
急に嫌なものを見せてきますよね。
そうなんですよ。
確かにそうですね。
嫌なものを見せてくるっていう意味で、
ある意味二作から通じてんのか?通じてんのか?
そうなんですよね。
だからいなくなって、トンボがハルを探しに行くっていうところで、
もしかしたらあのように行ってしまってるかもしれないって緊張感がそこで漂うわけですけど、
本当の死をそこで映すか?とかちょっと思ったりはして。
確かに。
結局この映画でやりたいことって生と死の境目を曖昧にするっていうか、
生も死もそこを根前一体となってそこにあり続けるよねみたいなことが言い出そうみたいな感覚はすごい受けたので、
36:08
あそこまで露骨に死の感じを出す必要ってあったかわかんないなみたいな。
そこはどこまでも曖昧にしてなんかしまってもよかったのかもしれないですし、難しいですけどね。
結構そのえぐいもの見せてるっていうのは、こちらあみ子も一緒っていうのがあるとは思うんですけど、
こちらあみ子はえぐいことがずっと起きてるんですよね、既に。
それをあみ子だけが認識できてないっていうバランスで描き続けるじゃないですか。
本作はえぐいことは基本的にはない、見えるとこにはない。
でもこの世界には確かにあって、急にポンと出てきて世界外、えぐさを残酷さを剥き出しにするっていう瞬間がポンってあるっていう。
でもなんかもしかしたら描いてることどっちも同じなのかなっていう気はしますし、
カメラをどこに置くかとか、あるいはそのフォーカスをどこに絞っているかの違いでしかないのかなっていう気もちょっとするんですよね。
カメラの位置が違うから常にえぐいことが映ってないだけ。
あるいはその焦点の絞り方が違うからぼやっとしてるけど、でも常にえぐいこと映ってるでしょみたいな。
なんかその同じことを違う視点、違うフォーカスの仕方で描いてるようにも思えるかなとはちょっと思ったりとか。
そうですね。そういう意味では本当にだから、まあルート29がどちらかというとあの世からのカメラを持ってっていうか、映してる映画だっていう意味であるんだったら、
僕は確かにそっちの方が好きって好きだなっていう。好きな方だなっていう。
ちょっとあの偉人たちもね。
そうそうそう。もうなんというかやっぱ現実じゃないものが見たいというか、じゃないからこそ深く描けるものがあるって思いたいっていうか思ってるっていうのがあるかなっていうのはあって、
現実ありのまま映したからなんか真理ですよみたいなのがやっぱ僕一番嫌いっていうか嫌っていうことが多いので、
でやっぱありえないものみたいな、それってあるし理想とかもそうだと思うんですよね。理想だったりとか、正論というかじゃないですけど、
なんかそういったものこそ僕見たいなみたいなというかっていうのはやっぱあるから、なんか今作のようなポジションで、
生とか死とか言葉にならない曖昧なものみたいなものを描いていくみたいなのとかはやっぱり見ていてすごいスッと僕は入るなっていうふうにありますね。
なるほどな。
多分そういう意味では僕はもう山口さんとマリオンさんのちょうど間ぐらいのポジションなのかなって気はして、
エグさを見せる作品もまあ確かに好きだし、こういうふうに内的に立ちこもる作品も好きなんだけど、どちらかに偏ってない感じは、
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偏ってないというかどちらにも体重をかけられない感じはしていて、どっちを見てても同じような疎外感は感じる気はするんですよ、ある意味。
でもそれは映画って第三者視点からの映像、芸術だからこそもうそれでいいんだと僕はもう割り切ってはいるんですけど、
なんかでも例えば本作で描かれてる様々な人たちってちょっと非現実的に見えますよねって話さっきしてましたけど、
それって例えばじゃあトンボとハルの目には見えてる世界がそうだよっていうぐらいのレベル感。
で、もうちょっと彼らの方に視点を置いた瞬間に普通にまともなこと言ってんじゃんって話になってしまうかもしれない。
そのぐらいのある意味断絶みたいなものを描いてるし、そこは山口さんが仰ってた見える人だけが見えればいいみたいな映画にも見えるようになってるし、
多分それは結構意図的にやってる気もするしっていう。
だから作り手は作り手で、割と普通の人とある意味、これはあえて言葉を得られますが特別な人っていうところに、
一本確かに線は引っ張ってる人なんだろうなって気はちょっと僕見ててしましたね。
監督がってことですかね。
そうです。監督というか作り手としてそういう視点を持って作品を描いてる気がするというか、
そこの間にシームレスなグラデーションはあんまりなくて、結構パキッとそこは分けられるって思われてるのかなっていうのは、
2作見て特に思ったことではあるっていう。
なるほどね。
だからそこは極端な感じも僕は両方ともするんですよね、確かに。
だからこそシステムクラッシャーを見た時にアミコへのある種カウンターだなって思ったのはそこで、
こちらのアミコにはその極端な人たちしか理解できる人と理解できない人っていうすごく日的なキャラクター性しかないけども、
システムクラッシャーの場合ってその間がすごくグラデーションで存在してるじゃないですか。
そうですね。
それが確かに社会だなって気がして。
だから森監督の作品の中では社会を描くってなるとすごく日的なというかデジタルな感じになっていくんだけど、
ただそうじゃなくて、もっと社会的に、社会の方にカメラを置く、あえて社会って言葉を使いますけど、社会にカメラを置く、他社的な視点にカメラを置くってなると、
より多分システムクラッシャーみたいな1.0ではないよりアナログな感じの映画になっていくのかなっていうのもちょっと比べてみて思ったりはしましたね。
なるほどね。
それは聞いててめちゃくちゃ面白いなと思ってたんですけど、まず僕は現実を描いてほしいんですよ。
その現実をどう捉えてるかっていうのを描いてほしい人なんですよね。
その意味ではめちゃくちゃデジタルだと思うんですよ。
マリオさんの視点も結構デジタルな視点だと思うんですけど、人間の捉え方とか世界の捉え方がすげえデジタル。
それに対してシステムクラッシャーは確かにめちゃめちゃデジタルじゃない、アナログ。
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ものすごいいろんなことの淡いを描いてる作品で、で、3人とも評価してたじゃないですか。
システムクラッシャーを。
で、こちらアミコとルート29は僕とマリオさんがそれぞれ評価してたり評価してなかったりしてるっていう。
そうですね。
だからまあ、もしかしたら森監督の作風がすごい、その世界とか人間の描き方がデジタルゆえに強烈な反発とか強烈な愛着とかを生みやすい感じを持ってる作品なのかもしれないなとは思って。
で、システムクラッシャーはそういう作風による明確さというよりも、やっぱその人間とか世界の淡いをかなりシリアに、誠実に描いてるからこそ、その評価軸じゃないところで評価してたのかなって思って。
面白いですね。
まあ結局、フィクション全体かもしれないですけど、100%の真実を捉えることなんてできないわけじゃないですか。
それもドキュメンタリーであっても多分そうだと思うんですけどね、映画である以上は。
ってなった時に、それをどの解像度で、どのグラデーションというか、どこまでビビッドな色でパキッと描くか、それとも写実的に描くかみたいな。
そういうアーティストとしてのスタンスの違いみたいなものもあるし、僕らが多分見たいものというか、いいと思うものがすごくそこにもグラデーションがあるんだなっていうのを話したので結構面白いなと思ってきましたね。
だからこの作品は社会を捉えてるとか、社会を映し出してるってその人が言った時に、それは果たしてどのレベルのことを言ってるのかって多分一人って違うんだろうなと思って。
それはそう、それはそう。
そうですよね。なんかどんだけ現実はあるがままに捉えようとしても、カメラを置いた瞬間にその現実って固定されてそこだけになってるから、確実に何かが抜け落ちるっていう。
じゃあもうそこのカメラを置くというところに作家の意図を置かざるを得ないわけじゃないですか。
それの何を我々は許容して何を許容できないのかっていうのは面白いですよね。
僕本作見てて、見ながらね、人間が描けてないぞみたいなありていなことを思ってたんですけど、その人間が描けてないっていうのは頭にカッコつきで自分が見たいっていうのが常につくんですよね。
はいはいはい。
そうそうそうですね。
人間が描けてないぞとか世界が描けてないぞの前には常に自分が見たいっていうのがつくっていう。
だから作家も常にカメラを置いた瞬間に現実を捉えきれなくなるし、僕たちもそもそも現実を捉えられてなんかいないっていう。
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そうですよね。逆に僕はこの映画を見て、孤独を描いた映画でもあると思うんですけど。
そういう意味ではなんかその孤独の一部分一部分を何かしらやっぱ登場人物たちが体現してるから、そこにやっぱり僕はリアルを見出したりしてたりするので、やっぱなんか全然違うよなっていうか捉え方というか。
そうですよね。その孤独の解像度はこちらあみっ子、まさにあみっ子だけが孤独な映画だったからこそこちらあみっ子が。
そうそうそうそう。
本作の孤独の解像度はより多分多様だし深まってるようにも見えるわけですよね。
みんな孤独であるって言ってくれる映画がやっぱりいいなっていうのは今年特に夜明けのすべてとか異人たちとか見て思うところでありますね。人類みんな孤独であるっていう。
だからそれはきっとマリアさんの中でそうであってくれという願いもあるってことですよね。
いやそうですね、逆に僕は誰か一人の視点ではその人だけが孤独っていう世界がいくつもあるっていう感じなのかもしれないです。
だからそうか、こちらあみっ子の方がよりリアルなんですね、そういう意味では。あみっ子だけが孤独だからそれはあみっ子の視点から立てばそうなるっていう。
ですかね。そのじゃあ別の人の孤独を描くのは別の映画だったりするのかもしれないなと思って。
だからあみっ子の義理のお母さんの孤独を描くのはもしかしたら別の映画なのかもしれないなってちょっと思って、僕にとっては。
多分いくらでも反例を自分の中で挙げられるんでしょうけど、なんかそういうふうに捉えてる気はあるかなとは思いました。
なるほどな、あんまりこの映画見わざとこういう話になると思ってなかったんで。
まあ確かにね、あんまり映画自体の話してたっけみたいな感じしてきたんですけど大丈夫だったから。
前回のこちらあみっ子も途中からそういう感じありましたよね、僕はいなかったですけどその時は。
まあそうですね、まあそうってそうですけどね。
なんかもう少し映画の内容で触れとくとこありますかね。
まあでもなかなか結構捉えとくの難しいっちゃ難しいけど、その難しいまま受け取ってうんみたいなところが良さでもあるしなっていうのはやっぱあるんだよな。
言葉に敷きって果たしていいのかっていうところも多々あるところが難しいなって、映画見わざと特に思ったことで。
まあでものりっ子のお姉さんの独白は結構なんかすごく一番なんか染みたかも。
あれも結構言葉にするの難しいことをすごくなんか自分の体感とか思いのまま喋ってるだけなんだけど、その感じがすごく僕はぐざっとくるというか。
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だしあとのりっ子に対してめっちゃ聞いてくれるよねってことはイコール興味ないってことだよねって言ってくる感じも、なんか痛いとか刺されてるなー痛いとかちょっとわかるなーみたいな気がしちゃうというか。
ちょっとあそこ浜口作品っぽかったなって思ったね。
ああ、でもそれはちょっと言った。
浜口作品だから突然異次元に人が一人で飛んでいく瞬間あるじゃないですか。
それをカメラが撮っちゃったみたいな。
本当に時々浜口さんの映画って悟りでも開いたみたいな人、たまに悪魔的な人とか天使的な人がいるみたいな人がちょっと思うんですけど、その感じでもちょっと近いと。
本作のお姉さんの感じはちょっとスリリングでもあったなと思いますね、あの瞬間。
だからまさにあれ見てもうちょっとこちらの地面も揺らいちゃうぐらいの強烈なパワーはあったなと思って。
そうなんですよね、環境としてはめちゃめちゃリアルな環境なんですよね、あそこ。
本作通して描かれているような世界とはかけ離れためちゃめちゃ初対峙みたいな家。
あそこで急に日常に引き戻されてめちゃめちゃリアルな感情をぶつけられるから急やなーみたいな。
急ではあるかもしれないんですけど、でもなんかほんと今一番あそこが言葉にならない気持ちというか、いろいろ思っていることの淡いが全部ごちゃ混ぜになってる感じっていうのが一番僕グサッと食ったところではあったかなっていう。
それこそ全部が全部そうじゃないですけど、仕事をしていると一瞬でも生きる屍にならなきゃいけない瞬間はあると思うんですよ。
本作はそのことに気がついちゃった瞬間の人だからある意味それは死者と生者の間でもあるのかなと思う。臨死体験に近いというか。
確かに本当に生きたいと死にたいが本当に混在している感じっていうのは真っ終始ね。
何かの拍子で全然この人は死ねるし、何かの拍子で全然まだまだ私生きるしみたいな感じでもなれる人って感じはあった。
野客さんみたいに弾くピアノがまた印象的で。
良かったですね。
仕事つまんねえんだろうなっていうのがすごい伝わってくるんですよね。
難しい。
だって職場ね、子供を全然こっち見てくれませんでしたからね。
そこも好きじゃないんだよな。
こっちを見ないために配置されている子供たちっていう演出がすっげえ苦手で。
先生の言うことを聞かないためだけに黒板に線を描く子供とか。
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ただの線描いてるんですよ。何でもなく線だけ描いてて。
黒板に落書きする子供という記号が配置されてるから。
確かに面白いところですね。そこは確かに。
ああいうところでグタってなってたんですよ。
そうだな、確かにな。
でも空虚さもこの作品の世界観だとは思います。
モブがモブ然としているのもこの作品の良さなんでしょうね。
モブ然としているっていうのもあるし、
たぶん個々の人たちの感情をそもそも作品自体がキャッチしてないっていう。
そこの決めこまえかさみたいなことをキャッチできたら、
たぶんこの世界の視点とはまた違うものになるんだとは思うんですよ。
みんなに感情があるんだっていうことをそんなに信じてない人たちの話だと思うんですよね。
信じてないというかキャッチできてない。
人々の感情というか人格をキャッチできてない人たちの話だと思うので、
そこのディティールもなくてもいいっていうのは筋が通っていると思います。
それをしたらこちらアミコになっちゃうから。
アミコだけがそれをキャッチできてないっていうことの2番先陣にはなっちゃうので、
じゃあ今度視点を変えたらそもそも映画自体が他者っていうものの感情をキャッチしてないように作られてるっていうのは、
理論的ではあるかなとは思いますかね。
でもとはいえやっぱり徹底してるなと思いますね。どちらにしても。
そうですね。こればっかりもう主義の問題なんで。
そうですね。もう本当に主義の問題だし、
2作でぱっくりなんか分かれるかっていうぐらい経路も違えんだよなっていうところがまた面白いですよねっていう。
話し甲斐はありましたね本当に。
良かったです。話広がって。
僕1時間悪口言い続けるんじゃないかっていう不安があって。
確かに3人ともそうならその恐れありますからね全然。
そういうパターンも全然あり得たかもしれないですね。
良かったです。相対化できました。
ではそんな感じでルート29の話はここかなと思います。
ではお知らせになります。
映画の話ししたすぎる場は次回は11月30日開催予定です。
場所は大阪南森町週刊回り19時オープン23時クローズです。
さらに大阪震災橋で第3木曜日に山口が店長をする映画の話したすぎる場震災橋も営業中です。
54:00
場所は震災橋駅徒歩6分パーアメンブラシェルター内。
次回は20時オープン23時クローズです。
さらに映画の話したすぎるバー名古屋開催が決定しました。
場所がイベントバーエデン名古屋日時が1月18日の土曜日18時オープン22時クローズの予定です。
またこの番組ではお便りを募集しております。
番組全体やトークテーマ作品あともしよかったら映画紹介屋さんへもお便りいただけると幸いです。
バーの最新情報を次回テーマはエックス呼びインクスパグラムにて告知しております。
各ご案内は番組説明文をご確認くださいませ。
それでは映画の話したすぎるラジオ第189回ルート29の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
55:16

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