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今日のテーマトークは、マイ・ブロークン・マリコです。
では、映画ドットコメより解説を読ませていただきます。
平子若の同名コミックを、永野芽衣の主演。
不甲斐ない僕は空を見たの、田中由紀監督のメガホンで映画化。
鬱屈した日々を送っていた会社員、真威野智恵は、親友の井河川麻里子が亡くなったことをテレビのニュースで知る。
麻里子は幼い頃から、実の父親に酷い虐待を受けていた。
そんな麻里子の短の死を救うため、真威野は麻里子の父親の元から遺骨を奪うことを決意。
麻里子の父親と再婚相手が暮らす家を訪れ、遺骨を強奪し逃亡する。
麻里子の遺骨を抱き、麻里子との思い出を胸にたびんでいる真威野だったが、
亡き親友麻里子を名を、真威野が旅先で出会う巻夫を久保田正孝、麻里子の父を尾身俊則、その再婚相手を吉田陽具が演じる。
はい、ではここからネタバレ込みの話を入っていきたいと思いますので、
ネタバレ避けたい方は是非見てから聞いていただけたらと思います。
では、麻里の感想を伺っていこうかと思うんですが、原口さんいかがでしょう。
私の場合はですね、映画を見て漫画を読んだっていう順番なんですけども、
まあ割と漫画に対して、ちょっとあっても得ないところが追加されたり、
あえてここなくてもいいかなというカットされたりしながら、
まあ結構漫画の抜き差しを上手いことやってるかなと思ってて、
でも結構個人的には漫画の読んだ方がエモーショナル感が強かったかなとか思ったり。
で、やっぱり長野芽衣がやさぐれな感じも良かったり、
那覇さんがちょっとさらに危うい感じもあったりで、
この映画は映画として良かったなと聞いております。
はい、麻里のさんいかがでしょう。
そうですね、あのすごく面白かったなとも思うんですけど、
いやなんかこれもっとやれたやろっていう、
もっとこれ大傑作までいけたやろみたいな気持ちでもなるような映画だったかなって感じですかね。
すごくやっぱりトータルはいいんですけど、
なんか一歩物足りないなってとこも結構目につくというか、
なんかその物足りなさが結局この二人のなんかなんかもトータルあんまり真に関係が近づけなかったのかなーみたいな気持ちにもちょっとなって、
ただまあこの二人はこの二人の関係でしかないというか、
二人だけのものっていう意味ではまあそれは正しいっちゃ正しいにはあるんですけど、
ただこれもっともっとなんかかき乱すような剥き出しの何かが、
この映画から出てきてもおかしくなかったはずなのになとは思いました。
漫画の方はどうでした?
そうですね、映画見終わった後に漫画読んだんですけど、
やっぱ漫画最高っすね、なんて言うんだろう。
やっぱ疾走感みたいなのが違うなという気はしたんですよね。
映画もだいぶ疾走感ある方なんですけど、
けどやっぱ漫画の疾走感にはちょっとやっぱ負けちゃうかなみたいなのがあるかなっていう感じでしたね。
僕はですね、むちゃくちゃ良かったんですよね。
むちゃくちゃ良かったんですけど、
超よくできてるっていう感じでもないかなって気もしてて、
マリオさんのツイート見て確かにもっとやれたかもしれないなとは思ったんですよね。
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この話を持っているポテンシャルを活かしきれてなかったと言われると確かにそうかもしれないっていうのは思いましたね。
僕も映画見てから漫画読んだんですけど、やっぱ漫画がすごいですよ、この話は。
漫画にいろんなものの温度感があっているというか、
その意味ではこの漫画に出会わせてくれたという意味でこの映画を見た価値はあったなとは思ったんですね。
それは思いますね。
あと特筆歴はやはり主演の長野明さんの熱縁かなと思うんですけど、
あのちょっと荒々しいシーノっていう人物像を華やかさを保ちつつやさぐれた感じを出してたっていう意味ではすごく良かったかなっていうのがあって、
今年、邦画でなんかこの人こういう役できるんだっていう驚きを持って見れたっていう意味では、
覇権アニメの吉岡龍穂さんと並んで、覇権長野明って感じで僕はすごい喜びのある鑑賞だったかなとは思いました。
あとお便りを1つ頂いております。
光小太郎さんから頂いております。
この方、マリオンさんのツイッタースペースでインタビューされてた方ですよね。
そうですね。いろいろなんか僕に関わらず、いろいろ誰か1人に趣味の話を聞くっていうスペースをオリジンタビューっていう企画を個人的にやられている方ですね。
今回お便り頂いています。
初めまして光小太郎と申します。いつも楽しく拝聴させて頂いております。
今回のテーマがマイブロークンマリコだったので我慢できず投稿いたしました。
原作は未読ですし、正直映画として面白いのか、現代の物語として正しいのかどうかすら分かりませんでした。
ここまで判断能力を失ってしまったのは、ひたすらに今作の永野芽衣が素晴らしかったからです。
疲れ、汚れ、気落ちしていても根っこの部分に強さと美しさがある、
たくましさと脆さの絶妙なバランスを醸し出す存在感は唯一無二だったかと。
しかし彼女以外のキャストも風景も衣装も何もかもがしっくりハマり、
たくましすぎず脆すぎない境界線を行き来する映像にひたすら見惚れるばかりでした。
セリフの言い方などにほうが仕草を感じることはありましたが、それを吹き飛ばす魅力にあふれた映画でした。
乱文になって申し訳ありませんが、これで締めさせていただきます。
皆様のトークも楽しみに待っております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
結構言いたいことを言ってくれてる感じかとは思ったんですけどね。
そうですね。
これね、結構言いたいことはめっちゃあるんだけど、
どう言葉にしていいんだろうみたいな気持ちをそのままお出ししてくれる映画だと思うんですよ、やっぱりこれって。
この誠意のつかない気持ちどうみたいなのを出してくれる映画だと思うんですけど、
そういう感じがやっぱりこっちもダイレクトに受け取って、
やっぱり僕たちはまだ言葉にできてないなって中で、
やっぱりすごく丁寧にお便りくれてて、なんかすごくいいなって思いました。
はい、では我々も掘り下げた話は言っていきたいと思うんですけれども、
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原口さん、トピック何かありますでしょうか?
結構どっかハンスが回ってるところではあるんだけども。
まあ、なんかどっかかり見つけて掘り下げるっていくとして、
さわりなんでもいいからって感じじゃないですか、この段階は。
なんかあります?
そう、だから結構だから、漫画と比べて最後エモーショナルな爽快感があって、漫画の方が。
もう違いがないやったのかなと思うんだけどもね。
だから結構みんなで、映画に対してもうちょっとやられたやろってなんか言うのが声聞こえるけど、
これは漫画のストーリーがこうやから、変に脚色するといろいろアンチが出てくるんかなと思ったりもして、
程よい抜き差しがあるなと思ってて、映画に対しては。
心の声とか周辺の人物。
いや、あのね、それほんまにそうやなって思ってて、
僕やっぱり漫画の方がいいなと思ってるんですけど、
じゃあ映画に足りないのは何かって言われたら、僕全然今掴めてないんですよ。
何かが足りてなかったって感じあんまりしてないんですよね、それは。
僕もね考えてはみたんですけど、
僕2個ちょっとあるかなって個人的には考えたことがあるんですけど、
まず僕失踪感って話したと思うんですけど、冒頭で。
なんだろうな、今回の映画版もすごく90分っていうタイトな短さだと思うんですよ。
映画の中ではすごく失踪感のある方だと思うんですけど、
いざ漫画で読む時ってやっぱり自分のペースで読むと思うんですけど、
セリフ量とかも案外少ないし、結構ね、スルスル読めちゃうんですよね、読んでて。
僕なんかそのマイブロークンマリコの漫画読んだ後に、
キシベロハンは動かないをたまたま読んでたんですけど、
ものすごい文字多くてなんかめっちゃ長いなって思ったんですよ。
それな、ジョジョはそうやね。
そうそう、まあしょうがないんですけど、それはそういうもんやっていう。
漫画によってそういう読むスピード感みたいなのってコントロールとかできると思うんですけど、
けどやっぱりなんかそのなんか、漫画で読むスピード感と、
映画におけるその失踪感のスピード感っていうのがなんかね、違う。
漫画の方がすごい極端にサラサラと読めてしまうけど、すごく引っかかりがめちゃくちゃある。
なんだこの強烈なもんだみたいなのが、失踪感ある分余計にそれは感じやすいのかなっていうのは1個思ったところですかね。
で、あと僕もう1個は、この漫画と映画においてたぶん映画が一番勝てる要素だったんじゃないかなって思うとこがあって、
それはなんか剥き出しの何かというか、感情とかの剥き出しさでもいいし、
あとなんかすごく生活感がもっと出せたやろっていうのはちょっと思ってて。
もちろん今回のその長野芽衣のそぼんな感じも全然いいんですよ、素晴らしいと思ったんですけど、
けどもっとなんかこのシーノという、今感情をぐちゃぐちゃにされてる親友のマリ子を亡くして、
どうしたらいいんだ私っていう、おいなんでお前勝手に死んでんだみたいな風になっているような人が、
もうちょっとなんか生活感みたいなのとか、粗暴さみたいなのがもっと出せたような気がするっていうのがめっちゃ感じてて。
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それはただタバコ吸ってるからなんか粗暴感が出るとかそういう次元の話じゃなくて、
例えばですけど、途中あの野宿した後に歯磨きするシーンあるじゃないですか。
原作にないシーンですけど、確か。
例えばあそこでペッてするようなシーンをなんで収めないんだとかってすごく思ってしまったんですよ。
そういうところにもうちょっと人が宿るだろうって思うんですよ。
はいはいはいはい。
なんかね、そういう描写がもちろんあるんですよ。
あるんですけど、この題材だったらもっと出せませんかってめっちゃ思ったんですよ。
なるほど。
それがやっぱり僕の中ではちょっと、やっぱこれやったら漫画の方がいいかなっていう風になっちゃった理由かなっていうのはちょっと考えましたね。
うんうん、なるほどね。
それにちょっと近しい部分があるかもしれないですけど、僕も考えてたことがあって、何日もお風呂入ってないのにあんま汚れないんですよね。
そうですね。
確かにな。
それはそうだろうっていうのはあるんですよ。
だって映画だし、メイクもしてるしっていう、お風呂入ってないってセリフでは言うけど、実際に何日もお風呂入ってない人の不潔さみたいなものを画面に映してそれを楽しめるかと言われると、
まあ、万人が楽しめるものではなくなるって気はするっちゃするんですけど、
やっぱりシーノがすべてを投げ捨てて、マリッコの弔いの旅に出たっていうのに不潔さってすごい大事な部分なんですよね。
汚い、お風呂入ってない、頭が洗ってない、匂ってきそう、赤で汚れてそうみたいなのがすごい大事だと思うんですよ。
で、そのむき出しさ、生きてるということを隠さない、表層を整えない、ひたむきさこそシーノだと思うんですね。
で、そこがやっぱり清潔感がパッケージされたものになってたなと思って、まあ僕はこんなもんかなっていうふうに飲み込んで見てたんですよ、そこは。
仮に若手の1000級の女優が主役になるってなった時に、まあそういうふうになるのかなっていうバランス感覚として僕は飲み込んじゃったので、そこ目つぶったんですよね。
その現状でもね、すごく良いだけにね。
そうなんですよ、良いんですよね。良いからこそもっと汚くてもっと臭そうになってほしかったっていうのがあって、見てるこっちが理解できないものになってくれた方がいいなと思ったんですよ、この話は。
シーノとマリコがお互いのことわかる。で、厳密に言うとマリコはもういないから、マリコを思ってるシーノという存在だけが煮詰まっていく話として描いてくれた方が、まあ良かったのかなっていう気はしてて、やっぱその汚れない汚くならないっていう冷静さは、描かれないとしてもなんとなくシーノがブレーキを踏んでるように見えてしまうとこはあるかなって気はしたんですよね。
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そうなんですよね。本当でも良いんですよ、最初冒頭中華そば食ってるところとか良いんですよ、ああいうのとか。あと牛丼2人分頼んでね、お供え物して、あと全部ちゃんと自分で食べるとかね、ああいうところとか良いんですけど、なんかもっと出せるよなーみたいな気持ちになってしまうのは本当ちょっとまあこれはもうないものねだりというかもう高望みだと思うんですけど、もうこればっかりは。
でもどうしてもこの話を知ってしまったら求めたくなっちゃうよね、これっていうのはめっちゃ感じます。
あとセリフ回しが説明的というか漫画のリアリティラインだなって思うところは結構あって、このタイミングでそれ言わないでしょみたいなのはやっぱあるっちゃあるんですよね、でもそれは漫画の方だったら確かに同じように喋ってはいるんですよ。
漫画もそのタイミングで一人ごと言ってたりはするっていうのはあるんですけど、やっぱりそこはね、文字なんですよね、どこまで行っても漫画って、実際に音として喋っていることと吹き出しに文字として書かれていることって全然捉え方違うなと思って、漫画って発生している言葉と思考の中で考えていることの境目ってあんまりないんですよね。
厳密に言うと、読んでいる方が都合よく受け取れるんですよ、言葉と思考の境目を。でも映画って全部音になるから、全部喋っていることになるんですよね。でもここでそれ喋ったらちょっとおかしい話だよみたいなのはやっぱあるっちゃあるんですよ。
それは漫画のやると漫画通りの受け取り方にはならないっていうのは絶対的にあるなと思うし、あとすっごい細かいところなんですけど、例えばね、学生の頃にバイトして買ったドクターマーチンの靴を久しぶりに出してきてカビ臭いって言って動揺するみたいなシーン。映画やと結構下り長いんですよね、あそこ。
長いっすね、確かにね。
漫画やと一コマでスプレーシューってやって終わるんですよ。そこのテンポの差ってすごい違うなと思って、いやいや部屋で自分一人でいるときに自分の靴が臭いぐらいで、そこまであたふたあたふたしないよっていう、それは一人暮らししてる人間のリアリティじゃないよねって思っちゃうとかがあったりとか、自分の携帯の連絡先に上司のことバカ上司って入れないと思うんですよね、僕は。
あれね。
バカ上司の名前バカ上司って入力しますか?
いや、まあしないですけども、そこはまあ、しいのならやりかねんなみたいな気持ちはなってたんですけど。
まあそうなんですよ、そうなんですけど。
ただそのブラック企業じゃないですか、あの辺がちょっと誇張されすぎというか、ちょっとコメディリリーフ感が出てる場面が多いと思うんですけど、あれはまあそういう意味での生活感はちょっと出し方違うなって思いながら見てて。
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ちょっとね、説明してもらわなくても伝わるなっていうことを口で説明するから、まあそこがさっき光小太郎さんも書かれてた方が仕草っていう部分なのかなって気はせんでもないんじゃないかなとは思ったりはしたんですよね。
結局その辺やらないとシネコンで上映されるエンタメより映画にできないんだよな。
多分いわゆるミニシアター系以外とはもう全然その辺カットして、もう上巻読み込めでいけるんだろうけど、その辺が難しいんだろうな。
いや、わかるんですよね、そこ。わかるんですけど。
あと思うんですけど、結構シーノだったら全部口に出して言いそう感はわかるんですよ、案外。
だから、いやシーノってそういうもんじゃんっていう体で多分やってるんじゃないかなって思ってる、どっちかっていうと。
なんかその観客側の、シネコンでかかるからっていう要請以前の話で、シーノだったらそれくらい言うでしょっていう多分解釈なんじゃないかなというふうに思うんですよ。
田中幸の解釈というか。
田中幸、僕何本かしか見てないですけど、やっぱすごい腕のある監督さんだから、多分その辺はね、また考えてないことはないと思うんですけど。
ただやっぱそこがやっぱり解釈違いかなっていうふうに思うっていうだけかなっていう。
そうですね、僕も全否定したいわけではなくて、多少わかりやすくしてでもこの話を届けたいっていうのもあるなとは思うんですよね。
ミニシアターでごくごく一部の人が見に行く映画になんかしないぞという決意みたいなものの現れかなって気もするっちゃするんですね。
わかりやすくするからこそこの映画見られるし、あの漫画は読まれていたっていうのもあるし、その漫画的なものを体験しているのがシーノだからこそそういうことも一人の時でも言いますっていうのも理解できるかなっていうのはあるのと。
あとシーノもまた限界な人っていうのの現れかなと思って、そのマリッコとシーノが子供の時に出会ってからそうですけど、二人とも過酷なんですよね人生が。
でもシーノ側の人生ってシーノの言葉の中でしか描かれないんですよね。でも屋上で一人でタバコ吸ってたりとか、何かしかの苦労とか切実さみたいなものが彼女の中にもあって、
その救いとしてマリッコがそこにいてくれたっていうのもあったと。で、シーノもこれまでそういう抱え込んでいるものはちょっとした日常の会話の中とかでマリッコに話してたんだと思うんですね。
両親が離婚してさぁとか、そういうどこか強がってるけれども弱さを見せる中でシーノは自分の人生をギリギリのとこで持たせてたのかなっていうふうには見てたんですよ。
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でもそのマリッコがいなくなって、もう言う人がいません。だったらもう一人ごと言いますみたいな感じになってるように見えて、結構ねアンビバレントな気持ちで見てて、ちょっとこれ説明的なセリフに見えるなとも思いつつ、でもそれだけシーノ自身のギリギリさみたいなものの現れのようにも見えたから、最終的に僕はそのあたり飲み込んで見てたんですよね。
もともとシーノ結構エキセントリックな人間だと思うんですけど、やっぱりねあの骨つぼ持って行動してるの結構異様なビジュアルだと思うんですよ。
周りあんまり反応してないけど、骨つぼ持ってバス乗ってくるとか、骨つぼ持って牛丼屋入るとか、なんかしれっと牛丼食べて骨つぼの前に置いてるけど、漫画はやっぱ店員さんが動揺してるコマがあるんですよね。
映画なんてなかったから、マジで結構これすごいビジュアルですけど大丈夫ですかみたいな感じでは見てて、そもそものシーノのエキセントリックさに状況の格差っていうものが重なって、より破天荒な人物像としての行動をしてたようにも見えたから、まあまあこういう人っていうことでいけるかなっていうふうには咀嚼しながら見てたって感じでしたね僕は。
今あらかた映画に対するちょっと物足りなさった部分みたいなのをあらかた言えたような気はするんですけど、この良かった部分をじゃあ今から言おうかなって思った時に、なんかなかなか言葉出ないなみたいな気持ちになるんですよね。なんて言ったらいいんですかね、この感情がみたいなというか。
そういうんだと、漫画も一緒なんだけれども、この話ってあくまでマリコがなんで亡くなったかっていうのは描かれてなくて、あくまでシーノが自分の気持ちに決着をつけるたびにこういう旅に出てるっていうのが描かれてるんで、その辺も含めてやっぱこう漫画も映画も評価されるところなんかなと思うんだけども。
そうですね。マリコがどうして亡くなったかっていうのが描かれないっていうのは、僕も本作の長所というか結構大切な部分だなと思ってはいて、自殺なのかなっていう風な見合わせはあるけどそこは語らないんですよね。
でも僕、自殺かどうかもそんな重要じゃないとは思ってて、最終的にその死んだ原因が自発的になされたことなのか、あるいは偶発的に起こったことなのかっていうのは、そんなにこのマリコという人物を語るのに重要ではないかなって思ってはいるんですけど、
ただ確かのことは、マリコの人生はすり減り続けてたということだけは確かっていうこと。で、そのすり減りが臨界点を超えた時、マリコという人間の命は尽きるしかなかったっていう風に至ってしまっているっていう大切なことはそこかなとは思って、あと人が亡くなるのに理由ってないよなっていう風にも思ってはいるんですね。
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そこを問う必要があまりないっていうふうには僕は見てました。
そうですね。
見ながら思ったのは、あるシーン、マリコが部屋のベッドで、下着、キャミソール姿で壁にもたられてて、ちょっと口周りから血が出てて、あれが本当危うい感じの延長線で亡くなったり繋がってたのかなっていう感じで見たけども、あそこ一番マリコが危ういなーっていう感じがあって、これこのままいったら亡くなっちゃうんかなっていうのは感じてて。
そうですね。精神的に折れてたっていうのはあるかなって思うんですよね、あのシーンでは。
でもそもそも生きようとする気力そのものを削り取られきっていたっていうのがあるかなとは思って、
僕的にマリコの人生の終わりを予兆させるシーンとしては、彼氏に腕を折られてるのをカフェでシーノが見つけるシーンで、
あんたぶっ壊れてんじゃないの?みたいな言われるのに対して、そうだな、私ぶっ壊れてるの?っていうところなんですよね。
はいはいはい。
で、まだあの頃は精神的な余裕もまだマリコにあるようには見えるんですけれども、
ただ、人生に対する希望みたいなものはとっくの昔に消え失せてるっていう感じがするんですよね、あの言葉から。
で、あそこですごく悲しくなるというか、限界を迎えるよりもっと手前で何かをしようとするっていうもの自体がもう削ぎ落とされてしまっていたっていう感じがするなとは思ったんですよ。
そのことこそが悲しいなっていうふうには見えて、やっぱり本作のタイトルがマイブロークマリコであるように、かなり意識的に発されたセリフだと思うんですね、あそこ。
うん。まあでも、さっきもちらっと原口さんでしたっけ、言ってたと思うんですけど、マリコという巨大な空白ができて、じゃあシーノはどうしていくの?っていうグリーフワークの話だと思うんですよね。
っていう的なことはちらっと言ってたと思うんですけど。
まあそれがやっぱり、例えばですけど、ドライブマイカーだってそういえばそういう話じゃんって言われるとそうやし。
はい、喪失感。
あと僕ちょっと一個思い出したのは、やがて海へと届くって映画?思い出したんですけどね。
はいはいはい。
岸井幸野と浜辺美奈美のやつね、は思い出したんですよね。
浜辺美奈美という巨大な空白を経て、じゃあどう蹴りつけていくの?っていう話だのはやっぱり思ったんですけど、まあそれが今回のマイブロークンマリコの場合だったら、とにかく剥き出していたいたしいこと?
でもやっぱり突然誰かを失うってまあそういうことじゃんっていうのを、ちゃんとなんか描いてくれてる風には思うんですよね。
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なんかセンチメンタルな方に僕も流れる、まあそういう作品も好きですけど、本当にわけがわかんないみたいなのが、
もうなんで、なんで私を置いて出ていったの?勝手に。理由はないのかもしれないけど。みたいなのが、やっぱりあそこでいろんな場面からブシブシ出てくるっていうのが、やっぱりこの映画好きだなって思えるところなのかなっていう風には思ってて。
うん。
こうって言ったらいいんだろう。
うん。
最後、コツツボを落とすじゃないですか。結局落とすというか、痴漢にぶつけて、なんかあそこでやっぱすごくいいセリフ言うじゃないですか。
灰になってもあんたは変わんない。キラキラして掴めなくて風に流され、そして重力に逆らえないって言われたときに、ちょっとあそこ結構うるっときてしまったというか。
うん。
これほど単的に大好きだったあの人のことを言い表したことがないなみたいにぐらい思えて。
うん。
なんか本当、本当になんか強烈になんかお互いのことバチバチに意識し合ってて、かけがえのないものなんだけど、けど本当に私たちはどこまでも違う存在であるし、
そういうのをまだまだと見せつけられたままでも、やっぱあんたのことを私は好きやったわ、みたいな風にも捉えられることができてて、なんか最終的な見終わった後の感じも含めて。
なんかやっぱそういうのがやっぱこの映画のなんか良かった部分というか、刺さって僕がこの映画のことを忘れられないところなんだろうなっていう風に思っちゃいますね。
うん。
ちょっと細かいところの話させてもらえたらと思うんですけど、冒頭のラーメン屋でニュース流れるときなんですけど、
マリコが亡くなったニュースが流れてきて、シーノが反応するじゃないですか。
それに対して周りのサラリーマンがなんか自殺流行ってますよねみたいなことを言ってる?
正確なセリフ覚えてないですけど、そんな感じのことを揶揄するような、冷笑するようなことを言うっていうシーンがあって、あれ原作の方はないんですよね。
うんうん。
で、ちょっとまぁ誇張きつい描写だなぁとは思ってはいたんですけど、後半、ラストのラストで再びシーノがラーメン屋に入ったときに、また別の誰かが亡くなってるニュースが流れてくるんですよね。
うんうんうん。流れましたね。
で、それに対してシーノは反応しないんですよね。
うん。
で、そこから伝わってくるもの、僕もうまく言葉にはできないんですけれども、
所詮自分だって知らない誰かの死には反応しない。けれども、だからこそ私は、私だけはマリコの死を握りしめているっていうことが強調されるなぁと思ったんですよね。
そのマリコという世間から消え離されたようにいなくなってしまった女性がいて、もしかしたら自分もそうかもしれない。世間から孤立しているのかもしれないけれども、私にはかつてマリコがいた。
そのマリコはいなくなってしまったけれども、ただ私はマリコを覚えている。
世間がマリコのことを覚えていないのは、私が知らない誰かの死を何とも思わないように気を失せてしまうものかもしれないけれども、私だけはマリコの死を握りしめているっていうのが、あそこで強調されるなと思ったんですね。
27:08
うんうんうん。
で、それってすごい大事な視点というか、所詮この話ってシーノとマリコだけの話ではあるとは思うんですよ、基本的にはね。
すごい閉じてる話だけど、やっぱいやこれって閉じてる話なんですよね。でもねっていうのはあそこのシーンで伝わってくると思うんですね。
そのほのかに差し込まれた客観性みたいなもの、それがあることでより、それでもこの二人にとってそれがいかに大事であったかっていうのが、一つまみの塩のように効いてるなとは思って、僕はあのシーンすごい印象に残ってますね。
うん。
結構喋るの難しい作品ですね。
うん、難しいなっていう。
いいところも物足りないところも結構不確かというか。
そうなんですよ。なんか感覚的なものだったりとか、物足りないところとかもただのイチャモンやろって言われたら、そうですとしか言えませんよっていうぐらいなもんだとは思うんですよね。ただ本当に。
イチャモンは確かにつけてるかもしれないけれども、でも確かにそこにむき出しなものはあったんだよ。
そこに僕たちがめっちゃ心かき乱されてるのは事実であるっていうね。
ラストどうでした?漫画は手紙読むところで終わりますけど、映画の方は泣いて笑ったって感じだったと思うんですよね。漫画の方も笑ってたのかな確か。泣き笑いって感じだったかな。結構尺が長く取られてたと思うんです、映画の方は。
映画の方も旅から戻ってきて日常に戻ってくるのを感じながらも最後手紙が残って、内容なんだろうなーって終わる。
やっぱりね、終わり方は似てるっちゃ似てるんですけど、あの手紙をやっぱり観客には見せないっていうのってやっぱいいなっていう。そうだよね。君たち2人だけのものだよね、その手紙はっていうね。
もうそれだけはもう、そこはもう本当にその通りですって思って。
映画でも見せないし、パンフレットの中にも載せてないです、これ。
いやもう読みたくないです。たとえ読ませてあげるよって言われても、絶対読みたくない。
だから僕、この2人の関係にも名前を付けられなくて。
ああそうそう、それを思いますね。
最も最大公約数的な表現として女性同士の連体としか呼べないんですよね。ギリギリシスターフットとだけ呼べるかなと思ってて、それ以上の表現を取れないと思って。
まあ本当そうですね、シスターフットとかまあユリとか似たようなワードってあると思うんですけど、便宜上その言葉は使うけど、この2人の関係にはそういう言葉当てはまらないからとは常にやっぱまあ思いますね。
ここにだけはユリって付けれないですね。
僕もちょっとこれは言えないなって思って。
こぼれ落ちるものが多すぎるというか、ユリってね外から見た時にどう見えるかみたいなのがすごくニュアンスに含んでる言葉だなと思って。
30:05
そうですね。
あくまで商品ジャンルかなって気はするんですよね、今となっては。
この映画にかかわらず僕も結構ユリの話とかするじゃないですか。
で、よかったよかったみたいな言う時って、あくまで便宜上この言葉を使っているだけであって、本来は言葉に言語化されてない関係やぞ、どれもっていうふうには常々思ってるっていうか、便宜を使っているだけやぞ、この言葉をみたいな、っていうのはまあなかなかね、そんな言う機会はないですけど。
この外からの言語化を挟めない感じっていうのは、それはそれでまさにこの二人なのかなって気もして、この話ってどこが良かったのかな、どこが物足りないのかな、よくわかんないですよねっていうのが、ある意味それでいいのかなとさえちょっと思ったんですよ、今。
こう描かれたらこの映画正解ですよねとかって言われても、いや正解って何ですかみたいな気もして。
そうですね、この二人の特別な何かの関係があり、その関係がある種終わってしまった、ふうな形で突然に終わってしまって、じゃあどうするかっていうだけの、それでもこの二人の関係は続いていくし、ある意味でっていうのを、まあ言葉にはできないですよねっていう、この関係性をっていう。
そうですね、そこが魅力かなっていう、最大の魅力かなと思って。
じゃあ、その魅力に添えるものの話をしたいんですけど、あくまでも女性同省連帯が一つのテーマとしておく分、久保田政孝さん演じる成田商店の真紀夫が良い味出してるというか、なんかムーミンのスナフ菌的な存在かなと思いながら見てて。
それは思いましたね。
でもね、欲しいのが自分の気持ちに決着をつけるための最後をちょっとアシストするというか、真紀夫自身も半年前に飛んだことがあって、結局もういない人に会うためには自分が生きてるしかないんじゃないでしょうかみたいなのをね、さらっと言うのが。
あそこはね、なんか熊本政孝だけを自己主張しない役っていうのがいいなあっていう思いながら見てたりはしましたけど。
結構唐突な役前だと思うんですね、この話の中で。
もう必要な存在だよね。
急に出てくるというか、急に役割持ってるというか、もうメンターやんっていう感じの、教え授ける役割の人やんっていう感じでは見てて。
それはまあ漫画の時からそうなんで、映画同行っていう感じではないんですけど、結構僕ギリギリのキャラやと思ってました、あの立ち位置。
まあそうですね、熊本政孝じゃなかったら、あんまり嫌味なくこれをやるのは無理だったんじゃないかなあ、ぐらいのバランスのキャラやなとはね、思います。
あのキャラがいないとCの旅を終えれないよねっていうのはあって、ギリギリをつけるというか。
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まあ、どうなんやろな、そこは。
僕の見方ですけど、彼の役周りって善良な男性としての立ち位置かなって思ってたんですね。
やっぱり二人の周りって酷い男性しかいないですよね、あの人以外は。
マリコの父親とか職場の上司とかね。
マリコの彼氏とかも。
居酒屋の男性とか。
基本みんな酷いですよね。
飲み屋にいたおっちゃんも、まあセクハラじゃないですか、あれは。
そういうのを言ってくる人の中で、善良な男性として出てきて、かつ既死願望を持ってた人。
死を望んだことがある人として出てくる。
それはマリコもそうだし、Cのもそうだと思うんですね。
そこを食い止める役というか、共感する役として、そこに男性がいるっていうのは、
バランス取りというか、話全体の比重をちょっと調整しているような感じがあるようには僕は見えて。
本作の男性の描き方なんですけど、
酷いもの、邪悪なものであるとか、卑怯なものとかっていう描き方というより、
弱いものとして描かれてたなとは思って。
最初マリコの実家に行って、マリコの遺骨を奪いに行くときに、父親は泣いてるんですよね。
あんだけ酷いことしたのに。
で、マリコとか言って呟いたりしてるわけですよ。
どの口でってあるじゃないですか。
どんだけ酷いことしたんやってのはありますけど、やっぱり彼なりにすがってそうなってたっていうのが現れてたのかなと思って。
それは、邪悪さというよりは弱さだとは思うんですよ。
で、本作はその男性を、邪悪なものというより弱いものとして描いてたかなと思って。
で、最後クライマックスで崖のところで、シーノがマリコの幻影と向き合うときに、
みんながあなたに自分の弱さを押しつけたんだよって言うじゃないですか。
あそこ、なんて冷静な言葉だろうと思って。
悪い奴らがお前をいじめたみたいな言い方ではないんですよね。
お前を攻撃した、暴力を振るったとかではなくて、弱さを押しつけたって言うんですよ。
僕すごい印象的に見えて、弱いからやってたと。
そこは本作の男性の捉え方。
で、その弱さを乗り越えた人として、マキオでしたっけ?がいると。
やっぱりその弱さっていうものは、
自分より弱い者がいたときには他者への暴力として現れるし、
自分より弱い者がいなかったら、騎士願望として現れるっていうことかなと思って。
でもその騎士願望を乗り越えた人、
自分より弱い者をいじめて生きようとする人ではない人になった男性として彼がいるように見えたんですね。
そういう部分では彼の立ち位置って大事だったように思って。
36:00
僕最近、こういう女性同士の関係性を描いた話、
あるいは男性同士の関係を描いた話を見たときに、
じゃあこの話って男女で成立するのかなとか、
女性同士の話だったら男性同士で成立するのかなとか、
その逆とかっていうのを考えてみてるんですね。
それは前、メタルモールフォーズの演画の時もちょっと話してたと思うんですけど、
男女逆転したら成立するのかなと思って。
で、本作について言うと、
男女逆転したらちょっと成立しにくくなると思うんです。
騎士願望がある男性がいないとかそういうことが言いたいんじゃなくて、
社会から否定されて自己肯定感が低い人っていうものが男性だったときに、
多くの場合、自分より弱い者への暴力として現れるかなと思ったんですね。
だから本作もやっぱり弱い人たちはマリコに暴力を振るってると。
でも女性だったら自分より弱いものがないんですね。
女性だったらというか、社会的な立場を十分に与えられてない女性は、
自分より弱いものがないと思うんですね。
そうなったときに生きる気力を失うしかないように僕は見えて、
しばしば世の中で起こってる無差別の暴力事件とか殺人事件とかって、
大抵の場合男性じゃないですか。
そうですね。
あれって、自己肯定できない人が自分より弱いものを探した結果なのかなって思ってて、
そうなったらやっぱり男性から見ての女子どもになるんですよね。
だからおそらくこの話は男女非対称なんじゃないかなと思って、
そこが僕すごく気をつけながら見てるというか、
女性同士の連帯上がるぜとかっていう風に見ないようにしているとこなんですよね。
だって感情移入したけど、お前やったらさ、女子どもいじめて満足してるわけじゃんって、
僕自分に言うんですよそういう時に。
シーノに感情移入したり、マリコに感情移入したりしたけどさ、
お前同じ立場に立ってもさ、いじめる相手いるよねっていうのを思うんですよ。
思うようにしてるんですよ。
そこに注意点があるというか、
で久保田正隆さんのあのマキオの役回りは、
そこに対する言及、
自分より弱いものを探して人生を満足させる弱い男性ではないものもいます。
っていうものを示すものかなって気がしたんですよ。
彼がいないと、そこの男性視点の振り返りがあまりないような気がするというか、
男性の弱さを描いて、でも結局弱さだけを描くと悪にしかならないんですよね多分。
うん、そうですね。
だからその弱さを超えたものも描かれることで、
男性の名誉回復みたいなものも行われてる話かなって気もして。
なるほどな。
39:02
やっぱね見てて居心地悪いんですよ。
で僕普段からね、
ユリがユリがとか言ってるわけじゃないですか。
でウテナ見て喜んで、全然関係ない話の中の女性同士の関係見てユリだって喜んで、
まかり間違ったら良くないと思うんですよそれって。
それは思いますね。
自分じゃないものに勝手なファンタジー預けて喜ぶのは、
僕は良くないとは思ってはいるので、
そこの冷静さを保つための男女入れ替え思考はしてて、
本作はその男女入れ替え思考への、
男女入れ替え思考へのっていうと、
そんなお前用のやつじゃないわってなると思うんですけど、
その男性視点に対するエクスキューズみたいなものがある話にも思えたかなって気はしたんですね。
うーん、なるほど。
あんまりこの映画から男性エクスキューズがあるかっていう視点のことはあんま考えてみてなかったんで、
でも今言われて確かにそうだなとは思いました。
すごい大事な役にも思えるんですよ。
例えばテルマ&ルイーズの刑事とかそういう役もありかなって気もするし、
結構マリコとシーノの超閉じた主観の話だからこそ、
客観に対する聞くばりってされてる話のような気はしたかなと思って、
それはさっき言ってた知らない人が死んだニュースとかもそうかなと思うんですよ。
それは映画版の方にだけある要素ですけど、
それがあることでどこか冷静さ、第三者性とか客観性を持った話になっているように思えたかなとかっていうのはね、
今話してて思ったことですけどね、これは。
あーなるほど。
どうしてもやっぱりシーノとマリコの閉じた世界のその狭さみたいなところにどっぷり見ちゃうから、
あんまりそういうところまでやっぱりなかなか見出せなかったなぁそれは。
本作の魅力はやっぱりマリコとシーノだけの部分ですからね、基本的には。
2人だけの関係がいかに大事だったっていうことに基本的には話の軸は全てあるから。
まあね、そうですね。
私たちはあくまで見させてもらってるぐらいなもので。
その客観、第三者要素があることで、あの世界に自分たちがいるとも思えるかなって気もして。
うんうんうんうん。そうですね。
閉じた物語を作品外部から見ているのではなく、
あの世界にも自分たちがいるかもしれないということは裏返すと、
この世界にシーノとマリコのような人もいるかもしれないとも思えるかなっていう気もするし。
というかいるんですよね。
いるからこそ、そこに対する意識とか配慮って絶対いますよねっていうことを思わされるような部分もあるかなって気もして。
うんうんうんうん。
よくよく考えるとマキオ大事ポジションだったのではないかなっていう。
うんうんうん。
妙に気配りできる男ですよね、あいつ。
はい。うん、そうなんですよね。
僕、女の人に歯磨き進めるのって結構デリケートやなって思うんですよ、あれ。
42:02
はい。
ね。
うん。
で、そこで僕が歯磨き好きなんでってすごい進め方じゃないですか、僕あれ。
感心しました。
あ、なるほど。
人にデリケートなことを進めるときって、こうした方がいいですよとか、できてないですよって言うんじゃなくて、
いや、僕こうするの好きだからあなたもしたらどうでしょうみたいな進め方、
なんてハイレベルなんだと思いながら見てました、あそこ。
ふふふ。
言われてハイレベルか。
僕やったらそんなことできんもんな。
歯磨きしときます?みたいな。
どうやって普通にほいって渡しそう。
ふふふ。
ちょっと枝葉の方の話をすると、シーノの子供時代の役者さん素晴らしくないですか、あの人。
そうそうそう。
子役うまいね。
あ、よかったですよね。
ね。そうなんですよ。子役いい映画なんですよね、これ。
うん。
うん。
お名前ちょっと。
そうそうそう。全然あんま出てこなくて。
うん。むっちゃよかったですよね。
これからね、いろんな映画で見るかもしれないですよね、ほんと。
うん。存在感あるなぁと思って。
まあそうだなと。役者さんで言うと、ナオさんにあんま触れてないなって思って。マリコ役の。
ああ、はい。
うん。なんか僕最初見た時、あ、ナオなんだって思ったんですよ。
うん。
この映画見る前に。
僕てっきり、マリコは門脇麦だろって勝手に思ってたんですよ。どう考えてもっていう。
ああー。
って思ってたので、あ、ナオなのかっていう風に思ったっていうのがあったので。
で、まあ最初ちょっと、いやまあ門脇麦の方がとか思ってたんですけど。
けどなんか漫画見たら、あ、めっちゃナオやなみたいになんか思ったというか。
なるほど。
なんかすごく似てるというかっていう風に思ったんですよね。
うん。
そう、なんか結構この映画、キャスティングが、今のキャスティングでもめちゃくちゃいいんだけど、
もっとこのキャストで見たいかもみたいなキャスティングが結構浮かびそうな映画でもあるなって思ってて。
僕最初思ったのは、マリコ役が門脇麦で、シーノが松岡真由加、三浦透子とか、あの辺がいいなみたいなとかめっちゃ考えたとかあったんですけど。
あー。
なるほどね。
結構俺な、漫画の絵のタッチを見ると、シーノをね、20年前ぐらいの片岡玲子の雰囲気がすごいあるなと思ってて、見てて。
あー。
うーん。
アッシュとか出たぐらいのね、片岡玲子の雰囲気がすごくあって。
誰だろう、あんま女優さんわからないからな。
シーノのひょろっとした感じをね、出してほしい気はするんですよね、僕的には。
なあ。
三白眼と。
うんうん。
それで言うとね、僕あの、漫画版の話したいんですけど、漫画版のね、シーノのルックスがむちゃくちゃ好きなんですよ。
そう。
あのね、フリックリのハルハラハルコみたいじゃないですか。
あー、はいはいはい。
はいはいはいはいはい。
いやあのね、もうね、もうむちゃくちゃ刺さりました、あのルックス。
うわ、もうハルハラハルコやんみたいな。
ちょっとね、跳ね返り感が出た雰囲気で、三白眼とひょろっと細長い手足でタバコ吸って、少し浅暮れた感じとかね、むちゃくちゃ良くって。
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いやもう、アニメ化するんやったら、新谷真意さんにやってほしいなっていうぐらいは思ってたんですけどね。
なんかそれでも見たいな。なんか。
確かにあのフリックリのあのタッチアウトシンプルで見やすいよね。
また漫画版結構ね、アクション上手くないですか。躍動感あるなって思いながら見てて。
うんうんうん。そう。絵がなんかね、すごいですよね。
何かを放り投げた時とかのコマとかページの使い方も上手いなって思うし。
僕が読んだの、電子書籍版だったんですけど、同時掲載されてた話も。
はいはいはい、そっちも載ってんのね。
あー、なんかそっちまだ読めてないんですけど。
あー。
俺もまだ聞こえない。インサカっていうね、話は載っててね。
アメリカ舞台の話で、マフィアを追われた年老いた男とネイティブアメリカンの若者の話なんですけど、
これも社会から抑圧されて阻害された者同士の連帯の話で、本当に最近アメリカ映画が描いてることをやってるなって感じで、
しかもバイオレンスシーンもきっちりアクションを描けてて、かなり映画的な漫画を描ける人っぽいんですよね、ひらこ若さん。
おー、パラーッと見てるけどすげーな。
むちゃくちゃ絵上手いですよね、本当に。
すげーな。
超ハードボイルドな絵描けるのかっけーな。
こんな絵がありそうやもんな。すごいな。
マイブロークンマリコの表紙見た後、本編見た時、え、こういう絵なんやってなりましたもん。
うん、それは思った。
そうですね。
あとまあ、どうでもいい話かもしんないですけど、なんか最近屋上で花火する映画多くないですか?
屋上で花火する映画とかあったっけ?
え?
ちょっと思い出しただけの花火してませんでしたっけ?
あー、だからな。
うん。
花束みたいな声をしたって屋上で花火してませんでしたっけ?
してないか。
花火は、閃光花火はあったのに、確か。
生きてるだけで愛って違ったっけ?
あれは違うか。
生きてるだけで愛や花火してた気しますよね。そうなんですよ。
なんか屋上のシーンあったよなーっていう気はしたけど。
あれ?してなかったっけ?
いや、なんか屋上花火多いなって。
あれ?気のせいかな?
でもなんかね、ある種の限定された空間やから、絵作りとしていいよね。
そうなんですよねー。
そんな感じでしょうか。
あ、じゃああと一個だけ言わせて。
エンディングテーマ、ザ・ピーズの行き止まし。
あ、ですよね。ザ・ピーズですよね。
はい。ピーズ結構好きで、一時ピローズのドラムの人もちょっと参加してたんですけど、
80年代から活動してる、まあ活動期をおしまいながら活動してるバンドで、
割とね、人生を哲学的に見ておいた歌詞を結構書かれてて、でもそれでロックンロールなんですけど、
で、まあ要は監督がエンディングテーマをどうしようかって考えた時に思いついたのがこの行き止ましっていう。
やっぱりね、あの冒頭の歌詞が、死にたい朝まだ目覚ましかけて、明日まで生きているっていう。
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もうこの歌詞が物語ってるなーっていう。
それで最初ね、ある種のエモーションとロックンロールの格好さで、なんかいい作品見たなーっていう感じはなるので。
映画の情報を見た時に、主題歌THE PEASEってなってて、
えっ!?マジですごいとこ拾ってくるなーと思ったんですけど。
これだから2003年の活動休止、再開後のね、結構有名な曲ではあるんですけど。
友達がね、THE PEASEのファーストアルバムを高校時代に持ってきて、なんかすっげー変なバンド見つけたからって言って。
なんかねー。
あれ89年ぐらいの歌詞はTHE GREATEST HITSかな?
そうそう。肉の歌とかデブジャージとかね、バイブレーターとか、何この歌?ってなってました、高校時代の僕は。
でもやっぱロックやなって思うんですよ、あの感じは。
で、よくよく思うと、マイブロックンマリコってロックだわってなるから。
ぴったりハマってんだよね、この曲はもう。
まあ確かにな。絶対ロック流してよって思ったよな、この映画見て。
ロックじゃないの?嘘だろ?みたいな。
ってなるよなーって。
よかったですね、確かに。
座り。
はい、ではそんな感じでマイブロックンマリコの話は終わっとこうかなと思います。
はい、次回どうしましょうかね。
おそらく次回、前田さん復帰ですけど。
そうですね。
今週か。
今週がね。
今週な。
テーマに取り上げれるかどうか置いといて、ぱっと思いついたやついくつかあげていいですか。
君を愛した一人の僕へと、僕が愛したすべての君へのセット。
やる?
と、ソングバード。
と、デュアル。
はいはいはい。
と、それがいる森。
それがいる森。
あー、それがいる森。
アニメか、ジャンルものか。
あるいは、四畳半タイムマシンブルースか。
今週な。
今週ね、正直僕見たいのはバットガイズぐらいなんですよね。
ドリームワークス。
そう、それもありかな、思いながら。
ドリームワークスが見たいんですけど、
まあ、あんま喋ることなさそうというか、
もしでもやるんだったら、ねじむらさんとか呼んだほうが絶対面白いと思うんですけどね。
あー、なるほどね。
とかやったらアリですけど。
でもまあ、前田さんバットガイズ見ないやろうな。
うん、そう、見ないやろうなっていう。
それやったら、前田さんマンオジしての復帰だったら、
それがいる森じゃないですか。
あれか。
気になるのは、ニクラスケージのピックが気になるんだけど。
あー、ピックだ。
あれも確かに気になる。
そっか、ピックも始まるんでしたね。
それがね、大阪で。
だよね。
確かそうやった気がする。
ピックか、アリかもしれんな。
そうですね、フリーブローでやりますね。
ただピック、時間的にいけるんですかね。
まあね、だからジャンルもアニメだよね、今週末は。
51:00
そうですね、それしかないって感じですもんね。
これは、うちらのDMの中での相談の上かな。
あと、新海誠マラソンも1回で終わったままなんですよね。
そうですね。
いやー、もうあんまり時間残されてないんですよ。
そうですね、確かにね。
あれ公開日が11月11日ですからね。
確かに、やっとくんやったら今かもなって気がしますね。
今後10月他にも取り上げたい映画があるかもしれないし。
でもまあ、マンオジして前田さんが復帰できるような作品じゃないと、
ちょっとあんまりかなって気もするからね。
なんかいきなりアニメ付き合わせるわけもいかんしっていう。
そうですね、これはありますね。
まあちょっとじゃあ意見は聞きましょう、DMで。
それがいるものはなかなかチャレンジングな作品なんでね。
まあそういうちょっと外し回も収録してもいいかなって気もして。
うん、そうだよね。
まあまあ後で決めましょうか。
はい。
わかりました、はい。
はい、ではお知らせになります。
10月も映画の話ししたすぎる場を開催する予定です。
場所は大阪の南森町にある日刈り弁当型カフバ週間もあり、
日曜日は10月29日、オープンが19時、クローズが23時となっております。
今回ハロウィンスペシャルとして、
何らかのプチ仮装をしてのご来店を推奨しております。
例えば映画Tシャツとか缶バッジとか帽子とか、
あるいはネイルとかでもいいかなと思うんですけど、
本当にちょっとだけ自分が好きな要素を入れた装いをして着ていただけると、
まあちょっとハロウィン的な盛り上がりができるかなと思っております。
ネタは映画に限りませんので、
皆さんのお好きなものを取り入れた感じで着ていただけたらと思います。
もちろんそうでない服装で着ていただいても問題ないので、
気軽に遊びに来ていただけたらなと思います。
マリオさん考えてます?
どうしましょうね。
多分なんですけど、
スズメのトジマリが公開されるので、
とりあえずユニクロで新海誠Tシャツが出ると思うので、
それ買って着てるんじゃないかなって気がします。
そういえば前も着てきてましたね、新海誠T。
前も着てきましたね。
天気の良いやつが着てきてたなっていう。
多分また出るでしょうっていう。
僕もちょっと考えてて、
もしかしたらこれぞ僕だっていう感じのものを着ていけたらなと思ってるんですけどね。
ちょっと温めときます。
収録ビデオも今日も結構寒くなってきてるんでね、
曲がりもちょっと寒いエリアもあると思うんで、
皆さん寒さを気をつけて。
そうですね。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ、作品の感想などをご自由にお送りいただけると幸いです。
あとリニューアル第100回記念企画も募集してますので、
なんかネタあったら送ってください。
我々は特に何のネタも考えてないです。
54:00
ちょっとだけ考えたのがあって、
今まで触れた作品で、
もっと掘り下げろっていう作品があったら、
それを送ってもらって、それをもう一回話す王国。
なるほど、なるほど。
差し戻し案件再トーク回。
もっと解像度を上げろっていう。
解像度低いぞ、もっと解像度上げろ回っていう。
なるほどね。
もう一回語り直せコラっていうやつですね。
いやー、語り足りないなとか、
あれ語っておくべきだったなって結構あるじゃないですか。
我々的にも。
確かにね、ありますよ。
あー、これ抜き落ちてたみたいなのあるので、
聞いてる方もね、
テメー、あの作品ここ語んねぇでどうすんだみたいなのもあるかなって気もして、
なんかそういうの募集しているとかってちょっとありかなって思ったんですけど、
なるほど、なるほど。
まあまあ、そういうのもありかなっていうのを思いついただけなんで、
もっと有効性のある企画があれば是非お送りいただけたらなと思います。
また次回予告、開催情報、ポッドキャスト、次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
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あと、この番組のイメージキャラクター、英語の話し助け猫かっこ狩りをあしらったグッズを販売していますので、
よろしければご購入くださいませ。
これのTシャツを着て着ていただいてもいいですよ。
あ、もうバッチリですよ。
もうドレスコートにバッチリハマりますんで。
是非是非。
お便り、受付先、ツイッターアカウント、グッズ販売サイト、いずれも番組説明文に記載しておりますと。
はい、それでは、映画の話し下杉ラジオリニューアル第84回
マイブロークンマリコの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
さよなら。