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2022-05-31 48:12

第65回(2)『流浪の月』この”正しくなさ”のなかでもがく

『流浪の月 』の話をしました。

この映画が含む「正しくなさ」と、それでも湧き上がるエモーション。

この映画を全力でキャッチするために、この「正しくなさ」を全力で語っています。

■メンバー ・山口 ・原口 ・マリオン

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00:00
今日のテーマトークは、流浪の月です。はい。では、花口さん、解説をお願いできますか。
2020年本屋大賞を受賞した、なぎらゆうのベストセラー小説を、怒りのリー・サンイル監督が、広瀬すずと松坂通りの主演で映画化。
ある日の夕方、雨の公園でビショルネになっていた10歳の少女、カナイサラサに、19歳の大学生、サエキフミが傘を差しかける。
おばに引き取られて暮らすサラサは、家に帰りたがらず、フミは彼女を自宅に連れて帰る。
サラサはそのまま2ヶ月をフミの部屋で過ごし、やがてフミはサラサを誘拐した罪で逮捕される。
被害女子とその被害者という楽園を背負って生きることになったサラサとフミは、事件から15年後に再会するが、
サラサの現在の恋人、中瀬涼を横浜留生。心の傷を抱えるフミに寄り添う看護師、タニヤウミを、タベミカコが演じる。
パラサイとハンチカの家族のホン・ギョンピョが撮影監督を担当となっております。
はい、じゃあここからネタバレの話入っていこうかと思いますので、
もし見てから聞きたいという方がいらっしゃったら、まずは見ていただけたらなと思います。
では、沢里の感想伺っていこうかと思うんですけども、ハラウンさんいかがでした?
この作品、事前に試写で見たんですけど、結構何回かやってて、
先に見た人から、ちょっとすごいよ見てっていう噂を結構聞いてて見てたんですけれども、
見て、結構ね、公開されるまでが、これどういう意見になるんやろうと結構不安があったんですけど、
私が思ったのは、サラサとフミの関係は、イノセントなものとして受け止めてて、
イノセントなものとして、真相がわかった上での純粋に2人の関係を応援してるような感じがあったので、
ラストで警察が再びやってくるところが、もう非常に胸が苦しかったというか、
試写説で見ながら、オエチスが出そうになるのを、なんか堪えて逆に見せてしまったっていうような感じだったぐらい、
ちょっと結構思い入れがある作品ですね。
なんか今年の作品でも傑作の一つに入れていいと思っている作品ではあります。
はい、マリオさんいかがでした?
そうですね、なんというか、とても危うい作品だとは思うんです。
やっぱりジョジ誘拐犯を誘拐したっていう構図には変わらないし、
あと本当最後の最後にわかるフミのある、誰にもちょっと言えないような秘密みたいなところとかの描き方も、
まあなんというか、そういったいろいろなところが危ういなと。
なんかこれをただなんかちゃんとこう、なんていうんだろうな、
これにそのまま飲まれてしまうのはちょっとまずいような気はするんですけど、
でもどうしてもなんかこれに飲み込まれてしまう自分がめちゃくちゃいて、
なんかもう2時間半というこのすごい時間をかけてこの2人の関係性の過程とその境地みたいなのが描かれて、
深く彼らのことを知ってしまった後で彼らのことを何か言えるのかっていうのが、
03:03
ちょっと僕にはあまり言えないなっていうふうにちょっとなってしまって、
結構ちょっとあまりこの映画を冷静に見ることがあまり僕はできなかったですね。
もう結構どっぷりとこの2人に感情移入してしまったなっていう感じでした。
はい、えっと僕はですね、まあすごい作品だなとは思ってるんですけども、
フィクションじゃないとやっちゃダメな話だな、まあ当たり前なんですけどね。
物語だからフィクションなんですけど、フィクションじゃないと絶対に許容できない話だなと思ったんですよ。
で、わからない立場から好きかっていうみたいなことの良くなさみたいなのは描かれている映画ですけど、
同時にわかってたらそれ許していいのっていう話でもあると思うんですよね。
で、この映画の中に正しさがないと思うんですよ。
だから、どう語っても何かを傷つける映画だと思うんですよね、僕はこれ。
どっかを肯定したら絶対にどっかで誰かを傷つけることになる映画だなと思って、
むちゃくちゃ危険な映画だなと思います。
で、その上で答えのなさみたいなのをちゃんと考えろよという。
例えばこの映画の中に自分がいた時に自分はどうする立場なのよっていうのを、
それを今物語見た時は感動してたけど、
これが現実だったらあなたはどうするんですかねみたいなのをね、
むちゃくちゃ考えないといけない映画だなと思って、怖いですね、これは。
危険です、この映画は。
ちょっと、僕今、今日メンタル不調なんで、語ると病むんじゃないかなって思ってます。
まあじゃあ、あとお便り紹介させもらうかと思うんですけども、
はい。
向かいてん観覧車さん、皆さんこんにちは。
いつも楽しく聞かせていただいています。
まずは新ウルトラマン回、楽しく聞かせていただきました。
私はそれなりに楽しめましたが、何かモヤモヤするなと思っていたら皆さんの感想、見解を聞き、
激しく納得しすっきりしました。
山口さんのお怒りはごもっともだと思います。
また、マリオンさんが提言してくださった演出にしたら間違いなくさらに面白くなったと思います。
さて今回は、イ・サン・イルー監督のルローの月だそうですね。
先日のハッチング不可に続いて、今年ナンバーワンほぼ確定と豪語しましたが、
それを揺るがすほどのこれまた超傑作でした。
イ監督作員は、フラガールで涙が枯れかけ、悪人では悪人とは何か、彼は悪い人なのかを問いかけられました。
このルローの月はまさにその両方でした。
サラサとフミのことを何も知らない連中が言いたい放題なのが許せませんでした。
それでも二人が一緒の時の、あのなんとも言えない優しい時間が流れている雰囲気に、
ただ幸せであれと祈りたくなるラストでした。
またこの作品で素晴らしかったのは、両役の横浜流星さんでした。
スーパー戦隊ファンでもあるので、列車戦隊特急ジャーでの光くん役の爽やかでキラキラした横浜流星さんからしたら、信じられない別人でした。
とんでもないクズ野郎に描かれていますが、彼がサラサを実感に連れて行った下りを見て、
ああ、彼も傷を負った一人なんだなと気づき、その悲しい姿に涙してしまいました。
06:02
というのも私は農業をしておりまして、幼い頃厳格な祖父にお前は将来農家を継ぐんだとずっと言われ続けていました。
反発心から中学では猛勉強に暮れましたが、それに疲れ、受験時にしたい仕事もできない人だっているのに畑や道具を用意してくれているのはありがたいことだなぁと思うようになり、地元の農業高校に進学し今に至ります。
今はやりがいを持ってみかんを育てています。
いつか映画の話したすぎる場に差し入れしつつ、お邪魔できたらいいなぁ、長文乱文していたしました。
みなさんの感想を楽しみにしています。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
新ウルトラ満開を飲み込んでいただけたのは非常に嬉しいというか、安心しましたね。
わかってもらえて良かったですというか。
横浜流星さんね、たぶん後で話すると思いますけど、すごかったですね本当に。
もう一通いただいております。
スートラマンさんよりいただいております。
映画の話したすぎるラジオもみなさんこんにちはスートラマンです。
いつも楽しく拝聴しております。
さっそくルロの月の感想です。
ちなみに原作は未読です。難しいテーマの映画ですし、なかなか扱いの難しい映画だと思います。
幼い女の子を誘拐したロリコンの加害者フミ。
誘拐された悲劇のかわいそうな被害者サラサと言われる二人。
けれど本当のことは二人にしか知らないってのが切ない。
正直僕もこの事件の報道を見ればそのように思うと思います。
フミ、サラサ、カリンの三人にただただ幸せになってほしいと思いました。
映画を見ていろいろ考え思うことがありましたが、
テーマがテーマなんて短い文章で伝える文章力もないですし、
誤解されたままになってしまうと怖いので、あまり突っ込んだ感想はやめときます。
ならメールを送ってくるなと思うかもしれませんが、
少しでも楽しい配信のモチベーションになってくれればと思いメールさせていただきました。
これからも可能な限りメールで参加させていただくと思うのでよろしくお願いします。
みなさんの感想、特にマリオンさんVS前田さん楽しみにしていますと。
ありがとうございます。
そのVSは?
前田さんはいないんですよね、これが。
そうですね。やっぱりこの番組の楽しみになるんですかね。
僕と前田さんのぶつかり合いみたいなのが。
そうなんだ。
でもぶつかったこと猿学長会ぐらいしかなかった気がするんですけどね。
そうですね。
印象が強いと横に流れていく。
すごくぶつかりますけどすごく建設的というか、めちゃくちゃいろいろ気づきもあるので毎回楽しいんですけどそこはね。
この映画は本当にうかつに自分の意見を言うと、ちょっと人格破綻者みたいに言われかねないというか。
どう語っても間違うと思うんですよ本当に。
どう語っても何かを間違うと思うんで。
本当むちゃくちゃ危ないですよこれは。
本当ですよ。
でもそんな。
じゃあ具体的な話入っていきましょうかね。
09:01
じゃあ具体的な話入っていこうかと思うんですけれども。
まず話の前に撮影の話ちょっとしたいなと思ったんですけど。
撮影素晴らしすぎないですか。
ちょっとなんて言うんですかね。
青がすごくいいなこの映画って思ったんです。
青色が。
朝焼けのまだ日が昇ってるか昇ってないかぐらいの時の青空っていうんですかね。
若干青い感じの光みたいなのがすごく印象的にこの映画見てて思って。
あと結構湖のシーンとか水辺のシーンとかも多いので、そういったモチーフって結構使われてるなっていうのも含めて。
すごく冷たいんだけどすごく奥にはすごく熱いものが湧き出るような熱い何かがあるみたいな。
そういった雰囲気の映画だなっていうふうにちょっと思って。
炎の色で考えても確か赤い炎より青い炎の方が温度って確か高いじゃないですか。
そういうイメージなんじゃないかなってちょっと個人的に思いましたね。
もうね、水の質感みたいなのがむちゃくちゃパキッと出てるんですよね。
冷たい水は冷たそうに、生ぬるそうな水は生ぬるそうにみたいなのが伝わってくる感じがあって。
この話の全体が持ってる質量というかぬめっとした空気感みたいなのがぬめっとしつつ美しい空気感がすごい出てて。
撮影だけでご飯何杯もいけるわぐらいの。
ちょっと飲み込むのが難しい映画ですけど、それを成り立たせる絵力があったなと思いましたね。
そうですね。撮影監督がポンジュノとかナホンジンとかと作品とか手掛けてる方なんですよね、確か。
確かに手掛けた作品のラインナップとか見たらパラサイトとかコクソンとかって名前が出てくると、
確かにすごい綺麗だったな、その映画をって思ったので。
今回もこれまでの怒りとか悪人とかの作品も綺麗な作品でしたけど、ちょっとネクストレベルじゃないですか、今作がみたいなって感じはしましたよね。
良かった。
雲とか月とか空とか、自然を映し出すのが非常に綺麗なっていうのは、そこが作品のその時の情景をしっかりと捉えてるなっていう感じがいいですね。
あとお便りもありましたけど、横浜流星さん、両役、本作の前半の目玉だと思うんですけど、
あの暴力性はすごかったですね。
12:00
これこそが男のメンヘラってこういうことなのかなみたいな風に見ながら思ってたんですけど。
ちょっとずれるとストーカーみたくなってしまう。
猿学長の時に女の人のかっこはメンヘラみたいなのは結構話しましたけど、やっぱ男でメンタリティがちょっと病んでると手を出せるっていうのがね。
手を出して勝てるっていうのが結構先立つのが恐ろしいなと思うんですよね、やっぱ。
そうですね、結構そういうDV描写も結構激しかったですもんね。
あの容赦の無さは良かったですね。
あとこの辺りはあの子は貴族とかもちょっと思い出したとこだったんですけど、田舎の家の圧力みたいなのがすごいあって、
彼を歪ませたのは多分あの家の影響も結構あるんだろうなとは思ったんですよね。
そのサラサが挨拶に行った時、暴力受けてるの分かってるけど別に言わないっていう。
で、別に暴力をゼとしてるわけではなく、まあ結婚したら落ち着くでしょうとか、子供できたらまあなんとかなるでしょうみたいな。
それを軸に考えてるから、今どう思ってるかとかを本当に甘く見てる感じ。
で、それをやっぱあの一家の子供は言うけど別にそこに助けはないんですよね。
残酷だなと思って言うだけっていう。
で、あの子は貴族は僕本当に比べながら見てたんですけど、人と話ししててあの子は貴族の批判ポイント。
僕あの映画大好きなんですけど、批判ポイントとして田舎を捨てれる人の話っていうのがあの子は貴族の批判ポイントとしてあって、
田舎にいる人たちはその田舎から出られない、そこで生きていくしかないからこそ視野も狭くなるしっていうのがあると。
で、あの子は貴族の三沢紀子は捨てられる胆力と能力がある人なんですよねやっぱり。
で、それがない人たちの話だなと思ったんですよね。
フビンもサラサもあれ多分あの、ロケ松本市でやってたので長野県の松本舞台っていうことでいいと思うんですけど、
あんな事件を起こした、あるいはそのあんな事件に巻き込まれた2人がそれぞれ地元を出て行ってないんですよね。
僕それすごい不思議だなと思いながら見てたんですけど、そのこの生まれた場所でちょっと忌まわしい場所を捨てることができない。
なぜならそうやって生きていく力がないっていう話だなと思うんですよ。
東京行って自活して自分の人生を一新したらこれまでの過去を捨てて生きていきますとかっていうことができない人、
過去の絵にしに頼らざるを得ない2人の話だなと思ったんですよね。
で、そのあの子は貴族が切り捨てた人たちの話だなとは思ったんですね。
15:04
だからあのサラサもその事件のことをいじられ続けるじゃないですか。
そうですね。
いやめちゃくちゃしんどいと思うんですけど。
それでもなぜそうやって生きていくかっていうと、事件のことをいじられることでサラサの立ち位置は作られるんですよね。
そうやって生きていくことができてしまう。
それってものすごいストレスフルなことだなとは思って。
なんかねその出ていけない、今ここにいる場所から出ていけないっていうその呼吸困難になりそうな閉塞感がずっとある話だなと思ったんですよ。
で、特に前半リョウと付き合ってる時のサラサの夜寝てる時に下呼吸というか呼吸困難というか呼吸がちゃんとできなくなるっていうその精神由来と思われる症状が出てるところ。
こんなに追い詰められてるのにじゃあこの生活を捨てたらいいのかって言ったらそもそも捨てる選択肢などないっていうのがね怖いんですよね本当に。
そうですね。確かになんか最初見ながらやっぱりサラサっていう人はすごく受け身というか何でも飲み込む人だなっていうふうには結構見えたんですよねやっぱり。
それなんでかって言ったら受け入れてもらうための処生術だなみたいなふうに僕は結構見えたので。
でなんかそれがその山口さんが言うようにそこに残らざるを得なかった人たちの話だっていうふうに捉えることでなんかそこがなんかすごく腑に落ちるなというか
ふうには今改めて思いました。でも最終的にその結局まあでも結末的には彼らはあの街を離れるのかなっていう感じのラストになっているっていうのがなんかちょっとこう希望をめいた感じにやっぱ最後見えるよねっていう。
それでいいのかはわからないけれどもまあ2人にとってはそれは良い方向だと思っているんだろうなっていう。また別のどこか川の流れる街に行けばいいさっていうことなのかなっていうふうにはなりますよね。
結構前編通して水のモチーフがずっと使われてたと思うんですね。で悲劇的なことがあれば大雨が降り過去に記憶を遡らせるときには川に行きで最も自分が安心できる瞬間を求めたら湖に行くんですよね。
でまあその心情と水っていうものが常に重ねられているなと思ったんですけど同時にその雨が降っても川が流れても海にたどり着けないっていうのがあるなと思ったんですね。あの湖に行っちゃうわけじゃないですか。
でまあその松本市の山梨県の山に囲まれた場所でどんなに流れてもどんなに雨が降ってもここからは出ていけないっていう感じが僕するなと思ったんですよね。
なんか海って見えたらここではないどこかっていうものを感じることができるんじゃないかなと思ったんですけど湖なんであの対岸見えちゃってるっていう。
どの景色も基本的に山に囲まれてるっていうのがあってなんかね狭いんですよ本当に常に狭い。救われる瞬間がないって思ったんですよね。
18:08
なんかこの本作のサラサが海を見てるシーンがあるだけでサラサの心情って全然違うものに見えたと思うんですけど海にはいけないっていうのはねなんかどういうコマでイットしてるかわかんないけどあるかなってちょっと思いましたね。
そうか。確かに松本市って長野県でしたっけ?
長野。長野県ですね。
長野県って海ないもんな。海ないですもんねそういえば。
そうなんだよなー。
やっぱ水って言うのやったら最初の方やっぱタイトル出る直前に濁流が流れるシーンとかなんかもう2人の行くせいをもうまんま暗示してる感じやったんやなとかっていうのと、
あと大人になって再会して、なかなかこうお互い喋りかけないじゃないですか。なんというかもう触れてはいけないというか風に思ってる。でもなんか触れ合いたいみたいな感じで。
でようやく2人が近づいてっていう風になった時にカフェオレ?ですよね。なんかコーヒーにミルクを入れるところでこうそこでお互いようやく混じり合うみたいな演出とかしててなんか凝ったことしてるなーっていう風に思いましたねそういえば。
あのね、喫茶店での距離感のあれで辛いなーって思いながら見てましたね。
そうですね。なんか気づいたけど話しかけていいものなのかみたいなって感じになって。でいざ話しかけようと思ったら海には彼女がいるっていうのがわかるシーンがあるじゃないですか。
なんかあそこでなんかもう私のこと見てないんだじゃなくて彼にはちゃんと彼の幸せがつかめたんだみたいなところで喜んでるっていうところがなんかすごくなんかいいなと思いましたね。
まあちょっとなんか家まで追いかけてるシーンはちょっと狂気ジームでちょっと怖かったですけど。
あのー、今回の谷さんは実は田辺美香子が結構今までの演じた役とは結構雰囲気が違ってたかなと思ったんですけど。
田辺さんで田辺さんの可愛らしさが結構あると思うんですけど、今回そういうのはあまり前面に押してないなよか。大人は女性っていう雰囲気が結構出たなーって個人的には感じてて。
結構あの夜のピクニックとか結構初期から見てたもんで。
なるほど。田辺さんもすごい複雑な役回りでしたねあれは。いやーそれは裏切られたと思うやろうなと。
まあそうなっちゃうかーっていうね。
そうですよね。
あそこもどかしいのが、文は文で彼女のことを守りたかったというか、彼女との歩む道っていうのを考えてたと思うんですけどっていうことは言ってたじゃないですか。
でも彼が抱えた秘密は最後まで言えないっていう。言ってしまったら壊れると思ってたから多分言わなかったんだろうなって思うんですけど。
彼女が彼の正体というか、実は女児誘拐犯でしたっていうのを知った後に、言ってくれたらよかったのにみたいな。
21:05
言ってくれなかったイコール信用してないみたいな捉え方をするじゃないですか、どうしても。
そこでお互いの思っているが故にずれてしまっているっていうところに僕はすごくやられてしまうというか、
そういう他者との関わり合いとか、理解できるかできないかみたいな問題に僕はどうしても敏感になるので、
ドライブマイカーの話とかそういったのでも話してると思うんですけど、
そういったものの僕に刺さるテーマみたいなのとかが結構この映画たくさんあったらという感じなので、
どんなにこの映画が危うくてもそこでどうしても突き刺さってしまう自分がいるっていうかなり複雑な思いっていう感じです。
倫理的な不確かさを描いているという意味では、これ以上フィクションでしかやれないことってそうないなと思って、
人を殺すとか別に全然倫理的な問いかけじゃないですよね。
ダメなことを前提で作ってるから。
ダメだけど面白いよね、ははーって言って作ってますけど、人がいっぱい死ぬ映画って。
この映画が描いていることって本当にフィクションのやる意義みたいな部分はあるかなとは思うんですよね。
だって現実にこれがあったとしてそれについて考えることもちょっとはばかられるというか、
思考実験的な意味ではこんな強烈な話そうそうないと思うんですよね本当に。
女児誘拐犯ということでロリコンのレッテルを貼られるわけですよね。
社会から。
犯罪行為というよりもロリコンというレッテルの方が社会としてはもてあそぐ材料としてはより強いというか、
おもちゃにしたいって感じだと思うんですよ。ロリコンっていう材料。
それは被害者の方も同様っていうのがまた嫌だなぁと思うんですよね。
女児誘拐の被害者にあった方も同様におもちゃにされるっていう。
そこがすごい嫌だなぁと思いつつ。
じゃあそのサラサとフミの関係が良かったんですか?
全くそんなことはいいんですよ。
児童誘拐であるとか、児童誘拐からつながる性暴力であるとか、あるいは殺人事件みたいなことって世の中にいっぱいあるわけですよ。
僕は一応人の親なので、そういう事件により強く反応してしまうとこがあって本当に恐ろしいことなんですよ。
この世で最も絶対悪に近いものだと思うんですね。
子供に対する暴力、性暴力とかって。
じゃあサラサが今の生活に苦しめられてたから、それを救う意味であれをやったっていうことが肯定されて良い要素があるかって言ったら、基本的にはないんですよ。
24:11
それはフミ本人も多分ちょっとわかってると思うんですね。
ラストの方のシーンでサラサがケチャップを口につけた時に、口紅のようになってる時に、ちょっとその唇についたケチャップを脱ぐ時に、性衝動を覚えてるんですよ。
そこそういう風に見えました。
どう捉えるか解釈の位置あるかもしれないですけど、僕はあれは性衝動だと捉えたんですけど、本作って本当にフミがロリコンなのかって結構ずっと隠されてたと思うんですよ。
途中でね、子供時代のサラサがフミロリコンってどうなの?みたいなことを話しかけるシーンがあるんですけど、そんなシーンなかっただろうって思って。
サラサ自身がフミをロリコンと決めつけてるじゃないですか、全体的に。
大人になったサラサが、私がもっと若かったらフミのしたいことをしてあげられるのになーとか言ってんの?なんて恐ろしいこと言ってるんだこいつは!と思って。
だから相手のこともちゃんと信じてないじゃんって思ったんですよね、あれ見てね。
フミが好きなのはあの頃の私であって、今ある大人の私はそれの残りがなんだなっていうのをちょっと自分で言っちゃってるじゃないですか。
で、それを分かった上でですよ、知り合いの子供を預けるわけですよ。
もちろん性的対象だから性行為を及ぶとか性暴力を行うとかって全然そんなことはないですよ。
もちろんね、同性愛者だからあいつと一緒にいたら狙われちゃうかなみたいなそういう思いがあったりとか、
それ言い出したらね、じゃあ男女いたら常にそこに性行為があるんですかって言ったらそんなわけないじゃないですか。
でもやっぱり大人と子供って間は絶対的に違うんですよ、そこは。
なぜならそこに関係が生じる時、絶対に大人と子供の関係は暴力だと僕は思うからなんですね。
子供に対しては大人は絶対に何がしかの言うことを聞かせないといけないからなんですよ。
そこに絶対に対等性はあり得ないと僕は思ってるんですね。
それをピュアな心のやりとりとして信頼関係が成り立っているように描いている幼少時のシーンは僕はむちゃくちゃ怖いなと思います、本当に。
そうなんですよね。やっぱり本当に肯定できないというか、やっぱりダメでしょっていうのはどうしても思うし、
本当に途中でかつて誘拐されたジョジと誘拐犯がまた寄りを戻してみたいな週刊誌の報道がされるじゃないですか。
あそこでまたジョジというかパートの同僚の娘さんでしたよね、確かね。
27:04
預かっているところの写真とか撮られてて、なんか当てがってるのかみたいな報道がされるって言ってましたけど、そうにしか見えんよっていうことなんですよ、本当に。
やっぱり社会的にもちょっとどうかと思うし倫理的にもどうかと思うし、なんならこうなんて言うんですかね、
生理的にそれを受け付けませんよみたいなぐらいの拒否感があってもおかしくないっていう、そう見られても全然しょうがないなっていうのは本当に思います、それは。
その大人と子供の関係が対等になり得ないっていうところ、大人と子供関係はもしそこに何か対等さを見出したとしても絶対に不均衡があるし、そこの関係が暴力的になるっていうのは本作のいろんなところで出てくるとは思うんですね。
それが大人と子供でないにしても自分がその両親がいなくなってもらっていった家の先の家族と自分みたいなもの、あるいはそのちゃんと立場のある彼氏と後ろ支えになるものが何もない自分っていうものの男女の関係っていうものもそこにあるのって絶対にやり返せない不均衡があると思うんですね。
ただそのもらわれてた家と自分との不均衡とか、後ろ盾がある彼氏と自分との不均衡とかっていうのは社会的にそこまでは咎められてないんですよね。むしろ飲み込んでるじゃないですか、実家の家族は。まあまあそういうもんかなみたいな。手出ることもあるし、しょうがないなちょっと。うちの兄ちゃんは気性が荒くてしょうがねえなみたいな感じだと思うんですよ、あの実家って。
でもそのパワーバランスの不均衡っていうものは絶対に暴力になると思うんですよね。それの中で大人と子どもの関係は周りが咎めるものとして描いてる。でもこの本作のいろんなところにその力の不均衡による暴力っていうものは至る所に描かれてるんですよね。
で、その自分たちは咎められない暴力の当事者である人間たちからの傲慢な差別というか圧力みたいなのが主人公二人にかかってくるわけですけど、じゃあ主人公たちは自分たちはこうするしかないって思ってることが正しいかと言われたらそうでもないっていうのね。こっちを立てればあちらが立たずみたいなのがこの映画、至る所に詰まってるんですよ。
そうですね。本当に思いますね。
見終わった感触として、どうしてもこれは避けられないと思うんですけど、やっぱりこの二人の関係性が美化されるというのは、しょうがないところはあるんですけど、だからこそこれ結構危ういなと思ったんですよね。
僕はこの映画に共鳴はしているけれど、やっぱり危ういなと思ったのはそこで。
いわゆる何も知らない第三者が浅ましいという描写があるじゃないですか。職場に落書きするとか。
30:07
ああいうの結構テンプレみたいな感じじゃないですか。フィクションで起きる。ああいうのとかも結構ちょっと、でもそれは思って当然じゃないって感じやっぱするし。
それをああいう形で浅ましいものとして描いちゃうのも結構無頓着というか、類型的というかっていうのはやっぱり引っかかるやろうし。
あとやっぱりちょっとこれちょっとどうなんかなって思ったのは、やっぱりフミの秘密の存在かなっていうのはちょっとあって。
あれでなんかこの関係性が正当化されていくというか、しょうがないじゃないかみたいな理由付けみたいに使っていいんかなみたいなふうな引っかかりは覚えます。
良かったんかなって。確かにあの日めちゃくちゃ心を震わされたんですけど、どうなんだろうと思う自分もやっぱりあそこでいて。
そうなんすよね。党人たちが同意してたらこの関係性は許されていいのかっていうのはね、本当に本当に重大な問題なんですよ。
幼少時のさらしさにどこまでその判断する力があったのかっていうところはやっぱり思ってしまうところっていうのと、
あとまあその同時に判断力があるなしでその本人の境遇っていうものは変えられなければならないのか、あるいは放置されなければならないのかっていうのも判断が難しいんですよ。
例えばその家庭内暴力で虐待を受けてて、でも子供は親が好きでこのままでいいっていうものを放置していいのかとかね、そこを外部がどうこうするってむっちゃくちゃ難しいと思うんですよね。
この映画のバランスが危ういなっていうのはやっぱり主役2人のちょっと自分たちの境遇に寄ってるって言ったら違うんですけど、
映画全体が2人の境遇に憐憫するかのように堅入れしてるムードがあることが結構危険だなと僕は思うんですね。
その分社会は雑めに描かれてるんですよ。社会が雑に描かれてることでやっぱ2人に堅入れして逃げてしまうってとこがあると思うんですけど、危険ですよこれは。むちゃくちゃ危険ですよ。
そうですね。本当におっしゃる通りというか、危ういと思ってても僕はそこに引き寄せられてしまってますからね、完全に。本当にどっぷりと。本当にね。本当に岩田ちゃんこれ冷静じゃなかったって感じなんですけど、
だから本当に山口さんがビシッと言ってくれて本当に本当にありがたいというか、本当に一旦冷静になれという感じがします、自分の中で。
僕は子供いるんでね、やっぱりね、そのあたりのブレーキ、昔よりめっちゃかかっちゃうんですよね。
33:07
いやでもそれは、むしろそれが正しいと思いますというか。そういう中でも今僕が刺さってる部分の話をちょっとしてみたいなと思うんですけど、
この映画を通じてやっぱりこの2時間半かけて2人のことを深く知ることになるわけじゃないですか。やっぱりその深く知ったからって、それが受け入れられるかどうかってまた別じゃないですか。
普通に考えたら、いやダメでしょってなるとか。社会話とか第三者とかみたいなふうに、いやダメでしょってなることは全然あるし。
でもその深くお互いをさらけ出して知ることができた上で、分かち合うことができたみたいな。2人の関係性がそれになると思うんですけど。
それの喜びとかもあると。何度も繰り返しな話にはなるかもしれませんけど、そこがやっぱり僕には刺さるというか。
誰かと関わり合う上で理解し合うことはできないという絶望も分かっているし、けど分かり合えたっていう希望にもすがりたいみたいな。
その両方相反する感情が僕の中で渦巻いていてみたいなとこにどうしても刺さってしまう。
たとえこの映画のとてつもなく危ういと。問題的にも結構どうなのこの描き方っていうのは気づいてはいてもそこにどうしても僕はどっぷりとのめり込んでしまうっていう。
そこは自分の中でも危ういなとは思いつつも、そこから自分は逃れられないんだなっていうのはずっと思ったんですけど。
そういう意味で僕はこの映画のことが曖昧にぼかす感じではなく、好きか嫌いかで言うんであれば好きになってしまうっていう感じです。
原宇さんどうですか?結構倫理的に淡い部分、わりと指摘しながら話してたんですけど。
だから正直俺、最初ああいう感想言った分何も言えなくなってどうしようと思いながら聞いてたんやけど。
でもやっぱエモい話ではあると思うんですよね、それは。
小さいときのさらさは嫌いには変えたくなかったわけじゃん。
ああならざるを得なかったわけでの救いの手ではあって。
でもそう。どんなに理由づけされてもやっぱり許容できないんだよなっていうところはどうしてもあるので、これがやっぱり難しい。
やっぱ許されてはないですよ、それはみたいな。
それはたぶんはっきりとそれは言ったほうがいい。
僕は結構どっぷりとこの二人の関係性というかに感情移入して、もう二人が良ければいいよみたいな風にはなりますけど、
ただそれは認められてないものではあるよっていうのは言っておく必要は絶対ある。
その時ちょっと言葉足らずやったのが、15年経っても結局周りは変わらんのかっていう息取りが結構かつてはあって、
36:04
そこが非常に苦しかったんだけども、社会の周りは。
周りは二人をもてあそぶってことですよね。
で、結局警察がそれに乗っかるっていうのが、うわーってなってるな。結局お前らも変わってないんやなっていう。
あそこの警察描写も雑だったなと思うんですよね。
そうですね。確かに雑やなと思いました。
ちょっと思ってたんですけど、不眠の秘密、どう言ったらいいのかな。男性期の発育不良って言ったらいいんですかね、あれは。
そうですね。たぶんそれで合ってると思います。
小さいというよりは、明らかに何らかの症状によってほぼないぐらいの大きさになってしまってるっていうのが不眠の非常に強い劣等感としてあって、
彼の行動をいろんなところで絞ってる部分だったと思うんですね、そこが。
で、ちょっと思ってたのが、あれって誰も知らなかったんですかね。
例えばその、少年院入ってた時に何らかの、例えば過去の通院歴からこういう風なものがあるんだってなったら、また違うと思うんですよね、彼の見え方って。
あ、そういうちょっと性的な能力に不自分な部分があるんだなとかってなったら、また全然違うと思うんですよ。
今だったらその判決が多少同情的になってもおかしくないとは思うんですよね、もしあの事実が明らかになってたとしたら。
で、例えばそういう少年院に入る受刑者って言っていいのかな、少年院に入る人、分かんないですけど、そういう過去の病歴とかも調べないんですかね。
そこが分かってたら、現代での警察の対応の仕方もまた全然違うものになると思うんですよ。
もっと言うなら、そういうのって簡単に漏れ広がって、マスコミがあのジョジを誘拐した男はペニスが同行してたみたいなね、また別のモテ遊び方をされてもおかしくないと思うんですよね。
そうなったら少なくとも、この話の軸になる不味がロリコンであるっていう件は微妙にずれて、そこに焦点が当たり切らなくなると思うんですよ、そうなったら。
そこはちょっと僕、よく分からないなと思って、それだけ徹底的に人に伝えないし、人に見せないようにしてたってことなのかなと思ったんですけど。
その辺は結局ね、あのお母さんがどこまで理解したのかなっていうのがあって、それのメタファーとして育てない木を捨てるっていうのが表してるのかなと思うんだけど。
確かにね、もしかしたら通院もさせないかもしれないですね、あの感じだったら。人に知られるのが恥と思ってるから、そもそも通院もさせてないし、もう家の中で、なんだろう、なんて言ってんのかな、種なしごみたいな感じで。
離れに閉じ込めてましたからね。
だからもう一家の恥であると。座敷牢ですからね、小屋は。一家の恥だから隠してるし、それがあるから母親に存在を全否定されたっていうトラウマもあって、もうその人に伝えることが全くできなくなってしまう。
39:09
だからあのことを人に知られるんだったら、まだロリコンと思われた方がマシであるっていうふうに判断してたってことですよね、あれは。そういうことかなと思ったんですけど。
そうなんですよね。彼の遺伝子的な難病だと思うんですけど、ああいうのっておそらく。が秘密として最後にドンって出ることで、結構今まで見てきた、僕の見てきた、これまで見てきた物語の内容が結構あれっていうふうにはちょっとなったというか。
ある種の、途中二人でサラサとフミが湖でボートに乗ってるシーンとかで、サラサが結構男女の関係になると毎回セックスが絡んでくると。そういうのにうんざりしてるみたいな描写があったじゃないですか。
そこでセックスというのが別になくても男女の関係っていうのは整理するよねとか、そういう価値観みたいなのをやるのかなと思ってたら、最後彼の体の秘密っていうのが明らかになることで、どう見ていいのこの話ってなっちゃうというか。
その後にかつての過去シーンでのケチャップ口についてる唇を見てるっていうインサートが挟まれることで余計に何だろうこれはみたいな。結局ちゃんと機能があればそういうことしてたんですかみたいなふうに見られてもしょうがなくないっていう。
そこで違和感はめちゃくちゃ感じたんですよ。でも同時に何というか、あの彼の発育不全みたいなところが何というか、昨今のその有害な男性性的なものに直結するようなメタファーみたいな感じで使われてるようにも見えて、そこに刺さりつつもその使い方グロくないっていう。
グロテスクじゃないですかその使い方はとはすごく思って、なんか本当にこれは良いのか悪いのかっていうのはそこで結構悩みました。悩んではいます本当に。
私の場合は面白い。あそこで、そのちょっと前か。唯一この作品で苦手なのが、フミが服を脱ぎるとこだけはお前そこはいるかっていうのは正直思って。あそこだけはちょっと俺合わんかったんやけど。
あそこもねちょっとね不安になりましたね。普通に僕はあそこセックスしようとしてると思いましたからね。
ちょっとあそこ正直どこまで見せんねんってちょっとえ?っていうのはなった俺正直。あそこだけはちょっと合わんかった。
結構ねやっぱもともとあやうい倫理観を描いてた映画ですけど、さらにあそこで2、3段階あやうさんのツイストがかかるんですよね。
そうなんですよね。
え?じゃあロリコンじゃなくてそういう身体的な病気だから、だからこれは良かったことになるんですか?みたいなことも考えてしまうし。
でもそれってマリオさんさっき言ってた能力があってたらしてたってことですか?とか。
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あるいはなんだろうなその性的な能力に自信がないから大人の女性に思考が向かなくって小さい女の子に向かってましたってなったらまたそれはそれで嫌なものに見えるぞみたいなね。
あそこでねこう見えたらこの話嫌な話だなーっていうパターンがね爆増するんですよ。
そうそうそうなんですよ。
なんかこっちを否定したらその性的思考をすごい差別的に扱ってるように見えるし、そうじゃないとしたら逆にその身体的な病気はこういうことにつながりますみたいな。
それもそれで飲み込むの難しいなーみたいな。何かが差別的に扱われてる話になっちゃうと思うんですよねあそこで。
そういう遺伝子的な宣伝的なものでそういうふうになってる人とかのことはなんか結構雑に扱うなーみたいな描き方になってるじゃんこれっていうふうには見えちゃうので。
やっぱその宣伝的な何かがそのいわゆる男性的でないことへのなんかこう劣等感とか引け目みたいなものになってるっていうそれをなんか今的なテーマみたいな感じで扱おうとしてるっていうのも危険やなーというかやっていいのかそれみたいなふうにはどうしても見える。
男性気と男性性を直結させて語るとまたそれはもはやそれは差別だろうみたいな話になってくるしみたいなね。めちゃくちゃ危ういですよあそこ本当に。
であそこに至るまでまあそのロリコンというかその小2世代は多少丁寧に描こうとしてたんですけど身体的な部分の話ってあそこってもう要はサプライズじゃないですか驚かすための展開ですよね基本的には。
えっあのこの病気はサプライズ要素なんですかみたいなそれは結構やばいなーっていう。
いや本当ね、危ういですよ。
まあなんだろうなそのそれら全部含めてこのいっぺんも正しさがない話だと思うんですよね。そもそもフミも始めその児童相談所とかに話を持っていけばよかったわけですよ。
そうですねまあそれはできるほど大人でもなかったしやっぱり小さい女の子を家に入れたいなっていう思いもあったんじゃないかなっていうふうに見える。
その小さい女の子が好きというよりは誰かと触れ合いたいっていう思いがあってそれために部屋に呼んだっていうふうにも見えるとは思うんですよ。
というかあると思うんですよねそれは。でもやっぱりそうはできなかった。よりベターな選択肢を取れなかったと思うし、
おじおばの家でその家の子に性的な暴力を受けてたっていうことを言えてたらまた違った話になってたし、
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フミが自分の身体的な病気の話を人に伝えられてたらまた違う形になってた話だと思うんですよ。
でもやっぱり2人は正しい選択を取れなかったっていうのがこの話のすごい大事な部分だと思うんですよね。
正しくない2人でどう見ても正しくないっていう物語を見てるこっちからしても正しくない2人、
真実を知ってる観客でさえ正しいと思えない2人がそれでも寄り添うっていうのをどう捉えるかっていうのがね、むずいなと思って。
でも問いかけとしては本当にすげー映画だと思いますよ。
喋ってスッキリしました。この映画ずっとモニョモニョしてたんで。
僕もめっちゃスッキリしましたね。やっぱり。
僕本当に見た直後2人に感情移入しすぎて心がヤバかったですからね。本当に見終わった直後は本当に。
ちょっとどっぷり入り込みすぎててちょっとまずかったので。
自分の中の評価としてはやっぱりそこに乗っかっちゃう自分が勝っちゃうけれども、やっぱりそこには絶対そこをないがしろにしてるわけではないので。
そうですね。この漢字ちょっと久しぶりだなと思って、竜と蕎麦菓子の姫の時を思い出しました。
原口さんが基本肯定で、僕とマリオンさんがうにゃうにゃ言いながら根っこの部分で好きな部分があるっていうのを言ってたのは竜と蕎麦菓子の姫回を思い出しましたね。
いやでも話してよかったんじゃないですか。というかこの映画は話さないとずっとお腹の中に溜まり続けてたと思います。
そうですね。いや本当に本当にちょっと話せてよかったです。
はい。じゃあそんな感じで終わっておきましょうかね。
はい。
では次回は覇権アニメでいきましょうか。
はい。覇権アニメ喋りたいです。
はい。覇権アニメでいきましょう。
はい。ではルロの月はこれで終わりたいと思います。
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はい。それでは映画の話したすぎるラジオ第65回ルロの月の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
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