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2020-11-13 42:30

旧第10回『ウルフウォーカー』と『羅小黒戦記』と負けていく側の物語~その他もののけ姫・ヒックとドラゴン・アナと雪の女王2について~

アニメーション映画「ウルフウォーカー」をメインに、「羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来」と併せて話をしました。

また、ウルフウォーカーについて話す流れで「もののけ姫」「ヒックとドラゴン」「アナと雪の女王2」について掘り下げて話しています。

注釈

収録中で、アイルランドをイングランドと言い間違えているところがあります。あと、狼をハンターを言い間違えているところがあります。なんでやねん。

過去エピソードはこちらから

利用しているPodcastサービスの都合で、10エピソードより前の回が公開されなくなります。過去エピソードはこちらからお聞きください。

http://virtualeigabar.com/category/podcast/

00:11
はい、始まりました。
ポッドキャスト、吉野映画坂場第10回ですね。
前回、屋外で収録してみるみたいな話をしてたんですけど、
やっぱりちょっと音の面で雑音多いなっていうのがあったんで、
改めて屋内の収録に変更して収録していきたいなと思ってます。
あと今回から結構高性能な収音マイクを使って収録してみてます。
実際今聞きながら撮ってるんですけど、
音いいっすねやっぱり。
なんか全然テンションが違うって感じがして、
やっぱいいものは使うべきですね。
はい、今回はですね、
最近見た映画、ウルフウォーカーの話をメインにしながら、
羅小黒戦記の話をできたらいいかなと思ってます。
あと、ウルフウォーカーの話をするにあたって、
いくつかアニメ映画を取り上げながら比較して話したいなと思うんですけど、
もののけ姫とイックとドラゴンとアナと雪の女王2ですね。
この辺り、ウルフウォーカーを見ながら、
すっごい思い出しながら見てた映画だったんで、
その辺りも含めて語っていきたいなと思ってます。
はい、まずウルフウォーカー、めっちゃ良かったっすね。
すごい良かった。
良かった部分いろいろあるんですけど、
その部分を語るにあたって、
そのさっき言ったアニメ映画との比較みたいな部分で語るのが丁度良さそうなんですよね。
まず、ウルフウォーカーアラスジー映画ドットコムから読ませていただきます。
眠ると魂が抜け出し狼になるというウルフウォーカーを題材に描いた、
中世アイルランドの町キルケニー、イングランドから狼退治のためにやってきたハンターを父に持つ少女ロビンは、
森の中で出会った少女メーヴと友達になるが、
メーヴは人間と狼が一つの体に共存したウルフウォーカーだった。
魔法の力で傷を癒すヒーラーでもあるメーヴと、ある約束を交わしたロビン。
それが計らずも父を窮地に落とし入れることになってしまうが、
それでもロビンは勇気を持って自らの信じる道を進もうとする。
はい、めちゃめちゃよくて、テーマ的にもすごい好きな感じでしたね。
で、題材的に言うと、ちょうどイングランドによるアイルランド進行のタイミングなんですね。
舞台が1650年なんですけども、世界史詳しくないんで、ちょっと色々調べながら見てみたんですけど、
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ちょうどそのタイミングはイングランドによるアイルランド進行のタイミングで、
劇中に護国卿、ロードプロテクターって呼ばれる人物が出てくるんですけど、
これが実際に実在したオリバー・クロムエルって、イングランドの政治家にして軍人の人物が明らかにモチーフになっている感じではあるんですね。
で、護国卿っていうのが言われるとイングランドのピューリタンですね。
代表して行動してた人物みたいなんですけども、
この人物が劇中に出てきて、アイルランドを今実質支配している状態になっている感じなんですね。
で、劇中に出てくる主人公ロビンとその父親っていうのが、アイルランドを開発するにあたって自然が邪魔だっていうことで、
もともといたアイルランドの住民を指揮して森を開発していってるんですね。
ただそこで森から狼が出てきて開発の邪魔になってると。
ロビンの父がイングランドからやってきたハンターで、狼狩りを任されているような感じなんですね。
で、ここの森の開発っていうテーマが物抜け姫に重なってくるわけなんですけど、
テーマ的にもすごい似てて、新世代の巨大な勢力と旧世代の小さな勢力、あるいは文明と自然の対立みたいなものが描かれているわけなんですね。
で、それがウルフウォーカーにおいては、もともとあったアイルランドの文化であるとか信仰。
で、アイルランドはもともとカトリックが信仰されている地域なんですけど、
もともとのカトリックというよりは、アイルランドに到着にあった自然信仰、ケルトンの自然信仰みたいなものと交わり合ったものになってるんですね。
それと、後からやってきたピューリタンによる文化的な信仰的な侵略ですね、っていうものが描かれていると。
それは文明による自然の侵略にも重ねられているわけなんですよね。
そのあたり、モノノケ姫においては、タタラバっていう地方の小勢力が、より大きな勢力によってだんだん蝕まれていく話であって、
またタタラバもその自然を開発して侵略していってるわけなんですよね。
で、時代的にもそれぞれちょうど被ってて、ちょっと離れてるっちゃ離れてるかな。
ウルフウォーカーが1650年が舞台で、モノノケ姫が室町時代前期だったかな、確か、僕は何かで見たタイミングだとそういう風に書いてたんですけど、
要は中世が終わって、地方に様々な勢力、あるいは自然の中に未知ですよね。
人知が及ばないような未知、恐怖の対象であり異形の念の対象となるような自然っていうものが、
だんだん中央集権的な勢力によって失われていく時代ですよね。
モノノケ姫においても、室町時代からだんだん全国時代が経て、中央集権的な力によって、
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それぞれ地方にいた豪族であるとか神侍みたいなものが、天下統一という名目の下、全てが飲み込まれていくと。
それは様々な地方に存在したマイノリティだったりとか、小さな地方にあった信仰とか文化っていうものも飲み込まれていくわけですよ。
それはウルフ王家においても、元々あったケルトの信仰であるとか文化であるとか、アイルランドの人たちっていうものが、
イングランドからやってきた中央集権的で巨大な力によって飲み込まれていく話でもあるわけですよね。
また文明と自然の対立みたいなものも描かれていく話なんですけど、
その間を取り持つのが自然と文明の間にあるようなキャラクターであるわけですよね。
ロビンっていうのが父親がハンターで、自分も狼狩りをしたいと思っている女の子なんですけども、
イングランドからやってきた人たちっていうのはほとんどが兵士なんですよね。
その中でカリウドっていうちょっと特別な役割を与えているのがロビンのお父さんなんですけども、
おそらくイングランドにおいても都市部の進歩的な暮らしをしてたというよりも、
少し田舎の方で自然に近い暮らしをしてた存在だったかなと思うんですよね。
だからちょっと実際、作中でも抑圧的な立場に置かれているのがロビンのお父さんなんですね。
国国境からテメー狼買ってこいみたいな感じで結構ガンガン命令されてて、
ただそうしないと立場が失われてしまうわけですよね。
地方でカリウドをやってて生活できてた時代が終わって、
全部がイングランドの支配下に生きていかないといけなくなっていると。
ただその中で自分がこれまで生業にしてきたカリウドっていうスキルであるとか、
生き方としての信念を繋ぐためにはイングランドにハンターとして報いなければ、
その立場さえ奪われてしまうっていうのでお父さんはどうしてもその言うことを聞かないといけないっていう立場に置かれていると。
ロビンはお父さんの娘としてハンターを狩りたいなと思って森へ出ていくわけなんですけど、
そこでウルフォーカーの女の子であるメイブと出会って交流していくわけですよね。
ここで元々イングランドからしてもマイナリティであったカリウドの立場であるロビンが、
完全に自然側の存在であるメイブと出会って文明側と自然側の橋渡しをするような役割になるわけですよね。
この辺りはやっぱりもののけ姫において足高が近い立場かなと思うんですけども、
足高はもう完全にそのマイノリティというか、いわゆる愛媛市の民で、
大和民族から北に追いやられて、これから滅んでいこうとしている民族なわけですよね。
この辺りは当然非差別的な立場でありつつ、滅んでいく存在っていう。
この辺り、ロビンのお父さん、ロビンの一家が置かれていたカリウドっていうイングランドにおいてのマイノリティっていうものと、
足高が当時の日本全体におけるマイノリティっていう部分でちょっと重なってるかなと思うんですよね。
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足高も愛媛市の一族でカリウドなわけですよ。
思いっきりその狩りを生業としている民族なので、
その辺りもやっぱり自然に近い立場の存在として狩りを生業にしているっていうのは、
ロビンの一家と足高に共通する部分かなと思うんですけども。
で、足高もロビンも文明と自然の橋渡しをして、
それぞれの戦いを終わらせるような立場として動いていくっていう感じになるわけですね。
ただロビンは完全に自然、だんだん自然の側に堅入れしていくので、
ちょっとそのもののき姫みたいに自然と文明を両立させていくような話とはちょっと違うものにはなるんですけど、
ただ結局ウルフウォーカーが立場として持ってたその自然の側、
単に自然じゃなくって本当に人知が合わない未知、
ある種その神的な要素さえ持っていた時代の森っていうものは奪われていくわけなんですね。
それはもののき姫においても獅子神の森って呼ばれた太古の森の姿、
人間の手が及ばない恐るべき存在しての自然っていうものがだんだん最終的にもののき姫においては里山になって、
人間の手の内に収まってしまうような自然のものにされていくって話でもやっぱり被ってる部分はあるわけですよね。
ウルフウォーカーももののき姫も最終的に自然の側も頑張って生ききっていこうとはするんですけど、
ウルフウォーカーは結局その人間の開発の手から逃れて逃げていく話になるわけなんですよね。
で、もののき姫においてはもう原生林っていうのはなくなって全ては里山になってしまうと。
自然は生きながらえることはできたけれども、本来の人間よりもある種上位にあった自然っていうものはなくなってしまって、
人間の手に収まってしまう自然になってしまうと。
ただそれでも生きながられていくっていう部分でちょっと共通している部分はあるかなと思うんですよね。
そうなんですよ。ウルフウォーカーももののき姫も負けていく立場がそれでも生きながられようとする話なんですよね。
この辺りすごい好きなテーマで、もしこれで現実のおいては当然日本にあった自然も全て開発されるし、
日本の中世紀に日本各地にあった小勢力であるとか、少数民族っていうものはだんだん中央の集権的な勢力によって全て飲み込まれていくわけですよね。
で、ウルフウォーカーにおいてもイングランドの勢力はどんどん様々な地方を飲み込んでいくわけですよ。
で、そこにあるのは本当に実際に負けていった人たちがいたっていう歴史なわけなので、
もしそこで嘘をついてウルフウォーカー側が五穀教をやっつけて、
あ、実際物語の中では五穀教はやっつけちゃうんですよね。
で、ここはフィクションが持ってる嘘なわけですよ。
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で、実際のオリバー・ロメールは信仰以降も生きてたわけなので、
ここにちょっとその歴史に対するひねりはあるんだけど、やっぱり自然の側は負けていっているわけですよ。
じゃあここで勝つ話になってたらよかったのかって言われると、やっぱちょっとそれも違うなぁとは思ってて、
それは疑問的になってしまうと思うんですよ。
実際に侵略されていた立場の人たちはいたわけだから、それに対してやったぜ、やり返してやったぜ、気持ちいいぜっていうのもあるんですけど、
それ以上にこの話は、負けていく立場は一瞬やり返せたとしても、それはそれで負けていくというふうに描いているわけですよね。
ウルフウォーカーももののけ姫も。
やっぱそれはすごい誠実なことだなと思ってて、
それよりも負けていく立場の人も、だんだん気良くとしてもそれでも生きようとしたっていう姿を見ることの方が、
物語の価値だし、物語の役割なのかなと思うんですよね。
だからもののけ姫においては、たたら場の人たちも、あの後もうたたら場はすべて崩壊してしまって、
地方の自立した勢力としては生きていけなくなるわけですよね。
あの後もしかしたら頑張るかもしれないけれども、戦国時代がやってきたら、
おそらくもっと大きい勢力の中の名もなき人々として生きていくしかなくなるのかなとは思うんですよね。
で、まあもちろんそいつ開発されていった自然も単なる里山として、
こだまはギリギリ生き残ったけれども、
山犬だったものは単なる犬になってしまうし、
イノシシだったものは豚になってしまうと。
ただそれでも彼は生きようとしたんだっていうことを見るっていうのはすごい大事なことなんじゃないかなって思うんですよ。
フルフォーカーにおいても結局5国境はやっつけたけれども、
イングランドの侵攻は終わらずに森はどんどん開発されていくと。
で、ちょうどこの時期くらいに現実のイングランドにおいての狼っていうものもいなくなってしまうんですよね。
で、もともとそのキリスト教的な文化ってずっと狼を殺していった文化みたいな側面もあるわけなんですよね。
で、この辺りはフルフォーカーのパンフレットに書いてたんですけど、
キリスト教以前の自然っていうものは本当にどうしようもなく手がつかなくて恐ろしいものであったと。
それを開発していったのがキリスト教がどんどん広まっていくことであるし、
ヨーロッパにおける自然の最も恐ろしいものの表層の一つが狼だったわけですよ。
それが本当にケルトンの文化においては狼は恐るべき自然の象徴であって、神、信仰の対象であったわけですよね。
それが狼なんて怖くないっていう名目の下、狼を殺していって、狼を殺すっていうことは自然を自分たちのものにしていくってことですよね。
それを繰り返していくのがキリスト教的なものが広まっていく過程、中世が終わっていく過程ですよね。
だったわけなんですけれども、ただそれでも負けていくとしても生きようとした人々が出た。
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ウルフォーカーたちもおそらくあの後森の中では生きていけないのだろうけれども、それでも生きようとしたわけですよね。
あのままイングランドの侵攻に負けて殺されるよりは、逃げながらでも少しずつ消える立場だとしても生きようとしたっていう、その姿を見ることがすごい価値のあることだなって思ったわけなんですよね。
ちゃんと負けていく側が負けていくものとして、そこに彼らは生きていたですよね。
負けていったとしても彼らは生きていたっていうことを描いている。このテーマすごい好きですね。
ここは最近の映画で言うと、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドとかもそういうテーマだったと思うんですよね。
あの映画っていうのは、現実ではマンソン・ファミリーに斬殺されて、僕たちの世代には単なる悲劇の存在としてしか残ってなかったシャロンテイトを、一人の生きていた女性として蘇らせる名誉回復みたいな側面があったかなと思うんですね、あの映画。
そこがすごいあの映画の良かったところだと思うんですけど、負けていった人たちも生きていたと。そこを取り戻すような物語ってすごい価値のあることだなと思いますね。
この辺りはですね、ロシャ・オヘイ戦記なんかもモロにテーマ的にも被ってくるかもしれないですね。
ロシャ・オヘイ戦記は結構文明側をポジティブに描いている話で、人間に追いやられた妖精たちと人間と共存している妖精たちが、
まあそれぞれの意見をぶつかわせる話なわけですよね。で、最終的に人間と共存している妖精たちが勝つ話になってて、
それはウルフウォーカーであるとか、モノノケ姫の後もいい感じに人間の社会の中で自然は生きていったっていうふうな描き方ですごいポジティブなんですよね、ロシャ・オヘイ戦記は。
まあそれはそれですごい気持ちいいんですよ。僕たち人間が悪としては描かれてないから、そこにはあのね、のど越しの良さはあるわけですね。
で、ウルフウォーカーとかモノノケ姫はやっぱりね、のど越しは悪いわけですよ。やっぱり人間は基本的には悪というか、まあ暴力的な存在で、
いやえっと、ちょっと違うな。要は人間は勝つ側の存在で、自然は負ける側の存在で、マジョリティが勝つ側の存在で、マイノリティが負ける側の存在として描かれているのがウルフウォーカーであるモノノケ姫ですよね。
で、そこに対して負ける側が勝ってる側に言語していることをポジティブになってくれたらいいよねっていうのがまあロシャ・オヘイ戦記なわけですよね。
ちょっとずるくもあるんですよね、その辺り。特に今実際に中国がやってることとかを考えると、そのマイノリティをどんどん同化していくみたいなのを中国が今現在進行形でやってることで、そこを言語しちゃえばいいじゃんみたいに描いてしまうのはちょっとずるいなと思いつつ、
ただその現状の中国の体制下で少なくともその妖精が人間側に飲み込まれていくことを良しとしていないっていうことを描いているっていうのもある意味ギリギリ欠ける範囲なのかなって気もしますね。
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もしこれで自然の側を完全に肯定的に描いちゃって、人間に言語をしている妖精側が悪だみたいな感じで描いてたら、もしかしたらOK通らなかった可能性ありますよね。
だからギリギリロシア保衛選挙における風刺ら、人間に反発している妖精たちっていうのは、現実においては同化させられていくマイノリティによるテロルなわけです、あれは。
だから風刺たちはテロリストなわけですよね、体制に対する。これを今の中国で描いているっていうのは、結構ギリなとこ攻めてるって気がしないでもないと。
結局人間側がゼとして描かれているから、そこまで悪の強いテーマにはなってないですよね。
この辺りはですね、平成狸合戦ポンポコとかにも重なりますよね。
ポンポコも完全に狸たちが人間に迎合して生きていくっていう手段を選んでた話でしたからね。
次ちょっとヒックとドラゴンの共通点みたいな部分をお話ししたいかなと思うんですけど、ウルフウォーカーのハクビのシーンですよね。
これがね、中盤で、今更ですけどめっちゃネタバレしますからねこのトーク。
ロビンがメイブに噛まれると、で、ウルフウォーカーに噛まれると人間はウルフウォーカーになってしまうっていう話になるんですよね。
ここで狼の状態になってしまったロビンっていうものが森に行って、メイブと夜の森の中を駆け回るってシーンがあるんですけど、ここが素晴らしいんですよ。
今までロビンっていうものは元々イングランドっていう立場の中では森に近い側の存在として描かれてて、本質的には森の側の存在なわけですよね、あのロビンっていうのは。
で、それに気づくシーンなんですよ。
自分は狼になって森を駆け回ることがこんなに嬉しいんだっていうことを実感するシーンとして描かれて、
また映像的にもね、CGをガンガン使って立体的に主観で森の中を走り回る喜びみたいなのが描かれてるシーンって、すっごい素敵なんですよ。
あと、あのすげえなと思ったのが、狼になることで嗅覚であるとか聴覚であるとか、あの触覚っていうものがすごい敏感になると。
で、地面を触れてることで地面の振動が伝わるであるとか、遠くの方から別の動物の匂いがしてくるであるとか、森中から様々な動物たちの音が聞こえてくるみたいなものが視覚的に描かれてるんですよね。
だって人間っていうものは嗅覚であるとか聴覚であるとか触覚っていうのはそれぞれそこまで優れていないわけですよね。
やっぱり人間はどの感覚が優れているかっていうと、視覚が優れた生き物だなと思うんですよね。
特に人間の視覚っていうのは様々な色彩とかが見れる部分が優れている部分で、そこにやっぱりたくさんの情報量を視覚的に読み込めるっていうのが人間かと思うんですけど、
そのあたり、人間は嗅覚であるとか聴覚であるとか触覚が優れていないって部分を人間が優れている視覚に全部集約していくみたいな描かれ方が必要なんですよね。
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匂いが見える形になって流れてくる、音が見える形になっている、振動が見える形になって伝わってくるみたいなのがね、すごいリズミカルというか鮮やかに描かれててすごい素敵なんですよね。
その新しい感覚に目覚める喜びみたいなのがね、すごい映像化がバンバン伝わってくるんですよ。
このあたりはヒックとドラゴンにおける飛行シーンですね、の喜びに近いものがあるかなと思うんですけど、
ヒックとドラゴンも1においてはずっとそのワイキングたちとドラゴンが殺し合いをしてると、ずっと殺し合いをしててお互いを完全に対立している中で、
その主人公のヒックとテュースっていうドラゴンが出会って、触れ合ってだんだん融和していくみたいな話なわけですよね。
このあたりもやっぱりウルフウォーカーにも近く、根っこでは自然の側の部分もあるけれども文明側にいたロビンと完全に自然側のメイブっていうものが出会って、
心を変え合わせていくと。で、心を変え合わせていったあってに、ロビンが自然の側に入っていく喜びみたいに気付くってことが、その夜の森の失踪するシーンに象徴されてるわけですけど、
ヒックとドラゴンにおいては、そのヒックがずっと対立してたと思ってたドラゴンと融和していくことによって、この世界が広がると。
この世界はもっと広くて、もっと高くて、喜びに満ちているということを知っていくっていうものが、ヒックとドラゴンの飛行シーンには込められていると思うんですよね。
ヒックとドラゴンの飛行シーンって僕、あらゆる映画で一番気持ちよかった飛行シーンなんですよね。
やっぱりそこには単に視覚的に、視覚的にもすごいんですよ、本当にヒックとドラゴンの飛行シーンって。
空を飛ぶって気持ちいいっていう喜びに満ちてるんですけど、それはやっぱり新しい世界に触れる喜びなわけですよね、それは。
それは単にその空を飛ぶって気持ちいいんだって気づくことだけじゃなくて、ドラゴンっていう自分が知らなかったものと触れ合っていくことが気持ちいいっていうドラマ的な開放感とも合致してるから、やっぱりそこまで気持ちいいものだと思うんですよ。
それはウルフウォーカーにおける自然の側、冥府の側、ウルフウォーカーの側にロビンが出会って理解し合っていくことの喜びにも重ねられてるわけですよね。
ヒックとドラゴンはやっぱり元々同書なんで、テーマ的にはモノオケ姫とか、アナと雪の女王2とかに比べるとちょっとシンプルでおさまめな話ではあるんですけど、
対立し合ってたものの理解し合うことの喜びみたいなのが描かれてて、すごい気持ちのいい映画でしたよね。
で、ちょっと今回一番語りたい部分がアナと雪の女王2なんですけど、僕正直アナと雪の女王2そんなに好きな映画じゃなかったんですよね、ウルフウォーカーを見るまでは。
で、なんでかっていうと、僕アナ雪ワンめっちゃ好きなんですよ。
エルサがずっと抑圧されてて特殊な能力を持ってると。
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アナ雪ワンにおいては、エルサっていうのはすごい特殊な力を持ってしまっているがために、社会の中ではそれを出してはいけない存在として扱われてたわけですよね。
で、そのエルサが自分を解放して、仲間焼け草になって山の中に城を作ると。
このシーンが本当に美しくて、やっぱり抑圧された存在が焼けっぱしになるとはいえども、自己解放するっていう喜びがすごいあった話だったなと思って。
で、その後エルサはずっと自分を受け入れてくれなかった社会に認められていくわけですよね、その力を使うことで。
それはスケートリンクを作ったりであるとか、妹の誕生パーティーでみんなに喜んでもらうとか、公に報いることで自分を認められる。
マイノリティがこの力を使って世の中に認められるとっていうことを描いてたのがアナ雪ワンだったなと思って。
はじめ焼けっぱちになったけど、やっぱり人に認められるのって嬉しいよねっていう話だったなと思うんですよね。
やっぱそれはすごい嬉しいことだなと思うんですよ。僕もすごい承認力強い人間だし、誰かに認められたいっていう思い強い人間だから、
わかるわかるってやっぱ認めてほしいよねって思ったんですよ。
ただ結構、アナ雪ワンのそういう部分をちょっとうまく、アナ雪ワンのそういう部分を反発を覚えてしまうみたいな人もいらっしゃったみたいで、
要は人の役に立つからいいのかみたいな話になってくるわけですよね。
結局人に報いなくてもいいじゃんっていう話まで届いてないわけですアナ雪ワンは。
結局エルサはマイノリティなわけですよ。特殊な能力をしてしまった存在が。
それが人の役に立つから認められるっていうのがワンだったわけですけど、
いやいや認められなくてもいいじゃんっていうところまで至ってようやくエルサっていうキャラクターが完成したみたいな。
ようやくエルサってキャラクターが救われたみたいなことをおっしゃる方もいて、それすごいわかるなと思ったんですよ。
ただですね、アナ雪2初め見た時すごい抵抗を感じてて、エルサって理科系のスキルを持った女の人みたいなのを見えたわみたいな感じで見てたんですよ。
アナ雪ワンにおいてお城作るじゃないですか。あれってエンジニアであるとか、建築家みたいなスキルを持った女性みたいな感じに見えたんですね。
あとスケートリンクを作ったりであるとか、ちょっとその科学のスキルを持った女性みたいな感じで見てたんですよ僕は。
で、例えばちょっとうがった見方をすれば、すごいその理科系の勉強ができて、将来エンジニアルであるとか科学者になれそうな女の子が思春期になって、
もう女なんだからそんな勉強しねえで花嫁修行みたいなことしろみたいな感じで親に言われるとみたいな話に見えたんですよ。
だから実際レッドイットゴーの歌詞の中でも言語版の方だと完璧な少女はもういないという歌詞が出てくるわけですよね。
あれっていうのはエルサが特殊な魔力を持って生まれて城の中に閉じ込められていたっていうのが、それは良き女の子であれって言われていたっていうことの言い換えみたいな部分だったってことですよね。
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だって魔力を使うっていうこととパーフェクトガールっていうことは少しずれてるなと思うんですよ。
つまりその魔力っていうものは本来女の子が持っていて欲しくなかった、親から見てですよ。
親から見て女の子が持っていて欲しくなかった特性を持っている女の子が生まれてしまったから、もう女の子らしくしてろよって言われてきたってことのメタファーですよっていうのがあの歌詞の中で歌われてるなって思ってたんですよ。
だから僕は穴行きワンのラスト好きなんですよ。
理系のスキルを持った女の子がそのスキルを生かして世の中に受け入れられた着地っていうふうに見たんで、それがすごい気持ちよかったのに、穴行き2においては要はエルサっていうものは魔力っていうのは太古の自然由来の魔力みたいなものだったっていうことがわかっていくことで、だんだんエルサがそっちにマインドを引っ張られていく話なわけですよ。
それがすごい嫌で、あんなに理系で頑張ってたエルサが結局スピリチュアルの方行っちゃうのかみたいなので、しかもなんか水の記憶みたいな話になって、ザ・オカルトじゃないですか、水の記憶みたいなカルト宗教の典型みたいな話になって、せっかく理系で頑張ってたエルサをスピリチュアルな方向に持っていくなよみたいなふうに見ちゃったんですよね。
ただですね、ここを結構ウルフウォーカーを見て受け入れられたわけなんですよね。結局ウルフウォーカーにおいては元々現象の自然に由来してたものっていうものを取り戻していいんだよって話になるわけですよ。
で、ロビンは実際イングランドの川に染まっていってたわけですよね。で、狼を狩るってことでイングランドの川に認められることができるわけですよ。狩りっていうスキルを持った状態でイングランドの中でロビンの一家が生きていくためには狼を狩るしかないわけですよね。
スキルを生かしてより大きな体制側の価値観に迎合していくみたいなことになるかと思うんですけど、ではなくてそれよりもっともっと思ってた自然の側のマインドであるとか信仰みたいな部分の方に最終的に完全に振り切っていく話なわけですよね。ウルフウォーカーっていうのは。
あ、そっか、とりあえず目先の満足とかじゃなくって、もっともっと自分が根っこに持ってたものにもう一回自分を預け直していいんだみたいなものに思って、だからそこでねすごい穴行き2のことを受けられたんですよ。
あれもう周りがすでに出来上がっていく価値観で、それに乗っ取っていけば上手く生きられるけども、そうじゃなくてもっともっと根本的に自分が持ってたものに立ち返ったら、元自分がいた社会であるとか体制っていうのははみ出しちゃうかもしれないけど、それでいいよねっていう風な話として受け入れられたんですよね、あの行き2を。
ウルフウォーカーはもう文明の側というか社会の側とか元々いた体制っていうものからロビンとそのお父さんがはみ出して終わる話なので、はみ出していいじゃんみたいな、だから承認されなくていいじゃんみたいなのだなと思って、すごい救いだなと思ったんですよ、そこは。
30:13
僕自身もさっき言ったんですけど承認欲求強い人間なんですけど、いやいや承認されなくていいじゃん、今いる場所で受け入れられるためにそれに迎合しなくていいじゃんみたいな気持ち良さがあるなと思って、そこがいいなっていうのと、あとそれは個人としての感性みたいな話の切り口で言ったんですけど、信仰であるとか歴史的な部分から言うと、元々あったケルトの信仰みたいなものがピーリタンによって進捗されていくわけですけども、
いやいいじゃん、元々の自然信仰を持ってていいじゃん、ピーリタンがどんどん制圧していってるけれども、別にそこに迎合せずに元々持ってた俺たちの信仰を貫いていいじゃんみたいな話だなって思って、アネキツーもあるんですよね。
だからアネキツーって元々ノルウェーを持ちに君にした部隊ですよね、アレンデールっていうのがあって、アネキツーっていうのはアレンデールの地域に元々いた先住民族を後から来た民族が制圧してしまって文化的な上書きをしちゃったみたいなのがわかっちゃうみたいな話だったわけですよ。
結構ウルフウォーカーにも被るんですよね、そこ。そこで現実にノルウェーであるとか北欧地域にいたサーミ族っていう先住民族がアネキツーに出てくる先住民族の完全にモチーフ質として描かれてるんですけど、後からやってきたキリスト教的な信仰家の文化なわけですよね、そのアレンデールっていうのは。
で、アレンデールっていうのも否定していいじゃんみたいな話になるんですよ。で、元々持ってた先住民族のカルチャーみたいなものを取り戻そうぜみたいな話になっていって、西洋キリスト教圏の文化的信仰的な侵食から逃れて、元々あった自然信仰みたいなものをもう一度見直そうみたいな話にも見えて、社会的なテーマとしてもすごいいいなと思ったんですよね。
ちょっとアンチ西洋文化みたいな部分でもちょっと共通してるなぁと思って、そのあたりもすごい好きだったんですよね。
そのあたりのテーマ的な読み込みしていくと、本当に結構エグいところを描いてる二作なんでね、ウルフウォーカーもアネキツーも。そのあたり比較するとまたね、ロシア語編成期、ちょっとぬるく見えちゃう部分もありますよね。
あとウルフウォーカーだと好きなのが、お父さんがだんだん娘が自然の側に行くのに対して、いやもう行くんじゃない行くんじゃないって、語学系の言うことを聞いておけ、体制の内側にいろって、言語をしろっていうことを言ってくるわけなんですよ。
で、ロビンはどんどん自然の側に寄っていって、自分の本来持ってた信念というか、自分のオリジンですよね。自分が何者であるかみたいなことにだんだん気づいていって、恐れなくなっていくわけなんですよ。歯向かうことに、体制に歯向かうことに、恐れなくなっていくんですけど、お父さんはやっぱりずっと怖いんですよね。それに対して怖いんだっていうのがすごい刺さって、さっきアネキツーの時も言ったんですけど、女の子が抑圧される話なわけですね。
33:10
ウルフォーカーの話の中でも、狩りになっていかずに、自助として働かされるわけなんですよね、そのロビンが。で、それにすごい憔悴してしまうんですよ、ロビンが。ずーっと窓拭いてるとか、ずーっと掃除してるとかっていうので、憔悴していって、本当はこんなことやりたくないのにっていうので、どんどん憔悴しちゃうんですけど、それでもお父さんは、もうそれがお前のためだから、女の子をそうやるのが正しいことだからって、どんどん押し付けていくんですけど、ロビンはどんどんそれに歯向かっていくわけですよ。
お父さんもやっぱり怖かったわけなんですよね。自分がイングランドの社会においてはマイノリティであるっていうことで、そこではみ出してしまうと、自分の立場がなくなってしまうし、ロビンも生きていけなくなってしまうと、それが怖くって、母国を抜くことを飲み込んでいたって形なんですけど、それに対してお父さんもまた歯向かうことを覚えて、お父さんもまたウルフォーカーになるわけなんですよね。
さっきまでは女の子の自立みたいな話だったけれども、抑圧的な社会においても、男も抑圧されてるし、男もそこから抜け出していいんだみたいなのが描かれてるのもね、すごい好きだなぁと思ったんですよね、ウルフォーカーは。あそこめっちゃ良かったな、ほんとに。そんな感じっすね。
あと他のアニメのことを思い出したと、とか別にウルフォーカーがすごい良かった部分としては、自然の側の存在の作画がちょっとラフなんですよね。輪郭線がちょっとラフであったりとか、あとアニメの最終的な作画をする前のデッサンの当たりの線みたいなの、鉛筆で描いた当たり線みたいなのが残されてるんですよね。
あと、塗りもシンプルじゃない感じなのかな。逆に文明側の存在は完全に輪郭線がパキッとしてて、塗りもベタっとしてる感じなんですよ。すごい明確に線引きされたものが文明側の存在の作画なんですけど、自然の側はラフであって、当たりの線が描かれてるという区分けがされてて、ロビンがだんだん自然の側に堅入りしていくにあたって、線がラフになって当たりの線もだんだん描かれていくようになっていくんですよね。
文明側が自他の境目がすごい明確なものとして描かれるんですけど、自然の側は世界と自分の境界線というものは明確でないというみたいな描かれ方にも見えるし、デッサンの当たり線みたいなのが残されているっていうのが、要はアニメーションを作る工程における革紙により近い存在、要は命の根源に近いみたいなものに見えるんですよね。自然の存在が、その作画をされていることによって。
これって本当にアニメーションの根本だと思うんですよ。命なきものに命を与えるのがアニメーションであって、命なきものが命を与えるという役割に近いのが自然の存在のキャラクターたち。ウルフウォーカーであり、狼であり、鹿であり、森であり、あらゆる自然の森の中の命が命の根源に近いという。
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で、文明というものはだんだん命の根源から離れていってしまうものなんだよみたいなのがね、その作画的に現れされてて、この辺りのアニメーションを作るにあたっての信念みたいなものがね、すごい濃いんですよね。その辺りめっちゃ好きだなと思って。いいっすよね。
なんか、ここまで思想性が濃い、アニメとは命を与えることであるみたいな思想が濃いアニメ、ちょっと久しぶりかな。いや、そうでもないな。ロングウェイノースってアニメっすね。これフランスとロシアとどこの合作だったかな。アニメだったんですけど、これも女の子主人公で、北極の方で行く不明になった探検家のおじいさんを女の子が探しに行くって話なんですけど、ロングウェイノースもね、めちゃめちゃ素晴らしいアニメで、境界線がそもそもないんですよね。
塗りしかないんですよ。線がなくって。で、これは完全に一枚目が動いてるみたいな、美術の一枚絵が動いてるみたいなアニメと描かれてて、これが世界と主人公、キャラクターっていうものに区別がないってことなんですよね。
世界が等価であると、私と世界は等価であると、あなたと私も等価であるとっていうのがね、作画的なメッセージとして込められてるんですよね。なんかね、スケールがでかいんですよね、本当に。ロングウェイノースのね、めっちゃ好きなアニメで、海外の方がそういうアニメーションとはみたいな、命を与えることとは命を描くこととはみたいなね、テーマ性が濃い話を、あのアニメを作るので、やっぱその辺りちょっと日本のアニメ見慣れてると、おってなりましたね。
日本のアニメの中から生まれてきた文脈を濃厚にしていったものからさらに生まれたアニメみたいな感じとは外れたところで作られてるんで、なんか本当に新しいものを見たっていう喜びがありますよね。
あとね、もうね、ウルフウォーカーね、めっちゃいいユリ映画なんですよ。あのね、もうあのー、ロビンとメイムがね、イチャイチャするんですよ、二人。これがね、もうほんと見てて多幸感に満ち溢れてって、一生見ててって感じになるんですよ。
で、狼になったメイムとロビンが森の中を駆け回るのとか、もうね、幸せだーって思い描いてて、あー、めっちゃ良かったっすね。
ちょっとまあ、ウルフウォーカーと比較してみたいな感じでね、さっきまでロシアオフ衛戦機に関しては語っちゃったんですけど、日本のアニメーションの文脈、バトルシーンとかの見せ方に関しては、本当ロシアオフ衛戦機はもう圧倒的で、本当にちょっと信じ難いスピードとカメラワークでアニメーションが来るんですけど、何をやろうとしてるかっていうのを見失わないんですよね、見てる側が。これが本当にすごいなと思って。
もともとロシアオフ衛戦機、去年公開された字幕版があって、で、今年に入ってから多く、塚口さん3月にまで字幕版を見たんですけど、本当すごいなと思いつつ、ただね、字幕に視界を取られちゃうんですよね、やっぱり字幕版って。で、ロシアオフ衛戦機のアニメーションの、特にバトルシーンのアニメーションはスピード感もカメラワークもヤバすぎて、字幕に目を取られてる場合じゃねーってなるんですよね。
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今回、吹き替えでようやく画面に完全に集中した中で見たら、字幕で見た時よりはるかにすごいなというか、その凄さがようやく分かったって感じがありましたね。字幕の時は正直処理しきれてなかった、あの凄さを。凄いっすね、本当にロシアオフ衛戦機は。
あとまぁテーマ的にも文明と自然の対立というはみたいな部分を飲み込みやすいレベルに落とし込んだ物語としてはいいなとはやっぱ思いますね。個人的な好みとしてはやっぱルフウォーカーみたいな完全に負けていく側に肩入りする話の方が好きなので、あれなんですけど、エンタメとして広く見られるものとして描ける描き方としてはすごいバランスがいい話でもありますしね。
あとね、もうロシアオフ衛戦機に関しては、とにかく主人公シャウヘイの師匠にあたるムゲンさんっすね。このキャラが本当に素晴らしいんですよ。おそらく何百年が生きている仙人みたいな人間なんですけど、とにかく強いって、若作りのジジイなんですよね。でもジジイだけどスマホ使える。でも水で濡らしちゃってスマホ壊しちゃうみたいなね、同時って。
あと料理が下手とかね、萌えの要素が多いんですよね本当に。三拍眼とか。ちょっとね、やばいっすよ。僕が今まで人生で見たあらゆる萌えキャラの中で一番萌えの情報量が多いっすね、ムゲンさん。
口ベタ、なんだろう、飾り切ったらどんだけかかな。若作りジジイ、超強い、ロジイ、料理下手、口ベタ、三拍眼、めっちゃ優しい、みたいな。あと車の免許持ってないとかね。完璧人間だけど微妙に足りてないとこがね、本当にかわいいんですよ。かわいいし、かっこいいし、もう最高ですねムゲンさん。超推しですよ本当に。
ムゲンさんのためだけにでも見てほしいですね、ロシア語衛戦記は。はい、そんな感じでウルフウォーカーとちょっとサブ的にロシア語衛戦記に変わらせていただきました。どっちもめっちゃ好きですよ。素晴らしいアニメ。日本以外のアニメすげえとこ来てるなっていうのがあって、今年見た映画だとロングウェイノースとマルナと不思議な物語かとかと並べて、すごい海外アニメとして語りたい日本だったかなと思います。特にウルフウォーカーはね、テーマ的な部分が本当に好きすぎてやばいですね。
はい、そんな感じで語らせていただきました。それでは今回は終わりたいと思いましょう。お知らせですね。11月22日大阪の南町の週刊まぐりでまた映画の話ししたすぎるバー開催する予定してます。今回は18時から最終23時クローズで秋映画語り尽くしみたいな感じでいきたいなと思います。
今年ね、いろんなメジャー映画延期したんですけれども、その分面白いマイナー映画いろいろ見れる機会増えたかなと思うので、その辺りがっつり話せる番にできたらなと思ってます。はい、それでは今日は終わりたいと思います。それではまたお会いしましょう。さよなら。
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