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はい、始まりました。ポッドキャスト よしの映画酒場第11回かな?です。
今日はですね、netflixで配信中のコブラ会をシーズン2まで見終わったので、その話をしたいなと思っています。
詳細をwikipediaから読ませていただきます。
コブラ会は2018年から配信されているアメリカのwebテレビシリーズ、ベストキットの正当な続編として制作されている。
2018年から2019年にかけて、数シーズンがYouTube Red現YouTubeプレミアムで独身配信され、2020年8月28日からnetflixでも配信されている。
シーズン3以降はnetflixで配信予定である。
ベストキットに出演したラルフ・マッチオ、ダニエル・ラルソー役、ウィリアム・ザブカ、ジョニー・ローレンス役がそれぞれ成人し、父親になった同役で出演している。
配送シーンなどにベストキットシリーズの映像が使われている。
34年前、空手大会決勝でダニエルに負けたジョニーは酒に溺れ、惨めなまでの生活に喘いでいた。
一方、ダニエルはカーディーラ・ラルソーオートの経営者として成功を収め、優雅な日々を送っていた。
ある日、ジョニーは不良グループに暴行されているミギムを助け、彼に空手を教えて欲しいと壊れ、空手道場コブラ会を再興する。
はい、えーっとですね。まず、ベストキットなんですけど、コブラ会のシリーズのオリジナルというか、原点にある作品ですよね。
で、正直僕も見たことあるかどうか、ちょっとあまり覚えてなくて、あらすじはめちゃめちゃ有名なんで、見たことなくても大体何が起こっているかわかっているぐらいの映画ではあるとは思うんですね。
いじめられてた男の子が空手の師匠に出会って、空手の修行をしながら精神的にも成長しつつ、最後空手の大会で優勝して負け犬から脱出するみたいな、この手の話の結構類型的なというか、かなりわかりやすい話かなとは思うんですけども、
うーん、ちっちゃい時に見たことあったかなぁ、ちょっともうちゃんと覚えてないですね。あらすじはもちろん知ってたんですよ。で、もともと評判はすごく効いてて、いじめてた側の話で、いじめてた側が学生時代に主人公に負けたことで人生、無脱が上がらなくなっていると。
で、もう中年でどうしようもない人生を送ってたのが、かつて自分を任した相手のようにいじめられている立場にいる男の子に空手を教えることになって自分自身が人生を取り戻していくみたいな話になるわけなんですけども、ちょっと僕この作品結構複雑な思いで見てて、シーズン1がめちゃめちゃ乗れたんですけど、シーズン2がね結構きつかったんですよね。
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シーズン1は本当に一気に見ちゃったんですけど、シーズン2ちょっと止まっちゃったんですよね。シーズン1は本当に中年男が教えることで人生を取り戻していくみたいなのがすごいよく描かれて、主人公がシュニーローレンスっていうベストキットの方でいじめる側をしてた人物ですよね。
このキャラクター造形がよくって、本当にもう80年代のノリをそのままずっと引きずっちゃってると。ザ・マッチョみたいな価値観にめちゃめちゃ縛られてるんですよね。で、そこから抜け出せないまま仕事もうまいこといかなくて、結婚した相手とも別居、離婚はしてたのかな、別居してる状態で息子にも愛想をつかされてるという状態なんですけど、
シーズン1における弟子にあったるミゲルっていう、もう一人の主人公と言っていいと思うんですけど、彼は南米から来てる移民の家族の男の子なんですね。で、この辺りは元々の映画の方のベストキットのダニエルがイタリア系でいじめられてるみたいな感じだったみたいなんですよね。
ちょっとこの辺り調べた上で言ってる感じなんですけど。で、今回は南米からの移民の男の子が主人公っていうことで、アメリカの中ではちょっと弱い立場にいる男の子に空手を教えることになると。
要は、かつて自分がいじめた相手であるダニエルと重複する境遇にあるミゲルに空手を教えることで、自分がやってきたことを見つめ直すみたいな感じになっていくんですね。このバランスがすごい良くって、本当シーズン1めちゃめちゃ乗れたんですよね。
で、自分がかつてダニエルにやったことをミゲルがやり返されていくわけなんですよね。で、それで自分を俯瞰して見ていくみたいな感じになっていくんですけど、それに対して元々のジョニーの小ぶらかいで学んだ空手っていうのが本当に手段を選ばないというか、作中でもずっと言われてるんですけど、
ストライクファースト、ストライクハード、ノーマーシーっていう先に打て強く打て情けをかけるなっていう3つの標語がずっと言ってて、ザ・暴力みたいなものを使って勝てっていうのが元々の小ぶらかいの教えとしてあって、ジョニーもその考えを元々は引き継いでるんですね。
そのあたりジョニーが引きずってしまっているマッチョな価値観の鎖みたいになってるんですけど、それがうまく伝えられないというか、それにのっとって行動してもうまくいかないわけなんですよね。で、またそのミゲルからもちょっとそれに対してツッコミを入れられたりするんですよ。今の時代そういうのは通用しないんですよみたいな。
それに対してジョニーはマッチョなままの価値観をミゲルに与えつつ、自分はちょっとずつ入話になっていくというか、少しだけ角が取れるんですよね。で、単に丸くなるというよりはちょっと思いやりというか多様性みたいなものに対して理解を示していって、違う切り口からアプローチした方がいいんじゃないかみたいなのをちょっとずつ覚えていくんですよ。
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で、結局もともとジョニーが身につけていたマッチョな価値観であるとかコブラ界の教えであるとかっていうものは、もういかに一つだけの価値観を人に押し付けて自分自身もそれに合わせていく男らしさ、暴力、一方的な攻撃みたいなものにどんどん自分も適応させるし他人もそれに適応させていくような人生をずっと送ってきたわけなんですけど、それに対する反省からちょっとずつ形を変えていくんですよね。
で、コブラ界自体が少しずつ会員が増えていく中で入ってくるメンバーっていうのが、もともとジョニーが自身がそうであったような立場の強い白人の男の子みたいなのじゃなくて、太った女の子であるとかひょろっとした男の子で、特にキーパーソンになるのがイーライっていう男の子なんですけど、
彼は後進列の手術の跡があって、それもあっていじめられてるんですね。ずっとやられる立場になったんですけど、そこでコブラ界の空手に出会って、自分自身がマッチョイズムに身を任せることで居場所を得ていくんですよ。
これは前、ポッドキャスト第2回の時でも話したミッドナインティーズとかにも通じるんですけど、居場所のなかった男の子がマッチョイズムの世界に丸ごと自分を預けていくことで自分の居場所ができるみたいなのを描いてるんですよね。
結構このテーマ、多分今のトレンドなのかなと思うんですけど、要はですね、多様性であるとかリベラルとかフェミニズムとかポリティカルフレクトネスの中でずっと取り扱われてきた弱かった立場の人たちを描いた映画なんかが増えていく中で、女性であるとかマイノリティとかっていうのが増えてきたんですけど、
男の子って結局じゃあどうなのっていう話にちょっと視点が入ってきてるのかなっていうふうに感じてるんですね。
女性であるとかセクシャルマイノリティであるとか人種的マイノリティであるとかっていう立場を描いていくときに、その対岸に設定されるのがマジョリティの男性ということになってくるかと思うんですけど、
で、マッチョな価値観に浸透しきってしまったマジョリティの男性って感じですよね、その想定される仮想的は。
ただ彼らももっともっと強い立場にいたのかみたいな視点がちょっと求められているのかなと思って、
ミッドナインティーズの、名前忘れちゃったな、主人公の彼であるとか小ぶらかいのイーライであるとかっていうのは本当にいじめられている立場、もっともっと強い立場の人間からいじめられて、そこで生きていくためにマッチョイズムを身につけるしかなかったわけなんですよね。
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彼はもともと方針列の跡とかすごい気にしてて、小ぶらかいに入った直後もジョニーに口のこといじられたりするんですよ。
これね、だいぶ癒すよね、本人の立場に立ったら。それをジョニーはもともといじめる側なんで、そこを言うんですよね。
ただそこにちょっとだけ教えはあって、弱いところを見られるよりもっと別のところを目指させるみたいなことを言うんですよ、話の流れの中で。
イーライはそこで次の日、とんでもないモヒカンにして現れるんですよ。目線を逸らすみたいなので、弱かった部分を隠すというよりもっと強い部分を前に出して、そっちこそが自分であるとっていうのを誇示するようになるんですよね。
自分自身のことをフォークって名乗り出すんですよ。タカっていうくらいだから本当に、モウキン類って本当にマッチョの価値観の象徴としてよく扱われるような鳥になるかと思うんですけど、
自分自身をフォークって名乗り出すと。これはミッドナインティーズの時も言ってたんですけど、マッチョの価値観に飲み込まれていく悲しさもあると同時に、彼はようやく居場所を得たし、自分を表現する力を得たんですよね。
これ自体を否定することはできないと思うんですよ。否定できないし、それに人生の秘訣みたいなのはやっぱあるんですよね。
自分が今いる場所であるとか、自分が今身につけている価値観そのままでいるより、多少恐ろしくてもちょっと強い世界に自分を預けて、そこで何か変われるかもしれないであるとか、弱かった自分よりもそれに上書きするようにもっと強い自分を身にまとっていくみたいな価値観という考え方って間違ってるとはあまり思わないんですよね。
ある種の人生の秘策みたいなものはそこにあるなと思って、そこを描いているのがこのコブラ界というドラマシリーズだと思うんです。
昨今のポリティカルコレクトネス的な価値観の中で仮想的にしてきたマッチョな男性像みたいなのの内側にいる人たちが本当にその純粋に間違った存在なのかみたいなのをちょっと問い直すみたいな部分があって、それがジョニー自身がちょっと違う視点を持っているみたいなことを覚えていくことで多少の上手さを身につけつつも、
強引さであるとかマッチョさみたいな部分でミゲルであるとかイーライ・ホークの人生を良くするみたいなことも同時にやっていくんですよね。
そこがいいなとは思って、仮想的になってしまってたけれども、その人たちのもともとそこに至るまでの人生は間違ってたのかであるとか、これから向かう先もずっと間違っているのかみたいな部分に対する優しいというか冷静な目線が少しあるんですよね、そこに。
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対するダニエルの側なんですけど、ジョニーが本当にそのマッチョの価値観に染まった人生を送ってきて、結構保守的なアメリカ男性像みたいな感じになってるんですけど、一方のダニエルが社会的にも成功してて、もともと日本人の宮城さんに支持してたぐらいなので、価値観はリベラルなんですよね、ダニエルは。
そっちの側の物語も描かれていくんですけど、バランス取れてるなって言ったらいいのかな。ダニエルの側が結構な偏屈人間にも見えるようになってるんですよ。
もともとダニエルって守りを主体にしてたりであるとか、人格育成みたいなのを重要視してる宮城流空手から出てきてるので、やっぱり人格的にもバランス取れてるんですよね。
ただジョニーが小倉海を再興して空手道場を始めるにあたって、めちゃめちゃ敵対心を持つわけなんですよ。
それはそうしてね、自分がいじめられてた相手、しかもいじめてた組織を復活させるっていうんだから敵対心は持ちますよね。
それを止めようと思う気持ちもわかるんですけど、全体的にはバランス取れてるダニエルが小倉海に絡んだ時だけちょっとバランスを欠いた感じ、意固地な感じの行動になっていくんですよ。
そこがね、ちょっとね、見ててジョニーの方が精神的に健全なんじゃないかなって見える時も結構あるんですよ。
ジョニーは基本的に言動も行動もそうだけど、やろうとしてることは基本目の前のことをちゃんとやろうみたいな感じなんですけど、ダニエルはね、テレン手札を使ってずるく立ち回ろうとするわけなんですよね。
それが戦いになるより丸く治めようみたいな宮城流空手の思想もあるんだと思うんですけど、彼はビジネス成功してくる中でずるさも身につけてるし、
小倉海に対するヘイトみたいなものがちょっと固定化されちゃってるみたいなところもあって、ジョニーが道場を借りてるスペースの王屋に取り入って、うまいこと言って家賃を上げさせるんですよね。
小倉海の道場から追い出そうとしたりするんですけど、真っ向から潰すほど暴力的はないけど、ずっこいんですよ、ダニエル。
全体的にね、ずっこさがね、結構気になるんですよね、ダニエルは。そこがある意味バランス取れてるというか、保守的なアメリカ白人男性像に対するリベラルな男性っていうのがバランス取れてるのかみたいな視点がちょっとあるかなとは思って、結構ね、ダニエルはなのちならないとこあるんですよね。
あと一個ね、重要な視点かなと思うところが、ジョニーはミゲルであるとか、他の小倉海の生徒たちに対して、俺みたいになるなっていうふうに教えているわけなんですよね。
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正確には、俺みたいにならないようにっていうふうなことを教えなければならないっていうコネクトにだんだん気づいていくんですよ。
はじめは俺みたいに強引で力づくで何とかするようなタイプの男になれみたいな感じなんですけど、自分の生徒たちも弱い立場というかマイノリティであるとか弱い立場の生徒が多いんで、その価値観だけ押し付けるのもなぁみたいな気づきとかもあったりするんですよ。
あとやっぱりミゲルがね、ちょっとそこにジョニーに対して精神的な導き手にもなっていくんですよね。
ここはね、師匠もまた導かれるみたいな、師匠と弟子が相互にお互いを成長させてみたいなのがあって、ここはジョニーとミゲルの関係がすごい良いところなんですよね。
で、あと、あ、ごめんなさい、ちょっと話ずれちゃった。
ジョニーは要は俺みたいになるなっていう価値観で、俺みたいにならないように生徒たちに教えているんですけど、ダニエルは自分のようになれっていうのが根本にあるんですよ。
正確に言うと、そこまで直接的に傲慢な感じがあるわけではないんですけど、宮城先生のようになってほしいっていうのが基本的にダニエルの考えなんですよ。
で、自分はその宮城先生のように生きられるようにそこに向けて、これまで生きてきてから、生徒たちの目標の最終地点は宮城先生だけど、その過程には自分がいるわけですよ。
途中段階には自分がいるので、自分が基本的には正解っていう思いはちょっとあるんですよね。
そこのね、ちょっと押しつけがましさみたいなのはあって、その点に関してはむしろジョニーの方が生徒たちに対して柔軟というか受け身なとこがあるんですよね。
このあたりはね、見たかったスターウォーズ続編みたいな感じなんですよ。
ちょっとスターウォーズの話にずれちゃうんですけど、スターウォーズ新3部作って僕あんまり評価しなくて、結局何がやりたかったのかっていうのがブレブレだったなと思ってるんですよ。
エピソード7では過去の物語をもう一回掘り起こすみたいなことをやったけど、掘り起こすところまでしかやってなかったのかなっていう印象で、
エピソード8は選ばれし者の話じゃなくて、名もなき人間たちもまた伝説の一部になっていくみたいなことを描いてるけど、その語り口はもうガッタガッタみたいな印象だった感じ。
エピソード9にとってはエピソード8でやろうとしたことを全否定して、そこからもう一回風呂敷を畳み直したみたいな感じかなって思ってて、ちょっといまいち飲み込めなかったんですよね。
新3部作でまずかったのがルークの扱いだと思ってるんですよ。
仮にもエピソード6で宇宙全体を救うような戦いをやり遂げて精神的にも完成されたはずなのに、エピソード8で出てきたルークがただの偏屈辞儀にしか見えないんですよね。
あまりに言葉が足りないというか、やろうとしていることがあまりに抜け落ちているというか、しかも思いっきりカイロ・レンの育成に失敗しているわけですよ。
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しかもなんで失敗したか、弟子のことを信じきれなかったからっていうのがあまりに嫌ですよね。
あのルークがそんな、なんか弟子のことを信じきれない偏屈辞儀になってるって認めたくないじゃないですか。
ちょっと変にスターウォーズの話に連れてあれなんですけど、小倉海が結構見たかったスターウォーズ特編感があるなって思ってるんですけど、
その思ってる部分っていうのが、ダークサイドにある救いとライトサイドにある不完全さみたいなのをいいバランスで言及してるんですよね。
フォースのバランスみたいな話になるじゃないですか、スターウォーズって。
で、結構ね、小倉海はそこのバランスが取れてる感じの話なんですよ。
で、もちろん小倉海はダークサイドの話なんですよ。
暴力を基本は良しとするっていう側なんでね。
ただ暴力の側の価値観にちょっと救われる人もいるみたいなのも、マッチョな価値観に救われる人もいるっていうのも書いてるし、
おっきい規範があるわけではないけど、目の前から積み重ねていこうとする気持ちが、師匠とでしょたが良くするっていう感じがあるって言ったらいいのかな。
ちょっと違うな。
暴走しなければダークサイドも悪くないし、
逆にライトサイドもそれはそれでちょっと鼻持ちならないとこあるよねっていう感じのバランスを上手いこと書いてるんですよね、小倉海は。
で、ジョニーも一人でいたら本当にダークサイドの底の底まで落ちちゃってる人間だったんですけど、
ミニルと出会うことでダークサイドを上手く世の中の役に立てれるようになっていくわけなんですよ。
一方でザニールもライトサイドこそ正しいっていうのを信じ切ってたけれども、
その猛進みたいな部分から出てくるものが歪さになって上手くいかない部分があるっていうのをだんだん学んでいくっていう話になって、
ダークサイドの側とライトサイドの側の師匠、メンターっていう枠割りの人間も別に今の時点で完成はされてないと。
ダークサイドの側はダークサイドの側で、ライトサイドの側はライトサイドの側で不完全だと。
それを弟子に学びながら、まだ前に進めるよねみたいなのがあるのが小ぶら会。
特にシーズン1がそうだったかなと思うんですよ。
ここの辺りがすごい好きだったんですよね。
本当にずっとダニエルとジョニーがしょうもないいさかいを起こして、
ちょっとお互い俺たち似てるじゃんって仲良くなりかけたと思ったら、まだもう誰か余計なことして喧嘩するみたいな。
それが続いていくんですけど、最後が試合のシーンなんですよ。
ジョニーが育てたミゲルとダニエルが育てたロビー、ジョニーの息子なんですね。
この辺りの人間関係のすったもんだ感は結構コテコテっちゃコテコテなんですけど、
ジョニーの息子のロビーがダニエルの側、宮城カルテの道場の側について、最後の試合でミゲルと戦うんですね。
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ここでミゲルはロビーに勝って、かつてのダニエルが大会で優勝することで負け犬から脱したように、
ミゲルもここで何かを得るんですよね。
その中でジョニーは弟子は勝ったけれども、息子は負けたっていう状態になってる。
喜びと同時にちょっと複雑な心境も覚えつつ、ダニエルの側は自分が教えたロビーが負けてしまって、ここからまたやり直そうみたいな気持ちになったりだとか、
最終的に空手の試合によって、また空手の試合の結果によって自分の人生を次に進もうっていう切り替えるタイミングになってて、
そこがスポーツ的なドラマとして気持ちよく見れたんですよね。
それがシーズン1だったかなと思うんですけど、ただシーズン2が苦手だったんだよな。
シーズン1の最後で元々のコブラ界の創設者であるジョン・クリーズっていう男が出てくるんですけど、
こいつがザ・マッチョ、マッチョの体現者みたいな、いかに奪い取るか、いかに勝つかしか考えてない人間なんですよ。
これはジョニーがかつてゼとしていた価値観を最もエクストリームな形にした存在で、
シーズン2はジョニーがかつて持っていた最もゴリゴリのマッチョイズムの価値観、不寛容な価値観に追いかけられるみたいな話になっていくんですよね。
かつての自分からの呪いみたいな話になっていくんですよ。
シーズン2はね、結構きつくて、ジョン・クリーズがいちいち生徒たちにえげつないことを教えようとするわけなんですよね。
要はジョニーはその価値観を出して、情けはかけないけれども高潔さが必要みたいなバランスを身につけていくわけなんですよね、ジョニーは。
それに対してもジョン・クリーズは高潔さなんて稼いにしかならないから、ひたすら勝つことだけを考えろっていう教えに傾倒させていくわけですよ、子供たちを。
全力を尽くすみたいな価値観は当然ジョニーは守ってるし、情けをかけるなっていうのは、要は全力でやって任せっていうことですよね。
それに対してジョン・クリーズの側は手段を入れ歯ずっていう枕言葉がそれについてくるわけですよ。
勝たなければ意味がないっていう、ここの隔たりってめちゃめちゃでかいなって改めて思うわけなんですよね。
全力で勝とうとすることが大事っていうのと、勝つことだけが大事って全然違うけど、結構人に教えるってなったときにその違いを教えるってめっちゃむずいなって思うんですよ。
死ぬ気で勝つ気でやれって言ったときに、モラルというかある種の規範を持って全力を尽くして勝とうとしろって、本当に絶対に絶対に負けたくない、絶対に絶対に勝てって思い続けて努力して、
その果てに負けたとしても勝とうとした自分があったから、それはいいっていう価値観を教えたくても、教えられた側は敗北は死だから、どんな手段を使ってでも勝つしかないっていうふうに解釈するってありますよね。
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そこを教えるってめっちゃむずいなって思うんですよ。
で、そこの祖母みたいなのがシーズン2で生まれていくわけなんですよね。これが見てて嫌なの、本当に。
で、ミゲルはジョニーに小村海の中でもっともジョニーに近い立場の弟子なので、ジョニーの言おうとしてることがわかるんですよね。
で、それは単に空手道場の教え以外の分でもジョニーと交流をして気持ちがわかってるからそれを学び取れるんですけど、
単に空手道場の中での先生と弟子っていう関係性の間のフォークであるとか、他の生徒にはそれはうまく伝わらないんですよ。
で、特にフォークはミゲルよりもっともっと負けてたことに対するコンプレックス、劣等感が強いので、勝ち方が大事みたいなところより、とにかく勝たなければならないっていう価値観の側にどうしても行っちゃうんですよね。
シーズン2のキツさはね、やっぱりこのフォークが悪落ちしていくんですよ。それが嫌でね、嫌でねというかキツくてね。
シーズン2はそのさっき言ったスターウォーズの例えで言うと、バランスを取ることを覚えていくダークサイドの側とライトサイドの側がうまいこといかなくなって、
ダークサイドの側にいた生徒は悪落ちするし、ライトサイドの側はうまくバランス取れなくて関わった人間を不幸にしちゃうっていうね、スターウォーズのプリクエルみたいな感じの話かもしれないですね。
で、もともとちょっとね、小浦海、宮城流空手のダニエルの側とジョニーの小浦海の側を対立させるために結構わざとらしいすれ違いを繰り返す話ではあるんですよね。
ここはね、結構ご都合主義だなと思うところは結構あって、飲み込みづらいというか、ちょっと都合いいなみたいな、ちょっと一歩引いてみたいところはあったんですけど、
それ以上にね、ジョニーとミゲルの成長が良かったんで楽しんでみれたんですけど、シーズン2はね、だんだんミゲルはあんまり焦点当たらなくなっていって、どっちかというと、
ひたすら全員が、全員お互いにすれ違いを積み重ねて、お互いの間にある圧力が積み重ねていくみたいな展開がずっと続くんですよね、シーズン2って。結構これがきついんですよね。
で、最終的に、ちょっとここめちゃめちゃでっかいネタバレするんで、小ぶら回ぜひ見ていただきたいんで、良かったらちょっとここから先、少し聞き飛ばしてもらいたいんですけど、説明できてなかったんですけど、
ダニエルの娘のサマンサ、サムって呼ばれてるダニエルの娘が、シーズン1ではミゲルと付き合ってたんですけど、途中でミゲルと別れて、ロビーと田舎になるんですよね。
この三角関係みたいな話の軸になってくるわけなんですけど、シーズン2の最終回が、学校内での大乱闘みたいになるんですよね。
ミゲルがサムと別れた後、小ぶら回に入会してるトリーっていう女の子と付き合うんですね。
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で、トリーが、細かいこと言わないけど、ミゲルとサムがスタンダードなことをしちゃうのを見ちゃって、トリーがサムにめちゃめちゃ嫉妬するんですよね。
で、トリーが学校内でサムに喧嘩を吹っかけて、そっから小ぶら回とニャンゲニューカラテの大乱闘になるんですよ。
で、それを止めようとして、ロビーとミゲルも入ってくるんですけど、そのミゲルもロビーも互いのサムを絡んだ嫉妬心を持っちゃってるんで、結局そこも喧嘩しちゃうんですよ。
で、ここで最終的にミゲルがロビーを追い詰めるんですけど、ジョニーから教わった高潔さみたいな教えを思い出して、最後までとどめは刺さないんですね、ロビーに。
で、そこでロビーに逆転されて、ミゲルは2階から下の階に背中から落ちちゃうんですよね。
で、瀕死の重傷っていうのがシーズン2のラストなんですよ。これがね、本当に嫌だったんですよ。
シーズン1がね、すごい爽やかにスポーツの結果を通じて何かを全員が見つけていくみたいな話だったのが、もうそのどうしようもない悲劇っていうものを物語をドライブさせる役割に使っちゃったので、その爽やかさがないんですよね。
その空手を通じた成長みたいなのじゃないものを話をの推進力にしちゃったので、これちょっと嫌だなーってなったんですよ。
で、ミゲルはもう本当に生きるか死ぬかの渋滞になってしまうし、ジョニーはそれを見て絶望するし、しかもまあ、やったのは息子ですからね。
で、サムは元彼のミゲルは死にかけるし、今彼のロビーはミゲルを瀕死の重傷を負わせた加害者になってしまったしで、
ラニエルは自分が教えたロビーがそんなことをやっちゃうし、娘はそれを見て傷ついていると。
で、それをやったのは自分がコブラ界に対する憎悪を過剰に覚えてしまったからみたいな思いも持っちゃうわけなんですよね。
誰も幸せにならないの、シーズン2。
で、最後に何かを得るのは、シーズン2の途中でジョニーと仲違いして追い出されてたジョン・クリーズが帰ってきて、
俺が本当のコブラ界だって言って、生徒ごと道場を貸されちゃうんですよ、ジョニーから。
これもね、わかるけど飲み込めないんですよね。
イーライ、ホークとトリーはジョン・クリーズの側について行っちゃうんですよ。
で、ジョニーに対して、あんたが情けをミゲルに教えたからミゲルがああなったんだって言って、
ミゲルが死んだらあんたのせいだって言って、ジョン・クリーズの側について行くんですけど、そうなるかなと思って。
いや、そうなる?あんまわかんないというか、ちょっとここはあまりに話の都合にホークとトリーを付き合わせすぎじゃないかなと思ったんですよ。
絶対罪悪感感じるでしょ。
トリーからしたら自分が吹っかけた喧嘩のせいだし、ホークからしたら、もうホークが要はこの乱党騒ぎを火に油注いで大きくしている存在なんでね。
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それに対して、ミゲルがああなったのはジョニーのせいだってなるかなぁ。
その辺りちょっとシーズン3で掘り下げてくれないと、ちょっとシーズン2飲み込めないなぁって思うぐらい。
今日はね、もう本当にね、喧嘩のための喧嘩がずっと続くんですよ、シーズン2は。
これはね、ちょっと、シーズン1がね、本当になかた返しつつも、そこから成長の要素をみんなが見出していくみたいな要素だったのが、成長できてなかったみたいな話に見えちゃってね、シーズン2が。
ちょっとね、ここはね、飲み込み切れてないっすね。
シーズン2はね、悪打ちの話なんですよ。ダークスベイダーが生まれちゃう話なんですよ。
で、まぁ、ちょっと今ダークスベイダーって言ったけど、本当にある意味そういう話かなぁとは思って、アナキン・スカイウォーカーが悪打ちしていく話なわけですよね、スターウォーズのプリクエルって。
ここで、ダークスベイダー、アナキン・スカイウォーカーの役割が、イーライ、ホークとロビーの2人に分けて与えられてるなぁと思って。
ホークはもう本当に純粋な意味での悪打ちですよね。
力を持ってなかった存在が、力を持って、力こそすべてだって言って、もともと心優しかった、器用ながらも優しかったのかなぁ、もしかしたら、元のイーライも性格が悪かったかもしれないけど、
力を持たなかった少年が、力を持って、その力に飲み込まれていく存在になってしまうと。
で、もう本当にダークサイドに落ちちゃう話なわけですね。
それがホークの側の話かなぁっていうのと、ロビーの側からしたら、嫉妬心みたいなのから間違って罪を犯してしまったっていう。
で、これもやっぱりアナキン・スカイウォーカーの話でもあるかなと思うんですよね。
嫉妬心であるとか、迷いであるとか、様々な感情から罪を犯してしまって、周りにいる人、自分が愛した存在でさえも傷つけてしまうっていう。
こっちはこっちでアナキンがダース・ベイダーに落ちていく過程のようにも見えるというか、なんですよね。
だからまあ、シーズン2でうまくリカバリしてくれないと、ちょっと僕、コブラ界全体に対する印象が飲み込めないままになっちゃいそう。
早くシーズン3やってほしいんですよね、コブラ界。
シーズン3でうまくリカバリしてくれたら、きっとシーズン2含めて僕コブラ界全体のことめちゃめちゃ好きになれると思うんですけど、
今のところちょっとシーズン1めっちゃ好きだけど、シーズン2で置いてかれちゃったみたいな感じなんでね、楽しみではあります、シーズン3。
早くミゲルを助けてあげて、本当に。ジョニーのことも助けてあげて。って感じですね。
コブラ界ね、本当に面白いし、結構今現在のアメリカの世相みたいなものをうまく反映できてる、すごい良いシリーズだと思います。
見る価値があるなと。特にポリティカルコレクションで好きな観点から仮想的になりがちだった保守的な白人男性が誰かと出会って、誰かに教えを与えることで自らも学んで成長していくっていう。
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なんか結構今問われるべきテーマなのかなと思いますし、見る価値あるかなと。
あとさっき言った通り、ダークサイドとライトサイド、それぞれがまた不完全でありつつも誰かに与えるものがあるみたいな。
スターウォーズの中で結構見たかったテーマみたいなものが描かれている話でもあるので、結構ね、新三部作にちょっと納得できない部分がある人はコブラ界結構お勧めかなと思っている感じなんですよね。
はい、そんな感じで今日はコブラ界の話をさせていただきました。
ポッドキャストよしの映画酒場第11回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。