さて、今回は薄明かりのプレリュード、日向の海に憧れての3日目、最終日ですね。
はい。
前日はね、延岡を1日、午後か、巡って延岡に泊まっているというところからスタートですね。
じゃあ今回は延岡をちょっと巡って、空港の方に戻っていくという3日目ですね。
結構ね、延岡から空港かかりますから時間で。
1日目も結構ね。
そうですそうです。
なのでちょっと計画的に時間も考えながら行った方がいいかなと思います。
じゃあこの3日目、最終日、よろしくお願いします。
そういうわけで延岡の朝の目覚めは鐘の音で始まります。
そうね。
僕は思うに8時の鐘で起こされるのがちょうどいいかなと思います。
そうすると朝少し身近を整えてシャワーなど浴びて、9時頃に宿をチェックアウトするのがいいかなという感じです。
ここから車を使ってもいいですし、東北で歩ける距離でもあるのでそこはお任せしますけれども、
駐車場とかがあんまり少なかった気がするので東北がいいかもしれません。
東北15分ほどで延岡駅に行ってください。
なぜ延岡駅に行くかというと、
ここにですね、延岡市駅前複合施設エンクロスというものがあります。
駅前の商業施設みたいな感じなのかな。
でも綺麗だな。
そうなんですよ。
統一感がすごいあるね。
これがやっぱり延岡の延岡たるゆえというか、これも公共施設です。
そうなのね。
延岡市の施設ですこれ。
まあすごいですよこの街は本当に。
すごいな。
やっぱり駅前の商業施設ってやっぱりすごい雑多な感じになるところが多いじゃないですか。
いろんなお店が入ってバイバイする感じが多いんだけど。
これはすごいな。
これが公共がやってるからこそっていう感じなのかな。
でもその公共もなんかその真面目でお堅いとかじゃなくて。
全然。
まずはこの建築の内部を見てほしいんですけど、すごいですよね。
これもやっぱり開放感があるよね。
そう。やっぱりヒューガの国だゆえんですよ。
日が暖かいの。
サンサンと差し込んでヒューガの中を注ぐ。
だから明るいんですよね全体的にヒューガって。
いいな明るくて温かい感じですよね。
本当にカフェみたいな感じですよね。
このエンクロスについてはですね、延岡駅直結の施設です。
もうこのまま延岡駅にも行けるような場所なんですけれども、
これどういうものかというと、エンクロスのエンというのは、
人々の御縁の縁と延岡の延という字、延長の縁ですよね。
これをかけたやつなんですけど、
延岡の縁と延岡の縁という字で、
延岡市民がいろんな方々の縁がクロス、交わるという意味を込めているそうです。
という公共施設ですね。
中に何があるかというと、まず一つの機能としては図書館です。
図書館なんだけれども、これは貸し出しとかじゃなくて、増書なんです全部。
つまりこの中で読み取ることができるようになっているんです。
駅にみんな本を読みに来て、遊びに来てというような、
そこで市民が集まる場合にオノズとなっていくというものですね。
というのが、図書館なんです。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
そうですね。
はい。
それだけじゃなくて、
信岡の観光案内所みたいな、
情報発信のためのブースみたいのもこの中にあります。
そこでも信岡の特産品も売っていますし、
信岡の市民のワークショップの方々が作ったようなガイドブックとかも
信岡オリジナルの本とかも売っていて、
これもすごい出来なんですよ。
びっくりしました。
そうですね。
すごい出来るんですよ。
すごい出来るので、
ちょっとここでちょっとお話いただこうかなと思いますよ。
述べ丘オリジナルの本とかも売っていて これもすごい出来なんですよ
びっくりしました 僕これ結構マシトイロに影響を受けてるんですけど
述べ丘のディープガイドっていう本
ぐらいねそれをちゃんと売っててもしているんですね
お土産ショップとしても我々は行けるし
市民の方は図書館とか勉強スペースとして行けるし
そもそも述べ丘で決まる
そしてカフェも入っていて
スタバが入ってるんですね
で、それでスタバを買ってそれでこの本を読みながら
ここでいただけるんですよ
なるほどね ですから
今回あえてスタバと書いてないんですけど
スタバを想定してます
このエンクロスに行って
ここで朝食もいただけるという認識で来ていますので
なるほどね
じゃあちょっと朝スタバ飲みながら
ゆったりと過ごすっていう感じ そうそう
そしてこの述べ丘の公共に対するやっぱ力の入れよう
そしてその力が入れてるんだけど
センスがとにかく良くて明るい
とにかくっていうね
まざまざとやっぱ朝も体感してほしい
これ外観もぜひねちょっと見ていただきたくて
夜も綺麗なのよ
述べ丘って言っても一体になっていますので
ほんと美術館みたいなんですよね
ほんとだ
てかこれ液写もすごいね
そう液写も綺麗
だからほんとに一体となって
すっごいオシャレだな
オシャレですよ
爽やかな街だよ述べ丘って本当に素晴らしいよ
私この地上から見ると空がすごい広いんだよね
これはヒューガーのやっぱ強みですね
いいね
だからとことん日向なんですよこの国はね
めっちゃ行きたくなってるもん
これお子さんが遊べる滑り台とかも中にあったりしますから
お母さん方ここでお子さん遊ばせながらね
後ろには市民のイベントとかワークショップもあるし
これ伝え所店も入ってるんですね
ですから本も買えますというわけで
という本当に文化複合してて
これが駅っていう街の顔になってるっていうのが
やっぱ述べ丘の意気込みだと思うんですよ
こういう街なんですよっていうのは最初にやっぱり分かるよね
駅着いた人がもうすぐ分かるわけだね
これはただもんじゃないってことがすぐ分かると思います
なのでぜひもし今回車免許持ってないとかで電車移動の方がいたら
このエンクロスにまず述べ丘で最初に着くっていう
その体験は僕はしたことがないので
それもぜひ体感してもらえていいんじゃないかという気がします
それはそれでやってみたい
やってみたいですね
なのでこちらでぜひ建築を見ながら
スタバで朝食べていただいて
そしてぜひ述べ丘ディープガイド買っていただくとすごい良いと思います
1000円ぐらいで買えますのでというご紹介になりました
実際この資料館にはそういうわけで
西南戦争と延岡の人たちの関わり
そして西郷軍の遺品とかもたくさん残っています
なのですごくマニアックな資料館になるんですけれども
やっぱり歴史好きの方西南戦争が好きな方とか
調べたいと思っている方は
絶対ここは訪れなきゃいけないスポットの一つですね
これでいわば西南戦争というのが一つ
ターニングポイントを迎えたんですが
それで西郷たちはどこへ行ったのかっていうことなんですね
その時の状況ちょっと地図戻ると
さっき言ったように南から政府軍が攻めてきて
延岡ももう占領されてます全て
北の大分の方の別動体もいよいよヤバいってなってて
本体が負けちゃってるからどうにもならないって言って
もう撤退し始めてるんです
つまり西郷軍が行き着く場所は
もうこの延岡の小さな村の中しかないはずなんですね
誰もがそう思ってた
この時政府官の総指揮官の山形有とも
これ小田原のあの人ですけれども
もうそう思ってたんですが
この8月のある日を境に西郷軍は
この延岡から姿を消しました
投降した部屋残ってるのに
西郷その人と幹部の姿はそこにはなかった
じゃあどこへ行ったのかっていうことなんですけれども
この西側に可愛い竹と書いて
榎の竹っていう山があるんですね
この西も何も緑になってるだけじゃないですか
つまり道すらないような状況なんですけれども
この九州の本当に高い険しい峰を
道なき道を西郷たちは登っていったんです
そして政府軍はだからここに来るなんて思ってもないから
投降するか辞任するかと思ってたんですけれども
二分けでいなかった
どこ行ったのってなったら山登って行っちゃったんです
ではーってなってどこ行くんだってなったら
西郷はこの後1ヶ月ほどかけて
この山の中を踏破していって
その峠道みたいな獣道みたいのをひたすら歩いていって
南へ南へ下っていく
そしてヒューガの奥のシーバ村とかこの辺をどんどん行くんですね
どこへ向かっていたのか南西の方にどんどん行ってください
そうすると見えてきたのがエビノがありますね
エビノはヒューガ薩摩の国境のところです
さらに南へ行っていただくと
桐島を越えた先にあるのが金港湾
つまりこれが鹿児島です
つまり西郷たちはふるさとに急に帰ってきたんです
この九州の山の中を1ヶ月間ぐらい歩いて
ある時急に油断していた政府軍の強襲で
鹿児島を襲って鹿児島の城山というところに立てこもりました
自分たちは死ぬならば最後は桜島の下で死にたいということで
9月になって立てこもって政府軍もその心情をある意味指したのもあったでしょう
それに攻撃を最後仕掛けて最後高森は9月24日に
この鹿児島の城山で辞任した
そして西南戦争が終わったんですね
ていうなので本当に最末期の最後の心情だったりとかっていうものを
延岡に残してあるんですね即席がね
最後はこの時延岡のこの宿陣所のあたり帰りを終えて
自分は鹿児島へ帰れるかわかんないけど帰ってみる
軍隊としてはもう解散するってなった時に
日本で唯一だったんですね陸軍大将という位にあったのはね
その時政府から剥奪されてるんですけど
陸軍大将の服をずっと着てたんですが
これをその庭先で燃やしたと
そして西郷さんって上野の西郷さん同僧犬連れてますけれども
あの犬実在した犬ですね
あの犬実在した犬もここで話したんですね
ずっと連れてきてたんですけど
やっぱ耳からの戦いとかと比べると
本当に150年前ですからせいぜいね結構生々しいんですよ
九州に残ってる西南戦争の話って一個一個の話がね
ていうのでそういった最後その人の面影も本当に忍べるような
貴重な場所になっています
なんかそれはそれでまたやりたいねじゃあ
超ディープだけどね
なるほどじゃあその西郷君の
だから負けを決めた心に決めた場所ってことね
そうだから西郷を覚悟して
もうあとはどう死ぬかってどこだけなんですね
そしてそのどう死ぬかと定めた後に
江の丈突破っていうその西側の山にのじ登っていった
その道も残ってるんですよ
だから資料館を見た後にその道を見学することもできます
本当にここを行ったのかっていうようなね
本当に闇の中に誘われていくような峠道なんですけど
確かにこれは政府軍も行くと思ってなかったかもしれない
というものがあって
なので西南戦争の大きなターニングポイントが延岡なんですね
ちょっと延岡は次がもう観光地としては最後になってくるんで
言っておきたいんですけれども
この西郷高森宿陣跡資料館から近く
車で15分ほど行ったところに佐藤焼酎製造場があります
また急に歴史を見たら酒飲まなきゃいけないのかと
これもすごいんですよ
えーなんかすごいね
なんか博物館みたいな建物があるよね
中庭がコケ庭みたいになってるんだね
これ本当美術館なんじゃないかって思うと思います普通に見たら
えーと工場なわけだよね
えーすごいな
工場兼ミュージアムです
だからこっちはミュージアムをかなり意識してる
この佐藤焼酎さんなんですけれども
こちらは西南戦争が終わった後
1905年なので明治の時代に創業して
なのでちょうど今年で120年になってるはずです
建築を代表する焼酎メーカーの一つなんですけれども
スローガンが輝く焼酎ということで
品質を輝かせるっていうのをさっきホームページにもあったと思うんですけれども
それを求めてすごい大体の投資の方が試行錯誤を繰り返しながら
丁寧に丁寧に作っていった
結構これは東京とかであんまり見ないかもしれない
結構九州の焼酎ですね
で本当に近くにある川
これも神話の舞台でもある川なんですけれども
これの聖なる伏流水を使い
高千歩でいろいろ岩と籠ったりしていたが
天尊ニニギノミコトが降臨して
だんだんこの高千歩峡とかみたいに水がね
山なかなか厳しいシラスの火山灰土を削り取っていって
だんだんだんだんその水生命の水というのを流して
土地を人を豊かにしていく
そういった流路にこの神話というのが重なっている気もするんですね
それがやっぱり日本の一つの文化の背景としてやっぱりあったものなのかな
古代のね誰が作ったかは知りませんけれども
この神話というものを伝えたかった一つのやっぱり
なんか感じる部分ではあるんですね
そして最後ね
この五ヶ瀬川の上流でいろいろ高千歩あったわけですけれども
平野にね延岡の方の平野にたどり着いたそのニニギノミコトの子孫たち
アマテラスの子孫たちはやがてさらに広い世界
海を目指していってミミツから船で落ちていく
この山から川を下って最後平野へ着いて海へ最後旅立っていくっていう
この一連の流路っていうのがやっぱりこのヒューガのね
何かを物語っている気がするんです
同時にやっぱり高辺大師さんもそうでしたし
最後に細島の港のあたりもそうなんですけど
とにかくヒューガはねこの海岸線の綺麗さが半端じゃないんですよ
どこから見てもこの海が非常に開けていて
この先に何か大きな希望が待っているような
本当にそういう明るい海の日差しとね
波がね立っているっていうのが本当に宮崎っていうところのね
あの素晴らしい景色の共通点だなと思うんですね
だからああいう高千歩の山深いのももちろん素敵なんですけど
そっからだんだんその希望がまさに開けていくような
そういう明るい展開っていうのが宮崎の宮崎たるゆえんな気がしていて
なのでまあちょっとその日向の海っていうのは憧れてっていうのは
だんだんその山から海へ下っていった神話の物語の話
というのをちょっとイメージして最後海へ食べ合っていくっていう
そういうところですね
やっぱりこの東向きだから朝日が見えるっていうのもなんかそういうありそうな気がするね
そうだと思います
やっぱ日のいずるところだったわけですよ結局ね
なんか面白い土地柄だなってすごい感じたな
あとまあこれ日向の海に憧れてってね
気づいた人は気づいたかもしれないんですけど
スピッツのこれ曲のねアロディーですね
日向の窓に憧れてっていう曲がありますけれども
まあ今ちょっと面白い土地柄だなって話あったと思うんですけど
これね興味深いちょっとニュースを見つけまして
この宮崎の県民性ちょっと最初に話しましたけど
僕はそのカクカクシカシカとかで描写されてるのがすごく典型的だなって思うんですけど
大らかで楽天的ででもちょっと引っ込み値案で
っていう伸びやかなね本当に伸びやかで晴れやかな宮崎の方々の
僕本当に宮崎の人好きなんですけどそういった方についてね
宮崎市出身の坂井雅人さんが今年ね今年の1月ですね
宮崎市市政100周年を記念して帰省されて宮崎市で記念講演をされた
で宮崎の学生の皆さんが100年後の宮崎についていろんな発表をした
それについて坂井雅人さんがその後のゲストトークみたいな形でね
高校時代の恩師と対談をしたっていうのが今年あったそうなんです
でそこについて坂井さんがねこんなコメントを残してるんですね
でまあ100年後の宮崎について話し合った後の話
100年後の宮崎がとてもいいもんだという前提でみんなお話しされているのがいいじゃないと思ったんですよね
100年後もきっとみんなニコニコしているに違いないというあの根拠のないあの感じが僕はすごく宮崎だなと思います
笑顔が消えることはないだろうって結構僕も信じてるし
ここにいらっしゃる皆さんもなんとなくこの部分に違和感を感じなかったということは感じていらっしゃると思うんですよね
っていうのをねこの満面の笑みのね坂井さんまた笑顔が素敵なわけですけれども
語ってるんですねまあ坂井さんの思う宮崎らしさっていうのはね
僕はこの100年後もきっとみんなニコニコしているに違いないというあの根拠のない感じっていうのがね
僕はなんかこれは本当にそうだなって感じる部分があります
なるほどね
なのでこのダブルメーニングなんですけど僕自身がこういう宮崎に憧れてるんですよ
なので神武天皇とか神話を世界を描いた人も山からあの土を流して海へ旅立っていくその海を目指してね
海に憧れていった物語を描いたですし坂井雅人さんも言ってますけれども
この宮崎の明るさ楽天さっていうのは僕はやっぱりすごく素敵なことだと思うし
なんかそのね神話の世界だからもう全然わかんないんで何も根拠がないんですよそれこそ
ですけれどももしこの神武天皇のね統制に従ったヒューガのイニシエのヒューガの人々
こういう人たちが今の日本人のDNAにね何かしら流れているんであれば
それがみんなこのね100年後もきっとみんなニコニコしてるに違いないっていう希望があるね
そういったものだっていうそういったエッセンスがあるっていうことはそれ自体が何か一つの憧れである希望であるなっていう