1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #115-2【宮崎】薄明かりのプレ..
2025-09-11 52:39

#115-2【宮崎】薄明かりのプレリュードPart2後編

薄明かりのプレリュードーーー日なたの海に憧れてーーー2日目後編


東九州の広大な空を仰ぐ宮崎県。

ダイナミックな自然と温暖な気候、個性的なグルメは“トロピカル”なイメージを発信し続けます。いっぽう、その歴史に目を向ければ、日本の起源にも関わる神秘性が立ちこめ、それを裏づけるような史実の痕跡も残ります。今回は、そうしたミステリアスな山あいの土地から、川を下り、野を拓き、海へと旅立って今日の“日本人”へ繋がった遺伝子の魅力を辿ります。

【目次】

〜 今回は後編です。ぜひ前編からお聴きください!

〜 延岡の発展に尽くした内藤家の想いを宿す 【延岡城・内藤記念博物館】

〜 延岡市の原型を象った実業家&化学者 【野口遵記念館】

〜 峻険な石垣が象徴的な名城の跡 【延岡城跡】

〜 ★歴オタ話★ 延岡のアイデンティティを鳴らし続ける「城山の鐘」

〜 宮崎餃子文化のルーツとなった名店 【黒兵衛】

〜 コスパ抜群!香りさえも地産地消の焼鳥店 【わ】

〜 日向灘の地魚と名産の鮎を 【炉端焼 源太】

〜 1日の振り返り


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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

ポッドキャストでは、延岡市の魅力や歴史が語られています。内藤家を通じて地域の発展に寄与した姿勢や、延岡城内藤記念博物館の存在が紹介され、街の魅力が深まります。宮崎県延岡市にある朝日加生の歴史と、創業者野口従うの功績が述べられています。特に、朝日加生がもたらした産業の発展と、延岡市の形成における彼の重要な役割が強調されています。宮崎県の延岡市では、伝統的な鐘の音が地域のアイデンティティや価値観を形成しています。また、延岡の餃子文化と地元の飲食店への愛着が紹介され、特に黒米や焼き鳥などのお店の魅力が語られます。宮崎県の延岡市を訪れ、地元の美味しい食事や観光スポットが紹介されています。特に、鮎焼きや焼き鳥、お蕎麦といった地産地消の料理を堪能し、延岡の歴史や神話に触れながら楽しい一日を過ごす様子が描かれています。後編では、野病科の魅力と地域の歴史的背景についての深い考察がなされています。

延岡の魅力を探る
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。
内田です。今回は、薄明かりのプレリュード【日向の海に憧れて】の2日目の後編となっております。
前編はですね、高千穂を巡りまして、今回は延岡の方に移動したところから始まります。まだお聞きでない方は、ぜひ前編の方からお聞きいただければと思います。
それでは後編です。どうぞ。
ここからはですね、この日の午後は延岡に入っていきます。延岡というのは繰り返しになりますが、宮崎県が第3の都市です。
延長するの延に、岡と書いて延岡と呼びます。県北の最有力都市になっていて、昨日行った大友総理の本陣後の武士課があったのも延岡市内になりますが、今回はその武士課みたいな郊外ではなくて延岡市中心部に行って、ちゃんと飲みもしたいわけですね。
ということで天の岩との湯上がりましたら、来るまで40分ほど、昨日延岡から高町に来た道を戻る格好になります。
同じ道を来るまで40分ほど東の方に海の方に出ていくわけですね。そうするとあるのが延岡城内藤記念博物館です。
建物綺麗ですね。
すごいかっこいいですよね。綺麗ですよね。
なんかちょっとマンションじゃないけど、そんな雰囲気もあるくらい本当に綺麗な。
ねえよくJRの広告の上に載ってる平塚のマンションに行ってる。
いよいよ延岡の話をしていくわけなんですけど、僕ね延岡は恥ずかしながら九州に住んでいたにもかかわらず、子供の時にたぶん行ったことあると思うんだけどあんまり覚えてなくて、幼稚園の時からと思うんですよ。
宮井さん結構行ってたのその当時。延岡にちゃんと行ったのがね実は3年くらい前がね久々っていうかもう10何年ぶりにたぶん行ったんで。
ちゃんと飲んだの初めてなんですね。
その度最終日延岡行ったんですけど、全部持ってかれました延岡に。
めちゃくちゃいいところ延岡って。こんないい街だったんだと思って。
すっごくね心洗われるような街でした。
すっごく見るもの食べるもの味わうもの移設するもの綺麗でね純粋でもう本当にね心がすがすがしくなるようなね風通しのいい素晴らしい街なんですね。
大好きな街です延岡僕。
それはね幼稚園時の時に行くのとは全然違うんだろうね。
一言で表せたら爽やかな街です。
すっごくねいい街ですよ延岡本当に住みたいと思うところの一つですね。
この延岡という街を語るにあたってねなんでこんな清々しい街が生まれたんだろうかっていうのはね僕なりにいろいろ思うところがありまして。
内藤家の歴史
その一つヒントになるのがねこの延岡城内藤記念博物館なんですね。
でちょっとあらましをまずお話ししておくと延岡という街はもう宮崎県の一番北のあたりです。
なので文後の本当に国境にあたったところですね。
江戸時代このあたりヒューガの国北部は商販分立国だったという話を昨日しました。
でその商販のうちでもちょっと代表的なものがこの延岡藩です。
延岡藩は結構ヒューガの中では国高の大きい大名で各個としては割と文化をここに持っていた大名ですね。
で藤州はねちょっとコロコロ変わっていくんですけれども江戸時代の中頃からは内藤家というものがこう治めます。
そして幕末維新までずっと治めました。
でこの内藤家というのはどういった家だったかというと九州の大名ではなくてもともと三河の徳川家康以前やりましたけれども
家康にもう古くから古くから伝えていた不大大名です。
この前の秋月とかがもうよくわかんないドタンバレ売られたりして何とか何とかっていうようなやつだったり
島津なんてのは幕府の一番の仮想帝国ですからそういう物騒な人たちからすると
この延岡っていうのは幕府のちょっとランクの高いちょっとブランドのある三河武士の系譜の大名だったんですね。
で内藤家の殿様というのはそれぞれいろんな知識を挙げているんですけれども
特筆されるのは幕府が終わった後の内藤家の人たちの話がすごいんですね。
普通大名っていうのは1868年が明治元年になってるわけなんですけれども
その翌年69年には藩籍奉還といって江戸幕府から与えられていた領地というものを
すべて一回朝廷にお返ししますっていうのが行われたんです。
それで一旦今までの大名の支配力は一旦はなくなる。
ただとはいえいきなり大名買いまくったらやばいことになっちゃうから
明治政府から新たにあなたは大名ではなくなったけれども
知藩司知事みたいなもんです。として政府が新たに任命した知藩司として引き続き頑張ってください
ということを通達されてわかりました私は何々藩の知藩司ですねって言って
結局大名を治めていった。ところがそこから2年後明治4年1871年になると
その知藩司が治めていた体制も変えようとなっていわゆる廃藩治権が起こります。
つまりそこで藩というものは本当になくなって
県がちゃんと置かれてもう明治政府が新たに任命した役人
中央から派遣される役人が地方行政のトップになっていって
大名はみんなその土地の支配者では本当になくなっていく
というものが段階的に解体されていくんですね。
そうかその2段階をあんまりわかったのかと。
そうそうそうそうそうなんですよ。
なので普通の大名っていうのはその廃藩治権とかそれを前後して
俺はもうこの土地の殿様じゃないんだなといって
東京に出てそこでただ優遇はされますから
貴族院とかになったり議員になったりして
借位をもらって貴族として東京で暮らしていくっていうのが一般的でした。
その一部は小田原とかに別荘を構えて福岡藩黒岳の別荘は
政官邸になっているんですよねっていうようなパターンでした。
ところがですね延岡の内藤家は
廃藩治権で殿様じゃなくなったにもかかわらず
延岡に残り続けたねけうな大名なんです。
これ非常に珍しいんですね。
別に自分の権力はもうなくなっているのにその場に留まり続けた。
そうそれはね内藤正隆という人がこの最後の藩主なんですけど
なぜ彼はここに残り続けたのかということなんですが
彼はそこから実業家として第二の人生を歩み始めるんですね。
延岡でいろんなことをやるんですけれども
それこそ鉱山開発だとかそういったことでやって
大名ではないんだけれども土地の有力者として別の形で延岡に住み続けるんですね。
だから今でもやっぱり殿様だなっていうふうに当時の人は思ったと思います。
しかしこの人がすごかったのは
その自分の得たものというものを
ただただ延岡の繁栄のためにどんどんどんどん積み込んだんです。
つまりもう殿様でもなんでもないんですよこの人。
ないんだけれどもその引き続き延岡の発展のためにある意味は異性者は別にいるんだけれども
民間の力として延岡の発展のためにあらゆる分野から取り組んだ人だったんです。
そのモチベーションは何だったんだろう。
これも結構難しい。僕もここまでちょっと詳しくは深掘りでないんですけれども
ただやっぱり内藤正高さんという人がいろんな残したものを見ると
やっぱり延岡に対する愛着が非常に強かったのはそもそも間違いない。
それはやっぱり暮らしやすい街。
川が綺麗で海も綺麗で日がサンサンと当たって
そして本当に人が温かい延岡の人という
その風土とか人心というものもやっぱり影響したんだと思います。
そしてさらにすごかったのは内藤正高さんの後に
内藤正道さんっていうもうこれ昭和時代とかの人なんですけれども
が内藤家の後を継ぐんですね。
この人も結局延岡にいたんですよ。
そうすると内藤家というものは残ってはいますから
大名時代に持っていた土地だったりとか
あとお宝物みたいのをいっぱい持ってるわけなんですけど
これを内藤家のためだけにしとくのは良くないって言い始めて
なんとその延岡市にお城とかも全部寄付しちゃうんです。
土地も宝物も全部。
地域の発展と文化
えーすごいな。
売り渡すとかじゃなくて寄付したんですよ。
ああそっかそっか。
真意あげちゃったんです。
えー好きすぎるな。
そうなんですよ。
それで寄付された延岡市もどうするってなるんですけど
さすがにやっぱり内藤家っていう名門中の名門ですから
それがなってたらすごいものがいっぱいあって
特に農綿のコレクションっていうのがすごかったんですよ。
江戸時代に農綿集めまくった殿様がいて
その農綿コレクションっていうのは日本でも随一のものだった。
っていうんでそれが一斉に延岡市のものになったんですね。
ということでそういった内藤家から寄付されたものとかを中心に
ちゃんとしたミュージアムを建てて
その内藤家としては延岡の人にちゃんといい宝物とかに触れて
市民の憩いの場になってほしいっていうのがそもそもの願いなので
その内藤邸のあった場所にこの新しい博物館を建てて
これは一切お金を取らないんですこのミュージアム。
無料です。全部無料で見られますここは。
優しい。
すごいですよ延岡って。
だからもうその内藤家の人たちの気持ちをこの博物館も
吸い入れるみたいな感じで。
そうなんですよ。
だから無料で誰でもここは見られます。
すごい綺麗な建物でねゴージャスなのに
そうなんですよ。
すごいな。
もうちょっともうすでに展示物を何も見てないのにすごいなっていう。
ちょっと展示物見てみましょうか。
そうこういうふうにこの
ヒューガの国時代からいろいろやってくれてるので
内藤家に借り出すね
それこそミミカワの戦いが起こった時の話ですとか
大友がどういうふうに入ってきた
それは延岡どうするに対抗したのかっていう話とかも
しっかり解説してくれてます。
そうかだからその譲り受けた文化財だけじゃなくて
この延岡の歴史についても展示されてる。
そうですそうです。
宮崎県北全体のね中核となるような歴史博物館です。
なるほど。
すごい展示もね綺麗ですよ。
すごいちゃんとしっかり解説もされてるし
メリハリもついてビジュアルも豊かだし。
上質です非常に。
結構この展示物はどんと見やすい形で置かれてますよね。
そうなんですよ。
ちなみにねこの展示物だけでも相当なボリュームがあるので
これ結構ちゃんと時間取った方がいいですこの博物館。
なんだけどその建物の脇にはね
内藤邸のねちゃんとお庭残ってるんですね。
なのでその日本庭園みたいのがね作られている。
そしてねこのお庭越しに門越しに見ると
延岡城がね石垣が見えるようになってますので
ちょっと場所離れてます。
これ延岡城内藤記念館って言ってるんですけど
後ろからちょっとだけ離れてるんで。
いやーこの斎藤の写真の青空がすごい綺麗ですね。
そう綺麗な街ですよ延岡って。
まあやっぱなんかヒューガーって言うだけあってね
なんかこうやっぱ明るいイメージがやっぱありますよね。
そうこういうねすごい大名家がいたんですね。
これやっぱねまた商販分立の面白いところなんです。
高鍋の秋月もやっぱりあれはあれですごいじゃないですか。
特にその種茂陽山兄弟のね
廃出したってのはすごいことなんですけど
延岡は延岡でね別の形ってすごい街なんですね。
面白いね。
本当にその土地の治めてる領主のキャラクターが
結構濃く残ってますね。
商販分立とかがどこ行ってもね宮崎に限らず。
ちっちゃいからこそだよね。
そうそうそれが面白いところなんです。
なるほどね。
実際内藤家は殿様ではあったけど
民間でやっぱり延岡の発展に
その正高さんが尽くしたっていうこともあるから
この内藤家自身もやっぱりすごく今でも大切に
敬われてるので
ちゃんとその意思を組んで
無料で全部これを公開して
庭園も残してあげてっていう
延岡市もやっぱすごいと思うんですよ。
今の延岡市も。
というのがこの博物館で
ここでまぁ大体ヒューガー北部
特に延岡の歴史というものを
表しを知っていただきます。
そしたらですね
次の目的地になるわけなんですけれども
ここからね
来るまで2分ほど
もう本当にすぐ目の前なんですけれども
野口従う記念館です。
野口従うっていうのは
人のお名前ですか?
はい。野口従う
もしくは野口従うとも言いますけれども
これ人名です。
そしてこの建物がまた
だいぶ近代的な
ガラス張りでね
開放感ある感じですね。
野口従うという人は
大学受験の日本史を
やった人は知っているはずです。
どうして出てくるかというと
明治から昭和にかけて
財閥がいろいろ出てくる
三菱の岩崎とかそうですけれども
それの振興財閥のうち
日秩コンツェルンというものを創業した人
というので野口従うという人が出てきます。
野口従うと朝日加生の歴史
日秩コンツェルンって何かと言うと
日本窒素の略なんです。
つまり化学薬品メーカー。
そしてこの日秩コンツェルンは
今の何かと言うと
天使は直系の人ではないんですけれども
今の会社名で言う朝日化生産です。
これの実質的な創業者が野口従うです。
ただですね野口従うという人は
野平岡の人でもありませんし
九州の人ですらありません。
生まれは金沢です。
あの暗い時代に生まれた一人なんですね。
大変な苦労をして
苦心三端をした上で
鹿児島県にあるソリノ滝
これ覚えてますか。
行った?
行きましたね我々ね。
うなぎを食べる前に。
滝見に行ったの覚えてませんかね。
あそこです。
ちょっと怪しい気もしますけど。
あそこに発電所の意向があったの覚えてますか。
あったあった。
対岸越し見たでしょ。ラピュタみたいな。
あったあった。
あの発電関係の義士としてそもそも
勤めたのが九州との縁の始まりだったんです。
じゃあ普通に従業員として来たんだ。
そう。
だけれどもそこでいろいろ発電とか
近代化学を動かす動力とかを見て
いろんなアイデアを浮かんで
まあその後いろいろ変数あるんですけれども
日本がその時
朝鮮半島の方にね
いろいろ支配を広げようとした時期と重なって
朝鮮で新しい産業を
起こすことっていうのを
政府と結託してやって
それにうまく取り入って政府と入り込んで
朝鮮で新しい化学薬品みたいなのを
作る工場みたいなのをどんどん立てて
義士としてエンジニアなので
技系の知識でもって
新しい近代産業を支えるための
化学をね化学をやっていった人なんです。
じゃあなんで信岡に関係あるんだってことなんですけれども
この人はね
朝鮮で事業を主にしていた人なんですけれども
いろいろやっぱり
日本の方でも新しい工場を立てて
よりこうコンセルっていうのは
企業の連合体ですから
それを一つ強化していきたいという時に
信岡の町に
今とある理由ができたんですけれども
その地勢を見た時に
美しい平野と水
そして雄大な
広がなだ、そしてその
散々と降り注ぐ陽光の美しさ
温かさっていうものに
目を奪われた、そして
その豊かな土地が残っている
っていうのに目を奪われて
かつ信岡の市長、当時の市長とか
市役所の人たちが
信岡の産業をやっぱり新しい
起こしたいと、城下町としてじゃなくて
より人口が増えて
新しくの町にしたいということで
誘致をした、その双方の
メリットが重なって
信岡に今の朝日加生の
工場を建設したんです
実際今も
信岡は朝日加生の大きな工場
本当に現存します
朝日加生の従業員はすごい多いです
信岡住んでらっしゃる
っていうのをやった人なんです
そしてこの信岡の
工場で、僕もこの分野
全然詳しくないんでわからないんですけれども
この人はアンモニア
というものを工業化することを
ずっと研究していたんですね
それをいろんな方法を
試した結果、この信岡の
工場でもって、世界で初めて
このアンモニアを合成して
工業化するための
方法を編み出して、それを実現したんです
世界初のこれ
医療だったんですね、科学者としても
すごい優秀な人、経営者でも
あったんだ、っていう人だったんです
それは信岡で
成し遂げたことなんです
っていうだけなら
全然優れた科学者として
それだけでもすごいんですけど
なんですが、この人は
そもそも信岡に工場を建設
する時の経緯でもわかる通り
市民との結託っていうのは非常に
強かったんです、この人自体はよすものだけど
なので市の行政とも
深く連携していて
信岡をどうやったら豊かにするか
っていうことにも民間の立場からいろいろ
アドバイスをしていた人なんですね
その結果どうなったかっていうと
当時は今の信岡の中心部だけの
信岡町っていう町だったんですが
そこから周りの
市町村とかをいろいろ
小粒だった市町村みたいなところをどんどん合併していって
新しい、それこそ
コンセルじゃないですけど、信岡の
経済圏文化圏ってのをちゃんと作って
一つの町にすべきだっていう風にして
かなり早い段階で市町村合併
ってものをまだ戦前だったんですけど
実現して
その時に合併したものっていうのが今の
信岡市になってるんです
すごいな
民間でそんな働きかけを
してるんだ
だから今の
信岡市というものを作ってある意味
大功労者で原型を作った立役者なんですね
それが政治家じゃないのが
すごいなって思っちゃうなやっぱ
やっぱり朝鮮総督府とかそういった
政府との関係もすごい強い人でしたから
そういったノウハウをある程度見ていたってのは
多分大きいとは思います
そしてこの野口従う自身も
最後最平和戦争の
最中くらいに病気で亡くなってしまうんですけれども
その時に当たっては
遺言として結局
俺は暗い時代の金沢に
生まれて科学というものに
身を起こさせてもらった化け学の
力によってここまでになれた
朝鮮に土地を得て
朝鮮でうまく成功したということもあるから
その
莫大な積み上げてきた財産の
すべてを朝鮮の
文化振興と日本の
化け学というものへの寄付に全部当てちゃった
それで一問なしに
最後して亡くなったんですね
ええ
っていうすごい人だったんですよ
はあ
すごいな
そしてね
この朝日課生というものは今でも延岡の産業を
支えているんですね
こういうわけでその野口従う
信岡市の発展
延岡市に寄付をしたわけではないんだけども
全学をね、だけどその確実に
朝日課生というものもそうだし
科学、そういった朝日課生を中心に
化け学の発展に使ってほしいということで
とんでもない金額を寄付しているので
かつ延岡の今の町の原型を
作ったってことで、よそ者なんですけど
こんな立派な記念館が建ってるんです
うんうんうん
今この野口従う記念館と言ってるんですが
実質はこれ市民ホールです
大体はああなるほど
なのでここ僕が行った時も地元の人たちの
コンサートみたいなのが行われていました
なので市民の公共物として
この記念館は建っているんですけれども
その中の一角に野口従うのを
検証するミュージアムが建っていて
これも当然無料です
ええ
これも綺麗なんですよ展示が
本当にしっかりしてて
イラストも大きめにあったりとか
配色も
割と見やすい感じになってますよね
うんうん
野口 野口従うの波乱の人生
そしてその普通の人じゃ考えられない
幕引きの仕方っていうのもね
いろいろ紹介しながら
もっと科学詳しい人はやっぱり僕なんかに
全然理系の知識があるとより面白いと思いますね
なぜこのアンモリアが合成がすごかったのか
とか僕あんまり語れないので
野口従うなら
どうするっていう
ゲームっぽいやつがあるね
面白そうだな
なので本当に一般市民の
子供さんとかもたくさん来るところに
ギャラリー置いてますので野口従う
という人が延岡とどういう関わりを持って
そして延岡という街は何なのかっていうのを
ちゃんと考える企画になると思うんです
という記念館で
さらに歴史の深さを学んでいただきました
そうこうしているうちに結構夕方になってきてると思います
最後に観光として
行きたいのがですね
野口従う記念館から
延岡城跡と市民の象徴
駐車場を連携してるので車そこに置いといて
徒歩で10分ほど
行ったところにあるのが
延岡城跡です
これはさっき記念館から
ちょっとした道越しに覗いてましたけど
お城の本丸野に入っていくのは
今が初めてです
これはまあそうか城跡だから
お城があるわけではない
そうです建物はもう残っています
ただこの石垣がすごいんですよね
超高いねこれ
これ見ごたえありますよ
すごいね
通称千人殺しの石垣と呼ばれて
これはもう名状ですね
間違いなく
具合と規模といいね
なかなかのもんですよこれは
これ写真見てもらうと人の小ささに
びっくりすると思うな
そうですね
高さ19mということでね
これの上にお城があったって
考えると
どれだけ立派だったんだろうかって思っちゃうね
そうですね
ちなみにこのお城を築いたのは
高橋本種という戦国武将
なんですけれども
これは秋月種永の
実の弟です
秋月種永っていうのは高辺藩主です
の弟で
この秋月高橋兄弟は
関原大勝と土壇場で裏切った
二人とも兄弟揃って土壇場でなんとか
繋いだっていう
それで兄弟を隣同士にしてもらったわけなんですけれども
ただこの高橋さんは
その後いろいろなことに巻き込まれて
すぐ取り潰しになっちゃって
結局城を築いたらいいものの
その後コロコロ変わって最終的に内藤家のものになるんですね
やっぱりこの城を築いたのはすごいですね
城も見たかったなこれ
そうですね
ただこの石垣の上に行ったら
何があるんだということなんですけれども
これがまた延岡の
僕はすごいことだと思うんですね
それ何かというと
これ延岡の人が待ってましたという感じだと思うんですが
延岡城の
っていうのはすごい有名なんです
城山の鐘
城山の鐘って言われるものが
ちょっとGoogleで調べたらだめかな
これは
一見そんな特別なものには
見えないけども
その通りです
ただこれ見てるだけはただの鐘じゃねえかだけなんですよ
ただこれ何がすごいかっていうと
この城山の鐘ね
1878年から
つまり
147年
経っている今においても
一切絶えずに
地面に時を続けている
鐘なんです
どういうことかというと
147年間代々代々
この隣の家に延岡市から
任命された鐘守って人が住んでいて
決まった時間に
この鐘を鳴らすっていう仕事があるんです
職業なんですこれは
これを147年間
保ち続けてるんです
じゃあもうこの延岡の人にとっては
シンボルというか
シンボルです
慣れてる音なんですね
なんでこの写真見て欲しかったかというと
鐘の左に三日があるでしょ
これなんですよ見て欲しかったの
これが今の鐘守の家なんです
ええ
その仕事すごいな
すごいです
地域のお寺とかが鐘つくじゃないですか
だいたい5時とか6時とか
あれはもうお寺の人が
鳴らしてるわけだけど
それはお寺の仕事の中の
一つ
だけど鐘守はもうそれが仕事なんだ
そうこれは公共事業なんです
へえ
これは1878年代
どういう年かというと
西南戦争の翌年なんですね
西南戦争っていうのはちょっと翌日話すんですけど
やっぱり九州全土を巻き込んだ
大変な戦争でした
それがようやく終わって復興しようという時に
この鐘一時期避難してたんですけれども
それがやっぱりここに戻ってきて
それで平和になったこの延岡の街に
平和の鐘じゃないですけれども
ちゃんと市民の時間を継げるっていうのを
延岡のその
歴代の公共の事業として
ずっと150年間やり続けてるんです
へえ
今も1日6回
6、8、10、12、15、17
この6回鐘守の手で
鐘がつかれます
へえ
なんでこんなことを言ってるかというと
僕延岡城は16時半につく想定してるんですね
つまり石垣とか見たら
本丸にちょうど
17時くらいについてほしいんです
そうすると現役の今の鐘守さんが
延岡市の鐘の音の重要性
家から出てきて
その鐘を延岡の街
夕日輝く延岡の街につくその瞬間
見られるんですね
これがすごいですよ
へえ
すごいな
すごいですよ
これを公共事業としてやり続けてるんです
実際この延岡
明治時代以降
野口下川も当然これを毎日聞いていたでしょうし
実際延岡で学んだ
和歌山牧水っていう
非常に有名な短歌の人ですけれども
この人もやっぱりこの鐘の音を聞くと
やっぱりふるさとを思い出す
っていう短歌を読んでいたり
延岡という人がこの150年間にわたって
共通のその価値観だったり
思い出として
常にこの鐘の音っていうのを
ずっと持ち続けてるんです
へえ
これ寝坊したらどうすんだろうとかちょっと思っちゃうね
そう本当に思いますよ
でもやっぱり金盛りの方も当然一人で
何年間前に交代したんですよ
でもう公共で募集して
応募があってその人を
延岡氏が任命するっていう形になってるんです
だから必ず二人以上いてください
夫婦でやってくださいとか
そういういろんな規定があって
休みはこういう時に撮ってくださいとか
ちゃんとお仕事なんです
ただ一見こんなのさ
今スマホ見てる時代に
なんでこんなの必要なんですかってことになるわけですけど
普通に考えればね
でもそれをあえてやり続けるってところに
僕この延岡の凄さがあると思って
要はもう時を知らせるって役目じゃ
僕はもうある意味ないと思っているんです
そうだよね
別に時報したいんだったら
スピーカーで流せばいいだけらしい
そうそうそう本来ならそれでやるはずなんですけど
あえて金をやり続けるってところに
その要は延岡に生まれ育った
っていう一つのアイデンティティ
そしてその共通の価値観思い出っていうのを
この金しかできないものっていうのを
この150年間やり続けることに
延岡としての凄さを
担保しようとしてるんじゃないかと
だからみんなあの影の音を聞けば延岡を思い出す
っていうねその延岡に対する
地元愛だとか
とにかくその延岡のアイデンティティ
っていうものをあえて続けるってことが
事業として公共事業として
大事だと思ってるのは延岡の凄さだと思う
これなかなかできることじゃないと思います
宮崎の餃子文化の魅力
そうだね
公共事業ってことは
税金がね
絡んでるから
そんなもんに使うな
っていう人が出てきてもおかしくない
でもそれがね
ちゃんと成り立ってるっていうのは
やっぱりそれだけ
この市民にとっては大事なものなんだね
そういうことですね
っていうね凄い街なんですよ延岡って
だから一連内藤家から
野口下川とか色々見ていると
公共っていうものに対する
価値観を本当にこの街は凄いと思うんです
だからなんか
なんなんでしょうね
独自色と貫く力を
持ってるんだけど
誰もの利益になる延岡のため
未来のためになるお金の使い方
時間の使い方っていうことを
まざまざとこんなに
受け継いでっていう街は
本当に凄いと思うんです
それでいてやっぱり
内藤記念館も野口下川の記念館も
本当にこの延岡のヒューガナダを
刺して東から入ってくる
日の光を存分に取り込んで
明るくて清潔で
延岡の街って城下町の風情も残ってるのに
建築が本当に
街並みが綺麗なんです
歩いていて凄い気持ちいいんですよね
舗装も凄い綺麗な街で
大体城が貴重になってるんですけど
こういうところを見ても
延岡市っていうものの
公共事業に対する行政の力っていうのは
本当に素晴らしいと思います
凄い街だなと思います
すげえな
いやもうちょっと簡単
簡単しか出てこない
観光地としてあんまり有名じゃない
地名としては凄い規模の大きい街なので
有名なんですけど延岡というのは
こんなところだったかっていうのは
もう本当に目から鱗でした
感動しましたねこの街は凄さは
というので夕方になって
延岡の最後の17時の鐘は
是非間近で聴いていただいて
そして宿に向かいたいと思います
なるほど
延岡そういうわけで宮崎県下第3の都市ですので
宿はちゃんとあります
なので高松と比べれば全然数はあるんですけれども
延岡市の中心部に
撮ってください
ただ中心部というのが
また例によって城下町の常で
駅からやや離れてます
のでどちらかというと延岡省
後から大体10分圏内くらいで
撮ってもらえるといいかなと思いますね
そしたら飲み行くわけですね
はいはい
ここでも実は
大好きなお店があるんですが
延岡中心部の宿から
5分ほど歩いたところに
あるのが黒米さんです
あれ餃子だ
はい
これ聞く餃子さんでも一瞬出てきたの
覚えてませんかね
出てきたっけ
さらっと出てきた
これ僕も小野寺さんの話を伺って初めて知ったんですけど
僕これめっちゃ好きだな
九州っぽい餃子だなって
個人的に思ったんですけど
なんとね高鍋餃子さんと
餃子のマータイさんって
黒米で狩猟した人が開いた店らしいんですよ
そうだ教えてたわ
つまりあの高鍋餃子の
生みの親はある意味この黒米さんらしいんですね
はいはい
というこの宮崎餃子文化の
大元の一つになるわけです
なるほどね
恋しいんだよね
マジでうまいですよこの餃子
個人的にめっちゃストライクです
この感じが僕好きなんですよ
いろんな餃子ありますけど
何が好きかって
僕やっぱね福岡の餃子は食べ慣れてるからなんですけど
野菜多め
カリッとしてる
ちっちゃい餃子が好きなんです
一口餃子は博多一口餃子なんて有名なんですけど
これがね延岡の
この黒米さんまさになんですね
この綺麗な三角形
ちっちゃいんですね
一つ一つが
そうだね
タベログでお箸で挟んでる
写真ありますけど
確かにね一口サイズくらいだね
そしてこの揚げ焼き風味の油の乗った感じ見てくださいよ
この焼き目の
焼き目というか揚げ目っぽいですね
これうまい
本当に美味しいこのお店
いいな
これちょっと何皿でもいけそうな感じだね
そうそう何皿でもいけます
ところがメニューを見て欲しいんです
まさかのA3サイズで完結
これだけ?
メニュー焼き餃子水餃子ご飯以上
マジか
面白いですよね
清々しいほど餃子だけ
なんかね九州って
こういうお店多いんですよ
以前紹介した黒米の50番のこれ
あれあそこのキムチがあるんですけど
近いなんか九州のお店ってね
こういうお店多いんですよね餃子屋さんって
うわーいいな
シンプル is the best
うんうんうん
それでお酒がね
ビールとか焼酎とかあって
そうですね
へーいいな
こういう店東京にいないかな
なんかね
九州の文化だと思うんですよ
やっぱりなんかこのミニマムな店で
餃子だけをパクッと食べて
それで次の店に行くって多分これ
大半の人がやっぱゼロ時間使いなんじゃないかなと思う
まあそうだろうね
飲み屋が中心部にあるんですよ
なので50番しっかりね
この黒米さんしっかり
その福岡のいろんな餃子屋さんもそうなんですけど
最初に餃子とりあえず待ち合わせついて
食べようかっていうのがね
やっぱ九州人の餃子の楽しみ方なんじゃないかな
って思うんですよ
なんかちょっと屋台に連なる文化だったりするのかね
と思いますね
で実際このお店も
わずか12席のカウンターのみのお店です
なのでみんなで集まって
宴会しようじゃないんですよ
一人でさっとゼロ時間で時間潰し
あるいは待ち合わせにとりあえずここで一杯飲んで
同窓会行こうかみたいな
そういう感じじゃないかなって思います
九州の人たちの餃子って
食べたいなぁ
痛快なほどシンプルなんです
でもねほんとおいしいですよここ
でなおかつ
菊餃子の話を伺って
そうだったのかっていうすごく僕
嬉しい発見だったので
なおそら黒米さんってやっぱすごいなって思いましたね
水餃子もいいなぁ
うん
いやいいわ
ちなみにやっぱこれはね
九州の餃子屋さん50番さんもそうなんですけど
やっぱりね
満州で食べた味というものを
九州に帰ってきた時に皆さん再現しようとした
そうかそうか
っていうのが九州って朝鮮半島と近いですから
大陸と近いからその関係も結構あったと思うんです
ここも実際だから戦後
間もなく総領していますので
高鍋餃子さんとかよりもさらに歴史の古い
お店になっている
確かに野菜も
すごいね ここも野菜多いんですよ
野菜多めちっちゃめあきあき
僕はこの3法則が一番好きです
皮が厚い
もちっとした餃子って書いてあるね
高鍋餃子さんは結構皮が薄かった
印象なんですけどここは結構皮がしっかりしてました
はあ
餃子食いたくなるな
マジでうまいですここ
本当に一人2皿なら余裕ですよ
焼きいすいどっちもいけると思います一人で全然
そうだねどっちもいけるな
という黒兵衛さんも絶対行っていただきたい
焼き鳥屋の和
名店でゼロ時間にね
行っていただきたい
そしたらですね延岡のいよいよ
一時会という感じでね
本格的に飲んでいくわけなんですけれども
昨日はお寿司食べましたので今日はね
やっぱり肉系を攻めたいと思うわけです
黒兵衛さんから
だいたい5分ほどの距離にあるのが
和さんです
一文字だ
はい和っていう名前のお店です
焼き鳥ですね
焼き鳥
これはやっぱ宮崎に来たらね
食べてほしいわけですよ
そっかそっか
いいな
ここもね本当に地元の人が
使う飾らない屋さんでね
焼き鳥屋さんでね本当に
お座敷とカウンター席という感じでね
すごい人気店なんですよ
なんでこんな
人気なんだっていうのはまず美味しいのは
大前提なんですけどねぜひちょっと
メニューを見ていただきたくて
150円だ
2025年4月時点で150円の
焼き鳥ですよ
こんな
コスパいい焼き鳥は他になかなかないと思う
しかもなぜか11本
頼むと1500円になって1本割引になる
という謎のシステムがあって
回数券も
謎のおまかせ11本セットがあるんですけど
これは
感動しますよ
いいなぁ
贅沢な悩みですよ
これ本当に
でやっぱりね九州
焼き鳥なので
バラがあるわけですね
豚バラは九州の焼き鳥はだいたいあります
そして
やっぱり宮崎っぽい
ピーマンとか
椎茸もやっぱり
これは文獄が強いですけど
地鳥もあるし
地鳥もあるし
若鳥とか気になるなぁ
ただねここでぜひ食べていただきたいのは
牛のたたき
これうまいんだわ
バラは本当に焼酎と合うなこれ
多分ほとんどの人が頼んでると思いますこれ
これか
なんかバサシっぽい感じじゃんけどね
そうそうそうバサシはバサシであるんですよ
これはね
このシャキシャキの甘い玉ねぎの上に
宮崎流のたたきが
乗っててそこにもう
ふわっと薬味をかけるっていう豪快な一皿なんですけど
まあうまい
ああそうこれ
このね甘みと焼酎が
やばいんですよ
焼酎のまろやかな
麦の香りと
肉質のこの甘いうまみと
てえなもうこれ
本当に話してるだけで焼いてくる
しかもこの宮崎僕我慢してましたから
これうまいよマジで
ちょっとさ全然関係ないんだけどさ
焼き鳥行くじゃないですか
そうなんですよ
ちょっと早く行きてえなこれ
延岡の地元グルメ
そうですね残念ながらまだ2時間以上あるんですけど
そうなんですよ
いやー行きてえ
いやでもこれちょっと
これアスパラかな
そうのようですね
串焼きもうまそうだな
うまいよもちろんうまいよ
この人写真うまいな
うまいね
うわいいな
宮崎は一大産地です
宮崎のびんちょう炭を使って
焼いてくださいますので炭の香りもいいです
香りすら地産地消っていう
いいフレーズだ
ちゃんとね九州焼き鳥やっぱりね
キャベツが付いてきますから
これもいいんですね
これやっぱ行くと九州来たなって感じしますねこういう焼き鳥行くとね
レバーうまそう
うまそうね
ほんとこの人写真うまいな
うわ
冷たい
それしか出ない
というねすごい焼き鳥屋さん
ここも僕一人だから入れましたけど
集団で行くなら予約した方がいいでしょう
間違いなくすぐ満席でしたしね
っていう感じなのでね
これはぜひ食べていただきたいお店です
うわ一気にお腹すいたな
ただおゆうちょをかけるようにね
もう一軒行きたいと思います
これがですね
延岡というのは実はもう一個名物がありまして
和産からね
徒歩5分ほどまた黒米さんの上戻るんですけれども
ロバタ焼き
玄太さんに行きたいと思います
ロバタ焼きね
これはやっぱりね
ヒューガナダの地魚を食べたいわけですね
なるほどね
延岡は海に近いです
ので魚がガンガンとあります
もうこれはね九州の魚なんてのは
もう地図によって何食べてもうまいんで
その時何をいただけるかちょっと分かりませんが
ただやっぱりね
鯖とかはやっぱ
うまいっすね
関味関鯖なんてのは有名で
あれは文戸の国
大分県なんですけど
もうね延岡近いんですよ
実はめちゃくちゃ
そうだよねもうほぼ大分だもんね
特にその佐賀の関にも近いんです
なのでもうね
実質それぐらいの海域のものをいただけると
見ていいと思います
うまいっす本当に
いいね
お作りでこうやって夏らしく
いただけてるものもありますけど
そもそもこれロバタ焼き屋さんですから
メニューもちょっと見ていただきたくて
こういうわけでね
牡蠣とか
ドビン虫とか
これですよカワハゲ
ハモタチュウオ
これぐらいこの辺りのね
焼き物タチュウオ焼きなんてのはね
これも文戸の方も
タチュウオすごいですから
東九州の名産ですねタチュウオをね
これをね目の前の
オープンキッチンで炭で焼いてくれるんですね
と文戸って
じゃなくて延岡ならではのね
もので言うと鮎
延岡はね鮎の
名産地です
というところでちょっと地図を見たいんですね
延岡というのはね
わかりますか今見て
いやもうほんと川がね集まってきてんですね
そうですそうです
このところから川がね集まってきてるんですね
とくに延岡市のね
アパホテルのところを寄ってもらっていいですかね
この黄色いあたりが延岡城の
東側の城下町で
一言で言いますと延岡の城下町は
中須です
ですからもうその川の
中流域なんですけれども延岡はね
鮎の仕掛けが秋になるって出てきて
天然鮎を獲れるんですね
それなので秋冬に行くとこの
お店では鮎が出てきます
僕は11月に行ったのでここをね
鮎頂いてきました塩焼き
美味しかったですよ
こんなでも河口際で
鮎獲れるんだね
獲るのはねもうちょっと中流域です
その仕掛けもね実は観光地の
一つでもあるんですけど
へえ
いいなあ
鮎のね綿とか
ちょっと苦みこれがまた
焼酎になるとくに僕は
芋がいい子はいいかなと思ってるんですけど
ああなるほど
合わせてね
なので是非ね秋冬に行ったら
鮎これ延岡行ったら鮎はやっぱり
有名な名産ですから
牡蠣もあるしなあ
いいなあ
ハモもあるしカワハリもあるしもちろんね
他の地坂もいっぱいあります
そして自撮りの炭火焼きもこれ食べれますので
さっきもうねワッサンで焼き鳥いただいたんですけど
いわゆる自撮りの桃焼き
っていうあの宮崎の有名なメニュー
あれについてまだ食べてませんから
これ召し上がっていただいてもいいかと思います
これもううまいんだろうな
うんこれですね
いやあいいなあ
と一方であのメヒカリとかっていうね
やっぱこうさつま系の深海料ですよね
カワゴシも行ったらよく出てきますけど
はいはい
めっちゃ腹減ったわ
というねお店に是非
行っていただきたいと思うのでちょっとね
バーじゃないんですけど3軒連続で
延岡の観光名所
食事を是非ね延岡は本当にグルメが
美味しいので
そしてこの地理条件にあるから
酔いざましには川散歩地球というのでね
延岡のその秋のね
川のね美しいこの流れ
あゆも泳ぐ川の流れに
ゆうすずみをしながら
飲みに行ったりホテルへ帰ったり
というのもできる
そしてもしもうちょっと時間が調節したら
飲みにそののれんをあげるとき
その瞬間に金がなるかもしれない
ああなるほどね
そういう街なんです延岡というのは
いいね
はい
そういう延岡他にも結構
飲み屋がちゃんと結構栄えてますので
さすがに大きな街ですので
いろんな店ありますけれどもちょっと1回この有名店
を割と行った感じで3軒行きました
いずれもこれは延岡城の
近くの中津の島の中にありますので
駅は島じゃないところに
ありますからホテルで撮るときは
城の近くで撮るというのは結構大切にしてほしい
ポイントだと思います
徒歩5分ほどを
目安にホテル撮っていますので
日付変わる前ぐらいにホテルに着くかなというところで
2日目を終わりにしたいと思います
はい
それでは2日目を振り返っていきましょう
鷹町に泊まっておりますので
朝8時半頃
早めですね
にホテルを出発します
そこから来るまで10分ほど
天の岩戸神社
ですね
ここに9時前ぐらいに着くように
出発するということですね
神話でね有名な
天の岩戸を実際に拝むことができる
神職の方が
ご案内をしてくれるということですので
ちょっと時間が遅くなるとね
どんどんどんどん混んでくるということなので
ぜひ朝1にこちらに参拝をします
そこから徒歩
10分ほど天の安川
ですね
天寺お神神をどうやって
出すかという会議をした場
ということですね
こちらもねこの朝日が差し込む様子が
本当に綺麗な
ところですのでここもぜひ
朝早めに
巡っていただくといいかなと
思いますねそこから来るまで
15分ほど高知北京
こちらもね
人気スポットですので
この自然をね存分に楽しみたい
という方はこちらを先にね
行っていただくのでもいいかもしれませんね
ボートを借りたりしながら
この雄大な
渓谷の自然を堪能すると
あと滝ね
そこから来るまで
10分ほどトンネルの駅
ですね神話の世界から
急にお酒に行くわけですね
香倉酒造さんのアンテナショップとして
ある施設と
ここのトンネルにね
熟成されている
この焼酎の樽を
まず見てそして
気になるね焼酎をここで
買って行くといいのかなと
思います他にもね
お土産があるということなので
ぜひここでお土産を買っていくと
そこから来るまで
10分ほどお谷屋さん
ですねお蕎麦屋さん
でお披露いただきます
この蕎麦の実からね
自家栽培をされている
ということなので
ここでしか食べられないお蕎麦
ですね
そしてセットメニューでぜひ自撮りのね
親子丼とかも
召し上がっていただくといいのかなと思いますね
そこから来るまで
5分ほど天の岩との湯
ですね
この町外の方は500円
それでも500円で入れるからね
だいぶ手軽にね
入れるかなと思います
ここから午後に向けてね
一旦休憩という感じですね
高橋町が最後になるので振り返っていたら
そこから来るまで
40分ほど延岡の方に
戻っていきます
そこでまず行くのが延岡城
延岡城内藤記念博物館
ここも
無料で入れるというね
この内藤さんが
寄贈した文化財だったり
この延岡の歴史について
学ぶことができる
博物館と建物もね
非常に綺麗ですので
ここでまず延岡の歴史をね
勉強していただくのがいいかなと
思いますね
そこから来るまで
2分ほど野口従う記念館
野口従うさんの
検証するね
記念館となっていて
基本的にはホールですけど
野口従うさんの
人生をね紹介している展示も
あるということなので
この展示を見ると
いかに延岡に偉大なものを
残したかというのがよくわかると思いますね
そこから徒歩10分ほど
車はここ
記念館に置いたまんまですね
延岡城跡に
行きます
先ほどの内藤記念博物館から
望んだ延岡城の
ところに行くと
ここにこの延岡城の
シンボルとなっているね
鐘があるわけですね
ですのでぜひ17時
目がけてね
行っていただくといいかなと
夕方間に合わなかったよって人は
翌日の朝とかでもね
毎日なってるわけですから
6時8時あたりは聞けるかな
ただ実際にね
ついているところをね
見るのがいいかなと思いますので
できれば女子中でとかね
行っていただくと
いいかなと思います
地元名産の魅力
そこから車で5分ほど
延岡の中心市街地
中曽野部分の
ところのお宿に
チェックインをします
そこから徒歩5分ほど
黒米さんですね
高鍋餃子のね
二大巨頭は
それぞれこのお店で修行したと
小野寺さんが教えてくださいました
この綺麗な
揚げ焼きの餃子
あとは水餃子そしてご飯
これだけが
出ているお店ですね
なのでちょっと
腹ごなしという感じで
ゼロ時代的に餃子
そしてビールかなを
いただきます
そこから徒歩5分ほどは
平仮名で
一文字では
焼き鳥ですね
ここで自撮りだったり
他にも一本150円
ですから
いろいろ食べていただくと
あと牛のたたきが
これを外せないですね
これと
焼酎をここでいただくと
そして徒歩5分ほど
ロバタ焼きゲンタさんですね
こちらではヒューガナダの
お魚をいただけると
あと時期によっては
アユもいただけたりとか
結構時期によって変わるんですかね
変わると思います
魚は全然変わると思います
どの季節にも美味しい
お魚はいるでしょうから
ここで
締めにねお魚と
甲子焼酎かな
いただくと
3軒とも食べるお店ですので
ちょこちょこちょこっていう感じで
食べていただくといいかな
それがいいと思います
そこから徒歩5分ほどで
ホテルに戻りまして2日目が終了
というところですね
この番組ではお便りを
募集しています
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普通他など何でも結構です
番組概要欄に記載している
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大変励みになります
そして我々のマイマップ
年表もございますので
ぜひ参考にしてください
野病科の魅力と考察
この野病科の
公共心っていうのが
本当にすごいなっていうのを
感じてましたねずっと
これは僕も本当に驚きました
こんな街だと知らなくていて
なんか歩いていてすごく綺麗な街だな
と思ったんですけど
暮らしやすそうだしすごくいい
と思いましたね
何なんだろうこれは気候の問題なのか
どこから来るんだろう
って
昔から受け継がれている
教育なのか
分かんないけど
内藤家の友様がああいうことをしたっていうのは
一つ大きなポイントになってると思います
ああいう人を目指したい
ってみんなが思ったのかもしれないしね
いやすごいな
本当にそれをずっと痛感する
コースだね
観光という以上にね
大学生の方であれば
社会学のゼミとか街づくりとか
そういった観点から野病科ってのは
独立される存在なんじゃないかなと思います
大学生価格でも
いけるやひとりやでとんでもない
確かに
ずっと
感銘を受けてた
僕も本当にただただ
その一言ですごい本とか買っちゃいました
ちょっと翌日本屋行くんですけど
そこで野病科について
なんでこんな素晴らしい街があるんだろう
僕も野病科の人あんまり知り合いないんで
聞いてみたらいいですよ
どういう街なのかこの野病科というところがもっと
なんかもうずっと話聞いてて
旅行を巡ってるっていうのにも
その土地を
知りたいみたいな
そういう気持ちになってきた
すごい興味をそそられた
そうですね
3日目はどこに向かうんですか
3日目はちょっと野病科を
朝掠めながら
徐々に徐々に宮崎空港に戻ります
最終日になりますので
その時に
このヒューガの北部
野病科を中心とした地域が
近代において
ひとつのターニングポイントを迎えた
その時の実績をたどっていきたいと思います
ということで
それでは今回はこの辺で
ありがとうございました
52:39

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