1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #75【徳川家康】天下内省のじ..
2025-01-09 1:19:11

#75【徳川家康】天下内省のじかんPart3

天下内省のじかん 家康を導いた“3つの裏切り”3日目


江戸幕府の創始者にして、260年に及ぶ泰平の世を実現した徳川家康。そのあまりに有名な生涯は、敬慕あるいは神格化され、後世の日本人にも大きな影響を及ぼしました。しかしその人生を史料に沿って観察すると、浮かび上がるのは隠しようのない“裏切られ”の系譜。最後の勝者と思われがちな家康が向き合わざるを得なかった、しかし向き合ったがために天下を得る契機となった“3つの裏切り”を、家康所縁の地を巡りながら考察します。


【目次】

〜 内田がおすすめの冬アイテム

〜 家康を巡るこれまでの旅をおさらい

〜 家康ゆかりのユニークなカフェメニューを味わう 【hug coffee 静岡市歴史博物館店】

〜 家康と駿府を知るミュージアム その中には遺跡が!?【静岡市歴史博物館】

〜 家康の後半生 3大危機とは!?

〜 家康が丹精を込めて築いた終焉の城 【駿府城公園】

〜 ★第3の裏切り★ その裏切りは“裏切り“だったのか!? 石川数正の出奔

〜 家康が“内省”をした今川義元の菩提寺 【臨済寺】

〜 ★歴オタ話★ 先進的な法治国家を創った今川義元の凄み

〜 天ぷらの名店でコスパ抜群のランチを 【天廣】

〜 富士山×駿河湾×名建築 の絶景展望台 【日本平夢テラス】

〜 家康の息吹を濃厚にとどめる 【久能山東照宮博物館】

〜 ★歴オタ話★ “洋時計”に見る家康の開明性

〜 家康の生涯を偲びながらお墓参りを 【久能山東照宮】

〜 1日の振り返り

〜 ★最後のお願いです!★JAPAN PODCAST AWARDS投票は1/10までです

〜 ★旅の終わりに★ 裏切られ続けた人生……その先に夢見た“平和のかたち”


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐な旅行ガイドブックの編集者、はるやです。
ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
はい、前回のね、冒頭でも言いましたけど、収録と公開の日にちがないっていう、我々としては珍しい話なんですけど、ということでね、ちょっと冬、俺が気に入ってるものをね、ちょっと紹介してみようかなと。
やっぱね、冬乾燥するじゃないですか。でね、結構俺足とか痒くなっちゃう。乾燥してるとね。
それでね、昨シーズンから俺気に入ってね、使ってるやつがあって、これね、キュレルのバスタイムモイストバリアクリームっていうやつ。
ハンドクリームって何かですか?
まあボディクリームみたいな感じかな。でこれね、お風呂で、まあシャワー浴びたりお風呂入ったりするでしょ?
で、体を拭く前、体が濡れた状態で塗るやつ。
へー、あえて?
そうそうそう。それで体に塗って、でバスタオルで拭くんだけど、それはまあ擦るとさ、そのクリームが取れちゃうから、こう抑えるようにして水分を取って上がるっていう。
そうか、それで保湿するわけ?
そうそうそう。
あーなるほどね。
これがね、めちゃめちゃいいよ。
さすがだね、キュレル。
そう、全然乾燥しなくて、もうこれだけでいいって感じで俺はね。めちゃめちゃいいっすこれ。
結構確かに痒みとか気になりますもんね、乾燥するとね。
そう、これなんか乾燥悩んでる方とかいったらね、おすすめですこれ。
すごい、なかなかうちのね、このポテンシャルなかったタイプの商品紹介。でも重要ですね。
そうそうそう。まあ冬なんでね。
時々ネタが言えるんでね、数少ない機械なので。
今回は天下内政の時間、イエヤスを導いた3つの裏切りの3日目と。
3つ目の裏切りが今回出てくるわけですね。
そして、導いたと言ってるわけなんですけど、イエヤスはこの裏切りを経て、どこに導かれていったのかっていうのを旅の最後に考えてみたいんです。
なるほど。
それが内政の時間なんです。
イエヤスって天下をとって、最大の功績はこの260年間、基本的にはもう平和なね、世の中を築いたって世界史上にも類を見ない功績なんですよ。
この苦しみ悩み抜いたイエヤスはその果てに何を見て、どういう世界を夢見たのか。
その時点で何を内政した上で残していったのかっていう、そこに迫っていきたい。
それを導いたのが、この3つ目の裏切りだったわけです。
おさらいしておくと、1日目の裏切りは、岡崎城の島主になった後に一行一起が起きたと。
03:08
宗教上の理由で起きた。
その中に自分の家臣とかも入ってて、裏切られたと。
2つ目は息子の裏切り。息子の裏切りかどうか真相はちょっと分からないけれども、そうなんじゃないかと。
武田と繋がっていて、イエヤスを倒そうとしてたんじゃないかというのが分かって、息子信康を殺さざるを得なくなってしまったというのが2つ目の裏切り。
血縁状の裏切りってことですね。
宗教・血縁関係というふうに順調に裏切られてきてるわけですね。
何が残ってんのって感じするけど。
3つ目がある意味、もっともスタンダードな裏切りかもしれないですね。
じゃあ、その3つ目は何なのか、そしてどう乗り越えていったのかを、この3日目で解き明かしていくということですね。
3日目、よろしくお願いします。
前日、静岡駅近く、できれば北側の方のホテルに泊まっているという想定でお話をします。
前日、大変夜遅くまで飲んでいますので、9時くらいからちょっと活動を開始できればいいかなというふうには思っておりますので、
ただ、今回も公共交通機関かなり絡みますので、なるべく時間はこの通りの方がいいと思っています。
9時に宿をチェックアウトしたとしましょう。
過ごしましたら、そこから徒歩10分ほど行ったところにですね、ハグコーヒー、静岡市歴史博物館店があります。
結構なんかポップなお店な感じですかね。
ハグコーヒーさんというのは、HUGするのはハグですよね。
ハグコーヒーさんはね、静岡市を中心に展開するローカルなチェーンのカフェになっています。
静岡市内の方は多分皆さんご存知だと思いますね。
でね、非常に僕ここ面白い店だなっていつも思うんですけれども、
両街町っていう大村婆さんとかの近くの中心部にも結構あるので、結構無理でここ博物館に行かなくてもいいんですけど、
すごいね、地域文化の交流店みたいなことを目指していらっしゃるお店で、
なのですごいアーティストのアートとか、すごい現代アートとかもすごい飾ってあったりとか、
それでいてカフェ、サードプレイスってよく言われますけれども、
ああいったものを目指したりとかっていう憩いの場と新しい刺激を受ける場みたいな、
まさに家でも旅先でもない何かっていうところで体現されているお店だなって思うんですね。
今回ね、モーニングの用途で行っています。
静岡市内の街中の方の両街町とかの方は、ベーグルとか朝ご飯としていただけるんですけれども、
この静岡市歴史博物館店さんというのは、
この歴史博物館が新しい博物館なんですけど、
06:02
ここの中に入っているカフェなんですね。
なのでこれね、静岡市歴史博物館店限定のメニューも結構ありまして、
これ、
イエヤスですね、これは。
ラテアートみたいな感じでね。
抹茶ラテですね、静岡ということで。
緑のイエヤスが表面にいますね。
我々ね、ニノのね、ニノというか、
いつものように呼び名が出ちゃいますね。
小田原市民にとってのニノ、ニノ宮金次郎の。
ニノ宮金次郎さんのラテアートおなじみですけど、
歴史上の人物がね、ラテアートになっているという。
イエヤスさんのね、一番有名なあの肖像画ですよね。
と、HUGのハグコーヒーのロゴが入った抹茶ラテがあったりね。
これちょっと面白い。
これ、美白店限定のものになりますので。
やっぱりイエヤスさんを今回テーマにしているのでね、
ぜひこっちのお店に行っていただきたいなと思いました。
なんかちょっと親近感あるわ。
そうですね。
あとは、朝行かないよっていう方でも、
イエヤス天下鶏カレーと言ってて。
天下鶏の鶏をチキンとかけてるわけですよ。
なるほど。
といったカレーライスがあったりとかね。
ちょっとこのHUGコーヒーさんの中でも、
ここはちょっと異色のお店になっているような状況なので、
大変歴史ファンの方には喜ばれるんじゃないかなという気がいたします。
あとはHUGコーヒーさん自体はね、
結構この歴白店じゃないんですけど、
街中の方にあるのは結構夜もやってたりするので、
夜カフェの用途にも使えたりするすごい素敵なチェーン店になってます。
ぜひ静岡行かれた際にはよく見るお店だと思いますので、
特に今回は歴白店をフィーチャーさせていただいたという次第です。
でね、このHUGコーヒー静岡市歴史博物館店さんなんですけれども、
そういった歴白の中に入ってるんですね。
この歴白というのはそもそも、実はその寸歩城という、
家康が最後を迎えた、最後の表情ですね。
寸歩城の目の前にあるんです。
なのでこのHUGコーヒーもね、カウンター席の方へ行きますと、
その寸歩城を見ながらね、家康のラテアートも一緒に見れるっていうね、
家康ファンにはたまらないようなものになっているわけですね。
なのでここでご食事を終えたら、
もう早速その歴白を見に行ってしまいましょう。
徒歩1分というか、要は同じ建物の中なんですけれども、
静岡市歴史博物館です。
寸歩から静岡へ、そして未来へということでですね、
2023年にオープンした、本当に新しい歴史博物館。
でも2023年というのはね、大河ドラマでね、
どうするイイヤスという徳川イイヤスの主人公に、
松本純さんがね、演じたドラマがありましたので、
ちょっとそれに合わせたという格好もあるんじゃないかと。
なるほどね。
ここがね、やっぱり今回の一通さんのリクエスト、
寸歩の話ですよね、とイイヤスの話という意味では、
真っ先にお勧めしたいところになります。
これはもうその名の通りで、
寸歩という中世の今川市の都ですよね。
駿河の国、今川義元とかが活躍したっていうものから、
少年時代でイイヤスが訪れたその町の風景の話と、
イイヤスがやがて大人になって帰ってきて、
09:01
で、天下ピタとして最後をこの時代に迎えた。
この江戸時代の寸歩の話。
そして寸歩、徳川家は明治維新で倒されてしまうわけですけれども、
15代将軍の吉野部も最後は寸歩にやっぱり引き取って、
やっぱり江戸を退去した後、色々変遷はあるんですけど、
最後徳川家はやっぱり寸歩の領地をもらうんです。
明治政府からね。
なのでやっぱり寸歩っていうのは、
徳川にとって一番大切な場所だったかもしれないんですよ。
吉野部も最後はこの静岡市内で隠居してるんですね。
なのでね、そういった中世から主に近代、そして未来までを、
この寸歩、静岡というものを軸に考えていく。
展示室はね、もう本当に徳川家康のことがすごく充実しています。
まあそれがメインになるだろうね。
そういうことになります。
でも今まで岡崎の三河武士の館の話もありましたし、
浜松城公園のそれぞれ家康関係の博物館って見ていますけれども、
やはり寸歩という土地と根差した今川市の城下町だった寸歩の、
家康の少年時代の人格形成の話だとか、
あとは家康が来た後のね、まさにディズニープラスの将軍ですか、
描かれた外国人との交流の話。
江戸幕府でも天下を取った後の家康の話。
裁判での家康が外国人の人を寸歩に招いていた話だったりとか、
そういったところもね、うかがい知れますので、
より新しい家康が見えてくるきっかけになるんじゃないかと思います。
そしてね、この博物館ね、一つもうちょっとすごいところがありまして、
これなんですね。
なんかすごいね、開放的な感じの写真がありますよね。
これちょっと見てもらっていいですか。
遺跡みたいのがあるってこと?
そうなんです。
これね、面白いのが博物館1階のロビーの中に遺跡が展示されてるんですよ。
つまり現代建築の、すごいこれも有名な建築家が建てたものなんですけども、
寸歩城の遺構を取り込むようにして博物館が建てるので、
博物館の中に地表が現れてるシーンがあって、
そこは寸歩城の遺構なんですね。
だからその中世とかの遺跡に降りていけるんですよ、この博物館の中から。
面白い構造だねこれ。
面白いですね、非常にね。
これ写真だと降りてるよね。
はい、降りてます。
もちろんこの発掘の主要な施設で文化財なので、
これ上に立つことはできないんですけど、
その近くに行ける用の階段みたいのがありまして、
その決められた範囲内ならば、実際遺跡の同じような目線で立つことができるという非常に面白いものなんですね。
発掘現場そのままに展示って書いてあるね。
そう、あえてそうしたんです。
博物館って普通は現代のものなんですけれども、
あえて中世のものも共存させておくっていう、
すごい大胆な発想に基づいて作られてる博物館なので、
なかなか見ないですね、こういうところで。
ちょっとリアリティが増すよね、こういうのあるとね。
これがまた1階ロビーにある、
もちろん物理的な関係で1階にせざるを得なかったんだと思うんですけど、
12:00
導入部分にあるわけですよ。
だからこれをまず見て、何これ、この博物館すごいなってなった上で、
2階、3階が展示室になっているので、
徐々に歴史の深みに、新しい歴史にハマっていくような、
すごいコンセプチュアルな博物館だなと思いますね。
ちなみにこれを設計されたのが、
SANAっていう建築の事務所というか方なんですけど、
この人は建築好きな方は絶対知ってると思います。
代表作で言うと、金沢の21世紀美術館とかを作った方ですね。
行きましたね。
行きました。
現代美術館として、今はもうすごい国内外からとんでもない人がね、
あの美術館を作った人でもあるんですよ。
だからやっぱりすごい大胆で面白い発想をね、手掛けられる人ですね。
あの博物館もね、なんだろう、うねうねしてて、
若干迷路っぽいというかね、感じの建物ですけど、
同じ人がそういうことです。
作ってるの。
なのでそういうね、建築上の面白みというのもありますので、
建築好きな方とかはそっちの楽しみも大きいんじゃないかという気がします。
ただやはりここでスンプの話をね、しっかりと学んでいただく。
家康の人物像とかに迫っていただくといいかなというふうに思っております。
そしてちょっと家康の反省の話に戻るわけなんですけれども、
前日までの話だと、
信安事件というものが起こって、
着難をね、じいじいにさせざらを得なくなった。
ただその直後に武田に対しても逆襲できてますから、
武田も滅んで、
そして武田が滅んだその後にね、
信安が死んでから大体3年ぐらいした時に、
武田勝頼が滅びます。
この話は武田の時にやりましたよね。
そしてただ武田が滅びると、
その直後に起こった事件が何だったか覚えてますか?
武田が滅びた3ヶ月後に、
要は武田が滅びて上杉が滅びなかった理由なんですけど、
何が起こった?その間に。
本能寺の辺だ。
そうです。
1582年6月2日。
まさかの裏切りによって、
織田信長は突然の最後を迎える。
これは誰もが知ってる話ですね。
ちなみにね、神の君、これイエスの事なんですけど、
三大危機って言われてるものがあって、
これの一つ目が三河の一行一起。
これ1日目にやりましたね。
二つ目が味方が払う戦い。
これ織田信長にフルボッコンにされた時の話ですね。
三つ目がこの本能寺の辺の時なんですね。
それが危機なん。
なんでイエス関係ないじゃんって思う方いると思うんですけど、
実はこの時イエス何してたかっていうと、
この6月2日。
なんとね、観光旅行中だった。
旅行中だったんですか?
タイミング悪いね。
織田信長の本拠地である安土城。
今は滋賀県ですね。
そのちょっと前に招かれて、
信長と宴会、宴をやったと。
それで信長から、俺は今から京の本能寺に移って、
京都で色々ちょっとやることがあるんだけど、
せっかくこっちまで来たならば、
色々機内を観光していけよって言われて、
じゃあお言葉に甘えてみたいな。
15:00
武田もほろんだし、ゆっくりできるし。
ていうんでね、のんきに大阪の方をね、
観光してたんですね。
堺にいたんですよ。
堺でわずかな手勢、
ほとんど軍隊の手をなさない。
旅行中なんじゃないか。
のんきに観光してたら、
信長が死んだと京都で。
どうすんだこれ。
三河まで帰れないじゃん、このままじゃん。
明智の手に見つかったら終わりじゃん。
俺も殺されちゃうよ、このままだと。
帰る途中に、
明智がいるかもしれない。
現に明智は信長殺したと。
信長殺したら家康も消そうとしますから。
ヤバくないこれ。しかもうち誰もいないよ今。
ってなって、
何十人かって本当にもう
大大群なのにそれだけの手勢で、
京都を突破するんです。
山の中を。
具体的には伊賀の山の中を通っていったんです。
そこでね、伊賀越えっていう、
伊賀って忍者の国っていう
有名ですけれども、
あの伊賀忍者たちがいたと言われている
あの国を山の中を突破して、
どうにかこうにか伊勢までね、
たどり着いて、伊勢から
三河まで船で帰ったっていう。
もう本当にしむすむ前で、
実際あの徳川家康は過労死で
生き残ったんですけど、
家康と一緒に観光してて、別ルートを通った
穴山売節っていう元武田の家臣は
殺されてるんです実際に。
だからそっちの道行ってたら家康も
たぶんここで死んでたっていう。
まあこれは家康自身が揺らりだれたわけでは
ないんだけど、
今回は三大劇としてすごい有名なエピソードなんですが、
あまり今回は話しません。
が、こういうことがありました。
ところが考えてみるとですね、
いざ三河とか浜松とかに
ついてみたら、
信長が死んじゃったけどどうすんだっけこの先
ってなるわけですよ。
寄りどころがない感じだよね。
自分の周りを見てみると、
自分本拠地浜松にいます。
その時武田を滅ぼしてるので、駿河の国
旋風も自分のものになってたんですね。
三河は元々持っています。
結構俺、
俺が死んだらまあまあな位置なんだな
って風になるわけですよ。
しかも光秀を
秀吉が殺してくれたし、
俺この先どうしようかな
みたいな。
となってる時にふと上を見てみたら、
海の国山梨ですよね。
信長の国長野ですよね。
この辺りに信長が
武田を滅ぼした後に、
信長の家臣が配置されてたんですけど、
たった配置されてから
3ヶ月も経たないうちに信長が死んでしまったので、
すごい支配基盤が脆弱で、
逃げちゃったんですみんな。
信長に置かれていた家臣が。
これやばいっつって。
すっからかんなんですよ。
あの辺が。これ取っちゃおうかなって
話になって、イエウスは
浜松津の方から海の国、
信長の国に出陣していって、
その世を取っちゃったんです。
うまい便乗して。
別に誰もいないし、
自分のものにしちゃおうって取っちゃった。
小田原の法上家も同じことを狙ってて、
大量に侵攻してくるんですけれども、
それとうまく渡り合って、
群馬県は小田原法上家に譲る。
けど長野と海は徳賀のものにするっていうんで、
18:01
いつの間にか
東島が本郷。
で、ふるさとの三河。
で、ゆかりなる寸布。
そして新しく加えた海、シナノっていう5カ国。
中部地方で最大勢力の大量になって。
っていうね、
のがイエウスの現在地なんですね。
なるほどね。
勝ち取った感じではないけども、
なんか気づいたら大きくなってた。
そうそう。信長に味方していくうちに、
信長が異常に発達していったから、
そのおこぼれみたいなので駿河とかもらえちゃって、
信長が死んだら死んだで、
誰もいなくなっちゃったから、そこをもらっちゃおうみたいな。
で、走行してるうちに、
機内の方は柴田勝井っていったね、
一前北の少女ですね。
と、秀吉が静か岳でやりあってて、
小田家が内は揉みしてるから、
その隙に自分で徳賀の領地広げちゃおうみたいな。
でも小田方のみんな味方だと思ってるから、
攻められもしないし、
っていう感じだったんですよ。
だからいつの間にか推しも押されもせるのに、
大大量になってるんですよ。
ところが、走行してるうちに、
小田方の内分が収まってみると、
秀吉というのが尋常じゃない。
で、ほとんど機内も全部
自分のものにしちゃって、
信長以上の勢力になっちゃうような感じになったわけですよ。
ってなってみると、いよいよまた
立場が難しくなってくるわけです。
つまり、
秀吉につくか。
秀吉の下に入るかどうか。
秀吉と今は同等ぐらいの
扱いになってるけれど、
信長には従ったけど、秀吉にまで
従う意味あんのかな。俺もそこそこの代表だしな。
むしろ小田原の法条とちゃんと結べば、
秀吉にも対抗できんじゃね?
って思う。
秀吉も成り上がり者で嫌われてるし。
っていう風な考えでいたんですね。
で、そういうのが
ESの現在地だったんですよ。
で、走行してるうちにですね、
信長が死んでから
3年後くらい、1585年なんですけれども、
から、ESは
本拠地を浜松から
寸歩に移すことを考え始めます。
そこで、昔
少年時代を過ごした寸歩の
街に移ろうとして、
大改造を行うんですね。
で、城も今川氏の建物だったもの
じゃなくて、新しく寸歩城
っていうのを築きましょう。ということで、
巨大な城下を築きます。
それを見に行きましょう。
静岡市歴史博物館の目の前なんですけど、
から5分ほど行くと
本丸まで行けるはずですので、
寸歩城公園に入っていきます。
非常にね、広い
お城なんですね、寸歩城ってね。
平城という区で、
この山が迫力がすごい
高いとかってわけじゃないんだけれども、
広く、いかにも平和な
感じもするんだけれども、
ちゃんとお城としての防御力も備わっている。
そしてやっぱりESがね、
本拠とした。
そして最後ね、陰陶も
自らここにしたということもありますので、
丹精込めて作った城になっています。
水掘りの前にこう、
きれいに整然と積み上げられた石垣とヤグラ。
あとはこの日本庭園ですね。
そして家康の
像とかも建っていたりして、
やっぱり家康という人のね、
すごくゆかりのある土地だったのよくわかると思います。
特にこのね、ヤグラの中のね、
竜宮倶楽っていうものとかもね、
21:01
最近復元されているんですけど、
その中にはね、
ESが内省した時間。
竹千代気味、手習いの間っていうのが
あるんですけれども。
あくまで再現されているだけですよ。
ここにあったわけじゃないんだけど、
ESが少年時代寸歩で過ごしたときに、
とあるお坊さんについて、
手習いとか勉強させられたわけです。
その勉強を一人で静かにしていた
間っていうのを再現したりしている。
なので、本当にこう、
ESというものを体感する施設というのが
非常にいろいろ工夫がちぎわめられておりますので、
公園として散歩するだけでも
全然気持ちよくていいんですけれども、
もし時間があれば建物の中にも入っていただけると、
そういった展示があったりします。
なるほどね。
確かにこの
家康の人生の要所要所で
出てくる場所だから、
ここをちゃんと巡れば、
なんとなくの家康の人生が
わかるみたいな感じですかね。
そして家康がなくなった場所でもあるので、
そういった意味でもね。
ところがですね、
ここでね、
3つ目の裏切りが発生するんですね。
秀吉と
家康の間は、実は
小牧長手の戦いという戦いが
いくら起こっているんです。
これは、織田信長の息子に
信勝というものがいたんですけれども、
これが馬鹿友だったんです。
だから秀吉に乗っ取られちゃってるわけなんですけれども、
気に食わないんですよ、秀吉のことが。
そもそもあいつお父さんの家来だったやつって
なんでこんな話になるわけですよね。
秀吉は秀吉でもう
信長様は偉かったけど、
馬鹿息子は
ダメだと。
自分が仕切っちゃってるわけですよ。
織田は織田プライドがあるから、
なんか気に食わないな秀吉。
倒せないのかなって思って、徳川さんだったら
もしかしたらっていうので、
徳川を頼ってくるんです。
一緒にあいつ倒しませんか、秀吉を。
家康は家康で、ちょっと秀吉と
どういう風に今後しようかなって迷っていた時期もあったので、
織田が乗ってきたなら
秀吉倒す対立名分にもなるし、
織田が乗っちゃおうって言って、
織田と共同戦線を張って、
秀吉と戦うんですね。
結構不思議な戦いでね、
結構戦線硬着して、
どっちも手が出せに出せないような状況がずっと続いて、
睨み合いだったんですけど、
局所的にはESが勝ってるんです。
だから、ESは
秀吉と結構渡り合える術量やっぱあるな。
うちの家臣強いしみんな。
ってなったけど、でもなんかやっぱり
ただ秀吉全部倒すのにはちょっといけないし、
秀吉は金もあるし、
政治が上手いし、経済力が全然違うと。
いうんで、
双方手打ちみたいな
引き分けみたいな感じになったんで。
ところが、
じゃあ今後秀吉とどうしていこうかと。
一回喧嘩したし、
でもちょっとお互い手出せないし、
喧嘩二分になるのかなみたいな感じになってるときに、
ESの家中でも
今後の方針をめぐってね、
いろんな対立が起こるんですね。
つまり、
秀吉なんてあんな成り上がり者には
戦う必要ないと。
だって俺ら小牧長くて頂上勝ったしみたいな。
絶対立て返りはあんなやつなんだよ。
っていう派閥と、いや、
24:01
局所的には勝ったかもしれないけれども、
秀吉はもう絶対
あいつはこのまま天下を取るから。
今はまだ秀吉との差がそんなに
なかったかもしれないけど、
毛利も長崎弁も秀吉に従ってるし、
いずれ島津も攻めるって言ってるし、
西日本全部秀吉もんになったら
もう立ち口できない。
だから、今はまだ秀吉がありがたがある時期に
無視をしたがっておいた方が、
秀吉に対しても恩を消せられる。
だから早いうちに和平をしちゃった方がいい。
っていう派がいたんだ。
で、
その筆頭にいたのが、
石川宝慶の神という人物。
これ石川一正という名前で、
現在には伝わってる人物なんですけれども、
もう、
家康が本当に人質として
振り回されてる時代からずっと
突きしたがってた家臣で、
家康よりも年長な兄貴分みたいな。
一応老臣。
重鎮中の重鎮。
しかもこの人は、
三河武士には珍しくって言われるんですけど、
外交的なセンスがすごくある。
頭のいい人だったの。めちゃくちゃ。
だから家康につけられて
ずっとついてきた人なんですけど、
この人が対秀吉の外交を
一点になってたんですね。
そのギリッキンの折衝を。
風政だからできたんですよ。
下手には出ないんだけど、攻められはしないみたいな。
微妙な距離感を保ってた。
けど風政は秀吉のことを
見てるからこそ、
秀吉がいずれ天下を取ることを
予見したんですね。
今ならばでも徳川の価値がすごい高いまま、
秀吉政権に加えられる。
からやった方がいい。
そしたら家中の
ふざけんなよ、石川さんどうしたんですか。
俺たちのプライドはどうしたんですか。
だってあなたこそ一番
家康様に近くてやってきたのに、
家康様に秀吉従いって言うんですか。
っていう話になって、
秀吉なんてあんなさらに従いしてありませんよ。
ってことになれば。
そして、
1585年のある夜、
突如、石川一政は
家康の前から姿を消した。
えーーー。
そんな逃げなくても
いいじゃんって思うけども。
どこ行ったのかって話してるんですよ、逃げて。
どうして逃げたのかって話もあるんですよ。
どこ行ったかって分かりますか。
その流れだと秀吉のとこ行くよね。
秀吉に裏切ったんです。
豊臣家に寝返ったんですよ。
大事件です。
しかも、
一政はこの時、岡崎城内だったんです。
つまり、
家康はもう浜松にいるけど、
寸法に移ろうかなっていう時期。
寸法は今頑張って工事してます。
西の守りは、
大秀吉の守りでもある。
三河っていう一番ふるさとでもある重要な土地を
一政がまかってたんです。
その一政が
裏切った。
付き合ってる歴で言えば、
一番長いわけだよね。
一番長い。
その裏切りは、
なかなか家族に匹敵するぐらいの
傷がありそうだね。
三河武士のある意味は、
結束の象徴みたいな存在ですよ。
石川勝馬さんは。
それが急に裏切っちゃった。
27:01
これがね、
三つ目の裏切りなの。
確かにオーソドックスで言えば
オーソドックスな裏切りなんだけど。
政力の強い方に裏切った。
石川勝馬さんはちなみにその後、
豊臣秀吉からめっちゃ歓迎されて、
あの勝馬さんが寝返ってきたっていうんで、
大歓迎されて、
あなたには新州松本あげますよ。
って言って、あの松本城を作ったのが
この石川勝馬さん。
国宝の松本城です。
あれを築いたのがこの人。
才能とか才力はすごい人だった。
だからこそイギリスにも誰よりも信頼された。
秀吉からも
スカウトは当然来てたでしょ。
そしてじゃあ、
家康はこれどうなったと思いますか。
秀吉に勝馬さんが寝返った。
ってなったら、要は
対秀吉の外交担当者兼
三河岡崎上代が消えたんですよ。
秀吉に行っちゃったんですよ。
じゃあ秀吉との関係性、今後どうしようってなるの。
家康からしても。
これはでも仕立てに出るしかないよね。
生き延びるためには。
そういうことなんです。
つまり、石川一馬さんの裏切りが決め手となって、
家康は秀吉の下についたんです。
大阪城に上がって、
自ら真珠を誓った。
なるほどね。
ただ、石川一馬さんの裏切りにも本当に謎が多くて、
未だにこれも真相は分からないんです。
ただ、秀吉との外交方針をめぐる
家中の対立によって
孤立したっていうのが
おそらく間違いないところではあるんですけど、
わざわざじゃあ寝返ることはあったのか。
そうね。
もう辞めたいですって言って延長させてくださいと
いい年ですよ。だってこの人結構老いで。
防身ですからね。
でもよかったはずなのに、なんでわざわざ秀吉にまで
寝返らなきゃいけなかったのか。
いいふうに考えるなら、
家康を秀吉につかせるために
先陣を切って寝返った
ということもありそうな感じですよね。
これは本当にそうと言われてるんです。
つまり、結果だけを見たら、
この一馬さんの裏切りが
家康を秀吉のもとに導いた。
もっと穿ったは味方をする。
これは僕が味方というよりは、
こういう説もあるんですけど、
これは家康と示し合わせてのことだった
っていう説もあるんです。
家康としては、
一馬さんと対立している家臣たち、
つまり秀吉なさるなんて従うなって
言ってる人もすごいいっぱいいるわけですよ。
ただその人に、
やっぱりごめん、俺もう無理だわ秀吉にやるの。
だからもうやっぱり頭下げます。
って言うと、
いやふざけんなそんなプライドないのかって言われる。
でも、
家康本心としては絶対秀吉に構わない。
長期的にみんな分かってるけど、
家臣たちみんなが納得する形で
秀吉に従いたから。
そのためには生きに立っている
反対派の強硬派家臣を
納得できる理由を作んなきゃいけない。
これが一馬さんだった。
なるほどね。
つまり徳川家のすべてを知り尽くしている、
軍事機密もすべて知った人ですよ。
が寝返ったら、
これは無理だ。戦っても絶対勝てない。
なるほど。
30:01
だってもう手の内は全部バレてるんだもん。
っていうことだったんじゃないかっていう説もある。
なるほどね。
もしかしたら裏切りじゃないかもしれない。
そう、そういうことなんです。
分かんないけどね。
っていう説もあるってことね。
ただ結果的には、
事実秀吉にこれでついた。
はいはい。
まあでも結果生き延びてるからね。
そういうことなんです。
というのがね、
3つ目の裏切りなんですよね。
つまり、
これが裏切ったか示し合わせてのことだったか
ちょっと分かりませんけれども、
仮に裏切ったとしたならば、
家康にとってやっぱり、
別の権威ってものから誘われてしまうと、
どれだけ鉄の結束を誇っていると思っていた
三河武士でも、やっぱり権威とかには
なびいていってしまう。
自分より強いものがいるとしたがって
いってしまうっていうことをね、
石川一正っていう、
自分を増して信頼していた家臣まで裏切った
っていうことで、
これがやっぱり非常に大きなポイントになった
と思うんですよね。
そして、ここまで3つ目の裏切り。
はいはい。
で、もうこの後は実はね、
今回の主題は終わったので、
簡単に家康のそれからを話しておくと、
もうここからって多分皆さんが知っていることだと思うんですけど、
この後、秀吉に突きしたがった家康は、
豊臣政権の最重鎮として、
最大勢力として秀吉を補佐しながら
天下を運営する、撤退をする。
その過程で小田原法上責めにも
活躍したり、その後の朝鮮出兵にも
秀吉のほう、唐津のほうまでね、
行ったりとかっていろいろやる。
そしてもう誰もが認める一番の
大大名として、秀吉からも頼りにされる。
同時に警戒もされてた。
で、間もなくして秀吉は死ぬ。
で、いよいよ自分の番が来たということで、
家康はセリガハラの戦いで
三谷を破り、自ら江戸幕府の
正大将軍としてね、江戸で幕府を開く。
なるほど。
で、やがて大阪の陣で
豊臣秀織も滅ぼしてしまって、
完全に帝化統一を成し遂げた。
それが1615年。
それを見届けたかのように、
その翌年の4月、寸歩城で
生涯を終えた。
ああ、そんな短いんだ。
大阪の陣から1年で亡くなったんですね。
だから本当にそこまでが自分の仕事だったと
思った。やりきったんだね。
そういうことですね。で、寸歩が
最後の時になる。
そして、
ここからが内政の時間なんです。
はいはい。
ここまでの家康を見てきて、
家康は何をこの後思っていったのかっていう、
この試作の時間パートに
入りたいと思うんです。
そのためにね、一つ行きたいところがある。
ここからがちょっと注意点を先にお話しておきます。
はい。
今から行く場所なんですけれども、
これは毎年5月19日と
10月15日にしか
開かないお寺なんです。
はあ。
見てる方は気をつけていただきたいんですけど、
いつでも見れるわけではありません。
なるほど。
5月19日と10月15日のどちらかにしか開かない寺なので、
その点は絶対注意してください。
なるほどね。
それ以外に行っても見れません。
そこまで行って何に見に行くのかということなんですけれども、
寸歩城公園を見終わりましたら、
33:01
そこから徒歩5分ほど、
お城のすぐ目の前なんですけれども、
東御門バス停という
バス停があります。
そこから寸歩ロマンバスという
徒歩バスに乗っていただきます。
これ静岡市の周遊しているバスがあるんですね。
11時10分にね、東御門バス停を出る
寸歩ロマンバスに乗って、
20分、11時半頃ですね。
臨済寺前というバス停に着きます。
はいはい。
このバス停から徒歩5分ほどの
ところにあるのが臨済寺です。
これはその
決まった日にしか開かないってことね。
なので今回の場合は5月19日月曜日に
行っている想定にします。
臨済寺というのは臨済州の臨済
なわけなんですけれども
ここはですね、徳川家康が
人質として寸歩に来たとき
うん。
太良山市にされているときですね。
寸歩の今川義元という人のもとへ
庇護されていたわけなんですけど
その時にね、この臨済寺の住職である
大元節細っていうお坊さんが
いたんですけれども
この人にいろいろ習ったんですね。
その大元節細がいたのが
この臨済寺という寺なんです。
大元節細って何者なんだって
何者なんだって話なんですけれども
この人は戦国時代みんな知ってる
国威の宰相。
軍師です。
ちょっとここで話を戻してしまうんですけれども
今川義元っていうと
どうしてもね、
桶狭間の戦いで信長にやられた人
っていうイメージがすごい強いと思うんですよ。
教科書だけ見てるとそれなんですけれども
この人は実は
めちゃくちゃ優秀な人だったんですよ。
今川義元って。
もともとこの人自身もお坊さんだったんですね。
今川家の末のほうの
子供だったので
お兄ちゃんとかが当主になってたんですよ。
だけどひょんなことから
お兄ちゃんが若くして死んだりして
お坊さんだったこの義元に
家族が回ってきたんです。
それで反乱みたいなのを起こしたやつ
他の兄弟を殺して
自分が当主になったんですけど
っていうくらいのこの人の仕上がってきた人なんです。
ただその上で
政治的なセンスがすごい抜群で
この義元の
義元のお父さんの宇治地下というのも
すごい有能な人物で
この人も自分の法律みたいなのを
朝倉隆一と一緒ですよ。
自分の領国にだけ通用する法律みたいなのを作って
すごい先進的な組織で
民衆たちを従えてたんですけど
それを受け継いでさらにそれを進化させて
今川金目録追加っていう
今川家の
法律をさらにバージョンアップさせるようなことをして
より一層
戦国時代の中でも
すごい先進的なシステムを
川側の領国で整えて
それによって内政も安定させて
寸歩の城下町は文化がめちゃくちゃ
栄えてもう東国一の都会と
言われたこともある。
静岡すごかったんですよ。寸歩の町。
大都会の経済も発展して
軍事力も強くなって
なのでこのような王国みたいなもの
これを幼少期の竹町は
目の当たりにしたんです。
これがつまり僕は思うに
徳川家康の見た現体験だったと
現風景だったと思うんです。
大平していく様を見ていた。
36:03
あくまでも駿河と今川家の
領国だけの話かもしれないけども
少なくとも寸歩という町は
この世の平和な町の象徴的な
みんなが文化的にちゃんと生きている。
少量も栄えている。
こうやってお寺とかもあって
安らぐ場所もある。
そういう一方の先進都市に
竹千代は人格形成の時に育っているんです。
先進都市を作り上げたのが
吉本であり
吉本の軍師であった大元節祭。
いわば仕掛け人みたいな人から
官房職みたいなもんですよ。
この人から直接手習いとか受けている。
だからすごい教育を受けている。
正直人質にされなかったら
岡崎には岡崎の教育があったら多けれども
こんな教育はね
多分受けられなかったと思います。
逆にそういう良い教育を受けられた。
人質というか留学というか。
こういうところだったんですね。
なのでこの臨済寺というのは
もともとは今川家ゆかりのお寺です。
これは今川市の母大寺で
桶狭間で売れた今川吉本のお墓とかも
ここに残っています。
5月19日というのを
思い出していただきたいんですけど
何の日だったかというと
戦いの日ね。
桶狭間。
桶狭間の戦いの日。
1560年5月19日なんですね。
つまり今川吉本の明日です。
今川吉本のお墓があるお寺なので
今川吉本の明日にだけは
公開をして
法要をやるんですね。
なるほどね。
それで桶狭間の日なんだね。
そういうことです。
実際行っていただくと
特別公開なのでかなり混みます。
やっぱりもう1年に2日しか見られない。
なので混むんですけれども
やっぱり行く価値あるなと。
見どころとしては
もちろん臨済寺、大元節祭ゆかりの
いろいろ見れるんですけれども
今川吉本の木像とかがね
それを目の当たりにして
拝観で行ったりもするし
あとは庭園ですね。
やっぱり室町時代とかの
武家文化に栄えた和風の庭園というのが
すごい良い庭園が残っていて
それを園に腰掛けながら見られたり
そして竹千代
幼き日の徳川家康が内政した
竹千代手習いの間もあるんですね。
ああそうか。
復元されてたやつ。
寸布城の悪魔に再現されてたものなんですけど
臨済寺のやつは
当時のものはもう残ってないんだけれども
実際これ多分手習いをしたことは間違いなかった。
その場所ではある。
そこに再現がやっぱりされてます。
竹千代が。
だから竹千代は大元節祭っていう
本当に超一流の人物から
英才教育をこの内政の間で
施されていた。
ていうのがね、そこに
家康というものがね
この少年時代の経験、そして
三度の裏切りがあった大人の話
家康が何を見ていったのかっていう
一つのルーツになると思っているんです。
つまり彼の見た寸布っていうのが
もしかしたら彼が目指したものだったんじゃないかと。
なるほどね。
ちなみに寸布自体は
武田信玄が今川を滅ぼした時に
39:01
信玄が燃やし尽くしました。
なので家康の見たあの風景は
もうどこにも残ってないんです。
だから新しい寸布を
家康が建て直すんです。
なんかちょっと希望が見えた感じするね。
希望が見えた。
ちなみに10月15日は
なんと開くんだって話なんですけど
これはね、マリシテンっていう
仏さんを祀ってるんですけど
このお寺はですね。
マリシテンの縁日が10月15日なんですね。
なので吉本っていう人物と
仏さんの都合で10月15日
5月19日と10月15日
っていうので年に2回しかなりません。
とにかくここだけ要注意です。
僕去年行ってきました。
2024年の5月19日にね
初めて行ってきました。
初めて行ってきました。やっぱりチャンスなかったんで。
まあそうだよね。曜日も会わないといけないし。
私やっぱり近くなったのでね。
とにかく。
すごいやっぱね、5月19日に行くと
そのお寺のね
緑がやっぱ合おうとしてね。
庭園ですよ。やっぱりその
日本庭園のその新緑が
すっごい綺麗でね。
すごい心が洗われるようなね、いいお庭でしたね。
いやなんか写真でもね
割とすっきりした感じのね
緑と白い砂利と
建物っていう
渋いというかね
シンプルなんだけど落ち着くっていう感じの。
そうですね。まさに
前週のお寺という感じがしますね。
というのがこの議員大事でした。
そしてね
ここからまた徒歩5分ほどで
臨済島へのバス停に戻っていただきますと
12時31分に
このバス停を通過する
スンプロマンバスがあるようです。
ここから静岡駅の方に戻っていきます。
20分ほど乗っていただいて
静岡駅前バス停に
12時51分に着きます。
そっからね徒歩8分ほど
行っていたところにお昼を食べに行きます。
天ひろさんというね
天ぷら屋さんがあるんですね。
天ぷらランチをね
いただきたいと
思うわけですね。
東京のコースでもやったね。
河原の阿部さんね、出てきましたけれども。
ちょっとそれに続く天ぷらで。
これまじうまい。
ほんとに美味しいんですよ。
シンプル。
ほんとに美味しかったの。
天ぷらはね
うまいわな。
何が美味しいって
ほんとにスタンダードに美味しいんですけれども
夜は結構
いいお値段のコースの
お店なんですよ。
ただねそれをね
びっくりするんですけど、昼はね
1000いくらとかで
提唱出してくれるんです。
コスパがすごいっす。
いやー嬉しいな
そういうランチで。
名店が出してくれるのはいいね。
特にやっぱりね
天ぷら定食
とかねやっぱり
エビとか白身魚
お野菜かな、夏野菜みたいなのも
僕いただいたんですけど
これをさっさと一個ずつ出してくる。
定食なのにそれやってくれるんだ。
いいね。
42:01
とかあとはこの天丼ですよね。
天丼もあふれんばかりの
ボリューミーな天丼に
赤だし
という形でね。
いやーいいっすね。
そして
天ぷらと聞いてね
歴史好きの人はピンときてるかもしれないですけど
徳川家康ね
天ぷら大好きだったんですね。
あーなんか聞いたことある。
ちょっと縁起の悪い話なので天尋さんとは別の
切り口で聞いてほしいんですけど
家康は最後まあ1616年
7月17日に
亡くなったんですけれども
体調が優れやくなった原因というのが
タイの天ぷらを
食べ過ぎたことが原因と言われてるんですよ。
へー
それは何どういう
シンプルに
当たったの?
当たったっていうのもあったんだと思う。
ちょっと油が悪い油を
使われてしまったのかわからないんですけれども
いずれにしろタイの天ぷらがこの人
大好きだったんですね。
大好きだったらしくて
それをまあもう天下大変になったし
シンプルに言ったら食べたくなりますけど
タイの天ぷらなんて普通
喜んで食べてたら食べ過ぎちゃって
体調崩してそのまま回復せずにね
最後亡くなってしまったんですね。
なるほど
健康宅にしては意外とあっけない感じもするんですけど
当時で言えば
70いくつなんてすごいですからね。
まあそうね。
っていうぐらい天ぷらが大好きだったんですね。
なのでその縁も張って
もちろんこれはねそんなすごい美味しい天ぷらでね
当たり前といってはありえませんけれども
ちょっと言いやすいと言えば天ぷらというのも
ありますのでご紹介をさせてもらいましたし
僕もなんかそんな気分もあってね
行きましたね。
せっかくだから静岡で天ぷら食べてみたい
って思ったらまあ大当たり
すごかったです。
またこの赤だしがうまかったんだよね。
天ぷらなんかの赤だしってやっぱり油物を食べた後に
ちょっとお口直しみたいな意味もあって
すごく美味しかったです。
いいねー
天ぷらなかなかね
家でやってもうまくなんないから。
やっぱお店じゃないとこれはね。
一人旅にもすごい優しい
カウンターメインのねちょっと大人になった感じの
いいお店ですとにかくね。
というところでゆっくり天ぷらランチを
楽しんでいただければと思います。
でちょっとこっからはですね
少し郊外の方に行くんですが
バスで行くためにねちょっと時間が借りられますので
ちょっと天宏さんはね結構
ゆっくりいられるっていうかいなきゃいけない感じになります。
一時ぐらいに多分天宏さん入れると思うんですけれども
そっからちょっと
一時間くらい楽しんでいただいて
徒歩8分ほどで静岡駅前のバス停に戻っていただく。
14時23分に静岡駅前バス停を出る
静鉄ジャストライン
日本平線
というバスに乗ってください。
これで
42分行くと
15時5分に
日本平線夢テラス入り口
というバス停に着きます。
でそっから歩いてすぐのところに
日本平線夢テラスがあるので
ちょっとそこに行きましょう。
これは言いやすいとは関係ないんですが
やはりちょっとこの辺りに行くなら絶対
という感じですね。
45:01
すごくないですか?
すごく綺麗に富士山が
見えてますね。
これはまさに静岡
っていう。
なるほどね。
静岡の豊かな象徴ですよね。
ここの場所はちょっと
丘になってんのかな。
でも山の上です。
天望台ですここは。
本当に
街並みが下の方に
あってその奥に綺麗に
富士山が見えてるっていう。
いい眺めですねこれは。
特にこの辺り見ていただくと
静岡市の市街はこっちじゃないんですね。
これ美穂の松原川を見てて
ここ駿河湾なんですよ。
なるほどね。
つまり駿河湾もあるし
富士山もあるしっていうね。
駿河湾越しの富士山を見てるっていうね。
そうです。
なるほどね。いいね。
これ配信してんの
1月9日っていう
ちょっと正月気分
抜けたぐらいの時だと思うんですけど。
なんかめでたいねやっぱね。
そうなんです。
一通さんのリクエストをいただいた時にも話したんですけど
リクエストもらわなくても新春一発目
静岡にしたかったんですよ。
これをメインで取り上げたかった。
お正月っぽいじゃないですか。
今回家康というテーマを頂戴したので
岡崎から始めたのでちょっとずれちゃったんですけど
ぜひお正月ということで
やっぱり
この富士山はいいなと思います。
なるほど。
そもそもこの日本平というところも
本当に昔から語り継がれてきた
駿河の名所ですね。
特にね
この夢テラスというのはね
熊健吾さんが設計した
地元の木材を使った
展望テラスなんですね。
だからすごく
木のぬくもりと
構造の独特な美しさ
ドーム状のね
見上げてこのスケールの大きな感じだと
やっぱりこれすごいなと思いますよね。
なんかねその建物の中が
丸く吹き抜けになってる感じで
開放感と
木のぬくもりと
ちょっと木科学的な
かっこよさもあって
面白い建物だね。
これ中身はね
日本平っていうのは実はもともと
古代の神話とかにも紐づくような
古い歴史を持っているスポットでもあるので
そういった話もありますし
あれはやっぱり家康とか江戸時代に
この世をどういう人が愛してきたか
どういう人が文学を読んできたかみたいな
そういった資料がすごいね
軽やかに展示されているので
展望台だけじゃない地域の歴史も学びながら
最後抜けた先に展望台が開けている
そういったイメージになります。
そしてね
今回のテーマで
なんでわざわざ日本平に来たかっていうと
景色を見たかった
それもちろんいいんですけど
次の目的地が
最後の目的地なんですけれども
ここに行きたかったんですね
日本平夢テラスから
徒歩5分ほどのところに
日本平ロープウェイの
日本平駅というのがあるんです
この日本平ロープウェイというのは
48:01
どこに行くんだって話なんですけれども
日本平駅から
ロープウェイで5分ほど行ったところに
久納山という駅があるんですね
ここ時刻表示を見ると
15時45分に日本平駅を出る
ものに乗っていただいて
50分に久納山に着きます
この久納山というのは
家康が好きな人は絶対知ってます
家康はね
寸歩で亡くなってしまう時に
隣住にあたってですね
遺言をしたんですね
自分の遺体は
駿河の久納山に葬り
江戸の蔵城寺
これ柴の蔵城寺ですよね
葬儀を行った後に
三河の国の
大主寺
これは1日目に言ってましたね
に遺体を納め
一周期が過ぎたら
下助の国の日光さんに
銅を立ててそこに
移せと
そして漢波宗を守る
っていう風に遺言したって言うんです
これがつまり日光当将宮
つまり日光当将宮が
できるまで日光に移すまでの間
1年間は
久納山に祀りといったんです
自分で
二代将軍秀田だ
第一国を越した将軍ですね
彼がお父さんの遺言を守って
その通りに履行した
ので家康の遺体は
久納山にやってきた
久納山はそういうわけで今はもう
家康の遺体日光に行っちゃってるんですけど
その言われもあって
久納山当将宮っていうものが
ここに建てられている
当将宮というのが
イエスのことなんですね
神様としてのイエスのことなんです
東を照らす神様
ということですね
最初に
久納山駅に降り立ちましたら
徒歩3分ほどのところに
久納山当将宮博物館
という博物館があります
ここにちょっと行ってみたい
すごい博物館で
これ意外と知られてないんだけど
びっくりするんですよ
展示されてるものが
すごいんだよね
何かっていうと
徳川家康が裁判で
平和な世の中になった後に
住んでいた
家康の息吹とかが一番よく伝わる
まだ
深刻化される直前の家康なので
家康の遺品とかが
そのまま残ってるんです
実際にイエスが使ったものが
我々も見ることができるんです
特にイエスって
本当に健康オタクだったので
自分でやったこの薬の
調合器とかも自分だけやってたんです
自分で薬草とか
吸って自分専用の
オリジナル処方箋みたいなのやってたんです
それくらい
薬とかに健康に気を使っていた
その成果現れてるわけなんですけど
そういうのも残ってます
だからいかにイエスが
健康な人だったかっていうのがよくわかる
一方で
江戸時代っていうと
どうしても学校の教科書だと
鎖国とかっていうワードが
51:01
覚えてる方いるんじゃないかと思うんですけど
閉鎖した
内向的な時代なんじゃないか
思われるはずなんですけれども
イエスに限ってはそんなこと全然ないんです
これが
何かっていうと
重要文化財 用時計
これ
時計が残ってるんです一つ
すごい洋風の
本当繊細な
飾り付けが施されてる
時計ですね
これ面白いのが
何でこの時計があるかってことなんですけど
スペイン国王
フェリペ三世
世界史で出てきたと思うんです絶対
たぶん出てきた
俺覚えてないけど
フェリペ三世が
イエスに
送った時計なんです
フェリペ三世って世界史上の人物なんですけど
徳川イエスと交流があったんですよ
何でこんな時計送ってくれたのか
って話なんですけど
実はスペイン船って結構
日本の戦国時代よく来てたわけなんですけど
ある時これが
遭難してしまった船があって
事故あってしまった船があった
その乗組員たちを
江戸幕府に助けたんですよね
それで送り届けてあげたんですスペインの方
それがお礼ということで
このフェリペ三世が
この時計を送ったんです
これはイエス大変これを大切にしたそうで
本当にずっとこれ
自分で持ってたんです
亡くなった後にやはり
イエスの威信でかつ
スペイン国の国王が作らせた時計なので
技術的に当時の日本
今の日本から見てもすごいわけです
なのでこれはただことじゃない
ってことで
残党将軍に収められて
大切に大切に守り伝えられてきた
今国の重要文化財にも指定されている
この時計が見られるんです
面白いのが
この時計なんですけれども
いつ誰が作ったかも分かってるんですよ
1581年に
スペインの
マドリッドで作られた
だから今から
440年前に出ているんです
まだ色も落ちずに残ってるんですよ
これがちゃんと
これは
ゼンマイ式の時計としては
今日本に残ってる最古の時計ですね
すごいな
いかにイエスが
愛されていたかという感じだよね
そうですね
慕われてたということですね
さらにこの時計実は世界史的に見ても
すごい貴重な作例だったらしくて
くのうさん当初国に行けば
この橋に乗ってるんですけど
海洋博物館の
時計部門っていうのがあるんですって
そこの責任者の方が
わざわざこれを調査しに来たと
日本まで
その結果ですね
この時計には
16世紀1581年に
製造されたオリジナル部品が
99%残ってる
カバーもある
54:01
技巧としても当時
最高技術のもの
世界に類例がない
っていう風なぐらいの
とんでもないクオリティのものが
残ってるってことが分かったんです
現代においてここまで綺麗に
残されてるのはもうないと
だから世界の宝なんですよ
逆にヨーロッパって結構
その後戦争とかが
逆にこういうの普通に作れたからだと思うんですけど
日本の方がむしろ逆に
これをもうこれは1個しかない
ってことで貴重にしたんだと思うんですよね
イエスが持ってたってこともあるでしょうけど
これでね世界的に見ても
これすごいものだってことが分かったんです
99%
16世紀の美が残ってるっていう
すごいことなんです
大学物館からの調査に
責任者の人が来たっていうぐらいの
ものなんですね
そんなものが
あったとかね
これがねやっぱりね
徳川イエスっていう人の
いわゆる一般的な狸親父で
腹黒くてみたいなイメージとはやっぱり違う
実は結構解明的で
新し物好きだったっていう一面も
見られると思うんですね
なんでイエス自身は別に
鎖国をしようとは思ってなかったと思うんですよ
ただ結果的にその孫である
イエミツの時代になってね
鎖国というものが起こられたと言われているわけなんですけど
というのがね
このクノオさん当初後の博物館なんですね
これねすごく面白いと思います
なぜこんなにこの特形の話をしてるか
っていうと
今言ったようにイエスって結構やっぱり
地味だったりパッとしないって
イエミツさんの話も知ってたと思うんですけど
将軍のドラマ思い出してほしいんですけど
あれ三浦安人っていう実在の
人物がねモデルになってるんですよ
あの主人公
それが虎中に会うっていうところから始まったと思うんですけど
これがまさにそういうことなんですよ
つまり外国の方との
交流って実はイエスはすごく
それを好んだんですって
時計も大切にしまってあったし
三浦安人っていう外国人を
わざわざ日本名まで与えて
今の安人塚ですよ京急の
三浦安人のね
三浦安人に幼鳥をあげたから三浦安人っていう名前だったんですけど
であとはそれについてきた
後悔しのヤン・ヨウステン
っていうのも一緒に安人と一緒に
ついてきたのがいたんですけど
これにイエスは土地をあげるんですね
日本に屋敷をあげるんですよ
大切に保護してあげるんですけど
その屋敷があった場所というのが
ヤン・ヨウステン
って言って屋敷になるんですよ
東京駅の屋敷口
あれヤン・ヨウステン
はー
それがさ今や
東京の中心地になってるわけですね
ていうね
偶然もちろんあるでしょうけどね
イエスがたまたま東京駅で来たっていう
だけどやっぱり江戸城に近いじゃないですか
あったって
イエス自身はねやっぱりね
すごい僕は結構そういう新しい文化とか
開明的なものっていうのに
非常にね惹かれる立ちだったような気がするんです
こしりうかしいものが好きな一方で
そこにやっぱりね
スンプとかの影響を見るんですね
今川吉本時代の
あれにもやっぱり朝鮮とかからすごい
57:01
攻撃戦とかが入ってきて大都会なので
三河の岡崎とやっぱり違ったと思うんですよ
そのスケールだったり
世界中の人が来てたある意味
ていうものだったと思うんです
そしてまあねここまでイエスの将が
追ってきたわけですけれども
最後にねここまでやってきたのはね
お墓参りという形で
博物館からねちょっと賛同やや急なんですけれども
ちょっとまあ東照宮でね
山を少し上がっていったところに
徳川家康のねお墓が
あります
まあやっぱりさすがに天下人の墓ということで
巨大な墓ですね
どれぐらい大きいかということなんですけれども
高さ
5.5メートル
外周8メートル
の塔を建てて
そこに無数の石頭みたいに並べてあるっていう
写真とかが
ご子孫が参拝されてるので
人の大きさがよく分かるんですけど
これお墓なんだ
ホコラって感じだね
そうですね
やはりねこれだけの最後
三河の人質で
振り回されていた人がね
ここまでの人になったという
日光にももちろんもっとすごいんですけど
というものになるんですね
でこの九納山東照宮のね賛同の途中には
いっぱい石の灯篭があるんですけど
それを灯篭を見てるとねやっぱりね
全国各地の大名の名前があるんですね
つまりみんな徳川家の忠誠の証として
起身して
福岡藩黒田何々とか
これまで出てきたので言えば山の
とさの神とかね
松江松平何ヶ志とか
みんな書いてあるんです
というぐらい
天下を従えたんだなと
こういうことを見ても本当に言いやすいわけです
実感できるわけね
まあ夕方になってしまいましたけど
ここまでの旅を岡崎から
彼の出生を振り返って
お墓参りを最後していただいて
で岐路に着きたいと思います
で九納山東照宮からね
ちょっと九納山駅まで早めに帰っていただいて
17時がこれ最終便です
5時に九納山駅を出る
日本平ロープウェイで
5分で日本平駅に戻っていただきます
そっからちょっと間が空いて
申し訳ないんですけれども
17時31分に
日本平夢テラス入口のバス停を出る
静鉄ジャストライン
で日本平線で
50分ほど行っていただくと
静岡駅まで戻ることができます
で静岡駅におそらく
6時22分
20分ほどに着くはずなので
それで各々の岐路に帰っていただければいいのかなと
もちろんね静岡駅は
新幹線が止まりますので
東京西野関西にしろね
帰りやすいアクセスかなと思っております
それでは3日目を振り返っていきましょう
朝9時頃に
静岡駅のできれば北側
というところの
お好きなお宿をチェックアウトします
そこから徒歩10分ほど
ハグコーヒー
静岡市歴史博物館店
この後行くね
1:00:00
静岡市歴史博物館と
同じ建物に入っている
ハグコーヒーという
静岡市を中心にお店がたくさんある
ローカルチェーンのカフェ
名物は家康抹茶ラテ
ここは歴史博物館店だけの
メニューもあるということなので
ぜひそちらを堪能していただければと
そこから徒歩1分ほど
同じ建物ですね
静岡市歴史博物館
まず入った途端に
寸布城の威光がね
そのまんま展示されているという
そして家康の生涯を
追いながら寸布の
街並みとかそういうものを
展示開設している博物館
そこから徒歩5分ほど
寸布城公園
徳川家康が作った寸布城の
公園ですね
そして最後陰境した
お城ということで
ここが家康を巡る旅だったら
欠かせない場所なんじゃないかと
思います
そこから徒歩5分ほど
東5門のバス停に
着きます
寸布ロマンバスという
循環バスで20分ほど
臨済寺前というバス停で
降ります
そこから徒歩5分ほど臨済寺
ですねここが
5月19日をめがけて
このモデル構想を組んだ理由と
いうことで
家康が幼少期
人質としてね
過ごした今川市の
お大寺
ということで吉本の命日である
5月19日に公開されていると
なのでここをぜひ
めがけて行っていただきたいと
ここで家康の
幼少期どんな
環境で育ったのかとか
そして吉本のことも
ちょっと思いを馳せながら
拝観していただければと
そこから徒歩5分ほど
臨済寺前のバス停に
戻りまして寸布ロマンバス
で20分ほど
静岡駅前の
バス停で降ります
そこから徒歩8分
天ひろさんで
天ぷらランチをいただきます
夜はなかなか入りづらい
ちょっとね
手が出しづらいお店かもしれない
ですけどランチならコスパ良く
美味しい天ぷら天丼が
味わえると
そこから徒歩8分
静岡駅前のバス停
に行きまして
静鉄ジャストライン
日本平線で42分
日本平夢テラス
入り口で降ります
そこから徒歩5分ほど
日本平夢テラス
ここは家康と
直接関係はないけれども
富士山を綺麗に眺められる
展望台になっております
静岡に行ったなら
ぜひ富士山を眺めたいですからね
そこから徒歩5分
日本平駅に行きまして
日本平
アメイラロープウェイで5分
1:03:00
久納山駅でおります
そこから徒歩3分
久納山東正宮博物館
ここは家康の
遺品とかが展示されていて
目玉は養土家
ということで
これはもう世界的にも価値のある
一品になっていると
そこから徒歩5分
久納山東正宮
ここはもう家康のお墓が建っているところですので
この家康を巡る
旅をした人にとっては
やはり家康の
お墓参りをぜひしていただきたいですね
そこから徒歩5分
久納山駅に戻りまして
日本平ロープウェイで5分
日本平駅に戻ります
これが17時が最終
だったと思いますね
ということなのでぜひここに
間に合うように時間を気にしていただいて
これ逃すと
結構大変だよね
自分で下山しなきゃいけないので
歩いて下山はできるんですけど
そこからどう帰るんだということになると思うので
これ要注意です
日本平駅に降りまして
徒歩3分ほど
日本平夢テラス入口のバス停に
行きます
そこから静鉄ジャストライン
日本平線で51分
静岡駅前のバス停で降りまして
徒歩1分ほど
静岡駅に着きまして
お自宅へとお帰りいただくというところで
この回の旅は
ここで終了と
この番組ではお便りを
募集しています
番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報
不通だなど何でも結構です
番組概要欄に記載している
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フォローなどよろしく
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これらの投稿つぶやくさいは
ぜひハッシュタグ
おとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると
大変励みになります
よろしくお願いします
そしてこれ配信しているの
1月9日ですけども
はいはい
いよいよ明日締め切り
ジャパンポッドキャストアワードの
投票の締め切りが
明日に迫っております
ぜひすべり込みで
一票を我々に
いただけたら嬉しいですね
もう言うことはない
もう最後ですね
今までしつこく結構
各界の終わりに申し上げていましたけど
これが本当に最後ですね
最後のお願いということで
ぜひ面白いと思っていただけた方は
一票をよろしく
お願いいたします
いやー壮絶ですね
そうなんですよ
どうですかねやっぱり家康という人の
人生を見ていると
今回は
三つの裏切りというところに
フォーカスしたけれども
三代でくくるのもなかなか
厳しいという感じの
なかなか苦難の多い
人物だなって
1:06:00
思いながら聞いていたんだけど
でも
それを切り抜けられている
運の良さもあるなというのをすごく感じたね
本当にこの人は運もいいと思いますね
すごくね
三井光秀から
逃げ返れたとか
そんなの運でしかないじゃん
武田信玄が死んだとかね
その時の運もあるし
そういう持ってる人
でありながら
いろいろ苦難もあって
それを乗り越えて
幼少期に見た
太平のようを作ろうとしている
っていうだからそういう
良いこと悪いことを全て
吸収して
出来上がった人物なんだなという感じがね
すごくしましたね
本当に想像の通りだと思います
やっぱりそれは年をね
当時として長生きをすごくした
っていうのも円熟みを増して
家さんすごいところは衰えないんですよ
常にね
更新し続けていくの自分
体力はねもちろんあれかもしれないけれども
でもそれでも死の前年まで
戦場に出てた人ですからね
そうかそうか夏野人ね
知識も健康に対するものも
あと
歴史オタクでもあったので
古典文学と研究
あの武田の話もあったしね
そうそうそう
新しいものをどんどん取り入れようとする
その先進的なね
気持ちとね頭をね
この人は衰えないんですよ
常に常にねアップデートして
最高の状態で最後まで駆け抜けていった人なんですよね
これ僕はねやっぱすごいことだと思うんですよ
今でもなかなかできない
できない
他の歴史上の人物を見てても
武田信玄、上杉謙信も確かに
両国とかにも絶頂期でね
死を遂げましたけれども
家康というのはそれ以上にこう
人間としての慾みを
まして信玄は53で死んでてね
謙信は49で死んでるんですよ
家康は75とかですからね
75までの間に常に常に
自分を少しずつ高めていくっていう
この生き方は
やっぱりただものではなかったと思うんですよ
なんでそれができたんだろうか
そして家康は
家康はその果てに何を
目指したのかっていうことを最後にお話したいな
と思うんですけれども
僕はやっぱりねこれ本当に冗談抜きで
この人は内省力だと思うんですね
常に自分のとか
自分の身の回りのことを
振り返って考えて
それをどういう風にしたらじゃああの時は良かったのか
どうしたらあいつは裏切らなかったのか
どうしたらあの人は
死なないんで済んだのかっていうことを
常に常に反省して
その上で自分の答えをね
突き出していったこれだと思うんですよ
つまり自分の人生は
自分に学べるっていうことをね
ちゃんと分かってた人だと思うんです
で学ぶだけの材料いくらでもある人生でしたから
こんだけ裏切られた人も多くの人
そしてもう一つ
多分不思議だったのは戦国という時代にね
生まれた宿命っていうのはもちろん
思ってたと思いますけれども
なんで人を殺し合ったりとか
人が人を裏切るって
本当は普通ないことじゃないですか
1:09:00
尋常の世の中だったらね
人生伝説に基づけばね
まして家族とかね
なんで人は
人を裏切ってしまうんだろう
そしてなんで徳川のことをみんな裏切っていった
三河彦一で裏切った家臣たちのことも
拒材したでしょうし
自らね死を命じた
着名信康のことも拒材したでしょうし
あの信頼していた石川宝記の神のね
ことも多分いろんな人の
顔がちらついていったと思うんですけれども
ってなった時に
その答えとして僕が
すごくやっぱり注目してるのは
家康が天下大平
大阪夏の陣で豊臣を滅ぼした直後
死ぬまでの1年間にやったことなんですよね
これ意外とね
ドラマとかでもあと平和になりました
って感じで終わっちゃうこと多いんですけど
この1年に家康の答えがある
気がしていて何をやったかっつうと
彼はね
法令を出したんですよね
この1年でとにかく法律を作りまくったんですよ
つまり
自分がいずれ長くはないことはさすがに
わかってたと思うんですよ
何十年も生きることはできないと
けど人は人を裏切るそれが人だ
っていう風にたぶん彼ら見てたと思うんですよ
じゃあどうして人は裏切るのかって
その原因を突き詰めていった時に
その裏切りの原因を
潰していけば徳川の世は万弱になって
本当の意味で戦争とかが
なくなる世の中になるんじゃないかって
思ったと思うんです
それでたどり着いたのは僕はたぶん法ってことだったと思うんです
何をしたかっていうと
まず1つ目
寺院法徒ってものを作ったんですよ
つまり寺院
っていうものに対して
勝手になんか教団作ったりとか
するんじゃなくて
幕府の統制下において寺院を
運営しなさい
そしてそれぞれ団家さんをちゃんと
持って過去帳って言うんですけど
寺院の誰が何年に亡くなったみたいな
戸籍等本をちゃんと作る役人の役割もしなさい
っていう風に言ったんですよ
寺院に対して
村に絶対あるからお寺って当時は
これをやったり
そしてもう1つ
キリスト教は禁止したんだよね
これ僕不思議なところだと思っていて
家康って開明的で
養老系とか大切にしてたぐらいで
ヤン・ヨーステンなり安神の話
あるのにキリスト教だけは禁止したんだよね
これは大阪の寺院の前の話なんですけど
ここにね
僕はね
1つの仮説なんですけど
なぜこれを禁止したり寺院法徒作ったかっていうと
やっぱね
さっきの僕トラウマが大きかったと思うんですよ
すごく
新しい宗教が入ってくることへの恐怖というか
そう
まして多分安神もそのつもりがあって話したか
わかんないけども
十字軍の話とか魔女狩りの話とか
キリスト教の命と案っていうのをね
イエスはね
もうわかってた気がするんですよね
で既に秀吉はやっぱりそれに
彼も賢いから気づいていって
バテレンツイホーレってものを出してたんですけど
イエスはさらにそれを一般民衆にも
入っちゃダメだって言った
教義としてそもそも認めなかったんですよね
ヒーソー広まることを
外国人が信仰するのは勝手だけども
なるほどね
1:12:00
日本人で信じちゃダメだよ
そうだから以前に隠れきりしたとかがまた出てくる
それ理由になるわけですけど
これは僕やっぱね
信仰っていうものが倫理を超える
恐ろしさというものを
彼は身をもって知ってるからだと思う
そこに導かれたのが
一つ目の裏切り
そしてもう一つやったことが
武家諸法度です
これは教科書に載ってるはずなんです
これは大阪の時点で
秀織を滅ぼした直後に出したんですけど
武家同士が勝手に
結婚とか勝手に船作ったり
勝手に城を集蓄しちゃいけません
つまり大名統制をしたんです
完全に幕府が
大名のことを管轄します
これは
ちょっとうがった見方だとあれなんだけども
血縁とかの怖さもやっぱり
知っているので結婚を禁じたりするんです
勝手な結婚とか
これはやっぱり僕は
信安のこともあったと思うんですね非常に
そして派閥争いですよ
結局一番怖かったのは
なので幕府
秀織は息子の将軍を
頂点に幕府の
親戚であっても特別扱い
しなかったんだよね
もちろん老中になれる家とか
ある程度決まってはいたからそこは特別扱い
あったけども
松平って福井藩のすごい養殖ですら
あれ秀織の兄なんですよ
家安の息子がもともとなので
だけどそれも
武家諸法都の中に組み込まれるんです
親戚であってもこれは免れないんですよ
絶対に 信安の時の
経験から言うと親族
だからこそ禁じないといけない
そうそう特別扱いはしない
だしそれを擁立してくる
一派とかがいてきたらまだ厄介になる
だからそこは江戸幕府って一見
その審判不大
戸様とかってやってるっていうのは
それはもちろんある事実としてあるんだけれども
その一方で
足利幕府とか鎌倉幕府と比べると
統制力がやっぱり親族に対して
めちゃめちゃ強いんですよね
あくまで大名なんですよ将軍ではないっていう
ガシッと線引きをした上での
話なんですよ そして親族は
意外と幕府の養殖につかないんだよね
老中とかは水野忠君にしろ
大河ドラマの田沼幸次ね出てきますけど
とかも全然不大の家臣ではないけど
親族ではないですから
親族に産みはさせないんだよね
大切なご産家とか任せますけど
っていうところがやっぱり
一つ彼にとっての血縁というものの
ちょっと暗い影を落とした部分がある
制裁を持たなかったこともそうだし
もう生涯ね
そして最後に言ったのが
金中並びに久下諸波と
それも教科書にあったね
これも豊臣滅ぼした直後の話ですけど
これは結局
もう豊臣がいなくなったら
あと徳川に対抗する権威があるとしたら
朝廷だけなんですよね
金中ってのは朝廷のことなんです
久下っていうのは朝廷に使える貴族たちですよね
これも徳川が統制しますと
勝手に官職挙げちゃったりとか
しちゃいけないんですよね
権威というものを乱用しちゃいけない
朝廷の権威は徳川の
了解を得た上で使われるべきもの
1:15:01
これはやっぱり石川宝起の神
石川一正というか
徳川に対する権威っていうものも
もう存在しちゃいけないと思ったと思うんです
他に何行く可能性のある場所を潰したいってことね
潰したいってことだね
これは別に裏切りがなかったとしても
まず風間さんが裏切りじゃなかったかもしれない
と思うんだけれども
やっぱり彼のアップデートしていく人生って
なぜわかるかっていうと
言いやすいほど必然的なんですよ
やってることが理にかなってるんですよね
過去にやった失敗とか裏切りを
もう二度と起こさないように
運営をしていく
自分の人生も常に知識も経験も
アップデートしていくとともに
それを還元していく
そして目指した法令にこだわったのは
僕は今川義元の金目録追加を
見てたからだと思うんです
今川家っていうのは統一国家でもない
日本は統一国家でもないし
法律なんて別に作ってなかったのに
朝倉は作ってましたけどね
朝倉とか今川っていう一部の代表だけが
法っていうものを支配の根拠に
し始めた時期なんです
その先端の法治国家だったんですよ
その人が孫悟だったんですよ
そこで彼は法を作った吉本だったり
大外節裁から直にその教えを聞いて
だから法というものが孫悟というところに
どれだけの効力を発揮した発展を描いたか
しかしその孫悟も
外敵である武田信玄には燃やされてしまった
ってことはじゃあそれが起きない
法治国家があの孫悟の反映を
日本全国に敷いて
日本を燃やすような外敵が来ないためには
何をしたらいいのかっていうのを
自分の裏切られ続けた人生の果てに
考えたことなんです
その内政力の結果が
江戸時代っていう260年の
平和の礎になってきた
それですよやっぱ最後はね
明治政府でね
薩長がそれを擁立したって家康の危惧は当たったわけなんですけど
それでもやっぱりね
日本中にかつてない平和をもたらしたっていう
これがやっぱりね
家康の凄みだと思いますし
内政の時間なんですよ
彼は常にその自分の辛かった人生を
ずっと抱え続けてた人だと思う
たしかにその1年で
やったことって厳しいように
見えるけども
でもそうしないと無理だよね
っていうところもありながら
平和を望んだ
結果そうする
必要があるっていう感じ
だからなんか強いね
強い真の強さ
それはもしかしたらやっぱり
一口で振り回され続けた人生が
あるかもしれないし
大言節剤の禅に基づく厳しい教えがね
こうそうしたのかもしれないし
そして
ある意味武田信玄と違う意味で
心をあまり揺さべられなくなっていった
人生なのかもしれないし
裏になり続けたから信頼してる人たちに
僕は家康の人生はね
結構ね
暗いと思ってるんですすごくね
心の体感が強いというかね
しかも体もね
ここの体感を
1:18:00
辛いことを常に内省して
消化して
事実というレベルに落とし込んでいくんですよね
だから自分の心から
ある意味それが彼にとって心の晴れる唯一の方法だったのかもしれない
報われたんだと思うんですよ
この平和がもし自分を築けたならば
裏になられた人生によって
そういったことを夢見てたのかもしれない
それが唯一のね
彼が救われる自分にとっての道だったのかもしれないから
僕はね意外と
最後の勝者でね
家康って勝ったように見えるんだけど
僕はこの人の人生はね
すごく辛くて暗い人生だったと思います一言で言うと
いやーやっぱ全然
見方変わるね
ちょっとやっぱコメディタッチに
描かれることもあるけども
なんかすごくかっこいい人なんだな
そうだと思います
カデさんはないけどね
ということで
次回は雑談回ということで
お楽しみにしていただければと思います
ということで今回はこの辺で
ありがとうございました
01:19:11

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