そんな2日目をよろしくお願いします。
とりあえず歴史の史跡を巡る前に、前日ね、甲府駅の南口のあたりでホテルをとっているという想定でおりました。
このあたりは繁華街になりますので、朝ごはんのスポットもあります。
そのうちの一つがね、カエルの寄り道さんって昨日1軒目に行ったところから、ほんとにすぐ近くなんですけれども、
寺崎コーヒーさんというところで朝ごはんを食べに行きたいと思いますね。
なんか綺麗な、こう城を貴重とした、さっぱりした感じのおしゃれな。
おしゃれですよね。
これがちょうど2階席ですが、ここから甲府の街並みを望めるわけですね。
寺崎コーヒーさんね、山梨県内にある、ここは本店なのかな確かね。
あともう何個か店舗があったはずなんですけれども、ここでモーニングをいただけるわけなんですが、
ただのモーニングではなくてですね、やっぱりここに行ってね、僕がびっくりしたのはマフィン。
これが美味しかったですね。
このトップの写真にも映ってますね。
そうなんですよ。
結構大きそうだね。
そうなんです。
だから、モーニングっていうとトーストにサラダにオムレツにとかっていうのを今までいくつかありましたけど、
そういうわけではなくて、モーニングセットというんじゃなくて、
マフィンとコーヒーかお飲み物を合わせて、それを朝ごはんにしようという感じですね。
どういうマフィンなんですか?
ここでやっぱり出てくるのはフルーツなんですよね。
なるほど。
山梨県のフルーツというのは大変有名ですけれども、もちろんそれだけじゃないんだけどね。
山梨県以外のものはあったと思うんですけれども、そういったフルーツを練り込んだマフィンがいただけてましてね。
これは僕ベリーみたいなのをいただいたんですけれども、それ一つでもね、結構ボリュームもちゃんとあってすごく美味しかったし、
マフィンってあんまり普段食べなかったんだけど、こんな美味しいんだと思いましたね。
そうね。マフィンだけだとパサついたりとかもいうやつもある気がするけど、フルーツもあると食感も楽しくていいですよね。
そうなんですよね。ここは非常にね、ちょっと新しい発見でしたね、これもまた。
本当に夜はすごい繁華街なんだけど、朝はちょっと静かめのところになるので、ゆったりとしたね。
落ち着いた朝食もとれて、すごい空間も素敵なので、長いしちゃうようなところになりますね。
昨日散々酒飲んだけど、ちょっとこう、気取れる感じで。
気取れる感じで、酒だけじゃないんだと。
いいですね。
というのがね、寺崎コーヒーさんでした。
昨日はちょっと歴史オタクの話でね、武田信玄の人生というものを前日は見ていきました。
そしてなぜ武田家というのがすごい組織になっていったのか。
信玄というのが本当に血も涙もないことをして、ひたすら組織を動かすための機械になり要せた。
相模小田原の北条宇島さん。
ここは同盟国でした。
武田信玄は北の上杉を攻めるか西に行くかしかなかったんですね。
そして彼は西に行く道を取った。
徳川をフルボックにして、徳川家康を任したというところで死んだんですね。
今後じゃあどこに武田は広げればいいのか。
つまり武田県っていうのはひたすら土地を取るための企業なんですよ、ここはもう。
どうすればいいんですかねってなった時が勝利の立場なんですね。
無理じゃね?
そうなんですよ、無理じゃねってなったんですよ。
つまり武田信玄っていうのはリアリストなので、なるべく強いところとは争わないんですよ。
確実に勝てる戦しかしないんです、基本は。
だからこそ同盟国であっても弱くなったと見たら切っちゃうんですよ。
そういうことをやり続けてきたわけですよ、武田県っていうのは。
私最初に繰り出していったのも諏訪のちっちゃい国の方から攻めたもんね。
そういうことなんです。それが武田県のやり方だったんですよ。
それでうまくいってたわけなんですけど。
ただ勝利の時になると、小田信長というのが急成長して、いつの間にか近畿地方とか中部とかをほぼほぼ主流に収めている。
すごい広い範囲だもんね、これ。
だから真剣とか勝利の予想を生まれる範囲で、自分よりも巨大な勢力ができてしまったんです。
徳川家康というのは小田信長の同盟者なので、それをボコボコにしたことから、当然小田と喧嘩状態になるわけですよ。
東は北条と仲いいので、とにかく西と戦う。
逆に西の戦には専念できる状態ではあったわけです。
なので勝利に残された選択肢としては、要は真剣のまま踏襲して、小田ととにかく争っていく。
徳川っていうのは弱いから、徳川をとりあえず潰しちゃう。
でも徳川を潰そうとすると、当然小田はそれを妨害してくるので、必然的に小田と争わざるを得ない。
そうするか。
それが厄介なのであれば、東の北条と手を切る。
ただ、とはに北条は北条で、関東一丸をほぼほぼ治めようとしているから、これは絶対戦わないと大戦争になって、これも終わりが見えない。
まして、小田ともまだ戦っているから、東西に敵を持つことにもなる。
これは良くない。
上杉謙信を手を出すと厄介なわけですよ。非常に強い。父親ですら勝てなかったり。
そうか。
というので竹田勝頼は、ここで徳川を小田と争う道、真剣の方針を踏襲するんです。
まあ、無理そうだね。
ただこの時、信長も実は状況的に非常に苦しい状況になったんです。
なぜかというと、信長というのは足利将軍室町幕府を追放しちゃったので、室町幕府に仕えていた人たちからすると敵なんですよ。
この時、信長包囲網なんて俗に言われるんですけれども、竹田と西の毛利を筆頭に反信長勢力というのを結集して、四方八方から信長を攻め寄せようとしてるんです。
ところがね、裏切りが続出んですね。
へー、そうなんだ。
初めに裏切ったのは紀蘇義政という人物で、岐阜県に接している人たちなんです。
岐阜県というのは織田信長の本拠地であったぐらいの岐阜城なんてありますけど、
そのときは本拠地じゃないんだけど、でもすごい織田家の領地に接している。
要は西の最前線。
これも武田信玄の娘をめどってるんです。
この紀蘇というのもね。
ただもともとは紀蘇氏も別に武田家の家臣じゃなかった。
武田信玄が品野を攻めて、それでやめなく下った。
ただ武田家には強いので従ってた。
けど裏切ったんですね。
なるほど。
その織田がね、勢力伸ばしてきてるっていうのもあるだろうし、
勝つよりになって方針が変わったのも起因してるかもしれないし。
そういうことです。
ちょうど織田と示し合わせて裏切るわけですね、紀蘇義政はね。
それで西の守りがスッカラカンになっちゃって、それで織田が西から攻めてくると。
なるほど。
さらに言うとね、徳川家康もこの時勢力を回復してますもんね。
静岡県の東部を攻め滅ぼそうとして浜松から攻めてくるんですね、静岡市の方に対して。
詳しい事情は後話すんですが、実はこの時小田原の北条も敵になってたんです、既に。
同盟してたのに。
勝よりの奥さんは北条氏政の妹なんですよ。
なのにこの時とある事情があって、同盟関係がなくなってたんですね。
北条はとはいえ良しみはあるので、積極的に攻めては来なかったんだけど、けど助けてはくれないんですよ。
むしろ織田の部長に狙われると北条も嫌だから、ちょっと武田にちょっかい出そうかなくらいの感じで、東ももう安全圏ではない。
っていうので三方から攻められるんです。
とはいえやっぱり武田家には有能な部署も多いしってことだったんだけど、裏切りが続出するんですね。
これも親戚筋であたる静岡州を任せていた穴山売節という人物がすぐに裏切る。
徳川家康が安々と南から入ってくるじゃん。
そうなると西と南があっという間に裏切られたから。
というので毒質、なだれのように裏切り者が出てくるんです。
それで結局神父城にすぐに迫られてしまう。
ていうことでやばくねってなって、勝よりはまだ神父城に移ってから2ヶ月くらいだったんですけど、
自らその神父城を燃やして、織田に使われないように。
わずか2ヶ月で燃やしてしまって、甲府の方、東の方に撤退していくんです。
せっかく守りの城を作ったのに。
せっかく作ったのに。
じゃあもうそんぐらい絶望的だったんだね。
ただ唯一望みがあるとしたら、結局ここを鍵を握るのも法城なんですよね。
法城に近い山梨県の東部を治めていた尾山田という人物が、
そもそもなぜ勝頼は東に行ったかって理由を覚えてますか?
神父城を守れないと。
そうそうそう。
ということで、甲府の方に行ってるよね。
そこからさらに行ってるってこと?
そうそう。
要は誰かに誘われたって話はさっきしませんでしたかね?
あれしたっけ?
そう、さらっと流したんだけど。
あのね、岩戸の城っていうところを目指したんですよ。
これなぜかっていうと、
この軍内っていうこのエリアの東の方、軍内って言うんですけど、
この辺を治めていた尾山田信繁という人物がいて、
この人物が誘ってきたんです。
つまり西はもう危ないから、向こうから攻めてきてるでしょ。
で、東に逃げてこいと。
岩戸の城っていうのはね、さっきの神父城を上回るくらいとんでもない段階で絶壁。
これびっくりするんですよ。
ちょっとこの話はまた起きますけど。
ここに逃げてくれば守れるかもしれないし、
かつ何より宛てにしたのは小田原宝城なんですよ。
なるほど。
宝城は日和見をしてるんですよね、この時に。
味方ではないのは確かなんだけど。
で、尾山田というのは武田信虎の時代からずっと宝城との間でね、
折衝を続けてきた人物なんですね。
相模の国に面してますから。
だから宝城と裏工作をできるんじゃないかって多分思ったと思うんです。
なるほどね。
秘化に勝ちより小田原に逃がせるんじゃないかっていうふうに思ったと思うんです。
勝ちよりも多分それを宛てにした部分はあったと思うんです。
それを目指してちょっと位置関係を改めて見ておくと、
大禅寺はどこかっていうとここなんですよ。
はいはいはい。
岩戸の城はさっき言ったここ。
うんうんうん。
甲府はこの辺ですよね。
はいはいはい。
だからここ甲府からだんだん東に行って岩戸のを目指しているんですね、今ね。
その途中に大禅寺に寄ったわけです。
うんうんうん。
ところがですね、ここでまさかの知らせがあった。
はい。
何かと言うと、分かりますか?
何、まあ何となく騒雑かもしれないけど。
まあなんかそこで悪い知らせって言うと、宝城は味方しませんよと。
うんうん。
もっとひどい。
もっとひどい?
だからその誘ったやつが裏切った。
そう。
この尾山田信繋がね、どたん場で裏切ったんですよ。
おおー。
うん。
あのね、勝頼の実際の航路を解説すると、大禅寺を出発するんですね、李経に別れを告げた後にね。
それでね、東に行って中央道にもね、笹子トンネルって言うとこありますけれども、あの辺なんですよ。
はいはいはい。
この笹子峠っていうところをね、越えると郡内に入って尾山田寮に入るんです。
うんうんうん。
で、ここをだから岩戸の目指して山を登っていったわけです。
はいはい。
ところが、この笹子峠に行ったら、そこがなぜか封鎖されてたんですね。
おおー。
そう。
なるほど。
うん。
ああー、じゃあまあ、もともと逃がすつもりはなかったんだ。
うん、これはね、もう分かんない。
っていうのは尾山田もこの後すぐ滅亡するので、分かんないんですが。
ああ、なるほどね。
逃がすつもりがなかったのか、どたん場になって怖くなったのか、あるいは宝城が裏から手を回したのか。
迷惑ごとに巻き込むなと。
うんうんうん。
だから、ここで勝頼を滅ぼしておけば、もう尾山田はうちで引き取るから、相模の国に小田原へ引き取るから、とにかく迷惑ごとに巻き込まないでくれと。
なんともうまくいかないねっていうのを常々感じるよね。
そうですね。やっぱりこれは今の世も変わらないでしょうけどね。
みんなそれぞれにやっぱり無能な人はそんなにいなかったと思うんですよ。歴史の名を残している以上は。
ただ何かがやっぱり掛け違っている。
そうだね。
ただ武田家でいえばね、後日だみたいな感じになるんですけど。
武田家というのはこういうふうに滅びました。
しすち自体はね、進言の他の息子だったり娘だったりに受け継がれているんですけれども、家としては滅んだ。
武田家っていうのはただ最強の組織。
そして進言の時代には貝の国もすごく潤っていたっていうので、
そして江戸時代にすごいリスペクトを集めるわけなんですよ。
あの徳川家康を任した武田進言、24章。
っていうのでだんだんリスペクトの度合いが高まっていって、
それをもちろん山梨県の貝の国の皆さんもそれをやっぱり誇りに思っていく。
さっきえりん寺に1日目行きましたけど、
そこで24章の図がそれぞれ松本風子という人によって書かれた。
あれも実は武田進言が亡くなって300年経ったっていう記念事領を、
武田家の旧神の子孫たちが発起人としてやる。
それにあたって松本風子に絵を依頼して、それで奉納した。
だからやっぱり信用が熱い感じですよね。
やっぱり武田家、あの最強の武田家の組織の一員だったっていうことが、
いかに貝の国のその人たちにとってプライドとして根付いていったか。
これは今も4月12日ってのは武田進言の命日なんですけど、
その前後に進言公祭りといって、
皇府市内を武田24章たちの騎馬武者たちが練り歩くってすごいパレードがあったりしますし、
今でも24章の子孫たちは山形館も結構つながりを持ってるという話も聞きます。
なのでやっぱり武田家というのはね、ちょっと単純に言えば滅亡してしまったんですが、
それ以上のインパクトを残したっていうのでやっぱり特筆される存在だなと。
そして進言のね、もう自らの心を捨てた。
人格も見えないっていうのはもうそういうことだと思うんですよね。
ひたすら組織の歯車になったっていうのが、
今なおその知恵がね、徳川家を伝って経由して今のリーダーたちにも大きな影響を与えてる。
まあ進言については大成功というか、それだけの手腕があったという感じですよね。
いやいいですね、歴史のストーリー聞いてるとさ、作説ストーリーで終わらないじゃないですか。
そうですね。
だからなんかこう、いい話とうまくいかない話が聞けてなんかね、いいですよね。
なんか今の人の成功話を聞いてる感じじゃない人生だなっていうのをすごく感じますよね。