はい。
で、まあね、集まりということも考えられるので、ちょっとまず朝ごはんをと思うんですが、その前にですね、一つ寄りたいスポットがあるんですね。
はいはい。
片町周辺の宿をチェックアウトして徒歩10分ほどのところに柴田神社というものがあります。
ほうほう。
柴田神社、よく柴田さんって人いますけれども、その柴田ですね、の神社と書いているんですが、
柴田の福井と聞いてね、歴史好きの方はおそらくピンときてる方が多いんじゃないかと思うんですけれども、
柴田勝家というですね、戦国武将を祀っている神社になります。
ほうほうほう。
はい。
柴田勝家というのは、織田信長にもうすごい早い時期から使えた猛将で、戦の強かった人で、
織田信長が勢力が巨大化した時に各方面に司令官みたいなのを設けるわけなんですけど、
北陸の総司令官みたいなので、越前福井の町を開発したその礎を築いた人でもあります。
この福井を拠点に北陸の上杉と戦う総司令官になったという人です。
はいはい。
彼がね、築いた城、1日目に市城谷に行きましたけれども、あそこは朝倉市の城だったわけですが、
ちょっと谷間にあってね、なかなか広がりはできないというところを待って、今の福井市に新しい拠点を求めて建てたんですね、その町と城をね。
その城がですね、北の正城という城でした。
北南北の北に、正は勝家さんの正ですね。
お城と書いて北の正城という城だったんですね。
これができたことで福井の町というのは一気にその基盤ができたんですけれども、
さすがに今をときめく織田信長のね、最中心みたいな感じの柴田勝家の城ですので、
まあすごかったらしいんだ。
でね、当時の宣教師とかの記録によると、なんと90の天守を誇った。
天守閣が9層になっていたっていう記録があるんですね。
よく五重の塔とかあるけどね。
そう、あれが9層になっていたっていうんですよ、北の正城の天守閣は。
それがお城っていうのもなかなかすごいね。
まあ今ね、その天守閣いろいろ大阪城とか名古屋なんでもいいんですけれど、
思い浮かべていただくと、こう何層って感じは多分ないと思うんですけど。
そうだね、大体2、3層ぐらいのが多いのかな。
唯一ね、島原城という長崎にある城がね、ちょっとそういった感じだと思うんですけど、
その90の天守っていうものがね、あったという記録が残ってます。
っていうぐらいの巨城だったと。
で実際にね、この柴田神社が建っている場所がその北の正城の跡地だと言われていて、
神社行くとですね、柴田勝家の像とかもあるわけなんですけれども、
その神社の下にちょっとガラスで土の中が見えるようになっていて、
えっとですね、動線上の問題ですね。
ちょっとこの後ね、北の正城の方から離れた方にやや歩いていくので、
今ここで寄っといた方がいいという判断をしました。
なるほど。
それを見学さっとした後に、福井駅の方に戻ります。
ここで朝ごはんをいただきたいと思うんですね。
それが今城そばです。
これもまたおそばですね。
はい。やっぱ福井といえばおそばっていうのはね、鉄板なんですけれども、
これもね、ちょっと大野でいただいた卸そばとはやや違って、駅そばなんですね。
ただやっぱり福井の駅そばというだけあって、すごいんですよクオリティが。
卸そばもあると思うんですけど、僕はですね、個人的なおすすめとしては、
朝なので体を温めたいというのもありますので、
こちらでは欠けそばをいただくのがいいんじゃないかと思ってます。
この今城そばはですね、朝6時から営業していて、福井駅の改札の外にあるわけなんですけれども、
すごいんですよ。
もう駅そばの名手みたいなね、すごい回転速度で回っていくんですけれども、
欠けそばはなんと350円。
驚異的なこの価格とスピード感。
いいですね。駅そばって感じだね。
そうです。ただそれで福井越前のそばなのでめちゃくちゃ風味があってうまいんですね。
特にこの今城って、昔の今に北野商場の商なんですけれども、
これ別の福井県内の地名で、南越前町っていうちょっと今回行かないあたりのエリアで、
ここはね今城そばっていうもうブランド的なやつで、
越前の中でも本当に特にそばが有名なところなんですね。
そのおそばを監視しているということで、かなりハイクオリティの駅そばになっています。
いいね。駅そばめがけていくってあんまりしてないけど。
そうですね。ちょうどね同線上もここいいっていうことも実はこの後の授業からあるんですね。
けれどもやっぱりね、朝そばっていうの僕結構好きでね。
以前直越の直越さんにも行きましたけど、やっぱりいいもんですね。
そうだね。さっと食べれるしね。
そうそうそう。まじでただの駅そばじゃない。越前の駅、福井の駅そばですからね。
ただもんじゃないですよここは。ということでね、朝はちょっと軽くねここで行っていただければいいのかなと思います。
ここからがね観光の本題的な話になるわけなんですけれども、
この今城そばからですね、要は福井駅からです。
徒歩15分ほど歩いたところにあるのが、福井市立郷土歴史博物館です。
この歴史館なんですけれども、ここはですね、越前福井藩の歴史を主に解説している資料館になっています。
つまり江戸時代の歴史ですね。
福井の町というのは、そういうわけで北の象徴が出発なんです。
さっきの柴田克家が気づいたね。北の象徴が戦国時代の終わりに気づかれて、ただそれは1回もう焼け落ちてしまってるんですけれども、
以前から申し上げているようにこの越前というのは、日本の政局にも影響を及ぼすのは超重要地なんですね。
やっぱここでもよく見る感じなんだね。
吉永の福井市立郷土博物館、歴史博物館に行くと、見ると言いましたが視野の広さがより分かるんですね。
というのが、この歴史博物館は主にそういうわけで、越前福井藩とそれと共に発展してきた福井という町のことをよく解説しているわけなんですが、
とあるコーナーに松平春学、吉永の写真帳っていうものがあるんですね。
松平春学はですね、写真オタクだったんです。写真を集めるのが好きだったんです、この人。
まず先進的なのかな。
そういうことです。当然写真なんて当時は最新鋭の技術ですけれども、それを積極的に自らもちろん撮りますし、
いろんな人の写真物理みたいなのを研究していたようなんですけど、ちょっと面白い趣味を持っていて、やっぱ解明的なんですよね、非常に柔軟な頭を持っていて。
この博物館のホームページにもあるし、実際現地に行っていただくとファイルブックみたいなのでまとまっているんですけれども、
松平春学の写真コレクションはすごくてですね、ビッグネームがいっぱいいるんですね。明治天皇が始まってますけど、
こういうことで明治天皇の写真とかをこの人がコレクションしてるんですね。
これ教科書に載せるやつでね、これをコレクションしてんの?
これね、ちょっとごめん、僕もね詳しくはあれなんですけど、原本ではないはずです。
さすがにそうか。
そうそう。でも焼き直しとかも写真できるわけなんで。
明治天皇のもありますし、その一方でね、徳川よしのぶ、最後の将軍徳川よしのぶもいますね。
徳川よしのぶの写真も2枚あります。これも教科書に載ってますね。
さらにね、この人と仲良かった、同じ解明的な藩主仲間としてね、佐賀藩。
佐賀藩鍋島家の鍋島観葬、これもすごい人です。
超アカデミックな幕末最新の技術を持っていたすごい藩だったんですよ、佐賀藩というのは。
今度は馬があったんでしょう、この2人は。
なるほどね。
ということでこの友達の写真もコレクションしてます。
あとはもう有名なところで言うと、葛階宗とかね、近藤勇もいますよね。
すごいね。どうやって集めるんだろうな、これ。
どうもね、この写真、この人ね、久内町とかにもいろいろ関わった人なんですね。
宗学って明治時代になってから。
そういった要職要人の写真とかをね、集めやすい立場にいたのは間違いないそうなんですが、
それをこうやってね、自分でファイリングしてね、後世に残してくれたんですね、こういう写真をね。
どこど好きだったようです、写真が。
でまぁちょっとここには載ってないんですけど、ちょっとね僕も記憶が定かじゃないんだけど、
確かね、この人はね、外国人にも興味があって、
ナポレオンとかね、リンカーンとか、ワシントンのね写真も集めてるんですよ。
多分外国の商人とかからもらってたんでしょう。
こういう人たちの写真もね、コレクションしてるんですね。
このラインナップ見ててもね、伊藤博文とかね、大熊茂雄とかね、
もう本当に教科書で見るような名前がいっぱい。福沢諭吉もあるね。
そうですそうです。
すごいですね。
もう本当そうそうたら皮振りですよね。
これをね、コレクションしてたんですね、この人はね。
なんか面白い趣味だね。
やっぱりでも解明的でね、明治天皇とか、まあまあともかくとしても、
徳川義人を言えばさ、逆に薩長のね、伊藤博文もそうですし、
江藤新平、木戸孝義とかね、要は徳川幕府を潰そうとした人たちも持ってるっていう、
なんかこのやっぱ中立な立場だなっていうのがよくわかるんですよね、こっからもね。
多分だから写真写りで選んだのか、人物のまあ仲良さで選んだのかわかりませんけれども、
こういうことをね、やる人なんですね。
何せよその両方の…
写真を手に入れられる立場にはあったってことですね。
そういうことですよね。だからやっぱりそれはね、非常にバランス感覚に優れた、
なんか越前、たるべき越前なんですよね。
その日本の真ん中で京都の数勢をじっと伺いながら、どちらに堅い歴史すぎない。
非常にバランス感覚に優れて日本の政局を安定化に導いた人ですね。
っていう功績のある人です。
なので今でもやっぱ福井のね、町ではもう既大の名君としてね、
この松平春岳、吉永はね、厚く上回れてる人になっています。
これがやっぱりね、キャスティングボートなんですね。
この福井藩の立場というもの自体がね、やっぱりね、そんな気がいたします。
日本の歴史上における越前の立場をね、象徴している気がするんですね。
これね、思ったより多分時間食うと思います。
この写真ね、面白いんですよ。見始めると結構興味深い。
誰が載ってんだろう、コレクションを知って。
たしかにね、教科書で見る写真もあるし。
そうそうそうそう。
でね、同じくちょっと福井藩関係の歴史をちょっといきましょう。
京都歴史博物館から徒歩2分ほど行ったところにあるのが養虹館庭園です。
養虹館、養う。
虹はね、三税に告げると書いて、公然の木を養うの虹ですね。
に、館で養虹館と。
これはね、越前福井藩のお殿様が作った別邸みたいなやつですね。
なんかこの夜の写真素敵だな。
素敵ですね、これね。夜いつ行くんだろうな。
割とこう、池の庭っていう感じなのかな。
そうです。このね、養虹館のメインはこのすごい広い池です。
池を中心に建物やその他の樹木が植えられているというね、地戦海遊史の代表例と言っていいでしょうね。
見どころはね、本当にいろいろあるわけなんですけれども、まずはやっぱりね、池ですよね。
これはね、当初17世紀前半に作られたと言われているんですけれども、
この時もね、福井の城下町を流れる浄水を引き込んでわざわざ作ったと。
2300平方メートルの池だったと言うんです。
でかいね。
すごいですよね、この力ね。
これが庭にあるっていう、どういうことっていう。
すごいとんでもない話ですよね。
それだけね、福井というのはね、足の羽の川とかで阿蘇和川という川が流れていって、その間に城下町があるんですけれども、
お酒作りとかね、大野の話でもありましたけれども、やっぱり雪のかむるすごい急な山脈からガッと流れ下ってくるので、
越前の国ってとにかく水資源が豊富なんですよね。
だからまあいろんな米とかお酒とかが発展してくるわけなんですけど、
城下町においてもだから水がもう余りに余っちゃったということで、それを引き込んできたわけなんですね。
贅沢なんだね。
贅沢ですね。本当そう思います。
であとはね、やっぱ土地の素材を生かすということでね、実は越前はね、石の名産地でもありまして、
釈大石っていうね、ブランドがあるわけなんですけども、
青みがかった水色の石で綺麗なんですね。
こういうのをその庭を造成するにあたって、いわゆる組み込んでね、そういった美しさもね、演出していると。
ちなみに越前福井藩のね、墓所がね、別にちょっとお寺が福井の郊外にあるんですけど、
そこ行くとね、この墓石は全部この水色の石になってて、すごい不思議な墓所になってます。
なかなか他の藩では見ないような不思議な美しさがあるお寺になっているのでね、また歴史好きの方はそこも調べていただけると。
ただなんといっても、ここの良さはね、建築ですね。
この建物自体はね、復元されたものなんですけれども、隙間作りのこの建築はね、本当にね、思考が殺されてて見事なんですね。
これね、どういうことかっていうと、池がメインのお庭って言ったじゃないですか。
なので、当時の日本人が座る目線の高さっていうのを考慮して、これ建物と池がそのまま続いているように見えるようにわざわざ設計されてるんです。
ああ、なるほどね。
座ってる畳からそのまま池に繋がってるように作ってあると。
そう、実際はこう分かるより、間に石のジャックとかが敷かれてるんだけど、それが見えないようになってるんですよ。
こういう演出をした人としては、この池に自らが巨大な船に乗って浮かんでいるっていう感覚を演出した方さんはですね。
いや、そう見えるよね。
見えますよね。
本当に浮かんでる感じだよね。
うん、超巨大館船みたいな感じでさ、そういうふうに思うんだと。
それでこう水のね、美しさ、こんこんと流れる越前の豊富な水をね、眺めながらお茶をいただいたりとかね、優雅に過ごしたというところでね、この名庭園となるわけですね。
この写真でもね、建物の天井のところに水面の反射がね、こう映ってて。
そうそうそう。これ綺麗ですよね。
なんかこれね、建物の中にこの水面の反射が映ってるっていうのがなかなか面白い。本当に船っぽい感じだよね。