1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #70【福井】隠然たる越前Part3
2024-12-27 58:51

#70【福井】隠然たる越前Part3

隠然たる越前―――ある“キャスティング・ボート”について―――3日目

現在の福井県東部すなわち越前地方は、古来中央政権を追われた、あるいはその簒奪を狙う人々が雌伏する土地でした。これは都との地理上、精神上の絶妙な“距離感”によって生じた現象で、北国の清冽な土壌を背景に形勢を窺う越前は、都人にとって時に頼もしく、時に不気味な存在と映りました。その存在感は、人知れず、しかし確実に政局へ影響を及ぼし、日本の命運の舵を握っていたのです。


【目次】

〜 幕張でのライブを楽しんだのですが……

〜 福井市の発展の礎を築いた猛将を偲ぶ 【柴田神社】

〜 “越前そば”を気軽に!リーズナブルに! 【今庄そば 福井駅改札外店】

〜 福井藩と福井市の歴史を辿る 【福井市立郷土歴史博物館】

〜 ★歴オタ話★ 幕末のキャスティング・ボートとなった松平春嶽

〜 ★さらに歴オタ話★ “写真オタク”春嶽の視線を体感

〜 水に浮かぶ!?数寄屋建築の御殿 【養浩館庭園】

〜 気取らぬ町寿司で越前の絶品魚介を堪能 【松寿司総本店】

〜 越前銘菓をお土産にも!和カフェでも! 【松岡軒 本店】

〜 “関西の奥座敷”で気軽に湯に浸かる 【セントピアあわら】

〜 1日の振り返り

〜 ★皆さまにお願いです★ JAPAN PODCAST AWARDSについて

〜 ★旅の終わりに★ 頼もしいそして恐ろしい 天下を見据えた越前のキャスティング・ボートの足跡


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。
旅行のために生き、生きるために旅行をしている春矢です。普段は旅行ガイドブックの編集をしている旅のプロです。
酒のために生き、生きるために酒を飲む内田です。ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者です。
やっぱり慣れないね、これはね。
慣れていくしかないですね。
前、じっくり話したので、今回はサラッと言うんですけど。
何でしょう。
実は昨日ね、桜坂のライブに行ってきまして。
はいはいはい。
フォースアニバーサリーライブ。
ジョゾマリンスタジアムですね。
あ、ジョゾでやったんだ。
楽しみましたね。
ライブ自体はね、毎度のことだからかっこいいし楽しいしっていう感じで楽しんだんですけど。
昨日ね、幕張界隈でイベントがすごかった。めっちゃ重なってたらしくて。
その桜坂のライブもそうだし、幕張メッセで、
ノットイコールミーっていうね、
さしはらさんがプロデュースしてるアイドルグループのライブが幕張メッセでやって。
あともう一個ね、幕張メッセで、アンサンブルスターズっていうね、
これはリズムゲームが元なのかな、多分。
男性アイドルのリズムゲームを元にしたグループみたいな。
ののライブがそれも幕張であったと。
すごいね、やっぱりあの辺ね。
なので帰り道がすごいことになってて。
駅に入るのに帰省がかかって、多分ね、ゾドマリに出てから2時間くらいかかったんじゃないかな。
駅に着くまでに?
そう。
2時間!?
多分、そのくらいかかったと思う。
で、そっから東京の方に戻ってきて、最寄りに着いたのが0時くらい。
うわー、過酷だな、それ。
すごかったです。
いやー、寒かっただろうね、今、海のね。
そうそうそう。
というね。
なるほどね。
昨日はちょっとなかなか寒かった。
ハードですね。
トマレカさんある、確かにね。
そう。
それを開けて今日撮ってますが、今回は陰前たる越前、あるキャスティングボートについての3日目。
最終日ですね。
はい。
1日目は永住に泊まって、2日目はなかなか長い1日を過ごして、最後美味しい日本酒飲んで締めたと。
そうですね。
ということですね。
じゃあ早速お願いします。
はい。
3日目、福井の中心街である片町の辺りに宿をとっているという想定でお話をしたいと思います。
03:06
はい。
で、まあね、集まりということも考えられるので、ちょっとまず朝ごはんをと思うんですが、その前にですね、一つ寄りたいスポットがあるんですね。
はいはい。
片町周辺の宿をチェックアウトして徒歩10分ほどのところに柴田神社というものがあります。
ほうほう。
柴田神社、よく柴田さんって人いますけれども、その柴田ですね、の神社と書いているんですが、
柴田の福井と聞いてね、歴史好きの方はおそらくピンときてる方が多いんじゃないかと思うんですけれども、
柴田勝家というですね、戦国武将を祀っている神社になります。
ほうほうほう。
はい。
柴田勝家というのは、織田信長にもうすごい早い時期から使えた猛将で、戦の強かった人で、
織田信長が勢力が巨大化した時に各方面に司令官みたいなのを設けるわけなんですけど、
北陸の総司令官みたいなので、越前福井の町を開発したその礎を築いた人でもあります。
この福井を拠点に北陸の上杉と戦う総司令官になったという人です。
はいはい。
彼がね、築いた城、1日目に市城谷に行きましたけれども、あそこは朝倉市の城だったわけですが、
ちょっと谷間にあってね、なかなか広がりはできないというところを待って、今の福井市に新しい拠点を求めて建てたんですね、その町と城をね。
その城がですね、北の正城という城でした。
北南北の北に、正は勝家さんの正ですね。
お城と書いて北の正城という城だったんですね。
これができたことで福井の町というのは一気にその基盤ができたんですけれども、
さすがに今をときめく織田信長のね、最中心みたいな感じの柴田勝家の城ですので、
まあすごかったらしいんだ。
でね、当時の宣教師とかの記録によると、なんと90の天守を誇った。
天守閣が9層になっていたっていう記録があるんですね。
よく五重の塔とかあるけどね。
そう、あれが9層になっていたっていうんですよ、北の正城の天守閣は。
それがお城っていうのもなかなかすごいね。
まあ今ね、その天守閣いろいろ大阪城とか名古屋なんでもいいんですけれど、
思い浮かべていただくと、こう何層って感じは多分ないと思うんですけど。
そうだね、大体2、3層ぐらいのが多いのかな。
唯一ね、島原城という長崎にある城がね、ちょっとそういった感じだと思うんですけど、
その90の天守っていうものがね、あったという記録が残ってます。
っていうぐらいの巨城だったと。
で実際にね、この柴田神社が建っている場所がその北の正城の跡地だと言われていて、
神社行くとですね、柴田勝家の像とかもあるわけなんですけれども、
その神社の下にちょっとガラスで土の中が見えるようになっていて、
06:04
そこにね、北の正城の遺骨が見えるんですね。
ああ、土の中にとってあるんだ。
うまってるものがそのままね、建てられてるんですね。
で資料館とかもあるんですけれども、なので穴がち多分嘘ではなかった。
この福井の町の村立の根拠になったね、
巨城というものがこの柴田勝家が築いたものなんですね。
この柴田勝家というのは、
織田信長が本能寺の辺で明智光秀に撃たれた後に、
その時彼は北陸の上杉と戦ってましたから、
なかなか京都に戻れなかったんですね。
越後と戦ってますね、上杉賭かつですまさに。
戦ってたのでね。
そうこうしてるうちに西の毛利と戦っていた秀吉が早く帰ってきて、
明智光秀を滅ぼしてしまったので、一気に秀吉にこう長く傾いたと。
その後にただ織田家のこの後どうするんだという悲しみになった時に、
柴田勝家と秀吉は織田家の後継者を巡り対立して、
この二人が戦うことになるんですね。
それが静方家の戦いというもので、
信長の死から約1年後に起こっているもので、
越前から北陸の大軍を引き連れて、
近江の方に攻め込もうとする柴田勝家と、
それを迎え撃つ橋島秀吉の軍が琵琶湖のあたりで戦って、
それで柴田勝家は負けて、越前に逃げ返ってきて、
秀吉がそれを追ってきて、北野少女はそのまま焼け落ちてしまった。
柴田勝家は北野少女で自衛しました。
その時同時に、この勝家は織田信長の妹の尾一の方というのを目取っていて、
信長の妹を生む子なんですよ、ある意味。
信長より年上なんですよ、柴田勝家の方がね。
その尾一の方というのは、この人二番目の夫なんですね、尾一にとってね。
最初の夫は阿財長政という戦国武将だったんですけど、
この人との間にできた子供が三人娘がいて、
そのうちの一人が与度気味なんです、いわゆる。
与度気味。
ああ、豊臣秀吉の奥さんにその後なる人なんですね。
大阪の陣とかで活躍、これはよく教科書に載る人です。
豊臣秀吉が死んだ後に豊臣家を運営した女性ですね。
だったりもするので、いろんな戦国時代のドラマを払った史跡になっていますね。
柴田勝家という、やっぱり戦の強い執述合計を絵に描いたような猛将ですので、
いかにもこの像がね、ガンと座ったね。
で、槍を突き立てた武将っていう感じのすごいわかりやすいね、いかめしい像が立ってますね。
本陣にいる感じのね。
そうですね。
それと尾一の方とその三人の子供の像もあったりもしますので、
戦国時代が好きな方はね、ここはいろんな思いがあるんじゃないかと思いますが、
北の正城はね、負けた城として歴史には刻まれてますけど、
九十の天守を持ったとんでもない城だったということなので、
その以降も忍ぶことができます。
これは朝に行く理由は何かあるんですか?
09:00
えっとですね、動線上の問題ですね。
ちょっとこの後ね、北の正城の方から離れた方にやや歩いていくので、
今ここで寄っといた方がいいという判断をしました。
なるほど。
それを見学さっとした後に、福井駅の方に戻ります。
ここで朝ごはんをいただきたいと思うんですね。
それが今城そばです。
これもまたおそばですね。
はい。やっぱ福井といえばおそばっていうのはね、鉄板なんですけれども、
これもね、ちょっと大野でいただいた卸そばとはやや違って、駅そばなんですね。
ただやっぱり福井の駅そばというだけあって、すごいんですよクオリティが。
卸そばもあると思うんですけど、僕はですね、個人的なおすすめとしては、
朝なので体を温めたいというのもありますので、
こちらでは欠けそばをいただくのがいいんじゃないかと思ってます。
この今城そばはですね、朝6時から営業していて、福井駅の改札の外にあるわけなんですけれども、
すごいんですよ。
もう駅そばの名手みたいなね、すごい回転速度で回っていくんですけれども、
欠けそばはなんと350円。
驚異的なこの価格とスピード感。
いいですね。駅そばって感じだね。
そうです。ただそれで福井越前のそばなのでめちゃくちゃ風味があってうまいんですね。
特にこの今城って、昔の今に北野商場の商なんですけれども、
これ別の福井県内の地名で、南越前町っていうちょっと今回行かないあたりのエリアで、
ここはね今城そばっていうもうブランド的なやつで、
越前の中でも本当に特にそばが有名なところなんですね。
そのおそばを監視しているということで、かなりハイクオリティの駅そばになっています。
いいね。駅そばめがけていくってあんまりしてないけど。
そうですね。ちょうどね同線上もここいいっていうことも実はこの後の授業からあるんですね。
けれどもやっぱりね、朝そばっていうの僕結構好きでね。
以前直越の直越さんにも行きましたけど、やっぱりいいもんですね。
そうだね。さっと食べれるしね。
そうそうそう。まじでただの駅そばじゃない。越前の駅、福井の駅そばですからね。
ただもんじゃないですよここは。ということでね、朝はちょっと軽くねここで行っていただければいいのかなと思います。
ここからがね観光の本題的な話になるわけなんですけれども、
この今城そばからですね、要は福井駅からです。
徒歩15分ほど歩いたところにあるのが、福井市立郷土歴史博物館です。
この歴史館なんですけれども、ここはですね、越前福井藩の歴史を主に解説している資料館になっています。
つまり江戸時代の歴史ですね。
福井の町というのは、そういうわけで北の象徴が出発なんです。
さっきの柴田克家が気づいたね。北の象徴が戦国時代の終わりに気づかれて、ただそれは1回もう焼け落ちてしまってるんですけれども、
以前から申し上げているようにこの越前というのは、日本の政局にも影響を及ぼすのは超重要地なんですね。
12:01
なのでここがですねやっぱ徳川のうまいところなんですけど、江戸時代に入ると徳川家の親族が入ってくるんですね。やっぱりここにはね。
大事なところだから置くんだね。
しかもその親族の中でも特別な親族が入ってくるんです。
これがなんと徳川家康の息子であり、二代将軍秀田田の兄が入ってくるんです。
松平秀康というね人物が入ってきて、つまり一族の中でトップの一族です。が越前福井を治めるんですね。
やっぱそこだけ重要な土地っていうことなんですね。
越前を治めるものがその本当に天下に影響を及ぼすっていうのは、かつてこの日本の歴史が何度も証明してきることなので、これやっぱ家康はちゃんとわかってるわけですね。
越前というのはただじゃないという。他には任せられないと。
今までのコースでも家康をメインにしたことないけどちょいちょい話には出てくるじゃないですか。
やっぱり歴史に学んでるというか、今までの時流を見ていて大事なところに大事なものを置くっていう感じがさすがって感じますよね。
家康って歴史職なんですよ。これマジで。
なのでやっぱり伊達じゃないと思いますね。
この福井市立共同歴史博物館においては越前藩の話をしているわけなんですけれども、
この越前福井藩というのはですね、いろんな悲惨があってちょっと結構揉め事も多かったりして一族だったんだけど、
いろいろしくじったりもしちゃってたんですけれども、一回おりで取り潰しみたいになっちゃったりしてるんですよ。
揉め事ばっか起こしてて。
だけどやっぱり越前福井はちょっと他の大名じゃ信用できないってことになって、なんだかんだずっとこの徳川一族を治めるんですね。
ちょっとマイナーチェンジみたいなのがあるんだけど。
それがですね、やっぱりね力が発揮されるタイミングというのが来るのが幕末なんですね。
福井藩はね、幕末の藩主が松平義永という人物が出てきます。
義永というのは慶応大学の慶に永遠の永と書いて義永という人なんですね。
義永というのが本名なんですけれども、合して春岳という、この松平春岳という名前でむしろ有名だと思います。
春の御竹の竹、岳っていう字ですね。山の岳。
で春岳という人物ですね。
この人は非常に開明的な君主で、むちゃくちゃ自流とかをちゃんと読んでる、政治家としての手話に優れているという評価を受けていた人物なんですね。
実際にその越前福井藩の改革にも乗り出して、結構ねその成果を上げるわけなんですね。
若手藩士とか能力者をどんどん登用して、やっぱり大野藩と同じように商品性のある作物を作って、それを売買したりとか、藩の構造改革に取り組んだりして結構実績を上げてる人物。
名君として知られる人なんですね。
それを見込んだのが徳川幕府なんですよ。
15:01
つまり春岳、吉永はあくまでも越前福井藩の藩主なんですけれども、幕末の混乱期にあたって幕府が弱まってきていて、このままだとやばいかもしれない、幕府側としても。
だからどうにかして立て直さなくちゃいけない。
ってなった時に、その時は幕末の歴史において、開国の後はいろんなゴタゴタがあって、京都にも政権の中心が移りつつあると。
京都で薩長の人たちが暗躍していて、ミカートとかその区役を巻き込んだりして怪しいことをしてるから、幕府としても京都に対して圧力をかけなきゃいけない。
江戸幕府の一つ目、徳川義信部ですよね。あれが乗り込んできて京都に睨みを利かせている。
それの補佐として誰かの責任もいないのかってなった時に、京都に睨みを利かせるといえば、やっぱ越前だろうと。
しかも越前の代名を今相当やるっていう噂だから。
ということで、松平和永が越前から召喚されて、政治総裁職っていう臨時の首相みたいなのに京都に乗り込んでくるんですね、福井から。
ということが実はあるんです。
やっぱり幼稚なんだね。
そうなんですよ。実際吉永はそういうわけで政治総裁職として、京都で幕政の立ち直しに奔走するんですけれども、彼は一筋縄じゃいかなかったのは、徳川一族ですからね。
幕府の存続のために最も尽くすっていう、それはそれで一つの義理なんですけど、彼の視野はもうちょっと広かったんですね。
つまり日本国というものがどういうふうになるべきかっていうのを結構中立的な立場で考えた人なんですよ。徳川一族なんだけど。
だから結構言い方を悪く言うと、なんだこいつ中途半端な奴だなって思った人もいるかもしれない。
特に幕府側のバックハンプなんじゃないか。
期待してたとしたらやってるけど、意外と薩摩ともちゃんと仲良くしてるしみたいな。
っていうバランサーだったんですよ、非常にね。
それで結局後部合体とか言って、京都と江戸を仲良くしましょうみたいな政策を取り組んだりとかっていろんなことをやるんですけれども、
なんだかんだいろんなところに出現して大事な政調に関わっていくんだけど、最後母親戦争が起こって幕府と薩長がいろいろ戦うってなった時には、幕府側の支援は積極的にはしなかったんですよね。
むしろ新しい明治新政府の方に結局はあるんです。
というような人物が松平吉永春学です。
実際その松平吉永に仕えた人物にもすごい迷信って言われる人が多くて、
中根節行っていう人物だったり橋本さないっていう人物だって、この辺は教科書に載ったりしますね。
っていう越前の吉永とともに政治改革に取り組んだ若手藩士たちが明治政府の養殖にも入ったりもします。
橋本さないは幕末を迎えた直後に、いい態度によって殺されてしまうんですけれども。
それがやっぱり幕府の中でも、いい直助は吉永とバチバチだったんですね。
大見と越前で隣同士だったんですけど、政治上の対立からうまくいかなくて、派閥が全く別の派閥にいたので、それで殺されちゃったって言いましたね。
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やっぱここでもよく見る感じなんだね。
吉永の福井市立郷土博物館、歴史博物館に行くと、見ると言いましたが視野の広さがより分かるんですね。
というのが、この歴史博物館は主にそういうわけで、越前福井藩とそれと共に発展してきた福井という町のことをよく解説しているわけなんですが、
とあるコーナーに松平春学、吉永の写真帳っていうものがあるんですね。
松平春学はですね、写真オタクだったんです。写真を集めるのが好きだったんです、この人。
まず先進的なのかな。
そういうことです。当然写真なんて当時は最新鋭の技術ですけれども、それを積極的に自らもちろん撮りますし、
いろんな人の写真物理みたいなのを研究していたようなんですけど、ちょっと面白い趣味を持っていて、やっぱ解明的なんですよね、非常に柔軟な頭を持っていて。
この博物館のホームページにもあるし、実際現地に行っていただくとファイルブックみたいなのでまとまっているんですけれども、
松平春学の写真コレクションはすごくてですね、ビッグネームがいっぱいいるんですね。明治天皇が始まってますけど、
こういうことで明治天皇の写真とかをこの人がコレクションしてるんですね。
これ教科書に載せるやつでね、これをコレクションしてんの?
これね、ちょっとごめん、僕もね詳しくはあれなんですけど、原本ではないはずです。
さすがにそうか。
そうそう。でも焼き直しとかも写真できるわけなんで。
明治天皇のもありますし、その一方でね、徳川よしのぶ、最後の将軍徳川よしのぶもいますね。
徳川よしのぶの写真も2枚あります。これも教科書に載ってますね。
さらにね、この人と仲良かった、同じ解明的な藩主仲間としてね、佐賀藩。
佐賀藩鍋島家の鍋島観葬、これもすごい人です。
超アカデミックな幕末最新の技術を持っていたすごい藩だったんですよ、佐賀藩というのは。
今度は馬があったんでしょう、この2人は。
なるほどね。
ということでこの友達の写真もコレクションしてます。
あとはもう有名なところで言うと、葛階宗とかね、近藤勇もいますよね。
すごいね。どうやって集めるんだろうな、これ。
どうもね、この写真、この人ね、久内町とかにもいろいろ関わった人なんですね。
宗学って明治時代になってから。
そういった要職要人の写真とかをね、集めやすい立場にいたのは間違いないそうなんですが、
それをこうやってね、自分でファイリングしてね、後世に残してくれたんですね、こういう写真をね。
どこど好きだったようです、写真が。
でまぁちょっとここには載ってないんですけど、ちょっとね僕も記憶が定かじゃないんだけど、
確かね、この人はね、外国人にも興味があって、
ナポレオンとかね、リンカーンとか、ワシントンのね写真も集めてるんですよ。
多分外国の商人とかからもらってたんでしょう。
21:02
こういう人たちの写真もね、コレクションしてるんですね。
このラインナップ見ててもね、伊藤博文とかね、大熊茂雄とかね、
もう本当に教科書で見るような名前がいっぱい。福沢諭吉もあるね。
そうですそうです。
すごいですね。
もう本当そうそうたら皮振りですよね。
これをね、コレクションしてたんですね、この人はね。
なんか面白い趣味だね。
やっぱりでも解明的でね、明治天皇とか、まあまあともかくとしても、
徳川義人を言えばさ、逆に薩長のね、伊藤博文もそうですし、
江藤新平、木戸孝義とかね、要は徳川幕府を潰そうとした人たちも持ってるっていう、
なんかこのやっぱ中立な立場だなっていうのがよくわかるんですよね、こっからもね。
多分だから写真写りで選んだのか、人物のまあ仲良さで選んだのかわかりませんけれども、
こういうことをね、やる人なんですね。
何せよその両方の…
写真を手に入れられる立場にはあったってことですね。
そういうことですよね。だからやっぱりそれはね、非常にバランス感覚に優れた、
なんか越前、たるべき越前なんですよね。
その日本の真ん中で京都の数勢をじっと伺いながら、どちらに堅い歴史すぎない。
非常にバランス感覚に優れて日本の政局を安定化に導いた人ですね。
っていう功績のある人です。
なので今でもやっぱ福井のね、町ではもう既大の名君としてね、
この松平春岳、吉永はね、厚く上回れてる人になっています。
これがやっぱりね、キャスティングボートなんですね。
この福井藩の立場というもの自体がね、やっぱりね、そんな気がいたします。
日本の歴史上における越前の立場をね、象徴している気がするんですね。
これね、思ったより多分時間食うと思います。
この写真ね、面白いんですよ。見始めると結構興味深い。
誰が載ってんだろう、コレクションを知って。
たしかにね、教科書で見る写真もあるし。
そうそうそうそう。
でね、同じくちょっと福井藩関係の歴史をちょっといきましょう。
京都歴史博物館から徒歩2分ほど行ったところにあるのが養虹館庭園です。
養虹館、養う。
虹はね、三税に告げると書いて、公然の木を養うの虹ですね。
に、館で養虹館と。
これはね、越前福井藩のお殿様が作った別邸みたいなやつですね。
なんかこの夜の写真素敵だな。
素敵ですね、これね。夜いつ行くんだろうな。
割とこう、池の庭っていう感じなのかな。
そうです。このね、養虹館のメインはこのすごい広い池です。
池を中心に建物やその他の樹木が植えられているというね、地戦海遊史の代表例と言っていいでしょうね。
見どころはね、本当にいろいろあるわけなんですけれども、まずはやっぱりね、池ですよね。
これはね、当初17世紀前半に作られたと言われているんですけれども、
24:01
この時もね、福井の城下町を流れる浄水を引き込んでわざわざ作ったと。
2300平方メートルの池だったと言うんです。
でかいね。
すごいですよね、この力ね。
これが庭にあるっていう、どういうことっていう。
すごいとんでもない話ですよね。
それだけね、福井というのはね、足の羽の川とかで阿蘇和川という川が流れていって、その間に城下町があるんですけれども、
お酒作りとかね、大野の話でもありましたけれども、やっぱり雪のかむるすごい急な山脈からガッと流れ下ってくるので、
越前の国ってとにかく水資源が豊富なんですよね。
だからまあいろんな米とかお酒とかが発展してくるわけなんですけど、
城下町においてもだから水がもう余りに余っちゃったということで、それを引き込んできたわけなんですね。
贅沢なんだね。
贅沢ですね。本当そう思います。
であとはね、やっぱ土地の素材を生かすということでね、実は越前はね、石の名産地でもありまして、
釈大石っていうね、ブランドがあるわけなんですけども、
青みがかった水色の石で綺麗なんですね。
こういうのをその庭を造成するにあたって、いわゆる組み込んでね、そういった美しさもね、演出していると。
ちなみに越前福井藩のね、墓所がね、別にちょっとお寺が福井の郊外にあるんですけど、
そこ行くとね、この墓石は全部この水色の石になってて、すごい不思議な墓所になってます。
なかなか他の藩では見ないような不思議な美しさがあるお寺になっているのでね、また歴史好きの方はそこも調べていただけると。
ただなんといっても、ここの良さはね、建築ですね。
この建物自体はね、復元されたものなんですけれども、隙間作りのこの建築はね、本当にね、思考が殺されてて見事なんですね。
これね、どういうことかっていうと、池がメインのお庭って言ったじゃないですか。
なので、当時の日本人が座る目線の高さっていうのを考慮して、これ建物と池がそのまま続いているように見えるようにわざわざ設計されてるんです。
ああ、なるほどね。
座ってる畳からそのまま池に繋がってるように作ってあると。
そう、実際はこう分かるより、間に石のジャックとかが敷かれてるんだけど、それが見えないようになってるんですよ。
こういう演出をした人としては、この池に自らが巨大な船に乗って浮かんでいるっていう感覚を演出した方さんはですね。
いや、そう見えるよね。
見えますよね。
本当に浮かんでる感じだよね。
うん、超巨大館船みたいな感じでさ、そういうふうに思うんだと。
それでこう水のね、美しさ、こんこんと流れる越前の豊富な水をね、眺めながらお茶をいただいたりとかね、優雅に過ごしたというところでね、この名庭園となるわけですね。
この写真でもね、建物の天井のところに水面の反射がね、こう映ってて。
そうそうそう。これ綺麗ですよね。
なんかこれね、建物の中にこの水面の反射が映ってるっていうのがなかなか面白い。本当に船っぽい感じだよね。
27:03
そうですね。だから水が主役の庭園なんですね。
ああ。
うん。それでいてね、お殿様とかがいたんでしょう、この御座の間ってところに行っていただくと、もうこの隙間作りって江戸時代のね、本当に細やかなね、細部にまで工夫を凝らした和風建築の粋と言われているね、ものがもうふんだんにその技術が詰め込まれている部屋になっています。
はい。
とこ柱一つをとっても欄間一つをとっても細工が精妙でね、それでいて外を見るとその水が見えたりっていうね、非常にいい庭園です、ここ。
へえ。なんかこう全てがしっかりと綺麗に作られてる感じだね。
うん。お月見の間なんて用意されちゃってね。
いいですね。優雅だね。
うん。やっぱりこれもね、越前福井っていうでかい巨大な力の強い藩ですから、これだけのやっぱりものを作れたんでしょうし。
うんうん。この襖のところの作りもね、この飾りがすごく綺麗に作られててね。
綺麗ですよね。
へえ、面白いなあ。
これね、和風建築とか好きな方はね、非常に面白いし勉強にもなると思いますね。
僕もここ結構じっくり見ちゃって、特に平日に確かここ行ったんですけど、人が本当に平日でいなかったので、この本当にお月見の間とかでね、ずっと長く見てましたね、ゆっくりね。ほぼ貸し切りみたいな感じでね。
へえ。
昔のお殿様気分ですよ、本当にね。
いいね、社長になったり。
社長になったりとか、そうそうそう。いろんなね、錯覚を覚えさせてくれる越前福井。
へえ、いいですね。ここなんかちょっと長いしたくなるね。
いやあ、長いしたほうがいいと思いますね。
というのがね、陽光館庭園なので、ここはね、たっぷり時間を使って見ていただいて、ゆったり安らげていただくといいと思いますね。
で、おそらくもう倉庫していると結構博物館も見ごたえがあるので、2つ合わせてもう午前中に目一杯使うと思います。
なので、陽光館庭園の後、お昼を食べに行きましょう。
徒歩5分ほど行ったところにあるのが、松寿司総本店です。
寿司ですね。
もうね、ここはね、クラシックの、いわゆる街のお寿司屋さんなんですけど、越前の魚がうまい。
そうね、だからしっかりと魚をまだいただいてないもんね。
生ではまだいただいてないんですよ。
そうだよね。
昨日炙りはあったんだけどね。
寿司でいただくとね、うわー蟹あるよ。
蟹に蟹味噌が乗っかってますよ。
うわー。
うん。
寿司いいなあ。
うん。
ウニ。
ウニだ。
うん。
本当に綺麗なお寿司がいっぱい乗ってますね。
はい。
この松寿司さんなんですけれども、僧侶60年以上、福井の滋賀に何世代もたって多分愛されている名店と言っていいでしょう。
はい。
でね、なんといってもやっぱり北陸越前のね、海の幸の鮮度ですよね。
30:03
うん。
滋賀なが基本でした、やっぱり。
ああまあそうだよね。
うん。
まあそれ食べたいしね。
はい。
だからもちろんね、季節によっては変わると思います、メニューは。
うんうん。
僕はね、ここ秋に行ったので、わりとね、ひらめとかそっち系の白身系が多かったんですけど、すごくキリッとしたね、魚なんですけど、
それにね、酢飯の味付けはちょっと関西風でね、甘みのある感じなんですね。
ああ。
その相性がすごく良かったんですね。
へえ。
うん。
で当然ね、僕は食べてないですけれども、おそらく冬はやっぱり越前蟹をいただけるというお店でもありますので。
いいですね。
うん。
蟹食べたいなあ。
これね、まあ我々今この収録している季節ぐらいがちょうど蟹のね、
確かにね。
越前も多分これからなんじゃないですか、そろそろだと思うんですけどね。
そしてね、お昼から飲めるんですね、これが。
で当然ね、もう昨日ね、置いてきてますから、車を。
ああ、そっか、車乗ってないんだ。
このためですよ、もちろん。
なるほど。
はい、飲みましょう。
ああ、それは心置きなくなるね。
ここもやっぱ越前のね、福井のね、地酒をいただけます。
はいはい。
それで日本酒とお寿司とそれに合わせるちょっとおつまみもね、
お刺身とかもいただけた、お作りか、いただけたはずですので。
うん。
ここはいいですね。
いいねえ。
でも雰囲気は全然飾らなくて、
はいはいはい。
あのいわゆるまち寿司っぽいんですけども、
異常なく売り切れのまち寿司みたいな感じ。
いやーやっぱそれはやっぱ海が近いからこそだね。
うん、ですね。
やっぱ北陸のお魚ってしまってて美味しいんだよね。
ああ、なるほどね。
うん。
我々普段ね、相模湾のお魚食べ慣れてて、
そうですね。
それぞれもちろん相模湾はめちゃくちゃ美味いんですけどね。
うん。
やっぱちょっと北陸とは違う感じもしますね。
ああ。
どっちが良い悪いっていう問題じゃないんだけど、
はいはいはい。
居酒がやっぱり違う気がしますね。
うんうん。
うん。
いやあ、いいなあ、寿司なあ。
うん。
最近あんま食ってない気がするなあ。
そうですね、小田原でまた来てた時でも。
うん。
ただね、僕ここね、偶然この洋光館行ったのも平日だったってこともあって、
はいはい。
それで昼入れたんですけど、
うん。
基本予約みたいです。
ああ。
昼ももう。
なるほど。
なのでもう。
土日なんだ。
ああ。
はい、土日は特にね。
ああ、じゃあ色々予約しとかないといけないね。
うん、そうですね。
うん。
安全だと思いますね。
はいはい。
なのでまあちょっと色々ね、手間はかかるかもしれませんけど、
うん。
まああのリクエストをくださったふっさんさんもね、
うん。
グルメは相当こだわってらっしゃるようでしたので、
うんうん。
この松寿司はね、外さないと思いますね。
なるほど。
私場所もいいですね。
陽光館から行くのはちょうどいい場所にありますので。
うんうん。
はい。
いやあ、いいっすね。
うん。
おいしそう。
うん。
これでね、一前の海鮮をたっぷり味わっていただく。
はい。
ということになります。
はい。
で、松寿司総本店さんから徒歩15分ほど行ったところで、ちょっとねスイーツをね、食べてみたいんですね。
おお。
これがですね、松岡県です。
はい。
わりと珍しいですね。
はい。
スイーツ食べに行くのは。
僕これめっちゃ好きなんですよ。
おお。
越前福井のお菓子といえばね。
はい。
羽蓋餅ですね。
おお。
はい。
ああ、そうなんだね。
はい。
うんうん。
これおいしいんですよめちゃくちゃ。
へえ。
大好きなんですよ、僕羽蓋餅が。
33:00
すごい好物なんですよね。
ハブタエ餅ですね
あーそうなんだね
これ美味しいんですよめちゃくちゃ
大好きなんですよ僕ハブタエ餅が
すごい好物なんですよね
美味しい知らなかった
美味しいんですよハブタエ餅って
いやーでもこれ綺麗だね
純白って感じの
そもそもこのハブタエって何か分かりますか?
福じゃなかった?
そうなんです
エジゼンは織物の名産地なんですね
福井藩は織物の生産を
すごく積極的に奨励した藩でもあって
それを主要産業にしてたんですよ
宝書紡ぎという紡ぎが
エジゼン藩の名物として
ブランドとしてあったらしいんですが
それがこのハブタエ餅に似てたということで
そこから着想してこのお餅
本当にしなやかな服を思わせる
真っ白い純白のお餅を
発明したと言うんですね
この松岡県
植物の松に丘は普通の丘なんですけれども
県産がこのハブタエ餅発祥の店になっていまして
この松岡県自体が
そもそもは織物屋さんだったんです
それでお餅も作ったんだ
そう
やっぱりどうしてもエジゼン藩の時代には
やっぱり織物というのは
日常品として非常に主要な産業だったんですけど
近代に入ってからは
どうしても和服の需要というのは下がってきてしまって
このままだとやっぱりちょっと
甲料が立ち行かなくなるかもしれないと思った時に
発明してこれがヒットしたので
これで織物屋さんじゃなくてお菓子屋さんとして
業態を転換して
ハブタエ餅メーカーになったという
ちょっと面白い経緯のね
うまいことやるね
ハブタエ餅ありきなんですよ
このお店はじめ
なのでなぜここに寄ったかというと
僕の推測ですとね
これ片町の方から
最初ホテルは片町にとってたでしょ
片町から北野商場に寄って
一周してきた感じなんです福井の街を
駅から福井城の方に行って
洋光館に行って
ここで松岡県産でハブタエ餅を購入していただき
その上でホテルに荷物をピックアップした方がいいと思うんですね
持ち歩きたくないじゃないですか
あんまり松岡県
ハブタエ餅生菓子ですね
しかもあんまり夏とか特に
餅だからね
持ち歩きたくないっていう
なんでわかんない
いい動線だね
その動線がいいと思うし
僕はこれで自分でやって大正解だったので
結構歩いてますから
洋光館の方から15分ぐらい歩いてるので
これがいいと思います
僕は松岡県産で
ハブタエ餅を買ったことしかないんですけれども
どうも去年なのかな
近年松岡県の本店さんの中に
カフェがオープンしたらしいんですね
ちょっと見てみましょうかね
36:01
これ
かっこいいね
かっこいいっすね
スタイリッシュな
現代のアートみたいな感じの
黒と木が基調になってる感じの
かっこいいって言ってないですよね
ですよね
これでね
できたてのハブタエ餅やどら焼きのほか
松岡県の夏の名物
特製カンナを使って手作業で削るかき氷
カンナで削るんだ
すごいですねこれ
もう味わえると
できたてのハブタエ餅とか
いいね
これ食べてみたいっすね
これがつい最近オープンしたそうなんですね
じゃあここで食べるのもありだね
そうそう
せっかくならば
お昼で松津市さんでいただいたアートなので
ここでこうおやつ感覚で少し口休めというかね
感じでハブタエ餅だったりスイーツをいただいて
それでやっぱり一番おいしかったものというものを
お土産に購入いただく
ショップの方で購入いただくというのがね
いいんじゃないかと思いますね
いいね
これちょっと僕はね
カフェには行ったことないので
ちょっとあんまりわからないんですけど
ただこの松岡県さんでやっぱりね
ハブタエ餅はお土産としては定番ではありますけど
やっぱおいしいんですよね
福井の市内は一旦ここでお別れとなりまして
あと最後に行きたいのがですね
温泉です
リクエストを頂戴していた
そういうところもありますので
最後にねお酒飲んでスイーツ食べて
最後帰る前に温泉で一服していこうとか
いう形になります
当然お酒飲んでますので
公共交通機関でしか移動できませんが
これができちゃうのがエチゼのいいところなんですね
いいね
実はこれ今まで触れてなかったんですけど
福井の街はですね路面電車チャレンジです
チャレンジ
運転の時我々チャレンジって言ってますけれども
路面電車結構活発に行きかっています
そういうところなので
公共交通機関でも安々と移動できるわけですね
ちょっと電車の時刻表も申し上げますが
実際に調べてから言ってください
仮に今の時刻表で言うと
松岡県さんから徒歩7分ほどのところに
福井城市大名町駅っていう駅があります
ここから福井鉄道
越前鉄道というもので
19分
14時20分に出発するものに乗っていただいて
19分で和之塚晴原という駅で一回降りていただく
ここからは路線名が越前鉄道だけになるようなんですけれども
和之塚晴原駅から20分ほど行ったところに
阿波羅湯の町駅というところがあります
これがいわゆる阿波羅温泉です
阿波羅温泉関西の奥座敷と言われたね
越前を代表する名湯ですね
足の原と書いて阿波羅と呼ぶんですが
現在の駅名では大体ひらがなで表記されることが多いです
39:00
阿波羅温泉ですね
足っていうのは植物の足
植物の足ですね
の原っぱで阿波羅です
ここに阿波羅湯の町駅があるわけなんですけど
ちょっとここで一つ要注意なところがありまして
今我々が行っているのは越前鉄道の阿波羅湯の町駅なんですね
実は別にJRの阿波羅温泉駅というのがあるんですね
ここには例によって延伸した北陸新幹線も通っていますし
北陸本線も通っているので
こっちの方が有名なんだと思うんですけれども
温泉街はこちらではありません
温泉街は越前鉄道の阿波羅湯の町駅に行かないとダメです
なので北陸本線阿波羅温泉からはバスとかで移動が必要になります
ここを勘違いしないようにお注意ください
この二つは鉄道路線で組み合っていませんので
バスかタクシーで移動した方がいいと思います
歩くのはちょっと厳しいと思いますので
ただ福井市内からだと越前鉄道に直接乗れますので
阿波羅湯の町まで直接行けます乗り換えなく行けますね
というのは初めて行く方勘違いされる方もいらっしゃるような気がするので
ご注意ください
阿波羅湯の町駅に着きましたら
そこから徒歩3分ほどのところ目の前に
セントピア阿波羅という温泉施設があります
わりと新しそうな感じだね
そうですねいかにも最近というわけではないと思うんですけれども
温泉旅館ではなくてここは温浴施設ですので
日帰りの専門かなになっているはずなんです
温泉見てみましょう
今夜のお風呂はセントピアということですね
天の湯地の湯広いんですよ
非常に開放感があってですね
晴れ晴れとした気持ちで足を伸ばすことができるんじゃないかなというふうに思います
いいな
実はね阿波羅温泉というのはそこまで歴史が古いわけではなくて
明治16年つまり1883年になりますね
に初めて輸出した温泉なんですね
だからこれまでやってきた温泉とかって江戸時代総領とかってあったと思うんですけど
明治時代に入ってから見つかった温泉なんですね
だからこそ不正なる温泉旅館たくさんあるんですけれども
割と新しめな感じでもあります
日帰り温泉もいろいろできるんですよ
湯の町の駅のあたりには本当に有名な旅館がたくさんありますので
調べていただくとおそらくできるんですけれども
僕はここにしか行ったことがないんですね
なぜかというと実際僕も確かここ行ったの日曜日にカエルマリワに行ったんですけれども
なんかどうも土日は結構お客さんがたくさんいるからだと思うんですけど
宿泊ができる旅館とかは結構時間がかなり制限されていたりとか
そもそも土日は日帰りがダメだったりとかで
ちょっとなかなかハードルが高かった覚えがあってですね
42:00
というときにこのセントピアあわらさんにおいては
朝から夜までずっと通して日帰り客を迎えてくださっていますので
非常に気軽に行ける
そして何よりアクセスがいいというのも安心の材料です非常に
ここで最後にこのあわら温泉に使っていただくのがいいんじゃないかと思いますね
最後に行くのいいね
そうです
気持ちよさそう本当に
小腹が空いたらというところでね
食事どころとかもありますし
あと温泉卵作りなんてね
こういったちょっとしたアクティビティもあるので
観光客が行きやすいというのがまず一つ大きなポイントではあると思いますが
非常に最後に温泉に行くのはいいと思います
僕もあわら温泉に最後に行ったのがもう
大野に行った時にもう4年前くらいなので
もうちょっとね今の最近の事情にあまり詳しくないんですけれども
どうもウェブで調べている限りだと
JRのあわら温泉駅の方とかにも
新しいクラフトビールとかができているようなので
調べながらこれめっちゃ久々に行きたくなったなって思いました
なのでねもしよろしければね調べていただけると
このちょっとした温泉街がこの湯の町の周りが広まっていますので
結構飲食店も多いですこの辺ので
セントピーあわらさんに使っていただいて
その上で夜新幹線とかに乗る前に
もう一杯ここで引っ掛けてもいいんじゃないかなという気がします
いいね
修行したのにな
修行しましたね一度ね一瞬で終わっちゃいましたけど
翌日には日本酒を飲んでましたから
まあまあまあ
いいですね
なのでここを代表的なところとしてお伝えはしましたが
いろんな施設がありますので
ぜひちょっと調べてね行っていただけるといいかなと
ただこのあわら温泉にあるというのが
福井の市内からすごいアクセスがしやすいのがめちゃくちゃいいんですね福井はね
温浴用も600円ということで安いですよね
そうだね
入浴料600円ですよ
いいねなんか温泉街でありながら
気軽に入れる感じが嬉しいですね
嬉しいですね
ということでね
最後にこのあわら温泉でたっぷり湯に浸かっていただけるといいのかな
そこから徒歩3分ほどでまたあわら湯の町駅に戻ります
ここから時刻表を示すと
16時49分にあわら湯の町駅を出発する越前鉄道に乗ると
42分1本で福井駅まで戻れます
それで着くのが17時半頃に着きますので
ここからですね新幹線なり特急の鉄道なりで各ご自宅に戻っていただいて
この旅は終了になるというところになっております
はい
では3日目を振り返っていきましょう
まず片町あたりの宿に泊まっているとしまして
そこを9時頃チェックアウト
そこから徒歩10分ほどで柴田神社北野正常跡ですね
柴田勝家を祀る神社でありながら
45:00
北野正常九十の天守があったというね
居場の跡でもあるということで
資料館もあるということで
実際にそのお城の跡と資料を見ながら
そのお城に思いを馳せると
そこから徒歩7分ほど今城そば
福井駅構内にある駅そばですね
美味しくて開店の早い安い駅そばということで
ここで朝ごはんをいただきます
そこから徒歩15分ほど
福井市立郷土歴史博物館
この目玉は松平吉永の写真長官
目玉ということで
目玉はもっと福井全般の話
福井藩と城下松の歴史がメインですね
その歴史とか文化を見ながら
その中に松平吉永のコレクションした写真があると
そういうことです
そこから徒歩2分ほど
陽光館庭園ですね
ここは本当に綺麗なスキヤ作りの建物から眺める
池の大きなお庭ということで
ぜひこの館の中から
座って庭を眺めるというのがいいんじゃないかと思いますね
そこから徒歩5分ほど松寿総本店さんですね
ここで福井の地魚を作ったお寿司をいただくと
せっかくなのでここでお酒もいただいて
お寿司と日本酒はやっぱり美味しいですから
ここでお昼をいただきます
そこから徒歩15分ほど松岡県さんですね
ここでデザートですね
羽蓋餅をいただきます
和カフェが最近オープンしたということで
そこでいただけると
そしてお土産で買ってもいいですし
そこから徒歩7分
福井城市大名町駅から福井鉄道越前鉄道に乗りまして
仮に時刻表通りに言うのであれば
14時20分発の電車に乗りまして
19分和静香晴原駅に着きます
和静香晴原駅から越前鉄道に乗り換えまして
20分15時20分に淡良湯の町駅に着く予定となっております
ここら辺は時刻表を見ていただいて
最新の情報を注意していただければと思います
淡良湯の町駅から徒歩3分ほどセントピア淡良という温泉施設ですね
ここで最後に旅の疲れを癒して
そこから徒歩3分でまた淡良湯の町駅に戻りまして
48:03
越前鉄道で42分1本ですね
福井駅に戻りましてそこからご自宅へと
ということでこの旅が終了ということです
この番組ではお便りを募集しています
番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報・ふつおたなど何でも結構です
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿をお願いします
また各プラットフォームのフォロー・レビュー・コメント
それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします
そして感想を呟く際はぜひハッシュタグ
おとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると大変励みになります
よろしくお願いします
さてここで皆さんにお願いがございます
ジャパンポッドキャストアワードというのが
今年も開催されることが発表されました
このジャパンポッドキャストアワードというのは
日本最大のポッドキャストのアワードということで
今年は第6回ということになります
今年もやるんだったら我々もエントリーしようかなというふうに思ってたんですが
今年エントリーの方法が変わりまして
今年のエントリーの方法はですね
リスナー投票で上位20番組に選ばれたら
ノミネートということになりまして
この20番組というのはプロあんま問わずでございます
なので我々としては大変厳しい状況に
我々みたいな今年始めたばかりの番組には大変厳しい状況にはなってるんですが
一度はねこの発表があった時は
ちょっともう無理だなと厳しいなと思って
この投票をお願いするのもやめとこうかなということも考えたんですが
でもやっぱり自分としてもね
やっぱりこの番組はいい番組だと思ってるので
これはやっぱり広まってほしいっていう思いもあって
ちょっとまあ足掻いてみようかということで
このお願いを今話してるわけです
ということで皆さんへのお願いというのは
投票をぜひお願いをしたいと
それは本当にお願いだね
そう
このノミネートされれば
された後は我々の実力なんですけど
ノミネートをされるには皆さんのお力が必要だと
そういうことなんですね
いうことなんですよ
なるほど
なのでぜひ投票をお願いしたい
51:01
それは本当そうだね
ということで詳細をお話ししますと
12月2日から1月10日
2024年の12月2日から
2025年の1月10日までが投票期間となっております
ここでぜひ大人になりたい旅がしたいを
投票していただけると嬉しいなと
投票をぜひ今聞いていただいてる方も
ぜひ投票をお願いしたいんですが
それと同時に皆さんの身の回りの方にも
広めていただきたいと
そうですね
やっぱりね我々は新人ですので
そんなにリスナーは多くないので
ぜひこの期間に皆さんに広めていただきたい
そしてもしよければ投票もその方にお願いをしていただけると
大変嬉しいと思いますので
ぜひこのジャパンポッドキャストアワードのホームページから
大人になりたい旅がしたいに投票をお願いしますと
これは投票は誰でもできるんですか?
誰でもできます
なるほど
なのでぜひ投票ページから投票いただけると
嬉しいなと思います
それは嬉しいですね
でも投票は対するから
まず聞いていただいた上で
初めて聞く方はね
これなら投票してもいいかなって
投票していただいていい?
本当そう
別に無理に投票してもらいたいとまでは言わないので
ぜひ面白いなと思っていただけたら
というのをいただければ嬉しいなと思います
ということでぜひよろしくお願いします
ぜひよろしくお願いします
なんか福井すごい奥が深いというか
あのね途中で俺思いついてたんだけど
堀甲斐がある町だなと
堀甲斐がある町?
これはね恐竜とか
なるほど
遺跡とか
確かに確かに
確かに一条谷のね
いいっすね
っていうのをね俺途中で思いつきました
お見事
確かに本当そうだね
堀甲斐ありますね
地中にすごくいろんな昔の恐竜もそうだし
戦国時代の遺構とかもそうなんだし
そういうのが埋まってたし
でそこからこう見える福井の人たちとか
その地域の空気とかね
そういうのが堀甲斐がある町だなと
確かにいいっすね
まさにその通りだと思います
やっぱこういうのを言うのちょっとビビるんだよね
確かにね
はまるかなみたいな
いやでもなんかそんな感じがしたな
あのまあねタイトルの回収というか
ところで言うとね
まあ今回ねそういうわけで
キャスティングボードっていうのを一つキーワードにしてね
54:01
越前の国というものが
特に京都との絶妙な距離感
物理的にも精神的にも
絶妙な距離感があることっていうのを
越前の人たちが分かっていた
それをうまく利用した人もいれば
それでうまく貢献した人もいれば
という形だったわけなんですけれども
これがやっぱり越前という土地の特質だと思うんですね
近いようで遠い
遠いようで近いみたいなね
絶妙な距離感で常に京都のことを見ている
北の方からね
いざとなればこう
押し寄せてくるかもしれないっていう
頼もしさと恐ろしさが同時にある
それが因然たる越前なんですよね
いや確かにその越前っていう
京都に近い土地にありながら
なんかこう戦況を見て
自分がどう立ち回るべきかみたいなのを
すごくよく考えて
まあだからある種中立に立って
動いてる人を見てきたなという感じがしますね
それはもう日本の歴史上証明されてることですね
常に越前というのはバランス感覚に優れて
日本の歴史をじっと見つまっている
そしてただその舵取りの双方が煮詰まってきたところに
越前困ったら越前にちょっと行ってみようというので
越前の影響力が徐々に徐々に浸透していく
というのがこの越前の歴史なんですね
だからキャスティングボートなわけなんです
影の主役なんですね越前という日本の歴史における
そしてまあねちょっと最後に小話というか
このキャスティングボートの最たる事例でね
我々が実は知られざるところで
この人たちの影響をすごい受けてるところがあるんです
というのが先ほどね
福井市立京都歴史博物館のところで
松平吉永春学の話をしたと思うんですけれども
この人はそういうわけでね
母親戦争にもやや中立的な立場
明治政府の方に養殖として入って
そこでね初期本当に早々期の明治政府の
すごい主要なポジションに入ります
でそこでまあいろいろとね
法制だったり宮中の整備とかをするわけなんですけれども
特にやっぱりこの天皇
明治天皇と近い存在だったので
非常にそういった宮中の奥の方の仕事とかもやるんですね
でとある時にですね
この人は一つねとんでもない大仕事をしたんですけれども
それがですね
やっぱり世の中がこれでもう変わったと幕府が倒れて
っていうことで
新しい言語が必要なんじゃないかってことになったんですね
でそういうことになった時にこの松平春学が
それの責任者になったんです
でまあそういう有識者みたいな人たちから
いくつか案が上がってきた中で
最終的に明治天皇が決めるのが建前っていうか
実際そうだったんですけど
その前に吉永がいくつか候補を限定したんですね
その中にあったのが明治なんです
つまり明治っていうものを言語を実質的に選んだ
一人がこの松平春学なんですね
57:01
これが明治維新の明治を選んだ人なんです
なるほど
新しい言語の選択肢の中の一つに明治を作った
そういうことなんですね
明治というものを入れたんです
それで最後は伝説によればね
明治天皇自らがくじ引きで最後は決めたと
そんなんでいいの?
逆に神の営業みたいなところもあったんでしょうけどね
新しい言語の仕切り直しということもあったんでしょうけど
その中の今我々が知っている明治というものを
入れたのはこの松平春学
なるほどね
それはすごい大きな役割だね
そうなんです
こういうところが越前らしいなって思うんですね
人知れずしかし確実に日本の名運を
越前が実はすごく握っている機会というのは
何度かあるんです
日本の歴史上に
それをやった人が福井にいたっていうのかね
そういうことなんです
なるほど
朝倉高賀家にしろね
道元禅師もそうなんですけど
越前と都の距離感というものを測った上での
自らの道と越前の国というのを豊かにしていった
という人たちですね
なるほどね
よく見てる人が本当に生まれるというか
そこに配置されたのかもしれないけど
本当にキャスティングボートなんだなって感じがするね
ということで次回は雑談会ということで
やっと日本酒をいただきますね
めっちゃ飲みたいですよね
いただきましょう越前の日本酒をね
ということで今回はこの辺でありがとうございました
ありがとうございました
58:51

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