大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 パルヤです。 今回は前回からの続きですね。
雲はまだ残す2人の影を。 白日明け。 白日明けのイマジナリーフレンドへの2日目ですね。
まだこのタイトルの… 何も回収していません。 そんな意味ないんですけどね。
それがわかる2日目という感じなんですかね。 ということで、早速いったほうがいいですね。
前日は西鉄久留米駅の近くにあるホテル、任意の場所に泊まって飲み終わりましたということなので、今日もその西鉄久留米駅近くからスタートというふうにしたいと思います。
久留米に泊まっていて朝ごはんをいただくわけですが、車も持っていますので、ぜひお勧めのスポットが1個あります。
それが西鉄久留米駅周辺から約15分車で行ったところにある立花うどんさんです。
これは福岡のグルメの一つにうどんがあるんですね。 どうしてもラーメンのイメージとか強いと思うんですけど、福岡は結構うどんも盛んなところになっております。
ヤバヤバな感じのうどんが名物ですよね。 そうそうそう。
やっぱり福岡もね、先週行った時も福岡の地元の出身の後輩のことも話したんですけど、それぞれの推しのチェーンのうどんがあるんですね。
すけさんうどんだったり、牧野うどんって大体福岡の人はわかるんですけど。 うーん、まあやっぱうどん名物なところはやっぱそれぞれ推しのお店がやっぱあるよね。
そういうことでしょうね。 で、そこで行くとこの四国方面の遊といえば立花うどん。
おいしいんですよ。 これね、写真がめっちゃうまそうだね。 でもなんか福岡のうどんでこの肉が乗ってるっていうのはあんまり印象なかった。
そうなんです。これね珍しい、カスタマイズすればいいくらいでもあると思うんですけど、ここの一つのポイントではありますよね。
ごぼう店はね、まあよくある話なんですけど。 わりとはありますよね。
この肉うどんですよね。 うん、もちろん肉入ってないのもありますからね。
肉ごぼう店うどんというのが看板メニューになりますね。
でね、この立花うどんさんなんですけれども、本当にね、自家製のうどんでておいしいのはもちろんなんですが、朝はね、このロードサイドズンにあるんですけれども、
9時半からやってるんだよね、確かね。なのでちょうど朝ごはんに行くのにいいかなと思っていて、はいはい、でもパッとね、食べられます。
これか。
そう、このコラムラーメン根尺物語第1話から始まって、
えーっと。
すごいな。
142話。
すごい。
142話。
映画ラーメン侍ついに公開。
これは大砲ラーメンの歴史をね、ドラマ風にもう朝ドラレベルですよ、この話数。
へー。
えーすごいね。
とにかくね、このホームページにはすごい情報量です。
なぜラーメンがこんなに美味しいのかということをいっぱい書いてます。
そしてクルメの街のこともいっぱい書いてます。
へー面白い。
面白い。
これね、なかなか見ないですよ、ここまでの。
僕もさすがに全部は読めてないんですけど。
ぜひラーメン好きの方、大砲ラーメンさん、ホームページだけを見るだけでも面白いので。
外伝もあるので。
外伝もすごいよ、これ。
外伝130話で。
すごいな。
というところでね、ラーメンをランチでいただきたいというふうに思います。
そしてですね、ちょっと戻りますが、そこから車で2分ほど行ったところに、次の目的地です。
石橋文化センターというところに行きたいと思います。
はいはい。
このね、石橋文化センターというものなんですけれども。
石橋というのは、石橋翔二郎という人の名前を取ってます。
ほうほう。
で、この人は何者かというと、いわゆるブリジストン。
ブリジストンの創業者です。
ブリジストンがブリッジストーンなのは聞いたことあるよ、俺。
そうそう、橋石ってなってますけど、要は石橋ですよ。
それなんですよ。
その創業者が飾った車にね、寄贈した施設なんですね。
石橋翔二郎さんというのは、もともとね、クルメってそういうゴム製品とか、たびたびね。
靴の。
そうそうそうそう、あれを作る人たちだったんですけど。
そこにおいて、明治時代になって近代化して道路も変わっていくっていう中で。
いわゆるシューズみたいなものをだんだん作り始めて、そのゴムの加工っていうのに活路を見出し。
はじめはその日本の歩みっていうのは人の人力の歩みでしたけど、やがてそれがこう時代が下るにつれ車が走っていく。
ここにタイヤが見込めるんじゃないかってことで、飛躍的な成長を遂げた素晴らしい実業家ですね。
そして何よりこの人はクルメのことが本当に好きだった。
クルメに対する愛情はもう一生もので、すごい地域貢献を最後までした。
石橋文化センターはその一つの象徴的な存在ですけど、もうそれ以外にもクルメの街の発展のために本当にあらゆる手を尽くした。
もう郷土の大偉人なんです。
そしてこの石橋翔二郎が子供の時、クルメ高等小学校というところに行ってたんですけど、
その時のわずかな期間に美術を習っていた。
その美術の先生が坂本範二郎だったんです。
若くして先生でまだうつうつとしていた時の坂本範二郎に、石橋翔二郎が小学生の生徒として習ってたことがあるんです。
なんかちょっと高等小学校っていうのでアレンと思ったけど、もう関わってたんだ。
そうなんです。
そしてその坂本範二郎先生のことを、石橋翔二郎は子供ながらにすごい印象的な方だったって言うんですね。
すごい尊敬してたらしいんです、その先生のこと。
わずかな期間なんですけど。
という時に坂本範二郎は、ちょっとまたさっきの歴史の話に戻ってくるんですけど、
青木茂が死んだ。
あの青木がとうとう死んだのかっていう。
しかも結局遮断を果たせず、破れかぶれのように死んでしまったということで、
坂本範二郎はそれについてやっぱりすごい思うところがあったみたいで、
彼は結果生前ガダンと絶縁して喧嘩別れをしてしまったんですけど、
なんとかして彼の残した功績というのを後世に伝えていく必要があるんじゃないかということで、
彼の作品を収集して展覧会みたいなのを開こうとしたんですね。
実際それを開くんです。
っていうふうにして、自ら坂本さんご自身の画業も続けてパリに留学したりしていろいろやるんですけれども、
その傍ら青木茂の検証活動というのも徐々に徐々に取り組み始めていくんです。
坂本範二郎は大気万世型だったものの、着実にそのガダンにおいてすごい地位を築いてきて、
将来は職務をされて、パリにも留学していよいよ西洋の方を見つけて東京に戻ってきて大活躍するだろうとみんなが思ってたんですね。
ところが坂本範二郎は日本に帰ってきたんですけど、東京には行かず、自ら久留米に帰ってしまうんですね。
そして生涯福岡を離れなかったんです。
彼はどこいうところに自分の画境を見出したのかということなんですけど、
そういって最初大島の一部とか描いてましたが、その後描き始めたのが動物なんですね。
驚離の風景を描くっていう大理のカタログを見てますけど、
もうその竹後の山並み、平野の姿、青い空、雲の姿、こういうものを描いていった、本当にのどかなね。
竹後の驚離をひたすら描き続けた。
そして動物ね。坂本範二郎は馬が好きでね。
彼の代表作として挙げられているのが、放牧三馬っていう馬の絵なんですけれども。
なんか可愛らしいね。詳細に描き込むんじゃなくて、フォワッとね。
さっきの風景にしても馬にしても。柔らかいタッチで色も鮮やかでね。優しい感じだね。