自転車で市内の中心部を巡るのがいいんじゃないかなというふうに思っています。
その場合ですね、和歌山市の観光協会さんがやってるレンタサイクルがありまして、それがね和歌地下レンタサイクルと言います。
和歌山駅、JR和歌山駅の地下にある観光案内所で申し込みをするレンタサイクルで、当日でも全然行けます。
イメージとしては8時45分くらいにホテルを出ていただいて、徒歩10分から15分くらいで9時くらいに和歌地下レンタサイクル、和歌山駅に着いている。
そこで自転車を借りるというのをまず最初の目標にしてもらって、荷物は近くのコインロッカーとかに預けるのがいいんじゃないかなという気がしています。
最初の目的地、朝ごはんを食べに行くわけなんですけれども、和歌地下レンタサイクル、つまり和歌山駅から自転車で3分ほど南の方へ行っていただくところにあるのが、
食堂いろかわさんです。
まあもう本当食堂って感じですね。定食屋みたいな。
これなんか卵がすごいいっぱい乗ってますね。
そうなんですよ。それ実はポイントでして、お昼ももちろんやってる食堂なので、メニューはいろいろあるんですけれども、朝ごはんに行くとメニューは一つだけ。
卵かけごはん定食、1品だけなんですね。卵が実は非常に名物というか、自慢の食堂なんですね。
卵の色を見てほしいんですけれども。
黄色が強いよね。よくイメージ的にはオレンジっぽいやつが濃厚でいいやつって勝手に思ってる。
でもこれはオレンジっていうより全然黄色ですね。
そうですね。レモン色というかね。そういった色合いですよね。これが実はポイントなんですね。
この食堂イロカのイロカワというのは、これ人の名前のようにも見えるんだけれども、実は地名なんです。
和歌山県南部の方にある那智勝浦町の一地区であるイロカワ地区というところから取っているそうなんですね。
この卵もイロカワ地区で取れた卵なんですね。
淳国三鳥後藤もみじという品種の卵の幽精卵、ひらがい幽精卵といって、飼育環境とかにもすごいこだわった貴重な卵を使ってるんですね。
幽精卵なんだ。
そうなんです。だからということはないかもしれないですけれども、色合いがいわゆるスーパーで見る卵とはちょっと違う色合いになっているというのが特色かなと思うんですね。
これを卵かけご飯としていただけるのが朝ごはんの定食で、もちろんお味噌汁ですとか、自家製のお漬物とかもついてくるという、すごいいいシンプルな朝ごはんなんですね。
もうほんとね、ご飯と卵、味噌汁、お漬物、あと香ばしみたいなやつですね。
そうですね。
あと海苔。シンプルですね。
だから値段もすごく安くて、なんと25年12月現在で450円というね。
1コイン以下ですか?
1コイン以下。そこにちょうどメニューのところにも色川のひらがい郵政欄の話が書いてありますね。
いいね。
この色川地区というのも僕も正直ここの店に来るまで全然知らなかったんですけれども、
本当に那智勝浦のほうの山合の小さな谷合の集落になっているそうで、昔はお茶とかもよく作られていたそうなんですけれども、
なかなか今農家さんがちょっと高齢化とかもあって、持続しては難しい地域なのと。
でも一方で若い移住者の方とかも最近増えていて、そういった方々がやっぱりこういった農業とかで地域を起こしていらっしゃる。
そういったことらしくて、お店の中にはこの卵の実際生産者さんの顔もありましたし、
実際色川地区で宿泊する体験とかもやってるよっていうようなそういったちょっとした宣伝というかね、
色川地区とは何ぞやということをここまで知れるスポットもなかなかないんじゃないかと思うわけですね。
その定食屋から知れるの面白いね。
そうなんです。かといって色川なんだろう、アンテナショップとかではなくて、本当に素朴な感じのご夫婦でやってらっしゃるお店なので、
多分その方が色川のご出身なんだと思うんですけれども、いわゆる街の定食屋さんなんですが、
実は裏にはそういった色川地区ってもののテーマがあるんですね。
いいね、さりげない地元食っていうのがね。
そうですそうです。本当にこれも和歌山駅の線路沿い、踏切のすぐ近くの角っこにあるんですけれども、
外観から見てももう非常に素朴なレトロな食堂ですので、地元の人がパッと朝ごはん、それこそ和歌山駅で通勤される前とかね、朝7時からやってるらしいので、
パッと食べて電車に乗ってっていう方もいるんじゃないでしょうか。
それやってみたいな。
450円ですからね。
いい朝ごはんですね。
今回朝なので卵かけご飯だけになっちゃいましたけれども、お昼とかであれば魚系の焼き魚とかの定食もあれば、カレーライスか丼物も結構ありますので、
それもやっぱりこの色川の卵を使っているんじゃないかなというふうに推察しますから、いつ行っても多分色川の魅力には触れられるんだというふうに思いますが、
朝ごはんスポットとして今回は特筆すべき存在かなと思ったので、ご紹介をさせていただきました。
ここからがいよいよという感じになるんですけれども、豊臣兄弟のパートに入っていきたいと思うんですね。
一応復習をしておくと、今回の大河ドラマ豊臣兄弟は、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長という人物が主人公で、中野大河さんがこれを演じられる。
兄である秀吉は池松壮介さんが演じられるということで、この二人の兄弟のことをメインに描いていって、秀吉は当然天下人になっていくわけなんですけれども、
その陰で秀長というのがどういう働きをして、どういう絆があったのかっていうのを、たぶん各、ある意味家族のドラマでもあると思うんですよね。
というものになっていきます。
その秀長というのが後半戦において治めたのがこの和歌山であり、同時に大和氷山を治めたので、秀長は大和に最後登るんですけれども、大和大和なんていうふうに歴史上は名前が残ったりしていますね。
ということで、秀吉という人物なんですけれども、これまで戦国武将でいうと家康、あるいは武田信玄、上杉謙信の話はしてきたんですけれども、秀吉はまだ全然名前しか出てこなかったと思うんですね。
そうだね。今まで話してた歴史のストーリーにも関わってはいるんだけど、メインって感じではなかったね。
どうですか?豊臣秀吉と呼ばれる人物って、どういうイメージで何をした人かっていうのは、どんな前提や知識を持っているでしょうか?
たぶんみんなそうだと思うんですけど、やっぱり猿。
猿ね。
あと信長の象利を振るところで温まっていたというエピソードがやっぱり象徴的ですよね。
だからそういう信長に仕えて、そこから成り上がりっていうイメージがみんなあるんじゃないですかね。
そうですね。
筆字とかはどういうことですか?
筆字は武士とかじゃないんですよね。
だから本当にお世話をするというか。
召使い的な。
そうだね。っていうことですよね。
おっしゃる通りで、とにかくその低い身分から天下人になり上がったっていう日本一の出世頭と見て間違いないと思います。
一般的にそう呼ばれている秀吉の人物像とかっていうのは、今のおっしゃる通りなんですけれども、
この豊臣兄弟においてどう描かれるかわかんないんですが、秀吉の出自というものも最近いろんな研究が進んでいて、
どうももうちょっと複雑だったんじゃないかっていう話があるんですね。
そのあたりの話から秀長の出自にも関わってくる。
秀吉というのは通説によると1537年なんですけれども、
終わりの国、今の名古屋市ですね、近辺の中々村、これ今の中村区なんですけれども、
農民の子として生まれたというふうに言われています。
お父さんの名前は木下八重門という人物だった。
この木下八重門は織田信長のお父さんである信秀というのがいたんですけれども、
これ斎藤道さんとかでバチバチやりだった人ですね。
信秀に仕えた足軽だったんだけど、ある時戦で怪我をしてしまって、
戦いに出られなくなっちゃって農村に行ったと。
そこで百姓をしていた。そこに秀吉を生まれたっていうふうに言うんですね。
ところがこの木下八重門はそういうわけで怪我をしていたので、
秀吉が幼い時にその傷が元で死んでしまったと。
お母さん、これは仲さんという人なんですけれども、
その後別の旦那さんを迎え入れたんですね。
それが筑網という人物だったと言うんです。
これ網というからわかる通りで、武士というよりではなくて、
お城の雑用をするお坊さんみたいな人で網子の人がよくいるんですけれども、
そういった系の人だったんじゃないかと。
織田家のおそらく何かの関係だったんじゃないかと思うんですけど、
その人がなぜか農村に来て、その仲さんとくっついて、
二人目のようなお父さんがいたと。
義理の血の繋がってないお父さんですね。
秀吉はただこの二人目のお父さんと織り合いが悪くて、
家を出てしまったっていうところから始まるんですね。
秀吉の生涯というのは。
秀長はどうだったのかということなんですけれども、
これも諸説あって全くわからないんですが、最終確定できないんですけど、
一般的にはこれまではこの秀長は筑網の息子だと言われてたんです。
つまり秀吉と秀長はだいたい3,4歳離れてるんですけれども、
お父さんが違う。一緒のお母さんで再婚相手の弟として秀長が生まれたと言われてるんです。
秀吉にとってみれば。
だけどこれは実際には同じ木下八重門の息子だったんじゃないかとも言われているし、
実は後で話すんですけど、
秀吉というのはすごくお母さんとか兄弟のことを大切にするんだけど、
お父さんに関する記述が出てこないんですね。一時資料から。
だから自分が何か隠したかった、何か暗い過去を持っていたのか、その時はわからない。
だから秀長もどっちのお父さんなのかもはやわからない。
だけれどもとにかく仲さんってお母さんが一緒だったことだけは間違いない。
っていう3,4歳離れた兄弟だったんですね。
その後秀吉は今川義元って鶴が東東名を治めていた静岡の方の今川義元の、
さらにその家臣の家臣の家臣くらいの人に仕えて、
要は武士でもない、ただの百姓から逃れてきた、何も使えないと思われる子供ですから、
最初はそこで巻き取りみたいな雑業をされた。
そういうところから話が始まってきて、ただ持ち前の才覚でいろいろ、
お家の経済を助けたりとか節約に努めたりとかっていうので気に入られて可愛がってくれた。
けど周りの人に値玉って追い出されて、また終わりの方に戻らざるを得なくなって、
でもお父さんとは折り合い悪いし、みたいに流れ着いてもう破れかぶれになった先に、
織田家の若殿がおかしな人がいると。
そういうのでそいつがまた雑用具買いみたいに飯を抱えるっていうんで、
ようやく織田信長と出会って、
信長に雑魚利盗になるか分からないけれども、
そういう持ち前の才覚でいろいろやっていった結果、
徐々に徐々に父さんとか亡くなった後の身の閉店戦とかで、
武士としての働きもやっていって、そこで活躍を認められて、
だんだん終戦の糸口を掴んでいくと。
で、秀永は何をしていたのかということなんですけど、
秀永はお兄さんがどっか行っちゃうわけですよ。
お父さんと喧嘩したからって農村をほっぽり出してどっか行ったんですよね。
じゃあどうするんです、その家って話になって。
仕方なく秀永はその母とお母さんとお父さんと一緒に守って、
農民として工作に従事していた。
だからこの二人の運命はこの時点で決まってるんですね。
お兄さんがなんか勝手に広げた風呂敷を、
弟が畳むっていう、一生その役割なんですよ。
そんな役割だよね。
そんな役割でもいられる。
だけど秀永っていうのは、後世にもいろいろ書かれていますけれども、
非常に性格が温厚で得実な人だったという。
穏やかで、当時の武将とか、武将じゃないんですけど、そもそも。
だけど当時の人、珍しくすごく穏やかで、柔らかい優しい人だったっていうふうに書いてるんですね。
だから兄がそういうめちゃくちゃなことをやってても、
それをずっと特に文句も言わず、突きしたがっていた人間です。
だから地味なんですよ。
まあいいやつではあるね。
いいやつではある。