1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #134-1【和歌山&大和郡山】ザ..
2026-02-12 44:00

#134-1【和歌山&大和郡山】ザ・ネバーランド天正紀Part2前編【豊臣兄弟!】

梢は高く、根は深く ザ・ネバーランド天正紀2日目前編


今回のコースはスペシャル企画!

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」ゆかりの地を巡る歴史コースです。

ドラマの主人公である豊臣秀長が治めた、和歌山そして大和郡山という2大都市に焦点を絞り、その風土や歴史を詳らかにします。ともに“難治”だった両国の特性を明らかにすると、秀長の手腕やその歴史的な役割も自ずと明らかになり、ドラマを視聴する楽しみもグッと増えるはず!

ドラマのネタバレも含んでいるのでご注意を!


【目次】

〜 加湿器の威力がすごい!

〜 集落の魅力を発信する卵かけご飯 【食堂色川】

〜 ★歴オタ話★ 大河ドラマの主人公・豊臣秀長とはどんな人?

〜 “日本三大水攻め”と雑賀衆最期の地 【太田城跡】

〜 紀州徳川家の栄華と和歌山市の発展を知る 【和歌山市立博物館】

〜 これぞ和歌山市のソウルフード!天玉丼とは!? 【富士】



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サマリー

このエピソードでは、2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」にちなみ、豊臣秀長が治めた和歌山と大和郡山を巡る旅の前編が紹介されます。まず、和歌山駅近くの「食堂いろかわ」で、色川地区産のこだわりの卵を使った絶品卵かけご飯定食を朝食として堪能します。この定食は、地域の魅力を発信するだけでなく、その卵の希少性や生産者の顔が見える点でもユニークです。その後、豊臣秀吉の弟であり、ドラマの主人公でもある豊臣秀長に焦点を当て、彼の出自や秀吉との関係、そして秀長がどのようにして豊臣家の重要な人物となっていったのかが詳しく解説されます。秀長は、兄・秀吉の天下取りを支える裏方として、温厚で実直な性格を活かし、家中の調整役や事務方として才能を発揮しました。さらに、秀吉が「日本三大水攻め」の一つである太田城の水攻めを行った経緯と、その戦いの舞台となった太田城跡が紹介されます。この戦いは、最下宗を滅ぼし、紀伊国を秀吉の支配下に置く上で重要な出来事でした。続いて、和歌山市立博物館では、最下宗滅亡後の和歌山の発展や、紀州徳川家の歴史、特に徳川吉宗が将軍になった経緯などが解説され、地域の歴史的背景を深く理解することができます。最後に、和歌山のソウルフードとして知られる「富士」の天玉丼が紹介され、エビ天と卵とじの絶妙なバランスとボリューム、そして900円という手頃な価格が絶賛されます。この天玉丼は、地元の人々が強く推す、まさに隠れた名物グルメです。

加湿器の話と旅の始まり
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデル構想を紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が行きがいな旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
はい、まあ今冬、真冬じゃないですか。まあ乾燥する時期でもあるので。 うち、加湿器ね、ずっと持ってたんですけど、それね、ちょっとだいぶ汚くなって、まあ実家から持って行ったやつだったので、だいぶ年数も経ってるというので、最近ね、買いまして。加熱式っていうやつにしたんですよね。
加熱式? なんかポットみたいな感じ? アーティファール的な? まあゾージェル氏とかが多分有名だと思うんだけど、お湯が出るジャンみたいなやつ。それの湯気を常に出し続けるみたいなイメージの加湿器なんですけど、威力がすごくてね。
へー。 1回ね、部屋閉め切って寝るときポチッと押して寝たんだけど、朝もうびっちょびちょになってて。
その加湿器自体が? 窓とか、結露とかがすごくて、これちょっと加湿しすぎだろってぐらい。 なるほど。
だからなんかすごい威力だなと思って。 もうちょっと広い空間用なのかもね。 かもしれないね。
それ以降ちょっとドアだけ開けて、加湿器つけてみたいな感じでやってますけど、だからなんか強い見方ができたなと。 まあ加熱式だし、ちょっとね温かいんだよね。 そうだろうね。
なんかそういうのもあって、暖房的にもいいなと。 ちょっといいものにしたなっていう。 いいですね。僕もちょっとあんまり今日喉が調子良くなくて、感想で多分。
まあまあちょっと風邪もね。 そうなんですよね。 皆さん冬ちょっと気をつけていただければと思いますね。
ということで、今回は梢は高く根は深くザ・ネバーランド転生記の2日目ということで。 前回は和歌山市の郊外を巡りながら謎の集団サイカ集について予習をしたという感じで、
いよいよこの2日目から秀永に迫っていくという感じですかね。 なので、トヨトミ兄弟を楽しみしている方はちょっと気をつけながら聞いて、ネタバレがあるかもしれないということなので、大丈夫な方は引き続き聞いていただければと思います。
はい、ということで2日目よろしくお願いします。
前日は和歌山市中心部、具体的に言うとJR和歌山駅の西の方の10分ほどの距離ですね。
宿を取っていただいているという想定でお話をします。
巣泊りの想定でお話をできたらと思いますので、まずホテルチェックアウトした後に朝ごはんを食べに行きたいと思うんですが、
この日はですね和歌山の市内を観光するんですけれども、和歌山市の観光というのも結構難しくて、距離がどれも絶妙に離れてるんですよ。
大きな城下町だからこそなんですけどね。
もちろんバスとかも出てるんですけれども、ちょっと時間的に今日移動もしなければいけないというのもあるので、
これ僕が実際やってきた実例でもあるんですけれども、晴れてることを願ってレンタサイクル。
食堂いろかわでの朝食と色川地区の魅力
自転車で市内の中心部を巡るのがいいんじゃないかなというふうに思っています。
その場合ですね、和歌山市の観光協会さんがやってるレンタサイクルがありまして、それがね和歌地下レンタサイクルと言います。
和歌山駅、JR和歌山駅の地下にある観光案内所で申し込みをするレンタサイクルで、当日でも全然行けます。
イメージとしては8時45分くらいにホテルを出ていただいて、徒歩10分から15分くらいで9時くらいに和歌地下レンタサイクル、和歌山駅に着いている。
そこで自転車を借りるというのをまず最初の目標にしてもらって、荷物は近くのコインロッカーとかに預けるのがいいんじゃないかなという気がしています。
最初の目的地、朝ごはんを食べに行くわけなんですけれども、和歌地下レンタサイクル、つまり和歌山駅から自転車で3分ほど南の方へ行っていただくところにあるのが、
食堂いろかわさんです。
まあもう本当食堂って感じですね。定食屋みたいな。
これなんか卵がすごいいっぱい乗ってますね。
そうなんですよ。それ実はポイントでして、お昼ももちろんやってる食堂なので、メニューはいろいろあるんですけれども、朝ごはんに行くとメニューは一つだけ。
卵かけごはん定食、1品だけなんですね。卵が実は非常に名物というか、自慢の食堂なんですね。
卵の色を見てほしいんですけれども。
黄色が強いよね。よくイメージ的にはオレンジっぽいやつが濃厚でいいやつって勝手に思ってる。
でもこれはオレンジっていうより全然黄色ですね。
そうですね。レモン色というかね。そういった色合いですよね。これが実はポイントなんですね。
この食堂イロカのイロカワというのは、これ人の名前のようにも見えるんだけれども、実は地名なんです。
和歌山県南部の方にある那智勝浦町の一地区であるイロカワ地区というところから取っているそうなんですね。
この卵もイロカワ地区で取れた卵なんですね。
淳国三鳥後藤もみじという品種の卵の幽精卵、ひらがい幽精卵といって、飼育環境とかにもすごいこだわった貴重な卵を使ってるんですね。
幽精卵なんだ。
そうなんです。だからということはないかもしれないですけれども、色合いがいわゆるスーパーで見る卵とはちょっと違う色合いになっているというのが特色かなと思うんですね。
これを卵かけご飯としていただけるのが朝ごはんの定食で、もちろんお味噌汁ですとか、自家製のお漬物とかもついてくるという、すごいいいシンプルな朝ごはんなんですね。
もうほんとね、ご飯と卵、味噌汁、お漬物、あと香ばしみたいなやつですね。
そうですね。
あと海苔。シンプルですね。
だから値段もすごく安くて、なんと25年12月現在で450円というね。
1コイン以下ですか?
1コイン以下。そこにちょうどメニューのところにも色川のひらがい郵政欄の話が書いてありますね。
いいね。
この色川地区というのも僕も正直ここの店に来るまで全然知らなかったんですけれども、
本当に那智勝浦のほうの山合の小さな谷合の集落になっているそうで、昔はお茶とかもよく作られていたそうなんですけれども、
なかなか今農家さんがちょっと高齢化とかもあって、持続しては難しい地域なのと。
でも一方で若い移住者の方とかも最近増えていて、そういった方々がやっぱりこういった農業とかで地域を起こしていらっしゃる。
そういったことらしくて、お店の中にはこの卵の実際生産者さんの顔もありましたし、
実際色川地区で宿泊する体験とかもやってるよっていうようなそういったちょっとした宣伝というかね、
色川地区とは何ぞやということをここまで知れるスポットもなかなかないんじゃないかと思うわけですね。
その定食屋から知れるの面白いね。
そうなんです。かといって色川なんだろう、アンテナショップとかではなくて、本当に素朴な感じのご夫婦でやってらっしゃるお店なので、
多分その方が色川のご出身なんだと思うんですけれども、いわゆる街の定食屋さんなんですが、
実は裏にはそういった色川地区ってもののテーマがあるんですね。
いいね、さりげない地元食っていうのがね。
そうですそうです。本当にこれも和歌山駅の線路沿い、踏切のすぐ近くの角っこにあるんですけれども、
外観から見てももう非常に素朴なレトロな食堂ですので、地元の人がパッと朝ごはん、それこそ和歌山駅で通勤される前とかね、朝7時からやってるらしいので、
パッと食べて電車に乗ってっていう方もいるんじゃないでしょうか。
それやってみたいな。
450円ですからね。
いい朝ごはんですね。
今回朝なので卵かけご飯だけになっちゃいましたけれども、お昼とかであれば魚系の焼き魚とかの定食もあれば、カレーライスか丼物も結構ありますので、
それもやっぱりこの色川の卵を使っているんじゃないかなというふうに推察しますから、いつ行っても多分色川の魅力には触れられるんだというふうに思いますが、
朝ごはんスポットとして今回は特筆すべき存在かなと思ったので、ご紹介をさせていただきました。
豊臣秀長とは?ドラマ「豊臣兄弟!」の主人公
ここからがいよいよという感じになるんですけれども、豊臣兄弟のパートに入っていきたいと思うんですね。
一応復習をしておくと、今回の大河ドラマ豊臣兄弟は、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長という人物が主人公で、中野大河さんがこれを演じられる。
兄である秀吉は池松壮介さんが演じられるということで、この二人の兄弟のことをメインに描いていって、秀吉は当然天下人になっていくわけなんですけれども、
その陰で秀長というのがどういう働きをして、どういう絆があったのかっていうのを、たぶん各、ある意味家族のドラマでもあると思うんですよね。
というものになっていきます。
その秀長というのが後半戦において治めたのがこの和歌山であり、同時に大和氷山を治めたので、秀長は大和に最後登るんですけれども、大和大和なんていうふうに歴史上は名前が残ったりしていますね。
ということで、秀吉という人物なんですけれども、これまで戦国武将でいうと家康、あるいは武田信玄、上杉謙信の話はしてきたんですけれども、秀吉はまだ全然名前しか出てこなかったと思うんですね。
そうだね。今まで話してた歴史のストーリーにも関わってはいるんだけど、メインって感じではなかったね。
どうですか?豊臣秀吉と呼ばれる人物って、どういうイメージで何をした人かっていうのは、どんな前提や知識を持っているでしょうか?
たぶんみんなそうだと思うんですけど、やっぱり猿。
猿ね。
あと信長の象利を振るところで温まっていたというエピソードがやっぱり象徴的ですよね。
だからそういう信長に仕えて、そこから成り上がりっていうイメージがみんなあるんじゃないですかね。
そうですね。
筆字とかはどういうことですか?
筆字は武士とかじゃないんですよね。
だから本当にお世話をするというか。
召使い的な。
そうだね。っていうことですよね。
おっしゃる通りで、とにかくその低い身分から天下人になり上がったっていう日本一の出世頭と見て間違いないと思います。
一般的にそう呼ばれている秀吉の人物像とかっていうのは、今のおっしゃる通りなんですけれども、
この豊臣兄弟においてどう描かれるかわかんないんですが、秀吉の出自というものも最近いろんな研究が進んでいて、
どうももうちょっと複雑だったんじゃないかっていう話があるんですね。
そのあたりの話から秀長の出自にも関わってくる。
秀吉というのは通説によると1537年なんですけれども、
終わりの国、今の名古屋市ですね、近辺の中々村、これ今の中村区なんですけれども、
農民の子として生まれたというふうに言われています。
お父さんの名前は木下八重門という人物だった。
この木下八重門は織田信長のお父さんである信秀というのがいたんですけれども、
これ斎藤道さんとかでバチバチやりだった人ですね。
信秀に仕えた足軽だったんだけど、ある時戦で怪我をしてしまって、
戦いに出られなくなっちゃって農村に行ったと。
そこで百姓をしていた。そこに秀吉を生まれたっていうふうに言うんですね。
ところがこの木下八重門はそういうわけで怪我をしていたので、
秀吉が幼い時にその傷が元で死んでしまったと。
お母さん、これは仲さんという人なんですけれども、
その後別の旦那さんを迎え入れたんですね。
それが筑網という人物だったと言うんです。
これ網というからわかる通りで、武士というよりではなくて、
お城の雑用をするお坊さんみたいな人で網子の人がよくいるんですけれども、
そういった系の人だったんじゃないかと。
織田家のおそらく何かの関係だったんじゃないかと思うんですけど、
その人がなぜか農村に来て、その仲さんとくっついて、
二人目のようなお父さんがいたと。
義理の血の繋がってないお父さんですね。
秀吉はただこの二人目のお父さんと織り合いが悪くて、
家を出てしまったっていうところから始まるんですね。
秀吉の生涯というのは。
秀長はどうだったのかということなんですけれども、
これも諸説あって全くわからないんですが、最終確定できないんですけど、
一般的にはこれまではこの秀長は筑網の息子だと言われてたんです。
つまり秀吉と秀長はだいたい3,4歳離れてるんですけれども、
お父さんが違う。一緒のお母さんで再婚相手の弟として秀長が生まれたと言われてるんです。
秀吉にとってみれば。
だけどこれは実際には同じ木下八重門の息子だったんじゃないかとも言われているし、
実は後で話すんですけど、
秀吉というのはすごくお母さんとか兄弟のことを大切にするんだけど、
お父さんに関する記述が出てこないんですね。一時資料から。
だから自分が何か隠したかった、何か暗い過去を持っていたのか、その時はわからない。
だから秀長もどっちのお父さんなのかもはやわからない。
だけれどもとにかく仲さんってお母さんが一緒だったことだけは間違いない。
っていう3,4歳離れた兄弟だったんですね。
その後秀吉は今川義元って鶴が東東名を治めていた静岡の方の今川義元の、
さらにその家臣の家臣の家臣くらいの人に仕えて、
要は武士でもない、ただの百姓から逃れてきた、何も使えないと思われる子供ですから、
最初はそこで巻き取りみたいな雑業をされた。
そういうところから話が始まってきて、ただ持ち前の才覚でいろいろ、
お家の経済を助けたりとか節約に努めたりとかっていうので気に入られて可愛がってくれた。
けど周りの人に値玉って追い出されて、また終わりの方に戻らざるを得なくなって、
でもお父さんとは折り合い悪いし、みたいに流れ着いてもう破れかぶれになった先に、
織田家の若殿がおかしな人がいると。
そういうのでそいつがまた雑用具買いみたいに飯を抱えるっていうんで、
ようやく織田信長と出会って、
信長に雑魚利盗になるか分からないけれども、
そういう持ち前の才覚でいろいろやっていった結果、
徐々に徐々に父さんとか亡くなった後の身の閉店戦とかで、
武士としての働きもやっていって、そこで活躍を認められて、
だんだん終戦の糸口を掴んでいくと。
で、秀永は何をしていたのかということなんですけど、
秀永はお兄さんがどっか行っちゃうわけですよ。
お父さんと喧嘩したからって農村をほっぽり出してどっか行ったんですよね。
じゃあどうするんです、その家って話になって。
仕方なく秀永はその母とお母さんとお父さんと一緒に守って、
農民として工作に従事していた。
だからこの二人の運命はこの時点で決まってるんですね。
お兄さんがなんか勝手に広げた風呂敷を、
弟が畳むっていう、一生その役割なんですよ。
そんな役割だよね。
そんな役割でもいられる。
だけど秀永っていうのは、後世にもいろいろ書かれていますけれども、
非常に性格が温厚で得実な人だったという。
穏やかで、当時の武将とか、武将じゃないんですけど、そもそも。
だけど当時の人、珍しくすごく穏やかで、柔らかい優しい人だったっていうふうに書いてるんですね。
だから兄がそういうめちゃくちゃなことをやってても、
それをずっと特に文句も言わず、突きしたがっていた人間です。
だから地味なんですよ。
まあいいやつではあるね。
いいやつではある。
秀吉と秀長の運命、そして秀長の役割
けど秀氏は当然農民から行くわけですから、周りには何だあいつはとなりますよね。
武士でもないくせに何で信長様に通り入ってるんだ。
でも働きはいいから余計ムカつく。
でもそんな農民やがりのよくわかんない奴に、ついてくる家臣なんていないんですよ。
みんな武士は何であんな農民に仕えなきゃいけないんだって話になる。
でもそうするとじゃあ戦場に出た時に役に立たないですよね。
秀氏の部隊はね。人がいなくて誰も働かないから。
困るって言うんで、ある程度出世した時に急遽中村に帰ってきて、
とりあえずお前だけでもいいからついてきてくんないかと。
言ってきたのが秀氏。
その部隊の一人として来てくれと。
そう、もう誰も自分にはついてきてくんないから、
このままじゃ誰も何も家もほったらかしになるし、戦場行っても何もできないし、
とりあえず俺に仕えてくれと。
弟でも何でもこの際いいからみたいな。
僕は刀を持ったこともないのにっていうのは本心だったと思いますよ。
だって今まで兄さんが出てたせいで田畑をずっと耕してた。
だけどもそれも断れないから。
その分秀氏は信長に仕えて出世していたことで少しお金が貯まるようになってきたので、
無理に農村にいなくてもよくなったと。
って言うんで、秀永は秀氏に仕えと。
この辺はもう全く謎なんですけども、
秀氏がもういろんな巨実ふんふんとした伝説で出世していくのと伴って、
秀永は常に留守番をしたりとか、
秀氏はいろんな金をばら撒いて、
張略、要は斉藤家の家臣を裏切らせたり、
信長様たらこんなに偉いんですよってことで、
接待とかをいろいろしまくるから金がかかるわけですよ。
秀氏なんてのは刀の奥に持ったことないやつですから、
戦ってやっても絶対武功なんてあげられないんですよ。
だから頭で勝負するしかない。
でも頭を使うには足と金がかかる。
でも足と金管理できない。
誰か管理する人が欲しい。
そういえばお前、管理役でいいから来ないかって。
それが秀永だった。
まあまあ、敵役のやつが近くにいたってことね。
近くにいるってことね。
でもこの辺は、もう当時の一時修了に何も残ってないんです。
だから秀氏がなんで出世したかって、もう今誰もわかんないの正直言って。
まあだから、言っちゃあれだけど、
核に値しないというか、そういう身分でないってことですね。
そうそうそう。
突然ある時、信長が伸びてきたくらいに、
急に木下東吉郎って名前が手紙に出てくるのが、
これが世の中における秀吉の初出なんですね。
だからそれまでの須野又一夜情がどうしたとか、
竹中半兵衛、これ以前やりましたよね。
竹中半兵衛を無理矢理引っ張ってきたとか、
そういうのもうどこまで本当か全くわかんない。
あくまで間接証拠しか残ってないんです。
秀永は一層だからわからない。
だから常に留守番だから。
なので数説によれば農民だから、
おそらく字を書くこともできなかった。
武芸の立ち止め当然ない。
教養もない。
だから逆に土臭さとか土の原理は知ってるけれども、
いわゆる武士として求められる要素って何もなかったはずなんですよ。
でもそっから彼ら二人は二人ともが努力をして、
おそらく在宅的なところも学んだりとか、
実地に立ったたたき投げの兄弟として、
それぞれの能力を活かしていった。
秀氏は表に出て戦で出し抜いたりとか、
調略をしたり信長に取り入れることで、
外向けのことを全部やった。
その分すっからかんで誰も管理しない家を、
秀永がちゃんと帳簿をつけてあげたりとか、
ろくでもない家臣がしょっちゅう喧嘩するとか、
そういった奴らの仲裁をするとか、
っていうことをやんなきゃいけない。
だから秀永は秀永で、
やむを得ずやってるだけなんだけれども、
逆に家中の調整役だったりとか、
帳簿を管理するとか、
いわゆる事務的な仕事がすごくちゃんと身についたっていう。
それを別に、普通の戦国武将は
戦で首を取ってワーってやりたいんだけれども、
秀永は別にそれを特に望んでなかった。
それは元々が農民だからかもしれない。
ただ秀吉は秀吉でめっちゃ出世していって、
いよいよもう本当に信長の家中の中でも、
何万以下に入るぐらいになってくると、
さすがに秀永もずっと事務業仕事で
やってるわけにもいかなくなって、
秀吉の特に弱みっていうのは、
そういうわけで家中が脆いんですよね。
みんな縁庫採用。縁庫って言っても、
よくでもないのに農民とかばっかり。
どうでもあんねん。
せめてもう弟、弟能力あるから秀永が。
お前も将になってくれとか、将軍になってくれとか。
無理だな。
でもどうでもないんですよ。
この人だって戦争でも6人出たことない。
他にいないんだよね。
他にいないから仕方ないからお前しかいないんだよ。
というわけで秀吉が徐々に出世した時から、
秀永も一軍を率いて、
秀吉の別動隊みたいな形で、
兄の側面支援みたいなのを戦場に立ち始める。
軍事指揮官みたいな風になっていくけど、
実際の作戦とかはその部下が立ち立ったと思うんだけどね。
けど秀永はそれを全然嫌と言わなかった。
偉いね。
よくついていけるね。
よくついていけると思うよ。
秀吉の覇業っていうのは非常に有名ですけど、
こういうところなんです。
秀永がいないと秀吉は何もできなかった。
っていう風に言われることが多い。
逆にいたからそういう色々できるっていう面もあるしね。
逆にそういうことだし、
でも秀吉がいなかったら、
秀永は歴史に全く名前残るのにただの農民だと。
っていうのがこの兄弟の不審なんですよね。
秀吉の覇業と秀長の支え
で、秀吉・秀永っていう兄弟でガッツリ組んで、
でもう橋場軍っていうので、
織田家中でもトップクラスの実績を持つ軍になって、
で、中国地方の方でせめて毛利とやり合うわけですけれども、
その時もすごい活躍をして、
秀永はね、9国目で言う田島。
これは今で言う兵庫県の北部なんですね。
豊岡とか、木の先温泉とか、
あとは最近天空の城で有名な武田城とかあるんですけれども、
あの辺は秀永をね、自分で独力で切り取って、
お兄さんが毛利でやってる間に。
そこの領主になったりして、
大名に秀永もなっちゃってるんですね。
っていうふうなことやっていたら、
本能寺の辺が起こるわけですよ。
信長急に死んじゃったと。
で、そこからはよく分かる通りですけど、
秀吉が血水秀を打って、
仇討ちだと打って、
いよいよ織田家中の一部省にすりなかったのが、
天下に号令するレベルのものになっていくわけですよ。
で、同時に秀永というのも、
当然その弟ですから、
もう副将軍みたいになってくるわけですね。
だからそういう、もう時代が養成したのか分かんないけど、
普通のその当時の人生では考えられないような、
急展開の急展開を重ねた結果、
いつの間にか秀永も世の中の表舞台を引きずり出されたっていうのは、
正直なところだったと思うんですよ。
なるほどね。
ただ秀永は、
たたき上げの事務能力がめちゃくちゃ優れていたから、
この人のよく語られるエピソードとして何があるかっていうと、
豊臣の羽島の家中っていうのは、
もうとにかく言い栄えが絶えない。
それはなぜかというと、
いびつな出世をしていってるからですよ。
異常なスピードで出世したベンチャー企業だったんですよ。
だから加藤清政、福島雅野みたいな、
もうわけわかんないガキ大将みたいなやつらもいっぱい来ていて、
こいつら秀吉とかその奥さんの縁起最後なんですけれども、
でもこいつらは槍働きで報いってやろうみたいなやつらばっかりだから、
鼻息が荒い。
だから戦働きはめっちゃ頑張る。
衝突猛進的に。
めっちゃ頑張るから秀吉なんて、
刀も出すのもろくな働きしませんから、
そういう部分を彼らみたいな勇猛果敢な若い武者たちが、
秀吉の前衛となって突き崩して、
そのハングリー精神で敵をやっつけると。
でも彼らは鼻息が荒いばっかりで、
後の事何も変える意味ないと。
そうする時に、でもそんなんじゃ家回んないじゃないですか。
みんな出費するばっかり。
っていうのはダメだから、
奥美の国、滋賀県ですね。
秀吉を療養したんですけど、
そこは今でも奥美商人なんて言われてる通り、
蓄財とか経済に立ちた商人の人たちとか、
そういった感覚を持った武将たちがめちゃくちゃ多い。
その代表的だったのが、
石田村の作地ですよね。
これが後の石田三成です。
石田三成はその秀吉が修正過程の奥美を治めたあたりにスカウトされた。
同時に誰がいたかっていうと、
三成と共に関ヶ原で戦って死んでいた、
大谷業務の商人。
これもやっぱり奥美の国の出身だと。
彼らは戦畑もしただろうけど、
どっちかっていうと事務方ですよね。
戦で槍を突き回すとかいうよりも、
いかに兵糧を確保するかとか、
いかにお金を貯めてしっかりと出資をするかとか、
そういった事務方をやった。
この二派が当然のことながら仲が悪いんですね。
そうか。
そりゃそうか。対立するか。
そうですね。
要は福島正成とかから言わせると、
あいつらは緑に戦にも出て、
槍働きも知らないくせに、
秀吉様に調養するのは何事だと。
逆に言うと石田三成からは、
もう槍で働くなんていうのは時代遅れなんだと。
てかお前らが槍働きなんて、
その槍だって米だって、
俺らが訓練してやってるから上手くいってんだと。
事務方舐めんなと。
学校の質の大事だって分かってねぇ奴らがどうしようもないんだと。
っていうことを言ってる。
で喧嘩になる。まだみんな10代とかで気が荒いから。
そうかそうか。
そういう時に、教頭先生にとりあえず才を挙ごうと。
校長いないから。
っていうのがいつも秀中。
なるほどね。
秀中はそこの常に間に立って、
彼らの間を取り持ってやったと。
っていう調整役を常にやってあげて、
喧嘩を仲裁してるっていうのが
秀中だったって言うんですね。
いや苦労ばっかりだな。
そうね、苦労人ですよ。
兄貴は自分の夢にまっしぐらで、
全く帰り見ない。
いやすごいな、慣れないこともするし、
板挟みにもなるし。
大変だな。
そう苦労人ですね。
けど目立たない。
っていうことなんですよ。
辞めたくなっちゃうな。
でもそれを辞めなかったのが秀中の偉さだったんです。
太田城水攻めと最下宗の滅亡
ここからちょっと徐々にコースに戻ってくるわけなんですけれども、
そういうわけで、
豊臣橋場のカチュータのめちゃくちゃです。
めちゃくちゃですが、彼らでしか持ち得ない
ハングリー精神とか能力者ってのがいっぱいいたから、
それが小田カチューでも
結構トップクラスになっていった。
そして信長が死んで、明智光秀、
柴田勝家なんてのを全部下して、
いよいよ天下で一番の権力者になっていくと。
いうときに、
徳川家康戦うんですね。
秀吉があるとき。
小牧長勝の戦いといって、
これも話は複雑になっちゃうんで、はべきますけれども、
家康は家康で、
三河のほうねじろがしっかりあって、
彼らは三河武士っていう巨大な軍団を作ってる。
秀吉みたいな脆くて
金ばっか使ってる奴らなんて何くそだというふうに仲が悪い。
けどどっちもどっちで
手出したら負けたらやばいから、
睨み合いみたいになってる。
あるときそれを睨み合うために、
名古屋のあたりで東から徳川が来て、西から秀吉が来て、
ここで睨み合いをずっとやってる。
大阪ががらあきになりますよね。
ていうときに、
ちょっかいを出かけた奴がいるんですよ。
奇襲だったんですね。
なるほど。
最下宗の一部が、
秀吉が出払った大阪に、
和歌山から急に出陣してきて、
秀吉の本居になってる大阪に、
なんかね、ちょっかいをかけてきた。
秀吉は帰れないから、
大阪に全部。
で、めちゃくちゃなことをやったんですよ。
徳川とかと指名し合わせてもちろんやってるんですよ。
徳川は後方かくらに最下を使ったんです。
ていうことをやったんですね。
傭兵ですよ、また例によって。
傭兵集団として出陣できた。
秀吉はさすがにブチ切れて、
まして織田とは事情が違うのは、
織田は当時の大阪石山本願寺、
敵だったんですよ。
大阪は当時信長にとっては。
その敵方の城の中に最下が勝手に入ってる。
くらいになればまだいいんですけど。
秀吉にとっては、
自分の天下の象徴である大阪を、
自分の本居の足元に
火がついてるものなんですよ。
最下っていうのを放置しておくと。
てんで、これはもう絶対に許せないと。
いって、徳川家康と
一旦停戦した後に、
奇襲攻めを行います。
この時は、
秀長がその主力になって、
出陣してきたんです。
秀吉ももちろん来るんですけど。
信長の最下詰めは遥かに超える人数で来て、
その時もすでに孫一とかは
もういなかったと言われてるんですけど。
最下宗は最下宗で抵抗して、
寝転じとかもそれで焼かれちゃうんですけど。
最後、とある城に籠ったんですね。
それが大田城という城だったんです。
それの遺跡を
ちょっと見に行きたいと思うんです。
この大田城なんですけれども、
場所は和歌山駅のすぐ近くです。
なので和歌山の
住宅街の中にあります。
ありますというか、石碑が残ってるだけです。
城跡だけってことですね。
そう。
史実の話をすると、
1585年、信長が死んで
3年後ですね。
秀吉は秀長たちを主力にして、
大阪から紀伊へ攻め入りました。
対する最下宗の
反秀吉派の一部の人間は、
各市で抗戦したんですけれども、
結局追い詰められて、
この大田城というと約5000人の人数が
籠ったと言われてる。
大田城は今でこそ住宅街の中なんですけれども、
一日より最下宗のところを見た通りで、
川が近くで、
水路があって、
クリークみたいになってたんですね。
つまり、なかなか攻めようとしても、
川とか何か奥か、泥湿地みたいなのを越えなきゃいけないから、
大群が攻めて来られない場所だったんですよ。
そのため秀吉の大群は
これを囲むんですけれども、
最下宗っていうのは戦も上手いから、
これを攻め落とせないんですね。
全然大田城を。
信長もなかなか最下宗に手を当てて攻め落とせなかったんですけど、
秀吉が来てもやっぱりよく
分かんないことになっちゃったんですよ。
でも秀吉としては、さっき言ったように、
大阪ってものを本拠にする以上、
紀伊の国を放置するって大変なことになるんですね。
これからどこにも行けなくなっちゃうわけだから。
そうだね。
遠出するとすぐ攻めてくるわけ。
そうそうそう。
なんとしてもこの最下宗を服属させなければならない。
紀伊の国を治めなきゃいけない。
もう絶対今度だけは許さない。
長期戦になってもいいから
最下宗をどうにかしろと。
秀吉って農民出身なのかよく分からんけれども、
とにかく的な武士ではなかった。
おそらく。
だから奇想天外なことを逆に
すごいできるっていう強みもあったんです。
戦の譲渡に縛られない。
この時何をしたと思いますか。
この地形に注目してほしいんですけど、
大田城がなかなか攻め落とせられない。
なぜかと言うと川が無数にあって、
水路があって、
ぬかるんでてよく分からなくなっちゃってる。
でもこいつらどうにかしなきゃいけない。
もう長期戦になってもいいから、
大田城の奴らを根を上げさせたい。
どうすればいい。
え〜。
俺もうまずその譲渡が分かんないからな。
譲渡は要は槍とかで突き崩して、
弓で撃って、わーって攻めかけて、
門で破壊してみたいなことなんですけど、
それができない。さしてくれないんですよ。
ぬかるんでるからね。
え、マジ分からんな。
うん。
これはだから
分からないのが秀吉の凄さなんですけれども、
水攻めです。
え〜。
水浸しにしちゃったの逆に。
もう大田城の周りを、
要は川がめちゃくちゃあるから、
水に囲まれてるんですよそもそも。
それをあえて、
人造ダムみたいな救護車で作って、
水をせき止めたんですねある意味。
そうすると急に水が流れてこなくなって、
なんだと思ったら、
ある日突然雨の日なのか分かんないけれども、
その包みを切って、
水をドガーンって溜めてったダムで、
一気放水みたいなのをやるんですよ。
そうすると大田城は、
ぬかるんでる地区域の中にあるから、
そこに鉄砲水みたいなのが
ブワーって押し寄せてきて、
もう大混乱ですよ。城の中に水入ってきちゃうし、
周り見たら全部もう水に囲まれちゃって、
池みたいになっちゃって。
もう出られないじゃんこれみたいな。
敵も攻めてこないかもしれないけど、
牢城しててもこれ水に囲まれててどうにもなんなくない?
って思って、それで降伏したんです。
へー。
その地形を利用したんだね。
そう。これ秀吉のやるの2回目なんです。
あー。前例もあるんだ。
岡山県の方で一回これをやってるんですよ。
何年か前に。
その時の成功例があったから、
ここでもやったって言うんですね。
へー。
いや思いつかないねそれね。
普通はね。だから逆に秀吉はやっぱすごいんですけどね。
へー。やっぱどうにかして
攻めようと思っちゃうもんね。
逆にもう攻められなくてもいいから、
相手も出られなくなったら降参する。
牢城っていうのもいつかは食糧がつきますからね。
っていうことをやったんですね。
これは日本三大水攻めって言われてて、
日中高松城って最初にやった82年の
と85年のこの大田城と
秀吉のそれを身を見真似でやった
石田三谷がやろうとした
武蔵の国押城。
これ北条攻めの時です。小田原攻めの時に
埼玉の方でこれをやって、これは失敗するんですけど
この3回が日本三大水攻め
なんて言われたりしてます。
その舞台になったのがこの大田城なんです。
さすがの埼玉州も
これはどうにもならないって
ついに降伏をしたんですね。
秀吉はもう許さずに
埼玉州のその主だった者たちは
処刑をする。
農民たちも逃げ込んでて
こいつらを殺してしまうと
土地を耕す人がいなくなっちゃうから
この人たちは許すということで
埼玉州はこれで滅んだんです。
これが大田城の戦い。
現地に今行っていただくと
この石碑が立っているだけです。
もう水攻めで徹底的に
破壊されてしまったのでその後解除した。
だけど
意向があるのはこの大田城の本丸跡が
今お寺になっていて
その石碑が立っているのと
あと近くに包みの跡が残ってます。
秀吉が築いたダムの方ですね。
の跡とかあと供養塔みたいな近くに
残っているので、自転車で小回りが
効くようならばこの辺りをね
同時に迷っていただけるといいのかなという風に
思います。
これが大田城というものです。
和歌山市立博物館と紀州徳川家の栄華
ちょっとまた
秀長の話に戻るんですけれども
そういうわけで埼玉州はついに
滅びました。
いわゆる中世の紀伊の国というのは
一回もこれで滅んでしまったんですけれども
この後じゃあ和歌山はどうなっていくのか
っていうのを和歌山の街の発展とともに
ちょっと考えていきたいんですね。
それを知るのが大田城
後から自転車で25分ほど
西へ行った和歌山市立の
博物館です。この和歌山市立
博物館なんですけれども
これはいわゆる和歌山市の
歴史に特化した歴史博物館
なんですね。なので
前日のないと被っちゃう部分もあるんですよ。
つまり埼玉州の話とかも結構
やっているのでね。だけれども
埼玉州の話っていうのは
中世の時点で終わってたんだけれども
中世埼玉州が滅んだ後の
和歌山はどうなっていったかっていうのを知る手がかり
としてここをご紹介したいと思います。
実際行っていただくと
埼玉州の展示とかも結構
しっかりあるんですけれども
その後徳川五三家の奇襲犯で和歌山の
街は栄えるわけですが
実際その奇襲犯がどういった犯だったか
ってこととかもしっかり解説してあります。
今回は
モデルコース全体が豊臣秀長の
話になっちゃってるので
奇襲徳川家のことはほとんど扱えません。
なのでここでちょっとフォローしておきますけれども
前日ね
奇襲東正宮というところで
藩層徳川頼伸これ家康の
徳川頼伸なんですけれども
彼が東正宮を建てたって話はしましたが
その後一貫して明治維新まで
奇襲徳川家がずっとここを治めました。
この奇襲徳川家が
すごいのは何かっていうと
もちろん和歌山の城主紀伊の
藩主としてもすごい有名なんですけれども
五三家って尾張紀伊
三人の三つなんですけれども
この中で紀伊からは
江戸幕府の将軍自体も二人も
出してるんですよね。
そうなんですよ。江戸幕府って
徳川家康がもちろん初代で
その後秀田田家光って続いていくわけなんですけれども
7代目の時に
8歳とかで将軍が死んじゃって
その直系は途絶えてしまったんですね。
なるほどね。
でそもそも五三家っていうのは
何かあった時のために
将軍職を誰かが継ぐっていう
ところも兼ねて用意してある家なんですよ。
だけど一方で
東海道の要所である大有です。
名古屋ですよね。とやっぱり
大阪関西を何かやったらすぐ出土
できる奇襲。そして
江戸に何かあったとき避難所になる
美徒っていうこの3つをちゃんと
押さえておくっていうところもあったんですけど
それでじゃあいよいよその五三家の
出番になったときに
その時いろんな選挙
じゃないけどなんかこう調査が行われて
この大有、奇襲、美徒の中で
誰が将軍にふさわしいんだと。科学でいえば
大有なんですね。大有が筆頭なんですけれども
ところがこの時の
紀伊の藩主が非常に
有能だと。奇襲藩の
改革にもすごい成功してるすげーやつだと
いうんで
今の幕府は財政もやばいから
この人を招聘してもいいんじゃないかという風になったんですね
そして招かれたのが
有名な八大将軍
徳川義宗
八大将軍義宗って教科書に絶対出てきますけど
彼は奇襲藩の
藩主ですそもそも
いやもうちょっと俺は
直系じゃないので
まずびっくりなんだけど
その義宗がこの奇襲から生まれてる
義宗はそもそも奇襲藩の
藩主なんですけれども
本家が途絶えちゃったから
急遽江戸に呼び寄されて
幕府の将軍になったんですね
っていう五三家から初めて出た将軍が
この義宗なんです
その
教科書に載るぐらいの色々
改革とかもやりましたから
その有能ぶりは
よくわかるよね おっしゃる通りです
だからこの私立博物館に行っていただくと
奇襲藩時代の
吉宗なぜ幕府からスカウトされることになったのか
和歌山で何をしたのか
ってこともしっかりフォローされてるわけですね
そして奇襲藩の家系が結局
徳川将軍になるんですよ
それも続いたんですけど
あるとき途絶えてしまって幕末の
頃になるともう
良い大老とか出てきたことですよね
ペリーが来てプチャーチンが隔れろとかって騒いでるあたりの
その頃になると
将軍ももう立場がないし
江戸幕府そのものが立場がない
状態になってその中で
13代将軍家貞っていうのが
病弱で死んでしまった
子供がないままでまた途絶えちゃったんですよ
結局本家がじゃあどうするのってなったときに
また御三家ですよ
出てくると
紀伊には吉富さんっていうまだ子供がいる
で一方で
美都出身の一橋家には
吉信っていう切れ者がいると
どっちにするってなったときに
吉信でしょそりゃだって若くて
切れるし今であの美都のでなんだから
思想もしっかりしていいでしょって
言ってる一派だけど吉信がやると
美都藩が権力を持ってくるので
美都の一派っていうのは結構限りなし
思想の持ち主だったりもするから
戸様大名たちとみんな仲良くって
幕府としては美都が出てくると
ますます幕府の立場が弱くなるっていうことを考えた
それはいい直介はそう考えたんですね
だから
美都っていう強力なバックボーンが
いるからそれに対抗できるとしたら
美都以上の御三家しかいないんですよ
ってなったときにまた
吉祝から引っ張り出してきたんですね
その子供だったのに
それが14代将軍家持
これも吉祝藩の出です
まあちょっと
事情は違うけど途絶えたときに
吉祝から連れてくる
っていうのがそういうことになっちゃった
なっちゃって結局
家持も若くして死んだので
最後の将軍は美都だった吉信になって
ああそういうことか
なので結論
吉祝藩は御三家の中でも
唯一2回将軍を出してる
終わりとか1回も出してないんですよ結局
だからそれ以外特別な
場所だったんです
その中にもいろいろ
吉祝藩の特別な事情もいろいろあるんだけど
ちょっと今回これ秀永の話から
それちゃうんであんまり深掘りはしません
がこの私立博物館に行っていただくと
吉祝藩の特殊性だったり
とか吉宗のすごい
名君だった話とか和歌山の
城下町の発展とかを学んでいただけるので
まずはここを押さえていただくのが
いいんじゃないかなというふうに思っています
和歌山のソウルフード「天玉丼」
なるほど
最下の復讐にもなるし
その間の
秀吉永の時代も
見入れはすると
外観的に見る感じですね
そうですね
最下の復讐ってのもいいと思います
この私立博物館を回るともう
お昼ぐらいの時間になってると思うんですね
なのでですねちょっとお城を見についでに
そっちの方にお昼を食べに行きたいという
ふうに思います
和歌山市立博物館から
自転車で15分ほど和歌山駅に
戻る格好になるんですけれども
そこにあるのが富士
さんです
これはなんだ
はいその通りですよね
そうなりますよね
タベログの写真が
天玉丼って書いてあるね
エビのしっぽが見えてる
ということはこれは
エビ天を卵とじした
丼ぶり おっしゃる通りです
へぇー
これ天玉丼なんですね
あっ玉丼
かつ丼のかつの代わりに
エビ天入れてるみたいな
そんなイメージです
これがねなぜ僕これを
知ったかというと
本町文化堂の島田さん
がね絶対的に
オススメだと
和歌山のソウルフードっていうんで
前日の夜にめちゃくちゃオススメしてくれた
お店なんですね
もうこれだけは絶対食べてほしいと
言われたソウルフードだそうです
このお店オリジナルなんですね
もうこのお店だけ
和歌山市じゃなくてこの富士
でしか食べられないの 天玉丼って
オリジナルメニューです
でこのボリューミーな何も
すごいんですけれども
本当に大人気で僕
土曜の昼前に行ったんですけど
まず並んでたし入ったら入ったら
みんなこの天玉丼頼むんですよね
お側の人もいるんですけれども
でもこの写真を見てもらっても
天玉丼めっちゃ多いと思うんですよ
いやもう食べ録の写真がね
ほぼほぼ天玉丼ですよ
それぐらい名物メニューなんですよ
内容は今内田が言ってくれましたけれども
要は大振りのエビ天2本
に卵とじ
で丼になってるという
シンプルに言えばそれだけなんですけれども
これが何とも言えない絶妙な味わい
なんですよね
結構重そうだなって思うんだけど
卵の
卵とじ方とかがすごくね
絶妙な柔らかさとあと出汁が
しっかりしてる感じで
なんかねきつくないんだよね
全般的に全然
なんだけど卵のこのふわふわの
本当に絶妙な日陰のとじ方と
エビの衣のこのサクサク感
とね卵とじの中に
九条ネギだと思うんですけれども
結構大振りなねシャキシャキの
青ネギが混ぜられてるんですよ
だから卵とじのふわふわ感と
このシャキシャキの
ネギが突然現れてそれか
コントラストをいい感じでつけてくれて
ちょっとスパイスな感じもなってる
だけど天文としての
機能は裏切らないっていう
そういうね確かにこれは何とも
すごい絶妙なバランスのように成り立ってる
メニューだなと思ったんですね
見た目にはだいぶがっつりだけど
だいぶがっつりですねボリュームは
ありますけどね
ぺろっといけちゃう感じ
いけますよねしかもこれ
900円なんですよこれで
いや結構
しそうだけどね
ボリューム感とか見た目からしたら1200-1300円
いくんじゃないかって気はしますけど900円なんですよ
お味噌汁とかはここもついて
いますので
お店としては
うどん屋さんそば屋さん
うどんおそば屋さん富士
なんですけどこの天緑丼って
オリジナルメニューがめっちゃ人気
多分おそばも美味しいんじゃないかと思うんですけど
ちょっと食べられなかったので
これどんぶり食べちゃうとね
せっかくなのにこっちを
食べたいなと思ったんです
でもやっぱり
確かに美味しいなんかね癖になって
一緒にするわけじゃないんだけど
アブさんじゃないんだけど
一度食べると忘れられない味ですね
だしもちょっと不思議なだしだったんだよね
でも見た目はもう見ての通りでね
本当に昔ながらのおそば屋さんなんですけど
この天緑丼で
またね僕カウンターに座らせてもらったんですけど
オープンキッチンのカウンターで
職人芸なんですよ
大将が一人でキッチン回してるんだけど
卵とちの速さと
火のかけ方とかがすごくて
結構職人技として見てると楽しいです
いやーいいな
もうだってこのお店でしか
食べれないってことね そういうことです
これね写真撮って
志村さんに送ったらすごい喜んでくれた
いやこれこそがソウルフードだと
いう風におっしゃってましたね
なのでおそらく
和歌山ラーメンみたいな
名物グルメとしては出てこないんだけど
地元の人激推しの
地元ならではのグルメということで
ぜひちょっとこっちの方も紹介しておきたい
と思いまして富士山の天緑丼ね
これぜひね調べていただけると
いいかなと思います
次回予告
編集辞典の内田です
今回は富士山でお昼を食べたところで
終わりとさせていただきます
次回は
時代の変わり目の
象徴である和歌山城
そして夜は
大和郡山市に入っていきます
次回の後編もお楽しみに
ということで今回はこの辺で
ありがとうございました
44:00

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