この人はもともとは三河の国、つまり愛知県の今の東の方ですね。
に生まれた方なんですけれども、ちょっといろんなうよ直接があって、
人生の大半を旅の中に過ごしたという人なんですね。
特にこの東北地方だったり北陸地方を歩いてずっと、その後50年くらい旅を続けた人なんですけれども、
そこでですね、いろいろなもの、その東北で見たもの聞いたものというものを文章にしたり、
あるいはスケッチも得意だったので、スケッチをしたりして記録していったっていう人なんですよ。
小説とかではなく旅行記みたいな感じ。
そうですね。今でいうだからスケッチ付きなので、
ガイドブックあるいはインスタグラムと言ってもいいかもしれないんですけれども、
ビジュアルと文章でもって東北がどういうところなのかというのを記録していった。
という人なんですね。
なぜそれなのにこんなに検証されているのかというところなんですけれども、
この菅山隅さんというのが記録した内容というのは、ただ単純においしかったとかきれいだったとかじゃなくて、
東北に暮らす人々が何を考えどういった気持ちで生きていたのか、
どういうふうな営みをしていったのかっていうのを国名に記録していったんですね。
今もこれ同じなんですけれども、多分その地域の中のお祭りとかあるいは行事みたいなものって、
地域の人々にとってはもうおじいちゃんおばあちゃんの世代からずっとやってる当たり前のものっていうふうになってるかもしれないんですけど、
よその人間がこれを見るとこんな不思議な行事があったのか、なんでこんなのやってんだろうっていうふうに疑問に思ったりすると思うんですよね。
今でもそういうのあるよね。
何だみたいな。
ありますよね。記載というかね。
1.9とかね。
よくやってるね。
やってますよね。世界でいろいろお祭り参加したりとか。
あれにある意味近いんですよね。この人は秋田県の人からすればよそのものですから、
よその目から見て不思議だな、奇妙だな、あれ面白いなと思ったものを国名に記録した。
それがですね、後々その資料というのが実はとても役に立っていって、
つまりもう近代化されてそういった昔からの伝統習俗ってどんどんなくなっていってしまった。
中で増美がビジュアルも含めて残したものというのが、
近代になってから昔ってどんな行事だったんだろうっていうのを手がかりとしてすごい役立ったんです。
それは一般に民俗学、民俗学の俗は人面の俗っぽいっていう俗です。
要は日本の行事とかそういったものを人々の営みを調べる学問ですけど、
そういったもののもう実質的な素になったんじゃないかというくらいに評価される記録を残した人物。
それだけじゃなくてもちろん歴史学の研究だったりとか、服装の美術の問題だったりとか、
とにかくありとあらゆる多分野においてこの増美の残した資料というのが大変役だったというのが実はあって、
そんな即席をこの須貝増美資料センターからは結構みっちり解説しています。
後々になって、研究しようと思っても今はもうなくなった風習とかいうのの資料が残ってたのが増美さんなんだね。
そういうことですね。
それは大事だわ。
大事なんですよ。
この人、80になるくらいまでずっと旅を続けて、最後はこの秋田の中で亡くなってしまうんですけれども、
いろんなところ旅はしたんですが、秋田になんと28年間いた。
ほぼ秋田じゃん。
そうなんです。
いろんなところ行ったとはいえ、秋田がほとんどなんです。
今の秋田県の県内ぐらいの範囲をずっといたっていうこと?
そうですね。正式に言うと秋田藩の領地ですね。秋田藩佐竹さんの領地の中にいたんですよ。
これどういうことかっていうと、この人ね、さっきよそ者って話しましたけど、旅行はもちろん許されてはいたんですが、
いろんな東北の諸藩を巡っていた時に、あまりにもじっとよそ者が見て記録をぐちゃぐちゃしているものだから、
スパイだと思われて怪しがれたりしてですね、迫害にも結構あっているんですね。
まあ、想像はできるわ。
この人そもそも本造学、これ覚えてますか?本造学。とあるところで実はこのポッドキャストに登場してるんですけど。
あのね、江戸時代後期に大流行した薬作りの話。
薬草とかのやつか。
あれの自然科学を収めた人なので、その先生として東北に招かれたりもしてたんだけれども、
その本領の方がこういう記録を取ってしまったがために、怪しまれてクビになっちゃったりとかっていうことも結構してるんですよ。
ところが佐竹さん、秋田の佐竹さんに関してはそういったスパイ云々という細かいことを言わずに、
むしろあなたのその力でもってこの秋田というものをどんどん記録していってほしいってむしろ依頼をしたの。
そのスパイ行為だとは思わないからと。
おー、理解があったんだ。
そう、この増美の業績に対して理解があったんですよ。
で、これなんでこんなことをこの佐竹の殿様が許したかっていうのはちょっと後で話すんですけれども、
とにかく実はこの菅井増美を最初に紹介したのは、この人自身の問題はもちろんあるんですが、
この秋田という国、この佐竹が治めていた秋田藩というのは、
こういうね、よそからの来るものというのを進んで取り入れるフード、寄附を持ってたんですね。
これを結構他の中でも特筆される特徴でして、当時においては。
で、なぜそれがそういうふうな寄附を持ったのかというのはちょっと改めてお話しますが、
その一つ象徴的なのがこの菅井増美なんですね。
だけど実際に秋田藩は江戸時代で最後になりましたけれども、
この今の世の中においてもこの菅井増美はこうして秋田においてこうやって領籍が検証されているということになります。
なんとなくのイメージだけど、東北とか寒い地域ってより小さいコミュニティで固まるようなイメージあるから、
なんでここだけそんな受け入れる体制だったのかはちょっと不思議だね。
そうなんですよ。
それは実は歴史的な必然によるものじゃないかと僕は思うので、
この3日間かけてその話は順次していきたいんですが、
こういった秋田藩というのがすごいオープンだったというか、
現実を進んでどんどんいろいろ取り入れようとしていた藩だったというのを一つ覚えておいていただければと思います。
そんな増美さんの資料の展示をしているところをまず巡るということですね。
そういうことですね。
そこから車でさらに50分ほど北に向かいます。
そうすると秋田県の小賀藩島というところに着くわけですね。
小賀藩島というのは男の鹿と書いて小賀藩島。
秋田の地図を見てもらうと本当に海にポコッと突き出た部分があると思うんですけど。
なんかイオンみたいな感じで出てるね。
まさにあれですね。あそこがその小賀藩島になります。
目的地としては神山神社。
地としては真実の神に山に神社というところを目指します。
この神山神社なんですけれども、
小賀藩島は海に突き出た得意な地理的条件ですとか、
あるいは藩島の中には高い山がそびえていたりとかっていうので、
ずいぶん古くからいわゆる守原道、山岳信仰みたいなものの拠点になっていた。
そういった修行者たちがここに集っていたようなんですね。
なのでその拠点として古くからこの神社はあったんですけれども、
平安時代とかになっていくと、いわゆる密教、神言宗とか天台宗とかっていう仏教と結びついていったりして、
信仰の拠点としてずっと守られ続けていった。
江戸時代に入ったら、例の秋田藩の被害を受けてずっと栄え続けてきたというところになります。
この神山神社ですね、実際に行ってみると、
もうあまりにも美味しすぎてお腹いっぱいになっちゃったし、というところですね。
ただもう一軒行ったんですよ。
居酒屋みたいなところに行こうとしてたけど、それを無くしたって感じだったね。
バーに行ったということでですね。
次にご紹介するのが秋田晩夜酒場さんから歩いて15分ほど歩いたところにあるレディーというバーになります。
これ場所なんですけれども、先ほど秋田の街が秋田駅周辺と昔の城下町の方にややちょっと離れてると言いましたが、秋田晩夜酒場さんは秋田駅のすぐ目の前なんですけれども、
このレディーさんに関しては昔からのハンク街である川端というところになります。
この川端というのがちょっと難しい読み方で、川は普通の川なんですけれども、
端というのが反対の端、反するっていうので端というので川端。
不思議な感じだよね。
これが昔ながらの秋田の城下町のハンク街になるので、
こちらのエリアの楽しみを今回はちょっと入れてみたという感じになっています。
レディーさん、これ僕も実は職場の秋田に行ってすごく良かったというお勧めしてもらって、
僕も今回初めて行ったんですけれども、こちらはいかがでしたか?
ここやっぱりお店の雰囲気がすごく良くて落ち着く感じ。
店内とかネオンがあったりとかして、いい感じだったな。
結構そのお店がある道はちょっと寂しい感じの道だったんだけど、
店内入るとそこはもうバーのいい雰囲気があって落ち着いて、結構長いこといたんじゃないかな。
いましたら2時間くらいいたのかな。
結局そうだよね。
バーもいろんなタイプありますけれども、ここは割とレトロな感じの。
それこそネオンとかの感じ。
我々の座らせていただいたボックス席だったんですけれども、
その壁に赤いライトネオンみたいな感じでカンパリって書いてあったんですよ。
そのカンパリっていう文字に照らされながらずっと飛んでいったんですよ。
あそこで撮った写真が面白かったな。
みんな赤くなってて。
だからちょっと怪しげなレトロなネオンサインが店内の至るところにあるのがムーディーな雰囲気だったかなという気がします。
ちょっと秘密基地的な雰囲気もあるかもね。
そうですね。
こちらは創業60年ほどの秋田の本当に老舗の秋田のこういったバー文化みたいなものが本当に象徴的な存在だということでして、