1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #73【徳川家康】天下内省のじ..
2025-01-02 1:20:59

#73【徳川家康】天下内省のじかんPart1

天下内省のじかん 家康を導いた“3つの裏切り”1日目


江戸幕府の創始者にして、260年に及ぶ泰平の世を実現した徳川家康。そのあまりに有名な生涯は、敬慕あるいは神格化され、後世の日本人にも大きな影響を及ぼしました。しかしその人生を史料に沿って観察すると、浮かび上がるのは隠しようのない“裏切られ”の系譜。最後の勝者と思われがちな家康が向き合わざるを得なかった、しかし向き合ったがために天下を得る契機となった“3つの裏切り”を、家康所縁の地を巡りながら考察します。


【目次】

〜 新年のご挨拶

〜 コーステーマの発表&徳川家康のあらまし

〜 岡崎へのアクセスについて

〜 “八丁味噌”の本場で愛知グルメを堪能

〜 家康生誕の地で松平家の苦衷を偲ぶ 【岡崎公園】

〜 ★歴オタ話★ もはやお家芸!? 松平家“裏切られ”の系譜

〜 鉄の結束を誇った!? 家康と三河武士の通説を知る 【三河武士のやかた家康館】

〜 家康が“人生のテーマ”を悟った名刹 【大樹寺】

〜 ★第1の裏切り★ 三河一向一揆について

〜 全店丸ごと角打ち! 酒飲みの天国とはこのこと 【発知商店 角打ちリカーホッチ】

〜 名物とんちゃんが嬉しい焼肉 【ときわ】

〜 風味豊かなそばと創作和食を〆に 【OSOBAR】

〜 1日の振返り

〜 ★どうかお願いします★ JAPAN PODCAST AWARDSの投票は1/10までです


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐な旅行ガイドブックの編集者、はるやです。
ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
皆さま、明けましておめでとうございます。
おめでとうございます。
2025年1発目の配信ということで、我々はね、今も12月21日というね、クリスマス前に収録をしているわけですけど、いやでももう2025年ですって。
早いね。本当に早いですよ。
2025年ってさ、年号だけ見ると未来な感じするよね。
しますね。俺らがね、子供の時に未来の話とかで例に出てきたような年代ですよね。
そんな気がするよね。
とうとうそしてね、我々も。
そうだよね。はるやは今年30歳でしょ?
あ、そうか。そうですね。僕5月30です。
俺は早生まれだから、もうちょっとしたら29になるっていうところですね。
そうですよね。とうとうね、膨大突破ですね。
腹騒とか言ってらんなくなるね。
サーだからね。
アランドじゃないもんね。
っていうね。
で、まあこれ1月ですけど、次の4月にはもう1周年を迎えるという。
早いですね。それ早かったですね。
もうそんなにやってるんだって感じ。
で、たぶん小田原でね、俺がはるやに話を持ちかけたのがたぶんね、年始ぐらいだったでしょ?
そうだね。去年の1月ぐらいだったんじゃないですか。
本当の動き出しからもう1年ぐらいっていうね。
そうだ、ちょうど1年ぐらいですね。
早いですね。
本当に。その分ね、充実はしてた気がしますけどね。
確かにね。
2024年はね、非常に。
ということで、まあこれから、とりあえず直近はね、1周年に向けて頑張っていこうかなと。
今後とも2025年も大人になりたい、旅がしたいをよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ということで、じゃあ新年一発目のモデルコースのタイトルは何でしょうか?
今回ご紹介するモデルコースのタイトルは、
天下内政の時間、家康を導いた3つの裏切りです。
これ大丈夫かね?
やばいかな、やっぱり。
俺が大好きなポッドキャストのタイトルをちょっともじらせてもらってるね、これは。
大変僭越ではあるんですけども、本当にでも敬意を表して、
すごくやっぱりこのワードセンスに僕すごく惹かれるんですよ。
内政の時間っていうもの、夫婦内政の時間さんですよね。
そうですね。
それでやっぱりちょっと、パクリと言えばそれ以外の何物でもないんですけど、
03:03
本当に今回のテーマはすごくこのワード以上にビシッとハマるものがないなと思って、
ちょっとやらせてもらったというところなんですけどね。
そうね、許可取らないといけないね、これはね。
そうですね。
家康についてのコースってことね?
そうなんですよ。
これいっつーさんからリクエストを頂戴していた、それにお答えするコースになっているんですね。
いっつーさんのそのリクエストのお便りをね、ちょっとかいつまんでまたご紹介しますけど、
将軍というドラマがエミリー賞を獲得しましたと。
このドラマの主人公の虎永は徳川家康がモデルのようですと。
このドラマの影響で徳川家康についてもっと深く知ってみたいと思いました。
個人的な家康の印象ですがパッとしない。
なぜ家康は戦国時代に急速的に日本一の将軍として台頭できたのかがいまいちわからない。
ということで、若き日野家康に焦点を当てて、スンプのモデルコースを紹介して頂きたいというリクエストをね、頂きました。
はい、ありがとうございます。
そうですね、こうやって歴史上の人物に焦点を当てるというのは、
以前、くるめで青岸ゲル坂本半次郎の話をやった時と、
あとは武田信玄、上杉謙信、そして川中島の戦いというものをね、3回にわたってやったことがありますけれども、
それ以来かなというふうに思うんですね。
一通さんのリクエストにもあった、将軍というのはディズニープラスですよね。
ディズニープラスの配信ドラマ。
で、真田博之さんがね、虎長という主人公、これが徳川家康がモデルになってるんですけれども、
その人が関ヶ原の戦いをおそらくね、モデルにした形でやっている。
で、天下を取っていくまでの、結構ね、すごいやっぱり映像的にもすごい高い評価を受けたものだと思うんですよね。
アメリカですか?あれは制作会社自体。
そうですね。
だけどその日本のね、徳川家康の話をやったということですね。
さすがハリウッドのね。
そして真田さんがプロデュースもね、務めてて。
それがやっぱりすごい、主演やりつつプロデュースするっていう大変な仕事量だと思うけど。
そうだよね。
やっぱりこれまでのね、やっぱりラストサムライとかもそうでしたけど、
外国の方が描く日本っていうのは、ここまで多分日本人がプロデュースして入り込んでるっていうのはなかなかなかったんじゃないかなと思うんですけどね。
やっぱりそれがすごい高い評価を受けて、一通さんも非常に感銘を受けたという話のようですね。
そう、だからこれに合わせて俺も見ようかと思ってたんだけどね。
ちょっと間に合わなかったね。
ちょっとね、仕事もなかなか忙しそうでね。
でも見た方もやっぱりいるんじゃないかと思うのでね。
というわけでね、徳川家康ということなんですね。
ちなみに言っとくと寸布というのがさっき出てきましたけれども、これはね静岡県静岡市のことです。
昔この辺りは駿河の国と言っていて、その駿河の駿という字と府中の府、要は駿河の国の国府があった場所ということで寸布と言っていたんですね。
06:06
これが静岡市です今の。
そんな狭い範囲なんだね。
そうですそうです。駿河の国の中の首都という意味で寸布ということです。
なるほどね。
徳川家康は幼少期に寸布に人質として送られていて幼少期を過ごし、そして最後彼自身がここで隠居して最後亡くなった場所でもある。
終焉の地でもあります寸布というのはね。
なので家康に非常にゆかりの深い土地として有名になっています。
ということでね、ちょっと本題に入っていきたいと思うんですけれども。
徳川家康という人物、これはおそらく知らない人はいないんじゃないかなと思うんですけれども。
全員名前は知ってるっていう感じよね。
国民的知名度と言って差し支えないでしょう。
内田はどうですか?この徳川家康というのはどういう人でどういった印象を持っていますか?
いやー、まあでもやっぱり俺はそんなに歴史に詳しくないので。
まあ教科書的なね、あの肖像画と。
はいはいはい。
泣くまで的。
うーん。
あと狸。
狸ね。
はいはいはい。
っていうまだそういう通り一遍のイメージぐらいしかないですね正直。
なるほどなるほど。
泣くまで的というのはね、信長秀吉イエスっていわゆる三英傑の後世から見た性格を表している例え話で。
信長はね気象が激しいので泣かぬなら殺してしまえと言うことです。
秀吉はね非常に危険を聞く人たらしなので泣かせてみようことです。
でイエスは我慢強さみたいのがやっぱり印象深いようで泣くまで的という風になっているということですよね。
あと狸っていうワードが出ましたけどこれについては。
あの狸はあれは秀吉が言ってたんだっけ?
うーん。
なんかあだ名みたいな感じだよね。
まあ秀吉が言っていたというかね、よくまあイエスの描かれ方ですね後世のね。
で狸親父みたいなようなことですかね。
じゃあそれは後々のイメージっていう感じなのかな。
そうですね。
秀吉はね猿なんて言われてたっていう話はありますけれどもね。
イエスがその狸親父って要はちょっとこう腹狂いようなね。
かっきり言ってしまうと。
なるほどね。
策略家で人をバカすような。
ああ。
浪快な人っていう多分印象。
なるほどね。
それが狸親父っていう、まあ狸っていうことかなと思う。
まああの体格もあるしね。
それは間違いないですね。
結構あのイエスは非満体だったという。
かなりまあ肖像画見ても丸顔でね。
丸いよね。
貫禄あると言えばあるんですけど。
っていう感じですかね。
あとはやっぱり江戸幕府を開いてね。
まあ260年に及ぶ太平の世を築いた人としてね。
これはもう間にでもない実績としてみなさんご存じの話です。
でまあイッツーさんがねパッとしないという印象があったということなんですけれども。
これねあの分かる気がします非常に。
ああそう。
うん。
まあ狸親父とか我慢強いっていう風に言われるのもそのまあある意味関連した内容なんですけど。
やっぱりちょっとこう天下人。
要は創業者っぽくないんですよね。
一言で言えば。
ベンチャーの信長がガンガンやっていくぜみたいなものと比べて。
なんかこう地味ではっきり言っちゃえば。
09:02
なんか待ってるっていうのもそうなんだけれども。
自分からこう能動的にガンガン行くというよりもちょっとこう腹の中で何考えてるかわからない。
受動的な感じの人で。
なんかちょっとだからそのいわゆる天下の立心出世をしていこうっていうバイタリティとかあんまり感じられないっていう人がいるかもしれませんね。
じゃああんまりこうギラギラしてなくて。
そうそうそうそう。
前のエチゼンじゃないけどちょっと隠善とした感じ。
そうそうそう。
とかね。
というイメージが強いかもしれないですね。
それやっぱり大河ドラマとかの影響もあると思うんですよ。
徳川家康もちろんね何回も出てきてますけど。
やっぱりこう秀吉から託されたね。
秀吉という意地がいながら。
その人の重りというかその人を支えて天下をうまく回してくれて散々頼まれたにもかかわらず。
結果的には自分が関ヶ原の戦いで石田三成を破って豊臣政権を傀儡的にして。
最後大阪の陣で秀吉を殺してしまう。
滅ぼしてしまう。
そして自分で天下をくとったっていうよりは散脱者に乗っとったっていうイメージが多分強いと思うんですよね。
なるほどね。
なのでちょっと腹黒くてっていうようなイメージがあるんじゃないかなという気がします。
ところがですね、徳川家康というのはつまびらかに年表とこの生涯を追っていくと決してそんな腹黒いだけというよりはむしろ非常な苦労を重ねて。
すっごくいろんなことに悩んで辛いことを乗り越えた末にっていう人なんですよね。
だからその若い時にすごく辛いことが多かったのでそれが我慢強さを培ったみたいなことはよく言われることではありますけど。
辛いことがあったっていうのはご存知の方もいるかもしれないんですが。
今回はさらにその中で切り口を裏切りってものに焦点を当てたいんです。
これを聞くと家康を導いた三つの裏切りって今回やってるんですけど。
これ歴史好きの方ならばこれはきっと関ヶ原の戦いで西軍、石田三谷型ですね。
石田三谷型の西軍についていた小林川秀明という武将たちを自分の東軍徳川家康方に合戦の途中に値返らせた。
裏切らせたことで関ヶ原の戦いが決着ついたと言われてるんですけど。
これのことなんじゃないかって思うと思うんですよ。
つまり家康のために裏切ってくれた人がいた。
裏切らせた。
裏切らせた。
相手方からこっちに裏切らせたっていう方をイメージする方いるんじゃないかと思うんですけど。
これは今回取り上げるのはそうじゃないんです。
裏切られた話?
そうです。
家康というのはめちゃくちゃ多くの人に裏切られてきてるんですよ。
だけどそれがあったからこそ天下を実は取る契機になった。
つまり家康が裏切られたっていう意味での三つの裏切りっていうものを今回話したいと思うんですね。
ただ単にタイミングを見計らってこしたんたんと待ってただけじゃなくて、そこには苦労がめちゃめちゃあったんです。
そう。
たぶんすごく心理的な、もちろん経済的、軍事的にもなんだけど、板手を打ってきてる人なんですよ。この人というのはね。
12:03
だから老回の狸小八っていう、たぶん後半戦に向いてはそうだったかもしれないけど、それまでにはこの人は自分自身が何度も裏切られてる。
信頼してた人から。
っていうすごく辛い思い出があるんですよ。
っていうのを一通さんのリクエストにのっとって、これが直接なんで天下を取ったのかってことには繋がらないかもしれないけども、
家康というものの人生のターニングポイントになった三つの裏切られをご紹介しながら、ちょっと荘園の地を巡りたいと思います。
リクエストではそういうわけで寸布というところを静岡市をリクエストいただいて、僕ちょっとこれ最初寸布でやろうとしたんですけど、どうしてもちょっとうまくまとまらなくてですね。
今回は二泊三日で家康の生まれた土地である愛知県の岡崎市から、青年期を過ごした静岡県の浜松市、そして裁判年を過ごした寸布、静岡市ですね。
というこの三つを二泊三日で巡るというコースにね、させてもらいたいと思いますので、寸布自体は申し訳ないんですけど最終日までちょっと待っていただきたいと思います。
県を跨ぐのは初めて?
ですね、おそらく初めてですね。
出雲で若干ね、鳥取に入ったけど。
ありましたね。
でもモデルコースとして跨ぐのは初めてだと思います。
初めてだと思います。ただね、二泊三日で全然無理なく行けるコースになっていますので、そんな感じで聞いていただければと思ってます。
で、シチュエーションとしては一人旅でも全然行けると思いますし、僕実はこれを作るにあたってちょっとね、久々に岡崎に行ってみたんですね。
行ってましたね。
先々週くらいね、ちょっと小田原から近いのでね。それでやっぱり一人で行ってみて、全然回れるコースだなと改めて思いましたので。
一人旅でもいいですし、歴史好きの方と一緒にお友達として行くとかも全然大丈夫だと思います。
今回のコース可能であれば日にちを限定させて欲しいんですね。
これちょっと理由は3日目に話します。
仮に今年2025年でやるのであれば、5月17日の土曜日から5月19日の月曜日までの二泊三日、月曜日はお休みを取っていただく。
というのでちょっとやっていただきたいと思うんです。
この日じゃないとダメなんですこれ。
なんかイベントがあるのかな?
そうなんです。とあるイベントがあって、仮にじゃあ今年こんなの無理だよとなった時は、毎年5月19日に必ず静岡市に行くっていうことでやってほしいんですね。
これ曜日関係ないです。5月19日に行かないとダメなんです。
なるほど。その日にちに何か意味があるんだね。
そうなんです。そういうことなんです。
なのでできたらそれでやっていただくと。
ただできなくてもとある一つのスポットに行けなくなるだけなので、コース自体は全然成立しますので、もし予定が合わなければ合わないで全然大丈夫だとは思いますが、
今回はその5月17、18、19の、今回2025年で同日月という想定で話をします。
わりとラッキーだね、今年は。
そうです。なので行けるかなと思ったんですね。
15:02
あと最近何回も連続でドライブが続いてたんですけど、今回1日目に自転車に乗るんですが、それ以外は全部公共交通機関で行きますので、昼からぜひお酒を飲んでいただいて、
ちょっと申し訳ないなと思ってたんですよ、ずっと最近ドライブが続いて。
免許ない方とかレースの方とか厳しいもんね。
飲めないよと、一人旅に飲めないよという人もお気の毒なので、今回は心置きなく全部公共交通機関で行けます。
でもチャリはダメでしょ。
チャリがダメです、チャリ以外です。
ということでちょっと前置きが長くなりましたが、本編の方に入っていきたいと思います。
ちょっとさっき触れたんですけれども、最初は家康のふるさとである今の愛知県岡崎市というところからこのコースを始めたいと思うんですね。
岡崎は行ったことはありますかね。
ないんじゃないかな。
確かにちょっとね、なかなか目的がないといかないかもしれないんですけれども、昔の国の名前でいうと三河の国といって、愛知県って今大有と三河って分かれてたんですね。
名古屋市を中心とする西側が大有、豊橋を中心とする東側が三河です。
この三河の国の中心土地の一つが豊橋であり岡崎でありという感じで、今も人口二十数万いる結構大きな都市ですね。
ここで家康は生まれています。
なので岡崎にまず行きたいと思うので、ちょっとそのアクセスからお話をしたいと思います。
東京とかあるいは名古屋、大阪の方からいらっしゃる方というふうにも想定して、新幹線でちょっとアクセスするというふうに考えました。
岡崎には新幹線は通っていませんので、まず最初に豊橋駅を目指してください。
これは望みは止まりませんが、光とか小玉、一部の光が止まるかなと、小玉は止まるというような愛知県の東側の中心地になっています。
豊橋駅に着いたら、そこから名古屋方面の私鉄名鉄というものがあるんですけれども、これの快速特急に乗っていただいて、約20分ほど。
東岡崎駅というところに着きます。
これちょっと最初にお話しておくと、岡崎駅というのはJR東海道本線であるんですけど、岡崎市の一番栄えているのは岡崎駅ではなくて東岡崎駅です。
これちょっとご注意ください。
トラップだね。
トラップです。
名鉄の東岡崎駅にホテルとか飲食を選ぶのが妥当だと思ってますので、ここちょっと一つあらかじめ言っておきます。
なので今回もこの東岡崎駅の近くから徒歩5分ほどのところでホテルを取って、そこに荷物を預けていただければと思います。
最初に預けちゃうね。
これからちょっと観光していくので、預けていきたいというふうに思うんですね。
ここからいよいよ観光に入っていきたいというふうに思っております。
今回これも新しい試みかもしれないんですけれども、これ僕が先々週ぐらい行った時のルートとほぼ近いんですが、
東岡崎駅から観光を始めるんですけど、家安関連の見どころってちょっと点在してるんですよ、市内に。
18:06
ただレンタカーだったらもちろんそれはそれでいいんだけど、レンタカー借りるほどの距離でもないくらいの微妙な感じで点在してるんですよね。
そこでですね、これは僕からの提案なんですが、自転車で巡るのがちょうどいいくらいの距離感だなというふうに思っていますし、僕も実際そうしました。
なので雨だったら車とかでやってほしいんですけど、晴れだった場合はこの自転車というのがいいと思っています。
岡崎市さんはですね、市全体取り組みとしてレンタサイクルというのもサービスで運営していまして、ハローサイクルさんだったと思うんですけど、
民間の企業の自転車を岡崎市内のいろんなところにポートみたいのがあって、そこで乗り捨てみたいなのができるようになっているんです。
大変自転車を使いやすい都市環境ではあります。
ハローサイクルさんのアプリとかは確か登録しなきゃいけないんですけれども、一回登録をしていただければ、自転車を多分東岡崎駅周辺になればどこでも結構すんなり借りれると思いますので、自転車を借りてください。
その自転車でですね、10分ほど行ったところにお昼を食べたいと思います。
最初の目的地となるのが、岡崎各級八丁村さんです。
八丁味噌っていう言葉を聞いたことはありますか。
ありますあります。だからそれこそ東海地方の特有のちょっと赤い濃いめの味噌ですよね。
よく愛知県のグルメでね、味噌カツとか味噌煮込みうどんとか味噌おでんとかさ、結構やっぱりあの辺って味噌の文化なんですよね、基本的にはね。
この八丁味噌というのはその中でも特に有名な固有名手のブランドなわけなんですけど、これはですね、実はこの岡崎の地名から取られてるんです。
なのでこの味噌文化の本当の本場の本場の岡崎なんですよ。
この八丁村って言ってますけれども、この各級さんっていうのはメーカーです。
この味噌を作ってるメーカーの工場だったり直売所の隣接しているですね、食事どころがあるんですね。
これがこの八丁村になりまして、そこでランチをいただきたいと思います。
メニュー見ていただいてる通りなんですけれども、もうね、まさに本当に愛知のグルメの典型と言ってもいいものが並んでますよね。
本当ね、味噌煮込みうどん、味噌カツ、これが八丁味噌の二大共闘みたいな感じだよね。
だいたい江戸時代の初期から作られているのがこの八丁味噌だと言われていまして、
やっぱりこの各級さんというのはその中でも特にやっぱり有名な、一番有名なオーデルメーカーというふうに言っていいと思います。
麹とかをすべてこの豆の麹で作っているという、豆味噌っていうのが非常に特徴的な八丁味噌の製法でして、
そのためやっぱりすごく本当に純味噌みたいな感じのね、ピュアな濃厚な味噌の味になるので、これがやっぱり癖になりますよね、非常にね。
21:03
で、まさにこのメニューの中でも本当にいろいろ味噌を使って、だから要は工場でできたその新鮮な味噌をそのまま加工して、
こういう食事どころでいただけるということなので、おいしくないはずがないという。
僕は味噌カツをいただきましたね。
非常にこうやっぱり味噌カツって、またご飯との相性もいいんですよね、非常にね。
ちょっと濃い味だからね、米が進む感じだよね。
しますよね。
で、実際にこちらで味噌カツ定食ということで、ご飯と、あとこれ赤だしだったと思うんですけれども、
と、とんかつにお野菜と漬物ということでね、
大体1600円って今ホームページには書いてますけれども、これくらいの値段でいただくことができて、とてもおいしかったですね、これね。
確かに今冬だからね、うどんもいいよね。
いいと思いますね、やっぱり寒い時期温まりますからね。
そうだよね。
湯羽天付きなんてのもありますね。
湯羽天?
うん。
食べたことないかも。
これ面白そうだね、ちょっと僕も食べたことないんですけど、
これやっぱりお豆ね、大豆とかっていうものをやっぱり使ってってことだと思うので、
必然的にこういった文化も多分発達するんだろうなっていう感じはありますよね。
例えばだからね、煮込みうどんと味噌串カツ2本とかでね、
どっちも食べることもできるかもしれませんね。
といった感じでね、この各級屋さんをまずご紹介させていただきました。
で、今回はちょっと省くんですけれども、
こちらね、工場見学とかも非常に人気なんですね。
なのでお時間がある方は、ぜひこのお食事ところに行くだけじゃなくて、
あらかじめ事前予約必要だと思うんですけど、
工場見学なども行っていただったり、
それでショップでね、実際にお土産で買っていただくこともできると思いますので、
そういった楽しみ方、この八丁味噌の本場なのでね、
岡崎の食文化としてまずやはりここは欠かせないかなという存在になっています。
いいね、最初から名物食べれる感じだね。
そうですね。
ちょっとやっぱり今回愛知県初めて紹介するというのもあるのでね、
まず王道的なところからと思いました。
ちなみに家康もね、非常に味噌好きだったそうなんです。
あの人ね、健康オタクなんですよ。
そうなんだ。
実際75くらいまでね、生きていますので、
味噌とか薬にこだわってたというところもあるので、
その後にもやっぱりね、この三河の土地に生まれたというのもね、
もしかしたら一つ関係してるかなという気がしますね。
で、こっからいよいよね、観光の方に入っていきたいと思うんですけれども、
各級八丁村さんから自転車で大体3分ほど行ったところに、
岡崎公園がございます。
この岡崎公園というのは、いわゆる岡崎城です。
なるほどね。
岡崎城とその周りの遺構だったりとか施設を合わせて、
今市民ゆかりの公園になっているというのがこの岡崎公園になっているわけですね。
先ほどから申し上げている通り、徳川家康というのはこの岡崎城で生まれました。
本当に家康の生まれた場所なんですね。
岡崎城主の息子としてこの人生まれていますので、
24:01
実際この岡崎公園の中には家康の産湯、つまり生まれた時のお湯に使ったという井戸も残っていたりしますので、
やっぱりこのコースを始めるにあたっては最初ここからスタートするのが良いかなと思ってチョイスしました。
ここでちょっと家康の話をしたいと思うんですけれども、
徳川家康というのは生まれは1542年、
あるいは今厳密な用歴に直すと1543年の1月になるんですね。
つまり和暦でいうところの1542年12月何日に生まれてるんですよ。
それを今の歴に直すと年が跨いじゃうんですね。
なので今は1543年1月生まれっていう風に書いてある場合もあります。
なのでウェブとか見てもらうと42年、43年どっちも書いてあると思うんですが、それはそういった事情です。
この1542年あるいは3年に岡崎城主、松平博多という人の息子として生まれました。
徳川家康というのは徳川家っていうのは元々松平家っていうものだったってご存知ですかね。
いや全然知らないです。
以前越前福井の話をやった時に、福井藩のキャスティングボートとして幕末の政局に大きな影響を与えた松平春学という人の話をしたと思うんです。
あれは要は徳川家の親類である松平一族の一人ということになりますので。
松平というのは要は徳川の前首みたいなものなんです。
なので家康は元々生まれた時は松平家の竹千代として生まれてるんですよ。
あくまでもこの人松平家なんです。
松平というのはどういう意味だったのかっていうことなんですけれども、
これは三河の国の中のこの岡崎城とか、あと三河安城っていう新幹線の駅ありますけれども、
あの辺にいくつか松平っていうのがいろんな文献みたいなので治めてたんだけど、
はっきり言うとまさかこんなところから後の天下人が出るなんてっていうくらいの弱小勢力です。
弱い、非常に。
勢力の弱いところだったんです。
そこの生まれたんですけど、
っていうのがやっぱりなぜ急速的に天下人になっていったかっていうポイントになるわけなんですね。
小説なストーリーがありそうな感じがしますよね。
しかもそれに拍手をかけるのがですね、
これから裏切られていく話をするんですけれども、
言い方言っちゃなんだけど、
裏切られは松平のお家系みたいな感じになっていまして、
本当これそうなんですよ。
これどういうことかっていうと、
家康はおじいさんに松平清康っていう人がいたんですけれども、
この人がめちゃくちゃ有能な武将だったんですね。
このおじいさんの代にすごい勢力を拡大して、
松平の周りの対立している分家とかも沈めて、
一躍乗し上がった感じ。
三河の国の最強の武将になって、
隣の尾張の織田家ですよね。
織田信長の織田家。
27:00
とかこれから話す駿河の今川家ってものの間に立って、
一つちょっと目立つような存在になってる。
実際清康は織田と対立をして、
織田の城とかも猛攻拡で攻めてね。
織田信長のお父さんとかとめちゃくちゃ戦ってるんですよ。
ところが、
とある城を、織田家の城を攻めているときに、
なんとその死ぬ間に陣中で、
家臣に殺されてしまったんです。
しかも、これは未だに多くの謎が残っている、
森山崩れっていう事件なんですけど、
一斉には勘違いで殺されちゃったって言うんですよ。
殺すつもりなかったけど、間違って殺しちゃった?
正確に言うと、この殺した家臣がいるんですけれども、
この人はお父さんが清康のすごい重心だったんですね。
だけど、その自分のお父さんと清康が、
最近どうも上手くいってないような気配があると、
なっていた。
っていうときに、一緒に清康に従って先陣に行ってたんですけど、
自分の松平の陣地の中で、
ドガーンて大騒ぎが起こってると。
これは、さては。
俺の父親が清康にとうとうやられた。
殺されたんだ、とうとう。
って思って、その疑心暗鬼に駆られて、
親の仇だって言って、
何の殺してもなかった清康を殺してしまったと言うんですよ。
ちょっと気が早い。
気が早いですよね。
で、実際お父さん殺されてなかったんです、全然。
普通に清康は何もしてなかった。
何で殺されてしまったんですよ。
それだけ疑いが積もってたのかな。
というのが通説なんですけど、
これもよく分からない。
だから織田信秀って信長のお父さんからしてみれば、
清康ってめっちゃ邪魔なので、
そいつの策略だったんじゃないかとか、
いうことも色々言われています。
ただ事実として、
不良の死を、
過剰の手によって殺されてしまったのは間違いないんです。
まだ二十数歳で殺されてしまった。
早いね。
なのでそうなると困るのはその子供なんですよね。
当然子供まだ幼稚園児みたいなもんですから。
その広田だって清康のお父さんなんですけど、
他国に逃げたりして、
亡命生活みたいなのを送らなきゃいけなかったんですよ。
お父さんが急に死んで、
そうすると清康に無理矢理抑えられていた親戚たちが、
さあこれがチャンスだっつって、
自分が末代の主導権を取り戻そうつって、
内紛を置きまくっちゃって、
岡崎城も織り出されちゃったりとか、
伊勢の方にも一切に亡命してたって言うんですけど、
とにかく色んなところを渡り歩いて、
流浪の生活をずっと続けてた。
ただそこで静岡県のね、
静岡市の駿河の国の守護だった、
今川義元という人物が出てきて、
これがこの末代の広田だを被護してあげた。
それでこの人の後押しによって、
岡崎城主として帰り避けたんですね。
だいぶ気を回してもらったんだね。
そういうことです。
なので末代はとにかく今川のおかげで、
今は成り立ってるっていうのが大前提なんですよ。
30:00
ところがですね、
この末代らは三河の国、
今要は愛知県の東側ですよね。
味方なのは今川、
静岡県一帯を治めてる今川がバックに控えてる、
ここは味方なんです。
ただその愛知県の同じ西の名古屋にいる
織田とバチバチなわけですよね。
織田と徳川って元敵だったんです。
末代らが。
織田家って、
織田信長のお父さんの信秀っていうのも、
めちゃくちゃ優秀な人だったのこの人。
この織田信秀が末代らにちょっかい出してくるわけですよ。
自分のものにしようと三河をね。
そのために織田の猛攻に、
もう自分一人ではどうにもなんないから、
今川さんにすいません、助けに来てくださいって、
静岡に援軍を声に行って、
今川が仕方ねえなって静岡から三河に出てきて、
それで織田と戦って織田を追い払う、
みたいなことを何度もやってるんで。
今川がないとこの人たち生きていけないんですよ。
ということで、どうなったかっていうと、
せっかく生まれた竹千代、後の徳川家康ですよね。
を人質に出さなきゃいけなくなっちゃったんですね。
なかなか厳しい生まれだね。
今川からすると、
そんな都合のいい時だけ助けに来てって、
何回言ってやる気がするんだよ。
もうちょい声に見せろってことになって、
いいや、すぐに人質に出せって言ったんです。
で、もうひろただ、
お父さんはもう逆らえないんですよ、今川に。
今川に切られたら終わりなんで。
なので仕方なく苦渋の決断で、
今川に人質を出した。
で、ここから通節の話をしますよ。
通節では、
泣く泣くこの幼い竹千代を手放して、
もうみんな泣いて、
なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだって言いながら、
竹千代を送り出すんですよね。
で、近くにいた戸田っていう、
戸田さんっていう親戚がいたので、
その人に今川寮まで船で届けてやってくれと。
竹千代のことを。
としたら、なんとね、
この戸田が裏切るんですね。
竹千代を乗っけた船。
で、当然寸布、東側に行くはずだったんだけど、
なんか船に乗ってしばらくしたら、
あれなんか伊勢の方にこれ行ってない?みたいな。
逆じゃん。
ってなって、竹千代のお次の家臣みたいなやつが、
ちょっと戸田さんこれ逆行ってますよ。
って言ったら、それでいいんだ。
お前は今川の元にはたどり着けない。
俺は実は織田信秀様に通じているから、
お前はこれから名古屋に送り届ける。
って言って、
幼い竹千代は今川に行くための人質だったのに、
その戸田に裏切られて、
急に名古屋に敵の織田家の手に渡ってしまった。
これは織田信秀が仕組んだことと言われていますが、
要は人質を手に入れちゃえば、
松平も子供を見捨てられないから、
必然的に俺の味方になるだろう。
と思ったらしいんですね。
なるほどね。
なので家康は最初、
人質に行かさったところから、
敵の手に渡って名古屋で座ってられちゃうんです。
すごいな。
初っ端から壮絶だね。
そしてさらに壮絶なのは、
これをした広田は何をしたか。
今川を裏切らなかったんです。
竹中はもう死んでもいいって言った。
33:03
それでも松平の家のためには帰られないから。
子供はまた生まれるかもしれないけど、
今川を裏切ったら、
絶対に松平は滅びてしまうから、
例えば子供が殺されたとしても、
俺は今川への注意を貫くって言って、
見捨てたんですよ。
今の時代だったら人らしいって言われそうなもんだけど。
まあまあ時代背景とかね。
その状況を考えると、
やむなしなのかなっていうね。
というのはね、これが竹中なんですね。
大分市なんです。
じゃあでも織田に行って竹中は殺されてしまったのかと。
そうじゃなかったんです。
要はもう利用価値がないなって思われたと思うんですよ。
広田が裏切らなかったから。
だから織田のところで止め置かれちゃってて、
そこで信長にも最初に
少年時代の信長と会ったと言われてるんですね。
信長という奴はちなみに8歳差ぐらいです。
信長が上です。
ちょっと兄貴分ぐらいなわけです。
っていう風に言われてる。
ところがですね、
その後いろんな事情があって、
結局織田と今川で、今川がね、
織田信秀の息子を戦で生き残りにしたんですね。
その人質交換で、
竹中は今川のとこに帰れた。
ようやくちゃんと人質の役目を果たすことにできた。
人質交換させられて、
ようやくこれ寸歩に行ったんですね。
がまあ、寸歩に行った理由なんですね。
帰れたわけね。
帰れたというか、本来行くべき場所に行けたということなんですね。
ややこしいね。
人質になることには変わりない。
織田の人質だったのが、
ちゃんと今川の人質になったというだけなんです。
どっちで一緒の人質なんだこの人。
すごい文言だね今。
そうなんですよ。
そして、ちょっと話戻しますと、
幸運してるうちにですね、
なんと、お父さんの博多だ。
これも家臣に殺されてしまった。
なんか呪われてる感じするね。
呪われてます。
しかも、呪われてるっていう意味で言うと、
その刀が同じ刀だったって言うんですね。
清康と博多を殺した刀。
それが村政っていって、徳川家はこれを避けるんですよ。
妖刀じゃん。
妖刀村政ってそういう理由です。
なるほどね。
っていうのが通説です。
で、博多ではなぜ殺されたのかというと、
これは織田っていうのはやっぱり、
織田信秀っていうのが相当のやり手なので、
これの策略だったと言われていますが、
実は今では病気で死んだとも言われてます。
これはわかんないんです。
ただESの悲劇性を強調するために、
2代連続でおじいさんもお父さんも過死に殺されたっていうのが通説だったんですけど、
どうも最近は病気だったんじゃないかとも言われている。
おじいさんは間違いなく殺されてるんです。
お父さんは実は病気で若くして死んだだけかもって言われてますけど、
ただいずれにしろ20何歳の若さで、
松平家は2代連続で不良の死を、
非合の際を遂げているんですよ。
っていうことなんですよ。
だからESの人生って裏切られるところから始まるんです。
それが一つ目?
これはまだ全然違うんです。
3つじゃないの?
これはあくまでもどっちかというと、
お父さんとおじいさんも裏切られてるよっていう、
松平家っていうのが常に誰かに裏切られてるっていうだけなんです。
36:00
ESに対する裏切りじゃないのか。
そういうことです。
ESはまだただの人質としか見なされてないんで、
別にそんな人格も出てこないんです。
なるほど。
うわ、すごいな。
そういうところなんですよ。
話を戻しますと、
こういった非常に困難苦しい立場だったES、
そして広田だった。
お父さんの苦しい立場だったんですよ。
多分すごいストレスだったと思います。
の教長だった岡崎城学校になると。
今言っていただくと、
今建物の天守閣建ってますけれども、
これは江戸時代のものを復元した、
復元天守ですので、新しい天守閣です。
この天守閣の中に行っていただくと、
今のような松平という家の歴史とかを
いろいろ見ることができて、
ESの老いたちだったり、
あと岡崎の町八丁味噌の歴史なんかも
ここで触れられたりします。
なのでまず岡崎という町を知るというところにおいて、
この岡崎城公園にも行っていただくといいかなと
思っていますね。
他にも公園の中には神社があったりとか、
あるいはちょっとした寮邸だったり、
食事どころもあったりするので、
ESによりフィーチャーしたいなと思ったら、
この岡崎城の岡崎公園の中で、
食事どころでお昼を食べていただくのも
いいかもしれません。
なので非常に見応えのあるお城になっています。
というのがまず1個目ですね。
この岡崎公園、厳密に言うとこの公園の中なんですけど、
次の目的地になるのが、
岡崎城の天守閣から徒歩で3分ほど、
この公園の中です。
行ったところにあるのが、
三河武士の館家康館というものであります。
三河武士の館家康館なんですけれども、
これは徳川家康の出生から天下統一までの生涯と、
それを支えた三河武士たちについて解説しています。
歴史館になっています。
ここで一つ新しい場所が出てきたと思うんですね。
三河武士というのは何なのかということなんですけれども、
これは三河、家康のいる三河の国の武士たち、
ということに単純にするだけなんですけど、
これは一種のブランドとなって構成を語られていくんですね。
何かというと、徳川家の家臣というのは、
特に家康を支えた家臣というのは、
非常に団結力が強かった。
絆がすごく強かったと言われている、
その堅い信頼関係で結ばれた衆生だった。
だから家康という人質からこんなに振り回されてる人も、
家臣たちがみんなで松平家を支えよう、
徳川家康を支えようってなったから、
家康は天下人になれたって言われてる。
それぐらい団結力の強い男気のある人たちっていうのが、
三河武士の構成を語られるんですね。
だから武田二十四将みたいな形で、
家康の周りにもそういった武将がいっぱいいるわけです。
本田平八郎忠勝とかね、
戦国無双とかで見たことある人もいるかもしれない。
四川の角株の人たち。
あるいは同じ本田でも、本田正信とかね。
あとは坂井忠嗣だとか、石川和正だとかって、
39:00
もうキラ星のような団結力の強い人材が揃っていると。
みんなそれも岡崎近辺で生まれてるんですね。
みんなふるさとがね。
なのでその人たちは、
いずれ江戸幕府になったらみんなそれぞれ大名としてね、
行くわけなんですけど、
その人たちのふるさとでもあるので、
その三河武士とは何かというのを解説してくれてます。
非常にこれね、家康の生涯を知る上での入門編としていい資料館で、
すごく資料も見やすいし、
ビジュアルとか映像とかもたくさん交えて紹介をしてくれるので、
歴史がそんなに得意じゃない方でもね、
家康の生涯をまずは知るということでは、
非常にいい施設だと思います。
同時にこのね、家康を支えた武将たちの顔ぶれというのも見て、
だから家康っていうのはこういう人に支えられてきたから、
天下が取れたんだなというのもね、
よくよくわかるんじゃないかと思うんです。
ただ、これはあくまで通説なんです。
今から話す裏切られっていうのは、
この三河武士たちに家康は裏切られてるんです。
えっ?
はい。
団結してんじゃないの?
多分それは、結果的に家康が天下を取った時には、
三河武士たちは団結力を持ってたというだけで。
乗り越えたのか。
そう。何度も何度も裏切られてるこの人。
ええ?
うん。そうなんです。
なので、あくまでも結果論から見たら三河武士は団結力が強いって言われるんだけど、
三河武士は生まれながらにして家康が強いか、
マズダイラーとか徳川を敬ってたかって言ったらそうじゃないんですよ。
ああ。
っていうことをね、ちょっと今回はね、あえて視点を変えていきたいんですね。
なのである意味この博物館は通説をまず学んでから、そこに対する疑義を抱くかもしれません。
ああ。
というところから始まるかもしれません。
はあ。
うん。
じゃあもともと団結が強かったわけではなくて、
うん。
その裏切りがあって、
うん。
それを乗り越えて、
うん。
家康が台頭してきたからこそ団結したみたいなイメージなのかな。
そうそうそう。
というふうに僕は、それが実像に近かったんじゃないかと思います。
なるほどね。
なぜなら何度も裏切られてるから。
ああ。
三河武士イコール裏切らないっていうのは絶対に嘘です。
何度も裏切ってますこの人。
すごいなあ。
うん。
もう十分な気がするけどね。
そうなんですよ。
すでに。
だって船の上で急に方向変えられたらおかしい。
そうだよね。
そんなことあっていいのか。
いやもうだってその生まれだとさ、もう這い上がれないよね普通にね。
そうですよ。
うん。
もう殺されて終わりですよ普通だったら。
そうだね。
だからこれも船の方向転換の話もあまりにもドラマチックなので、今は実はそうじゃなかったんじゃないかとも言われてる。
むしろ松平拾太のお父さんが織田信秀に屈服させられて、やめなきゃもう実は最初から名古屋に人質を送ったんじゃないかとも言われてる。
ああなるほどね。
うん。
これはもう分かんないですこの人。
家康はそういうわけでは後々神様になっていっちゃうので、あまりにもドラマチックなんですよ通説はね。
そうね。
うん。
だからそこで脚色もいっぱいあるんじゃないかとも言われてるけど、史実の断片を取ってみても人質として振り回されていたのは間違いないんですよ。
うん。
うん。
まあ確かにちょっと出来過ぎな感はあるね。
しますよね。
うん。
だから映像とかで言うとすごい表現しやすいですけどね、ドラマとかだとね。
42:01
ね。
おじいちゃんとお父さんが同じ刀で殺されてるとか出来過ぎだもんね。
出来過ぎですよ。ちょっと話があまりにも出来過ぎてて。
はあ、なるほど。
ただね、いずれにしてもとんでもなく振り回されていたのは事実なんで、っていうところはありますね。
うんうんうん。
なのでまずこの家康観点は、まずその家康の生涯とその通説の三河武士たちの絆というのを学んでいただいた。
はい。
その上でもう一回家康というのをちょっと考え直してほしいというのが今回のコースになります。
はいはい。
次の目的地になるわけなんですけれども、またね自転車で移動したいと思います。
はい。
岡崎公園のね、岡崎城の門の外側に確か自転車置き場があったので、そこまでちょっと出ていただいて、そっから自転車でまた乗って20分ほどですね。
はい。
はい。大樹寺というお寺があります。
ほう。
大きな樹木の樹の寺と書いて大樹寺です。
はあ。
うん。
うわ、すげえ立派な。
これすごいですよね。
この門がすごいね。
すごいですこれ。壮観ですよね。
かっこいいね。
かっこいいですねこれね。この反り返しのところもね。
はいはい。
いやもうこの二段の時点でだいぶ存在感というかね、威圧感があるね。
そうです。これはなぜこんなことになってるかというと、やっぱり徳川幕府の聖地だからなんですよ。
なるほどね。
もう幕府がすごいお金と手間をかけてここは保護したのでね。
うん。いやちょっと日光に通ずる感じがある。
そうでしょうね。そういうことだと思いますよ。
だいじゅじ。これは何かというと松平家の母大寺です。
そして徳川家康の遺廃も今ここに安置されています。
へえ。
遺廃とかね、日光っていうのは有名な話ですけれども、遺廃はねここにあるんですね。
そうか遺廃もあるんだもんね。
そうなんですよそうなんですよ。
なのでねやっぱり徳川家松平家にとっては一番の大事なお寺なんですね。
でこのだいじゅじ、そういうわけで徳川家の将軍ルイダイからすごく秘語を受けて、ここまでに今時世を誇っているわけですね。
この門をくぐっていただくと本堂が見えてくるわけなんですけれども、本堂を行っていただくと、
オンリエドゴングジョードという四字熟語のスローガンみたいなのが出てくるわけですね。
いやもうわかんないなこれ。
これ何かというと仏教用語なんですけれども、エドオンリエドのエドというのは穢れた土と書くんですね。
つまりこの俗世間の穢れたもうどうしような世の中っていうのを糸を離れる。これはもうこれとはさよならします。
そして私は何を求めるのか。ゴングというのは求める喜ぶという意味なんですね。
それ喜びなんだ。
ジョードです。つまり清らかな世の中を平和な世の中を目指していく。戦国の血生臭い世の中とはおさらばして本当の平和を目指していくと。
いうのが家康はとある時に大樹寺というお寺の住職さんからこの言葉を司祭を受けて生涯のスローガンにしたと。
家康の旗印も常にこの四字軸をかける2が刻まれているというふうに言われています。
このエドとジョードがツイクになってるわけだね。
45:01
そういうことですそういうことです。なのでそれを人生のテーマを悟った場所として非常に有名な場所になっているわけですね。
実際にここ行っていただくと、まずもちろん家康関連の資料とかもいっぱいある上に、
霊勢ため地歌という幕末の頃の有名な絵師の障壁画とかもすごい綺麗なのが残っています。
なので京都の大角寺で以前、家納派の障壁画を見た回があったと思うんですけれども、
ああいう感じでお花だったりとか人物だったりとか自然の風景というのがふすまに描かれているので、すごい宮殿みたいな感じになっているわけですね。
これ何でこんなに描かれたかっていうと、そもそも将軍とかそういった幕府の施設がここによくお墓前に来るわけなんですね。
その時に将軍がお休みになる間とか、将軍に越見をする大名が控えている間みたいな感じで、やっぱり江戸幕府の階層で明確に区分された感じになっています。
そしてもう一つ大きな見どころとしては、徳川将軍15代吉伸以外の初代家康から14代家持までの等身大の位配というのがここに安置されているんです。
等身大の位配なんてあるの?
あるんです。
俺ら一般庶民だとね、小っちゃい、これどんぐらい?かまぼこ板ぐらいの位配ですけど、等身大。
そうなんです。
すげえな。
これどういうことかと言うと、徳川将軍が亡くなると、その身長を東京の江戸のお寺の人が埋葬する時に測って、この測った結果を大主人にお伝えするんですって。
そしたら大主人はその測った、はいはい今回何センチですねって言って、それに応じて位配を作っておさめるっていうのがもう恒例行事で本当に今そうなってるんです。
だから徳川将軍の背丈っていうのが全部わかるの、この位配を見ると。
なるほどね。
それを見るとやっぱり面白い発見がいくつもあって、例えばね、生類哀れみの例で有名な徳川綱吉っていう古代将軍いると思うんですけど、あの人の位配めっちゃちっちゃいんですよ。
120センチぐらいしかないの。
ちっちゃいね。
だから綱吉は一説には少しハンディーを持った、体にハンディーがあったんじゃないかとも一説には言われていて、それが逆に生類を哀れむ慈しむっていう生命に対する独特の捉え方をしたきっかけなんじゃないかとも言われているんです。
それもだから教科書で見るとつまり結構大柄なイメージにあるんですけど、実際は本当に120センチぐらいしかなかったんじゃないかって言われてる。
これやっぱりズバ抜けで低いんですね。
当時にしても低いんだろうなって感じ。
全然位配を見ると一人だけ全然違った。
その辺はね、やっぱりえ?っていうところはありますね。
それが見てわかるの面白いな。
しかもその位配がちゃんとね、もう比較してくださいと言わんばかりにガーって並んでるんですよ、14人分ね。
家康さんのもあるし、あとその松平のお父さん博多だったりおじいさん清康の位配もあります。
これはもちろん天下を取る前に死んでいるので、等身大とかではないと思うんですけど。
なのでもう松平と徳川将軍のほとんどの位配がここに集っている。
48:00
そういう間があったりしますね。
将軍は最後だから作られてないっていうことなんですかね。
これはですね、吉野部は実はね、新式でね、総理をしたんです。
仏教じゃないんです。なので位配がそもそもないんです。
というのがあったりします。
というのが大事なんですね。
でもちろんね、ここにはやっぱり家康関連としては絶対言っていただきたいところになるんですけど、
ここでね、ちょっと家康の反省の話にまたちょっと戻って、
家康にとってね、この宗教ってものは何だったのかっていうのを考えたいんですね。
これがね実は一つ目の、今回ね一日一つ裏切りなんで、一日一裏切りを話していきますんで。
暗いテーマですね、新年早々。
一つ目の裏切りの話をね、ちょっと後悔したいと思います。
家康、さっきまでの話だと、お父さん殺されたりとか大変なことありつつも、
結局今川義元の元には保護されて、スープでね、無事に育っていったというところがあります。
そうね、人質とはいえ味方ではあるもんね。
そうですそうです。保護はされていたんですね。
だからもちろん松平が今川を裏切ったりしたらね、殺されちゃう人質ですけど。
ところがお父さん死んじゃいましたと。
そうしたら竹千代なんて人質だし子供だしって言うんで、どうにもなんないので、
岡崎城は今川の家臣がね、代理で入って、松平の城なのに今川が実質乗っ取っちゃったみたいになったんですね。
なので松平の家臣は今川から発見された大官みたいな人の命に従って、最前線で織田と戦わなきゃいけなかった。
だからまあはっきり言えばこっち使われてたんです。
もう手先というかね。
手先です。
もう完全に取り込まれた感じだね。
裏切れないんですよ。
だってもうもはや松平の当初は今川義元の手元に人質として共に置かれちゃってるっていうことをやってたんです。
ところが家康が19歳の時、1560年なんですけども、5月19日、家康の人生を一変させる大事件が起きました。
これは裏切りではないんですけど。
何だかわかりますか?1560年5月19日。
全然わかんないけど。
教科書に載ってます。小学校の教科書に載ってます。
いや俺は教科書も覚えてない。
ヒントは今川義元って名前なんか聞いたことないですかね。
いや名前はね、名前は聞いてますよそれは。
教科書でとある家で載ってると思うんですね。今川義元ね。
もう何にも覚えてないね俺は。
桶狭間の戦い。駿河の大将今川義元が、尾張の織田家に責めて圧倒的優位だったと言われている。
常説ではそう言われている。軍勢が多くて。
なのに、その封印をつかれて織田信長の奇襲によって、まさかの打ち死にを遂げてしまった。
あれか、鉄砲隊で有名な。
それはね、流しのですね。
あ、違いますか。もうダメだ。
まあ信長が出世した一つの出世作みたいなもんですよね。
51:01
誰もが負けるはずないと思っていた今川義元。
松平元康、いい奴なんですけど、もう19歳でもう青年になっていて、もう奥さんもいってね、一人前になったので、今川義元の背下の武将の一人として、今川軍としてその時同行してたんですね。
ところが、もう絶対勝てると思ってたら、うちの大将が死んだってことになって、えーってなるわけですよ。
で、大慌てでみんな、誰も負けるなんて思ってなかったから、どうすんのこれって大パニックになって、家康はとりあえず近場だった岡崎に一回フルスで逃げるんです。
その時大樹寺に行って、ここで保護してもらって、オンリエードの話を受けたって言われてるんですけど。
で、そこでね、ただ家康は岡崎に戻って、戻れちゃったんですよ、つまり。ひょんなことから。
人質だったわけでもね。
そう、でも非常事態なので、もう誰も三河のことまで構ってられなくなって、ひょっこり戻れちゃったんですよ、岡崎に。
なるほどね。
で、ただもちろんまた今川の家臣なので、今川の命令を受けてるんだけど、あれ?なんか運良く戻れちゃったなって感じになって、この先どうしようって。
で、よくよく様子を見ていると、今川義元の後、義元は非常に優秀な人物だったんですけど、後をついた藤谷というのがどうも馬鹿っぽい。
で、なんか家臣の相手はあんまり信頼されてなさそう。っていう感じになってきて、あれ?これ今川についててこのまま大丈夫なのかな?みたいな感じになって。
で、そしたらむしろあの織田信長ってあの時の俺が名古屋に送られた時のあの兄ちゃんだよなみたいな。あいつ今川義元破ったってやっぱすごい奴なのかな?もしかして。
なっていった時に織田信長も彼は今後北とか西に行きたいので、東の敵がいる邪魔なんですね。
でも今川を追っ払って大ダメージからはしたので当分来ないと。
という時に家康ってあの人質だったあの学勤長が、あいつ俺知り合いだから誘ったら来るんじゃねえか?ってなって、家康と信長はここで同盟を結ぶんですね。
じゃあちょっと今川を裏切る形になる。
そう、今川を裏切るんです。つまり今川から離れて織田の味方になったんです。これがある意味結局家康にとって後々運の良かったことではあるわけですよ。当然信長はこの後どんどん修正していきますからね。
ここで織田型についたんです。それで今川からはすいませんもう私ちょっと独立しますから。今度は信長さんと仲間になって独立します。もう今川すいませんさようならします。
という風に言って岡崎城主、三河の主として独立をしたんですね。なのでここまでいくとなんかねちょっといい感じの人質だったところに比べると。
ちょっと報復が怖いところではあるけどね。
そうですね。でもねその時に報復できる状況じゃなかったんです。
ああ天夜ワイヤーだから。
なぜか覚えてますか。今川宇治谷って時代から出てきてるんですけど、今川宇治谷は絶対に裏切らないと思ってた時に裏切られて、今徳川どころの騒いじゃなかったんです。
ああ河中島の方の話ね。竹田に頼んで上杉の方に攻めろって言ったのに、そこそこ帰ってきたっていうやつ。
54:10
それはまた全然違います。それはね尾立の乱ね。あのね竹田信玄の怖さを語った時に言ったやつなんですよ。竹田信玄は要は目的のためには手段を選ばない人。その斎藤玲が自分の子供を間接的に殺してまで今川を裏切った。
ああ最初に話してたやつだ。
そう。つまり竹田信玄の息子の奥さんは今川家の人なんですね。宇治谷の姉妹なんですよね。だから親戚なんですよ。なのに急に裏切ってきたんです。竹田が。そして皇府からその最強の軍団が北から急に攻めてきた。だからもう徳川どころの騒ぎじゃないんですよもう。
なるほどね。ああそういう時系列なのね。
そうそうそう。
じゃあもう東州も死んじゃったし、なんか北とかの方からも来てるし、徳川どころじゃない。
徳川どころじゃねえよ。
徳川どころ。そこが困ってる。もうスープの方が危ないですよ。山梨、皇府から来ちゃってるので。
はいはいはい。
っていう時期になってるんですよ。
ああなるほど。
だから家康はその土作戦にまみれてるようなところもあるわけですよ。
なるほどね。
で、そこで家康はここで今は三河の安定のために力を尽くそうとなるわけなんですけど、ところがここで家康は裏切られるんですね。
うん。
誰に裏切られたか。これはやはり家臣に裏切られたんです。
ああ。
じゃあなぜ裏切られたのか。
はいはい。
三河一公一揆という大事件ですね。
はいはい。
一公一揆って何だかわかりますか?
えっとね、何かあったなあ。
総兵とかのやつとはまた違うやつだっけ?
まあでも近いかもしれないです、結構。
総兵はあれよね、お寺のお坊さんたちが武器を取って一揆をしたっていうやつだよね。
そうですね。それですそれです。
それか。
ただね、一公一揆の一公というのは一公集っていう特定の集派なんですよ。
ああはいはい。
これね浄土新集ですよ。
ああなるほど。
浄土新集の人たちが、お坊さんとかそれを信じる人たちが武器を取って巨兵するが一公一揆なんです。
これがね、ESの足元で起こったんですね。
はあ。
つまりこれね三河の国っていうのはもともと浄土新集の力が強いところで、結構有力な新集の人員がいくつかあったんですね。
その人と徳川、松平がちょっと揉め事を起こしたと。税金を徴収するかしないかとかっていうことを巡ってね。
家康にとって大事な問題なんですよ。そこで揉め事を起こして徳川家の家臣がね、それで寺院の方が一公集がふざけるなと。
言って家康に反乱を起こした。
はあ。
で、お坊さんだけならさ、まあまあトラブルが起こった地方本人なんだよって言うんだけど、
二枠で見たら自分の家臣もめっちゃそこに参加してる。
ああ。
一公域側にめっちゃついてんの、自分の家臣が。自分に刃を向けてきてるんですよ。
はあ。
57:00
うん。
何が気に食わないの、それは。
はい。これがね、今の感覚からすると捉えがたいところなんですけど、この人たちは家か宗教かっていうのを悩みに悩んだ結果宗教を取ったんです。
へえ。
つまり三河一公域に参加した家臣というのはほとんど浄土神宗の神徒だったんですね。
はいはいはい。
つまり信仰としては浄土神宗の崇拝している人たちなんですよ。この人たちが要は自分の仕えてるお殿様と自分の信じてる宗教が対立して、どっちにつくどっちにつこうって言って宗教を取っちゃったんです。
ああ、なるほどね。
うん。
じゃあ特別なんか恨みがあったとか圧力があったっていうことではなく、宗教の方を信じることを取った、選んだっていうことね。
そういうことです。
ただそれを見た、また本当にイリアス気に変わるなって思ってた人たちがまたそれで反乱に乗ってね。
乗ってね。
そうそう。だから本来は信仰上の問題だったんだけど、いろんなことが合わさっちゃって三河の国はもうボロボロになっちゃった。
はあ。
せっかくイリアス独立できたのに、もうめちゃくちゃです、国の中が。
いやー腹んだなあ。
そう、っていうのが起こったんですよ。だから信じられなかったと思うんですよ、イリアスからしてみたら。
はいはいはい。
いやこいつもいないじゃん。あいつなんで帰り出てこないのって言ったら、いやあいつお寺の方行っちゃいましたって言ったら、え?みたいな。
あんなにこないだ俺仲良くしてたのに、なんで俺のこと裏切るの?って宗教の問題だから、信仰上の問題だからですって。
なるほどね。
え?俺の存在って信仰より引き下がったんだってショックだったと思いますよ。結構すごい仲良かった歌詞もいるんですよ。
へえ。
というのが起こるんですね。
まあでも信じに関してはね、口出しできない感じがちょっとあるよね。
今もそうじゃないですか、そこは。
信じるならまあそうなんだろうなっていう感じだよね。
そうですそうです。ただイリアスにとっては非常に大きな心の傷になったと思います。実際これを沈めるのにまた相当苦労するんですね。
大変だろうね。
一公衆ってすごい力を持っているので、農民とかもどんどん参加していくんですよ。
なのでもはや人望がそっちの方があるんですよね。下手したらね。
なるほどね。
っていうのに苦労して、どうにか長い時間かかってね、沈めたんですけれども。
確かにまあユッチはポッドでの上州なんですね。
そうそうそう。この間まだ人質だったくせに。
そうね。
ただそれで一揆側については歌詞にどうなったかという中で、イエスはまあ人によって違うんですけど、キサを認めてあげたんです。
つまり一行一会についちゃったけど、イエスが嫌いで売られてたというよりもやむなく進行側についたという人たちなんで、
ごめんなさい、やっぱりでも戻りたいですって言った人には戻らせてあげた。
安西先生みたいなね。
そうそうそう。まさにそう。
バスケが主体ですって。
バスケが主体ですって。
そう、それなんすよまさに。
まさに近い。
なんかそんな感じもするしね。
密いね。
そうそうそう。そうなんですよ。
なるほどね。
イエスの懐の広さって後世に語られるけど、もはや認めてあげないと得分けはなりゆかんかったというのが本音だと思います。
もはやもう。
人がいないと。
人がいない。あまりにも多くの人材があっち側についちゃった。
なるほどね。
ただその一方で、いやいや今更寄算なんてできねえよっつって出ていった人もやっぱりいる。
1:00:03
その代償的な一人が、ホンダ佐渡の神、ホンダマサノブという人なんですけど、
これは後々イエスの懐がたまとしてすごい活躍をする暴信なんですが、
一回離れたのに戻ってくるの?
そう、後々後は戻るんだけど、一回三河の国に出ていっちゃうんです。
っていうぐらい。つまり徳川家臣の筆頭みたいなね。
家袋的なホンダ佐渡の神ですらこの時は裏切ってるんですよ。イエスのことを一度ね。
っていう大きな傷を負ってるんです。
だからそれだけにこのイエスと宗教の考え方って非常に興味深いところで。
ちょっと複雑な感じだね。
複雑ですね。いろんな気持ちがあったと思います。
信じたい気持ちもあったかもしれないけど、ちょっと敵みたいな。複雑だね。
複雑な気持ちがあったと思います。
少なくとも大樹寺はね、これは浄土神宗ではないので、常に徳川に寄り添ってくれたのでね。
ここは違うんですけど、やっぱり大樹寺にはそれだけの信頼を置いたっていうのは、
逆に一向一揆に裏切られたっていうのもあります。他のお寺に裏切られたっていうのも結構あると思います。
そうかそうか。
というのがね、この大樹寺で。これをまず一つ目の裏切りとしてね、最後の日にちょっと覚えておいてほしいんですね。
三河一向一揆で、宗教上の理由で裏切られてるんです。っていうのが実はまず第一の裏切りでした。
そしてね、ちょっとここからはモデルコースの方に戻りたいと思います。
で、大樹寺で一旦今回の観光物件は終わりになります。
だいたいここもうお昼から回り始めてるので、もう4時くらいになってると思います。
で、そしたら大樹寺さんからですね、自転車で30分ほど行ったところに岡崎駅が今度あります。
東岡崎じゃない方ね。
じゃないです。JRの岡崎駅です。ここに向かってください。
で、この岡崎駅周辺の広場で自転車を返却できますので、ここで返却しちゃいましょう。乗り捨てということです。
で、ここからはね、飲みに行くわけですね。
今自転車乗ったまま飲酒ダメになっちゃいましたので。
で、5時くらいにおそらく返却できると思いますので、そっから徒歩8分ほど行ったところにあるのが、
ホッチ商店核打ちリカーホッチです。核打ちってなんだかわかりますかね。
立ち飲みみたいな感じで、日本酒を飲み比べみたいな感じで飲む感じでね。
そうですね。厳密に言うと、要は酒屋さんで飲むことです。
そういうことか。
そうそう。小売りの酒屋さんでその場で開けて飲む。これが核打ちですね。
なるほどね。
なので、このホッチ商店さんというのも酒屋さんです。
その酒屋さんなんですけれども、これ僕ね、行ってきたんですよ先々週。
もうこれめっちゃ感動した。すっごい面白かった。
もうね、酒屋さんなんだけど、酒屋さん全体が核打ちなの。
だからもう広い立ち飲みバーなんだけど、壁一面にあるブワーって酒屋さんワイオンのお酒いっぱいあるんだけど、これほとんどが核打ちでも飲めるっていう。
1:03:01
めっちゃ良かったですこれ。
じゃあ種類がいっぱい豊富に揃ってる。
日本酒ももうすごい、三河の地酒も豊富にありますし、
本当に北から南まで日本酒いっぱいあるし、焼酎も何段にもたってあるし、ウイスキーとかジンとかも相当あって。
ワインもワインで、ホットワインとかもあって、色々種類もすごい豊富なんですね。
だからあらゆるお酒、酒屋さんだから色んなお酒売ってあるんですけど、それをその場でいただける。
もう選びたい放題です。本当に。
天国だね。
天国です。酒飲みは天国です。
ただ一人で行くとやっぱりどうしても瓶とかで買っちゃうと、それだけで終わっちゃうし、それも飲みきれないじゃないですか。
けどここはそれをちゃんと分かってくださってるので、おチョコとかそれぐらいの単位から売ってくださるんですよ。
測り売りみたいな感じでやってくれるんで。
いいね。
もう色んなものを飲み比べできて、それで気に入ったのがあれば買って帰るということもできるわけですね。
これ写真出てこないかな?すごいんだよ中が。
さらにこれよりも今はもっとすごい。このサイトのこれ2倍ぐらい広さになってるんですよ今。
最近リノベーションしたらしくて。
いやでもこのページにある写真だけでももう一面の棚にお酒が並んでるから、すごい種類だよ。
これ良かったっすねマジで。
こんな選べないよね。
選べない選べない。
なんかもうどうしようかって、どこを見てもお酒なんだ。周りのどこを見ても。すごい世界でしたよ。
僕もいただいたのは三河のお酒を、せっかくなのでいくつかいただこうと思って、
お店の人にお勧めしてもらった三河のお酒をいくつかいただきました。
それにおつまみメニューもありまして、ちょっとした簡単な塩辛だったりとか、いわゆるお酒の魚になるようなものもあれば、
ここに缶詰がめっちゃ並んでると思うんですけれども、これも開けられるんです。
いいね。
缶詰もすごい棚が何段にもあるのかの好きなのを選んで、それを取って入って渡すと開けてくれて、それをおつまみその場でできる。
温めてもくれるだろうし。それとは別にオリジナルの魚もいただける。
いいな。
本当に豊富に揃えてますって感じだね。
俺はやっぱ酒屋さんだからこそ出せる技だと思いますね。だから安いんですよ。
ウイスキーとかもらって、普通にスコットランドのウイスキーとかもらっちゃったんですけど、僕の感覚で言うバーで飲むのの、多分3分の2くらいで飲みました。めっちゃ安かったです。
いいね。
これは内田連れてきたかった。絶対喜ぶと思ってた。
じゃあもう何でも揃ってて、好きなお酒をここで飲むって感じね。
そういうことです。結構観光客の人も多かったんですよ。その理由なぜかっていうと、もちろんここの岡崎のサイトとかよく出てくるんですけど、
最近ね、ユーチューバーの東海オンエアさんって、あの方だったって岡崎の人ですよね。
岡崎のすごいことを盛り上げようっていう志のある方々だと思うんですけど、その人たちもここを紹介してるんです。
1:06:04
なので非常にね、東海オンエアのファンの方もね、多くお見えになってましたね。
なので若い方がかなり多かったです。
なんか意外な感じだね。格打ちってね、ちょっと渋い感じかなって思ってたけど、そういう影響で若い人が集まってるんだね。
そうですそうです。もう100年を超えるね。
ただ今の東武宗の方が格打ちに大転換したみたいな感じでね。それがまあマッチだったみたいですね。
いや偉いね。偉いというか、いい転換の仕方なんだね。
なのでここでまず0時帰りですね。立ち飲みなのでね。
おつまみも軽く食べていただいて、5時くらいだと思うんで、ちょっとね、まずはケーキ漬けに一杯っていう感じでいいんじゃないかと思います。
ちなみに僕使ってませんけど、この酒屋さんの敷地内にね、なんかバーベキュースペースも最近作ったのかおっしゃっていて、
なので夏とかはね、食材は持ち込み、で酒はその場でだから買って、でそのままテラスで飲めるようになってるので、これも楽しそうだなって思いました。
いいなあ。すごいなあ。大当たりだね、その転換は。
そうなんですよ。ということでね、ぜひね、この角内理香ホッチさんに一杯飲んでいただくと。
ただね、これは岡崎駅周辺なので、これからホテルの東岡崎駅に戻らなくちゃいけないんですね。
はいはいはい。
で、どうやって戻るかってことなんですけど、JR岡崎駅から名鉄バス。
ああバスね。
だいたい13分ほどで東岡崎駅に着きます。でまあそれなりに本数は出てるんですけれども、仮に言うならば18時40分にJR岡崎駅を出るバスがありますので、そうすると18時53分に東岡崎駅に着きます。
で、バスがもしどうしても本数がうまくいかないなってなったら、一回乗り換えが必要なんですけれども、電車でも行くことはできますので。
ああ、なるほどね。
はい。今回はバスで戻ったとして、ホテルにチェックインしましょう。荷物預けたホテル東岡崎駅から徒歩5分くらいのところのホテルにチェックインをします。
はい。
ちなみにホテルはね、この東岡崎駅周辺結構ありますので、多分そんな困んないと思います。結構栄えてますのですごく。
はい。
で、チェックインをして荷物も置いて身軽になりましたら、ここでですね、改めて一時会に行こうかなという感じですね。
はい。
大体東岡崎駅周辺徒歩5分くらいのところにあるのが、ときわさんです。
はい。
ときわという店名なんですけれども、もう同時に出てくるのが名物、味噌とんちゃん。
とんちゃん。
これとんちゃんというのは、この岡崎とかの名物グルメなんですけれども、単純に言う場合は豚ホルモンです。
これを下味をつけて、それで焼くっていうホルモン焼きがこのとんちゃんですね。
なるほどね。
で、やっぱりね、味噌なんですね。
これ美味しかったですね、マジで。
まあ味噌のホルモン美味いよね。
美味かったっす、マジで。
甘みがちょうど良くてさ、肉の旨味と脂をグーッと引き立てるような形で、たまらなかったっすね。これマジで美味しかったです。
1:09:08
やっぱ味噌カツもそうだけど、肉と相性いいよね。
いいっすね、いいですね。
特にこう焼肉の場合ね、自分で焼けるんです、これ七輪で。だからちょっと焦がしてみたいね、相手に。
ああいいね。
焦がし味噌を自前でちょっとやってみて、そうするとちょっとその焦げた風味がまた癖になるじゃないですか。
そうね。
この辺りも自分で好きなようにカスタマイズできるのがまたいいところでしたね。
ああいいなあ。
これでビールと。
はいはいはい。
で僕実は先々週行った時はね、金曜日の夜にもう小田原から仕事終わってそのまま行ったんですよね。
はいはい。
なので僕は実はね、理科法治さんはその翌日帰る前に行ってるんです、本当はね。
ああなるほど。
ちょっとカスタマイズしてるんですけど、仕事終わりについてビール、ホルモンっていうのでね。
うわあいいね。
頼んなかったですね。
いいね。
僕いっぱいのこっちだったね、本当。
うわあ。
でね、これ味噌味噌って言ったんですけど、塩もあるんですね。
うわあ。
トンちゃん。下味が塩バージョンもあって、これはねすごいやっさりしててね。
うわあ。
いわゆるホルモンの、まああの、お肉の食感楽しみたい方はなおこっちの方が引き立つかもしれないんですけど。
はいはい。
まあやっぱり味噌の方がインパクトはあったかなという気がしましたね。
まあまあそうね。
うんうん。
あとはね、まあもう本当に部位ごとにね、あのホルモンいろいろあるわけなんですけれども、これがうまかったです。
ハッピーポークロースネギ巻き。これもおすすめメニューにあったんですけど。
へえ。
白髪ネギがドカンと送られてきて、これと薄切りの広めの肉をこうくるんで、自分でくるんでそこにちょっと味噌とかをまた塗っちゃって、それで焼く。
はあ。へえ。
でネギがこう一緒に温まった状態でちょっと辛味が消えた状態で食べるのもいいし、お肉だけ先に焼いちゃって、チャキチャキの生のネギと合わせて食べるっていうパターン。
ああ。
これもでどっちもパターンがいろいろあったりね。
ああいいね。
美味しかったですね。
ああ。
うん。
うまそう。
で焼肉っていうと、やっぱ市場の難関は一人でできるのかと。
ああそうか確かに。今回一人旅も想定してるもんね。
はい。これご安心くださいできるんですね。カウンター席がちゃんと用意されてるんです。
へえ。
多くはなかったんだけど、一回の店舗の中に何席か数席カウンター一人焼肉用みたいな感じで用意してくださってて、
でこうちゃんと壁に向いてね。
はいはいはい。
なったのでもう自分の世界集中できるわけですね。周りのカップルとかをこう見ずに。
はいはいはい。
見られるわけですね。実際ね金曜日行ったので僕はまあ観光客でしたけど、
地元の人はやっぱりほとんどで、後からねサラリーマンのおじさんとかがね、やっぱり兄さんに入ってきて一人焼肉みんな一人一人で。
なるほどね。
なんかやっぱ一人焼肉用のスペースにもはやなってましたよそこはね。
へえ。
うん。
へえなんかありがたいね。
うん。いやすごいありがたいです。
うんうんうん。
僕もやっぱり焼肉はね、一人でちょっとテーブルがちょっと寂しいのでややね。
そうね。
うん。なのでそういう時もおすすめだということですね。
へえ。
なのでやっぱりね、味噌とお肉というところでね、ここでしっかり食事をとっていただくのがいいんじゃないかなと思います。
はいはいはい。
もちろんねホルモンだけじゃなくて、普通にいわゆるカルビとかもありますので。
1:12:00
うん。
ホルモンがちょっとなっている人もここは大丈夫だということです。
はいはい。
はい。というのがこのときわさんでした。
そしてね、次が最後の店になるわけなんですけれども。
はい。
ときわさんからね、道路挟んで対面ぐらいなんで、本当に2、3分のところなんですけれども。
おそばさんっていうね、ダイニングバーがあるんですね。OSOバーでおそばなんですね。
おそばってことね。
はい。お日付になりましたかと。おそばです。
なるほど。
はい。
締めのそばってことね。
そういうことです。
ただバーでもあるので、店内見ていただくとですね、すごいシックだね。
ああ。
もういわゆるバーみたいな感じなんですね。
こう黒とね、木材を貴重とした感じの店内ですね。
はい。
これでただね、おそばなんですね。
はいはいはい。
なので、ときばさんでね、ご飯も食べたくなると思いますし、食べても全然いいんですけれども、
ちょっともう一軒行くということを考えて、あえてね、先日は我慢して。
なるほど。
ご飯は我慢して、ここでね、最後の締めにしました。
はいはいはい。
でも本当に言ってる通り、とわりそばが名物のね、おそば。
で、結構そば区もいろいろ変えてるらしいんですけど、僕が行ったときはたまたま越前のそばでね。
やっぱり風味が豊かでしたね。前回やりましたけど越前そばは。
はいはいはい。
というのがありました。で、合わせるのがやはり日本酒です、ここはね。
わーわーわーおそばはそうね。
で、三河のね、さっきホッチ商店さんで飲ませていただいたような日本酒も結構ありましたので、
ホッチさんで飲ませていただいて気に入ったものを、これまた飲んでもいいかもしれませんし、
あのとき飲めなかったなというものを、こっちでいただいてもいいかもしれません。
で、おそばはおそばなんですけれども、それだけじゃなくて、
お刺身とか、そういったね、お野菜の一品物とかね、天ぷらとかももちろん結構ありますので、
和食ダイニング的な要領で、一軒目から行ったとしても問題はないと。
あーなるほどね。
はい。特にね、印象深かったのというと、お通しをね、いただいたんですけど、
お通しがね、ちょっと長めのお皿に3つくらい一口サイズのものがあって、
真ん中に見慣れないものがあって何だろうと思ったら、そば粉を使ったクッキーだったんですよ。
へー。
変になりました、すごく。ちょっとおそばの苦味の風味があるんだけど、
周りはこうカリカリって感じなんだけど、中がもちもちでね、
なんかコンディケーションのおそば版みたいなそんなイメージになってた。
創作料理で非常にこだわってて面白いなと思いました。
ちょっと想像つかないね。
これね、なんとも言えない味。ちょっと他に食べたことがなかったりする。
結構創作系の料理も出されていたところで、
まだでもこれできた新しい、まだ数ヶ月の店だったんですよ。
だから僕も知らないで行った、たまたま見つけて行ったんですけど、すごい大当たりでした。
で、とわりそばなのでね、香りが本当に豊かで、たまなかったですね。
いいねー。
僕この時ね、岡崎行った翌週に長野行ってるんですよ。なので、そばずくしこの2週間ずっとそば食べてましたね。
いやでもいいそばずくしだね。
そういうことです。それでもやっぱ越前そばは長野に負けないくらいね、やっぱり美味しいですよ。越前のそば。
1:15:02
おそばは越前のでしたけど、一品物とかね、そういったお通しのところとかも、やっぱ随所随所に味噌だったり、岡崎のだしだったりって、
岡崎の地産地消にすごいこだわってらっしゃるお店なので、やっぱ調味料がすごい発展してる街なのでね。
それだからこう味の多彩な変化も出せるようになっているのは納得するところですよ。
なるほどね。じゃあもうガッツリホルモン食べて、そばでキュッとしめる。
そういうことです。これがね、岡崎の夜としてね。僕岡崎泊まったの初めてだったので、すごい面白かったですね。また行きたいと思いました本当に。
で、これでですね、10分ほどのところでまたホテルに戻っていただいて、おそらくこれで23時くらいになってるんじゃないかなと思うんで、
このぽっとりやつにしてはちょい早めに1日目を終わりたいと思います。
じゃあ1日目を振り返っていきます。まずスタートはお昼12時頃豊橋駅からスタートです。
そこから名鉄快速特急に乗りまして20分ほど東岡崎駅。ここがまあ繁華街というかね。
そうです。岡崎の一番繁華街ですね。
そこから徒歩5分ほど、どこかお好きなホテルに荷物を一旦預けます。そこから徒歩5分ほど東岡崎駅に戻りまして、そこで自転車を借ります。
自転車で10分ほど岡崎各急八丁村さんですね。ここで八丁味噌を使った味噌煮込みうどんか味噌カツをいただくと。最初から名物をいただくというね。
そこから自転車で3分ほど岡崎公園、家康の生誕の地である岡崎城の後の公園と。今は選手閣も建てると。
その中には資料が入ってたりとか、味噌についての資料もあると。
そこから徒歩3分ほど公園の敷地内ですよね。三河武士の館家康館。ここで家康の通説的な歴史、あとは三河武士に関わる資料などを見ると。
ここで一旦通史的な、通説的な家康について学ぶという感じね。そこから自転車で20分ほど大寿寺ですね。後の徳川になる松平家の母大寺。徳川家の代々の都心台の寮があったりとか。家康に本当にゆかりがあるお寺ですね。
そこから自転車で30分ほど岡崎駅。東岡崎ではなく岡崎駅の周辺で自転車を返却します。そこから徒歩8分ほどホッチ商店核打ち理科ホッチ。本当に種類豊富な核打ちということで、好きなお酒が必ずあるだろうというところで、ここでゼロ字回答。
1:18:06
そこから徒歩8分ほど岡崎駅に戻りまして、そこから名鉄バスに乗って13分ほど東岡崎駅に戻ります。徒歩5分ほどでホテルにチェックインをしまして、そこからだいたい徒歩5分ほど徳川産ですね。
とんちゃん。味噌とんちゃんが名物ということで、ここでガッツリとホルモンとか焼肉をいただくと。そこから徒歩3分ほどおそばですね。おそばを締めにいただくと。その他にも個性的な料理もいただけて、あとは日本酒ということで、ここで締めて徒歩5分ほどホテルに戻りまして、1日目が終了と。
この番組ではお便りを募集しています。番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、普通他など何でも結構です。番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿お願いします。また各プラットフォームのフォロー、レビュー、コメント、それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
そして感想を呟く際はぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると大変励みになります。よろしくお願いします。そしてこの配信されているのは1月の2日で、あと1週間ほどね、ジャパンポッドキャストアワードの一時審査の投票を締め切るとなりますね。1月10日まで。
ここまで聞いていただいた方とか、今まで聞いていただいた方とか、もしいいなと思ってるけどまだ投票してたいみたいな方はぜひぜひ駆け込みで一票を入れていただけると大変嬉しいなと思います。ぜひよろしくお願いいたします。
この1日目はざっくりと家康の出生に関わる感じですかね。
あとやっぱりその松平という家自体がね、裏切られ続けてきてるという事ですね。
ていうのを岡田器場とかを巡りながら外観してくるということで、1つ目の裏切りも出ましたね。
三河合行為、宗教上の理由で裏切られた。
一つどころじゃないけどね。
もう最初っ端から裏切られてる。
すでに2、3個出てるけど、大きな裏切られとしてはその一口一気の裏切りがあったわけですね。
これは覚えつつ、この続き。
そうです。今日まで序章に過ぎないんですよ、裏切られの。
ということで、今回はこの辺で。ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:20:59

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