1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #17【秋田】トトノウアキタPart2
2024-05-27 1:11:05

#17【秋田】トトノウアキタPart2

トトノウアキタ “おちこち”の交代浴2日目

今回のテーマは“ギャップ”そして“コントラスト”。立地条件から“深奥”というイメージが強い秋田県。しかしその歴史を辿れば、先進的な文化や技術をいち早く取り入れてきた“進取”の気風を見て取れます。この伝統は今日の観光スポットにも健在。

古と現在、絵画と実景、そして熱波と冷水……!

秋田で立ち代わり現れるコントラストは、日本人の遠近(おちこち)感に強烈な刺激をもたらします。


※訂正※

高留酒店さんを「たかとめさけてん」と紹介しておりますが、

正しくは「たかとめしゅてん」でした。

大変失礼いたしました。


【目次】

〜 前回の振り返りなど

〜 コク深い醤油が染み渡る“朝ラー” 【末廣ラーメン本舗 秋田駅前分店】

〜 苦難の“連邦国家”の歴史を偲ぶ 【千秋公園】

〜 ★歴オタ話★ 久保田藩“トライ”の必然と足跡

〜 藤田嗣治の遺した超大作を鑑賞 【秋田県立美術館】

〜 横手焼きそば“四天王”の実力を味わう 【ステーキハウス スフィーダ】

〜 希少な“秋田蘭画”を目の当たりに 【秋田県立近代美術館】

〜 ★クイズ★ 鏡餅を上から描いたら……?

〜 ★歴オタ話★ 秋田蘭画の違和感の正体

〜 地酒のプロとの会話を楽しむ提案型酒店 【高留酒店】

〜 1軒貸切の農家民宿 【農家の宿 星雪館】

〜 1日の振り返り


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとリープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。
晴谷です。
はい。
何だっけ?何か言おうとしたの忘れたの。
どういうこと?
どうですか?今年のゴールデンウィークは。
ゴールデンウィークはね、小田原市民にとっては一番小田原がにぎわう期間でして。
なんか祭りやってたね。
そう、昨日まさにね、北条五大祭りっていう、昔小田原を収めていた北条氏っていう戦国大名のことをイメージしたパレードみたいなもので。
結構ね、市川信之助さん、いずれ男獣郎になるだろう、あの方、ボタンさんって昔の恵比蔵さんの息子さんと娘さんだよね。
とかが昨日来てたりとかで。
昨日は30万人くらい来たと。
で、僕も友達と一緒にちょっと見てて。
でももう本当に暑かったから天気も良かったけど、三宅の浜みんな入ってましたね、海。
結構感慨この人も含めて。
そんな感じでした。
なんかインスタとかで見越し出てるのも見たし。
そうなんですよ。
今日と明日はね、小田原の地域のお祭りがあって。
それはそれでね、小田原市民はむしろそっちの方が多分熱狂するというか。
そういう感じなので、5月の3、4、5は小田原はすごいホットなスポットですね。
今回はトトノウが来たおちこちの交代浴、これの2日目ですね。
そうですね。
今回は割とこう、俺らが実際に行った旅行をなぞる感じになるかな。
実際の感想なんかも交えながら話していこうかなと思いますね。
流れの紹介はアリアさんにお任せするとして。
よろしくお願いします。
昨日レディさんから帰ってきて、北駅近くか川端の繁華街の近くかのホテルに宿を取っているという話ですね。
そこから出発するわけですけれども。
仮に朝じゃ8時半くらいにホテルを出るとなったときに、朝ごはんをどこで食べようかと。
一度すすどまりの想定でございます。
そうなったときにですね、今回男4人というところもあってですね。
かなりジャンキーなものになるんですけれども。
1個おすすめしたいのがですね。
ホテルからだいたい10分くらい。
秋田駅からだいたい5分もかかないくらいかな。
のところにある末広ラーメン本舗、秋田駅前分店というところをですね、ご紹介したいと思います。
朝からラーメンっていうね。
03:00
馬鹿みたいな。
男4人だからできる感じはあるけど。
まあ朝からやってらっしゃるんでね。
これあの朝ラーですよねいわゆるね。
そうね。
めちゃくちゃ美味しいんですよね。
うまかったなこれ。
まあ基本的には醤油のスープですよね。
でそこにあれは豚なのかな。
煮た豚をこうね、いっぱい乗ってて。
肉の旨味がねスープにあってすごい美味しかったんですよね。
そうですよね。
あのコクの深さがね、醤油のね。
あれは良かったな。
サイドメニューね、焼き飯有名らしいんだけど、俺ら行った時なかったね。
なかったですね。朝がないのか、ちょっとそのたまたまタイミングが悪かったのか。
あのこの末広ラーメン本舗さんなんですけれども、
もう創業約85年の超老舗ラーメン店が来たお店になるわけですが、
そもそものルーツを言うと、京都にある新福祭館って、
これでラーメン好きな方多分本当に知ってると思うんですけれども、
京都駅の近くにあるもう本当に名店ですね。
ここの味を継承しているラーメン屋さんになるんですよね。
なのであの新福祭館を食べたことがある人は、
あそこに近いという風に思ってもらえると、
すぐこう我々の感じた旨味とかもイメージしていただけるのではないかと。
ただそれにですね、もちろん独自のオリジナリティも加えていらっしゃって、
秋田が本店で、あと東北にもいくつか展開されている。
実は僕たまたまなんですけど、東京にもこちらあるんですよ。
市店みたいなのがあって、そこで食べたことがあって、
それがすごくやっぱり美味しくて、東京で僕最初いただいたんですけど、
秋田にあると知って、以前自分で秋田に行った時もやっぱり行っちゃいましたね。
本店の方にね。
いや美味しかったですね。
さっきね、肉の旨味の話もありましたけど、
僕個人的にここ嬉しいのは、ネギを入れ放題というサービスがあるんですよね。
カウンターの上にネギが、お皿が乗っかってて、
それを自由に取っていいわけですよね。
僕すごくやっぱりネギがシャキシャキのラーメンがすごい好きなので、
あれは個人的にやっぱ嬉しいんですよね。
甘みがね、ネギの甘みが。
美味しいですよね。
今回僕初めて行って知りましたけど、
スウェヒロラーメンさんのこのスウェヒロ、
ヒロというのは昔のヒロ、難しいヒロですかね。
かつて秋田に来た北前船の夜号だったって書いてありましたね。
説明が書いてあったね。
ありましたよね。
そういう地域密着型の要素というのも大切にされてるんだなと。
現に朝から大人気でしたよね。
入れ替わりで店内に入ってくるみたいな感じで。
本当に眠らんというかね、
06:01
すごい朝から夜中までずっとやってらっしゃるんで。
24時間に近いぐらい。
そう思いますね。
朝から食べれる人はぜひ行ってもらいたいね。
そうですよね。
やっぱり秋田に来たからにはというところがありますので、
かなりお勧めのラーメン屋さんで朝ごはんをいただくという感じです。
ここのスープとかがお土産屋さんにめっちゃ置いてあるんだよね。
そうなんです。やっぱり秋田を代表するラーメン屋さんなので。
ここで食べて美味しかったらお土産でスープとかラーメンも多分あったと思うけど。
ありましたかね。
そういうのもお土産だといいんじゃないですかね。
そうですね。
そこから観光に入っていくわけですけれども、
午前中は秋田市内の歴史的なスポットを回っていきたいと思います。
末広ラーメン本舗の秋田駅前分店さんから
徒歩15分ほど行ったところにあるのが千秋公園です。
千秋というのは一日千秋の千秋。
数の単位の1千、2千の千に秋ですね、季節の。
公園です。
ここ今でこそ公園って言ってますけれども、
ここ要はお城の跡です。
久保田城というお城。
1日の僕ずっと秋田藩ってもう言っちゃってましたけれども、
秋田藩って正式には久保田藩って言われてたんですね。
秋田藩というのは後から後々秋田藩に変わるというかそういう風に登録されるんですけれども、
久保田藩というのがなので当時の人はたぶん一般の呼び方だったと思います。
その久保田城というのが千秋公園なんですね。
ここで歴史的なところを深掘りしますと、
この久保田藩、秋田藩ですね。
というのは秋田、今の秋田県をほぼほぼ治めていたすごい大きな大名だったわけですけれども、
かなり特殊な性質を持っていた藩なんですね。
これは日本のいろんなところを見ても。
こちらの大名は昨日もちょっと出てきましたが、
佐竹さんという方が大名でした。
この佐竹さんというのは何者だったかというと、
もともとは鎌倉時代とかから戦国時代の終わりまでは、
ずっと日立の国、つまり今で言う茨城県を治めていた大名。
戦国時代には佐竹義重という名称が出てきてですね、
かなり日立の国を中心に関東の優としてかなりの勢力を張った人物でした。
なので茨城県を中心にすごい巨大勢力を築いていたんですけれども、
関ヶ原の戦いの時に、当時の島主吉信というのが、
石田三成と仲が良かったということがあってですね、
09:01
西軍に就いてしまった。
ただ、そのなんですけれども、
これはかなり深い話なので一旦省略しますが、
西軍に就いたんだけれども、かといって東軍を攻撃するわけでもなく、
ちょっと一種の忠実的な不可思議な動きをしたんです。
要はその時本拠地が水戸に追いかれてましたので、
徳川平安の本拠地である江戸っていうのはすぐに狙えたはずなのに、
それをせず、かといって東軍に味方することもせず、
一応低とした西軍になっているとかっていう感じで、
中途半端なことをやっちゃったんですよ。
その結果、当初はお咎めなしだったわけですが、
関ヶ原の戦いから少しした後に、
突然日立の国を除けと、
秋田に移れという命令を下されてしまいまして、
急遽この秋田へ行かざるを得なくなってしまった。
というのがすべての歴史の始まりだったんですね。
この秋田藩の不思議な歴史に。
それは、要は結局この佐竹がどいた後に、
日立に入ったのは、いわゆる水戸藩。
御三家ですよね。
はっきり言って江戸からすると日立ってすぐ目の前ですから、
そんなところに幕府にとっては不穏分子の佐竹っていうのを置いておくと、
まずいと思う。危険が大きすぎる。
なので東北に飛ばしてしまったわけなんですね。
ところが、秋田県全域で広いわけなんですけれども、
佐竹さんからしたら全く縁のない土地でもありますし、
あと、秋田はこの時いろんなことがあって、
佐竹に対する反発心っていうのが当時すごく強かったようなんですよ。
なので佐竹さんは秋田に入ったはいいものの、
まずその反発している人たちをどう治めていくかっていうのが、
喫緊の課題になっている。
どうしたかっていうと、
この今の秋田市の久保田城っていうのを本拠にしたんですが、
秋田県って今もすごい面積が広いじゃないですか。
それを久保田城だけでは到底治めきれないと判断して、
自分の佐竹一門の親戚を県内各所に城を設けさせて、
連邦国家みたいなものを作っていくんです。
つまり久保田城だけじゃなくて、
例えば角野建とか横手とか大建っていう要所要所に、
一族の市場みたいなものを作って、
そこを一回彼らにも間接的に治めさせちゃうみたいなことをやるんですよ。
それによって何とかどうにかこうにか秋田の市を治めていく支配体制を確立したんですが、
その反面要は親戚でみんなで頑張ろうみたいな感じなので、
いろんな巨大な連邦国家だからこその、
身動きの取りづらさみたいなのも同時に起こってきたのが、
いろんな問題の始まりだった。
12:00
メリットでメリットがあるわけね。
もちろんメリットも大きいんですけどね。
強固な支配体制が築けるという意味ではね。
ただお殿様の権力が他と比べて特段強いわけでは実はなかった。
本家っていうだけで。
かつ、この久保田藩の宿命だったのが、
最初に稲妻うどんの話を先日しましたけれども、
当時はまだお米も品種改良とかが進んでいませんでしたから、
寒さにやっぱり弱いんですよ。
今でこそ秋田小町とかってすごい有名ですけど、
当時はお米を取るのがなかなか大変だったわけですよね。
この久保田藩の寮内というのは。
なので、相次ぐ基金。
食糧不足に常に怯えていた。
広いのに、しかも面積は。
面積は広いのにそれを活かせない。
まあしょうがない部分だけどね。
そうなんですよ。
どうしてもやむを得ない部分ではあるんですけれども、
そういった食糧危機が何度も何度も実際に起きてしまって、
実際に本当にひどい時には、
大量の飢え死にしてしまう方が寮内に溢れていたというぐらいの、
過酷な環境に置かれていた。
だからこそ逆に稲妻うどんが、
やっぱり開発したら殿様も嬉しかったんでしょうし、
保存食としてこれはすごいと。
というような環境に置かれていて、
常にお米が自分のところでもし取れないのであれば、
どっかから買ってこなきゃいけないとか、
そもそも産金交代、江戸に行くのも大変だしみたいので、
常に財政なんでもあった。
というかなり苦しい状況にずっと置かれていた。
それをどうにかしなきゃいけないっていうのはみんなわかってるから、
江戸時代の中期頃から何度も何度もね、
いろんなことにトライするんですよ。
この苦境を打開するために。
たとえばこの寮内には山が多いので、
その中にしかもね、どうも鉱山がある。
金脈、銀脈があるんじゃないかっていう噂があって、
それを掘り当てて、
要は金銀を自分の寮内から散出すれば、
めっちゃ経済がもうすべて一気にうまくいくようになるだろう。
革新金だね。
そうそうそう。
そういう鉱山開発に力を入れたりとか、
ところがそれがあまりうまくいかなかったりとかして、
じゃあ今度自分でお金、自分の寮内におけるお金を作って、
あった範の中でちゃんとうまく経済回そうってしたんだけど、
それもちょっといろいろゴタゴタがあってうまくいかなかったり。
そこに親戚が強い、分家が強いっていうことで、
OES王道が絡んできたりとかっていうことで、
うまくいかないね。
うまくいかないんですよ、なかなか。
っていうところで、
そういったいろいろ言っちゃいましたけれども、
非常に両国としては巨大な勢力だったんですが、
なかなか苦しい政治をずっと展開していた。
そうなの。
ただ実は後で言っていくんですが、
こういった苦しい状況だったからこそ、
みんな危機感もやっぱりずっと抱いていて、
15:01
何かにトライしなきゃいけない、
どうにかしなきゃいけないっていうことをずっと常にみんな思っていたことが、
後々ちょっとこの秋田藩における文化に特殊なものが生まれてくるっていう、
一つの要因になっていくんですね。
ちょっと長引かせましたけれども、
この久保田城は今ですね、
もう公園になってはいますが、
一部に矢倉だったり門とかが復元されていたりして、
お城の佇まいとかもちょっと見て取ることができます。
あとは園内に佐竹資料館っていう、
久保田藩の歴史をですね、
あとは佐竹の歴史を学べる博物館があるんですけれども、
ちょっとね、これ僕調べて今知ったんですが、
今ちょうどリニューアル工事中で、
ちょっと休館だそうで、
僕リニューアル前に行ったんですけれども、
その時はすごく良かったんです。
今度リニューアル間もなく終わるのかな、
ちょっと分からないんですが、
よりパワーアップされるんじゃないかと思うので、
歴史好きの方はぜひリニューアル終わったらですね、
この佐竹資料館に行っていただけると、
今言ったような久保田藩っていうのの、
かなり特殊な歴史と環境がより実感できると思います。
なるほどね。
公園として散歩するだけでもいいし、
資料館巡るも良いし。
広いですからね。
さすがに佐竹の本拠だって、
すごい巨大な城です。
ここ行ってないけど、
美術館の向かいのところのホールとかもあったよね。
そうです。芸術劇場だったかな。
とか今は置かれてますよね。
結構広そうな公園だったから、
あそこ散歩するだけでも全然気持ちよさそうな感じだね。
そういうことですね。
そういったところで先週公園散歩なり、
歴史を学んでいただいた後にですね、
次の目的地になりますが、
今ちょうど美術館の前だよねって話ありましたけれども、
まさにその美術館ですね。
秋田県立美術館というところをご紹介したいと思います。
昨日のは何美術館だったっけ?
昨日?秋田県立博物館。
なるほど。1日目のは秋田県立博物館ね。
そう。
こっちは美術館ね。
そうなんですよ。
名前が似てるね。
そう。秋田県立博物館ね。
実際我々も行きましたけれども、
美術館なの?
あ、俺間違えた。
美術館ね。秋田県立美術館。
行きましたけれども、
一番の見どころとしては、
常設展の中にあるですね、
藤田嗣晴さんの秋田の行事っていう大作でしたよね。
あれは美術館の展示室に入ってすぐのところにね、
バーンとあって、
あれが何メーターだったかな?
あれがですね、
横幅が20メートル。
18:01
縦が3メーター65。
ほんと壁一面だったね。
そう。
もうあの絵を入れるための展示室だよね、もはやね。
そうだね。
あれはやっぱ迫力がすごくて、
色鮮やかでもあったし、
すごくインパクトのある作品だったね、あれは。
その規模に圧倒されてしまいますけど、
最後をちゃんと見ていくと、
秋田の行事っていう作品名に表れている通り、
主に秋田市の四季折々のお祭りみたいなものがね、
描かれているわけですよね。
わかりやすいのでいうと、やっぱ関東とかね。
そういうことですね。
藤田嗣晴さんというと、
結構美術とか好きな方はご存知かなと思うんですけれども、
近代日本の主に大正昭和に活躍された画家で、
日本でね、もちろん日本人なんですけれども、
パリですごい評価を得たっていう日本人画家。
なかなか世界的な活躍をしたということで、
パリの方でむしろすごく有名だったような方になりますけれども、
東京のご出身で別に秋田には一見何の関係もないように、
見えるのになぜあの絵が秋田県立美術館に置かれているのかということなんですけれども、
これもね、すごくハートフルなストーリーがあるわけですが、
この秋田県立美術館というのは、
もともと平野正吉コレクションというものを前身にしているんです。
この平野正吉さん、平野は平野の野原に、
政治の精に吉祥の吉ですね。
平野正吉さんという方なんですけれども、
この方は秋田市の商人で実力家ですごいお金持ちだった方なんですね。
この方は本当にもう生涯にわたって、
いろんな小美術みたいのを集めるコレクターでもあったんですけれども、
ある時その昭和の初めに、
藤田嗣晴が一時的に東京に帰ってきていたとき、
パリからですね。
展覧会で出会って、
この藤田さんというのはすごいというふうに一目惚れをしてしまって、
以来この平野さんが藤田嗣晴のある意味パトロンというような形で支援をしていく。
特にその作品の支援をするだけではなくて、
藤田嗣晴さんは奥様がフランスの方だったわけなんですけれども、
その方が東京で亡くなってしまうんですよね。
奥様がね。
マドレーヌさんという方でした。
それがマドレーヌさんが亡くなった時に、
この平野正吉さんが葬儀の費用とかを全部出してあげたとか、
そういう生活においてもすごいかけがえのない存在になっていくわけですね。
藤田嗣晴としてもやっぱりこの平野さんの恩というのはやっぱり感じていましたし、
21:05
彼の熱情というのももちろん理解していましたから、
平野さんに自分の作品を寄贈して、
その藤田嗣晴さんの美術館を秋田に建てようという構想を2人で抱くんですよ。
平野さんのお金と藤田嗣晴の作品でもって。
それがですね、その美術館を建てようという計画をして、
その看板作品にしようぜって言ったのが秋田の行事だった。
そのために藤田嗣晴は実際に秋田に来て取材をして、
平野さんの家の蔵で対策を2週間ぐらいで書き上げたっていうふうに説明。
ちょっと信じらんないですけどね、20mのあれをね。
実際にただ描いたということになっています。
ところがですね、時代がその時ちょうど日中戦争が始まるくらいの時期なので、
ちょっともう戦争が激しくなってきて、
美術館を作るところがもうなくなってしまった。
せっかく秋田の行事書き上げたんですけれども、
それを披露する場が建てられなくなっちゃったわけですよ、戦争の劇化によって。
というわけで、もうかれこれ30年くらいあの作品は眠っていたわけなんですけれども、
戦争が終わって、藤田嗣晴はパリで最後活動していくわけですけれども、
平野正吉さんはやっぱり藤田とのその約束というのを常にずっと覚えていて意識をしていて、
ずっと気になっちゃったみたいなんですよね。
それだけの作品を自分の家に眠らせておくっていう。
戦後20年余り経った1967年になって、
ようやくですね、もうその念願の平野正吉美術館ということで、
その秋田の行事を、あと藤田嗣晴さんの作品を主にする美術館を建てた。
これがその秋田県立美術館の前身になるわけですね。
結局今は秋田の県立の美術館に移行しましたけれども、
やっぱりこういったルーツがありますから、秋田の行事というのは特別室を設けられて、
常に誰でも見られるようになっているというのが我々が接したというものになるわけです。
なるほどね。
確かに各作品の横に説明書きがあったけど、
平野さんとその芸術家の方とのやりとりみたいなのが、
なんかパーソナリティみたいなのが見えてね。
そうですね。
そういう解説読むのも楽しかったですね。
そうですね。
なのでやっぱり名作の陰に、こういった支援者というかの陰というのは絶対あるわけですけれども、
まさにこれ藤田嗣晴と平野正吉2人が成した、この秋田県立美術館だったというわけで、
僕はなんかね、この秋田の行事を見た時に、
やっぱりこの、ちょっとねどことなくその前日の菅山住のイラストともちょっと思い起こすわけなんですよね。
24:00
要はあれも秋田の営みを彼は江戸時代ずっとスパイ行為と勘違いされながら、
他のところにも秋田では認められてましたけど、描いていたわけであって、それで生ハゲも記録されたわけなんですけれども、
なんかやっぱりそういったところもね、
アーティストの影とともに絶対そういった理解者支援者っていうのがいて、やっぱり芸術が後世に残っていくっていうのは、
秋田においてはそれがすごくよく実証されてる気がします。
菅山住には秋田藩っていうバックがあったので、藤田さんには平野さんがいたわけで。
そんな感じがしたします。
確かに支援者ってあんまり影が見えないというか、知られてない部分多い気がする。
確かにそう言われると、ここはわりと強く感じる平野さんの存在を感じられる展示になってたような気がする。
そうですね。
常設展ではそういった秋田の行場に代表される藤田嗣晴さんの作品が多いですけれども、期間ごとに企画展もやっていらっしゃいまして、
ちょうど我々が行った時には日本で描かれた洋画の展覧会だったわけですが、
ちょうどその日、秋田の港にクルーズ船が来た日だったんですよね。
それで外国のお客様がすごい多かったんですよね。
たぶん乗ってた人だと思うんだけど、ぐわっと地でね。
大体ヨーロッパ系のフランスの方とかも、それこそ藤田嗣晴見てましたけれども。
それもやっぱり秋田にクルーズ船って来るんだって、たぶんその時気づかれる方もいるんじゃないかと思うんですけど、
さっきのスイヒロラーメンが北前船から通っていたのと同じで、
やっぱり秋田って、昔はやっぱり海の日本海航路のすごい巨大な要所ですから、
常に文化とかこういったものが、先進的なものがどんどん入ってくる土地だった。
今の東京からのアクセスってだけじゃないわけですよね。
回路としては割と玄関的な役割もあった。
そんなことも我々偶然その日に当たっていましたので、びっくりしたところはありました。
あとはこの美術館自体が安藤忠夫さんという方の設計になっているので、
これも世界的な建築家の方ですけれども、そういった建築好きの方にもおそらく見応えがあるんじゃないかと思います。
なんかこう割と近代的なね、多分三角をモチーフにしている建物で、
このロゴも三角になっているけど。
三角っていうのに徹底しましたよね。
床も天井も割と三角になっていて。
あと印象的だったのは、展示スペースの入る前に、喫茶スペースみたいなのがあって、
あそこがさっき言った千秋公園が見えるようになっていて、
27:01
席があって、その前にガラスの窓があって、そこに水が張られていて、
その向こうに公園が見えるっていう作りになっていて、
あそこは確かに気持ちよさそうだなと思って。
ちょうど内田も立ち寄りたいって言ってたんだけれども、
クルーズの皆さんがいらっしゃって、席が埋まっちゃったんですよ。
ちょっと諦めたんだけど。
長くいられますよね、この美術館かなりね。
なんか居心地いいというか、割と気持ちいい感じだったね。
ぜひ秋田市内の観光としては一大ヒポットだと思います。
秋田県立美術館でした。
一旦秋田市はこれで終わりにして、
その後ちょっと別の南の方に行ってみたいと思います。
秋田県というのは県庁所在地が秋田市になるわけですけれども、
第二の都市としては南には横手市という市があります。
ちょっとこの横手に行きたいと思いますが、
横手といえばというところで、
うちはもう食べたので知っているんですけれども、
横手焼きそばというものがありますね。
これもいろいろ諸説ありとはいえ、
日本の三大焼きそばの一つと言われていますけれども。
前行った藤宮のところの藤宮焼きそばと、春ぐらいの有名な焼きそばだよね。
これはやっぱり秋田に行かなくても知っている方多いんじゃないかなと思いますよね。
横手焼きそばの一つ食べれるスポットとしてご紹介するのが、
ステーキハウススフィーダさんになります。
いい雰囲気だったね。
ステーキハウスということでログハウスみたいなね。
そうでしたね。
丸太が組まれたような建物になってて、いい雰囲気でしたね。
ロードサイドの田んぼの中にログハウスが登場するみたいな感じなので、
ツーリングの方が多かったですね。
バイカーの人がめちゃめちゃいてね。
あれは気持ちいいだろうね。
こちら焼きそばと言いつつステーキハウスということなんですけれども、
横手焼きそばっていろいろ定義はあるんですけれども、
横手市内の製麺所ですね。
登録されている製麺所でお麺にした、結構太くてね。
硬めの食感だったと思うんですけど、それがやっぱり特徴になる。
割ともっちりした麺な感じだったね。
あとお肉とお野菜とという感じで、
藤宮焼きそばが割と和風のね、魚介とかだったのに対して、
こっちはお肉なイメージですかね。
そうだね。俺らが頼んだのも牛ひき肉焼きそば。
そうなんですよ。
ここのステーキハウススフィーダさんの特徴としては、
このミンチを使うっていう焼きそばなんだけれども、
30:01
これが結構新しい感じでしたよね。
ミンチだけど割とゴロゴロしてて、具材としてあるっていう感じだったね。
ミートソースとまでは言わないけれども、
麺にミンチの細かなものがうまく絡まってね。
かつ甘辛いソースとミンチの肉の旨味で、
どんどん麺で絡めとっていくような感じだった。
やっぱりステーキハウスさんだけなことだけあって、
そのまま鉄板で焼きそばが持ってこられて、
なので我々が食べている間にもちょっとうまく焦げ目とかがね、
麺について食感がカリカリになっていたりとかもするので、
かなり特徴的ではあるんですけれども、
横手市では毎年なのかなおそらく、
焼きそばのコンテストみたいなものでしての、
なんていうのね、言われますけれども、
このステーキハウスフィーダさんもたびたびそれに選ばれているくらいの、
ステーキハウスなんだけど焼きそばのすごい実力点でもある。
おいしかったなあ。
おいしかったですよね。
これさ、朝飯でラーメン食って、昼焼きそば食って、
なんかバグみたいな食事してる。
応援暴食絵に描いたようだと言われてる。
これついてこれる人いるのかどうかわかんないけど。
そうね。
しかも酒飲んでるしね。
そうだね。
朝は飲まなかったですけどさすがに。
これ男4人で行ったんでね、
それぞれ焼きそば食べて、
あとはステーキ一皿、カットステーキをね、
みんなで分けたりなんかして、
おいしかったですねステーキも。
そうですよね。
まあやっぱさすがステーキハウスですね。
そもそもね。
お肉のやっぱりそのミンチの焼きそばの方とはまた違うね。
ちゃんとした固まりになったお肉のね、
旨味っていうのは同時に味わえたの良かったですよね。
良かったですね。
あとサラダとスープもね、
食べ放題というところで、
野菜不足のちょっとこう、
罪悪感が少し消えるような。
そうだね。
世間体サラダを食べて。
ビールも飲んでたけれど。
まあそういった感じでした。
なのでまあ、
横手焼きそば自体はね、
横手市内にたくさんありますけれども、
このステーキハウスフィーダさん以降、
おすすめになってるかなという感じです。
どうもおいしかったんで、
ぜひ行ってみてください。
はい。
で、
それで腹ごしらえをした後の話になりますが、
横手の市内に入っていきまして、
目的地が今度はですね、
秋田県立近代美術館。
3階は秋田県立美術館。
こっちは近代美術館。
というところになっています。
で、
こちらの見どころなんですけれども、
またちょっとこれも歴史のかなり深掘りの話になるんですが、
秋田欄画というものを知っていますか?
とかまあ知っちゃったような。
これはまあ、
行った時に春谷から軽く説明を受けてるけど、
33:03
欄画、
欄画って文字わかる?
植物?
そうですね。
モーリー欄の欄ですね。
モーリー欄の欄。
欄画っていうのはまあ元々言ったら、
オランダ由来の洋画っていう感じですね。
そうなんですよ。
つまり、
まあそれを直訳すると、
秋田のオランダ画っていう不思議な意味なんですよね。
秋田欄画っていうのはですね、
まあこれ非常にコアなテーマなんですけれども、
実は日本のその歴史においてとても大事なものになっていまして、
まあ大学受験で日本史を選んだ方は多分知ってるんじゃないかなと。
そうなんだね。
俺が行くまで知らなかったのは。
個人的な話をすると、
僕やっぱり歴史オタクなので、
資料集とかもちろん見るの好きだったんですけど、
大体こう文化史のページとかって世界史とかもあるじゃないですか。
で、あれって大体絵の図版とか絵巻物とかがよく載っているわけなんですけれども、
ある時ですね、このページをめくった時に、
本当になんか不思議な絵が1個だけあるなって思って、
何これ。
他はやっぱりいわゆる和風のね、
日本画とか、
カノン派の誰が描いただとか丸山大人とかって、
いわゆる日本の絵っていう感じだったのに、
日本の絵って大体金屏風に描かれていたりしたり、
結構こう明るい豪華な感じの中に、
繊細な筆使いがあったりとかっていうのが、
いわゆる日本画の資料集に載ってくるようなものだと思うんですけれども。
急に曇り空のなんか暗い感じの、
不思議な絵が1個だけ突然出現したっていうので、
すごいね、なんだろうこれってやっぱり、
違和感を正直覚えたっていうのがそもそもの出発でしたね。
秋田蘭花というのは、
江戸時代の後期にこの秋田藩、久保田藩ですね。
秋田の中に出現した洋画というかね、
和洋摂中の唯一無理の画法だったのが秋田蘭花なんですよ。
なんでこんなものが、
なぜ秋田に生まれたのかっていう不思議な話なんですけれども、
これさっき千秋公園のお話をしたときに、
秋田藩、久保田藩というのが非常に難しい統治をしていて、
鉱山開発になんとかでどうにか乗り切ろうとしたって話があったと思う。
実際ですね、やっぱりそのチャレンジとして、
外部コンサルみたいなのを招くわけなんですよ。
なかなかうまくいかないから、
西洋の技術を持ってしたらうまくいくんじゃないかっていう考えて、
平賀玄内っていう人物、
これはこれですごい有名な人ですけれども、
平賀玄内という浪人ではあるんですが、
どうもすごい西洋技術とか知識に詳しいらしい。
36:00
ちょっと呼んでみて、うちの鉱山を見てもらおうじゃないかということで、
この平賀玄内、1階の浪人すぎないんですけれども、
その鉱山の外部コンサルとして呼ぶんですね、藩が。
それだけ全部詰まってたって正直なところだと思うんですけれども。
玄内はそういうわけで秋田に来るわけですが、
その途中に秋田の文献の一つが収めていた、
角野伊達というところに寄ったと。
その時にとある絵を見て、
なかなかこれすごい上手い絵だなって玄内が言って、
ちょっとこの作者と会ってみたいなと言ったら、
まだ20代そこそこの若者が出てきてびっくりしたと。
その若者に対して、
これは面白い見どころのある子だなって思ったみたいで、
玄内も40いくつですけれども。
その時にちょっとこれ初めての試みなんですが、
じゃあ俺が玄内だとして、これ伝説ですよ。
あくまで伝説で言われていることを再現すると、
じゃあうちらがその画家だとしましょう。
君、絵の見どころはあるねって。
ちょっとさ、クイズ出していいかな。
お正月で鏡餅って食べるでしょ。
鏡餅をさ、上から見た図っていうのを、
真上からだよ。真上から見た図っていうのを、
そこのホワイトボードに書いてみ。
書けましょうか。
完成。
こんな感じですよね。
これちょっと皆さんにお見せする方法があるのかわからないんですけれども、
後で写真撮っておかしいよ。
これでまさにこう描いたんですよ、その画家も。
ところが玄内はこういうわけですね。
これだったらさ、確かに餅と言われれば餅に見えるかもしれないけど、
醤油皿とかが乗ってるだけかもしれなくない?
あとはなんか射的の的みたいに見えない?
平面に見えちゃいませんかって言ったんですよ。
ああ、そういうことか。
そこで玄内はこうだと確かに、みんな確かになると思うわけですよ。
確かにこれ射的の的という、
今これ内田の絵を言ってるんだよ。
内田の絵は射的の的みたいに見えるわけですよね。
見ようによってはね。
上から描いてるから、平面に見えちゃう。
一応口で説明しておくと、
たぶんね、みんな想像つくと思うんだけど、
丸をこう三重に描いて、
真ん中に台々のヘタを描いて、
その周りを置いてある木の台のやつを描いてるだけなんですよ。
丸を何重にも重ねたわけだよね、単純にね。
だからここに足りないのは、
餅として見たときに足りないのは立体感なんですよ。
まあ、そりゃそうだわ。
じゃあ今ね、我々はもう今の一応絵画の技法を知っているのでできるわけですけれども、
どうやったら立体感を出せるかっていったときに、
影をつけるわけですよね。
俺は専門時代にデッサンとかやりましたから。
39:03
たぶん絶対そのデッサンの影のつき方って習ったと思うんです。
人の表情とかも立体感出すとか。
それは実は西洋の画法だったわけですよね。
確かにムキヨイは版画だからあれだけど、
日本画ってあんまり陰影とかはあんまり綺麗につけてない感じがあるよね。
そうですよね。寝巻物とか肖像画とか見てもね。
これが卵画だったんですね。
なるほどね。
つまり日中玄大は彼は別に画家ではないんですけれども、
西洋の本でもってこのいわゆる立体感を出す工夫というのを体得していた。
それを見どころのあるお餅の絵で平面で描いちゃった秋田の絵師に教えたんです。
伝説なんですけれども。
これこそが日本の美術史における運命の一日だったわけなんですけれども、
この教わった画家の名前が織田の直竹という人で、
これが当時角の盾にいた秋田藩の親戚の家の家来だった人なんですけれども、
角の盾を収めていた文家の人物だったわけです。
もともと絵の素養があるって玄大が見込んだ通りで、めちゃくちゃそもそも絵が上手かった。
さらにこのプロの画家レベルのものに初めてこの西洋の画法というのを体得してしまった。
その若い地から。
以降ですね、玄大、彼は秋田で鉱山を視察した後に江戸へ帰るわけですけれども、
織田の直竹もやがて江戸へ登って、その秋田藩の藩主として玄大と接触して、
その西洋の画法というのをどんどん学んでいくんですね。
そしてこの織田の直竹っていうのは何で歴史上に名を残したかっていうことで言うと、
この人はですね、玄大に接したことであって、
当時出版が計画されていた解体新書っていう医学書、
これは多分知っていると思うんですけど。
これはわかるよ。
そうだよね。
織田玄白という人がね、前野良拓という人が描いたという、
人体を解剖して精密に表現した。
図版みたいなことだよね。
そうそう。
あの図を描いたのがこの人なんですよ。
なるほど。
思えばね、この美術館の中にも展示されてましたよ。
そうですよね。
やっぱり西洋の学術書、あれはターヘルアナトミアっていう外国の本ですから、
あれの図版をちゃんと正確に描くっていうのはやっぱり、
西洋の画法を求められるわけです。
そうか。
それはやっぱり織田の直竹にしかできないんじゃないかということで、
玄大が推薦したらしい。
なるほど。
これが織田の直竹という人物だったんですね。
直竹は解体新書で名を挙げたわけですけれども、
独自に自分が研鑽を積んだ西洋画法と、
当時そもそも絵の素養があった、日本の絵の素養があったわけですからね。
42:02
それを合わせた不思議な絵、要は和洋説中の独創的な絵を描いていくんですよね。
これが秋田蘭画なんですよ。
織田の直竹は一階の藩主でしたけれども、
この時の窪田藩主、札竹の殿様ですね。
札竹義厚という人物だったんですが、
この人も洋画が大好きだったんですよ。
西洋の知識をすごい生かそうとしていた精神的な大名で。
なので自分の家臣にそういったのを描けるっていうので、
すごい取り立てるわけです。
自分自身もお殿様なんだけども、直竹から絵を習って、
札竹さんの絵も残ってるんです。
これも秋田蘭画の画家なんですよ、この人。
だいぶ入れ込んでたんだね。
さらに織田の直竹は角野伊達の文家の家臣なんですけれども、
その角野伊達の殿様、札竹の文家の殿様ね。
さっきは連邦公家のうちの人です。
その殿様も影響を受けて、自分で蘭画をやり始めちゃうんです。
だから秋田藩はこの時、藩主も親戚もその部下も、
みんな和洋説中の違和感、不思議な絵を描いていく。
それが秋田蘭画として一派を成していく。
秋田蘭画の何が新しかったかって、
結局そういった、さっきの玄内のお餅の話がそうですけれども、
要は影を用いることによって、日本画の世界に奥行きってものをもたらした。
これが秋田蘭画なんです。
実際に我々、この秋田県立近代美術館というのは、
秋田蘭画の名作を多く所蔵していて、
『忍ばずの生け津』という織田の直竹の代表作で重要文化財になってますけれども、
あれ見ましたよね。
ありましたね。
どうでした?
いやー、確かにちょっと春矢が言ってたような、
ちょっと怪しさみたいなものはあったけども、
確かにこの蘭画的なね、
このなんか精緻な感じというか、
細かさとあとなんか彩色も割と印象的だった気がして、
まあ、いわゆる日本画にはなかったような、
こう鮮やかさがありつつ、
背景とかは日本画の淡い感じのやつで、
まあ、よく見ると背景のところの建物とか、
確かにパースがね、こうきっちりなってる。
遠近法ですよね、いわゆるね。
あってね。
その言われ、さっき言ってた西洋画から来てる、
その写実的な部分、技術っていうのを取り入れてるんだなっていうのは、
よくわかった感じですね。
実際もう見てもらう、
Googleですぐ調べて出てくるんですけれども、
忍ばずの池っていう東京の上野のね、
今もある池ですけれども、
45:00
その池の景色をちょっとなんかね、
曇った怪しげなドン点を描いていて、
そうですね。
なおさら奇妙なのが、
その右のね、ほうに、
これ釈薬の花らしいんですけれども、
花瓶がね、置かれていて、
そこに二輪の美しい、
内田がすごい精緻な画って言いましたけれども、
お花がなんか謎に置かれてるんですよね。
確かにね、シチュエーションとしては謎かも。
なんかちょっとシュールな、
奇妙な絵なんですよね、非常にね。
その花の綺麗さがすごい際立ってんだけど、
その後ろには不思議な、
ちょっとねゴーストタウンって言っちゃあれですけれども、
遠近法のぼんやりとしたドン点があるっていう、
なんか綺麗なものと怪しいものとかね、
なぜこの不思議な一枚の絵に収まったんだろうっていう、
ちょっとよくね、
これが僕その修行集で見た、
有田蘭が初めて見たものだったので、
非常な違和感をこれで覚えたんです。
なので結論を言うとやっぱりその、
この不安定さというのもやっぱりその、
日本の画法から西洋の画法が流入したその、
すごく短期間の間の微妙な過渡期にあったから、
多分この絵っていうのが生まれた。
だからどちらにも属さない違和感を覚える、
不思議な絵だったのがこの有田蘭画なんです。
余談ですけど、
これ花瓶のところをよく見ていただくと、
これ忍ばずの池を横から眺めてる視点になってるんですけど、
ここにさ、
この花瓶の縁の中に土が見えてるのわかりますかね。
見えてますね。
これがさっきのあれなんですよ。
鏡餅のやつね。
鏡餅の話にもつながってくるような、
要はこの立体感みたいな。
現実にはありえない視点なんだけれども、
要は横から花瓶を見てるから中の土って見えないはずなんだけど、
これが見えてるように描かれている。
とかってやっぱりこの視点のいくつかの使い方っていうのは、
西洋の画法もすでにこの時に直立が台徳しつつあった。
なるほど。
あれが日本画的な中に描かれてるから不思議なんですね。
そうなんだよね。背景はやっぱり日本画の雰囲気がすごいあるんだよね。
この背景見ててジブリを思い出したんだよね。
色使いはわりと日本的な淡い感じなんだけど、
しっかりパースが縦横しっかりバシッと決まってて、
ジブリもわりとそんな雰囲気を感じるんですよ。
だからここからまた日本の絵の歴史が繋がっていってるのかな、
なんて勝手に思ったりして。
でもあると思いますね。
実際にやっぱりこの女の名男の死後も秋田蘭画、秋田藩ではほとんどなくなっちゃうんですけど、
江戸においてやっぱりこの絵の影響を受けた人物っていうのはどんどん出てきて、
48:04
それが日本の明治の初期の画家にもかなり影響を与えているということなので、
それが繋がっていくという意味では現代にももちろんあるんじゃないかと思います。
確かにここ秋田蘭画が発祥じゃなくとも、
もともとあった日本画の文化に西洋の遠近法とか影とか、
そういう要素が入ってきて成長していくんだろうから、
同じような経路をたどっていくんだろうね。
ある意味アニメーションだから近いのかもしれない。
秋田蘭画というのもちょっと性格として。
そうだね。
確かに他の展示の絵でも、
まあ割と多分比べたら最近の絵なんだろうけど、
結構イラスト的な絵が割とかかってあったね。
そうそう、ありましたよね。
そうなんですね。
これとこれ。
そうですね、まさにね。
印象的でしたね、非常に。
雑然とした荒廃した世界を描いた絵があったんですけど、
草原にっていう絵なのかな?
そうだろうね。
草冠の青いというものに、
公園の園で草冠に。
斉藤寅彦さん、秋田のご出身の画家の方ですね。
これとか割と印象的でしたね。
この秋田蘭画の系譜がどこまでっていうのはあれだけれども、
やっぱりこの日本人が持っていた絵画の中の奥行きというのを狂わせた。
初めて狂わせたのがこの秋田蘭画だったわけです。
確かに奥行きというか、この空間の広がりを感じるよね。
それがこの秋田という日本の一地域において生まれて、
そして実はこの小太郎直竹というのは、
わずか30そこそこで亡くなってしまうんですけれども、
この市も実は謎に包まれていて、今でもわからないんですね。
休止したということしかもわからないんですけれども、
各部の方で最後休止したと。
ただいろんな説がある中には、
例のOES合同に巻き込まれたという話があったり、
やっぱり格の立ての文家と別の文家が対立していたりとか、
ということが秋田版は続いているので。
あとはこの師匠の平賀玄内というのは酒癖が悪すぎて、
玄内は最後酒に酔って間違って人を殺しちゃうんですよ。
それで牢屋に入れられて死んじゃうんですよ。
その牢屋に入れられた事件っていうのの直後に直竹が死んでるんです。
だから秋田版として玄内との関わりを消そうとしたんじゃないかっていう説もある。
だから病気で死んだ自然死だったのか、
それか何かしらのそういった陰謀というかに巻き込まれた、
殺されたのか自害したのかわからないんですけれども、
いずれにせよ直竹は急な謎の死を遂げて、秋田蘭川は消えていってしまう。
秋田蘭川ってたった10年くらいなんですよ。
この世の中に日本の歴史が現れたのは。
51:01
さたけ、義圧も割と若くして、おとばさも亡くなってしまうので、
結局のところ秋田蘭川は、だからこそ秋田蘭川のままで終わったんですよね。
他の人にはその一部を受け継がれたんですけど、
という不思議な運命を持った絵だったんですね。
その長生きしてた世界も見てみたかったけどね。
もしかしたら秋田蘭川どころか、
当たり前の日本画の新しい画法になっていた可能性もあったと思うけどね。
残念ながら歴史上そうはならなかった。
なので作例も非常に貴重なんですよ。
この秋田県立近代美術館では、
この忍ばずの池津っていうのがもちろん有名なんですけれども、
他にも秋田蘭川の数少ない作例を所蔵しているので、
期間によって忍ばずの池なのか別の作品なのかっていうのは、
ちょっと展示外みたいなのがあるようですけれども、
いずれにせよこの秋田ゆかりの作品、
秋田蘭川に関わらず、秋田県ゆかりの多くの画家の作品をここに所蔵していて、
という美術館になっています。
この横で実際我々も近代美術館に行きましたけど、
施設がそもそも美術館だけじゃなくて、
ここ秋田ふるさと村っていう広大な公園みたいな中にあったよね。
家族連れがいっぱいいて、
多分地元の方なんだろうけど、すごい盛り上がってたね。
アミューズメントパークというか。
お土産とかもここで買えばよかったなと後から思ったんですよね。
めちゃめちゃ建物の1階の部分が売店みたいな感じになっててね。
お土産とか、日本酒もちょろっと置いてたりとか、
ちょっとフードコート的なのがあったりとか、
もう本当何でもあるって感じだったね。
なので美術館よりがてらそういったお土産なり、
他のものなりも楽しめるというのが、
この秋田県立近代美術館になりました。
名前ね。
そう。
ちょっとじゃあ夕方に差し掛かってきたのでですね、
別のところに移動するわけですけれども、
次にご紹介するのが同じく横手市内。
美術館から車で7分ほどの高止酒店さんです。
ここねー。
ここちょっとすごかったですよね。
めっちゃ印象深いここ。
概要だけ説明をすると、
いわゆる酒屋さんですね、地元のね。
特に秋田の地酒というのをすごい数でしたよね。
すごい。もう本当壁一面の冷蔵庫に。
もう一個建ての大きな酒屋さんでしたけど、
それでもびっしり壁一面の秋田の地酒という酒屋さんで、
実は我々がね、この日の夜ちょっとお酒を持ち込まなければいけない宿だったので、
あらかじめお酒を買っておこうという趣旨で立ち寄ったという。
そうだね。
どうでしたか?
やっぱね、あの囚人の方がめちゃめちゃ印象的で、
54:02
多分もうお酒作ってる人とものすごくやり取りをされて、
その作り手の思い、意思っていうのを何としてでもお客さんに伝えるんだっていう、
すごい熱量、純度の高い熱量を感じたんですよね。
今ね、このたかとめ酒店さんのホームページを拝見してるんですけれども、
その中にいろいろ思いが書いてあるわけですが、
たかとめ酒店はあなたの酒、秋田の酒を探すお手伝いをさせていただきたいです。
お好みは、用途は、ご予算は、飲むシチュエーションは、あなたの声を聞かせてください。
ということで、提案型酒屋さんということで面白いんですよね。
これがおすすめですよって押してくるわけじゃなく、
どういう状況で飲みますかっていう。
だから俺らに聞かれたのは、いつ飲みますかとか、
合わせて食べるご飯は何ですかとかを聞いてくださって、
そこからおすすめを、それに合うものを進めていただくっていう感じだったんで。
そうですね。
それを伝えれば、ちゃんとそれに合うものを提供してもらえる。
もうここは行った方がいいと思う。
もうプロフェッショナルだよ。
もう熱量にやられちゃったもんね。
引き込まれるんですよね。その話が面白くてしかも。
でも俺、買うつもりなかったのよ。
その日のお酒だけを買おうと思って行ってたから、
お土産に買うつもりなかったんだけど、聞いてたらどんどん興味出てきて、
これは買わずにいられないと思って、お土産で買ったんですよ。
家に実際買ってたもんね。
そうなんですよ。
飲んでくればよかったな。
確かに、関数を言うためにもね。
あれは雪の防車の中の美酒の設計かな。
俺が買ったのはピンクラベルっていうやつだったんだけど。
美酒の設計は別の同行車と、あと我々が飲んだよね。
そう、宿で買ってたやつですね。
これは伝わってるのかなと思わないけど、
ぜひ行ってみてもらいたい。
主人と話してみてほしい。
そうなんですよ。
決して押し付けがましいわけではないんですよね。
あくまでも我々が何を求めているかっていうと、
すごく丁寧にまずちゃんと話を聞いてくださって、
その最適解をちゃんとすごいトークの旨さと根拠で持って、
そして愛情豊かに伝えてくれる。
だからやっぱり美酒の設計の話もそうでしたけれども、
これを作るためにどれだけの苦労が伴っているのかとか、
57:03
あとはこれを売るのにも実はすごく大変なんだっていう話とかあったじゃないですか。
そういうものを知った上で飲むとね。
これは飽きた。
ここのお酒屋さんじゃないと出会えなかったかもなっていうのがたくさんありましたよね。
俺らが接客していただいている途中に、
たぶん地元の方がいらっしゃってて、
昨日のあれどうでしたみたいな。
お客さんもあれよりかはみたいな感じで話してて、
本当にたぶんお客さんのことも覚えて、
何売ったかとかいうのも覚えていらっしゃって、
すごいたぶん情報をものすごく蓄えて、
でもそれをあまりなく伝えるんだっていうすごい熱量でね。
良かったですね。
逆に毎日来るお客さんがまずいらっしゃるってことですからね。
なかなか車じゃないとっていうところではあるんですけど、
ちょっと市外から離れてたんですがそれでもね。
我々もご主人のお話を伺った後、お店出た後に、
普段こうやって喋ってますけど、
もうちょっと見習わなきゃいけないなというか、
お話のうまさとね、豊かな表現と。
そんな気持ちになる。
でも本当に印象深いでしたよね、ここはね。
俺今熱量熱量ってめっちゃ言ってるけど、
別にね、熱苦しいわけじゃないんだよね。
すごく物腰柔らかで。
押し付けが面白いわけでは決してないんですよ。
やっぱ印象的だったのは、僕はこうやってめっちゃ喋ってて、
うるさいって言われることもあるんだけど、
でもこうやって喋れるのはお客様が来ていただいて、
聞いてくださってるきっかけをお客様がくださったんですよって言ってくれて。
おっしゃってましたね。
もうめちゃくちゃいい人だなと思って。
聞き上手なんですよって言われて褒めてくださるんですよね。
本当にいいご主人でしたね、ここの方は。
横手でね、グーグルで調べてたまたま入り口知らなく行ったんですけどね、
素晴らしい出会いでしたよね。
大当たりでしたね。
是非立ち寄ってほしい。
日本酒好きの人は。
そうだね。
あと我々はね、日本酒ももちろん買いましたけど、
最近秋田で注目を集めているという、
これもお菓子だったと思うんですが、
イネとアガベっていうクラフト酒。
日本酒にも何にも当てはまらないオリジナルのね。
新しいお酒。
これも後でちょっとまた話すと思いますけど、
それもやっぱりなぜこれが生まれたのかっていう話を聞いて、
ちょっと欲しくなって買っちゃったんですよね。
それが結局結果すごい良かったわけなんです。
というタカトメ酒店です。
是非お勧めです、ここ。
1:00:03
何で我々がそもそもこの酒を買ったかという話で、
さっき持ち込みが必要だったと言いましたけれども、
今回泊まる宿は200名の宿なんですが、
横手市から車で約70分ほど機体へ行ったところにある、
農家の宿、清雪館さんに泊まりたいと思います。
清雪館というのは、星雪館で清雪館ですね。
こちらの特色は一日一組限定の貸切宿なんですよ。
そして実際これを営まれているのが、
ほうれん草農家さんなんですよ。
農家さんが自ら営んでいる農家宿みたいな形になっていて、
プライベート感、貸切ですからね。
と、その野菜がもう目の前で摂れた野菜をそのままいただけるっていうね、
すごいグルメの面でも特筆すべき。
そしてそれなのにお値段も全然一泊二食っていうぐらいの、
これでいいのかなっていうぐらいのお値段だったので。
ちょっと僕もね、今回これも人に紹介されたりして見つけたんですけれども、
という宿でね。
ただ食事はついてたんだけど、お酒を持ち込んでくださいという指定だったので、
さっきの高止酒店さんにお邪魔したと。
いかがでしたか、こちらの宿。
まず居心地の良さだよね。
もう普通の農家みたいな一軒家を丸々貸してもらえるんで、
やっぱり居心地ですよね。
畳の部屋があったりとか。
もうめちゃめちゃプライベートですから。
そうそうそう。
っていうのと、あとは野菜ですね。
我々行った時は山菜のピークっておっしゃってましたけど、
いろんな山菜を使った料理。
一番俺印象的だったのは天ぷらですね。
山菜の天ぷらを出していただいてね。
美味しかったですね。
本当に多分季節によって全然変わるんだろうね、そのラインナップがね。
そうだね。
夜の食事は最初前菜みたいなところで、
いろいろ野菜を使った料理5種くらい小鉢みたいなのがあったかな。
あと酒の焼き物だったりとか。
そしてあとご飯。ご飯も美味しかったよね、そもそもね。
ご飯もね、そうだね。
ご飯も多分釜ですよね。
炊いたやつを自分で寄せて食べる感じだったけど。
美味しかったね。
あとは稲庭うどんも夏バージョンだったのね。
もしかしたら冬は霧田んぼだったりするのかなという風に考えられるんですけれども。
そうしたここのお野菜と秋田の郷土料理を
1:03:05
プライベート感たっぷりでいただけるというところで。
風も涼やかでしたね。
網戸も窓を開けて網戸で食べてましたけど我々ね。
そうだね。やっぱいい時期だったんだね。
寒すぎもせずね。かといって夏ではなかったし。
そこでちょうど先ほどの高止め酒店さんで選んだお酒。
クラフト酒。稲とアガペ。
これも食前酒的な扱いで喋りましたよ、我々はね。
あれは新酒のお酒っていうだけあって。
確かにこれなんだろうって感じだったね。
日本酒っぽいんだけどなんだろうな。
言ってたのはホップを使っていて。
だからやっぱりビール的な香りもして。
けど甘めの日本酒的な味で。
確かに不思議なね。
なんとも言えない。
それこそ秋田ランガと同じような気もする。
なんとも言えない説中のところね。
確かに日本酒に近い感じはしたけど、
でも何というわけではないっていう感じでした。
あの稲とアガペさんで見ても確かクラフト酒と書いてあったので。
もちろんその後日本酒もだいぶ持ってったよね。
相当飲みましたよね。
四合瓶2本全部開けましたね。
あとこの小さいのも開けたから一人相当飲んだね。
結構飲みましたね。
お食事の後もね、もちろんお風呂も綺麗で家庭風呂みたいなのいただいた後に、
部屋でね。部屋というか家ですけれども。
二次会というか夜中でずっと飲めたのでね。
もう本当プライベートすぎて雑談会そこで撮りましたね。
そうなんですよね。
この紹介終わった後の回は実際この清雪館で撮った雑談会をお送りしますので、
それも楽しみにしてもらって。
一緒にいた奴らもね、喋ってくれたんで。
そうですね。酔っ払ってたんだけど相当ね。
ちょっとまだ編集してないんであれですけど、
大丈夫かなあれ。
ちょっとね、怖いけど。
撮れてるのかという。
使えるとこだけ使う感じにしますんで。
お楽しみにって感じですね。
2日目はここで最後ね。
お食事もいただいてお酒もいただいて、そのまま寝ると。
ということで2日目を振り返っていきましょう。
まず朝8時半ごろホテルを出発しまして、
末広ラーメン本舗秋田駅前分店さん。
1:06:03
ここは秋田駅の割と目の前な感じですね。
本店は少し離れたところにありますね。
他のお店もあるっぽいのでお近くのところでいいかと思いますが、
末広ラーメンさんを朝ごはんに食べれる方は食べていただいて。
そこから15分程度千秋公園。
ここは久保田城の城跡のところですね。
割と広めな公園になってますんで、散歩するも良し。
リニューアル終えてれば佐竹資料館で秋田の歴史を学ぶも良しという感じですね。
そこからほど近い秋田県立美術館ですね。
ここで藤田嗣晴さんの作品を見て、秋田の行事がやっぱり一番印象的ですね。
見てもらって、建物なんかもね、ちょっと楽しんでもらって。
そこから南の方ですね、車で向かっていきます。
車で60分程度のところでステーキハウススフィーダさん。
ここで横手焼きそばをいただきます。
割とガッツリした焼きそばですね。
もし人数いたりしたらステーキ分けあったり、ハンバーグも美味しそうでしたね。
あれも食べたかったね。
お腹が入れば食べたかったけど。
そんなお昼ご飯を食べていただいて。
そこから車で10分程度、今度は秋田県立近代美術館。
ここで秋田欄画、独特の雰囲気を持ってね、秋田欄画を見ていただいて。
他に施設も割といっぱいありましたので、お土産買ったりとか、他の施設楽しんだりとか。
工芸品のコーナーもなんかあったね。
資料館みたいな感じのところもあったと思うので。
そういうので楽しんでいただいて。
そこから車7分程度、高止め酒店さん。
ここはもうぜひ立ち寄ってもらいたいですね。
日本酒好きな方はもう絶対に自分の好みを伝えれば、それにドンピシャなやつを選んでくれるので。
ほんと欲しかったもんね。
ぜひ寄ってみてください。
そこから車で70分ほど、農家の宿、施設館。
ここはもう1日1組限定の貸切のお宿で。
1:09:00
もう農家さんですから、おいしいお野菜とかをいただけるっていう感じですね。
夜ご飯かなり健康的な感じの。
そうだね。1日分をリセットできた感じですね。
ここでご飯をいただいて、さっきの高止め酒店さんで買ったお酒なんか飲んで、1日終わりということですね。
この番組ではお便りを募集しています。
番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、不増となど何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿をお願いします。
また、YouTubeのチャンネル登録、高評価、コメント、ポッドキャストのフォロー、ベグ、
それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いします。
そして、感想を呟く際は、ぜひハッシュタグ、おとたびポッドキャスト、おとたびはひらがな、ポッドキャストはカタカナをつけて投稿していただけると嬉しいです。
いやーなんか、この1日振り返るとすごい1日だね。
飯はバカみたいなんだけど、美術館巡りをして自的な感じの。
なんかすごい温度差が。
そうね、振れ幅の広さがね、コントラストが際立ってますね。
いやでも、めちゃめちゃいい1日だったなって感じはするね。
秋田ならではの美術館を巡ったっていう印象があります。
はい。
ということで、次回は割と目玉の3日目ですね。
これまでにない感じのところに行きますので、ぜひお楽しみに。
はい。
ということで今回はこの辺で、ありがとうございました。
ありがとうございました。
01:11:05

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