はい。
前日ね、岐阜駅、JRでも名鉄でも結構ですが、岐阜駅近くのホテルに宿泊しているという前提になります。
岐阜のね、せっかくなので朝もちょっと食べてみたいと思いますので、モーニングを食べに行きましょう。
ホテルからだいたい5分ほど、昨日のバロッサコクテリエさんはすぐ近くなんですけれども、スピーチバルーンさんというね、喫茶店に行きたいと思います。
いいね、なんか可愛らしい明るい感じですね。
いわゆる昔ながらのレトロなね、喫茶店にはなるわけなんですけれども、すごい老舗ですね。
まあね、喫茶店でモーニングというのはね、これまでにも何回かご紹介もしていますし、皆さん結構なじみのあるね、パターンなんじゃないかなとは思うんですけれども、
モーニングってそもそもどっから発祥した文化とかって知ってますか?
発祥?
日本においてね。
発祥はわかんないな、まあ有名なのはやっぱり名古屋とかね、いろいろありますけども。
これも諸説あるんだと思うんですけど、一説にはね、愛知県一宮市というところで発祥したと言われています。
これは名古屋から岐阜に行く途中に通るね、都会でここ一の発祥でもあるわけなんですけれども、すごい都会ですね。
いずれにせるこの名古屋近辺がやっぱりこのモーニングの本場であろうっていうのはなんとなくイメージを持っている方もいるんじゃないかと思いますね。
ってなるとね、やはりこの岐阜市、美濃においてもね、名古屋の非常に近いですので、非常に岐阜はね、モーニングだったり喫茶店文化が盛んです。
なるほど。
ちょっとデータのまた引きなので恐縮なんですけれども、平成28年のデータですと喫茶店の数は全国で5位。岐阜県全体でね。
岐阜県か。
全国5位の数がある。そして1000人あたりの喫茶店の店舗数、密度ですよね、は全国2位というのがね、岐阜県なんですね。
そんないっぱいあるんだ。
人口で言うと必ずしも5位とか2位とかって話では岐阜県全然ありませんから、いかに岐阜県にあける喫茶店の割合が多いかということなんですよね。
なのでまあ岐阜の方はね、喫茶店あるいは朝食というのはね、非常にもう馴染みが深くて、もう日常の中の一つだと考えられている方も多いんじゃないかと思います。
その中でもね、このスピーチバルーンさんが特に僕はおすすめなんですけれども、ちょっとねメニューの写真を見てもらった時にね、おかしなことに気づくと思うんですね。
モーニングメニューを見てみましょう。
うん、トーストとパスタ、サラダ、これは唐揚げですかね、と茶碗蒸しがあるの?
はい。
モーニングで?
そうなんです。これね、僕も岐阜に通い始めてから知ったんですけど、岐阜市のモーニングって茶碗蒸しがつくんですよ。
ああ、そうなんだ。
そう。
地域的にそうなの?
地域的にそうなの。岐阜のモーニングって茶碗蒸しがなぜか引きついてくるの。
へえ。
すごく理由が不思議なんですけど、分かんないんですってこれなぜか。
ああ、みんな分かんないんだ。
うん。
へえ。なんで?いやでもいい気はするけどね。
まあモーニングだからさ、基本は洋食風なわけじゃないですか。そこに急に茶碗蒸しだけ投入されるのもちょっとね不思議だなと思ってるんだけどね。
うん。
いいんですよ、朝茶碗蒸し非常に。
いやいいよね、朝にこうつるつるっとね、だしの香りがして。それはおいしいだろうなと思うけど。この取り合わせが不思議だね。
そうなんですよ。
へえ。
で、どうもね、いろいろ僕もこの話にあたっても調べてはみたんだけれども。
うん。
まあ、岐阜にそもそも喫茶店が多い理由としては、生産量が盛んだったということがあって、商人の街なんですよ、岐阜って。
はいはい。
江戸時代に実は岐阜って、可能城っていうところに可能藩っていうのはあったはあったんだけど、今まで行ってきた城下町と比べて全然城下町の性格はないんですね。
うん。
岐阜市自体は稲葉山城の城下町ではあったんだけれども、江戸時代には岐阜城はあれは藩を置かれなかったので、岐阜城はもうあくまで戦国時代の城で終わりなんです。
なるほど。
だから城下町よりも商人の街としてここが栄えたのが県庁所在地なんですよね。
ああ、なるほど。
うん。長良川の河原町を筆頭にして。なのでとにかく商売人の人が多かった。
はい。
のでその商談使うためにモーニングをね、まあ喫茶店を利用したっていうのはそもそもだと言うんですけれども、とはいえなんで終わりにはないね茶碗蒸しがミノにはつくのかって非常におかしな話で。
面白いなあ。
これはね色調べたんだけどね結論わかんないんですよ正直。
へえ。
どこを見てもね理由は不明だがって書いてある。
ああ。
うん。
ビールの代わりとかなのかね。
かもしんないね。スープの代わりに茶碗蒸しっていう風に思ったのかね。これねもしご存知の人がいたら教えてほしいんですけど。ただおいしいんですよ。
へえ。
ちょっとした楽しみなんですね岐阜に行く。
うんうん。
ただねもっとびっくりするのはねスピーチバルーンさんに関しては値段です。
うんうん。
そのモーニングメニューなわけなんですけれどもなんとねドリンクまあコーヒーとかね紅茶とか何でもいいんですけれども大体ワンコイン500円くらいで頼めるわけですよ。
はいはい。
でなんとねそこにワンコインつけるだけでこのモーニングをね足してくれるんですね。
ワンコインってどれだ。
はい。100円です。
へえ。
はい。しかも100円ですらない80円です。
えっ。
80円でこのボリュームのモーニングつけてくれるの。
ええ。やっぱモーニングっておかしいよね。
うん。大昔なんじゃないかって僕は心配なんですけど。
へえ。
80円でさトーストパスタフライ茶碗蒸しサラダデザートまで全部ついてきちゃうっていう。
へえ。
こんなコスパあっていいのっていう本当に。
なんだそれ。
うん。ボリューム満点なんですよ。
うれしい。
普通80円で茶碗蒸し一個だって買えないじゃないですか。
そうね。
ねえ。
へえ。すごいなあ。
かといって別に飲み物が高いわけでもないので。
うんうんうん。
大丈夫かなってちょっと思うんですけど。
すごいなあ。
うん。衝撃のコスパです。スピーチバルーンさん超いいですここ。
へえ。
雰囲気もほんとゆったりしててね。街の人がみんな来る感じなので。
いいね。明るい雰囲気だし。
うん。
なんか気持ちいい朝になりそう。
気持ちいい朝になりますね。
うん。
なのでここでその身のならではの茶碗蒸しモーニングをぜひ召し上がっていただいて。
へえ。
ただ大学生でもお釣りが来ちゃうようなね。
全然いいよね。
ほんとにバイト代にすら届かないようなね。
ああ。
超コスパのいい美味しいお店なのでね。
うん。
もう地元で愛される理由がもう何からもわかるというね。
はいはい。
ほんとに素晴らしいお店だと思いますので。ぜひね楽しみにしていただければいいんじゃないかなと思います。
うん。
でね岐阜市につきましてはここで一旦終わりです。
でね竹中半部の有名なエピソードとしては
色々もうあるんですけれども
この人タイガドラマでもしょっちゅう出てきます
で過去にやった俳優さんだと
水道隆さんとか谷原翔介さんとかねやりましたね
谷原翔介さんやった時はV6の岡田くんが
黒田寛兵衛というね
これも秀吉の軍師なわけですけど
軍師寛兵衛っていうタイガドラマでやったんです
その時谷原翔介さんが竹中半部をやって
その2人が秀吉を支えたわけです
ところが黒田寛兵衛はある時
敵の城に説得しに行ったら
捕まっちゃって牢屋にぶち込まれちゃったんですよ
で寛兵衛帰ってこないと
でもあいつ死んだか殺されたかしたんじゃない
もっと悪く言えば裏切ったんじゃないか
って信長は思ったんですね
信長はタンキーなのに
それでもうふざけんなと
黒田はよそ者だったしもともと
なんか信用受けなさのやつなんだと
で怒っちゃって信長が
もう黒田は裏切ったから
黒田寛兵衛の子供殺しちゃえと
人質にとってあるやつを殺せって秀吉に命じて
秀吉も信長が怖いので
もう仕方ない絶対ああでもなーって思いながら
もう殺しますという風に言ったら
竹中寛兵衛がちょっと私に任せてくれませんか
って言った
そして竹中寛兵衛は殺したという風に報告したんです秀吉は信長にも
ところが黒田寛兵衛は実際裏切ってなかったんですね
というのは信長がその寛兵衛が閉じ込められてる牢屋のある城を
後で落としたらもう足が動かなくなって
ボロボロで病気もなってる寛兵衛が出てきたんですね
さすがの信長もしまったと思って
いやこいつ裏切ってないからこそこんな牢屋にぶち込まれてこんなことになっちゃって
でも子供殺しちゃったって思って
さすがに悪いことしたなってどうしようって思ってたら
寛兵衛が牢屋から出てきたらその殺したはずの子供が
パパって駆け寄ってきて秀吉信長もびっくりして
えなんでって話になったら竹中寛兵衛が絶対寛兵衛は裏切ってないから
いずれお家のためにならない殺すと
だから密かに生かしてこの私の身のたるいのところとかに
密かに置いておいたんですっていう風に言って
黒田寛兵衛はもちろん喜んだし信長も秀吉もああよかったっていう風になった
その殺されるはずだった子供こそが初代福岡藩主黒田長政です
かっこいい そうそうそういう役なんですよ
谷原正介さんとかいかにも涼やかでイケメンで
で色白のその武骨なとかなんか秀吉の下品な感じと違って上品な軍師として描かれる人です
非常に人気の高い人物ですね
そういう人だったんですね
ただ今回の話関ヶ原の話上では竹中寛兵衛はとっくに死んじゃってるんですよ
なんでじゃあわざわざこのたるいに寄るかということなんですけれども
ここでちょっと関ヶ原の戦いの話を振り返っておきたいんですね
簡単に話しておきますと小田信長がいましたよね最初ね
いましたが本の順で光秀に撃たれました
でその光秀は秀吉に撃たれました
で秀吉が天下を取りました
秀吉は小田原を攻めて法上を下して天下統一を成し遂げました
ところがその後秀吉は朝鮮出兵とかしちゃったりして
全然なんかめちゃくちゃのことやっちゃったわけですね
裁判内になってね
でその時徳川家康とか前田敏夫とかみんな家臣でね
代々名としていたんだけれども
秀吉には秀織っていう子供がいたんだけど
まだ5歳とか6歳なんですね
秀吉が死ぬとき
ろくな跡継ぎいなかったんですよ
けど秀吉は秀織がようやく最後にできた子供ね
可愛いも可愛いから
なんとかこの秀織をみんなで盛り立ててやってほしいと
っていうんで後大老後無料っていうのを置いて
家康とか前田敏夫ですね
に貢献を頼んだ
なんとか秀織になんとかしたってこと
一方で自分が若い時からずっと仕えている家臣である
加藤清政だとか福島正則だとか石田水成だとか
こういった人たちに徳川は野心があると思うから
それをくじけと
僕が変な動きを見せたらお前らがなんとかしろ
みたいなことを言ってるわけですよね
ところが秀吉によって運が悪かったのは
この戸外の武将たちは仲が悪かったんです
特になぜ仲が悪かったかというと
武闘派と分地派みたいになっちゃうんですよ
大会系と文化系みたいなもんです
大会系はみんなスポーツで集ってスポーツの話しして
放課後も部活やるわけです
ところが分地派の方はあいつらは脳筋だと
もう全然分かってない
戦のことしか考えてないしダメなんだと
学問ができてこその豊臣家だろうと
戦の言うなんて終わるから
槍一本ってあんな俺の槍自慢とか言ってるやつら馬鹿なんだ
言うわけですよ単純な言うだね
そういうやつは当然気に食わないですね
誰が命かけて戦ってるのと武闘派の方はね
あいつらは勉強しかしてない頭でかちのお坊ちゃんでってこと言うわけですよね
って実際になってたんですよ
石田光成というのはそのご部長だったわけですけど
いかんせん頭が綺麗だ
この人はもともと全然名のない小さな武士の子だったわけですけど
その才能を余りも見込まれて秀吉にスカウトされた
実際に天下取りの偉業も成し遂げたし
それを下手支えしたんですよね
とにかく数学的なものがすごいできた官僚の人だったわけです
光成も秀吉に対する注意が誰よりも厚かったので
家康がねいずれその武闘派を抱き込んで
豊臣家の御為とか言いながら絶対自分が天下取っちゃう家だと許せない
家康は家康で天下取りの野心がありますから
石田光成とかああいううるさいのを全部一掃しちゃいたいと
そこで合戦を起こしてあいつら殺しちゃって
で豊臣秀吉を傀儡にして自分が天下を取っちゃおうというふうに思って
戦ったのがセリガハの戦い
ここからじゃあセリガハの戦いの本当の話が入ってきますけど
石田光成は頭はいいんだけど弱いんですよ
なぜ弱いかというと領地が少ないからです
徳川家康は関東の二百何十万国っていう日本最大の大名で何万人て部を動員できる
ところが三成は奥美の国沢山これ彦根です今の
彦根のあたりの十何万国しかいなくて
どんなの戦っても勝てるわけないんですね
だから三成はまず仲間集めをしなきゃいけなかった
仲間集めをするためには豊臣家の恩子をのった人たち
秀吉様の恩に報いる人たちはみんな集まろうと
家康はあいつはダメだと言うんでやるんだけど
家康にただで戦う意味ないので
家康がまず大阪から出払った隙に
密かに仲間集めやって巨兵して家康と対抗しようと思ったんですね
家康も家康だったらそれ分かってるんですよ
そういう小賢しい奴らをまとめてぶっちぎっちゃいたり
からあえて隙を見つけたやろうと思ったかもしれない
結論をそれは思わかわからないけれども
秀吉と話をすると
藍津若松の上杉賭かつが怪しいことをしている
って家康が言い始めた
何をしてたかというと
小本座城っていう怪しい城を築こうとしてる
これ覚えてますか
藍津若松の2日目の最後に
完成しなかった幻の城に行った話
あれです若松の今ですらすごいあの鶴賀城の
約2倍の規模の城を築こうとしている上杉と名を得
あれはおかしいあんなもの必要ないはずなんでやるんだ
これは豊臣秀吉様に対する無本であると
いうんで質問状を送ったんですね
弁明があるなら家康が自分で大阪に出てこいと
したらそれから返っていった返事は
直江城っていうぶち切れ案件の手紙だったわけです
あんた方はもうだめだと要は
城を築くと当たり前だから
駄弱な武士だからそんなにいちいち
コンプレックスがあるんじゃないのみんなことを言ってきた
上杉はもう謙信様やりゃそんなに駄弱な奴らと違うんで
文官ならかかってこいよって言った
大阪にいた家康はぶち切れた
ぶち切れたフリをした少なくとも
でもう上杉はだめだと許せない無本だって言って
みんなに号令をかけて
大軍で持って東北へ行くわけです
藍沢貨物にまで行くわけですよね
そうすると大阪ががらけになるんですよ
ところに残っていた三成が挙兵したの
ただ徳川に対抗するために自分じゃできないから
誰を仲間に引き入れたかっつーと
まず上杉が指名し合わせてたんですよ
ただ上杉は東北にいて徳川を迎え撃つので
大阪には来れません
ってなった時に
西国の超巨大代名を抱き込んだんです
それが誰だったかっつーと
毛利てるもと
これまだ出てきてませんが
あの西国の覇者は毛利本成の孫
でもう広島を拠点にして
参院参院を務む超巨大代名と
岡山のやはり後退路の人である
浮田中名言浮田秀家ですね
こういうのを抱き込んで
西日本の主に武将たちを大阪に呼んで
東の徳川に対抗しようとした
だから東軍西軍になるわけです
ざっくり言って徳川が東軍ですね
東の江戸だから
で西の大阪毛利が西軍ですね
で東軍の家康は
藍津若松に行く途中にその報知らせを受け取って
密内が屠兵した
ましても毛利もいる
ってなったらよしっつって
急遽若松全部取りやめて
西に引き返した
そして西と東のその軍勢が
衝突した場所が
美濃の国だった
そしてそれが関ヶ原の戦い
ということです