1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #111-1【岩手】種蒔く人のユー..
2025-07-31 51:13

#111-1【岩手】種蒔く人のユートピアPart4前編

声なき叫びよ、形なき想いよ。 種蒔く人のユートピア4日目前編


広大な山野と寒冷な気候、古くから日本の北天にあって重い存在感を示してきた岩手県。深い緑に包まれた美しい風土は、現代の観光シーンでも多くの人を魅了します。さらに、その歴史を振り返ったとき特筆されるのは“人財の宝庫”であること。混迷の時代にあっても、後の世を見定め、その繁栄を願って努力を惜しまなかった先人の息吹は着実に受け継がれ、今日の岩手県をして希望が芽吹く“ユートピア”たらしめているのです。


【目次】

〜 史上初のできごとが起こりました……

〜 ★CM★ あなたの声、応募してみませんか? PODCAST STAR AWARD

〜 盛岡のソウルフード! 宮沢賢治との意外なつながり 【福田パン 長田町本店】

〜 盛岡城×城下町のフィールドミュージアム 【もりおか歴史文化館】

〜 ★歴オタ話★ 盛岡藩主南部家 町の礎を築いた産業の招致

〜 ★さらに歴オタ話★ 700年の名門南部家 それ故の矜持と苦悩

〜 壮麗重厚な赤レンガの名建築 【岩手銀行赤レンガ館】

〜 盛岡の誇る二大文豪の魅力を名建築で体感 【もりおか啄木・賢治青春館】

〜 盛岡三大麺の一つ じゃじゃ麺のオリジナリティとは 【白龍 本店】

〜 今回はここまで。次回が大作岩手編の最終回です!


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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠イラスト:shoki⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@shoki⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

ポッドキャストでは、岩手の名物パン屋「福田パン」と、その背景にある宮沢賢治との関わりについて紹介されています。福田パンは多様なコッペパンが特徴で、創業者が賢治の教え子であることが説明されています。このエピソードでは、南部家の歴史や盛岡の文化が深く掘り下げられ、特に盛岡歴史文化館の独自の展示方法に焦点が当てられています。また、南部家の大名としての広大な領土とその影響力についても議論されています。南部藩の発展と盛岡市の歴史的背景について語られ、日本酒造りや南部鉄器の起源、南部と伊達の歴史的な競争が強調されています。岩手銀行赤レンガ館は辰野金吾の設計によるもので、盛岡銀行の本店として歴史的な役割を果たしてきました。さらに、盛岡卓木賢寺千春館では、盛岡出身の文豪たちの業績が紹介され、地域の文化的な重要性が強調されています。岩手のジャジャ麺の歴史が語られ、特に「パイロン」というお店の魅力や食べ方が詳しく紹介され、チータンタンという独特の食べ方や関連する飲み屋街についても触れられています。これにより、さらなる食文化の楽しみ方が提案されています。

旅の始まり
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐な旅行ガイドブックの編集者、はるやです。
ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
今回はね、岩手コースの4日目なんですけど、我々史上初コースの途中で収録日を分けるというね。
そうなんだよね。これはね、やらないようにしてたんですけどね、今までね。
いろんなね、土地を回ってるから、それぞれの土地で語ることがね、多くなって盛りだくさんだったっていうのがあって、時間切れと。
そう、夜飲み会を入れてたんですよね。別の人とね。それで一応約束の時間があったので。
なんで日を改めて4日目を今日撮るというね。ちょっと俺は覚えてるからすげえ不安なんだけど。
そうなんだよね。ちょっとね、なのであんまり開けるのはね、ちょっとあんまり良くないんですけど、本当はね。
まぁちょっと直前にね、はるやに復習授業をしてもらったんで、ちょっとそれで頑張ろうかなと。
テンション感もね、たぶんね。これは俺の問題かもしれないけれども。
しかもはるやはちょっとコンディションがね。
そう、まぁまぁね。
大丈夫ですか?
親知らずをね、3日くらい前に抜いたばかりでね、なんか膨れてるんですけども。
そう、今右頬がパンパンになってるんでね。
まぁ話す上ではね、別に問題ないんだけど。食べる上で問題ないけど、まぁ大丈夫と思いますけど。
はい。ということで、お互い頑張っていきましょうという感じですね。
福田パンの魅力
ということで、4日目ということで、最終日ですね。
3日目の昼くらいに森岡に着いて、そのまま森岡に泊まっているということで、4日目を迎えるわけですね。
じゃあ早速いきますかね。
はい。
お願いします。
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No.1ポッドキャストクリエイターは誰だ?
前日、森岡市内中心部の宿に泊まっているという想定でいます。
森岡駅からだいたい森岡城までの間に広がっている大通りっていうようなエリアが一番の繁華街になっています。
森岡駅からだいたい東側に5,6分あるいは10分くらいのところにホテルを通っているのが理想というふうに聞いてください。
その上でビジネスホテルとかだと思うので、ちょっと朝ごはんを食べに行きたいと思うわけですね。
宿からだいたい10分から15分くらいで着くんじゃないかと思うんですけれども、福田パン長田町本店です。
朝ごはんに土地のパン屋に行くって結構やってるね。
僕がそうなんですよね。普段も朝ごはんパン派なので結構行ってるんですけど、これはもう超有名店ですよ。
森岡のソウルフードとして非常に有名なお店です。
ただのパン屋じゃないです。
写真すごいね。ふわふわなのが写真でわかるね。
そうですよね。ちょっと見てみましょうか。
たぶんね、ただのパン屋じゃないのがおのずとわかってくると思うんですね。
見せ構えも素敵だね。かわいらしい。
ちょっとシルバニアっぽいね。
そうですね。まさに赤いお屋根のね。
コッペパンみたいなのの種類がいっぱいある感じなのかな?
そうですね。今タブログでね、写真見てるとコッペパンが非常にいろんなものが出てきますよね。
てかほぼほぼコッペパンだね。
種類がすごいよね。
そうなんです。もうね、今気づいてくれたんですけれども、福田パンといえばまあコッペパンなんですよ。
ところがね、このコッペパンねすごくてね、これわかりますか?何を意味しているか。
すごい種類あるな。ほんとすごいなこれ。
そう、これほんとにすごいなこれ。
トッピングもすごいいっぱいあるしね。
そう。
サブウェイどころじゃないねこれ。
そうそうそうそう。
ほんと甘い系からなんかとんかつとかね。
遊輪中とかもあるのね。
おいしそうだな。
そうこれね、コッペパンのパンの中にもうほんとにほぼオーダーメイドといっても差し支えないくらい、自分で好きな組み合わせもできる。
しかもこれ選ぶだけじゃなくて組み合わせできるよね。
なるほど。
だから組み合わせ人気ランキングなんて書いてありますけれども、アンバター、ピーナッツバター、ジャムバターみたいなね。
こういったイメージで言うとクレープを頼んでるのに僕近いと思ってるんですよ。
はいはいはいはい。
っていうね、要はほんとにありとあらゆるスイーツ系から食事素材系の味わいというのを自分で選んで好きなようにトッピングできるっていうね、超有名なコッペパン屋さんなんです。
しかもこれ165円とかそういうこと?
そうなんです。
安すぎるね。
めっちゃくちゃ安い。
しかもボリュームは結構あるんですよ。
人気のメニューで言うと焼きそばとかもあるわけですよね。
しかもナポリタンっていう謎のものもあるんですけれども、こういうものをパンに詰め込めばなおさらガッツリ朝から食べたいなって人はいけるわけだし。
それを2つぐらい頼みますよね大体ね。
そうだね。
だからお惣菜系で1つとスイーツ系で1つって僕大体やりますね。
一番高いやつでもエビカツとかイビンチとかで545円。
だから全然2個3個とかでいけるよね。
いけますいけます。
4桁になることあんまりないんじゃないかと思いますね。
というねパン屋さんでね、これすごい有名なんですよこのお店。
もう本当にここ何十年も森岡で愛されているお店で、今で言うと50種類以上の組み合わせがあるというのでもう本当に飽きないんですよね。
宮沢賢治とのつながり
大通りからはちょっとね10分ぐらい離れた住宅街の中にあるんだけど並びます結構ここ。
この間僕たち秋田行ったじゃないですか去年。
僕だけ森岡に前乗りしてたと思うんですよね。
アルセヌルパンとか行って。
翌日僕らは森岡の駅の改札で待ち合わせたと思うんですよ。
あの時に僕が時間になんかだらだら遅れてしかも走ってハンソルで来たんですね。
あれは福田パンさんで並びすぎて時間がやばくなって慌てて食べてそのまま走ってきたからなんです。
なのでここに行ったんですよ。
いつも行ってるんですけど。
あの時もだからね結構朝早く起きたんだけど30分ぐらい並んだと思いますね。
入るまでに。
そんな並ぶパン屋ないよね。
ないですないですなかなかないですよ。
しかもまぁ一茶なんだけど本当にただの地元のパン屋さんという感じになるんで見た目はね。
ただ中入るとやっぱりすごくて。
かつまぁ並ぶ理由があるとすると迷うんだよね。
これはまぁ自分自身がそうなんですけどね。
種類がすごいからね。
そうそうそう。
で僕なんて当然たまにしか行けないですから。
あのいろんな組み合わせをまだ試してる途中ですけど。
でもやっぱりこの間のが美味しかったからピーナッツにしようかなとかなんとかってそういうことを言い始めるとあーみたいになっちゃって。
っていう感じですね。
なるほどね。
でここはねそのイートインとかはないんですけれども。
なので皆さん結構車で来る人も多いですね。
ただまぁあのお店の前でちょっと食べたりとか。
あとはねあの僕個人的におすすめなのはこの福田パンさんで買ってから森岡駅方面に15分くらい歩くとですね北上川にあたるんですね。
北上川っていうのはテラス席とかもね夕方ビール飲めたりとかって話しましたけれども。
そこの川沿いで食べるのがね僕は個人的に一番おすすめです。
なるほどね。
まぁ夏だと暑いかもしれないけど。
季節とか天気によってはいいんじゃないかなという気がしますね。
いいね。
そしてねこの福田パンさんさっき内田が見た時にシルバニアみたいだねって話したと思うんですよ。
でこれね実はあながち偶然ではなくて。
まぁシルバニアっていうのはちょっとあくまで一つの例えなんだけれども。
どこかちょっとそういったメルヘンチックなね可愛らしいお家じゃないですか。
これね一つ実はこれからの話に関わってくるんですけど。
このね福田パンさんはもう本当に何十年も愛されているわけですが。
その創業者の方福田留吉さん。
まぁ元々及川さんって言ったそうなんですけど。
及川さんっていうのは森岡にめちゃくちゃ多い苗字ですね。
及川福田留吉さんっていう方がいたそうなんですけど。
なんとこの人はね花巻農学校っていうところの出身。
花巻っていうのは今空港がある森岡の南の都市ですね。
で宮沢賢治さんの教え子だった人なんです。
宮沢賢治の話はこれからしっかりするんで今は話しませんけど。
まあ童話作家としてね。
おそらく日本でも本当に一番有名といっても過言じゃないんじゃないか。
多分知らない人いないんじゃないか。
教科書にも載ってましたよね。
あの人は今手のこの花巻の出身で。
今ではやっぱり童話作家として名が残ってるわけなんですけれども。
これから話すんですが実はね彼はもともと作家というよりも理系なんですよね。
だからね農学校つまり農業の先生とかをやってた時代があるんですよ。
その時の教え子がこの福田パンの創業者の方だったんです。
で賢治はねすごく福田さんのことを可愛がってあげたらしくて。
まあすごい進路の相談とかにも熱心に載ってあげたそうなんですね。
で結局その宮沢賢治に色々相談した結果でもって。
花巻の学校から森岡の農林高等学校へ進学をして。
そこで研究したのがイースト菌だったんですね。
イースト菌っていうのはつまりパンの工房を作る上で絶対必要な菌ですから。
それがこのきっかけだったんですパンであった。
つまり宮沢賢治さんと花巻で出会っていなかったら間接的に今我々はこの福田パンは食べられてないかもしれない。
このパン屋さんが開かれることしはなかったかもしれない。
で宮沢賢治の中では童話の世界とかもかなりやっぱり意識しているみたいで。
この創業者の方自身はやっぱり宮沢賢治のことを裁判に至るまですごくリスペクトしていた。
で実際賢治も生涯色々信仰していたので。
宮沢賢治って今画像検索して多分真っ先に出てくる教科書に載ってる写真があると思うんですよ。
ちょっと右斜め下を向いているっていう特徴的な写真で多分見ればあーってなると思うんですけど。
この肖像写真っていうのはなんとね宮沢賢治が福田富吉さんに送った手紙の中に入ってた写真なんです。
それが今教科書に載ってる写真なんです。
そんな個人的な写真が今一番流通してるんだ。
そうそれはなぜかっていうのは宮沢賢治は生きてる間全然無名の人物だからです。
はあそうなんだ。
福田パンと森岡の紹介
はい宮沢賢治は生前全然評価されてないんです。
あくまでもその死後なんですよ評価されたの。
なのでただの一般ピーポーなんですこの生前の宮沢賢治っての。
そうかそうか。
そのちゃんとした残す用のプロフィール写真みたいなのはないんですか。
ないんです。ただの一般人なんです。
ただそれをじゃあ後で宮沢賢治がねすごいことになったって言うんで
どっかにその当然写真を入れなきゃってなった時教科書とかに。
ってなった時に探して探して信仰になった人がいたらこの福田パンの創業者の手紙の中にこれが入ってた。
なのでこの福田さんの持ち物だったんですね。
っていうね宮沢賢治とかにもすごい床にのある福田パンさんなんですが
そもそも別に宮沢賢治云々じゃなくて
もう森岡のガイドブックとかテレビでもすごく紹介する超有名店なので
これは多分知ってる人も多いんじゃないかと思います。
なので是非ねやっぱり森岡のソウルフードは食べていただきたいなと思うわけですね。
森岡歴史文化館の特徴
福田パン永田町本店さんからお城の方にですね
徒歩20分ほど行っていただくところにあるのが森岡歴史文化館です。
例によってね浄化町歴史ある町に来たからには
最初はねまずその浄化町の成り立ちだったり
その治めた藩の歴史っていうものから
町の魅力というのをちょっと探ってみたいと思うわけですね。
でちなみに最初に言っておくと
この森岡歴史文化館が建っているこの場所が森岡城の跡地です。
森岡城はもう建物とか何も残っていません。
今石垣とかはね残っていて公園になっているんですが
その公園の中にこの文化館がありますので
本当に江戸時代の森岡の中心の中心に今この文化館は建っているわけです。
確かに建物もねなんかお城っぽいね。
そうですねやっぱり意識していますよね。
屋根とかがねそんな感じがするね。
でねこの森岡歴史文化館
まあねいろんな歴史館これまでこのポッドジャスト行ってきましたけれども
一つ特徴的なものがあるとするとですね
コンセプトがね森岡城とその浄化町を
一つのフィールドミュージアムという風にして見立ててるっていうのが面白いんですね。
これつまり何かっていうとお城のね
例えばまあ今まで言ったお城いろいろありますけれども
その城の中に入ったその歴史館とか見ていくと
だいたいそのお城がどういう風に築かれた
で誰がこう築いてその人はどういう人だったかっていう話とかっていうの結構メインになると思うんですが
これはあくまでも城と浄化町を一つのフィールドに見立てて
それの解剖をするっていうものなんですよ。
なので面白いのはその森岡藩の殿様これ南部家なわけですけれども
南部家の話はすごくしっかりやるんだけれども
もう一方で森岡っていう町がなぜこういう風になっているかっていう
その町の一般市民の生活とかもすっごい深くやるんだね。
これはね面白い試みだと僕は思っています。
そうだね。
その町さえもその展示の対象にするのは確かにあんまりなかったかもしれないね。
そうですね。
どの博物館も多少はやってるんですけれども
これは特にちょっとねその分量がかなり多いという風に思うと思います。
それはやっぱり森岡の城下、今の森岡市ですよねっていうのが
本当にこの森岡藩の時代からの受け継いでいる伝統的な文化産業っていうのをすごく大切にしてるんですよね。
だからこの城下町今回行けないところもいっぱいあるんですけれども
そこに行っていただくと森岡の工芸品の多さ
例えば南部鉄器とか漆器とかいろいろありますけれども
ああいったものがなんでこうできてるのか。
あるいはお酒ですよね。
我々が恩恵に預かっている南部東寺っていうブランドじゃないですか。
あるいは南部家の南部なわけですから。
そういった人たちがなぜ栄えたのかっていう城下町の社会構造とか
そういったものにも行ってくるので
すごいね歴史興味ない方でもなんかちょっとこう親近感の湧くような。
そういったミュージアムになっているのが面白いところです。
南部家の歴史と影響
確かに将軍とかの紹介されても歴史の話だなってなっちゃうけど
そういう生活の話になるとより親近感というか想像がしやすい。
そうですそうです。
ということでぜひここに行ってほしいなと思うわけですが
ここからちょっと歴史の話に塗ってしまうんですけれども
この森岡藩の藩主南部家というもののちょっと深掘りをしていきたいと思うんですね。
実は我々以前この南部家の領地に一度行っているんです。
それはいつかっていうと覚えてますかね。
青森の八戸?
そうです正解です。
ちょっと地図を見ていただきましょうか。
今我々は青森県と岩手県のグーグルマップをだいたい見ているわけなんですけれども
前に言った八戸というのは青森のいわば東京から考えると玄関口的にあたるね
太平洋側の最大の都市です青森県のね。
発色センターなんてありましたけれども非常に海産物もおいしいし都市としてもすごく発展している街になっています。
青森県というのは江戸時代ざっくり2つに分かれていて
それがこの八戸を中心とする東側と弘前を中心とする西側だったんですね。
かつては江戸時代とかここがすごく仲が悪かったって話をしたと思うんですよ。
それ何でだか覚えてますかね。
裏切りじゃないけどそういう人的な居酒屋があったよね。
そうですそうです。そういうことですざっくり言うと。
これね何かっていうと実は南部家っていうのはもともとこの弘前の方も含めて南部家の領地だったんですよ。
ところが南部のその家臣であった津軽民信っていうこれ弘前派の藩属ですけれども
この人がいろんな作法でもってこの津軽地方で独立しちゃったんだよね戦国時代に。
しかもこのタメノブというのは偉く頭が良かったからその時の数勢をちゃんと見ていて
豊臣秀吉に就いたり徳川家康に就いたりっていう風に権力者に巧みに接近したことによって
本来であれば南部の一部だったはずなのに津軽はさっさと秀吉とか家康にもうお前の場所にしていいよっていう風に独立を認めてもらったと。
そっからすると要は南部からすると盗っと同然だとしかも家臣のくせに裏切り上がって勝手にみたいな。
っていうのでこの南部と津軽っていうのは非常にいろんな因縁が深かった。
本当に昭和とかそれくらいまではマジでインターハイとかでもいろいろなんか問題があったっていう話がエピソードがありますけれども
というとにかくいろいろ居栄えが絶えなかったわけなんですね。
ちょっと話が遡ってしまうんですけれどもそもそも南部っていうのはめちゃくちゃ領土が広かったのがわかると思うんですよ。
だって岩手も治めてたし青森も治めてたしみたいな話ですからね。
何者なんだってことなんですけれども実はこの南部一族というのは元々は源氏の一族です。
出身はなんと山梨県なんです。
これ今でも山梨県には南部っていう町があります。
これ山梨は当然武田信玄の話で以前やりましたけれども武田信玄の武田家っていうのも
貝の国の源氏である貝源氏っていうものの着陸にあたるわけなんですけれどもそれと同族なんです。
つまり武田の親戚なんですこれある意味。
もっと信玄より前々前の鎌倉時代の時とかは一応分けた兄弟だったんですね南部と武田っていうのは。
ところが鎌倉時代に源頼朝に従っていろいろ戦功を立ててたわけなんですけど
その時に最初になった南部光之っていうのがいたんですけれどもこの人は平泉を攻めた時
奥州藤原氏平泉を攻めましたよね頼朝はね。
この時にすごく戦功を立てたことによって奥州藤原氏が治めていた領地の一部を頼朝からプレゼントされたんですね。
そして山梨からその与えられた領地である東北に移ってきたっていうのがそもそもの始まりなんです。
最初は青森県が本拠地でした。
今八戸の話しましたけれどもそのちょっと南側に三戸っていう三つの扉と書いて三戸なわけですけれども
この辺を本拠地にして治めていた大名だったんです。
それが鎌倉時代から始まって南北朝時代でも南部諸行っていうすごい有名な武将が出てきて
すごい勢力を拡大していった。
そして戦国時代に入ってくると南部晴政っていう人物が出てきて
これが信長のやぼうとかやってる人は有名だね。
もう猛将中の猛将。
南部晴政っていうのは結構えげつないこともしてたんだけれども
いろんなことをやって結局津軽の方も全部自分のものにしちゃうし
しかも岩手の盛岡の方はもっと優秀ある奥義さん的な人がいたんですけれども
それもどんどん滅ぼしちゃって南下し始めて
もういよいよ岩手もほぼほぼ征服するみたいなこだわりになって
有名な文句で三日月の丸くなるまで南部寮なんていう風に歌われた。
つまりわかりますこれ意味。
三日月っていう月令がまだ日課とかでしょ。
それが満月になるまでは大体10日以上かかりますよね。
それのなるまでずっと歩いてても南部寮だって言いたい。
そういうことか。
10日間歩いてもずっと南部の殿様が治めている領地だと。
こんなところは他になかなかないっていうことを歌われたほど。
広いじゃないですか今見てもね。
そうだね。
めちゃくちゃ。
なので気候条件とかもすごく厳しいところでありましたけれども
南部っていうのはそういうわけでもう欧州の超巨大大名として
日本の北の王者として君臨した大名だったんですね。
ところが春馬さんが死んでいろいろごたごたやってるうちに津軽ためんどもに裏切られてとかっていう風になって
だんだん領土がその最盛期に比べると縮小していってしまう。
南部はその後南部信直っていうのが春馬さんと継ぐんですけれども
この人もすごく有能な人物でうまく津軽とのごちゃごちゃを解消しながら
なんとか徳川にちゃんと寄り添って南部藩というのは
森岡を本拠地に続くことができました。
ところがですね南部というのはそれで一旦すごくいい大名に思えるんだけれども
この知性は非常に難しくてかつ評価がまったく分かるっていうのが有名な大名です。
これ何かっていうと一つまずプラスの面をちゃんとお話をしておくと
南部信直これが森岡藩初代なわけですけれども
すごく外交内政ともにすごい優れた人物だったっていう風に言われていて
実際今の森岡という町を作ったのは間違いなくこの人の功績です。
要は元々青森が本拠地だったので森岡はわりと新しいんですよ南部の本拠地としてはね。
だからそこを一からこう開発し始めて川の中に森岡城っていう工事も大難航したんですけれども
すごいところを築いてかつ城下町の発展を計画都市でねゼロからちゃんと作っていった。
南部藩の発展
その時に南部はこの東北の一番北の方にいたわけなんだけれども
すごくねやっぱり京都とか江戸とかね日本の都会の文化をどんどん巻き込んでいくことが大事だっていう先見の目を持った人で
いろんなところからその部門のスペシャリストを呼んでくるんですね。
例えば大阪の方そこで日本酒造りの職人たちのなんか団体みたいな組み合いみたいなのがいると。
それをうちの米使ってやりませんかつって持ってきたんですね。
誘致したんです。
そして大阪から移ってきて森岡藩南部家にお召し掛かりになった彼らが南部当時の始まりなんですよ。
だから日本酒造りもこの南部家が始めたんです。この岩手のね。
まあ引き抜きみたいなことでした。 引き抜き引き抜きそうあらゆるところが引き抜いてくるんですよ。
逆に今度じゃあ商業を発展させよう。これからちゃんとお金を儲けなきゃって言うんで。
大見、大見というのは今の滋賀県ですけれども。
大見商人っていうのがね当時はすごい商売にありての流通経済のプロフェッショナルみたいなのがいたんですけれども。
これを持ってきて今度は。
彼らに森岡城の近くに住まわせて城下町のその商業経済の担当させたんです。
だから今でも大見から入ってきた一族っていうのは森岡には多いんですよ。
大見商人たちが機内でねもうもまれて培ってきたすごいプロの経済感覚でもって森岡の町の経済を発展させていく。
実際その子孫とかその起こした会社とかが今の岩手県の近現代の会社にもすごくその流派が残ってます。
なので本当に今の岩手の発展とかそして人材を生んだ背景っていうのは南部の実績がすごく大きい。
そして後は元々南部の一族がね生まれた貝の国は鉱山とかをいっぱい持っていたわけなので。
金物師とかそういうのがいたんですねプロフェッションで武田信玄もそれを重宝してた。
彼らをまあもともとは俺ら親戚みたいなもんじゃないかってことで持ってきたのが南部鉄器の始まりなんです。
それを産業にしようと。でなぜかと言うと平泉思い出してほしいんですけど東北は東北で鉱座に恵まれてる。
それで持って南部オリジナルの鉄製品を作ろうっていうので頑張って鉄器を起こしたんですね。
それでブランドとして確立して江戸時代から今の令和の今に至るまでね盛岡といえばっていうところがずっとあるわけです。
ただ連れてくるだけじゃなくて能力を発揮できる環境がありますよっていう。
そうですねそういうところもねやっぱりこの歴史文化がすごく開設してます。
今単純に盛岡のものって思われてるものが実はある意味盛岡からすれば外来文化だったんだけど今言ったようにそういうのを発揮させてあげる環境だったりとか
保護してあげる政策だったりとかそして今でもそのルーツがねまだちゃんと盛岡に残ってるっていうのがすごいところです。
いいように聞こえるね今の。 そうですそうです。
なのでこれは本当に真面目なくいいことなんですけどもところが盛岡藩というのが難しかったのは
日本でも本当に南京かしかない鎌倉時代からずっと同じ場所を収め続けているっていうすごいところなんですよ。
これちゃんと江戸時代の藩見てもらうとわかるんですけど我らが小田原法上だって戦国時代に国を乗っ取って勝手になってきてるし
武田信玄は武田勝裕が滅びてしまったので江戸時代まで残んなかったよね。
ウエスディはエチゴだったけれども米沢に国が入りになりましたよね。なので700年間同じではないですよ。
ってなってくると鎌倉時代から江戸時代の最後まで同じ場所を収め続けて大名って本当に何個かしかいないんです。日本の中でも。
それだけ長く収められてるってことは上手くやってんだろうなと思っちゃうけど。
だけどその分プライドも非常に高かった。特に許せなかったのは津軽なんですよ。
そしてもう一つ許せなかったのは南になり上がってきて東北の大部分もしかも人気も掠めとっていった大名がいますよね江戸時代に。
伊達か。
東北の今我々が戦国大名でどうしても伊達政宗ね。
勝手にかっこいいイメージについちゃってるもんね。
ヒーローでカリスマ性ありますよね。原理伊達は元々米沢の大名ですけれども東北地方最大の大名日本でも有数の大名を仙台藩として南部よりもいつもより上になっちゃったみたいな。
黒鷹が。っていうんだけどこの南部と伊達もまあいろいろあったんですよ戦国時代から。
つまり南部藩っていうのは両国がめっちゃ広いんだけど西に津軽っていうもう絶対に許せない宿敵が裏切り者がいますよね。
南は南で東のを越えて水槽に入ると伊達っていうこれもまあなんかちょっと名前的なやつがいているというんでこれらとのライバル関係がもう拭いきれないんですよ。
そのために何が起こったかっていうとある時津軽が将軍に取り入って家の核がちょっとなんかランクアップしたみたいになると南部は許せないんですよ。
津軽が俺らより上行かないって絶対に許せないこれだったらいけないっていうんでなんとか資金を調達してワイロとかを送って津軽よりは絶対に上にしてくるということで自分もその何もにかまわず上げてもらおうとする。
けど別に領地が広がっているわけではないですからその時にあくまでも核なんですよね南部が問題視したの。
でだからそれって要は実際の収益とかっていうものはとちぶ広がってないから上がってもないんだけれども出ていくものが多くなっていくわけですよ。
要は行列も整えなくてなんかあれ南部ってあそこ何々核のくせになんか大したみなりもしてねーななんかおしゃれじゃないしダサくねってかそもそも津軽のかっこいいもんとか言われたら終わりなわけですよ。
江戸庶民にそうなってやるともう達成がないんでだから無理をしててもお金を出費してても核を保ちそうとしてこういうことを起こり始めるんですよね。
でそういうことやってるとつまりどんどん出ていくものが増えていく一方になって財政難に陥るんですよ。
でかつきつかったのはこれは南部だけの問題じゃないんですけれども江戸時代は森横半路をはじめとする東北地方は本当に基金に襲われた。
特に天明大基金っていうまあ日本の中でも類を見ないぐらいの大基金がちょうど今の大河ドラマの時代に起こるんですけどもこの時本当に森横半路はお米が全く取れない。
寒冷でもう気候が上がらなくて作物が全部育たなかったんですよ。
で備蓄もあんまりうまくできてなかった関係もあって本当に寮内で多くの飢え死人をしてしまった人が続出してしまってすっごく悲惨な状況だった。
でこの負の記憶っていうのは実は東の物語の恩恵とかにも結構描かれたりしてるんですけれども東北一円ですごい大ダメージを受けてるんですが特に南部半寮はすごかった。
ひどかったと言われてる影響が。
経済と競争の難しさ
でなのでね広いから領土は一見すごく福岡で豊かに思えるんだけど寒冷地で山勝ちで実はそんなに実収益がない。
だけど出ていく一方でプライドは高くてライバルが多いみたいなことで江戸庶民からももうね南部の殿様ってか南部家っていうのはもうやばいというのは有名な話だったんですよ。
あそこはやばい半だとギリギリを引いててもうどうにかこだわってなんか息抜いてるみたいな。
であそこの傭兵たちはめっちゃ悲惨な目にあってるらしいぞとか。
息が起きてるらしいぞみたいな。南部の殿様全然うまく領国うまくいってないみたいな。
でも有名な話だったんです。
ということでね結構ねそういった不納歴史もね一方であったんです。
そうか。でもなんかそのさ当時呼び込んだりとかさいろんな引き抜きをやってきてたわけじゃん。それでもまかないってなかったんだ。
そうですね。途中からどんどんそれがまかないようになっていってるんですよね。
もちろん天才というものがありますから不幸な面も大きかったのは間違いないんですけど。
森岡の町の発展というのもできてたんだけどその南部半領って時で見た時にねなかなか厳しい状況だった。
じゃあやっぱ森岡は結構こう盛り上がってきてるけど他の土地でうまくできてない。
だから屈辱的なことにね三陸海岸の方は特にあの旗旗も少ないですから。
あの崖でさ漁業はうまくいってたかもしれないけど。
大規模な一揆でねよりにもよって先代半領に良民が逃げちゃうとかね。
もう南部なんて嫌だと。
伊達の殿様がいいって伊達の殿にみんなストライクで逃げちゃったりとかっていうそういうことも起こっちゃったりしてて。
でもそれでも認めたくないし認められないですよそんなことはね。
なかなかねその名門たる700年間のね名門のね誇りと苦悩っていうのがね非常に垣間見える難しい判断ですね南部っていうのはね。
難しい。
難しい判断非常に。
おまけにね五針戦争の時には先代半大豆が名所だったけども。
黄泳列般同盟のね一角に加わったせいで。
薩長からしたらね江戸幕府軍旧幕府軍の俗軍都市に扱われてしまって負けて。
でそれでまたいろいろダメージを受けてというね。
割と結構苦しい地勢だったのもまた一方で。
歴史文化館と近代の歴史
なんか時代のせいなのかなんか土地柄のせいなのかわかんないけど。
苦しいね。
苦しいところではありました。
だから結構ほんとさっき言った通り東の物語とかにもその時代背景がすごい反映されてたり。
結構ね深い苦しみと因縁をたたいたね江戸時代の記憶っていうのは今でもやっぱりあって。
結構岩手県内行くとね南部半領行くと天命の大金でね。
亡くなってしまった江戸時代の石ぼどけみたいのがね道端にぶわーっと置いてある空景とかね。
今でも残っていたりします。
というのがありましたけれどもちょっと長くなりましたが。
そういうわけで南部というのは明安ともにねいろいろとあった藩なんですけれども。
少なくともこの盛岡という街の発展を築いたことはもう間違いない。
なのでこの盛岡歴史文化館に行っていただけるとそういったもう欧州の名門700年の名門南部家っていうものがいかにすごかっただってことと。
同時にそれがいかに苦しい道を歩んでいったかっていうことを同時に語ってくれて。
それに対した盛岡市民たちの話もたくさんありますので。
そうか。
その頑張って無理してる将軍を見てる平民の暮らしも見れば。
そういうことですそういうことです。
なんか面白そうだね。
なので非常に興味深いミュージアムでね結構しかも大きいので1時間普通にいると思います。
っていうちょっとお話をねここでまず学んでおきたいと思うわけです。
で本来であればねこの歴史文化館行った後に色々とその南部鉄器のミュージアムとかね民芸の良いお店とかいっぱいあるんですけどちょっと今回はね飛ばします。
ぜひねあの盛岡本当にこれだけじゃないのでね色々と城下町江戸時代のものとかもね興味ある人は探ってみてほしいなと思うわけです。
で今回はただね江戸時代の歴史をこれで学びましたのでこの南部の殿様がいなくなった後の近代の歴史もちょっと学びに行きたいと思います。
そこで行くのが歴史文化館から3分ほどの距離にある岩手銀行赤レンガ館です。
すげえ立派な銀行なんだ。
岩手銀行赤レンガ館の歴史
本当なんか外観は東京駅かなってぐらいの感じですね。
これすごいですねやっぱそう思わせるんですね。
これ東京駅と同じ設計者です。やっぱりそうなんですよ。
いやでも似た雰囲気やっぱあるもんね。
ありますよね。
赤レンガで屋根がねどうなのかな緑っぽくなってきてね。
だからなんか似た雰囲気やっぱありますよ。
やっぱりね分かる通りで。
最初に出た話をしちゃうとこの岩手銀行赤レンガ館作ったのは辰野金吾という人です。
辰野金吾は知ってますかね。
いやー。
機度ないですかね。
この人東京駅を作ったということで非常に有名な人なわけなんですけれども。
それだけじゃなくてね日本の本当に近代建築の父と呼ばれてる非常に優れた建築家で教科書にも載るレベルの人ですこれは。
この人の出身は佐賀県の唐津市です。
これは大人ですねすごく。
日本の建築界を変えた本当に大きな足跡を残した人です。
ただね辰野金吾さんはねこれ作ったと言ったんですけれども一人で作ったわけではなくて辰野金吾さんとその共同作業者だった加西万次という人がいたんですけれども。
この人の共同設計でできた建物です。
できたのは1911年ですから明治44年。
明治の最後の終わりの方ですね。
森岡銀行っていう銀行の本店として建てられたものになっています。
この加西万次さんもやはり森岡の出身です。
地元の人が作ってるんですね。
でもね特徴で言ったら今内田が本当言った通りで赤レンガのねこの美しい緻密でねそこに白い線が入ったデザイン線もある建築の美しい雰囲気と
あとやっぱりドーム状のねこれが東京駅にまさに見えるわけですけど。
しかもこれあのちょっと写真じゃ伝わりづらいかもしれないんですけど道路の角にあるんですよ。
角に斜めな感じで立ってるのでねすごい存在感なんですよね。
でまぁねこの森岡銀行の本店として使われていましたので今ね外科の話ばかりしましたけれども中へ行っていただくと資料館みたいになってて
当時のね銀行の使われていた盗取室とかあるいは金庫の跡とかあるいは今は撤去されちゃってますけど窓口のカウンターとかねそういったものも趣がね残っているわけです。
住房感がやっぱすごいね。
やっぱり銀行っていうならではのね住房感と折り目正しさというかありますよね。
特にこの森岡銀行は本当に地銀としてすごい重きをなした銀行でしたのでやっぱりねそれだけのいい森岡城のすぐ近くですからこれもねもう一頭地に立っているわけです。
であとはやっぱりこの笠井万次さんも森岡の出身というのもありますけれどもこれね赤レンガではあるんですが素材はね岩手県の素材とか東北の素材を使ってるんですね。
レンガは岩手県産のレンガを使ってそして内装ね木材いろいろありましたけれどもあれは青森県のね木材を使ったということでね。
そういうある意味地産地消的なねそういったものを先駆けにもなったという非常に意義のある建築なんですね。
レンガにまでこだわるの結構すごいね。
すごいですねやっぱりこれはね一概には言えないかもしれないけど森岡の人たち森岡の歴史を見たときに訪れるやっぱその未来への投資というか。
やっぱり地元のものとか地元の人に対する投資っていう惜しまないところはねやっぱここにもすごく現れるなという気がしますね。
実はこれね1911年に建てられたんだけどなんとね2012年まで現役の銀行だったんですね。
だから我々が生まれて高校生とかちょうど我々がねあの部活やってるときぐらいこれ銀行だったんですよ現役の。
100年ぐらい使ってるってことですね。
101年間ですか。
すごいね。
森岡銀行はいろいろ合併とか繰り返して最後はね岩手銀行中野橋支店ということでねあの建物が使われてたんですね。
それでまあその岩手銀行今もありますけれどもその支店は役目を終えた後に達野金吾が作ったっていう本当にすごい文化財ですから。
今はその森岡の経済史だったり達野金吾と笠井万次さんの建築の魅力を伝えるミュージアムになっているので。
なんかね言っていただくとまあその歴史文化館で学んだ江戸時代の森岡から近代に入ってマイナスからのスターだった森岡なんですけれども
どういうふうに経済発展をね成し遂げていったかっていうことのね力強い歴史が語られています。
森岡卓木賢寺千春館の展示
その建物で実際に見れるのはなんか臨場感がすごいですね。
臨場感ありますねドラマチックですね非常にね。
なので写真としてもすごく映えますしいいんじゃないかと思います。
そしてねさらになんですけれどもこの岩手銀行赤レンガ館から2分ほど行っていただいたところにあるのが森岡卓木賢寺千春館です。
ついに賢寺が出てきたね。
建物をちょっと見ていただきたいんですけれどもこれはどうですか?
これもセットみたいなすごい素敵な歴史ありそうな建物ですよね。
おっしゃる通りなんですね。
さっきのね岩手銀行赤レンガ館が最初は森岡銀行として創業したわけなんですけれども
遡ること1年つまり1910年に建てられた建物でして
これはね第90銀行っていう別の地銀のね本店だったんですね。
これ本当に2分のところにあるんですけれども
第90銀行と森岡銀行の本店がねほぼほぼ同時期に建てられてるっていうそれがどっちも残ってるんですね。
これを作った横浜勤さんっていう建築家もやはり森岡の出身の人です。
岩手銀行赤レンガ館の方がねいわゆる東京駅のような赤レンガのね華やかなものなのに対して
こっちはねドイツ風のね結構シックなねロマネスク様式っていうちょっとね独特のデザインをね用いたものになっていて。
まあ確かにねちょっと色味は少ないけれどもその形状とかねこの窓の上のね丸とかが多分そういう形式なんだろうね。
はいまさにここが特徴ですね。
このまああの扉の玄関のところにもありますけれどもちょっとこのお日様が昇ってくるようなかまぼこ型といいますか。
こういったものの様式が随所に現れていてちょっとねさっきのものと比べると全然まあ趣の違うね銀行になるわけなんですけれども内装もやはり綺麗ですよね。
そうね。
なんか可愛らしさと貴品とみたいなそういう印象かな。
うんうんまさにそんな感じしますよね。
これらの名建築が一同に関しているのがこの森岡になるわけですね。
でまあね今はこの第九十銀行もうなくなっちゃってるんですけれども先ほど言ったように森岡ゆかりのあるね二大文豪と言ってもいいでしょう石川卓卜と宮沢賢治の業績を紹介する記念館になっています。
どうですか石川卓卜というのは。
なんか俺読んだことあんのかなわかんないな。
まあ教科書とかに載ってるだろうものは一躍の砂とかっていうまああの森岡出身なんですけれども北海道とかに行ってねその北の厳しい環境の中でね主に詩を読んだっていうね。
でまあ溶接してしまったっていうね人なんですけどもこの人やっぱり森岡の出身なんですね。
なのでまあいろいろとね話はあるんですけれどもこの一躍の砂に至るまでのその石川卓卜という人が森岡でどういったね生まれとバックグラウンドを持っていたかっていうことを詳しく紹介してんじゃないかなというふうに思うわけですね。
ちょっと今回はねあんまりそこまで詳しくは語らないんですけれどもとにかくこの石川卓卜の実際のその詩集の初版の本だったりとかあるいは彼のまあ家族構成だったりとかっていうバックグラウンドすごく丁寧に解説してあるのでそういったファンの方はすごく楽しいと思います。
で石川卓卜は森岡の出身なんですけれども宮沢賢治は森岡の出身ではないんですね。
宮沢賢治はさっきからちょっとたべたべ出てるんですけど花巻というね森岡の南の方にある都市の出身です。
だけど森岡中学っていうところにまあこれ今でいう高校ぐらいなんですけど年代。
旧姓の森岡中学ですねに学んだそしてこれは石川卓卜と賢治はなので先輩後輩の間だからですね。
どちらも森岡中学の出身なんですね。
なのでその森岡中学に学んだ二人を同時に紹介しているというふうになっているわけです。
で石川卓卜の方がそういった詩集とかそういったものね原点を置いている文学家のものに対して
文豪たちの影響
宮沢賢治の方の展示コーナーに行くと宮沢賢治は後から詳しく話しますけれどもやっぱりこの独特の童話の世界観とかそういったものを再現して
ちっちゃなプラインタリウム的なねそういったものもあったりします。
宮沢賢治ってね夜高の星とかって我々の教科書に載ってましたけれども
ああいった星とかそういったやっぱり理科系の知識ってものが非常に豊富な人だったので
ちょっと独特なねそういったものをね再現しています。
ただそれと同時にやっぱりその建築ですよね。
この森岡のさっき言った横浜勤さんの作ったロバネスクの建築っていうのは非常に面白いものですから
同時にこれをね堪能していただけるというのでね
あわて岩手銀庫赤レンガ館とこの森岡卓卜賢治青春館を同時にね行くというのでちょっと比較してほしいなと思うわけです。
で宮沢賢治のことはねここでも全然いいんですけれども
この後ね生まれ育った花巻に行きますので
花巻の方がより本格的なね記念館が建っていますのでちょっとそっちにまで譲りたいというふうに思っております。
倉庫しているとねだいたいもうお昼くらいになっているかなと思いますので
ちょっともう早速お昼ご飯を食べに行きましょう。
でちょっと思い出していただきたいんですけれども
前日のお昼に森岡で何を食べましたっけ。
ワンコそば。
ワンコそばありますよね。
あと森岡で有名なものといえば。
三大麺という話。
ありましたね。
冒頭にしてたよね。
あと冷麺と。
冷麺ね。
とジャジャ麺。
そうです。
そのうちの一つジャジャ麺をね食べに行きたいと思います。
なるほど。
それがね森岡卓卜賢治青春館から徒歩7分ほど
これねお城の方に戻ってください。
パイロン本店さんです。
ジャジャ麺ってどういう麺でしょうか。
ジャジャ麺に近いんだよねっていうのは覚えてるんですけど
その明確な違いが俺あんま分かってないかもしれない。
じゃあジャジャ麺は。
肉味噌がね上に乗っててキュウリとかもあったかな。
で中華麺でっていう汁なしの麺ですよね。
そうですそうです。
森岡のジャジャ麺というのも極めてそれに近いわけですよ。
でもこのパイロンさんの本店見てるとね
写真が出てきてるわけですけれども
まずに今言った通りね
白いツヤツヤの麺にキュウリが乗っかってて
でまぁちょっと肉味噌が乗っかってて
で周りにこう生姜とかねお漬物みたいなものも
ちょっとトッピングされていますけれども
このスタイルですよ。
なので基本的には割とルーツとしては同じものなんです。
じゃあこのジャジャ麺のオリジナリティが
どういうところにあるかっていうのを
ジャジャ麺の起源
ちょっと考えてみたいと思うんですけれども
そもそもこのジャジャ麺というのは
何でできたのかっていう話なんですが
これはね戦前にまで話が遡ります。
このパイロンというこの白龍と書いてパイロンなんですけれども
これが森岡で言うジャジャ麺の発祥のお店なんですね。
これを作ったのは高階寛生さんという方で
戦前にね満州
満州というのは今の中国の東北部なんですけれども
ここに行っていた人なんですね。
でその現地で食べた麺料理
これがいわゆるジャジャ麺に近いものだったと思うんですけれども
これがあまりにもおいしいというわけで
それを日本風にアレンジして
森岡で始めてみたっていうのがジャジャ麺なんですね。
やっぱルーツは同じなんだと。
この類のことって結構多いんですよね。
満州由来で持ってきたものって。
今まで出てきたのだと
久留米の餃子50番はまさにそうです。
あれもそうやっぱり九州方面多いですね。
満州由来の餃子とかっていうものはね。
ただこの森岡においてもそれがあると。
なので正直なことを言うと
食べてもこれジャジャ麺と何が違うのかって言われると
独特の食べ方
結構ちゃんと食べ比べないと難しいと思う。
個人的にはジャジャ麺のこのパイロンさんの味は
結構マイルドな感じがしていて
辛ピリっていうよりも割と濃くな感じがするんですよね。
ただやっぱりね
僕森岡やっぱ夏が一番お勧めするのはこれも大きいです。
やっぱ夏にこれ食べるのうまいですよ。
それはもう気候上の問題なんだけども
夏この冷えた麺にきゅうりバンって乗ったら
本当に夏でちょっと辛みはあるっていうメニューはやっぱりうまいですよね。
そうかそうか。やっぱ冷麺にちょっと目が行っちゃうけど
ジャジャ麺もいいよって。
いいと言うわけですね。
ただこのジャジャ麺
特にこのパイロンさんのオリジナリティを話してると
もう大名手になっている食べ方があって
それがチータンタンです。
なんすかそれ。
パイロン本店さんのページ行くと
ジャジャ麺の美味しい食べ方っていうページがあって
それで最初丼がついた時からどう混ぜますか
酢を入れますかとかって色々解説があるわけですね。
最初はラー油やニンニクなどを加えて
自分の好みの味に仕立ててから混ぜて
汁なしで食べてというわけなんですけれども
麺を少し残したところでチータンタンですっていうのが急に出てくる。
当然のように。
当然のようにチータンタンが何かってところからしますけど。
じゃあチータンタン何のするかって
これ大体3分の1から4分の1くらい残してるのがもう範例なのかな。
なんかそんな気がしますけれども。
そうすると4番、お皿に卵を割ります。
これパイロンさんってカウンター席メインの
本当ラーメン屋さんみたいな感じなんですけど
そのカウンターの上にカゴがあって
そこに卵が詰まれてるんですよね。
それを使って自分で割るんですね。
お皿に卵割りました。
そうすると割った卵をかき混ぜたら
店員さんにチータンタンを頼んでください。
お箸もそのまま渡しましょう。
そうすると店員さんがキッチンに持ってってくれて
ジャジャ麺の茹で汁を加えて
ネギと味噌をかけてチータンタンを渡しします。
そうすると味噌とスープを
スープの色が茶色に変わるまでかき混ぜてからお飲みください。
お好みで塩、胡椒、ラー油、味噌などを加えてください。
ごちそうさまでした。
氏名スープみたいなことか。
そういうことです。
いわゆるつけ麺とかの最後に
割りスープ?
割りスープとかあります。
あれです。
あれに近いものですね。
飲み屋街の提案
そこにちゃんと卵を入れて
スープとしておいしく食べる。
卵と汁のスープ。
中華風卵スープとして後半は食べられるよ
というのがこのジャジャー麺のいいところなんです。
知らなかった。
これは温かいので
夏だと冷えた最初の方が夏っぽいなって感じしますけど
さらに寒いときいったらこのチータンタンはすごい温まりますよね。
なるほど。
おいしそうだな。
個人的にはね
僕最初にやった時のいろいろ思うところとしては
調子によってジャジャー麺バーっておいしいから食べちゃうんですけど
最初にもらってある味噌を
いかに残しておくかが結構ポイントだなと。
結構味薄いんですよ。
何も考えないでチータンタンやっちゃうと。
あとから味噌を結構多めに投入したりするんですけど。
チータンタン用に味噌を残しながら食べると。
がポイントだと僕は思いますね。
個人的にはそう思いました。
なのでこの2回ちょっと楽しめるみたいなものが
このおいしいポイントなんですね。
当然のことながらこれね
たくさんこのパイロンさんの手掛けているレトルトのジャジャー麺売ってますから
お家に帰っていただいても
要は卵さえあればできるので
あとは個人的には
鶏ガラスープの素をちょっと加えるとおいしかったりしましたね。
なるほどね。
そうかだから加えてるのは茹で汁なのか。
だから別に味がついてるわけではないってことね。
そうかそうか。
この食べ方がね
パイロンといえばっていう感じがしますね。
これはジャジャー麺なんだ。
これ知らなかったわ。
ちなみにこのパイロンさんね
結構ボリュームあるので
大盛りいけるだろうみたいに思ってると
結構油断してるタイミングになるんで
そこは要注意なのと
ちょっと余談ですが
前日に迷って迷って
取っちゃったんだけど
このパイロンさんがあるあたりは
森岡城の門を出てすぐのところなんですけれども
桜山横丁っていうね
ここもすっげーディープな飲み屋街なんですよ。
なのでこれね
ビールよりは僕は日本酒かなとか
ちょっと森岡のディープなところに
最初から行ってみたいなと思う人は
喫煙食堂に行く前とか
場所的に喫煙になった方がいいな
アルセンヌルパンに近い方なんですけど
この桜山横丁で
はしご酒みたいなのをね
ちょっとそのディープな横丁をね
必ず中央味食街ほどではないんですけど
ちょっとその路地を入っていく
飲み屋街の中にこのパイロンがあるんです。
でそっちに行っていただいて
夜パイロンを食べてもいいかもしれません。
ただねパイロンはね
終わるのが早いんですよ。
締めで12時とか行っちゃうとダメなので
そこは気を付けてください。
なので今回昼に回しました。
余談ですが
興味ある人はその桜山横丁もね
調べてもらえるといいかなと思います。
美味しい店たくさんあるんでここも。
ということでね
パイロンさんでジャジャメンをいただきました。
はい、編集辞典の内田です。
今回もですね
内容が盛りだくさんになってしまって
今回はここまでとさせていただきたいと思います。
次回は
この森岡にゆかりのある
宮沢賢治の故郷である
花巻に向かって
この宮沢賢治について
深掘りをしていきたいと思います。
次回
この大長編になった岩手コースの
締めくくりとなる
最終回となっておりますので
ぜひお楽しみに。
ということで今回はこの辺で
ありがとうございました。
51:13

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