で、今のようなマンション倫理図じゃなかった時代を覚えてはいるんですけど、
駅前はすごい空き地が、大きな空き地が、市が持ってる空き地があったのよ。
たぶんもともとの工場跡なんですね。
まあそういうとこもみんなの気並み、高い高層の建物なり。
で、そこら辺を歩いていくんだけど、いろんなところにね、モニュメントが残ってました。
で、ほら、川口と鉄のつながりのことを話す、主に話すような内容だったんだけど、
ここにあのね、キューポラとかが置いてあるのよ。
知らなかった、私。
で、ここに、この炉とかね、それからキューポラとか、そういったものが実際マンションの一角に記念碑的に残って。
産業遺産みたいな感じってことですかね。
そう、でも別に誰も認定してくれてないけど。
なかなかね、いい風情で。
なるほど。
浜ざらしても鉄だからさ。
まず歩き出してから、最初にまずマンホールの蓋の説明から始めたんだけど、
一番の良いもののわかりやすいもの、大量な商品じゃなくて。
で、ダルマストーブとかを展示してるところはあるのよ、外に。
でも外でも、なんていうのかな、無事なのよ、みんな。
だからね、街中ちょっと歩くだけで、ちょっとした文化、資産巡りみたいなことができるんだよね。
私はあそこは、きれいなマンションになってからは歩いたことがなかったので、
マンションがあんな形で、昔あった木物工場の材料とか、あるいは機械とかを残してくれてるとは思ってなかったね。
だから面白かったですね。
それで荒川の土手まで行って、荒川の土手でコーヒーを入れてくれて、自分とこのままでね。
で、みんなでコーヒーを飲みながら座って、
ちょうど旧プラのある町の吉永瀬由里を通ってた中学校の実際に撮影したところで、
実は建物は、場所ちょっと動いてるんだけど、
でもちょうどその中学校と小学校が、彼女が通った形になって、
じゅんちゃんが通ってたのは中学校なんだけど、そのままの元々の中学校がそこにあり、
土手で子供たちが野球かなんかしてて、風景を見ながらコーヒーを飲むっていうね。
あと15分ぐらいで土手でしょ。川口駅って一番端っこだから。
とてもいい風に吹かれながらね、本当に昔のものが残ってんだなってことをちょっと感動しながら、
ぐるっと本町の方から抜けて、川口神社を抜けて、
ジュモールを歩き、結局アリオまで行って、
アリオって後から来た人とか最近来た人は知らないかもしれないけど、
もともと札幌の工場だったんですよ。
リボンシティって名前になってるけど、リボンストロンを彷彿させるリボンシティって名前になってるけど、
ずっと戦前からあった、水川だから豊富だったからビール工場があそこにあって、
本当に私たちはまだそれがあった頃にすぐそこで会社やってたから、
必ず5月1日はさ、命令じゃないんだよ。札幌ビール工場祭りの日。
ビール1杯目無料なんだよ。
みんな酔っ払いの街に出る日っていう。2杯目から有料になってるんだけど、
昔は知らない、もっと人口少なかった時は、もしかしたらその後もずっと無料だったのかもしれないけど、
5月1日は1杯目無料、2杯目から100円くらいでビールが、できたてのビールがそのまま飲めるのね。
おつまみ売ってる人とかがいてありとか、おつまみ100円とか。
みんなあの、要はその並木本町っていう川口さん西川口さんの千歳川ぐらいのところにある今のアリオのところだけど、
酔っ払いがこういっぱい出る。
でもまあそれであの川口札幌のビールが今も使ってるとこ多いよねとかっていう話したけど、
そこから川口駅の方に向けて線路がそのまま繋がってたところが道になってて、
で、要はそのビールを運び出すその貨車でね。
というあの通りを歩きながら、
なんでここにあのデコ市のモニュメントがあるのかとかそういう話とかをして、
西口広場行って、で、ちゃんと見なかったけど、これから西口はまたほら、西口広場は今度、
上野渡拠ラインのためにちょっと切り捨てられるみたいな話もあって、
でもまあ川口のこれからみたいなのがこうなっていくのかななんて話を見ながら終わりっていう感じのね、
ぐるっと一緒なんだけど、
あの本当にあの一周だけで、川口の本町系のお話ですけど、
本町系というか一番中心、昔からの中心のところね、の話だけど、
実際にリアルで歩いて、地図で見るのとは違うさ、
やっぱりそのモニュメントの数々を見ると、なかなかあのやっぱ歩く会であるなと思いましたよ。
楽しかったです。
そういうのをなんかそういう20代の人とかが関心持って拾ってくれてるっていうのは、
もうね、モネ屋さんなんてほとんど残ってないのよ。
ブラタモリが地理学に果たした役割が大きいんですよね。
要するに地理学って、結構歴史地理学とか人文地理学とかいろいろ分野があるんですけど、
マイナーな人文系の中でもあまりやる、先行する人がいないマイナーなジャンルなんですね。
歴史はやる人がいるけど地理はあまり少ないみたいな。
そこのところが割とブラタモリの影響で地理学が我前注目されてるわけじゃないけども、
ニーズを拾ってるというか掘り起こしたというか。
地理学を学ぶと、あるいは地理学の人たちにはこういう役割があるみたいなんです。
だから歴史地理学とかになってくると、
その土地の歴史を踏まえて地理の変遷みたいなものを説明できるというか解説できる部分が出てくるので、
そうしたところっていうのは地理学の地位向上に果たした役割が大きいというか。
意外と影響してるのね、そういうね。
単に町の歴史だけを辿るってなってくると、
昔芋の工場がいっぱいあったところにマーションが建ちました。
ただそれだけになっちゃうんですけど、その地理学的な歴史地理学的なところで歩いていくことで、
その具体的な町の姿、変遷の様子っていうのは多分浮き彫りになる。
そうですね、川を使って砂を運んだりとか、砂を取ったりとか、
実際できた鉄の生産物を出したりとかね、川を使ってたんだなとか、
あるいは鉄道もこういうふうに引かれてるなとかってことが分かって、
距離感も分かるじゃない、実際歩いてみてさ。
そういう話は紙の上とかさ、あるいはどこかのホールで聞いたり、
教室の中の話だけじゃない部分で歩いて知るっていうのが楽しいなって思いましたよ。
ただまあそうですね、札幌工場だったんですね。
ああ、やっぱり後から聞かせてください。
全然全く知らないですね。
もう大日本ビールなんとか会社っていう頃からあそこなんですよ。
最大のビール工場だったって話なんだけど。
でもなんか水って、あんまり地下水的な部分が、
もともとこのスターチックも目前の階に、西川の参加者の方がいろいろ説明していた、
湿地だったっていう話もある中で、
地下水は割とやっぱり豊富だった。
豊富だったんですよ。だからあの辺ね、
なんていうかな、反対側、あるような反対側ではね、
あれがあったの。金魚屋さんが。
金魚屋さんっていうかその、なんていうの。
池巣みたいな。
池巣みたいな。
養殖のための池ですね。養殖地か。
なので水はただひたすら湧いてたのかと思います。
まあその分水はけが悪かったって言える。
言える、そうそう。だけどまあ実際今工業用に使えてるぐらいだから、
なんとかそこら辺を奥まで伸ばしてね、なんか出してたんだと思うんだけど。
なのでもともと水にまっすがある産業が結構多めで、
でまあ職人さんたちがいっぱい働いていて、
それでまあその盛り上がっている中で、
その遊ぶ場所も必要だよねって言って、
もともとはその川口神社って、
吉島天神とかもそうだけど、その裏とかに何が言ってるんだっけ。
広町みたいな。
そうそうそうそう。
そういうものがあったんだけど、それが動いて西川口に移動したらしいよ、
なんて話とか話をしてて、
実際にまあクリカンとか私は割とリアルにわかるから、
あとまあね王都とかもあるし、
まあそういう遊ぶ、飲む、使うの場所ができたんですよみたいな、
そこに集められたんですよみたいな話をしてて、
まあ歩きながらだとリアリティがあるよね、
このぐらいだったら歩くかな。
いやあそうなんです、だからやっぱり川口王都にしても、
川競馬にしても、戸田系協定にしても、
基本的にそのギャンブル施設がここ以来第2甲子園中ステーションが、
まあやっぱり労働者の街だったっていう。
川口が行けないからです。
だからそれでその当時からやっぱりその、
外国人労働者は昔から多かった街でみたいな話もしてて、
もっと前々前に二羽哲夫さん、
あれ?名前ちょっと間違ったらごめんなさい。
えっとやっぱりその川口の歴史に詳しい資料館の人が、
まあ辞めちゃったかな、いて、
でその彼の著書とかでもあったんだけど、
結局川口のフード、てかその寄付っていうのかな、
芋の職人さんって手に食ない人たちじゃない。
でまあその職の、手に職を持ちながらいろんなとこ転々とするんだけど、
まあここで働いて何年もいて、
突然来なくなっても、
だからさ普通なかなかさ、
はい帰ってきて、またうちでっていう話にならないじゃない。
でもまた帰ってきたら働かせるくらいのゆるーい、
ゆるーいところがあって、
割とそのなんていうかな、
人間の流動性に対してさ寛容なんだよね。
っていうところが土壌としてもともとあるんだなっていうふうに、
その庭さんの話を聞いたときも思ったけど、
やっぱりその実際に、
昨日の今日で変更されたことじゃなくて、
昔からそうやって産業を、
100年、150年のレベルでやってるからね。
だからそういう機質、
こういうふうに外から人が入ってきます、
でこうやって働いてくれます、
もちろんいろいろ面倒を起こしたりとかして、
飲んだくらいで暴れて追い出されます、
でなんかいなくなったなと思ったらまた戻ってきます、
また働きますみたいなのが、
なんかこう普通にありみたいなところの、
まあ機質が出来上がってんだなっていうふうに。
なんかその辺の大らかさが好きなんだけど。
まあでもそうしたところがやっぱり、
たぶんキューポラのある町でも結構描かれてたような気がするんですけど。
そうだね。見たんですね。
なんか前にテレビでやってたときに、
こっちは全然キューポラじゃなかったんだって、
こっちの人たちは言うけど、もちろん違うんだと思うんだけど、
毛石とかさ、畑、田んぼでやるとかね。
東川口はもっと違うだろうと思うけど、
やっぱりなんか踏まえてどういう関係があったのかとか、
関わりがあったのかって知ることで、
なんか多分見えてくるものが違うんだろうなと思うし、
本当にあの昔の歴史としてあんなにはっきり残って、地元の画撮影現場になってて、
面白いから見たほうがいいよって思うと思う。
あれ見てほしいですね。
今も残っている建物とか、今も残っている道路とかね、
あの川口立教とかがちょうどできたところで、
あのピカピカの川口立教は見た。
見れます。
良かったです。だからそういうのを思い出させてみてね。
あの立教の話が出たもんね。
鉄道系YouTuberで、ひろきさんという方がいて。
埼玉の子なんだよね。羽生田か。
川越かな。川越の中心。
坂戸とかね。川越の中心でもなさそうな雰囲気だったよ。
まぁ分かんないけど、まぁあっちの方です。
で、そのひろきさん、鉄道系のチャンネルと、
あと旅行系のチャンネルっていうのをやっていて、
それで旅行系のチャンネルの方から、
で、あのわらびを特集をしたっていうのが間ありまして、
で、我々としては若干不満が残ったという。
そう、すごい不満が残ったって話をね。
だってやっぱりね、わらびの日本車両?あれ?なんだっけ?
日本車両ですね。
車両の話をしないのは嘘だろっていうふうに、
鉄道系YouTuberならすぐ。
そうなんです。あの、日本車両っていうのは、
あの今の柴園団地っていうところがありまして、
たぶん一番初回、西柴ラジオの初回でも言ってるんですけど、
わらび駅から京浜東北線に向かって浦和駅に進む方面に進んでいくと、
左手側にでっかい団地があるんですよね。壁みたいな団地があって。
本当に壁。
柴園団地と呼ばれている団地で、
で、今は結構在日中国人の方の居住割合が多いと。
比率が多い。
比率が多いと呼ばれていて、
で、そこの団地がもともと鉄道の日本車両っていう会社があって、
そこの工場だったと。
で、その工場は土地が今、柴園団地になってるんですね。
で、だから鉄道系YouTuberであれば、
そこに日本車両の工場があったってことは当然。
知ってるでしょうね。あえて触れなかったのかな。
モニュメントもなんかあるよね。残ってるし。
ちょっと鉄渡のフレーバーが入っている私たちにしてみると、
それは言わないような話でしょう。
そこ期待するでしょうみたいなね。
そうそうそう。というところで、
だから本来であればそこが昔の日本車両の工場だって、
なんなくなった土地に出発の団地が建てられた。
かつそこが壁みたいな構造になっているのはなぜかっていう話はあり。
それなんでだろう。
あれはね、そもそも防音目的で、ああいう感じになったらしいんですよ。
なるほど。鉄道の音?
鉄道の音。
そうだよね。
だからそこも鉄道と関係が深くて、
詳しい話は知らないんですけど、
たぶん鉄道の音がわらり多めに響かないようにするために、
ああいう建て方をしているという話を聞いたことがある。
すごい意識的な建て方だもんね、形がね。
逆に言うと、鉄道の音は全部下層団地で吸収されるような形にしているっていうことで、
防音壁みたいな。
防音壁にしているみたいな。
分かる分かる。
それくらい昔は鉄道の騒音ってうるさかったんだろうか。
他が静かだったから何にもないしね。
元々どうなんでしょうね。あそこで貨物も通るんですか?
通ります通ります。毎日通ります。ガンガン通る。
そうしたところで、かつては相当うるさかったのかもしれないですね。
そうですね。
ひろきさんがね、わらび市の歴史民族博物館というのがありまして、
そこにも歴史民族資料館がありましてね、そこにも行ってるんですよね。
中銭堂の家ですね。
中銭堂、旧中銭堂沿いにあるんですけど、
そこでなぜか2階にある平和関係の資料から紹介していたんですけど、そこも面白かったです。
面白かったよね。
旧中銭堂の1階に展示があるんですけど、そっから行くんじゃなくて2階から行くんです。
2階っていうね、結構意識的なさ、意識深い系な人なんだなって思って、
ちょっとびっくりしたっていうか、それより日本車両だろうとか思ってね。
そこの展示との関係があって、要するにわらびって意外に空爆されてるんですよ。
空襲被害を受けていて、そんなにめちゃめちゃ人が死んだってわけではないんですけども、
なんで空襲被害を受けているかっていうと、やっぱりそれも日本車両の向上なんで、鉄道の要請なんですよね、わらびっていうのは意外と。
なのでそのために空襲被害を受けていたりしたっていう部分もあり。
それも鉄道で話せよっていうね。
そうそうそうそう。それも昔の東北線が走っていて、わらび駅っていうのができて、
東北線っていうのは東京と宇都宮とかの東北をつなぐ、東北に行くための路線なわけで、
重要な路線だったわけですね。
そこが大宮まで続いていて、大宮から宇都宮方面と高関方面に分かれるということになっていて、
だからそういうところでも重要な路線だったので、わらびも空襲受けたんですよっていう話を、
鉄道系YouTuberは当然触れているべき。
ひろきさんのことはね、私も本当に可愛くて大好きなんですけど、感じのいい子なんだけど、
鉄道系なら鉄道をやれ。鉄道から話を持っていくと話がわかりやすいし、鉄道ファンにもちゃんと伝わるからね。
それこそ日本車両の後の島津の団地言うあるんだけど、当時は合団。
できたときはもうそれこそすごい反対運動が起こって、
それはあれだけたくさん新しい新住民が来ることに対して、ちっちゃな町としてはかなりインパクトが大きかった。
今それこそ住んでる人たちが、それこそ外国人が増えちゃってっていうふうに言って、
島津の団地に住んでる人たちが入るときも同じように反対運動を受けてたっていうさ、
大きなものが施設が変わるときはそうなるよねっていうことだよね。
ちなみに言うと、島津の団地の住所自体は川口市なんですよ。
そうですそうです。わらびなんだけどね。
わらび駅から歩きで行ける場所にあるんですが、
そこだけ京浜東北線で分断されちゃってるっていうか、
飛び地っぽい感じ。
飛び地、あそこは芝蔵町3のなんとかっていうところになるんだけど、
で、そっちに、おまけで言っておくと別に入れなくていいんだけど、
あそこに川口の教育研究所ってのがあって、
川口に来るとみんな学校入るときに日本語できない子とかは、
あそこで70時間の学習をしなくちゃいけないんだけど、
あそこ4カ所に増えたけど、それでも通うときは自転車使っちゃダメだから、
かなりハードル高いよねと思うけど、
70時間も事前に学習をしてくれるんだよ。すごくない?川口。
多いですよね。
川口偉いよ。いつも。
だから、川口とわらびの曖昧さ。
あ、そうそう。ごっちゃにされる感じね。
一番最初ね、ひろきさんのYouTube、わらびの紹介が来て、
まず東口から行くってことで、ケバブ屋さんに行ってるんですけど、
そう、ハッピーケバブ行ってね。川口だから。
わらびはそこに絶対反発するんだろうなと思いながら、
行くとこ行くとこみんな川口だしね。
最後押しめたところのケバブ屋さんも川口だから。
つかごし入ってないと思うね。あっちはまだギリギリ並木だと思うので。
結構いろんなところ川口だったけどね。
わかりづらい。
わかりづらい。特に東口、わらび駅の東口は、
クラウンっていう喫茶店があるんですけど、ちょっと歩くとね、
そのクラウンから先はもう川口なので、気をつけたほうがいいですよ。
クラウンは川口じゃないの?
いや、川口です。
クラウンから斜めの道。
そう、斜めの道から先が川口。
川口だもんね。
そこまではわらびなんですけど、ギリギリ。
ほんとこのね、お互いですらちょっと曖昧になってくるぐらいの混ざり方を駅前は特にしてるから、わかりづらいよね。
だからクラウンもこの間初めてクラウン行ったんですよ。
はいはいはい。
わらび住んでもう何年かになりますけど、
レトロな感じの昭和レトロな建物で、撮影とかにもね、たまに使われてる。
よく使ってますね。昔のだって昭和のドラマ撮るときにあんなとこあったら便利じゃない?
便利ですよね。でもなんかもうちょっと、
あそこ喫煙オーケーだって。
そうそうそうそう、忘れたね。今時喫煙オーケーなんですよ。
もう入った瞬間に煙がすごくて。
煙がすごくて。
そうですね。
ザッと。
びびった。
それだって今住まない人も多いから、あれだって煙、昔と比べては少ないと思うよ。
昔はもっとモワッていう感じだったと思うけど、今は結構あれでも少ないと思います。
だいぶ前の話になると、新宿駅西口の小田急春久の1階にも喫煙専門みたいな喫茶店があって、
ちょっと新宿駅西口付近を歩いてて、ちょっと疲れたから休憩したいなと思って、
入った瞬間に煙がすごくて。
そっとじする感じで。
そっとじして出てきました。
クラウンは開けた瞬間はそこまででもなかった。
今小倉さんがおっしゃったように。
そこまででもなくて、もくもくしてなかったんで。
うっかり騙されて入った?
うっかり騙されて入っちゃったんです。
入ったらなんか灰皿置いてあって。
入り口に喫煙可能点って貼ってあるじゃん。
貼ってあるんですけど見なかったので見えてなくて。
で、ちょっとクラウンって入ったことないからちょっと入ってお昼食べようかなと思ってね。
入ったら結構煙草。
すごいね。
これはもう一刻も早くね。
食べて出なきゃって注文しちゃったからね。
私逆にだって煙草吸いに入るもんだって。
まあでも私も電子煙草だからもくもくにはあんまり寄与してないんだけど、
でもあの辺で普通に吸えるとこそんなにないからありがたいですね。
だからなんか服に煙の煙草の匂いがつかないかなみたいな。
もう匂いがついちゃうね。
絶対つく。
今二丁目とかもどうなの?
これでも喫煙可能点じゃないの?
まあ二丁目は行くときはもうタバコ前提で行くんで。
あ、諦めて行くんで。
だって夜だしその後人に会うこととかもないし。
ないか、そこそこそこそこ。
匂い気にしないんですけど。
パッと目で入った、パッと見っていうか、
単にお昼のために入ったお店が喫煙可能点だとちょっとびっくりする。
そうね、昼から土にせいだもんね。
だって首都圏で暮らしていて今時分煙当たり前じゃない?
うん、当たり前当たり前。
で、ドトールとかね、普通のカフェとか入ると喫煙ルームが設置してあって、普通に分煙。
あるとこなんてまだよくて、全然ないとこもいっぱい増えたよね。
だから分煙の当たり前だから、喫煙可能点って。
結局なんかもうちょっと時空を超えた。
でもあの雰囲気はやっぱ喫煙可能じゃなかったら出せなくない?
クラウナーの雰囲気。
撮影に使う理由がよく分かる。
本当にね、店員さんもみんなね、恒例でね、記念遺産、なんとか遺産で残したいぐらいの感じ。
昭和遺産みたいな感じ。
ね、ほんと昭和遺産です。
まあ、あんな場所が残ってられんのも。
メニューもちょっとやっぱ昭和でちょっと懐かしい感じ。
懐かしいよね、生姜焼き定食とか、プリンアラモードとか、クリームソーダ。
狙ってんの?
狙ってるんじゃないですかね。
もうすでに狙ってるよね。分かってやってると思うんだよね。
プリンアラモードおいしいよ、あそこ。
あ、そうなんですね。
うんうん。
ほんとに昔の林檎がさ、こう。
あーはいはいはい。乗っかってるような。
そうそうそう、あんなプリンアラモードが出るんだよ。
そう。だから今プリンアラモードって出す店、中茶がしてない?多分ね。
プリンはあってもね、プリンアラモードって、あの船型のね、お皿にクリームとプリンとフルーツもみかんの缶詰のやつと、
なんかそんな感じで乗ってんのよ。あれね、あそこで食べるべきはプリンアラモード。
昔あの、僕が大学院生だった頃ぐらいはシャノアールっていう。
あーはいはい。
あの、どっこりのシャノアールっていう系列のチェーン店があって。
ありますあります。今もありますよ。
あ、今もうなくなっちゃったんですよ。
え、なくなったの?あれ何になったの?
いやシャノアール潰れて。
潰れただけか。
シャノアールはあのプリンアラモード置いてあったんですよ。
あー。
昔。
そうなんだ。え、潰れたのシャノアール?衝撃で死にそう。
それも20年近く前。
わらべきの東口にあったよね、シャノアール2階に。
とですね、シャノアールはコーヒーチェーン、ウィキペディアによると概要、1965年創業でですね、
1995年には日本全国にコーヒーハウスシャノアール75店舗を展開したが、
2000年代以降はコーヒースタンの方針のカフェベローチェ、ベローチェとの系列店舗ですね。
あー、そうだそうだベローチェになっちゃった。
2010年代には再び首都圏1都3県へ店舗も縮小し、
2014年10月時点でシャノアール23店舗が経営されていた。
徐々に縮小していって、2023年に京王八王子店が閉店したことで、
コーヒーハウスシャノアールブランドは姿の消えたと。
だからベローチェみたいなスタンド、ソリッドトールみたいな感じの形式のカフェが増えていったことで、
シャノアールが消えてしまったみたいな感じですね。
それによりプリンアラモートとかも消していって、その中クラウンだけはまだ提供している。
美味しい、本当に。
で、自分がクラウン入って食べたのは焼きそばでしたよ。
喫茶店で焼きそばだ。
確かに、あとモーニング3種類あって、
モーニングもなかなか昔ながらのね、卵がついてパンがついてみたいなのがありますよ。
意外とバラビ駅東口はクラウンも含めて昭和レトロっぽい雰囲気をいろいろ感じられるところがあるので、
一旦そういうのを楽しむために来てもらう。