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2026-02-19 58:39

#134-2【和歌山&大和郡山】ザ・ネバーランド天正紀Part2後編【豊臣兄弟!】

梢は高く、根は深く ザ・ネバーランド天正紀2日目後編


今回のコースはスペシャル企画!

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」ゆかりの地を巡る歴史コースです。

ドラマの主人公である豊臣秀長が治めた、和歌山そして大和郡山という2大都市に焦点を絞り、その風土や歴史を詳らかにします。ともに“難治”だった両国の特性を明らかにすると、秀長の手腕やその歴史的な役割も自ずと明らかになり、ドラマを視聴する楽しみもグッと増えるはず!

ドラマのネタバレも含んでいるのでご注意を!


【目次】

~ 豊臣秀長の前半生は前編に詳しいです!

~ ★歴オタ話★ 中世から近世へ 歴史の転換の試金石となった紀州と秀長

~ 和歌山が誇る歴史と人物がずらり 【わかやま歴史館】

~ シンボリックな天守閣と風雅な庭園と 【和歌山城】

~ ★歴オタ話★ ”天下の名補佐役”として 豊臣政権と秀長の活躍

~ 和歌山から大和郡山へ 秀長の人生を辿りながら

~ 街の魅力へ誘う一杯を醸す 【中谷酒造 柳町醸造所】

~ 大和郡山の魅力あるまちづくり そのキーマンの隠れ家バル 【KISSA 喫酒と喫サ】

~ 1日の振り返り


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サマリー

このエピソードでは、2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」のゆかりの地を巡る歴史旅行の2日目後編として、和歌山と大和郡山に焦点を当てています。特に、豊臣秀長が治めた和歌山城とその周辺の歴史的意義、そして秀長が紀伊国を統一政権下で統治するために行った刀狩りの原型や和歌山城築城の経緯が詳しく解説されます。和歌山城では、歴史館で近代の偉人たちについても触れ、城の天守閣や美しい庭園、珍しい「箸廊下」が見どころとして紹介されます。その後、大和郡山へ移動し、豊臣秀長の最後の本拠地となったこの地の魅力を探ります。特に、地域活性化の取り組みが進む中谷酒造柳町醸造所や、プライベートサウナ付きのバル「喫茶・喫酒と喫サ」が紹介され、大和郡山の新たな可能性が語られます。この旅を通じて、秀長の歴史的役割や、現代における地方創生の取り組みが浮き彫りになります。

00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。
内田です。 今回は【小杖は高く根は深く】ザ・ネバーランド天正紀の2日目の後編となっております。
今回は、和歌山が歴史の転換点の中心であったという話。 そして夜は、いよいよ大和郡山に入っていきます。
今回のコースのテーマである豊臣秀永については、前編の方で詳しく話をしておりますので、まだお聞きでない方は、ぜひそちらも併せてお聞きください。
それでは後編です。どうぞ。
豊臣秀長と紀伊国の統治:和歌山城築城の背景
いよいよ和歌山市の観光の本丸、そして町の本丸でもある和歌山城を最後に行きたいと思うんですね。
ちょっとここで言ったら、その前に秀永の話に復習をさせて欲しいというふうに思います。
1585年に、秀吉は秀永とかを主役にして、太田城を攻めました。
最果宗はそれで滅びましたね。
だけれども問題になったのは、最果宗が滅んだ紀伊の国を誰がどうやって治めるんだということになったんですよ。
最果の話でしました通り、紀伊の国っていうのは、古来統一政権とかにちゃんと服属したことっていうのはあまりない国なんですね。
特に中世は、それぞれの豪族が力を持ちすぎていって、かつ山とかで隔絶しちゃってるから、
中央の権力っていうものを伝播するのは非常に難しい国だったというわけで、
それぞれの豪族の力が独立国があって、それが共和国だっていうふうに昔の人たちは言ったと。
その最大の例が最果宗だったわけなんです。
秀吉はその最果攻めを行った時の事情に分かる通り、紀伊の国を放置しておくと大阪が危ないんですよ。
だから何としてもここを抑えておかなきゃいけない。
だから最果の二の舞が起きちゃう可能性があると。
そう、だからこそ信頼できる人、能力のある人。
だけど紀伊の国なんて誰も収めたがらないんです。難しいから。
そうだろうね。
超難易度高いタスクなんです。
っていうから、まあじゃあ仕方ないよね。やっぱお前がやってくれるしかねえわっていうふうに引っ張り出されたのがやっぱり秀吉かなって。
いや損だなあ、マジで。
はっきり言って便利使いな感じもしますよ。
いやあ、よく言うなあ。
秀吉っていうのは非常に繊細な人物だって僕は思うんですよ。
すごい相手の心がわかるってことはそれだけ相手の目を気にしたと思うんですよね。
だから物を頼むのも実はなかなか頼めなかったと思う。
要は本当の意味で払われて頼められる人って実は彼にはいなかった。
それがかなりの孤独であり悲しさなんですけれども。
それが秀長だった。唯一のほぼ存在が秀長だったと思う。
これをだから徳川家康に金を納めてくれませんのかとか言うと、また戦いになっちゃうかもしれないです。
で、じゃあ長職家がどうだとか毛利がどうだとか言ったら危ないんですよ、こいつらに任せると。
なるほどね、まあそうか。
結局最適と考えて秀長に託したかもしれないですね。
そう、結局そうです。最適解だと思います。
事実としてポジティブな意味でも。
ただここで大きな出来事が起こります。
これが実は今回のひとつセーマでもあるんですけど、
秀長は金を納めるわけですが、
並大抵のもんじゃ納められないわけですよ、金というのは。
秀吉は当然それもわかっている。
から秀吉・秀長の兄弟はこの大田城で最下宗を滅ぼした後に何をしたかということなんですが、
ここで出てくるのが刀狩りなんですね。
刀狩りっていうのは秀吉がやったこととしておそらく教科書も載っていると思います。
なんとなくわかりますかね、そのニュアンスというか。
その刀を没収したわけだよね。
そうです。当時の戦国時代の社会というのは、
農民とかそういった地侍みたいな奴らもみんな刀を持って武装していたわけですよ。
あと仏教の僧侶とか。
でも紀伊の国を見てみると、そういうことをやっているから結局、
地侍だとか寝殺しだとかっていうのを物騒な人たちになっちゃっているわけですよ。
これで一回最下宗を滅ぼしてたので、
そういった忠誠的な社会、忠誠にどっぷり使って紀伊の国から、
そこからまず忠誠の飲酒というのを絶っていかなければいけない。
一般的に刀刈り例というのは、1588年に全国にこれをやったというのが教科書に載っているんですけど、
その原型というのを最初にやったのは、この紀伊の国においてやっているんです。
なるほど。だから急に全国にやったわけじゃなかったんだ。
紀伊の国で秀吉の名で初めてお触れを出して、
これをモデルケースに改良を加えたものを3年後くらいに全国にしていたんです。
つまり何を言いたいかというと、
この紀伊の国というのは、中世から近世へ転換するフィールドになったんです。
実験場になったんですよ。それをやったのが秀吉谷秀長だったんです。
ここでうまくいくかどうかというので、その後の政権とか日本の社会の運命が変わるところになったんです。
そうか、だからそのちっちゃい規模でいろんな勢力がいるという難しいところをうまくできれば、
それを全国に広げていけばまたうまく統治できると。
そうそうそう。逆に言えばちっちゃい奴らしかいないから、
表だって超巨大大魔が立ち上がってこれに反抗するっていうリスクも少なかったとも言えるかもしれない。
けどこの肩流れがどこまでちゃんと紀伊の山々裏裏まで敷かれるかってことによって、
今後の日本の将来の一つの日本のしくずだと思ったのかもしれない。
これをやったのが紀伊の国なんです。
なるほど。
同時にそういった武装会社をとにかく進めると、秀永はね。
だけどその肩流れなんて急に言われても嫌じゃないですか、刀を持ってた人たちからしたらね。
だからどうするんだってなった時に、ある程度もう時代が変わったんだってことを示さなくちゃいけないと。
つまり今までは中世でそれぞれの侍がそれぞれのちっちゃな土地を治めてればよかった。
それで共和国やってれば紀伊はよかったけれども、
今からはもうそういうスケールじゃなくて、日本という国がやがて豊臣家のものになるんだと。
だから紀伊だけ特別なんてわけにはいかないんですよと。
というわけでその権力の象徴をちゃんとアピールしなければなんねえって秀氏は弟に言った。
秀永はその命を受けて城を築き始めるんですね。
それが和歌山城なんです。
なるほど。
大阪との連絡とかを考えても、
熊野の南の方に城を築いたところで超不便じゃないですか。
特に最下っていうのが一番危ない地域だから、過去の経緯からしてね。
最下を目の前で見張っていられる。
で、象徴的な城を築けというんで和歌山城ができるんですね。
なのでこの和歌山城を築いたのは秀永なんです。
そして同時にこの和歌山っていうのは本来岡山って言ってたんです。
今の岡山県。
それを時代が変わって豊臣家のもとで栄える新しい縁起の縁に示しなきゃいけない。
そういえば近くに和歌浦、和歌野浦があった。
それを掛け合わせればいいんじゃないかって。
和歌山っていう地名ができたのもこの時なんです。
秀永がある意味この和歌山を作った。秀吉でもあるんだけど。
というのでこの和歌山は今回のタイガドラマでめちゃくちゃ大事なんですよ。
なるほどね。
1日目の冒頭で土地が大事だって言ってたよね。
タイガにおいて土地が大事って話してたけど。
そうかって俺は思ってたけど。
なるほどね。
その時代が変わった象徴としての和歌山っていう地域なのか。
そうです。
つまり中世から近世の転換点なんですね。
和歌山城の築城というのが。
それは最果宗みたいな中世社会にどっぷりつかった特殊な社会がこの木にだけ存在していたからなんです。
ということでした。
ということで和歌山城を見に行ってみましょう。
和歌山城
富士から自転車で10分ほど行っていただいたところにあるのが和歌山城なわけなんですけれども。
和歌山城と近代の偉人たち
その和歌山城が山の上にありますので。
まずは山路に自転車を停めたいと思うんですね。
その停める場所としてですね。
和歌山歴史館というところに行ってください。
これは和歌山城の敷地内、西の丸の中にある博物館です。
比較的新しいミュージアムですね。
主に奇襲徳川家の話がメインになるんですけれども。
和歌山城の構造だったり、築城の経緯だったりっていうのも結構詳しく解説されています。
ここで秀永の話もよく出てきますね。
奇襲徳川家の話にまた戻ってしまうのがあれなんですけれども。
奇襲徳川家は非常に文化的にも先進的な人たちでした。
吉宗みたいな名区ももちろんいたんだけれども。
その後ね、春富とかっていう人が出てくるんですけれども。
これ映っては十三郎の時期だった人ですが。
江戸時代の後期ですね。吉宗とかの後の人ですけれども。
その人たちは和歌山の町の文化とか派手に貢献をした。
具体的にはお庭を作ったり、お茶室を作ったりっていう。
そういう風雅な文化を町に浸透させた名区もいたりするんですね。
そういったこともよく和歌山歴史館では解説されています。
あとは和歌山市立博物館とかにはなかった要素としては。
近代の和歌山っていうこともすごい解説されているんですね。
和歌山人物担保、和歌山市の偉人先人。
ということでこれ5人の人にフィーチャーしてやっています。
それは誰かというと、時代順に武蔵宗光。これ覚えてますかね。
教科書で見た名前ですよね。
武蔵宗光は幕末から明治にかけて活躍した外交の政治家でね。
有名なところで言うと、日清戦争の時の外務大臣。
下関条約で交渉に当たったりとか。
あるいは、いわゆる幕末以来大きい不平等条約の改正に最初に成功した人です。
日英通商公開条約っていう条約を結んで、
不平等条約の一つであった治外法権っていうものを撤廃に成功したっていうんで、
歴史に名を残した名外務大臣ですね。
この人は奇襲犯のででした。
奇襲犯は徳川方ですから、本来薩長土比の反抜政府にはこんな人入れないはずなんですけど。
ムツムネ三は早い時期からもう外に出てて、
坂本龍馬の弟弟子みたいな感じでね、龍馬にくっついてたんですねずっと。
だから龍馬とともに活躍していたから、ある程度その土佐の人たちとも親しかった。
その人は和歌山市に生まれた人。
あるいは、源隈くまくす。
この人はね、これはちょっと今日はやめておきましょう。
この人は一日中の冒頭で話した、日本の最新聞にたどり着いた人なんですね。
なので熊野の方の会でぜひ詳しく話したいと思いますが、
教科書には載ってないかもしれないんだけど、日本の文化を語るってすごく異質な存在なんですね。
でもすごい興味深い学者です。
そして3人目が川端隆史。
これ覚えてますか。
今名前聞いて、今やったっていうのすげー思い出した。
これはちょっとマニアックな質問かもしれませんがね。
岩手県の1日目に中尊寺金色堂の話をしたんですけども、
あの時に夢っていう藤原三代のミイラが火継ぎから解き放たれたあの瞬間を絵に描いた。
それを描いた人です。
そうだ。聞き覚えあったな。
そうですね。
昭和時代、だいたい戦後に活躍した人ですが、この画家さんですね。
これも和歌山市の出身です。
そして和歌山市の出身の人物としておそらく一番有名なのが松下幸之助さんですね。
これは何をした人かって覚えてますか。
松下電機だよね。だからパナソニックか。
そうです。今のパナソニックを作った人ですね。
経営の神様なんて言われてね。
もう今この経営者たちがみんなをお手本にするっていう日本で一番有名な経営者じゃないでしょうか。
ビジネス賞めちゃめちゃあるもんね。
神様すごいじゃないですか。松下幸之助の思想とかさ。
これ人は和歌山の人なんです。
大阪で商売を主にやった人なんですけれども、和歌山に対しても非常に大きく地域貢献をしてね。
和歌山城のお庭の修復とかにも携わった人でもあります。
お金をすごい出したんですね。
なのでこうやってすごい偉人として謙称されてるところもあります。
あと有吉沢子さんっていう小説家。
この和歌山を舞台にした名作を多く残した女流作家さんで。
花岡青春の妻っていう歴史小説が和歌山舞台にした話なので。
これもいずれまた熊野の時とかにやれればいいかなと思っています。
あとこの5人になりませんが、今のヤマハ楽器の創業者も和歌山の人ですね。
あれは浜松の人じゃないんですね。
そうなんだ。
工場を浜松に作ったから今も浜松にあるんだけど、出身は和歌山なんですよ。
だからそういう実量家とかね、そういう人は和歌山を多く輩出してますね。
そんな偉人たちの話もやってます。
今回は秀長の話なのでもうこの辺も触れませんが。
和歌山市というもののね、町の力というのはこういうところにすごい現れていますから。
ぜひね、ちょっと戦国時代ではありませんが。
ここをね、歴史館ならではの展示なのでね。
見てもらうといいんじゃないかという気がします。
そしてこの歴史館で自転車を置いて見学をしてもらいましたら。
いよいよ和歌山城の本丸まで登ってみたいと思います。
山の上とは言いましたが、せいぜい丘の上くらいな感じです。
もちろん石垣ですけど舗装はされていますので。
ちょっとした歩きやすい服装であればね、大丈夫かなというふうに思います。
和歌山をちょっと写真見てみましょうかね。
これ画像で見ると結構山の上っていう感じがしますね。
まあ山路からあれって10分はかかりますね絶対ね。
15分くらいかかるかな。
これすごい立派なんですよね。
いやかっこいいよね。
見下ろされてる感じがやっぱありますよね。
やっぱり和歌山の街で夜飲んでていても、道の間からこれが見えるとやっぱりすごいなって思いますね。
やっぱりライトアップもしてますので。
特にこの最下の時に話しましたけど、和歌山市のあたりは木の川の平野で停止地帯ですから、
山の上にこれがあるってやっぱりすごい象徴的なんですよね。
やっぱりここしかなかったんだろうという感じがします。
なあそうか、下に作っちゃうとまた湿地で同じようなことになっちゃうからね。
だしやっぱりシンボルという意味ではちょっと弱いですからね、存在的には。
これは紀州徳川家の時の城、これは空襲で失われてしまってたので、
それを戦後に復興したものになるので、最近の建物ですけど、
でも外観とか非常に忠実に再現されてますので、紀州藩時代の江戸時代の城ってのはこんな感じだったはずです。
で、これの原型、ここに初めて城を築いたのが秀永だったんですね。
ここはトラフス山、トラガフス山と書いてトラフス山なんですけれども、という山の上に建っていて、
山の上に天を貫くみたいなドガーンみたいな天守閣じゃなくて、
割と砦的なね、ちょっとずんぐりとしてるんだけれども、
要塞施設が山に連結しているみたいな感じで、
ちょっとこれはこれで安定感、重厚感のある面白い城だなと思いますね。
下から見てる写真でもね、この城壁ですかね、結構長く続いててね、
横に広いんだろうなっていう感じがありますよね。
そういう通りですね。
これをなのでぜひ目指していっていただきたいと思っていて、
天守閣の中はやはり博物館みたいになっていて、
和歌山城の歴史だったりとか、紀州藩の持っていた武具とかね、あったりします。
ちょっと面白いところで言うと、紀州藩はね、いろいろ弓とか鉄砲、
最下の誇りもあったんでしょうかわかんないけれども、
そういったものにすごい長けていて、
33弦道って京都にありますけれども、江戸時代の不思議なスポーツで、
33弦道の長い距離を弓で持って、
1日間に何本的に当てられるかみたいな謎のスパルタ競技があったんですけれども。
ホームランダービーみたいな。
そうそうそう、まさに本当そうですよ。
で、オールスターが出るわけですよ。
それを日本記録を作ったのが紀州藩だったりするんですね。
紀州藩の何ヶ志っていう弓の名手が優勝したんですよ。
っていう話もあったりします。
ちょっと紀州藩って特別な、なんか不思議な藩なんですよね。
全般的に。
そんな小ネタもありますけれども、
あと見どころとして押さえておいていただきたいのが、
天守区を目指すのはいいんですけど、
その帰りでも行きでもいいんですが、
庭園もすごい綺麗なんですね。
池があってね。
紅葉の写真がたくさんあってね、綺麗ですね。
紅葉の名所ですね。
写真見てると割とこじんまりしてるけど、
綺麗な池の庭園という感じですね。
そうですね。でも結構実は広かったりします。
これが西の丸庭園と言って、
紀州徳川家が作った庭園でね。
いわゆる知仙開遊式っていう、
泉を回って楽しむという感じで、
非常に木とかもアズマヤとかも、
すごい効果的に生えされているので、
今我々が見てもすごくいい庭園だなと思いますね。
ここも無料で入れますので。
あとはね、ちょっと面白いところで言うと、
お箸廊下っていう。
めっちゃ綺麗で長いなこれ。
超長い廊下ですねこれ。
これももちろん当時の建物ではないんですけれども、
江戸時代にはこれがもちろん実際にあって、
西の丸と他の車を繋いでいた、
それを堀を橋渡しにしたっていう橋なんです。
豊臣秀長の功績と大和郡山への移動
これは藩主と、ごく限られた人しかね、
渡ることが許されなかったと。
藩主みたいな超ビップが通るわけですから、
セキュリティ上の安全を考えて、
開けっぱなしじゃなくてこの小さな窓でね、
誰がいつ通ってるかあまりわかんないようにね、
ひっそりここでかけられていたんだけど、
すごい見た目は風華でいいですよね。
これ斜めになってるんだね、階段みたいな感じ。
そう、緩やかな不思議な階段になってるんですよ。
この外からの写真見ると不思議だね。
橋でもないし、廊下なんだよね。
面白いね。
これ我々も入ることできるんですけれども、
昔と同じようにね、これ土足ではダメで、
靴をね、入り口のところで自分で持って、
行かなきゃいけないことになってます。
じゃあ当時のビップ気分を味わえるわけない。
逆にということです。
でもこの小窓から見た和歌山城もすごい綺麗なんですね。
なのでこれ庭園に連結していますから、
庭園だけ見ると過ぎちゃうんですけど、
このお箸廊下も中入れるよっていうのを
ぜひ覚えておいていただけるといいんじゃないかと思います。
といったね、和歌山城です。
なのでやっぱり宗徳川家の話がメインになっちゃうんですけれども、
そもそもこの秀永がなぜここにね、
築城したのかっていう意味合いだったり、
それまでの最下宗との関わりだったりとか、
中世から金銭の転換点になった城だというところね、
そういった価値を見てこの和歌山城を見上げていただくと、
なるほどやっぱりここにこれだけのものを作った理由はあるんだなとね、
納得いただける部分があるんじゃないかなというふうに思うわけですね。
なるほどね。
で結果的に言うとね、
秀永はこの貴宗というものを、
なかなかねやっぱり彼一代では昭和化できなかったのが事実なんですけれども、
それでもこの和歌山城を中心に、
初めてこの統一政権がね、
直に乗り込んできて貴宗を治めるということには成功して、
熊野の方のね、地産村たちも秀永に服属して、
この水軍とかもね、秀永の軍として活躍することになります。
すごいね。
秀永はね、そういうわけでいつも兄の尊な役割をやらされているわけなんですけれども、
すごく人格が良かった、人柄が良かったということで、
周りの武将からの信頼もすごく厚かったということで、
将を束ねる将みたいになっていくんですね。
まあ立場もすごい高いので。
なので和歌山を漁した後には四国攻めです。
これいわゆる調査壁攻めなんですけれども、
都座の調査壁もどっちかが言うことに従わないと。
四国ほぼほぼ調査壁になっちゃってると。
いうんで、これの交渉うまくまとまらないんで、
当初秀吉が出陣して秀吉自らやっつける予定だったんだけど、
秀吉が体調不良になっちゃったんですね。
っていうんで代理に誰か行ってくれと。
いったん秀長が行くことになって、
毛利とか周四国、宴会の代表とか束ねて、
見事にそれを成功させた。
よくいろいろできるな。万能だね。
万能。そんなに何でもこなす人だったようですね。
だからなんかすげえ武勇伝とかあるわけでは全くないんだけど、
すっごい安定感のある働きをする人で、
かつみんなから信頼が厚かった。
大和郡山の新たな魅力:中谷酒造と喫茶・喫酒と喫サ
その調査となるのがね、
これは秀長の後半戦に関わる話なんですけれども、
だんだん豊臣政権が大きくなっていくと、
結局全国の諸大名が秀吉のものに付属してくるわけですよ。
そうなってきたときに、
秀吉一人にみんなお届け物とかお願いとかをしても、
秀吉はさすがに捌ききれないわけですよ。
全国何十万という人がやらなきゃいけないと。
といったときに、ある程度その前段階で、
営業課長みたいなのが現れて、
要は取り継ぎってこれ本当にあった話なんですけれども、
例えば九州の何々さんと大阪の何々さんが取り継ぎ、
営業担当者みたいな同士でやって、
その営業担当者が上司である秀吉に回しておきますね、みたいな体制を組むのが、
これ戦国時代の外交の常識なんですね。
これをやったのが三河の石川一正だったわけなんですけど、徳川においては。
それが裏切ったっていうのが大問題だったって話もしましたけども。
その取り継ぎの一手に最悪の方になったのが秀長だったんです。
だから面白いのは、
秀長っていうのは四国攻めで持って張則部を攻めて、
これを降伏させたんですけれども、
その一方で張則部が秀吉に降伏しました。
挨拶に大阪に行かなきゃいけない。
なった時にそれを取り継いであげたのがまた秀長だったんですね。
なんかギクシャクしそうだね。
そうそうそう。でもそこはギクシャクするというよりも、
もうそういったシステムなんですよ。
個人的な感情云々という。
あとは同時にただ個人的な部分があったとしたら、
秀長がそういったところに対してすごい調整能力を長けてた。
それは家中のよわけわかんない鼻息の荒い少年たちをまとめてたっていう
調整能力に由来してるんじゃないかとも見られますけど、
とにかく人と人との間を取り持ってあげるとか、
そういったことにすごい長けてた人だったようなんですね。
だから実際に張則部も秀長を返して秀吉に挨拶しに来てるし、
以前文後の大友宗林っていうのがいましたけれども、
キリスト教国を築こうとした人ですね。
彼は島津に耳かわの戦いで負けて、秀吉に助けを求めに行く。
その時もやっぱり秀長が取り継いだったりしてる。
だから主に西日本の大名たち、毛利も含めてなんですけど、
秀長を返して秀吉とコミュニケーションを取るっていうのは結構当たり前になってきていて、
その点でも秀長の豊臣政権の位置っていうのはすごく大事なものになってた。
けど地味なんですよ。
そうか確かに取り継ぎっていうね、もう間に立ってるだけじゃないんだけどさ。
そうです。
それはあんまり目立たない。
目立たない。
トラブルを起こさないのが仕事なの。
そうか、そうだね。
トラブルが起こった時に出動する戦とかじゃないんですよ。
そもそも戦がない世の中、トラブルが起こらない世の中にするためにこの人はやった。
これが秀長の繁盛というか、一番大きな働きだったわけです。
で、これはやっぱり木、この和歌山、洋室辺りから表立って出てくるんです。
というのがこの秀長と貴州の関わりになりました。
その後半戦においては秀長は貴州から大和郡山へ移ります。
ので我々もそろそろ和歌山を後にしてこの大和の国の方にちょっと入っていきたいと思うんですね。
ということで和歌山城を見終わりましたら和歌山県の観光今回終わりです。
徒歩10分ほどで和歌山歴史館近くの駐輪所に戻っていただいて、自転車をピックアップしたら和歌地下レンタサイクルまで15分ほどで戻ってください。
和歌地下レンタサイクルでだいたい4時頃になるかなと思うんですが、レンタサイクル自転車を返却しました。
よろしければこの間に金鉄百貨店とかもありますからお土産とかも購入していただいて、和歌地下レンタサイクルから直通で和歌山駅に行けますので、和歌山駅に行って奈良県の方に移動します。
16時9分に和歌山駅を出発するJR半和線ってものに乗っていただいて、これ長いんですけれども1時間15分ほどかかります。
大阪に1回戻るんですね。国上して天王寺というところですね。天王寺まで戻る。天王寺から奈良の方に分岐するんですね。
なので天王寺に乗り換えていただいて、JR大和線大和寺快速という奈良方面に行くものに乗り換えていただいて、だいたい30分ほど行っていただくと郡山駅があります。
いよいよ豊臣秀長の最後の本拠地となった大和郡山に入るんですね。今でいう奈良県大和郡山市です。
この郡山の駅に行ったらここがちょっと注意点があります。ぶっちゃけ言いますと大和郡山っていうのはちょっと地図見ていただければいいかな。
今郡山駅ありますよね。それから北の方行ってもらっていいですか。もうそこ奈良駅なんですよ。
つまりJRで行くと郡山駅と奈良駅って一駅なんです。
ってことは何が起こるかというとですね、大和郡山市に泊まるのがめちゃくちゃ難しいんです。
つまり県庁所在地である奈良市がもうすぐ目の前にありますので、大和郡山っていうのは宿がめちゃくちゃ少ないんです。
あるにはあるんだけど、これいいことなんですけど、昔の街並みがまだ残ったりしてるので、美しほとかはないんですね。全然郡山の中に。
逆に美しほの機能は奈良で十分なわけなんですよ。
なので僕自身も正直なこと言うと郡山に泊まったことが一度もないんです。結構お高めな料理旅館とかもあるんですけど、ちょっと僕はなかなかそこに行けない感じで。
あとはすごい郊外に、郊外型の車で行くような美しほがあるんですけど、ちょっと今回は厳しいかなと。
そうか、車もないしね。 車もないし、飲みたいし。
ので郡山に僕が泊まったことがないので案内ができないんですね。
なんですけど奈良駅まで要は一駅なので、宿は奈良市にとっていただくといいと思います。
ですがちょっと大和寺線の天王寺から奈良へ行く途中に郡山がありますので、夜ご飯はせっかくなので、この郡山で飲んで、それで帰り、電車で奈良駅に一駅行って、奈良駅で泊まるっていうパターンにしたいと思うんですね。
なるほど。ちょっと結話考えといた方がいいね。
そうです。終電ね、考えた方がいいと思います。一駅なんでね、大丈夫だと思うんですけど。
でね、大和郡山の歴史とか街とかの魅力については、主にこの翌日しっかりやりますので、今回行かないんですけれども、郡山ってね、そもそも飲む場所あるのっていう人も結構いると思うんですよ。関西の人に言わせればね。
ところがね、僕今回これちょっと郡山久々に行ったんですけれども、7年ぶりとかに行ったんですけど、街でいい街です郡山って。
僕関西地方で一番住みたいと思います。この街。すっごいね、街のね、ポテンシャルがみなぎってる感じがしました。
あのすごく面白い取り組みが多くて、ぜひそれを紹介させて欲しいんです。
ということでね、郡山駅に降り立ちました。でね、郡山というのもね、和歌山と全く同じ難しいところがありまして、東側にJRがあるんですけれども、西側に近鉄が走っていて、この間がね、歩いて15分から20分ほどかかるんですね。
この間が城下町なんですよ。ちなみに郡山城は近鉄郡山の北側にね、今ありますけれども。かつ飲食店は近鉄側に多いんですね。
なるほどね。
でも今回の動線的に和歌山から行くんだったらJRの方が絶対いいんですよ。なので今回は和歌山から行くのでJRを使います。
ですのでJR郡山駅で荷物を置いていただいて、こっから近鉄の方に歩いていってください。
歩いてだいたい12分ほど行っていただいたところにあるのが、中谷酒造柳町醸造所です。
醸造所に行くんですか。
はい。
ここなんとね、バーが併設されている醸造所なんですね。
日本酒バーです。
そもそもこの中谷酒造さんという会社なんですけれども、もう代々ならでね、商売をやっていらっしゃった会社で、江戸時代の末期に現在の山田郡山市内で酒造を始めたということなんですけれども、
当時はいわゆる酒蔵として広くやっていたと思うんですが、だんだんその需要の減退とかっていうことも相まって、
つい最近、もうその業態を変革させて、日本においてはこの矢成町醸造所でマイクロブルーアリー的にやってるんですね。
ブルーアリーっていうのは要は酒蔵という意味での。
なのでこれ昔の街並みの中に現れる小さなバーみたいな、蔵みたいな感じなんですけど、その中でわずかなタンク、わずかな量ですごいマイクロな形で醸造をしてるんですね。
日本酒でそれできるんだね。
これが仕掛けがあるんですよ。
つまりそれだけじゃ当然まかないじゃないですか。
なのでこの人たちが面白いのは、本拠はここにあるんだけれども、実は醸造所はね中国においてあるんですね。
中国の天津っていうところ、昔っていう満州とかもう北の方なんですけれども、あのあたりに大規模な工場を作って、そこで量産はする。
だけど一方で奈良の本拠においてはその逆の別のことをやろうとしたんです。
海外で作るのすごいな。
はい。なので流通させるための商品をそっちで作るんです。
多分それは土地代とかそういったコストを抑えるっていうのは多分大きいと思うんですよ。
なるほどね。
けどじゃあそしたら海外に身を売ったのかって話ではなくて、ちゃんと奈良にも奈良でしかできないことをやってこっちに本拠はちゃんとあるんですね。
じゃあここは何ができるのかというと、この小さいからこそできることやってるんですよ。
それが何かっていうと醸造体験なんですね。
体験?
はい。
これです。
へー。
蒸し上がった米のほうれい、冷やしてる作業の写真が載ってますね。
うん。
なんとねこれ1名様から受け付けてくれるっていうね。
すごいね。
はい。
まあ10名が定員なんだけど。
はいはい。
はい。
へー。
半日コース9000円税込ということで、蔵のね社員の方がついてくれて指導も全部してくれる。
で実際にこう米の蒸したりとかこういろんな発酵の作業をやらせてくれる。
そしてその作ったお酒というのは後日発送してくれる。
これなんかね我々最近聞いたことのあるような話です。
はいはいはい。
はい。それの日本酒バージョンなんですよ。
へー。
ああやっぱ半日コースはね13時から17時まで結構がっつりですよね。
逆に半日コースしかないと思うね。
うんうんうん。
へー。
1時から始まって最初いろいろ注意説明とかあって、でまあ蒸す作業を最初にやるんですね。
洗ったり蒸したりってやってあって、蒸してる間ね中谷修造さんの歴史。
まあこれはそうだと。
であともう一つね、これ省略寺っていう正しい暦の寺、省略寺って読むんですけれども。
これちょっとね奈良市のやつはまだ一回もこのポッドイスでやってないんで撮ってあるんですけど、
これ奈良市の寺なんですが、これ日本における清酒作りの始めた場所だっていうので有名なんですね。
へー。
今でいう日本酒作り、今我々が飲んでる清酒っていうものを初めて作ったのはこの省略寺っていう寺だったんですね。
へー。
奈良の寺。奈良が今の酒の原型なんですよ。
ははは。
っていうことも多分話してくれるんだと思います。
でそこから蒸した米を冷まして、冷めるまでの1時間は自由時間。
はい。これがね実は僕ミスだと思っていて、僕自身はこの体験やってないんでわかんないんですけれども、
この中谷修造さんの考えっていうのはね、ここのスケジュールに凝集されてると思ってるんですね。
はい。
それ何かっていうと、最近できた施設なので7年前になかったんですけど、
僕すごく今回行って感動したのが、地域拠点としての役割の大きさ。
氷山って奈良と比べてどうしても観光地としては見劣りするって思われちゃいがちなんだけど、
だからこそ街をしっかり周遊して歩いてもらおうっていうことの働きかけの強さっていうのがすごく感じたんですね。
だからここでもう1時間あえて自由になっちゃってる間飲んでてもらってもいいと思うんですけど、
せっかくだから秀永さんのお城に行ってみませんか。
氷山って金魚の名産地なので金魚すくい至るところでできるんですけれども、
そういったものあたり昔の街並み歩いてみませんかっていう観光コースもある意味含まれてるんですよ。
なるほどね。
この体験はそんな感じなんですけれども、僕すごくこれ感動したところがあって、
城下町酒の当てマップ日本語版見てもらっていいですか。
ああ、地域のお店のマップがありますね。
これ普通にいわゆるグルメマップなのかって思うんですけれども、ちょっと前編のところ読んでほしいんですね。前編のところ。
入場料をお支払いいただいた方は青州バーに酒の当てを持ち込みできます。
つまり中谷酒造さんのこの醸造書でね、これバーは体験しても全然誰でも入れるんですけれども、
利き酒セットみたいなのがあるんですよね。
その場でも簡単なおつまみ、サキイカみたいなものを売ってるんですけど、
これが代々的に貼ってあって、大和氷山が誇る個人営業のすごいこだわりの飲食店から持ち込みができる。
だからそことの連携とかも含めて、町全体を楽しみましょうよって働き方がすごく素敵だと思うんですよ。
だから地元のグルメとうちのお酒を合わせて楽しんで、ということね。
特にコロッケの林さんなんて非常に有名なね、金鉄氷山の駅に出ると実は最初に目に飛び込んでくるのはコロッケ屋さんっていう、こういう町僕すごい好きなんですけど。
ノスタルジークな商店街でね。
あと本家菊屋さん、これ明日翌日やりますが、秀永湖から由来する和菓子とか持ち込めるんですけれども。
ところがそれだけじゃなくて、例えば一番の居酒屋一新さん見ていただくと、なんとデリバリー王家。
実際にはお作り盛り合わせ、焼き鳥盛り合わせ、あと酒の当て何種とかあったと思うんですけど、せいぜい500円から1000円程度のものを持ってきてくれるんですよ。居酒屋からここまで。
すごいね。
だから簡単なね、宴会も開いちゃっていいです。
これはお店側も嬉しいだろうね。
嬉しいだと思いますよ。だから最初居酒屋一新さんに頼んで、デリバリーしてね、お刺身とかいただくと。
ちょっとでもなんかもうこれ色々食べてみようよってなったら、じゃん負けした人じゃあ粉もん屋行ってきて、コロッケ行ってきて、あとは菊屋さんで行ってきてつって、みんなもうせいぜい5分もかかんないくらいのところばっかりですから。
またここにあると本当にレトロでいい商店街なんですよ。その商店街、夕暮れの商店街を走って、粉もん持ってきて、それでまたみんなで食べると。
そうか、だから街歩きのきっかけにもなるわけだね。
これがね7年前にはなかったんですよ、この取り組み。めちゃくちゃいい街だと思いました。氷山のポテンシャルめちゃくちゃすごいと思いました。
なぜかというと僕ね、小田原とすごく似てると思うんです。条件が箱根あるいは奈良っていうね観光地の通り過ぎ慣れてしまう場所。
けど城下町で歴史はある。昔の街並みがあってリノベーションされてる個人のこだわりの強い飲食店が多い。住民としてはアクセスもすごくいい。
それが通り過ぎる街じゃなくて、この街に立ち止まって街歩きをしてほしいっていうその志。そしてデザイン性豊かな拠点がちゃんとあるということ。
こういう街は盛り上がる条件だと思うんですよね。僕は小田原市民として大和氷山の未来はすごくね確信するものがあります。
これは絶対今後魅力が深まっていく街だと思います。
なるほどね。そう言われるとなんか近い感じがするね。我々もねクラフトビールハンバーガー持ち帰りしましたし。
そうですそうです。あれも釣った魚も持ち込めるじゃないですか。
なるほどね。確かに確かに。
そうなんです。常に傍らには中谷酒造さんのお酒が用意されているので、聞き酒でもいいし、3種飲んだ後何かいいのがあれば、そのもう瓶で買ってそのままやったでもいいわけですよ。
っていう面白いサービスで始まってたんですね。
なるほどね。
ちなみに中谷酒造さんが作ってらっしゃるお酒も是非見てほしいんですけれども、出ました。
安城大和大名言豊臣秀永という日本酒を作っていらっしゃる。
もう銘柄の名前になってんだ。
そうです。これそもそもはね、1996年なんでちょうど内田が生まれた年ですけれども、秀吉っていう大河ドラマがあって、これ秀吉演じた竹中尚人さんなんですね。
この竹中さんの秀吉がめっちゃハマりやくで、竹中さんって多分日本の俳優で一番秀吉を演じた回数が多い人だと思うんですよ。
2010年の黒田寛兵衛ね、岡田くんがやった軍師寛兵衛の時も秀吉役で竹中さん出たんですよ。
だから今回も秀吉じゃないけどね、縁があるってことだと思うんですけど。
その時に秀長をやったのは高島雅信さんでした。弟っていうのがまさに名付けるかも。
その兄弟で当然秀長もすごい主役級だったので、これを記念してね、豊臣秀長の知名度がその時一気に高まったので、これをやったと。
そしてそれから30年が経ってついに秀長が主役になるね。
豊臣兄弟が入るということで内容を一新してリニューアルして再発売したと。
実際飲んできましたこれ。美味しかったですよ。
結構ね癖が強いですよ。現状こうでね、合わせるのは珍味の結構選んであった方がいいかなっていう感じなので。
いわゆる日本酒飲みやすいものを求めるというよりは、日本酒の結構好きな人が好きなやつだと思うんですね。
なんか人柄を聞いてるとね。
確かに確かに。わかります言いたいこと。
なんかスッキリしてるんだなとか思って。
まろやかなね。
そうなんだ面白いね。
これももちろん聞き酒の一家に入っていますので、ぜひいただいていただいていいんじゃないかと。
ちなみにこのホームページもすごいリニューアルされてて、この人ね多分ねライターさんが書いたのかこの社員さんが書いたのか知らないですけど、これ絶対歴史学やった人だなっていう本ですよね。
非常にね酒蔵の観光ページって思えないからガチな学術的なことがめっちゃ書いてあります。
今回の大和ドラマに合わせて作ったランディングページだそうで、豊臣秀長さんとね大和コーディアムの関わりがね、実はここが一番詳しく書いてあるんじゃないかっていうぐらい書いてあるんで。
これ結構専門的な内容です。
なので読むのちょっとね事前知識が大変かもしれないんですけど、これすごい気が入ってますねこのページ。
いやすごい、これが酒蔵のページとは思えないね。
そう、我々がやってるのは日本の都知制度の社会っていうところから秀長の話しか始まらないんですよ。
区分伝とかから始まっちゃってるんで、要はその都知制度が中世から近世に移り変わったっての秀長がきっかけってさっき一周で話して、
なんでこういうまでこっちゃなしするかは明日やるんですけれども、こういう日本の歴史学から見た時の秀長の価値っていうのをね、すげえ専門的に解説してくれてるんですよ。
だから地元を盛り上げようっていう意識がすごくあるんだね、ここにも出てるんだね。
ということでね、ぜひこのページ見てるだけでも勉強になりますから。
ここでまずね、ゼロ時代的に仕出しとか頼んでいただいてもいいと思いますし、商店街グループに触れていただくと。
僕そういうわけでね、中谷修造さんに行った時に、お酒にももちろん美味しかったんですけど、取り組みの面白さにびっくりしたんですよ。
山と氷山って今これすごいことが起きてるなっていうのに感づきまして、いろいろ中谷修造さんの中でいろんな観光パンフレットを置いてあったので調べてみたんですね。
誰が仕掛け人でこういうことをやってるのか。そしたらこれを見つけたんですよ。
大和の素敵なお店が集まる青空市をさらに楽しむ冊子。大和これ好日。
まあ日々これ好日っていうのと多分掛け合わせると思うんですけども。
これ要はね、ここを1,2年の話らしいんですが、毎月第3土曜日になるとこの大和氷山の市街地、氷山ってちっちゃな水路が流れててね、
すっごく風情のある街なんですけど、そこにねマルシェみたいなのが行われて、さっきあの仕出しマップにあったような地元のこだわりのある飲食店の方とかクラフトのね、手掛けている作家さんとかが、
この第3土曜日だけはね、地元の人との触れ合いのために出てきてくれると。店から。で、マーケットを開くそうなんですね。
それでまた街歩きを楽しんでもらおうという感じらしいんですよ。
この冊子にはね、この店舗のね、紹介もされてます。そしてマップがあると。
そういうことですね。で、一軒一軒の本当に地元に愛されている、小さな個人営業の飲食店だけどすごく美味しいお店が多いんで、氷山って。
そういった人たちがどういうストーリーでこだわりを持ってやってるかっていうのをね、ちゃんと人にもフィーチャーして紹介しているストーリー性を持って、こういう街だと思うんですよ。今後多分注目を集めるのって。
で中谷首相さんもね、ちゃんと一番下にも割と主催みたいな感じで書いてあります。
で、こういうのがある街って本当に強いんで、地域の力っていうのが。今後絶対住所とかも多分こういうのが伸びると思うんですけれども。
どういった仕組みでこれができてるのかっていう街の今の社会的なところにすごい興味を持って、これをいろいろ調べた結果ですね。
この中にいるこのお店、喫茶、喫酒と喫茶っていうこのバル。こちらのお店の方がこのね結構中心的な役割を果たしていらっしゃるということにわかったんですね。
ということで急遽ですね、行ってました。中谷首相柳町醸造所さんからだいたい5分ほどこの古い街並みを歩いていただくところにあるのが喫茶、喫酒と喫茶さんです。
これね表記だと喫茶はローマ字、最初の喫茶はねローマ字大文字で喫酒は酒を喫するですね。でその後ろの喫茶はサがカタカナなんですよ。これサウナってこと?
お気づきになりましたか?そうなんです。なんとね1日1組限定のプライベートサウナ付きのバルなんですよ。ヤバないですか?めっちゃいいなって思って。
へえー。いやページもおしゃれだしね。
はい。これがね大和郡山の古民家をリノベしたね小さなこの古い町屋の中にあるんですね。
へえー。
これかと。こういう人がいる町は強いです本当に。
いやーなんか新しいものをこうなんか元にあるその町の中でうまくこうおしゃれに今風にこうやってるって感じがあるね。
僕は残念ながらねこのお店をここ当日知ってしまったのでサウナの予約ができなかったんですけれどもキッシュの方にだから行ったわけなんですがこのバルもまたおしゃれだし美味しいしで最高だったんですよ。
クラフトビールがメインでね奈良で醸造されているクラフトビールをメインにしているんですけれどもそれ以外にもね自家製のコーヒー焼酎とか山椒ジンとか。
奈良ってねそういうスパイスとかが昔から強いこれあの以前奈良のコース行った時に薬がねみんなこの製薬会社が奈良から起こったって話あると思うんですけども結局ああいうことに多分関連するんですよ。
なのでクラフトジンとかクラフトコーラって奈良ってめっちゃ多いんですよ。
そういうボタニカルが育つ土壌があるから。
そうですそうですそうです。
それを使ってってことね。
と合わせるのもねレバーパテとか。
ああいいね。
揚げ物がフリットフィッシャーのチップスみたいなのもあったりしたり。
あとその日僕がいたのはボンゴレのパスタがすごいおいしかったんですけれども。
本当にカウンターがこうかまぼこ状にね7、8席とあとはテーブルが一択だけっていう小じんまりとしたスペースで一人でも全然入れますし。
その時はだいたい同年代ぐらいの女性の方2人がねやっぱあっちの方にかまぼこ座り座ってましたけど僕も一人でカウンターでねいただきました。
いやーこういう店があるのはいいよなって本当に思いますよね。
誰かを紹介したくなるこの街に。
うんうんうん。
へえ。
いやサウナも気になるしね。
これはねちょっと見せてもらったんですけど、
街の奥の方にサウナがあってそれ大きくはないんで本当に貸し切りですね。
でその小民家の壺庭みたいなところで外旅行をするそうです。
でこの方々ね本当に我々と同年代ぐらいの方なんですけど、
夫婦でやってらっしゃって旦那さんが郡山のご出身でUターンされてきた方だそうです。
で奥様がね千葉の方のご出身だそうなんですけれども旦那さんがその郡山Uターンして街づくりでいろいろやるというので、
ご自身はその飲食の方でねここの場を経営されているという感じだそうです。
でねそのご主人というのが大和郡山まちづくり株式会社というものを営んでいらっしゃって、
この大和これ工実っていうマーケットですとか、
大和郡山一帯のこの古い街並みをどう生かして地域資源を生かしていくかっていうリノベの事例だったり、
まちづくりのイベントの企画とかをやってらっしゃる会社の主催者の方らしいです。
でそんな話を僕もおだわらの話をいろいろしながらねこういうのに興味があるんだって話をしたら、
このビジネス的な会社の修行みたいなもらいまして。
大和郡山市リノベーションまちづくり事例集。
これね大和郡山市さんもねすごいこういうのに理解があるそうで、だから強いと思うんですよ。
官民がちゃんと一体になってやってる。
なるほどね。そこが結構壁になったりするんだろうなって思うもんね。
あると思いますよ。こういったねポジショニングとかもいろいろねやって、
奈良県とか関西県の中で大和郡山っていうね見過ごされちゃいがちな町の魅力をどういうふうにブランディングしていくかっていうのもすごい考えていらっしゃるんですね。
この日本の中で大和郡山市がどういう町であって、でどういうふうに今後ね目指していくかっていうのを示してるんですね。
そうですそうです。
すげえこれガチの資料だね。
ガチ資料バイタリーにもらってきちゃいました。奥様がくれたんですね。
そして今回ね僕はバルにしか行ってないですけれども、さっき言ったように大和郡山は宿が少ないっていう愚痴をね僕は言ったわけです。
そしたらね実は最近新しいのやっぱり作ったんですということでね、キキ、カエルカエルと書いてキキさんというね、
小民家一刀菓子のリノベーション宿をねこの方々が作ったそうです最近。
これで要はサウナ入ってビール飲んでお城とか見てて中谷譲渡さんでお酒買ったそのお酒とかを街宿に持ち込んで、
そしてコロッケだったり粉物だったりでもいいかもしれませんけれども、山と郡山に暮らすように旅する城下町の中で。
そして翌日観光に行けるっていうね、まさにこの郡山がね必要としてるだろう理想的なこの動線と体験っていうのをねこの方々が作ったそうなんですね。
へえ、一日一組限定の一刀菓子。
はい。
暮らすように滞在できると。
はい。
へえ、いや中も綺麗だなこれ。
はい。
なんか和モダンって感じ。
そうですね。
郡山は本当に幸い戦争の被害とか少なかったところなので、昔の街並みは本当に残ってます。
これはやっぱだから、若い人でもとっつきやすい。
そうですそうです。
けど、ちゃんとその古いものを感じられるっていう。
そうですそうです。
いい塩梅でやってるな。
そしてこれからの郡山がね、どうなっていくかって可能性もびんびんに感じるわけですよ。
はいはいはい。
これはね7年前にはなかったんですよ。
うんうん。
郡山っていう街が今確実に大きく、本当に明るい未来が迫っているような気がする。
今後も僕通いたいしって思ったし、やっぱり関西だったら今ここ住みたいですね。
郡山と郡山一番住みたいかもしれない。
この機器もね、オープン2025年10月って書いてある。
そうそう。
もうほんと最近。
2ヶ月前です。
はあ、だからもう急速にいろいろ進んでるんですね。
なのでね、今回大河ドラマで注目されるのは間違いありませんから、
山戸氷山は多分本当に何十年に一回一回のバブルが来ると思うんですけれども、
どうしてもやっぱり観光地で一度だけ見て終わりってなりがちなんだけど、
ちょっと足を止めて、街の暮らしとかにも見ていただきたいんですね。
はいはい。
中谷酒造さんもそうだし、こちらの喫茶、喫酒と喫茶さんもそうだし、
あとこの近くにはね、すっごい書店があったりしたんですよ。
これも独立系書店でやってらっしゃる、古民家の改装した本屋さんがあったりして、
これはね、多分すごく面白くなると思います、山戸氷山。
へえ、いやわくわくするね。
文化的に面白くなる、もともと面白いのは失礼な話で、もともと素晴らしい街なんですけど、
注目がより集まるんじゃないかと思うんですよ。
いやいいパワーが集まってますね。
なのでぜひね、若い方にこそこの山戸氷山は今後注目していただきたいなと思います。
ということでね、長くなりましたけれども、こちらのバルでね、お酒と、まあそういった主に養殖ですね。
お酒の宛になるような養殖をいただいて、で15分ほど歩いてJR氷山駅に行ってください。
これ近鉄行ってもいいんですけれども、近鉄氷山から近鉄奈良に行くまではね、乗り換えが発生したりしてちょっと面倒くさいんですね。
なのであと重い荷物持って街歩きしたくないと思いますから、JR氷山の駅で預けちゃうのがいいと思います。
なのでちょっと歩くんですけど、15分歩いて氷山に戻って、でJR山戸地線で一駅、でJRの奈良駅に行っていただいて、奈良のホテルで泊まっていただくのがいいと思います。
これでね、2日目終了となります。
それでは2日目を振り返っていきましょう。朝は和歌山駅からちょっと西のホテル、どこかお好きなところに泊まっておりますので、そこを大体8時45分ごろ出発します。
そこから徒歩15分ほど和歌山駅に向かいまして、和歌地下レンタサイクルで自転車を借ります。これで1日行動するわけですね。
そこから自転車で3分ほど食堂色川さんで朝ごはんをいただきます。こちらは朝ごはんのメニューは1つだけ卵かけごはん定食だけということなので、こちらで卵かけごはんを朝につるつるといただくということですね。
色川地区の雰囲気をね、食堂の中で感じることができると。そこから自転車で5分ほど太田城跡ですね。秀吉が手を焼いた最下宗がここにいて、最終的に水攻めをして幸福をさせたという逸話のある太田城の跡をこちらで、今は石碑が残るのみとなってますけれど、見ることができると。
あと包みの跡が近くにあります。ちょっと自転車の中に散歩行ったところかな。
そこから自転車で25分ほど和歌山市立博物館。ここは和歌山市の歴史を広く見れるという感じなので、今回のコース的には秀吉・秀永のところも注目してみていただけるといいかなと思います。
そこから自転車で15分ほど富士山ですね。こちらでお昼をいただきます。うどんそば屋さんですけれども、名物は天玉丼というエビ天を卵とじした丼というのがこちらのソウルフードということですので、ぜひ食べていただけるといいかなと思います。
そこから自転車で10分ほど和歌山歴史館ですね。こちらは和歌山城の敷地の中にある歴史資料館ということですね。和歌山城の歴史を解説しているということですので、建てたのは秀永ですので、その築城のところに注目して、
あとは江戸時代ね、御三家がどのようにこの和歌山城を使ってどういう歴史が紡がれていたのかっていうのをこちらで見ることができると。そして近代の和歌山市出身の偉人というのも紹介をされているので、こちらも注目ということですね。
そこからあと10分ほど少し丘を上がる形ですね。和歌山城の本丸に行くと。こちら和歌山城からするとこの和歌山の地域を見下ろせるという感じですかね。中世から近世に変わった象徴としてのこの和歌山城というのを感じることができるということですね。
あと庭園もね。庭園とお橋廊下も見所の一つになっておりますので、ぜひそちらも歩いてみていただければと思います。そこから徒歩10分ほどこの丘を下りていって和歌山歴史館近くの駐輪場に自転車を取りに行きます。
そこから自転車で15分ほど和歌地下レンタサイクルで自転車を開始しまして、そこから徒歩3分ほど和歌山駅。こちらJRの方ですね。いよいよ奈良の方に入っていくわけですね。JR半和線で75分天王寺駅に一旦行きます。
そこからJR大和寺線に乗り換えまして、大和寺快速で32分郡山駅に行きます。こちらもねJRと近鉄で2つありますので、このJRに乗ってJRの郡山駅に行くと。
そこから徒歩12分ほど中谷酒造柳町醸造所ですね。こちら酒造ですけれども近隣のねグルメを持ち込み可能な場があるということなので、この街歩きのきっかけとしてね、その街のグルメを買い集めてこちらに持ち込んで、そしてこの中谷酒造さんのお酒を飲むというのがいいですかね。
そして時間がある方はね醸造体験コースもありますのでね。そちらに興味がある方は是非それ半日ぐらいかかりますのでね。時間調整してそちらを体験するのもいいかと思いますね。
そこから徒歩5分ほど喫茶喫酒と喫茶さんですね。こちらはこの郡山の地域を勤で盛り上げている仕掛け人という感じですかね。今回はクラフトビールのバルとしてね、晩御飯にこちらに伺います。
クラフトビールとかあとはコーヒー焼酎山椒ジンなどいろいろねこの地の特徴をね使ったお酒もたくさんありますのでお酒とそして料理をいただくと。こちらもねサウナがありますのでね。
時間ある方とかここをめがけていきたい方は是非そこを調整してねそちらの方も体験していただきたいと思います。事前予約が必要ですね。そこから徒歩15分ほどJRの方の郡山駅からJR大和寺線に乗りまして4分奈良駅に着きましてそこからお好きなところにホテル。
そうですね。奈良駅と近鉄奈良駅の間くらいにとっていただけると思います。翌日は近鉄を使った方がいいので。
なるほどね。じゃあその間ぐらいのところにだいたい徒歩10分ぐらいのところですね。どこかお好きなところにホテルチェックインをしまして2日目が終了ということですね。
この番組ではお便りを募集しています。番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報・普通だなど何でも結構です。番組概要欄に記載しているお便りフォームのURLから投稿お願いします。また各プラットフォームのフォロー・レビュー・コメント。それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
ぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿してください。そして我々のマイマップ・年表・ノートそれぞれございますので参考にしてみてください。
この2日目の前半は最下という統治しにくい象徴の集団を秀永秀吉がなんとか攻略をして、そしてこの時代が変わる瞬間というのを見てきたという感じですね。
その象徴として城があるっていうのはやっぱなんかすごくシンボルというかわかりやすい感じがあるし、それが江戸時代を経て今にも復旧をして今にもあるっていうのがね、それを見れるっていうのがその歴史を知っていると見方が変わりそうな気もしますね。
建物自体はあくまで江戸時代のやつを再現しているので秀永の時に同じ建物があったわけではないんですけれども、でも場所としては同じなのでやっぱりすごくシンボル的な意味があったんじゃないかと思います。
前日から見てると、よく統治したというか、よく降伏させて初めて統治をしたので、それがすごいよくできたなっていうのと秀永が大変だなという感じがやっぱりしますね。
この香里山にね、移動してからはやっぱこの、今回はね、この夜はその歴史とは関わらないですけど、この近年の盛り上がりっていうのがすごく、春夜の熱をすごく感じましたね。
これはね、素晴らしいと思いました、本当に。すごくいい街だなと思いました。
楽しそうですね。
楽しそうです。
僕、今の小田原を近年見てて、やっぱどんどんお店も増えてるし活気づいてる感じがあるので、それがこの香里山でも同じように盛り上がっていくのかなっていう雰囲気を感じますよね。
すごく楽しそうですね。
じゃあ次回の3日目は、秀永がこの香里山も統治するようになってからの話。
秀永の裁判年の話ですね。
大和香里山に入って、彼はそこで最後亡くなるんですけれども。
この紀伊の国は、そういうわけで最下宗との関わりとかで難しかったと言うんですけれども、その実績を持ってなぜなら大和の国に封じられたのか。
そして大和の国で何がこのとき秀永が起こしたのかっていうのを見て、彼の日本の歴史上における大きな役割を考えたいと思います。
なるほど。これも結構大事なパートになりそうですね。
ということで、今回はこの辺で。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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