1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #46【上越】毘沙門天変幻記Part2
2024-09-19 1:09:50

#46【上越】毘沙門天変幻記Part2

“群竜無首”のカリスマ論 毘沙門天変幻記2日目


「毘沙門天」の霊威をその身に纏い、北方の戦神として君臨した上杉謙信。その半生のほとんどを戦場に過ごし、北陸や関東を長駆した足跡は、圧倒的なカリスマ性を日本史に刻みました。彼の奉じた“義”の精神は上杉家の象徴と知られますが、その淵源を遡ると、謙信の向き合った困難を窺い知ることが。今回は、その本拠新潟県の史跡を集中して訪ね、“越後の龍”が吐いた英気と風雲を仰ぎます。


【目次】

〜 内田の家庭の知恵②

〜 磯の香りたっぷり“謙信そば”をすする 【直江津庵】

〜 ★歴オタ話★ カリスマを失った大国の崩壊

〜 両軍の距離感が内乱の激しさを物語る 【御館公園】

〜 雪国の文化を発信するアーティスティックな博物館 【十日町市博物館】

〜 魚沼の豊かな食材を“全部乗せ”! 【魚沼釜蔵 総本店】

〜 “次世代の上杉”を担った名宰相を知る 【直江兼続公伝世館】

〜 景勝・兼続が絆を育んだ名刹 【雲洞庵】

〜 1日の振り返り

〜 ★旅の終わりに★ 生き残りの秘訣となった“ブランドとカリスマ論”


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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな阿良沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながら、お話をしていきます。
内田です。
晴谷です。
はい。
ちょっと前回に引き続き、生活的な話なんですけど、最近ね、ちょっと1個導入したものがありまして、サーキュレーターね。
あー、あるね。今かかってますよ。
今部屋でかけてるんですけど、これがね、思ったより良くて。
サーキュレーターって言ったら扇風機みたいなものなんですけど、より空気を循環させるのに特化したやつで。
風を起こすというよりは、循環させるって意味合いなのか。
そうそうそう。扇風機はさ、自分に当てる感じなんだけど、サーキュレーターは部屋の空気を回すっていう。
確かにこのね、風のね、届く距離がめっちゃ長くて。
へー。
確かにこれは循環しそうだなって感じなんですけど、これつけてるとね、良くて。
寝る時、まぁちょっとクーラー弱めにつけるのと、このサーキュレーター回してやってるんですよ。
そっかそっか。合わせ技でね。
うん。
で、あのー、うちの寝室は、エアコンの真下にベッドがあるんですね。
うんうん。
なんで、熱い空気がベッドのところに溜まってる感じがずっとあって。
なるほどなるほど。
結構熱かったね。
はいはい。
クーラーつけてたり。
寝苦しいねやっぱり。
俺割と汗かくんで、寝汗でびっちょびちょになってたの。
あー辛いね。
で、そこへこのサーキュレーターをつけると、そのクーラーの冷えた空気が結構部屋に回って、結構ね、最近快適で。
いいね。
で、別にクーラー強めてるわけじゃないし。
今もついてはいるけどって感じ?
今もね、27度にしてます。
あー確かに。設定温度が高めというか。
そう、昨晩とか28度ぐらいでつけてサーキュレーター回したけど、全然そんな汗かいてなくて。
あーそうなんだ。
だから結構ね、いいっすよ。
あーそっかそっか。
確かに夏のね、冬も使えるかもしれないね。
あーそうね。暖房でもね、あったかい空気回せると思うんで。
いいっすね。サーキュレーター思いのほか良かったっていう話でした。
うん。
ということで、今回は軍隆武士のカリスマ論、ビシャモンテン変幻記の2日目ということですね。
だから上杉がいかにして上越を収めていったのか、どういう風にキャラができてきたのかみたいなところを前回話しましたね。
03:06
で、それの続きと。
そうですね。
じゃあお願いします。
前回、夜は直江津駅の近くで車を返してホテルにチェックインをして夜ご飯をいただいてという感じになっていました。
なので今回は2日目なんですけれども、車は使わず公共交通機関で行きたいという風に思っておりますので、
まずホテルを8時半頃に出たとしましょうかね。
で、それから朝ご飯を食べに行くわけですが、徒歩5分ほどと想定して、今ね直江津駅の駅の中なんですけれども、
直江津庵という駅前そばがあるんですね。
これがね美味しいんですよ。美味しかったんですよ。この前食べて初めて食べたんですけど。
まあいわゆる駅そばっていうことですよね。
なんだけど、メニューがやっぱりね、ご当地メニューがありましてね。
けんしんそば。言わずとしてると上杉けんしんのね。
まあ本当に地元なので。けんしんそばというものがあったね。これ食べちゃったんですね、思わずね。
これは何が乗っているんですか。
これはですね、岩のり。
ご当地のスルメイカの天ぷらに生卵を落とすっていうものでね。
これなかなか磯の風味が乗ってて美味しかったんですよね。
岩のりってあんまないよね。
そうそう、お蕎麦に岩のりだんまり効かなかったんですけど、これでも岩のりのアクセントがすごい良くてね。
岩のりはやっぱり香りとね、意外と食感が残ったりしてね。美味しいですよね。
これ生卵を溶いてね、食べると非常に美味しかったんですね。
スルメの天ぷらもいいね。
この後はやっぱり日本海のね、港町ならではのお蕎麦って感じもしますね。
イカ天うまいよな。
もちろんでも献身蕎麦だけではなくて、いわゆるおうどんからかき揚げうどんもあるしっていう感じで。
あとはメギス天うどん。
メギス?
キスですよね。
あーなるほど。
ナオエツの地魚。
キスの天ぷらをうどん蕎麦にしたっていうものもあったようなので。
これとは食べてないですけど。
ナオエツ名物って書いてあるんですね。
メギス天あるいはイカゲウソ天もナオエツ名物って書いてますね。
やっぱりこの海の港町の蕎麦っていう感じで。
これが朝早くやってるんですね。
さらに言うと、これがナオエツ駅の正確に言うと高架から階段を下りた直後にあるんですよ。
つまり線路に並んでるような感じなんですね。
なのでお蕎麦食べている時に窓の外を見たら鉄道がどんどんどんどん来るんです。
なので鉄道ファンの方にも非常に人気が高い蕎麦屋だという風に聞きました。
結構有名なところらしいです。
鉄道ファンの方の中では。
それ誰から聞いたかって言ったかっていうと、前日の前夜のややきくさんにいたナオエツの地元の常連の方から朝ごはんならあそこだろうって感じで聞きました。
06:08
でも地元でも割とそういう感じなんですね。
らしいですね。鉄道ファンが最近増えたって話をしてました。
なるほど。いいですね。割とこの番組だと駅蕎麦は珍しいですね。
初めてかもしれないね。
でもいいですね。割とならではな感じですね。
もちろんリーズナブルで早いというところも含めていいですね。
それが駅蕎麦のいいとこですね。
というナオエツのいおりとかでナオエツさんですね。という駅蕎麦を朝ごはんにいただきました。
ここから観光の方に入っていくわけですが、その前にちょっと上杉の歴史というのを改めてちょっと振り返っておくと、
上杉謙信の話を前日しましたけれども、もともと長尾陰虎、それから人助けのブランディングをすることによって美車門店の化身だって言って上杉の名を名乗るようになって、
越後の支配者、関東の秩序を正す者としての正当な権利を得た。
それをブランディングに使って工場宇治康、武田信玄と戦争を繰り広げていたけれども、
その後半戦においては組織が成熟したのを見て、北陸地方の他のエリアに侵略していった。
そういった組織がこれから外に行けるという時になって、中原さんは死んでしまった。
そして上杉謙信はもともとお坊さんだったというのもあって、結婚をしていなかった。
ここに問題が起こるんです。
つまり子供がいないんですよ。
跡継ぎがいないってことね。
そのなのに突然死したんです。
これどういうことになるかっていう想像がつきますか。
大混乱でしょう。
誰が次の党首になるんだということになりますよね。
上杉謙信は子供がいなかったと言いましたけれども、実の子供はいない。
結婚をしていないので。
ただし養子をとってたんです。
なるほど。
しかし二人とってたんですね。
でもどっちかを先にとってるんじゃないの?
そうです。
一人目は影勝という人物がいたんですね。
この影勝というのは何者だったのかということなんですけれども、
これは上杉謙信はもともと長尾影虎と名乗っていた、長尾家の文家から出てきた子なんですよ。
じゃあもともと親戚するみたいな感じですか。
具体的に言うと長尾雅影という人物の息子がこの影勝という人なんですけれども、
この長尾雅影というのは上杉謙信のお姉さんの旦那さんなんです。
なるほどね。義理のお兄さんね。
義理のお兄さんと謙信からしては実のお姉さんの間の子供なので、要は老いっ子です。
それを養子にしたんだ。
そうそう。
ちなみにこの長尾雅影というのは、前に謙信が嫌になっちゃって、世の中全て公家さんに言っちゃうみたいな事件があったじゃないですか。
09:05
あの時に、家出した時に追っかけてきた人でもあります。
いい人だね。
もともと長尾一族の間で仲悪かったりしたんだけど、謙信にすごい仕えた有力な一族の武将の息子を一人養子にしていたんですね。
親戚から来た。何となく分かりますね。老いっ子ですからね。
血も繋がってるんだったらその人がいいんじゃない?って思うけど。
ところがもう一人いたんですね。養子が。
これが何者だったかというと、小田原北条氏の出身、北条氏の息子の影虎という人物がいたんです。
上杉影虎という人物がいたんです。
なんで北条?北条って宿敵ですよ。絶対に許せないんですよ。
だってこの人が北条がいるせいでそもそも関東が乱れてるっていう。上杉謙信がすればね。そういう見方を持ってますね。
ここが謙信の後半戦の転換点なんですけど、謙信というのはブランティングを最初重視してパフォーマンスしたけど、決して一辺倒ではない。
かなりバランス感覚の優れた政治家だったと僕は思う。
それはなぜかというと、ちょっとだいぶ前に話して戻して申し訳ないんですが、武田信玄が今川を攻める話ってしたの覚えてますか?
武田今川・北条という三国同盟が絶対安全権としてつけたけど、武田信玄がそれを裏切って今川を攻め滅ぼしましたよ。
その時に当然北条は怒るわけですよ。
竹田と北条は絶縁するんですね一時的に。その時に北条はこのままだと竹田とも争うことになって、上杉とはそもそも論外なんですよ関係性が。
っていうのはでもまずいと思った北条は上杉と結ぶんです一時的に。
それも上杉はそれを受け入れるんですね謙信は。ここが謙信の政治家だった理由だと思うんです。
決してだからブランディングのために全てを捧げたわけではないんですよ。
あくまでも実利益を取り始めたのがその後半戦なんです。
だって本来北条を結ばないとあっちゃいけないことなんですよ。
まあだからDを通すんであれば突っ跳ねるべきだもんね。
そう、けど突っ跳ねなかった。あくまでも実利益を取ったんです謙信。
この辺りから謙信のやっぱり変わってきたと思うんですね。考え方と事業方針というのが。
確かに北条と繋がれば武田に対するには結構有利な感じになるんですね。
そうなんですよ。だから謙信というのはこの辺りから徐々に事業方針を転換していった。
圧倒的なカリスマ性で人を引き従えて中でそのカリスマとブランディングを徐々に必要としなくなってきたのがこの辺りからだと思うんです。
攻めに転じてきてる。
実利益を持って北条と結んだんです。でもただ北条の方が上杉に泣きついたんですね、はっきり言って。
12:03
武田とやり合うことになるから上杉まで敵に回してやばいので。ということで自分の息子を謙信に差し出したんです。
なるほど。
人質として。これが影虎だっていう人物だった。ただ影虎ってそもそも謙信の若い時の名前。
そうだね。
なので上杉謙信はこの人のことすごい可愛がったんです。人質で来たので、本来ならばそんな待遇されなくていいわけですよ。
そうだね。
もしかしたら殺しちゃうかもしれないし、北条が変なことしたら。
そうだね。
上杉謙信はここが難しいところなんですけど、ブランディングのためだったのか、それとも彼のやっぱり精神構造の何かが作用したのかわからないんですけど、
この人質に来た子を自分の養子にしてあげて、まして影虎って名前まであげたんです。それぐらい可愛がったんですよ、この子のことも。
しかも北条っていうのも結構えげつないんで、もともとが下告状の成り上がりだから手段を選ばないところがあって、自分の息子を差し出してるのにですよ。
あとは自分の弟を差し出してるのに裏切るというか、武田と結ぶんですね、その直後に結局。
そうだね、そうだったわ。
なのでもう殺されてもおかしくないんです、この影虎というのは。だって裏切ったんだもんね、北条がそもそも。人質に出してきた北条が。
はいはいはい。
けどね、殺さなかったどころか養子にしてあげたんですよ。
なるほどね。それは右の部分なのかもしれないね。
上杉謙信のわからないのがこういうところなんですよ。
なるほどね。
ただこれも考えようによっては、ちょっとわからないんですけど、ただ事実として養子にしてあげた。
結果的に謙信が突然死した時には影鰹と影虎という二人の養子が並び立っていて、しかもそのどちらを後継者にするとこの謙信は宣言していなかったんです。
なるほど。でも冷静に考えると影鰹の方が適してるんじゃないのとは思うけどね。
そういうことですそういうことです。本来ならばそうなんです。
そうだよね。
ただ逆に影虎がもし当初になった時にどういうメリットが生じると思いますか。
なるほど。北条と結べるかもしれない。
そう。だって兄弟なんだもん。
そうだね。そういう理はあるね。
そして北条と結ぶと必然的にどことくっつくかわかりますか。
そうか。当時はもう影虎とくっついてるわけだから。それは強力な同盟になるね。
つまりあの三国志、関東三国志と言われたほどの上杉、武田、北条という三国による軍事同盟が成立する可能性があるんです。影虎がなると。
なるほど。それはでかいな。
特に対北条の戦法をやらされていた越後の南の方の人とか群馬の一部の人とかは北条と結ぶと要は戦争がなくなるんですよ。
そうだね。
っていう見方もできる。
なるほどね。じゃあ影虎を応援する人も出てくるわそれは。
15:00
そして元来上杉憲士がなぜブランディングカリスマにこだわったかっていうと越後の国はそもそもぐちゃぐちゃなんですよ。
そうだね。
豪族たちの個別の力が強くてわがままし放題だから嫌になっちゃったり争いを絶えなかったりしたわけですよ。そのカリスマが急に死んだ。
はい。
そして後継が二人いる。二人それぞれにメリットがある。影駻をやるとやっぱり正当性はある。
そうだね。
だし元々仕えていた長尾一族からちゃんと血が繋がって、謙信とおじいさんまで例えば同じなんだよ。血が繋がってるので。やっぱ謙信のことを考えるなら影駻にしてるべきなんじゃないか。
正当性があるね。
けど一方で北条のことをちゃんと考えると、もし北条武田と結べたらウエスリーは後西に攻めるだけでそっちに全集中できるじゃん。
そうだね。
っていう見方もできる。ということで大戦争が起こるんですよ。
なるほど。内乱ってことね。
内乱です。謙信の死後わずか寸実で戦争が起こるんですよ。
いやでも自然な流れでね。
自然な流れです。
おたての乱というね。恩館の乱と書いて、上杉陰勝、上杉陰虎の両名が謙信の後目をめぐって、戦争、内乱を起こしました。
ちょっとその史跡を見に行きましょう。
ナオエツナンさんから、つまりナオエツ駅ですね。から徒歩15分ほどのところに、おたて公園という公園があります。
これね、もうおとたびポッドキャストの中でも、こういう歴史オタクテーマじゃないと絶対取り上げないような、つまり何もないです。さっき言ったように。
写真でもね、なんか草原というかね。
そう、芝生ですよね。
ただの公園。遊具もないけど。
そうです。
ただ、歴史オタクにとってはこれに訪れる意味があるんですね。
なぜかというと、このおたての乱の由来になったおたてなんですけど、ここ何が起こった場所かっていうと、
謙信がですね、突然死んだ後に、その葬儀が営まれた。その直後に、上杉陰勝の方。
お兄ちゃんね。
謙信の方が、急遽霞山城の主要部分を占拠した。
お金のしまってある金庫みたいなのを占拠したんです。
山を登ってきて。
つまり、実力行使に出たんですね。
だから、俺が当初になるべきだというのを主張し始めたわけね。
謙信 で、実際に城の要所を抑え始めた。
ただ、影虎は影虎で、それに備えていたので、戦争が霞山の城内で起こるんです。
あの霞山城の中の本丸二の丸対三の丸で、あの仕切りでやり合うんですよ。
そんなんできんの?
謙信 なかなかないと思います。
同じ上杉の家中でこれをやってるんですよ。あの山をめぐって。
っていうぐらい、見事なまでの雷乱を起こすんです。
ただ結局のところ、先に先手を打った影勝の方が上級が優位になって、
影虎方は、この尾立というところに、霞山城から直越の港町の方に逃げて、
18:02
その港町の尾立という館に立てこもるんですね。
ここで自給線を取るんです。
つまり、霞山城に上杉影勝軍がいる。尾立に影虎軍がいる。
っていう状況になるんです。
つまり、この直越一帯、上越一帯で二つの上杉が生まれちゃったみたいな感じになるんです。
なので、その影虎が立てこもった名前を取って、尾立の乱というふうに、その雷乱のことは言われる。
注目していただきたいのは、この尾立は、はっきり言って芝生じゃんってなるんですけども、
距離なんですね。
霞山城からの距離を、実際ここに現地にいたときに、現在地を見ていたときに、
なんで近い距離なんだっていう話になるんですよ。
この距離でやりあったのかっていうのは、結構びっくりすると思うんですよ。
まあでも、二の丸と三の丸よりかは、距離を取ったっていうことではあるんでね。
これとここね。
そう、霞山城。
近いね。
せいぜい来るまで10分ですよ。
この距離に、あの北陸の大国ウエスリーの雷乱がこんなところで起こってる。
死列になりそうだね。
死列です。
実際に影鰹は影鰹で、実力行使に出たとはいえ、結構影虎型につく方も多かったんですね。
やっぱり北条と結んだ方がいい。
武田北条の三国同盟を実現させるためには影虎じゃないといけない。
ましてもこの戦争になった以上、影鰹がもし当初になったら、北条はただじゃこれはすまない。
絶対に怒って攻めてくる。
自分の弟だからね。
っていうふうなのもあった。
ただ一方で越後の昔からの人たちは、いやいやいやいや、さすがに北条の息子に上杉謙信様の後を継がせるなんてやばいでしょ、いくらなんでも。
だって、美車農店の化身になったあの謙信は北条氏を破るために頑張ったのに。
っていう本もいたけど、いやいや謙信様は実はあれブランディング借りだから。絶対後半戦は北条とのことを考えてたから。
ちゃんと現実見ようぜ。
なるほどね。
どっちの言い分もわかりますよね。
一番問題だったのは謙信はその真意を誰にも明かさないまま死んだことだった。
そうだね、そこが問題だね。
だからわかんないんです誰に。
そしてどうにも解釈されるような神秘のベロをやたらまとったまま謙信は死んだんですよね。
なんか遺言さえあればって感じだね。
残す意図もなかったと伝わっても突然死だった。
ただ結果としてどうなったかということなんですけれども、これ結構長期間に渡ってマジでやるんですね。
この距離で。
ただそのうちに越後のいろんな豪族たちが続々と上越に、直越に集まってきて、どっち側の館について。
味方がいろんなコアが集まってくるからバチバチでやり合っていたら下手に手出しすると負けるとやばいからって睨み合いみたいなのがずっと続いてて。
なるほどね。
地球戦になった時にそれぞれどうします?内田だったらどっちがどういうふうな真理で働くと思います?
21:03
影勝つ影取らそれぞれの強みを考えてほしいんです。
時間が経つと有利になるのはどっちだったと思いますか?
影勝つのほうがいいんじゃない?
それはなんででしょう?
この地には北条の味方はそこまでいないわけだよね。
やっぱり剣士に仕えてた人のほうが多いわけだから味方にしやすい人は多いだろうね。
この距離でめっちゃそこですよね。
ところがね、答えというかあれなんだけど逆なんです。
そうなの?
なぜかというと小田原から来るんですね。
来るの?
来た。江町に攻め込んでくるんです。包丁が。
攻め込んでくるというか影太郎を助けに来たんですよ。
どういうことかというと、小田原は場所わかると思うのでいいですけれども。
反対側だもんね。縦断しないといけないもんね。
ただ包丁の関東ほぼ一斉に広がっているので、群馬県のほうとか埼玉県のほうにも一族の有力な部署がいるんです。
そこから来たんですよね。
小田原からの指示を受けてこの峠を越えて上越に攻め込もうとしてるって言って攻めてきたんですよ。
そして、ただ包丁とはいえ小田原から云々やってると遠いので、とある人物を頼るんですね。影太郎助けてやってくんねえかと。
もう一人来やすいやつがいませんか?
包丁が頼める。
でもそっか、同盟を結んでるんだから武田も来れるわけだ。
そうです。武田勝頼が長野から上越に来るんです。大群を引き連れて。影太郎を助けるために。
それはなぜかというと包丁に頼まれたからです。
ここの話覚えてませんかね?勝頼の話をした時に、ちょっと実はぼかしていったんですけど、とある後継者争いに介入。なんでいつの間にか包丁と喧嘩になってたかみたいな話をしたの。
そうだ助けに行ったんだけど裏切ったんだ。
裏切ったときはそうなんだ。なぜ裏切ったかって覚えてますか?何に目がくらんだか勝よりは。
そうだ、金だ。
これがこの話なんです。
なるほど。
尾立の乱に介入したんですよ。武田家の。包丁からの要請によって影太郎を助けに行ったんですよ。本来ならば。
実際勝山城下まで来たんです。甲府からわざわざ。
大群で。上杉影勝も影太郎も、武田ってやっぱ強いし、上杉はめちゃくちゃですからこの時。
大群崩壊してる。だからこの武田勝よりがついた方が勝つ。間違いないんですよ。大群で。
でも影太郎を助けに来てるわけなので、当然影太郎はもう勝ったと思ったら。
思うよね。
影勝としてはやばいんですよ。あれがつくと、甲府からついちゃうと。
そうだね。
っていう時に影勝の今持ち駒として何があったかっていうと、上杉剣士は強くて実はめちゃくちゃ相手の政治家になったので、
莫大な金銀を雇用してて、その金庫を勝山城で真っ先に乗っ取りました。
そうか。
つまり剣神の遺産というのは武田への賄賂に使われた。
24:04
なるほど。
そして勝よりは、これがどこまで影勝側が見てたか分かんないけど、勝よりが目指す国家というのが、
新元の領土政策とは違うものに気づいていたのかどうか。
つまり勝よりは金に弱い。
なるほど。
というのを知っていたのかどうかは分かんないけど。
ただ知っていたんでしょう、おそらく。
でも差し出せるものがあるとしたら、金なのかなっていう感じでね。
そういうことです。戦いは負けるから、絶対。
そうだね。
そして勝よりは、直いつまで来たんですけど、影勝方に金を大量に渡されて、それに気をよくして、ただその場で影勝についちゃったら法上激怒するじゃないですか。
交付を開けてたら攻めてきますよ小田原から。
そうだね。
さすがにそれはまずいので、仲裁しましょうって言ったんですよ。
なるほど。
さすがに裏切れないから面と向かって。
一回仲裁したんです。
もうこれで終わりにしなさいと。
仲裁して交付に帰っていくんです。
そしたら影勝が全くに賭け取らされたんです。
つまり仲裁なんて一瞬でほぼにした。
めちゃくちゃだな。
だって武田が心が悪いし、交付に帰っていったので、その気を逃さず。
どうせ仲裁なんて絶対守られないし、もたもたしてると小田原から来るんですよ今度。
仲裁なんて話が聞かない相手が。
武田はまだ付け込むスキルがあったけど、法上なんて元々助けに来てるんで、金渡して引き下がる相手じゃないんですよ。
ただその時に雪だったの。
三国峠を越えられない法上が。
小田原からそんな雪の峠を越えないんですよ。
っていうので、武田勝より交付に帰ったらすぐに裏切って、影勝は影虎を滅ぼすんですよ。
巧妙ではあるね。
ただ当然のことながら法上が激怒するんですよね。
弟が殺されたと。
ちなみにこの影虎もどうも小田原に落ちのびようとしたらしいんですね。
尾立を攻め落とされた後に南の方に逃げるって小田原の方に向かおうとしたとして殺されてしまったという感じなんですけれども。
当然激怒する。
なんでこんなことになるんだ。
そもそも武田勝より何しに行ったんだ。
ふざけんなって同盟を切っちゃったんです。
そもそも裏切ったのあいつだろう。
その代わりに上杉影勝は勝よりと結べたんですよ。
仲裁保護にしてるけれども現実問題竹田は今度大ピンチなんですよ。
つまり長城の盾負けた後なので西側はヤバい。
そして法上がブチギレてる。
だからもう味方がいない誰にも。
なりやりとしたら金で吊るんだ上杉影勝しかいない。
あの竹田と上杉は新元謙信が死んだ後に同盟するんです。
これは竹田が滅びるまでずっと守られ続けます。
その代わり法上が反竹田に回るんですね。
竹田にとってみれば別にどっちが成ろうか知ったことじゃないけど
27:04
金くれたから影勝と仲良くなろうってことね。
それで自分の目指す経済国を作ろうとしたけども
後世に言わせればこれが最大の判断ミスだった。
法上との義理を待って影虎を党首にして三国同盟を結べば
西に全集中すれば信長に負けることはなかったんじゃないか。
現実、確かに判断ミスと言われる理由があるとすれば
影勝はそういうわけでめでたく党首に強引になったんですね。
ところが影虎方は納得しないんですよ。
だから上杉謙信がせっかく身を捨ててブランディングをして
やった統一国家上杉は崩壊したんです。
また豪族たちが暴れ回る世界になって
また結局上越の方はいいけど
かえつですね。つまり新潟市の方です。
北東側の越後の国の方に大反乱が起きて
影勝は全然これを収められないんですね。
なぜかというと西は西で謙信は他国を侵略して死にましたから
織田信長が逆襲しに来るんです。
石川県の方に信長が攻め寄せてくる。
西の大使をまず急がないといけない。
そういう時に影虎方の名残みたいなのが上の方で暴れ始める。
当然竹田を助けるようになってないんですよ。
そうですね。
北杉は北杉で消えてるし。
もうちょっとどうしようもないね。
影勝と同盟結んだところで全然意味ないんですよ。
援軍という意味ではね。
なるほど。
上杉影勝の奥さんは竹田勝頼の妹です。
だから信玄の娘と謙信の養子は夫婦なんです。
すごいな。
というのがお盾の乱というものだったんです。
とはいえ結局影勝は当初になった。
お盾公園に行っていただくとそのあらましをもちろん知れますし
かすが山翔というとお盾という信じられない至近距離でバチバチやりあってた。
竹田勝頼が幸福からわざわざここに来てるということも結構びっくりするんじゃないかと。
だって信玄すら一歩も踏み入れられなかった越後の地に悠々と侵入してきたんですよ。
確かに。
なのに土地を取らなかったっていうのが勝頼だったと思うんです。
だからやっぱ信玄とは考え方が違うんですね。
信玄だったらその場で影勝も影虎も殺して自分を殺してましたよ。
越後の土地を。
それはまあ確かに。
漁夫の利を取れるよね。
真っ先に攻めたと思います。
弱まってるので。
確かにね。
壮絶というかいろんな思惑がね。
そういうことですそういうことです。
っていうのがお盾の乱を首脳で見てるのもいいのかな。
ここまで聞くと上杉影勝というのもとんでもない奴だなという感じになるかもしれないですね。
30:02
結構なりふり構わず。
ただ結果的に武田は滅びましたけど上杉は存続するんですね。
上杉は今も家は続いてます。
明治時代までちょっと越後離れてね。
東北の方の藩として上杉家というのは最後まで続きます。
それがこの影勝の代から続いていくんです。
なのでこの影勝というのもやはりなりふり構わないところも含めてかなりの有能な人物だったと言えるでしょう。
そのわけでですね。
ちょっとここから行くのはこの影勝の人生というものをちょっと追っていきたいと思います。
追って遡っていきたいと思うんです。
どういうことかというと先ほど申し上げたように影勝というのは上杉謙信のお姉ちゃんの息子なんですよ。
そのお姉ちゃんはどこに突入だかっていうとそもそも仲の悪かった親戚に突入なんですよね。
長尾一族の中で。
その要は上杉影勝の故郷の方にねだんだん移動していきたいと思うんです。
なんで上越市をちょっと離れます。
お立公園から15分ほど歩いて長尾一駅に戻る。
そこから北北線という電車に乗って。
かわいいですよね。
この辺でかわいいですよ。羽馬とか北北とかね。
ローカル線に乗ります。
仮に時刻表を示すならば9時56分長尾一駅発車の北北線に乗ると48分ほど南東の方に下って。
十日町という駅に行きます。
これ十日町市という別の自治体に入ってます。
その十日町駅から徒歩10分ほど歩いたところにあるのが十日町市博物館というところです。
結構おしゃれな感じですね。
そうなんです。
そしてこれ見たことありませんか。
これは縄文土器ですね。
縄文土器って多分一番パッと思いつく縄文土器がここにあるんです。
もうイメージ通りですね。
イメージ通りですね。絶対教科書見たことあるんですよ。
見たねこれ。
十日町というのはね、ちょっと上杉の話とは全然離れちゃうんですけど、
ここはここでまた別の回でちゃんとここだけはやりたいと思っているくらいすごいところなんですね。
何がすごいかというと、
内田が今この十日町博物館のページを見て真っ先にすごいおしゃれだねみたいな話を。
建物がすごい真っ白でちょっとうねりがあってね、おしゃれな感じですね。
アーティスティックですよね。
なんかね氷の結晶みたいな感じの柄がついてたりとか、独特なかっこいい建物ですね。
十日町というのは日本唯一のアートの町なんです。
ここでね芸術祭とかも盛んに行われていて、
それがアート、芸術でもって町を故障したすごい成功例として知られている場所になります。
今回はちょっとそのアートスポットにあえても行かず、
歴史だけのところを抽出するんですが、
ぜひまたこれは別の家で取り上げられればなと思っていますね。
富山にしてもあそこら辺がアートに力が入っているんだね。
33:03
そうですね。北陸というのはやっぱりそれを裏付けるだけの技術工芸。
あとやっぱりいろんな要因あると思うんですけどね。
不思議な縁というか感じがしますね。
けど歴史の方ね。
博物館に関してはそうですね。
ここで何が見られるかというと、
やっぱり一番の見どころはこの火炎型土器ですよね。
この火炎型土器っていうめちゃくちゃ凝った装飾の土器が
たくさんここから出土してるんですね。
十日町という辺りからね。
これ右下見ても3Dで見る国宝火炎型土器。
こんなものも用意されてるんですね。
これすごいんですよ。これ面白いですよ。
いいね。
映像の観点からするとこういうの作れるんだなっていうのもあるんじゃない?
これね、俺はもうこんなのばっかやってるんですよ。
普段もこういう作業なんですかね?
割とこういうね。
何を見てるかって話ですからね。
博物館のページで見れる土器を3Dでマウスでグリグリできるんですよ。
いろんな角度から土器を見れるっていうのを今グリグリしてるんですけど。
マウスで自由に動かせますからね。
だから絶対その博物館では見られないようなこの下のね。
そこの部分がなかなか見られませんから。
そうで、俺はね、こんなのを触りながら仕事をしてますよ。
そうですよね。やっぱりそういう技術がこのバーチャル博物館に活かされてるんじゃないかと。
いや、割とね、こういう活用の仕方はね、すごく。
多分どんどん盛んになってきてると思うし。
いい使い道ですよね。
普段見れませんからね。東京からじゃ当然見れないし、現地に行ってもね、さっき言ったようにそこの部分とか見れないと思う。
中身とかはね、見れないよね。
こんな感じなんだ。ここにシミがあるんだ。
そうね。これ面白い。
だから教科書で見ていたね、この火炎型土器というのは見たことあると思うんですけど。
さらにそれを深めるね、探究学習みたいなのがこれできるわけですね。
私こんなに種類あるんだっていうのもあるしね。
1個だけじゃないんですよ。
だからやっぱりね、ある程度の様式だったと思うんですね。
共通のデザインだと思うんです。縄文人たちのね、この辺りに住んでた。
なんでじゃあこの十日町のこの辺りにこんなアーティスティックなものを、昔縄文人ですよ。
生まれてたっていうのが不思議なんですよ。
そして今もアートの町になってるっていうね。
この辺りに何がこの住む人を操作するんだろうかっていう。
それはもう答えはないよね。
なんか不思議な、そういう土地柄としか言えないよね。
今の現代のね、アートはこういったものが先人がいたってところに着想したかもしれないし。
名もなきこの土器を作った職人というか縄文人たちがね、非常に芸術的センスの高い人たちがここに住んでいた。
他にもいろいろあんだね。
温管型とかね。
その縁の部分の作り方とかね。
36:01
温管型とかね。
その縁の部分の作りが違う感じだね。
そうだね。処理がこう深くてね。
アサバチ型土器。
こういうお皿だよね。
これはなんか現代的な家になってきた。
こういう縄文土器もあるんだ。
これは実用の方だと思います。
火炎型土器なんて実用じゃないと思う。
あんなの飲んだら絶え間ないじゃん。
使いづらいよね。
だからああいう装飾性を高める何かセレモニー的な一方で、ちゃんともちろん実用の土器もあったんだね。
アサバチ型土器指定番号2番ってやつ。
コードネームみたいな。
これはもう本当にお皿ですよ。
普通に今でも使えそうな感じ。
こんな土器もあるんだね。
面白い。
この古代原始のものというのが教科書的に見れば一番有名なところではありますけれども、
それ以外はエチゴの歴史、エチゴのフードということで織物、木物の文化もすごい紹介されていて、
ここでちょっと上杉と絡んでくるのが、上杉謙信がお金を蓄えるために貿易をした一番の主要な産業は、
この織物を作るための原材料、青草という植物だった。
青草、どういうものに使われるんですか?
ちょっと見てみましょう。
麻です。
布を作るための材料。
そういうことです。
これが青草といって、エチゴもよく栄えていて、これを京都とかにどんどんどんどん送っていったんですね、謙信をね。
これの産地でもあるのが十日町の辺りだったりするので、
そういった上杉家の経済、竹田家に賄賂を送れるだけの莫大な富を持った上杉家の産業の根拠というのがここにも見られると。
確かにこの着物にされている織物が展示されてますね。
いわゆる敵スタイルの美しいものがありますよね。
綺麗だね。
そしてこのさっきのデザインの雪の結晶みたいな外観がありましたけれども、
やっぱりこの辺は日本有数の豪雪地帯ですから、
そういった雪との暮らしの関わりだったり、雪の中で生まれた民具、文化、そういったものもちゃんと解説してますね。
といった博物館で、なのでちょっと上杉とはやや離れますけれども、
この雪国、エチゴというところのより生活に根差した部分、そして何より火炎型土器を見れるのがこの十日町市博物館になっています。
上杉と関わりのあるところで言えば青草を使った織物というところですね。
そういうことですね。
そして十日町市博物館から徒歩10分ほどのところで十日町駅に戻ります。
そこから北北線にまた乗りますね。
仮の時刻表を示すならば、12時15分に十日町駅を出発する北北線に乗ると、
39:06
17分ほどで六日町という駅に着きます。
十日町から六日町に行くのね。
六日町はまた行政区分が変わっていて、南宇尾沼市というところにもなっています。
このへところだ。
宇尾沼さんこしひかりの宇尾沼ですよね。
そしてこの六日町というのが上杉かけがつのふるさとです。
なるほど。
ということで六日町駅に着いたのが、
仮に十日町を12時15分に出たら12時32分に電車が着くはずなんですね。
お昼時なのでまずお昼をいただきたいと思います。
六日町の駅から徒歩3分ほどのところに宇尾沼鎌倉総本店さんというのがあります。
ここは居酒屋さんです。
居酒屋ランチをいただきたいと思うんですね。
なぜあえてここを選ぶかということなんですけれども、
まずやっぱり宇尾沼といえば、今内田が言った通りお米。
そうでしょう。
これも地元さんのお米を炊き上げた定食がいただけるというのがまず一つ大きなポイントですよね。
そしていろいろ本当にあるんですけれども、
餅豚というブランドの豚肉を使った肉丼だったりとか、
あるいは鶏にもね、やっぱり肉料理にもかなり力を入れていて、
それぞれ越後の上越地域の特産品、あるいは新潟県の特産品を使った地産地消の居酒屋ランチを味わえるということですね。
いやまあ、米でしょう。
土鍋の写真が出てますけど、
その米が食えれば一体意味はあるっていう感じがしそうな気がするけど。
例えばですけれども、本気丼っていうのはピックアップしたいメニューなんですけれども、
すごいなこれ。
これすごいよ。
これは何が乗ってんだ?これは。
本気丼にもいろいろ種類はあるようなんですね。
ただ今我々が見ているのは2022年の本気丼。
なるほど。お酒みたいだね。
これすごいんですよ。
まず、うなぎの皮焼き、地元の餅豚ですね。
NH5の餅豚に新潟県黒毛和牛最高位の村上牛。
つまり、牛肉豚肉うなぎ。
さらにネギ塩牛タンを乗せた食べることのできない超贅沢のオンリーワン。
これはすごいな。
それに添えるのが魚沼の生わさびのすりおろし。
タレ。
そして釜崎の魚沼のコシヒカリ。
というね。
すごい。
全部乗せって感じだね。
本当に全部乗せちゃったみたいな。
すごいな。
42:00
これでも2000円なんだ。
これならばって感じもしますよね。正直。
こんだけいろいろ盛り盛りで2000円なんだって感じはするね。
地元の食材ならではのリーズナブルな感じかもしれないですけれども。
東京とかでこれやったら多分2000円じゃ済まないなって感じはしますよね。
最近どんどん上がってるからね。
7000円とかあり得るんじゃないですか。
本当に本当に。
というね。これ以外にもちろんいろいろあるんですけれども。
何にせよこの南魚沼、魚沼地域や新潟県全体の強度の食材を盛り込んだ居酒屋で
すごく使い勝手もいいのにめちゃくちゃ美味しいという感じのランチメニューになっております。
ここからなんですけれども、
この六日町の駅からの回り方なんですが、
ちょっと今から行きたいところが六日町の駅からやや離れているんですね。
ただ車は持ってないという時に使うのが、
これ晴れてたらの話なんですけれども、
レンタサイクルが実はこの南魚沼市は積極的に運用されてるんですね。
六日町駅でね、里山ミニクルというレンタサイクル、自転車を借りたいと思います。
駅で借りれるんですね。
これだからね、要事前予約なのでこれだけお気を付けください。
数に限りがあるので、あらかじめ確保していくことが重要ということですね。
なのでここからは自転車移動になります。
初めてだね。
多分ね。あんまり我々やらないタイプなんですけどね。
自転車で10分ほど東の方角に行ったところにあるのが、
名尾江金継港伝誓館というものなんですね。
名尾江金継という人物って知っていますか?
うーんと、今回では出てきてはないよね。
まだ出てきてないです。
名尾越というのがありましたけどね。
上杉の出自の家、
上杉の出自の家と何か関連はあるんだろうなっていう。
名前も聞いたことある気がするんだけど、何の人かはちょっとわかんないですね。
名尾江金継というのは、上杉影勝に仕えた家老、
そして実質的に取引って言ったと言われる主将みたいなもんです、上杉家のね。
一番トップが影勝だとしたらその次のナンバー2の家老だった人なんです。
非常に地略と政略に優れた人物として、東大でも随地の評価を受けていた明細賞と言われていた人物。
そして2009年の大河ドラマ天地陣というものがあったんですけれども、
これの主人公です。
名尾江金継は妻吹里氏さんが演じられました。
ちなみに上杉影勝は北村和樹さん。
謙信は安倍博史さんが演じていますね。
名尾江金継のことを検証する資料館になっていて、
45:03
これもやはり2009年の天地陣の褒美を記念して作られたものになっています。
名尾江金継というのは何者だったかということなんですけれども、
これは一言で言えば影勝の幼馴染です。
幼馴染です。
上杉影勝は謙信の老いっ子という話はさっきからしていますけど、
要は長尾の本家とは違う文家の出なんですよね。
仲の悪かった文家から出てきたようです。
その文家の領地にいたのが名尾江金継。
二人はこの後話すお寺で一緒に修行をした仲間でもある。
年は5歳確か違ったはずなんです。影勝が上なんですけれども。
その要は影勝の子供の時からずっと付き従っていた幼馴染。
影勝が出世していくのにつれて、この金継も天下の名才賞へと上り詰めていった。
なんか鹿丸みたいだね。
ナルトのね。
あれもね、幼少期から一緒に戦い合ってね。
で、ナルトが穂加減になったら側近としてね。
鹿丸が強いじゃないですか。
確かに三望としてね。
確かに近いかもしれませんね。三望という立ち位置も含めてね。
というのがね、金継で。
ただね、金継というのは名尾江山城の神として功勢言われる人ですけれども。
いまいちね、これもね、何をした人かって多分ね、難しいポイントなんですね。非常にね。
いろんなことをやってるからこうなんか目立つものが難しいみたいな感じかな。
ただ一つ言えるのは上杉家をね、存続させたっていう意味で言うとね。
大きいんですね。
ドラマの中では、天地人のドラマの中では先ほど酒田勝頼に賄賂を渡す話とかもこの人が立案したことになっていますね。
ただそれがあり得るほど知略に優れた、できる人だったということです。
なるほどね。
影勝がね、そういうわけでいろいろ苦労をしながらも、どうにかこうにか上杉の党首になる。
織田信長の攻撃にさらされてたわけなんですけれども。
武田勝頼は滅亡しちゃうんですよね。信長の攻撃にさらされて。
時系列で言うと、1573年に武田信玄が死ぬ。勝頼が継ぐんですね。
信玄の2年後、武田勝頼が長篠の戦いを起こして、これで負ける。
その3年後、上杉謙信が死ぬ。
そして尾立の乱がそのわずか数日後に発生する。
勝頼が来るんだけど。
丸め込まれてね。
帰っちゃう。影虎はそのまま死んでしまってっていう話になる。
その4年後、謙信が死んだ4年後が1582年なんです。
これが武田勝頼が死んだ年です。
3月11日ですね。1582年、天正10年の3月に武田家は滅亡しました。
48:00
この時同時に上杉謙も富山の方とかですごい織田家の圧迫を受けていたので、
このままだと間違いなく武田と同じ道をたどる。
勝頼勝頼自身もそうだろうと思って覚悟してる手紙とかも残してますね。
もう死ぬ気ですというような話を残してたんですが、
武田家が滅亡してから3ヶ月も経たなかったの。
1582年の6月2日、本能寺の変が起こるんですね。
なるほど。
じゃあ助かった。
首の皮一枚繋がって、上杉が急に死んだ。
武田家はあと3ヶ月持ち堪えてたらもしかしたら。
確かにね。
誰にも分かんなかったですから、そんなことが。
なので上杉はギリッギリ持ちこたえたんです。
運が良かった。
運が良かった、これは本当に。
ただその運が良かったことを今活用して、
直江金次はこの後どうするかっていうと、
織田信長が死んで信長の領国もめちゃくちゃになってるんですよ。
内乱が起きて。
その中でリーダーになるのは誰なんだ。
信長を殺した明智光秀なのか。
でもどうだろうか。
北陸でやってた柴田勝家なのかっていった時に、
結果的に見れば橋場秀吉だったわけです。
これを真っ先に上手く見抜いて、
上杉勝家と直江金次というのは、
かなり早期段階から秀吉と義美を通じるんですね。
よくそこに目をつけたね。
そうですね。
戦型の命があったといえばそれまででしょうね。
それにはいろんな事情もあって、
秀吉が信長の後目争いで最大の戦いになったのが、
静岡家の戦いというのがあって、
それは福井県を本都にしていた、
柴田勝家というのと戦ったんです。
秀吉からしてみれば京都と大阪が中心で、
それと北陸でやり合わなきゃいけない。
北陸の福井の柴田勝家とバチバチになった。
柴田を追い込むためには、
その後ろにいるやつから挟み落ちてればいい。
が当然ね、上杉になるわけです。
北陸。
っていう運もあったでしょう。
結果的に秀吉とかなり仲良くしていたことによって、
上杉家は橋場秀吉とともに、
上杉はうまく太平洋に移行できたんです。
そのおかげで、西からの脅威もなくなったので、
ようやく東側で暴れていた豪族も沈めることができて、
また再び越後と、
そして佐渡も平定して、
おさめられたということですね。
結局上杉賭は秀吉から頼りにされる。
その頼りにされた理由というのも、
やっぱ上杉って言えば、
あの義の精神を受け継いでいる上杉だろう。
あの賢心、不思議な賢心の義の精神を受け継いでいる人たちならば、
きっとちゃんと真っ当な政治を行うし、
そういうこと侵略はしないだろう。
いうことを、そのブランドを逆に活用したんですね。
影勝たちはね。
秀吉もそれを見込んで、
影勝にでかい領土を与えて、
すごい優遇して任せる。
51:00
そして御太郎っていうね。
御太郎、御武僚なんてありますけれども、
秀吉が一番頼みした5人の巨大な大名。
家康とかもそうなんですけど。
その一人に上杉影勝も入る。
金継ぐのおかげで、
うまく渡り合えたという感じですね。
金継ぐのおかげももちろんあるし、
影勝その人の素養能力というのも、
非常に高い人だったと僕は見ているし、
実際そうだと思います。
非常に優れた大将だった。
影勝はね、面白い話で言うと、
本当に喋んなかったんですよ。
めちゃくちゃ無口。
笑ったところをほとんど誰も見たことない。
って言われたね。
どっちかというと、
タイプで言うと武田信玄に近かったと思うんですよ。
パーソナリティを出さない。
ひたすら、
大全自弱として、
有能な家臣に基本任せる。
決断だけバシッとする。
っていうタイプの大将だった。
それでも名上金継ぐとの、
あうんの呼吸だったかもしれないですね。
まあそうね。
名上金継ぐがいるからこそ、
自分はそれだけで住んでるっていうところもあるしね。
だし、口出ししない方がうまくいくっていう、
やっぱり客観性もこの人持ってたんだと思うんですよ。
そこをある意味、
信玄に通じる気もします。
そんな影勝が唯一笑った事件というのが、
飼ってた猿か何かが、
家臣にちょっかいを出して、
いたずらしているのを見て、
くすって笑ったのが、
こいつ笑った姿だったっていう風に伝わってる。
まあ本当にお尻はついてると思うけど、
ただそれがいろんな人が、
それだけで噂が広まるくらい、
話さない。
表情を顔に全く出さない人だったらしい。
そんなんで笑うならもっと笑ってそうだけどね。
何かよほど耐えられなかったのか、
笑ってみようと思ったのか、
っていうまあ余談ですけど、
そういう人だったらしい。
なのでこの伝説家においてはね、
金継ぐのそうした功績を主にやっていて、
ただね、直江金継ぐというと、
一番名場面なのはね、
直江城というね、手紙を送りつけたんです。
隣人物に。
徳川家康に送りつけたんですね。
何が書いてあったかというと、
来るなら来いよって要は言ったんです。
果たし城だ。
そう。
関ヶ原の戦いを起こした一人なんです。
これどういうことかっていうと、
秀吉が死んで、
秀織という後継がいるけど起こさない。
家康がその天下を乗っ取ろうとしてるんじゃないか。
それに石田三成は怒って、
それを家康を倒さなくちゃならない。
そこで同盟を結んで、
誰とタッグを組めばいいか。
という時に直江金継ぐと上杉賭け方を選んだんです。
やっぱり義の精神があいつらにはあるはずだから、
そんな家康みたいな侵略者は絶対許さないはず。
だし有能だし。
その時ね、上杉は越後の地から威風されて、
藍津若松にね、
全然違うね。
まあまあ福島って隣ではあるんですけど。
藍津若松とその一帯を巨大な領土を治めてた。
54:00
東北で超巨大帝国を持ってたんです。
そこに家康を挑発したんです。
家康は東京、江戸がね、この土地で。
来いよ東北に。
ケンカ乗ってやるよっていうのを直江金継が送ったと言われてる。
家康がふざけんなって言って、
大阪、京都から大軍を率いて江戸を経て、
藍津に攻め込む。
とちりぐらいまで来た時に、
すっからかんになった京都で、
一つ目、示し合わせてたって言われてた。
あえて挑発して、こっちに来させて、
すっからかんにして、その隙に乗っとっちゃう。
ただまあね、もちろん皆さんご存知の通り、
関ヶ原の戦いは家康が勝ちますよね。
ということで、上杉は戦を引きこもした超本人。
あるゆえに西軍についてるし。
っていうので、大幅な大元武されてしまって、
山形県のね、寮の国、米沢というね、
米沢流の米沢ですけども、
あそこに大元武されて、
江戸時代は減らされた領土で生き残っていく。
米沢というのは、もともと直江金継が治めていたんですね。
藍津は河松に上杉勝勝っていうボスがいて、
その辺周辺も上杉の領土なので、
山形県にも領土あったんです。
一部も領土で、その山形県に、
米沢は直江の領地だったんです。
そこに上杉全部が押し込められちゃった。
そんな話もあったし。
というのがこの転生館でした。
そういう一連のストーリーを、
直江金継にスポットを当てて、
その歴史を見れるっていうことですね。
有名なところで言うと、
直江金継と言えばね、愛の兜って。
それか。
あれ見たことありますか?
愛の兜はね、やっぱりインパクトすごいからね。
すごいよね。
愛。
一回見たら忘れないでしょ、あれは。
愛。
すごいよね。
文字っていうね。
それもね、上杉金継の美にやや通じる気もするんですけどね。
金継は、
ビシャモンテの美っていう旗をね、
ブランディングして回ってたわけですけど。
そこの辺はね、
金継のブランディングの上手さと限界というのを
兼ね継ぐかけ方は分かってた気がするんですよね。
ただそのブランドをうまく活用して、
金継というもののブランドを引き継いでるという
不祥して秀吉からの信頼を得ている。
三菱からの信頼も得ている。
上杉は約束をあいつら守るチャンス。
その愛はラブじゃなくて、
愛全明王っていう仏様のやっぱりね。
って言われてるんですけど。
まあまあとかね、そんな話もあったでしょ。
直江金継港伝誠館から自転車で25分ほど南に下ったところに
雲東湾というお寺があります。
雲の洞窟の拠りと書いて雲東湾。
これがね、先ほど申し上げた通り
上杉金勝と直江金継が
共にここで修行して幼なじみとして
幼少期を過ごしたお寺です。
57:00
なるほど。
忍者アカデミーだね、じゃあ。
そういうことです。忍者アカデミーです。
そのね、金勝、金継の主従の話というのは
もちろん有名なんですけど。
お寺として非常に魅力的なところでして。
これね、いいところなんですよ。非常に。
この杉並木の山道とかがね。
すごいんですよ。
わーすごいね。
森の中に入っていくような。
やっぱ杉はね、まっすぐ伸びるからね。
そうですね。
整然としている感じがありますね。
そしてその先に迎えてくるのこのね、
趣のあるね、門がね。
三門ですよね、いわゆるね。
決して豪華で大きいっていう感じではないんだけど。
なんか独特の存在感というかね。
簡素の作りなんだけどね。
ちょっとこの杉並木の中に突然これが現れるとね。
もうちょっと身の引き締まるような思いがするでしょ。
あとはね、僕が気に入っているのがね。
この石物がね、僕好きなんですよ。
すごいこう苔に覆われているというか。
そう。本堂の前にね、ポツンと立って座っている石物なんですけど。
これね、忘れられないんですよね。
あえてこうしてるんだろうね。
この苔むした石物の仏様というのがね。
なんか絶妙なこういい感じのね。
なんかね。
でもなんかこれが正しい姿はないような気もするし。
こういうね。
要はこの石物見ても分かる通り。
ここもやっぱりね、しっとりとした苔のね、お寺なんですね。
杉並木を抜けた先に苔がバーっとしっとりとして。
湿った細雨の中にこうあってみたいな感じでね。
ここも相当種なんですよ。
ここら辺は相当種なんだね。
北陸はやっぱね。
そうか。
っていうところもあってね。
そしてまあね、この絵とかを見ていただくと。
まあこれ想像図ですけれども。
カリカツ、カネツグ、シュジュウがね。
こうして学んでいただろうというようなね。
この精神シュジュウのおかげでカリカツはね。
何事にも動じない精神を身につけたのかもしれないし。
将来的にこのカネツグと共にウエスリーの看板になってやろうと思ったのかもしれないし。
いずれにしてもこの二人にとっての原点であるのは間違いないでしょう。
この池に映っているのは本殿なのかな?
ちょっと分かんないけどお堂が映ってますね。
これもなんか割と印象的ですよね。
そうですね。
ここね、余談なんですけど。
ここね、本当に落ち着くんですけど。
なぜそう思うかっていうと。
僕ね、この上越にね。
大学1年生の8月のお盆の時期かな。
10日間くらいリゾートバイトに行ってたんですよ。
住み込みで働いてたんです、この近くのホテルで。
ただね、非常に辛かったんですよね。
ちょっと何かの位置違いがあって。
キッチンに回されちゃったんですよ。
何も料理できないのに。
だから向こうもびっくりした。
そんな使えない大学生が。
1:00:01
え?みたいな。
人手がね、お盆で忙しい。
だからめちゃくちゃお互い辛くて。
ストレス溜まってる感じになって。
向こうが一番ストレス溜まったと思う。
忙しいときに余計な荷物ばっか増やした。
っていうので、休日にここでね、過ごしてね。
非常に心安られましたね。
そんな思い出もあったりします。
でもね、確かに決してね、豪華ではないんだけど。
全体的に落ち着きのある。
しっとりとしたお寺っていう感じがしますね。
そうですね。
修行の場に精神落ち着けるのにふさわしいような気もします。
そうだね。
全道の写真も載ってますね。
載ってますね。座布が並んでいて。
懐かしいね、これ。
はい。
というのがね、雲東湾でして。
ここもね、非常に見どころが多いですね。
その山道を散歩するだけでももちろんいいし。
そのお堂でね。
上吊り架けかつ、名残金継ぐ衆生に思いを馳せるのもいいでしょう。
といったね、雲東湾になっているということなんですね。
まあね、ここで一旦話はだんだん終わるんですけれども。
上吊り家というのは、そうしたいろんなゆえんでもって、
うまくその土地の権力者と付き合いながら、
上吊りというブランドと、そしてその家を守ることには成功した。
武田は滅んだ。
北条も滅んでしまうんです。
それがね、この上吊り、懐かつ、名残金継ぐの二人の大きな功績ですね。
なるほど。
それで、雲東湾から自転車を25分ほど走らせて、
六日町の駅に戻して、そこで自転車を返しましょう。
仮に時刻表を示すならば、
17時12分、六日町駅を出発するJR上越線。
18分ほど行っていただくと、越後湯沢駅に行きます。
この越後湯沢駅で乗って、上越新幹線に乗るといいかなと思います。
それで東京などに帰っていただくのが良いでしょう。
二日目をここで振り返っていきましょう。
朝の8時半ごろ、直越駅の周辺のホテルですね。
出発しまして、そこから徒歩5分ほど、直越庵ですね。
直越駅に近い駅前そばですね。
看板メニューは、けんしんそばという、
スルメの天ぷら、岩のり、生卵が乗っているおそば。
他にも地元の食材を使ったおそばがいただけるということですね。
ここで朝ごはんをいただきまして、徒歩15分ほど、おたて公園ですね。
ここはスポットとしては公園なんですが、
おたての嵐の舞台となった場所ということで、
けんしんの死後あった内覧に思いを馳せる場所ですね。
そこから徒歩15分ほど、直越駅に行きまして、
そこから北北線に48分ほど乗りまして、
1:03:04
十日町駅でおります。
そこから徒歩10分ほど、十日町市博物館ですね。
ここは十日町周辺の歴史の資料。
名物は火炎型土器ですかね。
縄文土器でイメージされるアレが展示されていると。
他にも青草を使っていた織物であったりとか、
雪に対応した道具とか、そういうものが展示されているということですね。
そこから徒歩10分ほど、十日町駅に戻りまして、
そこから北北線で17分ほど、六日町駅でおります。
そこから徒歩3分、宇和沼鎌倉総本店さんですね。
居酒屋さんですけど、そこでランチをいただくと。
ここが南宇和沼ということなので、
南宇和沼さんのコシヒカリを使った丼ぶりだったり、定食だったりをランチにいただきます。
本気丼がめちゃめちゃインパクトありますね。
そこから徒歩3分ほど、六日町駅に戻りまして、
そこでレンタサイクル、里山見に来るというのを借ります。
ここが事前予約が必要なので、そこだけご注意。
自転車を借りまして、それで10分ほど、
名古屋金継子を伝説館ですね。
謙信の主語、結局上杉家を引き継いだ影勝の右腕というか、頭脳というか、
活躍した名古屋金継の功績をめぐる記念館。
そこから自転車で25分ほど、運当庵ですね。
その名古屋金継子と上杉家影勝が幼少期に一緒に修行をしたお寺ということですね。
お寺の雰囲気もね、ちゃんとした感じのね。
しっとりとしたお寺という感じですね。
一人旅の最後にね、僕こういうとこをお勧め行きがちなので。
富山もそうでしたけどね。
ここで心を落ち着けて、六日町駅まで25分ほど自転車を漕ぎまして、
そこで自転車を返します。
そこから上越線で18分、越後湯沢駅で新幹線に乗れますので、そこからご自宅へということですね。
この番組ではお便りを募集しています。
番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、不通他など何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのリンクから投稿をお願いします。
また、YouTubeのチャンネル登録、高評価、コメント、ポッドキャストのフォローレビュー、
それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
1:06:02
そして、感想つぶやくさいは、ぜひハッシュタグおとたびポッドキャストをつけて投稿していただけると嬉しいです。
今回の2日目は献身の死後、どうやって上杉池が存続してきたかというところでしたね。
上杉、献身の作り上げてきたキャラクターを利用しながら上手いこと渡り歩いてきたという感じですね。
武田が滅びて上杉が残ったっていうこの不思議はね、いろんな解釈ができると思う。
当然信長が本能寿の辺で死ななかったらっていうのはね、上杉も怖いわけだでしょう。
そこはやっぱりうんな感じはするけど、その後はちゃんと着実に渡り歩いてきた感じがありますよね。
そこで一つ考えられるのは、武田信玄と上杉献身の時にも話したんですけど、2人は同世代。信玄、献身はほぼ同時期にあった。
竹田勝頼、上杉、影勝というのはそれぞれその息子養子ですからあったんですが、組織としての成熟度にはやっぱり一世代差があるんですよ。竹田と上杉というのは。
それが上杉に功を奏したのかなという気もするんです。
つまり信玄は他国に侵略するところからスタートした。
勝頼はその限界を迎えた時に当たっている。
献身は他国に侵略を始めるところで終わった。
影勝は他国との渡り歩くところから始まった。内乱でごちゃごちゃになっちゃってそれでどうじゃないんですけど。
それは治めてね。
だから他国に対する野心を持つことができないんですよ。そもそも内乱でめちゃくちゃになって。
そういう時に他国が豊臣秀吉の手に修練されていくのを見て、うまくそこに順応していった。
そんな微妙な世代のずれというのが、上杉に結果的に功を奏したのかなという気もややしてはいます。
侵略ができない状況がずっと続いてたからこそ、生まれたキャラクターと与渡りの仕方が意外とうまいこと言ってた。
ある意味献身の遺産をうまくブランディングを引き継いだんだと思うんですよね。
なるほどね。時代もあるのかなという疑問をするね。
戦国の可烈な時代がちょっと収まりつつあって、信長が一回天下統一した後においては、
ガンガン攻め続ける武田とはまたちょっと違うやり方が求められてたところに意外とマッチしてたのかなという感じを受けましたね。
侵略しないという安心材料が、豊臣秀吉からしたらすごく重要だったと思う。
やっぱりいろんな人が味方に引き入れたいよね。
約束は守るやつらだと。
侵略しない、で力はある。
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そう。でもカジカツの前半戦を見てるとそうじゃないんですよ、決して。
結構えげつない手を使って影虎を追い落としてますから。
だからやっぱ利用したんだと思うんです。ブランドをね。カジカツなのか金粒なのか。
という歴史の見方もできるけれども、結果的にやっぱウィスリーが残ったっていうのはね、この二人の大きな功績ですね。
結構ね、情報量の多いね。
そうですね。
続いてますけども。
次回はね、ちょっと頭空っぽに雑談会をね、お送りしたいと思います。
お願いします。
ということで今回はこの辺でありがとうございました。
ありがとうございました。
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