さて今回は湯煙アートドライブ、触って使って深呼吸を1つの3日目と。 先日は湯院を午前中ね、巡りまして、そこから日田の方に移動しまして、そこで泊まっていると。 でこの3日目最終日の今回は日田をまあ観光して。 そうですね。
でその中で特別な焼き物があると。 そうです。 というところがメインところですかね。 今回はそうですね。 それではじゃあ3日目よろしくお願いします。
今回はですね大分県日田市というところに今泊まっていまして、ここの観光を1日かけてしたいな。 そして大分区域に最後ね戻るところまでになると思います。
で北はですねあの今回はアートという切り口であるのでこういったコースになるんですけれども、そもそも観光地としてもいろんな多彩な面を持っている町です。
で午前中はねちょっと一般的な観光もちゃんとしておきたいなと思うわけですね。 そうしましたら宿場所は指定していませんが三熊川沿いの温泉街の辺りにとっているだろうと想定でお話をしますと、車を出してですね10分ほど駅を越えて町のこの方に入っていきます。
でその10分ほど行ったところにある地域が豆田町という地域です。あの豆ですお豆の豆に田んぼで豆田町っていうところがあるんですけど、このあたりがですね日田の観光の一番王道でして、日田というのは後々話すんですが江戸時代にねすごく特殊な理由で栄えた町になっていて、
その江戸時代からまあ主に明治大正頃までの古民家というのがすごいまだ残っている昔ながらの町並みでねいわゆる重田県と呼ばれている国の指定の地区になっているような町並みです。なのでそこをちょっと巡っていきたいと思います。
で朝ごはんを食べていませんから、ちょっとね朝カフェに行きたいと思うんですね。それがですね豆田町の市営の駐車場に1回止めていただいて、そこから歩いていくっていう風なイメージでいてください。最初に訪れるのがですね発行者小倉さんです。
あれ酒蔵って書いてある。 ああお気づきになりました、バレないと思ったっけ。 いやいやバレるだろ。
でもカフェであるんだよね。 そうです。決して酒を飲みたいか言ってるわけではなく、あくまでも朝ごはんを食べに来たんですね。
こちらですね発行者、要は発行食品の発行なわけなんですよ。お酒っていうもの自体そもそも麹を使って発行させるものでありますから、そういった技術だったりノウハウっていうのは当然酒蔵を持っているわけですよね。そういった技術をカフェとかスイーツとかの上に転用しているのがこの小倉さんになるわけです。
運営しているのは君長酒造、これもすごい有名なところなんですけども、下に昔からある香るる風に酸がありの香りと長いと書いてね、君長酒造さんという日本酒を作っている酒蔵さんがあるんですが、そこが運営されているカフェになっています。
カフェとしてはメインはランチ以降なんですよ。一応メニュー見ていただくと発行ランチとか言ってね。お肉とかをちょっと発行の味噌とかでつけてそれで焼いたものと玄米とあとやはりお味噌汁とかもね、いわゆる健康食品ですよね。
前日どんなクイスティー飲んでるかわかりませんか。ここでねちょっと盛り返していただきたいと思うわけです。これはランチです。朝はじゃあ何が食べれるんですかってことなんですけれども、ここねベーカリー併設してるんですよ。ベーカリーっていうのも要はパンっていうのもさ、工場使ってやるわけですよね。
そういった天然工房のパンっていうものをこのお店で販売されています。めだ町というのはそういうわけで昔ながらの街並みで食べ歩きグルメとかもたくさんあるところなんです。ですから僕のおすすめはお店まだ朝はやってないと思うんで、中のカフェ自体は。
ベーカリーの方で用途で持ってパンを購入して、お店で食べてもいいし、パンなのでちょっと近隣のベンチだったりとか食べ歩きとかができるようであれば、そういった風にして回っていただいて、というのもいいと思います。ただちょっと要注意点として、今我々収録してるのは11月1日なわけですけれども、その時点ではパンを臨時休業しているというふうに書いてあるんですね。
ただ2025年10月頃まで販売休止と書いてあるので、それ以降始動すると思うんですけれども、もしこの休業期間が長引きであれば、ここの朝はいけないことになってしまうので、そこだけご注意ください。
サイトに書いてあるので、開始すれば多分お知らせがあると思うので、そちら確認していただければと思いますね。 特にこのサイトにも書いてありますけど、あんパンとかがすごくおいしいんですよね。これにお酒の酒粕が練りかんであるので、単純にあんこが甘いというだけじゃなくて、ちょっととろみというかね、そういった部分感じられるね。あくまでもパンを食べに来るに至るというわけであって、そんな用途であります。
ちなみにカフェはね、本当にここお店もすごく綺麗でね、めだ町に例えば夕方に来たよとかっていう方とかであれば、ここでパフェとかもね、下はフルーツがすごく摂れる産地でもありますから、特に梨が有名なんですけど、下のフルーツはすごい九州の方は恩恵を受けてる方が多いと思うので、そういったフルーツパフェね、下市内にたくさん食べられるところがあります。
こちらの店も特製パフェがありますので、そういったここを目にしたい方はね、朝以外のタイミングで来てもらってもいいと思いますね。もちろんね、ショップ行けばね、お酒もあります。あるのか。
支援はできなかったかちょっと覚えちゃうんだけど、お土産は買えません。というところでね、君長主導さんの中のカフェ発行者小倉さんを目指していただくという感じです。
今回は歴史がテーマじゃないので、あんまり深い評価はしないんですけれども、とはいしたといえば豆田町はね、触れないわけにいかないのでちょっと触れましょう。
この小倉さんがあるところ自体が豆田町なので、そこから街歩きを始めるといったイメージになります。豆田町はそういうわけでね、江戸時代から明治大正にかけて建造されたおよそ100年くらい前の建物が本当に今でも残っています。
でね、特に本当に街歩きが楽しい街なので、食べ歩きとかをしたり、おはぎでも有名だったりするんですけれども。あるいはね、北といえばね、ひな祭りが非常に有名な町でもあります。
ちょっとなりました今ね。ので、もし春に来るタイミングがあったら、町中のその生花とかにもうすごい豪勢なおひな様のひな壇が作られて、それを鑑賞すること自体も一つの街歩きのイベントになったりしてるんですね。
ですから季節に応じて、夏はちょっと暑いかもしれないけど、すごく風情がある良い街並みなので、観光地としても楽しいところです。
そう、こういうね、セレクトショップとかもあって、ひたは特にその、昨日ひたすぎの話をね、バーカウンターの話でしましたけど、もう林業の聖地なんですね。
ですからこういう本当に木材を使ったクラフトとか、別部でも見ましたけど、ひたはよりひたにフォーカスした形で販売とかもしていますので、本当にショッピングも同時に楽しめるよということですね。
まあやっぱりね、お箸とかお玉とかね、なんかそういうのが結構並んでそうですね。
そうですね、本当に柔らかいで手触りのね、木のクラフトというものがね、本当に街歩きを結構長くいられる感じですね。
で、一方でね、ちょっと簡単に歴史の話もしておきたいんですけど、ひたというのはね、ちょっと特別な街でした。
で、これなぜかというと、昨日ね、ひたといえばなんだって話をした時に、あるいはひたの洋植物館に行った時にも勘してるんですけど、天寮という言葉をね、常にひたは勘してると思うんですね。天寮って何でしょうか。
江戸時代の幕府直轄、てか幕府が管理してる土地?
そうそう、幕府直轄地、そういうことです。幕府はね、江戸城がもちろん本家だったわけですが、全国の中でね、各地方に直轄地というのを持っていました。
一番代表的なところで言うと、まだやってませんが、ひだの国とかね、ひだ高山のひだは、国自体が直轄地だったんですよ。
っていう珍しいパターンがあったりします。あとはね、これまでやってきたところだと、ヒューガの国の細島というね、細島港資料館の話をしましたけど、あそこも幕府の直轄の港でありました。
でも、あとは意外とまだやってないかな、あとあれだ、井上忠敬のね、出身の沢原、あそこは幕府の直轄地で、なので大名の色がないんですね。
沢原がまさにいい例なんですけれども、天皇になると何が起こるかっていうと、民間による自治都市になってくるんですね。
要は幕府がもちろん治めているから、幕府の目は効かなきゃいけないんだけど、大名がいないんですよ。
ですから大名の反抗とかも基本ないし、大名ならではのイデオロリーだったり思想文化みたいなのもないわけですよね。
だから自分たちが住民たち自身が街づくりを積極的にしていかないとっていうところが、一個大きな課題としてあるんですよ。
沢原はそれで猪田高はそこの名主みたいなことをやってたわけなんですけど、そういった独自の街並みとして残る街です。高山もそうですね。
この日田というところは天皇の中でも本当に大事なところでした。
つまり三熊川、竹後川というのは大分の方を源流にしていて、ちょうど北の盆地のところで一回小休止みたいな感じになって、ここで川幅が一気に広がるんですね。
それで昨日の三熊川の感じになっているわけです。川幅が広いということは流れは緩やかですから、そして船が浮かびやすいんですね。
だから人は周りを盆地に囲まれているので、天然の林とか材木とかをたくさん切り出して、みんな人でも一回持ってきて、ここで整備して機内をして、それを竹後川で下していくんですね。
これは是非福岡の回答を忘れて聞いていただければと思うんですが、人は本当に県境ですので、その竹後川を下っていくと出てくるのが浮橋ってありますけれども、ここから福岡で竹後の国に入ってます。
ここが竹後吉井です。これは久留米藩の栄えた商人町で、ここも昔の町名に残っていましたよね。この浮橋の吉井川のあたりで、いわゆるリバーワイルドがあったわけですよ。
ハムを作ってね、覚えてますかね。福岡の一日目の最初の昼食ですね。そういった位置関係になってます。
なので僕も大分旅行として下行く時もあるんですけど、どっちかというと竹後浮橋とかやめに遊びに行く時に下に行っちゃうことが多いですね。そっちの方が福岡から行きやすいです。
なのでもし下に興味があるよって方は、結構前だけど、久留米の海、竹後の海と合わせて下に行っちゃうことも全然できるし、むしろその方が行きやすいです。
っていうのが位置関係として抑えていただきたいっていう街なので、幕府はこの日田というところを特に指定して直轄地としました。
そしてここに大官、日田大官みたいなのを置いて、街を治めさせたわけなんですけど、江戸時代の中盤以降はやはりこの日田というものがいかに重要かっていうのがより分かってきたので、
なんとね、西国筋軍隊といって、要はこの天霊の中でも特に格の高い天霊、九州とか一連の天霊、散らばってるわけなんですけども、これを統括する天霊の本部みたいなものを下に置いたんですね。
エリア長みたいなことだ。 エリア長、九州のエリア長を置いたんです。だからこの西国筋軍隊っていうのはそれだけエリア長ですから偉いわけなので、ただの天霊じゃないと。
他の天霊とはちょっと違う。やっぱ日田こそが天霊を浸なんだというので、それで浸天霊水であり、天霊を浸養殖博物館であるというところのポイントがあるんです。
でもまあ確かにうなずけるよね、その街道も川もね、ここを通ってるっていうと、まあそれは大事な場所にはなるよね。 そういうことです。
南九州の方は島づけと細川家の力が強すぎますから、北部九州商藩分立国、宮崎の北部から今の福岡にかけて、福岡は福岡に黒田がいるんですけども。
なるほどね。 という街だったので、何が起こったかというと、この天霊を出すからこその格式の高さもあるし、町人や商人が自分で街を営むっていう自主性の高さというものに繋がりました。
そしてその自主性の高さが最も歴史に現れた瞬間というのが、江戸時代の末期、幕末に差し掛かるか差し掛からないかくらいなんですけれども、広瀬炭総という人物を産んだんですね。
広瀬というのは普通に広瀬すずさんの広瀬で、炭総というのは淡路島の淡い、これ炭水の田園ですよね、に窓と書いてね、広瀬炭総という人物でした。
この人が舌の真人なんですけれども、管理園っていう私塾を開いたんですね。私の塾です。
つまり魚辺の明倫堂とかじゃなくて、あれは藩の学校ですけど、あくまでもプライベートの塾を舌で開いたんですね。
これは一民間地で代名がいないからこういうことになってるわけです。
この広瀬炭総の質はちょっと深入りすると話が途切れないんでやめます。
この人は割と総合大学的なね、いろんな分野に精通したもう東大随一の学者で、大学受験の教科書に舌還元を載ってます。
というレベルの教科書レベルの人物です。
もちろん炭総自体もすごかったんだけれども、ここには本当に多くの文科生が全国から来ました。
特に西国の人たちは、舌といえば広瀬炭総様の勧義園で学ぶということが一つの大事なステータスだったくらいなんです。
なのでここから出た人には後の総理大臣もいますし、文科生一覧みたいなのを見ると、この人もこの人もいっぱい出てきます。
ですから主に幕末から明治かけての大臣とか九州出身者、勧義園の文科生めっちゃ多いんですね。
なのでこの勧義園というもので、舌というのは学問の都市としても非常に声名を誇った町でした。
そのためかわからないんですが、舌っていうのは僕が思うに大分の中でもちょっと独特の文化があるんです。
有名なところで言うと畜屍哲也さん、ニュースキャスターとしてすごい有名だった、もう亡くなっちゃってますけど。
この人も舌の人だったりしますし、あとジャーナリズム系が多くてね。
今のTBSの江藤アナウンサー、舌のご出身で、しかも舌が超好きなんだよね。
地元愛がすごくてね、江藤さん本当に規制めっちゃしてるそうで、この間も舌の駅の前で踊ってる動画出してました、インスタで流れてきました。
忙しいのに。 いやそう、あの人って今すごい立場のある方じゃないですか。
だけど舌はすごい、で舌に関するインタビューとか出してるんです。
学問とかそういった文化都市としての性格も強いなっていう気がしますね。
まあだからその時代においてはもう本当なんか都会というかね、もうトップ層が集まる街みたいな感じで。
そういうことです。逆に藩のしがらみに縛られないっていうのもあったと思います。
特に幕末なんて長州藩は尊の上位だと言いつつさ、我が藍図は砂漠派だとかっていうのがないんですよ。
幕府がいるんだけど。
っていうある意味学問を自由活達にする、そしてそれを正しく導ける先生がいたっていうのが、
北という街のねちょっと歴史上の存在感を浮き彫りにしてますよね。
意外と知らないね、そういうのね。
だから僕も北にね興味を持ったのは高校生の資料誌を見てて、
以前ね森岡の出身者が異様に多いって話をしましたけども、あれと同じ理屈で調べてたら北の出身の人って明治時代の大臣とかいるんだよね。
だからやっぱりねここはちょっと特別な街だったと思います。
というね、そんな街です。で、豆田町はそれのまさに首都みたいなところでしたから、
大漢城の跡も近くにありますし、今でもそういった街並みが残っていて、
ちゃんと自治都市だからこそみんな家にも凝ってね、町人たちがやったというところで確認ができると。
歴史興味ある方はね、天霊日田資料館って、またこれも天霊なんですけども、こういうのがあります、豆田町の中に。
そこ行くとね、今のような話が詳しくあったりとか、
ちょっと離れたところですが広瀬炭素のカンディエンの跡地もありますので、そういったところも歴史興味の方は訪れていただければいいと思います。
まあ今回はアートなのでこれぐらいにちょっとしておきます。
でね、倉庫しているうちに結構この豆田町もね、かなり長く滞在すると思いますので、もうお昼ぐらいになっていると思います。
でね、ひたといってグルメでね超有名なのがあるんですね。
それがね、ひた焼きそばです。
俺知らないわそれ。
まあ焼きそばというと以前我々はね、藤宮の藤宮焼きそば、あと秋田の横手焼きそばなんての紹介しましたけれども、
そういった要領で後藤地焼きそば増して非常に知名度の高いものがね、このひた焼きそばになってます。
なのでこれを食べに行きたいと思うんですね。
豆田町の駐車場から車で10分ほど行ったところにある三熊飯店さんをね目指していただきたいと思います。
始めに言っておくと、ひたの市内にいろいろ焼きそば店ありますので、別にこちらのお店じゃなくても全然食べられます。
僕はここがちょっと個人的に好きなので、ちょっとねホテルの方に戻っちゃってるんで行ったり来たりなんだけど。
だから別のお店でも全然大丈夫ですよということだけ言っておきます。
三熊飯店さんなわけなんですけれども、これね写真たくさん出てきますよね、ひた焼きそばがね。
これどんな焼きそばなんでしょうか。
もやしが多いですね。
でニラも入ってて。
なんかちょっと中華風なのかな、見た目はそんな感じしますね。
なんか半分以上もやしなんじゃないかな。
麺ともやしの太さがまた同じくらいでね、混じっちゃってる感じがしますね。
今中華風なんじゃないかって話ありましたけど、この三熊飯店はそもそも中華料理屋さんでもあるので、そういった意味もあるかもしれませんが。
ひた焼きそばというのはどういった特色があるかというと、まず個性的なのが麺です。
これね生麺を使うんですね。
焼きそばって蒸し麺を使ったりすることが大体多いんですけれども、生麺を使うんですよ。
生でじゃあどうするのって話なんですけど、鉄板でね、蒸すんじゃなくて焼くんですね。
かなりの油を使って温度を高めたものに麺を敷いて焼くんですよ。
だから食感がすごい、ひた焼きそばは。
バリっていうか、バリはちょっと言い過ぎかな。
ファ、なんつうか、もちではないんですよね。
まあ普通の焼きそばだったらね、その麺のもちとかを出したいから蒸すわけだよね。
そうですそうです。
そこを焼くから、ちょっと固めというかね。
固めです。
歯ごたえ。
歯ごたえ。あの歯ごたえが癖になりますね。歯ごたえの硬くて噛み切れなんて全然ないですよ。
全然食べれるんですけど、ちょっと歯ごたえが一瞬クッションがあった上でもちっていうふうに食感にいくっていう、
そのような特色がねやっぱりすごく面白いんですよね。
ですからもやしみたいなこのシャキっていったものにも相性がいいんだと思うんですね。食感の相性はね。
若干その焼き目っぽいカリッとみたいなのが一瞬あるって。
そういうことですそういうことですそういうことです。
これはね昭和30年代にひたで有名なソウフレンさんっていう、これ今もあるお店なんですけど、ソウフレンってお店が考案したものというふうに言われています。
ただそれがまあ非常に美味しいというふうに評判を呼んでかつリーズナブルでボリュームもあるからね。
って言うんで今はひた全域でひた焼きそばのお店がたくさんあるよと。
うまそうだな。
これ美味しいですよ。
これ味は普通にソースなんですね。
お肉豚肉も入っているので割とボリュームで肉肉しい感じですね。
でもそれ以上に野菜が多いので。
藤宮がやっぱりちょっと海鮮のエリセンスが入ってたのと比べるとお肉っていう感じですね。
でねこの三熊飯店さんも超人気店ですから並ぶの確保した方がいいですはっきり言って。
ですがまあ美味しいんですよねやっぱりね。
てかひた焼きそばの店台でも並びますね。
総船もすごい並ぶし。
土日だと特に。
だからちょっと早めに豆田町とかうまく早め早め進行の方がいいと思ってます。
でね今ちょうど出てきたんですけどこのランチメニューがねすごくてね。
焼きそばの隣にライスがありますね。
ランチ限定でねこれが出てくるんですよ。
すげージャンキーなんだけども。
焼きそば通常量が6割くらいで残りねご飯っていう。
えーじゃあこれはもう焼きそばを置かずにご飯食べるみたいな。
そういうことですそういうことです。
ただねここがねちょっと腕の見せ所でありまして。
もちろん今の話でいいんですよ。
一人で行けばこれで全然いいんですけれども。
さっき言ったようにこの三熊飯店さんってね中華料理屋さんでもあるんですね。
ああそういうことだ。
でね餃子がうまいんだよまた。
だから僕が二人で行くんであればいいんですけど。
一人焼きそば一人このセットで餃子でやれば焼きそばは一人ずつまあだいたい腹8分ぐらいまで食べれる。
で餃子とライスを分けながら食べれるという感じがね一番この三熊飯店を満喫できる方法なんじゃないかという気がします。
この餃子がまたね九州の感じの餃子好きなんですよ僕のタイプが。
あの小さくてちょっと揚げ焼きぐらい。
そうだね。
でまあねビールが。
ビール工場の人はありますから。
へえ。
はい。
はあ。
喧嘩ですね。
はあ。
これは喧嘩になりますね。
飲めないわけないですよこれね。
俺ちょっとちょいちょい気になってるんだけど。
はい。
このスープ。
はいはいはいはい。
うんうん。
ということでミクムハンテネさんに代表されるようなひた焼きそばをお昼で食べていただくと。
はい。
でここからがねアートのフェーズに入ってくるわけです。
うんうん。
ひたのね中心部一回ここで切り上げましてドライブでねちょっとね山の方に入っていきたいという風に思います。
どこに行くかということなんですけれどもひたにはね有名な焼き物がありまして。
はい。
それがね温た焼きというものです。
へえ。
温た焼き聞いたことないです。
ないかなあ。
うん。
まあ有た焼きとかねそういうのに比べてなかなかちょっとまだ知名度ないかもしれません。
はい。
漢字がそもそも難しくって小さな鹿の田んぼでね温たって読みます。
へえ。
これ温だっていう風にね読まれるとこあるんですけど温たが正しい方そうです。
へえ。
うん。
ええなんか鹿どこ行ったって感じじゃないですかね。
そうだよね。
これはね諸説ありの前提ですけど。
はい。
鬼っていう字をね使う詞名結構多いんです。
うん。
でそのね鬼たが温たになまったっていう風に言われてますね。
なるほどね。
サセブの方にも鬼鬼っていうところがあったりしますけれども。
はい。
でそのなんで鬼たなのかももちろんわかんないんだけど。
ある種の考え方としては隠し田だったんじゃないかっていう説もありますねそういったところっていうのは。
ほう。
つまり幕府とかの国土化に加えられたくない山間部で密かに作っていた田んぼって各地に2本あったんですよ。
で近づかないように鬼とかっていうことを。
ああ。
予防線を張っておいたんじゃないかっていう。
近づかせないように。
そうそう。そういった説もありますがそれはわかりません。
はい。
鬼たがそれに該当するかはね。
うん。
ただまあいずれにせろこの鬼た、旧書は鬼多いのでそういう意味でと違うんで。
うんうんうん。
なんじゃないかという気はします。
はいはい。
で、どこへ行かないかと。
はい。
で、三熊飯店さんから車で30分ほど行ったところにあるのが御田焼きの里になります。
うん。
ちょっと御田焼きで調べて画像検索してみましょうか。どんな特色を持ってる器なんでしょう。
まあ割とね、まあ言い方はあれだけど地味というか。
うん。
まあ実用的な感じだよね。
はいはいはいはい。
でこれ、ろくろなんすかね。
うん。
なんか結構渦巻きの方が多い気がしますね。
はいはいはい。
うん。
なんか放射状の模様がついてるのがいっぱいある感じですかね。
うんうんうん。そうですね。
うんうんうん。
はい。
まあ今ね、御田焼きで画像検索していくと見てもらってるわけですが、まず今うちで言ったようにね。
まあ色合いとしては割と地味と言っちゃあれだけども、土の色がそのままっていう感じのね。
そうですね。
まあ白茶色ぐらいありますけれども、割とその系統だと。
うん。
そしてね、この放射状のこの模様ですよね。
はいはいはい。
これが御田焼きの特色です、やっぱり。
うん。
これはいわゆる飛びカンナって言われる技法なんですが。
はい。
このままろくろでやるわけですけれども、そこにこうサッサッサってこうちっちゃなね、櫛みたいなものでこう模様をね、切っていく。
回しながら描いていくみたいな感じかな。
だと思います。ちょっとそれを回しながらかどうかごめんなさい、僕詳しくないんですけど。
はいはい。
ただそれがあることでおそらくこの放射状の渦巻きみたいなものがね、できてくると思うんですよね。
へえ〜。
だから色合いとか形状はすごくシンプルなものなんだけれども、そこにちょっとやっぱりこの邪魔にならないアクセントがね、入ってるよねっていうのが今のこの御田焼きの特色ですよね。
うんうんうん。いいね。でもやっぱ使いやすそうだし、なんかこれ持っててもいいなっていう感じだよね。
そうです。で今まさにね、内田がその感じ取ったエッセンスっていうのが本当に御田焼きの大切なところなんですね。
はいはい。
でなぜかというとこの御田焼きっていうのはあくまでも民燈なんです。
うん。
これ民燈っていうのは民の燈器で民燈っていうんですけれども、どういうことかというとこれ別にどっちがいい悪いの話はもちろんないんですが、
例えば同じ九州で言っても有田焼きとか今利焼きと言われたものについては、あれはまあすごく絵も豪華ですね。
はいはいはい。
装飾もあったりとかして、あれは何のためにやんなくなったかっつったら、どちらかというと幕府とか大名同士の贈答品とか、あるいは下手したら長崎を通じた海外貿易のために、佐賀鍋島藩がまあ商品として作ってる芸術なわけですよ。
それの傾向を引いてるのが先日横浜で話したね、幕頭焼きっていうものがありましたけど、あれはもうその極みみたいなものじゃないですか。
そうだね。
あの使えないんですよ普段。
そうだね、使えないね。
そうそうそう。で一方で温帯焼きっていうのはそういうわけで、あくまでも一般庶民が使うための陶器なんですよ。
はいはいはい。
ですから民陶なんですね。
ああなるほど。
そもそもこの温帯焼きが起こったものとしては、大体18世紀の初めと言われてますから、300年くらい。九州の中で言えば意外と新しい方だったりもします。
ああなるほどね。
九州の中で言えばね。
九州の陶器というのは大体が関ヶ原の数年前の朝鮮出兵で、豊臣秀吉に命じられ九州の諸大名が朝鮮に攻め行って、そこから連れて帰ってきた陶工たちによって九州にはもたらされました。
ですから朝鮮半島に近い方から大体発達していくんですね。
ああなるほど。
中がまずは福岡、佐賀なんですよ。佐賀は鍋島の有田とかね。そして唐津がありますよね。
で福岡の方は福岡の方で黒戸藩っていうのが作ったたかとり焼きっていうものだったりとか、あとは小石原焼きっていうのが宿前の山中の方であったり。
そしてこの間ね、四国の海で取り上げた久留米藩の星野焼きというものもあったりしましたね。
っていう風に福岡方面、佐賀方面から伝播していく。だから有田からだんだん長崎の方まで行ったのが長崎の方の系譜になっていく。
一方で筑後城通ってきたものがこの文庫の方にも入ってくるわけです。
で実際にこの黒戸焼きについては、その1700何年代に小石原焼きの技術者を招いて始まったと言われてます。
つまり福岡の方がやっぱり文化圏が近いんですよ。
小石原っていうのはもう板と山越えてすぐ近くなんです。
全然昔の人より行けた距離なので、東高が全然行き渡ったっていうのは全く不自然ではないと思います。
でなんでこんなものをわざわざ板で作ろうとしたかっていうと、やはり天皇のこの板大官がこれを命じたんですね。
というのは板がそういうわけで都市として発展してくると、庶民の街なのでみんな生活雑貨とにかく需要が多すぎた。
でそれをね、その時までちゃんと焼き物がそんなになかったこの文庫のあたりっていうのは賄えないとなかなか。
当然この器なんて当たり前に日用品とか割れもするし、くたびれもするし。
ていうんでもう自家生産しようと、その天皇の中で。
ていうんでそういえば隣に小石原があるから黒戸の殿様に行ってその職人を連れてきてもらって、でこっちに作り方を伝授してもらった。
っていう風に受け継がれてきた民党なんですね。
なるほどね。
逆に言えばその有田焼みたいな偉い人たちが使うようなアートっぽい陶器はいらないわけね。
そもそも用途じゃないんです。
ですからそういうものはありませんでした。
なるほどね。
だから江戸時代とか当時器をみんな使ってた時代は正直別に芸術とも思われてなかったでしょう。
ですからそんなに火の見上げることも正直なかった。
海外の人が求めたりとか横浜の貿易に出されたりということは全然なかったわけです。
しかしながら近代に入ってから明治大正ぐらいになってくると、
そういった民のための工芸っていうものがもっと評価されるべきなんじゃないかっていう運動が起こってきました。
これは過去に何度かやってますけれども、いわゆる民芸運動です。
民芸運動を主催したのは柳宗義という人なんですけれども、
この柳宗義が本人言うわけですが世界一の民党だと評したのがこの有田焼なんですね。
彼はこの有田焼というものに民芸士との親随を見たんです。
どういう点で世界一なんだろう。
これはね詳しくない人がもっとあれなんですけれども、
いくつかちょっとこの有田焼の特殊なものがあって、
まず一つは今有田焼の鎌本というのは9か10、10かなあるんだけれども、
これは一紙送電で全て受け付かれてきたんです。
つまり18世紀の最初に小石原から伝わったその人たちの子孫がまだずっと同じ役やってる。
門外不出なんですよ。
そうなんだ。
民のために広く作るんだったらもっといっぱい広まってても良さそうな気はしてるんだけど。
ここがね面白いところであるんですよ。
もちろんその考え方も全然あり得るし、それだっても良かったと思うんですけど、
ここがね難しくて奥深いところなんですけど、
もちろん民のための生活雑貨で無印良品みたいな感じでどんどん量産でも良かったと思うんだけど、
一方でこの鎌田っていうもののブランドっていうものをちゃんと守ろうとした人たちだったんです。
守り方は独特でした。
なぜかというと当時唐津とか有田の方、今もそうだけど唐津で言えば中里太郎衛門さんとかね、
中里何がしたんとかって今もちゃんとこの楽観みたいのが入ってると思うんですよ。
遠くて器高いものがね。
裏にね、ハンコみたいなやつね。
鎌田の約束はそれを絶対入れないことなんです。
なんか矛盾してる気がするけど。
人じゃないんですよ。
俗人的には絶対しない地域ブランドとしての民具っていうのを、その難しいあやを中に通していった人たちなんです。
それ当時からやってるわけでしょ。
そうです。
なんかすごいブランディングっていうか、その発想を生まれるのすごいなと思う。
異質な人たちだと思うんですよ。
だから難しい、ちょっと話が複雑なんですけども、
芸術とかっていう意味で言うとやっぱり中里何々さんが作ったことっていうのに多分紐づいて価値が生まれるわけですね。
まあそうか、作家っていうものが大事になってくる。
そうそう、人間国宝とかさ。
ある意味それが個人ブランドになっていくわけですね。
地域ブランド、唐津焼の中に中里何々さん、中里龍太さんとかいろいろいて、
龍太釜の中里さんのこれだっていうとやっぱり根がついたりとか。
そういう職人としてやっぱり、でもそれはそれでもちろん良い部分もあって、
そういった人がいるからこそ、アートとしては絶対的な価値を生んでくるから、
もちろん職人たちもそれを目指しますから、一人一人の技術っていうのはどんどん高まっていく。
そして地域ブランドも守られていきますし、個人の違いが出てくるから、
いずれ唐津焼絶対やりたいんですけど、唐津行くとやっぱり釜ごとにそれぞれ全然違うね。
唐津焼なんだけど、こだわりが違ったりする面白さはありますよね。
一方で完全なおしなべた消財としてやると、もちろんそれはそれでいいんだけれども、
逆に言うと真似しやすいんですよ、はっきり言って。
だって要は誰でもそんなに工夫しなくても消耗材として使われていくわけだから、
真似はしやすいから、より産業革命みたいなのが起こったとしてオートマティックになっていけば、
それは全部無印良品にとって変わられることになるわけ。
でも無印は無印やっぱりすごいじゃないですか。
だからある意味無印に近いんだよね。
つまり無印の場合は企業っていうあれは誰もが使える安いものなんだけれども、
無印良品ってブランディングが後ろにあるからちょっとあるじゃないですか。
それを温多はある意味それを同じようなことやってたんですよ。
温多っていうこの地域ブランディングっていうところで、
それ以上深入りもせずそれ以上柔らかくもせず浅くもせず、
その絶妙な同じ地域のこの9か10かの家だけが作るみんなのブランド。
だから個人名は入れないけど同じ技法でみんなで量産していく。
だけど温多以外は出さない。
真似はされない独自のブランディングを民のためにしようとした。
っていうのが温多やってた。
すごい面白い思想だなあ。
ちょっとなんか現代的な気もするし。
そうそうそうそうなんですよ。
そういう不思議な様式で守られていたものを、
ある時柳森氏も当時は全然知らなかったそうなんです彼は別に東京の人。
ところがある時久留米に来た時にこの温多焼きの器みたいなのが売られてたと。
近いですからね。
っていうので見てこれは何だろうこの器って言って調べてみたら、
実はこの日田の山間の山前の中に、
密かに密かに地域ブランドってものを作っている人たちがいると。
いうんで色々話を聞いていたら、
これが私の目指している思想じゃんっていう風に気づいて、
これが新しい時代のものづくりの評価だろうってことになって、
温多焼きっていうものが日本にあるんだってことを高らかに広めていった。
実際彼ら温多焼き自身も当時柳森氏ってのは知らなかったから、
こういう民間主導ってのは起こってきてるっていうのに、
もちろんそんなの知らないで民間主導を作ってた。
けどそういった自分たちが自然にやってきていたことを、
柳森氏が作ろうとしている時代が評価しようとしているってことになって、
よりこれはちゃんと作らなきゃってことになって、
そこで確固たるブランドとして継承されている。
だから柳が、特に亡くなってますけれども、
柳森氏が温多に来てからもう80年以上経ってますが、
結局今も名前は掘られない温多焼き。
っていうのが温多焼きなんです。
それは広く広まってないっていうのは、
ブランディングのおかげっていうことでもあるわけ。
いやなんかすごいな。
難しい話ではありますけどね。
多分いろんな意見対立もあったんじゃないかと推察するんだけど、この300年の間にはね。
いやでもそれがちゃんと今まで続いてきてて、
その民党、民芸運動っていうのがあって守られてきた部分も多分あると思うんだけど、
なんかちゃんと一貫したブランディングがずっと続いてる感じがすごいですね。
そうですね。だから民芸という文脈でね、この温多焼きは絶対欠かせないアイテムですね。
っていうのもね、だから今も本当にその人が守られ続けています。
温多焼きの里に行っていただくとね、確か9か10かなんですけれども、
鎌本が今もそれぞれの家で、みんなそれ江戸時代の人の子孫なわけです。
が本当に焼いてるんですよ。ちょっと温多焼きの里で画像検索してみましょうか。
これね、集落が本当に小さな山屋の集落なんだけどこうやってあってね。
ちょっと和風の民家運が立ち並べると思うんですけど、これ一個一個鎌本なんですね。
なんか家の軒先にこうやってね、作り途中のものがね、乾かしたりするんです普通に。
ね、これだから形作ったやつをたぶん1回干してるんだろうね。
そうそうそうそう。
へー。
で、また一方でね、面白いのがね、この集落本当に小さな集落なんで、歩いてもせいぜい10分15分で回れちゃうんですけれども、
上り窯とかもね、あるわけですが、これも教養だったりするんですね。
へー。
だから家とか人に帰属させない。
なるほどね。
変な風に。そうじゃなくて地域で作っていくものですよねっていうのでやってる。
あとはこの右上の方にさ、立ちみたいなの流れてると思うんですけど、これ何だかわかりますかねこれ。
何だろうこれ。
まあその形作るのに必要な水をここで共有してるんですか。
うん。これはですね、実はね、水が大事なのではなくて、先にある方なんですね。奥の方です。
あーなんか、うすときめみたいな感じになってますね。
その通りです。
だからこの支障都市的に勝手についてくれるわけですね。
そういうことです。
なのでまあ人はそういうわけで山でね、水は豊富ですから、水は水位力で粘土をね、このつくのをオートマティック化したんですね。
すげー。
これを、ただ集落の財産として、集落中にこの水路にこういうのがあって、それが民家の裏手の庭にこれが全部あるんですよ。
だから、オンタイマティックと不思議なのはね、どこから言ってもこのトッ、トッ、トッ、みたいな木で土をついてる音があるわけですよ。
へー。
うん。
面白い。この機械自体が面白いけどね。
そうそうそうそう。
へー。
これもだから今は文化遺産としてなってますけど。
へー。
だから、一人が芸術としてやるんであれば、なんかこれオートマティックどうなんだっていう感じもあるかもしれないけど、
地域の共有財産として効率化とかを図りつつブランドを保つっていうね、本当にある意味現代的なね、絶妙な線路についていったんですね。
いやー、やり方が上手いんだなー。
うんうん。だから知恵なんだよね。
人間運動の個室ってやっぱり人の知恵がそこにある。
芸術とか壁装飾とかじゃない。
はいはいはい。
実地に立った実用の知恵に基づいて作られる中に、芸術性も見られるってことですから。
へー。面白い。
これがね、本当によく体現されてますね。
で、実際工事に貴族さんとか言いましたけど、とはいえもちろん坂本何々三窯、黒木何々三窯ってのあるわけで、こうやって民家なんですけど、民家の中にギャラリーとかショップがあったりしますから、
そこに実際行って訪ねて気に入ったものがあれば、それを購入していただけるという風になっていますね。
へー。
で、資料館も中にあったりしますので、集落のとある施設にはね。
そこでまず御手焼きの基本を学んでいただいて、いざこのね、集落の中に入っていただく。
でもこれも本当にいいし、5月とか行くと新緑が綺麗でね。
ほんとなんか山里って感じだもんね。
山里です。
これは買って帰りたいな。
うんうんうん。
めっちゃ使いやすいだろうから。
そういうことですそういうことです。
はい。というのがあるんですね。
でね、これが御手焼きの里のスタンダードなんですけれども。
一方でね、ちょっとおとたび流にはね、これをディープに深掘ってみたいと思うんです。
御手焼きの里から車で5分ほど下野市街に戻るんですけれども、ここにね、御手焼きミュージアム慶成館という施設があります。
慶成館の慶というのはね、谷合い、慶国の慶のちょっと難しいバージョンですよね。
で、慶というのは声ですね。声のまた難しい、声の形の声だわけですけれどもね。
なのでもう、ロケーションはなんかね、想像できるんじゃないかと。
あー、はいはい。慶国っぽいところにあるわけだね。
そうです。ここもだから本当にね、その川のね、声音の涼やかな音がね、非常にいいんですけれども。
まあ、御手焼きの里とここをちょっと分けて話したいと思っていただきまして、一つ理由がありまして。
この慶成館さんももちろん御手焼きを扱っていて、で、まあ建物があってね、それの1階部分はショップになっています。
カフェやショップになってるんですね。
で、実際にその御手焼きの里で作られている御手焼きを、ここでもね、特に鎌本問わず買うことができるわけです。
で、まあ実際にそれでお茶を飲んだりもできるのでね、そういった一休みどころとして行っていただくのがまず一つ理由ですよね。
でね、これをちょっと見ていただきたいんですね。
さっきの御手焼きの画像を思い出しながら見ていただきたいんですけれども。
2階に行くとね、ギャラリーがありまして、こういった器が展示されています。
これまたなんか違う気がするね。
うん。
いや、これちょっと芸術寄りじゃない?
うん。
その聞いてた思想と違う感じがする。
はい。
これがですね、御手焼きのまたね、難しいところなんですけれども。
この形成館にあるのは御手焼きなんですけど、御手焼きの中でも古御手とも言われている古い御手焼きが集まってるんです。
はあはあはあ。
つまり、今の御手焼きの主流というのは、さっき画像検査がたくさん出てきた通り、飛びカンナの文様がある実用の小さな器なんですけれども。
古くは江戸時代とか明治時代はそれとまた別の御手焼きが作られてたんですね。
へえ。
そう、ここにも書いてありますが、江戸から明治時期の古作300点を展示している。
じゃあさっきまで言ってたブランディングっていうのは途中から変わっていったの?
そこも変わっていったというか、時代に応じて進化していったっていうのは多分正しいんですけど。
どういうことかというと、何がまず違うのかというのを見るとね、まずいわゆる飛びカンナの統一されたフォーマットとは逸脱している、全然色とかも違うね。
そうだね。
壺みたいのがいっぱい出てくるわけなんですよ。
はいはい。
これはなんでじゃあこれが作られてたかっていうと、あくまでもこれも民党なので、人々の時代の様子が変わっていったって展示を見ることができるんですよ。
ああ、そういうことか。
つまり当時別にお皿を作ってなかったわけでは決してないんですけれども、逆に言うと、だんだんもう明治時期が終わって近代になっていってくると、陶器の壺とかではなくなってくるわけですよね。
ああ、そういうことか。
それは重環境の変化とか多分あるわけですよ。そして食文化の変化とかもあるわけですよ。
昔は味噌とか醤油とかね、まあひたなんてそれこそそういうの作ってましたから。
っていうのをかめ込んで、かめとか巨大なものがどうしても貯蔵用に必要、これも実用だったんですよね。
だけれども次第にそれは需要が失われていってしまったんですよ。
そう、おっしゃるとおりなんですよ。これ実は遊びで作ったものもね、本当に展示されてるんです。
だから猫ちゃんの絵が描いてあったりとか、全然多分ね、もう自分のために作ってたんだと思います。
だからやっぱ作ってるとこうしたいみたいなのができてくるんだよね、きっとね。
だから芸術になりそうでなることを留め置いたような、本当にね不思議なね、絶妙な線のね、焼き物が展示されてるんですね。
ただもちろんその遊びで作ったものも本当にあるぐらいなので、そんなのなかなか残らないんですよ。
ですから今この頑張って収集して、なんとか300点ね。
その古刀って言われた、もう今は失われて残っていないね。
昔の御手焼きの姿っていうのをね、静かにここに留めてある。
こういうの変えません、一切。
なんかちょっとその葛藤が見えて面白いね。
そうそう、葛藤が多分あったんだと思います。
実際その芸術性の方向に行こうとした人もいたんじゃないかと知らないですよ。
推察もできますし、実際多分それを時代の養成者で欲した人。
やっぱり下の商家は浮遊の人が多かったので、自分の家のインテリアとして飾るっていうのは、それはそれでやっぱり実用なんですよね。
だからそれはそれで別にあの独りよがりで作ってるわけではなくて、当時の下の商人たちが欲した用途に基づいてやってる。
だけどその中にちょっと芸術的な遊びを加えてみたらどうなるんだろうっていう、その微妙な好奇心がね、垣間見える。
不思議な作例があります。この辺ですよね。
はいはいはい。だからもう本当置物とかもあるんですね。
そうそうそうそう。
だから本当なんかもう実用的ではないですよね。
理体的な装飾がついてたりとか。
どっちかっていうとこの辺は幕座焼きに近いと思う。
そうだね。
こういう猫とか船。
はいはいはい。
これも全部葛藤と言われた表焼きなんです。
これをだからまあその創作意欲に駆られて作ったのか、置物が欲しいって頼まれて作ったのかわかんないけど、こういうのも昔はあったってことですか。
そうなんです。だから温帯焼きと言っても今の確立化された、それはいい意味での確立化、そのブランディングしてるっていうだけじゃなくて、やっぱりそう単純ではないんですよね。
そういう歴史のA面B面といったら失礼かもしれないけど、今はもう継がれなかった温帯焼きたちっていうのも静かにここに眠っている。
で、この展示室が良くてね、もう右側が谷合いの森になってる。川を挟んで渓谷になってるんですけど。
へー。
これで見るとその作家性みたいな人っていうところを見せないようにしてるはずなのに、ちょっと見えてくるのが面白い。
そうそうそう。そこがだから人間面白いところなんですよ。実用にかなっているという前提がありつつも、やっぱり出ていっちゃうんですよね。
あー、なるほどねー。
それはやっぱり人間と芸術、まあ芸術じゃないんだけど、人間と器の不思議な相関関係っていうのはやっぱり抗えないものがありますよ。
出ちゃうんだなー。
っていうのがね、この温帯焼きの形成感を合わせていく面白いポイントなんですよ。
さっきの温帯焼きの里で、ザ温帯焼きみたいなのを見て、その後この形成感でちょっと違うものを見ると。
そういうことです。
へー、面白いな。
はい。というのでね、この温帯焼きメジャーの形成感さんにお邪魔しました。
はい。
で、次がね、最後のスポットになります。それがね、形成感さんから車で5分ほど行ったところにある六名庵さんです。
これもギャラリーなんですかね。
はい。今まで行ったところ温帯焼きの里のね、それぞれの鎌本さんに行って買うもよし。
で、形成感にもショップもありますのでそこを買うもよしなんですけど、個人的にはこの六名庵さんまでね、買うのをちょっと待っててもいいかもしれません。
それはなぜかというと、この六名庵さんは温帯焼きを専門にしているセレクトショップなんですけれども、温帯焼きの今残っている全ての鎌本の器をね、一緒に扱ってるんですね。
このね、展示のこだわりとかもすごいんですよ。これ全部商品なんですよ。
なんかショップっぽくないよね。
はい。
いや、なんか普通に展示っていう感じ。
うん。どこかガレリアミドーバルの方に共通点を思い出す方もいるんじゃないかと。
でもちょっとこう実用性を見せてくれてる感じもあるよね。
そうそう、そうだと思うんです。こういう感じでね、すっごい計算されたデザインの見せ方ですよね。
で、この六名庵さんはね、すごいところでして、もちろん温帯焼きがすごいんだけどまずね。
このオーナーさんもね、すごい人で、この人ね、結構有名な書道家さんがやってるんです、このお店。
書道家さんが自らこの温帯焼き見せられて、このショップを開設したっていうものですね。
ですから、このやっぱり芸術的な見せ方、ただのショップじゃないじゃないですか、もうこれどう見たって。
いやなんかライティングもすごいよ。
そう、だからすごく計算された芸術の見せ方なんだけれども、そこにあるのは例えば縦札で誰々が咲くとかじゃないんですよ。
名もない、要は誰が作ったかわかんない温帯焼きが芸術的に並んでるんですよね。
だからこれも微妙なそのラインなんですよ。
ああそうか。
この並んでる様子だけ見ると展示っぽく見えるんだけど、でもそれ買えるっていう。
そうです、全部商品です、あくまで。実用の商品なんですが、すごく芸術的に見えている。
なるほど。
だから僕はこれがある意味今の温帯焼きの姿だと思うんですよね。
要は今って僕らもプラスチックの商品に囲まれてますから、別に当時に買わなくていいじゃないですか、生活する上ではね。
だけどやっぱりインテリアとかある意味芸術よりちょっとなってきてますよね。
っていうのを考えると、これが多分今の温帯焼きの需要なんですよね。
なるほどね。
いや面白い。
そう考えると、各時代にタイムスリップして、当時の温帯焼きを見てみたくなるね。
いや本当にそういうのあってもいいと思いますよ。すごい面白いですよね、そうやって考えるのもね。
その温帯焼きを見ればその当時の人がわかるってことだよね。
あるかもしれない。
生活がね。
で、その時代が何を求めていたか。
時代とそのわずかなパーソナリティを映しているのがこの温帯焼きというものの在り方だったんですよね。
面白い。
なのでこのギャラリーもちろん全部商品買えますし、詳しく聞けばもちろんどこの窯誰が作ったのか大なることはご存知なんですけど。
一方でこのギャラリー以外にもね、色輪をついた茶室みたいのがあって。
ここは温帯焼きもあるんだけど、このご自身の書道家としての活動をした作品をこっちに展示してあるんですよね。
真ん中で牢屋区切ってあって、その中に森の窓があって、これがアートなんですよ。
この方は禅にすごく詳しい方で、禅の精神を筆で証言した時のアートっていうものを作ってて、
結構ね台湾とかの方にすごいウケるとかいう話は聞きましたね。
禅語ですね。だから漢字をアートみたいに書いてるわけです。
こういうところも入れさせてくれます。
ショップでありつつ、ギャラリーというか美術館的に見られます。
なので温帯焼きをまず買うという目的で来てもらうのが一番なんですけれども、
ちょっと今回アーティスティックな旅というところもあるので、
お土産購入でありながら、このオーナーの方の芸術にも触れていただきたい。
というのがこの六明安さんを訪れるすごい大きな意義なんですね。
ちなみにこの建物もすごくてね、かやぶき屋根のね。
大体150年くらい経ってるって言ってたと思うんですけど、それをまたリノベーしてるわけです。
この番組ではお便りを募集しています。
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そして我々のマイマップ、年表、ノートございますので、それぞれ参考にご覧ください。
いやーなんか面白いですね。
前日の締めでも言っちゃったけど、やっぱりその色が違うのがよく分かる。
そうなんですよ。
どこも自然とかその土地の人に寄り添ってる実用的な感じっていうのがすごいしたなっていう気がしますね。
だからやっぱり大分というものをね、特に文庫の方なんですけれどもは、
本当に僕もあんまり観光地とかっていうよりもわりと子供の時が近いところにあったところなので、
逆に捉えるのちょっと難しいんですけど、
もう本当にいい意味で背伸びをしないんですよね、そう文庫って。
背伸びはしないんだけど、背伸びする必要がないってわかってるような感じがやっぱりあって、
それはなぜかというと足がしっかりしてるからなんですよ。
その商藩分立国だった、今回藩は全然出てこなかったですけど、
この他の地域に話してもそうなんですけど、やっぱり自分たちの限られているかもしれないけれども確実に受け継がれている魅力っていうのをわかって、
それをどういうふうにその実地に立って進化させる。
そういうのがみんなそれぞれの街で温泉でそこならではのロケーションがあるっていうことをちゃんとわかっているからこそ、
みんな違ってみんないいよねっていうことをみんながわかっているから争いもせず、競いもせず、それでみんなが商藩分立をしている。
それが今で言う観光地の分立にもなっているから、それぞれの街に全く違うロケーションと魅力があって、みんなが何かにはハマるんじゃないかと思う。
ただ無理にやろうとすると、温泉とかアートって切り口でやるとこういったらちょっと受け継がれてできるし、一層その一つのテーマを連ねただけに、その街の違いというのもね際立ってくるんじゃないかと思うんですね。
いやーなんていうんだろうな、なんか小六校で行けたらいいなっていう感じの気持ちですわ今。
実際距離、東京からだと距離があるからそういうわけにはいかないんだけど、でもなんかちょっと週末に行ってみたい街なんだろうなっていう感じがしたわ。
僕もだからこのコース、ほぼこれに近いことやったんですけれども、いくつか組み合わせてるんですけど今回もね。
だけれども、やっぱ福岡にいると大分って隣でね、かつ日本一の温泉地ってもありますから、やっぱり無理してせかせか行くのはもったいない場所だっていう認識がずっとあるし、今もそう思っています。
だからそれは今ちょっと離れたところに住んでるのはすごい寂しいんだけれども、別府だけでずっと二泊三泊だっていいし、ゆふ院あるいはひたでっていうことも全然いいですから、一個一個の街をじっくり味わって、それぞれのロケーションと実用になって、みんな違ってみんないいというね。
そういったことの証明をしてるのがこの文庫っていう国だって、本当はこれ以外もいっぱいあるんですよ。
この今日は別府、ゆふ院、ひただけを扱いましたけど、もっと南の方もすごいいい街がいっぱいあったりするので、ぜひそこはまた別の機会に楽しめればいいなと思います。