“竜吟虎嘯”の戦術論 川中島兵乱記 前編
“竜虎相搏つ”―――
戦国時代を代表する両雄が、5度に渡り相まみえた川中島。北信の小さな平野に過ぎないこの地に、なぜ大軍が集い、日本の戦史に不滅となった激闘を繰り広げたのか。信玄・謙信という、対照的な個性の結晶が生んだドラマは後年多くの日本人に偲ばれ、やがて大いなる“謎”を残したままに“伝説”へ昇華していきました。今回は、双方の本拠で彼らの特性を理解した前提で古戦場を巡り、“時代の悩みを悩んでいった”両雄の真情を浮き彫りにします。
【目次】
〜 最近、ハマったゲームがありましてね……
〜 コーステーマの発表
〜 ★旅のはじめに★ 必然と謎が渦巻く激闘 “川中島の戦い”は八百長だった!?
〜 信玄の前線基地で戦の臨場感を体感 【松代城跡】
〜 真田家を軸とした歴史の系譜を学ぶ 【真田宝物館】
〜 “母ちゃんシェフ”の生み出す地産の滋味を堪能 【しんこきゅう-心幸食-】
〜 謙信の本陣跡で“大いなる謎”を垣間見る 【妻女山】
〜 お察しの通り、編集時点の内田です
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00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行と酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 晴谷です。
最近ハマったゲームがありましてね。 ゲーム?
急なんですけど。 伝説のスタフィー。
覚えてます? 覚えてるよ、あの星型のあれでしょ。
懐かしい。 あれが、最近ニンテンドースイッチでできるようになったんですよ。
有料というか、オンライン会員にまずなって、それの追加パックにも入らないといけないんだけど。
結構ね。
割と課金しないといけない感じではあるんだけど、過去のハードのゲームを結構できるんですよ。
懐かしい。
ファミコンから、今はゲームボーイアドバンスまで。
あれアドバンスだったよね、スタフィーね。 覚えてる覚えてる。
ソフトが結構たくさんできる感じになってて、そこにスタフィーが追加されたんですよ。
懐かしいね。あったあった。やったよあれ。
そう俺ね、あれ小学校の頃めっちゃハマって、1,2を多分俺はやったと思うんだけど。
泳いでる感じがいいんだよね。 そうそうそう。
カービィとまたちょっと違う動きだよね。
ゲームのシステムとしてはカービィに近い感じなんですけど、
星型の主人公のスタフィーっていうキャラクターを操るアクション2Dゲームみたいな感じなんですけど、
あれをね最近やっててね、懐かしみながらずっとやってます。
これちょっと雑談化したいね。
スタフィー懐かしゲームみたいのは、今スタフィー話するって全然知らなかったので初めて聞いたんですけど、
いやありますよねやっぱね。
懐かしゲームはあるよね。
ハマったゲームのはやっぱ俺らが小4から中2、3くらいまでですか。
だから2004年から10年くらいなのかな一番ホットスポットは。
すごい昔に感じるねその年号を言うとね。
でも復刻版なわけでしょスタフィーもね。
でもあの時の任天堂って神かかったもんね。
だからこういう話をだからその。
なるほどねなるほど。
そうか。
いや本当はこれ雑談会でしようかなと思ってたんだけど、
あの映画の話にしようかなと思って。
いやこんなに盛り上がると思わなかったわ。
いよいよ初めて聞いたって思っただからスタフィーってめっちゃ懐かしいなって思った。
最近見なかったなと思いつつ。
懐かしゲームで言うとね俺はもう一個話したいやつはあるんですけど、
まあちょっとじゃあ雑談会のネタにしておきましょうか。
03:04
映画やったしねさっきね。
そうそうそう。
ということで意外と盛り上がっちゃいましたけど、
今回は新しいコースですね。
コースのタイトルは何でしょうか。
今回のコースのタイトルですが、
良銀故障の戦術論河中島平乱記です。
ちょっと最近よくわかんないんですけどな。
何ですかこれは。
これねネタバレをすると、
3テーマにわたってとあるリクエストに答えてたんですよね。
実はね。
あの我らが知っている同級生の王さんという方からリクエストをいただいていた、
歴史オタクがガチで巡る歴史好きの旅をしてほしいっていう答えをね頂戴して、
それに答えるために、
最初は関ヶ原にしようかみたいな雑談でしていたところがあったんですけど、
ちょっといろいろそれを打ってたと話して、
ちょっと壮大な仕掛けと言いますか、
つまり河中島の戦いというのが、
武田信玄と上杉謙信が戦ったというのは、
多分皆さんご存知なんじゃないかなと思うんですけども、
そこに至るまでのテーマを3テーマにわたってちょっとやってみようという、
初めての試みだったんですよね。
壮大なね、今までの幸福の武田コース、
そして上越の上杉コース、
そして今回のコース、3つでパックみたいな感じだよね。
ここでようやく最終章を完結するということなんですね。
なので僕の考えとしては、
セリガハラの戦いももちろん思ったんですけど、
やっぱり歴史オタクならではのコースってなんだろうと思った時に、
古戦場というのが結構思いついちゃったんですよ。
お城とか町とかだったらそれ以外にもいっぱいもちろんありますけど、
古戦場って要は草っ腹だったりね、山だったりするわけですけど、
あえてそこを行くっていうのはやっぱり歴史オタクの意味があるものだと思うので、
そうなった時に何がいいかなと思った時に、
ちょっと初めての試みとして、
その同級生の大夫さんが言ってくださったことを元に、
川中島の戦いというものを取り上げる時に、
川中島に至るまでの竹田上杉それぞれの特性を知った上でこれを解釈すると、
一体どうなるんだろうっていうことを考えてやったんですね。
なのでちょっとこれを話すために、
山梨と上越のコースは組まれてたっていうことになります。
もう本当壮大な前振りですね。
5、6回目だって前振りをしたってだけなんですね。
いやでもまあ俺もそれぞれの老いたちというかね、
一生を勉強しましたから、解説いただいてね。
じゃあその2人が見えた川中島っていうのがどういうものだったのかっていうのを、
06:06
今回でちょっと知りたいなと思ってますよ。
ありがとうございます。
お願いします。
改めてタイトルを申し上げますと、
良銀故障の戦術論、川中島閉覧記。
このタイトルについて後で話します。
ただそもそもまず川中島というのはどこかっていうのがある。
そうだ。場所は俺は分かってないわ。
これはですね、今の行政区分で言うと、
長野県長野市にあたります。
川中島という駅もあります。
ちょっと地図を見てみましょうか。
今Googleマップで見てるわけですけれども、
長野県長野市。
長野駅というのが長野市の中心駅になるわけですけれども、
そこから南西の方角に少し行ったところが、
いわゆる川中島と言われている地域。
実際に今も鉄道の駅も川中島駅というものもありますが、
川中島駅から大体東の一帯が川中島と言われている地域なんですね。
川中島と言っている角とかは大体想像がつくと思うんですけれども、
地形としては、
つまり大きな河川に挟まれている中洲なんですよね。
こう見るとね。
確かに。
これね、サイ川って読みます。
サイ川。ちょっと読めないな。
動物のサイのサイですね。
あ、そうなの?
それ言われてもあまり意図はこないけど。
これの字をどう書くかってのは難しいね。
金木犀の犀か。
あ、そうか。金木犀の犀。
で、サイ川と読む。
へー。
それと、線に曲がる川と書いて、
ちくま川と読みます。
ちくま川。読めない川に挟まれてるのね。
そう。川中島。
で、このサイ川とちくま川ね。
確かになんだこれはって話なんですけれども、
結局は、これ本流をたどっていくとですね、
越後の上杉川の方に行くと、
あ、上杉川ね。
これ要はね、シナノ川です。
あー、なるほど。
最後はシナノ川になるんですね。
新潟市に注ぎ込んで、日本海にそのまま行くという。
シナノ川というとね、
日本最長の川として有名な川ですけど、
そのまま要は上流域、中流域みたいな感じが、
サイ川、ちくま川となって、
それが合流してシナノ川になっていく。
ただその2つに挟まれているから、
川の中の島。川中島。
と言われていたところですね。
つまりこの長野県の一番北の部分を巡って、
武田信玄と上杉謙信は、
およそ5度に渡って戦いをする。
あー、そういうことか。
09:01
1回の戦いじゃないんだ。
もっとも5度戦ってはいるんですけれども、
実際に本当にガチでやりあったのは、
そのうちの4回目。
第4次川中島の戦いというのが、
狭い海において川中島の戦いと言われているところです。
あとは睨み合いで終わったりとか、
漕いで終わったりとか。
ただ双方が5回、あるいは6回という説もあるんですけど、
この北新地域の川中島と長野市を巡って、
戦ったのは間違いない事実です。
まあ確かにね、今まで聞いた、
お互いの領土の競り合っているところは、
ここら辺でしたね。
そうですね。
武田信玄というのはね、
父親を追放して長野に攻めるところからがね、
歴史の表舞台に立ったところで、
諏訪を下して高戸を下してという風に、
どんどん松本を平らげて、
みたいな感じになっていって、
要は長野の一番北っていうのが、
最後のシナロの国の到達点だったわけですね。
ところがこの間に、
途中途中でね、
落としていった武将たちが、
武将を打ち取ることを別に目的としないんですよ。
土地を得ることを目的です。
だから武将たちは生きてるんですね。
なるほど。
誰を頼ったかと言うと、
必ず助けてくれるという、
戦の天才という評判の上杉謙信を頼る。
村上義九というのがね、
その筆頭だったということでね、
上杉の下に挙げましたけれど。
彼らからしてみれば、
平和に暮らしていたはずのシナロの国に、
武田信玄という冷徹なリアリストが、
急に乗り込んできて、
圧倒的な組織力を持って、
自分たちの城をどんどん奪って、
全て奪われてしまった。
どうにかして取り返したい。
武田を追い払いたい。
もう頼むのは上杉謙信しかいない。
なるほど。
あの人なら絶対助けてくれるらしい。
っていうことなんですね。
第一義でしたからね。
だからこの竹田にしてみれば、
シナロの国を最後の一つのパーツを埋めるために、
土地を得るために、
川中島というものを自分のものにしたい。
上杉としては、
その竹田に川中島にやられる前に、
みんな迫害されて、
追い出されてしまった武将たちの期待に応えなきゃいけない。
だからこそ竹田を許せちゃいけない。
なるほど。
絶対に竹田信玄というものを許せない。
っていうので、川中島に出身して、
自分たちのブランディングを誇示しなきゃいけない。
なるほど。
ここまで前段を聞いてきたから、
お互いのキャラクターを知った上で、
今の話を聞くと、
もう本当にお互いが自ら作り上げてきた、
キャラクターのぶつかり合いっていう感じがしますよね。
そうです。
つまり歯止めが効かなくなったのは、
双方を言ってこの時期だったと思うんです。
なるほど。
割と限界点。
最高潮に達した時に、
会うべきではない二人が会ってしまった。
しかしそれも歴史の出前だった。
12:00
なるほど。
おー、なんかテンション上がってきたよ。
このことなんですよ。
川中島の戦いというのは、
歴史上絶対避けられなかったんです。
まあ、こんだけ近い距離に、
それぞれ強いキャラクターを持った人がいて、
そのぶつかりを誘発する出来事があった。
そうです。
そしてお互いのその心情において、
川中島の戦いというのを
引くわけにいかなくなっちゃうんです。
そうですね。
ここで引いたら、
お互いそれぞれのキャラクターに傷がつく。
そうです。
なぜかというと、
お互いがそれぞれ、
家臣たちに推退された、
自分のがでどうにかしようというんじゃなくて、
家臣たちに配慮しながらやらなざるを得なかった。
ある意味、ちょっと被害者でもあったんですよ。
真言の献身というのはね。
ただそれにおいて成功した。
一方においては、
ひたすら自分は家のための機械になることで、
もう肉親をすべて切り捨てて、
機械になることで最強の組織を作り上げた竹田氏。
そしてもう一方においては、
自らをビシャモンテンの化身、
戦の神と称して、
圧倒的なカリズマ性でもって、
越後の内乱状態を克服して、
第一義。
誰かのために戦う。侵略はできない。
それをしないと称して、
戦い続けて上杉献身。
この二人は絶対にいつかはまみえなきゃいけなかった。
ただし、この二人がそれが、
ある意味限界だったと僕は思っているんですけれども、
そのすべてが決勝となったのがこの川中島の戦い。
なるほどね。
なんかすごい熱い戦いに思えてきたよ、俺は。
実際にね。
よく歴史の評論家の方とかも言ってますけど、
竹田信玄は、この川中島なんてなんて言ったら失礼だけど、
はっきり言ってシナモンの国ってすごく広いですから、
長野県って今もすごい国土が広いじゃないですか。
県土の領域がね。
そのお話が一致してたんですよ。
確かにね。
諏訪とかね、どんどんどんどん領地を広げてきてて、
別に取らなくたっていいところな感じは確かにするね。
別に大きな土地っていうわけでもないし。
上杉にとってもそうなんですね、はっきり言ってね。
そもそも他国に侵略をするつもりはないわけだからね。
頼まれたから仕方なく出兵してるっていうのが人事情です。
そうか、確かにね。
本当にプライドのぶつかり合いなんだね。
ただ、お互いがそのプライドを毀損してしまうと、
自分たちの組織で立ち行かなくなることが、
お互いは知り抜いていた。
僕は武田信玄も上杉謙信も非常にクレバーな人だと思うんです。
だから自分の弱みも知っていた。
何かが外れてしまうと、
一気に崩壊する脆い組織だってことも知っていた。
それを守るためにどうしても川中島戦を戦い抜かなければならなかった。
ただし本当の決着点は、
彼らは何を履歴書に見出したのかっていうのが、
ちょっと今回考えてみたいことなんです。
15:00
ちょっと長くなりましたが、
前段としては、川中島の戦いが起こった原因というのは、
とにかく武田信玄がシナノをどんどん掠めろって言ったっていうのが、
最もの原因です。
どんどんシナノの弱かった武将たちを追い出してしまって、
その人たちがみんな越後の上杉謙信を頼った。
上杉謙信は断れないんです。自分のためにも。
なので彼らの求めに応じて、
武田信玄の戦わざを追えなかった。
まして武田信玄は、日虚紀北条氏の同盟国。
絶対に存在しちゃいけない北条家。
小田原北条家という同盟国なので、
その意味でも叩き潰さなければならない。
ということになる。
ただ一方で武田信玄は、
シナノの国というのを併定して、
禅公寺っていう宗教的権を利用してまでも、
ここを併定して、
海シナノっていうのをまず併定した上で、
次の侵略に向かわなければならない。
この歯車は誰にも止められなくなっている。
という状態だった。
お互いが最高潮に上がった段階で、
ここを迎えるんです。
なるほど。
戦うべくして戦っているというか、
お互いに引けない部分があって。
引けたらダメなんですよ。
絶対引けないんです。お互いが。
どうやったらお人差し所を見つけられるのかというのが、
僕の川中島の戦い、
僕のあくまでの主観ですけど、
すごい極端な言い方をすると、
川中島の戦い、
第4次川中島の戦いについては、
僕は八王朝だったと思っているんです。
極端な話をすると。
なぜかというと、
ケンシンもシンゲンも、
お互いに何を求めれば引き下がって、
何だけは引き下がれないっていう、
お互いの強み弱みを、
これほど知り抜いていなかった。
だから落とし所は分かっていたと思っているんです。
なるほど。
それが僕の川中島の戦いの真相だと思っているんです。
なるほどね。
割とそれを解き明かしていくコースっていう感じですかね。
その仮説に基づくと、
川中島の戦いというものをめぐる伝説、謎というのが、
僕の考えだと全て辻褄が合うんです。
なるほど。
一履歴与太の見解っていう感じですね。
もちろん全然違う見解もあります。
それに基づいて、
あくまでも一個人の見解です。
基づいてめぐっていくコースっていう感じですね。
分かりました。
今回は古戦場だけをめぐるという、
長野市の中でもそこだけを断片的に切り取るので、
日帰りコースにしたいと思っています。
これ初めてかな?
日帰りはやってないね、確かに。
ですよね。
東京の方であれば、
あるいは首都圏の方であれば実現できると思うんですけど、
関西とか、もしかしたら九州の方とかは日帰りでは難しいけど、
そうですね。
そこは大変申し訳ない部分もあるんですけど、
東京を考えた時には日帰りにできる。
紹介するコースとしては日帰りにしてるけど、
18:02
これめぐって、止まって、
2日目とか好きなところに行ってもいいし、
そうですね。
この1日のコースを2日に分けてもいいしね。
もちろんです。
後で雑談会で話すんですけど、
僕はこれね、ちょっと3泊4日で持ってね、
甲府、川中島、直越、笠ヶ山城、上越ですね。
めぐっていますので。
なるほど。
じゃあ今までのこの3コースを3泊でめぐってるんだ。
めぐることもできるということです。
なるほどね。
それは僕が1回それぞれ行ったことがあったので、
そうか、動き方も分かってる。
だから大津くんに時間も並べてるし、
というのもあるのでね。
1回にいないんですけど、
ちょっとその辺り。
いいようにね。
使ってもらって。
とりあえず今回紹介するコースとしては日帰りにしていると。
そういうことですね。
はい。
ということで、先ほど申し上げた通り、
川中島というのは長野県長野市にあります。
なので東京から鍵に向かう場合は、
北陸新幹線に乗っていただいて、
長野駅に11時ぐらいに向かっていただくのがいいんじゃないかなと思っています。
長野駅、長野県の県庁所在地にありますので、
もうすごく素敵な町です。
これはちょっとまた別に取り上げさせてください。
これは本当にすごいところなので。
そこで車を借りましょう。
これはもう車はいくらでもありますので、
そんなに心配しなくていいと思います。
長野駅から車を借りて、
まず向かうのが、
車で25分ほど南に下ります。
ところにあるのが松城城跡というお城跡です。
松城城、松は植物の松ですね。
城というのは交代するの対、
と変えて松城と読むんですね。
そういったお城の跡ということになっております。
これは長野県の長野市の中に松城という地域があって、
そこに松城藩という藩がありました。
江戸時代にね。
漁師は真田家です。
真田家が治めた松城藩十万石というものがありましたので、
それの本拠地であるのが松城城になります。
なるほど。
これはこの戦いにはどう関係してくるんですか?
本当に台本読み込んだかのような質問に。
びっくりしました。
恥ずかしいな。
読んでないんだよね。
別に読んでないですよ。
松城城というのは江戸時代以降はそう言われているんですけれども、
これは実は元になった城があるんですね。
同じ場所に元になった城がある。
それを改築したのが松城城。
なるほど。
その元になった城というのが貝図城という城でした。
貝図城というのは海、貝と言いますよね。
に津、これは三重県の津市。
滋賀県の大津市の津ですね。
貝図と呼んで、そういう貝図城というお城があったんですね。
21:03
内陸なのに海の名前がついてるんだね。
これは地勢を見ていただきたいんですね、ぜひ。
Googleマップをちょっと見ましょうか。
松城城、貝図城ですね。
というのが目の前に筑波川が流れてるんですね。
つまり松城城という貝図城は、
この筑波川を西側、北側の天然の堀としてできた城なんです。
何にしても海なのが気になるけどね。
確かに。
ただこれを松城城の位置を改めて見てもらうと、
どういう位置関係にあるか。
先ほど川中島というのが筑波川と狭江川に挟まれた中津でしたよね。
それの筑波川の南側。
つまり一時的に武田上杉で言ったらどっちかというと、
武田川ですね。
そうです。
貝図城というのは武田信玄の父親、
高坂壇城という人物が城主を務めたと言われている城なんですね。
じゃあ武田川のお城の一つ。
そういうことです。
そしてこの川中島の戦いが起こって、
いよいよ上杉との対前線基地、対上杉の前線基地として、
甲州流の築城術をふんだんに発揮して作られた前線拠点だと言われています。
ほんとキワキワだもんね。
そうです。
高坂壇城という人物も、
これもちょっと話が長くなるんですが、
例によっては山形政賀家という、
子孫が今旅館を経営されている話をしましたけども、
彼と同じように竹田二十四将の中でも、
本当に筆頭角にあたる名将です。
高坂壇城は元々甲府近辺の農民の息子だったとも言われています。
すごいね、成り上がったね。
ただ信玄は徹底してるんですよね。
どんなに身分が低くても、徹底質能力主義。
なるほど。
リアリティスなんですよ、あくまでも。
だからこそ、使えないと思ったら名家の息子でも殺してます。
逆にどんなに身分が低くても、
能力があると思ったら取り立てるんです。
なるほど。
対上杉賢氏の超重要基地を任せるぐらいの。
すごいよね。
ここは本当に信頼してる人としか置けないもんね。
そういうことですね。
っていう開頭城というのが松城城なんですね。
これが川中島の戦いの最初の話なんですけれども、
竹田信玄は開頭城を築いて、
いわゆる前後時代だと言われていた今の長野市一帯に睨みを利かせるわけです。
もう信濃の国の大半は手に入ってますから、
あとはこの川中島一帯さえ手に入れば、竹田家の信濃統帥というのを完成するんです。
そのために高坂壇城という名称、
そして信玄の福祉を送り込んで、
24:00
そしてこの高坂壇城の執勤のもとに、
みんなこの地域の人を集めようとした。
前後時の本土もすでに幸福に移しているし、
ということもありました。
実際それを中間成功するんです。
ところが、上杉謙信はそれに黙っちゃいられないんですよ。
なぜかというと彼自身の意思には関係なく、
頼まれちゃったんですよ。
ここを奪い返してくれ、竹田信玄を何とかしてくれ、
っていう村上義郎とかその他諸々から頼まれちゃってるので、
何かしらその実績を作んなきゃいけない。
ただし川中島というのを別に無理に得たとしても、
っていうところも実はもう一方であるんじゃないか。
これまでも一生懸命戦ってこれだけ実績積んだけど、
勝てなかったっていうやり方で守ってきた。
そういうことです。
ブランディングを守るのが、
この時の上杉謙信はまだ人生の中盤なので、
ブランディングに命を懸けてた時だと思うんです。
まだ侵略に繰り出す前。
そういうことです。
ただ竹田信玄は許せない。
許せないと言わなきゃいけない。
実際に許せなかったかどうか。
あんなに侵略を繰り返してるやつなんか放っとけないと。
自分のブランディングのためにこいつは潰さなきゃいけない。
頼まれちゃったしね。
頼まれちゃったし、ということになってる。
ただ竹田信玄は徹底したリアリストなので、
カイズ城を築いてこの辺を治めようとしてるわけですね。
ということで川中島の戦いというのが、
だんだん現実に帯びてくるという感じ。
そもそもカイズ城を築く前に、
竹田信玄はこの禅公寺の一帯に出兵して、
上杉謙信も北からね、越後の方から兵を出して、
この川沿いに睨み合うみたいなことは何度かやってるんです。
ただここで問題なのは、
この睨み合い、2,3回やってるんですけど、
双方ともに目的を達せられてないんです。
竹田信玄の目的というのは何だったかっていうのは。
土地を取る。
彼はとにかく土地なんです。
土地を取らない戦はしないんです、絶対に。
一方で上杉謙信の戦の理由というのは。
義を通すためっていうことだから、
頑張ったっていう事実を作らないといけないってことだよね。
はっきり言えばブランディングのためなんです。
けど睨み合ってるだけで、
特に戦いもそんなに大きなことは起きてない。
なるほど。竹田側は土地が欲しいし、
上杉側は実績というか、
頑張りましたっていうことが欲しいから、
睨み合ってちゃお互いに意味がないわけね。
信玄というのはそれでも絶対リアリストであるので、
何回か睨み合った末に、
禅公寺の本尊を移しちゃおう。
皇府に持ってきちゃおう。
って持ってきちゃったんです、実際。
それで禅公寺という心の拠り所にしている北神の豪族たちを、
やっぱ竹田に従わなきゃいけないんだなって。
だって禅公寺守ってくれるし。
むしろ越後の上杉こそ侵略者なんじゃないかっていうふうに、
仕立てていくわけです。
これが信玄の汚いところであり上手いところでもある。
27:00
攻撃に繰り出す口実というか、
外掘りを埋めていく感じですね。
これは信玄のいつもこのやり方なんです。
ということなんですね。
っていうのが大体何年か続いてるんですよ。
お互い目的を達せられない状態というのが。
というところから、そこに海津城が築かれた。
高坂断城というすごいのが入ってきた。
いよいよ竹田が本気になってきた。
もうそろそろ攻撃に来るんじゃないかと。
本当に土地を得に来ている。
っていうのがこの状態なんです。
川中島の戦いって5回から6回かやってるって言われてるんですけど、
これまでが第3回までの話なんですよ。
睨み合ってた状態。
お互いそんなに戦いしない。
ところが競技における川中島の戦いというのは、
第4次川中島の戦いというのはさっき話したんですけど、
これが起こったのが1561年の9月10日なんです。
旧歴ですね。
旧歴か。
ただちょっと実はやや合わせてる部分もあるんですけど。
1ヶ月ぐらいずれてるんだっけ?
今の新歴に合わせると10月の半ばになります。
旧歴から1ヶ月ちょい下に下ったのが新歴と思ってもらっていいと思います。
今の小読みで言うと10月の半ばぐらい。
そういうことです。
第4次川中島の戦いというのが、
実質的な川中島の戦いと言われてます。
ここは本当に首都を繰り広げた。
これの天末というのを今回新たな、
新たなというかね、僕なりの解釈をしてみたいと思うんですね。
というわけで海津城にね、松城城跡に行って、
実際ここに行ってみますと何が残ってるかというと、
江戸時代になった後に、
その真田家が治めていた松城藩の本拠地としてのお城が復元されています。
戦いの時代はすり去った後なんですけれども、
石垣がすごい綺麗に積み上がっていて、
立派な門が建っていて、
といういわゆる政治的な首都としての役割を果たすためのお城が残っているわけですね。
なるほどね。
その一方で、やっぱり筑波川に面しているという、
地の折もやっぱりちゃんとわかっているわけなので、
その川を天然の要害として防衛にも優れていたために、
この城を、要は戦国時代竹田信玄が築いたものというのを、
まんま江戸時代に明治時代に使い続けたんですよ。
っていうのがね、この松城城なわけですね。
今ある松城城跡は真田のものではあるんだけど、
今回はそのもっと前の竹田に思いを馳せながら、
このお城跡を見るということですね。
実際に松城城の石垣の上とかにも一部登れるところが、
展望台みたいにあるんですけれども、
そこを見ると川中島の平野の一帯、
筑波川と西川の合流地点もよく見ることができますし、
そして後々話しますが、
上杉謙信が本陣を置いた山とかもよく見えるんです。
この臨場感で川中島の戦いをやったのかっていうのは、
30:02
なかなか痺れるものがあります。
そして、だからおかしいと思うんです。
本当、川中島の戦いはおかしいと思うんです。
じゃあ、その戦地を一望するっていう意味でも、
まずは心を。
まずは竹田側の視点に立ったと思う。
竹田信玄はこの城に実際入ってますから。
本来であれば北からしか攻めてこないはずの上杉なので、
北に川があるっていうのはもうバッチリですよね。
そうだね。
さすがこれは信玄のリアリスト。
そしてその意を継いだ高坂壇城の見事なところと言えるでしょう。
竹田側の視点をまず抑える。
松城というのは、これもここだけで一日過ごせるぐらいの場所なんです。
すごい良いところなんですよね。
城下町が江戸時代の建物が残っていて、
そこに洋水路みたいなのがいろいろあって、
そこに綺麗な川魚があって、
すごく綺麗で美しい城下町なんですね。
お散歩するにもすごく良いコースなので、
これは別の機会があったら話させてもらえればと思ってますが、
一言先を急いで。
とりあえず行きたいのが、
松城城から徒歩4分ほど行ったところに、
真田宝物館というものがあります。
真田というのは、いわゆる真田丸。
真田幸村と言ったらね。
これも我々の先輩なんですよね。
真田丸の作者。
なるほど。
三谷幸樹さん。
三谷さんがね。
そして真田丸で徳川家康を演じたのが、
誰?
内野さんです。
松城藩というのは真田が治めましたから、
それの宝物館が残っているわけですね。
真田というのはね、
この真田だけでもね、歴史豊かなコースとして一泊二日はできるわけなんですけど、
真田丸とかでね、よく知っている方もいるんじゃないでしょうかと。
もともと真田というのは、
信濃の国の豪族の一人です。
武田信寅がいろいろ攻め上がっていた、
その弱い豪族がいるからそこを滅ぼしちゃおうみたいなうちの一人だった。
実際に信寅と戦って負けてるんですね。
武田は敵対してるんです。
それで幼虫を奪われて、
しかたなく群馬の方に放浪したりもしてるんです。
けど信寅が、要は世代が変わった。
信寅が追放されて、神秘変わったってことで、
政策変わったって言うんで真田家もまた戻ってきて、
そして武田信寅の副神として仕えるんですね。
真田一徳祭、真田幸高という人物が、
信寅に仕えて、もう本当に頭の良い人だったと言われています。
川中島の戦いにおいても大きな役割を果たした。
その後いろいろ真田の歴史はいろいろありますけれども、
結果的にね、その一徳祭の孫にあたる信幸という人物、
真田幸村のお兄ちゃんですが、
真田信幸は徳川方につくんですね。
その父親の正幸というのと、幸村信繁というのが、
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これは坂井雅人さんが演じた真田村の主人公幸村ですけれども、
これは豊臣方についた。
豊臣は滅びますから。
幸村も大阪の陣で死にますけれども、
信幸の徳川方について残る。
これが松城藩になるんです。
これはざっと話ですけれども。
真田家の宝物とその歴史がこの宝物館に行くとよく分かるという。
実際真田家がそもそも信濃の国の一号族の一人ですから、
それが武田とどういうふうに密着していったかっていうところも含めて、
よく理解できる資料館になっていると思います。
じゃあここは川中島の後ってわけでもないのか。
まあでも後の方がメインな感じなのかな。
真田というのも、もともとの本拠地は、
同じ長野県の上田というところなんですね。
これも新幹線で止まりますけど。
様王像のところですね。
そういうことです。
上田で戦国時代はいたけど、
いろんなことがあって、
松城にマイナーチェンジじゃないけどね、
移ってきたみたいなことがあるので。
江戸時代の話がメインになりますが、
歴史好きの方なのであれば、川中島に行くのであれば、
真田家宝物館も行ってもいいと思います。
じゃあ川中島と密接な関係があるっていうわけではないけど、
せっかく行くならっていうところですね。
もっと言うなら、この宝物館の周りに、
旧真田庭園とか、
そういった真田関係の資跡がたくさん残ってますので、
これはまた別の機会に話せればいいのかなと思います。
最悪飛ばしてもいいかなというくらいの感じですが、
ただ行くと川中島の理解をより深まると思うので。
この宝物館から車で3分ほど行ったところで、
お昼を食べに行きたいと思います。
そうか、食べてなかったんだ。
朝は東京から新幹線長野に来たとしたら、
食べてないと思うのでね。
行き着く先がどこかというと、
心呼吸、漢字で言うと心の幸せの食、
と書いて心呼吸という定食屋さんなんですね。
これどういうお店かというとですね、
松城の城下町の中にある、
すごいコミュニカルなこれも改装してるお店なんですが、
とにかくここは健康食というものに
重きを置いた素敵な食堂なんですね。
どういうことかと言いますと、
母ちゃんシェフとおっしゃっている、
長野のお母ちゃんが作る家庭料理を、
子どもの健康のために提供していた料理を、
いろんな人に味わっていただければというところで、
食堂を開いたということなんですね。
なので実際にこの母ちゃんシェフ、
藤村さんという方なんですけれども、
この方が実際に運営もして、
接客もしてくださるようなところになっています。
割と体に優しい。
そういうことです。
特に野菜。
なるほどね。
幸福の時もね、
エチゴの時も言いましたけれども、
野菜が農産物は甲子園というのはすごいですから、
特にこの新呼吸さんにおいては、
36:01
地元の野菜を使ったお料理を提供してくださる。
そこに麹、味噌といった発酵食品もね。
そこら辺はそうだよね。
山の雪深いところだと保存がきくね。
発酵食品はやっぱり発達しますよね。
マッソだったと思うんですね。
それを使った健康食としての発酵だったり、
お野菜だったりというのを提供してくださる、
すごい素敵な定食屋さんになっております。
いいですね。
ただ野菜だけではなくて、
メインの料理もね、
お肉だったりお魚だったりからいくつか選べるんですね。
僕がいただいたのはハンバーグの定食もいただけるわけです。
当然お肉入ってるんですけれども、
そのハンバーグの挽肉を形成する時において、
いろんな野菜をね、
野菜の切ったものを詰め込んだ、
野菜とお肉のハンバーグみたいなものでやってね。
いいですね。
それとお野菜の小鉢だったりとか、
お野菜サラダだったりとか、
っていうものをプレートにして、
お昼の定食として提供してくださる。
なるほどね。
いいですね。
普段は俺ら酒ばっか飲んでますからね。
そうなんです。
こういう優しいご飯はいいですよね。
お昼を食べるという意味においては、
今の定食で十分お城満足できるかと思うんですけれども、
実はここスイーツもすごくおいしいんですね。
川ちゃんシェフが今日のおすすめということで、
大きな黒板を持ってきてくれるんですけれども、
そこにメイン料理ハンバーグだけじゃなくて、
チキンカツだったり、
お魚料理だったりっていうのがあって、
小鉢の話や野菜の話があって、
そしてセットメニューにチーズケーキだったりとか、
そういった自家製ケーキのメニューもありまして、
ランチとケーキのミニサイズみたいなのを用意してくれるんですよ。
嬉しいね。
嬉しいですよ。
それをいただけることができて、
そのチーズもすごいこだわり抜いた、
濃厚なチーズケーキ。
お腹にはたまらないくらいの量で提供してくださいますので、
お昼を召し上がる方は、
お昼のちっちゃなチーズケーキ。
カフェリオンもできるので、
そういった場合にはチーズケーキとか、
その他のケーキをメインに飲み物といただくというのもいいんじゃないかなというふうに思います。
なるほど。
いいですね。
なんかホッとするね。
ホッとしますね。
このフォントのところから。
そうだね。
実際本当にお家族で経営されてると思われて、
このお母ちゃんシェフメインのシェフと、
娘さんが接客とか厚労されたりとかということで、
本当に温かい雰囲気の食堂になっているという次第です。
いいですね。
こうお勧めですね。
その後また史跡巡りに移るわけですけれども、
この新国宮山から車でおよそ10分ほど行ったところにあるのが、
妻女山という山があります。
妻の女の山と書いて妻女山。
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妻女山というのは何かというと、
第四次河中島の戦い、その激戦になった戦いにおいて、
上杉謙信が本陣を置いたと言われている場所なんです。
なるほど。
さっきは武田川の最前線の城跡を見ましたけど、
今度は上杉川から見る、そういうことです。
上杉というのは新潟県、越後の国から来てますから、
北から来ますよね。
そうだね。
武田というのは甲府から来ますから、南から来ますよね。
だから南と北。
海津城は北からの防衛を考えて作られている城というのがさっき話しました。
四駒川を防衛線としてね。
そう。
ところがちょっとGoogleマップを見ていただいてもいいですか。
今我々何を見ているかというと、
Googleマップって海津城の位置と妻女山展望台という位置を見ているわけですけど、
おかしいと思いませんか。
そうですね。東西に並んでますね。
はい。
そうだね。だってさっきの海津城、松城城跡は、
北に対しての防衛線として四駒川を想定して城を作っているわけですよね。
はい。
けどこの妻女山は四駒川の南側にありますね。
そうなんです。
だから防衛線が意味なしでないね。
そういうことなんです。
なんでここまで来れるんだ。
これがね、川中島の戦いをめげる大きな謎なんですね。
川中島の戦いというのは武田家がほとんどの都合もあって、
実はほとんど同時代資料というよりも後世に書かれた資料によって、今我々に伝わっているところが多い。
なるほど。
その記述によれば、武田信玄は海津城に入って、
前甲地帯へ行って睨みを利かせていた。
上杉謙信は越後から下ってきて、
前甲地を通過して武田軍と川を挟んで睨み合うと思われていた。
ところが上杉謙信は、
あえて武田軍の真横を通り抜けて、
堂々とこの川を渡り、防衛線をいよいよ突破して、
海津城の西に着けたというんですね。
そうおかしいよね。
だから本気で守ろうと思えば、
ちくま川を渡らせないわけじゃん。
ここまで来れちゃってるっていうのはおかしいよね。
そうなんです。
なぜこんなことが起きたのか。
ここに川中島の戦いの本当の意味があると思うんです。
武田信玄というのは、川中島の戦いを受ける目的というのは、とにかく土地を植えることなんですよ。
前甲地帯を一体を支配することになる。
上杉謙信は一方で何だったかというのをもう一度復習したいんですけれども。
頑張った証を作りたいわけだよね。
そのために何度か3回ぐらい退陣してて、
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ただお互いその目的を達せられてない。
そういうことをしているうちに、武田軍は海津城というのを築いて、
高坂壇城を振り込んだ。
上杉も本気になったと思うか思うんです。
ただその本気になったというのは、
何において本気になったかというと、
実績作りか。
ここらで一回も終わらせたかったと僕は思ってるんです。
なるほどね。
そんな睨み合いなんて長く続けたくないですから。
無駄じゃないですか。
そうだね。
上杉謙信にとっては武田信玄というのはもはや脇役なんですよ。
なぜかというと、
上杉謙信が絶対に破らなきゃいけないのは、
小田原の北条氏だったんですよ。
こいつだから絶対許さないんですよ。
それに同盟者として侵略してきている武田信玄を許さないといけない。
なるほど。
じゃあその実績作りという意味では、
竹間川を越えるまで攻めたぞという証になるわけね。
そういうことです。
そして、言えば排水路線ですよ。
そうだね、確かに。
西条山の北と西を竹間川が囲んでますから、
海津城、松城城がある東から攻められたら、
なかなか逃げられないよね。
まして上杉謙信は本国が一部北ですから、
そうだね。
あえて川を渡った。
まあそうか、ここを攻められたら、
もう後ろはどんどん攻められるのみになっちゃうわけか。
ここからは本当に制作で全部言いますけれども、
僕は竹田信玄、海津城を築いて、
本気になってきたのを見て、
上杉謙信もそろそろ落とし所を見つけなければならないと思ったと思うんです。
つまり竹田信玄は領土を得るために戦って、
上杉謙信はパフォーマンスのために戦ってるんです。
一言で言えばね。
ただパフォーマンスを得るため、
まして竹田信玄で強力な敵を打ち破るためには、
よほどのことをしなければならない。
そして上杉謙信は、
竹田側が無謀な戦をしないことを知り抜いていたと僕は思うんです。
なるほど。
つまり竹田信玄っていうのは絶対勝てる戦はしないんです。
勝てる戦じゃないと興味がないんです。
なので上杉謙信が、
まず挑発するようにして、
禅公寺の方から南側に竹間が渡って、
最序竿に踏み込んできたとしても、
それをわざわざ要塞とふかした城を出て、
戦いに行くってことをしないということを、
僕は知り抜いていたと思うんです。
なるほどね。
あの竹田なら、堅実な竹田ならば、
こんな挑発には乗ってこないだろう。
乗ってこない。
そして信玄は信玄で、
謙信の立場は分かっていたと思うんです。
そろそろ殺人実績を作らないとやばい。
これタイミングで言うと、
小田原攻めをした直後に越後に引き返して、
その場所ですぐ川中執事。
あーなるほど。
つまり上杉謙信のこの時期の人生というのは、
とにかくパフォーマンス、義というもののね、
ブランディングのために命を懸けていた時代なんです。
小田原もむちゃくちゃに大群を寄せて攻めたけれども、
結局何も領地を得ずに帰っていった。
だからパフォーマンスは成功した。
45:00
今度は竹田なんですよ。
つまり僕は竹田信玄は、
上杉謙信がパフォーマンスのために戦っていないということをね、
知ってたと思うんです。知り抜いていた。
だからこのパフォーマンスを作らなきゃいけないんだなっていう、
その立場分かってたんじゃないかと思うんですね。
だからまあここの西城さんのところまで来たとしたって、
別に本気で攻めてるわけじゃない。
ただその実績を作らせてあげないと、
謙信も引くに引けなくなっている状態であることを、
信玄が誰よりも知っていた。
なるほどね。
謙信は信玄が知っていることを知っているからさこそ、
信玄の目の前を通過しても攻めてこないことを知っていた。
なるほどね。
いやまあでも確かにこれだけ長い間隣に合わせにいて、
それはお互いの情報は分かっているわけだよね。
そういうことですね。
確かにそれはありそう。
だからこのありれない、本来ありれないはずの領地の中の通過を竹田は許した。
謙信はそれを横から突っ込まれたら終わりですよ。
こんな河の中で。
けどそれを堂々とやり抜いた。
一番何千の軍を越後から引っ張ってきてここにまさに登り出す。
最上層に。
っていうのがね、まず一つ目の謎なんですね。
そうね。
これをやった上杉側も謎だし、
これを許した竹田側も謎だし。
そう。
っていうことね。
この辺りから来なくちゃいけない。
なるほどね。
僕はだから結論で言うと、
信玄も謙信も落とし所を探るために川中島の戦いをやったと思うんですよ。
ここは探り合いの時期ってことね。
そういうことなんです。
コースの方に戻ると、
この最上層という所にも車があれば行けます。
展望台まで車で登ることができますので、
そこで実際上杉健信が本陣を買ったという土地に自分も立つことができるんですね。
なるほどね。
その上杉健信の陣地跡から見ると、
もう川中島なんて一望できます。
開示所も目の前にあります。
なるほど。
見えます。
開示所があそこにあるんだなってすぐ見えるんです。
じゃあもう今度は上杉側から川中島の景色を見れると。
そういうことです。
上杉健信からすれば、
南から北を覆う東を見る格好になるんですけれども、
この前後時台羅という川中島一帯の地形もよく見るし、
武田君がどういう動きをするかっていうのは、
目に見えるほど見えるんですよ。
だってもう一望できますからね。
開示所の動きすら見えるんです。
そういう場所にまずは付けたんですね。
なるほどね。
自分の帯路を立ったような格好をして。
そんな近いところに陣を張るのを許すわけがないからね。
本来であるからね。
戦いの情動から言えば許すわけないんだけど、許したんですよ。
なるほど。
親権を見過ごしたんですよ。
なるほど。
っていうことをやったんですね。
なので開示所から見ても、実は西条さんも見えます。
西条さんから見たら開示所はもうよくわかります。
何をしてるかもわかる。
そんな戦ないでしょ。
そう。あり得ないんですよ。
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まして真剣ほどのリアリストの戦の上手い奴が、
こんなところにSSと陣を付けさせるはずって僕はないと思うんですね。
そうだね。
っていうのがね、ただ一つ。
ただ事実として後世の記録においては、
この西条さんにウィスリケンシンは陣を張ったと言われてる。
そこでまた似合いを続けるんです。
なるほどね。
じゃあもうここまでで、お互いの陣地から戦地を見れたわけね。
そういうことです。
というのが西条さん。
ちなみにここでちょっと余談なんですけど、
7月に行ったんですね。
そしたらどうも最近クマが出たらしくて。
ちょっとこの辺注意してください。
なるほどね。
クマ最近すごいですからね。
本当によく出てるから。
長野はそうだね。出そうだね。
車が全然行ける距離なので、
車にいる以上に全然大丈夫だと思うんですけど、
ちょっとあんまり油断してるとっていうところもあるみたいなので、
ご注意ください。
それで山の上だということです。
ただ道路はちゃんと舗装されてますから、
全然車があれば行けます。
どうもお察しの通り編集辞典の内田です。
今回も盛り上がりすぎましたので、
ここまでとさせていただきます。
ここまで川中島の戦いで不可解な点というのを話してまいりましたが、
次回はその完結編ということで、
武田上杉がどのようにお互い折り合いをつけて川中島の戦いが終わっていくのか、
そして川中島の戦いに関わるある一人の男について、
面白い小話も登場します。
ぜひ次回もお楽しみにしていただければと思います。
ということで今回はこの辺で。
ありがとうございました。
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