1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #118-1【美濃】物語となる“瞬..
2025-10-02 1:35:57

#118-1【美濃】物語となる“瞬間”を訪ねてPart1前編

薫るる風に山河在り 物語となる“瞬間”を訪ねて1日目前編


美濃を制する者は天下を制す―――

歴史小説の金字塔『国盗り物語』に現れるこの名言は、美濃すなわち今日の岐阜県南部が、日本の歴史を大きく変えた特別な土地であることを象徴しています。

広大な濃尾平野と木曽三川の流れ、そして四方に道の通じるまさに”日本の真ん中”には、必然的に数多の命と夢と野望が入り乱れました。

今回は美濃で生じた日本史のターニングポイントの痕跡を辿り、その”史実”が”物語”へ昇華した理由と人々の想いを考えます。


~ 📣告知 第2回みんなのポッドキャストフェス

~ コーステーマの発表

~ 岐阜県・美濃の魅力をおさらい

~ ★オープニングテーマ&旅のはじめに★ 大河ドラマ「国盗り物語」 ”美濃を制する者は天下を制す”

~ 信長が創った”岐阜” 楽市楽座の光景を目の当たりに 【岐阜市歴史博物館】

~ ★歴オタ話★ 下剋上の梟雄・斎藤道三の国盗り

~ 道三・信長の覇業の象徴 【岐阜城天守閣】

~ ★歴オタ話★ 道三に訪れた”報いの時” その最期をめぐって

~ ありそうでなかった⁉岐阜市のソウルフード 【冷したぬき天国 川原町店】

~ 清流長良川の魅力を凝集したセレクトショップ 【長良川デパート】

~ プロの技が込められた”缶ジントニック” 【長良酒造 LONG GOOD】

~ 日本最大の乾漆像 知る人ぞ知る”第三の大仏” 【正法寺(岐阜大仏)】

~ 街中にひっそりと佇む道三の菩提寺 その肖像画を観賞 【常在寺】

~ ★歴オタ話★ 明らかになった”二人”の道三 歴史が物語になる”瞬間”

~ 編集時点の内田です 次回は長良川の名物を紹介!


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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

このエピソードでは、岐阜県の美濃地域の歴史に焦点を当て、大人の旅行者に向けたディープなモデルコースが提案されています。特に岐阜の歴史や文化、戦国時代の重要な出来事に触れながら、美濃の魅力が探求されています。エピソードでは、美濃や岐阜市の文化的背景と、商人から武士に昇進した斉藤道さんの物語が語られています。この物語は、信長と関連のある歴史的な事件や経済政策による岐阜の発展に焦点を当てています。また、美濃を治める齋藤道さんの壮大な野望と成功過程について詳しく掘り下げられています。特に、彼の商人から武将への変貌や、力を求める彼の策略が描かれています。道さんが築いた岐阜城の歴史やその周辺の重要性も探られ、道さんの物語や彼の抱えた愛情の葛藤、自己認識の変化についても詳しく語られています。美濃の歴史と文化が深く描かれ、特に斉藤道さんの生涯とその影響力に焦点が当てられています。さらに、冷やしたぬきそばといった地域特有のグルメを楽しみながら、美濃を探索する内容も展開されています。美濃の河原町は長良川に沿って発展した町で、和紙の売買が盛んだったことが紹介され、地元の名物やお土産、特に長良川デパートとそのユニークな商品についても触れられています。岐阜の松坊寺にある大仏の魅力やその制作方法についても語られています。また、美濃地域の災害の歴史や地元の宿命についても話され、江戸時代に建立された大仏の存在意義が探求されています。斉藤道さんという戦国時代の英雄や、その影響を受けた寺院についても言及されています。さらに、斉藤道さんの物語が親子二代の足跡を持つことが明らかになり、歴史的な誤解や見方の変化について探求されています。道さんが一人の英雄として描かれるようになった過程や、江戸時代以降の物語の影響についての考察が行われています。日本の歴史や文化が深く根付いた美濃についての物語が探求されています。

沼津のポッドキャストイベント
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅外着替えな旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、うちだです。
今回はね、最初に告知的なね、ことをしようかなと思うんですが。 去年ですね、我々も参加しましたみんなのポッドキャストフェス。
沼津でやっているポッドキャスト×地域創生のイベント。これの第2回が今年も開催するということですね。日時は11月30日日曜日。場所は当然沼津でございます。
今回、前回よりパワーアップしましたね。前回はプラサベルデっていうね、駅近くの会議場なのかな。 そうね、ホールというか。
市の施設でやってたんですけど、今回はなんと商店街で中見世商店街でやると。 だからより地域創生っていう意味合いがね、強まってるっていう感じの。
商店街もすごい協力してくださるみたいな。 もう本当に街一帯で盛り上がるイベントっていう感じになるかと思いますね。
でですね、我々も実はお手伝いをさせていただくことになってまして、実際に何やるかはね、ちょっとまだこれから詰めるんですけど、何かしらでね、我々もお手伝いをさせていただくということなんで、ぜひ11月30日は沼津に集まっていただければと思います。
すごい楽しみですね、これ。 やっぱ多分去年より全然雰囲気変わるだろうから、どうなるんだろうっていうワクワクがあるんですよね。
初めてなんじゃないですか、この街の本当に屋外に街にうっきょ出てさ、ポッドキャストがいろいろやるっていうのはさ。 確かにね、聞いたことないよね。
私手間ミスるあれですけどね、去年の会場は沼津駅の北側なんですけれども、今回中見瀬商店街さんということで、本当に沼津の中心市街地、駅の南側にある商店街なんですが、そこが会場になってると。
なので、我々の藤宮沼津の1日目の夜に紹介したお店、リバブリューさんと自作さんとバーフランクさん、この辺りも会場から近いですので、ぜひ沼津という街の魅力をこれを通して広く知っていただけるといいんじゃないかなと思いますね。
そうですね。ちょっとね、今収録してる時点だとどういう形になるのかわかんないんですけど、これに参加したいっていうポッドキャスターの方は何かしら参加できる企画を用意してくださってるみたいなので。
ちょっとね、今わかんないんで、補足があったら編集時点のうちらに任せたいと思います。なので、ぜひポッドキャスターの方とか、ポッドキャスト聞いてる方、単純に沼津に行ってみたいとか、ぜひ沼津に集まっていただきたいと思います。
原宿に行きたい人もいるかもしれないですけど、街は複数にってあるので、11月30日だけはぜひ沼津に集まっていただきたいと思います。 そうですね。東京からもね、三島まで新幹線で行けば1時間かかんないくらいで行けますから。
ああそうか。1時間くらいかな。1時間かかるな。そうね。どんこうでも行けないことはないですからね。行けないことはないですね。
なのでぜひぜひ集まってください。 ぜひ集まってください。
内田 はい、詳細の説明を任されました編集辞典の内田です。今回のミンキャスではですね、エントリー制で公開収録をすることができるということです。
今回の会場である中見瀬商店街のブースで、街の方たちと触れ合いながら公開収録をするという体験ができるということです。
こちらに参加したいというポッドキャスターの方は、ぜひ公式ホームページご覧になってエントリーをしてみてください。
こちらはですね、先着順となっておりますので、ぜひ興味のある方はお早めにエントリーをお願いいたします。
また公開収録に参加しなくともですね、ポッドキャストのPRスペースあるいは交流会というのも準備していらっしゃるようなので、そちらでミンキャスに参加するということもできるようです。
ですので興味のあるポッドキャスターの方、リスナーの方、ぜひ沼津に11月30日を集まりください。
今回からは新しいコースということで、今回のコースのタイトルは何でしょうか。
岐阜県と美濃の紹介
今回のコースのタイトルは、「香るる風に惨があり、物語となる時を尋ねて。」です。
これまた詩的というかね。
そうですね。これ漢詩ですね、もとれた実を。なので当然詩なんですね。僕が作ったわけじゃなくて。
どこですか、これは。
これね、今回は岐阜県を扱いたいと思います。
確かに意外とやってなかった感じがあるね。
そうなんですよ。
岐阜なー、俺多分行ってる気がするんだよなー。
行きましたよ、僕たち。
そうかそうだね、行きましたね。
えっと、白川湖とかね、行きましたね。
そうなんですよ。
そうだそうだ。だからそのね、岐阜と長野がね、俺はちょっと曖昧なのよ。
山国でもありっていうところ、自然が得られてるところでね。
で、じゃあ今回はどういう岐阜旅になるんですかね。
今回はですね、結構ガッツリ歴史です。
久々の超歴史特化テーマになってます。
川中島ほどじゃないにせよ、かなりディープな話をしていますので。
日本の歴史を動かした、その時歴史が動いたりしてますね。
その時をね、尋ねると物語となる瞬間と書いて時と呼んでるんですけどね。
その瞬間瞬間をちょっと尋ねてみたいという歴史のある断面をね、切り取って。
ただそれがやはり岐阜県というね、日本の真ん中であるからこそ、
その天下を揺るがすようなね、大事件とかが起きるというね、
必然性にのっとってるんじゃないかというような話なので、
歴史好きの方にこそオススメな感じですね。
じゃあちょっと、僕は心して聞こうかなと思いますね。
頑張ってください。
じゃあね、早速紹介お願いします。
まずね、岐阜県という県について、これも初登場なのでね、改めてちょっとおさらいをしておきたいと思うんですけれども、
岐阜県というのは非常に広い県であります。
これはですね、昔2つの国にやはり分かれていました。
北部を日田、これは日田高山とかいう有名な観光地あります。
白川湖もこの日田にあります。
というのがまず北部です。
南部は美濃と言いました。
美しく恋と書いてね、美濃というところで、これは今の岐阜市とかそのあたりになります。
今回はですね、2泊3日の旅なんですけれども、美濃に特化した旅です。
南部だけ? 南部だけです。
特に南部の中でも南西部にしか行きません。
岐阜市より西のあの一帯にしか行かない。
それだけでたら2泊3日をしたいというふうに思っていますので。
悪説で言うと名古屋から行くのが一番良いと思います。
なるほどね。北に行く感じでね。
そうです。名古屋と岐阜、岐阜市ですね。
実は30分もかからないくらいなんですよ。
そんな近いのね。
なので実は僕ね、小田原からも岐阜市って1時間半で行けるんですよね。
なので実はこれすごくね、僕最近岐阜に行って、春にも行ったし、実は7月にも1回行ってきてるんですけれども。
で、また9月にまた行くんですね。
小田原来てからすごく身近になった地域です。美濃の国はね、非常に。
私なんか最近ハマってるでしょ。 うん、ハマってますね。
とある理由でね、やっぱり歴史が好きなので、元から何度も行ってはいたんですけど、
よりぽっとりやつでやり始めてから、地域をどう紹介するかとか考えた時に、
やっぱりこの美濃の国の奥深さと、なぜここでこの歴史の日本のターニングポイントが訪れるのかっていう、
そこはね、すごい興味深い問題になると思ってますね。
で、どうですか?岐阜県の印象というのは。さっき長野とちょっとこんがらがる話はありましたけどね。
そうですね。だから日田高山は、そうね、俺らも行ったし、
実は中学で家族旅行でも行ったんですよね、実はね。
高山に。
その時も白川湖行きましたんで。
あの合唱作りがやっぱり世界遺産になってるだけでね、印象的ではありますよね。
で、あとなんだろうな、ほうば味噌も結構印象的だな。
食べましたね。
その家族旅行でも旅館で食べたんですけど、あんな食べ方あるんだってね、思いますよね。
あの焼き物ですよね。
いわゆるみたいなね。
あそこにほうば、葉っぱをね。
ほうの葉ね。
して、その上に味噌塗って。
そうですね。
で、それで焼いて食べるみたいな。
はい、おいしいですね。日本酒に合うしね。
そうね。
だからそれをやっぱ子供の時に一回食べて、大人になってまた行ってるから。
はいはい。
あ、これは酒と合うなっていうのをより分かったね。
高山の上市の町のあたりとか行きましたけど、永遠に済まなかったですもんね。
岡田がもうお込み始めちゃったというか、30歩歩いたら酒屋さんの方に入って格打ちを始めちゃうみたいな、伊勢神宮の身の前ですけど。
いやほんとね、でもそうだな、そう言われると、ひだのところの印象が強いんですかね。
そうのようですね。
実はね、これ岐阜県初登場ではあるんですけれども、雑談会で実は一回触れてるんですね。
それもね、内田の口から言ったのに覚えてない、今大変問題を起こしてるんですけれども。
それこそスカイさんだったと思うんですけど。
ああ、そっか。モザイクタイルミュージアムか。
そうです。あれは岐阜県多治見市、美濃の国のものですね。
そうだそうだ。
あの、まあ改めてちょっと言うと、岐阜県ってね、そういうわけで美濃とひだりもう全然風土も文化も違います。
ひだはね、本当に山に囲まれた本当に山国で、すごい行きづらいところでもあるんですけれども、その分ね、その深く奥に入っていくところですごい固有の文化が育まれて、
これ僕絶対ひだいつかやりたいんですけど、ひだはね、そういう山の国っていう感じなんですよ。
一方で美濃はどういうところかっていうと、小学校の教科書とかに載っていたもので言うと、濃美平野、美濃ののですよね。
美というのは終わりなんですけれども、岐阜県の南部から愛知県にかけて平野がね、すごく広がっていたっていう話だったりとか、
その平野というのはつまり川によってできますから、基礎山川なんていうものもね、覚えたんじゃないかと。
基礎川、長良川、伊比川ですかね、東から。
ひだは山国、美濃は平野と川の国。
もちろんね、田嶋とか苗木の方に、中津川の方に行くともっと山が激しいですけれども、そういった平野があるというところでも一つポイントになってきますね。
あとはまあ、岐阜の名物というとね、なんかグルメとか行事とかいろいろありますけれども、教科書とかに載ってるレベルで言うと、迂回なんていうのもね。
ミノの長良川の迂回なんていうのはね、写真では見たことある人が多いんじゃないかと。
あれも結局、基礎山川のうちの長良川っていうその川によってね、生まれているということですよね。
あれは独特な文化だよね。
独特だと思いますね、非常にね。
なのでそういった川の国っていうのがね、一つ大きなポイントになってくるかなと思います。
そしてね、戦国時代とかが好きな方にとってはね、やはり織田信長がね、天下夫婦という天下統一を目指して本拠地にしたのが岐阜城ですよね。
なので絶対ここに載ってきますし、そして今回もやるわけですけど、何といってもね、天下分け目の関ヶ原。
これが起こったのが美濃の国、関ヶ原町ですね。
そっかそっか。
なのでやっぱりその歴史を特に戦国時代において大きく揺るがしたね、大事件の舞台なんですね、美濃の国というのはね。
歴史と文化の探求
だから物語となる時を訪ねて、その瞬間なわけね。
そういうことですね。なので歴史好きの方は美濃の国はね、すごくいろんなトピックがあると思いますので、
ちょっとそれをね、このおとたびポッドキャスト流にね、2泊3日で、その地域の文化とかね、グルメにも触れながらご紹介できたらいいのかなというふうに思っています。
ちょっと今回はね、歴史ということもあってですね、オープニングテーマを一つ用意してみたんですね。
1973年の大河ドラマ、国鳥物語のオープニングテーマです。
73年?
73年ですね。なので今から52年前の大河ドラマです。
これね、後々詳しくは話すんですけれども、この国鳥物語というのは、柴梁太郎さんの小説が原作になっています。
鳥というのはね、盗むに利と書いて増語なんですね。ある意味ね、国を盗んだ物語っていうね、なかなか物騒なタイトルなんですけれども。
これがね、岐阜市が舞台になっている、美濃が舞台になっているんですね。
そしてね、これドラマの話はね、52年前のドラマなので、残念ながらNHKかどうかフィルムが残っていなくて、もうね、総集編しか見られないんです、僕らが。
ただね、主演、斉藤堂さんというね、武将をやった主演平幹次郎さん、何年か前に亡くなってしまいましたけど、
もうこの演技はすごくて、評判も当時からとんでもない俳優さんだったことで、ダークヒーローなんですよね。
盗むと言ってるから、悪役でありながら主人公っていうね、すごい複雑な役なんですけど、それを見事にね、やったっていうんで、もう大河ドラマの歴史上に残るハマり役として、
もう信長の矢本顔グラフィックとかもその後やっぱりこの平幹次郎さんの動産にね、どんどん寄っていってるくらいのすごい影響を残した名演として、今でも有名なドラマでね。
あと後半の主役はね、織田信長と明智光秀になるんですけど、信長をね、当時20代だった高橋秀樹さんが演じられて、これが高橋さんの出世作で、高橋さんこの役すごい思い入れが強くて、今でもね、この国取物語によって自分の人生は本当に変わったっていうくらいの思い入れのある役。
明智光秀を演じたのは近藤正海さんです。この二人は活躍されていますけれども。信長の奥さんである能姫というね、これ堂さんの娘なんですけど、これを演じたのが松坂恵子さんです。なのでね、今のもう大ベテランね、大御所の人たちが出世作になったっていうね、すごいドラマでね、これ平河ドラマの中でもすごく人気のあった有名なドラマですね。
これの話が一つ目の物語になるわけなんですけれども、これがこの岐阜市に関するね、そしてこの岐阜美濃という国の文化的な背景を示唆していると思っています。この物語の原作小説の方から一つ言葉を借りると、美濃を制する者は天下を制す。こういう言葉がよく出てくるんですね。
そうなんだ。 はい。やはり美濃というのは、今の当然岐阜県南部と言いますと京都にも近い。そして日本のおよそ真ん中にある。そして広大な農備平野を持っていて、お米もよく採れる。そして四方八方に中専道だったり東海道とかも通じる。街道の要所でもある。
古来ここには本当に多くの歴史的な事件が起こってきたから、美濃で勢力を張った者がいずれ天下を取る。信長はそれを半ば実現したわけで、関ヶ原の数世というのはある意味それなわけです。それに最初に目をつけた人物が斉藤道さんというね、これはなかなか歴史好きの方しか知らないかもしれないんですけど、その斉藤道さんという人物が主人公のドラマでした。
岐阜駅からのアクセス
なぜ美濃を制すると天下を制するのかということをね、ちょっと裏テーマとしてこの3日間持っていきたいと思うわけです。
というわけでちょっとじゃあコースの本編に入っていきたいと思いますが、そういうわけで美濃岐阜市はアクセスが非常に良いです。鉄道で今回1日目は巡りたいと思っていますので、岐阜駅を目指してください。
岐阜駅に行くにはそういうわけで名古屋駅からJRあるいは名鉄で30分ほどで行けます。西側の方から来る方は岐阜羽島という新幹線の駅がありますので、そこで降りていただいて、西の方からJRで東に向かって岐阜駅に入る。どれでもいいかもしれません。
ただいずれにせよ東京からでも大阪からでも非常によく行きやすいので、そういった意味では旅行初心者の方でもいいと思います。今回はちょっと早めにですね、朝の10時半頃に岐阜駅に着いているというのを一つ目指していただければと思います。大阪方面であれば全然余裕だと思います。東京からでも8時頃に出ていれば絶対大丈夫だと思いますので、ちょっと朝早起きくらいの容量でいてくれればいいかなという感じですね。
10時半に岐阜駅に着きましたら、この日は岐阜駅近くに泊まりますので、まずはホテルに荷物を預けてしまいましょう。岐阜駅の近く非常に栄えてます。県庁所在地でありますし人口も非常に多い街ですので、ホテルに困ることはまずあり得ません。
ただ、岐阜駅の近くがいいと思いますので、そのあたりは柔軟に対応してもらえばいいかなという感じです。岐阜駅近くのホテルに荷物預けましたら、本日はバスに乗って市内の観光をしたいと思います。岐阜というのは地図を見てみましょうかね。
岐阜駅がそこにあって名鉄の駅もすぐ近くにありますので、名鉄岐阜駅の近くでももちろんホテルは大丈夫です。ただね、今回市内を観光するにあたっては、もうちょっと北部の方に行きたいと思います。具体的に言うと長良川が東西を流れているわけなんですけれども、この長良川の近くに歴史上のスポットは点在していますので、岐阜駅から歩くと大体1時間弱この辺までかかるはずです。40分くらいかな。
かかりますね。なので歩くのが全然好きな方、あるいはちょっと今回は残念ながらオースに組み込めなかったんですけど、歩いている途中にもいい建築とかもあるので、そういったものが好きな方は歩きながらでもいいんですけど、今回はちょっとバスに乗っちゃいたいと思います。
そこでホテルからJR岐阜駅北口にバスロータリーがありますので、そこまで5分くらいかけて移動をしていただく。そうすると岐阜駅前から岐阜バスというバスに乗ってください。これいろんな方面があるんですけれども、北側に行く、とにかく長良川方面に行くバスに乗っていただければ大体大丈夫です。
それに今回の時刻表に落とし込むと、10時56分に岐阜駅出発する岐阜バスに乗っていただいて、14分ほど行っていただいたところに、岐阜公園、岐阜城というバス停があります。もう岐阜城なので観光地なので、岐阜駅のバスロータリーに入っても、岐阜城行く方はこちらみたいな案内板ありますから、それでもう全然迷うことないと思いますので大丈夫です。
ここに11時10分に着いている想定です。そういうわけで岐阜城に行くわけなんですけれども、その前に博物館で前提知識を入れてから実際にお城に登ってみたいと思います。バス停から約3分ぐらいで、岐阜市歴史博物館というところがあります。
結構人形とか建物が中にあって、感覚的にわかりそうな雰囲気がちょっとしますね。
そうですね。この岐阜市歴史博物館はその名の通り、この美濃の国の中心である岐阜市の歴史を扱ったものになります。やはり岐阜市の歴史が最も輝いて見えるのは戦国時代だと思います。今この街並みが再現されたものはありましたけれども、これは織田信長が落市落座というものをやったその時の風景の一話を模したものなんですね。
なるほどね。 落市落座って覚えてませんかね。 街の市みたいなのを開きなさいみたいな感じだった気がする。
結果的に言えばそういうことで、商業が発展するという結果に結びついて、それによって織田家というものの国力が飛んで、天下を治めようという足掛かりを作ったと。そんな話でね、要は経済政策だった。もうちょっと具体的に言うと、当時室町時代というのは、例えば油は大山崎利休という京都の山崎ってところがあるんですけれども、そこの神社の許可を得ないと売れません。
販売棟というか出ない。だけどその代わり神社にお金を納めなきゃいけない。別のエゴマンはどこどこの神社、ロウソクはどこどこの神社みたいな形で、自社勢力と消費経済というのが結びついているんですね。そのため、どんなに才覚のある人だっても、自社にちゃんとお金を払ったりして、自社の行くと行かないと、そもそも売ることもできなかったんです。
ある意味それが一つ秩序ではあったんですけれども、いい加減なんかもっとベンチャーとしてガンガンやっていきたいって人の才覚を潰しているっていうのが問題であったわけです。それが座なんですね。つまりね。座というのは要は組合なんですよ。商業組合みたいな意味合いです。
あとは石書というものも大量にありました。室町幕府って結構えげつないからお金に困っていたので、どんどん京都に入るときにお金を取っていっちゃうんですね。石書を建ててね。税関ですよ。それでどんどん通行するだけでもお金取られていっちゃうから、庶民も恨むし、なんかだったら移動しなくていいかなみたいな。なってくると物流が停滞するわけですよ。
商売しづらいもんね。 そうそう。その諸々の商売しにくい条件っていうのがよろしくないというのを信長は一つ気づいて、岐阜城下においてその座の撤廃、つまり商業の自由ですね。そして小田漁内においては石書も設けないからどんどん物を運んで売ろうぜっていう経済の活性化を目指した。そしてそれに成功したんですね。それがこの岐阜城下が舞台だったわけです。
なので岐阜城のこの博物館の中には今の落市落座をやったことによってね、多くの商売人たちが集まってきて、街がにぎわってね、岐阜の文化がすごく栄えたよっていう様子が示されているわけですね。
もちろんね、他にもいろんな展示があります。例えばなんですけど、この岐阜市というのはね、ミノの国なんですけれども、すごくね有名な工芸品があるんですね。それが何かというと和紙です。これ覚えてませんかね、我々この岐阜に行った時に、友達が我々います。まあ友達が一人いますけれども、彼にとあるプレゼントを買ってたと思うんですね。
うちわ買ってったわ。すげえでっけえうちわ買ってたね。 そうなんです。すげえでっけえうちわをね、買ってきましたよね。あれはミノ和紙のうちわなんですよ。そういうね、工芸品、ミノは非常に焼き物もあります。たじみのね、焼き目のものもあるし、ミノ焼きですよね。
あと関という町には刀勝ちの聖地みたいなところもあるし、でまあ岐阜市一帯のあたりは和紙のね、工芸品が盛んでしたので、この伝統の技と美というところとかを見ていただくと、その和紙を使ったね、蝶珍だったりとかうちわだったり、あるいは和傘ですね。こういったものが、いかにねすごい優れた技術とデザインでもって作られているかっていうのをね、目の当たりにできると思います。
すごいね、写真も撮れるんですけど、展示については。ぼんぼりみたいな明かりが灯っていてね、すごくこうおしゃれで幻想的なね、和の本当に良いも向きの展示室になっているので、なんかインテリアの展示場みたいな感じがしますね、ここについてはね。
この展示もね、原始古墳から始まって、楽市立体絵巻とかね、そこから近現代体験コーナーまであって、本当に幅広く展示をされてるんですね。
岐阜市のね、あとは美濃の国というもののね、原始から今までをね、そしてその伝統産業とかを体系的にすごくね、学べるミュージアムになっていますね。
信長っていうコーナーもあるね。 ありますね。そして、織田信長のこの先見性とか経済的なセンスですよね。これはもちろん彼のすごい能力だったわけなんですけれども、この岐阜というのは、さっきちらっと名前出たんですけれども、もともとはこの信長のものではありませんでした。
織田信長というのは今の名古屋のあたりに生まれています。終わりの国の守護台のまたさらに下みたいな、とある武士に生まれている、それが織田家なんですね。なので今の名古屋あたりの武将だったんですけれども、ゆくゆくどんどん領地を拡大していく中で、美濃の国を取っていって、そして京都へ登っていくんですね。
じゃあその美濃の国は誰が治めていたのか、というのが斎藤氏というものでした。斎藤はよくある斎藤さんの作品です。ただこの斎藤さんというのも、歴史好きの方はこれ一番よく面白いポイントだと思うんですけど、いわゆる下国将の典型例として日本史に名を刻みました。下国将っていうのはわかりますかね。
家臣がその主に歯向かって打ち倒して乗っ取るみたいなことですね。 そういうことです。下が上を覆すということを下国将と呼びますので。要はそういうことです。下のものが乗っ取っちゃうんですよ、上の人を払ったりして。
これまでポッドキャストでやったところで言うと、阿波徳島の三好一族、出雲合山戸田城の城主、天児恵さん、そしてそれと並ぶくらい有名な教友と言われている。教友というのはつまり、そういう悪いことをするね。策略でもってのし上がっていった人の典型のに呼ばれているのが斎藤道さんですね。
いきなり出てきた。 この斎藤道さんというのがね、やはりもうこの下国将の英雄としてね、多分最も有名と言ってもいいでしょう。
何しろ天児恵さんは出雲の国守護大の武士に生まれました。あと三好一族も小さいとはいえ、阿波の武士の家でした。ところが斎藤道さんは何者だったかと言うと、なんとね、ただの油売りの商人だったって言うんですね。武士ですらなかったって言うんです、この人。
下国将の下でもないわけだよね。下でもないわけだ。 そうそう、下でもない。そもそも大正外みたいなもんなんですよ。ただ一回の油売りの商人が、身の一国を治める大名人までなったって言うんです。
へえ、全然そのストーリーの想像がつかないわ。 それがまあ国取物語なんですよ。なぜ道さんがただの商人ですよ。なのに身の一国の主にのし上がったのかっていうのをね、小説で縛りを描いたわけなんですけども。
これはね、斉藤道さんという人物は、もう後世悪逆非道の化身みたいに言われてしまって、とんでもないことばっかりしてたんで、なので非常に評判が悪かったんです。江戸時代の儒教的観念からすると。
齋藤道さんの夢
ただし、一方でそういった儒教とかを取っ払うと、すごく夢がある生涯でもあるんですよ。夢と野望の人生なんですよね、道さんというのは。
成り上がりだからね。 成り上がり。要は何の権力も持ってない一回の商人が、ただ自分の才覚、能力と運とでガーッとのし上がっていくっていう、男のロマンじゃないですけども、そういうロマンと夢をね、体現したような人物として縛りを斉藤さんは描いたんです。
なるほどね。まあちょっとこう認めづらい部分はあるかもしれないけど、なんか憧れも持っちゃうみたいな。 そうそうそう。
それをね、この小説ではすごく体現していて、なので悪戸井、とんでもない奴なんだけど、大河ドラマの主人公にもなった。そもそもアブラウリの商人ではあったんだけど、その前はただの坊さんだったと。
お坊さんとして日蓮宗の寺に入れられた小さな人が、お坊さん抜け出しちゃって商人になったところからがスタートなんですけど。 最初っからすごいな。
ただアブラウリの商人なんていっぱいいたわけですけど、なぜその堂さんだけはそんなに経済的な力を持ち得たかって言うと、有名な逸話で言うと、とあるパフォーマンスをしたって言うんですね。
道でこう、当時はもちろんいいシーンなんてありませんから、行商で売るわけですよ。その中に、ぜひこの山先だと言うところだったんですけれども、うちで油買ってくださいっていう中で、
ただ、うちは安いですよ、美味しいですよって言っても、みんなその同じこと言ってるから、堂さんは何を言ったかっていうと、今から一つ、私が芸をご覧に入れますと。
この芸が成功したら、ぜひ私たちの油を買ってください。それぐらいスペシャルな油ですから。ただ、もしこの芸に失敗したら、もうあなた方からお金は一銭もいただきません。どうぞ持ってってくれて結構です。
っていうふうなことを言ったと。そしたらみんななんだなんだって野獣馬もいっぱい来るわけですね。じゃあどういう芸をしたのか。これは伝説ですけれども、当時の貨幣だった永楽船みたいなのがあるんですね。
それって要は真ん中に穴が開いてるんですよ。今の五円玉みたいなもんですよ。その五円玉を左手で持って、下にオケみたいなのを置いておく。
右からおチョコみたいなのを持って、とろーりとろーりとかって歌を歌いながら、その五円玉みたいなお金の穴を通していく。一滴もそのお金の穴に触れないように細々とさあ通していく。っていう芸を見てたと言うんです。
大童さんはそれを持ち芸として、お箱としてやって、それでパフォーマンスの山崎家が来たぞと。そしたらあいつ失敗しないから失敗したらもらえるのになって見てるけど成功するんですね。それですごいって大童芸と一緒にやったんだよ。
ってことによって一気に評判が広まって、すごい経済的な富裕族になったというふうな伝説があったり。 うまいね。
やっぱり能力でね。権力はいらない。ただ自分の身の才格さえあればできたっていうね。そういったことをやったと言うんです。
他にそんなことやる人いないよね。 いないですね。ただじゃあそしたらでもただのすげえ商人で終わるじゃないですか。
じゃあなんでこの後みんな一国になるのかっていう話なんですけれども、彼は要は野望があったんですね。国取物語で言えば自分は将軍になりたい。
彼は京都に生まれなんですけれども、京都がめちゃくちゃになってるんですよ。王人の乱が終わった後で。将軍も天皇も全然貧乏でどうにもなんなくなっちゃって。
もう見るからに権力がない。いずれこの世は取って変われる。であれば男として生きたいならば自分がそれに取って変わりたいじゃないかみたいなことを物騒なこと言い始めて。
何の権力もバックもない自分がどうしたら天下を取れるんだろうかってことを考えたときに一ついい場所があるというふうに思いついた。それこそが美濃だった。
美濃の情勢
美濃さえ抑えれば美濃八千騎と言われた武士たち、しかもそれも武芸に優れた人が多いと言われていた。美濃は兵が強いってことが有名だった。
そしてたくさんのお米が取れる納備兵や。商業も栄えるだろう基礎三線の物流の流路もある。そして何より京都に近い。この美濃さえ抑えれば全然それは夢ではないっていうふうに言ってどうしたら美濃に取れるかと思った。
その齋藤道さんが来るまでの美濃はどういう状態だったかというと室町時代に幕府からちゃんと任じられた正式な領主は時一族。土に義父の義と書くんですけれども時一族というものがいてそれが長らく美濃を治めてたんですね。
ところが時一族は勇者たらしい家で最初は強かったんだけれども何か何か凡庸な君主とかがいろいろ続いちゃったりして国内が乱れている。人物がいないんです。それを能力回せる人物がいなくて今の党首も凡庸だと聞いているから突き込みやすいと思ったんです。
逆にそうしないと越前の朝倉っていうとんでもないこれ一条談で出ましたよね。成り上がり者の先駆けみたいなやつがいると。そういうやつ越前から美濃なんてすぐですからあいつが取っていっちゃうだろうと。
終わりの小田っていうのが物騒だと言うんで今早く行動を起こさないといずれ他人の手に渡ってしまう。けど今ならば突き込めるって思ってこの齋藤道さん。
当時はまだ山崎屋将五郎とか松並将駒なんかよくわかんない名前を名乗ってるんですけどこの商人は亡産だときの友達がいたんですよね。
その人の家に居候みたいにし始めて油売りついでにお金を持ってますから珍しい博来品みたいなものとか今日の優れた文化芸術のものをその有力武将たちにプレゼントし始めたんですね。
それでなかなかあの油商人が居てくれるのは便利だな。ついでにあの宝物も取ってきてくれないか。俺は絵が趣味だから何かいい墨をくれないかとかいろいろ受注をし始めてどんどんその権力の中枢に入り込んでいく。
そしてある時この道さんは非常に武芸にも優れていた人物だったと伝わっているので油商人であったんだけれどもその時時氏の領主はお兄さんが領主だったんだけどとある時のね。
その弟はねなんかのけられちゃってなんか暇を囲っている弟がいたんですね。この弟は凡庸だったんですよしかも。
で絵がやたら好きで山崎家が持ってくる絵の道具が気に入っちゃって道さんのことすぐ気に入っちゃったんですね。
そしたら道さんはその凡庸の弟に対してあなたほどの才覚があるのであればこんな暇人のように絵を描いて太ってもう今度は知る場合じゃないと。
あなたこそ美濃の国首にふさわしいんだからあなたがお兄さんを追い出して美濃を治めるべきです。
私はそのバックアップを全面的にしますからって言い始めた。
で最初はえって身を言ってたけれども道さんというのは非常には油商人のやつで弁説も生かしてすごい優れた説得力を持っているのでそのうちその気になってしまう。
しかもその道さんは作望でもってそのお兄さん一派の切り崩しをし始めていてそれでどんどんどんどん弟に味方が増えてきてこれなら本当にいけるんじゃねってなって乗せられたその弟は道さんの操られるままに自ら自分がお兄さんを追っ払って戦い起こしてそれで自分が美濃の君主に弟がなったんです。
そうするとでも誰が一番それに功績があったかっていうとその山崎屋なんですよね商人だったんだけれどもそもそも弟に美濃を取らせたのはそいつなわけです。
齋藤道さんの策略
ていうんでお前商人もいいけれども武将としての才能もあるからこの時の過労である長居という家をあなた継ぎませんかその功績を武士に取り立ててあげますよっていう風に言われてそれで武士になった。
長居という風に名乗り始めたんですね。ところが道さんというのは元々は自分が天下取りたいって言ってるやつなんで当然この時もただ利用してるにすぎないんですよ。
そうしているうちに道さんは能力が非常に高けていたからどんどんそのお殿様に近づいていって過労みたいに勤めかになっちゃってお殿様は凡庸だから絵が趣味この人はめちゃくちゃ絵が上手かった今この人は時の鷹っつってすごい作品を残したんですけど
武将としてはもうどうしようもない奴だったんだ絵はすごかったんだけどだからもう自分は趣味で絵に明け暮れていたいから道さんに全部政治は任せたと。
まあよくようにやっといてくれ俺は絵が描きたいからって言ってる時に道さんはどんどん自分の党派を結成していったりどんどん利益を蓄えたりしていっていつの間にか実際美濃は道さんが回してる風になっちゃった。
そしてこれは古来多くの権力者がある筋書きですけれどもこの後何をやるかっていうと危険を煽るんですやたらつまり越前の朝倉と大美濃阿財そして終わりの織田がもう美濃を狙っている。
美濃はこのままいずれ取られてしまう危険が迫っているから非常手段を取らなきゃいけないよねみんなそうでしょって言ってそこへ行ってあの凡庸な絵しか描かないやつでいいのかと。
こんなことやってるとみんなの領地もなくなっちゃうよあなた方って言ってもう実際私がやるしかないでしょ本当にって言ってとうとうかつての主君だったこの時頼りという人物を追い出してしまって時一族でもなんでもないただの油商人だった斉藤道さんがここで長いから斉藤になってとうとう時を追い出して自分が美濃を治め始めちゃったこれが道さんの汲み取りなんですね。
すげーだからそこまでのスパンでこいつだったら乗っ取れるだろうということでその弟を焚きつけてるわけね。
そういうことですそういうことです。
その見る目というか考えてるスパンが長くてなんかすごいね。
すごいですよね。
まあ当然でも時一派あんな油商人に藤谷に美濃を治めるなんてありえないでしょっていう人も当然いるわけですよ大半も。
そいつらどうしたかと言うと道さんは暗殺の繰り返しです。どんどんどんどん消していっちゃったの。
すげーな。
時一族の御曹氏も殺しちゃったり。自分の娘の女子であっても殺しちゃったりしてんの。
だから非常手段をね全く意に返さないんですね。邪魔ならば殺すっていうだけなんですこの人の領地に。
それは本当に俺がもう日本を治めたいっていうだけ?これはね国取物語においてはそうなってます。
ただ実際問題に天下を統一しようとしたかわからないけれども美濃一国の主にのじ上がりたいっていうのは本当にそうだと思います。
すごいな。まずそこを目標にするっていうのは当時からしたらありえないことだと思うし。
でそれを実現するためにそれだけ長い計画を立ててそれを実行してちゃんとこう成し遂げていくっていうのは手段はね褒められたもんじゃないかもしれないけどすごいな。
そうなんですよ。だから本当に実力社会のね千遍を切ってみんなにその夢を見させてあげたある意味存在でもあったんだと思います。
誰にでもできるかもしれない。それを見ていたのが信長であり光秀であり秀吉だったんです。
秀吉さんっていわば油商人よりもさらに低い農民の子って言われてますから。
そうだね。
これが斉藤道さんという人物なんです。
なんか一気にすごいヒロイックというか魅力的に見えてくる。
その道さんが美濃を制するまで天下を制すわけなんですけれども、
時氏が治めていたときはまだね岐阜市の南の方に今城跡残ってますけれども川手城っていうところで平城でね、いかにも平和な貴族のお家みたいなお城だったんですよ。
戦乱も起きないだろうっていうのんびりとしたところだったんだけど、道さんからしてみればそんなものもあり得ないわけですね。
淡ぬるいわけです。これから戦いのようになるわけだから、もっとちゃんとやらなきゃいけないと。お城もね。
もっと美濃を広げていこうとしてるわけだよね。
だし当然敵が攻めてくることもあり得るだろうから、美濃を治める王の城というものを築かなきゃダメなんだということで、すべての成功を込めて作った城が稲葉山城でした。
これが今の岐阜城です。ということでね、その城に実際行ってみたいと思います。
そういうわけでね、歴史博物館は金火山っていう金の中華の花の山と書くその山にあるんですけれども、その山の下にこの博物館はあります。
なのでバス停からすぐなわけですね。ところが、お城はその山頂にありますので、登んなきゃいけません。
ということで博物館から徒歩3分ほどで、岐阜金火山ロープウェイというものの三陸駅という駅がありますので、ここに移動してください。
このロープウェイは15分ごとに動いていますので、12時ぴったりの便に乗ることを目標にしていただけると、ロープウェイで4分ほど山頂にまで上がって山頂駅というところに着きます。
これが金火山の山頂です。そこからさらに山道をちょっとだけ歩いて、10分弱かな、歩いて行ったところにあるのが岐阜城天守閣です。
ということでね、岐阜城にやってきました。これも我々行きましたね。
そうか、そうだね。 覚えてませんよね。
もうね、うっすらな感じではあるけど。
岐阜城の歴史と重要性
これが先ほど言った斎藤道さんが築いた稲葉山城というものです。岐阜城に改めたのは道さんの後に信長が治めていた時に、信長がとある中国の古人に倣ってお坊さんからのアドバイスを受けて岐阜という地名にしたんですね。
これが今の岐阜県の起こりです。つまり岐阜という地名は信長が作った地名なんです。
なので今は岐阜城というふうに呼ばれています。
この見事な天守閣があるわけなんですけれども、この天守閣自体は創造の模擬天守です。
なので実際この建物が当時信長の時代にあったというわけではありません。
なのでそこはある意味イメージとして見ていただければいいかなと思います。
ただ、この岐阜城の中身というものは歴史博物館ほどではないにせよ、岐阜城の信長道さんこの辺りの歴史だったり家中だったりというのを展示している資料館になっています。
ただ何と言っても、この岐阜城の見どころというのは、眺望ですね。
この写真でも本当に登っていった先にあるお城っていう感じがあるから、それは見渡せるんだろうなということですね。
この絶景は何度見ても綺麗で、僕も7月久々に行ってきたんですけどね。
綺麗ですね、ここはね。
見野の平野を一望できる。
そうですそうです。もちろん名古屋の方まで見渡せますから。
道さんが見野の王に君臨するにあたって、この山に城を築いたというのは必然的だと思いますね。
まあそうだよね。見渡せる位置に建てたいよね。
そうですそうです。
その拠点として建てたいわけだね。
そういうことです。
眼下に流れるのが長良川になります。ここで迂回とかもやるわけですね。
なのでこの長良川を天然の堀と見立てつつ、この身の一刻、あらゆる方角を望んで、すぐに号令をかけたりできるという、そういったところをわざわざ選んだわけですね。
なのでこの城房がありますから、これ僕は行ったことないんで、あくまで情報としてお伝えしておくと、夏は岐阜城の山頂あたりでビアガーデンとか開かれるらしいんですよ。
すごい行きたいんですよ。
いいね。
だと夏はそういうわけで、なのでロープへも夜もかなり延長してあるみたいなので、夜景を見に行く人も多いみたいですね。
この月の写真もね、いっぱい出てるんですけど。
すごいね。
この写真すごいな。
すごいね。
中州の名月。でこの月をバックにこの城がそびえてるっていうね。かっこいいねこれ。
そうですね。これもやっぱり山の上にあるからこそね、できる背景ですよね。
で特にこの岐阜県というのはそれは平野なので基本はね、水戸の国は。その中にあってね、なんか突然変異みたいにこの金火山っていうものはできてるんですよ。
なのでね、もう本当に岐阜城っていうのはあらゆるところから見渡せます。
後々話す関原大垣方面から岐阜市の方に国王を走って行く途中も、もうすぐ見えるんですよ岐阜城って。結構離れてるのにすぐわかるんだよね、あれが岐阜城って。
いうふうなのでね、ここは本当に大事な場所だったんだろうなと思います。
道さんの魅力的なキャラクター
でさっき斉藤道さんの話が出たじゃないですか。
彼はそういうわけで時を追い出してしまってね、自分が水戸の国の国首になったんですけれども、ここで終わらなかったのが道さんの人生なんですね。
だからこそまた小説にもなる物語になる人物なんですけど、これあくまでも国鳥物語とかそういった伝説に基づいて話をしますよ。
話しますけれども、国首になりました。
なった時にね、この人はとんでもない女好きでもあったんですね。
なので美人に目がないんです。
それもね、テレン手下であらゆる手を使ってナンパして、お経を唱えながらそういうこともやっちゃうようなね、やばい奴なんですけれども。
色んな人にどんどんちょっかい出すんですね。
いやでもなんかいいなすごい、キャラクター的になんかすごく豪快な感じがしていいね。
そうなんですよ、夢と野望と欲望に生きた人生なんですよね。
称賛はできないんだけど、すごく魅力的ではある、すごくわかるね。
ただ必ず報いがあるんです。
彼はね、思わぬ転落を最後してしまったんです。
この人はね、自分の子供に殺されたの。
ドラマチック。
ドラマチックなんですよ、非常に。
彼はその盆養だった自分の君主がまだ君主にもなってない、もうどうしようもない暇してる時に、この人は一応権力者ではありますから盆養だけど、
三好のっていう非常にもう絶世の美人みたいなお姫様が奥さんに、奥さんというか目掛けみたいな感じで当時のね、いたんですって。
三好のを見た堂さんは、これまた平道次郎さんがすごいんだけど演技が、もう本当にギロって蛇のように。
マムシの堂さんって後で当たらされるほどギロって三好のを見て、三好のがぞっと三田よし子さんがやってるんですけど、
ぞっとして、え?ってなって、こいつをどうにかして俺のものにしたいっていう野望を抱いて、またとんでもないゲームをやるんですよね。
とてよりのりという人物は暇人なんです、とにかく。
暇だからなんか面白くないからずっと退屈してんの。
で堂さんも最初話し相手として面白いこいつだ、教養もあるし絵のセンスもわかるし、こいつはなかなかいいなって思ってたときに、実は私堂さんは槍もできるんです。
で、好みにこの館の中にあるあの子に虎の襖があるでしょう、虎が絵が描いてあって、その虎の目の瞳に槍を刺してご覧に入れましょうと。
バサッとついてみましょうと。
そしたらときは、いやいやそんなことできるわけないじゃん、そんなもうなんめりっていう世界のものにさ、やりようってさ、無理だよ絶対。
まあ料予としては面白いけどそんなマジになんなよみたいな、絶対無理ですんなこと、本当ですか、言いましたねつって、じゃあもし私ができたらどうしますか。
そしたら、まあお前の望む恩賞やるよ、そんなできる絶対できないから、そしたらわかりました。
そしたらこれなる三好の様を私に賜りたくっていうふうに言うんです。
三好の方がえ?ってなって、そこにいるんですよ三好の、現場にいるんですよ。
で、は?ってなって、何言ってんのこいつって話になって。
で、嘘でしょ私が賭け者の対象にされてるみたいな、しかもこの蛇のようなヤバい男なんで。
で、お殿様は私のこと守ってくれるって思ったら、バカなんですよ、バカ殿なので。
まあいい、面白い座標だなみたいな、もうのんけなことを言って。
できるわけないってことだよね。
できるわけない、そう。
いやいいよ別に三好の方やるよ、じゃあそんなに言うなら絶対できないし。
三好の方からしたら、いくら冗談とも言え、自分が賭け者の対象をされるなんてびっくりですよ。
まあ嫌だよね。
嫌ですよ当然。
分かりました、そしたらありがとうございます、道さんはって言うわけです。
でも、あなた様の大切な三好の様をいただくからには、私も失敗した時には賭けをちゃんとします。
で、どうするかっていうと、私はもしこの賭けに失敗したら、そこの庭ですぐ腹を切りますって言ったんだよ。
で、は?ってなって、お前本気かよってみんななって。
物語の小説ではね、それほど稀にして命を懸けてまで三好の自分のものにしたいっていうラブコールをしたんです。
で、それで三好の方はさすがには?ってなって、この人なんか私のために命を懸けてくれてるんだ、みたいなことを言う。
まあそうか、だから時の方にはもう絶望して。
絶望して、私を賭け者にしなかったこいつ。
で、その反面道さんは命を懸けて私を欲してる。
そう、てことでトゥンクなんですよね。
トゥンクね。
トゥンクとしちゃうんですよ。
それで、どうなったかというと当然のことながら、やはり成功するんですね。
その虎に刺すものがね。
で、時もびっくりですよ。
で、え?え?いやいやちょっと待って冗談だよねって言うんだけど、武士に濁はないというふうに商品のくせに言うわけですよね。
それで結局三好のはやむを得ず本当に引き渡されてしまう。
道さんの妻には。
で、じゃあこれがなんで転落と関係あるのかっていうことなんですよ。
これは若い時の話なの。
ところが三好のにはね、重大な秘密があったんです。
これなんだと思いますか。
え?
ちょっと最初の道さんの心を聞いた後で考えてほしいんですけど。
なんだろう。
いやーでもなんか出生とかになんか関わりがあるんだろうなきっとね。
そうです。
三好のには時頼りの子を実はもうその時に宿していたんです。
はいはい。
時のお殿様の子を宿していた。
あーなるほど。
三好のだけはそのことを知っていたんです。
自分の体のことだから。
だけどそれを道さんに言わないまま道さんに届いたんです。
おーなるほどね。
道さんの運命の転落
で道さんはそうと知らずにそういうことをしますよね。
でそしたら三好のお腹が大きくなってきて私の子供だと思った。
そして生まれたのが後に齋藤義達というふうに名乗る男の子でした。
ところが義達が成長していくと道さんは思うんですね。
本当にこれは俺の子供なのか。
つまり道さんというのは後で肖像画を見せるんですけれども割と小柄ね。
武士ですらないんですそもそもね。
そうなんだ。
小柄ね三角の効く知恵の男なんですね。
ところが生まれた義達はどんどん大きくなっていって
あたりはもう成人したら2メートルくらいになっちゃうみたいな。
巨人ですよ当時から言えば。
そうだよね。
だってこれは嘘だろ。
で時頼りの女性は活腹がいいなということになって
俺の子供じゃないと思った。
三好だけはその事実を知っていた。
義達は義達で何も知らずに成長して道さんは父だと思ってたんだけど
道さんからの当たりがどうも強い。
冷たい道さんが自分に対して。
おかしいと思ってるもんね。
おかしいと思う。
他の弟たちこれは道さんと別の女の人の子供なんですけど
身はすごく優しいのに自分にだけは冷たい。
なんで俺はこんなに父親から嫌われてるんだろうって思った。
その時にとある家臣が言ってしまったんですね。
あなた様は斉藤道さんの子供ではない。
あなた様は時頼り様の子であって
いわば道さんはあなた様の本当のお父様の仇なんですよ。
そうだよね。
ってことを言った。
愕然とするんです義達は。
今まで自分が父だと思っていた男は
自分の本当の父を追いやった仇だった。
それを自分は20何年間も父だと思って使えていた。
なんで自分はバカでやりこんなおかしなことがあるんだろう。
そして何よりも許せないのは斉藤道さんその人なんですよ。
お母さん三好のに
三好のは嫌気がさせて仏法に入ってたんですけど
聞いて三好のはそれにもう愕然として答えられなくなっちゃったんですよ。
とうとうその秘密を知る日が来てしまう。
そして義達は道さんは賊だと。
自分は斉藤なんていう苗字を今から捨てて
今からこの時のもともと私時なんだからそもそも
っていうことを言って
時でありさらにお母さん方の実家である石木っていう名家があるんですけど
時氏であり石木の家であり
斉藤道さんなんて訳わかんない成り上がり者の子ではない。
私こそが本当の美濃の君主だ。
時氏がそういうことが本当に恐れるべきなんだって言って
今からあの道さんを討つという風に言って
道さんはそういう風に賊とされてしまって
結局この長良川でね
1556年4月20日と言われてますけれど
長良川の北と南
義達はこの稲葉山城に寄って
道さんは長良川を挟んだ北側に
鎖山ってところに館があったんで
そこで戦いをして
道さんはその戦いで死んだ。
すげー人生だな。
っていう感じ。
国取物語では
道さんは実はその義達が自分の子じゃないことも含め
すべて知ってたんですね。
っていう設定になってます。
なぜそうしたかっていうと
時頼りっていうあの時の馬鹿な殿様ね
が道さんがいきなりクレームみたいなの言ってきて
あなた追い出しますよっていうのを言われたんですよ。
でふざけんなさすがに怒ったわけですね。
お前なんで成り上がり者のくせに私を追い出すなんて
あなたには実力がなくて美濃のみんな困ってます。
斎藤同産の物語
もうダメなんです実力がない党史はこの世に行っちゃって
ふざけんなって。
じゃあ私がいなくなったらお前ごときが治めるというのが美濃
お前ごときただの成り上がり者のくせに
なんでお前が美濃を治めるなんて
権威をダメに認めるんだって言ったら
いえいえそんなことはありませんと。
私はあなた様のお子を16年間お預かり申しています。
その人はもう間もなく原復するんですって
したらお前まさか知ってたのか
ってなって
ご安心くださいあなた様のお子が私の子供として
美濃をいずれ治めるのですから
心置きなく去ってください
って言って去らせる
っていうことになって。
それは小説の中でですね。
実際この話のエピソードは
キングダムって読んでますか漫画
途中まで
真の始皇帝と旅婦医の関係
というのもそれだって言うんですよね。
結局真の始皇帝は実は旅婦医の子じゃんじゃないか
旅婦医は要は
逆のパターンですよね。旅婦医は
自分の彼女を
あまりにも美人だからこの彼女を
あなたにあげますつって始皇帝のお父さんに
近づいたんですよね。そのたぶらかすために
だから旅婦医が
同産なわけですけど旅婦医は自分から
その姫を差し出してる。けど
そのお腹には旅婦医の子供が身を
持ってた。で真の始皇帝の
お父さんに届いた後に
そういうことになってお腹が膨れてきた
けど真の始皇帝のお父さんは
私の子供と思ってたけれども旅婦医だけは
それは自分の子だとわかった
そして生まれたのが真の始皇帝
っていうのは当時からも
言われていた話。わからないけど
っていうのとあまりにも
話が似てるのでそのパロディ
なんじゃないかと。同産
吉達は本当に同産の子で実は
実種だったっていう話もあるんですよ
そこはもうわかんないけどね
もしかしたら知ってるとしたらもう
見惜しのその人しかもう知らない
事実なんですよ。ただ伝説上
そういうことになってる。
じゃないと子供が親を殺すなんていうことは
なかなか戦国時代にあってもないことですから
ただ実際
齋藤同産を吉達に殺されたというこの事実だけは
間違いあります
というのが齋藤同産という人物なんですね
すごいな
たぶん客職も
たぶんに入ってるんだろうけど
すごい本当
波乱万丈というか
キャラクターが強いね
強いね。吉達には
そういうわけで冷たく当たった同産なんだけど
もう一人別のやつには
すごく優しくしたんですよ。それは
自分の子供じゃなかったんです
自分の娘、最愛の娘の
突着先の向こうには
すごく目をかけて優しくしたんです
それが
織田信長なんです。つまり
同産は信長の首都なんです
これは本当主実そうなんです
信長の性質は同産の娘です
これも伝説ですけど
信長当時は
うつけと言われてた
織田信長は当時グレまくってて
もう親父が死んだ
葬式にぶちまけちゃうとか
とんでもない気候をしてたんですよ
諸行の灰を投げるとかね
そんなことばっかやってたと、伝説ではね
織田家の家臣も
こいつじゃ終わりだと
信秀様のお父さんはあんな偉かったのに
こんなどうしようないろくでなしが
なっちゃって、もう織田家は終わりだと
みんなから嫌われてた
だけど同産だけは
その最悪を見抜いてたんです
同産は信長に対して
すごく惚れ込んで、みんなからいじめられてるんだけど
同産だけが彼を
庇護したの、認めたの
そして同産は吉達に無法を起こされて
自分の死を悟ったときに
よい言状を書いたの、そこに何が書いてあったかというと
身の一刻は
吉達は馬鹿者ではなくて
自分の無効である織田信長に譲るという
もう斎藤家なんてのはそもそも
自分が一代で起こしたもので
あってなくてもいいようなものだから
信長への譲り状っていうのは死の前日かな
に書いてるんですね
そして信長は同産とは
修都にあるので同盟関係あるので
終わりから助けに行こうとしたんですけど
同産はそれを見たかのように
自分を討ち死にして
自分が死んだことを早く知らせて
信長が吉達に負けないように
そういうことをしたと
だからその国取物語は
要は同産という夢と野望と欲望に生きた
人生が天下には届かなかったわけなんですけど
彼の能力とか
エッセンスというのを受け継いだ弟子たちによって
天下は統一されるっていう
そういった意味なんですよ
だから後半の主人公に高橋デキさんが
信長として出てくる
一方で彼を殺してしまう
明智光秀本能寺の辺で殺すわけですけど
信長を
これは斉藤同産に仕えていたんです
明智家というのも美濃の豪族です
美濃の同産に仕えた武士だったんです
小説では
若い明智光秀に対して
同産この子も非常に
才覚があると見て
自分の故障に取り立てて
手取り足取りで戦国のように生きる術を教えた
だからその
弟子二人が最後は
相打ちをするっていう
仕掛けになってるんです
ただ信長の仕事であったことも明智家が
同産に仕えていたことも全て事実なので
斉藤同産という存在がある意味
天下を揺るがした何にもの人間を
作っていったっていう先駆者なんです
結局吉田津もその後
吉田津もすごい優れた武将だったと言うんですけど
若くして死んでしまったんです病気で
その子供の達王っていうのが
盆養で同産の孫なんですけど
こいつの時に信長は
譲り状の叶えるんですね
斉藤家を攻めて斉藤家を
滅ぼしたそして自分が美濃を
治めるようになって義父城
冷やしたぬきそばの紹介
義父というものを作ったんです
面白いな
まあ
史実があってそこに
上手い具合に
ドラマチックな話をつけてんだなっていうのが
そうそうそれがやっぱり
すごい小説なんです
なので義父城の展望台からは
同産が館を置いていた
鎖山も言えますし長良川の
戦い同産と吉田津が親子で戦った
戦いの古戦場も目の前にありますので
そういった歴史的背景を
持ってみるとなおいいんじゃないかと
なるほど
こっからちょっと歴史から少し離れて
義父城の
観光をいろいろやってみたいと思います
山頂駅から
13時に出る便で
三陸駅に戻りましょう
13時4分に三陸駅に
着きましたらそこから徒歩
8分ほどで
着くのが冷やしたぬき天国
河原町店です
いい店名だね
冷やしたぬき天国
冷やしたぬき
そばというものを知っていますか
冷えてるたぬきそばでしょ
違うの 違うんですね
これ義父市のソウルフードと言われている
B級グルメなんです
ちょっと何が違うのか見てみましょう
あれ揚げが乗ってる
そう 狐じゃん
そうなんですよ でもやっぱりテンカスも乗ってる
テンカスも乗ってる たぬき
これが冷やしたぬきそばというものなんです
へえ
相掛けみたいな感じ
そうそう
冷たいおそばにテンカスたぬきですよね
と油揚げ狐ですよね
これを乗せてあとゴマだったり
とかそういった薬味も乗せて
タレをぶっかけして食べるという
義父市オリジナルの
B級グルメなんです
これを冷やしたぬきそばと言いまして
元々は義父の
環状街の方にあるさらしなさん
というおそば屋さんがあるこれ有名な店なんですけど
ここがお客さんのリクエストから
作ったまかないメニューみたいな感じで
出していたものが
非常に評判を読んで
みんないろんな店舗に枝分かれしていって
この冷やしたぬきそばはもはや
専門店の冷やしたぬき天国というものも
できたという
この冷やしたぬき天国さんは河原町店は
実は最近オープンしたばっかなんですけれども
本店は別のところにあったりしますので
どっか一緒で食べてもらえればいいんですけれども
ちょっと今回この河原町に行きたいので
美濃の観光情報
ここをセレクトしました
これ美味しいんだよねめちゃくちゃ
いやーそれはね
両方乗ってたら美味しいよね
そうなんですよ
いいとこ取りの欲張りのやつなんで
でもこれ狐と狸乗ってて
狸が甘いに取られる
っていうのは面白いね
なんで確かに冷やしたきつねそばにならなかったのか
気になるけど
いやーでもいいじゃないですか
ちょっとゴージャスな気分にもなるしね
そうそうそう
僕もこれ夏だと特にいいと思うんですよね
で岐阜ってね
めちゃくちゃ暑いんですよ
よく最近ニュースでさ
最高気温のニュースみたいのあると思うんですけど
岐阜市とかたじみ市は常連ですから
そうだたじみってそうだね
やっぱりぼんちなので
暑いんですよめちゃくちゃ
なのですごくねこのそば美味しいと思います
でちなみにねこのお店についてはね
冷やした抜きそばの専門店なんですけど
鯖寿司とかもね
自慢のものになっていますので
これをねセットでいただくというのも
なおさらいいんじゃないかとこれがまた美味いんだわ
美味そう
鯖寿司ね
我々高知旅行の最後の
空港でも食べましたけどね
美味いね
厚切りでね
そしておチョコをね写真撮ってる方
いますけれども
今日はね安心してください
公共交通機関ですぐで行けますので
ぜひミノワお酒も美味しいですからね
日本酒すごいいっぱいありますよ
飲んでください
なるほどねいいね
でまあねこのね河原町店については
外観見てもらうとわかる通り
この後話しますが河原町というのは
江戸時代とか明治時代とかの
旧家が立ち並んでいる一角ですので
その古民家をリノベーションしたという
すごく雰囲気もいいところです
こうやってミノの和傘がね
トレードマークになっているわけですね
信号みたいに並んでますね
ちなみにこの冷やした抜き天国の
商業者の方はお蕎麦屋さんに生まれてるんですけど
自分でアーティストとしてもね
芸術活動もされている方なんですね
なのですごくやっぱりこの
お店作り空間作りのセンスも抜群で
あの単なるお蕎麦屋さんではないのはね
入ったらすぐわかると思います
うん
いやほんとね外観は本当に
古民家で最近オープンしたとは思えない
感じにはなってますけどね
いやでもいい雰囲気ですね
はいこの河原町は
後で話しますがすごい観光名所でもあるので
あの観光客の方に向けたお店としてね
ここはすごく岐阜市の
ソウルフードにこれがあるよっていうのを広めるために
敢えてね観光地に作ったとおっしゃってましたので
なるほど
これ岐阜市に来たらぜひね食べてみていただきたい
僕かなり好きなゴドジグルメの一つです
へえ
なんかねゴージャスバージョンもあるね
肉蕎麦だねうん豚かなちょっとわかんないけど
冷やしシャブシャブ的な
ありますかね
ここでお昼をね
ちょっとお昼食べてなかったのでね
ちょっと遅めですが1時15分くらいから食べ始めるとね
いいんじゃないかなと思っております
そしてね
まあ今言った通りこの
冷やしたぬき天国がある河原町というところは
明治時代からですかね
主にねの古民家というものが
すごくよく残っているすごい美しい町並みです
河原町の歴史と魅力
でこの河原町
ちょっと地図見ていただきたいんですけれども
要は河原町の河原
っていうのは何かというと
長良川ですね
もうほんと隣だね
長良川に沿ってできた町並みなんです
でなんでこういう町が
栄えたかというと要はまあ
道産の時代からそうですけれども
川というのは当時のね電車とかができる
前までは一番スムーズな
物流の手段だったわけですよ
で長良川という大河がありますから
美濃の山中の方から
みんながこうすいた和紙とかを
船に乗せてみんなやってくるんですね
で岐阜の城下に捌えたり
これを名古屋に持ってったりという中で
主に和紙の売買が
この町で行われたという川の港だったんです
なるほど
なので大量の船が長良川を伝って
ここにやってきて武士の卸しとかを
やってたわけです
という商人たちの町だったと
岐阜というのは残念ながら非常に
空襲でね被害を受けてしまったところでもあるんですね
なんですけれどもこの河原町は
残ったんです
でホウホウって言ってますけど
僕たち歩いてます
ただまあうちでは弁護するわけじゃないんだけれども
なぜ覚えてないのかなというと
この中に歩いてるからです
ああそこか
歩いた歩いた
そしてその先に屋台のラーメンがあって
高岡から来た人に
送ってもらったんですよね
あれが美濃ですよ
はいはい
そうだなだから
スポットで覚えてるんだよな
そうなんですよねすごい優しいお兄さんたちが
送ってくれたんですよねラーメンをね
あの夜もよかったな
あの通りね
あの明かりがねちょうどいい具合で
オレンジ色のね
光がこう点々とある感じで
すごい雰囲気あったね
あれが夜の河原町でした
なるほどね
だから今思えば岐阜駅から歩いたんだね
40分ぐらい歩いたんだねここまでね
あの通りです
なので全然観光はしてないんですけれども
お昼に来たからにはまあね
せっかくだから歩いてみましょう
でたくさんいろんなおしゃれなショップだったり
カフェもあったりするので
いろいろあるんですけれども
長良川デパートの紹介
ちょっと今回ね2つほどピックアップして
このおとたびに合ってるものね
ご紹介させていただきたいと思います
まずねせっかくですので
お土産も買いたいわけですね
その時に役に立つのが
永良川デパートです
ああいいね小民家の感じで
セレクトショップみたいな感じなんですかね
そうです
ああ本当に
製品も置いてるっていう感じですね
すごいオシャレですよね
いいねなんかこの伝統の感じも
ありつつ
でもこうオシャレにスタイリッシュに
まとめてるっていう感じの
そうです
すっごいハイセンスでデザイン性に優れたお店ですね
非常に僕ここ好きです
いいな
なので岐阜のお土産はね
僕はぜひここで買っていただくのがいいんじゃないかと思ってますし
うちだとね弟くんにもね
こないだ一人暮らし初めの祝いで買ってきましたけれども
あのお味噌汁とかも全部ここで買ってます
どこかね地区語やめのね
うなぎのねどこを思わせるような
そんな気がしますね
ちなみにコンセプトで言うと
もちろん岐阜市のものも多いんですけど
長良川流域っていうのがテーマなんですね
長良川を伝ってやってくる
あるいは長良川に栄えた
文化というものの産品は使っていますので
上流の方のね
こういうお酒ですとか
上層のお醤油とかね
そういったものもありますし
岐阜市の和の工芸品もありますし
というねいろんなものがあるんですね
だから岐阜デパートじゃなくて
長良川デパート
この小民家と言いながらデパートっていう
このおしゃれな感じがまた僕はすごい好きなんです
このランプもいいな
ワシ全部ワシですね
長陳みたいなねワシを球体に貼って
それをランプにしてるんですけど
これがね
いいね可愛らしいね
そしてね
僕将棋さんの言わく知的なね
あれですのでね当然好きなんですけど
内田にね少し合わせた紹介をしてあげるとですね
はいその写真見てください
その写真のですね
左側の方にですね
お酒のコーナーがあり
ただねこれだけじゃないんですね
ちょっと関連画像出てこないかな
岐阜地酒の飲み比べとか言ってね
なんとね店内でこれ飲ましてくれるんですよ
いいね
新鶯ができますので
日本酒などね
ぜひ新鶯させていただけるもの
飲ませていただいて
それで持って実際買うものを決めていただくね
素晴らしいデパートなわけですね
なるほどね
いいね買う前に新鶯ができるのはやっぱり
いいですよねお気に入りを買えるからね
だしやっぱりこのお酒といえば
長良川のね大事な要素なわけですよ
綺麗な水があるからこそね
こういう美味しいお酒もできるわけであって
決してやましいこれではなくて
その知的関心に赴く先に
これがあるわけで
いい音に使わなくて
というわけでね
ぜひお酒などもいただきながらね
ここはショッピングを楽しんでいただけると
いいんじゃないかと思います
そしてもう一つね
さらにお酒があるんですね
デパートからね
もうある程度2,3分後にあるんですけど
ロンググッド
長良酒造というものがあるんです
酒造にいくんですね
えっ
すげえおしゃれなページ
はい
えっこれは
日本酒ではない そうです
酒造といってね日本酒だけではないのが
岐阜のすごさなんですね
これ何ですかね
クラフトジン&トニック
ジントニックだ
なんとね寒中肺ならぬ
寒ジントニックをね生み出した人なんです
へえ
すごいんですよこの店マジで
ああ確かにありそうであんまないよね
ないと思います僕あんま知らないんですよ
寒ジントニック
そうだね
これ3種類あるんですかね
黒文字ベルガモット
岐阜家のねいぶきさんの
これ関ヶ原の方ですね取れる黒文字ってのは
和菓子の用事に使うものですけど
ああそうかそうか
これと広島のベルガモットを
合わせたものが一つと
カフィアライムローズ
うんこれは海外のものですね
マキドニアさんのジェニファーベリー
紅茶ダージン
メキシコさんのライム
華やかそうだね
なので西洋料理に合わせて書いてますね
とグリーンティージャスミン
これはしらかわ茶を使って
かつまあ他のボタニーカル
まあ開けてこれは日本料理に合わせてから
最低ペアリングのオススメが書いてますね
へえ
本当なんか全然違う3種類だね
うんこれがね
上流書なんでつまり
それが永良酒造というもので
日本書は使ってませんあくまでこのジンの上流書です
へえ
実際のこの缶も売ってます
これ永良川デパートにも売ってるんですけど
このお店自体もすごいね
明治時代だったと思うんですけど
蔵を改装した中で上流してるので
すごい雰囲気あるんですよ
なんかおしゃれだな
うん
いい具合に折衷してる感じ
雰囲気だね
へえ
この昔の家具の前に樽が置いてある
っていうのがなんかね面白いよね
うん
これもやっぱすごいデザイン性の優れたね
最近できたばかりなのでこれ注目感です
この中によってね
これ地元の実はバーテンダーさんが考案したもので
その方がオーナーさんなんですけど
コンセプトがね
完成品だけど中身は高品質
というね手軽でありながら
本当の味の美味しいカクテル
飲んで欲しいという思いの込められたね
プロが手掛けた
本物のジントニックを噛んでいただける
っていうありそうでなかった素晴らしい商品
いいっすね
そしてこのロンググッドっていうのももちろんね
長く続いて欲しいということなんですけれども
当然由来は
ながら川ねもう漢字をね
そうです
こう英訳してるという感じ
そうですっていう画期的で素晴らしいジントニックなんです
めっちゃうまいですこれちなみに
特にこのながら川河畔でね
ぜひね迂回とか待ってたら地球飲みされてもらうといいんじゃないかな
ああいいね
だから缶だからこそそれができる
岐阜大仏の魅力
そうなんですよ
バーに行かなくてもプロの味が楽しめる
なるほどね
これ僕今度ね
夏の贈答品とかバーベキューの時は
これ通販絶対買おうと思ってます
きっと皆さん喜ばれると思いますよ
ジントニックって嫌いな人もいませんし
確かにねその3種類が全然違うから
好きなやつをね
選べたりするからいいね
面白い
はい
なんかこういう新しいものも
どんどんできてる場所なんだね
そう冷やした抜きも最近できてばっかりだし
なのでどんどん今活性化してね
かつ岐阜の愛の詰まった
ながら川の愛の詰まった人たちがね
独自のアイディアでね
面白いショップを出してくださってますね
ゆっくり街歩きしながらね飲み屋ながらね
やってもらうといいんじゃないかな
思います
で河原町のね
まあ散策いろいろ他にもありますから
ちょっとゆっくりしていただいた上で
ちょっとまた歴史のターンに戻っていきたいと思います
河原町から
南の方へ徒歩10分ほど歩いた
ところにあるのが
松坊寺岐阜大仏です
すごい
背の高いお寺ですね
お城みたいだね
これですね
お堂の中に
大仏が掴められてるんですね
日本の
大仏というとね当然のことながら
まず奈良の東大寺が出てくると
思うんですけど
後は鎌倉のね高徳院さんの鎌倉大仏も
ありますけれども
日本三大仏と言われているものの一つが
実は最後の一つがこの岐阜の
松坊寺のものなんです
そうなんだ
これはね実はすごいものでなかなか
仏像の作り方って
いろいろあるわけなんですけれども
鎌倉のとか金属製のものですし
なんですが
金質像といって
つまり乾いた漆で作る木造のね
漆を塗り固めて
作っていく
中に竹細工みたいなもので原型を作って
それにペタペタ漆を塗っていく
みたいなものがあるんですけれども
これ結構古い技法なんですけど
これの像としては日本最大のものです
高さは約13メートルある
もので
なのですごい大仏なんです迫力がありますよ
ねえ
でもなんかちょっと痩せてる感じもある
そうそうそう
東大寺さんのやつとかと比べると随分細りしてますよね
いやでもなんか細いからこそ
この穏やかな表情が
わかりやすいというかね
一番親しみやすい感じがありますね
大仏の中でもね
というのもやはりね
それもおそらくなんですけど
これを誰が何のために作ろうとしたのかということに
関係があると思っていて
これを作ったのはね朝廷とか
何々藩の藩主とかじゃなくて
本当にここの住職がね自分で作ったものなんです
作ろうと思ったものなんです
もちろん実は大工さんがやってますけど
美濃の災害と大仏
なんでそんなことしようと思ったかっていうと
あのね
長良川というのは今ねすごくいいね
側面をたくさん話したんですけれども
岐阜県特にこの水戸の地方の
宿命としてあるのは
とにかく災害が多いことです
これはもう特に今ならまだいいんですけど
江戸時代とかまだそのね
時代になると川の近くというのは
非常に危険な場所でもあるわけですよね
反乱が起きてしまう
洪水が落ちてしまう
そんなものが美濃は3つもでかい川が走っているわけですから
そういった災害があったり
あるいは明治時代に
ノービー地震なんてのもありましたけど
この辺ね地震も結構断層が活発な地域で
昔から多かった場所です
美濃というのは
なのでそういう災害というものを非常に
多くの方が命を落としてしまう
地域が江戸時代は多かった
そういったものを見兼ねたこの住職が
そういった人たちの心の平安とね
供養のためにと思って
38年の歳月をかけて
これを作ったというね
ものなんですね
すごいな
本当に作りたかったんだなっていう
感じでね
東大寺の大仏さんはあれは朝廷の
主導でやったものですけど
これはあくまでも一人の人が民間の力で
成し遂げたものなんですね
大変だったんだね
だからもうまずお金集めるところからなので
ひたすらこの記者とかを募って
みんなに協力を呼びかけて
その残念ながら住職が途中で亡くなってしまって
その後継ぎ
2代に渡ってね
38年かけてこれを作ったというんですね
なるほど
それだけ災害が切実だったということもあるんだよね
そういうことです
江戸時代の後期19世紀かな
1830年代にこれはできているものになります
ただそれがやっぱり
作った甲斐あって大切に守られ続けていて
今は観光地の一つとしても
非常に有名なものになっているわけです
斉藤道さんの歴史
この大仏さんはね
もちろん見ているだけでもすごいんだけど
特異すべきことがあるとするとね
技法としても非常に特殊なものを使っています
というのが
このほっそりしてるね
話さっきあったと思うんですけれども
これでも一つの要因ともなり得るのが
実はねこの中にはね
胃腸の木が入っていて
胃腸の木の柱がね
この中を貫いているんです
大仏さんのこの体の中を
中に入っているパターンが結構あるんですけど
そこをね天井にまで貫いていて
この背の高いお堂と
一体化してるんですね
胃腸の柱でもって
この大仏さんというのは
建物ともはやつながって連結してる
っていう大仏さんでして
その意味でなかなかすごいんですね
まあでもその方がね
安定するというか
しっかりしたものにはなるよね
そうですそうです
なので結構穴場といって
あれなんだけども
裏に見えてるのが岐阜城
金火山ですね
すぐ近くなんだけどね
戦国時代の話ばっかりおってる
これ見逃してしまう人多いんですけど
実はすごい大仏が岐阜市にあるっていうのはね
もっと知られてもいい話だなと思ってるんですけど
面白いな
なんかこの
技法にしてもこの大仏さんの
見た目にしても
特別というか
いわゆる想像する大仏とは違うな
そうですね
岐阜城に行ったからにはここすぐ近くなので
寄っていただいてね
ミノの災害とともに生きなければならない
という深刻な切実な
思いから生まれたものというのを
実はこの後のテーマにも関わってくるポイントの
複数にもなってるので
ぜひここは覚えておいていただくといいんじゃないかなと思います
そしてもう一個お寺が近くにありますので
そこにも行ってみたいと思います
それが消防寺から徒歩5分ぐらいの
ところにある城西寺です
一見何の変哲もないお寺に見えるんですけれども
そうね
町のお寺っぽい感じのね
消防寺と比べると全然小さいんですけれども
ここは何かというと
かのね
齋藤道さんのね
御大事になります
なんかもっと立派でも
良さそうな気がするけど
元々はすごい立派だったんです
ただねやっぱり齋藤家というのは
滅びましたし
道さんというのはまあ江戸時代に人気がなかった
悪逆非道の
絶対世の中に会ってはいけないタイプの人間だ
っていう風に江戸時代の人に教えられているので
まあそうかそうかね
なかなか筆損としたところでね
密かにこのダークヒーローのことをね
忍ぶ人が訪れていたというぐらいだったようですね
なるほどまあまあでもそうか
やったことを考えるとそうだね
で先ほど道さんというのはね
美濃に流れ着いてきて
お坊さんじゃない友達がいたって話をしたと思うんですけど
その友達がいたのが
この城西寺なんですね
なので道さん自身もこの寺に
最初入ってきたはずです
生きている時の道さんがね
この城西寺のお坊さんが
家老の永井って後々道さんが乗っ取る家ですけれども
永井家の弟の一族なんですね
そういうつてもあって
なるほど
なのでそういう意味でもね
道さんの人生に大きく生前も関わったお寺になってます
当然道さんが学んだ日蓮宗のお寺です
そしてね
この中にはね
斉藤道さんの肖像が
これは一節には道さんの死後に
信長にとついていた娘がね
絵師に父をしのんで描かせたという
現実味のある
非常に近い人物がおそらく描いたと
言われている道さんの肖像画が
残っていて
これは確か国の重要文化財にもなっている
すごい長な作例です
そしてその道さんを殺した斉藤義経の
肖像画というのも2枚並んで
描かれています
普段は複製が公開されています
ちょっとねぜひね
好きなのかどうかという点も含めてね
ちょっと画像検索でこの肖像画のね
見てもらうと
あーでもなんかそうだね
なんか俺がイメージしてたよりやっぱり
小柄というか
なんかもっとすごい活腹のいい人なのかな
っていうストーリーを聞いてると
そういうイメージだったんだけど
そうだね
裁判での姿を映したものとは考えられるんですけど
そう見た上でね
吉達の画像を見てみましょう
これは確かに疑うな
うん
全然違うよね
輪郭が全く違うもんね
はい
なるほどね
これはそうだわ
吉達の方もおかしいなとは思ったかもしれない
さすがに
ちょっと似てなさすぎるね
なるほど
この2人のねまさか敵味方に分かれて
命を奪い合ったね親子なわけなんですけれども
今はね2人ともね
その肖像画がこの城寨寺に掲げられています
で銅さんのね
供養塔というものもねこの城寨寺にありますので
やはり国取物語も
頻繁に出てくるお寺になりますから
非常にね銅さんだったり
戦国時代のファンの方はね
必ず訪れるべきポイントかなと思いますね
そしてね
国取物語の影響
ちょっとここから雑談というか
1日目の1つのテーマでもあるんですけれども
先ほど話していた
斉藤銅さんの話というのは
あくまでも国取物語という小説だったりとか
もちろんしばりお太郎さんも
ある程度の資料によって書いてますので
江戸時代とかに広まった
悪逆非道の斉藤銅さんの姿を
現代風にね
調節化したものになるわけなんですけど
国取物語は連載されたのは
1960年代の前半なんです
東京オリンピックとか
ちょうどやるときですね
なので日本が戦後復興
成し遂げていよいよこうのし上がっていく
っていうすごいエネルギーに満ちた時代
その時代に国取物語は描かれて
もう紙面上
大人気を博した小説なんですよね
そうか、成り上がりというかね
そうそうそう
こうのし上がっていくっていうのが
時代とマッチした
これはとある僕が大学で教えてもらってた
小説家の方が授業してきたときに
この話をやっぱりすごく言ってたんですね
しばりお太郎さんというのは
もちろんすごい小説の技量としても
すごいんだけど
とにかく時代に乗った
国取物語というのは日本がやって
それで新しい商売新しいビジネスやって
実力さえあれば今は何でもできるようになりつつある
世界へも羽ばたいていけるような
世の中になっている
その時代にこの斉藤道さんという
まさに戦国時代にそれをやってのけた
一人の英雄を描いた
ていうのでね
すごい特にやっぱり男性から
すごいもう絶大な支持を集めた
小説だって
確かにその時代にあってはちょっとこう
理想像にも見えるだろうね
そうだったと思います
多分当時の気分からそうだったんだろうと
ところが
その時ちょうどね
義父賢士というものの編参が始まったんです
これは神奈川賢士もありますけれども
何々小田原志士もあるんですけど
教育委員会さんとかが
よく自治体でこうちゃんと
古文書とかをまとめて
学問の役に立つようにまとめらなきゃいけないと
いう学術作業ですねあくまでね
をやり始めたのもちょうど同じ時期だったんです
ところが
それを
編参している最中に
あるね諸情が見つかったんですね古文書が
これは何だったかというと
奥美の国これ滋賀県ですね
にいた六角上帝という
戦国武将がいたんですけれども
この人が
齋藤義達について書いたレビュー
みたいなものが見つかったんですよ
まあいろんな事情があってレビューしてるんだけど
義達とはどういうものなのかっていうことで
言ってて
結論から言うと
六角上帝の息子が義達を仲良くしようと
してるのをやめろって言ってるんです
義達なんてとんでもない奴だと
齋藤家なんてのは絶対仲良くしちゃいけないから
お前考え直せっていう
お叱り状が見つかったんです
そこには何が書いてあったか
齋藤義達のような
良くない奴だとなぜか
そのポイントはいくつかあると
まず一つは道参
あの父である齋藤道参というのは
まあひどい奴だと
恐れ多くも時さまを追い出して
とんでもないことばっかりやってるやばい奴だと
その道参をさらに殺してる
もっとやばい奴なんだと
いうようなことをまず一つは言ってる
でそもそも
齋藤家なんてのは我が優秀な
六角帝が付き合うべきではないんですと
なぜかというと道参
成り上がり者ですそして
その父の長い新左衛門の女王
なんてものは京都の油売り
からのし上がったなんていうものであって
道参のその
父なんてはただの油売りだったんだと
それがいつか水野に流れ込んできて
いつの間にか長居とか名乗って
道参の真実の発見
行ってその子供が道参になってる
道参も終わってるし義経も
もっとやばいと
っていうことが書いてあったんです
おかしいと思いませんか
そうだよね油売ってたのが
道参なんだよね
つまり
道参は一人じゃなかったことが
わかったんです
齋藤道参という
人物は親子
二代の足跡が
一体化された幻の人物だった
ってことがその時分かってしまったんです
つまり
僕がさっき話した油王って
ゲゴやって時よりより
見下ろしの奪ってとかやってた
あの齋藤道参は
道参の父親の事跡だったんです
道参は親子
二代で見下ろしの国首になりやがった
っていうのが本当の事実だった
それがいつしか
道参一人の英雄団になっていって
齋藤道参っていう
ゼロからのし上がった歴史上の人物
英雄として描かれた
幻の人物だったんです
ええ
どこで切り替わったのそれ そういうことなんです
それは実は
江戸時代とかにおいても
新潮後期これ信長後期って書いてある
信長を研究すると絶対やってる
物語の進化
いわゆる織田信長の生徒の伝記
なんですねここには道参というものが
成り上がってきた油織りだったのが書いてあったから
みんなそれを読んで
道参ってのはとんでもないやつだと
油織りが成り立ったのはすげえって思った
一方で美濃の地域の
歴史みたいな物語には
長い震災運物上のこと書いてあったんです
ちゃんと だけれどもそれよりも
圧倒的に道参っていうものの
カリスマ性油織りからのし上がった
カリスマ性がどんどんどんどん大きく
なっていって
江戸幕府は大嫌いでしたけど
道参のことだけれども一方で民衆からして
やっぱり当時もすげえって思ったみたいで
いつの間にか油織りからのし上がった
道参っていうその新潮後期とかで
語られてるイメージが
圧倒的に多くなっちゃったんですよね
だから実は二人立って最初書いてあったもの
最初あったんだけれども物語の
それは圧倒的にマイノリティだった
ところが現代の
義父賢子の返産作業にあって
道参 吉田と同時代を生きていた
別の大名が道参と
道参の父親が親子二代に
国を乗っ取ったやつだってことを
証言したものが見つかっちゃった
なんかそうなると
見え方も変わってきそうな感じするね
そうです六角城邸の
同時代時代の証言によれば
油織りをしていて明確人で油織りをして
なぜかで金持ってて
水戸に流れ込んできて長居というところに
名乗って盆葉の君子を
立ちつけてお兄さんを追い出させた
ぐらいまでが長居新三山門の城
という人物だったらしい
長居の利子で
斉藤道参ですね今の
道参というのはその
盆葉の君子を立ちつけてお兄さんを追い落とした
後に彼の実績が
長居新三山門の城の
息子である道参だった
だから水戸の国取りをしたのは
自分が王になっちゃったのは
稲葉山城を築いたのはたぶん道参
その人らで間違いないんだけれども
前半生はお父さんの人生だった
という
分かりますか意味が
意味は分かるけど
どう評価したらいいんだろうなっていう
なんか
いわゆる悪い
道参の
元凶はお父さんの方だ
二代とも悪いのか
二代とも悪い
だから親子二代とも成り上がって
独殺暗殺みたいなのを繰り返したのは
やっぱ爺との
二代目道参の方
すごいなそれが二代に
渡って続いてるのもなかなか
すごいな そうなんですよ
ただやっぱり圧倒的に
うちだもさっき結構びっくりしてましたけど
一回の油売りで
何のバックアップもなかった
人物から水戸の国主になった
っていう一人の男の生き様
そしてそれが自分の子供によってそれが
遮りられるっていう転落の人生も含めて
そのカリスマ性ってやっぱり
すごく引き付けられるものがあると思うんですよ
今の人間から見ても だから
道参というのはいつも一人になってしまったんです
そうなんですよ つまり
それが歴史が物語になった瞬間
なんですよ
斉藤道参は本当は親子二代だったけど
より脚色された英雄として
ダークヒーローとして描かれた
瞬間があったんですよ多分道司大
それが要は
斉藤道参像というものを作り上げてしまって
いつの間にかそれが本当の歴史になってしまって
そうか だからまあ
当時の人はその二代に
分かれてるのは当然知ってるだろうけど
後々江戸時代
とかになって
斉藤っていうやつがいて
ってなった時に元は油売だった
っていうところも含めて
そこを
だから一人の人物として
見た方が
なんかその印象が強いというか
そうそう ドラマティックじゃないですか
そうか だから
小説っていうのを超えて
それを史実として
見ちゃってたってことになるのか
そういうことなんです
それはすごい話であります
やっぱり道参という人物はそれだけ
悪の化身だったとはいえ魅力的だったもの
っていうのは分かる
そしてそれをみんなが語り継ごうとした心
っていうのも分かる
そしてみんないつしか本当の史実というものを知っていながら
自分のこうよりヒーローという
ドラマティックな人物をするために
どんどん物語の上であるいは別の斉藤道参
という人物を作ってしまった
まあある種
空想上の道参というのを作り上げたわけだよね
ある意味歴史の乗っ取りだったんですよ
これは大変だった
道参というものがね
ただ弁護しておくと縛り太郎さんは
このことを知らなかった
だって書上が発見される前に
国取物谷連載されてる
だから斉藤道参は一人だと思ってもちろん
本当にそれが歴史の真実だと思って書いたんですよ
だいたい江戸時代以降ぐらいは
二代の道参は一人だと思われてるわけ
思われてる
史実として語られてるんだもんね
そうせいせいこの3,40年の話なんです
縛り太郎さんに大愚がやってるときも
まだ道参一人だって定説だった
80年代ぐらいですよねその見つかったの
衝撃だったろうね
文化的影響と誤解
衝撃だったろうね
柴山もまだ当時生きてらっしゃいましたから
どういう気持ちになったんでしょうね
やっちまったって思ったんじゃないかね
思ったかもしんないね
まあでも知らないんだもんね
だから今は斉藤道参は長居審裁門の上と道参
二人の家族
吉田手前の親子三代の物語だって
分かるんだけれども
まだいまだにやっぱりこの手術というのは
あんまりこう
ドラマチックちょっと削ぐ部分もあると思われて
あまりこう理不尽とかも
見ててもやっぱり道参国取
っていうイメージが強すぎて
そっちの方が人気になっちゃってます
まあでも分かるよね
一人がのし上がった方が
やっぱり面白いもんね
面白いもんね
これがだからその今回の一つテーマなんですよね
歴史と物語のね
関係性というか
でもそうじゃなくもし
二人として最初から描いてたら
国取物語はあそこまでヒットしただろうか
って思うとね
一人でのし上がっていくこれこそあの時代のみんな
今の我々ですらすごいと思うし
なるほどね
なのでちょっとさっきついでに
道参の画像検索したからちょっとここに戻ると
斉藤道参の大河ドラマから
ちょっと見てもらおうかな
これで見ると道参を演じた人たちがいっぱい出てくる
わけです
平見喜次郎さんね
これが国取物語最後長らかの戦いの
前夜の場面だったかな
もう要は裁判での死ぬマリオン道参の
演じた姿ですね
平さんこの時30代だったそうですけど
64歳
60何歳かの斉藤道参の設定でね
やってもうこの人ね
すごいよね
本当にすごい俳優さんですね
ちょっと30代には見えない
重みがあるね
それでも伝わってくるわ
これがいわゆる斉藤道参だったんですけれども
だけどやっぱり大河ドラマも
徐々にやっぱり学説に
合わせていかなければならない
というのがありましたので
2020年の大河ドラマキリンが来る
明智光秀夫主人公にね
長谷川裕樹さんが光秀を演じましたけど
その時道参を演じたのは
本木政博さんでした
そしてそれですね
かっけーな
すごいよねさすがにね本木さんね
でも変わったのはわかります
要は
年齢とかがさ
平見喜次郎さんのね
画像とかよりだいぶ若くなってると思うんですよね
道参というもの自体
そうか
そうだねだから一人の人物として
映画に出た時は
もう本当もう
高齢になってるわけだよね
そう60何歳って伝わってた
けどそこが2台に分かれたんだったら
その分単純に言えば半分になるわけだよね
そうそう
実際そこまで半分かわかんないんだけれども
ただいずれにせよ
一人のこうあらゆる感覚を経て
夢と野望に生きて
老人になったっていうものとは別の
描写がされてるんですよ
この対話なので初めて
二人目の道参という設定で
ちゃんと出てきたのが本木政博さんが演じた
斉藤道参です
そうかだから光秀が出てきてる
ってことは結構もう晩年なわけ
晩年です
その前半の3分の1くらいで死んじゃいましたけどね
そうか
だからそうだねそう考えると
国取物語の時の
道参はもう本当に
おじいちゃんっていう感じだけど
それと比べると確かに若くなって
まだ全然エネルギッシュな感じがするよね
そうですよね
なるほどなるほど
だからこれが今の学説とか描写における
斉藤道参なんですけど
果たして物語として見た時には
やっぱり国取物語の
押し上がっていく感じというのがやっぱり
かっこいいとも思いますし
すごい難しいところなんですよ
そうだね
本当にエンタメとして楽しむっていう
ところを忘れちゃいけないんだろうね
そういうことなんですそれは
しばりお太郎さんの小説全部に言えることで
しばりお太郎さんってあまりにも上手いんですよ
文章とか語りかけが
だからそれを本当のシリーズだとみんな思っちゃう
結構一時期本当に問題になったんですよね
でもしばりお太郎さんは小説を書いてるので
別にそれは
本人がそんなに書いたわけじゃないんですよ
あまりにも上手いからそう誤解されてるだけで
なるほどね
だからそういったのが斉藤道参というのは
説が分かれる以前の問題に
そもそも人間として違う人物を
もう早く書いてるっていうぐらいで見ないといけないんですよ
なるほどね
これはでも
本当今でも
美濃の物語
俺もさ今アンパとか見てても
はいはい
そこは気を付けなきゃなっていうのは
常に意識しておきたいなっていうね
だって信ちゃんとさ
幼少期会ってないんだってさ
だからそういうのもなんか
ちゃんと意識してそこは分けて
考えなきゃいけないんだろうなとね
そうそう悪夢のフィクションなんですよ
でもそうだよね
しばさんは事実だと思って書いてるっていう
そう
だからそこはちょっと難しいところではあるよね
だからこの国取物語という小説はただの小説と
以上にいろんなテーマをね
日本の歴史の中にはらんでる
ちょっと偶然的にできてしまった
テーマなんですけれども
そういった小説でもあるんです
ちょっとより見方が難しいところだね
そうそうただ今でもね
もう連載されて60年経つわけですけど
それでも今でもね
本屋さんに行っても新刊として
まだまだ売られてますし
キリンが来る時はすごかったしやっぱり
やっぱり道産というものなんです
というのがね
この城寨市に行っていただけるとそのあたりのね
こともいろいろ考えながら
見られるんじゃないかなと
この震災門の城ってもはや意味なすらわからない
この謎の地町屋についてはね
お墓とかもちょっとどこにあるかもはやわからない
ということでね一回終わります
内田 編集辞典の内田です
今回は
斉藤道さんのお話を
メインにお送りしてきました
内容が盛りだくさんになってしまったので
ここまでとさせていただきます
次回は
長良川のあの名物を
メインにお送りしたいと思います
ということで次回もお楽しみに
ありがとうございました
01:35:57

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