大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅外着替えな旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、うちだです。
今回はね、最初に告知的なね、ことをしようかなと思うんですが。 去年ですね、我々も参加しましたみんなのポッドキャストフェス。
沼津でやっているポッドキャスト×地域創生のイベント。これの第2回が今年も開催するということですね。日時は11月30日日曜日。場所は当然沼津でございます。
今回、前回よりパワーアップしましたね。前回はプラサベルデっていうね、駅近くの会議場なのかな。 そうね、ホールというか。
市の施設でやってたんですけど、今回はなんと商店街で中見世商店街でやると。 だからより地域創生っていう意味合いがね、強まってるっていう感じの。
商店街もすごい協力してくださるみたいな。 もう本当に街一帯で盛り上がるイベントっていう感じになるかと思いますね。
でですね、我々も実はお手伝いをさせていただくことになってまして、実際に何やるかはね、ちょっとまだこれから詰めるんですけど、何かしらでね、我々もお手伝いをさせていただくということなんで、ぜひ11月30日は沼津に集まっていただければと思います。
すごい楽しみですね、これ。 やっぱ多分去年より全然雰囲気変わるだろうから、どうなるんだろうっていうワクワクがあるんですよね。
初めてなんじゃないですか、この街の本当に屋外に街にうっきょ出てさ、ポッドキャストがいろいろやるっていうのはさ。 確かにね、聞いたことないよね。
私手間ミスるあれですけどね、去年の会場は沼津駅の北側なんですけれども、今回中見瀬商店街さんということで、本当に沼津の中心市街地、駅の南側にある商店街なんですが、そこが会場になってると。
なので、我々の藤宮沼津の1日目の夜に紹介したお店、リバブリューさんと自作さんとバーフランクさん、この辺りも会場から近いですので、ぜひ沼津という街の魅力をこれを通して広く知っていただけるといいんじゃないかなと思いますね。
そうですね。ちょっとね、今収録してる時点だとどういう形になるのかわかんないんですけど、これに参加したいっていうポッドキャスターの方は何かしら参加できる企画を用意してくださってるみたいなので。
ちょっとね、今わかんないんで、補足があったら編集時点のうちらに任せたいと思います。なので、ぜひポッドキャスターの方とか、ポッドキャスト聞いてる方、単純に沼津に行ってみたいとか、ぜひ沼津に集まっていただきたいと思います。
原宿に行きたい人もいるかもしれないですけど、街は複数にってあるので、11月30日だけはぜひ沼津に集まっていただきたいと思います。 そうですね。東京からもね、三島まで新幹線で行けば1時間かかんないくらいで行けますから。
ああそうか。1時間くらいかな。1時間かかるな。そうね。どんこうでも行けないことはないですからね。行けないことはないですね。
なのでぜひぜひ集まってください。 ぜひ集まってください。
内田 はい、詳細の説明を任されました編集辞典の内田です。今回のミンキャスではですね、エントリー制で公開収録をすることができるということです。
今回の会場である中見瀬商店街のブースで、街の方たちと触れ合いながら公開収録をするという体験ができるということです。
こちらに参加したいというポッドキャスターの方は、ぜひ公式ホームページご覧になってエントリーをしてみてください。
こちらはですね、先着順となっておりますので、ぜひ興味のある方はお早めにエントリーをお願いいたします。
また公開収録に参加しなくともですね、ポッドキャストのPRスペースあるいは交流会というのも準備していらっしゃるようなので、そちらでミンキャスに参加するということもできるようです。
ですので興味のあるポッドキャスターの方、リスナーの方、ぜひ沼津に11月30日を集まりください。
今回からは新しいコースということで、今回のコースのタイトルは何でしょうか。
今回のコースのタイトルは、「香るる風に惨があり、物語となる時を尋ねて。」です。
これまた詩的というかね。
そうですね。これ漢詩ですね、もとれた実を。なので当然詩なんですね。僕が作ったわけじゃなくて。
どこですか、これは。
これね、今回は岐阜県を扱いたいと思います。
確かに意外とやってなかった感じがあるね。
そうなんですよ。
岐阜なー、俺多分行ってる気がするんだよなー。
行きましたよ、僕たち。
そうかそうだね、行きましたね。
えっと、白川湖とかね、行きましたね。
そうなんですよ。
そうだそうだ。だからそのね、岐阜と長野がね、俺はちょっと曖昧なのよ。
山国でもありっていうところ、自然が得られてるところでね。
で、じゃあ今回はどういう岐阜旅になるんですかね。
今回はですね、結構ガッツリ歴史です。
久々の超歴史特化テーマになってます。
川中島ほどじゃないにせよ、かなりディープな話をしていますので。
日本の歴史を動かした、その時歴史が動いたりしてますね。
その時をね、尋ねると物語となる瞬間と書いて時と呼んでるんですけどね。
その瞬間瞬間をちょっと尋ねてみたいという歴史のある断面をね、切り取って。
ただそれがやはり岐阜県というね、日本の真ん中であるからこそ、
その天下を揺るがすようなね、大事件とかが起きるというね、
必然性にのっとってるんじゃないかというような話なので、
歴史好きの方にこそオススメな感じですね。
じゃあちょっと、僕は心して聞こうかなと思いますね。
頑張ってください。
じゃあね、早速紹介お願いします。
まずね、岐阜県という県について、これも初登場なのでね、改めてちょっとおさらいをしておきたいと思うんですけれども、
岐阜県というのは非常に広い県であります。
これはですね、昔2つの国にやはり分かれていました。
北部を日田、これは日田高山とかいう有名な観光地あります。
白川湖もこの日田にあります。
というのがまず北部です。
南部は美濃と言いました。
美しく恋と書いてね、美濃というところで、これは今の岐阜市とかそのあたりになります。
今回はですね、2泊3日の旅なんですけれども、美濃に特化した旅です。
南部だけ? 南部だけです。
特に南部の中でも南西部にしか行きません。
岐阜市より西のあの一帯にしか行かない。
それだけでたら2泊3日をしたいというふうに思っていますので。
悪説で言うと名古屋から行くのが一番良いと思います。
なるほどね。北に行く感じでね。
そうです。名古屋と岐阜、岐阜市ですね。
実は30分もかからないくらいなんですよ。
そんな近いのね。
なので実は僕ね、小田原からも岐阜市って1時間半で行けるんですよね。
なので実はこれすごくね、僕最近岐阜に行って、春にも行ったし、実は7月にも1回行ってきてるんですけれども。
で、また9月にまた行くんですね。
小田原来てからすごく身近になった地域です。美濃の国はね、非常に。
私なんか最近ハマってるでしょ。 うん、ハマってますね。
とある理由でね、やっぱり歴史が好きなので、元から何度も行ってはいたんですけど、
よりぽっとりやつでやり始めてから、地域をどう紹介するかとか考えた時に、
やっぱりこの美濃の国の奥深さと、なぜここでこの歴史の日本のターニングポイントが訪れるのかっていう、
そこはね、すごい興味深い問題になると思ってますね。
で、どうですか?岐阜県の印象というのは。さっき長野とちょっとこんがらがる話はありましたけどね。
そうですね。だから日田高山は、そうね、俺らも行ったし、
実は中学で家族旅行でも行ったんですよね、実はね。
高山に。
その時も白川湖行きましたんで。
あの合唱作りがやっぱり世界遺産になってるだけでね、印象的ではありますよね。
で、あとなんだろうな、ほうば味噌も結構印象的だな。
食べましたね。
その家族旅行でも旅館で食べたんですけど、あんな食べ方あるんだってね、思いますよね。
あの焼き物ですよね。
いわゆるみたいなね。
あそこにほうば、葉っぱをね。
ほうの葉ね。
して、その上に味噌塗って。
そうですね。
で、それで焼いて食べるみたいな。
はい、おいしいですね。日本酒に合うしね。
そうね。
だからそれをやっぱ子供の時に一回食べて、大人になってまた行ってるから。
はいはい。
あ、これは酒と合うなっていうのをより分かったね。
高山の上市の町のあたりとか行きましたけど、永遠に済まなかったですもんね。
岡田がもうお込み始めちゃったというか、30歩歩いたら酒屋さんの方に入って格打ちを始めちゃうみたいな、伊勢神宮の身の前ですけど。
いやほんとね、でもそうだな、そう言われると、ひだのところの印象が強いんですかね。
そうのようですね。
実はね、これ岐阜県初登場ではあるんですけれども、雑談会で実は一回触れてるんですね。
それもね、内田の口から言ったのに覚えてない、今大変問題を起こしてるんですけれども。
それこそスカイさんだったと思うんですけど。
ああ、そっか。モザイクタイルミュージアムか。
そうです。あれは岐阜県多治見市、美濃の国のものですね。
そうだそうだ。
あの、まあ改めてちょっと言うと、岐阜県ってね、そういうわけで美濃とひだりもう全然風土も文化も違います。
ひだはね、本当に山に囲まれた本当に山国で、すごい行きづらいところでもあるんですけれども、その分ね、その深く奥に入っていくところですごい固有の文化が育まれて、
これ僕絶対ひだいつかやりたいんですけど、ひだはね、そういう山の国っていう感じなんですよ。
一方で美濃はどういうところかっていうと、小学校の教科書とかに載っていたもので言うと、濃美平野、美濃ののですよね。
美というのは終わりなんですけれども、岐阜県の南部から愛知県にかけて平野がね、すごく広がっていたっていう話だったりとか、
その平野というのはつまり川によってできますから、基礎山川なんていうものもね、覚えたんじゃないかと。
基礎川、長良川、伊比川ですかね、東から。
ひだは山国、美濃は平野と川の国。
もちろんね、田嶋とか苗木の方に、中津川の方に行くともっと山が激しいですけれども、そういった平野があるというところでも一つポイントになってきますね。
あとはまあ、岐阜の名物というとね、なんかグルメとか行事とかいろいろありますけれども、教科書とかに載ってるレベルで言うと、迂回なんていうのもね。
ミノの長良川の迂回なんていうのはね、写真では見たことある人が多いんじゃないかと。
あれも結局、基礎山川のうちの長良川っていうその川によってね、生まれているということですよね。
あれは独特な文化だよね。
独特だと思いますね、非常にね。
なのでそういった川の国っていうのがね、一つ大きなポイントになってくるかなと思います。
そしてね、戦国時代とかが好きな方にとってはね、やはり織田信長がね、天下夫婦という天下統一を目指して本拠地にしたのが岐阜城ですよね。
なので絶対ここに載ってきますし、そして今回もやるわけですけど、何といってもね、天下分け目の関ヶ原。
これが起こったのが美濃の国、関ヶ原町ですね。
そっかそっか。
なのでやっぱりその歴史を特に戦国時代において大きく揺るがしたね、大事件の舞台なんですね、美濃の国というのはね。
だから物語となる時を訪ねて、その瞬間なわけね。
そういうことですね。なので歴史好きの方は美濃の国はね、すごくいろんなトピックがあると思いますので、
ちょっとそれをね、このおとたびポッドキャスト流にね、2泊3日で、その地域の文化とかね、グルメにも触れながらご紹介できたらいいのかなというふうに思っています。
ちょっと今回はね、歴史ということもあってですね、オープニングテーマを一つ用意してみたんですね。
1973年の大河ドラマ、国鳥物語のオープニングテーマです。
73年?
73年ですね。なので今から52年前の大河ドラマです。
これね、後々詳しくは話すんですけれども、この国鳥物語というのは、柴梁太郎さんの小説が原作になっています。
鳥というのはね、盗むに利と書いて増語なんですね。ある意味ね、国を盗んだ物語っていうね、なかなか物騒なタイトルなんですけれども。
これがね、岐阜市が舞台になっている、美濃が舞台になっているんですね。
そしてね、これドラマの話はね、52年前のドラマなので、残念ながらNHKかどうかフィルムが残っていなくて、もうね、総集編しか見られないんです、僕らが。
ただね、主演、斉藤堂さんというね、武将をやった主演平幹次郎さん、何年か前に亡くなってしまいましたけど、
もうこの演技はすごくて、評判も当時からとんでもない俳優さんだったことで、ダークヒーローなんですよね。
盗むと言ってるから、悪役でありながら主人公っていうね、すごい複雑な役なんですけど、それを見事にね、やったっていうんで、もう大河ドラマの歴史上に残るハマり役として、
もう信長の矢本顔グラフィックとかもその後やっぱりこの平幹次郎さんの動産にね、どんどん寄っていってるくらいのすごい影響を残した名演として、今でも有名なドラマでね。
あと後半の主役はね、織田信長と明智光秀になるんですけど、信長をね、当時20代だった高橋秀樹さんが演じられて、これが高橋さんの出世作で、高橋さんこの役すごい思い入れが強くて、今でもね、この国取物語によって自分の人生は本当に変わったっていうくらいの思い入れのある役。
明智光秀を演じたのは近藤正海さんです。この二人は活躍されていますけれども。信長の奥さんである能姫というね、これ堂さんの娘なんですけど、これを演じたのが松坂恵子さんです。なのでね、今のもう大ベテランね、大御所の人たちが出世作になったっていうね、すごいドラマでね、これ平河ドラマの中でもすごく人気のあった有名なドラマですね。
これの話が一つ目の物語になるわけなんですけれども、これがこの岐阜市に関するね、そしてこの岐阜美濃という国の文化的な背景を示唆していると思っています。この物語の原作小説の方から一つ言葉を借りると、美濃を制する者は天下を制す。こういう言葉がよく出てくるんですね。
そうなんだ。 はい。やはり美濃というのは、今の当然岐阜県南部と言いますと京都にも近い。そして日本のおよそ真ん中にある。そして広大な農備平野を持っていて、お米もよく採れる。そして四方八方に中専道だったり東海道とかも通じる。街道の要所でもある。
古来ここには本当に多くの歴史的な事件が起こってきたから、美濃で勢力を張った者がいずれ天下を取る。信長はそれを半ば実現したわけで、関ヶ原の数世というのはある意味それなわけです。それに最初に目をつけた人物が斉藤道さんというね、これはなかなか歴史好きの方しか知らないかもしれないんですけど、その斉藤道さんという人物が主人公のドラマでした。
なぜ美濃を制すると天下を制するのかということをね、ちょっと裏テーマとしてこの3日間持っていきたいと思うわけです。
というわけでちょっとじゃあコースの本編に入っていきたいと思いますが、そういうわけで美濃岐阜市はアクセスが非常に良いです。鉄道で今回1日目は巡りたいと思っていますので、岐阜駅を目指してください。
岐阜駅に行くにはそういうわけで名古屋駅からJRあるいは名鉄で30分ほどで行けます。西側の方から来る方は岐阜羽島という新幹線の駅がありますので、そこで降りていただいて、西の方からJRで東に向かって岐阜駅に入る。どれでもいいかもしれません。
ただいずれにせよ東京からでも大阪からでも非常によく行きやすいので、そういった意味では旅行初心者の方でもいいと思います。今回はちょっと早めにですね、朝の10時半頃に岐阜駅に着いているというのを一つ目指していただければと思います。大阪方面であれば全然余裕だと思います。東京からでも8時頃に出ていれば絶対大丈夫だと思いますので、ちょっと朝早起きくらいの容量でいてくれればいいかなという感じですね。
10時半に岐阜駅に着きましたら、この日は岐阜駅近くに泊まりますので、まずはホテルに荷物を預けてしまいましょう。岐阜駅の近く非常に栄えてます。県庁所在地でありますし人口も非常に多い街ですので、ホテルに困ることはまずあり得ません。
ただ、岐阜駅の近くがいいと思いますので、そのあたりは柔軟に対応してもらえばいいかなという感じです。岐阜駅近くのホテルに荷物預けましたら、本日はバスに乗って市内の観光をしたいと思います。岐阜というのは地図を見てみましょうかね。
岐阜駅がそこにあって名鉄の駅もすぐ近くにありますので、名鉄岐阜駅の近くでももちろんホテルは大丈夫です。ただね、今回市内を観光するにあたっては、もうちょっと北部の方に行きたいと思います。具体的に言うと長良川が東西を流れているわけなんですけれども、この長良川の近くに歴史上のスポットは点在していますので、岐阜駅から歩くと大体1時間弱この辺までかかるはずです。40分くらいかな。
かかりますね。なので歩くのが全然好きな方、あるいはちょっと今回は残念ながらオースに組み込めなかったんですけど、歩いている途中にもいい建築とかもあるので、そういったものが好きな方は歩きながらでもいいんですけど、今回はちょっとバスに乗っちゃいたいと思います。
そこでホテルからJR岐阜駅北口にバスロータリーがありますので、そこまで5分くらいかけて移動をしていただく。そうすると岐阜駅前から岐阜バスというバスに乗ってください。これいろんな方面があるんですけれども、北側に行く、とにかく長良川方面に行くバスに乗っていただければ大体大丈夫です。
それに今回の時刻表に落とし込むと、10時56分に岐阜駅出発する岐阜バスに乗っていただいて、14分ほど行っていただいたところに、岐阜公園、岐阜城というバス停があります。もう岐阜城なので観光地なので、岐阜駅のバスロータリーに入っても、岐阜城行く方はこちらみたいな案内板ありますから、それでもう全然迷うことないと思いますので大丈夫です。
ここに11時10分に着いている想定です。そういうわけで岐阜城に行くわけなんですけれども、その前に博物館で前提知識を入れてから実際にお城に登ってみたいと思います。バス停から約3分ぐらいで、岐阜市歴史博物館というところがあります。
結構人形とか建物が中にあって、感覚的にわかりそうな雰囲気がちょっとしますね。
そうですね。この岐阜市歴史博物館はその名の通り、この美濃の国の中心である岐阜市の歴史を扱ったものになります。やはり岐阜市の歴史が最も輝いて見えるのは戦国時代だと思います。今この街並みが再現されたものはありましたけれども、これは織田信長が落市落座というものをやったその時の風景の一話を模したものなんですね。
なるほどね。 落市落座って覚えてませんかね。 街の市みたいなのを開きなさいみたいな感じだった気がする。
結果的に言えばそういうことで、商業が発展するという結果に結びついて、それによって織田家というものの国力が飛んで、天下を治めようという足掛かりを作ったと。そんな話でね、要は経済政策だった。もうちょっと具体的に言うと、当時室町時代というのは、例えば油は大山崎利休という京都の山崎ってところがあるんですけれども、そこの神社の許可を得ないと売れません。
販売棟というか出ない。だけどその代わり神社にお金を納めなきゃいけない。別のエゴマンはどこどこの神社、ロウソクはどこどこの神社みたいな形で、自社勢力と消費経済というのが結びついているんですね。そのため、どんなに才覚のある人だっても、自社にちゃんとお金を払ったりして、自社の行くと行かないと、そもそも売ることもできなかったんです。
ある意味それが一つ秩序ではあったんですけれども、いい加減なんかもっとベンチャーとしてガンガンやっていきたいって人の才覚を潰しているっていうのが問題であったわけです。それが座なんですね。つまりね。座というのは要は組合なんですよ。商業組合みたいな意味合いです。
あとは石書というものも大量にありました。室町幕府って結構えげつないからお金に困っていたので、どんどん京都に入るときにお金を取っていっちゃうんですね。石書を建ててね。税関ですよ。それでどんどん通行するだけでもお金取られていっちゃうから、庶民も恨むし、なんかだったら移動しなくていいかなみたいな。なってくると物流が停滞するわけですよ。
商売しづらいもんね。 そうそう。その諸々の商売しにくい条件っていうのがよろしくないというのを信長は一つ気づいて、岐阜城下においてその座の撤廃、つまり商業の自由ですね。そして小田漁内においては石書も設けないからどんどん物を運んで売ろうぜっていう経済の活性化を目指した。そしてそれに成功したんですね。それがこの岐阜城下が舞台だったわけです。
なので岐阜城のこの博物館の中には今の落市落座をやったことによってね、多くの商売人たちが集まってきて、街がにぎわってね、岐阜の文化がすごく栄えたよっていう様子が示されているわけですね。
もちろんね、他にもいろんな展示があります。例えばなんですけど、この岐阜市というのはね、ミノの国なんですけれども、すごくね有名な工芸品があるんですね。それが何かというと和紙です。これ覚えてませんかね、我々この岐阜に行った時に、友達が我々います。まあ友達が一人いますけれども、彼にとあるプレゼントを買ってたと思うんですね。
うちわ買ってったわ。すげえでっけえうちわ買ってたね。 そうなんです。すげえでっけえうちわをね、買ってきましたよね。あれはミノ和紙のうちわなんですよ。そういうね、工芸品、ミノは非常に焼き物もあります。たじみのね、焼き目のものもあるし、ミノ焼きですよね。
あと関という町には刀勝ちの聖地みたいなところもあるし、でまあ岐阜市一帯のあたりは和紙のね、工芸品が盛んでしたので、この伝統の技と美というところとかを見ていただくと、その和紙を使ったね、蝶珍だったりとかうちわだったり、あるいは和傘ですね。こういったものが、いかにねすごい優れた技術とデザインでもって作られているかっていうのをね、目の当たりにできると思います。
すごいね、写真も撮れるんですけど、展示については。ぼんぼりみたいな明かりが灯っていてね、すごくこうおしゃれで幻想的なね、和の本当に良いも向きの展示室になっているので、なんかインテリアの展示場みたいな感じがしますね、ここについてはね。
この展示もね、原始古墳から始まって、楽市立体絵巻とかね、そこから近現代体験コーナーまであって、本当に幅広く展示をされてるんですね。
岐阜市のね、あとは美濃の国というもののね、原始から今までをね、そしてその伝統産業とかを体系的にすごくね、学べるミュージアムになっていますね。
信長っていうコーナーもあるね。 ありますね。そして、織田信長のこの先見性とか経済的なセンスですよね。これはもちろん彼のすごい能力だったわけなんですけれども、この岐阜というのは、さっきちらっと名前出たんですけれども、もともとはこの信長のものではありませんでした。
織田信長というのは今の名古屋のあたりに生まれています。終わりの国の守護台のまたさらに下みたいな、とある武士に生まれている、それが織田家なんですね。なので今の名古屋あたりの武将だったんですけれども、ゆくゆくどんどん領地を拡大していく中で、美濃の国を取っていって、そして京都へ登っていくんですね。
じゃあその美濃の国は誰が治めていたのか、というのが斎藤氏というものでした。斎藤はよくある斎藤さんの作品です。ただこの斎藤さんというのも、歴史好きの方はこれ一番よく面白いポイントだと思うんですけど、いわゆる下国将の典型例として日本史に名を刻みました。下国将っていうのはわかりますかね。
家臣がその主に歯向かって打ち倒して乗っ取るみたいなことですね。 そういうことです。下が上を覆すということを下国将と呼びますので。要はそういうことです。下のものが乗っ取っちゃうんですよ、上の人を払ったりして。
これまでポッドキャストでやったところで言うと、阿波徳島の三好一族、出雲合山戸田城の城主、天児恵さん、そしてそれと並ぶくらい有名な教友と言われている。教友というのはつまり、そういう悪いことをするね。策略でもってのし上がっていった人の典型のに呼ばれているのが斎藤道さんですね。
いきなり出てきた。 この斎藤道さんというのがね、やはりもうこの下国将の英雄としてね、多分最も有名と言ってもいいでしょう。
何しろ天児恵さんは出雲の国守護大の武士に生まれました。あと三好一族も小さいとはいえ、阿波の武士の家でした。ところが斎藤道さんは何者だったかと言うと、なんとね、ただの油売りの商人だったって言うんですね。武士ですらなかったって言うんです、この人。
下国将の下でもないわけだよね。下でもないわけだ。 そうそう、下でもない。そもそも大正外みたいなもんなんですよ。ただ一回の油売りの商人が、身の一国を治める大名人までなったって言うんです。
へえ、全然そのストーリーの想像がつかないわ。 それがまあ国取物語なんですよ。なぜ道さんがただの商人ですよ。なのに身の一国の主にのし上がったのかっていうのをね、小説で縛りを描いたわけなんですけども。
これはね、斉藤道さんという人物は、もう後世悪逆非道の化身みたいに言われてしまって、とんでもないことばっかりしてたんで、なので非常に評判が悪かったんです。江戸時代の儒教的観念からすると。
ただし、一方でそういった儒教とかを取っ払うと、すごく夢がある生涯でもあるんですよ。夢と野望の人生なんですよね、道さんというのは。
成り上がりだからね。 成り上がり。要は何の権力も持ってない一回の商人が、ただ自分の才覚、能力と運とでガーッとのし上がっていくっていう、男のロマンじゃないですけども、そういうロマンと夢をね、体現したような人物として縛りを斉藤さんは描いたんです。
なるほどね。まあちょっとこう認めづらい部分はあるかもしれないけど、なんか憧れも持っちゃうみたいな。 そうそうそう。
それをね、この小説ではすごく体現していて、なので悪戸井、とんでもない奴なんだけど、大河ドラマの主人公にもなった。そもそもアブラウリの商人ではあったんだけど、その前はただの坊さんだったと。
お坊さんとして日蓮宗の寺に入れられた小さな人が、お坊さん抜け出しちゃって商人になったところからがスタートなんですけど。 最初っからすごいな。
ただアブラウリの商人なんていっぱいいたわけですけど、なぜその堂さんだけはそんなに経済的な力を持ち得たかって言うと、有名な逸話で言うと、とあるパフォーマンスをしたって言うんですね。
道でこう、当時はもちろんいいシーンなんてありませんから、行商で売るわけですよ。その中に、ぜひこの山先だと言うところだったんですけれども、うちで油買ってくださいっていう中で、
ただ、うちは安いですよ、美味しいですよって言っても、みんなその同じこと言ってるから、堂さんは何を言ったかっていうと、今から一つ、私が芸をご覧に入れますと。
この芸が成功したら、ぜひ私たちの油を買ってください。それぐらいスペシャルな油ですから。ただ、もしこの芸に失敗したら、もうあなた方からお金は一銭もいただきません。どうぞ持ってってくれて結構です。
っていうふうなことを言ったと。そしたらみんななんだなんだって野獣馬もいっぱい来るわけですね。じゃあどういう芸をしたのか。これは伝説ですけれども、当時の貨幣だった永楽船みたいなのがあるんですね。
それって要は真ん中に穴が開いてるんですよ。今の五円玉みたいなもんですよ。その五円玉を左手で持って、下にオケみたいなのを置いておく。
右からおチョコみたいなのを持って、とろーりとろーりとかって歌を歌いながら、その五円玉みたいなお金の穴を通していく。一滴もそのお金の穴に触れないように細々とさあ通していく。っていう芸を見てたと言うんです。
大童さんはそれを持ち芸として、お箱としてやって、それでパフォーマンスの山崎家が来たぞと。そしたらあいつ失敗しないから失敗したらもらえるのになって見てるけど成功するんですね。それですごいって大童芸と一緒にやったんだよ。
ってことによって一気に評判が広まって、すごい経済的な富裕族になったというふうな伝説があったり。 うまいね。
やっぱり能力でね。権力はいらない。ただ自分の身の才格さえあればできたっていうね。そういったことをやったと言うんです。
他にそんなことやる人いないよね。 いないですね。ただじゃあそしたらでもただのすげえ商人で終わるじゃないですか。
じゃあなんでこの後みんな一国になるのかっていう話なんですけれども、彼は要は野望があったんですね。国取物語で言えば自分は将軍になりたい。
彼は京都に生まれなんですけれども、京都がめちゃくちゃになってるんですよ。王人の乱が終わった後で。将軍も天皇も全然貧乏でどうにもなんなくなっちゃって。
もう見るからに権力がない。いずれこの世は取って変われる。であれば男として生きたいならば自分がそれに取って変わりたいじゃないかみたいなことを物騒なこと言い始めて。
何の権力もバックもない自分がどうしたら天下を取れるんだろうかってことを考えたときに一ついい場所があるというふうに思いついた。それこそが美濃だった。
美濃さえ抑えれば美濃八千騎と言われた武士たち、しかもそれも武芸に優れた人が多いと言われていた。美濃は兵が強いってことが有名だった。
そしてたくさんのお米が取れる納備兵や。商業も栄えるだろう基礎三線の物流の流路もある。そして何より京都に近い。この美濃さえ抑えれば全然それは夢ではないっていうふうに言ってどうしたら美濃に取れるかと思った。
その齋藤道さんが来るまでの美濃はどういう状態だったかというと室町時代に幕府からちゃんと任じられた正式な領主は時一族。土に義父の義と書くんですけれども時一族というものがいてそれが長らく美濃を治めてたんですね。
ところが時一族は勇者たらしい家で最初は強かったんだけれども何か何か凡庸な君主とかがいろいろ続いちゃったりして国内が乱れている。人物がいないんです。それを能力回せる人物がいなくて今の党首も凡庸だと聞いているから突き込みやすいと思ったんです。
逆にそうしないと越前の朝倉っていうとんでもないこれ一条談で出ましたよね。成り上がり者の先駆けみたいなやつがいると。そういうやつ越前から美濃なんてすぐですからあいつが取っていっちゃうだろうと。
終わりの小田っていうのが物騒だと言うんで今早く行動を起こさないといずれ他人の手に渡ってしまう。けど今ならば突き込めるって思ってこの齋藤道さん。
当時はまだ山崎屋将五郎とか松並将駒なんかよくわかんない名前を名乗ってるんですけどこの商人は亡産だときの友達がいたんですよね。
その人の家に居候みたいにし始めて油売りついでにお金を持ってますから珍しい博来品みたいなものとか今日の優れた文化芸術のものをその有力武将たちにプレゼントし始めたんですね。
それでなかなかあの油商人が居てくれるのは便利だな。ついでにあの宝物も取ってきてくれないか。俺は絵が趣味だから何かいい墨をくれないかとかいろいろ受注をし始めてどんどんその権力の中枢に入り込んでいく。
そしてある時この道さんは非常に武芸にも優れていた人物だったと伝わっているので油商人であったんだけれどもその時時氏の領主はお兄さんが領主だったんだけどとある時のね。
その弟はねなんかのけられちゃってなんか暇を囲っている弟がいたんですね。この弟は凡庸だったんですよしかも。
で絵がやたら好きで山崎家が持ってくる絵の道具が気に入っちゃって道さんのことすぐ気に入っちゃったんですね。
そしたら道さんはその凡庸の弟に対してあなたほどの才覚があるのであればこんな暇人のように絵を描いて太ってもう今度は知る場合じゃないと。
あなたこそ美濃の国首にふさわしいんだからあなたがお兄さんを追い出して美濃を治めるべきです。
私はそのバックアップを全面的にしますからって言い始めた。
で最初はえって身を言ってたけれども道さんというのは非常には油商人のやつで弁説も生かしてすごい優れた説得力を持っているのでそのうちその気になってしまう。
しかもその道さんは作望でもってそのお兄さん一派の切り崩しをし始めていてそれでどんどんどんどん弟に味方が増えてきてこれなら本当にいけるんじゃねってなって乗せられたその弟は道さんの操られるままに自ら自分がお兄さんを追っ払って戦い起こしてそれで自分が美濃の君主に弟がなったんです。
そうするとでも誰が一番それに功績があったかっていうとその山崎屋なんですよね商人だったんだけれどもそもそも弟に美濃を取らせたのはそいつなわけです。
ていうんでお前商人もいいけれども武将としての才能もあるからこの時の過労である長居という家をあなた継ぎませんかその功績を武士に取り立ててあげますよっていう風に言われてそれで武士になった。
長居という風に名乗り始めたんですね。ところが道さんというのは元々は自分が天下取りたいって言ってるやつなんで当然この時もただ利用してるにすぎないんですよ。
そうしているうちに道さんは能力が非常に高けていたからどんどんそのお殿様に近づいていって過労みたいに勤めかになっちゃってお殿様は凡庸だから絵が趣味この人はめちゃくちゃ絵が上手かった今この人は時の鷹っつってすごい作品を残したんですけど
武将としてはもうどうしようもない奴だったんだ絵はすごかったんだけどだからもう自分は趣味で絵に明け暮れていたいから道さんに全部政治は任せたと。
まあよくようにやっといてくれ俺は絵が描きたいからって言ってる時に道さんはどんどん自分の党派を結成していったりどんどん利益を蓄えたりしていっていつの間にか実際美濃は道さんが回してる風になっちゃった。
そしてこれは古来多くの権力者がある筋書きですけれどもこの後何をやるかっていうと危険を煽るんですやたらつまり越前の朝倉と大美濃阿財そして終わりの織田がもう美濃を狙っている。
美濃はこのままいずれ取られてしまう危険が迫っているから非常手段を取らなきゃいけないよねみんなそうでしょって言ってそこへ行ってあの凡庸な絵しか描かないやつでいいのかと。
こんなことやってるとみんなの領地もなくなっちゃうよあなた方って言ってもう実際私がやるしかないでしょ本当にって言ってとうとうかつての主君だったこの時頼りという人物を追い出してしまって時一族でもなんでもないただの油商人だった斉藤道さんがここで長いから斉藤になってとうとう時を追い出して自分が美濃を治め始めちゃったこれが道さんの汲み取りなんですね。
すげーだからそこまでのスパンでこいつだったら乗っ取れるだろうということでその弟を焚きつけてるわけね。
そういうことですそういうことです。
その見る目というか考えてるスパンが長くてなんかすごいね。
すごいですよね。
まあ当然でも時一派あんな油商人に藤谷に美濃を治めるなんてありえないでしょっていう人も当然いるわけですよ大半も。
そいつらどうしたかと言うと道さんは暗殺の繰り返しです。どんどんどんどん消していっちゃったの。
すげーな。
時一族の御曹氏も殺しちゃったり。自分の娘の女子であっても殺しちゃったりしてんの。
だから非常手段をね全く意に返さないんですね。邪魔ならば殺すっていうだけなんですこの人の領地に。
それは本当に俺がもう日本を治めたいっていうだけ?これはね国取物語においてはそうなってます。
ただ実際問題に天下を統一しようとしたかわからないけれども美濃一国の主にのじ上がりたいっていうのは本当にそうだと思います。
すごいな。まずそこを目標にするっていうのは当時からしたらありえないことだと思うし。
でそれを実現するためにそれだけ長い計画を立ててそれを実行してちゃんとこう成し遂げていくっていうのは手段はね褒められたもんじゃないかもしれないけどすごいな。
そうなんですよ。だから本当に実力社会のね千遍を切ってみんなにその夢を見させてあげたある意味存在でもあったんだと思います。
誰にでもできるかもしれない。それを見ていたのが信長であり光秀であり秀吉だったんです。
秀吉さんっていわば油商人よりもさらに低い農民の子って言われてますから。
そうだね。
これが斉藤道さんという人物なんです。
なんか一気にすごいヒロイックというか魅力的に見えてくる。
その道さんが美濃を制するまで天下を制すわけなんですけれども、
時氏が治めていたときはまだね岐阜市の南の方に今城跡残ってますけれども川手城っていうところで平城でね、いかにも平和な貴族のお家みたいなお城だったんですよ。
戦乱も起きないだろうっていうのんびりとしたところだったんだけど、道さんからしてみればそんなものもあり得ないわけですね。
淡ぬるいわけです。これから戦いのようになるわけだから、もっとちゃんとやらなきゃいけないと。お城もね。
もっと美濃を広げていこうとしてるわけだよね。
だし当然敵が攻めてくることもあり得るだろうから、美濃を治める王の城というものを築かなきゃダメなんだということで、すべての成功を込めて作った城が稲葉山城でした。
これが今の岐阜城です。ということでね、その城に実際行ってみたいと思います。
そういうわけでね、歴史博物館は金火山っていう金の中華の花の山と書くその山にあるんですけれども、その山の下にこの博物館はあります。
なのでバス停からすぐなわけですね。ところが、お城はその山頂にありますので、登んなきゃいけません。
ということで博物館から徒歩3分ほどで、岐阜金火山ロープウェイというものの三陸駅という駅がありますので、ここに移動してください。
このロープウェイは15分ごとに動いていますので、12時ぴったりの便に乗ることを目標にしていただけると、ロープウェイで4分ほど山頂にまで上がって山頂駅というところに着きます。
これが金火山の山頂です。そこからさらに山道をちょっとだけ歩いて、10分弱かな、歩いて行ったところにあるのが岐阜城天守閣です。
ということでね、岐阜城にやってきました。これも我々行きましたね。
そうか、そうだね。 覚えてませんよね。
もうね、うっすらな感じではあるけど。
これが先ほど言った斎藤道さんが築いた稲葉山城というものです。岐阜城に改めたのは道さんの後に信長が治めていた時に、信長がとある中国の古人に倣ってお坊さんからのアドバイスを受けて岐阜という地名にしたんですね。
これが今の岐阜県の起こりです。つまり岐阜という地名は信長が作った地名なんです。
なので今は岐阜城というふうに呼ばれています。
この見事な天守閣があるわけなんですけれども、この天守閣自体は創造の模擬天守です。
なので実際この建物が当時信長の時代にあったというわけではありません。
なのでそこはある意味イメージとして見ていただければいいかなと思います。
ただ、この岐阜城の中身というものは歴史博物館ほどではないにせよ、岐阜城の信長道さんこの辺りの歴史だったり家中だったりというのを展示している資料館になっています。
ただ何と言っても、この岐阜城の見どころというのは、眺望ですね。
この写真でも本当に登っていった先にあるお城っていう感じがあるから、それは見渡せるんだろうなということですね。
この絶景は何度見ても綺麗で、僕も7月久々に行ってきたんですけどね。
綺麗ですね、ここはね。
見野の平野を一望できる。
そうですそうです。もちろん名古屋の方まで見渡せますから。
道さんが見野の王に君臨するにあたって、この山に城を築いたというのは必然的だと思いますね。
まあそうだよね。見渡せる位置に建てたいよね。
そうですそうです。
その拠点として建てたいわけだね。
そういうことです。
眼下に流れるのが長良川になります。ここで迂回とかもやるわけですね。
なのでこの長良川を天然の堀と見立てつつ、この身の一刻、あらゆる方角を望んで、すぐに号令をかけたりできるという、そういったところをわざわざ選んだわけですね。
なのでこの城房がありますから、これ僕は行ったことないんで、あくまで情報としてお伝えしておくと、夏は岐阜城の山頂あたりでビアガーデンとか開かれるらしいんですよ。
すごい行きたいんですよ。
いいね。
だと夏はそういうわけで、なのでロープへも夜もかなり延長してあるみたいなので、夜景を見に行く人も多いみたいですね。
この月の写真もね、いっぱい出てるんですけど。
すごいね。
この写真すごいな。
すごいね。
中州の名月。でこの月をバックにこの城がそびえてるっていうね。かっこいいねこれ。
そうですね。これもやっぱり山の上にあるからこそね、できる背景ですよね。
で特にこの岐阜県というのはそれは平野なので基本はね、水戸の国は。その中にあってね、なんか突然変異みたいにこの金火山っていうものはできてるんですよ。
なのでね、もう本当に岐阜城っていうのはあらゆるところから見渡せます。
後々話す関原大垣方面から岐阜市の方に国王を走って行く途中も、もうすぐ見えるんですよ岐阜城って。結構離れてるのにすぐわかるんだよね、あれが岐阜城って。
いうふうなのでね、ここは本当に大事な場所だったんだろうなと思います。
でさっき斉藤道さんの話が出たじゃないですか。
彼はそういうわけで時を追い出してしまってね、自分が水戸の国の国首になったんですけれども、ここで終わらなかったのが道さんの人生なんですね。
だからこそまた小説にもなる物語になる人物なんですけど、これあくまでも国鳥物語とかそういった伝説に基づいて話をしますよ。
話しますけれども、国首になりました。
なった時にね、この人はとんでもない女好きでもあったんですね。
なので美人に目がないんです。
それもね、テレン手下であらゆる手を使ってナンパして、お経を唱えながらそういうこともやっちゃうようなね、やばい奴なんですけれども。
色んな人にどんどんちょっかい出すんですね。
いやでもなんかいいなすごい、キャラクター的になんかすごく豪快な感じがしていいね。
そうなんですよ、夢と野望と欲望に生きた人生なんですよね。
称賛はできないんだけど、すごく魅力的ではある、すごくわかるね。
ただ必ず報いがあるんです。
彼はね、思わぬ転落を最後してしまったんです。
この人はね、自分の子供に殺されたの。
ドラマチック。
ドラマチックなんですよ、非常に。
彼はその盆養だった自分の君主がまだ君主にもなってない、もうどうしようもない暇してる時に、この人は一応権力者ではありますから盆養だけど、
三好のっていう非常にもう絶世の美人みたいなお姫様が奥さんに、奥さんというか目掛けみたいな感じで当時のね、いたんですって。
三好のを見た堂さんは、これまた平道次郎さんがすごいんだけど演技が、もう本当にギロって蛇のように。
マムシの堂さんって後で当たらされるほどギロって三好のを見て、三好のがぞっと三田よし子さんがやってるんですけど、
ぞっとして、え?ってなって、こいつをどうにかして俺のものにしたいっていう野望を抱いて、またとんでもないゲームをやるんですよね。
とてよりのりという人物は暇人なんです、とにかく。
暇だからなんか面白くないからずっと退屈してんの。
で堂さんも最初話し相手として面白いこいつだ、教養もあるし絵のセンスもわかるし、こいつはなかなかいいなって思ってたときに、実は私堂さんは槍もできるんです。
で、好みにこの館の中にあるあの子に虎の襖があるでしょう、虎が絵が描いてあって、その虎の目の瞳に槍を刺してご覧に入れましょうと。
バサッとついてみましょうと。
そしたらときは、いやいやそんなことできるわけないじゃん、そんなもうなんめりっていう世界のものにさ、やりようってさ、無理だよ絶対。
まあ料予としては面白いけどそんなマジになんなよみたいな、絶対無理ですんなこと、本当ですか、言いましたねつって、じゃあもし私ができたらどうしますか。
そしたら、まあお前の望む恩賞やるよ、そんなできる絶対できないから、そしたらわかりました。
そしたらこれなる三好の様を私に賜りたくっていうふうに言うんです。
三好の方がえ?ってなって、そこにいるんですよ三好の、現場にいるんですよ。
で、は?ってなって、何言ってんのこいつって話になって。
で、嘘でしょ私が賭け者の対象にされてるみたいな、しかもこの蛇のようなヤバい男なんで。
で、お殿様は私のこと守ってくれるって思ったら、バカなんですよ、バカ殿なので。
まあいい、面白い座標だなみたいな、もうのんけなことを言って。
できるわけないってことだよね。
できるわけない、そう。
いやいいよ別に三好の方やるよ、じゃあそんなに言うなら絶対できないし。
三好の方からしたら、いくら冗談とも言え、自分が賭け者の対象をされるなんてびっくりですよ。
まあ嫌だよね。
嫌ですよ当然。
分かりました、そしたらありがとうございます、道さんはって言うわけです。
でも、あなた様の大切な三好の様をいただくからには、私も失敗した時には賭けをちゃんとします。
で、どうするかっていうと、私はもしこの賭けに失敗したら、そこの庭ですぐ腹を切りますって言ったんだよ。
で、は?ってなって、お前本気かよってみんななって。
物語の小説ではね、それほど稀にして命を懸けてまで三好の自分のものにしたいっていうラブコールをしたんです。
で、それで三好の方はさすがには?ってなって、この人なんか私のために命を懸けてくれてるんだ、みたいなことを言う。
まあそうか、だから時の方にはもう絶望して。
絶望して、私を賭け者にしなかったこいつ。
で、その反面道さんは命を懸けて私を欲してる。
そう、てことでトゥンクなんですよね。
トゥンクね。
トゥンクとしちゃうんですよ。
それで、どうなったかというと当然のことながら、やはり成功するんですね。
その虎に刺すものがね。
で、時もびっくりですよ。
で、え?え?いやいやちょっと待って冗談だよねって言うんだけど、武士に濁はないというふうに商品のくせに言うわけですよね。
それで結局三好のはやむを得ず本当に引き渡されてしまう。
道さんの妻には。
で、じゃあこれがなんで転落と関係あるのかっていうことなんですよ。
これは若い時の話なの。
ところが三好のにはね、重大な秘密があったんです。
これなんだと思いますか。
え?
ちょっと最初の道さんの心を聞いた後で考えてほしいんですけど。
なんだろう。
いやーでもなんか出生とかになんか関わりがあるんだろうなきっとね。
そうです。
三好のには時頼りの子を実はもうその時に宿していたんです。
はいはい。
時のお殿様の子を宿していた。
あーなるほど。
三好のだけはそのことを知っていたんです。
自分の体のことだから。
だけどそれを道さんに言わないまま道さんに届いたんです。
おーなるほどね。