1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #99-1【金沢】雨に捧ぐ思索と..
2025-04-21 58:27

#99-1【金沢】雨に捧ぐ思索と謡Part2前編

霖雨蒼生・金沢 雨に捧ぐ思索と謡2日目前編


加賀100万石の首府・金沢。工芸、アート、グルメ……と多彩な魅力が集まる日本有数の観光都市です。しかし、今日の栄華へ至るまでに、長い苦難の時代を歩み、その歴史は特殊な文化や芸術を育みました。今回は、リピーターへ向けたディープな金沢へ、敢えて“雨”の時季に訪れることで“哀しみ”が醸した特有の気分を体感します。


【目次】

〜 ONE OK ROCKのアルバムが出ました!

〜 金沢の食文化を支える市場で朝食を 【近江町市場】

〜 “通”の訪れる間で遊芸文化の真髄を体感 【志摩】

〜 “工芸+エッセンス”の優品が揃うギャラリー&ショップ

〜 ひがし茶屋街を背景に育った自然主義文学の大家 【徳田秋聲記念館】

〜 金沢カレーの代表店でルーツを探る 【インデアンカレー東山店】

〜 怪奇と幻想を纏った唯一無二の文学世界 【泉鏡花記念館】

〜 “ふるさと”を謳い上げた名文句の真意とは 【室生犀星記念館】

〜 編集時点の内田です


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⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠音楽:BGMer(⁠⁠⁠⁠http://bgmer.net⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)

サマリー

金沢の観光地や歴史を紹介するポッドキャストエピソードであり、大見町市場や東茶屋街などの名所を訪れ、それぞれの魅力や歴史について深く掘り下げています。金沢の文化と雨の日の思索がテーマのエピソードで、伝統的な遊芸文化や現代の工芸品についての考察を交えながら、金沢の魅力が描かれています。金沢の工芸文化がどのように現代に息づいているかを探求し、特にシーブレーンという時計メーカーの魅力を紹介します。また、金沢三文豪と呼ばれる文学者たちについても触れ、彼らの貢献とその背景を振り返ります。このエピソードでは、金沢カレーの歴史や由来、特にチャンピオンカレーとインディアンカレーに焦点を当てています。さらに、泉強化についてその文学の特徴や影響を探り、彼の作品が金沢に与えた影響について考察します。金沢の文学に焦点を当て、泉教科と無浪再生を中心に彼らの生涯や作品について語り、特に彼らの作品に宿る不思議な魅力や故郷への複雑な感情について掘り下げられています。

旅行プランの概要
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が行きがいな旅行ガイドブックの編集者、はるやです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、うちだです。
自分の趣味の話なんですけど、1億のアルバムが出ましてね。 久々に数年ぶりに出たんですけど、めっちゃかっけえ。
本当?数年ぶりか。 そうなんですよ。前作のアルバムが出た時に、日本でやってきたことを世界でもう一度やる、みたいな感じで。
前作のタイトルはラグジュアリーディジースっていう、贅沢病っていうね。 日本のデビューアルバムを英訳したタイトルでアルバムを作ったんですよ。
で、そこからその次の2作目みたいな感じなんですけど、なんかね、ニッチンドロームとか、残響リファレンスとか、あの頃のちょっと激しい感じの、あのロックな感じが帰ってきた感じがあってね。
世代じゃないですか、我々は。 そうなのよ。めちゃめちゃかっけえのよ。
まぁライブもね、発表されてるんで、ちょっと行きたいなっていう感じの最近ですね。 いいですね。このタイミングに出してくるの熱いですね、非常にね。
いやー、楽しみですね。 ちょっとまぁ行けるかどうか知らないけど。
はい、ということで、今回はリング創生金沢雨に捧ぐ詩作と歌いの2日目ということで。
そうか、この雨に捧ぐ詩作は前回のね、鈴木大雪間で詩作のスペースがあったわけですね。 それを指してたのかな?
うん、それも間違いなく指しておりますよね、一つはね。
で、前回の日中で江戸時代以降の金沢、石川県っていうところ、そしてそれが現在に至った国立工芸館っていうところを見てきて、その間を埋めていくこの2日目、3日目っていうことでしたけども。
じゃあそういう2日目っていうことですね。
あとこの歌いというものがね、これ、御伝に、揺らすの右側と書いていいの分かるかな?
揚曲とかっていう、要は農学の歌みたいな、そういう意味合いなんですね。 単純に湾奥の歌とかじゃなくて。
歌謡曲の揚声。
そうそうそう、歌謡曲の揚声。
これは伝統的な日本の歌芸能みたいな意味なんですけれども、これが何なのかみたいなところもちょっと今回関わってくるなという感じになってますね。
なるほどね。
じゃあ早速この2日目、紹介をお願いします。
はい。
今回ですね、ホテルは金沢市の中心繁華街、高林房の近くにとってあるという想定をしています。
2泊同じところに泊まるため、もうホテルは基本的に動かさなくて大丈夫かなというふうに思っております。
ちょっと早いんですけれども、大体8時40分頃にホテルを出発するというような想定でいきますと、大体5分ほどで高林房のバス停に例によって着きます。
こっからですね、今度はお城の北側、あるいは東側の方に今日は回ってみたいなというふうに思うわけですね、午前中ね。
というとこで、まず朝ごはんもそっちの方で食べたいと思います。
高林房のバス停、仮に8時45分くらいだとしましたら、大体5分ほど武蔵勝寺大見町市場バス停に着きます。
そして、そのバス停から徒歩すぐなんですけれども、徒歩3分くらいところにあるのが大見町市場です。
もうまさに市場だね。
大見町市場ね、非常に観光地として有名なスポットですね、これね。
まさに見ての通りね、やっぱり北陸の感じがしますよね。
カニとかね、ノドグロとかも売ってるのかな、もしかしたらね。
売ってるかもね。
ここで朝ごはんを食べれるんですか?
そうなんです。
あのですね、大見町市場ってのはそもそも何かっていうと、基本的にはね、そういうわけで小売店、お魚屋さんとかですよね、八百屋さんとかが集まっているんですけれども、実は飲食店もたくさんあるんですね。
それをちょっとマップで見てみましょうか。
こう見ていただくとですね、この辺が有名なところなんですけど、回る大見町市場寿司。
握る大見町市場寿司。
海鮮の光屋、大見町山産寿司、この有名なお店ですね、非常にね。
あとこっちの方もね、金沢カレー研究校、あるいは海鮮鶴屋さん、これも非常に有名なお店ですね。
もりもり寿司さんもありますね。
というようにね、海鮮グルメがメインにはなるんですけれども、非常に多彩な小さな飲食店がね、集まっているところになるわけです。
焼き焼きコーナーとかあるじゃん。
そうなんですよ。
これ水産会社さんでね、中にあるわけですけれども、そこで買ったものたぶん焼けるんじゃないかなと思うんですね。
ちょっと朝はやってないかもしれないけど。
もちろん全部が全部朝からというわけではないんですけれども、朝行っても絶対食べられるものはあるはずです。
もっと言うと大見町市場はね、本当に有名な観光地なので、混みます間違いなく。
なので朝一に行ったほうがいいです。
金沢に泊まっているからには朝行ったほうがいいと思います。
東京から来た方が昼から来るとかが大量にあると思うので、そこは避けたほうがいいかなと思うわけですね。
僕はちなみに百万石うどんさんとか行ったんですけど、これもすごく美味しいんですよね。
結構寒い時に秋とかに行ったりするとやっぱり温かいうどん食べたいなっていう時にね。
すごくスタンダードなんですけど美味しいうどん屋さんだったりもしましたね。
金沢プリンテとかもあるんですね。
そうそう。なのでお昼とかに行けば、もっと飲食店の幅も広がりますし、スイーツとかももう食べ歩き感覚でね。
ここだけで十分観光地として2,3時間はいられる場所になりますから。
1回目に行く方はそういったパターンでもいいんじゃないかと思いますね。
ちょっと今回はミュージアム巡りみたいな風にしてるので、今回大見町市場は朝だけの登場になるんですけどね。
じゃあこの市場の中でお好きなところで現れるという感じかな。
そうですね。そういうことになりますね。
では一応ね、この大見町市場がどういうところかっていう話も簡単にしておくとですね、
これね、加賀藩の地政化にそもそも始まっているので、約300年の歴史を誇っている市場なわけですね。
それで日本の4位だか5位だかっていう人口を誇っていて、大消費地ですから当時の金沢というのは。
これを食の分野から支えていたという流通拠点になっているわけですね。
当初はそういうわけで加賀藩の定めによってこれはできたものなんですけれども、
1904年明治時代からは県の公設市場としても認められて、ずっとその取引を続けていた。
今はこの金沢の中央卸市場は別のところに移ってしまったので、今は逆に観光地としてね、
小売り、対面販売でお魚とかを売るお店と、さっき言ったような飲食がメインになっているので、
この大見町市場の歴史を見るだけでもね、ちょっとね、やはり金沢の近代が辿った歴史を一つパーツパーツで体現しているような、そんな気はいたします。
東茶屋街の歴史
ただやっぱり本当においしいんですよね、特にお魚はね。
まあそれはね、それは市場はおいしいでしょう。
私やっぱり季節によっても食べられるものと違うと思いますので、
ちょっと僕6月の時期にあいにここ行ったことないのでね、あんまり詳しくないんですけれども、
ただ間違いなくおいしいものが食べられる海鮮丼屋さんとかお寿司屋さんはたくさんありますから、
なんなら飲んでいいんじゃないですか、日本酒この辺りからもうね。
そうか、今回はね、車乗らないですから。
そうなんですよ、そうなんですよ。
そうだね。
この良いところは車に誰も乗らなくていいってことなんで。
まあまあありだよね。
と思いますので、ぜひね、いわゆる王道スポットでありますけれども、
あえて朝に行くということでね、時間を有効活用していただければいいんじゃないかなと思う次第です。
大見町市場で朝ごはんを済ませましたら、先ほどのね、武蔵勝寺大見町市場バス停に戻っていただいて、
そっからね、北鉄バスに乗っていただいて、だいたい3分ほど橋場町というバス停に行ってください。
橋場町に行く理由というのは何かというと、
昨日ちょっと話しましたが、東茶屋街ですね。
とうとう出てきました。
そうかそうか。
東茶屋街、金沢を代表する観光地の一つと言っていいでしょう。
写真見ればこれかってなると思います、間違いなく。
ちょっと見てみましょうか。
綺麗だね。
綺麗ですよね。
非常にやっぱり美しい木造建築のね、ちゃんと統一感もあって、
それがまさにこんな感じ、雨が降るとしっとりと見えているわけですね。
この写真いいな。
これは雨の夕方ぐらいですかね。
そうですね。
やはり雨が多いと言われるだけのことはあるわけですけど。
これが東茶屋街になります。
なので、県を代表するパンフレットによく出てくる観光地なので、
なんでまた2回目にあえて行くんだっていう話なんですけれども、
今回は茶屋街の散策を楽しんでいただいても全然問題ないんですけれども、
とある施設にちょっと入りたいと思うんですね。
それが橋場町のバス停から徒歩5分ほど、東茶屋街が本当に中核にあるんですけれども、
シマという建物です。
このシマというのは、以前我々とばの銀輪の時にやった伊勢シマのシマ。
志に摩擦の間と書いて、旧国名三重県南部を指すシマと同じですね。
この施設にちょっと入っていただきたいと思います。
これも非常に有名なところなんですね。
国指定重要文化財って書いてありますね。
そうですそうです。
なんでこのシマが国指定重要文化財かというと、
これが東茶屋街が成立したその当時から残っているすごい貴重な建物になるんです。
つまり江戸時代の建物です。
なるほど。
それにしてはやっぱ綺麗だな。
そうですよね。
本当に綺麗に保存されてるんだね。
そういうことですそういうことです。
このシマというのはお茶屋さんみたいなものでして、
東茶屋街って茶屋って言ってますけれども、
何するところかっていうと、
金沢の街に暮らした町人とか商人ってすごいお金持ちが多かったんですよ。
これなぜかというと、
昨日お話した通り金沢の経済圏を担っていた人たちなんですよ。
武士だったり藩主だったり、あるいは町人に対していろんなものを売ったりっていうようなことが、
経済圏としてガンガン回っていた経済都市だったので、
それを担っている商人たちはお金もあったんですよ。
すごい金持ちだったんです。
そういう人たちが遊芸遊んで芸事をいろいろやったりとかっていう、
そういう遊び場として東茶屋街というのができた。
もともとそういう場所は金沢の城下の中心地にあったそうなんですけど、
あまりにもみんなそこで遊ぶもんだから、
風紀が乱れるというふうに藩が問題視して、
なのでこの川を挟んだ一角に集められたんです。
金沢というのは北の浅野川、南の西川という川にそれぞれ隔てられて城下が守られていて、
東茶屋街は見事に川を渡った先にあからさまにあるんですよ。
本当に川の向こうに追いやられた感じ。
そういうことです。
逆に言うとここに集まっている以上は藩も黙認します、営業を許可しますということで、
ここでみんな一気に行っちゃいちゃおうとなるわけです。
かわいそうに武士は行けなかったそうです。
風紀が乱れ、加賀藩のプライを許さなかった。
だからあくまで長人とか少人が遊んだ場所だったんです。
これが東茶屋街です。
それができたのが1820年頃と言いますから、
高田家兵衛が北海道でロシアの船に捕まったのが1811年とかなので、
大体あれくらいの時期ということです。
金沢の遊芸文化の紹介
幕末に差し掛かるちょっと前くらいのものですね。
この時の年表をぜひ確認いただければ何となくの時代感がわかるようになるかと。
200年前の建物ですね。
それが残っていまして、中も全然入れちゃうんですね。
ただやっぱり本当にすごい貴重な文化財なので、
確かなんだけど、入る時に玄関みたいなのが一回入るわけですけど、
そこで手荷物とかは基本預けるんだったと思うんですよね。
要はリュックとか背負って行っちゃって、
万が一にも襖とか傷つけちゃったら大事なので、
そういうことがないようにということで、
ちゃんとそういった配慮をした上で入るべきな場所で、
ただその代わり、実際に中をいろいろ案内もしてくださったりしますので、
当時の神奈川に栄えた遊芸文化、遊ぶ芸事の文化ですね。
っていうので、そこにいらっしゃった女性とかと商人たちが、
みんなすごいいろんな音楽だったりで遊んだっていうようなね、
そういった文化が体感できるということ。
この弁柄っていうのは神奈川のテーマカラーみたいなものですね。
高貴であり、かついやらしくない派手さもあって、
豪華な感じですよね、非常にね。
ここで遊んでたんだね。
ハナレ。
まさに今開いてくださったんですけど、
ちょっとね、僕が実際って非常に覚えてるエピソードがあって、
それがこの2階にあるハナレなんですね。
見てみると、さっきの広間とか弁柄の赤色で、
すごい派手な感じでゴージャスな感じだったと思うんですけれども、
このハナレはね、漆もかかってない白木作りということで、
すごく落ち着いた、ある意味は地味と言えば地味な作りになってるんですけれども、
ここが実はね、なかなかの2の間だったと言うんですね。
今の大河ドラマ、ベラボをご覧になってますか?
それね、録画だけしてるんだよね。
これね、ちょっと話しとりますけど、すごいよ今回。
これ傑作ですよ、今回。マジですごい。
見たいと思ってんだよね。
めっちゃいいよ今回は。
あれは吉原の話なので、
ちょっとこの遊芸文、これ誤解されがちなんですけど、
これ全然違うものです。
向こうはやっぱりその、吉原はやっぱりその、
性というものがね、まつわるものだったんですけれども、
これは遊芸なので、あくまでこう宴会なんですね。
金沢の東社会から。
だから全く別物です。
ですけれども、やっぱり吉原の方でも、
そういった風になる前に、男の人たちがいろいろ読んでね、
最初はこう宴会とかから始めて、
その後にっていう風になるわけなんですけど、
その宴会のシーンとかでよくね、
ツタチュウがバカにしてるわけですよ。
あいつは野暮だと。
あんなの枯れ払いじゃないぜおやすさ。
って高橋勝美に言うんですけど。
で、あれはいいかもだなみたいな。
何も知らないで金ばっか使ってくれやがる。
っていうやつもいれば、一方で市原ハヤトが演じるね。
盲目なんだけれども、すごいツーなんですよね。
だから、その女性たちを楽しませる術をね、
もう心得てるすごい人たちがいて、
この人たちはみんな、小柴風華がキュンってなっちゃうっていう。
そういうツーと野暮みたいなね。
で、その野暮なバカな格好だけつけてる、
全然物の通り分かってないやつのことをみんなバカにして、
それを漫画で面白いってなってるわけなんですけど。
そういうことがこの金沢にもおそらく起こり得たと思っていて。
この離れはね、そのツーたちが来る特別な場所だったと言いますね。
で、どういう特別なものがあったかというと、
ここにね、気づきますかね。
控えの間っていうのがありますよね。
あるね、その離れの部屋に入る1個前に控えの間っていうのがあるね。
もちろん広間にもその控えの間あるわけなんですけど、
ここは実際に言っていただくとね、
女性たちが使った太鼓とかね、こういう楽器とかがしまってあって、
要はそこで講義室みたいなもんですよね。
ショータイム、楽屋ですよ要は。
まあ分かりやすく控えの間で、
それで用意ができたら進むわけじゃなくて、
それでこの広間でわーってやって、
この廊下はちなみに外に面してるので、
夏はここに風が入っていて気持ちいいですね。
っていうのをやってた。
その廊下を隔てて、
ちょっとこの離れたところにひっそりとね、
小さな離れに何をしたかというと、
影笛と呼ばれるものをね、
通の金沢人たちが遊んだっていうんですね。
これ何かっていうと、
みんなでこのパーティーしようぜっていうのを広間でやってたわけですけど、
このちょっと年を取ったもう、
遊びに慣れた通人たちは、
ここで静かに1人でね、この離れでゆっくりとお酒を飲む。
じゃあそんなことして楽しいのかって思ったら、
その静かで夜で深まって、
この廊下の先には若い兄ちゃんたちが遊んでる。
それを聞きながらゆっくりとお酒を飲んでたら、
密かにその控えの間から、
何者ともつかない笛の音が流れ始めるっていうんですね。
それを魚に通の金沢人たちは、
ここで酒をしっぽに飲んだという。
じゃあ控えの間でなんで笛が流れるんだって話なんですけど、
ここの控えの間にいたのは、
もう年を結構召されて、
むしろ運営側に回った熟練の芸育たちが、
顔は見せずに、
この自分の笛の技量だけを、
この控えの間の襖越しに渡したっていうんですよ。
つまりみんなでパーティーやって、
若い女の子と男でこうやろうっていうんじゃなくて、
もうお互い歳をとった熟練の者同士、
遊び方も遊ばせ方も全て手だれになった、
本当の通人たちは顔を合わせずに、
酒と音だけでね語り合ったっていうんですね。
このための部屋があったという。
いや、これね、この構造的にやっぱり、
離れの部屋に入るためには、
控えの間を通らないといけないじゃないですか。
そうなんです。
だからそんな楽屋を通っていいのかなと思ったけど、
なるほどね、そういうことなのね。
もうプライベートなんですよ。
若いあんちゃんたちが入っていいとこじゃないんですね、逆にね。
へー、面白いね。
これを影笛と称したそうなんです。
影から聞こえる笛の音を魚に飲むってことね。
だからまあいろいろ想像たくましくするならばね、
かつてちょうど20代30代くらいで、
商売バリバリやって、遊びもバンバンやってる人たちで、
お互い知り合った店のなじみ、
芸妓としてあるいはお客としてが、
それぞれもう熟練した上で、
もうお互いのもう心情も全部知り抜いた人たちが、
2人だけでこの影笛を楽しんだっていうんです。
へー。
その部屋が残されてるんですね、当時とも。
だから行ってみると広間のゴージャスな感じと、
このギャップがすごく不思議に思う、
変なところだなと思うと、
そういうエピソードが昔はあって、
こっちごとが本当の遊びだったと。
現代工芸品へのアプローチ
いやー、そんな大人になってみたいもんですね。
そうですね。
まだ広間にすら入れないような人たちなのに。
本当よ。
玄関を上がらせてくれるのかが怪しい感じなんですけれども。
いやー、それを建物で見れるの面白いね。
そうですそうです。
で、もちろん当時の身長とかのままなので、
まさに今年の大映画ドラマとか見てる人は、
料理臨場感がね、味わえると思いますね。
へー、面白い。
というのが四島というもので、
これ王道なんですけど、
非常に金沢の遊芸文化を対比や関する非常にいいスポットです。
余談ですけどね、
さっき朝ごはん食べたんで、
ちょっとブランチないですけれども、
この島の中にね、
これ新しい建物だと思うんですけど、
お茶室みたいなのが併設されてて、
そこで掘りごたつに座って、
壺庭を眺めながらね、
オーダーすると抹茶とかね、
金沢和菓子もすごいんで、
声を出してくださるんですよ。
へー。
なのでそこでこうしっぽりね、
その影笛のこととか考えながら、
お庭を見ながらね、ゆっくりお茶を飲めたりもします。
へー。
なのでね、これも朝早く行ったほうがいいです。
そうね。
混みます、昼とかになってくると。
いいなあ、そこでお茶飲めるのいいね。
そうですね。
朝ごはん食べてちょっと休むためにね、
お茶を味わうというのがいいんじゃないかな、
という気がいたしますね。
ようやく東茶屋が混んできたなと思って、
雨も降ってきたので、
やっぱり我々はちょっと穴場と言ったら失礼ですが、
ちょっとね、よりディープなね、
金沢のミュージアルに入っていきたいと思います。
島さんから本当もう初向かいくらいなんですけれども、
徒歩1分ほどで着くのが、
金沢三倉です。
はあ、これまた工芸品を扱ってらっしゃるのかな?
その通りです。
これは現代の金沢ですね。
いやあ、すごいなんか、これとかすげえ細かい。
これ何だろう?
はい。
のとひ箱。
うん。
これ木を切り抜いてるのかな?
そう、木の切り入れみたいなもんですね。
のとひ箱の箱ってことですか。
なるほどね。
これでこの金沢駅の様子をきれいに表現してるんですけど、
わあ、細かいなあ。
この金沢三倉さんというのは何かというと、
石川を中心に北陸地方の伝統工芸にプラスエッセンスとなっている一品たちを販売しているセレクトショップなんですね。
このプラスエッセンスとは何かということなんですけれども、
つまり、我々が昨日、クラフィートさんとかでも見ていた通り、
金沢中心に北陸前田半寮というのは非常な工芸文化、伝統工芸が各地で栄えていて、
その技量は皆さん通じているわけなんですけど、
やっぱりそれもね、これまでも土台ポーズのやつを見ていましたけれども、
現代の需要に合わせる形にしていかないと、やっぱりなかなか認められない、広まらないというのが課題になっている。
なので、作家さんたちも現代の感性を取り込んで、伝統の技術と現代のデザイン、ニーズというものに唱えるもので、
伝統プラスワンっていう、このプラスエッセンスっていうのが、この金沢三倉さんのセレクトする基準になっているということなんです。
伝統っていうところだけじゃなくて、ちょっと現代ナイズというか、今にも使える工芸品ということね。
そうです。特にね、僕がこの金沢三倉さんで非常に感銘を受けたのがあって、これがシーブレインっていう時計なんですね。
これすごいんですよ。僕時計って全然興味なくて、腕時計とか今まで使ってないんですけど、これは欲しいかもって思った。
綺麗な青というか紺ですけど、これはどういう工芸品なんですかね。
工芸品の魅力と感銘
これは腕時計のわけなんですけれども、この時計のなんていうか、ちょっと僕名称がわかんないんですけど、下になっている地のところには岩絵具を使っていて、これが美しい青を使っているわけですね。
そこにこの水地のところの、これは点になってるけどね。
これが金箔だったりするんですよ。
そうなのね。
そして、あとはこの漆でコーティングされている部位もあったりとかっていう。
要は金沢が培ってきたいろんな伝統技法を掛け合わせて総結集させて、現代の素晴らしいセンスに生まれ変わらせたっていう時計メーカーさんでね。
これちょっとね、有限会社シーブレインさんのページを見ていただきたいんですね。
ちょっと金沢三倉さんから離れるんですけど。
綺麗な時計。
これとかもね。
いいな、めっちゃ綺麗だな。
すごいですね、グラデーションがね。
これは何なのかしら。この文字盤のところがすごい綺麗なグラデーションになってるんですけど。
これは?
これも岩絵具なのか。
岩絵具って要は陶器とかの絵づけに使ったりするので、くた煮焼きとかね。
そういったところに由来してると思うんですよ。
めちゃめちゃ綺麗だな。
これめっちゃ綺麗じゃないですか、この時計。
これはプレゼントとかにいいんだろうな。
そう。
で、あと特にね、これこれ。
置時計ね。
そうなんですよ。
これね、誰かの新居祝いとか結婚祝いとかめっちゃいいと思うんですよね。
いいね。
これいいな。
で、当然この周りは木材になってるわけで、ちょっとこれも見てもらいましょうか。
これも要は器を作るね、木工の技術を生かしてるわけですよ。
本当だ。本当に器みたいな形になってますもんね。
ね、可愛いフォルムですよね。
そう、こうやってね、結婚祝いとか出産祝いとか。
これ裏側にあるのもなんかいいよね。
そう、すましいですよね。
へー。
めっちゃいいじゃんこれ。
僕ね、次金沢行ったらここの工房ね、工房を予約すると見学できるそうなんですけど、行きたいんですよね。
へー。
これめっちゃいいなって思って、結構見とれちゃいました。
へー。
これを金沢みくらさんでね、あの展示やってて、それでね、知ったんですよ。
シーブレーンさんっていう会社を。
うんうん。
めちゃくちゃいいと思ったこの。
いや、これはいいよ。
欲しいよね、これ素直に。
うん。
で、あとすごいのがこれね、金。
はー。
金箔なんですよ、これ。
文字盤がね。
そう。
へー。
これはちょっと豪華な感じだよね。
ね。
はー。
いやでもね、なんかいやらしくはないんですよ。
そうそうそう、そうなんですよ。
上品な感じで。
うん。
木目帳みたいな感じに。
そうなんですよ。
かっつえるんですね。
あとはね、これ和紙ね。
あー。
紙を加工して。
文字盤がね、その和紙の感じで。
うん。
はー。
いや、いいね。
うん。
そしてね、この写真見てほしいんですね。さっきの。
あー、はいはい。
はい。
弁柄ですね。
弁柄。
やっぱ金沢を代表する、要はあそこに昔はね、カリブリとかやってた時代は多分江戸時代の加計塾とかがあったんでしょうけど、
今のね、金沢のこの遊芸文化に時計を床の間に置くっていう提案をして、置くたらこれ映えますよね。
いいね。
存在感ありますよね、この時計でね。
はー。
いやほんとね、上品なんだけど、しっかりその使われてる工芸品をしっかり前面に出してるっていう感じの、いいバランスというかね、上品ですよ。
そうなんです。これがね、シーブレーンさんなんですね。
はー。
でもちょっと話がだいぶそれちゃったんですけど、こういうね、つまりシーブレーンさんに限らずね、北陸地方のこういったプラスエッセンスを加えられた伝統に基づく現代の魅力っていうのをすっごい数ね、しかも丁寧に展示されてるんですね、この蔵の中で。
金沢三文豪の紹介
はー。
なので一覧見ていただくとね、化粧品とかもあるんですよね。
ほんとだ。
木工があって、これは越中の鈴ですね。
あと傘もね、越前の傘ですよ、これもね。
漆器もありますし、農作、これは高岡の非常に有名なね、いつかやるでしょう、たぶんまた。
落雁、お菓子もあるね。
あー、落雁ね。
うん。
面白い。
これね、もうミュージアムですよ、正直言って。
ショックなんですけど。
そうね。
すごい時間かかりました、一個一個見ていくと。
はー、なるほど。
しかもさっきのシーブレーンさんもそうなんですけど、作家だったり会社がどういった技法を持って何でプラスエッセンスなのかっていう根拠をちゃんと丁寧に展示しておいてくれてるので、
もうグーグル左でずっと会社調べてました。
興味などがありすぎて。
なるほど。
シーブレーンもそうだし、他のね、実は香川地方に行く途中に木工のとこに僕も寄ったりしたんですよ、これ見たものをね。
っていうね、すごくいいショップです、ここ。
へー。
いやー、これはやっぱ自分のお土産にしたいね。
そうですよね。
うん。
こういうものをやっぱ生活に取り入れたいもんね。
うん。
はー、いいっすね。
はい。
なのでちょっとね、王道スポットではないかもしれないんですけれども、ぜひここでね、北陸金沢の工芸文化というものを手に取ってね、体感していただいて、
あるいはここでお土産を買ってもらってもいいんじゃないかというような気がいたします。
はー。
うん。
で、金沢三倉さんから徒歩5分ほど浅野川の川の方に降りてきます。
はい。
ところにあるのが徳田修正記念館です。
徳田修正という人は分かりますかね?
分かんないっすね。
そうですよね。
これもう俺、分かる人出てくることあんのかなって思うけど。
はい。
まあ一応ね、文学誌とかよりね、あったはずなんですけどね、現代文のね。
うん。
うん。
徳田修正さんもそうなんですけど、今日これから見ていくのは金沢三文豪と呼ばれる文学の話です。
いやー俺、本も読まないからね。
うん。
ちょっと分かんない気がするけども。
はい。
はい。
実はね、金沢には明治から昭和にかけて非常に優れた文学者が多く出ているんですけれども、
その中でも際立った功績を残したね、3人のことを金沢三文豪って今呼ばれてるんですね。
はいはい。
そのうちの1人がこの徳田修正さんです。
うん。
で、この3人に共通していることは何かというと、当然金沢に生まれたということ、これはまず1つですね。
そして、一番苦しい時期の金沢に生まれてるんですね。
あー。
うん。
つまりもうみるみる衰えていく金沢のありさまというのを肌身に感じていながら、そこから文学を起こしていった人たちなんですね。
だからみんなそれぞれ持ち味が違うんですけど、共通する根っこみたいのは何かちょっとあるようなね。
そんな気はしていますね。
で、徳田修正さんというのはその中でも特にね、自然主義文学の大化として知られて、これの理由で教科書に載っている人ですね。
自然主義文学というのは、島崎東村とか田山家大という人が多分有名なんですけれども、
近代の日本の文学において、自分のありのまま、人間の心を何も最高に加えずにありのままを表現したらどうなるのかっていうね、
そういう朝鮮的な文学の流派のことを言って、それだからこう近代人の自覚みたいなことでたまに文学史とか出てきますけれども、
要は何も最高に加えないっていう建前があるので、もういやらしいことも黒いこともダークなことも何もかもありのままに書いちゃうっていうような文学なんですよ。
そこにただ日本がその激動の時代で近代化していく中に見られる人間の良さでもあり、悪さでもあり、悲しさであり、やらしさでありっていうのをすべて表現したから、
それが人間の心理をついてるっていう評価を得るわけですよ。
それの代表的な作家は徳田周星です。
なのである意味、これまでの近世までには存在しえなかった文学の潮流というのを起こしたような人とも言われているんですね。
この人は実際この記念館のあたりに生まれているので、つまりこの東茶屋街とかの有様をよくよく見てるんですよ。
じゃあやっぱその飲み屋街みたいな感じだったろうから、そういうところで見える嫌な部分とかダメな部分とかそういうのを見てそれが小説に入ってるっていうことですね。
そういうのが根底になって、もちろん金沢を舞台にした小説だけではないんですけれども、
東京に出て大崎紅葉という有名な文学者について自分の近代文学を起こしていく。
っていうので一見なかなか馴染みのない方かもしれませんけど、
この徳田周星記念館に行っていただければこの人の人生だったり、あるいは代表的な作品がどういったものかというのを知ることもできます。
有名なところで言うと、この徳田周星がいかに評価されてたかっていう点で言うと、
この徳田周星記念館の近くに周星の文学碑があるんですね。
それを混流するときに、ノーベル賞作家として有名な川端康成さんっていますけれども、
この人がこの徳田周星をめちゃくちゃ尊敬してたんですね。
日本の小説は源氏、これ光源氏、つまり源氏物語ですね。
始まって採角、これは伊原採角という国境話を書いた江戸時代の作家です。
に飛び、採角から周星に飛ぶといったふうに。
つまり日本の文学、古代、近世、近代っていう時代ごとに代表的な誰かを選べって言ったら近代はこの人だって言ったんです。
それぐらいの作家なんですね。
知らなかった。
っていうことが、この文学碑を建てるときに川端康成さんが講演で話したという、そういった場所でもあったりします。
なので、ぜひなかなかなじみがなかったとしても、金沢に来たからにはこの金沢三文豪が何者だったのかっていうのをぜひ知っていただくといいんじゃないかなという気がします。
というのが徳田周星記念館でした。
金沢カレーの特徴
こうしているうちにお昼を食べたくなると思いますので、この東茶屋外でお昼を食べてしまいましょう。
徳田周星記念館から徒歩5分ほどバス通りに戻ったほうですが、インディアンカレー東山店があります。
カレーね。
おなじみな感じがありますけれども、どうですか?金沢カレーってどういった特徴が魅力があったりしますか?
銀皿でちょっと黒目の、味濃い目のカレーで、あとキャベツが乗ってるみたいな感じですかね。
そうですね。もう今のが勘にして用を得てると言いますか、そういうことになりますよね。
あとはよく言われるのは揚げ物がだいたい乗っかってたりしますよね。
GOGOカレーさんなんて東京でもよく見ますけれども、とんかつが乗ってるのがだいたい推しだったりするじゃないですか。
だからとんかつが乗ってキャベツがあって、そこにとんかつソースが乗っかってて、それとは別にルーも浸されてるっていうようなね。
ちょっとルーの粘度が高い。
つまりサラサラじゃなくて割とねっとりとしたね。
そういった絡みつくようなルーだったりが、銀皿のフォークと融合したような特殊なね、これが金沢カレーですね。
ということになるわけで、インデアンカレーさんは金沢カレーにおける非常に有名な店舗で、その東山店に今回はお邪魔をしたいというふうに思うわけです。
ところがね、昨日のハントンライスじゃないんですけれども、この金沢カレーもね、実は謎が多い食べ物なんですね。
金沢カレーの歴史
これはね、やはり有名なチェーン店であるチャンピオンカレーさんのホームページにね、金沢カレーの歴史っていうページがわざわざあるんですね。
で、ここで金沢カレーの歴史、一つの説というものを提示してくださってるんですけれども、この源流と歴史をちょっと見てみましょう。
この写真見てください。
これ何だったかっていうと、今ね、我々55カレー有名だと思うんですけど、石川県内には55さん以外にもいっぱい金沢カレーの有名なお店あるんですね。
それがチャンピオンカレーであり、今回のインデアンカレーであり、あといえばカレーの市民アルバなんてのもあるんですけれども、
この人たちの創業者はなんとね、同時期に同じ厨房で働いてたんです。
全員が。
つまり、このレストランニュー金沢っていうのがもういもはやとっくにないんですけれども、70年ほど前にあったとあるレストランの厨房で、このうちの誰かが考えたものだって言われてるんです。
で、そこで働いてた人が後にそれぞれ金沢カレーの名店を作っているっていうことです。
つまりみんな仲が良かったか悪かったかは知りませんけれども、ただ同僚だったんです。
みんな同じ会社にいた人がそれぞれ金沢カレーを起こしたっていうので、この厨房で一体何があったのかもはやわからないんですけど、間違いなくこの集合写真が何か物語ってるんですね、歴史的に。
じゃあそこで生まれたかどうかわかんないけど、何かしらの源流はここのレストランニュー金沢にあったんだろうっていうことだよね。
間違いないでしょう。なのでこのチャンピオンカレーさんの創業者もいらっしゃるわけなんですけど、ご自身でこの金沢カレーの元祖は諸説あるっていうのはもう最初から一知やってるわけですね。
一般的にはこの田中さんっていうこのチャンピオンカレーの方とかがかなり初手だったと言うんですけれども、一説にはこのインディアンカレーさんだったっていう説もある。
少なくともインディアンカレーは当初養殖屋の一つのメニューとして出されていた金沢カレーをこの金沢カレーの専門店として改良したのはこのインディアンさんが初めなんじゃないかと言われている。
それがこの野村さんという人だった。ここに写真もいらっしゃいますけれどもね。なので諸説あるうちの一つの元祖かもしれないお店がこの我々が行くインディアンカレー。
この辺りドラマとかになったら面白いと思うんですけどね。不思議なんですよね。なかなかないパターンだと思います。一つの厨房でみんながいたっていう。
ただインディアンカレーさんもご多分に漏れずいわゆる金沢カレーのとっても美味しいお店になりますのでスタンダードの金沢カレーがいただけます。これはとんかつが乗ってソースがかかって美味しそうですね。
これのイメージがやっぱあるね。とんかつがちゃんと乗っててちょっと黒目のカレーで。
なんですけどねこのインディアンカレーさんのオリジナルではないのかもしれないけど結構名物と言われているのがこの野菜卵カレーというのがあったりしますね。
これ要はオムカレー風なものなんだけれども野菜がたっぷりね卵とじの中にあるというね。ちょっとまろやかなタイプの金沢カレーでこれなかなか見たことないんじゃないかなと思うんですね。
そうだね。これ何の野菜なんだろう。ピーマンとかなのかな。
なんかそんな気がしますよね。
気になるな。
ということで3日間もいるからにはねやっぱり1回は金沢カレーを食べておきたい。
そしてなかなか東京とかでは食べられない地元のチェーンで食べたいということでこのインディアンカレーさんをね。
幸い東茶屋街にね店舗がありますので今回はおさせていただきましたがここも非常にちっちゃいお店なんですよ。
なので大人数じゃまず入れないですね。
1人だからこそ行けるって思ったほうがいいかなというふうに思います。
甘そう。腹減ってきたな。
ちょっとね時間的にね。
というふうなインディアンカレーさんでした。
インディアンカレーの魅力
そっから徒歩5分ほどこれね浅野川を渡ります。
つまり東茶屋街のルートを抜けてですねこの橋を渡るインディアンカレーこの辺にあるんですね。
渡っていただいてこのちょっとね西側に寄っていただいたところこれもね昔の街並みの中を通っていくんですけれどもそこにあるのが泉強化記念館です。
泉強化というのはねこれね今でも非常にファンの多いねすっごい個性の強い作家ですね。
泉というのは一文字の泉川区の泉で強化というのは鏡の花と書くんですね。
なんかこのペンネームからどういった物語かって連想されますかね。
わかんないけどその情景とか風景みたいなのを通してなんか人の心情を表してたんじゃないかなみたいな。
なるほどね。
想像ですけど。
もちろんそれもね一つにはあるんですけどもこの人の持ち味はねこの3つの文字のどれに表れているかというと僕が一つわかりやすいと思うのは鏡です。
鏡の物語つまりこれね怪奇文学怪談とか幻想文学なんです。
なるほどそれで鏡なのかもしれないってことね。
これね実は我々一度だけこの泉強化の演劇を見てるんですよ。
うちの中学1年生だか2年生だかに。
バンドー玉砂風呂さんが演じた荒野ひじりっていう物語を我々歌舞伎研学で言ってるんですね。
俺言った覚えないんだよなそれ。
あほんとじゃあもう2位だったのかな。
かなわかんない。
そのバンドー玉砂風呂さんが講演されたのがこの泉強化のね荒野ひじりというもので。
バンドー玉砂風呂さんこの強化の文学すっごい詳しくてご自身でも何度も演じられてて。
なので金沢のねゆかりが深くてプロモーションとかにもなんか手伝いされてるようなんですけど。
なぜこの強化の文学が人を引きつけるのかということなんですけれども。
これはですね強化の追い立ちというものに非常に密接に関連してるんですね。
でこれもやはり徳田修生と同じようにこのほぼこの場所でもういわゆる金沢がどんどん衰えていく。
その有様の中に生まれたんです。
でこの人はどういう家系に生まれたかというとお父さんは貯金師だったんですね。
つまり金の採掘師だった。
でお母さんはお母さんの正式に言うと実家は金沢藩の太鼓方とか言って。
要は芸とかを伝統芸能みたいなのを伝授する係みたいな。
そういった家系に生まれてるんです。
そうなるとどうなるかっていうのは大体想像がつくんじゃないかと思いますけれども、この時代に生まれてしまったという。
だいぶ厳しそうでは。
時代的にはね。
そうなんですよ。
つまり昨日ね申し上げた通り金沢の経済というのは江戸時代の経済文化の中に生きていたものなので、
この鷹が外れて近代化してしまうと一気に衰えていった。
その煽りを諸に受けたんです。
強化の家というのはね。
不幸が重なるもので、お母様が若くして亡くなってしまったんですよ。
この強化はね幼少時からこのお母さんのことがすっごく慕っていたそうなんですけど、
それとすごい不本意の形で若くしてね、お別れをせざるを得なくなってしまった。
これが強化の精神に決定的な何か大きな暗闇を落としていったんですね。
強化の文学というのは、要はいろいろ怪奇幻想あるんですけれども、
一つテーマとして痛感しているのは、お母さんに対する憧憬なんですね。
つまり、失われてしまった人、幽霊とかになってしまったかもしれない人を
死後して追い求めていく人たちとか世界の話っていうのを書くんで、
すっごく全体を通して悲しかったりするんですよ。
単純にホラーとかっていうことではなく、
生きてる人が亡くなった方に思いを馳せるというか、
っていうような話が多いんですか?
そういうことですね。
それがただどういった感が応じるのかの仕方によって、
それが鬼となって現れる時もあれば、
その優しかったその時の女性のままに主人公を救ってくれるようなね、
霊として現れる時もあればっていう、そういうふうなもので、
すごい美しい悲しい物語と、めちゃくちゃ怖い鬼となって現れてしまった。
いわゆる能学に近いんですよ。
能学っていうのも恨みを持ったままの幽霊が現れて舞うっていうのがね、
ゼアミが得意とした手法ですけれども、
それに近い江戸時代の時の非常に遊芸文化とか和の趣の中に、
泉強化の文学
黒黒と巻いていた人間の悲しさと欲望と苦しみっていうのを、
幻想世界に描き出したっていうのがこの教科の文学で、
これ誰でも真似できないんですよ。
だから今でもタバサブローさんがずっとこれをやり続けてる。
この教科に影響を受けた作家ってめちゃくちゃいるんですよ。
これが結構現代にも通じているものであるので、
金沢三文豪の中でも特に有名でファンの多い作家じゃないかと思いますね。
読んでみたいなっていう気持ちはありますね。
ただこれね、もう一つ特徴的なのは、めちゃくちゃ読みづらいんです、教科の文章。
これね、独自の文学で、貝の穴にカッパのいることって引いてもらっていいですか?
例えばこことかすごい。
しょぼけ返ってうごめくたびに、しゅうしゅうと陰気にかすかな音がする。
腐った肺が息になるのか、ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響きであろう。
傘の古骨が風に軋むように、しゅうしゅうと不気味に聞こえる。
し、や、し、し、し。えい声をあげて、こっちは陽気だ。
手頃な丸田んぼを差し担いに、両足の半裸体のがっしりした若者が二人、真ん中に一尾の大漁を吊るしてきた。
とかなんか。
要はね、ちょっとわかりますかね、何が言いたいか。
言葉遣いとかで、今にない言葉遣いだったりとかして、ちょっと情景を思い浮かべるのに体力を使うというか。
そうですね。
そしてその言葉遣いもさることながら、文の切れ目なんですよね。
苦闘典の打ち方。
これね、誰が見ても教科の文章だってすぐわかる。
こんな特徴的な使い方っていないんですよ。
たぶんこれとかね。
しばらくすると薄積みをもう一掃けした水狸の牙をおっかなびっくりといった形で両足らが鏡越しに引き返した。
手ぶらでその手つきは体積投入を取り返すとの構えではない。
土壌がいたら抑えたそうに見える。
丸田ぐるみ、どか押しで逃げた。たった今。
いや、逃げたの騒楼の赤ふんどしにも恥をかし。
ちょっと入ってこないなっていう。
入ってこない。
ちょっとあるね。
これどういうことかっていうと、これ教科の文章としか言いようがないんですけれども、江戸時代とかに東海外とかで言われていた歌とか遊芸の曲をね、文章にしてるんですねこれ。
なるほど。
の影響を受けてるんです。
歌詞を元にみたいな感じなのかな。
があるんじゃないかと思われる。
いや、逃げたの騒楼の赤ふんどしにも恥をかしとか、語呂がいいと思いませんか?やたら。
確かに確かに。
つまり文章として我々が現代文として読むと、何でこんなのが切るんだって思うんですけど、それは5757市とかに実は都道府に並んでたりするんですよ。
っていうことが江戸時代と現代日本の本当にこの間をどっちも取ったような不思議な文章なんですよ。
これは教科が自分のお父さん自身が懲禁書としてまさに金沢経済家にどっぷり使ってたってこともあるし、お母さんは芸能関係者の家に生まれた。
そして川向こうにはいつもどんちゃん騒いで歌が聞こえてくる東海外がずっとある。
そして金沢は今暗くて悲しいことが多い。
こういった諸々が混ざり合ってね、この教科の文章ってできたんです。
これはちょっと難しいな。
泉教科の魅力
難しいですね。なので非常に読むのは大変なんですけど、じっくりゆっくり読んでいくとね。
僕の感想だとやっぱり最初は文を読むのが大変なんですよ。
だからあらずじょ追っていくのが大変なんだけど、読んでいくと4分の5分の4くらいかな。
言った時に急に話の筋と急に緊迫した場面になったのが分かって、そこで妖怪とかが出てきたり幽霊が出てきたりして、そして何もいなくなったみたいなね。
そんな感じで終わるんですね。だから5分の4は正直あんまり覚えてないんですよ。
最後の5分の1がめっちゃ印象的だったんですよね。
そこに行くまでの動線が長いんですけど、丁寧に読んでいくとね、その不気味な何かが現れる感じっていうのが、この怪しい不思議な文章から徐々に立ち込めてくるんですね、教科からね。
なんかねやっぱりただの文章じゃないよね。別の技術なんですね、教科の文章っていうのは。
この短編のタイトルもね、「貝の穴に河童のいること」っていう非常に不思議なタイトルなんですね。
意味ありげ雰囲気もあるしね。
そういった人なんですね。そしてこの人は本当にね、この金沢のこともよく書いてます。
特にそのお母さんの話だったりとか、橋のたもとにこれ記念館建っていますけれども、この橋にね不思議な人たちがいたっていう話とかも書いてるんです。
雨の濡れて、なぜこの人は立ち去らないんだろうとか、雨、川、橋、暗い金沢、こういう状況をねずっと書き残してるんです。
なのでまさにこの近代の金沢のね、生んだ文豪なんですよ。
ちょっとやっぱ不思議な魅力、ミステリアスな魅力があるね。
ミステリアスですね、非常に。
っていうような人でね、もし興味のある方はね、泉教科短編集とか、これもうとっくの前になくなってる方ですけど、今でもね、アンソロ誌が出たりするぐらいね、やっぱりもう唯一無二なんですよね、この人の魅力はね。
っていう人なので、興味があればね、立ち寄っていただけるといいかなと思います。
無浪再生の詩
そしてね、泉教科記念館を見学終えましたら、だいたい東海岸の方はこれで終わりです。
ので、ちょっとね、いびつにはなるんですけれども、今回ちょっと文学を無理にまとめたいので、少しバスで西の、昨日いた方にね、またちょっと戻りたいと思います。
具体的に言うと、泉教科記念館から徒歩3分ほどで橋場町のバス停に行きました。
そこで北鉄バスで10分ほどで、高林房、あるいはちょっと行って片町というところまで行ってもらっても大丈夫です。
このあたりはもうカスタマイズしてもらえればと思うんですけど、例えばね、金沢三倉さんでお土産を買って荷物が多いとかってことであれば、途中で高林房に寄ってホテルに荷物を返してから歩き始めてもいいだろう。
実は荷物全然ないですよ、あるいは時間無駄にしたくないですよって方は、最初から高林房で降りずに片町まで行っちゃってください。
で、片町のバス停からね、徒歩6分ほどにあるのが、無料再生記念館です。
もうおのずとわかると思うんですけど、これが金沢三文郷の3人目になります。
で、無料再生というのは、これも教科書に載ってる人なんですけれども、有名どころで言うと、この人はね、詩人としても非常に有名な人なんですね。
そしてね、ちょっと地図を見ていただきましょうか。
今我々どこにいるかというと、再生の道なんてのね、あったりしますね。
そして無料再生記念館はここにあります。
つまり、さっきは東茶屋街と浅野川の方に生まれた文学を見たんですけど、今度はね、逆なんですね。
西茶屋街と西川に生まれたものを行きたいと思うんです。
で、この無料再生という人は何者だったかというと、これもね、やはりね、金沢が暗くて徐々に立ち直るかなーくらいの時に生まれた人なんです。
ちょっと年代は新しい人なんですけれども。
この人だったらね、出生が非常に複雑で、一言で言うと、お父さんお母さんの顔知らないんですね、この人はね。
今ではあまりね、あれですけれども、私生児、私のという、要はお母さんができてしまった息子を育てることができずに、もうお寺に預けちゃった。
その預けたお寺っていうのがね、このウホウイン、雨の宝の院と書いてウホウインって西川に面したこのお寺に預けられて、このお寺の子供として育てられたんですね。
けど本当の親じゃないんです、それは。
っていうのがね、まず非常に、ちょっと暗い感じの始まりなんですけど。
そのためね、独特のすごい姿勢感とか人生についての考えを持っていて、デビューはね、比較的遅かったんですけれども。
その大正時代がね、この人主になんですけれども、大正のなんか謎めいた雰囲気とあって、序章的なね、ポエム、歌を多く残した人としても知られている。
特にね、そういうわけで、まあふるさとは金沢ではあるんですけれども、一方でそのお父さんお母さんというのはもうわからない。
お寺の子供として育てられたけれども、その中にもやっぱり出生のそういった秘密というか事情があったので、非常に国境に対しても複雑な感情を抱いていたそうなんですね。
まあ単純に好きにはなりきれないみたいなところはあるだろうね。
そういうことだったんですね。
っていうのがね、一つ現れたものとしてね、無朗再生といえばおそらくこの言葉を思い浮かべる人も多いんじゃないかと思うんですけど、有名な歌があるんですね。
それが、「ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うもの。」っていうね、傍聴の歌をね、これ非常に有名なフレーズです。
聞いたことある気がするな、それ。
どっかで聞いたことあるんじゃないかと思います。キャッチコピーとかで。
これを作ったのが無朗再生。
で、当然このふるさとは金沢のことです。
ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うものっていうね、どういう意味なんでしょうね、これはね。
本当その文字通りにしか僕は受け取れないですけど。
違う土地から思い出して、でちょっと悲しみと悲しい思い出とかを歌にするようなものであるっていう。
まあ多分直訳的な意味でしかないと思うんですけど。
でもまあそうわかりますよね。
これね、よく勘違いというか解釈としては別に全然いいと思うんですけど。
これ東京から遠いところから読んで、悲しいな金沢に帰りたいなみたいな傍聴の歌って受け取られることも多いんですけど。
要は帰れない自分が遠いところにいる自分が悲しいみたいなね。
そういう悲しみか。
言われるんですけど、よくよくこれが生まれた背景を慎重に紐解くと、実はこれはね、再生は金沢に帰ってきて読んでるんですね。
つまりこれね、全く逆の意味になるんです。
金沢に帰ってきた上でこれを読むってことは、帰ってきたはいいけれども、
ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うものだといった。
今の宇都沢の方に逆に近づくんです。
つまりこれ遠いところから田舎を思うみたいなね、傍聴の歌ではなくて、再生自身はなんかもっと複雑な感情の中で読んでるんですね。
金沢に帰ってきた上で実は帰って来なきゃよかったって思っていたのかもしれない。
遠きにありて歌っておくぐらいがちょうどよかったんだなって思ったのかもしれない。
そういった歌なんですね。
わかんない。俺もちょっと出生の話を聞いた後だったからそっちに引っ張られた感はあるかもしれないけど、
まあでもそうね、そういう背景を知るとそっちなんじゃないかなっていう気がするね。
そうですね。ただもちろん文学は作者のものというより読者の受け取り方次第なので、別に正解はないと思うんですけど。
ともあれそういった人でした。
この記念館に行くとね、そういった歌にももちろんフィーチャーをしてるんですけど、
この人は同時に生きとし生ける全ての生命に対して非常に関心を持つ人なんですね。
つまりロビーに入っていただくと、そこにあるのはこの静かなガラスケースみたいなのがぼーっと浮かび上がってるんですけど、
そこに昆虫たちの模型とか、草花の押し花みたいなのがトントンと一つずつあったりするんです。
で、これは彗星自身が、この人は軽井沢に邸宅を持ってたりしたんですけど、
そういったところで採集した草花とかを模したものだったりして、
実際この人の歌にはね、小さな生命に対するね、すっごい深い愛情と関心を寄せられて、
そういったちょっと独特のやっぱり生命感を持ってるね。
僕ね、これがね、スピッツにすごい似てると思ってるんですよ。
スピッツの歌詞とね、彗星の歌って似てるんですね、非常に。
どういう精神構造っていうか、どういう気持ちでそういう感情になってったのか気になるね。
そういうヒントがね、この記念館に行けば読み解けるかもしれない。
あとはね、このロビー入っていただくとね、彗星が生涯出した本全ての表紙がブワーって滝のようになってる壁みたいなものがあって、
これは圧巻ですね。写真映えも非常にしますけどね。
こういったものもあったりするので、徳田修正記念館、泉京華記念館って来た後だと、
一番こう迫力みたいなものがね、展示の迫力としてはここはあるかもしれないと思いますね。
というのがね、無浪再生記念館でね。これもぜひね、今でも刺繍とか出てますので、観光されているものを手に取っていただいてもいいかもしれません。
金沢の文学界
この3館を見比べるっていうのがやっぱり面白いんだろうね。
そうなんです。そしてその文学世界を知った上で、この近代の金沢が生み出した人間と芸術っていうのを、その共通する何かというのを感じ取れるんじゃないかなと思うわけですね。
はい、編集辞典の内田です。今回も長くなってしまったので、金沢三文豪の記念館を巡ったところで終わりとさせていただきます。
次回の後編はですね、金沢に生まれた一家の文化の話、そして金沢の夜の街のご紹介をしたいなと思っております。
また後編もお楽しみに。ということで今回はこの辺でありがとうございました。
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