“捨身飼虎”の組織論 風林火山興亡記1日目後編
「風林火山」の旗の下、戦国最強の軍団として名高い武田家。最盛期の当主信玄は戦国時代の英雄の一人として知られ、その政略、軍略は現代の組織論にも多大な影響を及ぼしています。しかし、彼の人生をつぶさに追ったときに窺えるのは、組織のために身も心も捨てざるを得なかった深い苦悩。今回は、その本拠山梨県の史跡を集中して訪ね、“甲斐の虎”が築いた繁栄と終焉を見届けます。
【目次】
〜 ご聴取いただく前に
〜 信玄を写した?不動明王と名庭園を鑑賞 【恵林寺】
〜 信玄の“リアリズム”を体現する巨刹 【甲斐善光寺】
〜 武田家の本拠跡に建つ甲斐の聖地 【武田神社】
〜 ★歴オタ話★ “捨身飼虎”に徹底した信玄 止まらぬ歯車が行き着いた先とは
〜 発酵料理の旨み抜群! 甲府グルメのプラットフォーム 【発酵酒場かえるのより道】
〜 県産ワインは“品種”で味わおう 【ビストロ メゾン・ド・ルージュ】
〜 〆はウイスキーとクラフトジンの注目株で 【bar graff】
〜 1日の振り返り
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大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。今回は、写真志向の組織論【風林火山興亡記】の1日目の後編となっております。
ですので、前回配信している前編からお聞きいただくと良いかと思います。まだ前編をお聞きでない方は、ぜひそちらからお聞きください。
ということで、1日目の後編です。どうぞ。
コースに戻りますけれども、こうした真剣の人生をこの宝物館で学べます。そしていよいよ、同じお寺の境内ですけれども、
衛林寺の本堂に参拝に行きましょう。この武田菱形の4つあるのが、これ武田の家紋ですね。もう山梨県至るところでこれを見ます。
衛林寺というのはそういうわけで、武田真剣がね、お墓が今もある場所になりますし、そもそもね、観光地としても非常に優れたお寺なんですね。
というのはね、衛林寺の見どころとしての高いのがですね、豊穣庭園。
これね、総統宗のお寺なので禅寺なんですね。このお寺のお庭が非常に有名なお庭でして、東日本の傑作の一つに数えられているお庭なんですね。
無双蘇石というね、これも教科書に載っているお坊さんなんですけど、南北朝時代のお坊さんが作ったと言われている名庭園です。
要は知禅開遊式と言われますけれども、山肌をね、うまく活かしながら池と樹木を植えて、本当にしっとりとしたね、山合いの綺麗な空気の中にあるね、名庭園です。
あるいは武田真剣その人の姿を映したと言われている不動明王がいたりする。これ武田不動尊という非常に有名な不動明王なんですけれども、真剣の姿を映したと言われている。
真剣を不動明王としてるってことね。 そう、というふうに言われてて、そういう説があったんですけれども、実際そうなのかよくわからなかったんだが、ついね、これ4,5年前だと思うんですけど、その不動明王像の中を調査したんですね。
終わる大学で。したらね、そこにこれをいつ作りましたっていうね、言葉書きが書いてあって、それを見ると武田真剣が亡くなる1年前だったんです。 だから真剣その人が生きているときに作られたことは間違いないっていうことがわかって、
穴勝ち真剣の姿を映したって嘘じゃないんじゃないかと言われるのが、より現実味を持って、これ最近の話ですね非常に。 というような感じでね、本当にエリン寺真剣の墓所以外にもね、庭園で本当に心安らぐひとときを過ごせますし、
僕実はね、後で話しますけど、これ今回行ったんですよね。そう、7月に行ってきたばかり。久々に行ってきたんですけど、小雨が降っててね、そのしっとりとした中でね、日暮らしの公園に包まれて、平日の夕方に行ったので、僕貸切ですごい良い時間を過ごせました。
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庭園のとき、小雨って何か良いよね。 ベストコンディションだと思います。特にこういうちょっとしっとり系の庭園はね。そうだね。情緒がよりこう出てくる。出てきますね。
だって余談ですけど、このエリン寺ね、最近ね、インスタグラムが注目されていて、というのがね、お寺の方がね、インスタを更新されてるんですけれども、猫ちゃんがね、いっぱいいるんですね。
なんか綺麗な写真いっぱいあるね。 よく猫が登場するんですよ。かわいいね。
これ地域猫みたいな感じでね、エリン寺飼ってるというよりも、餌とかをあげてる地域猫みたいになってて、この子たちがね、経代重い重いの姿で幸せそうに暮らしてます。
なので人懐っこい感じではないんだけれども、すごい愛らしい姿を見せてくれるので、僕が行った時はそういうわけで雨降ってたので、エリン寺の受付の玄関に入ったら、すぐ右にかまどの跡みたいのがあるんですけど、そこに猫が4匹ぐらい猫団子になってました。
雨をみんなでしのいでました。非常に気ままに過ごす猫たちがいっぱいいます。 これいいな、これ。カレー山水のね、砂利の波のところに着地してる猫ね。
せっかくね、カレー山水の模様を描いたのに荒らしまくってますけれども。
エリン寺のインスタグラム素敵なんですね、非常に。 写真全部綺麗に撮ってある。 うまいよね。ぜひ興味ある方はインスタを見てみてください。
これ池のところとカレー山水の方の写真があるけど、これはどうなってるんですか?
別の庭園です。お堂の別のそれぞれの方角に別になっていますので。
じゃあ、一箇所で2タイプ見れる。 そういうことです。
ちょっとお得かも。 お得がありますね。
というのがエリン寺でした。
そこから車で25分ほどして、甲府市の方に入っていきます。
今日は甲府市内に泊まる予定ですので、車で25分ほどエリン寺から行って、海善公寺というところに行きたいと思います。
善公寺って聞いたことありますか?
牛に惹かれて善公寺参りの善公寺。
でも善公寺って、その牛に惹かれての善公寺は場所どこでしたっけ?
わからないけど、でも京都とかあっちの方なんじゃないの?
正解を言うと長野県なんですよ。
長野県長野市が、いわゆる牛に惹かれて善公寺の本当の善公寺なんです。
じゃあなんで海善公寺というものがあるのかっていう話なんですね。
これがまた真剣のリアリストな怖いところなんですけれども、
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武田真剣は品野を攻めた後に川中島というところで上杉謙信と戦い始めますよね。
そこで上杉謙信と争った川中島がまさに善公寺のすぐ近くなんですよ。
武田真剣というのはさっき言ったように徹底したリアリストなんです。
なので今のビジネスで言えば金にならない事業をしないという方針。
真剣府に言えば自分のものにならない戦をしないんです。
だから相手の武将を打ち取ったとかっていうことに彼は重きを置かないんですよ。
自分の狙いを定めたその土地が自分のものになるかどうか。
ただその一点だけなんです。この人の戦いというのは。
これ真剣の人生は徹底してるんですよ。
実は相手の武将とかを打ち取ったみたいなのがほとんどないんです。
相手のトップを打ち取ったみたいなことはほぼしてないんです。
家康もフルボッコリーしましたけど追わなかったんです。
もう目的を果たしたから。
その土地が手に入ればいい。
それが真剣のリアリストなんです。
そのリアリストを完遂するためにえげつないのが、
長野の善公寺を地域のみんなが信仰してるお寺だったんですけれども、
その本尊を皇府に拉致してきちゃうんですね。
それで私こそが品野の主だっていうことを、
品野の守護者であるべき人間なんだっていうことを、
この善公寺というツールを使って内外に示して、
それで品野の国は俺のものである必要があるっていうことを、
内外に献殿するんです。
そのために善公寺の本尊を自分の国に連れてきちゃって、
それを無理矢理皇府に善公寺を移しちゃうんです。
それはもう長野まで侵略する前?
侵略した後で。
川中島っていうところで上杉謙信とバチバチにやりあってて、
上杉謙信のせいで品野の北部の一部は自分のものにならないんですよ。
善公寺あたりがならないんです、自分のものになかなか。
そういうときにどうしようかってときに、
なかなかうまくいかないから、まず善公寺を自分のものにしちゃう。
もうその土地が手に入らない。
土地を得る正当性というのをまず自分で強引に奪っちゃう。
それで善公寺の本尊を引っ張ってきちゃって、
無理矢理皇府にして、竹田家と善公寺は一体になりましたっていうことを示して、
だからこそ善公寺あたりは私たちが守った。
要は帝としては上杉謙信から善公寺を守ってやるって言ったんです。
そのためにとりあえず本尊は燃やされちゃヤバいから、
とりあえず皇府で引っ取るよと。
いずれは俺がこの土地を治めるのは当たり前だから、
とりあえず先にこれは取っとくと。
だからお前らも善公寺本尊がある俺には逆らうな。
お前たちの土地は俺の竹田家のものになるべきものなんだ。
でも実際になるんですよ。
その豪族を従えるんですよ。
すごいな。
お前ら名分を作るというか。
そう。竹田信玄って本名は春信。
信玄というのは出家した後の名前ですけど、
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この人は当時において、これは僕は思うんですけど、
宗教というものすら手段の一つだった。
善公寺もそうだし、後々比叡山遠略寺が信長に焼かれたら、
その世を引っ張ってきて、皇府に遠略寺を作ろうとしたりもするんです。
すげえな。
つまり俺は仏法の保護者であるから、
自分には仏教がついてるっていうことをツールにつかんです。
まあでも当時はやっぱり政治と仏教は密接ですから、
その仏教を守ってますよって言えば、
平民たちもついていきたくなるだろうし。
っていうことを見透いてるんです。
つまり僕は信玄は本気で信仰を持てたわけじゃないと思うんです。
あくまでも使えるから使ったんですよ。
ちょっと怖さすら感じるね。
そうそう。徹底してるんですよね。
結局、竹田信玄のいる間は、
善公寺の本尊というのは非常入所あるものなんですが、
幸福にほかれちゃった時期がある。
引っ張ってきちゃったんですよ。
それで作ったのがこの貝善公寺なんです。
竹田家は滅びましたが、貝善公寺は残ってるんですね。
ただ善公寺の本尊は本来ここにあるべきものじゃないので、
後々長野の善公寺に戻って、今はちゃんとそこに安置されてます。
ただこの貝善公寺はさすがにすごいお寺でして、
善公寺の本尊は今長野に帰っちゃいましたけれども、
建物がすごい豪装で破格の規模を誇っている寺なんですね。
この建物も長野の善公寺をもちろん申したものになってます。
すごいね。これ3階建てぐらいあるね。
これは本当の長野の善公寺もこんな感じですね。
立派だな。見上げる感じの。
そういうことです。
この山並みの中にこれがそびえてるのすごい立派ですよ。貝の山並みの中に。
あとは見どころとしては、善公寺のお堂の中に、
日本一の鳴き竜と言われてるものがあるんですね。
鳴き竜ってお寺とかでたまにお堂に竜が描いてあって、
そのお堂の下でパーンとか手を叩くと、
反響して何かの鳴き声に聞こえるみたいなものがね。
結構何個かあると思うんですよ。いろいろ日光とかにもあるんですけど。
その中で日本一の規模を誇っていると言われているのが、
この貝善公寺の鳴き竜なんです。これすごいですよ。
もう迫力がすごい。まず超巨大な竜が自分を見下ろしてるんですよね。
お堂の中に。
天井に描いてある。
天井に描いてある。
見上げてると、すごいド迫力のこの赤い竜が見下ろしてきていて、
そもそも規模がでかいから反響もすごいので、
パーンまでやると、ワーンって。
独特のオーラと怖さを感じる。すごいところですね。
これぜひ試してみてほしいです。実際に手を叩いてね。
これやってみないとわからないね。
12:00
でもやっぱりその神言のリアリスティックな面を感じるというのにも格好なところですし、
そもそも見どころとして非常に面白いアクティビティもありますので、
これはおすすめのスポットですね。
ちょうど甲府の入り口に当たっているので、行きやすい道線だと思います。
そこからは甲府市内の観光になりますが、
車で15分ほど北へ行くと竹田神社というところがあります。
竹田神社ね、もう名の通りですね。
これこそが竹田家の本拠地、竹田信虎神言勝頼の本拠地であった、
貝辻ヶ崎館という館の跡です。
つまり昔の城跡というか館の跡に今この神社が建っています。
竹田信虎神言はここで生活していたわけですね。
そんな神社はあんま聞いたことないけど。
でもお城の跡、久留米城とかも今笹山神社になっています。
お城としてももちろん有名なんですけど、
竹田家はこの館に信虎がこれを作ったんですけれども、お父さんが作ったんですけれども、
あの有名な竹田家の本拠にしてはね、こんなもんなんだってなると思います。
これなぜかというと、いろいろ説はあるけれども、
竹田家はつまり、これも神言のリアルなところで、守ることを想定してないんですよ。
常に他国の領土を取りに行くのが竹田家の神言の授業方針なんです。
つまり貝の国に攻められるってことはあり得ない。彼にとっては。
だから守りに使う労力も金も無駄なんです。
攻められることがないから。そのために絶対安全圏を小田原と静岡で作ってますし、
空から攻撃されないに限って竹田家が攻めることはないんです。
だから使わないんです、無駄な労力とお金を。
そういう体制を作ってたこともあるよね。
それが実現できてたので。
なのでこの竹田神社は行ってみると、あの竹田にしてはこんなもんなんだってなると思います。
ただもちろん竹田神言を祀る貝の国のみなさんの心の拠り所だと思いますので、
非常に由緒ある神社で、宝物展みたいなのもありますので、
そこにもやはり竹田家の遺物、神言の実際の遺物もここに保管してありますので、
そのあたりも歴史ファンの方なら、竹田ファンの方なら絶対にここは行った方がいい場所だと思います。
まあそうね、竹田を巡る旅だったらここは行くべきだね。
マスクスポットですね。
このあたりでね、竹田神言の後半戦の深掘りというかね、話をしていくんですけれども、
竹田神言というのはそういうわけで、はっきりともう血も涙もないんですよ。
ひたすら自分の家と授業のためだけに人生を継いだ人。
その最たる例がね、竹田神言が上杉県心と全高寺あたりを巡って戦っていた頃に、
西の方で大事件が起きるんですね。
これが、桶狭間の戦いです。
駿河の国今川義元が名古屋の方に攻めていったら、
織田信長ってわけわかんないポッドでのやつに殺されてしまった。
これは歴史の床紙に載ってますよ。
15:00
あの今川義元が撃たれたっていうのはびっくり。
誰もが勝つと思ってた。
それが信長がヒーローになっていくステップだったわけですけど。
竹田神言もそれも当然びっくりしたわけですよ。
絶対安全圏のうちの一人がね、死んでしまった。
今川は当然残ってるわけですよね。
強大な勢力でまだね。
ところが、その息子の藤谷。
吉本の後を継いだ今川藤谷というのが、
お父さんが死んじゃったから後を継ぐんですけど、
これがね、どうも評判が良くない。
吉本というのは桶狭間で負けた人で有名ですけど、
実はめちゃくちゃ優れた人物だった。
政治にすごい長けた人だったので、
万弱だったと言われてる。
内政が弱かった。
すごく政治家として優れた人物だった。
だから竹田も安心したと思うんですよ。
南を任せられた。
今川は滅びないから。
吉本がいる限り。
ところがまさか戦で死んじゃったと。
息子がどうも凡庸で頼りにならなそう。
って言った時に、その時の竹田家の状況は、
ほぼほぼ川中島の戦いも大体決着がついて、
死なのも結局全工事あたりも自分のものにしたんです。
竹田はね。
そろそろじゃあ次どうしようかって風になるんですね。
法上は法上で相模と関東をほぼほぼ支配して、
群馬の方までその時に法上は勢力拡大してるので、
超大国になってる。
同盟で今までとどおり仲いい関係ついて。
北は北で上杉献進っていうのはやばいな。
あれは強い。えげつない強い。
あれは攻めらんない。なかなか。
川中島でも大被害を被ってるわけです。
自分のものにしたけどね。土地はね。
そうするとじゃあ西か?
西でも山合いの土地であれだなってなった時に、
信玄は何をしたか。
裏切るのか。
裏切るんですね。今川を。
今川を滅ぼすんですよ。
例外えげつないところなんですよね。竹田信玄。
そのためにびっくりするわけです。
誰が一番びっくりしたかっていうと、
信玄の息子なんです。
竹田信玄の長男に吉野部という人物がいて、
その吉野部というのは、
今川義元の娘を目取ってるんです。
つまりさっき三国同盟を結んだ時に、
それぞれの娘を交換したみたいな話があったと思うんですけど、
そこで今川家から突入できた奥さんを目取ってるんですよ。
だから自分の可愛い奥さんの実家を滅ぼす。
しかも今の今まで同盟していたのに。
それはさすがになくないですかって話になるわけです。
吉野部からしたら。奥さんだって悲しいじゃないですか。
ところが信玄というのは、
この息子を殺しちゃうんですね。
自分の息子もまとめて。
息子を殺すんだ。
反対したから。
血も涙もないんですよ。
息子吉野部ね。
その時まで正当な後継者で信玄の後を継ぐと誰もが思ってたんですが、
今川家を裏切りに当たって、
竹田信玄を吉野部を手荒に押し込めて、
自ら斬り殺したわけではないらしいんだけど、
吉野部はそれで無本の疑いをかけられて、
有聞の果てに病気で死んだとも、
18:01
自害してしまったとも言われて。
いずれにしろ今川を滅ぼすのと全く同じタイミングで、
この人は不良の死を遂げてるんですよ。
なかなかなことするね。
父親を妹無垢殺す。
自分の息子を後継者を変えてまで今川を滅ぼして、
同盟関係だった奴を裏切る。
ただその代わり静岡の駿河の国は全部自分の野にしだったんですね。
肉親の愛情はね、この人は心から消えてるんです、既にも。
父親を追ったその時から。
そこまでしないといけないかねって気もするけど。
そうなんですよ。
だって長野の方も結構な土地を手に入れてるわけでしょ。
まだ広げないといけないかねっていう気はするよね。
これが内田の今言ったところが、僕は武田信玄の凄さでは限界だったと思うんです。
つまり歯車にてして、途中から止められなくなったと思うんです、彼自身が。
なぜかというと竹竹に入る意味っていうのは強い。
そして確実に相手の土を取る。
要は領土を取る。
だから竹竹に入ると自分の土地が増える。
だから竹竹に就こうってみんななるんですよ。
そういうことか。
そして強大な組織、24章に自分も入りたいな、まだそこにないけどね。
信玄に認められて、より多くの土地を得たい。
つまり彼らは土地のために動く組織なんです。
だから信玄だけじゃなく、それに仕えてるいわゆる24章とかその下の人たちも、自分の土地がもらえるだろうということで仕えてるから、
じゃあそれを叶えてやるためには進力を続けないといけない。
武田家は止まらない戦の果てを修羅の道を進むんです。
そしてその歯車にてしているのが武田信玄という人生なんですよ。
信玄は死ぬまで領土を広げ続けるんです。
一歩も止まらないんです、この人。最後の最後までえげつないことをしてまで。
自分の息子を自主的に殺してまでそれを続けるんですよ。
すごいんだけど、それゆえの苦しみというか。
だって息子ですよ、自分の。
お父さんだって、もしかしたら悪者に仕立てあげたのかもしれない、信玄が。
信玄も優れた人物だったら間違いないんですよ。
けどそれを外交方針を変えるために首をすり替えなきゃいけないから、追っ払った。
そしてもうその事業方針は止まらないんです。
もうここまで兄弟の組織になってきてしまった。
結局武田信玄はその後スルガを奪い取って、当然小田原の法事は切れるんですね。
だって自分の三国同盟って今川ってまだ残ってるんだったら、さすがに続くと思ってたら武田が裏切って今川に攻める。
さすがに今川かわいさすぎでしょ。
21:01
自分も攻められる可能性が出てくるもんね。
だから法事もこれ切れるんですよ。
なんだけど武田信玄というのは、もう信寅時代とは比較にならないぐらい強大な組織と軍事力を持っているので、今川を結局追っ払って法事の侵略も知り続けて、むしろ逆に小田原に攻め込んでいく。
小田原城は結局取れないで、法事とはその辺で仲直りをするんですね。
お互い争っても利がないということもわかるんです。
ということでひたすら今度東は結局また法事と仲良くなったので、ひたすら西へ西へ進み続ける。
浜松城にいた徳川家康、若い時のね。
これをもうボッコボコにして、浜松城までもうあと一歩で首取れたんだけど取らずに浜松一円を一旦自分のもとにしたら、さらに西へ進み続ける。
ひたすら土を求めて進み続けて、その途中で病気になって亡くなった。
なるほどね。
これがね武田信玄という人生なんです。
彼はね、だから機械なんですよ。もう一つの。
なるほどね。それでパーソナリティが見えなくなってくるわけね。
重要じゃないんです彼にとってパーソナリティというのは。
自分はもう別に。
なるほど。
というまあことなわけですね。
なんかね、言葉を失う感じがね。
えげつないですよ。武田信玄というのは本当に。
はいはい、まあね、そういった人物だったと。
で、なんかそのあたりがリアリティが色に見えてくると思います。武田神社行ってもらうとね。
なんかそういう資料とかもある?
うん、あのもちろんね、信玄攻め続けたという一方で、政治的には非常にやっぱり優れた人物。
つまり客観的なんですよ。常に見方が。山梨県はどう良くなればいいかっていうの。
つまり山梨県豊かであればそもそも侵略する必要もなかった。
まあそうか。
自分が可愛い家族も妹も息子も殺すことなんてなかったんですよ。
だから山梨県に足りないものを売り直すために、暴れ川と言われた川を治水工場をね。
それで山梨の国土って飛躍的に豊かになったって言われてる。
だからリアリストなんですよ。良いことはするんです。
竹田寮の中にいる人は喜んでるってことだね。
だから意味のあることしかしないんです。この人は絶対に。
そういった資料が残ってます。
治水事業をした信玄の凄さっていうところは、もちろん宝物館でも竹田神社でもよくわかりますね。
だから政治的にはやっぱりすごい政治家なんですよ。
ただ怖いんですよ。血も涙もない。
竹田神社
ここからは大向きを変えてね。
幸福市に泊まりますので、幸福のグルメを堪能したいと思います。
竹田神社は幸福駅からちょっと離れてるんですね。
徒歩30分ほどかかりますので、車で10分ほど南に戻ってもらって、幸福駅近くにホテルにチェックインをしましょう。
幸福駅は県庁所在地で、ホテルもたくさんありますから特別指定はしません。
24:00
あえて言うならば、南口、竹田神社とは反対口ですね。
駅の南の方が飲食店とか繁華街はありますので、幸福市役所があるんですけど、そのあたりが一番飲み屋街楽しいので、そのあたりに通ってもらえると一番楽かなと思います。
そのあたりに通ったとして、徒歩5分ほどのところにあるのが、発光酒場カエルの寄り道という居酒屋さんです。
ここめちゃくちゃいいんですよ。
発光食品ってうまいもんね。
うまいよね。
そしてお酒に合うんですよね。
確かにね。
山梨県のお酒ってどういうイメージありますか?
やっぱりワインが印象が強いんですけど、日本酒もあったような気がします。
ウイスキーはまたちょっと違うか?
ウイスキーもあるんです。
白酒とか言いました。
イメージとしてはそんな感じ?
つまりワインが筆頭になるのは間違いないと思うんですけれども、本当に幸福山梨ってグルメタウンなんですよ。
お酒においてもそれぞれ一級品のものが、それぞれのジャンルに必ずたくさんあるんです。
この発光酒場カエルの寄り道さんでは、そうした発光食品の創作料理をご提供いただけて、お酒も多彩なんですね。
山梨県の綺麗な水を使ったクラフトビールに、県内でしか出回ってないっておっしゃってたんですけど、貴重な日本酒の特殊な銘柄があったりもしたりとか、
っていうような和洋にそれぞれ優れたお酒を堪能できるわけですね。
写真に載ってる日本酒も、あんま見たことない名前のが多い気がするな。
そう思います。僕自身もそうでした。
これ全国の日本酒もあるんですけど、山梨県の地酒っていうのももちろん一番豊富で、なかなか聞いたことのない銘柄が多かったですね。
ラベルも昔ながらの感じじゃないのがあったりとかね。
こんなのあるんだって感じがね。
やっぱりどういうペアリングにするか。銀錠酒なのか純米酒なのか、精米配がどれくらいなのかっていうのと、
どの料理合わせるかっていうのもすごく丁寧に選び取ってくれるので、お酒好きの人にこそここは行ってほしい。
冒頭が味噌煮込みうどんに近いみたいな話しましたけど、そういった麹とか味噌とかっていうのは山梨県は強いんですよね。
発酵文化とか調味料の文化がすごいので、それをやっぱり生かした創作料理があると。
コミュニケーションをとっていると、この店主の方が非常に甲府市内のグルメの横のつながりの強い方なんですね。
なのでここに始めに行くことで、他のおすすめをどんどんどんどん充実なり的に教えてもらうことができるんです。
まさにプラットフォームというか。
寄り道的に使えるので。
そうです。
27:00
カエルの寄り道さんですからね。
そういうことです。
なので僕実はこの7月に初めてお伺いしたんですけど、ここ行ってからグッと興奮に詳しくなりました。
あのグルメに関してね。
いいですね。
なので1軒目で行くのが僕はおすすめかな。
カウンター席も充実しているので、一人でも全然大丈夫です。
ただね、金曜の夜でギリギリでした。予約なしで一人で行っても。
なので確実な方は予約をした方がいいかなというぐらい人気ですね。
すごい人気で大人気のお店ですね。
なるほど。
じゃあこれの後にも何軒かこの後紹介するけど、実際ここに行って教えてもらって気になったお店にその後行くのも良しっていう感じですかね。
それもいいと思いますね。
このカエルの寄り道さんのあたりがね、すごいグルメが充実しているエリアになりますので、
それからね、徒歩2分ほど行ったところにあるのがビストロメソンドルージュさんです。
ビストロですね。
ここはやはりね、なぜ選ぶかというと、山梨のワインですね。
ビストロでね、特にこの県産ワインの品揃えが本当に豊富なんですね。
どんどん豊富ワインは広がっているというか、日本を代表するワインになってきている感じがありますよね。
やっぱり日本のワインって言うと山梨はヒットに上がるんじゃないですか。間違いなく。
ここはね、もう本当に昔からある歴史あるビストロでね、
この繁華街のちっちゃな奥にある可愛らしいところなんですけれども、
面白いのがね、実際に行ってもらうとわかるんですが、
その日のワインというので、黒板みたいなボードでね、書いてあるわけなんですけど、
メーカーを書くんじゃなくて、ブドウの品種、味わいを先に書いてるんです。
その後にその先にメーカーがあるっていう感じなので、それぐらいやっぱりね、こだわりを持ってね。
要はネームバリューとかじゃなくて、推薦できる山梨ワイン。
で、その中でブドウの品種によって大体味の系統って変わるはずなので、
そこで判断をしてほしいというような意図が見えたような気がします。
これは美味しいワインを届けるっていう感じの姿勢に感じるね。
そういうことですね。
だからある意味観光客として言って、有名なワイナリー、もちろん山梨ユックスもありますけど、
そうじゃないところにふっと出会える、そういう良さもありますよね。
どうしても有名なのが目に入っちゃうと、まずあれ飲んでみようかなってなっちゃうと思うんですけど、
それがないのがね、面白いところだと思いますね。
あとは嬉しいのはね、食材も本当に県内のお野菜とかお肉を使っているところで、
お一人様オードブルなんてのもあるんですよ。
だから一人で行ってもね、ワインとその少量のね、前菜の盛り合わせみたいな要領なんですけど、
それでね、ワインをメインに楽しめる。
だから二軒目使いもできるかなっていう感じがしますね。
いいですね。
これはちょっと俺はワイン興味あるね。
そうなんだよね。
30:00
ちょっと気になるね。
ちょっとこの間に雑談会とかに話してみましょうか。
実は持ってきてるんでワインを。
楽しみですね。
これがビストロメソンドルージュさんでした。
で、そこからねちょっと8分ほど、半壊がやや離れて交付駅の近くに戻っていただくと、
バーグラフさんというね、ビルの上にあるちょっとね隠れ家的な感じなんですけれども、
ビール&日本酒が買える寄り道さん、メソンドルージュ種ワイン、
そっちから最後やっぱりウイスキーですね。
山梨はね。
さっき俺が言ったのが、もうちゃんと網羅されてるね。
そうなんですよ。
白酒っていうね、あれはサントリーかな?ですけれども、
あれの上流所があることでもわかる通り、
やっぱり山梨のすごい美しい水と温度、気温とかっていうのがやっぱりウイスキー作りのね、
選ばれる理由があるわけですよ。
本当にグルメタウンですよ、交付って。
こちらのグラフさんでは、そういった山梨県産、もちろんだけじゃないんだけどね、
山梨県産のウイスキーも豊富に揃えていらっしゃいますし、
それ以外のウイスキーもたくさんある。
あと面白いところで言うと、アムリタっていうね、
クラフトジンもね、最近山梨で作られ始めている。
これね山梨に移住してきた方が作ったっていうふうに伺ったんですけれども、
まさにエリンジの近くにね、この上流所があるらしいですね。
これが最近話題を呼び始めていて、
結構今山梨の新しいお酒の注目かぶらというふうに教えていただきまして、
それもね、いくつかのフレーバーがこのバーグラフさんでは味わうことができますので、
そういったもう本当に、すごい究極のちゃんぽんなんですけれども、
ビールから始まってね、4種類。
ビール、日本酒、ワイン、ジンというね、山梨のその一級品を、
それぞれね、この3原もあることで味わうことができるかなと。
あとウイスキーでしょ?
おだしょー そう。ビール、日本酒、ワイン、ウイスキー、ジンだ。
やばいわ。
おだしょー そう。指が埋まりましたね。片手が埋まっちゃったんだけども。
個人もなんかブドウの花を使ってるんですね。
おだしょー やっぱり山梨ならではですよね、大須からね。
そうだね。
おだしょー でもね、いろんなフレーバーがあったはずなんですよ、確かね。
あるね。山椒を使ってるのとか、
ザクロをブレンドしてるとか、コブミカンも葉っぱ。
おだしょー やっぱりだから、一つの軸はありつつも微妙に味わいを変化させていくのが、
やっぱりジンの面白さだと思いますし、
それをどういうふうに割るかっていうのもね、もちろんいろんな手段がありますから。
ただやっぱりこのアムリタさんっていうのを、
自分は申し訳ないんですけど、ちょっと行くまで知らなかったんですが、
お酒をね、深い夜まで飲んでいくと、やっぱりこういう新しいものに到達できるわけですね。
まして山梨ことのグルメタウンであれば。
えー、いいっすね。ちょっとザクロ気になるな。
おだしょー これ面白いよね。
なんか華やかそうな感じがするね。
ボトルもね、なんかすごいおしゃれ。水色の。
おだしょー そうなんですよ。涼やかでね。
33:00
綺麗ですよね。ちょっとなんかギリシャっぽいような感じもするんですけどね。
えー、いいっすね。
おだしょー これがね、交付の3件目ということで。
先ほど申し上げたように、僕もね、本当に交付5年ぶりくらいに飲んだんですよ。
だから久々だったんだけど、こんなにまだ店あったかって。
まだですが、こんなにやっぱり面白い店、すげーの。
いっぱい行きたい店が出てきちゃったんですよ。どんどん今回ってことで。
なのでほんのまた近々ね、山梨県が実家の会社の同期いるので、飲みに行こうかなみたいな話もまさに申し始めちゃってて。
交付ちょっとハマりそうです。今回のことで結構。
行きやすいんだよね。会社の後半期で僕も行ったので。
ということで、それぞれ好きなお酒の一級品が山梨に集まってますから、交付飲みというのはかなりハイレベルですよ。
面白いです。非常に交付飲みは。おすすめです。
それをめがけて小旅行みたいな感じでもいいしね。
おだしょー いいと思います。だから僕は以前、内田がこのテーマ何にしようかって言ったときに、
グルメ旅行みたいなのいいんじゃないって言われて、そのとき僕どこかなと思ってたんですけど、
今ならば交付は必当交付かもしれないですよ。
すごい面白かった。こんなにいいかと思った。
超おすすめです。交付飲み。
お酒の種類があるっていうのはちょっと魅力だよね。
おだしょー 強いよね。やっぱり日本酒だけじゃないっていうのがね。洋酒もすごいっていうのがやっぱり。
これが山梨のすごさですよね。
ポテンシャルがやっぱり非常に大きい。
おだしょー 割と俺は洋酒の方が好きだったりするんで、いいですね。
おすすめです。
おだしょー こういうのが近くにあるのはいい感じがしますね。
グラフさんから10分ほど行ったところでね、コテルに着けるかなと思いますので、
だいたいこれがお昼頃から回ればね、ちょうど半日くらい。着くのが12時くらいに。
コテルに着くのが日付変わる頃になるんじゃないかなというふうに見込んでいます。
じゃあこの1日目を振り返っていきましょう。
今回のスタートは勝沼インターチェンジということで、
そこのインターチェンジから来るまで10分ほど、
報酬、ほうとう、かんじゅくや、ほんてんさん。
まずその山梨の名物であるほうとうをいただくと。
農家さんの直営ですからね、おいしい野菜をほうとうでいただけると。
そこから来るまで10分ほど、新原甲宝物館。
これはこの次に回るエリン寺の中にある資料館。
資料館と宝物館という感じですね。
武田二十四章の絵が展示されているということですね。
その後、宝物館も含まれている仁寺の中を参拝すると。
武田新原のお墓があると。
そこから来るまで25分、貝全甲寺ですね。
本物の全甲寺をここに持ってきたという、
36:03
なかなかこの新原の手腕が現れた貝全甲寺ですね。
日本一の亡き竜というのが名物。
これは実際に手を叩いてみたいね。
そこから来るまで15分ほど、武田神社。
ここは武田家のお家があったところですね。
そこに神社が建っていて、宝物館も中にあると。
そこから来るまで10分ほど、
甲府駅の南口の方がこの後の夜はちょうどいいんじゃないかと。
南口のあたりのホテルどこか、お好きなところにチェックインをしまして。
そこから徒歩5分ほど、発酵酒場、カエルの寄り道さんですね。
名前の通り発酵食品を使った創作料理をいただけると。
そしてクラフトビールだったり、日本酒だったり。
その山梨のお酒をメインに置いてくれてるということですね。
そこから徒歩2分ほど、ビストロメソンドルージュさんですね。
ここはもう名前の通りビストロですから、ワインをいただけると。
品種からお勧めをしてくれるというビストロですので、
美味しいワインと出会えるんじゃないでしょうか。
そこから徒歩8分ほど、バーグラフさんですね。
ここでウイスキーとクラフトジン、アムリタをいただけるということで、
各種お酒をいただける晩御飯という感じですね。
そこから徒歩10分ほどでホテルに戻りまして、1日目が終了ということですね。
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最近YouTubeのお便りフォームのリンクがバグっていることがあるっぽくて。
時々あるらしいね。
結構それ気づいたら直してるんですけど、もしその概要欄のリンクがつながらなかったら、
チャンネルの説明文、チャンネルページに説明文があって、そこにはURLがちゃんと生きているので、
そこから飛んでいただけるといいかと思います。
お手数ですけど、よろしくお願いします。
もう本当にただ竹田を追った1日という感じですね。
39:01
そうです。もう振り切った。
なので幸福の見どころは決してこれだけではないです。他にもいっぱいあります。
竹田の方針というか、どういう人なのかというのが、ただ説明を受けたという感じですね。
写真志向というのはね、身を捨てて虎を飼うというのは、歴史の教科書でいうと、
奈良の法隆寺の玉虫寿司というものがあるんですが、そこに描かれている絵柄として写真志向図というのが有名なものがあって、
大学時期の日本史の修行書に出てくるんですけど、
お釈迦様が植えている虎が可哀想だと思って、自ら飛び降りて自分の身を餌として捧げたっていうような伝説が、
それぐらい仏教というのはありがたいものなんだと、人に尽くすものなんだ、生きとし生けるものを。
なぜこれにしたかというと、竹田信玄は後世、貝の虎と言われて恐れられた。
竹田信玄というのは竹だけですよね。あまりにも強い。
それがなぜその組織を作れたかというと、信玄は一言で言うと自分の人生を捨てたと思うんです、はっきり言って。
わかったね。そういう動き方をしてきたっていうのはだいぶ伝わりましたよ。
自分が何を求められているかっていうのを常に客観的に冷静に見て、そのために肉身すら切り捨てていった。
っていうのが竹田信玄だったんです。
だからこそ身を捨てて虎を養ったっていう意味に、ちょっと賭けたっていうところもありますね。
うまい言葉。
ただ今までは竹田信玄の凄さというものを、偶然の大帝国を築いたというところまでなんですけど、
2日目、ちょっと予告なんですがに関しては、なぜここまでの大帝国を築いたのに、
これは10年も経たずして信玄の死後10年経たずして滅んでしまったのかっていう不思議がある。
確かにね。個人の強さで築いたわけじゃないから、
それはその後も反映しそうだなっていう印象はあるんだけど。
信玄も絶対そのはずだったと思ってると思います。
個人に寄与しない組織の強さっていうのを彼は目指したはずなんですよ。
まして自分は死んでも24人はいなかったけど、有能な武将たちはたくさん残っているわけなんです。
だから絶対そうだと思って信玄は死んだと思います。
ただ歴史上そうはならなかった。
これがなぜなのかという話なんですね。
これは2日目にね。
そして夜は甲府の、甲府というか山梨のお酒を各種堪能できるっていう感じの良い夜ですね。
なので歴史に興味がないとかであれば、昼とかは別の空手を組んでいただきながら、
甲府に泊まるときの参考くらいの夜のところを考えてもらってもいいかもしれませんね。
ということで、今回はこの辺で。ありがとうございました。
42:03
ありがとうございました。
42:15
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