“群竜無首”のカリスマ論 毘沙門天変幻記1日目前編
「毘沙門天」の霊威をその身に纏い、北方の戦神として君臨した上杉謙信。その半生のほとんどを戦場に過ごし、北陸や関東を長駆した足跡は、圧倒的なカリスマ性を日本史に刻みました。彼の奉じた“義”の精神は上杉家の象徴と知られますが、その淵源を遡ると、謙信の向き合った困難を窺い知ることが。今回は、その本拠新潟県の史跡を集中して訪ね、“越後の龍”が吐いた英気と風雲を仰ぎます。
【目次】
〜 内田の家庭の知恵①
〜 コーステーマの発表
〜 ★はじめに★ “毘沙門天”たることを課したカリスマ・上杉謙信
〜 江戸時代の越後の首府で上越の歴史を学ぶ 【上越市歴史博物館】
〜 ★歴オタ話★ “救世主”として世に出現した長尾景虎
〜 ラーメン好き必食! “日本一”の称号を得た名店 【麺屋あごすけ】
〜 謙信の本拠として名高い巨城 【春日山城跡】
〜 おなじみになってまいりました。編集時点での内田です
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大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな阿良沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
内田です。 春屋です。
そうですね。僕、実家に出てちょうど丸2年ぐらいなんですけど。 そうか、夏だったのね。
ちょうど丸2年ぐらいなんですけど、家事をするようになってね。 ただ、最近知ってびっくりしたことがあって、
風呂場についてなんですけど、最近の風呂って24時間換気とかついてるじゃん。 あれ、普通に家もつけてるんですよ。換気するんだから、ドア開けといたほうがいいだろうと思って、
俺は基本ドアを開けっぱなしにしてた。 換気になるでしょって思ってた。 ただ、最近知ったのは、
24時間換気つけてる時は、ドア閉めてたほうがいいらしいです。 え、そうなの?それはどういう?
なんか、ドア開けてると外気が入ってくる。 だから、普通に考えたらそれで換気なんじゃないって思うんだけど、
逆に外気が入ってきちゃうから、床付近の空気が換気されにくくなる。 ああ、そういうことか。 だから、逆にドア閉めちゃって、風呂場の空気全体を換気するようにしたほうが、
湿気とかをね、逃がせられるっていうことらしくて。 とりあえず、覗くべきものを覗くを選挙してはいいと。 そうそうそう。
まあ、やっぱり風呂場は湿気をすぐ出したほうがいいじゃないですか。 っていうことらしくて。
わあ、知らなかったなって。 確かにね。 最近知りましたっていう。
ワープしたの? そう。 こういうの知りたいよね。 家庭の苦手な姿勢。 そういうポッドキャストもありそうだけどね、いかにもね。
っていう話でした。
ということで、また今回からね、新しいコースを紹介していきます。 ということで、今回のコースのタイトルは何でしょうか?
今回のコースのタイトルは、 軍隆無首のカリスマ論 イシャモンテンヘンゲンキです。
うーん、なんか前のと引き続いてなんかよくわかんないね。 そうなんですよ。
明らかに前のを意識したものになってるんですけれども、 イシャモンテンといった時点で、あと前のを意識したといった時点で、歴史好きの方はもうすべてわかったと思います。
軍隆無首も何ですかって感じだけど。 これはね、僕も実はこのポッドキャストの台本を書くにあたって初めて知った言葉でして、四字熟語なんですけど。
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軍隆無首、漢字は群れの龍、ドラゴンですね。 だけど、無い首と書いて軍隆無首。人材は揃っているが、統率者になるほどの人がいず、物語がうまくいかないことのたとえ。
うーん、なるほど。 龍っていうね、力のあるものの群れなんだけど、統首がいないということか。
のカリスマなの? ああ、そういうこと? まあまだちょっとよくわかんないですけどね。
じゃあちょっとまあ、解説をさっそく聞きましょうかね。 お願いします。
まあね、ヴィシャモンテンということで、このヴィシャモンテンというのは。 市政府人ですよね。
うん、いるよね。 それぐらいかな。 このヴィシャモンテンというのは、そもそも仏教の天という人たちの一人なんですけれども、
北方の守護者。北の光学の守護神なんですね。 日本史におけるヴィシャモンテンといえばもう一人なんですよ。
まあそうなの。 上杉謙信。
これもやはりね、戦国武将。そして前回の武田信玄とね、ライバルとして知られる上杉謙信は、ヴィシャモンテンの化身と自らを認じて、
旗にも常にこのヴィシャモンテンの美というものを書いて、北陸・関東を駆け巡った。 もう一人です。ヴィシャモンテン、日本史といえばもう間違いなく上杉謙信なんですよね。
じゃあもしかして今回は上杉を巡っていく考察。 そうなんです。
なのであえて前回と書けたんですね。前回は写真志向の組織論、空輪火山攻防記。
今回は軍隆無首のカリスマ論、ヴィシャモンテン変幻記という風にしました。 確かに対になってる感じだね。
上杉謙信と言ってどうですか? イメージというか、どういう人だったのかという。
いやこれもね、だから俺は強いんだろうなしかないんだよ。 戦国バサラとかさ、戦国武装とかさ、出るじゃないですか。竹田とね、一緒になって出てくるじゃないですか。
強いんだろうな、そういうのしかないですよ。 やはり竹田信玄とセットで出てくる戦国武装。簡単に略に例によってお話しておきますと、今回のこのコースの説明にも当たるんですが、
上杉謙信というのは現在の新潟県を本拠地にした戦国大名。 具体的に言うと新潟県上越市、上越ですね。
つまり西の方です。新潟県で言う。が本拠地にした大名で、青年月日で言うと1530年から1578年の49年の生涯。
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竹田信玄より9歳下、織田信長より4歳上っていう感じの世代間です。 なるほど。
新潟で生まれ育ってというところなんだけど、やはりうちの言うとおり戦の天才としても知られた。武将で。
カリスマ的だったんですよね、この人は非常に。 自らはその美車門店の化身、戦いの神様でもあるのね。
国公を守護する、エチゴだからね。新潟ってやっぱり北の方です。 の戦神として自らを認じて、半生のほとんどを戦場で過ごしたような。
常に誰かと戦をしていた。ただその戦をやたらめったら戦をするのではなくて、この人が掲げたのは第一義っていう言葉がありますけど、義の精神。
義理忍者の義。つまり竹田信玄というのが侵略した徹底したリアリストで、土地を得ない戦をしないんですよ、この人は絶対。
この人は違うんですよ。 常に誰かのために戦をする。誰かを助けるために戦をする。自分から侵略をするようなことはしない。
全然違うね。 誰かに助けを求められたからその人を助けるために戦をする。
そういう風な精神をみんなが持てばこの世から戦はなくなるという話になるわけですけど。
っていうのを標榜してその武将だと。
非常に謙信という時点で、これも仏教の出家した後の名前なんですけど、自らはヴィシャモンテンと認じてたあたりからそうなんですけど、精神的にもちょっと孤高の人で、
常にこのヴィシャモンテンに仕えて日夜もこの仏教の修行欠かさず、奥さんを一人もめとらずに、生涯独身で貫いて子供もいなかった。
それで越後を中心として武田信玄と河中島で争った話は有名ですし、関東関連という関東地方を守る役職にも就いたので、それを脅かす勢力と関東で戦ったりもした。
東京とか神奈川にもしょっちゅう来てた人です。
最後やはり織田信長と戦うことになって、しかもそれを打ち破るんですね。
なんだけど、打ち破った後直後に、率中的なものだったと言われますが、新潟の本拠地で急死してしまった。突然死してしまった人でね。
ただやはり上杉謙信というカリスマですね、本当に。
新潟県を中心に、今でも非常に人気の高い戦国武将の一人になっていますね。
ということで、コースとしてはこの上杉謙信と上杉家というものの史跡を新潟県上越市を中心に一泊二日で巡るコースになっております。
もう本当に追いにしてる感じだね。
そうです、完全に追いにしてますね。コースの予定からいってもね。
これは上杉コースだね。
そういうことです。
これもね、新潟も今回初めて登場すると思うんですけど、かなり歴史によっているので、もっといろんな魅力があるという。
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その一段目を切り取るとこうなるよというだけですね。
じゃあ紹介をお願いします。
新潟県上越市というのは東京から仮にアクセスをしようとすると、国陸新幹線というものがありますね。
これの上越妙高駅というのが起点になると思いますので、東京からだったらそこに目指していただければいいかなと思います。
今回もですね、やはり城跡とかを行くので、基本は車にしたいと思ってるんですが、車じゃなくても最悪行けますので、そのあたりはちょっと多いように。
車なんですけれども、上越妙高駅でレンタカーを借りるのもいいですし、
今日の宿泊地に想定している直越駅。
上越妙高から電車で少し15分くらい行ったところにある上越市の中心部ですね。
ここでレンタカーを借りてもいいんですが、一旦上越妙高駅でレンタカーを借りたとしましょう。
こっちのほうが会社が多いんですね。
ということで進めたいと思います。
上越妙高駅から車で10分ほど北のほうに行ったところにあるのが、上越市歴史博物館というところになります。
今回はランチじゃないので。
11時頃に着いたという想定で話を進めているので、まずランチの前に一つだけ物件を巡りたいと。
上越市歴史博物館というのは何かと言いますと、内容としてはその名の通り上越の歴史を解説する資料館なんですが、
これがある場所というのが高田という町になります。高い田んぼと書いて高田。
これも上越市の中心部の一つなんですね。
上越市というのは実はちょっと複雑な構造を持っている都市でして、今Googleマップで見ているわけですけれども、
上越妙高駅が今下のところにありますね。
ちょっと北にいたところにあるのが高田だと。
この高田というのは上越市、もっと言えば新潟県越後の国における江戸時代初期の首都みたいなところなんですよ。
実際に高田城というお城が築かれて、上杉謙信が世を去った後にここが首都になったというところになりますね。
上杉謙信の時代はもっと港寄りの直越というところが首都みたいな感じだったんですけど、江戸時代になるともうちょっと内陸寄りの高田になっているんです。
高田城というのも城跡がすごい大きな城が残っておりまして、その城の中にこの資料館、今から行く歴史博物館があります。
江戸時代に栄えた高田の街で、まずこの上越市全体の歴史を知るところから始めようと思います。
上杉謙信について例に行くと話し始めるんですけれども、この人は上杉謙信という名で有名なんですけど、そもそも姓も上杉じゃなかったんですね。
上杉謙信というのは本当に後半世の最後に名乗った名前で、もともとは長尾影虎という人物です。
12:08
なんか聞いたことある気もするんだ。
影虎というのは日本酒好きの方には、でもあれもやはり越後の影虎という意味なので、やはり地域の新潟の坂からですね。
つまり長尾家という家に生まれているんですね。
この長尾家というのは一体何だったのかというと、これちょっと複雑な話になるんですが、越後の国、新潟県というのは室町時代においては守護大名、つまりリーダー、お殿様は上杉家だったんです。
その下杉の筆頭角だったのが長尾家だったんです。
謙信は長尾家の次男に生まれたんですね。
そっからどう上杉になるんだろうって感じだね。
そういうことなんですよ。
結構なり上がらないといけないよね。
そうなんです。おっしゃる通りなんです。
まずポイントになるのが、やはりこの人の父親なんですね。
父親は長尾ためかげという人物で、戦国時代における下国城の英雄の一人ですね。
この人もべらぼうにくさが強くて、かつやり手だった。結構えぐみもあるね。
結構癖のある人物としてよく描かれますけど。
ただ実力者ですね。
実質この長尾ためかげの代になると、一応上杉のお殿様はいるんだけれども、実質長尾ためかげがリーダー格みたいになってます。
飾り物になっちゃったんだよ、上杉の殿様が。
ただとはいえ、長尾家って他の周りの上杉家臣からすると同僚の一人なんですよ。
同じ部下だから。一応リーダーではあったけど。
それが上杉の殿様を差し置いて、急に主にお殿様になっちゃったっていうのは、ちょっとなかなかね。
ちょっと受け入れ難いというか、なんだあいつだけっていう感じだよね。
そういうことになりますよね。
そういうわけで長尾ためかげもですね、やはり生涯を本当に戦と暴虐に費やしたような人だったんですね。
ただやっぱり実力はすごかったので、上越氏を中心にその家臣の中でも当格を表して、ほぼほぼ上杉家臣も長尾家に従い始めた。
っていうのが長尾ためかげだったんです。
上杉家臣は別にお父さんとの仲はそんな悪いわけで、武田と違ったらなくて、かつ次男だったので、そもそもこの人は家を継ぐ予定はなかったんです。
なので後で紹介するんですけど、林泉寺というお寺に入って、お坊さんの修行をしろって言われたんですね。
実はなので上杉家臣は武将になる前に、そもそもお坊さんとしてね、お寺に入れられちゃうんですよ。
っていうところから始まるんですよね。
ところがですね、ためかげが死んだ後、お父さんが亡くなった後に、お兄ちゃんがね、春かげというのが継ぐんですけれども。
この春かげがですね、これも最近では有能な人物だったんじゃないかと言われているんですが、ためかげほどの実力がなかった。
お父さんほどの実力はなかった。
15:00
やや国内が混乱し始めるんです。
長尾ためかげはベラボーに強かったし、逆らうと怖かったからだけど、あんな若造、息子にまで使えることないんじゃね?
特に上越って越後の国の一番西ですから、そうじゃない東の方、福島県寄り山形県寄りの方、広いですからね。
長いからね。
あっちの方の人たちは別に長尾良くない?みたいな。
そうだね。元々の鬱憤があるからね。
なんで長尾を主にしなきゃいけないのって話になって、国内が乱れ始める。
反乱が続出するんです。ためかげが死んだ直後に。
春かげはそれを治める力がなかなかなかったと言われている。
そこでお寺で過ごしていた県心若き日のかげとらに、ちょっと助けてくれと。
お坊さんになるんじゃなくて、ちょっと武将として戦う風になってくれってお兄ちゃんから言われて。
呼び戻されるんですね、寺からね。
それで戻って、反乱が起こってるから国内で。
それを沈める一人の大将になってくれと。
2が重い気がするけどね。
お寺で修行をしていたのに、急に戦地に行けって言われても、っていう感じするけど。
思うと思うんだと思います。しかもまだ10代ですよ。
多分当時の長尾家家臣、上杉の他の同僚たちもそう思ったでしょ。
飾り物だろうと。せいぜいお兄ちゃんの代理ってことで、確かに誰かしら一応一族が勤めないとダメだから。
頭数としてはね。
必要だろうと。実際戦うのは俺らだからなーみたいな。
思ってたと思うんですね。おそらく。推測ですが。
ところが違ったんですね。
尋常じゃない戦の天才が現れた。
あれは何者なんだ。
めちゃくちゃ苦労してるはずなのに、お兄ちゃんを。
一瞬でそれを沈めた。
攻めの強さが尋常じゃない。あれは何者だ。
まだ10代でしかも盆産?
どういうこと?ってなって、あれはおかしい。何かが違う。
なってくるんですね。
あるよね。お父さんの血が片方にだけ色濃く出るみたいな。
パターンはあるけど。そういう感じか。
かもしれないですね。ためかけというのも非常に有能な人物だった。お父さんはね。
で、なるとどうなるかってことなんですよ。
周りの上杉家臣からすると、中野家臣からすると。
そうなると、お兄ちゃん良くないってなるよね。
そういうことなんです。頼りないし、お兄ちゃん。
実際、影虎さんについてもらった方がいいんじゃないかと。
うまくいくんじゃないかと。
緊急事態に。
実際閉店してるわけだし。
そう、実績がありますからね。
ってなるんですよ。
ということで、上杉謙信は、家臣たちに求められるような格好で、
お兄ちゃんから家徳を譲られるんですね。
なんか、お兄ちゃんの立場がないね。
ないですよね。そうなんですよ。
お兄ちゃん病弱だったとも言われていて、
18:00
武田信玄はお父さんを追放しましたけれども、
そこまでのことはしなかった。
だからどうも、やっぱり対立はしたみたいなんですよ。
一時期、やっぱり。プライドもあったでしょうか。
けど、結果的には譲ったんですね。お兄ちゃん。
冷静に考えたのかな。
だし、やはり辛かったところは、長尾家は、そもそも正当な国種じゃないんですよ。
越後を治める資格って本来はないはずなんですよ、この人には。
だけど長尾雨家家っていうのがめちゃくちゃだったから、
仕方なく実力行使に対して従っていただけであって。
代替わりして、その実力がないってなると、それはうまくはいかない。
そこへ弟がその実力を持って現れた。
あるいは父親以上なんじゃないか。
っていうことになってきて。
譲らざるを得ない感じになっちゃったのね。
謙信自身にそのつもりがあったかはどこまでかわからないんですが、
家臣たちは、それとも長尾家の家臣ね。
これから長尾家が持っていくためには、やっぱり武力、実力をつけないと、
他の上杉の同僚たちは従わないと。
ってなるとやっぱ、晴影さんじゃダメだろうと。
弟の影虎さんについてもらうしかねえだろうってことで、
家臣たちに祭りあげられた形でおそらく家徳を継いだっていうのが実情だったと思う。
なるほどね。
まあね、そうなるよね。
だからここもね、竹田信玄の話を思い出しながらちょっと考えてほしいんですけど、
竹田信玄もなぜ信虎を追放したのかっていう一つの僕の推測でもあり、仮説ですけど、
彼、信虎の外交奉仕の施策にあったと思う。
家臣たちが領土が欲しいのに、信虎じゃ全然それを見込めない。
だからとりあえず代替わりさせちゃおう。
それで外交奉仕を変えるために代替わりさせちゃおうって言って信虎を追放したのがおそらく。
上杉謙信もまた自分からお兄ちゃん殺しちゃおうとかじゃなくて、
家臣たちが長尾家を立ち行かせるためにこれはダメだとお兄ちゃんじゃっていう形になってきた。
なるほどね。
これが上杉謙信の歴史の登場の仕方なんですね。
竹田にしても両者とも下から祭り挙げられて、想像まれて当初になると。
望まれてあるいは利用された。
まあそうだよね。部下としては自分がいい暮らしをしたいから。
都合が良かった。
それに見合う実力のある人をやっぱり当初にしたいもんね。
竹田上杉っていつもこの二人は大局のように思われるんですけど、実はちょっと似た立場なんです。
出自は似てる感じするね。
つまり家臣たちとの関係性、家臣たちが何を求めているかっていうところは最初にマイナスからのスタートみたいなところなんですよね。
自分がどうしたいとかじゃなくて。
っていうのがこの二人は実は共通してるんじゃないかって僕は思うんです。
そういう成り行きで当初になってるから、自分がやるべきことはわりと明確にはなってるっていう感じなのかなと思われます。
上杉謙信ってドラマとかだと、あるいはゲームとかでも、ちょっとなんかおかしいって言っちゃあれなんだけど、
21:01
信仰の道に生きる不思議な人みたいな。
あなたは上杉の長男の同士なんだから、ちょっと子供がいないと困りますしって、当然家臣も何度も言ったと思うけど、
私は微社門店に仕えているので、お坊さんだからそんなのはダメですって跳ねつけちゃって、とうとう生涯独身。
不思議なちょっと異色の人って思われがちなんだけど、彼もまた僕はキャラだったと思ってるんです。
必要だった、必要なキャラだったっていうのを自分が誰よりもわかってた。
彼も決して周りが見えないとかじゃなくて、周りがよく見えているゆえに必要なものが何だったかっていうのをわかってたと思うんです。
そういう話がちょっと。
ちょっとそこでね、コースに戻りますけど、この上越市立歴史博物館においては、この上杉謙信から上杉家が、いずれちょっと話しますが、
越後を去るんですけど、最終的には。
その後に帰ってきたこの高田藩の話を通して上越市というものの歴史を解き明かすすごい綺麗な博物館です。
これも最近できたばっかりで。
高田藩というのはね、今回はもうあんまり省略しますけど、徳川家康の息子が当初入ったくらいのね、
すごく有力で、徳川親戚ですか将軍の弟が入ってくるくらいのね、すごいランクの高い藩だったので、
重要な土地だと見込まれてるんですね。
やっぱりあの上杉謙信がいた土地なので、一筋縄じゃいかないっていうのもあったでしょ。
プレッシャーがありますよね、その後を収めると。
なんか徳川はやっぱりよく見てんだなって感じがするね。
そうなんですよ。竹田のこともそうですよ。
家康の息子はね、最初はそうなんだけど、いろいろトラブルを起こしてダメになっちゃって、
その後は徳川の有力な家臣たちがここを収めていくんですけども、
そういった展示をやっているので、その概要を知るのに一番相応しいスポットかなと思います。
上杉だけじゃなく、その後も含めた歴史を見入れるってことですね。
そういうことです。
そこから車で10分ほど北に行ったところでランチを取りたいと思います。
明夜あごすけというところです。
うまそう。
ラーメン屋さんですね。
そしてラーメンファンの方、明夜あごすけと聞いたらね、
今年すごいホットな話題があるはずなんですね。
そうなんですか。
2024年、今年ですね、1月放映の最強ラーメン番付賞、
これね、すごい人気のあるラーメンの特番なんですが、
この200件以上全国の中から1位に輝いた。
評論家の評価で1位になった、今日本一のラーメン屋と言われてるんですね。
これがね、直越にあるんですよ。
上越市にあるんですけどね。
どういうラーメンかということなんですけれども、
あごすけのあごってこれ魚の名前なんですけれども、
あごだしとか言うよね。
そうそう、あごだしのあごです。
トビウオなんですね。
24:01
なんか魚介のラーメンなんですね。
魚介と新潟県の鳥のエキス。
旨味がすごい。
すごいでしょ。
あごすけさんね、いろんなラーメンがあるんですけど、
どれ選ぶかによって変わるんですが、
一応一番看板メニューと言われているのが、
鶏塩三担麺。
これとかだとやはり鶏のラーメンなので、
チャーシューも鶏なんですね。
これがね、また炙って出してくれてね、
これが美味しいんですよ、本当に。
炙りチャーシューがいいよね。
あの香ばしさがいいんだよね。
そうなんですね。
この鶏塩三担麺に関して言えばだけど、
割と丹麗のね、すっきりとした旨味が深いんだけど、
こってりというよりはすっきりした味わいなので、
そこにこの炙りが余計コントラストが引き立つわけなんですね。
特徴的なのは、麺とスープは一緒に出されるんですが、
チャーシューとかは別皿で提供されるんです。
つまり鶏のもも肉だと思うんですが、
炙ったものと、
あと刺身の部分の、これが2種類のチャーシューなんですね。
と野菜、メンマかな。
これが別皿で提供されるので、
僕はね、このももの炙りチャーシューね、
おつまみとして柚子胡椒があったので、
それをつけて食べちゃいましたね、
ラーメン入れる前にまずね。
4個くらい出てきたので、4ブロックくらい。
へー、じゃあトッピングとしてもいいし、
別でおつまみ的にね、おかず的に食べてもいいしみたいな。
そういうことです、そういうことです。
へー。
これがまたね、だから食べ方のバリエーションも広がっていいなと。
だってやっぱりなんといってもスープが本当においしい。
これはなるほどと思った。
へー、いいなあ。
うん。
魚のちょっと渋むみたいなのがまた効いててね、
いいんですよね。
あこだしは割と香ばしさというか、香りがね独特というか。
はい。
あとお店のコンセプトとしてはね、
異色同源、
これ中国の漢方の考え方だと思うんですが、
ラーメンって結構ジャンクなイメージあるけど、
ここはそうじゃないんですね。
つまり薬船みたいなコンセプトを持ってラーメンを作ってらっしゃる、
すごい丁寧な作り方のラーメンなので、
こってりっていうラーメンはあったけど、
シャンタン麺については割とあっさり系のものになっている。
まあ異色同源って、
食べ物と薬は同じだよみたいな、
いう考え方でね、
ざっくり言うとね。
だからやっぱりいいものを食べないとっていうことですよね。
いい調理法によって。
っていう薬船中華的な側面もあるね。
そこも結構強調されてるポイントです。
気になるね。
ただね、やはり並ぶんですね。
毎日になっちゃうんでしょね。
これちょっと次の雑談会で話そうと思うんですけど、
初めてこのポッドキャストのために実際に旅行に行ったんです。
逆で。
行ってきたんですね、7月のなおえですね。
なのでもう2、3週間前の話なんですけど、
27:01
これ食べてきたのが。
もう1になっちゃったっていうこともあると思うんですけど、
2時間弱並んだんじゃないかな。
マジ?
7月の連休中だったっていうのは多分あると思うんですけど、
ただ並んだんだけど、
暑い中立ってたとかじゃなくて、
ロードサイフなので、
車の駐車場もあるんですけど、
最初にお店の入り口に行って、
券売機みたいなのが、発券機みたいなのがあって、
それで取るんですね。
それであなた何十番ですってなって、
そしたら車の中でクーラー利かせながら待ってていいわけです。
しかもいいのが、
俺が見た時も2時間、2時間みたいになったんだけど、
約2時間になったんだけど、
あなた何番ですよっていうレシートにQRコードがついていて、
それを読み取って、
メールかLINEかを設定すると、
あともう少しでなりますよって時にお知らせしてくれるんですね。
ありがたいね。
なのではっきり言って2時間とかであれば、
その間に例えば博物館見に行っちゃったりとかもできなくはない。
ちょっと危険な気もするけどね。
逃したら困るから、その2時間とか。
ただそれぐらいのことはできるかもしれません。
なるほどね。
なのでそんなに待ってることがさすほど苦ではなかった。
僕は実際収録1回リスクになったので余裕生まれたんですけど、
この収録かなり余裕がなかったので、
車の中で山梨の台本を作りながら待ってました。
ありがとうございます。
という感じで結果で生まれたんですけど。
ただそれでもね、結局僕が呼び出されて、
あなた残り10組ぐらいなのでお店に来てくださいって呼び出されて行ったら、
もう整理券なかったですね。
もう本日の受付終了しましたって画面で出てまして、
そこから来たお客さんすごいたくさんいたけど、
わーって帰っちゃう。
じゃあちょっと博物館の前に受付してみて、
そこで調整する方がいいかもしれないね。
その可能性も高いと思います。
同線上、上越名工とあごすけの間に博物館があるので、
今回はこうしましたけれども、
むしろ内田の今のプラの方が現実的かもしれない。
待つという意味でいいと。
食べたければね。
なので時間に余裕のある方の方がいいです。
僕も直越2回目だったので、
これ1日に行ったわけじゃないんですよ。
今回別に。
なのであごすけさんにむしろ行くのが結構目的の一つでもあったので。
っていうラーメン屋さんなんですね。
じゃあここに行きたい人はちょっと結構目がけて。
の方がいいかもしれないですね。
というのが名屋あごすけさんでした。
無事にお昼食べれたとして、
そこから車で10分ほど西の方に行くんですけれども、
そこについに出てくるのが、
かすが山城です。
これはもう言わずと知れた上杉謙信の本拠地ですね。
かすが山というのは大取のかすがさんのかすがの山といって、
かすが山城ですね。
そうか、ほっかむりをしてるのが謙信なのね。
見たことありますよね、多分このビジュアルね。
白い図巾を巻いて。
30:01
そういうわけでこのかすが山城というのが上杉謙信、
そして長尾家累代の本拠地です。
なのでお父さんの長尾ためかげもここが本拠地です。
上杉家のところっていうわけではないのか。
長尾家の本拠地です。
ゆっくりゆっくりこれから話す事情によってこの人が上杉家を継ぐんですけど、
それからは上杉謙信の本拠地となってね。
これ大名詞ですね、かすが山城といって。
そのわけで長尾陰虎さんの話に戻しますと、
家臣から衰退される形でお兄さんが譲り受けて家徳を継いだ。
そうなった時に彼はどういうことをしなきゃいけないのかなんですけど、
とにかく武田と違うのは、
彼はまず越後国内の動乱を沈めなければいけないところからがスタートなんです。
そうか、国内がまず見慣れてる状態だから、
まずそこからだと。
お兄ちゃんの代に反乱が起きまくっているので、
これをどうにかしなきゃいけない。
ということをまずやらなきゃいけないんですね。
なるほど、それは竹田とはちょっと違うね。
そう、それがスタートが違うんです。
ですからまず謙信が、陰虎がやったことというのは、
反抗している親戚とかを近いところからどんどん従えていくんですね。
この人も戦国最強と言われている人なんです。
傭兵術に長けていたと言われてはいるんですけど、
ある種この人についていけばというような歌詞もやっぱり思ったでしょう。
まあこんだけ強い人についていけば。
あのためかげよりもこれはただものじゃない。
ビシャモンテンの化身って言ってるらしいよ。
何それって。
当時から言ってたの?
言ってる。
自分で言ってるんです、これ。
常にビシャモン道という、これ霞山城に残ってるんですけど、
祈りを常に捧げる。
戦の北方の守護神として祈りを常に捧げて、仏に仕える身なんですよ。
やむなく従わない人がいるから、みんなのために戦わざるを得ない。
っていう彼の心情なんですね、ポリシーなんですね。
だから無駄なことは、ある意味竹田信玄とは全く違う理由で、
無駄な戦をしたくない人だった。
何を無駄とするかだよね。
そういうことなんです。
だから剣神というのは、常に自分はビシャモンという悲心であるから、
自分についていけば負けることはありえない。
だって神徒家様なんだから、自分自身が。
っていうぐらいのブランディングを自分でするんですよね。
ブランディングと言うとちょっとやらしい感じがしますけど。
ただそう言われるだけでもともとお坊さんから出てきたっていうところもちょっと神秘性をね。
そうだね。
なんとなく神秘性が出るよね。
運命に導かれたんじゃないかっていうふうに思った人もいたでしょ。
その周りの家臣たちも。
だし強いし。
実際強い。
だからみんな従い始める。
ようやく越後の国の一つにまとめていこうとするんです。
っていうのがスタートなんですよ。
実際それをうまく成し遂げて、長尾、ためかげ、お父さんの勢力、
33:01
あるいはそれ以上にまで越後の人をみんな心腹させるんですけど、
この人がちょっとやっぱり不思議だと言われるゆえんは、
ちょっとやはり独特の感情を持っていたのか、
あるいはそれすらも経産だったのかっていうのは、
考えると面白いところではありますけれども、
家臣たちはそういうわけで、もともとは同僚なんですよ。
長尾家の苦しいところ。
正当な権利を持ってないんですよ、別に越後で彼らを従える。
ただ実力行使とカリスマ性で、
上杉賢臣、影虎には使いようというふうになっているだけなんですよ。
だから長尾家の家臣、もともと同僚だった人たちというのは、
みんなわがままなんです、非常に。
どうすれば無法を起こせばいいじゃん。
そもそもだって別にあいつは主じゃなかったし、
たまたますごいのが来たから今やってるけど、
みんなそういうモチベなんですよ、大体。
どうなるかっていうと、
家臣の中で喧嘩がよく起きるんです。
家臣同士で、別に上杉賢臣に対してどうこうというんじゃないんだけど、
みんな同僚なのよ、そもそも。
なんかやら俺が言ってやるみたいな。
そうそう。
それがあまりにもひどいと。
要は賢臣は頑張っているのに、
みんなが無駄な争いを避けるべきなのに、
争いの火種を家臣たちが勝手に作っちゃうんですよ、いろんなところで。
それで気に入らなかった方は長尾についでに反乱を起こしちゃうみたいな。
それで影虎さんが戦いに行かなきゃいけない。
なんでこいつらはこんな平和な世界が理解できないの?
なぜこいつらはこんなバカバラなの?
ということで家出しちゃうんですね。
嫌になって。
お坊さんだった時の師匠に手紙を残して、
もう私は嫌になりました。
こんなバカな家臣たち、もう勝手にすればいい。
私はやっぱり仏の道に生きるのが本分ですから、
戦もしたくないし、こんなバカな家臣の党首である必要がもうないと思って、
全てが嫌になりましたって言って、ある日突然いなくなるんです。
なんか人間らしいというか。
気持ちはとてもわかるね。
部下が言うことを聞かないですよ、とにかくこの企業は。
社長の言うことも聞かないし、部下同士が仲悪いし。
で、失踪したんです、本当に。
勝谷麻生から急に消えた。
でもそうなってみると、家臣たちは焦るんですね。
そうか。
どうしたらいいのかわかんなくなるよね。
だって彼らが仲悪いと同じチームにいたのは、
長尾賭虎っていう一人の天才の武力によって、それについていくっていうところはみんな同じだった。
それの同士のいざこざが起こってたから、
その頭が首ですよ。竜の首がいなくなったら、
もうあと、えー?みたいな。
どうするけど、分裂しちゃうけど、えー?みたいな。
なって大混乱。
さすがにやばいってなって、後から追っかけていくんです。
ちなみに、どこに失踪してたかっていうと、
和歌山県の工屋さんを目指してたらしいんです。
そこでもうお坊さんの修行の道に戻りたかったみたいなんですね。
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と、表面上は言ってる。
少なくとも。
そっちの方が心穏やかにね。
変な馬鹿な家臣にせいで戦うよりは。
で、家臣は慌てて追っかけてきて、
本当にごめんなさい、もう二度とそういう無駄なことはしませんから、
戻ってきてくれませんかってどけさせて、
それで連れ戻した。
工屋さんに行く途中で捕まえた。
なるほど。情けないね。
で、だんだんそういう風にして、
心を一つにしていったんですね。
英中語の国の心をね。
失って気づいたのね。
家臣たちもね。
それでも実はこの後、それでも反乱を起こすんですけど。
どうしようもねえな。
そうなんです。皆さんそもそも。
でもそうだよね。
立ち目が違うんですよ。竹田とは。
戦国時代なんてまあみんなそうだよね。
何かあったら上に登ってやろうみたいな。
私、竹田と違うのはさっきも言ったように、
長尾は正当な君主じゃないんです。
あくまでも代理みたいなものなんですよ。
そこなんですよね。
だから竹田信玄と上杉謙信、世代的にはここの違いでほぼ同年代みたいなもんですけど、
家の格とか、家としての成熟度の度合いは、
僕が思うに一世代違うんです。
竹田信玄は国内を地上や追放っていう非常手段を取ったけれども、
まとまった状態に諏訪に攻め込むところからがスタートなんですよ。
長尾賭虎は、まずそもそもぐちゃぐちゃになってる家と越後の国をどうにかしなきゃいけないところからがスタート。
確かに。
そうなった時に彼が必要だと思ったのは、
いかにその人を引きつける力があるか。
利益とかじゃない。もう他国に侵攻する余裕なんてこの人ないんですよ、そもそも。
そうか、そういう余裕がないのか。
そもそもできないんです。
僕はすごいうがった見方をすると、
謙信というのは僕はすごく賢い人だったと思うんです。
変な人って思われてる人もいるけど、
僕はこの人は非常に計算高い人だったと思う。
それはちょっと理由あたり話すんですけど。
だから僕は、なぜビシャモンって選んだ。
北国のね、北陸の仕事って今もあったでしょうけど、
それすらも長尾賭虎の武力による支配じゃなくて、
何か別の宗教的権威、何か神秘性を持った、
一人の神秘のベールに包まれたアイドルじゃないけれども、
そういった子に自分を持っていくことで、
家臣たちを従わせようとしたんじゃないか。
精神で従わせようとしたと思うんです。
なるほどね。
そのためにキャラとかブランディングをしなきゃいけないと、
この人は気づいてたと思うんです。
まあそうか。
だからそういう状況の中でまとめるには、
そういう方法でやらないといけないと。
いろいろ方法あったと思うけど、
その時に彼はお寺で使用したって出自を利用したかもしれない。
兄とは違う何か。
なぜ兄から家族を譲られるべき存在なのかっていう。
そしてもう一つは、
他国に侵略する余裕は絶対にないんです。
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もちろん長尾家に。
それを弱さとしてじゃなくて、
それが正しいと思わせなきゃいけない。
ってなった時に、
つまりできないんだよ。
できないんだけどしないんですって言った。
結婚できないんじゃない。
俺はしないんだって。
それ違うやん。
まさに彼と同じなんですけれども。
君も親付けじゃないけれども。
でもそうだったと思うんです。
僕はね。
なるほどね。
彼は誰よりも長尾家の現実を分かってたと思うんです。
すごく賢い人だと。
なるほどね。
そうか。
みんなのためにしか戦いませんよって言えば、
侵略はしなくたって済むし。
そう。
そういうやつなんだな。
そういうキャラだなって思わせれば、
侵略できないの。
本当は。
だけどしない。
しないだけだからできるけどね。
強いからできるけど、
みんなのために思ってしないんだと。
だから俺は第一義なんだって。
なるほどね。
それがこの長尾陰虎と長尾陰虎使えるやつの行動規範なんだ。
みんな人のことを人のことを思いやれ。
なんでお前たちはそんなにわがままなんだ。
私を一本するぞってことになる。
そう。
なるほど。
それは確かにね、
いろんな問題を封じられる感じはあるね。
そう。
強引ではあるかもしれない。
ただそれを兼ね揃えるだけの何かの独特な、
やっぱり神秘性と戦の強さを持っている。
そうだね。
だから僕は武田信玄とこの人は似た者同士だと実は思ってるんです。
この人たちはなぜ強かったかっていうのは、
客観的に自分を見る力がこの二人はずば抜けて高かったと思う。
なるほどね。
はあ。
本当にその自分の土地と周りを見て、
自分がやるべき役割を演じてると言うとあれだけど、
作り上げて仕事をしてるっていう感じだね。
それがこの越後長尾家にとっての行動規範なんです。
なるほど。
だから常にビシャモンテンの旗を掲げるんです。
やむなく仏になり代わって天罰を下すんだよ。
侵略者たちに対して。
なるほどね。
確かにそういうキャラ付けっていう見方はできるね。
現実でできないんです。
信仰は。
それどころじゃないんです。
絶対に。
っていう話です。
では前半戦の話。
霞山城の話に戻りますけれども、
上杉謙信の居場です。
ここも日本を代表する山城の名城と言っていいでしょう。
本当にここも立派で巨大な城なんですね。
この霧のかかった姿とかも幻想的ですよね。
霞山城は一つの山とその周りに連結している尾根を、
連合体みたいにして城にした要塞なんです。
だから実際車で行く場合は、
霞山城の中に今上杉謙信を祀っている霞山神社というものがあって、
その徴収場に車をつけます。
その神社の階段を登って、
神社に参拝をしてみてください。
せっかく上杉謙信を祀っているので。
その脇から登山口があるんですけれども、
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山を登っていくと、
この尾根の減りのところをすごいカーブで曲がっていくんです。
それくらい尾根と谷のところを天然の惚れに見立てて、
要塞化した巨大な城なんですよ。
つまりこれは完全に防衛城を特化してしまうんです。
武田斗司川のそこでもあります。
つまり他国から攻められることも十分に想定している。
実際に反乱が起きたときには攻められている。
お兄ちゃんの代わり。
実際に守ってきているわけだもんね。
そういうことです。
実際そのゆえんもわかるというものです。
あれだけ巨大な尾根を天然の惚れに見立てたら、
そうやすやすとあれは攻められない。
もちろんその上に防衛城の設備を置いていたわけなので、
地形を利用しながらも人工の人の手を加えて要塞化していった。
そして実際今もね、
笠ヶ山城本丸まで乗っていくと山の上なので、
直越の港、上越市の港、日本海も見渡せますし、
米所越後の青々とした美しい田んぼの田園風景も一望のものに収められます。
絶景でスポットとしてもいいと思います。
ハイキングとかでも良さそうだね。
そういうお客さんたくさんいます。
なのでここは山城の中ではかなり人が多いと思います。
人気ですね。
もちろん上杉謙信の知名度っていうのが操作するのは間違いないんですけど、
すごい整備されているので、
山城初心者の方にすごくおすすめです。
なるほどね。
舗装されてますのに登りやすいです。
この写真見ててもね、
ハイキングに良さそうな登山道じゃないけど、
結構整備されてるね。
歴史興味なくても軽くハイクしようという方は全然良いと思います。
時間とっても僕の場合だったら、
だいたい笠ヶ山神社で参拝してから1時間もあれば一回りはできましたね。
山の上に登って降りてきてっていうのできますので、
本当に手軽に。
もちろんね、歴史も考えながらね。
良いと思います。
この笠ヶ山城の上にはちなみに本丸、
当時の建物は残ってないんですけど、
上杉謙信がやっぱりその美車門店の化身だったって言ったことで、
彼自身がね、美車門堂というところに常にこもっていたんですね。
そのお祈りを捧げる時はね。
なのでその美車門堂は復元されて今も残っていて、
そこに実際に美車門店が今も祀られている。
そういうところやっぱり上杉謙信という人のカリスマ性が今も息づいてるなっていう様子をね、
感じられるんじゃないでしょうか。
なるほど。
どうも、お馴染みになってまいりました。
編集辞典の内田です。
今回もですね、歴史トークに花が咲きまして、
時間切れということでここまでにしたいと思います。
後編はですね、また次回の配信とさせていただきます。
次回はですね、9月の16日月曜日の朝8時配信予定となっております。
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後編もですね、上杉トーク満載でお送りしますのでお楽しみに。
ということで今回はこの辺でありがとうございました。
45:19
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