“群竜無首”のカリスマ論 毘沙門天変幻記1日目後編
「毘沙門天」の霊威をその身に纏い、北方の戦神として君臨した上杉謙信。その半生のほとんどを戦場に過ごし、北陸や関東を長駆した足跡は、圧倒的なカリスマ性を日本史に刻みました。彼の奉じた“義”の精神は上杉家の象徴と知られますが、その淵源を遡ると、謙信の向き合った困難を窺い知ることが。今回は、その本拠新潟県の史跡を集中して訪ね、“越後の龍”が吐いた英気と風雲を仰ぎます。
【目次】
〜 ご聴取いただく前に
〜 謙信の事績を辿るマストスポット 【林泉寺】
〜 ★歴オタ話★ 高らかになった“第一義”のブランド その功罪を考える
〜 謙信と春日山城の実像を表す 【上越市埋蔵文化財センター】
〜 ★歴オタ話★ “侵略者”へ変容した謙信とブランドの虚実
〜 地魚・地野菜・歴史トーク! 隠れ家居酒屋でとっておきのひと時を 【八重菊】
〜 1日の振り返り
〜 神秘のベールに包まれたカリスマ “越後の龍”のリーダー像
お便りフォームはこちら
関連SNS 公式Xアカウント:@ototabi_podcast 公式Instagramアカウント:@ototabi_podcast 晴也旅行Instagramアカウント:@hanakin_kozakura イラスト:shoki @shoki 音楽:BGMer http://bgmer.net
00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな荒沢男性2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介しながらお話をしていきます。
宇治沢です。今回はですね、上越のコース【群流無種のカリスマ論】毘沙門天変幻記の1日目の後編となっております。
前編をまだお聞きでない方は、ぜひそちらからお聞きください。それでは1日目の後編です。どうぞ。
かつが山城から車で5分ほど、山を下ったところにですね、あるのが凛泉寺というお寺です。
地で言うと、林の泉の寺と書いて凛泉寺。これはね、先ほどちょっと実は名前出しましたけども。
若き日の上杉賢治、長尾影虎が預けられたお寺ですね。そして今彼はここに眠っています。お墓もね、今減損しています。
そもそもこの凛泉寺というのは、上杉賢治のお爺ちゃんが築いたお寺なんですね。
かつが山城の本当に山陸にあるので、ほぼ城と一体と言っていいでしょう。そこにその長尾家の御大事として築いた寺院なんです。
だから預けるとしたらここってのは当然なんです。
我々にもちょっと愉快に深い総統州の凛泉寺でして、非常に立派なお寺でありつつも、かつが山城の尾根の谷合いの中にありますので、
僕が行った時実際ちょっと雨も降ってたんですけど、霧がね、山から降りてきて、これがまたね、実に幻想的でいい風景。
2週間前、3週間前に行った時はでしたね。
じゃあまあ割と修行職のあるお寺っていう感じなんですかね。
だけど今はね、修行というよりも、やはり上杉賢治の寺というか、あまりにも有名なので、その観点でね。
宝物館があるんですけど、そこにやはりね、上杉賢治ゆかりのね、物がたくさん残っていますし、肖像画もあるし、
彼が掲げたビシャモンテンの旗だと。竹田でいうエリン寺みたいな存在ですね。お墓があるところも含めて。
なので上杉ファンはもう絶対ここはもうマストスポットです。間違いなくマストスポットになります。
まあお墓ある時点でね、巡るべき場所ですね。
でね、まあちょっとここからまた上杉賢治に戻るんですけど、そういうわけで長尾影虎、当時は行っていましたが、
結局そういったブランディング、僕の仮説はブランディングをしたんじゃないかと思うんですけれども、
そのブランドがね、高らかになっちゃうんですね非常に。つまりどういうことかっていうと、戦国時代、特に竹田信玄なんて侵略の鬼みたいなことをやってるわけですよ。
ああいう中にあって人助けをする。自分のために領土を奪うんじゃなくて、誰かのために戦う。領土を奪わない。
03:01
しかもめちゃくちゃ強いらしい。
あの人を頼ればなんとかなる。助けてもらえるんじゃないか。だって助けてくれるって言ってるんだし。
なるほど。
いろんな他国から人が来ちゃうんですよ。
なるほどね。それはそれで困るね。
そうなんです。これが謙信の事業の成功の秘訣であり、やはり限界だったと思うんです。
どういうことかっていうと、誰が来たのか。
まず一人が上杉典政という人物が来るんですね。
上杉だ。
ちょっと端折るんですけど、上杉っていうのもいくつか上杉家っていうのがあって、みんな元々は一つなんですけど。
長尾家が使われていた越後の上杉家と、さらにその主辻みたいな上杉家っていうのが群馬にいたんですね。
群馬にいて関東官礼という室町幕府の職業においては関東を統括するべき総理大臣みたいな人なんですけれども、これも上杉家なんです。
ところがこの関東官礼が関東を治めるのが正しいあり方なんですけど、それを脅かす存在が現れたんですね。
これが小田原から現れる北条。北条氏康という人物が小田原の3代目なんですけど、これがよく分かんない伊勢壮瑞とかっていうわけ分かんない奴が急に現れて小田原に乗っ取ったと思ったら、その孫に至ってとうとう上杉にまで攻めてきて、関東一連になんか支配を広げようとしている。
いきなりポッと出てきたくせに。許せないわけですね。上杉からするとね。あんなよく分かんないのが自分の血を脅かすっていうの。
しかも強い。それで任されて群馬がもう奪われちゃう。やばいってなって、長尾家って自分の家来でもありますからそもそもね。しかも長尾影虎っていうのが最近すごいと。
群馬から越後に逃げるんです。影虎に頼むから北条氏康っていうのを追っ払ってなんとかしてくれ。俺の上杉家の秩序をもう一回ちゃんと復活させてくれ。だってお前長尾家だろそもそもっていうふうに言うわけ。
けんしんはブランディングのこともあるから、いやもちろんです。そんな北条氏康なんてのはもうこの世に存在しちゃいけない北条一、そんな関東の秩序に急に小田原に現れて関東を侵略するなんてありえないんです。彼が掲げてるブランドからしても。
絶対に俺は北条氏康を許さないって言って、けんしん閲山ですね。初めて関東に出陣してくるんです。小田原全部です。小田原北条っての嫌われてましたから。侵略者ですから。だから関東に北条に虐げられていた人たちが、あの長尾影虎が上杉をためにやってくる。
これでようやく北条も潰れるはずだ。俺も長尾影虎に就こうって。続々と越後から攻めてくるとそれに加わってくる。みんなその長尾影虎に期待して。小田原を攻めるんです。ところが小田原城っていうのは自慢みたいですけど、もう名城中の名城。絶対に持ちないんですこの城。そして北条氏康というのもすごい優れた武将だった。
06:06
だから大軍である上に長居ができないというのを見抜いてたんです。米が足りないんですよ。弱点なんです。しかも勝手にどんどん集まってきちゃったから。みんなが期待して。
そうか。その大軍に備えてないわけか。 長尾はね。ある意味で言うと。だってそもそも彼はようやく越後をなんとか一つにしたくらいの勢力です。 そうだよね。 けどブランドの力によってみんなが集まってきて大軍になった。
すごいんだけどね。 すごいです。だけど弱点はそこだったんです。北条氏を見抜いてたんです。小田原に籠城して待ってたんです。ひたすら。ひたすら守りを固めて、彼らが疲れてくるのを待ってたんです。
それがうまくいって、長尾陰虎としては上杉を助けるために小田原に追い込んだというので十分なんですよ。つまり助けたんです。 けど彼はほとんど土地を奪ってないんですよ。土地を奪うのも目的じゃなくて、とにかく北条っていう絶対関東の秩序に行っちゃいけない侵略者をやっつけるために出陣したわけです。
そうか。追っ払えればもうそれで成功なのね。 そう。けど彼はそれがうまくいかないと僕は分かってたと思うんですよ。 なるほどね。そもそも彼は小田原城を本気で攻めて落とすつもりはなかったと思うんですよ。
本人の利にはならないというか。 そう。パフォーマンスなんです。ブランドを存続させるためのパフォーマンスが必要だったんです。
なので何をしたかっていうと小田原城を攻めるその足で鎌倉の鶴岳八幡宮に行って、上杉典政ってその頼ってきた上杉から家徳を譲ってもらうんです。その養子になるんですよ。
つまり長尾家の長尾影虎だったのが正式に上杉典政から上杉の名を養子を譲られて、あなたこそが次の関東官令にする。
だからあなたは長尾家の出身なんだけど同時に関東の秩序の長さたるべき人物になれって言って、その資格を与えられるんです。
だから彼は上杉のお住みつきもつけてようやく越後を治める権利と関東の秩序を正す権利っていうのを正当性を認められたんです。ずっと欲しかった正当の権利。
そのためのパフォーマンスを擬似するんです。それを北条に仕掛けられてた小さな武将たちがみんなが見てる前でそれをやるんです。
盛大に続く価値マンガ。これは本当に救世主が現れたって思ってたと思います。周りの人たち。
ところが謙信は小田原城を落とさずに越後へ帰っていく。十分役割を果たした。
言うと北条は彼はわかっているのでまた小田原から出てきて、またバーって死にたくなって、結局また関東が。
長尾陰虎は頑張ったけど、結局北条に奪われているので取り返すことはないんです。
っていうのがあるんですよ。これが一人。
もう一人はシナノの国にいた豪族たち。村上義経という人物がいたんですが、これが城を追い出された。
09:07
どうして追い出されたんですかって話をしたら、貝の武田信玄っていうのが異常に強い。
なんであいつはあんなに強い。そして容赦がない。俺の領地も全部奪われてしまった。
強すぎる。何とかしてくれませんか。って頼ってきた。謙信は断らない。断られないんです、彼は絶対に。
ブランドのために。川中島に出陣するんですね。これが武田とウエスリーなんですよ。
断れないんです。治療の効果を揺るがすんですよ、これを断る。
それのおかげで上越は治められてたわけです。
欲しかった正当性もようやく得られたし、ブランディングがうまくいったんですよ。
ここで上杉になるわけね。そういうことです。
謙信というのは最後出家した後の話なので、この時上杉謙信、名前何度も変わってるんですけど、
上杉正虎と名乗ったり、あるいはこの人はやっぱりね、この世の中のあるべき秩序のために上杉謙信という人物が存在しているっていうのが考え方なので、
足利将軍家とかその自分より偉い人に対して従順なんですね。
だから上杉テル虎って名乗った時期もあるんですけど、これは足利義輝さんっていう将軍のテルをもらったり。
武田信玄はね、そこを利用するだけなんですよ。権威なんての。そもそも宗教も権威も利用するだけなんです。
上杉はそれを正当性の担保、これも利用してるんだけど、より従順なんですね。
侵略したいわけじゃないから、人間関係をうまくやってたほうがうまくいくというか。
この世の中のあるべき秩序にとにかく自分は従順。
それを脅かす北条氏や武田信玄なんて訳わかんない侵略者は絶対に許されない。
っていうのがね、この臨泉寺というところに行くと上杉謙信が書いたね、いろいろその精神、ブランドのための物がね、
美車門店の像ももちろん残ってますし、そういった異物がたくさん見られます。
その辺もおぼろげにわかってくると思います。
最後にね、そこから車へゴフゴフと行ったところに、上越市埋蔵文化財センターという資料館があります。
埋蔵文化財があるんだね。
ここがちょっとミソでして、埋蔵文化財っていうとつまり考古学ですよね。
出土品とかをやるので、嘘をつけないところなんですよ。
その当時の人の生活とかがありのまま遺跡として出土してくる。これを集約してるところなんですね。
ここからが上杉謙信の後半戦の話なんですけど、
上杉謙信は川中島の話とかいろいろあるんですけど、
川中島も結局村上義経って武田に負けた人が何とかしてください頼ってきたんだけど、戦いました。
で、めっちゃ激戦繰り広げてすげーってなったけど、土地は武田に奪われたままなんですよ。
12:03
だから村上義経も結局自分の望みを果たされてないんです。
上杉信政も村上義経も頼ったんだって頑張って、謙信がめっちゃ頑張ってくれてる。
これはいけるかもと思ったけどいけてないんですよ。
つまり上杉謙信は誰かのために戦う。で、頑張る。派手に戦うんですよ。非常に。派手にセレモニーもする。
で、ブランドめっちゃ高めたんだけど、実際に土地は奪わない。奪えないし奪わないんですよ。
これがね、絶妙なところなんですよ。つまり誰かの期待は裏切らない。期待は裏切らないんだけどやりすぎないんですよ。
一戦を保つんですよ。
だから頼ってくれた人の期待や答え。頑張ったけどでこめにできなかったわっていうことなんですよ。いつも。
そうか。それを続けてると信頼がなくなりそうな気もするけども、まあでもそれでも頼ってもらえてたんだね。
でもじゃあ何を頑張ったかって証を立てるかっていうと、すげええげつないことすると首の数と城の数なんですよ。
土地は奪ってないんだけど、城を一時的に攻め滅ぼして多くの相手の大将を打ち取って、このやっぱ長尾陰虎様、上杉謙信様っていうのはもう神様、戦の神様なんだ。
そして俺たちのために戦ってくれてるんだというモチベーションを高める。
で実際に相手のあの憎たらしかった大将も打ち取った。あの憎たらしかった城も奪えたと。
だけど謙信は関東にも何度も何度も来てるんですよ。小田原の方にも来てるんだけど、そのために城が引いてくるようにサーって帰ってくるんですよ。
ある一定のブランディング力を誇示した後。
なるほど。
それは侵略しないっていうところを守ってるっていう見方もできそうだね。
だしそれができないとやっぱり思ってたと思う。
つまりやっぱり長尾家、上杉謙の力っていうのはそこまでの域に達してないっていうのは誰よりも分かってたと思う。
なるほどね。
自分個人のカリスマ性とブランディングってものがあるから今強くいられるけど、非常に脆弱だっていうのを誰よりも知ってたと思う。
まあそうか。地元が危ういっていうところもあるだろうしね。
そもそも生徒の国首じゃないんだもん。長尾家なんて。
っていうのが前半戦だったんです。
ただ後半戦になってくるとややこれが違ってくる。
つまり組織としてやはり静粛し始めた。
カリスマ一本ってなってた上杉家というものがだんだん武将たちも慣れてきて謙信のやり方。
武田二十四将じゃないけれどもそういったのも育ってきたんですね。
上杉謙信というのは人助けをしていて侵略してないっていう思われがちなんだけど、これは違うんです。
後半戦においてはこの人は立派な侵略者をやるんです。
これがねブランドの転換点であり彼の実装だったと思うんです。
上杉謙信は武田信玄との戦いを終えた後に北陸へ進行します。
富山県に攻め行って富山を滅多滅多にするんです。
前富山の時に富山城というのが神保という人がいたけれどもそれが上杉謙信に防衛されて富山は大荒らされたと。
15:08
あと青山さん日赤寺って魔害物のすごかったとこあると思うんですけど、あれも上杉謙信の陛下にかかって魔害物以外は焼損したりしてるんです。
それも名分では人助けみたいになってるんだけど、初めて越後の国外に本格的に自分から攻めて領地を取っていくんです。
それが西に西に行って越後、越中、富山ですね。そして香川、野都、石川県に呼んで攻めていくんです。
この辺も要は上杉の領土にしていくんです。
だから彼は後半戦においては自分の土地を増やしに行ってるんです。明確に。
土地として成熟したのを見たらブランドよりも実利を彼も取り始めるんです。
そうすると当然ブランド既存じゃないかってこともあり得るので、そこが上手いところは彼は常に誰かを敵に仕立てるんです。
天罰をくざすべき相手がいるっていうことを言い始める。
それは武田信玄、北条治安がまずその筆頭ですけど、次に上がってきたのが織田信長。
織田信長は室町幕府の足利義明様を追放した。許されない。こんなことは世の中にあったらいけない。天罰を下しに行くって言って、そのための足掛かりには土地が必要だって言い始めて富山を攻め滅ぼす。
香川、野都も攻め滅ぼして、実際香川で織田軍を打ち破るんです。
北陸から要は西農に攻め入ろうという気配を見せる。
何だろうね、その裏にあるのはやっぱりもっと豊かにしたいみたいなところなのかな。
ここがね、僕もわからないんです。なぜ上杉謙信は侵略戦争を始めたのかが、ちょっとわからないんです。正直。
だからそれだけキャラを作ってると、その裏の真意はもう誰もわかんないよね。
難しい。上杉謙信というのはね、すごい難しいんです。この人は本当に。
掴みどころがない感じですよね。
上杉謙信はすごく賢い人だったから、組織が成熟するまでの、そのためのブランドだった。
それが終わったら、もう侵略戦争に行く準備ができたって思ってたと思う。
実際やるんですよ、後半戦に。
そうか、だからそれをずっと見据えてやってきてた可能性もある。
あると思います。やってきてたと思います。原理それは成功していたのです。
なるほど。
埋蔵文化財センターに行くと、そういった実像の上杉謙信というのが見えてくる。
つまり、ヴィシャモンテンの美を描いて高らかにブランディングするじゃなくて、
かすが山城と上杉家というものが使っていた遺物がたくさん出てくる。
そうすると、実は上杉謙信というのは非常に経済感覚の敏感な人で、
越後の産業を京都に、今では北前部での走りみたいなことを日本海を使ってやって、
莫大な履歴をもげている。
アオソという異類の原料を大量輸出している。
その痕跡も見られて、実際に豊かな国を実現している。
18:00
だから仏に使える人が金儲けなんてちょっとあれなんだけど、
金儲けをしっかりしている。
だから金は全然、現実感覚にすごく優れた人。
ブランディングのためにそれを離れたように見せているだけだったと思う。
それを知ると、国を豊かにしようとしていたのかなという感じがするね。
それが自分に使える家臣たちのために豊かにしていた。
これは武田家と一緒なんですよ。
あるいは何かもっと僕が破壊しれない深い精神的なモチベーションがあったのか。
本当に何かが乗り移ったのか。
ただ歴史的史実として、上杉家は越中、加賀の音というのを自分のものにしている。
それで織田軍を打ち破って、いよいよ京都に攻めくるんじゃないか。
北陸から攻めてくるんじゃないかという時に、笠ヶ山城に戻って。
病気になくなったのは間違いないんですけど。
一般的に言われていたのは、河谷で突然死したと言われている。脳卒中みたいな。
この人ね、めちゃくちゃ酒飲んだの。上杉家の人って。
馬場入ってえげつないものが残ってて。
要はショットみたいなものがあるんですよ。
彼専用の。馬の上で戦しながら酒を飲んだって言われている。
しかも酒が強かったらしい。
そこもなんか、やっぱすげえ、違うんだなみたいな。
なんかね、ちょっと戦神っぽいよね。
ブランディングだと思うんですよ。キャラ付けなんですよ。派手なんだよね。
一時してやることが。
武田信玄は実利の面において、歯車に歯止めが効かなくなった侵略戦争。
上杉謙信はブランディングに歯止めが効かなくなってた部分があったような気がするんですよ。
だから彼は関東に並邦して北条をやっつけるなんて無理だって絶対分かってたんですよ。
ただパフォーマンスのために何回も行かなきゃいけない。
だって彼のブランドを肯定するためには絶対断れないから。
断れない無駄な戦いを何度もしてるんですよ。
ただそのために派手なパフォーマンスをして帰っていって、土地は全然得てない。
なるほどね。
けどそれをやることで信用はどんどん増えていくっていうことですね。
そしてようやく他国へ攻めることができたっていうのが最晩年。
ただその途中でも彼の寿命というのは、その組織を成熟させて他国に侵略できるところまでで尽きてしまった。
49歳って今から見れば若いんだけど、健康状態もあんまり良いような人じゃなかったようなので。
それもある意味だから仏道に仕えて、日に夜にこんな祈りを捧げてっていうストイックな生活なのに酒は飲むし戦はするしで。
健康を返したのも最もでしょ。
突然死をしてしまったと言われて。
というのが上杉天子の生涯なんです。
という文化財センターではそういった経済感覚には非常に機敏だった上杉天子の政治家としてのやり手。
だから決して愚道者ではないこの人と僕は思うんです。
っていうのを学び取れます。
わりと生活、その当時の生活を見れるっていう感じかな。
そういうことですね。
なるほどね。
21:01
それで1日目の目的地としては一旦観光としては終わりなんですけれども。
今回の宿泊地はそういうわけで直越という上杉天子が治めていた港ですね。
霞山城から見渡せる、すぐ仕切り距離の港なんですけれども。
ここに里との交路が繋がっていたり、今も港町として栄えているところでここに泊まりたいと思います。
ただその前に車を返さなきゃいけないので一度上越明王港駅まで15分ぐらいかけて戻る。
そこで車を返します。
もう返しちゃうんだね。
二日目は使わなくていいんです。
そこから上越明王駅から明光羽馬ラインという鉄道に乗っていただいて、
電車で17分ほど行くと直越駅に着きます。
終着点ですね。
この直越駅近くのホテルにチェックインをしてください。
特に指定はしません。
交付とかに比べると多くはないですが、ただ調べれば困ることはないかなという規模の感じですね。
だから直越で車借りてもいいという話だとね。
僕は実は直越で借りてるんです。
タイムスカーシアがあったので。
で、チェックインしてね。
直越の港町ですので、せっかくなので魚介とかを食べに行きたいと思います。
食べたいですね。
エチゴの日本貝の見込みをね。
ということでお勧めのお店が八重木区さんというところになります。
これは直越の町の商店街の中にある外観をまず見てほしいんですね。
渋いね。
激渋だね、これ。
本当に時代劇のセットかのような。
本当そうだよね。
木の建物で、扉も引き戸ですかね、これは。
京都の町屋じゃないけど、坂本龍馬さんとか出入りして爆末の感じですよね。
激渋だけどいいですよね。
なんかこの雰囲気はなかなかないですよね。
何かというと居酒屋というもんですね。
ちょっと静かめのハイセンスな居酒屋と言いますか。
ゆっくりとお食事を楽しむ居酒屋になるんですけれども。
やはりね、魚介、そして野菜が美味しい。
エチゴというのはもちろん今はね、コシヒカリということでもちろん日本を代表する米どころですけど。
野菜もすごく収穫できる。まず平野が多くて豊かな国土ですよね、エチゴの国土。
実際にね、僕は7月に行ってきたんですけど、その時の旬のもので申し上げると、枝豆ですね。
やっぱりエチゴと言うと。
いいね、出始めぐらいかな。
そうですね。あとは水茄子。
エチゴの夏といえば有名ですね。
夏野菜はエチゴは有名な国ですね。
美味しかったですね、これ。
枝豆、夏野菜。
いや、いいよね。
これ写真見ててもね、いい居酒屋って感じだね。
刺身もあるし。
そう、もちろんお魚もたくさんありまして、刺身盛りとかもナオエツに上がった地魚をね、調理してくださいます。
24:03
串揚げとかね。
そう。
まあ割と居酒屋飯っていう感じがするけど。
そうそうそう。上質な居酒屋飯です。
美味しそうだね。
もちろんこの雰囲気なので、どんちゃん騒ぎというわけでは決してない、本当に静かな居酒屋ですね。
けどね、個室も結構あったりもして、僕はカウンターにもちろん一人だったのでカウンターに行きましたけれど。
こういった上質な雰囲気の中で、地魚、地野菜、この二つは特に夏野菜が美味しかった印象がありますね。
いいっすね。
そして新潟の飲み物といえば。
日本酒でしょう。
これなんですよね。
なるほど。
ここもちろんご主人とね。
料理はご主人がやってらっしゃって、お酒はむしろお上さんの方が選ばれてたんですけど。
その方がお上さんが詳しいって自分でおっしゃってました。
お上さんを呼んできて、お上さんが選んでくれたんですけど。
それもやっぱり今の季節のもので、あんまり東京に出回ってないものとかで色々選んでくれて、本当に飲みました。
一人でしょ。
一人でめちゃくちゃ飲みました。
美味しくて。
いやでもこれはなんか長いし、そんな感じするね。
雰囲気もいいからね。落ち着けて腰を落ち着けてね。
いいっすね。
私カウンター席はそんなに多くなくて、6席くらいしかなかったので。
そこに大将が常にいらっしゃる感じなので、結構会話が弾む。
なるほど。
だから隣にいたご夫婦は明日佐渡に、尚越の港から佐渡に行くんだっていう世界遺産になりましたけど。
そうだね。
あと地元の方もいましたし、っていう感じだったんですね。
そして今回実は旅の目的地、この1日目はここで終わりなんですよ。珍しく1軒で終わりなんです。
っていうのはなぜかというと、長いしすぎちゃったんです。
なるほどね。
もう2、3軒行く予定だったんですよ。
他行けなかったんだ。
あまりにも美味しいのと、話が弾んじゃったんですけど、弾んだ理由というのがですね。
おかみさんがお酒を選んでくださったので、お客さんがわりと遅めに行ったのでやや吐けてきて、
わりとゆっとりがあるようになって、お店の方も。
で、どこから来たの?みたいな話になって。
これ面白いのが、幸福行った時もそうなんですけど、小田原ですって言うと、なるんですよやっぱり。
あーなるほど。
あの法上の。
まして、越後の上杉謙進化したら、ライバルと言いずりにもう許せないんですよ。
法上というものの存在が。小田原城っていうもの。ってなるんですよね。
あーなんか未だにその空気があるんだ。
でも、敵害心とかないですよ。
まあでも、ちょっとピクッとはなるわけだ。
うん。やっぱ小田原っていう時の通りの良さがちょっと、あ、あの法上の小田原城だよねみたいな。
あー。
蒲鉾だよねっていう風が大体大半なんですけど、他の地域に行くとね。
うんうん。
あ、法上氏康野。
へー。
なるんですよ。やっぱ上杉謙進のもちろん地域努力とかもたくさんあったでしょう。
27:02
まあそうだよね。
うん。
へー。
面白いのが、その岡見さんがそれを言った後に、岡見さんの歴史詳しくないとおっしゃってたんですけど、奥から聞こえちゃうんですよ、声が。
二人で話してるの。
うん。
織田原だって話したら、「え?」って言って、大将が出てきて、椅子に座って、「織田原なんでしょ?」みたいな。
で、大将が要はね、歴史おたくなんですよ。
おーはい。
上杉謙進のすごい詳しい方なんですよ。
うんうんうん。
で、織田原の、上杉謙進の話でめちゃくちゃ盛り上がりましたね。
なるほど。
向こうもちょっと多分嬉しがってくださった気がするんですよ。織田原から来たっていうのは結構珍しい。
なるほどね。
宿敵の織田原から。
で、まあ普通にお互い好きな話ができて。
もちろんもちろんもちろん。すごい楽しく。で、お刺身とかも追加でご提供してくださったりとか。
で、もうね、70近い大将、その日誕生日だったんですよ、しかも。
えー。
大将のね。で、あとから地元の仲間たちがケーキ持ってきてたんですけど。
っていう風にそれに巻き込んでもらったりして、結局何時間いたんだろうって感じになっちゃって。
もう気づいたらとんでもない時間になってた。
そうか。じゃあもうここ一軒で満足できるくらいの。
そう、いや、本当に美味しかったですよ、すごくね。
なるほどね。
熟練の腕、また大将がすごい風格ある方でね、印象深い方でしたね。
うーん。いいですね。このお店の雰囲気で充実感。いいですね。いいお店で。
なんだね。
うんうん。
ということでね、なお別もちろんこのお店以外にも、すごい明かりが高々と出ててすごい栄えてるってことではないんだけどね。
静かな港町なんだけど、商店街にこういったお魚のお店がたくさんありますから、
ご自身の好みに応じていろいろ行っていただいて、2軒3軒でもいいんじゃないかと。
で、こっから徒歩。
徒歩5分程度で、5分から10分くらい見とけばホテルには着けるかなという感じがしますね。
なるほど。
ということで、じゃあこの1日目を振り返っていきましょう。
まずスタートは常越妙高駅ですね。
ここでレンタカーを借ります。
最後の方でも話がありましたけど、
南越の方に行って、そこで車を借りるのでもありという感じですね。
常越妙高駅から車で10分ほど。
常越市歴史博物館。
ここでまずこの常越の歴史を、上杉の時代からその後までの歴史を一旦まずここで学びましょうということですね。
ちょっと補足だけど、高田というところ自体も全然1日いられるんです実は。
ちょっとゆえあって2日目高田にしようか迷ったんですけど、
僕は7月行った時は直越に初日行って高田に2日目ずっといました。
なので高田はまた別の機会でちょっとお話したいと。
その歴史博物館から車で10分ほど。
めんやあごすけですね。
日本一に輝いたラーメン屋さんですね。
30:02
日本一ですので入れるかどうかっていう感じですね。
強烈は確保した方がいいです。
整理券をちょっと早めに確保した方がいいかもしれないという感じですね。
ただまあそろそろですよっていう連絡をしてくれる。
ラインかメールを登録すればやってくれます。
なので待つのはそんなに苦ではないかもしれないですが、整理券がまず必要ということですね。
そこから来るまで10分ほど。
かすが山城跡ですね。
まず長岡の漁場ということですね。
ここから上杉が出ていくっていうことですね。
お城としては山合いのね、ハイキングコースというか。
山城ですいわゆる。
散策をしながら城跡を巡れるっていう感じなんですかね。
上杉県心周辺の地でもあるので。
城内で突然消したので。
そうか、そういう見どころもあるというところですね。
ここから来るまで5分ほど林泉寺ですね。
ここが幼少期上杉県心長尾影虎が修行に出されたお寺ですね。
そしてお墓があるお寺ということですね。
そこから来るまで5分ほど上越市埋蔵文化財センターですね。
ここは上杉の時代の生活に関わる文化財が見れるという感じですかね。
上杉の内政を見れるという感じかな。
ただただ戦をしてただけじゃなくて、決してこの人はね、ただ戦争好きじゃないんです。
政治家なんですよ、あくまでも。
そもそも国内をどうしていくかというところから出自がある。
非常にやり手の政治家なんです。
そういう文化財が見れるセンターということですね。
ここから来るまで15分ほど。
上越妙高駅で車を借りた方はここで車を返すと。
そこから徒歩1分ほど上越妙高駅から妙高羽生馬ラインで17分。
直越駅に着きまして、その駅近くのホテルにチェックイン。
なので直越で車を借りた方は文化財センターから。
車ででも10分ぐらいだと思うな、直越駅まで。
そんなもんですか。
割と近距離の間は車で移動してますね、山梨と比べると。
なるほどね。
じゃあ割とすぐ、車ではほど近い感じなんですかね。
ショートドライブですね。
直越駅で車を返すという感じですね。
で、ホテルから徒歩5分ほど。
八重木府山ですね。
ここはもう本当に雰囲気と風格のある大正。
そして美味しいお野菜、地魚、そしてお酒。
ごめん、言い忘れちゃった。
あの、トチオ揚げなんていうね。
あー、はいはいはい。
あると思うんですけどね。
33:00
トチオっていうのはまさに上杉謙信が若い頃にね、
お兄ちゃんに仕えてるときに居たところなんですけれども。
そうなんだ。
あのトチオ揚げをちょっとアレンジ加えて、納豆を詰めたトチオ揚げとか。
あー、いいなー。
めちゃくちゃ美味しかったです、これ。
トチオ揚げ好きなんだよな、俺。
あー、じゃあすごいここいいと思う。
納豆も好きなんで、それいいな。
創作途中わけじゃないけど、やっぱすごい美味しいです。
えー。
で、今ね、言った日本酒ですね。
日本酒ですね。
上越エチゴの日本酒も頂けると。
そこから徒歩5分ほどでホテルに着くので、1日目はこれで終了ということですね。
この番組ではお便りを募集しています。
番組の感想、質問、リクエスト、旅の情報、不走座など何でも結構です。
番組概要欄に記載しているお便りフォームのリンクから投稿をお願いします。
また、YouTubeのチャンネル登録、高評価、コメント、ポッドキャストのフォロー、レビュー、
それから我々の関連SNSアカウントのフォローなどよろしくお願いいたします。
そして、感想つぶやく際は是非、ハッシュタグおとたびポッドキャストを付けて投稿して頂けると嬉しいです。
前回のコースと同様、今回は上杉の生涯を追ったという感じですね。
タイトルの話をしておくと、軍隆無首ということだったんですけど、
要は、わがまま放題の家臣たちをどうまとめるかというのが僕は剣神の本質だったと思うんです。
そうですね。
侵略しなかったんじゃなくて、できなかったんです。
できなかったけど、してないんですよっていうキャラ付けをしてきたっていうことですね。
そのためのカリスマ論、ブランディング論が上杉剣神はそこを見抜く目が非常に長けてた。
だから必要ないと思ったら侵略を始めるんですね。後半戦においては。
なるほどね。
だからビシャモンテン変幻記というのは、彼はあくまでもブランドとしてビシャモンテンを名乗ったけど、
それは徐々にその形を微妙に変容させていく。後半戦においては。
なるほどね。
ただその侵略するところまで組織が成熟させて寿命が尽きた。
なるほどね。
という仮説、僕の見方です。全然違う見方もあると思いますので。
ただやはり上杉剣神というのは僕はすごいと思います。やっぱりこの人は。
そうね。だからやっぱ武田とはまたちょっと違うというか。
根本は似てる感じがするけど、自分の土地を豊かにさせたいのか治めたいのか。
そういうところの違いはあったかもしれないけど。
家臣のために自分をある種犠牲にしてというか。
自分を亡くして2人ともやってきて。
そのルートが違う感じがする。
そういうことですよ。武田信玄はひたすら組織のために動く心のない機械じゃないけどそういうふうになって。
上杉剣神は逆に自分というキャラを強烈にブランディングすることによって組織をまとめた。
カリスマなんです。
36:01
そしてもっと言うとエチゴの竜としてね。
カイの虎はエチゴの竜として言われたので。
これがそういうことなんですね。写真師こと軍竜虫はそういう意味合いで無理矢理くっつけた。
竜の四字熟語といろいろ調べたらこれが出てきて、こういうのあるんだと思ってつけちゃった。
はまってますね。
びっくりしました。初めて知りましたこの言葉。
なんか面白いね。今の時代でもそれぞれのリーダー像があるから。
だからどちらも魅力的なんですよ。武田と上杉というのは。
どちらも今のリーダー論において影響を与え続けているのがわかりますよね。
ただ自家予告をすると、剣神の場合は信玄と違ったのは、
彼個人のカリスマから脱皮しようとした組織としての強さになろうとしたあたりで死んでしまった。
そのカリスマを失った人は一回どうなってしまうのか。
っていうのが次の話ね。
確かに。
想像するに、一回家で押したあの頃が思い出されるけど、
実際どうなったのかを2日目に誓おうと思いますね。
ということで今回はこの辺で。ありがとうございました。
37:23
コメント
スクロール