こういう生き方がいい、30代にやっておくべきことかわかんないけれども、教えてくださるとちょっと我々も是非ね、参考にさせていただきたいなって思いますけどね。 そうね、よくなんか30超えるとみたいな話ね。 言いますからね。
そういう嫌なとこだけじゃなくて、30代これが楽しいみたいなのを聞いてみたいね。 だからもうね、30になったからこそこのオトタビポッドキャスト的な旅行がしてみたいよね。
我々はそう思ってるわけですけどね。 いやー、まあまあおめでとうございますというところですね。 ありがとうございます。
さて、じゃあまあそんな30代一発目になるのかな。 今回からは新しいコースですね。
はい。 じゃあ今回のコースのタイトルは何でしょうか。
はい。 今回のコースのタイトルは、星祭りの神隠し、あの日渡瀬川で、です。
渡瀬川ってどこだっけ。 うん。 これはどうなんだろう。教科書とかに載ってたのかな。
多分なんかで見てんだろうな。いや渡瀬川っていう川はね、名前は知ってるから、多分なんかで習ってんだと思うんだけど。
そうね、日本史のね、まあちょっとマイナスのイメージの事件の舞台になったりっていうので、でもそれもかなりマニアックな話なんだよな。
あとは渡瀬川じゃないけど、渡瀬橋っていう名曲がね、曲の名前になってるってねすごい、それで多分一番有名なんじゃないかって気はしますけどね。
どこを巡るんですか、今回は。 今回巡るのは栃木県の足利市というところと群馬県の大田市という、この2つを巡りたいと思います。
栃木と群馬。 そうなんです。 なるほど、まあちょっと1周年の時にね、俺らあんまやってないねって言ったら北関東だね。
そうなんです。渡瀬川というのは、この栃木県と群馬県のこの県境を流れている川なんですね。 主にね。もちろん色々ちょっと流路は変わってたりして、県境も乱れてるんだけれども。
でも大体そのくらいのイメージだということです。 今回足利と大田っていう、いわば栃木群馬を同時に扱うパターンなんですけど、これはね栃木群馬を同行ということよりも、この足利と大田っていうこの2つを同時に扱うことに意味があるんですね。
だから栃木とかじゃなくて渡瀬川っていうその2つの、ちょうど足利と大田の間を流れてるんです。渡瀬川。
この川の栃木川、群馬川を同時に扱った時に、そして一緒に回った時に、どういった比較だったりとか共通点だったりとか、そこに育まれたストーリーにどんな思いを馳せるかっていうのをね、ぜひ楽しみにしていただければいいかなと思っていますので。
もう思いっきりこのタイトルにもこの渡瀬川っていうすごいコアな名詞をね、入れました。
なるほど。旧国が一緒だったとかそういうことではない。
これはね、どこの時代で区分するかによるんですけど、昔はね、栃木群馬というのは、まあ群馬が神戸の国、上乗って書いて神戸って読むんですけど、で、栃木は下乗って書いて下戸と読む。
これ二つを合わせて、まあ昔は昔、古代はね、これが一つの国みたいにみなされていた時もあったんだけど、一般的にはもう神戸、下乗は別の国。ただもうこれはいわゆる群馬、栃木です。
なるほど。
なので、旧国名は別なんだけれども、この川を挟んで別だったことによって、この二つにどんな際が歴史上生まれてきて、でも何が通じ合っていたのかっていう、そういったね、ちょっと今回はね、かなり歴史によった、かつちょっとこうまた二人の主人公が出てくる感じなので、
青木しげる坂本半次郎とか、まああそこまで人物によらないけれども、ちょっとあれに近いドラマ、歴史のドラマをね、この川を挟んで考えたみたいところではありますね。
じゃあまあこれもちょっとストーリー感というかね、小説感がある感じなんだね。
そうですね、はい。 楽しみですね。じゃあ内容をね、よろしくお願いします。
はい、ということでね、今回のちょっと概要をお話しすると、今回は一泊二日で巡ります。宿泊は足利にします。ですがその翌日に大谷にも行くという感じですね。
で、シチュエーションとしては、これは歴史好きの方に一番おすすめです。結構出てくる場所が渋いので、あんまりこう、歴史の興味ないよって方はちょっと向かないかもしれません。
なので歴史の話をするのでね、当然自社仏学ですとか、あとお城も出てきますので、この辺りが好きな方はいいんじゃないかと思います。
でね、シチュエーションとしては一人旅で全然行けますが、僕ね実際はね、足利には一人で行ったんですよ。
ただ大谷はね、何人かで行っていたりするので、どちらでも行ける感じにはなっていますね。
最初に巡る1日目は足利県側の方なんですけれども、どうですか?まず、足利県というものも今回初めて出てきて、足利というのも当然初めてなわけですが。
そうね、足利俺行ったことあんのかな?実はないかもしれないな。
あ、本当に?修学旅行で日光とか行きませんでしたか?
俺日光行ってないんだよね。
あ、マジで?そうなんだ。じゃあイメージとしてはどうですか?足利は。
足利、マジで申し訳ないけどあんまりイメージないかもしれない。
これは問題発見ですね、だいぶね。
そうだな、なんだろう。やっぱその微妙な距離感だなって感じだよね。
なるほどね、確かにオートグループ行けちゃうっていうのもあるし。
そう、だから旅行でっていう感じもあんまりなかったし、かといってね、すぐ行けるっていうほどの近さでもないし。
そうですね。
その微妙な距離感だよね。
そうですね。グルメとかはどうですかね?
なんだ?マジで出てこねぇな。
栃木県の県庁所在地はわかりますか?どこか。
宇都宮か。
ってことはグルメとしては。
餃子か。
そうですそう、そこですよねまずね。
あ、そっか宇都宮か。宇都宮一回行ったかな?一回行ったかも。
あ、本当?
ライブかな?
ライブね、またと思った今ね。
ぐらいだな。
そうかもしれませんね。確かに東京の人からするとちょっと微妙な距離感というのは、残念ながら疑えない事実かもしれません。
ただ韓国地としては結構ありまして、日光がまずね、一つ世界遺産になっているものはありますよね。
これやっぱり中学旅行で行った方もやっぱりいるんじゃないかなって思うのと、日光それだけじゃなくて、中禅寺湖とかね、華厳の滝とかっていう自然の絶景もたくさんありますよね。
あとあるいはもう一つ別のエリアで言うと、那須高原とかは全部栃木ですよね。
那須は牧場があったりとか高原リゾート、あるいはスキーなんてのもね、あると思いますけれども、この辺も全部栃木県ですよね。
長旅行って感じなんだよね。
そうですね。一泊二日とかね。
あと絹川なんてのもね。
あ、そうか。
温泉ね、ありますよね。
県庁所在地としては宇都宮。
交通の便もやっぱり非常に良いので、別の会社ですけど知り合いに栃木県の尾山っていうところから新幹線に通ってきてる人もいますね。
すごいね。
なので、やっぱり昔から関東の首都圏に出やすい一方で、確かにちょっと鳥缶でしたら微妙かもしれない。
観光地はしっかりあるというね。
なるほど。
ってなるとやっぱり足利というのもなかなかイメージは難しいですからね。
そうだね。
ただね、地名としてはわからないかもしれないんだけど、日本史の教科書でね、室町幕府の将軍は足利家ですよね。
初代将軍足利隆児。
金閣寺を作ったのが足利義満。銀閣寺を作ったのが足利義政みたいなね。
そうね。聞いたらね、あーって感じだけど。
ちょっとね、リスナーの方に怒っていらっしゃる方もいるかもしれません。
栃木県の方は何なんだって怒っていらっしゃる方もいるかもしれませんね。
マジで申し訳ない。
ぜひ今日聞いていただいて。
勉強します。
ということで、足利というのは室町幕府の将軍足利家、これを反出した土地でもあるんですね。
足利一族というのはこの地名から取られていますので、まずそれ以降、地名としてはこれを足利って読む人はあまりいないんじゃないかと。
漢字では足利なんだけど。
歴史の教科書とか見てると、これは足利って読むんだなってもう認識されてる気がする。
そうだね。
じゃあちょっと地図を見てみましょうか。足利とはどこなのか。
足利市の地図が出てまいりました。
足利市があるのは、栃木県の中でも南西の方ですね。
宇都宮市がここにありますよね。
日光なんてのはその北西側にね、日光東正宮って書いてありますよね。
それから見るとかなり群馬寄り、あるいは埼玉にも近いようなね。
この辺りが足利になるわけです。
ちょっと寄ってみましょうか。
これちょうどJR足利駅というのが出てきましたね。
さらに川を挟んで西側には足利市駅っていうのもあるんですね。
この足利市駅というのは東武鉄道の駅です。
なので足利はJRで行くか東武鉄道どちらでも行けるっていう駅なんですね。
そしてこの間に流れているのが渡瀬川になるわけです。
こういった場所になります。
もう両方の駅が川挟んで両方ともすぐあるから、どっちからでも大丈夫って感じだね。
そうです。
東京から行くと大体1時間半から2時間はかかるかなっていう感じはします。
特急とか上手く乗れればいいんですけどね。
ちょっとその辺はアクセス、JRで行く場合、東武で行く場合、お住まいの地域によってどっちが良いか変わる気がしますので、
ちょっとそれぞれのアクセスを調べていただければいいと思うんですが、
繁華街とか今回の観光地はJR足利駅に近い方です。
北側って感じだね。
そうです。
なのでもし自分から見たら足利も足利市もどっちも変わんないなってことだったら、
足利駅、JR足利駅を目指していただくのがいいんじゃないかなというふうに思います。
足利と言えば、今このGoogleにも出てきてますけどね、
一つ有名な観光地ありますよね。
この写真わかります?このお花の写真。
富士だね。
そうですそうです。
足利フラワーパークって聞いたことないですかね。
あるある。
俺昔学生の頃、情報番組のバイトをいろいろしてたんで、
やっぱ季節になると大体中継するね。
そうですよね。
まさに今から4,5月の時期だと思うんですけれども、
富士の花が咲いて、それをすごい申し出れた感じになってて、
ライトアップもされるっていうんでね。
すごい人気のスポットになってますよね。
絶景スポットですよね。
すごい量だもんねこれ。
これすごいですね。
これがあるのが足利市ですよね。
そうかそうか。
ちなみに今回はこれ行かないんですけれども、
フラワーパークはJR足利駅から一つ東側に行ったところに、
足利フラワーパーク駅っていうのがあるんですね、まんま。
駅があんだ。
そうです。
この駅出てすぐのところにありますので、
もし季節があればここに寄っていただいてもいいかなとは思いますが、
何分今回は歴史旅ということなので、
これではなくて足利駅の方のちょっと昔の街並みを回ってみたいなと思うわけです。
足利といったら室町幕府の将軍が出てきた場所ということで有名なわけなんですけれども、
そもそも足利一族とは何なのかっていうのをこの旅を通してまず考えてみたいので、
1日目はこの足利市を巡りながら、
足利将軍家とは何かっていうのを尋ね歩く。
それが一つの主人公になっています。
ですが、とりあえずモデルコースを進めていきたいと思うんですね。
今回は出発時間をやや遅めに設定してありますが、
だいたい12時半ぐらい。
いつも同じようなもんだけどね。
お昼過ぎくらいにJRの足利駅あるいは東武の足利市駅のどちらかについていただくという想定で話を進めたいと思います。
この日足利に泊まりますので、まずホテルに荷物を預けてしまいましょう。
足利のホテル事情なんですけれども、一言で言うと必ず予約をしたほうがいいです。
そんなにいっぱいあるわけじゃない。
いっぱいあるわけじゃないです。
宇都宮とかこれまで紹介してきた成田とかやりましたけど、比べるとホテルの数が少ないです。
必ず事前に予約をして、できれば足利駅の北側の方にホテルをとっていただくのがいいと思います。
今回はその想定で、足利駅の北口を出てだいたい5分くらいのところにホテルをとって、そこで荷物を預けたというところから話を進めたいと思います。
このタイミングですので、まずはお昼を例によって食べに行きたいと思います。
ホテルから徒歩でおよそ10分くらい。
これはホテルの場所にもよるんですけど、10分から15分くらいだと思います。
着くのが菊谷本店さんです。
おそばですね。
あのね、これちゃんとした統計を見たわけではないんですけど、足利ってめちゃくちゃそば屋が多いんですよ。
これ地元の人も言ってます。そばがめちゃくちゃ多いんですね、その街。
そうなんだ。近いところで言うとやっぱ長野とか新州が有名な気がするけど、ここでもそば屋が多いんだ。
そうですね。もちろん粉とかそば自体は他の地域からっていうパターンが多いと思うんですけれども、
ここ昔ながらの街なので伝統的なお店が多いっていうことだったりとか、やっぱり水資源に恵まれているっていうことだったりとか、
あるいはそばにつけるね、山菜ですとかそういった薬味みたいなものも、やっぱり自然豊かな土地なのに手に入りやすい。
山の幸、川の幸、手に入りやすいよねっていうのも多分影響があったと思いますが、何しろそば屋が多い。
非常に有名なおそば屋さんいっぱいあるんですけれども、今回はキク屋さんをご紹介したいと思います。
こちらなんと創業が明治3年、1870年創業。つまり今年で155年目というとんでもないキャリアの道なんですね。
今まで出てきた中でもかなり老舗だよね。
老舗ですね。すごいんですよ。
それだけ足利の街には歴史があって、産業としてこの飲食力がちゃんと成り立って、今でも変わらずにやっていけるっていう勝算でもあると思うんですよね。
ただそれはもちろんやっぱ美味しいから続くわけでありまして、実際この写真を見ていただくと、こういう昔ながらのおそばなわけなんですけれども、
この天ぷらが美味しいんですよね。
これ何店?
これ何だろう。
板浅店って書いてある。
こんなのあるんだ。
かまぼこなのかな。
だね。ちょっとだからピンクがかってるのはそういうことなのかもしれない。
これは初めて見たな。
面白いね。
面白いね。
でも美味そうだな。
二食そば。
相掛けにできたりするんですね。
これ何が違うんだろう。
メニューをちょっと見てみましょうか。
これですね。天ぷら付き二食そば。
これちょっと僕も記憶がちょっと曖昧で申し訳ないんですけれども、確かそば粉がそもそも違くて、だったんそばって確か言ったと思うんだけども。
書いてあるね。
これがよりそばの風味が確か強かったのかなと思うんですけど、ちょっと材質が違う、色も違いますよね。
二食そばができるんですね。
じゃあそのそば粉の違いを楽しめるのかな。
そうですそうです。
それに舞茸店とかね。
いいね。
そしてリーザブルなんですよね。
そうだね。
天ぷら付きで1850円か。
相掛けでね。しかも二食そばで1850円。
とか他にもかつ丼をつけられたりとか、いわゆるおそば屋さんの楽しみ方できますよねっていうのもあるので、
やっぱりいくらそばが盛んなしかがとはいえ1870年から残ってるっていうのは尋常じゃありませんから、
これはぜひ味わっていただきたいものだなと思うわけです。
あとね、ちょっとこのお店で一つ特筆すべきメニューがありまして、
足利合わせ麺織姫というものがあるんですね。
これ何でしょうって話なんですけれども、
織物の町足利にある織姫神社は縁結びでの神様でもあるため、伝統ある織物と食文化を融合させ、
そばを縦糸に、うどんを横糸に見立て、食を通して良機縁を呼び込む新商品として考案された。
ということで、この普通のそばとやっぱりだったんそば2食を、
それぞれ別の皿で鴨汁とともにね、つけそばで味わえるっていうものなんですね。
そうなんです。実はね、今回ちょっとはじめに言わなかったんですけど、
このね、タイトルに星祭りっていうのがあったと思うんですけど、
これ何のことかっていうと、七夕の別名なんですこれ。
つまり、いつ行ってもいいんですけど、もしベストなコンディションで行くならば、
七夕の時期に合わせていただくのがね、一つ目安になってるんですね。
なるほど。七月の頭ぐらいがちょうどいい。
そう。で、さっきのメニューを振り返っていただくと、織姫神社。そういうことなんですね。
これちょっと後で行きますので、その時詳しく話しますが、
足利というのはこういうわけでね、この織姫神社っていうものがある縁結びの町でもある。
で、それを人の縁とかけてこのお蕎麦で表現したメニューがあるよということなんです。
これ美味しかったです。
いやー、いいなー。鴨汁ってのがまたいいね。
そう。なかなかね、普段食べないですからね。
そうね。だしね、蕎麦の違いも楽しめて。いいなー。
ぜひね、こちらでランチを召し上がっていただきたいですし、
なんとですね、この1日目、全く車乗らないんですね。
これ素晴らしいですね。ほんとに。
ああ、そうなんだ。
はい。1日目乗らないんですね。
へえ。
なのでね、ぜひね、日本酒など、足利やっぱりね、
あの、栃木でお酒も美味しいところ多いですから、
地酒をね、味わっていただけると、なおさらね、蕎麦屋酒でいいんじゃないかなと。
なるほど。
思いますのでね。
いいねー。
はい。というね、この菊谷本店さんでした。
うん。
で、そうしましたらちょっと次からが観光になります。
でね、足利の観光というのは、駅から大体北に10分から15分ほど歩いたところに、
いくつか文化施設が立ち並んでいて、
さらにそっから10分、15分歩いたところに織姫神社があるって、
この大体二つエリアに分かれてるんですね。
はい。
で、まずはその神社に行く前に、
この街の中のことをね、ちょっといろいろ見ていきたいと思います。
そして、足利といえば日本酒の教科書でね、出てくるもう一つのスポットがあるんですけれども、
これがね、足利学校です。
あれ、俺わかんないかも。
これ大学受験かな。
ああ、なるほどね。
うん。
足利足利学校というものがあるんです。
へえ。
日本遺産になったかねって書いてあるね。
そうなんですよ。
へえ。
うん。
これ不思議ですよね。
学校と観光地として訪れるってのはなかなかなかったんじゃない?
そうだね。
うん。
もちろん現役ではないわけだよね。
そうですね。
うん。
へえ、どういう学校なんですかこれ。
はい。
学校って聞くとね、大体これまで出てきたところだと、
清浄学園とかの話もしたりね、ありましたけれども、
他東京の中高大、小学部いいんですけど、
大体やっぱり近代のものっていうイメージがね、
強いんじゃないかと思うんですよ。
はいはい。
今の小学校生徒とか近代以降の話になるんですけど、
ところがですね、この足利学校っていうのはそうじゃなくて、
実はこれね、諸説あるのでわからないんだけれども、
一説には奈良時代ぐらいからあったんじゃないかって言われてる学校なんですね。
へえ。
うん。
へえ、そんな頃に学校あったの。
そうなんですよ。
これね、どういうことかっていうと、
奈良時代はね、省庭の命令で各国につき1校かな、
国学ってものを置いてて、
権立大学みたいなの実はね、そのとき設置してるんですね、政府が全部。
公共機関みたいな意味ですね。
それはもうどんどん時代が下るにつれ廃れていっちゃったんだけど、
足利学校はそれを前身として残り続けてるんじゃないかなっていう説もあるんですよ。
そんだけあやふやになるぐらいも昔からあるってことね。
そうですそうです。
他の説だと平安時代にできたんじゃないかっていう説もあったりいろいろするんだけど、
いずれにせよかなり古い学校。
一説には日本最古の学校という風にして今この足利学校、
幻想するっていう意味ですけどね。
幻想する日本最古の学校とも言われているんですよ。
この門がねすごい立派だよね。
立派ですね。
かっこいいよね。
こんな学校通いたいよね。
これ自慢になりますよね。
これどういう学校だったかっていうと、
そういうわけでちょっと古い時代のことはよくわからないんです正直なことを言うと。
だけれども確実に言われているのは室町時代、
それこそ室町幕府なので足利氏が将軍だった時の話なんですけれども、
にはすでにここは万能最大の大学って言われてる。
これフランシスコ・ザビエルっていう宣教師がいたと思うんですよ。
いたね。
日本に基礎をもたらしたと言われてる人です。
あの人の記述にも書かれてるんです。
足利学校っていうとんでもないものが日本にはあるっていうのを国元の人に送ってるんです。
つまり世界的に聞こえた学校だったんですよ。
それぐらいもうすごい数の生徒がここへ通っていた。
全国から生徒が集まってたっていうんですね。
これは大学?
今で言う大学とは全然意味合いが違うんですけれども、
ただ何を教えてたかっていうと、
ちょっと昔はわからないんですが、
この室町時代の頃は主に儒教だったりとか、
疫学、これはつまり占いとかですね。
そういった昔の人たちにとって大事とされていた人文学的な要素っていうのを学んでいたり、
精神修行のために勤めている人もいたようなんですね。
なのでどっちかというと文系ですね、完全に。
哲学科とかが一番近いのかもしれない。
だから今俺らが想像する学校とはやっぱりちょっと異質な。
勉強と修行が混じったみたいな。
そういうことですね。
だいたいここに来るのはお坊さんのところの家の人が多かったと聞いていますので、
やっぱり哲学科ですね、ぶっちゃけ言うと。
でもこれをこの室町時代にここまでにしたのは武士なんですね。
これはちょっとマニアックな話になるんですけれども、
昔から足掛かっているうちにあったのは間違いない。
いろいろ存亡を繰り返していたんだけれども、
室町時代の15世紀の初めに上杉範実っていう人物が出てきて、
これがこの足掛か学校を実質的に今につなげた中高の祖みたいな人なんですね。
上杉と聞くとね、上杉謙信。やりましたよね。
上杉謙信ってもともとは長尾陰虎と名乗っていたのに、
上杉謙信途中からなったっていう話をしたと思います。
これなんでなったかって覚えてますか?
もともと上杉がいたんだよね。
そこに長尾家が仕えてて、成り変わったというか乗っ取った感じだよね。
乗っ取ったというかね、実質そうなんですけど、一応譲られたんですよね、家としては。
なんで譲られたかっつうと、小田原の法上を何とかしてくれと。
つまり上杉っていうのはもともと実は群馬にいたんですけども、
群馬の本家にこの小田原の方から攻めてきて、わけわかんない外国上の浪人が上がってきたのが、
関東をめちゃくちゃにしてると。
許されないんでこんなことはっつって、助けてくださいっていう長尾家虎に行ったの。
でも謙信は断れないんですよ、その時はね。
って言うんで関東を出兵してくるわけですよ。
そのきっかけを作ったもともとの上杉。
これがこの上杉のりざれの子孫なんですね。
時代的に謙信は100年くらい前の人なので、のりざれはね。
なので全然まだ上杉が強かった時の上杉なんですけど。
その上杉家の党首です。
なんでそもそも関東が脅かされたからって謙信のところに行ったかっていうと、
上杉家っていうのは室町幕府の制度上を、
関東官礼っていう職にずっとついてた人なんですね。
室町幕府って足利家の将軍は京都にいるんですけれども、
その一族が鎌倉にいて、
鎌倉と京都で東と西をそれぞれ治めるみたいなイメージだったんです。
鎌倉にいた足利の親戚みたいなのは鎌倉久保って言うんですけど、
これは関東を鎌倉を中心に治める。
将軍の代わりみたいに治めるっていうのは言ってたんだけど、
この鎌倉久保もいろいろ野心を持って、
いざとなれば将軍になり代わってやろうみたいな、
よくでもない奴もたまに出てくると。
出そうだよね。
出そうだよね。俺だって足利なんだから。
っていう時にお目つけ役として置かれてたのが、
この関東官礼みたいなものですね。
上杉っていう意味なんです。
調子に乗らないように抑えつける。
っていうのが代々関東官礼。
調子に抑えつけると同時に、
その鎌倉久保の補佐を知った首相みたいなものなんです。
関東における首相みたいなものが上杉家だった。
だから北条みたいなわけわかんないの出てくると、
関東の秩序乱されたって大騒ぎしてるわけだ。
そうかそうか。
だからその関東一帯を治める責任があるわけだ。
そういうことです。
上杉範実というのもそれをやってたわけなんですけれども、
あいにくこの人が仕えていた鎌倉久保が、
足利持氏っていう人がいたんですけれども、
これがとうとう京都に対して無謀を起こしたんですね。
その時の京都の足利将軍は、
くじ引きで決められたっていう有名な人なんですけど、
くじ引きになんちゃってるなっちゃった将軍みたいので、
あんなくじ引きやろうより俺の方がマシだろうという風に言い始めて、
無謀を起こしちゃったんですよ。
ところが上杉範実というのは、
当時の武士にあっては珍しくかもしれないんだけど、
後々こういう学校をやっていくことでもわかる通り、
儒教とかをかなり精神的に持ってる人なんです。
だから朝陽の序とか、
主君と家臣の脇前とか、
こういうのをすごい折り目正しい人だったんですね。
だから、いくら京都がくじ引きだからって、
鎌倉久保が無謀を起こすなんてダメでしょ絶対って話を散々止めたんだけど、
聞かなかったんですね、この鎌倉久保が。
無謀に及んじゃったんです。
上杉は上杉で困るわけなんですよね。
鎌倉久保と一緒に無謀を起こすのか、
けど自分はそもそも足利将軍家の家臣でもあるから。
で、将軍は将軍で俺のことくじ引きだって馬鹿にしてるらしいけど、
マジでふざけんなよって。
で、もう上杉お前何とかしろよって。
お前褒め付け役なんだろっていう風になって、
もう殺すよその鎌倉久保上杉がって言ってるんだけど、
上杉は一方で鎌倉久保ともずっと長年やってきたっていうのがあるから、
急にこの板まさめになる。
きついな。
でも職務上はやっぱり止めるべきなんだよね。
でも止まんないんですよ、その時の鎌倉久保がね。
難しいね。
で、結局どうしたかっていうと、
もうやむにやまれずですよ。
どちらかの命令には従わなきゃいけないんだけど、
そうやってやっぱり上杉が悩んだ悩んだ悩んだ末に、
やっぱりそもそもは高宇寺様、
マジでこの足利から出た高宇寺様。
京都の室町幕府が一応正着というか、
正しい混流であるから、
やっぱ鎌倉久保の方がおかしいと。
俺の言うことに聞かない鎌倉久保の方がおかしいっつって、
鎌倉久保を責めるんですね。
つまり鎌倉久保を将軍と連携して一緒に責める。
ただその時に、
もう自分はこういった、ある意味自分は鎌倉久保に対する
無法を起こしてるみたいなものになるわけなので。
もうそれで悩んだ末に、
自分の家財とか、それまでコレクションをしてた書籍とか、
諸物全部をこの足利にある足利学校に預けていったんですね。
もう二度と戻らない学校だっていって、
全てをここに預けていったんです。
そうか。
真っ当なことをしてる気がするんだけど。
そうなんですよ。
この人の倫理観はこの時代にあったら珍しいと思います。
やはりなぜ珍しいかっていうと、
結局勝つんですよね。
将軍と上杉に責められたら鎌倉はもうどうにもなんないので、
鎌倉久保の反乱すぐ終わるんですよね。
それで将軍としては上杉よくやったと。
それでこそ関東関連だってなるんだけど、
ところが上杉のリザネはこの戦が終わった直後に、
突然姿を消してしまったんです。
出家しちゃって、功労のために出ちゃったんですね。
だからそれはやっぱり鎌倉の方に無本というか、
反旗を翻してしまったっていう事跡のね、みたいな。
そういうことだと思います。
そんな思わなくていいのにな。
そうそう、そう思いますよね。
むしろ鎌倉久保がわがままだからそもそもの問題になるんだって。
けどね、この人はそういう道を貫いた人なんです。
で、とうとう関東関連として元気バリバリだったにも関わらず、
ある日突然出家をして、全てを捨て去ってしまって、
自分の仕事とかも全部後継ぎにやらせて、
突然の姿を消してしまったんですね。
真面目なんだろうな。
真面目なんですよね。
で、みんな異竜したんですよ。
そもそも乗りザネってすごい有能な人物だったので。
だけど一切耳を貸さず、
わずかな友を連れて関東も去ってしまって、
結局それ以降もう一切職に戻らず、
最後は山口家の山奥でひっそりと死んだって言われてる。
遠いな。
だから本当に戻らなかったんです、足利に。
っていう人なんですね。
っていうちょっと珍しい人なんですよね。
ただこの人がそういうわけで、
その反乱の時に全てを学校に残していったっていうのがきっかけになって、
もう上杉っていう、いわば本当にすごい経済力も武力もいろいろ持ってた人のコレクションが全てここに集まってしまったっていうので、
この足利学校にはとんでもない最高学府級になったんです。
なるほど。
またまたこういい資料がネットガッと入ってきた。
そうそうそう。
同時に乗りザネもやっぱりこういった人なのでね、
非常にこの戦乱の落ちぶれてしまった世の中にあって、
ちゃんとした人を育てることが大事だっていうのを思ってたらしくて、
このコレクション預ける代わりにちゃんと学校としてちゃんとやってくれということで、
この室町時代には乗りザネのコレクションを元にして、
それを慕った全国の人々がここに学びにやってきたんです。
当の乗りザネはもういないんですけどね。
なんか渋いことするね。
そうなんですよ、なかなか意気なんですよ、この人はね。
結局そういうわけで乗りザネから時代が下ってね、
だいたい100年ぐらい経ったフランシスコ・ザビエルの時代には、
バンド最大の学校だというふうに、東日本における最大の学級機関だっていうふうにね、
世界的に名が高まったっていうものなんですね。
その資料がきっかけになったんだね。
そういうことなんです。
結局その後いろいろ戦乱がまた続いてしまったにして、
いろいろ攻防があったりするんですけれども、
江戸時代になってもね、やはりこの足利学校ってやっぱりすごいっていうのはずっと続いていたので、
土地の足利の領主たちもみんなこれを保護してね、
現在に至るまでこの建物とかも残っているんです。
だいたい江戸時代の建物が今は残っていたりします。
実際に中へ入っていただくと、この右の写真は孔子の廟なんですね。
孔子の廟。
孔子ってわかりますか。
そうね、儒教の孔子か。
そうそうそう、子曰くですよね、論語の孔子ですよね。
あれの廟、孔子を祀っているところがあったりするんですよ。
つまりやっぱりこの足利学校というのはお寺ではないんですよね。
あくまで儒教とか東洋哲学を基本的に学ぶっていうね、そういったものなんですね。
なので孔子の廟が今でも建っているし、江戸時代においてはこの儒教というのが一応国の正しい教えだというふうになってますから、幕府これを押し詰めたのでね。
なのでやっぱり孔子廟っていうのが大きいものがまだ残ってたりします。
やっぱここでも今の学校とはイメージが違うね。
そうそうそう。だからあくまでも当時の人たちにとっての最高学府がこの下助の国足利にあったんですね。
なので孔子廟だけじゃなくて他にもいろんな建物があったりしますので、その中で足利学校実際どういった勉強をやっていたのか、あるいは生徒がどっから来たのかとかも全部まだ残ってるんですよ、目録。
そうすると薩摩の国とかから普通に来てんだよね。
だからやっぱりそれだけ日本全国にお前頑張ってなんとかして足利学校に入れよっていうようなイメージだったのかもしれない。
まあ東大みたいなことだよね。
そういうことです。間違いなくその時の最高学府だったので。
っていうのが残ってるんですね。
なのでまずはこの足利学校に行っていただいて、この足利という街のちょっと得意な文化というものに触れていただければと思います。
上杉範実というのはそういったわけで室町時代中期の人なんですけれども、ちょっとここからは時代を遡っていきたいと思うんですね。
さらに前に行く。
そう、そもそもその室町時代を作ったという、要は足利市というのは何かということをちょっとまた追っていきたいと思う。
足利学校から徒歩5分ほどのところにあるのが万那寺です。
読めないなこれ。
これは難しい、漢字があまりにもね。この万那寺はもう調べてもらうしかないな正直。
でね、この万那寺というものなんですけれども、今我々公式サイトを拝見してるわけですが、万那寺というこのお寺の名前の左側にね、丸い円に2つの線が横に入っているものがありますよね。
これが足利家の家紋です。
ああ、これ足利のやつか。なんかね、見たことある気もするんだけど、これが足利の家紋なんですね。
そうなんです。これが足利の家紋なんです。この家紋を思いっきり掲げていることでわかる通りなんですけれども、これはもう足利家の母大寺ですね、代々。
で、この万那っていうこの名前が何なんだって話なんですけれども、これは足利家って鎌倉時代ぐらいから活躍をするんですけれども、
その鎌倉時代の時にこの足利家を実際に起こした2代目の道主に吉金っていうのがいたんですけれども、この足利吉金っていうのが出家した法名が万那だったんですね。
だからその吉金の寺ってことで万那寺っていうのが実際今の名前なんです。だからちょっとこの難しい名前っていうのもあるんですけど。
ってぐらい足利家と非常に繋がりが深い。そして今我々はお寺として見ているわけなんですけれども、実はこの万那寺というのを言ってもらうと、門をくぐる前に橋が架かっていて、そこにお骨があるんですね。
入ってみるとさらに奴隷みたいのがあるんですよ。これつまり何かっていうと、これお寺ではあるんですけれども、お寺であると同時に足利家の館の跡でもあるんです。つまりこれ史跡でもあるんですね。
なので日本城郭協会さんとかは属100名城かな、100名城かちょっと忘れてしまったんですけど、お城としてこの史跡も認定しています。
そんな謙良してるところを全然知らないな。 そうですね、あんまりないと思います。
とにかくこの足利隆氏以下、室町幕府の将軍を排出したあの足利家は、ここを代々本拠地にしていたっていう、まさその本丸の本丸に今我々は来ているわけなんです。
ここで足利氏とは何かということをちょっと振り返ってみたいんですね。先ほど万那寺の由来に話しましたけれども、足利義金という人物が万那という人物だという話はしましたが、
この人が足利が後々出世していくきっかけを作った人なんです。じゃあこの人は何者だったのかっていうことなんですけれども、
実は足利というのは元々源氏の一族なんですね。源氏っていうのは当然源頼朝とか源義経とか、つまり鎌倉幕府の将軍ですよね。
これ頼朝が最初なわけですけども、これと同じ一族なんです。源氏の一物なんですみんな。
源氏もたくさんあるんですけれども、河内源氏っていうのが頼朝の家なんですけれども、この河内源氏の中のさらに分家がいくつかあって、このうちの一つが足利なんです。
足利っていうのは非常に将軍からも親戚みたいな近い存在で、源氏の超有力、中核王になるような武家なんですね。
吉金は何で万那とか行って出世したのかっていう話なんですけれども、この彼が生きていた時に源頼朝が幕府を作るんですね。
つまり源頼朝ってもともと伊豆の流浪人みたいな人だったわけなんですけれども、兵家に負けて。これをだんだん兵家のように追い出していって、最後断の裏で兵家を滅ぼして自分が幕府を作るっていう出世物語じゃないですか。
で、頼朝っていうのは最初は伊豆のわけわかんない田舎の落ちぶれた貴族の息子ってだけだったのに、これが将軍になっていくまでにどんどん協力者が集まっていくわけなんですけれども、このあたりは鎌倉殿の十三輪とかまさにその話を描いていたわけですが、
この落ちぶれていたわけわかんない頼朝っていう強いのか弱いのかもはやわかんないようなやつに拒閉したっていうのを聞いて、足利吉金は真っ先にこれに味方してあげたんです。
源氏一門として同じ。で、要は今の静岡の伊豆半島から拒閉して、で、だんだん小田原とか相模の方に頼朝は伸びてくるわけなんですけど、それに抗うする軍をこの下助の栃木からでこれを味方してくれたんですよ。
ってなると平家の関東にいた武将たちは伊豆の頼朝わけわかんねえなって思ってたら、後ろで足利吉金を拒閉したえ?ってなって、そしたらひたちの佐竹ってこれもよくわかんないなんか勝手にやり始めたとか。
あれあれってなってるうちに頼朝が土作祭にまで入れてみたいな。なので足利っていうのは非常に大功労者なんですね。
しかも源氏一門でもいろいろあったので、頼朝なんてあいつどうせ負けるよあんなあいつ弱っちい人って言ってたやつもいっぱいいたんですよ。けど足利はこれに味方してあげたんですね。かなり初期から。
これは当然頼朝としては大恩人ですよ。
ってなってやっぱり幕府が無事に成り立ったからは、もう源氏の長老として非常に重んじられた。源氏一門。
で、源氏っていうのは頼朝が出てきて以降より佐値友って続くわけなんですけど、この三代佐値友の時に源氏で内紛を起こして、もう源氏の頼朝の着陸は絶えてしまって。
あとは執権北条氏っていうのが形勢を握って、あとはもう将軍は傀儡になっちゃうんですよ。北条氏っていうのは鎌倉殿の13人で小栗淳さんが演じた北条義時です。
だからこいつは歴史上はとんでもない悪役なんですけど、悪役を描いて対話ドラマだったわけ。
でも北条も北条でやっぱり追い目があるんですよね。要はそもそも頼朝様が建てた源氏の幕府なのに、ぶっちゃけ北条うちなんでかんだ頼朝の奥さんの弟だから乗っ取っちゃったけど、やっぱ周りの御家人たちからするとなんで北条がいいことやってんの。
だってそもそも源氏じゃないだろ。こいつ兵家なんですよ北条って。ってなるから、ってなったらやっぱり源氏の人をちょっと納得させないと北条いつか追い落とされちゃう。
ってなった時にぜひ足利さんにはですね、我々はもう源氏の素晴らしい方がわかってますから、ぜひこの北条と一緒に頼朝様の残したこの幕府というものを支えていきましょうって言って、北条もやっぱ足利にはめっちゃ気使うんですね。
源氏がもはや頼朝の着陸が滅びてるので、さらに足利の存在感ってのは増してるんですよ、源氏っていうものの中で。
でも実際の政権は北条がやってる。けれども足利をちゃんと重んじて足利と何度も親戚で縁石を重ねて一心同体になっておくことで、お前源氏を敬ってないじゃないか北条ふざけんなっていう人は、いやうちにはバックに足利もいますから。
っていうふうに言えるっていう、ある意味利用されてはいるんですけど。ただ足利は足利で北条に逆らうと北条って容赦ないんで、特に吉時っていうのってどんどん殺していくんですよ、敵対して。
というので北条とちょっともちつもたれつな感じでずーっとやってきた人が、これがバンラジの足利なんです。
なるほど、じゃあそこから北条とどんどん関係を密にしていったから足利もそれに伴って大きくなっていく。
そういうことです。ただやっぱり時代が下るんですよね。吉時とかいう時代はまだ頼朝の生きていったってことをかぶりますから、まだ早速に足利に遠慮もあったでしょうけど。
北条の転換ももう80年90年で続いていくと、だんだんもうぶっちゃけみんな北条ってわかってるでしょみたいな。北条に逆らったらどうなるかみんなわかってんじゃんみたいな。足利はまあいるけどあいつはお飾りだし。
もうないしみんな思ってる。 まあまあそうなりそうだね。
足利は足利でもうそうなってるのもわかってる。だからうちは本当は頼朝と一緒の源氏の一文で乗っ取られた側なのに、このまま北条の飾りみたいになってて、いいんだろうか。
でも悲しいことに自分には力がないし、北条を逆らうと殺されちゃうから、もうどうしようもないわって言ってお飾りに甘んじてた。
けどなんかさすがに北条おかしいんじゃないかってやつらが今全国にそこら中にいて、京都の後醍醐天皇っていう天皇がもう北条めちゃくちゃ消したがってるって言われた。
って思ってたら後醍醐天皇が楠木正重っていうよくわかんない奴と結託して、天規の方で巨兵したと。倒幕のフェイを上げたという風になってきて、いよいよこれ幕府倒れていくんじゃないか北条に対する無法めっちゃ怒ってるじゃんってなって、荒れるっていう風に雲行きが怪しくなってくるんですね。
そこの党首だったのが足利高内なんですよ。
だから北条に対する逆風が全国で起きてきてる。
けどこの足利高内の奥さんも北条一物なんですよね。だから北条はちゃんと取り込んでるんだけど、それでもやっぱりさすがにちょっと北条おかしいんじゃないかって。
やりすぎじゃない?
ってなってきて足利高内も最初はその後醍醐天皇とか楠木なんとかいうわけわかんない奴ら無本人のことを成敗していくために関東から近畿に出陣するんですよ。
けどやっぱり現地に行ってみるともうみんな北条の天下にうんざりしてて、鎌倉幕府滅ぼしたいってみんな言ってる。
これはもう世の中変わってるってことに気づいた高内は行った先の京都で裏切って京都にあった北条の出先機関六原短大ってのがあったんですけど、これを滅ぼしたんです。
つまり北条からしたら足利にとうとう裏切られたんです。
もうだいぶ味方がいなくなってるよね。
で京都の方はだから足利高内が北条を全部滅ぼしてしまった。
で鎌倉の人たちはえ?ってなってたら鎌倉は鎌倉で同じく源氏の一文だった日田義貞っていうのがいたんですけれども、これが鎌倉に攻めてきた今度。
群馬から攻めてきたんです。
これね鎌倉は鎌倉で日田軍にやられてしまって京都は足利が滅ぼした。
鎌倉は日田が滅ぼしたでそれぞれ足利と日田がそれぞれを滅ぼしたことで鎌倉幕府は滅亡した。
これ1333年の5月、絶対覚えさせられる頃ですね。
っていうのが足利が高内なんです。
土地儀群馬の家が北条京を終わらせたわけね。
そういうことですよ。
っていうのが足利家なんですよ。
でその後は歴史の教科書でもある通りですけれども、滅ぼしてはいったけど、
後醍醐天皇っていうのがその後建武の神聖っていうのやってさ、幕府滅ぼしたから自分がもうとうとう頂点だってなって、
結構やりたいほどやっちゃうんだよね。
要は悲劇しちゃったりとか、政治なんか理想国家すぎて全然現実が追いつかなかったりとかめちゃくちゃのやって、
結局また乱れちゃって、南北朝って風になって。
そこで本当足利高内も後醍醐天皇に疲れてたんだけど、あんまり天皇うまくいかなかった時もあったりして、
結局足利高内はこれもまた鎌倉の方で暴動が起こってるって京都からお前あれ何かしてこいって後醍醐天皇に言われて、
鎌倉に行って行った先でまた武法起こしちゃうんだ。
足利高内はそういうことばっかしてるんです。
盗っとって言ったら失礼ですけれども、
なんかね虎に脳を放つって怖いもので、手元を離れるとなんかねフラフラ自分でこう何かをやっちゃうんですね。
それで足利高内は後醍醐天皇とは別の系統の皇室を立てて、
自分は北朝って風になった。
後醍醐天皇としては許せないんですよこの足利がね。勝手に何か武法起こせるし。
天でもうふざけんなって思ったけど足利が強いからやむなく奈良の吉野に下って、
京都に足利の天皇と足利が入ってくる。
後醍醐天皇は奈良に逃れる南ですよね。
なので足利型の北朝と後醍醐天皇側の南朝っていう風に分かれて、南北朝時代っていうのが出ちゃうわけです。
高内もそれを収集できないまま足利は無法人だって怒られてるし、
みんな反乱を起こすし、一族もよくわかんない結束がないし、
弟とも仲違いして無法を起こされちゃうし、
子供にも無法を起こされてるし、めちゃめちゃになって、
俺の人生何だったのかなって思いながら最後高内は病気で亡くなるんですけど、
そういう人生なんですね。
だから彼は南北朝の終結を見ないまま乱世のままで終わってしまった、初代将軍。
その後ただ吉井明、吉光と続いて、この吉光の時に官令細川頼雄っていうのが出てきて、
これは京都で最初にいた地蔵院っていう竹の寺を作った人ですね。
やって同じく京都のコースであった大革新っていうところで、三種の人類の受け渡しが行われて、南北朝合一になって、ようやく真っ当な時代になった。
これが足利家の最初の話です。
ちょっと長くなりましたけどね。
これが要はこの足利家の一連のお話なんですよ。
高内も幕府に仕えていたので鎌倉に基本を置いたりもしたと思うんですけれども、
この下津家の足利家の本領は万那寺の館なんですよね、結局ね。
ある意味ここを出発点にこの室町幕府の将軍家というのが生まれたっていうのは間違いじゃありません。
なので足利家はその後信長に追いやられてしまって、結局将軍の座も追われてしまって幕府は滅びるんですけれども、
その後も足利の子孫もずっと残りましたので、足利家の有意所あるお寺としてずっと今も大切に守られ続けていて。
っていうのが万那寺です。
長い間足利家を見守ってるお寺なわけだね。
そうですね。
だからこれは本当に足利義金っていう上手く源の寄りともに乗っかって出世した人もゆかりがあるし、
そのお飾りにされて踏ん張りやるせなくてどうしようもなかった人たち何代も何代も足利の人たちの思いもあるし、
その思いを受け継いで自ら幕府に乗り出していった高橋たちの気持ちもここにある。
そういった足利の聖地ですね、今まで。
なんかかなり長い歴史だけど、割と波乱万丈というかね。
そうそう。
いろんな波があるわけだね。
そうなんですね。
でもここ本当に参拝していただくとそういった非常に貴重な建造物も見られますし、
あと毎年教宿なんですけどね、ここ地域猫がめっちゃいるんですよ。
だからこれね、黄色文字見てもらっていいですか?
本当だ。
複数の地域猫がおります。
噛む猫もおりますので触らずに見守ってください。
本当にいます。
普通にお寺の軒とか建物の中にみんな寝てるんですね。
室内というか屋外だけど、この廊下のところが寝て我々も見てるのでね、すごい可愛いらしいです。
噛む猫はいなかったですけど僕の時は、ただいるんでしょうね。
攻撃しなければね、ちゃんと見守ってればいいわけだよね。
だから猫好きの方は写真を撮れたりもよくしますね。
はい。
というバンナ寺でありました。
この足利学校とバンナ寺というのがね、もう足利の観光の2大コンテンツと言ってもいいと思います。文化的にはね。
なのでこのバンナ寺ね、ちょっと順番が前後しちゃうんですけど、バンナ寺の門を出た先、その三堂はすごくいろんなショップがあったりするんですね。
これを石畳通りと言います。
要は三堂だよね。
そういうことです。
本当にカフェだったりとかお土産屋さんだったり、あと足利って有名なワイナリーがあって、そのワインのショップとかもあったりするので、ワインを買うこともできるんですけど。
いろいろある中でね、ちょっとおすすめのお店を2つほどご紹介したいと思うんですね。
1つがラントツキ足利店というものなんですけれども。
あ、お香。
これ面白いお店でして、栃木県ってね、お香とか線香とかの産地でもあるらしいんですね。
原木、香りに使う香料の産地であるらしくて、ラントツキさんはね、栃木県内に確か2店舗かな、お店を構えていらっしゃるようなんですけれども、
栃木県産の香木とか香料を使ったオリジナルのお香だったり線香を専門で販売しているね。
めちゃくちゃおしゃれなお店です。
へえ。
いいな。
これ何?吊るすお香っていうのがあるんだ。
そうなんですよ。
だからもはやお香というよりインテリアグッズっていうイメージのほうが近いかもしれませんね。
そうだね。
これ吊るすお香っていうのは輪っかの台座みたいなのにお香の塊のやつを吊るしてるね。
そうなんです。
へえ。
ラントツキっていうくらいですから。
それでね、ちょっと欠けたツキの形のお香もありますね。
うんうん。
へえ。
おしゃれだな。
おしゃれですよね、これね。
気になるわ。
うん。
これ本当にいろんな種類のお香があって、いわゆるお線香もありますけれども、
これちょっと僕行ったときに友達の誕生日が近かったので、
お香のインテリアグッズっぽいお香のツキの花っていうのを買っていきましたね。
これとかだと非常にリーズナブルでもありますし、そんな場所も取らないので。
置くだけでいいんだ。
そう、置くだけでいいんですよ。
それがね、ちょっと心地よい。火も使わなくていいっていうので、安全でもありますので。
こういったものを買って行ったりもしましたね。
形もかわいいしね。
そうなんですよ。
いいですよね。
これめっちゃいいプレゼントじゃない?
でしょ。これね、僕もちょっと恥ずかしながら存じ上げなかったんですけれども、
行くまでこのお店のことをしめたと思いましたね。
これは思うな。
ギフトにおすすめですって書いてますね。
いいな。
で、ましてこのね、土地にやっぱり愉快のあるものでもありますから。
で、もちろんね、お店の中行くとこう嗅がせていただいてね、
ご自身の家に何置こうかなっていうのもできますし。
でね、このお店ね、実は非常にやっぱりね、地域への対する思いとかコンセプトっていうのも持っていらっしゃって、
線香の中にね、万なじの香りとかもあるんですよ。
ほんとだ。
国宝万なじの50色がお選びになった。
ということでね、コラボレーションアイドルなわけですね。
でね、実はそもそもなんですけど、
この卵と月っていう非常に不思議な店名なんですが、
これね、何を表しているかっていうと、
卵っていうのはこれ植物なんですけれども、
これはね、中国の古典において、
孝子が好んだ植物が卵って言われてるんです。
そして月というのがムーンなんですけれども、
これは万なじの本尊たる大日如来のイメージしてるらしいんです。
つまり、孝子を祀っていうことで有名な廟がある足利学校と万なじの大日如来、
この2つのことをね、店名にそもそも言ってるんです。
なんかちゃんとゆかりがあるんだけど、
それを感じさせないオシャレな感じにしてるんだ。
そうなんですよ。
してるんだ。
ただの足利の香りとかで店名じゃないわけですよ。
それちょっと入りづらいもんね。
卵と月って何だろう?
だから気づかないままの人もたぶんいっぱいいるかもしれません。
もしかしたら。
こういうところも含めて奥ゆかしいというか心にくいというか。
オシャレだな。
もっと言うとね、このお店の写真出てくるかな。
そう。
店内に屏風があるの?
骨董品とかも置いてるんですよ。
これもね、実はすごい素敵な小民家。
この万那寺の山道に昔からあった小民家をリノベーションしてるので。
これね、夜とかがね、またほのかにライトアップされたりして。
今日は鹿が泊まりますので。
このランプとかもね、昔のアンティークランプとかが店先に泊まっていたりするんですよ。
で、めっちゃいいショップです、ここ。
それそれ。
これか。
いいな。
こんな感じです。石畳通りなわけですよ、まさにね。
ほんとだほんとだ。手前の道がね、石畳になってるね。
小さい山道なんですけど、非常にいいお店が揃ってるんですね。
ふわぁ、風情あるな。
街歩きにぴったりです。奥が万那寺ですね。
いや、いい、オシャレだわ。
いいなぁ、お香もね、いいっすね。
以前ね、淡路島でね、お香の話しましたけどね。
やっぱりなので、一人でももちろんいいですし、デートとかでもね、いいんじゃないかと思いますので、皆さんに楽しんでもらえるんじゃないかというお店がまず一つですね。
だしお土産でもね、いいしね。
お土産でもいいですね。
で、あとはね、もう一つ紹介するとしたら、八倉というね、今度はカフェです。
ここもね、やはり万那寺の山道ね、石畳通りの中の蔵をね、紹介したので、八倉となっているわけなんですけれども。
こちらはね、先ほどのお店とは違って、こう白壁のね、昔ながらの蔵をリノベーションしている。
確かに蔵っぽい感じだね。
で、こちらカフェですので、タイミング的にもちょっとね、学校行って万那寺行って山道を歩いてという感じなので、一休みしていただけるのにもいいんじゃないかなと思うわけです。
でもお腹、いいね、落ち着きそう。
うん、すごく、これも奥ゆかしい感じのカフェだね。
すごいほっこりとしますね。
でもなんか、写真見てると明るい感じ、自然光が入ってくる感じがね、気持ちよさそう。
ちょうど角っこにあったかな、ちょっと忘れてしまったんだけど、結構ね、お城通り明るくてね、いい気持ちになりますね、ここ非常にね。
へー、なんか蔵なのに自然光入ってくるのちょっとね、いいリノベーションをしたんだね。
そうですね。
で、あとはね、ここもね、実はギャラリーも兼ねていまして、地元の名産品というか、ここは割とクラフトみたいなね、もうちょっと小規模な作家さんたちの作ったものとかを紹介していたりもします。
で、その中で僕が行った時にはね、足利名船のね、小物も売られてたりしました。
足利名船。
名船。
名船っていうのはつまり織物ですね、になるわけなんですけれども、足利というのは昔から繊維料で栄えた町ですので、こういったその衣類だったりとか、あるいはそういった雑貨ですよね、そういったものが伝統的な工芸として受け継がれている。
それを一つね、触れるきっかけになるお店でもあるかなと思いますね。
なるほど。最初のね、お蕎麦屋さんもね、それをコンセプトにした料理がありましたね。
そういうことです、そういうことです。
なのでね、時間的に今日はもう足利に着いて足利に泊まれて、移動もしないというちょっと緩やかな感じもありますので、ぜひね、ここの石畳通りでショッピングだったり、おやつだったり、日暮れ休みをしていただくのがいいんじゃないかなという思います。
走行しているうちにもう結構夕方になっていると思います。
でね、実はね、これはね、あえて夕方を狙ってるんですね。
つまり結構ね、今僕の想定だと、おやつとか食べたとしてもう5時くらいになっていると思うんですね。
で、石畳通りから徒歩12分ほど西の方へ行っていただくと、足利織姫神社があります。
ついに出ましたね。
ライトアップがすごいね。
そうなんですよ。
なんかこの暗闇に境内だけバーンと明るく照らされてる感じがね。
そうなんです。
うわー、存在感あるな。
すごいですよね。
これね、実際行っていただくとわかるんですが、山のね、山腹ぐらいにあるんですよ。
山といっても本当に歩いて5、6分のところなんですけれども、ちょっと高台の上にあるんですね。
で、その中にこのね、社殿があって、赤々とした修理の社殿がよく入るわけですね。
そうねー。
うわー、この階段もね、いい感じにライトアップされててね。
まさにまさに。
なんかちょっと神秘なものに向かってる感じがするね。
そうですよね。
青バージョンもあるね。
本当だね。これは期間限定かな?
青バージョン、なんか怪しいな。
怪しいね。幻想的というかなんていうか。
でね、この足利織姫神社なんですけれども、さっきね、菊谷本店さんでも話しましたが、
そして今足利織姫神社の話を後でね、後半で出したわけなんですけれども、
足利というのは産業としてはもう繊維料です。
とにかくもう昔からそのカイコとかを育てたりもしたでしょうし、
糸を取ってそれを着物とか布にね、やっていく繊維料っていうのがすごく盛んだった町なんですね。
で、名神はその一つのね、あのブランドであるわけなんですけれども、
江戸時代とかね、あるいはその前からずっと足利学校の時代からですね、
この繊維料でもって町の人たちは栄えて暮らしてきた。
で、実際それで物資も集散して栄えた町になってきたというわけなんですね。
で、そういった時にやっぱり神様としてもやはりこの織物の神様っていうのが必要なんじゃないかっていうことを、
江戸時代、18世紀の頭だと言われているんですけれども、
の足利の人たち、まさにその繊維料が特に盛んだった時代だ。
そこにですね、着眼しまして、市街を見下ろす山の上にこの神様神社を混流しようということで、
地元の勇士たちによってね、建てられた神社なんです。
もうその地域の人の思いが詰まってるわけだね。
そういうことですね。
なので、歴史としてはこれまで紹介した神社に比べると比較的新しいんですけれども、
その分やはりこの地元の思いがこもったコンセプチュアルな神社になっているわけですね。
なので祀られているのはね、雨の御穂子の御事、あるいは雨の矢乳姫の御事と言いまして、
これどちらもね、伊勢神宮の天寺大神に仕えた、服とかをやる神様なんです。
繊維料の神様として天寺に仕えた神様を勘定して、ここで祀っているっていうものなんですね。
いろんな神様がいるもんだ。
そういうことですね。神様も職業が分かれてるんですね、いろいろね。
そして今内田が写真を見てくれてますけれども、やはりこれ高台にあるということなので、
夜はライトアップがあると同時に静かではありますけど、夜景も見られるっていうので、
僕が実際行ったときも足利の市街地を見下ろしているんですけれども、
その先に渡瀬川があって、鉄道とかが通っていくと川面にキラキラと反射して綺麗だったりするんですよね。
なので本当にいわゆる夜景スポットと比べるとなかなか静かでね、ところではあるんですけど、
それなりに逆に静かだからこそ感じられる良さっていうのもすごいあったなっていう。
車の音とかもいい意味で響いてくる感じがあったんですよ、川を渡っていく電車とか。
なるほど。いい距離感な感じがするね。
そうそう、まさにそんな感じしますね。
街の雰囲気も感じられるぐらいの距離感だね。
そうなんです。
というのでね、この足利織姫神社はあえて夕方から夜にかけてこの時間に訪れたというのが今回の趣旨になるわけです。
そしてね、最初にちょっとネタバラシしちゃいましたけど、この織姫といえば、
七夕ですよね。
七夕ですよね。
実はね、これ面白い話なんですけど、七夕のストーリーってどんなものか覚えてますか?
川をね、天の川を挟んで、ロミオとジブリエットみたいな感じですよね。
交われない男女が1年に1度川を渡って会うことができるみたいな。
そうですよね。織姫と彦星なんて言いますけれどもね。
それを星座に例えてね、やったりもしますよね。
そもそもそれはお互いお互い愛し過ぎて仕事をさばるようになったから神様が怒ったっていうのがそもそもの。
一応いろんなルートがあるんだけどね、その説はあるんだけど、一般的なのは多分それだと思うんですよね。
ところがですね、この足利織姫神社には、実はね、オリジナルの七夕のストーリーっていうのが伝えられていまして、
ちょっとそれを見てみたいと思うんですね。
ちょっと一部省略はしますけれども、昔この下助の足利に1人の美しい娘が住んでいた。
そこに都から若い織師、織物を束ねる人たちが来たと。
その旗織りっていう産業を姫様に熱心に教えたんですって、都からの技術をね。
娘はその織師と一緒に仕事をするの楽しくなっちゃって、めっちゃ頑張って旗を織ったんだと。
そしてその布を渡瀬川の流れに晒したことで、川に一芽の花が咲いたような美しさ。
これ布って晒しますからね、清流にね。
これをやっていたらしいんです。
ところがですね、何年か過ぎると都からこの男の織師の方が呼ばれてしまって、都に帰らなきゃいけなくなったと。
そしたら娘の方はそれをかまりにも悲しんでしまって、山に登ってこの織師にいつか会えることをずっと祈っていたそうなんですね。
そうしたある日、娘が渡瀬川のほとりに佇んでいると、一人の白い髭を生やした老人。
これがめっちゃ具体的なんだけど。
老人が来て娘に、お前一生懸命ちゃんと旗を織ってサボらずにやったならば、それを神様に捧げればいつか必ず願い事が叶うよと言った。
娘はその言葉を信じて、熱心にその旗をやっぱり織り始めて、彼氏に会うことを願いながらやったと。
そしたら神様はそれを免じて、一年に一度、七夕の夜にだけ会えるように娘の願いを叶えてくれた。
具体的に言うと、七夕の夜には渡瀬川が阿波の川となって都まで広がる。
織師はその渡瀬川を星の船に乗って娘に会いに来る。
そして二人は結ばれる。一年に一回だけ結ばれる。
その二人のことを今この織姫神社で祀っている。
というのが、この織姫神社に伝わる七夕の話なんです。
最初は割とリアルなのに、急にファンタジーになる。
この白い髭の脳心が出てきたあたりからなんですけど。
一般的な七夕の伝説よりかは、ちょっとリアリティというかね、人っぽい感じがあるね。
そうですね。
いわゆる七夕で一年に一度しか会えないというところまで同じなんですけれども。
この渡瀬川っていうものがね、この旗織りの産業の場でもあったし、
心の神秘を宿した阿波の川になぞらえられたっていう、
そういった地域性みたいなのを感じ取れるんじゃないかなという気がしますよね。
やっぱりその川を越えないと会えないみたいな、そういう境界としてもね、川が果たしてるわけでね。
やはりなのでね、こういった七夕の言い伝えがありますので、
夏の期間、具体的に言うと6月から8月ぐらいだったかな。
ロマンチックですね。
なのでぜひ、これはいつの時期でもいいし、
4、5月はここも富士がすごいんですけれども、
今回のテーマに言うならば、この星祭りの神隠しというふうに言っているわけなので、
七夕の時期をね、一つこの織姫神社をキーワードに設定したモデルコースになります。
というわけでですね、願い事が叶いましたら、飲みに行きたいとね。
早速ね、叶えてほしいと自前でもね。
飲みたいって言わればいいんだね。
絶対叶います。足利織姫神社絶対叶いますので。
あのですね、織姫神社から帰りに行きながらね、ちょうど飲み屋街がありますので、
そこにちょっと寄って行きたいと思うわけです。
織姫神社の三道階段なんですけど、これ下りましたら、そこから徒歩3分ほど北道を戻るような格好になります。
そこにあるのが旅するおでん、もっくもっくさんです。
おでんね。
また出てきましたね。
多いね。
多いね、本当にね。我ながらマジで多いですね、これね。
でもなんかちょっとおしゃれな感じ。
はい。ちょっとモダンなね。
そうだね、なんか昔ながらっていうよりかは、ちょっとおしゃれな、現代的なっていう感じなのね。
そういうことですね。こちらね、おでん屋さんではあるんですけれども、おでんをメインにした創作居酒屋というのが一番いいかなと思います。
なのでまさにね、短冊をちょっと見ていただくと、我々の願いが書いてあるわけですね。
料理名だけど。
はい。自家製厚揚げ、ポテトサラダ、塩入り銀杏、ブリの味噌漬けなんてのもありますけれどもね。もちろんこれ日によって変わると思いますが。
まあ居酒屋っぽい感じなのかな。
そういうことです、そういうことです。一方でね、このトマトのおでん、あるいはまあお野菜を中心にね、サトウイモ、玉ねぎ、大根なんてののおでん盛り合わせもありますね。
出汁割りもあるな。
そうなんですよ。
いいね。
ホットワインなんてのもありますね。
へえ。
はなはなハイボールとかね。
結構まあおでんと言いつつ幅広い感じなんだね。
そうですそうです。おでんをメインにした創作居酒屋という風に見てもらえばいいと思います。でね、あのおでんの味わいとしてはね、ここはねめちゃくちゃ丹麗です。すごくあっさりしてます。
なんかね、つゆもすごく澄んでてね、すっきりしてそうな感じだね。
そうですそうです。なのでまあ小田原のおでんとかこれまでに紹介したいろんなおでんありますけど、たぶん最もね味が淡いすっきりとした丹麗のおでんだと思います。
へえ。
なのでこう濃い味がいいよって人はもしかしたらちょっとかもしれないけれども、あの逆にこう素材の甘み旨みみたいなのがね存分に伝わってくる良さもありますし、薬味とかで味変を楽しむこともできますし、そういった良さもあるんじゃないかなと思いますね。
この大根もね割とね白いだよね。
うん。
ああこれトマトか。
うん。
へえ。
トマトのおでん食べたことないんだよなあ。
たまにあるよね。
ね、なんかたまに見る気がするけど。
食べたことないんだよなあ。
ああでもなんかおいしそうだなあ。
おいしそうですね。
こういったおでん屋さんになってます。
でね、さらに付け加えるならば、これね僕一人で行ったんですね、足利には。
でカウンター席に座らせていただいたんですけれども、その前にね不思議な本が置かれていたんですよ。
これ何かっていうと、足利の嫁っていうねフリーペーパーが何個か置かれてたんです。
面白くてね、この足利の嫁っていうのは要はそのままの通りなんですけど、
足利に嫁いできた奥さんが、自分でその足利の独特のこの切り口でもって、
街の魅力とか個性を紹介するっていう足利オリジナルのフリーペーパーなんです。
で、それを作っていらっしゃるのがこのお店の奥様なんですね。
なのでお店に置いてあるんです。
面白いなあ。
この本めちゃくちゃ面白くてね、切り口がすごく面白かったんですよ。
人にフォーカスを当てたものもあって、その人も全然店の人とかじゃなくて、道行くおばあちゃんたちの歴史だったり。
ああなんかちょっとママ夢ラジオを今思い出したな。
あえもそれぞれの地域で住んでるお母さん、お父さんもだけど、がその地域の魅力を伝えるっていうことをやられてるから、なんかそんな感じがするね。
そうですね。
なので僕もやっぱり旅行先でこういったローカルメディアを見るのが非常に楽しみなんですけど、この足利の夢は結構印象に残ってますね。
それもあってこのお店すごくオススメだし印象もあるなっていう。もちろん料理お酒だけでも全然美味しいんですけど。
なのでぜひね一人で行かれたりした場合はその本を手に取っていただけるといいんじゃないかなというのも最後に付け足しておきます。
でそこからですね徒歩8分ほど渡瀬川の方駅の方に戻っていただくんですけれども、ここにねちょっとすごい店があるんですよ一個。
これはね願い叶ってるんですよマジで。
まあそれは願いによるけどな。
おもちゃっていうお店なんですけれども。
すげえ酒瓶。
壁一面に収納されてるね。もう展示と言っていいぐらいだよね。
全部違うねこれ。
そうです。
すげえ。
めちゃくちゃとんでもない日本酒バーがあるんですよ足利に。
すげえ量だなこれ。
じゃあこれ日本酒の居酒屋さんですかね。
そうです。居酒屋としても使えますし、僕もね本当にこれ同じコースまんま行ってるんで、おでん結構いただいたのでですね、バーとして僕は今日も行きました。
お料理も少しいただいたんですけど、日本酒をメインにしたバーとしてね立ち寄らせてもらいました。
でもう見てくださいこの品揃え。
わー冷蔵庫もすごいね。
でその中もねラインナップ見ていただくと有名どころもかなり多いですけれども、もう全国ありであらゆる日本酒が集まってるんですよ。
これねどんな人こんなことできるんだろうって今でも不思議なんだけど。
うわーすごいな。
美術館的ですよねもはや。あまりにも酒品が多いので。
種類がとにかくあるね。
そう。ここで好きなお酒見つからなかったら無理だと思うっていうぐらいすごいですよね。こんな種類はあるんだからね。
すげー。
っていうすごい店があるんですね。でね面白いのがね、この上の写真ちょっと見てもらっていいですか。これ何だかわかりますかね。
えーなんか亀みたいのに。
いやこれもしかしてお酒?
これはやばいね。これさすがに違う。でもお酒じゃないんですけど、何でこのねぜひ数にも注目していただきたい。何をするためにこれを持ってこられるんでしょうか。
これねヒントを出すと、日本酒何でもいいんですけど、オーダーするとお店の人がこれを持ってきてくれるんです。
なにこれ。これ多分氷水が入ってるんだよね。
そのワインのさ、ワイン瓶で頼んだときの冷やす氷水みたいな。
はいはいはいクーラーのやつね。違うんですね。厚缶だったりもするかもしれない。
へー。
スナック えー、なんかこんだけあるといろいろ使いたい気持ちにもなるけどね。
スナック まあ使ってもいいのかな。ちょっとそれは分かんないんだけど。
まあまあでもせっかくね、あらえるなら。
スナック そうそうそう。っていうものなんですね。
へー、面白いお店だなあ。
スナック でもうね、1980何年からやってるって確かおっしゃってたと思うんですけど、実はね、神奈川の小田原から来たって話をしたら、結構まあ個人名は出しませんけど、神奈川県内でも有名な酒蔵の東寺さんとかね、結構ね、お忍びで来てるらしくて。
スナック へー。
本当にね、全国の酒蔵の経営者とか、東寺さんが結構この店の目的に来るんですって。
スナック へー。
っていうくらい日本酒のそのプロ御用達のお店らしいんです。
スナック はー。
お酒の研究とかね、そういったトークとかをね、いろいろやっぱり。
スナック うん。
情報交換とかを密かにこの足利で行われてるらしいんですよ。
スナック へー。
うん。
スナック いやまあでもこんだけ集まってるってことはね。
そうそうそう。
スナック まあそのツテも多分あるんだろうし。
そうそうそう。
スナック はー。
一瓶買わなくても今年のいいお酒どんなのライバルが、まあライバルというかね。
スナック うん。
仲間なのかライバルなのか出してるかっていうのをいろいろ飲み比べしてるのかね。
スナック はー。
わかんないんですけど、東寺さんもねかなり来てるそうですよ。
スナック へー。
いろいろなところから。
スナック うん。
スナック いやそんなすごいお店をフランクに入れるっていうね。
そう。
スナック あーいいね。
常連さんだと思ったらおかみさんだったって。
よくこの話はwebで調べると出てきますこのおかみさんの話は。
スナック へー。
うん。
スナック あー面白いな。
うん。
っていうのがね足利にね密かにあるんですよ。
スナック うんうんうん。
ちなみにおもちゃというのはね、趣味の趣と書いて、お茶の茶と書いておもちゃと読みます。
スナック うんうん。
趣茶って読んじゃいそうなんですけど、おもちゃらしいです。
スナック そうだね。
スナック あー。
ここもなんかね、遊び心がある感じだね。
スナック うん。遊び心がね。
スナック へー。
というのでね、ぜひね足利に来たからには日本酒好きな人は絶対行ってほいですこれ。
スナック いいねー。
これを目的に足利に行ってもいいと思う。日本酒好きな人はほんとに。
スナック そうだね。
うん。っていうぐらいのお店でした。
スナック はー。
うん。
スナック ということでね、ちなみにこれね渡瀬川の下半にありますのでこのお店。
スナック うんうん。
スナック テーブルの下にあるので。
はい。
スナック 日本酒飲みすぎちゃってね、ちょっと風邪にあたりたいなって時は夏の時期、ちょうどねさっきまで願いを捧げていた天の川に自分も立ってね。
スナック うん。
スナック このクールダウンにね。
スナック まあ、和んでほしいです。
スナック はい。
スナック うん。
スナック うん。
うん。
スナック なんか怪我してる気がするけども。
スナック はー。
スナック うん。
スナック というね、ものになりますので、このおもちゃさんで最後に日本酒をいただいて、そっからあと5分から10分ほどはかかるかな。
スナック うん。
スナック それぞれのホテルに帰っていただいて1日目を終了にしたいと思います。
スナック はい。
スナック ということで1日目を振り返っていきましょう。
スナック スタートは12時半頃に足利駅。
スナック まあこれはJRでも東武線の足利市駅。
スナック そうです。
スナック でもいいということで、そこに12時半ですね。
スナック で、そこから徒歩5分ほど、北のほうですね。JRのほうが近い場所ですね。
スナック そこのどこかお好きなホテルに一旦荷物を預けます。
スナック で、まあホテルがね、そこまでたくさんあるわけじゃないということなので、必ずね予約をして、まあまあしない人いないと思うけど。
前もって予約したほうがいいですね。
スナック そうですね。早めに。
早めにしたほうがいいです。
スナック うん。
スナック ホテルに荷物を預けまして、そこから徒歩10分ほど、菊谷本店さんですね。
スナック まあ足利にはね、すごくたくさんのそば屋があるということで。
本当に多いんですよ。
スナック で、その中でも創業150年を超える老舗中の老舗におそばを食べに行きます。
スナック 名物は足利あわせ麺織姫ですね。2種類のそばを楽しむことができると。
スナック そこから徒歩7分、足利学校ですね。
スナック 一説には日本で最も古い学校なのではないかということで、上杉範実が作った。
そう、でも最高下って感じかな。
スナック 最高。
中高の祖って感じですね。
スナック なるほど。
スナック というね、当時はもう名門中の名門、日本を代表する学校だったということで、こちらを見学するということですね。
スナック そこから徒歩5分ほど、万那寺ですね。ここは足利の母大寺であり、足利が作ったお寺ということですね。
そうです。
スナック なので、もう本当足利と共に歩み続けたお寺。お寺であり、史跡であるということですね。
そうですね。足利の本拠地でもあったということですね。
スナック そこから徒歩3分ほど、石畳通り。これはもう万那寺の山道ですね。なので、たくさんいろいろお店があるということでしたが、その中でも我々のおすすめとしては、蘭と月さん、お香のお店ですね。
それと八倉という小民家カフェ。蘭と月さんでは、お香をね、自分のお土産だったり誰か大切な人のお土産だったりとかにいいんじゃないかと。
八倉さんはちょうどおやつ時でもあるのでね、ほっと一息、明るい落ち着けるカフェになっているので、そこで一服すると。
そこから徒歩12分ほど、足利織姫神社。1日目の目玉ですね。ここに夕方頃に着くようにね、行くと。
そうするとライトアップがされていて、振り返るとこの足利の街の夜景を見ることができるということで、足利市民の思いが詰まった神社ですので、ここで願いをね、渡瀬側に祈りを捧げるということですね。
そこから徒歩3分ほど、旅するおでんモックモックさんですね。おでんをメインとした創作居酒屋ということなので、まあまあおでんも食べつつ、いろいろな和食をね、食べながら一軒目と。
そこから徒歩8分ほど、おもちゃさんですね。もう本当に日本有数の品揃えを誇る日本酒居酒屋さん。バーとして楽しむこともできるということで、もう本当にね、種類が豊富ですので、何か好きなお酒があったりとか。
で、常連に紛失だね。狼さんはいらっしゃいますから、こういうお酒が好きですとか言って、何かそれに合うものを出していただいたりとかして、まあ日本酒を楽しむと。そこから徒歩5分ほど、ホテルに戻りまして、1日目は終了というようですね。
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まあまあもう本当に足利と共にある街という感じがしますね。
そうですね。非常にすごくガンガン反感があるとかっていうわけではなくて、静かな街です。非常に。
そうね。なんか聞いてても落ち着いてそうな、なんかゆったりとした街なんだろうなって感じがしますね。
そうですね。なので、街のサイズ感としても非常にコンパクトな街に適していますので、
昼に着いて荷物を置いたらあとは自由って安心感がやっぱりね、どことなく街の雰囲気から漂ってくる感じがして、
至る所に猫ちゃんがいたり、子供が遊んでたりっていう、豊かな静かな街ですね。
1日目もね、移動がもう全然、徒歩でも10分ちょいぐらいがマックスだもんね。
駅から織姫神社に直行しようとすると多分30分弱かかる。
なるほどね。
なので、その間にバンナ地とかを挟むことでね。
なんか落ち着いてそうで行ってみたいなって気がしますね。
なんかふと休みが取れた時とかに、ちょっとおいしい日本酒飲みに行こうくらいのイメージで一人旅とか全然いいと思いますよ。
そうだね。ちょっとしたリラックスみたいな感じでね。
そうそうそうそう。
良さそうだね。
ということで、じゃあ次回は大田の方に行くわけですね。