よくあるじゃないですか。
いや本当そうなの、ここでもよくあるし。
あとこの前さ、ちょっと旅行にね、なんか最近ちょこちょこ旅行行ったりしてるんですけど、
そういう時にこう、仲間とか一緒に行った人とかとさ、
とってもいい時間を過ごしたりとかして、
あ、なんか今すごく例えば、いい空間の中にいるね、とか、
あ、今なんかこの時間を一緒に、私たち今一緒にいられてすごく嬉しいね、みたいなのさ、
なんかこう、沈黙のまま味わってる方が、膨らんだまま膨らんだまま膨らんだままいられるような感じがあって、
その、なんかいい体験自体を?
そう、そしてその瞬間ね、その瞬間にいい時間を味わっているという、
あ、今これ私味わってるなあ、隣の人も何も言ってないけど多分味わってるなあ、みたいな感覚が生まれたりするんですよ。
なのに、なんか、あ、なんかこの沈黙は、なんか言った方がいいかなあ、みたいなことを万が一思っちゃったりとかしてさ、
あ、そうなの?そういう気持ちが起きたりするってこと?
わかんない、なんかその時は私起きなかったけど、なんて言うんですかね、
まあとにかくそこで、うわあ、なんかめっちゃいい時間だねっていう、
めっちゃいい時間だねっていう一言も、それを言うことでせっかく膨らんだものがシュワーンってなんかこうしぼむような感じ。
なんかもうちょっと膨らましといてほしいなあ、とか。
あ、言われた時にね。
言われた時とか、あと自分でも言っちゃった時に、なんか、あ、もうちょっとこの感覚味わっとけばよかったなあ、みたいなのとか。
なんかすごい微細なとこだけど、よくわかる。
わかる?
いや、なんかね、あの、言葉を、まあ例えば、なんかこう、そういう何人かでいたわけじゃない?
はいはい。
っていう風に言われると、なんかそれ自体でどうってのもあるけど、なんかそのことにさ、もうちょっと言うとさ、なんか反応、反応しなきゃいけなくなるっていうかさ、
うんうん。
それをほっとくのもなかなかさ、そうだよね、とかさ、たぶん言わないと、なんかわかんないけど反応が悪いみたいなことにもさ、なりかねないじゃない?
はいはいはい。
なんか言葉を出す、その、それによって、なんか言わなければもっと、なんかピュアに、なんかこうきれいだなあと思えたのもあるし、
そうそう。
なんか言うと、なんかやりとりをしなければいけなく、
そうなの。
そうなの。
相手側にさ、責任を生じさせるようなさ、
まあ責任とまでは言わないけど、なんかこう放り込まれちゃったものは、なんか人を拾いたくなるもんじゃないですか。
でもそういうこと言ってさ、
うん。
例えばわかんない、けいこと俺で何かを見てて、けいこがこれほんときれいだねって言ってくれたのに、
うん。
俺が何にも反応しなかったら、
うん。
もしかしたらなんか言う可能性もあるかもしれないよね。
もはやないね。
いやでも普通にやるとあったりするじゃない、そういうことは。
うんうん。
なんかそういうこともあるのかなとかね。
そう、そういうときは、うーんって言っといてくれたらいい感じだね。
だからうまくいかないんだね。
なるほど。
それはみんなあんのかもね。
ここ難しいよね。
気にしてないから、
魔が結果取れてるってことね。
変に気使ったりしないからね。
だから次のステージに行くためには、
意識的に魔を取るっていうことをやると、
さっきのモテる女の魔になるわけですね。
モテる女の魔。
男は魔を取らなくていいのかな?
男こそ大事じゃない?
モテる男は魔を取るなって感じはあるの?
あるある。
そうなんだ。
あるね。
ある?
あるでしょ。
俺はわかんないからさ。
あるでしょ。
だって素敵だなと思う男性、
性的にという意味じゃなくてもさ、
こんな風な人は素敵だなと思う人は大体魔があるじゃん。
そういう意味ね。
そういう意味の、
男性女性とかちょっと超えた話ね、それは。
もうちょっと女性として魅力を感じる男性は、
やっぱ魔がありそうだよな、でもな。
異性として魅力を感じる男性の魔は、
それは非常にドキドキするね。
やっぱ魔があるか。
魔があるとドキドキするね。
確かにね、確かにね。
でもその魔がドキドキするのがいいのかもしれないですね。
そういう作戦にかかってるのかもしれませんね。
でもさ、この魔、
なんか言葉の話もあったけどさ、
ちょっと魔とかさ、沈黙っていうのは、
なんかそういうさ、このドキドキが発生するよね。
でもこの男女の話で言うとさ、
この魔がドキドキしない相手がベストパートナーなんじゃないの?
えー、そうなの?
え?違うの?
時期にもよるんじゃない?
そうそうそうそう。いずれドキドキしなくなりたいよね。
ちょっと独立語のリアルに少しだけ寄せてみるとさ、
はい、ぜひお願いします。
なんかこれ、クライアントとの間とかでも、
なんかいい間があるクライアントは、
なんかある意味ちょっとドキドキしたりとかさ、
なんかこう聞かれたことにポンポンポンポン答えるみたいなさ、
営業とかやっててさ、
でもやっぱりなんかちょっとこう沈黙があって、
どうなんだろうねみたいな。
今のクライアントっていうのはセッションのクライアントじゃなくて、
営業するときのクライアントっていうことね。
そういうお客さんっていう意味でね。
なんかお客さんとのそういうときに、
なんかどっちかっていうとさ、そういう間を取らずにっていうかさ、
まぁシチュエーションにもよるけどさ、
言われたことをちゃんと説明するみたいなことがあるからさ、
あんまり間が空いてもなんだけど、
なんかお互いで間を取れるみたいな時間が取れたときは、
なんかすごいやっぱりいい、なんていうの、その後、
なんか一緒にこう考えるようなシチュエーションになる、
なんかそういうサインでもさ、ある気がしてさ、
なんかそういう間はあるかもなとかって。
それは意識的に作ってんの?
なんかだいたいさ、そういうわからないこととかもさ、
なんか取り繕ってさ、
いやでもそれはこれこれこうでみたいなことじゃなくて、
どうなんでしょうね、みたいに言ってさ、
一回こう間が空くと、
仕事のとこだと、
なんかこう一緒にこう何かを考える方向に、
なんか沈黙とか言葉を一回減らすことで、
なんか向かう可能性があるかなと、今ちょっと聞いてて思って。
なるほどね。
なんかそれを聞いて思ったのは、
このなんか間があると、
なんかこう体の姿勢で例えてみるとさ、
なんか喋ってる時はこうどっちかっていうと前のめりかもしれないじゃん、
あと意識も相手に向けてて前のめり前のめりみたいな、
で相手もこう前のめり、
まあどうだろうね、自分が前のめりになって、
相手が後ろに下がっていくっていうパターンもあるだろうし、
そしたらなんか間があると、
ちょっと自分も真ん中のニュートラルな姿勢に戻れるから、
向こうも押されたものがこう真ん中に戻ってこれるみたいな感じもありそうだし、
あと2人とも前のめり前のめりでもう膝とおでこ付き合わせてみたいな感じのところも、
ちょっとこう間があると、
ああじゃあ一緒にやっていきましょうかみたいな、
なんかそういう時間もあるかもね。
そうか、沈黙ってよりも間なのかな、
間っていう概念はあれなのかな、日本特有な概念なのかな、
どうだろうね、
でもあんまり英語で間みたいなことを、
なんかこう会話の中の間みたいなことをあんまり言ったり、
なんかこの話をするとさ、俺ものすごいお笑いのこととかをさ、
もう結構あのいろんなお笑いを見に行くとね、
あのものすごい若手のお笑いとかを見に行ったりするわけ、
まだテレビとかに全然出てない、
結構フリーでやってるお笑いの人とか、
なんかそういう人たちが集まってやる、
下北沢とか新宿とかやってる、
地下ライブまで行かないけど、
でも全然初めて見るみたいなさ、
お笑いライブ見に行くんだけど、
なんかそれはそれで面白いんだけど、
間がないんだよね結構ね、
もうねみんながやっぱ、
まあもちろんそういう時期っていうかさ、
目立ちたいから、
みんながなんかすごい言うわけ。
とかなんか面白いことを言ったり、
面白いことをやることで、
お笑いがドンみたいな感じだよね、
狙ってんのか。
とにかくだから言葉がどんどん、
どんどん入ってくるわけ。
そうでMCの人とかに特にそういうのが見れて、
MCね。
MCがなんかいろいろ言って、
もう全部いじるわけ。
あー。
それはそれで面白いんだけど、
やっぱもうちょっとこう、
うまい人たちのお笑いの、
なんかそういうMCの人とかって、
やっぱなんか言わないところがすごい、
なるほど。
明確にあるんだよね。
いじらない人が出るとか。
そういうふうな、
もう次に全然そこを言葉重ねないで、
みたいな引き算があるんだけど、
やっぱ若いお笑いの人たちは、
まあそれがそれでちょっと面白いんだけどね、
なんかそういうエネルギーで。
とにかく、
なんかプラスしようとするんだよね。
なるほどね。
それで面白いんですが、
やっぱなんかこう、
慣れてくると、
なんか喋らないとか、
周りもそのことがわかってるから、
今のことにはもうこれ以上、
載せていかないとか、
なんかそういうもうここは、
十分です。
十分ですっていう。
必要十分ってすごい、
好きな言葉です私。
過剰でも、
何ていうの?
過不足でもない。
過不足でもない。
過不足がないっていう。
そうそう、過不足でもないとね。
そうなんだ、そこなんだと思う。