自分は他の参加者とは一線を隠す特別な存在であることを強調する。
なんかポエティックなマウントだったね。
車窓からとか、川端康成みたいな。
確かに確かに。
マウントっていう言葉も昔から言ってたわけでもないよね。
この10年くらいだよね、たぶんね。
昔だって会社とかってさ、こういうのめっちゃ聞くじゃん。めっちゃあるじゃん。
めちゃめちゃ昔からあったけど、
会社とか世の中でいっぱいあったけど、それをマウンティングって言うんだっていうのは最近知ったもんね。
猿がマウンティングって、群れで優劣を決めるために、
たぶん後尾の時に上に乗るみたいな、そういうことをたぶん言うんだと思うんだけど、
たぶんね、でもね、俺思ったんだけど、
格闘技ブームがあって、格闘技の中で総合格闘技っていうのがあってさ、
プロレスみたいなのと違ってさ、寝技みたいなのがあって、
上に乗って相手をボコボコに殴るっていうのがあるのね。
そういうのをマウントを取るっていう風に言うのね。
マウントを取るって、たぶんね、そのあたりから上に乗って、
いわゆる優位な体制になって、相手をボコボコにするみたいなのを、
きっとたぶん90年代後半とかから、そういう総合格闘技のブームがあって、
いつの間にかそういう人に優位に立つのを、マウントっていう風に言っている気がする。
なるほど、私猿山しか浮かばなかった。
たぶん猿山からいきなり来たというよりは、そうなんだよ。
そうか、一回人間に適応されて、
もうこうやって相手のお腹の上に乗って、相手はもうそこからはガードするんだけど、
もう上からでタコ殴りするわけ。
なるほど、それをマウントを取るっていう。
マウントを取るって、要は優位な立場に立ったっていうことを格闘技上でも言うんだ。
それは格闘技用語として使うんだね。
でも、たぶんそれが一般的になって、マウントを取るみたいに。
なるほど。
マウントの話しようってなったからさ、ちょっと思い浮かべてみて。
マウントって昔から言ってなかったよなと思って。
この言葉が生まれたことによってさ、
あの人、別にそういう言い方しなくていいのにね、とかさ、
そういう気になることに対してさ、名刺が与えられた感じがするよね。
そうだね。
なんて言うんだろうな、自慢するみたいのとちょっと違うんだよね。
違うの?
自慢をしようと思って自慢をするんじゃなくて、
たぶん結構さ、余計な一言のことをさ、言ってるケースも多いなと思うの。
そうだよね。
さっきみたいなさ。
別にいけませんの一言でいいのに。
で、いいんだけど、忙しくてとかみたいのも、
僕はすごい自分が忙しいからみたいな、
そういうことをさ、無意識に言ってマウントになっちゃうみたいな、ニューヨークマウントとかまさにそうだよね。
でも、だからこれが両方あると思うわけ。
なんか本当にちょっと事情を説明しなきゃと思って、
海外出張でしてとか、ニューヨーク出張でしてって、
そこでわざわざに海外出張でしてだったら、たぶんそんなにマウントと思われないんだけど、
たぶんなんか俺これ面白いなと思って、
たぶん相手が聞いてないことを言うみたいな、
要は事情は何でって聞かれたら、ニューヨーク出張とか、
なんかそれはすごいいいじゃん。
いい、いい。
なんか誰も聞いていないのに、
なんかその理由とか言ってくるケースは、
結構意外とマウントになりやすいんじゃないかな。
それはたぶんね、無意識マウント。
無意識マウント、無意識マウント。
意図的マウントもあるんですよ。
なるほどね。
だから、たとえばなんだけど、
なんかそういうさ、マウンティング合戦みたいなものが起きたりするときっていうのは、
たぶん意図的なマウントなんだよね。
意図的マウントいいね。
絶対あるでしょ。
なんかここでさ、一つ、
たとえば意図的マウントって言うとさ、
たとえばさっきの次に出てくるの、
ジサボケマウントって言うんですよ。
なんとなくわかるけど。
昨日ようやく、
違うな、これだ。
ロンドン、ニューヨーク、シカゴ、東京を1週間で回ったせいで、
ジサボケオンパレード。
学生時代に夢見た世界一周はこんなんじゃなかった。
解説。
海外出張にいるジサボケに悩まれされていると、
愚痴りながら多忙なスケジュールをこなしていることをアピールするっていう。
なるほどね。
これに対してのコメント欄みたいなね、
SNSで起きることとして、
これ実際ね、
リンクトイン界隈とかで実際見たりするんだけど、
私も以前、東京、ロンドン、ヨハネスブルグ、ドバイ、東京を1週間でいろいろしたことがあります。
あんなフライトはもう二度としたくないですね。
みたいな。
すごいね。
でも見るわ。
見るでしょ。
いや、見る。
なんか、これって、
最初の投稿の人も、
なんか、私めっちゃやってますよっていう感じを、
大変大変と言いながら出したいし、
なんか、後ろの人も、
で、本人わかんない。
本人が仮に意識してなかったとしても、
最初の投稿が無意識マウントだったとしても、
次の人はさ、
このコメントの人は絶対意識マウントでしょ?
そうだね。
それは、なんていうの、
そのマウントを取ろうっていう、
なんか、相手よりも自分の方が、
みたいな、
そう。
もう、ことだよね。
だからね、結構ね、私が見るマウントって、
あの、SNS上のマウントに見えるものって、
一人目の投稿じゃなくて、
その下についてるコメント欄に、
なんでこれ言う必要あるのかな?
みたいなのをよく見ることはあるんですよ。
いやー。
それは。
SNSの面白いとこだね。
そうそう。
一番、なんか、美味しいとこだね。
美味しいんか。
いや、ここでそれをまた被せてくんだみたいな。
そうそうそうそう。
寝てない自慢とかね。
そうそう。
やっぱり聞かれてないのに言うことって、
結構な割合でマウントかもね。
そうだよね。
なんかでもそこにはやっぱりだからさ、
プライドがあるんじゃない?との当時の自分を、
今笑いながら見てるんだけど。
なんか、私は高尚なものを読んでますとか、
私はもうちょっと高いレベルのものにしか関心がない人間なんです。
っていう自己像があるから、
なんか、確かに彼氏って撮ってるマウントでありながら、
自分…
ハリウッド映画には興味ないけど、とか、そういう感じでしょ?
そうそう。
なんか、ヨーロッパの映画かな、みたいな。
なんだよ、それ、みたいな。
そういうやつ。
もうある種のマウントじゃないですか。
いや、あると思う。
なんか、やっぱりアメリカより、俺はUKロックかな。
そうそう。
なんか聞かれて言ってんだろ、まだしも。
聞かれてねえのに、みたいな。
さっきの私たちの、タッカンマウントっていうのかもしれないですよね。
そうだね。
でも、これも面白いんだよね。インドマウント。
インドマウント。
実際に経験しないとわからないと思うけど、
一度インドに行ってみるといいよ。
人生観が根本的に変わると思うから。
これ、私結構見るんですよね。
すっげえ余計なお世話になっちゃうけど。
でも、ちょっとタッカンぽいとこもあるよね。
インドっていうのを出した瞬間に、ちょっと1ステージ上っていくな。
でもですね、この本でもちょっと書いてあるのは、
私たちは基本的に、人間は基本的にマウンティングを取ってくるものだし、
私が大好きな鹿島しげるさんで、
彼の本、私読みきってないから、言い切れないんだけど、
時々彼が使うカタカナで、どうだって。
人間はそもそもどうだの。どうだをずっとやってるんだって。
昔からね。
俺はどうだ、どうだ、どうだ、みたいな。
いいものを買ってみたり、大きなものを作ってみたり、大きなお城を作ってみたり、
いろんなことをやって。
ある種のステータスや権力の象徴的なものを。
本当そうだよね。
マウンティングという言葉の前に、私がしてたのは、どうだっていうことなんですよ。
っていうことを思ったら、私たちは身の前にはそれが常にあるから、
それを見たときとか、それを言われたときに、
どうサバイブしていけばいいのかね、みたいな。
どうですかね、ここで話すのは。
もう一回言って。どういうことか。
相手が何としてきたらとか。
例えば、自分の書いた投稿に、相手が、
さっきみたいに載せてきた。
さっきみたいに載せてきたとか、
この前、誰々のコンサートに行ってきたよ、とか言ってたら、
それはどことこで私も見たことがあるとか、いろんなことがあるじゃん。
そういうのをされたりしたときに、どう生きていけばいいかしらね、みたいな。
そう言われたときに、何かするのか。
するのかね。
さらに上を行く。
今、この話をしてやってみたいのは、
マウントを取られたときに、さらにマウントを取るようなことを、
遊びではやってみたくなったけど。
起きてる、起きてる。めっちゃ起きてるよ。
普段はでも、できる限り乗らないようにしてるかな。
これはね、たぶんフリーランスなせる技かもしれない。
そうなの?
わからないけど、なんかまた、われわれちょっと降りたじゃん。
降りてるじゃん。
降りてるマウント。
降りてるマウントになっちゃうの。
今度どれぐらい降りたかっていうマウントになっちゃう。
フリーランスマウント。
いやー、話せなくなるわ。
これはちゃんと聞いてることに対してしゃべってるからいいと思う。
え?よくわかんない。
聞かれてないことを勝手にいきなりマウントさ、
言ってくるんじゃなくて、これは会話の中で言ってる。
いいんですよ。
だから、なんていうか、
いやー、なんか基本的には組織の中でも、
基本的には上に登ってくっていう構造の中で生きていたら、
なんかそれは、やられたらやり返すじゃないけどさ。
なるほどな。
でもそういう会話を旗で聞いてたこともありますよ。
面白いなと思いながらも。
なるほどね。
すごい長くなるんだよね。だから終わんないんだよね。
それぞれが自分の話していくから。
どんどん山が高くなっていって。
意外とそういうの少ないのかもな、じゃあ俺。
あんまりそういう感じの組織じゃなかったのかもしれないね。
そうだね。
文化とかもあるかもしれない。
そうだったら文化と違いますから。
でも確かにそういう風になるんだろうね、その中で。
ボスにならないといけないみたいな、ボスザルにならないといけないと思ったら。
本能みたいなね。
なるほどね。
私たちはあんまりそれに対する解決策はほんとないからね。
会話持ってかれちゃうみたいな。
あれってなんか知らぬ間にマウントになっちゃってて。
そうなんだよね。だからこう自分の事例の事例っていうか、自分のことの共有をなんかいい感じでするっていうのも逆に難しくなってきてるかもしれないよね。
聞かれたらやっぱするといいんだよね。
そうだよね、そうそう。だから聞かれないことは話さないほうがいいかもしれないね。
聞かれてないことをやっぱり言うと、なんか余計な一言マウントになる気がしてきたな。
そうだね。いや本当に、昔の自分を見たくないね、こういう時はね。
今でもあれだと、稽古がって意味じゃなくて、そういう風になっちゃう時あるだろうからね、きっとね。
昔絶対意識的にやってたのある?
どこどこで?
出張のため、みたいなこと。
昔さ、だからまたややこしくなって、SNSになってきてるからややこしいよね。
昔のマウントってさ、本当になんかリアルであっている時にしか起きなかったじゃん。
だから、なんかどこどこ行ってきたよとか言って言うと、なんか私もなんかもっとすごいの言いたくなるみたいなさ。
そういうのがリアルであったけどさ、とかメールとかであったかもしれないけどさ。
最近はもうそれが至るところで起きちゃうから、それもそれで大変だなと思って。
注目を集めるっていうことが目的になってるからね、SNSとかは。
そうすると、やっぱりなんかそういうマウント取ろうとする感じになるだろうね、きっとね。
マウント取るっていうか、なんか目立たないと意味がないみたいな感じになるから、意識的にもやるだろうね。
世の中は、特にアメリカとかそういう企業とかはね、こういうみんなマウントを取りたいわけだから、
DXとか言ってるわけじゃなくて、MXなんだと。
マウンティングエクスペリエンスを高めるものが今は売れてるんだみたいな。
どういうことだ?何それ?面白そうじゃん。
ビジネスを成功するのにはマウンティングエクスペリエンスの設計が9割みたいな。
例えばさ、アップルを持っていることでさ、私はアップルを持ってますとかさ、
ちょっと例えば、本当にみんなスタバのコーヒーが本当に好きかどうかわからないけど、
とりあえずMacBook持ってとりあえずスタバに行っちゃうのはさ、もしかしたらそこにマウンティングエクスペリエンスがあるからかもしれないじゃないですか。
ちょっと前はそうだったね。少なくともね。
そういういろんなものを持ったり買ったりするときに、
人がこのマウンティングエクスペリエンスを経験させられるような、
そういうのがビジネスの成功には必要だった。
確かにね。
確かになと思った。
これがステータスだっていう、あなたこれを持つことで他の人よりもちょっと差をつけられますよという、
そういうものとも言えるよね。
MacとAppleマウンティングみたいな。
最近はかなりAppleみんな使ってるからだけどさ、やっぱ一時期すごいやっぱあったからね。
純正品にこだわる人たちみたいな。
Macじゃないとダメなんだよね。
キーのなんかがとかさ、そんな違いないだろうみたいに思ってたけど、でも多分あるだろうね。
俺ももうそうなってるからな。
え?
俺もなんかそういう感じになる。Mac持ってさ、カフェ行って仕事するみたいなさ。
マウンティング?
マウンティング。
そう。
確かにね。
この本がね、最後の方で言ってくれてることはね、
この本で言ってるのは、いろんなマウント、複数のマウント要素を掛け合わせて、独自のマウントポジションを確立して、終わりなきマウンティング競争から自由になろう、みたいなことが書いてあるんだけど。
すごいな。
私もだからこれなんか読みながら、大変な本だなと思ったんだけど、
すごいマウンティングに、どんどんもっとマウンティングしていかなきゃいけないのかっていう感じにちょっと読んで、大変だなと思ったんだけど、
なんか一晩置いてからね、一晩置いてからなんとなく思ったのは、マウントフルネスがマインドフルネスに近いんだとすると、
もしかしたらみんなそれぞれの自分のなんか、みんなお山の大将になりたいかもしれなくて、みんな自分のお城が作りたいかもしれなくて、
で、それを私はこのお城が好きですっていう、この山の私は好きですっていう、自分なりの山を一個作っちゃって、そこに居続ければいい感じがちょっとするっていうか、
例えばなんだけど、さっきのダボス会議みたいな話でさ、ダボス会議を知ってる人たちの間では、なんかそれはすごいことだけどさ、
別に興味なかったら、ん?っていう感じじゃない?
なんかそんな感じで、世の中にはさ、自分が住んでる文化圏、自分が物理的にじゃないけど、存在してるコミュニティの中で、すごいと言われるものがあるからあるけど、
それを一歩出た瞬間さ、それって、
まあどうでも。
そう、なんか本当に動物園で猿山見てるって、あ、猿は大変だなっていうふうに、あの山が欲しいのかって、動物園だと見れるじゃん。
同じ感じでさ、その自分の普段のコミュニティのちょっと外で見るとさ、何をそんなにそこの山を競ってるのかなみたいな、
ふうになって、自分は自分の山でなんか快適に過ごしてたら、それは確かに快適なのかもしれないみたいな、
っていうことなのかなみたいなふうに、
寝かした結果。
一晩寝かした結果。
なんかあとあれなんだろうな、このマウンティングをやっぱりちょっとエレガントにやる人もいるなっていうのも、
あえてなんかその面白くマウント取るみたいなことをなんかエレガントにやる人も確かにいるなと思って、
変に謙遜しなかったりしてね。
そうね、パワフルな人が謙遜すると余計マウントに見えるよね。
そうそうそうそう。
パワフルな人はパワフルなままいてくれたほうがいいよね。
なんかこう、どういう例かちょっとわかんないけど、なんかそういうのをストレートに、
でも多分聞かれたときにちゃんと言うみたいな感じだと思うんだけどさ、
聞かれてないときに言う話はちょっとなかなかマウントになっちゃうかもしれないんだけど、
なんかそういうある種自慢ぽいことをきれいにきれいに面白く言う人っているなと思って、
僕はこれ完璧だったけどね、みたいなことをなんかさらっと言う面白さがある人とかもなんかいる気がするんだよね。
あれはいいなっていうか、
気持ちいいからね。
気持ちいいし、ちょっとこういじりやすい感じもあるっていうか、それぐらいきれいに言われると。
そうだね、いじられるほうがいいね。
そう、多分こういう無意識マウントはなかなかいじることもできないっていうかさ、
だって、絶対ムキになりそうだからさ。