収入は上がる? 収入は上がるんだよね。
すごい思うんだよね。 俺、そのことについて、ちょっと過激になりそうだから。 いいよいいよ、過激にどうぞどうぞ。
俺、明日からもう来ないから、っていう引き継ぎだったんだって。
始まりました。独立後のリアル、Hassyです。
けいこです。このポッドキャストは、人生を本気で変えたい人のコーチをしてきた2人が、これからの時代を賢く面白く生きるヒントを、愉快に無責任に話す番組です。
毎週金曜、21時配信です。 今日はお便り紹介したいと思います。嬉しいね、お便り。
はい、ラジオネーム、ぷかぷかさんです。 Hassyさん、けいこさん、こんにちは。久しぶりにお便りします。 ありがとうございます。
引退をテーマに、お二人のお話を聞いてみたいです。
仕事、競技、スポーツ、ボランティア活動など、対象はいろいろあれど、誰しもいつかは引退を迎えるもの。
いつか訪れる、その時に思いを馳せて、引き際の美学と、引退後のリアルについて、愉快に無責任に語らせていただけたら嬉しいです。
ということですね。
引退。
面白いお題をいただきましたね。
引退ね。
私たちだけだと、なかなか出てこないネタだね、これ。
引退したことある?
今、同じこと考えてて、ないよね。
なんか、テレビとか見てるとさ、甲子園で部活引退とかさ。
部活やってると、なんか引退ってさ、ある?
引退試合とかね、やってるよね。
あるある。
私、まともな部活やってこなかったから、なんかそういう涙なんとかみたいな、ない。
でもなんか、そうか、競技みたいなのやってないと引退って言い方あんましないのか。
あんましないんじゃない?
だって引退試合とかじゃないもんね。
そうそうそう、まあ3年生になったから終わりみたいな。
俺よく覚えてるよね、引退試合。
あ、あるんだ、あるんだ。
いやまあ、そりゃそうだよ。
スラムダンクみたいな。はいはい。
そりゃそうだよね。
そりゃそうか。
だからこの試合で負ければ、まあ終わりっていう。
あ、そういう感じ。じゃあ練習試合じゃなくて、なんかガチの、なんか剣のとか駆のとか。
あ、そうそう。
そういうのに賭けてって、負けたら終わりな。
なんかね、大学はね、あんまり印象に残ってないんだけど、高校の時は、えーとね、高校、あれ?
これ俺の引退、俺らの大の引退試合だったのかな?
なんか上の大だったような気もする。
あ、そう。
なんかその、要はこれに負けると、自分たちの大じゃない気がしてきたな。なんか俺が印象に残ってる今。
あ、そう。まあでも先輩が引退していく。
専修大学附属高校っていうところと、試合をしたんですよね。
うんうん。
大田橋にある専修大学、まあちょっとアウェイみたいなところで、相手の学校が、で、そこが会場でもあったっていうところで、3点差で負けたんだよね。
で、結構その専修大学附属高校っていうのは、まあまあ強かった。
強そうだよね。
強かったんですよね。で、それに勝つと、都大会期が決まって、あ、違う、関東大会期が決まるぐらいだったんだけど、
確かちょっと美化してるかな俺。
でもなんかそういう、これに勝つと、もしかしたらっていう、もう一つ上のカテゴリーに行けるかもってところで、
えー。
まあ前線したんだけど、3点差で負けたっていうのだけは、なんかよく覚えてる。
青春してるね。いいね、いいね。
青春。
いいね。
でも泣いたりもしなかったな。
な、なんで?
いやなんか、まあ引退なんだなと思って、まあこの大はこれで終わるんだなっていう。
ってことはやっぱ自分の大じゃなかったのかもね。
いや自分の大の時はでもなんかあんま覚えてないから。
あ、そう。
とにかく僕の大は、あのすごい少なかったんですよ。
あの、発志が厳しかったから。
厳しかったから。
そう。まあなのかわからないけど、あの付属でこう来てね、中学から。
中学の時15人いたバスケ部員が。
どんどん減っていってね。
高校で3人になり、1人は落台し。
発志がね厳しすぎたからね、みんなついてこれなくなってね、いなくなっちゃったんでね。
それはでも、あのすごいことだよって俺は。
そうだね。
肯定してもらって。
そうだね。
すごいね、15人中12人辞めさせるのってすごいよ。
すごいよ。
本当にすごいよって言われて。
まあまあそれはそうなんですが、なんかあんまり引退ってね、スポーツの選手とかだとね、使ったりするけど、普通の一般の人とかだと。
でもこうやってだから話してて思ったんだけど、このお便りをもらった時に、引退っていうのは、なんか本当にもう終わって、
すべての活動が終わって、なんか引っ込むってことなのかなって思って、その後はもう何もしないのかなって思ったんだけど、
世の中で言う引退ってさ、スポーツ選手、引退とか言ってその後もテレビ出てたりするしさ。
まあ現役引退だよね。
現役引退。
スポーツの現役を。
だから他のどこかで引退しても、次のところでまた花開いてるみたいなさ、ことも。
まあ花は開いてないかもしれないけど、なんかその後も別に活動を続けてたりもするんだなって思って。
それは何?同じ領域でってこと?
違う違う。だからスポーツ選手だったら野球選手だったら野球やってたけど、野球はもうしないけど、でもワイドショーの野球解説みたいなとこに出ていらっしゃるとかさ。
そうするとちょっとあれだよね。これまでの領域の周辺で違うことをするってことだよね。
そうそうそう。だけどなんかこう、だから引退って言ってももう一切全てから、例えば山口ももえちゃんとかはさ、マイク置きますって言ったらマイク置いたらもうテレビ出てこなかったみたいなさ。
まあでも引き際の美学的には、なんか山口ももえというのはなんていうの、ピークに辞めてったっていう人のなんか一人だよね。
あんまりそれリアルでよくわかってないんだけどさ。
マジで?
あんまりよくわかってないんだけど、みんながよく話すから伝え聞いて知ってるっていう感じ。
もう頂点で辞めたっていう感じだよね。
めっちゃ売れてんのに?
めっちゃ売れてるもそうだし、年齢的にも多分20代前半とかで。
そんな早いの?
多分。
で、なんかある種ちょっとこう、アイドルとかそういう若い女性の歌手の中で、
ちょっと頂点というか山口ももえは別格だよねみたいに言われてた最中に、三浦智一さんとの結婚期に辞めたっていう。
だから本当に絶頂で、多分20代前半とかじゃないかな。
しかもさ、最近だとアイドルは卒業しますと言っても、その後アイドルとしてではなく別の役割で出てくる方もいらっしゃるけど、本当にそこからさって引いてるもんね。
美学的にはすごいよね。
まあそうだね。ちょっと時代背景もあるかもしれないけどね。
専業主婦的なことっていうことがあるかもしれないけどね。
いろんな引退がありますね。だから美学を聞かれてるのか、ぷかぷかさんに我々の。
なんかさ、でもちなみに引退、この人の引き際はなんかかっこいいとか、なんかそういうのはスポーツ選手とかだとさ、
例えばサッカーだとわかりやすいのは、僕らの世代だと中田秀俊さんはある意味超ピークで30ぐらいで辞めて、
でその後にもうサッカー自身というよりはもう辞めて、違うことをやり始めてさ。
なんかまあある種、今日本酒とかさ、いろんなもののアンバサダーやってるけど、旅人としてやってるみたいなさ。
っていう人もいれば三浦和とかはさ。
そうだよ。
もうある種あれはもうどこまでやれるかみたいな感じの応援もあるし、
界隈ではもういい加減にした方がいいんじゃないかみたいな。
そういうふうに言う人もいるんだ。
いやもうさすがにね、さすがにやっぱ50代後半でやるスポーツではやっぱなかなかない部分もあるから、やっぱりやるじゃない。
昔を知ってる人とかは逆にちょっともう見てられないというか。
まあね。
少なくともあんまり戦力でないことは確かだから。
まあそれはそうだよね。
とか、引退しないなみたいなね。
そうだね。引退しないのが美学だよね、彼の場合は。
なんか引き際がこの人いいなとかなんかある?
私なんか結構こういう話とかだとキキキリンさんとかが浮かんじゃうんだけど、
彼女もなんか生きてることが役者であり、役者であることが生きてるみたいなさ、
なんかもうそういう人だった。
なんか全部ずっと病気になっても続けてる。
だからもう本当に亡くなるとか亡くならないとか関係なくさ、
なんかずっとやり続けてある時死が訪れたみたいな。
なんかああいうのがなんかすごい自然で素敵だなぁと思うし、
でも引き際っていう意味だとなんだろうな、
なんかあのイチローさんの引退の時とかさ、
なんかこうみんなからもしっかり祝福をされたのをしっかり受け取ってるのがまた良いなって思ってさ、
なんか結構いつもクールじゃん。
なんかそんなにこう、なんていうの、
俺ってすごいでしょも見せないし、なんか褒められても別になんかクールじゃん、なんか。
だけどなんかあの引退の時はなんとなくこう祝福をすごい受け取っているような感じに見えて、
なんかすごいああいうふうに終わっていくのはいいなぁなんて思ったかな。
なんか彼らしいプロフェッショナルな終わり方だよね。
ちゃんと送る人がちゃんと送ったっていう風になるように受け取ってるっていうものすごい苦労だなって。
確かにそういう言い方できるかもね。
そういう処罰はやっぱすごいんじゃない?
イチローとかのこの観客の人たちに記録を作った時にやっぱどういうタイミングで出てきて、
自分がちゃんとそういうこうなんていうの、祝福とかそういうものを受け取るかみたいなものが、
なんかものすごい、何て言うんだろう、無駄がないというか。
そしてこちらのことも考えてくれているみたいな。
そうそう、送る側のことを考えてくれている。
プロだな、プロだな。
みたいな、そんな2人が今浮かびましたけど。
なんか引きが綺麗な方がいいのかね。
だからそこよ、そこ。なんか足掻いてもいいんじゃないかなって思っちゃうな。
でも、フリーランスじゃないですか、我々。
やっぱさ、会社を務めだとさ、65とかでさ、1回定年が来てさ、
その後、定年になっても職宅でもうちょっと居続けられますよとかさ。
65くらいまで居て、みたいな。
65まで居て、その後さらに多分契約とかで延長とかも多分できて、
70とかさ、まあでも行ける、やろうと思えばできるみたいな感じなんだけど、
まあどっかでその年齢の規定が来てさ、それでじゃあお疲れ様でしたみたいな、
お勤め、お疲れ様でしたみたいになるじゃん。
でも我々はそういう日が外からは来ないじゃん。
そうだね。
フリーでやってるとさ、自分のだからクライアントさんがさ。
まあなんか生涯現役的な感じになるよね。
かなって思ってて、だから私も生涯現役で行こうって思ってたんだけど、
思ってたんだけど、なんかふっと思ったのは、
私はそのつもりでも、誰からもコーチングを依頼されなければ、
仕事がなくて終わるんだなみたいな。
だから80になって私がやる気満々だったとしても、
いやもう80のおばあちゃんにはコーチングはいいですって言われたら、
誰も私をコーチとして雇ってくれなかったら、
とかコーチとして私をつけるっていうご依頼がなければ、
私がやる気満々でもできないってことはあるかもしれないなみたいな。
そしたら突然、そっか老後って私にもあるんだみたいなふうにふって思ったんだけど、
ずっと老後ないと思ってたんだけど、
これ自分で決めれない問題かもみたいな。
なるほどね。
だから私が決めることじゃないって。
その時にさ、なんとなくどんどんまた高齢になっても、
第二次ベビーブーマー的な世代とかはさ、
どんどん上に行って元気になってるから、
年を取れば年を取ってその層にもまたニーズができそうな気はするけど、
それはあるかな。
分かんないんだけどね。
ちょっと個人的には思うかな。
辞めます。
辞めます。
これまでの仕事はもう一切辞めます。
コーチングもうしませんみたいな。
みたいな。
すると、それはそれで何で憧れがあるのかわかんないけど、
何で憧れるんだろうね。それは面白いね。
そうしないと新しいものをやるっていうのは、
なかなかできそうでできないんじゃないかなっていう。
今やってるものと何かみたいな感じになるけど、
その潔さのある感じっていうのはかっこよさもあるかもしれない。
誰か頭に今浮かんでいるのは、あの人かっこよかったなみたいな。
どうだろうな。
別に中田秀俊さんに憧れがあるとかではないけど、
でもあのぐらいスパッと辞めるのもすごいことじゃん。
私あれは正直、もうちょっとやろうよって思っちゃったもん。
っていうふうに思っているところで辞める?
そうそう。もうちょっとやらない?みたいなふうに。今?みたいに思っちゃったよ。
っていうところがすごいなと思う。
本人ももしかしたらまだ辞めたくなかったかもしれないもんね。分かんないね。
それはなさそうだけどね。いろいろ本とかを読む限りで。
でも周りからはさ、多分そういうふうにさ、もうちょっとやったほうがいいとかさ、
そういうあれは期待はかなりあったはずなんだと思うけど。
でもそういうことだと思う。なんか私も今から予測できないんだよね。
でもさ、あるとき私なんでこれやってんだろうみたいな。
なんか面白くなくなっちゃったみたいなふうに仮に感じる日が来たとしたら、
多分パタッと辞めると思う。それは結構ね、スパッと辞めるような気がする。
なんかね、そこが面白くなくなったときに辞めるのか、
多分面白い最中に辞めるのかみたいな。
中田さんはあれなんじゃないの?面白い、もういいかな、やりきったかなみたいな。
まあどうなんだろう。そこはちょっとわかんないけどね。
いやなんかすっげえ面白いなと思うときに辞めれたらすごいいいなと思う。
なるほどね。そこまでの潔さは私ちょっとないかな。
いや俺も自分にあるかどうかわかんないけどね。
すごいなと言うかさ。
なんかそこに、なんだろう、そこをあえてすることの、
まあなんだろうね。
その前には一回休憩みたいなのを撮ってみたりすることはあるかもね。
俺なんか満腹になるのすごい嫌いな人なのね。
ご飯の話ね。
そう、ご飯の話。
でもこれなんか今の話とちょっとつながっている気もして、
なんか満腹になる前に終えたいとか、
なんかそういうのはあるかもしれないなと思って。
なるほどね。
もうお腹いっぱいって言って、
なんか辞めるんじゃなくて、
もうちょっといけるかなみたいなときに辞める。
ポッドキャストももうちょっといけるかもしれないけどそろそろ辞めとく。
みたいな。
そろそろ引退しとく。独立後のリアル。
私、そうかそうか。
それで言うと、たぶん私ハマるとグーってハマっちゃうから、
満腹になっちゃうんだよね。
なるつもりないんだけど、満腹になっちゃって、
やり切って、もうやり切ったからもういいみたいな感じで、
たぶん終えていくっていうのを、
これまでの人生を振り返るといろいろ繰り返しているような気はしてきた。
そうなんだ。
なんか前の会社辞めるときも、
もうここでやることは全部やり切ったなと思って。
だからそれまでも辞めようかなって思った瞬間はあったんだけど、
なんか辞められなかったんだけど、
もう辞めることを決めた最後のときは、
もうここでやることは全部やり切ったなみたいな。
やり切ったってどうやってあれなんだろうね。
そういうふうに人によるのか。
なんかもうここにいても、
今このことを続けてても、
たぶん自分に次の世界が見えてこないっていうか。
新しさがないみたいなこと?
とか、発見がなくなってきそうだとか。
でも収入は上がる?
収入は上がるんだよね。
同期となったらご馳走してもらわなくちゃねみたいな。
後輩とかもさ、
今なんか昔の後輩がすごい役職がどんどん上がっていったりするからね。
なんとなくあれだよね。給与的なレンジもなんとなくわかるか。
あいつもこれぐらいもらってんだみたいな。
でもそんなにお給料高い会社じゃなかったんで。
そうだよね。
だからそれはやっぱりなんかこう、
あんまりもうこれ以上新しくないって言うとあれだけど、
ちょっと広がりがない。
分かりきるなんてことはありえないんだけど、
まだまだ経験してない世界が
自分の中にまだありそうだなと思うと、
もうちょっとやりたいっていう感じはあって。
なんかなんとなく、
分かりきるなんてことは絶対ありえないんだけど、
なんとなくなんか見えてしまう感じみたいになると、
多分もういいかなみたいな。
なんかそういう時あれだね。
飲食を止める人のなんかこうカウンターオファー的な、
いやまだお前やりきってないとか。
そうだね。
なんかそうなりそうな。
でも言われてももうなんか自分の感覚としてもあるから、
どう言われようがこれは私の感覚ですみたいな。
お前やりきったのかみたいな、そういう。
まだ今のところでやりきってないんじゃないかみたいな。
これあれだよね。
よくありそうだね。
すごいなんか引き止めの上等手段というか、
このことに大抵あまり反論もできないというか。
まあやりきるなんてことはありえないからね。
そうなの?
そうなんだけどね。
感覚のまま。
でもだから本人の感覚は結構大事にした方がいいと思ってて、
私本人自身がまだなんかやっぱりなんか引っかかってる時は、
無理して辞めなくていいんじゃないかなって思ってる。
なんかまだ心残りみたいな時に、
引退の話に寄せると、無理して引退しなくていいような気もするし、
会社辞める時もなんか引っかかってるんだけど、
って思うなら別に無理して辞めなくてもいいような気もする。
しばらく引っかかった状態でそのままちょっといたらいいような気はしてるけど。
そうか。
葉っぱと一緒ですよ。
葉っぱ?
葉っぱのフレディと一緒ですよ。
葉っぱは風が吹いて、それまではこの風でも落ちなかったんだけど、
ある時落ちちゃう時が来るわけで、
その時までくっついてればいいと思うわけ。
無理して自分からブンって振り切って枝から離れなくてもいいと思う。
なるほどな。
自然の節理ですよ。
でもなんかそういうことなんだね。
私はね。
なんかね、稽古はね。
なるほどね。
ブチンって切らなくていいと思う。
なるほどな。
多分なんか俺はなんかそれもすごくいいなと思いつつ、
なんかかなり意識的になんか早めに辞めたりするとか、
そういうことへのなんかすごいちょっと美学みたいな感じたりもするんだろうな。
そっかそっか。
なんかすごい良い時に辞めてるとか。
なるほどね。
まだもうちょっとあったんじゃないかと思わせるような感じで辞めるみたいのも、
なんか俺はすごいなんか美学っていうか、
いやなんかそれなりに、だからこそ自分で決めた感がすごいんだろうなと思って。
まあね。
なんなんだろうね。
それが、それを武勇伝的に誰かに別に語りたいわけでもないよね。
全然そういうことじゃないんじゃない。
あの時俺は一番なんかすごい楽しかったんだけど、でも辞めたんだよね。
っていう美学を、武勇伝を言いたいわけでもないわね。
なんだろうね。
それはそういうことじゃないな。
まあでもなんか多分そういうタイミングで辞めることによって、
なんかあるんじゃないかと思って、
なんか辞めた人たちとかを見ると、
あ、いるんだね、周りにね。
まあなんか思いつく人ばっかじゃないけど、でも、
え、あの人辞めたの?みたいなさ。
ここで?みたいなさ。
でもそれみんなあれだね。
なんか本人のタイミングとやっぱり周囲の反応多分違うんだよ。
あ、そうね。
なんか私もなんかすごいびっくりされるけど、別に本人の中ではびっくりしないみたいなさ。
ない?なんか、あ、辞めたの?って会社辞めたの?って言われた時にさ、
なんか自分の中ではさ、もうそのタイミングしかなかったと思ってるわけじゃん。
でもその役員とかやってる最中に辞めたの?みたいなさ。
端から見るとそうは見えるじゃん。
でもなんか自分の中ではさ、その時なわけだからさ。
まあそうね。ちょっと遅いぐらいみたいな。
そうそうかもしれない。
感覚とかも。
そうかもそうかも。
そうね、なんか辞めたのが遅かったっていう。
引退も利他なのであるだと思うんだよね。
いや、まさにこの話は、ちょっとメタファー的じゃなく、死の話だと思うっていうか。
そうだね。
何かを終わらすっていう、何かが死ぬみたいな。
いや、死なないで頑張ってみたいなことがさ、
やっぱり世の中って、なんとなく一般的にはさ、あるのが影響してるんじゃないか、個人的には思うんだけどね。
まさに誰かが出ないと、そこには新しいものが生まれないっていうのがある。
そうなんだよね。
なんかこう、どんどんやっぱり経験値があると、どんどん力を持っていっちゃうからさ。
その力を持ってさ、なんか動いちゃうと、やっぱり人の注目とか、やっぱりそっち行っちゃうわけでさ。
なんかね、その人がそれを置いてくれないとさ、なかなか次が栄えないよね。
そのことと、置いてく方の充実はどう両立したらいいのかしらね。
すごい思うんだよね。
なんか俺、そのことについてちょっと過激になりそうだから、発言が。
いいよいいよ、過激にどうぞどうぞ。
でもね、恐ろしいのは、我々もその側に立っていくってことなんですよ。
ものすごいそういうこと。
そういうことなんですよ。
長生きのよしよしだなっていうふうに思うっていう感じはある。
そう。でもなんか引っ込んでろっていうのも違うじゃん?
でも引っ込んでろってことですか?
もうあるんじゃないかなっていう、もうちょっと言えば。
そうね、表舞台にいなくて、裏にいてくれてもいいかもしれないよね。
引っ込んでろ。
よくあるじゃん、テレビとかでさ、大物がすごい豪勢な日本の屋敷に住んでてさ、そこに相談に行くと大物が出てくるみたいなさ。
でも表にはいないみたいな。
でも別にそこで糸引いてほしいわけじゃないんだけど、お茶でも立てて相談に来たときに相談に乗るぐらいな。
それいいな。
やりたいこと?
お茶室で時々お茶を飲みにいらっしゃる方がいて、そうですかってお話聞いてみたいな。
その方は現場で活躍されていて、ちょっと疲れると私のお茶室に来るみたいな。
それは何?ただ話を聞くだけ?
そうそう。お茶を一服どうぞみたいな。どう?これいいくない?
そこは本当に話を聞くだけだったらすごいいいと思う。
何だったらダメなの?
アドバイス。
あ、そうですね。
あとそこに具体的に手出しに行ったりとかすると良くないよね。
そういうつもりじゃなくてもね、そういうことになりやすいじゃない。
ちょっと引退後のビジョンが今一個できた。
もうあれだよ、お茶立てババア。
ババア言うな。今立ててらっしゃる方々もいらっしゃるかもしれない。失礼なことになる。
稽古が何年後かに。
何年過後、何十年過後かです。何年過後じゃないわ。
お茶立てババア。
もうちょっといい言い方あるでしょ。
何?
あ、茶室茶室。
ああ。
なんかそういうのは。
それいいね。
僕は今これ聞いてて、僕が慶応の社会人向け大学院の。
MCC。
MCCで慶応の花田先生って、キャリアのことに関しては本当に権威の方なんだけど、
その先生が前おっしゃってたことがすごい面白いなと思って、
50半ばぐらいのキャリアの人たちが、
後進に自分の何かを伝えていく必要があるみたいに言っているのを、
花田先生がおっしゃったのかどうか分からないけど、
キャリアのそういうすごく権威の人が、
それはもうおこがましいからやめたほうがいい。
自分がもっと勉強するってことに時間を使ったほうがいいと。
おっしゃる通りと思います。
でも大抵の場合はやっぱり50とか過ぎてきて、
会社とかで行くとね、ラスト10年の中で、
これをどうやって自分のあれを残すかみたいなことに、
その気持ちも分かるし、
そういうことが大事だみたいなものになりやすいんだけど、
キャリアについてめちゃめちゃいろいろいろなケースを見てきている人が、
100年も生きるんだったら、もっと勉強したほうがいいみたいな。
本当。
後進に何かを残すとか、やめたほうがいいみたいな話を、