00:01
Dialogue cafe、この番組は40代で組織を離れ、ワーク&ライフシフト中の田中優子と岡澤陽子の2人が身近な出来事から社会課題まで、最近気になるあれこれを好奇心のまま働くポッドキャットです。
はい、では今回はですね、前回に引き続き高田敦史さんをお迎えして第2回という感じなんですけれども、
前回は高田さんがサラリーマンとしてね、トヨタの中で、大企業の中で、いろんな経験を積みながら部長になって、でも実は仮に役員になったとしても、
55で辞めるぞと心の中では思ってたっていう話をお伺いして、今もフリーランスとしてお仕事されてて、基本的な専門性っていうか、
強みにしてらっしゃるところは、マーケティングとか、ブランディングとか、そのあたりなんですよね。
まあそうですね、一応ブランディングおよびマーケティングのアドバイザーということになっているということなんですね。
ATマーケティング。
ATマーケティングです。
悪した方がマーケティングで物事を解決しますっていう、AT管理とは全く関係がない、なんですけども。
そうですね。
僕はマーケティングで何が得意かっていうと、一応いろんなマーケティングのセオリーみたいなのは、自分で勉強したし、
一応、田中宏先生というですね、僕のトヨタ時代から非常に尊敬してた先生のもとで、ビジネススクールに入って、論文も書いたりとか、いろんなことをしたんですけども。
辞められてからビジネススクールに入ったんですかね。
辞める直前。
7月に辞めた。
16年の7月に辞めたんで、4月から入った。
だから、得意なのは何かっていうと、いろんなマーケティングのセオリーっていうか、定説というか、公式みたいなものを、割と分かりやすく、マーケティングのことが分かんない会社の人にお話をしてあげて、お宅の会社はこういういいとこがあります、強みはここです、こうこうこうです、こういうふうな戦略でブランドを作っていきます。
そういうふうな顔をするでしょ。
そういうふうに考えてかけに、これだけのマーケティングの本だとか、マーケティングの戦略を考えていきましょうとかっていうのを、教えてあげるのが一応得意ということになってると。
うんうんうん。
それはそれで喜んでいただいてる部分はすごくあるんだけど、ただ、じゃあ実際それ一緒にお仕事をさせていただくと、それだけじゃないじゃない。
そういうふうに。
うん。
じゃあ具体的にはどういうふうにして進めていこうか。
テクソーシャルを進めていく。
デジタルの広告をしたいんだけど、どうしているのか。
そういったものがあれば、そういうふうにしてもらいました。
うんうん。
したいんだけどどうしたらいいですかっていうと
僕はそこはそう詳しいわけじゃないので
03:01
僕の知り合いの人に
頼んでつないであげて
僕もクライアントの側に
入って一緒にやってあげるとか
あとはもうマーケティング
ブランディング関係なく
もうこんなことで悩んでるんですみたいな
話を経営者の方とするとか
大企業だと
中間管理職の方として
そういうお話を聞いてあげるとか
おさっきみたいな
今だからさ
こうした方がいいんじゃないでしょうか
みたいなこととか
もうね何でもいいんですよ
マーケティングとか
ブランディングをフックにして
話し相手でもいいし
とにかく
何か分かんないけど
何でもやりますと
いう風なことをやってます
辞めない前に
例えば
クライアントになりそうな
方
とかここ辞めるから
ちょっと相談に乗って欲しいとか
何か事前にそういう話ってもあったんですか
えっとね
辞めるにあたって
トヨタ時代の収入が
すぐに稼げないだろうな
っていう風には一応覚悟はしていて
全く当てがないのもっていうことで
唯一ご相談したのは
これはもう今でも
恩義に感じてますけども
電通さん当時の局長さんに
それを話したら
矢田川さん発注し
おりますよという風に言ってくれて
3年ぐらい付き合ってくれたかな
あと
お願いしたわけではないんだけども
辞めるということを聞いた人たちで
3社かなそれ以外に
お話をいただいて
それも大体3年ぐらい
一緒にサポートをさせていただいたと
これはほとんど
マーケティングブランディングじゃなくて
トヨタ自動車をどういう風に攻めたらいいのか
電通がお客さんなんですか
電通のクライアントさんに対する仕事じゃなくて
電通のお客さんにした仕事
電通がトヨタ以外のところを狙う時の
アドバイスもしてくださいのもあったんですけど
結構多かったのは
もうあれ困っちゃったんですけど
どうしたらいいんでしょうかって
いや俺ちょっと誰々に聞いてみますよって言って
こうこうこうだって言ってると
ということは多分ねこういうことに
合ってると思うから
こういうストーリーがいいんじゃないですかって
じゃあ僕パワーポイントをちょっと作りますから
パワポだけは結構得意なんで
ストーリー作ってこういう感じじゃないですかねって
いやこれ持っていったらいいですよとか
いう風なこととか
ニーズがありそう
これはね大企業をやめた時は必ずあるんですよ
でそれがあり
でもそれは結局3年ぐらいですかね
でそこからやっぱりいろんな
ところでもうまいこと入れ替わりました
06:00
実は一社だけずっとお付き合いしてるとこあるんですけども
あとはもう全然関係ないとこばっかしら
じゃあ今お付き合いあるのはもうトヨタ時代には全く関係なかった
全くねトヨタの自動車の仕事も今はゼロ
でも最初のやっぱり始めるっていう時に
やっぱりこうある程度めどがついてるかどうかは
あの背中を押される部分はありますよね
やっぱり全くないですよね
増えなくなるのも困ると思うので
それであの55歳っていうのは一つの肝だなと思ったのは
本人も書いたんですけど
まあ僕はたまたまあのいろんな
あのやってきた仕事もあって
つながりが多かったですけども
あの会社員時代にお世話になった方々が
面倒見てくれるのに遅すぎたら
これ40でやめたらですね
そういう時にお世話になってた人って
まあだいたい同世代だとしたならば
まあ課長さんがそこらなんで
発注金がないわけですよ
55ぐらいちょうど良くて
ちょうどいいとこにいるので
決断できちゃうでしょ
60過ぎたらもうみんな再雇用とかになっちゃって
発注する権限もないじゃん
なるほどね
これはちょっと戦略的なんだけども
50くらいの前半っていうのは
いろんな会社時代の人脈を使える一つの
いい起点かなとはちょっと思ったと
だけど覚悟しなきゃいけないのは
それはいつまでもないっていうことなんですよね
それは僕の場合は
結果的にはいろんなとこに
人が人を紹介してくれたり
いろんな集まりに出たり
なんか分かんないけど
ブランドマネージャー認定協会アドバイザーなんていうのを
俺ブランドマネージャー認定協会の何の
給も何も持ってないんだけども
そういうとこに入れてもらって話をしたり
それこそニュースピクスで記事を書かせていただいたりしてると
うまいこといろんなとこからお話が来た
ニュースピクスね
動画も含めて出演されてるじゃないですか
ジャニーズね
すごいジャニーズのも出てらっしゃるし
ピックボタンも
おふれっこ
おふれっこ
いろいろ出てらっしゃる
ピックワンとおふれっこ
きっかけで
あれ元々はニュースピクスを立ち上げた時のメンバーが
例の今ピボットやってる佐々木さん
あの人と知り合いだったんですよ
レクサスの時に取材に来てくれて
そこから仲良くなって
よくいろんな話をしてたと
なるほど
ちょうど辞めた直後に
ある何かのパーティーみたいなの行ったら
佐々木さんがいて
佐々木さんもう会社辞めたんですよ
聞きましたみたいになって
仕事くださいって言ったら
ちょうどいいやって
プロピッカーが
それ以前は本当に
もう本当に誰でも知ってるような
09:01
超有名人だけだったのが
100人に拡大するんですと
佐々木さん入ってくださいって言われて
入ったんです
何の専門として
マーケティングで
マーケティングとか来ちゃあんまりないし
文章書くの得意なんで
割とどうでもいいようなこととか
なんでも興味があることを
書いてると
それなりにこう
いいねがついて
うち何か知んないけど
ランキングで上の方に行くようになると
やっぱりニュースピックス読んでます
とかいうのはよく言われて
そこから僕の会社を探せば
ウェブサイトも入ってくれるし
何かそうやってお話が来たり
なるほど
するようになった
じゃあ高田さんがね
高田さんご自身のブランドっていうか
そういうのを作っていかれたのって
何か
偶然もあるけど
トヨタ時代のもともとのつながりとかが
きっかけになってるものが
結構多いんですよね
トヨタ時代の
初めのビジネスは
トヨタ時代のつながりが大きかったと
そこからだから自分としての商売を
初めていろんな
初見の人と商売が始まるようになったのは
もちろんそういう
いろんなとこに出ていった
なんとか協会なんとかやってましたとか
講演会出ましたとか
大学のゲストスピーカーやりましたとか
っていうとこから増えてきたんですけど
じゃあなんでその人が僕に
ご相談したいですと言ってくるかっていうと
やっぱりね僕の場合は
昔の名前で出ていますの部分なんです
でもそれは使えるものは使うっていうかね
これはやっぱラッピーだったのは
レクサスというブランドの
一応マネージ担当部長だったと
なんかそれをやった
webサイトで見たりこんなことやったっていうのは
知ってるあのレストランやった人だとか
これは普通の部署だったらなかなかしんどいけども
実力以上に皆さんが評価をしてくれて
ご相談していただいているケースはあると
あとはだからそういう人ががっかりしないように
一生懸命やると
そうですね
一生懸命やるともう何でもやりますと
そういう感じですからね
もう船買いたいって言ったら
船も一緒に海に行きましょうとか
なるほど
そういう人好きだから
ゴルフ好きだったら
ゴルフのクラブについても詳しい
ブランドより詳しいですから
だからさなんか人脈が人脈っていうか
人の繋がりがすごい良いじゃないですか
トヨタ時代に会った人ともしっかり繋がってるし
なんかこう愛されキャラじゃないですか
愛されたい
愛されたい
なんかあの退職された時のパーティーがすごかった
パーティーね
そうそうそうなんですよ
もうそう代理店3社合同で
12:02
電通派合同
出てくる
3社
そう合同で
そう別会があって
それこそ結婚式二次会みたいな会場で
大きなところを借りて
でも学生さん出し物があって
でも喋るのがお好きだから
自身で司会をやって
自分で歌歌ってね
CDを出して最後歌いながらディナーショーのように退場していくっていう
出たがりだから基本出たがりなの
漫才師目指してたからね
でもやっぱりああいうのも愛されてるから
愛送別会をみんなやりたいっていう風にこうなって
そのなんか愛されるところが人の繋がりに
こう人々と繋がってる感じがものすごい
愛されてるかどうか分かんないけど
あのほらあのね
人を喜ばせる
吉本と一緒で
やっぱ人を喜ばせるのが好きなんですよ
人がつまんなそうなやつがすごい心配になっちゃう
なんかもっと楽しくした方がいいんじゃないのとか
もう生きてるわけだし
悩んでもね
そういうとこかな
だから漢字とかやるのめっちゃ好き
今でもほらもう
あの
トヨタの東京OB会っていうのがあってもうすごいの
最高で95歳みたいな
そのくらいのとこに一人ポコっと入ってるの
だからなんていうのかな
もうね
もうめっちゃ邪魔
めんどくさいの
もうメールもろくに届かないし
もうなんかその俺がパワーポイントでね
撮った写真をまとめてあげて皆さんに送りますって言ったら
いやメールアドレス持ってる人はこんだけしかいませんみたいな
優勝ですかみたいな
住所分かりますか分かりませんとか
いやだけど
それも喜んでいただけるんだったらさ
それを漢字もされるんですか
漢字団の一人でもうすごい活躍してるんだよ
ただ
ただだよ当然ね
ただですよ
でもまあなんかさ
まあおじいさんたちが頑張っててもさ
俺もいずれああなるわけだし
でもなんかその喜ばせたいとか
ちょっとこう
暗い顔してる人がいたら気になるとか
気になる気になる
そこはなんかすごい高田さんの
それこそマネジメントとか
ヘッドとかも含めて
なんか通じてますよね
なんか
なるほどね
なんだ
なんというか
ことばを選ばずに言うと
部長さん
大きい会社の部長ってそこそこ偉いわけじゃない
なんか偉そうな方もいるじゃないですか
うん偉そうな人もいるよね
でなすっごい周りも気遣う人もいる中で
なんか
気を遣わせない
し
その quarter
みんなさんと何の差なく会話されましたね。
一緒に認めて欲しい。同じだっていうと。
15:00
仕事してる時も元気かなとか思うわけですよ。
今で覚えてるのは、馬鹿なこと言いながら歩くじゃん。
フロアによく歩かれます。
一回でも忘れてると思うけど、行ってたら岡澤さんがさ、
部長、今ちょっと忙しいんでって言われて。
忙しいです。ごめんなさいねって。
私そんなこと言ったんですか?
今忙しいんです。
忙しいなと思うわけですよ。
忙しい人にごめんなさい、こんな意味もないことを話しかけてさ。
失礼しました。
それは嬉しい。またそれは嬉しい。
そう言われること自体が嬉しいと。
部長にね、忙しいんですって。
でもやっぱりそれを社外の方にも同じような形で接されるから。
そうだよね。
でも例えばトヨタぐらいだと、やっぱりクライアントだから、
上下的な感じで付き合われる、いなくはないじゃないですか。
やっぱりそうじゃないお付き合いだから、
出た後もきっと繋がるのかなと思って。
まあね。
その、さっきのお話を聞くと、
55歳で辞めるっていうことをある程度想定して、
結構50代前半の使い方は、
その先にもまずちょっとどのぐらい戦略的にね、
会社の使えるアセットをどう活用するかとか、
その先に繋げるかみたいなことを意識されてたかっていうのはあると思うんですけど、
サラリーマンが55歳でフリーランスになっていくぞっていうときに、
サラリーマンであるうちに、
やれること、やった方がいいこと、
本にも書かれてたと思うんですけど、
高田さんが具体的にされたこと、
結構いくつかもすでに、人脈の話もあると思うんだし、
あとビジネススクールに、
それは辞めるちょっと前からっていう話ではありましたけど、
そういうことも含めて、
なんかどんなことをやっとくと、
フリーランスになる最初の出発に繋がるんですかね。
あの、
当然、普通言われる通り、
なんか自分の強みあった方がいいよねっていう風に思いますと。
僕の場合は、
一つ目の強みってさっき言ったけども、
やっぱり昔の名前出てていますなんで、
レクサスやっていたってことはキャリアとしてはあるよねと思ったと。
それだけじゃダメですよね、でもね。
じゃあ、ブランディングやってた以上、
ブランディング詳しいんですよねっていうことは当然問われるわけで、
ブランディングの本は読んでたけども、
やっぱそれなりにしっかり、
系統立てて勉強しなきゃいけないなと思ったんで、
ビジネススクールに入ったと。
一応論文みたいなものも書いたと。
やっぱり学校に行かれると、
これまで自分が実務でやってきたことと、
やっぱ違う目線みたいなのが手に入りました?
まあ、その、勉強そのものはね、
18:02
田中先生から教わったことは多いんですよ、やっぱりね。
で、でもなんかな、
一番は論文を書かされたことかな。
論文ってこういうもんなんだとかっていうのを一回体験して、
もうあの、なんだっけ、最後の巻末につける参考文献、
もうこれがもうわけわかんないもんね。
そういう世界もわかった。
で、論文ってこうやって書くんだなっていうこともわかった。
っていうことなので、
まあ、それはそれで、なんていうのかな。
まあ、一応収支取ったっていうので、
吐くもついたのと、
マーケティングについては、
まあ、以前よりももうちょっと、
系統を立ててお話ができるようになったとは思いますよね。
で、あの、
ビジネススクールはそれ以上に面白かったのは、
やっぱり今までの僕のキャリアの中で接してきてた人とは、
違う人たちがいっぱいいるじゃない。
で、あの、シンガポールのあのすごい学校はまたそうだろうし、
日本のビジネススクールも、
まあ、いろんな人がいますよね。
うん。
いろんな会社の人もいるんで、
そういうことでつながりもできて、
いろんな勉強にもなったなっていうふうに思います。
うん。
で、あとは、
意識はしてないけど、
まあ、55歳で辞めるという前提は、
初めはお取引先の方々に若干お世話になるかもしれないなと思ってたんで、
そういう人間関係をすごく大事にはしてきたと。
うん。
インテーショナルにやってきたわけじゃないので、
うん。
そんな気がします。
うん。
でも、それは結果的には役に立ったっていう感じがします。
うん。
でもね、もうあんまり、
収入をどのくらいあればいいかなとか思ったけども、
うん。
あの、おめでとうはあんまりなかったですよ。
うん。
うん。
あの、いや、まさにね、その、大企業で管理職してたって言ったら、
それなりの年収になってて、
うん。
で、このまま勤め上げれば、
うん。
あの、これぐらいになるみたいな、
うん。
っていうのがある程度、拡約されている中で、
うん。
そこを捨てて外に行くみたいなのは、
うん。
やっぱり、なんか、分かっちゃいても、なんかこう、思い切れないって人が多いと思うんですよね。
うん。
で、そこって、結構あの、本をね、あの、
うん。
あの、読むと、
うん。
かなり、いろいろ、なんかきちんと計算されて、
はいはいはい。
あの、シミュレーションされて、
うん。
まあ、いけるだろうって、
はいはいはい。
最後、踏ん切りを突かれて、
うん。
後から考えたら、ああいうことを考えていたかなと思って書きました。
うん。
なるほどなるほど。
で、例えば、あの、60歳定年になって、
うん。
えー、再雇用になって、
まあ、収入が例えば、まあ、4割とか3割とかに減ったのに比べて、
えー、例えば、年収1000万だった人が500万円ぐらい稼げて、
で、それが65歳まで、ないしたらそれ以降も勤めると、
21:00
同じぐらいになりますよっていう風に、
まあ、あの、考えることは、
一つあるなと思って書きました。
うん。
だけどまあ、大企業、結構もうちょっとあるので、収入が。
うん。
うん。
確かに。
まあ、ここまでは行かなくてもまあいいけど、
そこそこは行かないとと思ったけど、そこがですね、僕の強みで、
いい加減なんですよ。
いい加減。
まあ、生きていくのはなんとかなるんじゃない、でもほんとさ、貯金もなくて。
酔い腰の金は持たないけどね。
持ったわ。
うん。
そんなすごい酒も飲まないし、あれなんだけど、なくなっちゃうんだよ。
なんか知らないけど。
ね。
もう、びっくりされて、
うん。
ほんと、貯金ないんですかっていうと、あ、ないと。
うん。
あの、ないんだよね。
持ち株買いぐらいしかない。
あ、退職金は来たけど。
うん。
いや、まあ、なんとかなるかなっていう、この、これもう理由じゃないんだよね。
うん。
まあ、食うだけだったらなんとかなるかなと思ったと。
嫁さんもさ、いい加減だから、やるじゃんって言って。
それで、終わっちゃったっていうか。
頼もしいですよね。
あの、うちの親はね、ほんと頼もしいんだよね。
北九州出身の。
ほんと、ほんと。
切符の。
切符の。
えー。
まあ、あと、うちの息子には、ちゃんと金稼ぐのかなとは、ちょっと言ってたらしいけど。
あ、そうなんですか。
うん。
だけど、まあ、やってくると思いのほか、上手く決まってたっていう感じかな、今は。
うん。
でも、その、会社50代で辞めて活とかされてる中で、相談とかやっぱり受けられるんですか?その。
キャリアの?
キャリアの相談を。
キャリアの相談はね。
ミドルシニアの。
あんま受けないかな。
ないですか?
あの、読者の方からお便りがあったり。
はいはい。
は、まあ、若干あったり。
うん。
えーと、ビジネススクールの団体から、えー、呼ばれて講演をしたり。
うん。
でもね、このキャリアの講演ってどうだろう。やったのって2、3回くらいかな。
うん。
うん。
まあ、ここはあんまりビジネスにならなかったかなっていう感じ。
うん。
でもいいの。あれは自分のことも一回書いてみたいなと思ったんで。
うん。
本を出版されたのは、それは、まあ、そうやって書いてみたいなっていうのが最初にあって。
一回書いてみたいと。
で、出版社はどうやって?
出版社は、あのー、ケトルのシマさんに相談した。
あ、はいはい。
あのー、
博報堂という。
あの、ケトルというPR会社の。
あの人が一番、まあ。
うん。
その業界に強いと思ったから。
で、就営者の人を紹介してもらって。
で、こういうの書きたいんだって言ったら。
うん。
すごい良いって言ってくれて。
うん。
あのー、出しますと。
うん。
で、それで一冊目を書かせていただいて。
50代で辞めて勝つ。
辞めて勝つね。
うん。
まあ、あれはそこそこ売れて。
うん。
10半にもなったし。
うんうんうん。
で、うん。
うん。
まあ、あれは自分の気持ち、今まで考えてたことの整理。
24:00
うん。
で、辞めて辞めて。
うんうん。
で、まあ、で、もう一つは、あの辞めるときに分かんないこといっぱいあったので。
うん。
だって、あのー、自営業って何なんだろうって。
うん。
税金ってどうすんのとか。
屋号とか社名とかどうすんだろうとか。
うん。
あとあの、自分の値段の付け方とか。
付け方ね。
うん。
うん。
値段をいくら付ければいいんだろう。
もう全部分かんない。
うん。
で、年金っていく、何歳からもらえるのかあんまりよく分かってなかったし。
うんうん。
国民年金になっちゃうのかなと。
ええ、もう何、もうほんと何にも分かんなかった。で、サラリーマンってほんと何にも分かってないということが分かったんで。
うんうん。
一冊目はどちらかっていうと、それを普通に書いただけ。
うん。
自分のキャリアを書いたのと、まあ少しその、えー、50代でフリーランスになるということはこういうことですよ、その他にこういうこともこういうこともこういうことも覚えておかなきゃいけないですよっていうことの、まあガイド本として書いたと。
うん。
まあこれはこれでまあそれなりに皆さん面白いねって。
うんうんうん。
で、それが一冊目で。
うん。
で、次の本は、まあある程度もうあの年数が経ち、5年6年、あの一人でやってきたときに、あの本では書き切れなかったような、やっぱり後輩たち、これから60歳、50代、60代に入ってくる人たちに対しての、えー、働かないおじさんにみんななっちゃってるじゃん。
うん。
うん。
働かないおばさんも出てくるというね、あの、あの、均等法の人たちがその辺になると。
うん。
で、その人たちがどうあるべきなのかというのをもう少し俯瞰して、えー、いろいろと思ってたことを書いたのが二冊目。
うん。
45歳の壁。
うん。
55歳の谷。
そうそうそう。
谷っていう。
うん。
でもそれはね、残念ながらなかなか出版社が、検討してくれてたとこも大手であるんだけども、
うん。
えー、編集会議を通らず。
うん。
前の修営者の人も退職をしていたので。
うん。
で、それで、まあでも書いちゃったし、4日で出そうかなと思って、あの、スピーディーの福田さんという、のんちゃん。
うん。
のうねんれなさん。
うん。
マネジメントとかやってるあの、今、一緒に対談やってた人ね。
はい。
あの人出版社を立ち上げたんで、えー、出してくれますかって言ったら、あ、出しますよー、うちわーって言って出してくれました。
ははは。
え、もともとお知り合いだったのか。
まあ、昔からね。
はい。
で、あのー、高田さんが、その本を書くきっかけみたいな感じで書かれてたのが、意外とその講演とかにもう40前後ぐらいの方が。
そうそうそうそう。
結構いらしてて。
うん。
50代のね、話を書いてるのに。
あ、そうねそうね。
結構そのぐらいから、みんな将来に不安を持ってるというか、自分の行く末を、やっぱりちょっと、なんとなく考え始めてる人がいるんだって気づいたことがきっかけみたいに書かれてて。
あ、そうそうそう。
だから、講演の、あの、キャリアの講演自体は今少ないんだけども。
あの。
1冊目出た時は、いくつかのとこで呼ばれて、ニュースピックスでもやったし。
うん。
なんか、早稲田のなんとかっていうと、まあ、いくつかやったんですよ。
27:00
で、その時に、やっぱりそのー、当時もう50超えてる人はね、もう逃げ切ることが見えてるので。
うん。
まあ、もう僕も、あの、そうしたいなと思うんだけども、さすがにもうねっていう人多かったけど、30代の後半から40代ぐらいの人がすごく不安に思ってるってことがわかったんで。
うん。
そこに向けて、やっぱ書こうと。
うん。
そういうのが、まあ、始まり。
うーん。
うん。
で、皆さんの年の人だと、結構しんどいですよね。
うん。
しんどいと思いますよ。
うん。
いや、俺らの同級生なんてね、まあ、ひどいもんだよね。
うん。
もう、ないんだもん、仕事。
会社行っても。
うーん。
でも、最高よいでしょ。
うん。
でも、そこそこはもらうわけじゃない。
うん。
そこそこもらってますよ。
大きな会社入ってると。
ね。
大きな会社入ってるとね。
それが、まあ、それで楽しいなって思えればいいけど。
うん。
でも、これからはそういう時代でもなくなるんじゃないかと思ったんで。
そうですね。
うん。
だから、そこには備えなきゃいけないよということで、ああ、いくつかのシナリオを書いて。
うん。
僕はサラリーマン自体は別に悪いとも思わないっていうか、サラリーマンっていう言葉は割と好きなので。
うん。
いいじゃん、なんか、あの、気軽な、気持ちでお仕事してみたいな、あの、昔の植木、ひと品、サラリーマンなんとかって言われるのが好きだから。
うんうんうん。
あの、サラリーマンイコル社畜とか言われてもさ、まあ、そんなこと言わないでしょ。
まあ、そんなこと言わないでよと思っちゃうんだけど。
うんうん。
だから、出世するのもいいじゃん。
うん。
出世の限界ってね。
うん。
45歳で見えてくるし。
うん。
55歳になると、もう役職も外れて、もう役割なくなっちゃうんだよね。
うん。
って言うんだったら、45歳を過ぎたあたりから、いろんな形で用意して、で、もう会社に残ってもいいですよと。
その代わり、ニーダーシップを取ってたかもしれないけど、これからフォロワーシップで、若い部下をちゃんと支えるようにしなさいよって言って。
うん。
そういう奴らがいっぱい仲間でいるから、高校、大学の同級生で。
うん。
お前、まさかあの、年下の部下のことをくんづけとかしてないって言うと、いけないかなって言うから、いけないに決まってたら、お前、え?
なんか、今まで呼び捨てだけど、くんじゃダメだの?とか言うんだよ。
うん。
一応ね、くんの方がリスペクトしてると思うから、お前、くんにするんだったら、さんにしりゃいいんだと、って言って、いつも教えてるわけ。
うん。
でも、それはさ、フォロワーシップとして、
うん。
その後輩を支えていくことは、これは尊いことじゃん、と。
うん。
いうこととか、いやでも、それだけじゃ嫌な人は、副業を始めてみるのもいいし、
うん。
で、本当に、大体うまくいかないと思うけども、
うん。
万が一うまくいったら、
うん。
それで独立されてもいいかもしれないし、
うん。
うん。
で、まあ、ほとんどうまくいかないと思いますが、
うん。
どうしても転職したいっていう方がいたら、
うん。
まあ、給料諦めて、
うん。
ね、給料の額はもう諦めたとしても、
うん。
えー、どっか行く、ね、新しいね、とこに行って、地方に行って、やったりとか、
うん。
あるんじゃないですか、と。
30:00
うん。
ね。もう、でも多分、地方ってお頼りにしてますと言って、行ったところで、オーナーパンパニーの人とは多分うまくいかなくなると思いますよ、みたいな。
うん。
いや、でも、それをね、55歳を過ぎてから、
はい。
そう思っても、もはや、
遅いわけ。
遅いわけじゃないですか。
うん。
でも、その40歳の時なら、
うん。
その後の10年、15年を、
そうそうそう。
どう過ごすかってことを、
うん。
まだ考えられるっていうか、
そうです、そうです。
準備できるわけで、
そうです、そうです。
まあ、それは全然違いますよね。
うん。
うん。
そこから良い人吹く方がね。
確かに。
いや、だから、サラリーマンとしてね、あの、健忘術数を、こうして、こうしてっていうか、その、偉くなるのもいいじゃんと。
だから、それで面白いかもしれないし。
うん。
だから、それはね、あの、勝てるか勝てないかもしれない。
はい。
ほんとそうなんですよ。
確かに。
いや、それはね、私、あの、ほんと、トヨタ辞める時に、そう思ってたんですよ。
うん。
若干、27歳でしたけど、あの、私が、まあ、先輩でね、係長になるかならないかみたいな、年次の方が、まあ、2人いたんですよね。
うん。
同じ部署に。で、1人の方は、まあ、1年、あの、3年あるじゃないですか。
はい。3年。
早い人と真ん中の人と遅い人。
はい。
はい。
で、その、あの、1人の方は、早いので、あの、課長にならなかったんですよね。
ああ、そうですね。
うん。
で、もう1人の方は、なれなかったんですよ。
うん。
その、あ、課長じゃない、係長にね。
うん。
なれなかった。で、その人を慰める会みたいな感じで、まあ、私の当時の上司が、あの、その、直上じゃないんだけど、横、斜め上ぐらいの横のグループの、まあ、だったんですよね、その人。
うん。
で、その、3人だったかな。3人で、だから、私はまだ新入社員に近い。
なるほど。
で、私の上司と、その、隣のグループで、
上がれなかった。
上がれなかった人と、3人で、なんか、焼き鳥かなんか食べに行ったんですよ。
うん。
で、その時に、すげえ、慰めるっていうか、で、ああ、そう、こういう感じなんだなって、その、25ぐらいの時に見て、まあ、それはね、確かに、もう1人の人の方が、まあ、まあ、確かに、ちょっと仕事できる感じだったんですよ。
でも、31人じゃない、30か31とか、それぐらい?
うん。
それぐらいかな。
それぐらいかな。
うん。
まあ、10年ぐらい勤めてるわけでしょ。
うん。
10年勤めて、で、そこで、はい、1年目で上がれた人、2年目で上がれた人、で、また、課長になる時に、また、これがあるわけで、もっと、まあ、年次の幅はできて、で、まあ、さらに、さらに、その上は、もう、いけない人っていうのが出てくるっていうことを考えた時に、いや、確かに、能力の差もあるだろうけど、これはもう、会社にめっちゃ揺られてるなと。
そうそう。
自分の人生を。
そうなんですよ。
ねえ、なんか、10年後?
15年後?
20年後に、はい、あなたはダメでした、みたいなこと言われた時に、私の20年、なんだったの?みたいな気持ちになるリスクがあると。
そうね。
なると、確定じゃないけど、なるリスクを考えたら、いや、これ、私、なんか、別に出世のために働いてるつもりはないんだけど、なんか、なんか、私、この、これには欠けられないなっていうか、
33:11
そうね。
もっと違う、なんか、道の方が、やりたいようにやれるっていうか。
うん。
やれるんじゃないかっていうのは、なんとなく思ったんですよね。
うん。
だから、まあ、まあ、実際そうだってことなんだと思うんだけど。
うん。
まあ、40、それが45なのか。
うん。
そうそう。
50、50なのか分かんないけど。
うん。
自分の力では、どうしようもないことに人生をかけるっていうのは、やっぱりね、リスクですよね。
そうですよね。
そうですね。
だから、しょうがないね。
やり投げの選手が、やりが飛ばなくなりましたっていうのは、これはもう、納得じゃん。
自分の勝負。
しょうがないもん。
そうなんですよ。
ね。
だから、それ、サラリーマンの場合はね。
うん。
そうなんです。
特に、その、位が上がれば上がるほど、昇格がどうのこうのなんていうのは、もう、どんどん、うんとごま過ぎの比率だから。
うん。
うん。
なんか、あの、こないだ、あの、そういう、50代になって、まあ、社内であまりやりがりを見出せなくなってしまった大企業の方っていうのが、まあ、増えてます。
うん。
で、その人たちを、なんとか、まあ、元気づけなきゃいけないみたいなことに課題意識を持たれた、なんだろう、NPOなのか、なんか、まあ、会社なのかも分かんないですけど。
うん。
そういう方が、なんか、研修プログラムみたいなものを考えたので、なんか、それの、なんか、こう、ビジネス、なんか、サービスの壁打ちしてくれみたいなので、
うん。
一回お話をしたことがあるんですけど。
うん。
まって、その課題は。
壁打ちしてくれ。
壁としては素晴らしい。
壁、壁。
ちょっとね。
ちょっと。
いやいや。
想定以上にね、高い壁を持ってきてたみたいな。
いやいや。
根幹に強固な壁が来ると思わなかった。
いやいや。
もっとソフトにね、打ち返してほしかったんでね。
そう。それで、なんか、まあ、あの、知り合いの方が、まあ、ちょっと紹介してくださって、まあ、一回、で、なんか、ちょっとその、お話を聞いて、なるほど、なるほど、まあ、それは確かに課題ですねって言って。
それで、でも、こういう、50代の方がね、その、課題を、なんか、課題っていうか、なんか、やりがいを、生きがいを見つけ出すために、なんか、こういう、あの、こう、研修プログラムみたいな。
で、それ、え、誰に売るんですかって、それは大企業の人事部に売るっていうから、高田さんの本にも書いてらっしゃいましたけど、人事は、50代の使えなくなった人に、もう一回輝いてほしいじゃなくて、やめてほしいと思うんですよ。
やめてほしいと思うんですよ。
セカンドキャリア教育っていうのは、やめてくださいってことなんですよ。
そう。だから、別に、そんな、やりがいを見つけ出すっていうことに、あんまりね、ま、そんなのね、50年生きてきて、お前、自分で見つけろよみたいな。
そうね。
そうそうそう。
そうね。
だって、もう、あの、子供じゃないんだから、自分で見つけるから、会社にやりがいを与えてもらわなきゃいけないっていう発想が、
その通り。
そもそもなんか、ちょっともう、もう、その時点で、見つけられないんじゃないっていう感じが、ちょっとする気持ちを、
36:00
かなーりオブラートに包みながら、なんじゃないって言って、ま、ちょっと違う言い方をして、やわり言ったんですけど、まあ、でも、あの、実際、でね、そ、で、その、
間で紹介してくれた方も、ま、ちょっと、この話、なんか、ちょっと、あの、あれかなーと思って、わりと、早めにその方が、あ、じゃ、まあまあ、あの、そうですよねーみたいな感じで、いったんそれ、畳んだんですよ、そのミーティングは。
で、その後、いや、ごめんねーみたいな、なんか、ちょっと、あんな相談しちゃって、ごめんねーみたいな、間に、で、その人に、なんででも、こんな話になっちゃうんですかね、って、そういうことに、危機感があるってのはわかるけど、なんで、なんでもかんでも、会社にやってもらおうって思うんでしょうねって言ったら、ま、その方は、
ま、たぶん、今まで、自分は会社に、仕えてきたと、会社のためにめっちゃ貢献してきて、それこそ、転職やら、他の会社に行くっていうオプションもある中、その選択肢を捨てて、会社に身を捧げてきた、人生を捧げてきたのに、なんでここに来て、はしご外すんだっていう怒りが、たぶん、その、50代の人には、あって、俺、こんな貢献してきたのに、なんでこんな不遇なんだ、みたいな気持ちで、
あるんじゃないかなーって言われて、うん、なるほどなーって思ったんですよ。
高田さんの周りの方とか、お話とか聞いてて、ちょっと若い、もう少し若い世代で、また会社に残られてる方とかで、そういうの感じますか?はしご外されてる、ここに来て、いきなり、
まあ、全部が全部じゃないと思うんだけど、まあ、僕らの同世代で、その会社に、その人生を捧げてきたほど、会社に、あの、なんていうのかな、
その、強いデボーションで接してきた、かというと、僕らの上の世代よりは低いと思うんだけども、いるよね、うん、あの、この小学校の同窓会行ったときに、まあ、もう、大手商社に勤めてたやつが、あの、やっぱり、その、昔から本当に頑張ってきて、すごい体育会系のやつで、それなりの成績を上げてきたと、
俺は役に立つつもりでいたと、
うんうんうんうん、
だけど、
上智に呼ばれて、パワハラだと思えば、もうこれから上はもうないから諦めてくれって言われたと。
パワハラで俺は育ったんだと。 まあこれは困った奴なんだよ。困った奴なんだけどさ、それはもうそれでやめたんだけどさ。
そうね、だから
裏切られたって言うほどの奴、少なくともやりがいもないって言ってる奴がいっぱいいるよね。
やりがいもないよね、それはね。 そのやりがいがないときに
自分を振り返るんじゃなくて、結構環境が解決してくれるべきことなんじゃないかみたいに。
39:01
でもさ、やっぱりそれは、使えたのを裏切られたって言ったら、
生まれ変わったんだっていうことだけじゃなくて。
だって、基本、受け身で来たわけじゃない。こっちに来て行けって言われたら、はいっていいし、
を出してなかったのに、いきなり異動のない字が出て、そこに行ってって take her away?って。
うけみにならざるを得なかった。で、そうやって言われたら、そこにいって一生懸命やるのが当たり前っていうか。
っていう価値観の中で来た時に。
そうやってその方向に入れることを好みでそこに行きたいと。
そこにいちいち、なんでこの移動必要なんですか? みたいになったら出ちゃうわけよ、私みたいに。
そうそう、この方はそういうふうに出るんですよ。
この方は。
ただ、やっぱりそこに、 なぜこの移動が必要だ?みたいなのを思わずに、
言われたところできちんと一生懸命やるっていうのをやってきた時に、
いきなり考えろって言われるのは、 やっぱり慣れてないんだと思うんですよね。
逆に思考を奪ってきたんだよね。
あんまりわちゃわちゃ言い出したらめんどくさいから。
自分のキャリアを自分で考えろなんていうことは、 言われたことはなかったわけでしょ。
なかったんですよ。 それを今更考えろって言われても困ると。
なんていうのかな。
やりがいがないとか、生きがいがないとか、 裏切られたとかっていうふうに思うのは勝手なんだけど、
ただ、仕事しない。
仕事しないで500万円くらいくれるんだよ。
ほんとそうですよね。
自営業で500万円稼ぐのって結構大変ですよ。
20代の若者にもっと仕事与えろよって感じですよね。
就職できないとか、収入が少なくて、 経済的に悔しい若い人がたくさんいる中で、
働かないおじさんがたくさんもらえるなんて、 そりゃみんな怒りますよね。
怒りますよね。
今は再雇用でそのくらいの金額もらってるけど、 これから65歳定年なんだから、減らないんだから、給料が。
少なくとも7割ぐらいはもらえるわけですよ。
なんだかんだ逆職外れたとか、なんとか 理由をつけて下げられたとしてもね。
そうするとね、これはね。
それはだから、ちょうど僕よりも5歳ぐらい下。
6歳下の人は、もう65歳定年制の中で、 再雇用じゃなくて、
正社員で残るから。
これはね、僕は大きなまた、さらなる働かないおじさん避難が、 もう一回出てくるはずだというふうに思う。
リスキリングさ、今更さ、コンピュータの プログラミング勉強してもさ、無理じゃん。
限界はありませんね。
LINE化できるようなやつがいっぱいいる中でさ、無理ですよ。
ね、なんかその、いやー、結構政府もそういうふうにね、
42:00
会社に65歳まで雇用しろとか言ってるけど、 その代償も結構大きいわけじゃないですか。
もちろん、もちろん。
会社がね、やっぱり、結局生産性の低い人を抱え続けるっていうのは、 それだけで大きな。
そうですね。
結果的に、企業の競争力とか、あるいは日本の経済のね、 競争力を奪うことになると思うんだけど、なんか。
構造的にはね、自民党。
自民党の、まあ自民党にしてもどこにしても、 だってやっぱりさ、若い人ってもう人口少ないから、
そんな人のいいことをやったってさ、票入らないわけだから。
そうなんですよ。
そうですよね。
そうですよね。
高齢者なんですよ。
うん。
だから高齢者を対象にした人たちが喜ぶようなことをやらないと、 なかなかですね、えー、政権を維持できない。
いや、そうなんですよ。
でもなんか、すごいなんか、どこに、あんまりウィンウィンがないというか、そ、もちろん。
うん。
その残って やりがいがあったりなんかこう役割があるというか
自分がやれる役割があるんだったらまだいいですけど 役割がないやりがいないって本人もうつうつとするじゃないですか
で会社は会社でお金払わないといけないし 周りは働いてないのに給料をもらいやがってって
ウィンがないというか 結構辛い環境ですよね
リスキリングもなかなか難しいと僕は思うんだけども いくつかあってね、若い時活躍してたわけでしょ
昔取った記念図鑑じゃないんだけども いやもう一回ね私は現場の営業に戻って
ちょっとやり方は古いかもしれないんだけども やってみますっていうのもありかもしれないし
何かもう本当に心、立場を完全に変えて
若い年下の上司とさらに年下の部下の間に入ってね
ちょっと部署がうまくいくようにとか 偉そうに言わずね
さんづけだぞと 全員さんづけにしろよって言って 来んじゃダメかと
ダメだっつってたのお前ってバカかと そこ変えなきゃいけないんですよ
でもそれは本当に役立つかどうかね
なんか役立つよって言われたら 役立つよって言われたら 役立つよって言われたら
どの人にしていかないともったいないしね
そうですよね 培ったものも絶対あるはずなのに
一般的によく言われるのは
やっぱりそのどっかの大企業の部長やってた人が
どっかの企業に転職しましたと
いう時にやっぱりその大企業では
出羽の上という三菱商事では 豊田自動車ではなんとか銀行ではっていう人が
出羽の上という三菱商事では 豊田自動車ではなんとか銀行ではっていう人が
大多数であると
そこがやっぱり変わらないといけないよね
本当にね
僕の場合は個人事業主なんで
45:02
お手伝いしてる会社の
ほとんどの人は僕の年下なの
一番年下は息子と同い年ぐらいの人が
僕と対面っていうケースもあるわけですよ
それはねやっぱり
なんていうのかな
もう関係ないですよ
対等だと思うんですよ
むしろいっぱい教えてくれるから
それがこれよくできた人間だなと思う
そこをなんでできないのか
なんとか銀行の部長
本店の部長ですよとか
知らんよそんな本店の部長だろうが
支店のなんとかだろうが
それはもういっぱい捨てて
やらないと
自営業にならなくてもですよ
例えば再雇用になったときも
そこをやっぱり切り替えたら
この人はよくできた人だなと思うんじゃないかな
そうですよね
いろんな聞きに来てくれますよと
それができないのって
何なんだろうな
やっぱり何かもう何十年そこでね
そのヒエラルキーの
この一つの価値観の中で生きてるから
それを否定しちゃったら
それを否定しちゃったら
もう全部自分が
何もよりどころがなくなっちゃうのかな
そこの距離感って
会社との距離感みたいな
僕はサラリーマンっていう言葉を好きだし
サラリーで気楽に生きてる人間っていうのも
割と好きだけども
会社との距離感は
僕らの世代は
結構前の世代よりもってたと思ってた
だってさ
Z世代とかさ
すごい価値観が違うって言うじゃない
でも俺たち新人
と言って言われてさ
会社に入った時に
ギャップなんて今のZ世代どこじゃないんだもん
だって部長とかはさ
東京大興春とか食べるものなかったとか
役員とかだとさ
特攻隊で出撃したけど
敵艦隊が見つからず
帰ってきましたみたいな人がいるわけでしょ
こっちはさバブル世代やから
ジュリアナでお姉ちゃんのスカート下から見てた
遊んでた人たちがいるんですよ
たくさんの感覚
だから僕らは仕事を頼んでも
今日はデートがありますから帰りますと言われてる
もう全く価値観が違うって言われた世代だから
僕らはそのつもりで
僕は生きてきた
割とそれなりの距離感を持って
でもねやっぱりね
日本の会社ってすごいなと思うのは
あんなに若い時
会社なんてみたいに言ってた奴が
やっぱり日本の会社に行ったら
取り込まれちゃったんだな
日本の会社の社会統制はすごいよね
悪いとこだけ真似しちゃって
48:01
俺たちの世代が変えなきゃいけなかったこと
いっぱいあるような気がするんだよね
本当は感性的にはさ
やっぱ上の世代と違うと思うし
確かに今改めてそうやって聞くと
この時代以上な差ですよね
俺らももちろん人だって言われたもん
確かにね
あの時ね
課長さん以上はね
僕宣伝部は僕みたいな奴が何人か割といっぱい入ってくるんだよ
とにかくね理解しようとしなかった
できないと思ってたから彼らは僕らのことを
価値観が違いすぎて
君が言ってることは意味がわからんなって
答えて帰ってきた人は無理じゃん
確かにね
根性がもうレベルが違うから
もう損切っちますよこちらも
確かにね
でもそれだけ全然違うのに
その人たちが作ったルールに乗っかれちゃったんですね
やっぱり乗っかるのが楽だったんでしょうね
日本の経済も強かったしね
給料も上がってったから
バブルの時にね
悪くなかったんでしょうね
乗っかっていくことが
そこにやっぱり全部吸収合併されていったと
それは団塊世代だって同じだよね
就職する前は長髪の場所なのにね
あのギター弾いてた人がですよ
確かにね
学生運動してたギターたちがね
そうなんですよね
普通のパワハラ上司になったりとか
新人類もみんな
日本の企業ってすごいな
いや本当そう思う
あんな学生運動を一生懸命やってた人たちが
今の六甲のめっちゃ保守的な
日本企業の中枢にいるって
なんなんだこれはみたいに思うよね
思想がどんだけ変わったんだっていうか
なんていうか思いますよ
中核とか角丸とかやってた人たちの
根性が座ってるから
むしろ出世してるんだよ
確かにね
確かにね
なんか反体制だったはずなのにね
めっちゃ体制側の人になっちゃうっていうね
面白いなって
すごいね日本企業
やっぱある種
やっぱりそれがすごかったからなんだけど
それがもうやっぱり今の時代に合わなくなってるし
割り送ってるね
私就職氷河期
ほんとですよバブルはじけてから
はじけて
大学生になったからね
そうだよね
そうかくだよね
会社の中でもちょうど人材が谷で
一番少なくて
こう上と下に挟まれる40代ですよ
40後半
なんかトヨタで会議に出た時に
私以外に5、6人人がいて7人くらいで
私以外全員9、1入社だったんですよ
私だけ9、9入社で
9、1入社
これ全員同期?みたいな
どんな会社やって思ったけど
すごいですね
それぐらい9、1入社って人がいたんですよね
すごい
採用されてたんですよね人数
大抵20数人出したと思う
51:00
えっ一橋?
一橋だけ
ああ
すごいあの話がね盛り上がって
延々に話せる
そうそうそうって思った
すごい面白いなと思ったんだけど
次回はね高田さんの本の中に
フリーランスになってからの時間の使い方とかキャリアプランとかいろいろありますからね
次回は高田さんの本の中にフリーランスになってからの時間の使い方とかキャリアプランとかいろいろありますからね
時間の使い方というかキャリアプランみたいなものの中で
55歳で1回サラリーマンリセット
次65歳までの10年間はフリーランスとして
収入維持してやりたいことをやって稼ぐみたいなのをやった後
その先65歳だか70歳だか
70歳って書いてましたけどね
その後っていうのはまた違うワークスタイルがあるんじゃないかって
その先を考えた時の10年間の過ごし方みたいなことを考えていかなきゃみたいなことが書かれていて
それを読んで確かに私もこれから10年何しようとか
まだ55歳じゃないですけど
じゃあ60歳65歳15年とか20年とかって
どうやってやっていこうかなってあんま考えてなかったわと思って
その話を答えないかもしれないけど話してみたいなと思います
ではそれでは最後までご視聴いただきありがとうございます
また次回お会いしましょう