1. 「独立後のリアル」
  2. #263 自分は間違っているかも..
2025-05-09 42:05

#263 自分は間違っているかもしれない

spotify

自分が間違っているかもしれない。そんな思考の先に世界は広がるのかもしれません。


間違えた時は何もない/何にせよ自分は正しい/無知、バカ、邪悪/独立すると謝りやすい/自己像崩壊/そして正しさに陥る/カラスの万引



5/17土、飯田橋・東京日仏学院内の書店

PASSAGE RIVE GAUCHE で一日店長します!


日時:2025年5月17日(土)

場所 https://institutfrancais.jp/tokyo/about/contact/

詳細:https://note.com/trottolina/n/nc6ad113c4e85


私たちの本屋も、是非お立ち寄りください!

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ポッドキャスト連動型書店 「独立後のリアル」開店!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

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「独立後のリアル」は人生本気で変えたい人のコーチをしてきた2人が、これからの時代を賢く面白く生きるためのヒントを愉快に無責任に話すポッドキャスト番組です。毎週金曜21時配信。

サマリー

このエピソードでは、間違いを受け入れることや恥ずかしさに対する感情を探求しています。TEDトークを通じて、間違いに気づいたときの感情や社会における間違いへの反応について語っています。また、自己反省や許しの重要性が取り上げられています。特に、間違いや無知に対する理解を深めることで、人間関係への影響を考察しています。自分の間違いや失敗を認めることの難しさについて深く掘り下げ、独立した働き方と企業での責任が謝罪や非の認識に与える影響についても考えています。さらに、カラスの万引き行動やその対策についての考察と、今後のイベントのお知らせが含まれています。

間違いを恐れる心
彼らは、要は情報が足りない、無知な人だと。
ここでの、このポッドキャストでのトレーニングにより、私もだいぶ人間が成長してきた。
成熟度の足りない客なんです、みたいなことをさ、いや、言う人もいるじゃない。
いますね。
始まりました、「独立後のリアル」、Hassyです。
ケイコです。このポッドキャストは、人生を本気で変えたい人の講座をしてきた2人が、これからの時代を賢く、面白く生きるヒントを、愉快に、無責任に話す番組です。
毎週金曜、21時配信です。
こないだ、ちょっとある人とですね、なんか、お茶がてら話してて、
なんでこんなに人って、間違えるのが、嫌なんだろうと。
なんかこう、絶対に、なんか間違えることはあると、頭では絶対わかってるじゃない。間違わない人はいないっていう人もいないのはわかってるのに、
なんでこんなに嫌なんだろうねと、いう話が、なんて重い話題のお茶なんだろうと思いながらも、
なんか、でもなんかちょっと面白いなと思って。
それ結構、私すごい最近よく考える。なんで、なんでなんだろうなって。
あ、そう。仕事とか普通に。
いやいや、仕事、なんていうか、自分もそうだけど、クライアントさんとかも含めさ、
あと、なんていうの、テレビとかもさ、見ててもさ、
だから、国会答弁とかかな。
なんかもう、いかに私は間違えてないかっていうことの論争でしかないなと思って。
で、あらゆる会議とかもさ、みんななんか、私が間違えていないか、お前間違ってるんじゃないか、
とか、まああなたたち間違ってるんじゃないですか、いえ、私間違ってませんっていうことの応酬ばっかりやってるなっていう気がして、
なんかこれは一体、それを話して一体どこに行くのかなって思いながらニュースとか見てる。
で、結構そういうことはなんかあれだよね。
普段の僕らの生活の中でも、なんかそういう応酬になりやすいっていうか。
なりやすいし。
分かってて、それを見て、もうこれ何なんだよと思いつつも、なんかそこに入ってっちゃう、なんかそういう状況があるんだろうなと思う。
誤りを受け入れることの重要性
そう、それもあるし、やっぱなんか自分でも間違えると恥ずかしいっていう気持ちが湧くからさ、
なんか、なんで私恥ずかしいのかなとも思ったりする。
あ、そうだよね。
例えばホワイトボードに書いた漢字がわからないとか間違えたとかいうときに、
それ恥ずかしい。
恥ずかしかったり、なんか計算が、まあそんなのネタになるから別にいいんだけど、
でもなんか間違ってると、あ、間違えた恥ずかしいみたいな気持ちには、まあなるかな。
あ、それでやばいってならないけどね、もうね。
でも昔はそういう時代もあったと思うよ。
間違えたらやばい、汗だらだらみたいな。
まあなんか会社とかにもね、たぶん夜とか、なんかそのお金のこととか使うと間違いって本当にまずいことだからとかもね。
まあまあまあ、そうなのよ。だから金利計算とか間違ってたらマジでやばいわけ。
マジでやばいし、契約書が間違ってたらもうその時はもう、さーっていう感じになるんですけど、
それも確かにまずいけど、じゃあ、だからパワーポイントのさ、プレゼンテーション資料の一部がちょっと間違った時とかもさ、あって。
俺、昔ワークショップとかでさ、もうそんな間違いとか結構いっぱいあってさ、書いてあること。
それ今の仕事で?それとも前の仕事で?
そうそう、今の仕事で。
今の仕事でね。
だからなんかそういうのに、まあたいして笑い話で終わることもあるけどさ、
ずっとあの、なんか、ウェルカムの、ウェルカムっていう最後のカム、ウェルカムのイを書かずに、ずっと。
まあたいしたことじゃないんだけど。
いやー気になるわね。
ずっとそれを俺やっていたりとか。
で、昔の私はそれをなんか、なんだろうな、いくつかステージがあるな。
昔の私は、なんかダメだなっていうふうに見てる。
あ、周りからもね。それを見てってこと?
要は。
俺が書いて。
そう、だから前よく覚えてるんだけど、私がまだ会社辞める前に、自分が勤めてたところにちょっと来てもらったことがあるんですよ。
ワークショップやりに来てもらった時に。
そう、今の仕事仲間たちにね、来てもらった時があって、それこそプロでやってる人たちだけど。
で、その人たちが手書きのフリップチャートを書くときに、なんか間違えてて、漢字か何かわからないけど。
で、それを間違えてたのを、なんか白いシールみたいなの貼って直してたのね。
それとか、当時の私からすると、ありえないみたいな感じで。
なるほどね、その間違いに対してね。
そう、間違いをどう訂正していくか修正していくか。
だから間違いは訂正しなきゃいけないもの、修正しなきゃいけないものとも思ってたし、今は私もそういうのすごい貼ったりするんだけど。
なんかだからあれだよね、自分がそういうことをやる側になると、間違えるとやっぱ恥ずかしいとか、よくないとか、なんかがっかりするとか。
そういうパラダイムがあるよね。
文化的影響と間違いの捉え方
でね、この話をしてて、結構古いTEDのトークに、間違えるということっていう、間違えの本質みたいなのをスピーチしてる、そういうスピーチがあったわけ、TEDで。
で、なんかそれの冒頭で、まさに今みたいな質問をするわけ。あなたは間違ったときにどんな気持ちになりますか?みたいな。
で、そうすると恥ずかしいとか、なんかがっかりするとか、なんか焦るみたいな、そういうのが出てくるんだけど、それを聞いてそのスピーカーは、あ、それは質問を取り違えてますねっていうふうに。
だから、間違えをしたことに、気づいたときにどういう気持ちが起きますかっていう言い方をするわけ。その答えだっていうふうに言って。間違えだと気づいたら、あ、やばいとか、なんていうの、あ、がっかりするとか、恥ずかしいとか。
最初の問いは何だった?
間違えたときにどんな感情が起きますか?
今、私が答えたのは、間違えたと気づいたときにどう感じますか?で、最初の問いは、間違えたときにどんな気持ちになりますか?
だから、人は間違えたときは、別に何も思ってない。気づいてないから。
なるほどね。
だから、そのときは全く気づいてないから、すごい面白い比喩みたいなアナロジーがあるんだけどさ、アニメとかでさ、テッドのトークの中でもあるんだけど、バーって走っていってさ、アニメの主人公が走っていって、
気がついたら、崖の先まで行っちゃってて、
ピュンって落ちるみたいな。
空中でずっと走ってる。
で、要はその空中で走ってる状態なんだ。で、要は下に、あ、もう今、崖の先まで来ちゃって、下に何もないと思ったときに落ちるけど、ああいうアニメとかもさ、なんか要はその気づく前まではさ、ずっとその崖の上でなんか歩いてるみたいなさ、まあそういうちょっとアナロジーがあるじゃない。実際はすぐ落ちるんだけどさ。
なるほど。
要は間違いに気づいてないと別に何の感情も起きないっていうか、間違えていたとしてもね。
それはあれですか、私の結婚が間違っていたのにすごいお喜びしていて、後に離婚することになるとかそういうことですか。
え、どういうこと?
え、違う。
え、どういうことだ。ありがとう、すごい生々しいテーマを。
だからそのときに、あ、ちょっと話が違うのか。ちょっと今時間軸が伸ばしすぎたかしらね。何が正しいか何が間違ってるかわかんないみたいな、そういうことでもなくて。
さっきの例えば、僕がウェルカムのEを抜いてることは、俺は気づいてないから。もう初日から間違っているけど、3日目の終わり際に言われて、え、みたいな。
え、そのとき恥ずかしいの?
まあ、そんな大したあれじゃないけど、でもさ、気づいてなければさ。
気づいてなければ、確かにね。
間違ったという認識もないわけ。
なるほど。
でも、たぶんそういうことが結構いっぱいあるんじゃないかっていう、このスピーチでは言っていて。
なるほどね。深いなこれ。
でも、すごい面白くてね。
じゃあ、間違いに気づいたときに、例えばウェルカムのEが抜けてるとかはさ、そんなに大したことじゃないからさ、ちょっとしたことだからさ、笑いで済まされるかもしれないけど、
多くの人は、そうしたときに、じゃあ恥ずかしいって感情にすぐなるかっていうと、意外とそうでもないんだって。
あー、なんとなくわかるな。
じゃあ何か。
自分は間違ってないっていう。
そうそう。そっちの方に行くんだって。
行くんだよね。これが恐ろしいんだよね。
そう。なんかそれはすごい、どっかのお医者さんの話も確かあったと思うんだけど、
患者さんが入院して、全身マッスル受けて足の手術をしたんだって。
それで起きて、全身マッスルから起きて、なんか足を見たら、なんか自分が手術すると思ってたんだけど、逆の方に、逆の足に包帯を巻かれていたんだ。
へー、怖っ。
それで、そのことを、これは逆じゃないのかっていうふうに、お医者さんに、結構有所正しい病院なんだけど、
でもそのお医者さんそれを聞いて、何にせよ僕がやった方は正しい方を手術したっていうふうに、なんか言い張ったみたいな。
へー。
もうすごい、なんかこうやって引いてみるとバカバカしいけどさ。
でももはやどっちが正しいかだんだんわかんなくなってくるよね。
でも、何にせよ僕がやった方が正しいっていうふうなやりとりがあったみたいな。
でもさっき慶子が言ってくれたようなさ、まさにもうそうなったら、いや自分がやったことは正しかったんだってことを、なんかそれをこうやっぱり証明する方に意識がいって。
絶対そうなるよね、なってるよね。
確かにね、病院はね、ごめんなさい間違えちゃったというわけには、その例はちょっと違うかもしれないけど、ちょっとしたこととかでは、そういうことが。
だから間違えて、あー恥ずかしいっていうふうに。
なったらまだ可愛いもんなんだよね。
恥ずかしいとか、あーごめんなさいとかにならない。
それはいい、むしろそれはいいわ。恥ずかしいぐらいでいいわ。
でもそれは、たぶん僕らが、なんかすごい間違えるっていうことについて、
まあ頭ではそういうことがあるとわかっていても、よくないっていうことを、すごく文化的にもいろいろすり込まれてるみたいな。
でもこの話を聞いて、すごい面白い、あー確かになー。
だから、なんか間違えないようにすること自体がもう間違いなのかもしれないみたいなさ。
ちなみに、他にも、なんかよくあるのがそれで、他にもあるわけ。空中走ってたっていう時に、なんか撮る態度みたいな。
で、なんか俺が覚えてるので面白かったのは、そうなった時に、例えば会議があったりするじゃない。
で、自分がいいアイデアを持ってて、これがもう絶対に、なんかこの何か、このアジェンダに対する解決策として正しいみたいなのを持ってたとするじゃない。
で、なんか例えばそれを言って、みんながこう、あんま納得しないってなった時に、なんかこう、人間の撮る態度とか。
無知と理解
あ、もう一個、わかったわかった。なんかあいつらがバカだ。
そのね、もっと手前がある。そう、俺もすごいそれよくわかんない。これ聞いて、あーもうすっげー。
俺のことじゃんみたいな。
でも、それに、なんか3段階ぐらいあるんだって。
何?その手前があるの?
まずは、はじめは、あ、彼らは要は情報が足りない。無知なんだ。無知なんだっていう風に思うから。
すごい情報を渡す。
情報を渡すね。はいはいはい。
で、それでも納得しないと、あ、彼らは情報は全部揃ったけど。
理解力がない。
そう、あの、なんかピースがこう、ピースは全部渡したけど、パズルは作れないんだっていう。
彼らは、あの、バカなんだ。
バカなんだ。
そう、なんかイディオットなんとか。
はいはいはい。
みたいなのがあって、でも、その先があって、彼らはすごい優秀でもあるし、情報もあれしてるのに、このことに納得しない。
あー。
彼らは、なんか、邪悪なんだっていう。
はいはいはいはいはいはい。
そもそも性根が曲がってるみたいな。
なるほどねー。
見方をして、まあそういうのが、すげーなんか人間関係に悪影響を。
まあ要はそうすると、なんか、いやあいつらはなんか根本的に考え方が間違っているみたいなことに人はなるっていう話をして。
いやあ、なんか、もうなんか今全世界で起きていることだね。
許しの重要性
そうだね。
うん、もう全世界で起きていることだね。
ものすごい身に覚えがありますね。
もうミクロレベルでもマクロレベルでも。
ものすごい身に覚えがあります。
もういろんなところで起きているよねー。
ごめん話をちょっと飛ばしちゃったけどさ、その最初の方のさ、私は間違ってませんみたいな感じとか、なんなんだろうね、私それをその人たちをそうさせちゃうのって、世の中がだから不寛容だからじゃないかなと思ってる。
そうそうね、いやそうだと思うんだけど、でも例えばさ、でもやっぱ近隣は間違えちゃいけないわけじゃん。
そうなんだよ、近隣はやっぱり間違っちゃいけないわけで、いやなんですけど、
なんかさ、それってさ、領域とか全て、いや例えば数字のこととかさ、稽古とかそういうのはバックグラウンドあるし、人によるとかさ。
命に関わるとかさ、さっきの病院の足の話とかも、ごめんなさいって言われて、いやまあいいですよ、そんなことよくありますからねって言えるかどうかっていうさ、究極そこの気がするわけ。
でも言わないじゃん、自分の右足の手術に入院したのに、起きたら左足にさ包帯が巻かれていて。
激しいショックだね。
でしょ、いやごめんなさい本当、間違えちゃって、許しくないでしょ。
なんだろう、でもでもさ、それってもう本当にだから、いやもうだから今ね、世界に必要なのは許しだと思うわけです。
そこまで飛ぶの?
飛ぶ、いやこの正しさ間違いの話は、最後はそこまで飛んじゃうんだけど、じゃあどこまで人は人を許せるのかっていうかさ、どこまでなら良くて、どこまでだったら許せなくて、でもそのほうのどこまでも許せないのはどこまでなんだっていうかさ。
ちょっとそこに関しては、じゃあそうやって許してっていうのは、なんかものすごい理想論だなと思って、ちょっと離れちゃうけど、同時にね、なんかもうちょっと身近に引きつけると、
あ、俺間違ってるかもしんないなっていうふうに、なんか思っていくことは、仕事とか、人間関係とか、そういうとこで大事なんじゃないかっていうことが、なんかこうあるなと思ってるので。
失敗の認識
身に染みます。
俺自分でね、例えば英語を学んでるときに、僕すごいそういうことを自分で感じるっていうか、なんか自信がないみたいに言われて、なんかそういうことじゃないんだけど、でもやっぱりさ、そんな慣れてないから、自分の言ってることがちゃんと合ってるのかとか、結構自分の言ってることはなんか間違ってる可能性もあるよなって、
なんか思いながら喋るのね。
で、なんかそのあんまり自信ない態度とかっていうのはさ、またちょっと違う意味合いを持っちゃうけど、でもなんかそういうふうに自分の言ってることは決して正しくないだろうなと思いながら喋ってるのって、なんか普通に仕事とかしてるとさ、意外と減ってきちゃったりさ、自分のなんか、
もっと知ってる世界だから余計そうなるんだよね。
だからなんかそういうときとかって、ある種寛容にもなるだろうし、なんか謙虚にも多分なってる可能性があると思うのね。
英語のときが。
とか、自分が喋ってることがさ、ちゃんと正しく言えてるかどうか。
そうだね。
分かってないからさ、でもそういうことは結構なんか普段とか、なんか大事なんだろうなと思いながら。
なんかそれを聞くとあれだね、なんかこうありたいなーって今なんか出てきたのはさ、なんか自分も自分でこれが大事だと思って喋ってますとか、
なんかそこは自分はそう思ってますけど、違うことを言われたときに、なんかこれは自分は全てが見えてるわけじゃないなっていう、
なんかその気持ちを持ちながらその一部分を私はでも喋ってますっていう、そこは堂々としてられたらいいなーみたいな、
ふうになんか今思ったなー。
そうね。
なんか私の場合は、なんかそのガーってなっちゃうときにこうふっと自分を引き戻してくれるのは、
なんか、なんで私このことにそんなに一生懸命になってんのかなって。
あー。
ちょっと我に返るっていうか、なんかこう何かプロジェクトを進めてますとかって、
あーじゃあこれがいいと思うとか、なんでわかってもらえないのかなーみたいな話になったときとかに、
なんかふってなんか、あれなんかでもそんな、なんか別にこのプロジェクトがそこまでなんか、なんで私こんなにここにそんなに力入れて握りしめてんのかなみたいな、
いう感じで。
そういうのってさ、自分で気づけるの?
なんか自分の中に苛立ちがあるときに、なんか、やっぱなんで苛立つのかなみたいなふうにこう思ったりするじゃん。
うん。あ、っていうことに自分で気づいて。
そうだね、苛立つからね。
自分で。
自分で。
ほうほうほう。
自分で苛立って、思うようにいかないって苛立って、頭に力が入ってきて、あーってなんかいい感じじゃないな、いい感じじゃないな、うーんってなって、
ふっと、あ、そもそもなんで私こんなにこれにこだわってんのかなみたいな。
その自分の言ったアイディアとか。
そうそう。
そういうことに対してね。
そうそうそうそう。
あーなるほどね。
それが自分でできるのはでも結構すごいことだね。
ここでの、このポッドキャストでのトレーニングにより私もだいぶ人間が成長してきた。
どういうこと?
いえ、なんでもありません。
あ、ここでもそういうことが。
なんでもありません。
そうそう、なんかすごい、だからこれの話を聞いて、これすごい面白いなと思って、あー自分にもめちゃめちゃ怒るなと思うし、
なんかこの間違ってるっていう言い方が、俺はすごくいいなと思ってんのね。
人それぞれ違うみたいじゃなくて。
あーなるほど、自分が。
そう、あえて、なんか人それぞれ違うだとさ、なんか結局自分は正しいみたいなことにもさ。
それで言うと、なんか私もう一個思うのがね、その失敗はさ、やっぱり失敗を認めるっていうのは私結構大事だと思うんだよね。
まあそうだよね。
なんかみんな頑張ったからみんな良かったねっていうのももちろんいいんだけどさ、もちろんそれもそうなんだけど。
で、なんかみんな違ってみんないいし。
分かる分かる。
けど、いや、でもこのことに関して、誰かの基準っていうよりも、なんかこう自分が目指してたものに対して、自分が目指してたものに対して、私はこれ失敗したんだなっていうことをはっきり認めない限り、なんか次がない感じがするわけ。
結構でもいろんな人と話してて、なんか本当に失敗を認めないんだなっていう、なんか変な人って意味じゃなくて本当に普通の人たちでね。
分かる分かる。
で、すごく反省もしてらっしゃるんだけど、じゃあここの部分についてなんか失敗したってことなんですよね、みたいな話をすると。
いや、別にこれはあの時はこうだったからでとか、あれはああいう状況だったからでとか、こういう人たちだったからでみたいな、なんかいろいろ出てくるわけ。
失敗をしたっていうことを、なんかあ、認めたくないのかもしれないなーって思って。
分かる。
なんかそこにはこう何が操作せんのかなっていうのと、それの危険性みたいな、なんか両方感じるんだよね。
なんか隠れ正しくいたい、なんか戦略みたいな感じかもしれない。
そうそう。
いや俺は正しかったんだとは言わないけど。
言わない、うん。
っていう、だからなんかこの間違え、間違えました、間違いでしたっていう、なんか言い方をするのがいいのっていうのはなんかそういう感じなんだよね。
そうだよね。
もう失敗したってことなんですよ。
なんかそういうことを、なんか明確にするっていうか。
いやもちろんその時はそう、ベスト尽くしたとかってもちろんあるんだけど、別に手抜いてたわけじゃないのかもしれないけど。
でもやっぱり左側を手術したのはさ、右足を手術した。
左足を手術したことはさ、その時間はすごい一生懸命やってたんだろうけど、まあ間違い。
そうだよねー。
まあちょっとこれは大げさな例だけどさ。
でもさ、昔ドイツに住んでた時にさ、そのごめんなさいっていうのをさ、エンチューリングって言うんだけど、それを安易に言うなっていうふうに言われたことはあって。
やっぱりでもそういうことなんだよな。
で、その失礼っていうのはパードンでいいんだよね。だからちょっとぶつかってパードンっていう感じだったら、それは失礼でいいんだけど、なんかこうエンチューリングって言った瞬間に、自分に非があることを認めた感じになるから。
まあ例えば車の事故とかでさ、それを言っちゃったらさ、本当に自分が善か悪にしちゃうかもしれないじゃんみたいな。
じゃああなたが賠償を、賠償あなたが100で、みたいになる。
まあちょっと今もそうなのかわかんないけど、なんか私が親捨てに聞いたのかな、忘れたけど、なんかそういう考え方があるっていうのとかって一つの現れだよなーって思ったりしてさ。
なんかでも、まあだからそういうのがあるからさ、多分言わない方がいいってさ、なるなと思うんだけど、
俺あの、なんかこう自分で仕事してて、いやなんか仕事でやっぱりこう失敗したりとか、
なんていうの、まあ明らかに独立してからもね、途中でこの仕事がプロジェクトとして半年ぐらいでやってたんだけど、終わっちゃったやつとかもあるわけ。
でなんかそういう時に、やっぱりちゃんと、なんていうの、まあもちろん相手もあることなんだよ。
謝罪の難しさ
相手もあることなんだけど、まあうまくいかなかったことだけは確かで、向こうの期待値に全然合ってなかった可能性もあって、
やっぱなんか、ちょっと勇気はいるけど、なんかやっぱりそれは本当に申し訳なかったというか、それは僕がうまくできなかったことだっていう風に、
なんかこう、なんていうんだろうな、会社員の時あんまそういう感じにしなかった気がするんだけど、なんか独立してからね、俺ね、それをね、そんなすごい年中ないけど、でもなんか結構言うようにしていて、
なんかね、その方が、何がいいっていうわけじゃないんだけど、まあなんか自分には折り合いはつく感じがするんだよね。
独立するとやりやすいよね。やっぱさ、会社でさ、その一事担当者とかさ、それこそでも課長部長とかもさ、やっぱり会社の名前しょっちゃってるからさ、そこでこうミスを認めちゃったらさ、会社のミスを認めたみたいな感じでさ。
お前なんでそこでうんって言ってきたんだみたいな。
そうそうそう、とか会社に傷つけちゃう感じを恐れるじゃん。
それがあるんだな。なんか謝るにしても、なんか即答はできないっていう。
そうそうそう、自分だけではやっぱり決めれないし、最後傷つくのが会社の看板だって、その上司に怒られるとかいう人もまあいるかもしれないけど、なんかもうちょっと、もうちょっと普遍的に言うとさ、やっぱり会社が自分の、そういう態度を取ることで会社が迷惑を受けるということがやっぱりそれを難しくさせるんだよなと思って。
ああでも今慶子に言われて確かにそうだなと思った。それはやりやすいんだな。
独立するとね、まあ独立というか個人でやってると。
個人でやったり。
自分の会社だったり。
みたいなことだと、まあある種ちょっと潔く。
そうそう。
間違いだということを言いやすいのは確かなね。
間違いを認めること
それであの人橋本さんに頼んでもあんまりお仕事ができないわよって彼に言われたとしても、まあ範囲は知れてるっていうかさ。
いやもう仕方ないよね。
そうそう。
いやそういう評判をさ、やっぱなんかさ、要はそういう評判が怖いから自分の間違いを認められなくて。
例えばね。
なんかそこ、いやいやでもね、ああいうなんかバカな顧客みたいなさ。
そうそうそうそう。
っていう風に言っちゃうことも。
いやでもそうだよね、お客さんの側を責めるってそういうことだよね。
まあこんな風に大げさには言わなくてもさ、なんかこう情報がないみたいなところからさ。
そうだよね。
なんかそうやってね、いやいやなんかいまいち成熟度の足りない客なんですみたいなことをさ、いや言う人もいるじゃない。
いますね、いますね。
でもそれってさ。
すごいどこから来る傲慢さ。
でもなんかそれってさ、自分で結構さ、自分のブランドにさ、なんかそれを聞いたらさ、なんかああそうか、そのお客さんがいまいちだったんだなと思うというよりはさ、
なんかそれを言ってるその人がさ、逆にまあでもちょっとこの人きついな、なんかあんまりそういうのが多ければ。
まあなんか自分がさ、言われるリスクを感じるよね。
そう。
次私が頼んだやつでうまくいかなかったら、あの人客としていまいちだよって言われるんだろうなみたいな。
とかなんか紹介とかもさ、結局自分のなんかブランドっていうと大げさだけど、なんか傷つけてるんだけど、正しく言おうとすることに、なんかやっぱり執着したことによって、なんかそういうことも結構起きてるのかもしれないね。
起きてるだろうね。
そうなんだよね。
いやこれはね、深いですよ、深いですよ。でもそうなんだ、やっぱだから間違ってるかもしれないと思うと同時に、あと間違ったときは間違ったなって、失敗したなっていう。
なんで、なんでそれがさ、あの認めたくなくなるんだろうね。
間違いを?
とか自分が失敗したとか、自分が間違えたっていうことをさ、他人に対して認めないっていうのももちろんあるよ。相手に対して謝らないとかいうのもあるんだけど、多分そのとき自分の内側でも自分もまだ認めてないんじゃないかなと思うわけ。
失敗の受け入れ
まあそうだろうね。
何なんだろうね、その自分が自分の失敗を認めようとしない。何を心配してるのかな。
まあでも、それをやっぱり不利益だと思ってるんだろうね。
自分がダメな人間だみたいなことが決定付けられるみたいなそういうこと?
まあ実際そういう評価をさ、受けたりもさ、するとかさ、実際間違ったって言ったら多額の何か賠償払わなきゃいけないみたいなさ。
まあそういうことばっかじゃないけど、やっぱ間違いを認めるっていうことは、自分をものすごい不利な場所に置くみたいな、やっぱりあれはなんか擦り込まれてるんじゃない?
まあ実際にね不利になるからね。
じゃあやっぱり不利益をこむりたくないってことなのか。
どうだろうな。でもなんか一つはあると思う。不利益をこむりたくないっていうか、なんか自分自身が、やっぱりこう、なんか自信をどんどんなくすっていうかさ。
そうそうだからなんかさ、自信をなくす。なんか自己像がさ、なんか失敗を認めることによってさ、なんかそこで一回自己像が壊れんのかなと思って。
それが怖いのかなって思って。なんかできる自分とかさ。
だから間違わない自分が要は自己像になってるってことでしょ?
そうそうそうそう。でそれが自分が自分で失敗を認めちゃったら、間違えない自分っていう自己像が自分の中で崩壊するじゃん。
だから多分間違えない自己像が間違いなんだろうね。
いやそうそう、そうなんだけど。
いやいや、ていうことにさ、そこを基準に置いたらさ、勝ち目がないじゃん。
ないんだけど、でもなんかそこで認められないのは、そうまだなってないからじゃないの?みんな、私たちも。
まあそうだよね。だって自己像がそうなんだもんね。
そうなんだよね。
頭ではさ、人は間違うとかさ。
そう、だって失敗した方がいい、人生は失敗の連続だとか言ってみんな言うじゃん。
本当、嫌ね、そう嫌ね。本当嫌。
でさ、そこで語られる失敗もさ、実はさ、可能な範囲の失敗なんだよね、なんていうか。
言いたくもかゆくもない話でしょ。
そうそう、なんか美男、武勇伝になる失敗なんだよね。なんか本当の失敗って多分そこじゃないんだよね。
まああんまり本当に言いたくない。
そうそうそうそう。
だって俺自分のやっぱり仕事のさ、その失敗でさ、本当に打ち切りになっちゃってさ、辞めたやつとか、やっぱそれをすごいなんか言いたいとはあんま思わない。
思わないもんね。
なんかやっぱりちょっと恥ずかしいとも思うし、せっかくね、そういうふうになんかいい形でスタートしたりとかさ、紹介してくれた人がいたとかっていうのもあるからさ、
まあそんなになんか年中、でもなんかそういうほら、あるじゃん。そういうことをさ、なんかどんどん話すみたいのはさ、もうそれはなんかあんまり本当に言いたくもかゆくもない。
そうだよね。
なんかそう言っとくと、なんかある種間違わない、なんかそういうことも認めてます、自分みたいなことに使ってるって感じじゃん。
そうなのそうなの、もうねえって。
それはすごいそう思うよ。
そこを聞きたいわけじゃないみたいな。
部下に弱みを見せたほうがいいんですよねとか。
そうそうそうそう。
多分僕そういうことじゃないと思いますよみたいな。
ほんとほんと。
そういういやらしい系じゃないと思いますよみたいな。
えーみたいな。
よくありがりと言ってくれる。
いやーでもこのことがね、このことが、もうちょっとなんかわかっていたら戦争も起きなかったかもね、どうかね、あそこまではひどくならなかったかもね。
まあわかんないな。
わかんないね。
なんかそれは俺はまたちょっと別の感じはするけど、まあでも結構本人が逆に大変になっちゃうだろうからね、その自己像に近づけるためのことをやるからさ。
でもなんかほんとさ、別に政治に寄せたいわけじゃないんだけどさ、あの国会答弁みたいなものもさ、なんかもうちょっとこう相談し合えるような場所とかでさ、したらいいのにね。
あんなさ、間違ってますよ、間違ってません、間違ってるんじゃないですか、間違ってませんみたいな、なんかそこにあんなに時間をかけて、どうするのだろうか、日本は。
まあでも世界中そうなんじゃない?
いやそうなんだよ、だから世界はどうするのだろうかって、ほんとに。
僕らもあそこ入ってったらそうなるだろう。
そうなのよね、だからなんかそのパラダイムはいつか何百年後ここには違うパラダイムになってんのかね。
ならないんじゃない?
そうあってほしいな、ならないのか。
なんかだからそれをやっぱりそのパラダイムに、なんかそっちが間違ってると見るんじゃなくて。
あーそうかそうかそうか、また同じことやってるね、なるほどなるほど、オッケーオッケー。
そうだね、こう考える私も間違っているかもしれない。
そうだわ。
なんかそういうみんなで話し合って、お互いで建設的にっていう、なんか僕らが知ってるところじゃない意思決定の仕組みとか、そういうことがあるという、
そうだな。
っていうことは大事なんだろうなと思うかな。
やりながらもだからこうやってスポッとやっぱりなんかこう自分の、
ハマるんだよね、いっぱいハマる。
自分のやっぱりこうこれがいいんじゃないかと思う方にスッとスポッと行くね。
だし本当にそっからさっきのなんか三つのステップみたいなことはなんかやっぱりさ、
始まってっちゃうね。
彼らこういうこと知らないんだなとかっていうことは始まってっちゃうから。
うんうん、本当にそうだな。
ものすごい自分でもなんか気をつけた方がいいなっていう。
これは難しいよ。
難しい?
難しいよ。
っていうふうにやっぱ思ってるのがいいんじゃない。
そうか、じゃあとりあえず健全だね。
健全。
俺言ってるのは間違ってるかもしんねえなと思いながら。
そうだね。
はい。
あのこないだひとりがたりでカラスの話をしたじゃないですか。
うんうん。
でなんか僕カラスが結構なんかこう面白いなと思ってよく見てるんですけど、
目黒のね駅前に、のこんのすけ坂ってとこちょっと降りてったとこに、
あのドンキホーテがあるんですね。
そこであの表になんかこういっぱい安売りのチートスみたいなお菓子が。
スナックか。
スナックのお菓子があるんですけど、
カラスはそこに出てるチートスをすごく慣れた感じできて、
ひと袋取って信号機の上に行って、
袋が手で開けられないじゃないカラスは。
だからそこから店舗の壁側のほうにチートスをくわえたまま持ってって、
たぶんだから壁側にさ、
押しつけてるから、
カラスの万引き行動
そこでたぶんくちばしでガンガンやって、
開けて、
食べて、
っていういわゆるまんびきをするんですよ。
目撃したの?
目撃した。
目撃したの?
カラスまんびきしてる、あーと思って。
えー。
絶対慣れてる。
あー女子犯なんだ。
もう行って、まず信号の上に行って、
それから開けるために壁のほうに行って、やって、でくわえて飛んでくっていう。
うわー。
食べるのはまた別の場所なんだねきっとね。
なのかもしれない。
そうだね、穴開けるとこまでやって持ってくんだ。
うわ、すご。
すごいんだよ。
すごいね。
なんかね、カラスの教科書っていう本があって、めっちゃかわいいから読んだんだけど、
フライドポテトが大好物なんだって。
あー、ちょっとじゃあ似てるかもね。
そうなの、だからやっぱりなんかね、
ああいう油とか栄養価の高い、カロリーの高いものが大好物なんだって。
もう分かってんの?
分かってんの。
多分かなり慣れた感じだったと思う。
ちなみに、こないだそのお店を通ったら、
表に出してあるチートスとか、スナックをかごに入れてバーって置いてたやつがなくなってた。
気づいたんだね。
カラスの万引き対策に店を乗り出したぐらい、それぐらい持ってかれてるのかもしれない。
たくましいね。
カラス情報続編でした。
イベントのお知らせ
続編、第3編も楽しみにしています。
先週もご案内しましたが、来週の土曜日、5月17日の土曜日に、
ココミチ書店ヴィガレというところで一日店長をするので、
そのお知らせをもう一回させてください。
そのお知らせをもう一回させてください。
場所が飯田橋の東京日仏学院というところがありまして、
そこの中にパサージュリブゴーシュというお店が入っていて、
そこで一日店長を12時から午後5時までやってますので、ぜひ遊びに来てください。
この気持ちの良い季節にめちゃくちゃぴったりだと思うので。
場所もすごくいい場所だって言ってたから。
同じ敷地の中にカフェもあるので、パサージュとは関係のないカフェなんですけど、
そこでコーヒーも飲んだりもできるので、
ちょっとしたお散歩ですとか、ちょっとしたデートですとか、
そんな道にちょっと加えていただいて来ていただければなと思っております。
ぜひ関心のある方はお立ち寄りください。
お待ちしております。
概要欄にも貼っておいてください。
この番組ではリスナーの皆様からのお便りをお待ちしております。
番組への感想や私たちに聞いてみたいことなど、
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番組中にお便りが読まれた方は、はがきまたはステッカーをお送りします。
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ぜひよろしくお願いいたします。
今週も聞いていただいてありがとうございました。
また来週。バイバイ。
42:05

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