でね、この話をしてて、結構古いTEDのトークに、間違えるということっていう、間違えの本質みたいなのをスピーチしてる、そういうスピーチがあったわけ、TEDで。
で、なんかそれの冒頭で、まさに今みたいな質問をするわけ。あなたは間違ったときにどんな気持ちになりますか?みたいな。
で、そうすると恥ずかしいとか、なんかがっかりするとか、なんか焦るみたいな、そういうのが出てくるんだけど、それを聞いてそのスピーカーは、あ、それは質問を取り違えてますねっていうふうに。
だから、間違えをしたことに、気づいたときにどういう気持ちが起きますかっていう言い方をするわけ。その答えだっていうふうに言って。間違えだと気づいたら、あ、やばいとか、なんていうの、あ、がっかりするとか、恥ずかしいとか。
最初の問いは何だった?
間違えたときにどんな感情が起きますか?
今、私が答えたのは、間違えたと気づいたときにどう感じますか?で、最初の問いは、間違えたときにどんな気持ちになりますか?
だから、人は間違えたときは、別に何も思ってない。気づいてないから。
なるほどね。
だから、そのときは全く気づいてないから、すごい面白い比喩みたいなアナロジーがあるんだけどさ、アニメとかでさ、テッドのトークの中でもあるんだけど、バーって走っていってさ、アニメの主人公が走っていって、
気がついたら、崖の先まで行っちゃってて、
ピュンって落ちるみたいな。
空中でずっと走ってる。
で、要はその空中で走ってる状態なんだ。で、要は下に、あ、もう今、崖の先まで来ちゃって、下に何もないと思ったときに落ちるけど、ああいうアニメとかもさ、なんか要はその気づく前まではさ、ずっとその崖の上でなんか歩いてるみたいなさ、まあそういうちょっとアナロジーがあるじゃない。実際はすぐ落ちるんだけどさ。
なるほど。
要は間違いに気づいてないと別に何の感情も起きないっていうか、間違えていたとしてもね。
それはあれですか、私の結婚が間違っていたのにすごいお喜びしていて、後に離婚することになるとかそういうことですか。
え、どういうこと?
え、違う。
え、どういうことだ。ありがとう、すごい生々しいテーマを。
だからそのときに、あ、ちょっと話が違うのか。ちょっと今時間軸が伸ばしすぎたかしらね。何が正しいか何が間違ってるかわかんないみたいな、そういうことでもなくて。
さっきの例えば、僕がウェルカムのEを抜いてることは、俺は気づいてないから。もう初日から間違っているけど、3日目の終わり際に言われて、え、みたいな。
え、そのとき恥ずかしいの?
まあ、そんな大したあれじゃないけど、でもさ、気づいてなければさ。
気づいてなければ、確かにね。
間違ったという認識もないわけ。
なるほど。
でも、たぶんそういうことが結構いっぱいあるんじゃないかっていう、このスピーチでは言っていて。
なるほどね。深いなこれ。
でも、すごい面白くてね。
じゃあ、間違いに気づいたときに、例えばウェルカムのEが抜けてるとかはさ、そんなに大したことじゃないからさ、ちょっとしたことだからさ、笑いで済まされるかもしれないけど、
多くの人は、そうしたときに、じゃあ恥ずかしいって感情にすぐなるかっていうと、意外とそうでもないんだって。
あー、なんとなくわかるな。
じゃあ何か。
自分は間違ってないっていう。
そうそう。そっちの方に行くんだって。
行くんだよね。これが恐ろしいんだよね。
そう。なんかそれはすごい、どっかのお医者さんの話も確かあったと思うんだけど、
患者さんが入院して、全身マッスル受けて足の手術をしたんだって。
それで起きて、全身マッスルから起きて、なんか足を見たら、なんか自分が手術すると思ってたんだけど、逆の方に、逆の足に包帯を巻かれていたんだ。
へー、怖っ。
それで、そのことを、これは逆じゃないのかっていうふうに、お医者さんに、結構有所正しい病院なんだけど、
でもそのお医者さんそれを聞いて、何にせよ僕がやった方は正しい方を手術したっていうふうに、なんか言い張ったみたいな。
へー。
もうすごい、なんかこうやって引いてみるとバカバカしいけどさ。
でももはやどっちが正しいかだんだんわかんなくなってくるよね。
でも、何にせよ僕がやった方が正しいっていうふうなやりとりがあったみたいな。
でもさっき慶子が言ってくれたようなさ、まさにもうそうなったら、いや自分がやったことは正しかったんだってことを、なんかそれをこうやっぱり証明する方に意識がいって。
絶対そうなるよね、なってるよね。
確かにね、病院はね、ごめんなさい間違えちゃったというわけには、その例はちょっと違うかもしれないけど、ちょっとしたこととかでは、そういうことが。
だから間違えて、あー恥ずかしいっていうふうに。
なったらまだ可愛いもんなんだよね。
恥ずかしいとか、あーごめんなさいとかにならない。
それはいい、むしろそれはいいわ。恥ずかしいぐらいでいいわ。
でもそれは、たぶん僕らが、なんかすごい間違えるっていうことについて、
まあ頭ではそういうことがあるとわかっていても、よくないっていうことを、すごく文化的にもいろいろすり込まれてるみたいな。
でもこの話を聞いて、すごい面白い、あー確かになー。
だから、なんか間違えないようにすること自体がもう間違いなのかもしれないみたいなさ。
ちなみに、他にも、なんかよくあるのがそれで、他にもあるわけ。空中走ってたっていう時に、なんか撮る態度みたいな。
で、なんか俺が覚えてるので面白かったのは、そうなった時に、例えば会議があったりするじゃない。
で、自分がいいアイデアを持ってて、これがもう絶対に、なんかこの何か、このアジェンダに対する解決策として正しいみたいなのを持ってたとするじゃない。
で、なんか例えばそれを言って、みんながこう、あんま納得しないってなった時に、なんかこう、人間の撮る態度とか。
身に染みます。
俺自分でね、例えば英語を学んでるときに、僕すごいそういうことを自分で感じるっていうか、なんか自信がないみたいに言われて、なんかそういうことじゃないんだけど、でもやっぱりさ、そんな慣れてないから、自分の言ってることがちゃんと合ってるのかとか、結構自分の言ってることはなんか間違ってる可能性もあるよなって、
なんか思いながら喋るのね。
で、なんかそのあんまり自信ない態度とかっていうのはさ、またちょっと違う意味合いを持っちゃうけど、でもなんかそういうふうに自分の言ってることは決して正しくないだろうなと思いながら喋ってるのって、なんか普通に仕事とかしてるとさ、意外と減ってきちゃったりさ、自分のなんか、
もっと知ってる世界だから余計そうなるんだよね。
だからなんかそういうときとかって、ある種寛容にもなるだろうし、なんか謙虚にも多分なってる可能性があると思うのね。
英語のときが。
とか、自分が喋ってることがさ、ちゃんと正しく言えてるかどうか。
そうだね。
分かってないからさ、でもそういうことは結構なんか普段とか、なんか大事なんだろうなと思いながら。
なんかそれを聞くとあれだね、なんかこうありたいなーって今なんか出てきたのはさ、なんか自分も自分でこれが大事だと思って喋ってますとか、
なんかそこは自分はそう思ってますけど、違うことを言われたときに、なんかこれは自分は全てが見えてるわけじゃないなっていう、
なんかその気持ちを持ちながらその一部分を私はでも喋ってますっていう、そこは堂々としてられたらいいなーみたいな、
ふうになんか今思ったなー。
そうね。
なんか私の場合は、なんかそのガーってなっちゃうときにこうふっと自分を引き戻してくれるのは、
なんか、なんで私このことにそんなに一生懸命になってんのかなって。
あー。
ちょっと我に返るっていうか、なんかこう何かプロジェクトを進めてますとかって、
あーじゃあこれがいいと思うとか、なんでわかってもらえないのかなーみたいな話になったときとかに、
なんかふってなんか、あれなんかでもそんな、なんか別にこのプロジェクトがそこまでなんか、なんで私こんなにここにそんなに力入れて握りしめてんのかなみたいな、
いう感じで。
そういうのってさ、自分で気づけるの?
なんか自分の中に苛立ちがあるときに、なんか、やっぱなんで苛立つのかなみたいなふうにこう思ったりするじゃん。
うん。あ、っていうことに自分で気づいて。
そうだね、苛立つからね。
自分で。
自分で。
ほうほうほう。
自分で苛立って、思うようにいかないって苛立って、頭に力が入ってきて、あーってなんかいい感じじゃないな、いい感じじゃないな、うーんってなって、
ふっと、あ、そもそもなんで私こんなにこれにこだわってんのかなみたいな。
その自分の言ったアイディアとか。
そうそう。
そういうことに対してね。
そうそうそうそう。
あーなるほどね。
それが自分でできるのはでも結構すごいことだね。
ここでの、このポッドキャストでのトレーニングにより私もだいぶ人間が成長してきた。
どういうこと?
いえ、なんでもありません。
あ、ここでもそういうことが。
なんでもありません。
そうそう、なんかすごい、だからこれの話を聞いて、これすごい面白いなと思って、あー自分にもめちゃめちゃ怒るなと思うし、
なんかこの間違ってるっていう言い方が、俺はすごくいいなと思ってんのね。
人それぞれ違うみたいじゃなくて。
あーなるほど、自分が。
そう、あえて、なんか人それぞれ違うだとさ、なんか結局自分は正しいみたいなことにもさ。
それで言うと、なんか私もう一個思うのがね、その失敗はさ、やっぱり失敗を認めるっていうのは私結構大事だと思うんだよね。
まあそうだよね。
なんかみんな頑張ったからみんな良かったねっていうのももちろんいいんだけどさ、もちろんそれもそうなんだけど。
で、なんかみんな違ってみんないいし。
分かる分かる。
けど、いや、でもこのことに関して、誰かの基準っていうよりも、なんかこう自分が目指してたものに対して、自分が目指してたものに対して、私はこれ失敗したんだなっていうことをはっきり認めない限り、なんか次がない感じがするわけ。
結構でもいろんな人と話してて、なんか本当に失敗を認めないんだなっていう、なんか変な人って意味じゃなくて本当に普通の人たちでね。
分かる分かる。
で、すごく反省もしてらっしゃるんだけど、じゃあここの部分についてなんか失敗したってことなんですよね、みたいな話をすると。
いや、別にこれはあの時はこうだったからでとか、あれはああいう状況だったからでとか、こういう人たちだったからでみたいな、なんかいろいろ出てくるわけ。
失敗をしたっていうことを、なんかあ、認めたくないのかもしれないなーって思って。
分かる。
なんかそこにはこう何が操作せんのかなっていうのと、それの危険性みたいな、なんか両方感じるんだよね。
なんか隠れ正しくいたい、なんか戦略みたいな感じかもしれない。
そうそう。
いや俺は正しかったんだとは言わないけど。
言わない、うん。
っていう、だからなんかこの間違え、間違えました、間違いでしたっていう、なんか言い方をするのがいいのっていうのはなんかそういう感じなんだよね。
そうだよね。
もう失敗したってことなんですよ。
なんかそういうことを、なんか明確にするっていうか。
いやもちろんその時はそう、ベスト尽くしたとかってもちろんあるんだけど、別に手抜いてたわけじゃないのかもしれないけど。
でもやっぱり左側を手術したのはさ、右足を手術した。
左足を手術したことはさ、その時間はすごい一生懸命やってたんだろうけど、まあ間違い。
そうだよねー。
まあちょっとこれは大げさな例だけどさ。
でもさ、昔ドイツに住んでた時にさ、そのごめんなさいっていうのをさ、エンチューリングって言うんだけど、それを安易に言うなっていうふうに言われたことはあって。
やっぱりでもそういうことなんだよな。
で、その失礼っていうのはパードンでいいんだよね。だからちょっとぶつかってパードンっていう感じだったら、それは失礼でいいんだけど、なんかこうエンチューリングって言った瞬間に、自分に非があることを認めた感じになるから。
まあ例えば車の事故とかでさ、それを言っちゃったらさ、本当に自分が善か悪にしちゃうかもしれないじゃんみたいな。
じゃああなたが賠償を、賠償あなたが100で、みたいになる。
まあちょっと今もそうなのかわかんないけど、なんか私が親捨てに聞いたのかな、忘れたけど、なんかそういう考え方があるっていうのとかって一つの現れだよなーって思ったりしてさ。
なんかでも、まあだからそういうのがあるからさ、多分言わない方がいいってさ、なるなと思うんだけど、
俺あの、なんかこう自分で仕事してて、いやなんか仕事でやっぱりこう失敗したりとか、
なんていうの、まあ明らかに独立してからもね、途中でこの仕事がプロジェクトとして半年ぐらいでやってたんだけど、終わっちゃったやつとかもあるわけ。
でなんかそういう時に、やっぱりちゃんと、なんていうの、まあもちろん相手もあることなんだよ。
まあそうだろうね。
何なんだろうね、その自分が自分の失敗を認めようとしない。何を心配してるのかな。
まあでも、それをやっぱり不利益だと思ってるんだろうね。
自分がダメな人間だみたいなことが決定付けられるみたいなそういうこと?
まあ実際そういう評価をさ、受けたりもさ、するとかさ、実際間違ったって言ったら多額の何か賠償払わなきゃいけないみたいなさ。
まあそういうことばっかじゃないけど、やっぱ間違いを認めるっていうことは、自分をものすごい不利な場所に置くみたいな、やっぱりあれはなんか擦り込まれてるんじゃない?
まあ実際にね不利になるからね。
じゃあやっぱり不利益をこむりたくないってことなのか。
どうだろうな。でもなんか一つはあると思う。不利益をこむりたくないっていうか、なんか自分自身が、やっぱりこう、なんか自信をどんどんなくすっていうかさ。
そうそうだからなんかさ、自信をなくす。なんか自己像がさ、なんか失敗を認めることによってさ、なんかそこで一回自己像が壊れんのかなと思って。
それが怖いのかなって思って。なんかできる自分とかさ。
だから間違わない自分が要は自己像になってるってことでしょ?
そうそうそうそう。でそれが自分が自分で失敗を認めちゃったら、間違えない自分っていう自己像が自分の中で崩壊するじゃん。
だから多分間違えない自己像が間違いなんだろうね。
いやそうそう、そうなんだけど。
いやいや、ていうことにさ、そこを基準に置いたらさ、勝ち目がないじゃん。
ないんだけど、でもなんかそこで認められないのは、そうまだなってないからじゃないの?みんな、私たちも。
まあそうだよね。だって自己像がそうなんだもんね。
そうなんだよね。
頭ではさ、人は間違うとかさ。
そう、だって失敗した方がいい、人生は失敗の連続だとか言ってみんな言うじゃん。
本当、嫌ね、そう嫌ね。本当嫌。
でさ、そこで語られる失敗もさ、実はさ、可能な範囲の失敗なんだよね、なんていうか。
言いたくもかゆくもない話でしょ。
そうそう、なんか美男、武勇伝になる失敗なんだよね。なんか本当の失敗って多分そこじゃないんだよね。
まああんまり本当に言いたくない。
そうそうそうそう。
だって俺自分のやっぱり仕事のさ、その失敗でさ、本当に打ち切りになっちゃってさ、辞めたやつとか、やっぱそれをすごいなんか言いたいとはあんま思わない。
思わないもんね。
なんかやっぱりちょっと恥ずかしいとも思うし、せっかくね、そういうふうになんかいい形でスタートしたりとかさ、紹介してくれた人がいたとかっていうのもあるからさ、
まあそんなになんか年中、でもなんかそういうほら、あるじゃん。そういうことをさ、なんかどんどん話すみたいのはさ、もうそれはなんかあんまり本当に言いたくもかゆくもない。
そうだよね。
なんかそう言っとくと、なんかある種間違わない、なんかそういうことも認めてます、自分みたいなことに使ってるって感じじゃん。
そうなのそうなの、もうねえって。
それはすごいそう思うよ。
そこを聞きたいわけじゃないみたいな。
部下に弱みを見せたほうがいいんですよねとか。
そうそうそうそう。
多分僕そういうことじゃないと思いますよみたいな。
ほんとほんと。
そういういやらしい系じゃないと思いますよみたいな。
えーみたいな。
よくありがりと言ってくれる。
いやーでもこのことがね、このことが、もうちょっとなんかわかっていたら戦争も起きなかったかもね、どうかね、あそこまではひどくならなかったかもね。
まあわかんないな。
わかんないね。
なんかそれは俺はまたちょっと別の感じはするけど、まあでも結構本人が逆に大変になっちゃうだろうからね、その自己像に近づけるためのことをやるからさ。
でもなんかほんとさ、別に政治に寄せたいわけじゃないんだけどさ、あの国会答弁みたいなものもさ、なんかもうちょっとこう相談し合えるような場所とかでさ、したらいいのにね。
あんなさ、間違ってますよ、間違ってません、間違ってるんじゃないですか、間違ってませんみたいな、なんかそこにあんなに時間をかけて、どうするのだろうか、日本は。
まあでも世界中そうなんじゃない?
いやそうなんだよ、だから世界はどうするのだろうかって、ほんとに。
僕らもあそこ入ってったらそうなるだろう。
そうなのよね、だからなんかそのパラダイムはいつか何百年後ここには違うパラダイムになってんのかね。
ならないんじゃない?
そうあってほしいな、ならないのか。
なんかだからそれをやっぱりそのパラダイムに、なんかそっちが間違ってると見るんじゃなくて。
あーそうかそうかそうか、また同じことやってるね、なるほどなるほど、オッケーオッケー。
そうだね、こう考える私も間違っているかもしれない。
そうだわ。
なんかそういうみんなで話し合って、お互いで建設的にっていう、なんか僕らが知ってるところじゃない意思決定の仕組みとか、そういうことがあるという、
そうだな。
っていうことは大事なんだろうなと思うかな。
やりながらもだからこうやってスポッとやっぱりなんかこう自分の、
ハマるんだよね、いっぱいハマる。
自分のやっぱりこうこれがいいんじゃないかと思う方にスッとスポッと行くね。
だし本当にそっからさっきのなんか三つのステップみたいなことはなんかやっぱりさ、
始まってっちゃうね。
彼らこういうこと知らないんだなとかっていうことは始まってっちゃうから。
うんうん、本当にそうだな。
ものすごい自分でもなんか気をつけた方がいいなっていう。
これは難しいよ。
難しい?
難しいよ。
っていうふうにやっぱ思ってるのがいいんじゃない。
そうか、じゃあとりあえず健全だね。
健全。
俺言ってるのは間違ってるかもしんねえなと思いながら。
そうだね。
はい。
あのこないだひとりがたりでカラスの話をしたじゃないですか。
うんうん。
でなんか僕カラスが結構なんかこう面白いなと思ってよく見てるんですけど、
目黒のね駅前に、のこんのすけ坂ってとこちょっと降りてったとこに、
あのドンキホーテがあるんですね。
そこであの表になんかこういっぱい安売りのチートスみたいなお菓子が。
スナックか。
スナックのお菓子があるんですけど、
カラスはそこに出てるチートスをすごく慣れた感じできて、
ひと袋取って信号機の上に行って、
袋が手で開けられないじゃないカラスは。
だからそこから店舗の壁側のほうにチートスをくわえたまま持ってって、
たぶんだから壁側にさ、
押しつけてるから、