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2025-08-26 05:32

他人ががんばることに冷や水を浴びせてくる人

人が何かすごく手間をかけて達成した趣味の話を聞くと
「暇だなぁ」ってコメントする人がいるが、
手間をかけた本人は夢中になってやった行為なのに
「暇だからやった」ようなコメントをされると
言った側には想像できないほど残念な気持ちになる。

https://mclover.hateblo.jp/entry/909/

サマリー

このエピソードでは、「暇だなぁ」という言葉が他人の努力に与える影響について考察しています。時間の使い方や価値観のギャップが、他者の情熱や成果への理解を妨げることが示されています。

他人の努力に対する違和感
ようこそ。今回はですね、えっと、あなたが共有してくれたブログ記事、「プチメタ3.0」からですね、「人の頑張りに暇だなぁ。」とコメントする人、というこれ、2011年のエントリーなんですけど、これをちょっと一緒に見ていきたいなと。
はい。けっこう今でも通じるテーマですよね、これ。
そうなんですよ。誰かが何かを、まあ、趣味でも何でも、情熱を注いで成し遂げた時に、つい、「暇だなぁ。」って言っちゃう。あれば言われちゃう。
あー、ありますね。
この一言がなんかこう、妙に引っかかるのはなぜなのか。で、その裏にあるかもしれない、まあ、時間とか価値観に対する考え方。
うんうん。
その辺の違いについて、ちょっと掘り下げてみたいなと。
なるほど。
あなた自身の経験なんかも、こう、思い浮かべながら聞いてもらえると嬉しいです。
ええ。
で、まず、記事の筆者なんですけど、やっぱり趣味とか、何かこう、作り上げた話をした時に、「暇だなぁ。」って言われるのが、すごく嫌だと。
うんうん。
書いてますよね。なんか単に失礼っていうだけじゃなくて、もっとこう、深いところで何かを損なわれたような感じがするって。
ええ、そうですね。ここには、あの、言葉を発する側と、まあ、受け取る側で、根本的な認識のズレみたいなものがあるように思いますね。
認識のズレですか?
はい。言った方が多分、そんなに深い意味はなくて、「ああ、それだけ時間をかけられるって余裕があるんだな。」くらいの、まあ、軽い気持ちかもしれない。
うーん、なるほど。
でも、言われた本人にしてみたら、その時間って決して暇な時間なんかじゃなくて、もう夢中になって打ち込んだ、すごくこう、濃密な時間だったりするわけですよね。
ああ、なるほど。その、かけた時間そのものっていうよりも、その時間の中にあった、なんていうか、熱量というか。
そうですそうです。情熱とか意味合いみたいなものが、暇っていうたった一言で、なんかこう、全部かき消されちゃうみたいな。
うーん。
そういう感覚なのかもしれないですね。筆者が言う、想像できないほど残念な気持ちっていうのは。
ああ、なるほど。努力とか達成感とか、費やしたエネルギーみたいなものが、こう、軽んじられたように感じちゃうと。
まさに。あるいは、全然理解されてないなっていう。
うーん。
で、さらに面白いのが、筆者がそこからもう一歩進んでるんですよね。
時間の価値と個人の想像力
と、言いますと?
あの、第二に、絶対にやらないといけないこと以外に、どれだけ夢中になれるかが、その人の生活の、まあ、充実度に関わってるんじゃないかって考察してる点なんです。
へー、それは面白い視点ですね。いわゆる義務、まあ、仕事とか家事とか、そういうのじゃなくて。
そうそう。それ以外の部分で、いかに時間と情熱を注ぎ込めるか。
それがなんか、人生の豊かさのバロメーターになるかもしれないみたいな。
そういうことですね。これは単にどうやって時間を使うっていう話じゃなくて、もっとこう、何に価値を見出すかっていう、個人の価値観の問題に繋がってくるのかなと。
あー、価値観。
えー、「暇でやることがない瞬間がないほど、何かにハマってる人の方が素敵だ。」っていう、この筆者の考え方、これはなんかこう、受動的にただ時間を過ごすんじゃなくて、
うん。
能動的に関わったり、没頭すること自体に、すごく価値多く生き方を示唆してるように思いますね。
なるほどなー。ただ、一方でなんていうか、まあ、現実に時間に追われてる人も多いじゃないですか。
えー、もちろんです。
そういう人が、他人の没頭ぶりを見ると、つい、「あ、自分にはできない時間の使い方だなー。暇なんだなー。」ってこう、口にしちゃう。そういう人にもなんか、ちょっとわかる気もするんですけど、どうでしょう?
あー、その視点も、まあ、確かにありますよね。
すごく忙しい毎日を送っていると、他の人の時間のかけ方が自分とは全く異質に見えちゃって、
うんうん。
つい、そういう、なんていうか、単純化された言葉で表現しちゃうっていうことは、まあ、起こり得るでしょうね。
へー。
でも、やっぱり重要なのは、たとえ無意識だったとしても、その、「暇だなー。」っていう言葉が、相手の価値観とか、それまでの努力とかを否定的に響かせてしまう可能性が、やっぱりあるっていう点だと思うんです。
うん。
結局は、時間を、なんていうか、消費するものって捉えるか、それとも、何かこう、想像とか、充実のために使うものって捉えるか、そこの違いがすれ違いを生む原因なのかもしれないですね。
あー、なるほど。つまり、「暇だなー。」っていう一言は、単なる感想に聞こえるかもしれないけど、実は時間に対する価値観とか、
ええ。
あるいは、相手の情熱に対する、まあ、想像力の生むみたいなものを、なんか、露呈しちゃう可能性があるってことですね。
そういうことだと思います。だからこそ、この短い言葉が時に深く刺さるんでしょうね。
いやー、考えさせられますね。
ええ。そこでですね、最後に、あなたにもちょっと考えてみてほしい問いがあるんです。
はい。
私たちが誰かの頑張りとか、何か成し遂げた成果を見た時にですね、そこに費やされた時間、その量だけじゃなくて、
うん。
その時間の中に込められていたであろう、その人の熱意とか、夢中になった体験そのものを、どれだけこう、想像力を働かせて捉えようとしているかなと。
あー。
時間の使い方に対する、自分自身のもしかしたら無意識の前提みたいなものについて、少し立ち止まって考えてみるのも面白いかもしれないですね。
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