運営型ゲームの限界
今回のテーマは、ゲームの未来とでも言いましょうか。
特にそのビジネスモデルについて、深く見ていきたいと思います。
私たちが毎日、当たり前のようにログインしている運営型ゲーム。
終わりがないモデルが、実はもう限界に来ているんじゃないかと。
そんな指摘をしているブログ記事がありまして、これを元に掘り下げていきます。
いやー、面白いテーマですね。
ファミコンが出てからもう40年以上ですか?
特にスモホの普及で、ゲームの在り方は本当に劇的に変わりましたからね。
終わらないのが当たり前になった今だからこそ、その先を考えるっていうのは、非常に興味深いです。
ですよね。これ、スモホでゲームをされるあなたなら、きっとああって思う話だと思うんですよ。
まず、基本プレイは無料。いわゆるフリートゥープレイですね。
これ一見すると、私たちプレイヤーにとっては、合わないゲームにお金を払うリスクがなくて、すごく良いシステムに見えます。
その手軽さが市場を大きく広げたのは間違いないです。
ただ、その裏でですね、開発側は常に厳しい現実に直面しているわけです。
平均課金額にプレイヤー数をかけたものが開発費と、あとは運営費ですね、サーバー代とか。
これを上回らないとビジネスとして続かない。
うーん、シビアな世界ですね。
そうなんです。だからプレイヤーが減ったり、課金が思うように伸びなかったりすると、たとえ熱心に遊んでいる人がいても、サービス終了という冷徹な判断がすだされてしまうんです。
開発側の事情はよくわかります。でも、この記事が面白かったのは、それだけじゃないと、私たちプレイヤー側も知らないうちに限界に達しているんじゃないかっていう視点です。
ああ、そこですよね。
同時に遊べるゲームの数にはかじりがあると。
その通りです。記事によると、せいぜい5本程度だと。つまり、新しいゲームを始めるには、今やっている何かを一つ手放さないといけない。
なるほど。
でも、時間とかお金を注ぎ込んだゲームほど、やめるのが惜しくなる。これが、いわゆるサンクコスト効果ですね。
ああ、もったいないってやつですね。よくわかります。
で、これが単なるもったいないっていう気持ちだけじゃないと、運営側もこの真理を巧みに利用して、プレイヤーをゲームに縛り付けるようなイベントとか報酬を設計している側面があるんです。
なるほど。
つまり、プレイヤーの純粋な楽しさというよりは、やめられないっていう真理に依存したビジネスモデルが生まれやすいわけです。
ああ、だから、新しい挑戦的なゲームが出にくい土壌になっていると、プレイヤーとしても本当は新しい体験をしたいのに、
でも、今までの投資がもったいない。
そうなんです。結局同じゲームを続けてしまう。なんだかジレンマですね。
まさに。その行き詰まった感じが、記事の言うそしゃげ疲れの正体でしょうね。
クリア型ゲームの再評価
毎日ログインしなきゃとか、イベントをこなさないととか、ちょっと義務感に駆られちゃってる状態。
だからこそ、この市場の閉塞感を打ち破るために、記事は原点回帰を提案しているわけですね。
昔永田のクリアしたら終わりっていうスタイルに。
そうなんです。ここで興味深いのが、このクリア型が今の時代の開発側とプレイヤー双方にとって、実は優しいモデルかもしれないという点です。
優しいモデルですか?
開発側は買い切り型なので、運営コストをずっと心配する必要がない。初期の売上である程度再産が低産できます。
そしてプレイヤー側は、明確な終わりがあるからスッキリとやめられる。そしてまた次の新しいゲームに気持ちよく移れるわけです。
それすごくわかります。永遠と続く海外ドラマを見る体力はないけど、2時間でスッキリ終わる映画が見たいみたいな感覚でしょうか。
まさにその通りです。ゲームにも読み切りの良さが見直されている。
なるほど。
毎回超大作である必要はないんです。そこそこのクオリティとボリュームでしっかり完結する体験。
そうしたゲームが巨大な運営型ゲームのいわば隙間で、再びプレイヤーの心を掴むんじゃないかと記事は奏し指しています。
ではこれが私たちにとって何を意味するのか。つまりゲーム市場が再び多様性を取り戻す可能性を指摘しているということですね。
そうですね。そしてこれはあなたにとっても一つ重要な問いを投げかけていると思うんです。もし今毎日どこか義務館でログインしているゲームがあるなら、一度立ち止まってみてはどうでしょう。
と言いますと?
そのゲームに咲いている時間であなたは本当に楽しさを得ているのか。それともただやめられないだけなのか。ゲームに何を求めるのかを見つめ直す良い機会かもしれないですね。