平成世代の中心層の変化
さて、えーっと、今回はですね、2008年に書かれた、ある個人のブログ記事、これをちょっと深く見ていきたいなと。
おーはいはい、ありましたね。そういうタイトルの記事。
えー、まあ仕事柄毎年こう、新しい世代と接する中で、筆者が当時の、特にその平成生まれの若者たちに感じた、なんていうか、変化みたいなものを綴ったものですね。
ふんふん。
あなたにとって、まあ世代間の違いとか、あるいは若者の成長を考える上で、一つの視点にでもなればなぁと。
そうですね、この記事、あのー、興味深いのは、単に最近の若者は、みたいな表面的な話じゃなくてですね、学力とはまた別の次元。
つまり、物事への熱意とか、努力の姿勢とか、そういう内面的な部分ですよね。そこに踏み込んでる点かなと。
えー。
あくまで2008年時点での、その一人の社会人の観察記録として、ちょっと見ていくのがいいかもしれませんね。
そうですね。で、まず筆者が指摘しているのが、いわゆる中心層のレベルが下がったんじゃないかっていう点なんです。
中心層ですか?
はい。あのー、すごくできる層とか、逆になかなかついていけない層がいるのは、まあいつの時代もそうだと。
でも、平成世代になって、そのボリュームゾーンであるはずの普通の学生たちの、特に成長に必要な熱意とか努力、これがなんか目に見えて弱くなったように感じると。
うーん。
テストの点自体は、まあ悪くない。むしろ高い子もいる。なのに、総合的な実力で見ると、なんか物足りないんだと。
なるほど。学力っていう、まあスペック自体は維持されてるかもしれないけど、それを動かすための、なんていうか、OSというか。
あー、OSね。
物事に取り組む基本的な姿勢とか意欲の部分に変化を感じ取ったということなんですかね。
まさに。
単なるスキルの解決じゃなくて、もっと根本的な部分への言及と。
そういうことだと思います。じゃあ、なんでそうなったのかって話ですけど、筆者が挙げる原因のまず一つ目が、叱られる経験の不足。
叱られない。
特に、そのしつけとしての出席が足りないと。社会のルールとか善悪の判断基準みたいなものが、まあ曖昧になって。
結果として、大人になってから常識的な振る舞いができなくなるんじゃないかと。
かわいそうだからって叱らない優しさが、まあ逆説的ですけど、将来社会に出た時に本人が困る状況を生む残酷な行為になりかねないと。
かなり強い言葉で指摘してるんですね。
なるほど。その裏返しとして、今度は安易な褒め方の問題も挙げてますよね。
ええ、そうなんです。
褒めて伸ばすっていう考え方自体はいいんでしょうけど、それがなんかどんな些細なことでも褒めちぎるみたいな方向にちょっと誤解されてるんじゃないかと。
はいはいはい。
低いレベルの達成で満足させちゃうと、それ以上の努力を促すきっかけを失ってしまうと。
褒めるべきはその成果そのものだけじゃなくて、そこに至る努力の方だって。常に新しい挑戦を促すような関わり方が大事なんだって説いてますね。
うんうん。
簡単に手に入る賞賛っていうのは、自己評価を歪めて成長意欲を削いでしまう危険があるんじゃないかと。
この意欲の無さを筆者はRPGのMP、マジックポイントに例えてるのがまた面白いんですけど。
ああ、MPですか。
はい。能力とか知識、つまり魔法は覚えてるんだけど、それを使うためのMP、すなわちやる気とか熱意がなんか枯渇してる状態じゃないかと。
なるほどね。
十分休んでてHPは満タンなはずなのに、目標への意欲とか好奇心とか、あるいは責任感みたいなそのMPの源が乏しくて、ちょっとした壁の前で動けなくなっちゃう学生がいるっていう見立てなんですね。
能力を発揮するための燃料が足りないみたいな感じですかね。
そうそう、そんな感じです。
その燃料となるのが目標への意欲、好奇心、義務感とか、そういうものが以前の世代に比べて希薄になってるんじゃないかというのが筆者の分析なわけですね。
スキルはあっても、それを社会で生かすためのエンジンがかからないみたいな、そういうイメージかな。
この状態が続くと、目の前にある中くらいの壁すら越えられなくて、いずれ直面するであろう社会っていう大きな壁にはもう到底立ち向かえないんじゃないかと、そういう懸念を示してるんです。
フリーターとかが増えるのも、もしかしたらそういう壁を乗り越える力が低下してることと無関係じゃないかもしれないなんてことも。
さらには、もう平成世代は意欲がないみたいなレッテルが貼られてしまって、企業が採用を手ごくえるみたいな、そんな噂まであったことにも触れてますね。
同世代の中での比較しかしてないと、学生本人とか、あるいは保護者にはこういう変化って見えにくいんじゃないかという指摘も重要ですよね。
確かに。
複数の世代を継続的に見てる学校の先生とか、企業の採用担当者だからこそ、その相対的な変化に気づきやすいのかもしれない。
なるほどね。
ただ、筆者自身もこの見立てが単なる器用であってほしいという、そういう願いを込めて結んではいますけどね。
育成の影響と将来への懸念
今回は2008年のブログ記事を通して、筆者が感じた平成世代の中心層の変化、特にその意欲とか熱意の問題ですね。
そして、その背景として考えられる叱られなさとか安易な称賛、そういう育てられかかについての考察をちょっと掘り下げてみました。
あの、かわいそうだからっていう配慮がめぐりめぐって、その本人の将来的な困難につながるかもしれないっていう指摘はなかなか重いですよね。
そうですね。能力はあってもMP不足で動けないっていうRPGの比喩も印象的でしたね。
もちろんこれはあくまで当時の一個人の見解であって、すべての平成世代に当てはまるってわけでは当然ないんですけど、
ただ、時代が変わっても、なんていうか、人の意欲をどう引き出して成長をどうサポートしていくかっていう教育とか人材育成における普遍的な問いをこの記事は投げかけているようには思いますね。
そうですね。さて、あなたはこの記事を読んで、どうでしょう。今の若い世代とか、あるいはご自身の経験なんかを振り返ってみて、どんなことを感じましたかね。
世代による違いって本当にあるのか。あるとしたらその要因って何なのか。この記事をきっかけにちょっと立ち止まって考えてみるのも面白いかもしれませんね。