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2025-07-04 06:28

優しい先生が良い先生とは限らない

評価や指導が厳しい先生は
学生(生徒)から敬遠されることが多いが、
いざ先生という立場になってみると、
実は嫌われないように振る舞う方が遥かに楽だ。

https://mclover.hateblo.jp/entry/20200905/1599313708

サマリー

今回のエピソードでは、D.IKUSHIMA氏の記事を元に、嫌われない先生が必ずしも良い先生とは限らないことを探求しています。また、良い先生の条件として、評価の正直さ、学生から嫌われることを恐れない姿勢、そして学生に変化を与えることが重要であると述べています。

良い先生とは
さて今回は、D.IKUSHIMA氏のブログ、「プチメタ3.0」で見つけた、「嫌われない先生になるのは簡単だが、それでは良い先生になれない。」という記事。
これをちょっと深掘りしていきたいなと思います。
はい。これは教育に関わる人だけでなく、指導的な立場にいる多くの人にとって考えさせられるテーマですよね。
そうなんですよ。誰だってね、人から嫌われたいとは思わないじゃないですか。
それはまあ、自然な感情ですね。
でも、この記事が言っているのは、特に教育の場でね、嫌われないことを第一にしちゃうのは、実は先生自身が楽な道を選んでいるだけなんじゃないかと。
うーん、生徒のためというより、自分のためになってしまっているという指摘ですね。
ええ。これって、教える側と教わる側の関係、その本質を問うているような気がするんです。どうでしょう?
まさにその通りだと思います。
表面的な、なんていうか、耳障りのいい優しさと、相手の将来を本当に考えた時に必要な、時にはまあ、厳しいかもしれない関わり方、その間のジレンマですよね。
単に好かれること以上に、指導者として何をすべきか、その責任の本質に迫る、そういう内容ですね。
記事で言われている楽な道っていうのは、具体的に言うと、例えば、生徒の問題行動を見てみぬふりするとか。
ああ、ありますね。
ね、あとは、提出された作品なんかにはっきりダメ出ししないで、とにかくいいねって褒めておくとか。
うーん。
嫌われないように振る舞う方がはるかに楽だってはっきり書かれてます。確かに稼働を勝てない方がエネルギーは使わないですよね。
ええ、それはその通りでしょうね。しかし、その楽さにはやはり代償が伴うわけです。
代償ですか?
はい。つまり、生徒が成長する機会を奪ってしまう、という見過ごせないコストですね。
ああ、なるほど。
問題点を指摘されなければ、自分では気づけないことってやっぱり多いですから。
確かに。
記事の中にもありましたけど、どう作っても褒められるばかりだと、本当に評価される価値があるのかが正しく判断できなくなってしまうと。
うーん。それは自己評価が歪んでしまう可能性も。
そうなんです。そうなると、結局その場はまあなんとなく心地よくても、長期的に見ると成長のチャンスを失ってしまう、そういうことになりかねない。
一方でじゃあ、良い先生はどうするのかというと、一人一人の生徒とちゃんと向き合って、言うべきことはしっかり伝え続ける。
ええ。
これ相当な覚悟と、あとエネルギーが必要だって書かれてますね。
そうでしょうね。想像するだけでもこれは大変なことだと思います。
その大変さを乗り越えてでもそう行動する原動力、それは何なのか。
それを筆者は、学生を成長させようという責任感だけだ、と断言してるんですね。
責任感ですか。
ええ。これは非常に重要な視点だと思います。生徒さんたちは貴重な時間とお金を投資して学びに来ているわけですよね。
そうですよね。
その投資に対して、指導する側は変化を提供しなければいけない。
学生の成長とフィードバック
変化。
はい。単に知識を教えるだけじゃなくて、スキルだったり考え方、物事の見方だったり、そういう部分での具体的な成長です。
なるほど。
それを怠るっていうのは、ある意味では責任放棄だし、結局は自分の身を守ってるだけじゃないか、とかなり厳しい指摘ですけどね。
耳が痛い話でもありますね。では、この記事が最終的に定義している本当に良い先生の条件、これは何なんでしょうか。
3つ挙げられていましたね。
はい。
まず、嘘をつかずに評価する。それから、学生から嫌われることを恐れない。そして、学生に変化を与える。
この3つ、シンプルですけど、実践は難しそうですね。
そうですね。特に2つ目の、嫌われることを恐れないというのは、よっぽど強い信念がないとなかなかできないことかもしれません。
ですよね。
ただ、ここで大事なのは、それが単なる厳しさとか、教師の自己満足であっては、もちろんダメだということです。
あくまでも3つ目の、学生に変化を与える。つまり、成長させるという目的があってこその正直な評価であり、時には厳しいフィードバックなんです。
目的が大事だと。
そうです。そして、この記事の非常に興味深いというか、確信をついているなと思うのは、最後の部分。
最後ですか。
成長できた学生は、本当に良い先生が誰だったのかを見抜くものだという一文ですね。
ああ、なるほど。つまり、その時はちょっと反発を感じたり、厳しいなって思っても、時間が経って自分が変わった、成長したって実感できた時に、ああ、あの時の先生の言葉はこういう意味だったのかと踏み落ちる。
そういうことですね。もちろん伝え方とか、普段からの関係性の作り方とか、そういうこまれやかな配慮ももちろん大事ですけど。
ええ。
でも、根っこにある相手の成長に本気でコミットするという姿勢があるかどうか。それが長い目で見た時に、本当の信頼につながっていくんじゃないかと。
というわけで、今回は嫌われる先生vs良い先生という、まあ少し刺激的なテーマで、ディー・イクシマ氏の記事を読み解いてきました。
はい。
目先の人気とか、自分の落差に流されずに、相手の成長のためを思って、時には嫌われる覚悟も持って関わることの重要性。これ、教育現場だけじゃないですよね、きっと。
そうですね。いろいろな場面で指導したり、フィードバックしたりする時に応用できる考え方だと思います。
さて、これを聞いているあなたは、この考え方、どう受け止めましたか?
最後に、ちょっとだけご自身の経験を振り返ってみてほしいんです。
はい。
これまでの人生で、当時は、うわー厳しいなーとか、ちょっと苦手かもって感じていたけれど、今になって、あの人のおかげで、自分は変われたな、成長できたなーって思えるような、そういう指導者や先輩っていませんか?
ああ、いるかもしれませんね。
もしいるとしたら、その人のどんな姿勢や言葉が、あなたの変化のきっかけになったんでしょうか?
うーん。
この問いの答えって、もしかしたら、あなたがこれから誰かと関わっていく上で、何か大切なヒントをくれるかもしれません。
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