レストランの例え
こんにちは。今回は、あなたが共有してくれたブログ記事、「授業や学校行事をサボるのは明確な損失」、これを一緒に見ていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
プチトメタ3.0というブログの記事ですね。
ええ。自己成長に関するなかなか面白い考察です。
学校の授業とか、行事に参加しない、あるいは熱心じゃないっていう学生の状態を、あるユニークな例え話で論じてるんですよね。
そうですね。レストランの例え。
ですです。今回はこの例えを通して、学びへの関わり方とか、その価値についてちょっと深く考えてみたいなと。
はい。
さて、じゃあ早速この記事の核心部分ですよね。レストランの例え話、これをちょっと見ていきましょうか。
ええ。
なるほど。この対比が非常に興味深いですよね。
ええ。
ここで言うレストランが学校とか学びの場?
はい。
注文と支払いが時間とか学費っていういわば投資。
投資ですね。
で、その運ばれてくる料理っていうのがまさに知識とか経験そのものにあたる。
うんうん。
で、料理を食べないっていう行為が、授業に参加しないとか集中してないとか、あるいは欠席することの象徴になってるわけですね。
ああ、なるほど。つまりお金、まあ時間とか学費ですよね。これは払った。でもお腹は満たされない。
そういうことです。
投資したのにそのリターン、つまり学びとか経験が得られてない状態。
ええ。それを筆者は明確な損失だと指摘してるわけですね。
明確な損失ですか。
うーん。
ええ。それで記事では、じゃあなぜその客は食べないのかっていう問いもあって、味が合わないのか、店裏火を間違えたのか、そもそもお腹が空いてなかったのか。
確かに。理由はいろいろ考えられますよね。
そうなんです。ただ理由は不明確だとしつつも、そこからつなげて、客自身、つまり学生が何を食べたいか、何を学びたいかですよね。
はい。
それと、どの店を選ぶか、どの学校とか授業を選ぶかっていうのを、もっと事前にしっかり考えるべきじゃないかと。
ああ、なるほど。主体性とか目的意識の問題だと。
そういうことだと思います。学びに対して。
ちょっと待ってください。学校ってレストランと違って、必ずしも自分でメニューを自由に選べるわけじゃないじゃないですか。
ああ、それは確かに。
必修科目とかカリキュラムが決まってる場合も多いですし、その場合この例えってどこまでしっくりくるのかなと。
うーん。鋭いですね。それはこの例えの一つの限界点かもしれないですね。
はい。
完全に自由な選択が前提ではない状況は実際多いですから。
ですよね。
ただ、著者の意図を組むと、たとえメニューがある程度決まっていても、そのレストラン自体を選ぶ段階、つまりどの学校とかコースに進むかっていうその選択の時点。
ああ、入り口の選択。
ええ。それと、入学とか履修登録した後で提供されるものに、じゃあどう向き合うのかっていう、その姿勢が問われているんじゃないかなと。
なるほど。向き合い方ですか。
ええ。著者は、雨宿りするだけなら高いレストランに入る必要はないとも書いてますよね。
書いてましたね。
これは、もし目的意識が低い、あるいは学び以外の、たとえば友達関係とかそういうのが主なんだったら、それに見合った選択肢が他にあるはずだと。
ふむ。
高いお金を払う以上は、それ相応の、なんていうか、食べる意思、つまり学ぶ意欲を持つべきだという考え方を示唆してるんでしょうね。
なるほど。選択の自由度がたとえ低くても、その環境に身を置くと決めた以上は、最大限こう活用しようとする姿勢が大事だと。
ええ、そういうことだと思います。それともう一つ忘れられがちな視点として、レストラン側、つまり学校とか先生の立場ですね。
ああ、提供する側。
そうです。記事でも少し触れられてますけど、全勤制だから経営的な損失はないかもしれないけど、手間暇かけて準備した料理が残されるのは作り手としてはやっぱりつらいものがある。
うーん、確かに。教育者の立場からすると、せっかく準備したものを無視されるっていうのはちょっと虚しいかもしれないですね。
ええ、単なるサービス提供者と受益者っていうそういうドライな関係だけじゃないっていうニュアンスも少し含まれてるのかなと感じますね。
うーん、なるほど。ということはこの記事が一番言いたいことっていうのは、学びの場に参加するっていうのは単に時間とかお金を使うだけじゃなくて、明確な目的意識を持って積極的に関わることで初めて価値が生まれる、そういう投資行為なんだということでしょうかね。
学生側の姿勢
まさにそこが確信だと思います。
ご自身の学生時代とか振り返ってみて、この食べない客みたいな状況って何か心当たりあります?
まあ正直ありますよね、誰しも多少は。でもそれを自覚することが大事なのかもしれません。
そうですね。最後にですね、もう一歩踏み込んで考えてみたい問いがあるんですが。
はい、何でしょう。
この記事って主に提供された料理、つまり知識とか経験を食べない、享受しない学生側の選択とか姿勢に証券を当ててますよね。
ええ、そうですね。
じゃあ逆のケース。つまり学生はすごく意欲的で積極的に食べようと努力した。にも関わらずですよ。
はい。提供された料理そのものがどうしても口に合わないとか質が低いとか、あるいは期待と全然違ってたみたいな、そういう場合はどう考えればいいんでしょうか。
それは難しい問題ですね。
その時に生じた損失とか不幸の責任って果たして客とレストランのどっちにあるのか、あるいはどう分担されるべきだと考えますか。
これはその教育の質とかミスマッチの問題にもつながってくる、より複雑な問いかもしれませんね。
確かに。単純にどっちか一方の責任だとは言えない、なんか米深い問題がそこにはありそうですね。いやー考えさせられます。
今回の探究はここまでとしましょうか。お付き合いいただきありがとうございました。
ありがとうございました。