言葉の裏側を探る
さて今回はですね、あなたが共有してくれたブログ記事、えっと、「プチメタ3.0」からの一節なんですけど。
あー、はいはい。
やればできる子は褒め言葉ではないっていう、これなかなか考えさせられるタイトルで。
うーん、そうですね。
短い文章なんですけど、能力と行動について結構鋭い問いがあるなと。
ええ。
この言葉の裏側を探っていくのが今回のテーマですかね。
そうですね。あの、日常的によく聞く言葉ではありますからね。
ですよね。
その解釈を問い直すっていうのは、非常に興味深い試みだと思います。
うんうん。単なる励ましとか、慰めて受け取られがちですけど、筆者はもっと何か違う側面を見てるみたいですね。
厳しい側面みたいな。
ええ。この言葉がじゃあ本当に何を意味しているのか、そしてなぜそれが問題なのか、ちょっと見ていきましょうか。
はい、お願いします。
じゃあまず確信の部分から。記事だと、やればできる子って成果が出てない子への擁護に見えて、実はできるくせにやらない子って言ってるのと同じなんだと。
うーん、なるほど。
そういう指摘ですよね。潜在能力は認めるけど行動してないよねと。これ結構ストレートというか厳しいですよね。
そうですね。なかなか辛辣な見方ですよね。普通はもっとポジティブな感じで使いますからね。
ですよね。
でも筆者がここで光を当ててるのは、能力があるかないかじゃなくて、それを行動に移す意思、つまり動機づけの部分なんです。
動機づけですか。
ええ。やる気になれば結果を出せるっていうポテンシャル、それは多くの人が持ってると。
でもそもそもやる気になれないこと自体が、いや実はそれが大きな問題なんだと、かなりはっきり言ってますね。
なるほど。できるはずってことだけじゃダメで、なぜやらないのか、そのやる気の方に目を向けなきゃいけないってことですか。
行動の重要性
そういうことですね。
でも例えば晴れますつもりで、君はやればできるんだから頑張ってみたいな場面って結構あると思うんですけど。
それはありますね、確かに。
それもやっぱりちょっと問題があるという捉え方なんですかね。
筆者の論点からするとですね、たとえ善意からだとしても、結果的に行動を促せてないなら、やっぱりその問題の本質、つまり動機づけの欠如っていうところからは目を反らしてるんじゃないかと。
なるほどな。
そういうことになりそうです。能力があるのに動けない、そこが課題なんだ。ここですごくわかりやすいたとえが出てきますよね。
あー、車のたとえですね。どんな速い車でもアクセルを踏まなければただの置物だっていう。
そうそう、それです。
これはすごくイメージしやすいです。
どんなに高性能なエンジン、つまり才能とか能力があっても、運転手が進もうとしなければ、つまりやる気っていうアクセル、これを踏まないと車は全然動かない。
まさに宝の持ち腐れ。
その通りなんです。この視点っていうのは別に子供の話だけじゃなくて、私たち自身の目標達成とか自己実現とか、そういうことにも深く関わってくると思うんですよ。
確かに。
自分にはもっとできるはずだって思いながらも、何か行動に移せない。そういう経験あなたにもありませんか?
ありますね。めちゃくちゃあります。
ですよね。だから能力がないって嘆く前に、じゃあなんでそのアクセルを踏めないのか。あるいは踏むための燃料が足りないのか。
燃料ですか?
そっちのメカニズムを考える方が建設的なのかもしれないと。
確かに自分のこと考えても、やればできるのいいって酒の場しにしてることありますもんね。
ええ。
この言葉って相手を励ますつもりが、使い方によっては逆に行動できてない自分を突きつけられてるように感じちゃう人も、もしかしたらいるのかもしれないですね。
そうなんですよ。だから言葉って難しいですよね。
本当に。
だからこそこの短い記事が提起している問題って結構根が深いんです。能力があるのは素晴らしい。でもそれだけじゃ足りなくて、行動するための何かが必要だと。
はい。
最後にあなたに一つ問いを投げかけてみたいなと思うんですけど。
はい。
筆者が問題視しているこのやる気になれない状態。このやる気を単なる精神存じゃなくて、行動するための具体的なエネルギーとか燃料みたいなものだとちょっと考えてみたらどうでしょう?
エンジンを動かすための燃料ですね。なるほど。
そうです。その燃料って一体どこからくるんだろうとか、どうすれば補充できるんだろうとか。あるいは、もしかしたらその燃料を供給するパイプ自体がなんかどっかで詰まってるのかもしれない。
なるほど。
能力ってエンジンはあるんだけど、燃料が来なきゃ動けない。
あなた自身の経験の中でアクセルを踏めたときと踏めなかったとき、これをちょっと比べてみるとその燃料の正体について何かヒントが見つかるかもしれませんね。