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2025-08-30 06:23

コミュニケーションは能力ではなく意志である

話し下手な学生が「コミュニケーション能力が低いせいだ」と
自分にその才能がないような思い込みをするが、
できるかどうかではなく、やるかやらないかの違いだ。
家族と話せているなら友人とも話せるはずだし、
友人と話せるなら先生とも話せるだろう。

https://mclover.hateblo.jp/entry/20101017/1287273420

サマリー

このエピソードでは、コミュニケーション能力は天賦のものではなく、意志や経験に基づくものであるという観点から議論されています。鉄棒の逆上がりの例を通じて、習慣的な経験が次の挑戦に対する心理的ハードルを下げることが強調されています。

コミュニケーションの本質
こんにちは。今日の探究へようこそ。
よろしくお願いします。
今回はですね、コミュニケーションについてなんですけど、これって持って生まれた能力なんですかね?
それとも、やるかどうかの意志の問題みたいな。
深いテーマですね。よく議論になりますよね。
それ、ええ。で、参考にするのがブログプチメタ3.0のちょっと前なんですけど、2010年10月の記事。
コミュニケーションは能力ではなく意志である、っていうタイトルのものです。
はいはい、存じてます。
これをもとに、特にほら、就職活動とかでよく言われる、コミュ力。これの本質ってなんだろうって、あなたと一緒に考えていきたいなと思ってます。
いいですね。掘り下げていきましょう。
早速ですけど、この記事がまず言ってるのが、あの、就活の場面でコミュニケーション能力、もうすごいキーワードじゃないですか。
本当にそうですね。必須スキルみたいに扱われてる感じがします。
ですよね。で、そう言われると、なんかこう、あー自分にはそういう特別な才能ないかもって、ちょっと引いちゃう人多いと思うんですよ。
うーん、わかります。そこで諦めちゃうというか、苦手意識を持っちゃうというか。
そうなんです。
まさにその点に、この記事は、いや、ちょっと待ってと。そうじゃないんだよと言ってるわけですね。
と言いますと?
あのー、求められてるのって、別に特殊なすごい会話術とかじゃなくて、もっと基本のことだって言うんですね。
で、面白いのが、段階的に考えてるところ。
段階的ですか?
ええ。例えば、家族と普通に話せますよね。
まあ、はい。
じゃあ、友人とも話せるはず。で、友人となら、学校の先生とか、まあ少し目上の人とも話せる。
うんうん。
そうなると、先生と話せるなら、面接官とも話せるんじゃないかっていう、そういうステップで考えてるんです。
なるほど。段階を踏めば、そこまでいけるはずだと。
そういう理屈ですね。もちろん、相手が変わると緊張しますし、失敗したらどうしようって怖さも、それは当然あるんですけど。
ええ。
でも、それは当たり前だよって記事では言ってますね。
その段階と、練習が必要だっていうのを繋げるのが、鉄棒の逆上がりの例ですよね。
あー、出ましたね。逆上がり。
あのー、公演とかでやる逆上がり。最初、怖いですし、全然できないじゃないですか。
できます?私苦手でしたけど。
いや、私も。でも何度もやってると、なんかコツつかんで、あれ?できた?みたいになる。
うんうん。なりますね。自転車とかもそうですよね。
そうそう。それと同じで、コミュニケーションも、とにかく練習、つまりやってみることが大事で、続ければほとんどの人ができるようになるんだって。
なるほど。
途中でね、なんか気まずい思いしたり、ちょっと心が折れそうになったり、そういうこともあるかもしれないけど、もうやめたってなったら、確率はゼロだよ。
ゼロになると。
挑戦する価値
この逆上がりの例え、なんかすごくわかりやすいなと思って。
イメージしやすいですね。で、ここで興味深いのが、確信の部分ですよね。能力じゃなくて意思なんだっていうその切り口。
はい。
記事の分析だと、例えば高校時代とかバイトとかで、知らない人とか目上の人と話すみたいな、ちょっとしたハードルを超える経験、これを無意識にですけど積んできた人っているじゃないですか。
いますね。接客バイトとか。
そうそう。そういう人は、就活っていうまた新しい、ちょっと高いハードルが出てきても、まあなんとかなるでしょうって感じやすいかしんです。
へえ。それは能力が高いからじゃなくて?
というよりは、やるしかない場面で実際にやってきたっていう経験が、次の挑戦への心の壁を低くしてるっていう見方なんですね。
なるほど。経験がやる事自体の抵抗感を減らしてるんだ。
へえ。だから問題は、自分にできるかなっていう能力の有無じゃなくて、やるかやらないかっていうその人の意思の問題なんだと。
いや、面白い視点ですね。経験が自信になるというより、経験が行動へのハードルを下げる。
そういう捉え方ですね。
だから、記事の結論も結構ストレートで、やるしかないならやるしかないじゃないかと。
まあ、ある意味開き直りにも近い強さがありますよね。
だから、まず身近な低いハードルから、えいやって感じで挑戦してみたらどう?ってリスナーのあなたにも提案してるわけですね。
この視点どうですか?すごく面白いなと思ったんですけど。
いや、本当にそう思います。
じゃあ、ちょっと今回のブログ記事からのポイントをまとめてみましょうか。
はい。
まず一つは、就活とかで言われるコミュニケーション能力って、特別な才能とかじゃなくて、練習すれば身につけられるスキルなんだよっていうこと。
ええ、スキルであると。
で、もう一つは、鉄棒の逆上がりみたいに段階を踏んで、時には失敗したり緊張したりするのを乗り越えながら挑戦し続ける、その経験自体が大事なんだということ。
そうですね。そのプロセスが重要だと。
この二つですかね。
ええ。そして、やっぱり一番大事なメッセージは、才能がないってそこで止まっちゃうんじゃなくて、とにかくやってみようっていうその意思を持つことの価値ですよね。
意思ですね。
行動しないと何も始まらないですから、成功も失敗もない、ということは成長のチャンスもない。
確かに。
失敗が怖いのはすごく自然な気持ちですけど、そこを一歩踏み出すかどうかが分かれ目になる。
これってコミュニケーション能力だけの話じゃなくて、新しいスキルを学ぶときとか、何か新しいことに挑戦するときとか、全部に共通する考え方かもしれないですね。
なるほど。つまりこれってどういうことなんでしょうか。単に話し方上手くなろうっていうテクニックの話じゃなくて。
もっと根本的な?
ええ。未知のものとか、自分が苦手だと思っているものにどう向き合うか、その姿勢自体を問うてるのかもしれないですね。
まさにそう思います。この記事はコミュニケーションのハードルを超える意思の話でしたけど。
はい。
じゃあ最後にこれを聞いているあなた自身にちょっと問いかけてみてほしいんです。コミュニケーションに限らなくてもいいんですよ。
今日あなたが、いや自分には能力ないしって諦めてる何か。それを代わりに、よしちょっとやってみようっていう意思で乗り越えられるようなほんの小さなハードル何かありませんか。
小さなハードル。
ええ。それを一つ見つけて試しに、えい!って飛んでみるのも何か新しい発見がある、面白い一歩になるかもしれませんよ。
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