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2025-07-10 06:00

親切な保護者が子供の成長を止める

若者が一人前になれるかどうかは保護者のスタンスに大きく影響される。
もっとも悪影響を及ぼす保護者を一言で表現すると、
「子供の代わりにやってあげる保護者」だ。

https://mclover.hateblo.jp/entry/9702/

サマリー

このエピソードでは、親の過干渉が子供の自立に与える影響について深く掘り下げています。特に、子供の代わりに行動することが、重要な成長の機会を奪うリスクを強調しています。

親の過干渉の影響
こんにちは。今回はですね、特に高校を卒業した後の、若者の自立っていうテーマで、そこに保護者がどう関わるか、という点に、ちょっと焦点を当ててみたいと思います。
はい。
で、AIKUSHIMAさんという方のブログ、プチメタ3.0に、最も悪影響を及ぼす保護者を一言で表現するっていう、なかなか強いタイトルの記事がありまして。
ええ、ありますね。
これを元に、ちょっと深く掘り下げていこうかなと。
この記事、その著者が、これは問題じゃないかって感じてる保護者のスタンスが、かなりこう、はっきり書かれてるんですよね。
そうですね。自己成長とか、まあ、世代間の関わり方に関心のあるあなたにとっては、もしかしたらハッとするような視点があるかもしれません。早速見ていきましょうか。
ええ、お願いします。で、記事が指摘する、最も悪影響の保護者。これ驚くかもしれないんですけど、子供の代わりにやってあげる保護者なんだと、断言してるんですね。
で、これは子供に無関心な親よりも、ある意味、もっと問題が根深いかもしれないと。
そうですね。その理由づけが、この議論の確信部分かなと思いますね。子供を守りたいとか、助けたいっていう親心自体は、すごく自然なものだと思うんですが。
ええ。
記事によると、その先回りして手を出しちゃうことで、子供自身が困難に立ち向かって、思考錯誤しながら経験とか自信を得るっていう、すごく大事なプロセスですよね。
はいはいはい。
それを奪ってしまうんだと。そういう分析なんです。
なるほど。良かれと思ってやっちゃってる行動が、かえってその子の成長の機会を失わせてると。そういうことですか。
ええ、そうなんです。結果的に、自分が動かなくても親がなんとかしてくれるや、みたいな。そういう受け身の姿勢というか、依存心みたいなものを育ててしまって。
うーん。
本来進むべき、自立への道を遅らせちゃう可能性があるんじゃないかということですね。
記事にはなんか、ちょっと信じられないような、でも、ああ、現実にこういうことあるんだろうなっていう具体例がいくつか上がってましたよね。
ええ、ありましたね。
例えば、もう成人してるんですよ。その子の会社説明会の欠席連絡を親御さんが代わりにしてくるとか。
へえ。
あとは、新人研修の内容について親からクレームが入るとか。
うわあ、それは。ありますか、そういうの。
あるそうなんですよね。
まさにそういう例ですよね。で、さらに言うと、本人がこう、すごく苦労してやっと得た内定をですね、親が、いや、あそこはやめとけみたいに反対して、それで辞退させちゃうとか。
ああ。
そういうケースも、なんか毎年後を絶たないって書いてありましたね。
うーん。それはもう、単なる過保護っていう言葉だけじゃなんか片付けられない感じがしますね。
ええ、ええ。深刻な影響だなと感じます。
その子が自分で乗り越えるべき壁があったはずなのに、それを親が先に取り除いちゃうみたいな。
そうなんです。で、大局的に見ると、若い時期ってあの、ある意味失敗がある程度許される、すごく貴重な学びの期間じゃないですか。
はい、そうですね。
その大事な時期に、自分で考えて行動して、で、時には失敗して、そこから学んでっていうサイクル、これを経験できない。
周りの同世代の子たちが、そうやってどんどん高ましくなっていく中で、
その保護者の過剰な介入によって、いつまで経っても、親がいないと何も決められないとか、行動できないみたいな。
うーん。
そういう大人になっちゃう危険性があるとと、この記事はまあ、強く警告してるわけですよね。
望ましい保護者のスタンス
なるほど。ではこの記事としては、そういう状況を避けるために、もういい年になった子供に対して保護者はどういうスタンスでいるのが望ましいって考えてるんでしょう。
それがですね、驚くほどシンプルなんですよ。
へー。
記事が提案してるのは、基本的には2つだけ。
子供の方から助けを求められた時だけアドバイスをするっていうこと。
それと、必要であれば経済的な支援はすると。
基本これだけだって言うんですね。
あとは、まあ子供が今何やってるかなーぐらいの近況を知っておく。
それで十分だと。
へー、本当にシンプルですね。
それってつまり、見守る姿勢は大事だけど、手は出さない。
本民の主体性を最大限尊重しましょう、みたいな。
そういうことですかね。
まさにそういうことだと思います。
結局、子供の人生の主役はあくまで子供自身なんだっていう、その原則に立ち返るということなのかなと。
うんうんうん。
つい手を出したくなる気持ちはまああるんでしょうけど、それをグッとこらえて子供を信じて待つっていう、そういう姿勢が求められるっていうことでしょうね。
うーん。
この記事を通して見えてくるのは、やっぱりその良かれと思っての行動が、意図せずに子供の自立を妨げちゃうっていうちょっと皮肉な現実というか。
へー。
無関心とはまた違う、なんかもっと深い影響がありそうだなって感じますね。
そうですね。介入ってまあ愛情表現の一つなのかもしれないですけど、その加減がやっぱり非常に難しいということなんでしょうね。
はい。
自立を促すサポートと、その成長の機会を奪っちゃう過干渉っていうのは、もしかしたら神一重なのかもしれないですね。
今回は子供の代わりにやってあげるっていう行為に特に焦点を当ててきました。
ええ。
最後にですね、あなたにもちょっと考えてみてほしい問いがあるんです。
私たち自身が良かれと思っていても、無意識のうちに誰かのその自分で困難に立ち向かう力とか、成長するチャンスみたいなものを奪っちゃってるような関わり方って他にどんな場面であり得るでしょうか。
うーん、なるほど。
日常のなんかふとした習慣にそういう視点を持ってみるのも、何か新しい発見があるかもしれませんね。
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