日常会話の誤解
こんにちは。今回はですね、あなたが共有してくださったブログ記事、プチメタ3.0にあった、日常会話ぐらいならと答える日本人の勘違いという、これなかなかドキッとするタイトルですよね。これについてちょっと深く見ていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
日本人が英語力について話すときに、本当によく聞くじゃないですか。日常会話ぐらいならって。
聞きますね。
でもこの記事を読むと、私たちが普通に思っている日常会話と、実際に意味するレベル、そこにはかなり大きなギャップがあるんじゃないかと、そういう問いかけをしてくるんですよね。
そうですね。
今回の探究では、この資料が言っている日常会話の本当の難しさというか、そこに含まれるスキル、これを明らかにしていきたいなと思っています。
この言葉、あなたもどこかで使ったり、あるいは聞いたことがあるフレーズかもしれませんね。
ある意味便利な言葉ではありますけど、この記事の筆者は、英語を学んでいる人の視点から見ると、本当にその日常会話レベルの英語が話せるっていうなら、それはもう英語をマスターしたと言ってもいいレベルなんだと、かなり大胆な主張をしているんですよね。
マスターレベルですか。
それはちょっと驚きですね。日常会話って聞くと、もっと基本的な挨拶とか、すごく簡単なやり取りができる、そういうレベルかなって多くの人は考えているんじゃないでしょうか。
例えば、旅行先でちょっとした買い物ができるとか、道を聞けるとか、その定語というか。
そこがまさにこの記事が指摘している勘違いの確信部分なんでしょうね。
なるほど。
筆者が言うには、じゃあ普段私たちが語語、つまり日本語でしている日常会話をちょっと考えてみてくださいと。
日本語での日常会話ですか。
ええ。友達のこと、恋愛の話だったり、仕事の愚痴、それから最新ニュースについてとか、政治経済の話、特異業、好きな食べ物の話から新製品のレビューまで。話題って本当に無限にありますよね。
確かに。言われてみればそうですね。
それを外国語で、例えば英語でやろうとすると、単に単語を知っているだけじゃもう全然足りないと。
状況に応じた時制の使い分けとか、皮肉とか冗談のニュアンス、感情の細やかな表現のための多様な言い回し、場合によっては相手への敬意の示し方、敬語のようなものまで含めて、非常に高度な運用能力が求められるということなんです。
言語運用能力の壁
なるほど。
で、筆者は、これがもしできるんだったら、字幕なしで洋画を理解できるレベルにも匹敵するとまで言ってるんですね。
えっと、字幕なしで映画を?それはかなり高いレベルですね。
ええ。
言われてみれば確かに、日本語で私たちが普段何気なくしている会話って、無意識ですけど相当複雑な情報をやりとりしてますもんね。
そうなんです。
記事にあった例、あのー、昨日話してたテレビ番組、うっかりロキ忘れたわーとか、最近近所にできた新しいパン屋に行ってみたんだけどさーみたいな、こういうごくごく普通のセリフ、これを英語で同じニュアンスでしかも淀みなく言えるかって問われると、難しいですね。
そうでしょう。これらの例文がまあ突きつけているのは、日常の本当に些細な出来事とか微妙な感情の動き、これを的確にかつ自然に表現するっていうことのその難しさなんですよ。
はい。
これがスムーズにできるんだったら、それはもう間違いなく相当高いレベルの言語能力だと言えるわけです。
つまり、この記事が暴いているのは、日常会話という一見簡単そうな言葉の裏に隠れている、多くの学習者が見落としがちな言語運用能力の巨大な壁そのものだ、そういうふうにも言えるかもしれません。
ということはですよ、多くの人が例えば英語学習の目標として日常会話レベルっていう時、実は達成するのがものすごく困難な目標を知らず知らずのうちに設定してしまっている可能性があるっていうことですね。
その可能性は高いと思いますね。
それはちょっと気が遠くなるような話にも聞こえますけど、でも同時に目標設定をちゃんと考え直す良いきっかけにもなりそうですね。
まさにおっしゃる通りです。この記事は日常会話ぐらいならっていう言葉が持つ、私たちが想像している以上の深さとか広がりですね、それを明らかにしてくれている。
それは決してなんかとりあえずの初級レベルとかじゃなくて、むしろ外国語学習における一つの壮大なゴール地点にもなり得るんだと、そういう視点を提供してくれてるんですよね。
あなた自身の経験と照らし合わせてみてどうですか。
確かにそうですね。自分の外国語学習を振り返ってみても、あるいは自分の母語である日本語の運用能力を考えてみても、この日常会話の定義っていうのはかなりハッとさせられるものがあります。
では最後にこれを聞いているあなたへの問いかけです。
この日常会話のまあ本当の難しさというか捉え方を知った上で、もしこれからあなたが何か新しい言語を学ぶとしたら、その目標設定ってどのように変わるでしょうか。
あるいはご自身の母語での日常会話能力について何か改めて考えることはありましたか。