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2025-07-26 06:46

他人にお礼や謝罪ができない人の心理

家族や友人から何かをしてもらうのが当たり前になっていて
その都度のお礼を言わないことに慣れてしまったり、
職場や学校で相手が後輩や部下、年下だと見るや素直に謝らない人がいる。
店員に対してお礼を言うのに抵抗を感じる人も同類だろう。

https://mclover.hateblo.jp/entry/20241230/1735525800

サマリー

他人に対して感謝や謝罪ができない背景には、無意識のバイアスやプライド、恥への恐れが関係しています。この記事は、これらの心理メカニズムが日常生活に与える影響を掘り下げています。

他人への感謝や謝罪の心理
つい、ありがとうとか、あの、ごめんなさいが、なんかこう素直に言えなくなっちゃう瞬間って、あなたにもありませんか?
あー、ありますね、それは。
ですよね。今日は、そういう行動の裏にある心理について、えっと、深く見ていくブログ記事がありまして、
プチメタ3.0の去年の年末、12月30日の投稿ですね。これを一緒に読み解いていきたいなと。
なるほど。
なんでこんな簡単な言葉が、まあ、出てこない時があるのか、その確信に迫るっていうのが、今回の試みです。
面白そうですね。
ぜひご自身の経験なんかと照らし合わせながら、聞いていただけたらなと。さあ、早速、ちょっと見ていきましょうか。
はい、お願いします。
このブログ記事、結構あの、鋭い指摘から入るんですよ。
ほう。
引用されている漫画があって、私たちは無痛恋愛がしたいっていう漫画の3巻らしいんですけど、
えー。
そこに感謝や謝罪ができない根本的な理由は、相手を無意識に隠しただと見ているからだ、っていう一説があるらしくて。
うわー、それはなかなか、こう、グサッときますね。
ですよね。これなかなかドキッとする視点だなと。
えー、確かに。多くの人が、もしかしたら無意識のうちに抱えているかもしれない部分ですよね。人間関係の力学というか。
そうなんですよ。
で、その隠したっていう見方が具体的にどういう場面で出てくるのか、記事では例を挙げてましたか?
えー、挙げてました。例えば一番身近な家族とか、親しい友人に対して。
あー、はいはい。
なんかやってもらうことがいつの間にか当たり前になっちゃって、感謝の言葉を忘れちゃうみたいな。
うーん、ありがちかもしれないですね。
あるいは職場とか学校で、相手が後輩とか部下、まあ年下だって分かった途端に何かミスがあっても、素直にごめんって言いにくくなっちゃう。
あー、立場がね、絡んでくると。
そうなんです。記事はさらにお店の店員さんとかに対して、お礼を言うことになぜかこうちょっと心理的な抵抗を感じるみたいなケースも。
へー。
これも、この隠した意識の現れかもしれないって、あなたもなんか思い当たる場面あります?
うーん、まあ正直に言うとなくはないかもしれないですね。この心理が、じゃあなんで生まれるのか。記事はその背景も考察してるんですよね。
そうなんです。根底にあるのは無駄に高いプライドだって、筆者は分析してますね。
プライドですか?
ええ。謝ったら負けだとか、お礼を言うのはなんか立場が下の者の役割がみたいな、そういうちょっと歪んだ価値観とか思い込みが関係してるんじゃないかと。
負けですか。なるほど。確かに謝罪とか感謝を、なぜか自分のこう敗北みたいに感じちゃう心理っていうのはあるかもしれませんね。
うーん。
そしてもう一つ記事で指摘されてたのが、確か恥を書くことを極端に恐れる気の小ささ。
ああ、それもありましたね。
自分の間違いを認めたり、相手への感謝を示すことが、なんか自分の弱さとか未熟さを晒すように感じちゃう。
このプライドとその恥への恐れ、これが絡み合って、特に格下だって自分が勝手に思ってる相手には素直な気持ちを表現できなくさせてる。
これが記事の主な論点っぽいですね。
無意識のバイアスとその影響
なるほど。結構耳が痛い話というか。
ええ。特にこのブログ記事は、その格下に見るっていう心理構造にかなり焦点を当てて、その影響を深く掘り下げている印象です。
なるほどね。でもこの記事、ここでちょっと面白い転換を見せるんですよ。
お?というと?
むしろ逆なんだと。素直にありがとう、ごめんなさいが言える人こそ、実は器が大きい証拠なんだっていう指摘。
へえ、それは面白いですね。
これが本当に面白いところなんですけど。
その心は?
それは些細誠で自分の価値が揺らがない、しっかりとした自分への自信を持ってるから、だって記事は続けるんです。
なるほど。自信があるから変に守りに入る必要がないと。
そういうことに対ですね。つまり、自分の立場を守るために、わざわざ相手を隠したってみなす必要がない。
うんうん。
感謝とか謝罪っていうのは、自分の弱さじゃなくて、むしろ精神的な強さとか、他人を受け入れる余裕の現れなんだと。
ああ、それはすごく負に落ちるというか、最初の指摘とは対照的で、非常に示唆に富んでますね。
ですよね。つまり、相手をちゃんと尊重して、感謝とか謝罪を自然にできること自体が、自分の内面が安定しているとか、成熟している証拠なんだ、ということでしょうかね。
まさにそういうことだと思います。隠したに見る必要がないほどの自信、とも言えるかもしれません。
うーん。
ではですね、この一連の分析が、これを聞いているあなたにとって何を意味するのか、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?
ええ、ぜひ。
この相手を隠したと見るっていう、無意識のバイアス、あるいはそれを支えているかもしれないフライドとか恥えご恐れ、これらがあなた自身の感謝とか謝罪が関わる場面で、どういうふうに影響している可能性があるか。
あるいは、周りの人がそういう行動を取るのを見たときに、今日のこの視点を通して、何かこういうことなのかな、みたいな新しい理解が得られるかもしれないですよね。
確かに。
自分の行動だけじゃなくて、人の行動を見る目も変わるかもしれないですね。
そうなんです。
今回の探求のまとめると、日常的なありがとう、ごめんなさいが、何か言えない背景には単なる癖とか不器用さだけじゃなくてですね、相手との関係性におけるその無意識の格付け、そして自分を守ろうとするプライドとか羞恥心への恐れが結構深く関係している可能性があると。
これがこのブログ記事からの重要な気づきでしたね。
そうですね。非常に考えさせられる内容でした。
で、最後にですね、あなたに一つちょっと思考を深めるための問いを投げかけたいなと思うんです。
何でしょう。
今回の資料が深く掘り下げていたのは、感謝とか謝罪の場面における心理でしたよね。
はい。
でも、この無意識にやってるかもしれない他者への格付けとか、あるいは守ろうとしているプライド、これってそういう特定の場面だけじゃなくて、あなたの普段のコミュニケーションとか、人間関係の築き方そのもの全体に一体どういう影響を与えていると考えられるでしょうか。
うわー、それはまた大きな問いですね。
これは資料には直接的な答えは書いてなかったんですが、ご自身の経験に照らして少し考えてみる価値があるテーマかなと、そんなふうに思いますね。
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