2025-05-30 08:29

340 センスの有無

あるとかないとかそういう話はしてません。センスには続きがあるはずなので最後まで追いましょうという話です。いや違うかも。まとまりのない話です。


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サマリー

このエピソードでは、コミュニケーションにおけるセンスの有無について掘り下げています。センスという言葉の使い方や、一般の人と超一流の人の違いについて考察し、言語化の重要性を強調しています。

センスの導入
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、センスの有無という話をしていきます。
センスの有無、ですね。
センスのある、なし、というテーマなんですが、
ただ、センスがある人はこうですよね、ない人はこうですよね、というような話ではないです。
そもそも、コミュニケーションはセンスだというふうなことを言う人もいますけれども、
そうしたことがあるとかないとか、そういう話ではなくて、
日常コミュニケーションをとっている中で、センスというような言葉が会話の中に出てくることってあると思うんですよ。
それについて、センスについてつらつらと話す回です。
センスを身につけるためにはこうとか、センスがない人はこうしたらいい、
そういうYouTubeのサムネにあるような、そういうやる気のあるような話ではないです。
それで、こういうセンスの有無というようなところで、
あの人センスあるよね、あの人全然センスないね、
こういうことが出るときがあると思うんですよ。
それは直接話をしている、今この場にいる人に対してなのか、
それとも第三者の人、知り合いなのかメディアの人なのか、
そういう誰かに向けて言ったり。
その上で、このセンスという言葉が当てはまるようなケースというのは、
非常に限られているんじゃないかなと思います。個人的にはですね。
いわゆる天才というか超一流といいますか、
おそらく普通に生きている人がそこまで達せないのであろう高みというか、
DNA、サイボロレベルから何か違うんだろうなというような、
わかんないですけど、その本人はものすごく努力をしているというのは、
それはもう前提であると思うんですけど、
同じだけの努力を仮に他の人がしたとしても同じようにはならないよねというような、
そういうように周囲から認められている人というか、思われている人。
こういう人に対してセンスで言うというか、センスとしか言いようがないというか、
本来であればそのセンスというものはそこで終わりにするのではなくて、
その中身を言語化して、つまりじゃあどういうことなんですかと。
センスといってその題材を片付けた気にならない方がいいんじゃないでしょうかと。
むしろそうしたことが言語化できないのであれば、センスという言葉を用いることが適切ではないんじゃないかと。
言わない方がマシなんじゃないですかというように思うわけですけれども、
とはいえ根本から違う人というか、ごく一握りの限られた人に対して、
これはもうセンスとしか言いようがないんだと。
そういう場合には使ってしかるべきなのかなというふうには思いますが、
対応するようなことをね。
対応するような人もいるじゃないですか。センスとセンスと話の中でね。
特定の誰かに言っているわけじゃないですよ。
そういう広く一般的にというような意味で。
これをあまり対応しすぎると、ちょっとアホっぽく見えてしまうというか。
だからどうということはないんですけどね。
別にバカにしているとかない場所にしている、けなしているとかそういうことではないんですが、
印象としてセンスという言葉の先の言葉を持ち合わせていない人なのかなというふうに思うようなこともありますよね。
かつもっと言ってしまうと、そこを目指していますかということで、センスがあるなしありますけれども、
センスという言葉がはまる、いわゆる超一流というような存在の部分を
大多数の多くの人たち、それは当然私も含めて、いわゆる一般人というか、
そっちの方がマジョリティなわけですよ。
一般人の方が圧倒的に数が多いですよね。
別にそこを目指しているわけじゃないんですよね。
タルを知るじゃないですけれども、いわゆる普通に活動していければいい。
人とコミュニケーションになれば、普通に人と会話をできればいい。
初対面の人とでも人とでも気兼ねなく話をできるようなぐらいになれればいい。
話術を使って巧みに物事を運んでいって、自分の望む通りに相手を動かすとか、
そういうことを目指しているわけではないんです。
こういう人に対して、相手の考えを聞かずに自分の考えで、
それはもっとセンス磨いた方がいいよとか、まだまだセンス足りてないよとか、
押しつけがましく言うというような、いい意味でお世話をしてくれているんですけれども、
それはもう余計なお世話になっているというか、別に余計なお世話をすることがだめなことではないんですけれども、
コミュニケーションといってもそれも対人関係じゃないですか。
それを言うあなたはどうなんですかというふうに、相手に対して違和感を覚えるようなこともやはりありますよね。
ですから、ちょっと散らかっていますけれども、
センスというものに関しては日常の会話の中で頻繁に対応するようなことでもなく、
ごく限られた場面で使う、かつセンスがあるとかないとか、
そういうところでお話を終わりにするのではなくて、
そのセンスの先、もしくは中身、そこを言葉にして言語化していくようなことを習慣にしていくと、
いいんじゃないかなと、そういう思いなお手ですね。
ですから、仮にあなたがセンス云々で言われたり言ったりすることがあるのであれば、
そもそもそうしたものは当て回る人はごく少数で、
会話の中に対応しない、あるとかないとかということで話を片付けるのではなくて、
センスの言語化
その先を話すことを意識してみたらどうでしょうかというようなことですね。
つまり何が言いたいのかというと、センスの有無。
センスがあるとかないという話ではなくて、
センスという言葉のその先を、その中身を言語化するように意識をしてみましょうと。
これも人間関係で、センス、センスとそういう言葉が対応していると、
続きはどういうことというふうになりますので、
かつこれを仮に押しつけがましく相手にしていると、
そこを目指しているわけではないんだけどなと、一層数が測れないというか、
お互いの認識がずれる、コンフリクトが生まれるわけですね。
ですから人間関係を築いていく上で、
このようなセンスということをあまり対応しないようにしたらいいんじゃないでしょうかと。
そして言われている場合、その中身を教えてくださいというふうに言ったりしたらいいんじゃないかなと思います。
余談ですけれども、このセンスという言葉、
スポーツを経済の視点から見た書籍というか、
スポーツをやる選手にフォーカスを当てるのではなくて、
それを運営している団体の視点から見たような、
そういう本で選手をスカウトしたり、選んだりするときに、
どうしてもセンスとしか言えない、そこでセンスでしかたどり着けないような、
人に言えるみたいな、そういう表現があったんですけれども、
本当にそのぐらいの時だと思いますよ、そのセンスという言葉がカチッとはまる場面は。
超一流なんていう人は滅多にいませんから。
人類の大半は凡人じゃないですか、当然私も含めて。
ですからセンスがあるとかないとかそんなことはどうでもいいです。
その中身を考えるようにしていきましょうよというようなことですね。
また見方を変えれば、どんなことでもどんな人にでも何かしらのセンスはあると、
そういう捉え方をしてもいいですね。
磨けば光る技術をセンスと呼んでもいいですし、
という取り留めのない話です。
ありがとうございました。
08:29

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