授業の必要性
- こんにちは、The Deep Diveです。
えっと、学校の授業で、これ正直何のために勉強してるんだろうって感じたこと、きっとあなたにもありますよね。
- ああ、ありますね。特に数学の難しい公式とか、古典とか。
- そうそう。でも、後になって、あ、あの授業実は無駄じゃなかったのかもって、ふと思える瞬間もあったりしませんか。
- ええ、わかります。
- 今日は、そんなちょっと一見無駄に思えたかもしれない授業の必要性について深掘りしていきたいなと思います。
- はい。
- 今回参考にしているのは、プチメタ3.0というブログに掲載された、役に立たなかった授業も実は必要という記事です。
- 面白いタイトルですね。
- ええ。この記事を手がかりに、なんで学校って、すぐには役に立たなそうなことまで幅広く教えようとするのか、そのカリクラムの意図を探っていきます。
- あなたの学生時代のモヤモヤが少し晴れるかもしれません。
- 楽しみですね。
- で、この記事がまず指摘しているのが、学校っていうのは特定の誰かのためというよりは、できるだけ多くの生徒の将来に役立つ可能性がある知識を網羅しようとする場所なんだということですね。
- なるほど。
- だから、自分が使わなかったからあの科目は不要だったって考えるのは、ちょっと待ってということみたいです。
- ええ、そこがあの重要な試験ですよね。だって生徒が将来どんな道に進むかなんて誰にも予測できないわけですから。
- まあ、確かに。
- だから、学校としてはいろいろな可能性にある程度対応できるように、いわば知識のビュッフェみたいなものを用意しておく必要があるということなんでしょうね。
- 知識のビュッフェですか。なるほど。
- ええ、Aという知識がすごく役立つ人もいれば、いや、BとCの組み合わせで道が開ける人もいるみたいな。
- ああ、確かに。
- ビュッフェなら全部食べる必要はないけど、選択肢が多いほうが安心感はありますもんね。
- そうなんです。
- 記事の中では、例えとしてプロ野球のピッチャーになった選手が、こんなことならバッティング練習なんてしなくてよかったっていうようなものだっていうのが出てきますけど。
- ええ、これはわかりやすいなと思いました。
- そうですね。それはあくまで結果論であって、そのバッティング練習があったからこそ何かこう別の形でピッチングに役立った可能性だってゼロではないし。
- うんうん。
- あるいは、もし仮にそのAという知識を全然学んでいなかったら、将来思わぬところで壁にぶつかっていたかもしれないわけですよね。
- うーん、なるほど。
- だから少しでも将来必要になるかもしれないっていう確率が一定以上あるんであれば、学校としては基本的に全員に学んでもらうっていう、そういう発想になりやすいんだと思います。
- 記事の中の言葉で言うと、要は潰しが効く知識を身につけさせることが、多くの学生の幸福度を上げられる可能性が最も高いとか。
学校の授業はいわば最大公約数なわけだっていう表現がありましたね。
将来の可能性のために
- まさに多くの人の最低限の共通基盤を作るみたいなイメージでしょうか。
- なるほどなるほど。
- ただもちろんここが難しいところでして、その最大公約数を意識しすぎると、今度はいやもっと専門的なDも教えてほしかったんだけどっていう声も当然出てくるわけです。
- あーそれは絶対ありますよね。
- でも授業時間は限られていますし、そもそも生徒全員がそのDに興味を持ったり、あるいはちゃんと理解できるとは限らない。
下手にDを導入することで、より多くの生徒に関係する元々あったAとかBの時間が削られてしまうかもしれないと。
- 確かにそれはトレードオフですね。個人のもっとこれが欲しかったっていう気持ちと、全体の広く浅くでもとにかくカバーしておくっていう必要性の間で常にバランスを取ろうとしてるわけですね、学校は。
- そういうことだと思います。もちろん時代遅れになった知識とかはちゃんと見直されるべきなんですけど、でもその見直し自体もやっぱり将来の予測って難しい中で行うので、すごく慎重にならざるを得ない。
- まあそうですよね。
- 基本的なスタンスとしては、やはり多様の未来に対応できるような応用力の高い知識を優先するということになりがちですね。
- いやー、なんか自分の経験だけを物差しにしてると、あの授業は無駄だったなとか簡単に結論付けちゃいがちですけど、こうして背景にある考え方を聞くと、まと全然違った見方ができますね。
- そうかもしれませんね。
- 記事でも、特に将来の道がまだはっきり定まっていない段階では、食わず嫌いせずに、いろいろな分野にとりあえず触れておくことが、結果的に自分の可能性を広げることにつながるのかも、みたいに言ってましたね。
- ええ、まさにそういうことだと思います。
- ということで、今回の話をまとめると、学校のカリキュラムっていうのは、時にはあなた個人にとっては不要に感じられる科目も含めて、多くの人のその多様な将来の可能性を支えるための最大公約数としてデザインされているんだと、そういうお話でした。
- はい、非常に示唆に富む内容でしたね。
- この最大公約数的な考え方って、なんか教育以外にも応用できそうな気がしますね。
- ああ、そうですね。例えば、あなたが何か新しいスキルを学ぼうとする時とか、あるいはこれからのキャリアを考える上でも、この視点は意外と役立つかもしれません。
一見すると、今の自分には直接関係なさそうに見える知識とか経験とかが、数年後、あるいは全く予期しない場面で、どういうふうに自分の助けになる可能性があるか。
そんな未来への仕込みとして、今の学びを捉え直してみるのも結構面白いんじゃないでしょうか。
- 未来への仕込みですか。なるほど、面白い視点ですね。ありがとうございました。