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2026-02-16 17:53

#082 探究学習で成功を追いかけない

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第82回配信!

今回は「探究学習で成功を追いかけない」というテーマでお話ししました。
福井県の高校への出張授業で感じた「あたたかい空気感」から出発し、「探究公害」という言葉への反論、地域による探究の意味の違い、そして探究で苦しまないための考え方を語ります。

・「探究の前に基礎基本をやれ」という声の本当の問題点
・地域の危機意識と探究の関係——すべてが堀川の奇蹟である必要はない
・探究の時間を「失敗していい時間」にしてみる


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サマリー

本エピソードでは、探究学習における「成功を追いかけない」というテーマについて掘り下げています。福井県の高校での温かい空気感に触発され、探究学習への批判や「探究公害」という言葉に疑問を呈します。探究学習は、地域の実情や学校の文脈に合わせて行うべきであり、必ずしも「堀川の奇跡」のような成果を目指す必要はないと主張します。また、探究学習は高度なものではなく、生徒が「失敗していい時間」として主体的に試行錯誤するプロセスそのものに価値があることを強調し、教師は生徒の話を丁寧に聞く姿勢が重要だと説いています。

探究学習の温かい空気感と若狭高校での体験
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。 この番組では、Google for Education認定トレーナーとコーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
先週、福井県のある高校に出張授業に行ってきたんですが、今回の訪問で一番印象に残ったのが、その学校にある暖かい空気感なんですよね。
ボイスイの方でもお話したんですけど、この学校は探究学習で全国的にも有名な学校なんです。
まあ、前にも言いましたが、第18回のポッドキャストで紹介している県立若狭高校ですね。
普通科に加えて探究に関する学科があるぐらいの学校なので、やっぱり探究学習はしっかりしてるんです。
でも、自分が一番驚いたのは、生徒たちが何かすごい探究の成果を上げているからということよりも、学校全体にやってみてもいいよという空気感があったことです。
先生と生徒の関係もとても柔らかくて優しいんです。
もちろん探究科という名前がついている学科に入学してくる生徒たちだから、意識はもしかしたら高いのかもしれないです。
でも多分、様子を見ている限りは普通の高校生なんです。
それでも生徒たちの反応がすごい良くて、授業にもすぐ馴染んでくれましたし、
ああいう自然な姿勢って日頃から探究的な学びが日常になっているからこそ生まれるものなんだろうなって感じました。
探究の授業の様子も少しだけ見学させてもらいましたけど、先生たちが生徒と同じ席に座ってずっと子どもたちの話を聞いてるんです。
系長の姿勢もものすごく真剣で、あれだけ聞いてもらえるんだったら子どもだって話すよなーなんてことを思います。
そのことを思い返していたら、定期的にSNSで見かける探究学習への批判のことが気になってきまして、
今日はその探究の話をしてみようと思います。
探究学習への批判と「探究公害」という言葉への反論
さて、ここからが本題です。
SNSを眺めていると、定期的に探究学習なんかやる前に、まずは基礎基本の学力をつける普通の授業をやれって意見を見かけるんですよね。
まあ気持ちはわからなくもないです。
本当に実態の厳しい学校だと、読み書きその番のところがやっぱり厳しいという実態あるのも事実ですからね。
ただ、学力が低い生徒に自由にやらせたって何もできないだろうと、だったらまずは教科の知識を教えた方がマシなんじゃないかと、
そういう考え方というのは非常に危ないなって思うんですよ。
この発想って突き詰めていくと、できない奴は自分では何もできないから管理した方が良いと言ってるのとあまり変わらないんですよね。
もっと強い言葉で言えば、探究公害なんて言い方もSNSでは見かけますが、それもどうかと思うんですよ。
これは主に、高校から大学や企業、地域団体に探究学習への協力依頼が殺到していて、外部の協力者が疲弊しているという状況を指す言葉なんですよね。
それから形ばかりの探究をやっている学校が増えて、現場の先生たちも生徒たちも疲弊しているというような問題も含まれてこういう言い方されているわけです。
正直に言って、この批判に一理ないとまでは言わないです。
探究学習の指導に関する知識や戦略が不足しているまま、形だけ探究学習をやっている学校があるのは事実です。
外部に丸投げのような形で協力を求めてしまっているケースがあることも、真摯に受け止めなければ現場としてはいけないだろうとは思います。
ただ、公害という言葉で教育現場を語ることの攻撃性に対しては、はっきりと反論したいと思います。
公害という言葉には、周囲に害を撒き散らしているという強いニュアンスがあるわけじゃないですか。
環境を破壊し、人々を脅かし、社会を劣化させるという、そういうニュアンスなわけです。
でも、現場の先生たちがやろうとしていること自体は、もちろん良し悪しや上手い下手ありますよ、でも教育なんですよ。
社会の劣化を目指しているわけではないです。
方法が未熟であることや、戦慮であるということは事実でありますが、
ただ、やっていること自体が害であるというのは、全然違う話だと、やっぱり強く反論しなければいけないことだろうと思っています。
外部に迷惑をかけてしまっていることについては、これはもう学校側の責任です。
準備不足のまま協力を依頼したり、戦法の負担を十分に考慮せずにお願いしてしまったりしている。
そこは言い訳のしようがないと思います。
ただ一方で考えなければいけないのは、じゃあ学校だけで子どもたちに何ができるのかということなんです。
これだけ社会が複雑になっていて、まあ文化の時代だとか、月並みな言い方ですけど言われるようになってきていますし、
そういう中で学校の中だけで完結する学びで、子どもたちが今後の厳しい社会に対応できるような経験を積めるのか、
それは正直やっぱり厳しいところはあると思いますね。
だからこそ外部との連携のあり方を改善していくことは必要であると思いますし、
迷惑だからやめろって終わらせてしまっては、結局一番困るのはこれから生きていく子どもたちなんです。
そしてそうやって社会的に足を引っ張って最終的に先細りで積んでいくのは社会そのものの方ですからね。
探求を公害と言って切り捨てるのではなく、どうすれば持続可能な形で外部と協力していけるのかを一緒に考えていきたいと自分は思っています。
まあもちろん一番の責任は高校側にあるとは思っています。
まあ面倒なことを考えたくなくて、とりあえずのに放てばいいやと思っている学校があるのは否定できないですし、
それで迷惑をかけているのも自分はそういうことをやらないようにしてますけど、
同じ現場としては本当に申し訳ないなっていうふうに思います。
高校の現場を反省した方がいいというのも一面ではやっぱり事実です。
でも公害とラベリングして何か新しいことをやろうとしている現場を攻撃して、
萎縮させるというのはどうなのって思いますね。
そしてそういうことを言ってられる立場にあるのは、
相対的には多分恵まれている環境にあるからなんだろうなぁなんてことも思います。
もちろん逆に適当に生徒を放り出して周りに迷惑をかけてしまっているような学校も、
比較的恵まれている環境にある学校なんだろうと思いますよ。
地域による探究学習の意義と「堀川の奇跡」
地域連携などが比較的うまくいっている学校の探求って、
その地域に強烈な危機意識があるんですよね。
本当に子どもの数がまずいない、地域がまさに消滅しそうであるという危機感であったり、
学校と地域が協力して自分たちの生きる場所を守らなければいけないっていう、
そういう意識があるのかなって、この数年いろいろな学校を見てきて感じています。
もちろん今回訪れた若狭高校にもそういう面があるように感じています。
なぜ探求が必要になるのかということについて、
見えているものが地域や条件によってバラバラなのも、実は論じるのが難しいところです。
多分、相対的に豊かで恵まれていて人も多い地域、つまり首都圏や政令市においては、
探求の優先度は低く見えますからね。
それとは逆の地域になると、そもそも学校の条件が全然違いますし、
先生方と生徒の関係も全然違いますからね。
探求の重要度は変わってきますね。
だからその意味でも探求高外という言葉を平気で振り回せる神経というのは、
世の中に対する解像度が低いんじゃないかなっていうふうに、やっぱり厳しい言い方したいなとは思いますね。
これもまあ難しい話なのですが、高校の探求といえば、
京都一律堀川高校が有名ですよね。堀川の奇跡っていうやつです。
でもあれのイメージで全ての学校がやろうとしたら不幸になるんだろうなって思います。
あれはあの地域にあの時期に必要だったからこそ駆動していったものだと思いますし、
全ての探求が堀川の奇跡である必要というのはないですよ。本当に。
それぞれの学校がそれぞれの文脈でできることをやればいいわけです。
探究学習の本質と「できない生徒」への誤解
もちろん日常の教科の授業での知識技能は重要です。
教科で学ぶ力というのは訓練しないと身につかないものですし、
学び方や学ぶ姿勢というのは授業の中で育てていくことには大きな意味があるわけです。
そこは一切否定しません。話し合うことだとか、
そういうことの学び方の身体制みたいなことって、
それこそ教科の授業で学べることが多いですからね。
でも、自分が教科の授業か探求学習なのかというような、
そういう二項対立以上に問題だと感じているのは、
できない生徒には探求はできないというような冒頭で触れた見立てそのものです。
この前提見立てが実はかなり危ないんじゃないかななんてことを思っています。
探求という言葉に高度に難しいことをやるべきというイメージがついてしまっていることが、
どうもこの誤解の根っこにあるのかもしれません。
研究論文を書くとか、社会的に意義のある提案をするとか、
そういうレベルのことを想像してしまうから、
基礎もできない子にはそんなことはできないと思ってしまう。
でも、探求って本来そういうものだけではないわけです。
素朴なことであっても、やってみることの学びの意味を軽く見るべきではないと思うんです。
自分で手を動かして何か試みてみて、うまくいかなかったら考え直す、
そういうことの繰り返しの中にこそ学びがあるわけで、
その入り口に立つのに高い学力を必須条件にしてしまうのはどうかなって思うわけです。
探究学習で苦しまないための考え方:失敗を許容する時間
そこで、探求学習に関わっていて苦しくなっている先生方にお伝えしたいことがあります。
一言で言うと、良いものを作ろうとしすぎていませんかということです。
確かに学習指導要領の内容を読むと、
教科横断的な視点だとか探求のサイクルだとか、
かなり高度なことを求められているように見えます。
課題の設定、情報の収集、整理、分析、まとめ表現といった探求のプロセスを回していかなければいけないし、
それを教科横断的にやるとなると本当に大変です。
社会に開かれた学校なんて文言もありますから、もうやることいっぱいで大変ですね。
ただですね、猛打的に全てをコントロールしようとすること自体が、
実は探求らしくないと考えてもいいんじゃないかなって思うんです。
だって探求って分からないことに向かっていくプロセスですし、
分からないということ自体を自覚していくプロセスじゃないですか。
最初から計画通りにきれいに進むなら、探求じゃなくてそれはただの作業ですからね。
先生が全部コントロールして想定通りの成果を子供に出させようとしている時点で、
それはもう探求じゃないですし、その上苦しいですよ。
その意味で企業がカリキュラムも作り、外部連携先も提供して、
コンテストまで用意してパック販売している探求学習セットについては、
自分は非常に懐疑的です。
これについては話し出すと闇も深いからやめておきます。
話を元に戻すと、そもそも探求って何か手を動かしてみる、
自分で探求してみるということがなければ、
自分の興味ややれることへの気づきは持てないんです。
最初の一歩を踏み出すことを大事にしてほしいなというふうに思っています。
じゃあ具体的にどうすればいいかという話なんですが、
自分は探求の時間をもっと失敗していい時間にしてみてもいいんじゃないかなと思っています。
成功を追いかけるから苦しくなるんですよ。
こういう成果を出さなきゃいけない、こういうような見栄えで作んなきゃいけないって、
先生方がそういうプレッシャーを感じていると、
もうそれは確実に子どもたちにも伝わります。
でも上手くいっている学校で感じるのは、
成功も失敗も自分たちで考えて決めること、
他人からの評価で決められることじゃないっていう前提があるからこそ生まれてくるものだと思うんです。
生徒たちがのびのびと手を動かして、
思いついたことをパッと試してみる、
上手くいかなくてもじゃあ次はどうすると自然に考えられるっていう環境ですね。
ああいう雰囲気は先生方が長い時間をかけて作ってきた文化なんだろうなとは感じます。
先日行った若狭高校は2024年に行った時も、
そして今回行った時もどちらでも強くそういうことを感じましたよ。
だから我慢強く時間を使うということを大切にしてみてほしいんですね。
すぐに成果が見えなくても焦らない。
その代わり子どもたちがその時間にどんな気持ちを持っているのか、
何をしているのかというのを粘り強く見て、
尋ねて話を聞くということを続けてみてほしいんですね。
探求の成果って発表会の出来栄えだけで測れるものじゃ絶対ないです。
子どもが自分ってこういうことに興味あるんだと気づく経験、
そういう一つ一つが探求であるはずなんですよ。
そもそも学びって言わなくてもいいかもしれないです。
学びというから成果を重く感じるくらいならば、
学びという言葉も使わなくていいんじゃないかなって思いますね。
探求は学びの成果発表ではなく、やっぱりプロセスなんだろうなと、
自分がどういう人間なのかを手を動かしているうちに出会っていくような、
そういう体験の総合なんだと思います。
それを大人として教員は、授業者はどうやって向き合っていくべきなんでしょうかね。
探究的な姿勢は日常の授業で育む:子供の話を聞くことの重要性
今回の配信はいかがだったでしょうか。
本編ではかなり強い言い方をしてしまいましたが、
探求の話って本当に難しいんですよね。
地域の事情も学校の条件もバラバラで一つの正解がない。
だからこそこうすればうまくいくというモデルを追いかけすぎないことが大事なんだろうなと思いますね。
自分は普段国語の授業をやっているわけですけど、
探求的な姿勢ってやっぱり教科の授業の中で育てるのが良いんだろうなと思っています。
例えば、教科の授業で一つ一つ取り扱っていく指導手法って、
やっぱり学ぶためのスキルなんですよ。
まあ多くの場合は生徒の日常とはかけ離れていて、
面白くないって思われるものも多いんです。
それでも何かを味見してみることで奇跡的な興味との出会いが起こるってこともあるんです。
探求の時間だけが探求じゃなくて、
日常の授業の中で知識が探求の時間に生きてくるということもよくあるわけなんです。
結局のところ繰り返しになりますが、子供の話をちゃんと聞くということに尽きるかもしれません。
普通の大人はやっぱり意識しないと子供の話をちゃんと聞けないんだなって思います。
子供の話を聞くのはまさに専門性だと思いますよ。
子供たちが何に引っかかっているのか、何を面白いと思っているのか、
それを丁寧に拾い上げていくことが探求であれ教科であれ、
授業の一番の基本なんだろうなと福井から帰ってきて改めて思っています。
本日のポッドキャストの裏話は私のボイスイで毎朝6時半から配信しています。
ボイスイでは毎日の教育実践の話やちょっとした雑談もしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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この番組は毎週月曜日に配信されます。
次回の配信もお楽しみに。ではまた。
17:53

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