堀川高校での研究大会
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ、私Kasaharaが教育にまつわる様々な話を配信していきます。
京都から帰ってきて、ポッドキャストを録音しているのですが、疲れて頭が働かないので、録音の時間がかなり遅くなってしまいました。
うーん、なんか今日の話は死に滅裂になりそうです。 金曜日の夜から慌ただしく行って帰ってきたのですが、
今回の目的は、京都一律の堀川高校での研究大会に参加してくることでした。
あの堀川の奇跡で有名な堀川高校です。堀川の奇跡は有名な話なので、教育に興味のあるリスナーの方はご存知だと思いますが、
今でいう探究学習をいち早く取り入れたことで、国公立大学の合格者が劇的に増えたという、生徒の主体性を引き立つ教育の効果を実証した高校だと言われています。
現在に至っても探究家を組織して、様々な工夫をして新しい教育に取り組んでいる学校です。
今回の研究大会についても、適切な自己評価・自己分析をし、行動に移すことができる生徒の育成というテーマでの研究大会でした。
大会の構成としては、基調講演の後に教科の公開授業と研究授業があって、
教科の研究討議会もあり、最後に全体会があるという流れで、メインとしては教科の議論でしたね。
自分としても久々にフラットな場所で教科について話ができる機会でした。
最近授業見学が割とICTや生成AIなどに特化した授業を見ることが多かったし、研究会などについても全然知り合いがいない環境で話をするのも久しぶりでした。
今回はその大会のことを振り返りつつ、自分の授業づくりについてお話をしてみようと思います。
今回の大会は基調講演として、京都大学の西岡かなえ先生のご講演から始まっています。
西岡先生は逆向き設計論とパフォーマンス評価についてのお話をされて、子どもたちのエージェンシー、
つまり主体性を育てるための授業づくりのポイントとして、いかにパフォーマンス課題と評価を設計できるかということのヒントをお話しくださいました。
その話を踏まえた上で、各教科の公開授業と研究授業があったわけです。
今回は指導案があって、研究闘技まである研究授業と、同じ時間帯に授業をやっているのでご自由にご覧くださいという公開授業の2種類が公開されていましたね。
国語については公開授業と研究授業の両方があったので、じっくりと2コマ、全然違う授業を見てきました。
どういう先生が研究授業をやられているのかは説明がなかったのでわからないのですが、比較的若い先生がやっていたので、若い先生の勉強のためにやっているのかな、みたいなそんな印象を受けました。
公開授業についても普通の授業をやっていたので、あまり人生についてはこだわりはなかったのかなーっていう感じです。
研究闘技会で公開授業をやっていた先生も、授業の意図についてお話をされていたので、手を挙げるか選ばれるかはしていたんだとは思いますけどね。
どんな授業を見てきたかというと、公開授業の方は文学国語の舞姫の初回導入の部分でした。
ご存知の通り舞姫は、画文体、技巧文、つまり古い言葉で書かれた小説なので、高校生がパッと読んでもすぐには理解できないし、興味を抱きにくい題材です。
だから1時間かけていろいろな角度から作品に興味を持ってもらおうと工夫されていた感じですね。
実は自分は勤務校だと舞姫を教えたことがない、つまり教員になってから舞姫を授業でやったことないんですよ。
だからどんな授業をするか深く考えたことがないので、舞姫を読んだ時の生徒の反応を見たのは結構新鮮でした。
ICTと授業づくりの議論
堀川高校くらいの学力がある生徒であっても、やっぱり舞姫についてはハードルが高そうだなーとか、
逆にこれだけ難しい内容でも粘り強いのが堀川高校の高校生の特徴なのかなーなんて印象を持ちました。
授業者はいろいろなタイミングで生徒同士に話し合いをさせてましたね。 1回の授業で4回か5回ぐらいは話し合いをさせていたんじゃないかな。
割とざっくりとした筋で話し合ってと言ってるので、生徒も話し合いに慣れているからこそ、こういう筋でも話し合えるんだなーってことはちょっと見てて思いました。
最終的には石炭オーバーハヤフツミハテツっていう冒頭の文の解釈ですね。 その授業の時間で思いつくことをいろいろと解釈させたり考えさせたりして話し合わせていましたね。
生徒にとりあえず考えさせてみたいんだなーという意図はわかる授業でした。 自分が文学を教える時にはどうするかなーなんてことは結構思いましたね。
勤務校が文学国語を設置してないので、自分の担当は現代の国語と論理国語になっていて、文学教材を授業で正面から教えることがこの3年くらいなかったんですよ。
だから授業の組み立て方についてもちょっと悩ましく感じたところですね。 どう考えたらいいんだったっけなーみたいな、そういう感も自分の中で鈍っている気がします。
さて、後半の研究授業の方は名称文が題材になっていました。 言語文化の授業ですね。
この授業の目標としては、文章を自分だけの視点に固執して読むのではなくて、いろいろな他者の視点を取り入れながら読めるようになってほしいという願いから作られるようなものでしたね。
どうしても自分の読み方にとらわれやすいので、何か手だけによっていろいろな人の他人の読み方を自分の中に取り入れてほしいというような、そういうような授業者の願いがあったように思います。
そのため、今回の授業では名称文の本文を脚本にして、実際に生徒が演じてみて、自分たちの解釈の違いをお互いに比べ合う、読み方の違いに気づき合うというような授業をしていました。
脚本を作るときにはワークシートを利用してグループでやっていて、本文を参照させながら丁寧に解釈を脚本に書かせているのが授業者の工夫なんだなと思います。
当日見学した授業では、最初に各班が作ってきた脚本のコピーを紙で印刷してそれぞれのグループに配って、お互いの台本の違いを確認させていました。
その作業の後に、実際にそれぞれの班に自分たちの作ってきた脚本を声に出して演じてもらい、解釈の違いがどこにあるんだろうというのを考えてもらう授業になっていました。
まず授業についてですが、生徒たちがよく脚本を話し合って作っているんですよね。
授業を見た時に、グループワークや対話的な学びに慣れているかどうかって、結構男女の話し合いの様子を見ているとなんとなくわかるんですけど、まあよく話し合っていて、話し合いには慣れているんだなという印象を持ちました。
普通脚本を演技させようとしても、特に男女混ぜたところでやらせようとすると、声を出させようとしても嫌がったり恥ずかしがったりするものなんですが、
堀川高校の生徒たちは変に恥ずかしがったり大げさにしたりせずに、落ち着いた感じで発表もしていましたね。
まあ慣れてるんだなっていうのがよくわかります。各班の発表を見てから、再び脚本に戻ってどんな解釈の違いがあるのかという分析をして、授業も終わりになるという感じです。
さて、そういう授業について午後は研究討議で、授業者の意図を聞いて、グループごとに感想を話し合うというようなことをやりました。
高校の授業でしっかりと指導案を読んで、授業者から意図を聞いて、参加者で討議するっていう経験、意外と自分少ないので、高校でそういう機会に参加できたのは勉強になりました。
まあ結果的には、自分は割と場を荒らすようなことばかり言ってしまいましたけどね。
まあその話は一旦置いておくとして、こういう研究討議会でグループで話し合わされるのを実は自分結構苦手です。
生徒に散々グループワークをさせておいて、自分は嫌いなのかよってツッコミ受けるのは仕方ないとは思っていますが、
興味関心の持ち方がバラバラな相手と前提条件が揃わないところで話すのは気を使うので、うまく話せないでストレス大きいんですよね。
中学校の研究討議会に参加する時には、自分が高校の所属なので中学校のことはわからないのですが、という枕言葉を置いておけば、
割と自由に何を話してもエクスキューズされる、つまり許されるような気がするんですが、今回は高校なので言い逃れができないというか。
そして高校の国語科の教員って大学時代の専門で、割と国語の授業に対する興味関心の持ち方が違ったりするので、話し方を間違えると割と嫌な顔されがちなんですよね。
こちらに悪気や悪意がないとしても嫌な思いをされてしまうんですよ。 自分の場合は自分としては伝統的な保守的な国語科の教員だと自認してるんですが、
実際に話をしてみると人とイメージしている国語科教育館が全然違って、「はぁ?」という顔をされたり、前提条件から話し直したりしていると、なんだか研究会で一人で自分語りする人みたいな感じになっちゃうのも嫌なんですよ。
今回の堀川高校の検討会に関しても、自分が見ていて一番気になったことを実際に聞いてみると、まあそれは全くICT使わなかったっていうことなんですけど、そういうようなICT使ってないですねっていうことを聞いてみたんです。
国語科に限らず他の教科の授業でもICT使っている気配がほとんどない。指導案を見てもICTがどの教科でも出てこないので、自分のこういうICT推進している立場としてはすごい不思議に見えたんですね。
ただまあお察しだとは思いますが、だいたいこの手の質問というのはいい顔をされないんですよね。だからまあ最初のうちは黙ってたんですよ。
でも結局我慢できなくなって、研究会の最後の方にICT全然使わないんですねと聞いたら、単級で使ってますからっていうふうに言われてしまって、まあそこでおとなしく引き下がればよかったんですが、
教科が特に国語が言葉の力の下支えとしてICT使わないとなんて言ってしまったので、割と心傷を損ねたかななんてことを思ってます。
とてもじゃないですけれども、生成AIはなんて聞ける雰囲気ではなかったです。
まあこれは自分が悪いですね。研究統議会では事業者の事業に対する意図を組んで、事業の良さや事業の改善点を深掘りすべきなので、
事業者の意図や研究主題とは異なるところから話題持ってきて、話し出したらマウントを取りたくて叩いてるような見え方しますからね。完全に自分が悪いです。
ただまあ自分としても言い訳をしておくと意地悪したいわけではなくて、事業づくりについて思うこととしては、
演じたり発表したり共有したりすることとICTの相性ってすごい良いじゃないですか。
だからICTを使うチャンスっていっぱいあるだろうし、ICT使ってもいいんだろうなと思って質問したんですが、言い方が悪かったですね。
ICTや生成AIの話を脇に置いておくとして、事業づくりについて思うこととしては、
生徒に身につけてもらいたい力とそれを実現するための言語発動を選ぶことってやっぱりすごい難しいことなんだなって改めて思います。
公開授業の舞姫についても話し合いをよくやっているのは普段からいろいろな教科で話しているからなんだろうなと思います。
ただ、それぞれの話し合いがちゃんと伏線になって次に繋がっているかというと、
事業者には何かしらの狙いがあったかもしれないですけど、生徒の話している内容をよく聞いていると、
打線的に内容を深めていくのは難しいんだなという印象です。
授業では過去に学んだ文学の定番教材を思い出させながら、
共通点を考えさせて文学の読み方について考え方を深めさせるみたいな意図があったとは思うんですが、
生徒が抽象化して考えていくのはやっぱりハードルは高かったみたいですね。
羅小門の脚本を演じるという方も言語活動としては非常にインパクトがあって、生徒もそこに注目が行きがちなのですが、
授業づくりの難しさ
演じた後に脚本と教科書の本文を見比べて、原作の教科書本文の表現に戻っていかなければいけないところがすごい難しいんだろうなと思うところです。
実際の生徒の様子を見ていると、事業者の意図を汲んでちゃんと表現を考えようとはしているんですが、
教科書を参照しながら考えているかどうかは生徒によりけりなので、
やっぱりちょっと指示の出し方だとか、生徒に目的意識を持たせるというのが難しいんだなって感じます。
生徒に任せると、国語の先生がよく授業で教えたがるようなところとは別のところに注目して、
自由に色々なことを考え出すので、それが面白いとも言えますし、
でも意外と表面的なところで上滑りしたりすることもあるので、
高校で教えたいレベル、読みが深まっていくとか、近代文学の読み方だとか、
そういうことを理解するには、手立ととしてはかなりチグハグになりやすいんですよね。
だから、研究統議会で読み深めとか、近代文学の読み方とか、そういう話がかなりいろんな班から出ていましたが、
それを目指すのであれば、今回の授業の手立とは結構チグハグになってしまうところはあるなって感じたところです。
いや、先に言っておきますが、羅小門だとか、定番教材で文学の読み深めだとか、近代文学の読み方だとかを教えるものだとは自分は思っていないので、
今回の授業者のように、脚本を作って楽しく生徒が喜んで自分のアイデアを伝えるということにはとても価値を感じています。
むしろ目の前の生徒がこうやって読んだよということを本作して作ってきたものを、そのまま子供の真実として自分は授業の中で楽しめるんです。
それがいいなって思っています。むしろそういう下手にいじらないでありのままを生かしたいんだなという気持ちがあります。
だから今回の授業についても生徒が脚本を作って楽しそうに演じていたので、多分単元としての魅力はそこにあると思っているんです。
だからそういう楽しさがどこからやってきて、そこで何を学んでいるのかを、むしろ文学の読みだとか視点だとか行動に移すだとか、
そういう難しい話にしないで、もっとシンプルな達成を考えた方がいいんだろうなというのが個人的な好みです。
その点から考えると、今回のような単元であれば、
授業者が自分でたくさん実際に生徒と授業でやりたい言語活動を授業の前でやってみることが大切なんだろうなと思います。
つまり今回であれば脚本を書いて演じるというもの、生徒が出してくる可能性のあるものを、
10パターン、20パターンと自分がやってみることが多分準備としていいんだろうなという気がします。
できれば単元の最初で自分の作品を示して、
こんな感じのことできるんだけど面白くない?みたいな感じで、
生徒を誘い出してやっていきたいなって自分だったら思いますね。
まあこういう話をすると、そんな授業は高校レベルじゃないとか言われがちなんですけどね。
でも自分の授業づくりのこだわりとしては、
自分も言語の担い手として様々な色々な言語活動をやっていくことを大切にしたいなって思いますし、
無茶なことをするのではなく、自然な言語活動をやっていきたいと思っています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。
堀川高校の研究大会の話から、国語科の授業づくりや授業の好みについて話をしてきました。
やはり他の学校の授業を見ると、自分の授業を相対化することができて学ぶことは多いですね。
他の人が授業に対してどのような願いを持っているかを拝見すると、
自分が何をすべきなのかをよく考えることになります。
もう自分はICTなしでは国語の授業を語れないというのを今回よく自覚することになりました。
今回の授業についても、ICTがないからダメだというわけではないんですけど、
自分がやるんだったら多分共同編集で、もっと相互参照させてたくさんやらせたいなと思いますし、
どこに注目したかみたいなこともコメント機能なんかを使って、
もっとしっかりと可視化していくんだろうなって思います。
資料についても、例えばラショウモンや舞姫であれば、
YouTubeを検索するといろいろな朗読が出てくるので、
様々な種類の朗読を生徒に聞いてもらって、
自分たちの解釈だったらどれで読むのがいいみたいなことを問い汲むのかなみたいなことをしています。
もしかすると、そういう授業がもはや高校の国語科の授業としては邪道になっているのかもしれないです。
もっと言うなら、ここに生成AIを絡めて授業をしていくことにもなるので、
生徒の脚本の書き込みをAIに分析してもらって、
クラスの読みの傾向はこうだけど、あなたはどう?みたいな問いかけをしてみたくなったりするんだろうなっていう気がします。
もはや国語科としておとなしく授業をするという道筋が自分にはないのかもしれないですね。
本日のポッドキャストの裏話は、私のボーイシーで6時半から配信されます。
今日の配信を聞いてくださった方は概要欄のリンクからぜひ続きをお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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次回の配信もお楽しみに。
ではまた。