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2025-04-21 16:08

#039 新年度の授業開きの話

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新年度、国語の授業をどう展開しようかと悩んでいる先生、いませんか?
今回は新学期に生徒とどう向き合い、どう授業を進めていくかを考えていきます。
大学入試を見据えた指導法も大切ですが、生徒が主体的に取り組む授業の進め方、そして何よりも「国語を学ぶ意味」を考えなければ…と思います。

「国語って何を教える科目だろう?」
そんな悩みを抱えている先生に、ぜひ聞いていただき、一緒に考えてもらえたら…と思います。

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サマリー

新年度の授業開きでは、新入生を迎え、教育者はどのように国語を教えるかに焦点を当てています。特に、高校の国語教育の難しさや新入生への配慮が重要なテーマです。授業開きでは、生徒自身が自分の言葉で問題を語り直す重要性が語られています。また、現代の国語という科目を通じて、言語活動や言語技術の習得を促す授業方針が述べられています。

新年度のスタート
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ、パーソナリティーのKasaharaです。
この番組では、ICTを活用した国語の授業実践に関する話題を中心に、
Google for Education認定トレーナーと認定コーチの資格を持つ私、Kasaharaが、
教育にまつわる様々な話を配信していきます。
職員数のスタッフ同士で行われる教育談議のようなものだと思って、ゆるっと聞いてください。
4月も気づけば下旬ですね。
新入生を迎え入れて始まった新生活は、少しずつ安定してきました。
自分も新しいクラスの担任として、日々新たな発見をしては楽しく過ごしています。
やはり、卒業生を送り出すときは少し名残惜しい気がしましたが、
こうして新しい人を迎えることができるのは嬉しいことです。
ちょっと前までは、自分の気心の知れた生徒たちと遠慮のないコミュニケーションをしていたので、
こうしてたどたどしく、うゆうしいコミュニケーションを生徒としていること自体が日々新鮮ですね。
変わらないのは楽だけど、変わらないと成長も出会いもありませんからね。
こういう楽しみを大切にしたいところです。
新入生を迎えての新生活も少しずつ軌道に乗り始めて、いよいよ授業が先週から始まっています。
授業スタイルの紹介
自分も久しぶりに本格的に授業なので、さて何をやってやろうかとやりたいことの方が先行してウキウキしています。
ウキウキはしているのですが、授業のネタとしてはあまり良いアイデアが今のところないです。
まだ測りかねているところがあるんですよね。割と困っています。
やりたいことはあるものの、それをどうやって単元に落とし込むかということがやっぱりすごい難しいんですよ。
新しく出会った人たちとどのように授業をしていけば良いのか、距離感を測りながら試案しているというところです。
さて、今回は新年度の授業開きについていろいろと話をしていこうと思います。
1年間のスタートとしてどのような授業をすれば良いかということはかなり迷いがありますね。
特に今年のように新入生を迎えての最初の授業というのは何から話し出せばいいかなというのは結構迷ったりします。
結局毎年ぐじぐじと悩んでるんですが、
大体自分は自分のことについて、自分の授業スタイルについてまずは自己紹介のように話すというところから始めていますね。
自分の授業スタイルに関して1時間をかけてたっぷりと話すみたいなそんなことをするようにしています。
そういうことを選んでいる理由の一つとしては、国語が比較的嫌われている科目であったり苦手意識を持たれていたりする科目であるので、
そのイメージをまずは変え、全然今までとは違うところからスタートしてほしいなというふうに思っているので、
高校の国語とは何か、自分の授業はどんなものなのか、そんな話から話すようにしています。
苦手でない国語が得意だと思っている子であっても、高校の国語になった途端に結構苦戦してしまう子って少なくないんですよね。
というのも、高校の国語の語彙の難易度というのが中学校の教科書に比べると一段飛ばして急に難易度が上がっているということもあるので、
国語が得意だと思っていても、なかなかうまく読めないでくじけてしまうことってあるんですよ。
そういう転び方をしてしまうのってとってももったいないじゃないですか。
せっかく国語が好きで自分は得意だというふうに思っている子であれば、それを高校でも活かしてほしいなというふうには思うんです。
だからあらかじめ何が高校の国語を新しく始まるのかみたいな話というのを最初にちゃんとしてあげたいなというふうに思っています。
高校の勉強の仕方だとか、高校の題材の話をまず伝えることによって丁寧にスタートが切れればいいなというふうに思っています。
あと自分のやっている授業というのがやっぱり独特なものがある。
生徒にとっては初めて受けるような授業のスタイルになる可能性もあるので、安心して授業を受けてもらえるようにするためにいろんな説明をしているという感じですね。
特に勤務校は大学進学を重視する学校ではあるので、入試のこともちゃんと大丈夫なんだよという話をまずはしなければいけないのもやっぱり事実なんですよね。
特に新入生の場合は、進学することができると期待して入学してきている生徒は少なくないので、まずは大学入試にちゃんと授業で対応できるよって話は伝えておかなきゃいけないなというふうには思っています。
高校の国語の特徴
大学入試の国語と普段やっている授業の国語って全然違うことをやっているのは事実なんです。
大学入試の国語はそれはそれとしてスポーツみたいなものなので、ある特定のルールの中で特定のパフォーマンスを上げられるようにするそういう訓練が必要になるのも事実なので、
じゃあ何がルールでどういう訓練をしてどういうパフォーマンスを上げればよいのかみたいなことをまずはまとめて話しちゃおうというふうに思っているわけなんですね。
勉強の仕方がわからないから何だか授業を受けていても力にならない気がする。
勉強の仕方がわからないから問題集を解いてた方がいいんじゃないかみたいなそういうような迷いが出てこないようにするために、
ちゃんと授業の中での言語活動や友達といろんなことを考えたりすることで大学入試の基礎的な力は育っていくし、
そういうような基礎的な力をルールに当てはめてパフォーマンス出せるようなやり方は授業でちゃんとやるから大丈夫だよみたいなそういう説明をまずしようかなというふうに思っているんですね。
国語の勉強に関して中学校までで苦手意識を持っちゃった子であっても、
高校からもう一回ちゃんとチャレンジしていけば高いパフォーマンス出すこともできるんだよっていうそういう前向きなスタートができるような話をしてあげたいなというふうに思っているわけです。
また、中学校の国語と高校の国語の大きな違いってどこにあるのかみたいな話も最初の授業で話すようにしています。
いや、最初の授業だけではなくて2、3回そういう話をしているかもしれないですね。
というのも、高校の国語は世界観がわからないと、教論が何をしたいのかという問題意識を持っていないと、多分読んでいてもなかなか頭に入ってこないんじゃないかなというふうに思っているんですよ。
高校の国語で出てくる文章というのは、おそらく小学校や中学校でもなんとなく触れてきたことにもっと具体的に踏み込んで鋭く論じていくのが一つ特徴なんじゃないかなというふうに思うんですよね。
社会の中で起こっている問題一つ一つを分析的に読んでいって、その一つ一つの問題に対して何かしらの名前をつけて考えていくような作業であるってそんなふうな話の仕方をしていきます。
問題を見える化していくのが高校の国語の勉強であって、問題がないと思っていたところに実は問題が潜んでいるというのを言葉の力で見つけていくことができるようになるのが高校の国語の面白さなんだよみたいな、そういう話からスタートしています。
入試を意識して一言でまとめてしまうのであれば、いわゆる近代合理主義と呼ばれるような考え方なんだなんてそういうまとめ方をして伝えたりもしますね。
つまり近代合理主義というような私たちの考え方のOSになっているものをどのようにアップデートしていくかというのを考えていけるのが国語っていう教科なんだよみたいなそんな話をしています。
だからこそもう自分はいわゆるキーワード集に書いてあるような近代という価値観の話だとか、近代にまつわるキーワードでこういうものがあるんだよとか、今の社会問題はこういうような思想とつながっているんだよみたいな話というのをまずはざっくりと話して教科書を読むときの補助線、補助輪になるものを先に手渡してしまうような形でスタートするようにしてるんですよね。
まあ本当はこういう知識の変調になるような知識が先行していくようなやり方というのは国語の授業としては本当はどうなんだろうっていう迷いもないわけではないです。
もちろん一部の生徒はこういう哲学的な話だとか思想的な話だとか、物の見方考え方が広がるっていうこと自体が話を聞いていて楽しいと思ってくれる場合はあるんですけれども、
一方でいきなりそんな情報を言われたって何が何だかわからないよってなってしまう子がいるのも事実ですし、こんな情報量のある授業を1年間続けていたらもう聞いている方のせいでも大変になっちゃうんじゃないかなというふうに思うんですよね。
そしてそもそも人からこういうことをいくら積み重ねて言われて理解した気になっていても、それを自分の言葉として使えるようになるかというと別問題なんだろうなーっていうのは強く思います。
自分の言葉にならないでなんとなくうわっつらわかった気になってしまうというのは、国語の授業としてはかえって有害なことになってしまうんじゃないかなというふうに思うわけです。
ちゃんと授業の中で取り扱った内容に関して自分の問題意識、自分の言葉でしっかりと語ることができるようになるかどうかというのは、やっぱり自分でその問題であるとか文章に書かれていることっていうのをもう一度語り直すっていう経験がすごい大切だと思うんですね。
そういうことを語り直すだけの経験というのを授業の中で取らないでどうするのかっていうのが自分がやっぱり強く思っているところです。
自分の方でいろんなことを端的に解説して伝えるっていうのは、自分としても授業作りとしてはそんなに難しくないですし、生徒としてもなんとなく話を聞いてノートをまとめてってやっていて、それでいて少し頭が良くなった気がするっていう形なので、多分楽ができるんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
自分の言葉で語る重要性
でもそれが本当の自分の言葉になるのかっていうことに対してやっぱり自分自身強い違和感があるので、自分は自分の授業の中で生徒自身が言語活動を具体的に行う中で、いろいろな問題を語る言葉を自分のものとしてしてほしいなというふうに思ってます。
それってでもやっぱり大変なんですよ。生徒が何か言葉を語ろうとしても、生徒は語るだけの知識というのがあるかというと、まあ心もとないところっていっぱいあります。授業の中でいろんなものを調べていろんなものを検証してっていうふうにやる必要は絶対にあるんですけれども、そういうことをやっていると莫大な手間がかかります。教えちゃった方が絶対楽です。
もちろん基本的なことに関しては、教えてから考えてもらうっていうことも必要な場合はあります。ナイブな問題、センシティブな問題ほど、先にちゃんとこういうことは大切になるんだよっていうことを教えた方がいいっていうケースはもちろんあるんです。
でも本質的には自分の言葉で語り直すということが重要になるだろうというふうに思ってます。生徒がいろんな言葉を使って自分で自分たちの問題を語ろうとすると、山ほど誤りだとか勘違いなんか出てきます。
でもそれに粘り強く付き合って、本当はこういうことなんじゃないとか、こういうことはちゃんと調べてみたみたいなことをちゃんと授業の中で対話していかなかったら、言葉の学び方としては緩いんじゃないかなっていうのをすごい思うわけです。
なので手間はかかるんですけれども、自分の言葉で自分の問題意識を語るということを授業でやりたいなって思ってます。
それをやるためにまずは本当に必要な最低限の知識というのを1年間の最初の方でまとめて教えてしまおうというのが自分の作戦という形になってます。
そういう授業をやりたいなというふうに思っているわけなんですけれども、今年は一番最初何の授業から始めたら高校らしくなるかなというのを結構悩んでいます。
高校らしい授業というものが何なんだろうというのは、これも難しい問題ではあるんですけれども、どうしても高校の授業だと文章が難しくなって文章を読んでいる時間が長くなるというのは考えられるんですけれども、
だからこそ、現代の国語ということもあるので、あえて話すこと聞くことから始めたいなというふうに思ってます。
声をしっかり出して体を使ってみることによって自分の言葉と体がつながっていくみたいな、そういう体験をするところから始めてもらうのがいいかななんてことをちょっとぼんやりと考えています。
まずは頭で考えてみること、そしてその頭で考えたことを体を使ってみることで、頭で考えることと体を使って表現することの遠差というのを経験してもらって、そこの違和感から何か1年間授業を続けられないかなみたいなことを考えています。
生成AIがいろんなものを出してくれる時代だからこそ、あえて体を使って遠回りするような言葉の経験みたいなことをできないかなみたいなことを考えています。
今回の配信はいかがだったでしょうか。自分が担当するのは、現代の国語という科目ですが、漠然と教科書を眺めているだけだと、ただ評論を教えるだけの科目になりかねないと感じています。
ただ、わざわざ現代の国語という形に再編されている背景には、もっとちゃんと言語活動を行うこと、言語活動に必要な言語技術を意識的に学ぶこともあると思っています。
だからこそ、自分の授業では言語を使うということを授業の中でたっぷりと準備したいと思っているんですよね。
ただ、いきなり入学して初対面の人とあれもこれも言語活動ができるかと言われるとかなり難しいです。
実際には、ICT端末も配られたばかりで、共同編集と言われても、何それ、どうやるの、みたいな生徒は少なくないですね。
いや、あのギガスクールで何を習ってきたんだ、みたいな話になっちゃうんですけど、現実的にはアプリケーションなどの違いなどもあるので、スラスラとはいかないわけです。
自分がやりたい授業に至るための参入障壁を乗り越えてからでないと、なかなか単元をスタートすることができないなーっていうのはちょっと感じています。
授業数が少ないのが口惜しいですね。
毎日コツコツやれば割とすぐにどうにかなる気がするのですが、週2単位だとなかなか慣れるまで時間がかかります。
この時期の授業は先行投資ですね。
ちゃんとここでいろいろなことに慣れておけば、後から雪だるま式にできることが増えていくので、ちょっと授業の進みが遅くなったとしてもしっかりと頑張っておきたいところです。
豊かに活動するためには、いろいろな道具を準備しておくことは軽視できないところです。
自分はこの時期に取り立ててまとめてそういう準備をしてしまうのですが、リスナーの先生はいかがですか?
どのような工夫をされてますか?ぜひ教えてください。
今回の配信を聞いて何か参考になったことがあれば、いいねを押してもらえると番組作成の励みになります。
またアウトプットの一環として、ぜひお気軽にコメント、SNSでのシェアをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleホームに直接感想やご意見をいただいても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。ではまた。
16:08

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バタバタの中、横並びシラバスでとりあえず最初の教材をやる、という公立時代から、単独授業ならば、年間構想を自分なりに練って始められるというありがたい私立へ。 今、いままでできなかったことをやってます。 ただ、激しく準備に疲れます(笑)

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